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『ヌアー族――ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』

Evans-Pritchard,Edward Evan 1940 The Nuer,The Clarendon Press
=197806 向井 元子 訳,岩波書店,432p.
=19971015 向井 元子 訳,平凡社,平凡社ライブラリー,476p.

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last update: 20180223

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■Evans-Pritchard,E.E. 1940 The Nuer,The Clarendon Press.=19971015 向井 元子 訳 『ヌアー族――ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』,平凡社,平凡社ライブラリー,476p. ISBN-10:4582762190 ISBN-13:978-4582762198  [amazon][kinokuniya] ma

■内容

(「MARC」データベースより)
ナイル系民族の一つ、ヌアー族の社会を調査したエヴァンズ=プリチャードは、彼らの生活と政治制度を緻密に記述した。第一級の民族誌にして、社会人類学に大きな影響を与えた古典。再刊。

■著者紹介

『ヌアー族の宗教(下)』「解説」より)

Evans-Pritchard,Edward Evan エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャード

1902年 イギリスのサセックス生まれ。父はイギリス国教会に属する聖職者。
    ウィンチェスターカレッジ卒業後オックスフォード大学に入学、エクセター・カレッジに所属し、近代史を専攻
1924年 M・A取得(歴史学)
1926年 スーダンのアザンデ族で最初のフィールドワーク。
1927年 ロンドン大学、スクール・オブ・エコノミクスでPh.D取得、アザンデ族の調査記録をまとめたものである。
    このときの指導教官はC.G.セリグマンと、B.マリノフスキーだった。
1928-31年 ロンドン大学、スクール・オブ・エコノミクス、人類学講師。
     この期間にアザンデ族再調査とヌアー族調査を行う。
1932-34年 カイロのフアド一世大学(エジプト大学)、社会学教授。
1935-40年 オックスフォード大学、アフリカ社会学講師。
     この期間、スーダンのアヌアク族、ヌアー族、インガッサナ族、ケニアのルオ族などの調査を行う。
1940-45年 第二次大戦と共に軍役に従事し、最初スーダン側からエチオピアのイタリア軍に対するゲリラ活動を指揮する。後に中東に転任し、キレナイカのサヌシ族の調査を行う機会を得た。この期間の業績は軍に提出したものが多い。
1945-46年 ケンブリッジ大学、人類学上級講師。
1946-70年 オックスフォード大学、社会人類学教授(前任者はラドクリフ=ブラウン)、オール・ソウルズ・カレッジのフェロー。49年から51年にかけて、王立人類学研究所長をも兼任している。
1971年 ナイトに叙され、サー・エドワードとなる。この他、レジオン・ドヌール勲章をはじめ、多くの栄誉を受けている。
1973年 オックスフォードの自宅の浴室で死去、70歳。


■目次

まえがき
序章
第一章 牛に生きる人々
第二章 生態
第三章 時間と空間
第四章 政治体系
第五章 リニィジ体系
第六章 年齢組体系
解説 長島信弘
訳者あとがき
平凡社ライブラリー版あとがき
索引

■引用

序章
「政治構造とは、空間的に限定された土地に住み、自らの同一性と排他性を認識している人々の集団のあいだの地域体系内の諸関係を指している。集団の諸成員が恒常的に接触を保っているのは、これら共同体のうちでも最小の共同体においてだけである。われわれは、このような政治集団をもう一つ別の種類の地域集団、つまり、家族、世帯、合同家族といった共住集団とは区別している。共住集団は、分節体系ではなく、またその一部を構成するものでもなく、さらにその成員の地位は、お互いどうしに関しても、また対外部の人間に関しても区別がある。共住集団の社会的絆は本質的に親族次元のものであり、そこでは共同生活が常で>0025>ある。」(pp.25-26)


第三章 時間と空間
「彼らは、われわれの言語でいう「時間(タイム)」に相当する表現法をもっていない。そのため、彼らは時間について、われわれがするように、それがあたかも実在するもののごとく、経過したり、浪費したり、節約したりできるものとしては話さない。彼らは、時間と闘ったり、抽象的な時間の経過にあわせて自分の行動を調整せねばならない、というような、われわれが味わうのと同じ感情を味わうことは絶対にないであろう。なぜなら、彼らの照合点は主として活動そのものであり、活動は一般的性格としてかなり幅をもつものだからである。物事は順序正しく行われているが、正確に行動を合わせねばならないような自律的な照合点は存在しないから、彼らは抽象的な体系によって支配されるということはない。この点、ヌアー人は幸せである。
 また、彼らは、明確に規定、もしくは体系化された時間の単位をもたないから、出来事と出来事のあいだの相対的な時間の長さを計る手段は極めて限られたものしかもたない。一時間という単位も、他の小単位もないのだから、太陽のある位置と他の位置とのあいだの時間を計ることもできないし、同様に、日常の諸活動に要する時間を計ることもできない。」(p.189)

