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『ホテル・ライフ』

Hayner, Norman S 1936 Hotel Life, The University of North Carolina Press.
=199708 田嶋 淳子・奥田 道大・吉原 直樹 訳 ハーベスト社 227p

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last update: 20180223

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■Hayner, Norman S 1936 Hotel Life, The University of North Carolina Press. =199708 田嶋 淳子・奥田 道大・吉原 直樹 訳,『ホテル・ライフ』,ハーベスト社,227p. ISBN-10: 4938551365 ISBN-13: 978-4938551360 2500+ [amazon][kinokuniya]

■内容


■目次

■引用

1. ホテル・ライフとパーソナリティ

ホテルを「世界でもっとも孤独な場所」にしている匿名性と非人格性は、ホテルを自由な場所にもしている(p. 9)。

→誰が自由を享受しているのか

・この自由を楽しむ多くの職種の中に、学校の教師がいる(p. 9)。
・これらのホテルの常連である男性たちは、大部分がビジネスマンである(p. 14)。
ホテルに長期的に暮らす個人は、人生に飽き飽きするか、あるいはあか抜けするかのいずれかになっていく傾向がある(p. 13)。

旅行者のための住居

2. 隊商宿からコテージへ

ホテルは、もてなしの有料化にその起源がある。それに先立つ無料のもてなしは大部分が社会的、宗教的な義務であった。来訪者のもつ想像上の不思議な力への恐れ、宗教的な能力、貿易による外国商品の必要、ニュースを聞いたり、交換したりすることへの期待がその要因である(p. 18)。
英雄たちの時代のギリシャ人の間では、専門的な宿屋のようなものは存在しなかった。旅人はだれでも、保護され、避難をする権利をもっていた(p. 19)。

ルーディ(Ludy)の『世界の歴史的なホテル Historic Hotels of the world』によれば「文明が浸透したところはどこでも、歴史的な宿屋やホテルが存在する」という。

イギリスの宿屋の物語は、他の国々と同様にマナーや習慣の変化に影響を与えている。Exシェークスピアの『ヘンリー4世』などの「フォルスタッフ」が出てくる場面、チョーサーの『カンタベリー物語』、ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』など。


居酒屋は新聞が出現するまでの間、ニュースが集まる重要な場所だった(p. 22)。
植民地時代のヴァージニアでは、宿泊施設で旅人は支払いをする必要がなかった。旅人の出現は、農園生活の単調さの中の歓迎すべき変化であった。こうした事実が、高級ホテルの発達を遅らせた。アメリカやオーストラリアの孤立した開拓農家にとって、よそ者は外の世界から冒険物語やニュースをもたらした。その結果、旅人は常に歓迎され、食事や夜の宿泊は無料で提供された。見知らぬ人に快適に過ごしてもらうことは、開拓者の家庭の中心を占める多くの活動の一つであった(pp. 23-24)。

衰退…アメリカの農村コミュニティの孤立状況が減少するに従って、とりわけコミュニケーションの手段の改善により、もてなしという初期の習慣は衰退する傾向を示した。

隊商宿と駅馬車宿

ホテルは初めの頃、旅行者のための宿泊施設としてできたため、それらの性質が基本的にお客を運んでくる交通手段の種類と関連するのは明らかである。紀元前からアジア全体の隊商ルートに沿って、人や荷物を運ぶ家畜が一晩の宿を与えられる宿営地が存在した(p. 25)。
十七世紀から十八世紀の間、旅人たちは宿屋の粗末さ辛さに悩まされる。ある程度の例外はあっても、旅人たちはフランス、イタリアおよびドイツの宿屋におけるベッド、食事やその他の宿泊施設の出来の悪さを指摘することに同意するだろう(p. 27)。
居酒屋やホテルは未婚者や家族を置いてきた多くの男たちにとっての一時的な家庭として、また村と外の世界とを結びつける駅馬車の止まる場所として、コミュニティにおける重要な場所である。それだけにそこは人口のもっとも活動的な人々が出会う場である(p. 29)。

