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在宅における医療的ケアの現状と課題(地域生活を考える勉強会 第五回)記録

在宅における医療的ケアの現状と課題(地域生活を考える勉強会 第五回)
2010/10/23 於:医療法人 永原診療会自在館
医療的ケア・2010
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last update: 20110116

 *以下修正、変更の可能性があります。この点ご了解ください。また修正・変更点のある発言者の方は、TAE01303@nifty.ne.jp(立岩)までご連絡ください。また、論じきれなかった論点について、今後、関連文書・資料など付加(リンク)することがありえます。
 *4質疑応答1 バクバクの会からの発言と杉本氏の応答・他の部分はバクバクの会のこれまでの活動を知っていただくためにも有益な部分であると思います。お読みください。2011年には別途お話を伺う機会を設けたいと考えております。
 *記録の文字化:長谷川唯 編集:立岩真也

 0 開催にあたっての御説明
 1 杉本氏の報告
 2 川口氏の報告
 3 司会者のまとめ(?)
 4 質疑応答1 バクバクの会からの発言と杉本氏の応答・他
 5 質疑応答2

 
立岩真也:参加されそうな方が多そうだということで、実際あけてみたらこれだけの方がいらしたんですけれども、少し場所を移しまして、ここの会場で行なうことにしました。で、引き続きいろんなかたちで、勉強会っていうか、話し合う機会を設けたいと思いますので、それは受付のところに用紙があって、連絡先であるとか、メールアドレスを知らせていただければご案内を差し上げますので、どうぞよろしくお願いいたします。今回3時間っていう、ぎりぎり休憩どうしようかなって感じの時間なんですけれども、基本的には、休憩を間に挟まないかたちでやっていきたいっていうふうに思います。今回、「地域生活を考える勉強会」第5回目のテーマは、在宅における医療的ケアの現状と課題というものです。
 お話しいただくのは、お二方です。一人目が杉本ボーンクリニックの所長をしている杉本健郎さんです。それからもう一人が、さくら会っていうのかな、NPO法人さくら会でいいのか、の川口有美子さんです。
 みなさんご存知の方も多いかと思いますけれども、今国の方で医療的ケアっていうのを制度の中にどういうふうに位置付けるのかっていう議論がなされています。それはまぁ、どういう方向にいくのか、まだ未確定な部分が多いんですけれども、持っていきかたというか、持っていかれかたによっては、かなり、生活をむしろ厳しくするという、そういう危険性というか、可能性を孕んだものであって、そこのところはきちんと監視し口を出しですね、できるんであれば、そういう制度ができるんであれば、よりよいものにしていく必要があると。少なくとも現状を後退させてはいけないということが、この今回この催しをしたことの背景、背景というか、テーマの一つにはあります。お二人ともそれぞれの過去を背負って、今に至るっていうわけですので、そういった部分に触れていただきながら、その現状、これからについて、展望していただきたいというふうに思います。
 3時間っていうのは長いようでもありますけれども、まぁそんなに長くもない。ということで、私としては、ちなみに私は立命館に勤めております、今日司会させていただく立岩と申します。この集まりは、立命館大学のグローバルCOE「生存学創成拠点」っていう、文科省からお金が出ている研究プロジェクトが主催者の一つで、それからあんまり活動してないんですけれども、いちおう私もかかわっているNPO法人「ある」っていうところと、それから先ほど紹介した永原診療会と、これらが主催・共催するというかたちになっております。お二方にはそういうわけで、そういうわけでっていうのは、3時間の時間をできるだけ、みなさん、ここの中には私なんかよりはるかにその経験と知識において、このことに詳しい方、一過去を持たれている方が多いと思います。ですから、できるだけ長い時間、そういった方々のご意見を頂戴したり、あるいはその今日のお二方とのやりとり、質疑応答の時間に割きたいと思いますので、あと詳しい話はいろいろとやりとりの中で補足していただくということにして、最初の話は概ね30分から、延びて40分ぐらいの間に話をおさめていただき、だいたいその3時間のうちの半分ぐらいの時間を会場の方々との質疑応答、議論にあてたい、あてていきたいというふうに思っております。では、これからよろしくお願いいたします。順番はどちらでもいいといえばどちらでもなんですけれども、まぁ年季がいってる方からっていうこともありまして、杉本さんの方からお話を最初にいただきたいと思います。