「 次のように結論することができる。つまり、ヌアー人の時間の認識体系は、年周期の範囲内、あるいはその一部についてみた場合、一連の自然の変化を概念化したものであり、そのどれを照合点として採択するかは、こうした自然の変化が人間の諸活動にとってどのくらい重要性をもつかによって決まってくる。」(p.190)

「 ヌアーの時間の幅が狭いことは注目される。実質的な歴史は100年を遡るにすぎず、伝承の導いてくれる範囲も多目に見積ってもリニィジ構造をせいぜい10世代から12世代まで遡るにすぎない。リニィジ構造はけっして伸張しないというわれわれの考えが正しいとすれば、世界のはじまりから現在までの距離はつねに一定していることになる。このように、時間は連続体ではなく、父系出自の系譜上における最初の人物と最後の人物を結ぶ二点間の不変の構造的な関係である。彼らの時間がいかに浅いものであるかは、人類がその下で誕生したという伝承の樹木が、二、三年前まで西ヌアーランドに立っていたということからも想像できるであろう。
 年周期を越えると、彼らの時間の認識は社会構造を概念化したものになる。ここにおける照合点は、集団間の現実の関係を過去に投影したものである。それは、出来事をつなぎあわせる方法ではなく、諸関係をつなぎあわせる方法であり、そのため概して回顧的性格を帯びたものとなる。なぜなら、関係の説明には過去を用いねばならないからである。」(p.196)

「 ヌアーは、どの民族よりもディンカ族に親近感を抱いていることはすでに述べたとおりである。また、これに関連して、彼らは、すべての面において自分たちに近いディンカに対してもっとも激しく敵意をもやし、執拗に襲撃を繰り返してきたことにも読者の注意をうながした。その原因としては、ディンカが牛をたくさん所有していて、それを略奪することが容易だったことも確かにあるが、隣接諸地域のなかで、ディンカランドだけが、牧畜民にとってそれほど大きな生態学的障害となっていないこともその一因となっている。しかしもう一つ考えられることは、捕虜の>0228>0229(図)>同化や、襲撃のあいまにもたれている両民族間の断続的な社会関係をも考慮すると、ヌアーとディンカとのあいだで行われるたぐいの戦いには、文化的類似性と価値観の近似性の認識が必要とされるようだということである。両民族のあいだの戦いは、単に利害の衝突というだけのものではなく、それは両者のあいだの構造的関係でもあり、このような関係では、双方ともに相手の感情や習慣をある程度のみこんでいるということが前提になっている。このように考えてくると、政治的関係のありかたは、ヌアー族と近隣諸民族とのあいだの文化的相違の度合いによって非常に強く影響を受けいていることに気づく。生業形態、言語、習慣等において、自分たちに近ければ近いほど、ヌアーはその民族に近親感を抱くと同時に、容易に敵対関係にも入り、また、逆に融和することもできるのである。文化的な相違は生態学的状況を離れて、自律的に、あるいは歴史的な条件によって決まる部分も大きい。ディンカとヌアーとのあいだの類似性は、両者のあいだの構造的関係を決定する際の大きな要因となっており、同様に、ヌアー族と他の諸民族とのあいだの関係も文化的相違の幅に応じて決まってくる。」(pp.228-230)

「 人は、同種類の他の集団の成員ではないという資格によって、一つの政治集団の成員としての資格を得る。彼は他集団を集団として見るが、それらの集団の成員も彼のことをある集団の一員としてみる。彼と他集団の成員との関係は、関与している集団のあいだの構造的距離によって決まる。しかしながら、彼がその集団のある分節の成員であって、しかもその分節が集団から独立し、かつ同集団内の他の分節と対立しているかぎりにおいては、彼は自分がその集団の成員であるとは考えない。かくして、彼はある集団の成員でありえながら成員ではないということになる。>0238>これは、ヌアーの政治構造の基本原理である。このため、他の部族との関係においては、彼は自分の属する部族の成員だが、部族内の同種類の他の分節との関係においては、彼は部族の成員ではない。同様に、他の分節との関係においては、彼は自分の属する部族分節の成員だが、その分節のなかの他の村との関係においては、その分節の成員ではない。したがって、すべての政治集団に共通する特徴の一つは、内部諸分節がつねに分裂・対立する傾向をもつことであり、もう一つの特徴は、隣接したより大きな政治分節と対立するときには、同列にある他集団と融合する傾向をもつことである。このように、構造的にみれば、政治的諸価値はつねに矛盾する傾向を示すのである。一方の価値は、人をある集団に帰属せしめるが、他方の価値は、その集団内にあって他と対立している一分節に彼を帰属させるのである。そして、具体的に彼の行動を決定する価値は、彼の置かれている社会的状況によって決まる。なぜなら、他集団との対立においてのみ、彼は自分がある集団の成員であることを認識するからであり、彼が他の集団の成員をみるときには、その集団の内部がいかに多くの対立する分節にわかれていようとも、社会的にまとまった一つの集団の成員とみなすからである。」(pp.238-239)