宿屋からホテルへ

フランス語の「ホテル」という言葉は、十九世紀まで一般的に使われるにはいたっていかった。その使用は、宿泊客のための住宅の中でも、より豪華なものの発達を示している。アメリカのホテルの発展の中での「洗面器と水差し」の時代は一八二九年のボストンにおけるトレモント・ハウスの開業によって始まったと言われている(p. 29)。

オート・キャンプ場 (Auto Camp) の発達

オート・キャンプは、自動車と自動車旅行の発達に対応して、旅行者のための新しいタイプの住居として発展した(p. 33)。

市営の旅行者のキャンプの消滅は、ホテル経営者および私用キャンプの所有者の両方からの抵抗によってもたらされたのだと思われる(p. 33)。
旅行者のための住まいに関する歴史的な考察は (1) 宿屋、 (2) ホテル、そして (3) コテージが主要な三つのタイプであることを示唆する。隊商宿は宿屋の中の粗末な形態の一つにすぎないが、宿屋は動物を使った交通手段に対応して発達した。その名前はらくだやロバ、駅馬車のためのひろい中庭や、テラスに由来している。ホテルはもっと大きく、より快適な施設である。その成立は鉄道や蒸気船の出現と関連がある(p. 36)。

3. ホテルと都市地域

ホテルが置かれる地域はその性格を決定する上で重要な役割を担う。他の施設と同様に、それを理解するためにはその社会的経済的状況を見る必要がある(p. 37)。
ホテル・ライフとはもちろん一時滞在型の生活である。これまでの考え方では宿屋を永住型住居とはみなしていない。しかし、一時宿泊客の割合はホテルのタイプによってさまざまである。一時滞在型のホテルは一日を基準として、彼らの部屋を売る。一般的に、平均的な滞在時間は一週間以内である。他方、住居用ホテルでは長い期間について部屋を売り、賃貸料は一日ごとのレートよりも低くなっている。〜中略〜ホテルにおける一時滞在者と長期滞在者それぞれの数は、そのホテルを区分する時のめやすとなる(p. 37)。
一流のホテルは社会的にきちんとした場所であるとの評判を維持しなければならないし、あるいは旅行者がそれらを利用しないならば、彼らの評価は低下するであろう。〜中略〜通常、安いホテルは推移地帯に位置しており、そこはどのアメリカの都市でも中心業務地区に隣接したところに形成される傾向をもち、よい評判を維持するのはとても難しい(p. 46)。

ホテルの後背地

ホテルは地域社会に置かれているだけではなく、より広い経済的地域に位置づけられる。一般的にメトロポリスの一流ホテルは、あまり大きくないホテルに比べ広い地域から人を引き寄せる(p. 47)。
旅行者のための住まいはそれらが位置している地域の観点から考察される時、その主要なタイプは次のように区分される。 (1) 中心業務地区における一時滞在型ホテル、 (2) ホーボー地区の簡易宿泊所、(3) 家具付き部屋の世界にある下宿屋、(4) 住居型の近隣に一層近づいている住居用ホテル。〜中略〜「ホテル」という言葉はしばしば―「正当」なホテル経営者の嫌らしさがたっぷりだが―単なる宿屋や部屋を提供する施設以上のものとして使われる。よいホテルは避難所のサービスと同じ程度に食事のサービスを提供する。それゆえ、言葉の狭い意味でのホテルは一時滞在者に提供される10部屋以上の施設であり、利益のために経営され、最低価格50セントが要求され、宿として一般大衆に提供されるあらゆる住居として、きわめて恣意的だが、定義されるであろう(pp. 58-59)

4. 家庭としてのホテル

都市の居住用住居について、大きく二つの傾向が区別されるであろう。一つは郊外化で外側にむかうものである。もう一つは多層住居で上へ向かうものである(p. 65)。

住居用ホテル

アメリカの多くの大規模なホテルは特に大都市に置かれている場合、宿泊宿を非人格化することが重要な要素である一般的に住居が長期的で住まいが小さければ、それだけ関係は一層親しく、人間的である。滞在が一時的であり、その建物が大きければ、そこだけそこでの関係は一層表面的で非人格的である(p. 75)。

