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『市民政府論』

Locke, John [ジョン・ロック] 1689 Two Treatises of Government
=1968 鵜飼信成訳, 岩波文庫

last update:20100722

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Locke, John [ジョン・ロック] 1689 Two Treatises of Government
=1968 鵜飼信成訳, 『市民政府論』,岩波文庫 ISBN-10:4003400771 [amazon][kinokuniya] ※

■内容 (←注3)

■目次

自然状態について
戦争状態について
奴隷について
所有権について
父権について
政治社会、すなわち市民社会について
政治社会の発生について
政治社会と政府の目的について
国家の形態について
立法権の範囲について〔ほか〕

■引用


 「たとえ地とすべての下級の被造物が万人の共有のものであっても、しかし人は誰でも自分自身の一身については所有権をもっている。これには彼以外の何人も、なんらの権利を有しないものである。彼の身体の労働、彼の手の動きは、まさしく彼のものであると言ってよい。そこで彼が自然が備えそこにそれを残しておいたその状態から取り出すものはなんでも、彼が自分の労働を混えたのであり、そうして彼自身のものである何物かをそれらに附加えたのであって、このようにしてそれは彼の所有となるのである。」(Locke[1689=1968:32-33])
 *立岩『私的所有論』に引用

 以下はその原文
 “Though the Earth, and all inferior Creatures be common to all Men, yet every Man has a Property in his own Person. This no Body has any Right to but himself. The Labour of his Body, and the Work of his Hands, we may say, are properly his. Whatsoever, then, he removes out of the State that Nature hath provided and left it in, he hath mixed his Labour with, and joyned to it something that is his own, and thereby makes it his Property.” (Locke 1689=1868:32-33; 1988:287-288,sec.27)
◆06 所有権を基礎づけるもう一つの方向は、「合意」(に基づく先占、あるいは共有地の分割)という論理だとされる。……
 ちなみにロックにおいては合意は必要とされない──ただ、政治社会への移行においては合意が要請される。「もし…同意が必要だとすれば、神は人間に豊富に与えたにもかかわらず、人間は餓死してしまっただろう。」(Locke[1689=1968:34]第28節)「…共有者すべての明示の同意がいるということになれば、子供や召使いたちは、父親や主人がめいめいの分前を割当てないでみんなの共同のものとして与えた肉を切ることはできなかっただろう。泉に流れ出る水は、万人のものであるが、しかも水瓶の中のものは、それを汲み出したものにのみ属する、ということを誰が疑おうか。」(Locke[1689=1968:34-35]第29節)
 *立岩『私的所有論』第2章注6の一部

 以下は引用部分の原文

◇06 “(And will any one say he had no right to those Acorns of Apples he thus appropriated, because he had not the consent of all Mankind to make them his? Was it a Robbery thus to assume to himself what belonged to all in Common?) If such a consentas that was necessary, Man had starved, notwithstanding the Plenty God had given him ”(Locke[1689→:288=1968:34]sec.28)
 “By making an explicit consent of every Commoner, necessary to any ones appropriating to himself any part of what is given in common, Children or Servants could not cut the Meat which thier Father or Master had provided for them in common, without assigning to every one his peculiar par]t. Though the Water running in the Fountain be every ones, yet who can doubt, but that in the Pitcher is his only who drew it out?”(Locke[1689→:289=1968:34-35]sec.29)
(立岩[1997]に引用)


「自然の理性が教えるように,人間は,ひとたび生れるや生存の権利をもっており,したがって食物飲料その他自然が彼らの存在のために与えるものをうける権利を持つのだと考えることができる,あるいは天啓の示すように,この世界は神がアダム,ノアおよびその子たちに与えた賜物であると解することができる。」(Locke[1689=1968:31](第25節))

Lockeは,伝統的見解に従い,大地とその果実は元来人類に共通に与えられたものであることを,自然的理性そして聖書の命令により受け入れる。ここから「所有権を説明するのは,なるほど困難である」。「神が人類共通のものとして与えた世界の種々の部分に対して,しかもすべての共有者の明示の契約によることなしに,どのようにして人が所有権を有するにいたったか」([同])。Lockeは以下のように論ずる。

「……地が自然に産出する果実と,その給養する動物とは,自然の手の自らなる産物であるが故に,人類共有の物に属する。本来何人も,それらがこのように自然状態にあるかぎり,それに対して他の人々を排斥して私的権利をもたない。けれども人間の役に立つように与えられたのであるから,それが何らかの役に立つことができ,あるいは誰か特定の者に何らかの利益を与えるに先立って,まず何らかの方法でそれを専有する手段が必ず存在しなければならない。」([同:32](第26節))

「たとえ地とすべての下級の被造物が万人の共有のものであっても,しかし人は誰でも自分自身の一身については所有権をもっている。これには彼以外の何人も,なんらの権利を有しないものである。彼の身体の労働,彼の手の動きは,まさしく彼のものであると言ってよい。そこで彼が自然が備えそこにそれを残しておいたその状態から取り出すものはなんでも,彼が自分の労働を混えたのであり,そうして彼自身のものである何物かをそれらに附加えたのであって,このようにしてそれは彼の所有となるのである。」([同:32-33](第27節))

「もし……同意が必要だとすれば,神は人間に豊富に与えたにもかかわらず,人間は餓死してしまっただろう。」([同:34](第28節))

「……共有者すべての明示の同意がいるということになれば,子供や召使いたちは,父親や主人がめいめいの分前を割当てないでみんなの共同のものとして与えた肉を切ることはできなかっただろう。泉に流れ出る水は,万人のものであるが,しかも水瓶の中のものは,それを汲み出したものにのみ属する,ということを誰が疑おうか。」([同:34-35]( 第29節))