第四章 政治体系
「 政府機関や司法制度、発達した指導体制、そして一般的に言って、組織化された政治活動の欠如が、ヌアー社会の大きな特徴となっている。彼らの社会は統率者をもたない親族組織であるため、そこにおける政治秩序の維持の仕方とか広域にわたる社会的諸関係の確立と維持の方法は、親族体系の研究を通じてのみ理解が可能となる。彼らの生活が営まれている秩序ある無政府状態は、彼らの性格ともよく合致している。というのは、ヌアーの人々とともに生活してみると、誰か支配者が彼らを支配するなどということはとても考えられないことだからである。」(p.309)


第五章 リニィジ体系
「 政治組織の研究にとってリニィジ体系が重要な意味をもつのは、共同体的紐帯とリニィジ構造が同化してしまっていること、地域的な所属をリニィジ用語で表現すること、逆にリニィジ帰属を地域的な所属によって表現すること、のためである。」(p.345)

「行動をつねに支配するのは共同体としての価値であって、それはリニィジとしての価値とは異なった社会的状況のもとで作動する。リニィジとしての価値は、父系親族集団間の儀式上の諸関係を支配するのに対して、共同体としての価値は異なった村、部族セクション、部族に住む人々の集団のあいだの政治的関係を支配する。相異なる二種類の価値がそれぞれ別の次元で社会生活を支配しているのである。
 後節でも述べるように、リニィジ構造における父系原理が政治的に重要性をもつのは、部族と、そこに住む優越クランおよび何らかの形でその優越クランと関係している諸リニィジとのあいだに密接な関係があるということだけによっている。というのは、これらリニィジが価値として機能するのは、リニィジに協同的な実体を与えている政治体系のなかにおいてだからである。」(p.354)

「部族は社会的にまとまった広がりをもつ地域集団であるのに対して、クランは非常に広域に分散した親族集団である。したがって、部族は共同体であって、協同的な諸機能を発揮することができるが、クランはけっして共同体ではなく、協同的な行動をとることもありえない。」(p.358)

「ヌアー社会では親族関係の価値がもっとも強い感情を伴い、もっとも強い規範ともなっているので、すべての社会的相互関係は親族関係の用語で表現される傾向がある。養取の習慣と、非父系の絆を父系のそれへと同化する習慣は、共同体的な諸関係を親族の関係へと置換する二つの方法である。つまり、同じ共同体に住むことによって、必然的に居住関係は親族関係のパターンへと変換されるのである。第三の方法は、神話によって虚構の親族関係を創りだすことである。[……]これは、外来者やディンカ人の大きな集団を部族の概念的な枠組みのなかへ編入する方法である。
 これまでに繰り返し指摘してきたのは、日常会話では政治的諸関係はしばしばリニィジの諸関係で表現されるということ、つまり地域共同体のことをあたかもそれがリニィジであるかのように話し、こうすることによって、同じ共同体生活を営んでいる人々を優越リニィジへと同化しているということであった。しかし他方では、彼らは、リニィジ関係を政治的諸関係で表現し、地域共同体の中核でしかないリニィジをあたかも地域共同体そのものであるかのように話すことに>0382>よって、父系集団としての特異な地位を優越リニィジから剥奪し、居住にもとづく一般的な価値をそれに付与するということも述べた。共同体間の関係を表すこのような方法に合致するように、共同体間の諸関係は神話のなかで人格化され、親族関係的な個人の関係によってその由来が説明されている。」(pp.382-383)

「ヌアーは、自分たちといっしょに住み、共に戦い、共に歓待をうけ、そして他の共同体に対するときは共に同じ共同体の成員である人々を、地位のうえで区別することはしない。居住に基づく共同体原理が出自の差異を被い隠すのである。」(p.392)

「 外婚規則のある諸クランのあいだには父系関係を、父系関係の存在しないと思われる諸クランのあいだには非父系の親族関係や神話上のつながりを認めることを通じて、すべてのヌアーの諸部族は、政治的価値の親族関係の価値への同化によって、単一の社会体系として概念化される。」(p.399)


第六章 年齢組体系
「 このように、年齢組体系は親族関係用語を通じ、親族関係のパターンにのっとって人々に影響を及ぼす。」(p.429)

「全男子を、そして、その類似において全女子をも、家族関係のパターンにのっとった相互関係をもつ年齢組集団に序列化するということは、共同体的な関係を親族関係のパターンで表す一つの方法であり、それはまた、諸々の社会関係を少数の基本的なタイプに吸収するという点において、親族名称の類別的体系と比較できるものである。年齢に基づく関係は、共同体の全住民を結びつけている親族関係型の一般的社会関係の一部をなすものである。一地域集団の成員は、堂種類の他集団に対してのみ集団としての関係をもつが、われわれが政治的と呼んでいるのはこうした諸関係である。」(pp.430)