小さな家庭のような住居用ホテルに関する重要な事実は、大規模なホテルに比べて住居者がお互いをよく知っているということである(p. 75)。
大きな一時滞在型ホテルは小さな住居者用ホテルに比べ、関係ははるかに表面的で非人格的である。後者において、経営者はおそらく彼らの宿泊客を名前で知っているし、個人的な要望や癖にもなじんでいる。生活は時として、小さな町のそれと比較される。しかし、メトロポリスの大きなホテルの経営者は宿泊客と会うことがほとんどない(p. 76)。
長期滞在用の部屋を利用する人びとが本当に長期滞在者であると考えるのは間違いである。例えば、シカゴの上流クラスの住居用ホテルに暮らす人びとは旅行ばかりしており、異なる季節をさまざまな保養地で過ごすのが常である。〜中略〜一年を通じて、宿泊客たちが一つのホテルに暮らし続けることはほとんどない(p. 80)。

5 なぜホテルで暮らすのか

アパートや戸建ての住居に暮らすよりも、ホテルを自分の家庭にする四つの理由の中で、自分がしたいようにするために自由は魅力的でもっとも危険な理由である。「あなたは自分の時間をあなたが思うように使える場所にいるのである」と熱心なホテルの経営者は書く。この自由は事業、科学、芸術あるいは文学の世界の中への現実の貢献をもたらすことができる。それはまた、個人の解体や社会の浪費をもたらす。「家事は心を腐らせる」との主張がなされてきたのは、それが雑種雑多であり、繰り返すという特徴のためである。ホテルでの暮らしは逃避の手段を与える。「ここならあなたは家事やトラブルに煩わされない」と扇動者は言う(p. 81)。

6. ホテル人口の趨勢

大恐慌以前の10年間に、合衆国のホテルは数と規模のいずれにおいても増加した。ホテル経営者たちの技術経済基金会(the Engineering Foundation)が集めた資料によれば、一九二〇年から一九二九までに、一流クラスのホテルは二九%増加し、客室数は四七%増加した(p. 96)。
ホテルで暮らす人びとは、一貫してアパートメントの住居者よりも年齢が高い。三五歳から四四歳はホテルでもっとも多く、アパートメントの一九%に比べ二四%を占めている。二五歳から三四歳はアパートメントにおいて、もっとも多い年齢であり、ホテルの二二%に比べ二八%をしめる(p. 100)。

ヨーロッパ人旅行者の移動

一八六四年にコペンハーゲンを三万四七〇〇人の旅行者が訪れたが、一九二九年にはその9倍近くが宿泊した。一九一一年から一九二七年まで、パリのホテルに滞在した旅行者数は一六%増加し、総数で二〇〇万人をはるかに越えた。同じ時期に、ベルリンのホテル宿泊客は四分の一に増加し、ミュンヘンでは二分の一以上増加した(p. 101)
裕福なアメリカ人の既婚女性が、ローマから丘の町を通ってフィレンツェへ車で行った。ホテルに着くと、彼女はそれらがどんなに美しいかを激賞した。そこである女性が彼女に尋ねた。「これらの町の名前は何というのですか」。彼女はお抱えの運転手の方へ振り返って、言った。「ジョン、この女性にその町の名前がなんというのか言って上げてちょうだい」(p. 105)。