ここまでの議論によって正当化された個人的領有はいくつかの制限をもち,Locke はその制限をとり払う方向に記述を進める。Macphersonはその制限は3つでありそれぞれの解決がなされていると読むことができることを示している([1962=1980:228-248])。私達にとって,それを検討することは第一義的な重要性を持つわけではないが,Lockeの見解をさらに明確にするために,またLocke の所有論の限界についての議論との関係において,Macpherson の記述に従い紹介する。
 1. 「少なくともほかに他人の共有のものとして,十分なだけが,また同じようによいものが,残されているかぎり」(Locke[同:33]( 第27節))で,ある人は領有してよい。
2. 「腐らないうちに利用して,生活の役に立て得るだけのものについては,誰でも自分の労働によってそれに所有権を確立することができる,けれどもこれを超えるものは,自分の分前以上であって,それは他の人のものなのである。腐らしたり,壊したりするために神によって創られたものは一つもない」。([同:36](第31節))
 3. 明示的に語られているわけではないが自己労働による領有の正当化から,Lockeにおいては「正当な領有は,ある人が自分自身の労働でもって調達しうる嵩に制限されているように思われる」(Macpherson [同:230])。
 大地からの生産物だけでなく,土地の領有についてもこれらの制限が課されているとみてよい([同:230])。
 2番目のもの,すなわち「損傷の制限」は,貨幣の導入によって克服される。

「自分の正当な所有権の限界を超えたかどうかは,その財産の大きさのいかんにあるのではなく,何かが無用にそこで滅失したか否かにあるから。」(Locke[同:52](第40節))

土地についても,同様に「所有者の手中で滅失毀損することはない」金銀の存在により,「自分からの生産物を利用し得る以上の土地を正当に所有する」ことが可能になる([同:54](第50節))。
 1番目の制限,すなわち「十分さという制限」は,1つは貨幣の導入──それは同意されたものである──の必然的諸結果に対する暗黙の同意によって正当化される。また,土地については,他人たちにとって十分に満足できるほど残すより以上に多くの土地が領有されるかもしれないとしても,すべての土地が領有され,かつ利用されているところでの,土地を持たぬ人々の生活手段における水準が,土地があまねく領有されてはいないところでの何人の水準より高いことから,各人が依然として自分の保全の権利,したがって生活必需品を領有する権利を持つことから正当化される(Locke[同:41-43]( 第36,37 節))。 第3の制限(Macpherson によって)「想定された労働の制限」については,Locke自身によって明確にされていないものの,Macpherson は,人間の労働は彼自身の所有であるから,彼はそれを自由に売却してよい,売られた労働は買い手のものとなり,彼はその労働の産物を領有する権利を与えられる,という論理によって正当化されている,と解することができると考える。その論拠として2つがあげられる。第1には,Lockeが,ある人の権利は購入した労働によっても確立されると考えていることである。

「……私も他人も共同で権利をもっている場所で,私の馬の喰う芝生,私の掘り出した鉱石は,誰の譲渡も同意もなしに,私の所有物となる。私の労働がそれを,それが置かれていた共有の状態から取出したのであり,こうして私のものであった労働がそれに対する私の所有権を確立したのである。」(Locke[同:34](第28節))

Macpherson によれば,他のいくつかのLockeの記述からも,彼が「自然状態の中へ,発展した商業経済の市場関係をさかのぼって読み込んでいたので,察するところ彼は,彼の市場関係といっしょに賃金関係も読み込んだ」( [同:245])ことが明らかである。
 Lockeが賃金労働を自然状態の中に認めていたという推定は,彼が自然権,自然法と市民社会の関係の把握において,市民社会および統治の権力は,自然法の諸原理を実施することに制限されると考えていたことから(Locke[同:137-138](第135節))強化される。すなわち,市民社会においても合法的であるとされるからには──Lockeの論理構成においては──それは自然権だとされていたに違いないのである。(6)
 他方,村上は,Lockeの労働による基礎づけは,所有=支配秩序の流動化の可能性を示唆するものの,2つの限界を持つと述べる。第1は労働が純粋な個人の労働でないことである。それを示すものとしてあげられるのが,Macpherson が第3の制限の乗り越えとしてあげる部分である。第2は,労働がなお事実上の所持,利用と結びついたもの,その意味で支配・保護と関連したものであり,したがって所有権は抽象的な処分権ではなく,具体的な利用権ないし義務を中心とするものであることであり,そこであげられているのは,先の2番目の制限,「損傷の制限」──すなわちMacpherson によれば貨幣の導入によって乗り越えられるとされた制限──としてあげた部分である(村上[1979:84])。この村上とMacpherson の見解の相違は,基本的にLockeの自然状態の把握──Lockeにおいては自然状態と政治状態,政治社会の間に質的な区別がない点については一般に,むろんMacpherson においても(先述),村上においても([1979:85])承認されている──の判断を巡るものであり,Macpherson は資本制的な市場関係(の投影)としてそれを捉え,村上は前近代的な社会としてそれを捉えていることによる。どちらが妥当かについて,私は判断することができない。というのもそれは問題になっているLockeの文章の解釈とともに,Lockeがどのような社会にあって,それとのどのような関係において論述したかという問題でもあるからだ。だがともかく,Lockeが,基本的に個人の労働(たとえそれが村上の言うように前近代的な観念を部分的にまとわりつかせているにせよ)によって,私的所有を基礎づけたことは,確認される。

■書評・紹介

■言及



UP: 20100724 
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