「 未開人に関するモノグラフは長々しいものだという従来の伝統を幾分なりとも本書の書き方で打ち破れたと思う。」(p.432)

「 一体どの程度まで抽象化を推し進めていってもよいものかということを判断するのは難しい。一度理論的な観点を設定すれば、事実はその理論にとって意味があるか否かということだから、どの事実が重要であるかを決めることは比較的容易である。しかしながら、未開人の政治制度を論じる際、彼らの家族生活や親族生活について最小限にしか言及しないというやりかたが果して賢明かどうかということにも疑問が残る。この方法でうまくいくだろうか。われわれが自問してきたのはまさにこの点についてであり、結局、やってみなければわからないという結論に達した。>0432>
 (1)われわれは最初に牛に対するヌアー人の執着ぶりについて述べ、そしてヌアーの生態学的諸関係の体系のなかで、この価値がいかに一定の分布様式と移牧を必然たらしめているかを見てきた。次に時間と空間の概念に触れ、これらが生業のありかたと居住形態に非常に大きく左右されていることを述べた。また、地域セクションが、それらに付与された価値をとおして、一つの政治体系を構成していることを考察してきた。さらにまた、優越クランのリニィジ体系上の構造的距離は、部族体系上の構造的距離と相関関係にあるが、年齢組体系と政治構造とのあいだにはこれに比較されうるような相互依存関係は存在しない、という点についても論じた。
 (2)社会構造というとき、われわれは、一貫性と不変性を高度に備えた諸集団間の関係を意味する。ある特定の時点において含まれる個人にはかかわりなく集団は不変であるから、延々と何世代もの人々が集団を通過してゆく。人々はその集団に生まれ、もしくはあとになって集団に移り住み、死とともにそこを離れる。しかし構造は存続する。構造というものをこのように定義すると、家族は構造的集団とはみなされない。なぜなら、家族は、集団として相互に一貫した、かつ恒常的な関係をもたず、家族成員の死とともに消滅するからである。[……]だからと言って、家族は構造的な諸集団よりも重要ではないという意味ではない。家族は構造を維持していくためには絶対必要なものである。なぜなら、家族は、新しく生まれた人々を構造内の諸分節に所属させ、体系を維持していく手段だからである。また、われわれが構造的と考える諸関係は、いかなる意味でもまったく変化しない書集団間の関係だということではない。地域体系、リニィジ体系、年齢組体系は変化するが、その>0433>変化が比較的緩慢であるため、それらの諸分節間にはつねに同質の相互関係が存在する。しかしながら、われわれは、構造についてこのような狭義の定義に固執するつもりはなく、本書の記述や分析もそうした定義に立脚しているわけではない。
 (3)構造的な関係とは、一つの体系をなしている書集団間の関係である。したがって、構造と言うとき、そこにはさらに書集団の組織化された結合という意味もこめられている。ヌアーの地域的分布は、居住単位が偶然に集合したものではなく、それぞれの地域集団は分節化しており、それらはまた他集団との関連においては融合するため、各単位は体系全体の観点からのみ定義されうる。同様に、リニィジや年齢組もそれぞれの体系の一部をなすものとしてはじめて定義される。本書ではこのことを明らかにしようと試みた。
 (4)構造とは、集団体系内の、人々の集団間の関係である。われわれは、それが集団間の関係であることをとくに強調しておきたい。というのは、個人間の関係も規則的な図式にのっとって配列することができ、それはたとえば親族関係が親族体系と呼ばれることにも見ることができる。ここで言う「集団」とは、他の諸単位との関係においては自分たちがそれらとは異なる単位をつくっていると考え、他の単位からもそのように見なされ、そして、その単位の成員であるという資格によって全員が相互に義務を負っている人々の集まりのことである。集団をこのように定義すると、部族分節とかリニィジそれに年齢組は集団であるが、個人のキンドレッドは集団ではない。親族関係はカテゴリーであり、親族体系とはある個人を中心とする諸カテゴリーを総合したものである。われわれの見解では、外来者やディンカ人は、社会集団の成員というよりもそれぞ>0434>れのカテゴリーに属する人々として記述されるべきであり、彼らと貴族との関係は厳密に言えば構造的な関係として扱われるべきではない。
 (5)一つの民族の社会構造とは、それぞれ別個のものではあるが相互に関連した諸構造が作りあげる体系である。本書では主として政治構造を扱った。最初の段階でわれわれは政治的ということの定義づけに苦慮したが、結局地域集団間の関係を政治的関係であると規定し、村をその最小の単位とした。というのは、村は親族の絆が織りなすネットワークを成してはいるが、親族集団ではなく、居住と感情を共にしていることによってのみ定義されうる集団だからである。われわれが分節原理と呼んできた分裂と融合への相補的な傾向は、ヌアーの政治構造の顕著な特徴であることがわかった。政治的な区分線はおもに生態学的環境と文化によって決まってくる。苛酷な自然環境に加うるに牧畜上の利害を最優先することが原因して、人口密度は低く、共同体間の間隔も広い。ヌアーと近隣諸民族とのあいだの文化的差異もそれぞれ異なる政治的距離を生じさせる原因となっている。生態学的諸関係と文化的諸関係が結びついて分裂を生みだす要因となることもしばしばあるが、ヌアーランド自体は文化的に均質であるため、地域諸分節の規模と分布を決定しているのは主として生態学的な諸関係である。