 それから、今回立命館の方のホームページであるとか、そういったところに、我々は開催した催しについて写真であるとか、それから今回録音もさせていただきますけれども、そういった記録を掲載するようにしております。そういうことで写真を撮らせていただくことがあると思いますけれども、諸般の事情で顔が写りたくないとということがありましたらその辺は申しつけください。それから、発言内容にかんしても、名前は出してほしくないという方もいらっしゃるかと思います。それは尊重したいと思いますので、その方は発言のときに、特に名を名乗らないとか、あるいは、反対に名を名乗ってと言っていただければと思います。そんなことでよろしいでしょうか。では、早速始めたいと思います。杉本さんよろしくお願いいたします。

 
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 *杉本さんはパワーポイントを使いながら話されました。そのため、以下だけではわかりずらいところがあると思いますが、まずは掲載いたします。

杉本健郎:杉本です。余分な話はいらないんだと思いますが、今6分ですか。30分ということでできるだけとばしてバクっと話をして、細かいところはまたあとで指摘していただくとして、お話しさせていただきたいと思います。今、あの、午前中ここで診療してたんですけど、この診療所の向こう側ズバっと空いてるんですね。自分とこの土地、この辺土地なんですけど。そこで次の仕事をしようと今いろいろと画策しているんですけどもなかなか進みません。でもやっぱりやっていかない限りはこれは進まないだろうなっていうのが、僕の結論なんですね。だから自分とこで見せてやるっていう思いが少しはあるんですけども、まだ具体的には進んでおりません。
 で、ちょっと見ずらいかとも思いますが、僕、琵琶湖学園に4年弱おりまして、琵琶湖学園で学んだことっていうのはけっこう大きかったわけですね。それまでは大学病院でずっと教育職でしたので。で、そこから得たものっていうのは、入所っていうものをどのように今後新しいリソースっていうか、地域の中でその役割を果たすようなかたちを作っていくかっていうのが一つの課題やったわけですね。ぜひともこれを琵琶湖学園で少しでもやりたいっていうことで、訪問看護ステーションを作ったりとかいろいろやってきました。で、一つあとでまた出てくるんですけども、実を結んだのが、来年の春に、入所者の3人がですね、入所者の3人とショートステイのロングをしてた3人と6人、プラス2人ということで、ケアホームを近くに、街の中に作ることができるようになりまして、唯一、出て行く人が出てきたというところで、自分としては評価しております。それはまさしく、昭和43年、40年以上前に琵琶湖学園の糸賀一雄という人が琵琶湖学園は始発駅であると、決して終着駅ではないんだよっていうことを言い続けてきた内容を少し実現していくのかなっていうところを感じております。それが自分の今の根底にあるものだと思っております。今のこの言葉、またプリントアウトされてますので読んでいただいたらいいと思うんですが、この言葉の中身ひとつひとつがですね、今に通じるものだということを言っておきたいと思います。
