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『政治的なものの概念』

Schmitt, Carl 1932 Der Begriff des Politishen, Duncker & Humblot. Munhen.
=19701225 田中 浩・原田 武雄 訳,未來社,128p.

last update:20131026

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■Schmitt, Carl 1932 Der Begriff des Politishen, Duncker & Humblot. Munhen. =19701225 田中 浩・原田 武雄 訳 『政治的なものの概念』,未來社,128p.  ISBN-10: 4624300122 ISBN-13: 978-4624300128 \1300+税  [amazon][kinokuniya]

■内容

ドイツの公法学・政治学のなかに顕著な足跡を残したカール・シュミットの古典であり、著者自身の入門的著書。巻末に訳者の「シュミットの『友・敵』理論」を付す。

■目次

政治的なものの概念 カール・シュミット
カール・シュミットの「友・敵」概念 田中浩

■引用

政治的なものの概念 カール・シュミット

   2
 政治的なものという概念規定は、とくに政治的な諸範疇をみいだし確定することによって獲得されうる。すなわち、政治的なものには、 それに特有の知識――人間の思考や行動のさまざまな、相対的に独立した領域、とくに道徳的、美的、経済的なものに対して独自の仕方で作用する――があるのである。 したがって、政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求めなければならない。(p.14)

 政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な区別とは、という区別である。この区別は、標識という意味での概念規定を提供するものであって、 あますところのない定義ないしは内容を示すものとしての概念規定ではない。(p.15)

[……]敵とは、他者・異質者にほかならず、その本質は、とくに強い意味で、存在的に、他者・異質者であるということだけで足りる。したがって、極端なばあいには、 敵との衝突との衝突が起こりうるのであって、この衝突は、あらかじめ定められた一般的規定によっても、また「局外にあり」、 したがって「不偏不党である」第三者の判定によっても、決着のつくものではない。(p.16)

[……]衝突という極端な事例は、当事者自身が相互間で決着をつけるしかない。つまり、具体的に存在する衝突事例において、他者としてのあり方が、自己流の、 存在の否定を意味するか否か、したがって、自己流の、存在に応じた生活様式を守るために、それに抵抗しそれと闘かうか否かは、当事者のそれぞれが、 自分で決定するしかないのである。(p.16)

   3
 友・敵概念は、隠喩や象徴としてではなく、具体的・存在論的な意味において解釈すべきである。(p.17)

 したがって、敵とは、競争相手とか相手一般ではない。また反感を抱き、にくんでいる私的な相手でもない。敵とはただ少なくとも、ときとして、すなわち現実的可能性として、 抗争>019>している人間の総体――他の同類の総体と対立している――なのである。敵には、公的な敵しかいない。なぜなら、このような人間の総体に、 とくに全国民に関係するものはすべて、公的になるからである。敵とは公敵であって、ひろい意味における私仇ではない。ポレミオス〔戦敵〕であって、 エヒトロス〔私仇〕ではない。ドイツ語には、他の諸言語同様、私的な「敵」と政治的な「敵」との区別がないので、多くの誤解やすりかえの生じる可能性がある。(pp.18-19)

 政治的な対立は、もっとも強度な、もっとも極端な対立である。いかなる具体的な対立も、それが原点としての友・敵結束に近づけば近づくほど、 ますます政治的なものとなるのである。>021>国家は組織された政治単位として、全体としては、それ自身にとって、友・敵を区別するが、その国家の内部では、 これに加えて、第一義的に政治的な区別のほかに、しかもこの区別に守られて「政治的」という数多くの二次的な概念が生じてくる。まず第一に、上述1であつかった、 政治的即国家的という等置にもとづいて。この等置のあらわれとして、たとえば、「国家政治的」態度を、党派政治的態度に対置すること、国家自体の宗教政策、 学校政策、地方自治政策、社会政策等々の語が用いられうることがある。ただしこのばあいにも――国家という、あらゆる対立を包みこむ政治的統一の存在によって、 相対化されてはいるが、――国家内部における対立と敵対とが、つねに、政治的なものという概念を構成しているのである。最後に、それがさらに弱められ、 寄生的ないし戯画的存在にまでゆがめられた「政治」の諸形態がでてくる。すなわち、本来の友・敵結束が変じて、わずかになんらかの敵対的契機のみをとどめたものであって、 あらゆる種類の駆け引き・術策とか、競合、陰謀とかの形をとり、奇妙きわまる取引き、商略を、「政治」と呼ぶのがそれである。だが、 具体的な対立との関連ということのなかに、政治的関係の本質がふくまれている、ということは、「危急のばあい」という意識がまったくないような場面においてすら、 通例の語法がそれを表現しているのである。(pp.20-21)

 簡単に確認できるふたつの現象によって、このことはまったく明白となる。第一に、すべての政治的な概念、表象、用語は、抗争的な意味をもつこと、それらは、 具体的な対立関係をとらえており、結局は、(戦争ないし革命の形をとってあらわれる)友・敵結束であるような具体的状況と結びついていて、この状況が、 消滅するときには、すべて無内容な、幽霊じみた抽象と化するものである。>023>[……]第二に、国家内部における時事的論争の語法では、「政治的」とは、 こんにちしばしば、「党派政略的」と同義に用いられる。(p.22-23)