 (6)政治構造にみられるこうした傾向もしくは原理は、価値をとおして人々のあいだの実際の行動を支配する。これらの価値は一見矛盾しているように見える。しかし、個々の社会的状況に照らして規定された一連の関係として構造をみるとき、それらの価値は一貫性を示す。政治的価値とは、地域共同体の全成員が共有しているところの次のような感情と了解のことである。すな>0435>わち、彼らは、同次元にある他の共同体とは別の、そしてそれらとは対立する排他的集団をなしていること、また、ある状況では共に行動し、独自の習慣を守るべきこと等の感情と了解である。こうした価値が存在するからといって、行動がつねに価値に合致しているというわけではなく、矛盾していることもしばしばあるが、それにもかかわらず行動はつねに価値に同調しようとする傾向を示す。
 (7)地域集団間の諸関係を政治体系と言い、リニィジ間の諸関係をリニィジ体系と言い、年齢組間の諸関係を年齢組体系と言うことができるのはもちろんだが、一社会の全体的構造の内部にはこれらの諸体系を結びつける何らかの関係がつねに存在している。ただし、その関係がいかなるものであるかを見極めることは難しい。ヌアーのリニィジ体系と政治体系とのあいだには一種の相互依存関係があることはすでに指摘したとおりである。しかし、これは、クラン諸集団と地域諸集団とのあいだにはある種の結びつきがあっても、両者のあいだに関数的な関係があるという意味ではない。というのは、クランは、あるいはそのリニィジでさえもが、生活共同体ではないからである。さらにまた、ある人が同じクランの仲間に対してはある行動様式をとり、部族の仲間に対してはそれとは異なった行動様式をとるとき、これら二通りの行動様式のあいだに関数的関係があることを意味するのでもない。もう一つ言えば、部族に住む優越クランの諸成員と彼らが一部をなしている部族とのあいだに関数的関係が存在するということでもない。そうではなくて、リニィジ体系と政治体系とのあいだには構造的一貫性――つまり抽象概念上の一貫性が存在するということである。年齢組体系と政治体系とのあいだにはこうした相互依存関係を指摘す>0436>ることはできない。
 (8)政治的行動は、社会的行動の明確な一タイプということができるであろうか。ある種の行動、たとえば、戦いとか報復闘争は政治的行動と呼ぶことができるとわれわれは考えたが、そのように呼んだからといってたいした成果があったとは考えていない。政治的諸関係という特定の側面がくっきりと現れるのは、もっと抽象的な構造的関係の次元においてだけである。お互いに対する個人の行動は、家族、合同家族、リニィジ、クラン、年齢組等への一連の帰属や、親族関係、儀礼的絆その他によって決定される。こうした交錯した諸関係が各人に社会的接触の範囲を提供する。[……]われわれは個々人が政治的に行動しているか否かを述べているのではなく、地域諸集団間には政治的と呼びうる構造的次元の関係があると言っているのである。
 (9)われわれは、同一ディストリクトに住む人々のあいだに存在する種々の社会的紐帯を述べているのではない。全体として一つの共同体を作りあげている個人間の諸関係のネットワークと、地域分節間の関係である政治構造とのあいだの関係が、われわれの考えでは、非常に重要な問題を提供していると述べているのであり、これについて若干コメントをつけておく。(a)社会関係は政治構造による影響を受ける。だから、個人の社会的行動の範囲や、同じ村に住む人々が共有する社会的行動の範囲は、彼らが所属する政治集団の広がりによる制約を受ける傾向がつねにある。>0437>(b)地域共同体――それらのあいだの諸関係が政治構造をつくりあげているのであるが――は、その構成員間に多種多様なつながりがあってはじめて集団たりうるのである。しかし本書のテーマは、一体系内にあって相互に一定の関係にたつ集団へとこれらの諸関係をまとめあげている組織であり、われわれはこれらの諸関係をこのような組織化された形でのみ検討しているのである。それはちょうど、目的によっては、人体の諸器官を構成する細胞の相互作用を研究しなくても、器官間の関係を研究することができるのに似ている。(c)われわれのみたところでは、ヌアーの地域体系は他の諸社会体系に対してつえに支配的な変数となっている。ヌアーのあいだでは、関係は一般に親族関係用語で表現され、これらの親族関係用語は多分に情緒的な響きをもっている。しかし、同じ地域に住んでいるということは親族関係以上に重要なことであり、すでにみてきたように、共同体的絆はつねに何らかの形で親族関係の絆へと変えられたり同化させられたりしている一方、リニィジ体系は、それが機能する場としての地域体系のパターンに合致するようねじ曲げられている。
 (10)われわれは構造というものを、集団の分節化の存在とでも言えるものによって定義し、この観点からヌアーのいくつかの体系を論じてきた。ここで再度強調しておきたいのだが、われわれはこの定義に固執しないし、構造については他の定義の仕方があることも知っている。しかし構造をこのように定義した以上、構造のなかには矛盾の原理が存在することにしばしば言及せざるをえなかった。しかし[……]われわれの指摘した矛盾は、構造的諸関係という抽象的な次元における矛盾であり、社会学的分析によって価値を体系化したことに>0438>より表出したものである。行動が矛盾しているとか、諸集団が相互に矛盾した関係にあるという意味ではないことを御理解いただきたい。この矛盾の原理を作り上げ、それを実証しているのは一体系内の集団間の諸関係である。[……]われわれが言わんとしていることは、構造的諸関係の次元では、一体系内の集団の位置は、変化していく状況に対応して機能する体系と相対関係にあるということである。
 (11)本書は、ナイル系諸民族の民族学に貢献することを意図したが、さらに社会学理論の分野にも少し足を踏み込んだ。[……]現在、社会人類学は部族、クラン、年齢組等社会的な集まりを指す粗雑な概念と、これら集まりのあいだにあると考えられる関係を扱っている。仮にそれらを抽象化された概念だと考えたとしても、抽象化のレベルがこれほど低くては社会人類学の進歩はほとんど望めないであろう。前進するためには、社会的状況によって規定された諸関係をさす概念、およびこれら諸関係間の関係性を示す諸概念を用いるべきである。」(pp.432-439)