 で、今日の課題は医療的ケアなんですけども、もともとこの問題がずっと出てきたのは、急速に加速しだしたのは、舛添さんなんですね。舛添厚生労働大臣が墨東ERの問題からNICUの出口っていうことで、NICUがなぜ空かないんだっていうところからどんどん波及していって、それを空けるためにお金をつけるということで、いまだにそうなんですけど、お金が動いているのは、厚生労働省の中でも母子保健局だけなんですね。で、もう一つお金を持ってるのが、あとで出てくる老健局なんですね。我々主に親しみを持ってたのは、社会援護局の障害福祉課っていう局なんですね、局というかね。これもう全然異質のものなんですね。厚生労働省行くと。で、その、結論からいくと、その、もともと今お金が動いている上の母子保健局っていうところにお金がついてて、全国でポストNICUのお金が落ちていってるんですが、一方で、今の医療的ケアは、高齢者のいわゆるところからの一番お金を持ってる厚労省の大きな老健局がイニシアティブを持ってるというところにおかしさがあるんで、それにどう修正をかけ、どう変更させていくかっていうところが、今日の討論になるんだろうと思います。
 2番目のところはもうご存知の通りです。これも僕の主題の一つなんですけど、脳死は死であるのかどうかっていう問題。それから、今15例ですか。どうしてあんなに説得をして、どんどん移植にいく人が増えるんだろうっていうところがあるんだろうと思います。今日は主題じゃないんですけども、医療現場の中であれはものすごく不思議なんですよね。事故だとかいろんな出来事が起こって、医者が脳死らしいという診断を医者の専権的事項でつけて、そこでこれはグリーフケアでもなんでもなくって、いわゆる移植コーディネーターに繋いでるんですね。それからあと移植コーディネーターと家族が話をして、そこから法定脳死判定に入って、それで死だということを言ってるんですね。これもう絶対おかしいんです、話が。全部説得が入ってて、仕組まれた中にみんな追い込まれていくという状況があるわけで、そんなことは誰だって予想しないわけですよね。そこんところの自己決定の論理のところが2番目のところで、どんどん、15例も出たぞ、すごいぞっていう、美談のようにして語られるようになってきてるっていうのもこわいところがあると思うんですね。
 バクっといきます。今日の言葉だけいくと、こういう言葉がいるのかなと思います。それで今日は、医療的ケアなんですけども、そのいわゆる1番のパーソナルアシスタントっていうのは、俗に今厚労省が言ってる特定関係の医療的ケアっていうところと置き換えるようなかたちでの討論になってくるんだろうと思うんですが。その2番目のケアマネージメントにしてもそうです。それからやっぱり、在宅でパーソナルアシスタントをきちっと安全にやろうと、まぁ安全にやろうとするならば、3番、4番、5番っていうところの保障が何にもされてないんですね。特にそれをマネージメントする2番のシステムも出来上がっていません。こういった2、3、4、5を抜きにして、法を先に決めてやろうとするところに一体どんな進歩があるのかなっていうところがひとつは絶対疑問として生まれてきます。少しずつ問題点だけ述べていきたいと思います。
 はい、次お願いします。5分経ちましたね。
 これ誰が支援してるかっていうのは、親に決まってる、家族に決まっとるんでね。はい。それで何が大切かっていったら、やっぱり、法で持ってしなければならないっていう討論ではなくって、いかにその支援ができるか、役に立つかという目線が一番大事なわけですね。CANです。
 だから、医者であろうと看護師であろうと僕らも7年間医者に対する研修を続けてきたんですけれども、みんな好き勝手に穴をあけたり、チューブをつけたりするだけで、後の指導がほとんど独善的になっていたんですね。それをやっぱりできるだけサイエンスとして、しかも本人目線で楽になるような目線を考えないと医療的ケアっていうのは存在しないだろうということでやってきました。だから法じゃなくって、実際にどういう支援ができるか、何ができるか、いかに安全にできるかっていうところが、このCANっていうところの問題になるんだろうと思います。
 もうこれは今日は細かいところはやめましょう。