[……]もしも、国家内部において、党派政治的対立がまったく政治的対立そのものになってしまうならば、そのとき、「国内政治的な」傾向は、最高度に達する。 すなわち、対外政治上のではなく、国内的な友・敵結束が、武装対決にとってのきめ手となる。こと政治であるかぎりは、つねに存在せざるをえない闘争の現実的可能性が、 このような「国内政治優位」のばあいには、論理必然的に、もはや組織化された諸国民単位(国家ないし帝国)間の戦争ではなく、 内乱となってあらわれるのである。(p.23)

 というのは、敵という概念には、闘争が現実に偶発する可能性が含まれているからである。[……]ここでは、闘争という語は、敵という語とまったく同様に、 その本来の存在様式の意味において解さなければならない。(p.25)

   4
 いかなる宗教的・道徳的・経済的・人種的その他の対立も、それが実際上、人間を友・敵の両グループに分けてしまうほどに強力であるばあいには、 政治的対立に転化してしまう。政治的なものは、闘争字体にあるのではなく、――闘争はそれ自体独自の技術的・心理的・軍事的な>034>法則をもつ――、 上述のごとく――、この現実的可能性によって規定された行動に、またそれによって規定された自己の状況の明瞭な認識に、さらには、 友・敵を正しく区別するという課題にあるのである。(pp.33-34)

[……]問題となるのは、つねにただ葛藤事例なのである。(p.37)



カール・シュミットの「友・敵」理論 田中 浩

   3
 シュミットは、「政治的なもの」の究極的な識別徴標を、「友か敵か」すなわち「友・敵(Feind und Freund)関係」として捉える。道徳においてはが、 美的にはが、経済においては(もうかるかもうからないか)が、それぞれ固有の識別徴標であるように、政治に固有の識別徴標は、 「友・敵」関係だ、というわけである。
 われわれの社会には、さまざまな形における対立や衝突がある。しかし、かかる対立・衝突が、ただちに政治的対立とよべるわけではない。シュミットによれば、 一つの共同体(世界、国家、集団等々)の中で、ある問題をめぐって、対立・衝突が生じ、それがエスカレートして紛争にまで発展し、その過程で、A・B二つの集団が形成され、 この二つの集団の結束がますます強まり、存在的に相手を否定するほどになるまで対立が激化したときに、つまり両者の矛盾がいわば敵対矛盾にまで発展し、 物理的に殺りくしてでも敵対者をせん滅しようという状態が生じたときに、友・敵関係すなわち政治的対立が生じたと、とみる。
 そのもっとも典型的な例が、国際間における戦争であり、国内的には内戦である。(p.121)

 この「例外状況」と「決定」という概念を、主権理論において結合させたところに、シュミット政治理論の特異な位置がある。(p.123)

   4
(三)では、われわれは、かれの「友・敵」理論から、こんにち、なにを学ぶことができるか。戦後の日本は、幸運にも、戦争や内乱という危急状態を経験していない。 [……]しかも戦後民主主義は、十分に開花定着しないままに、早くもそれに対する国民の失望感はますます広く深く進行している。こういう不安定な状況下で、 もしも日本が戦争に巻き込まれるような異常事態が現出したならば、日本において、 これまで不十分なりとも築かれてきた基本的人権の尊重の観念や民主的な諸制度を維持することは可能なのだろうか。この意味で、シュミットが、例外状況においては、 国家は既存の法体系や慣行・ルールを徹底的に破壊つくしてしまうことをリアルにえがきだしていることははなはだ興味深い。われわれ>128>は、 例外状況や戦争状態にたちいたったときの現実政治におけるすさまじいほどの権力状況を、かれの「友・敵」理論から学びとることによって、日常不断に、 権利のための闘争や平和の確保のための闘いを一つ一つ積み重ねていくことの必要性をいまほど痛感することはないのである。(pp.127-128)

■書評・紹介

■言及

市野川 容孝  20061026 『社会』,岩波書店,237p.  ISBN-10:4000270060 ISBN-13: 978-4000270069 \1680  [amazon][kinokuniya] ※ d
◆小畑 清剛 20070517 『近代日本とマイノリティの〈生-政治学〉――シュミット・フーコー・アガンベンを中心に読む』, ナカニシヤ出版,308p. ISBN-10: 4779501407 ISBN-13: 978-4779501401 2730  [amazon][kinokuniya] ※ b

Derrida, Jacques 1994 Politiques de l'amitié, Galileé. =20030210 鵜飼 哲・大西 雅一郎・松葉 祥一 訳, 『友愛のポリティックス 1』,みすず書房,298p. ISBN-10: 4622070235 ISBN-13: 9784622070238 \4410  [amazon][kinokuniya]  =20030220 鵜飼 哲・大西 雅一郎・松葉 祥一 訳,『友愛のポリティックス 2』,みすず書房,298p.  ISBN-10:4622070243 ISBN-13:9784622070245 \4410  [amazon][kinokuniya]


*増補:北村 健太郎
UP: :20071209 REV: 20131026
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