■書評・紹介

◆綾部 恒雄 編 19940425 『文化人類学の名著50』,平凡社,pp.173-183
田中 真砂子 「E.E.エヴァンズ=プリチャード『ヌアー族』」

引用
「 19世紀の後半以降、人類学者によって書かれた民族誌は数知れないが、本書ほど人類学界に広く大きな影響力及ぼしたモノグラフは、おそらくマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』をおけば、存在しないのではなかろうか。人類学という学問が何らかの意味を持ち続けるかぎり、この本は読み継がれ、読者はそこに当初予測もしなかった新しい意味を見出し続けるにちがいない。私自身、今回何度目かに本書を通読して、エヴァンズ=プリチャード(以下、イギリス、アメリカにおいて敬愛の念を込めて用いられているE-Pの略称を用いさせていただく)がこの本で試みたことの理論的含意、記述・分析のあざやかさに改めて深く感動した。」(p.173)

「 今世紀の人類学理論は、経験論と観念論の二つの系統に分けられると言われる。前者はデュルケームからラドクリフ=ブラウンに連なる系譜で、構造・機能主義として理論的な完成を見た。ニュアンスは異なるが、マリノフスキーもまた、機能主義の枠内で分析・記述を行ったと言える。では、マリノフスキー、ラドクリフ=ブラウンの弟子であったE-Pは、どのような理論武装をしてヌエル族のエスノグラフィを書いたのだろうか。
[……]第四〜六章、特に文節構造とその機能の分析・記述は、外来の(普遍的)カテゴリーを持ち込んだ点において、またシステマティックな内的整合性を強調する点において、典型的に機能主義的であり、当初はそのゆえにこそ評価された。しかし、例えば、単一の民族語彙「チェン」が、「状況に応じて、ホームステッド、ハムレット、村、そし>0180>て様々の次元の部族セクションの意味になる」という実態に照らせば、このような文節構造の記述は少々強引すぎた理論といえないだろうか。
 これに比べて、第一〜三章においては、E-Pは時代をはるかに先取りしている。ここでは、彼は随所に民俗語彙をエミックな鍵概念として用いながら、ヌエルの人びとの内的意味世界や生活構造の「翻訳」を試み、成功している。」(pp.180-181)


■言及

◆Dumont,Louis 1971 Introduction a deux theories d'anthropologie sociale; groupes de filiation et alliance de mariage,Vitgeverij Mouton & Co. B. V. =19770530 渡辺 公三 訳 『社会人類学の二つの理論 人類学ゼミナール1』,弘文堂
(引用者註1 本文中で『ヌアー族』原著のページ数に言及した部分の( )内は以下には引用していない)
(引用者註2 本文で傍点が付されている部分は下線を付した)