 胃ろうや気切になるので、一番上だけがお金がついてるところなんです。けっこう、母子保健局の方で、10分の10の国費がついたりして、わりと動いてるところがあります。施策はみんなそこですね。2番以降はみんなついておりません。これが今からの問題だろうと思うんですけども、医療的ケアっていうのは1番っていうのはほんの少しだと思います。むしろ2番以降のところに問題があるし、5番以降、5番っていうのは、我々このスライドを作ったときに小児科医でしたから、5番のところ、つまり成人以降に発症した人たち、さらに高齢者の医療的ケアの問題っていうのは、これ意識せずに作っているんです。このスライドはね。人数的にどこが一番多いんだろうという討論が、これから今日もう一度されると思いますけども。そこんところのあたりがね、ほんとに、たとえば高齢者の方が人工呼吸器つけて、気管切開して、在宅でがんばっておられる高齢者、たとえば80、90。うちが今、ちょうどこういう家なんですけど、ここに屋根裏作って僕隠れ住んでるんですが。下には90と91歳の老夫婦が住んでるんですね。
 次いきましょう。
 これもあの基本的な考え方で、いわゆる基礎疾患。何によって今後どのように変わっていくかという見通しをさせたうえで、医療的ケアの問題も含めて、僕らは主治医だったら、いずれこういうふうになってこうなってこうなりますよねっていうことの見通しを組み立てながら、親御さんを説得しながら、ご本人の安全な方法で楽しい方法で住んでいただけるように、プランニングをしているわけですね。これは個別支援計画なんて呼んでもいいんですけども。そのときに、この、症状がどのようにこう、バルーンが膨らんだり、小さくなったりするかっていう辺りは、年齢によっても病気によっても全部変わってきます。こういった点がですね、たとえば高齢者の場合だったらどのように考えながらやるのかなっていうのが全然ブラックボックスなんです。僕ら小児科医としては。だから、たとえば背が伸びるときに医療的ケアがどんどん増えていく、そのときには何が増えるかっていうのは当然決まってくるわけですね。知的な人たちもそうですし、行動異常の人たちもそうです。年齢によってその差っていうのはいろいろ出てくるわけです。それを我々は予想しながら、プロとして親御さんやらご本人に提案していくわけなんですけど、これが高齢というひとつの最後のところ、今、老健局って言いましたけど、そういう局の考え方の根底にあるものは何なのかっていうのは、すごくこういう考え方はしないんかなぁと思ったり、後で討論していただいたらいいと思います。はい。
 最初、医療的ケアの問題を考えたときにですね、この春ですね、あの、特養の問題が出てきまして、4月1日の医政局の通達でましたね。あの頃までは、基本的に何がやってるのかわかんなかったんです。何がどう動いてて、誰がいじっくってるのかわからないっていうところがありました。もしかしたら、一番脚光を浴びてる推進会議、これが悪さ、悪さっていったらおかしいね、主にイニシアティブを持ってんじゃないかなっていうことを思っておりました。思ってたんですね。ところが、これはやっぱり、なんていうんでしょうかね、藤井議長代理、藤井さんとかあの辺と話していく中で、推進会議の考えてることと、今の医療的ケアの検討会の考え方は違うぞっていうことがわかってきまして、で、しかも、推進会議は遠目で見てるだけであって、どうもこれはもとからある流れ、つまり厚生労働省内部にもとからあった流れの中で、表に出てるのは民主党ですけども、根っこにあるのは自民党と公明党が描いた自立支援法のつなぎ法案のベースのところに戻ってきているところがあるように思うんですね。そう思いました。
 もうひとつ組み立てとしてですね、議員立法っていう流れが出たんですね。これの出所は、こないだ、ちょうどまた後で話がでると思いますけど、同じ日の厚労省の老健局の振興課課長と話し合ったんですけども、そのときに、議員立法ですかね〜っていう話してたら、そんな噂は一切デマですっておっしゃるんですね。そんなことは聞いたこともない。これどうも自公のつなぎ法案の議員立法とこの医療的ケアの検討会が重なって噂として出たように思います。2月の普通の通常国会に民主党の政府案として出すっておっしゃいましたから、これは正々堂々と出てくる案なんで、これは12月に出たときにきちんとたたかないかんのやないかっていうふうに、今思ってます。また後で討論になると思います。