7. ホテルの住居者のタイプ

近年では、一層小さい中心街にあるホテルは、車による観光客の季節的な流れで収入を補っているが、やはり、その大部分は旅行するセールスマンによって支えられている。例えば、約四万人の住居者がいる都市であるウィスコンシンのラクロスにある商業用ホテルは、ほとんど旅行する男ばかりを対象としている(p. 108)。
八〇年代からにぎやかな90年代の間、映画、自動車、ラジオが彼らの多くを失業させる以前、劇団の座員は多くのホテルにとって商売上の重要な位置を占めていた。〜中略〜現在においてさえ、実際にいかなる規模のどの都市でも―たとえば一〇万人程度でも―劇団関係者たちを特に専門とする俳優用ホテルが少なくとも一つはある(p. 111)。
現在では、多くの旅行するセールスレディたちがいる。彼女たちは、彼らの男性の原型と同じようにホテルを利用する。そこには大きなデパートのバイヤーである女性たち、私設秘書、医師、事業家および教師たちもおり、彼女たちは個人の家庭やアパートメントよりも、ホテルで暮らすことを選ぶ(p. 114)。

8. 解放された家族

家族が小さくなればなるほど、ホテルに暮らす可能性も大きくなる。デイ・モンロー(Day Monroe)によるシカゴの家族の研究では、夫と妻のみの世帯の場合、下宿屋やホテルで暮らす間借りの可能性は集団が三人の場合の六倍、4人家族と比較すれば二十四倍にのぼる。〜中略〜二二〇のホテルにおいて子供のいない夫婦は子供のいる夫婦の二・五倍以上であることがわかる(p. 116)。

余暇の中の女性たち

女性はホテルに引っ越した後でも、主婦的な習慣に固執する傾向が幾分ある。たとえ設備が提供されていない時にも、住居用ホテルに暮らす多くの宿泊客は自分たちの部屋でわずかばかりの調理を試みようとする(p. 119)。
しかし、ホテルの家庭において食事を作ったり、子供を世話をする活動的な主婦は例外である。「高層アパートの居住者」である職業をもたない主婦たちは、他のどのような物よりも着る物や「社交」に興味を持っているように思える(p. 121)。
ホテル暮らしは家族の解体を促進するように思える。ここには集団を一つにまとめるための日常生活がない。メンバーは容易に個人化され、そして、たやすく逸脱行動が進展する(p. 123)。

旅行する家族

解放された家族にとって、近隣との「関係は『つかの間』で、その時々のものである」。このことは旅行する家族においても同様である。旅行中は電話もないし、ドアベルもないし、委員会の会合もない。地域社会との接触は一時的であり、つかの間のものである。少なくとも旅行の間、家族は解放されている(p. 130)。

9. ホテルの子供

公共の場所である食堂で食事を一人で食べたり、廊下や応接室で遊んだり、「寝ること以外はすべて公共の場所」にいることは、この子供にその年齢とかけ離れた落ち着きと洗練された物腰(urbanity)を身につけさせた(p. 144)
ホテルの子供は結局、都市の子供の強調されたものにすぎない。大都市の少年たちは、彼らが精神的にはいまだに前青年期であるにもかかわらず、社会的には少年になる傾向にある。結果として作り出された人は、初期の農場で育った子供よりもはるかに洗練されたタイプなのである(p. 146)。

家庭から離れた時の行動

10. ハイウェイの魅力と街の灯り

自動車による観光の増加に伴い、宿泊客間のつきあいにも、著しい変化が生じた。古いタイプのニューイングランドの小さなリゾートホテルにおける親密で親しさのあふれる関係と、観光客と「暴利をむさぼる者」との取引である新しくて大きなホテルの冷たさは、中西部の大学教授は次のような経験に強烈に示されている(p. 150)。
一九三九年に国立公園を一二〇万台の自家用車が訪れたということは、アメリカの観光業の大きさを示す指標の一つである。しかし、これらの車の所有者の何人くらいが、本当の観光をしただろうか(p. 152)。
二〇世紀のグランド・ツアーは車により増加している。自動車旅行はイギリスからの旅行客と同じ程度に、アメリカから多くの観光客もやっている(p. 155)