第二部 単系出自集団の理論
E.エヴァンズ=プリチャードの『ヌエル族』(pp.66-92)
「 エヴァンズ=プリチャードの主著『ヌエル族、ナイロート系の住民の生活様式および政治制度の記述』を要約しようと試みることは時間の浪費に過ぎないだろう。この現代的モノグラフの傑作は、できうる限り圧縮されている。それは要約を試みるよりも、内包された独自のものを手際よく切開して見せるほうがふさわしい。この作品は、まず何よりも英国人類学における政治体系論と単系出自の理論との基礎を形成している。ラドクリフ=ブラウンに対しては、連続性と同時に断絶をも表しているのである(D.F.ポコック『社会人類学入門』〔末成道男訳、弘文堂〕参照)。われわれは、まず以上の側面を明らかにすることから始めなければならない。この作品のすみずみまで個性を与え、先人の業績に――そして多くの後継者に対してさえも――対置させている、最も一般的な特徴は、構造的側面である。エヴァンズ=プリチャードはラドクリフ=ブラウンの「社会構造」の考えを大いに深化>0066>したのである。こういう言い方もいまだ充分ではない。なぜなら、彼はこの漠然とした観念に代えるに一つの正確な観念――これはまさに、語の厳密な意味での「構造」の観念である――をもってしたからである。(pp.66-67)

「体系とは何か。それは集団間の関係の総体であり、一方構造とは何よりもまず社会の内部で永続するものと定義されるが、両者の間に大した差異はありはしない。というのは、集団を介在させない個人間の関係は構造ではないから。なぜなら、このような関係は、永続的なものあるいは比較的永続的なものではないからである。この「集団」と「関係」とに付された二つのアクセントのパラドックスに注意する必要がある。つまり、現実的、持続的関係あるいは主要な関係は永続的な集団の間の関係のはずである、というわけである。親族関係(あるいは親族関係相互の関係)もまた個人という束の間の主体を超越することはする。しかしそれは集団の体系において、集団間の関係が達成する卓越した位置まで上昇することはない。ところが筆者の本質的な貢献は、まさにこれら>0087>の実体は破壊し、その「構造的相対性」を示すところにある。奇妙なパラドックスではある。それはある程度まで政治を考察の対象としたということによって強制されたパラドックスではある。しかし、逆にそれならば政治というものの実体論的先験性のためでないとしたら、なぜこの政治という次元を選ばねばならなかったのか、という疑問を生じえよう。」(pp.87-88)

「ヌエル族には本当に政治体系が存在するのだろうか。余りに一般的な問を出すことを避けるためにより限定された問を出そう。すなわち、政治「体系」というものとリニジ「体系」とを別個に分離することに利点はあるのか、と。われわれが先にまとめたように、対応する二つの章でほとんど常に問題とされていることは、これら二つの「体系」の照応関係である(『ヌエル族における親族関係と結婚』1ページを参照)。われわれは、ヌエル族の政治‐リニジ体系の内部に地域の次元が存在し、この次元にはリニジ集団と区別された地域集団が対応するということまで否定しようとは思っていない。しかし、もし「塊り(マッス)」という言葉はもはや用いず、関係という語を用いて考えるのなら、二種類の集団を二つの別々の体系に昇格させることにどんな深い意義があるのだろうか。政治体系と称するものには頭もなければ舌もない、つまりほとんどの場合クラン、リニジ、祖先神話の言葉を通して自己を表現するのである。独立変数とされるものは、自己を表すため間断なく告知者を動員し、そして逆に――われわれがこのことを思い出すよう配慮されている――リニジという告知者は、ほとんど自分のために語るということに関心を示さない(儀礼的状況以外)のである。二つの「体系」の間に生ずる全ての緊張はここに由来する。とどのつまり、二つの体系を分離することは、「内容」と「形式」を分離することに外ならない。両者を統合する方がよいのではないだろうか。そうすれば、われわれは、リニジ集合体と、ここでは犠牲にされたきらいのあるクラン以上のレヴェルのリニジ集合体がある政治的機能を持つことを認識し、そし>0089>て、政治の次元が、それ自体として遊離されるどころか、父系出自集団の一属性としてある、そのあり方を検討することになろう。こうして、変数それ自体が遊離し析出する社会と、その機能が他の仕方で遂行される社会との比較が可能となるであろう。それでも「ヌエル族」のもたらした功績は残るであろう。そして親族関係の非父系的側面の評価においても、地域単位内部での父系集団への補完物としてであれ(なぜなら確固とした相互補完性は現存するはずであるから)、あるいはこの単位の外部にあるものとしてであれ、より正しい評価を下すことができるようになるだろう。」(pp.89-90)


渡辺 公三 20030226 『司法的同一性の誕生――市民社会における個体識別と登録』,言叢社
第六章「スフィンクスへの問い」
([渡辺 2003]中の『ヌアー族』からの引用は《 》で括り、引用文中のページ数表記は[渡辺 2003]中のものを指す。――ファイル作成者)