 このときに一番感じたのは、やっぱり、高齢者対障害児者っていう、この、なんていうんでしょうかね、僕らが押し進めてきた、支援する目線っていうのが、高齢者のところでは、自分の父母は見えるんですが、広い範囲での高齢者のところっていうのは見えないんですよね。見えないんです。だけどお金とか人数からすれば、一桁違う数が高齢者のところにあるということで、ここんところが一つの施策の、今の決め方の問題点があるのかなと思ってます。でもこの目線の違いっていうのは、あってはならないものですね、人としては。僕もけっこう高齢者に近くなってきましたけども、高齢者であろうと新生児であろうとこれは人としては同じはずなんで、この多様性っていうのはどんな状態であっても認めていかなければいけないし、認めるべきであるという考え方のスタンスに立ったときに、さぁどんな施策がいるんだろうというところが、今回のふんぎれない、それからスキっとしない、ひとつの課題に入っていくんだろうと思うんですね。
 この例のこの有名な図ですね。これはあの、川口さんおっしゃると思うけど、話の中であのペケ印はなんやねんっていうことを、僕も行って真っ先に振興課の課長に、「これは撤回してください、変えてください、これは真っ白にしてください」って言ったんですけど、「いや、このペケ印は現状認識として厚生労働省が行なっている中身です」っていうご返答がありまして、それは変えるつもりはないという課長の意見がありました。そこでつっこんでも、僕、僕ら2人でしか行っておりませんでしたので、小児神経学会の代表として行ったんで、それ以上、あぁそうですかって下がったんですけど、どうもそこで見たときに課長が胸を張って言ったのは、このマルとペケがある中で、私たち厚生労働省としては全部マルにしたいと、全部マルにしたいという意気込みでやってますから信じてください、行政を信じてください、こんな感じなんですね。ほんならやってみようや、やってもらおうやっていうことなんですけども、さぁそのやり方の問題が今後問題になってくると思うし、お金を使わずに安上がりでっていうことになるのかどうかわかりませんが、とにかくこのペケを全部マルにしたいと。
 で、当初ですね、この赤い矢印の上、口腔内吸引と胃ろう、この二つだけやったんです。いわゆる特養はそうですね。特養はこれで足りる可能性があるわけです。おおかた。それをあえてまだいじくってきたっていうことは、全部マルにしたいっていう意気込みを持っておられる。そこで、今日の討論、また後で出てくると思いますが、さぁどういう法制化をするんだろうっていうことで、まぁみせてもらおうやないかって言って帰ってきたんですけども。はい。次。
 いろいろ自分らで考えていった、考えているプロセスを、一番のところはですね、これ、カニューレ内吸引まで厚労省はいわゆる介護職で可能にしようと考えております。と、僕は聞きました。で、看護師指導っていう問題と医師の指示っていう問題をどのようなかたちで、いわゆる不特定と特定という2つに股割き状態にある状態の人、それから施設内と在宅となんかこう分けるような考え方、の法制化が果たしてどのような文言で可能になるのっていうことを申し上げてるんですけども、それをやるっていうんですね。やるんならやってみてくださよっていうことなんでしょうけども、そこんところが今日の討論のひとつになると思うんです。
 そしたら、看護師集団がどのようなかたちで納得をしているのかっていう問題なんですね。いわゆる看護協会。今、出されてる介護福祉士の、平成24年からの案っていうのは、600時間で、基本的に、俗に言う准看護師の講義体系を踏まえたようなものになってるんですね。つまり、看護師も、准看護師が今やなくなろうとしている中で、一級ヘルパーもなくしていく。ところが介護福祉士を、護師の下、上下っていうのはおかしいですけども、介護福祉士をそのラインに置こうとする。介護福祉士なら誰でも吸引と、さっきのいわゆるマル印全部をやれるようにしたいというが老健局の課長の答えでした。わかりますか?それができるかどうかなんですけどね。そのための何十時間だっていうんですよ。
 今日、また後、時間細かくなるんで、次いきましょうか。
 いろいろ考えましてですね、ちょっとこれ、あの、また見ていただいたら、あとで見てもらったらいいと思うんですが、何日か前に出ましたね、特養の待機者の考え方の中でのデータが、厚労省かどっかでアップしてますね。つまり、入所希望者が今43万人とか言われてるんですが、42万人ですか。実際の待機者はどれぐらいなんや、しかも自宅で待機してる人は何パーセントなんや、その中で吸引と経管をしてる人が何パーセントなんやっていう、ここなんですよね。老健局は40何万人が待機してる、入所が43万人、昨日の今日かの新聞で43万人でしたか? 特養の入所は増えましたね、43万7千人かなんかに増えましたけども。その中で、吸引、経管っていうのは何パーセントなんだっていう問題が一つ出てくるんです。これは金の計算の掛け算になってくるんで、そこんところで、実質的にどうなのかというとこを追いかけないといけないと思うんです。