社会的中心としてのアメリカのホテル

現代のアメリカのホテルはロビーをうろつく者にとっての集合場所という以上に、はるかに重要なものである。植民地時代の居酒屋のように、それはコミュニティの社会的中心である。〜中略〜メトロポリスの大規模なホテルはローカル・コミュニティから人を集める魅力があるだけではなく、地域や国家および国際的にも人びとを引きつける(p. 159)。
都市の発達や都市的生活の増大に伴い、生活水準の上昇とリクリエーションや遊戯施設の顕著な発達がもたらされた。現代の産業社会において、一般的にいえば骨折り仕事と楽しみが結び付けられる機会はほとんどない。こうした状況の一つの結果は、「興奮を絶え間なく探し求めること」である。地方の人びとは光り輝くメトロポリスの中心へ日曜の小旅行をすることで、彼らの家庭コミュニティのたいくつな日常から逃れようとする。彼らの冒険の追求のために、都会の多くの人びとはまったく反対の方向へ遠く、素早く旅行する。「人びとは人生を駆け抜け、そして、国々を駆け抜ける」とストラスブールのホテル経営者が語った。「おそらく、彼らはもっと多くのものを見るが、根本的には何もみていない」のである(p. 168)。

11. 人間性の問題

人びとが自分自身の家庭でやっている方法で物事を従順に我慢することを、ホテル住居者たちはほとんど身につけていない。一部には楽天的で簡単に満足する人びともいるけれども、全体として見れば彼らは口やかましい人びとである。〜中略〜端的にいえば、ホテルの従業員たちはいつも「腹を立てる状態にある人間」を扱わなければならない(p. 169)。

記念品の収集

ホテル経営者が戦わなければならない人間性の問題の中に、記念品の収集がある。〜中略〜ホテル・ペンシルベニアでは、月に約二千枚のフェイスタオルと三千枚のバスタオルがなくなるとの報告がある。彼らは現物の家具以外はすべてをとっていく。シーツや枕カバーを持っていく(p. 174)。

モラルの休暇

家庭のあるコミュニティにおいて、行動の規範はとにかく絶対的である。規範への同調は、非難するような口調や軽蔑的な笑いといった、自然におこる感情的なしぐさによって強制される。ホテルにおいては、グループで旅行しているのでない限り、直接的で親密な集団による抑制は存在しない〜中略〜「自分自身のコミュニティでは、尊厳を受ける男性や女性がホテルにいくと、『モラルの休暇』をとるのである」(p. 183)。

モラルの休暇の具体例として…ギャンブル、酩酊(禁酒法時代)、売春、ナンパ(電話交換手などを)などが上げられている。

ホテル・ライフが病理的な側面をもつことは明らかである。それは例えば束縛から解放されたときの衝動といった自由な振る舞いのように身勝手な行いを促す。盗みと不道徳な行動は、伝統の退廃を示すものである。それらは一般的に、移動する存在の自由や孤立と結びついている。因習的な行動は効果的に統合をもたらすはずである。ホテルという環境でのこれらのモラルの休暇は、メトロポリスでの生活の影響のもとで起こっている規範の解体の広がりを象徴的に示す(p. 193)。

12. ホテルとアメリカ社会

大都市の生活は、孤立した村のコミュニティにおける生活とは基本的に異なる。地方の村落に生まれついた人は、自分の生活に関わるすべてのことについて知っている。「誰もが他の誰のことであっても、すべてを知っている」。しかし、大都市に住む人は一般的に、その人のパーソナリティの一つあるいは二つの側面を知っているにすぎない。大都市の人間にとって、物理的な近接性と社会的な距離の遠さは共通した経験である(p. 194)。
都市生活に関する誇張された言説は、ホテル環境の中で現実となる。大都市の問題は、強調された形でそれ自体を提示する。そこでのホテル・ライフの一般的な意味とは、グラハム・ウォーラス(Graham Wallas)が偉大な社会と呼ぶところでの人間の行動を照らし出す光である。ホテルの人口を特徴づける分離、自由、束縛、抑制からの解放は、全体として現代生活の特徴を縮小したものにすぎない。ホテルは、実のところ、アメリカ社会のマナーと規範が行われているだけでなく、機械産業の影響がみられるいかなる場所においても進行している変化のシンボルなのである(p. 199)。

■書評・紹介


■言及



*作成:中田 喜一
UP: 20091019 REV: 20180223
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