「 フロイトが『文化への不満』を刊行した1930年の初め、現在のスーダン、当時のアングロ・エジプト・スーダン南部で、エヴァンズ=プリチャードという名の、若冠28才の人類学者が、牧牛民ヌエル(Nuer)族の調査にとりかかっていた。エヴァンズ=プリチャードは1902年、イギリス国教会の聖職者ジョン・エヴァンズ=プリチャードの子として生まれ、20代半ばにはすでにアフリカでの調査を始め、1937年の最初の浩瀚な民族誌『アザンデにおける妖術・託宣・呪術』を初めとして、ヌエル族についての古典的な三部作などによって現代の文化人類学の設立者の一人と見なされることになる。
 ヌエル族での通産約一年の調査は、本人もいうとおり決して長くないが、期間の短さばかりでなく、既存の資料がほとんど皆無で、しかも現地は諸帝国主義勢力の入り乱れた戦争状態にあったという厳しい条件のもとで、牧牛民としての誇り高さに加えて戦争による緊張のため、ヌエルの人々はいっそう頑なな非協力的態度をとっていたという。その調査の困難さをエヴァンズ=プリチャードは、1940年に刊行されたヌエルについての最初の民族誌の冒頭で、こう回想している。

 《ヌアー族は調査を妨害する達人である。彼らと生活を始めて何週間かたつまでは、もっとも単純な事実を聞>0170>き出したり、もっとも一般的な慣習を知ろうとするあらゆる試みが完全な徒労に終わる。…習慣についての質問をはぐらかす彼らの手腕は、民族学者の好奇心に悩まされている原住民たちに推薦したいぐらいである。》(引用元訳書ではp.37)

 この前置きに続いて、彼は「ヌアー方式の会話」の例をあげている。軽い苦味のあるユーモアを帯びた、一見ありふれたように見えるこのやりとりの描写に、人類学というものの本質が意外に明確に表れているとも思われる。少し長いのを厭わず引いてみよう。

  《私――君は誰?
  チュオル――人間だ。
  私――君の名は?
  チュオル――私の名前が知りたいのか。
  私――そうだ。
  チュオル――の名前が知りたいのか。
  私――そうだ。君は私のテントを訪ねてくれた。だから私は君が誰なのか知りたいのだ。
  チュオル――わかった。私の名前はチュオルだ。あなたの名前は何というのか。
  私――私の名はプリチャードだ。
  チュオル――オヤジさんの名は何というのか。
  私――父の名前もプリチャードだ。
  チュオル――そんなはずはない。オヤジさんと同じ名前をもつはずがないではないか。>0171>
  私――これは私のリニィジの名前なのだ。君のリニィジの名前は?
  チュオル――私のリニィジの名前が知りたいのか。
  私――そうだ。
  チュオル――それを聞いてどうするのか。自分の国に持って帰るのか。
  私――別にどうするつもりはない。君のキャンプに住んでいるから知りたいだけだ。
  チュオル――わかった。われわれはロウだ。
  私――部族の名前を尋ねたのではないよ。部族の名前ならもう知っている。リニィジの名前を知りたいのだ。
  チュオル――どうしてリニィジの名前が知りたいのか。
  私――もういいよ。
  チュオル――それならどうして聞いたのか。タバコをくれ。》(引用元訳書ではpp.37-38)

 どこからか入りこんで来た異邦人である人類学者が、未知の人間の同一性を問いただす。まず人間であること自体、再確認されねばならない(君は誰?―人間だ)。しかもこの「人間」は端的に、この問われた人の帰属する集団を表す自称名でさえある。同一性への問いはその核心にある「名」から始まり、ついで「リニィジ」に代表される親族関係、そして「部族」という枠組みに進む。この質疑は、親族関係と部族の体系を通じてヌエルの同一性の構造を記述したこの民族誌の全体を、このうえなく巧みに予告し要約しているのである。何かしら切迫した調子で発せられる人類学者のこの問いかけは、生涯の変容を通じても変らぬ人間の同一性を問う、あのスフィンクスの謎を思い出させるのである。
 スフィンクスとしての人類学者…。とはいえこのスフィンクスは、伝説のそれとは逆転した立場にあるともいえ>0172>る。伝説のそれは謎の答えを知っており、問いかけられた自分が当の答えであることを知らぬ人間を、犠牲として血祭りにあげるのだが、人類学者は単純に相手が何者か未知だからこそ問うのであり、答えが得られるか否かはむしろ回答者の恣意に委ねられる。そしてスフィンクス的な謎のいわば弱められたヴァージョンであるこの対話においては、エディプスの運命を制する父と母という両極の一方である、「父の名」さえもはぐらかされてしまう。ヌエル族の反-エディプスは「オヤジさんと同じ名前をもつはずがない」というのだ。

 そして当事者にとっては間延びした同一性についての質問を呈した人類学者は最後に、伝説のスフィンクスとは対照的に、タバコをせびる現地の回答者の搾取の犠牲となる他はないのである。」(pp.170-173)


*作成:石田 智恵
UP:20080927 REV:20081009, 20180223
人類学/医療人類学  ◇身体×世界:関連書籍 1990'  ◇BOOK
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