 それで、つまり入所申し込み42万のうち、要介護度4、5でこれが6、7万人、自宅待機でほんと2万人程度なんだろうなということで、結局、吸引がせいぜいその数パーセントにしかすぎないんじゃないか。この現状がいいのか悪いのか。いいのか悪いのかという討論はひとつ残ってくると思うんです。これは他のところと同じ数字かどうかはまたこれは別なんですね。お年寄りの場合はこれぐらいの数字なんですね。後でALSの方々の話とかいろいろ出てくると思いますし、もうひとつブラックボックスは、交通事故で救命センターから直接帰って行かれる方の3万人といわれてる数の、後のフォローアップがどうなってるのか、地域でね。
 ここのケアの現状も、これは難しいところがあると思います。遷延性意識障害の会でも、ここの実数は掴んでおられないと思います。医療的ケアのところはですね。だから、この辺の数字を出したうちでのこれからの施策のお金の問題をもう少し具体的に突っ込んでいかないといけないのではないかなということがあると思います。超重症児者っていうのは、いわゆる在宅はおそらく1万。医療的ケアが必要な人がだいたい全国1万人かなっていうふうには思ってるんですけども。こういった数字の問題がひとつあると思います。はい。
 もう少しいくと、いろいろ考えてみて、爪切りで看護師が捕まったり、大分でプールで溺れて業務上過失致死罪で介護職が有罪になったりとか、ケアホームでインスリンがペン型が介護者がどうのこうのとか、いろんな出来事が今ちまたで出てきてるんですよね。
 で、もういっぺん立ち戻って数字として押さえといてほしいのは、医者は27万5千人、看護職は130万人。このうち何パーセントが働いてるかっていう問題があるにしても。で、介護職は、介護福祉士が今81万人の登録なんですね。それから、ヘルパーが二級は284万人という数字なんですね。で、この中で、この数字の中でどのような専門職がどのようにからみながらっていうのは、きっとお金との計算の中で出てくるんだろうと思いますが、ちょっと数字のところだけ押さえといてもらったらいいかなと思います。はい。
 で、僕らが目指しているのは、あくまでパーソナルアシスタントっていうか、基本的にひとりひとりバージョンが違うからその人ひとりにとっての安全でいわゆるできる支援をきちっとしていこうっていうことの、これはスウェーデンの河本さんのスライドなんですね。河本さんですけどね。気持ちよく看取れて熱心な人、協力しやすく聴く耳を持っている人。もうこれでいいんですね。重要なのはあくまで、共感能力と適正のある人。たばこは吸ってはならない。車は、免許はどっちでもええと。いうことで、それで後のトレーニングは私たちが責任を持ってやりますっていうことなんです。この、教育や資格は必ずしも必要ではなくって雇用後研修しますっていうのが、ひとつのパーソナルアシスタントの中身なんだよと。ここにいかに働きやすいお金を事業としてつけていくかっていうところだと思ってるんです。はい。
 で、あと5分ばかしあるんですけどね、ちょっとこう、知っておいてほしい知識だけ。たとえば、福祉とか教育の方々はこの現状をおそらくご存知ないと思うんですね。今、僕らの中でも、医者の中で前向きな人たちが、そしたら我々がショートステイ受けていこうやないかとか、ナイト受けていこうやないかと思ったときに、どんな事業単位の金がとれるかっていえば、基本的に医療型短期サービスTとUしかないんですね。それ以外は一番下に書いてあります通り、福祉型の短期入所っていうのは、いわゆるナイトっていうやつで、ほんとに安いんです、今。要するにゼロをたしたらいいわけですね。1万いかへんわけですね。ところが、医療型短期サービス入所は2万6千円。T型っていうのは日本国中ほとんどみんな受けません。その理由は後で述べます。二つ目、これは重症心身障害児施設と介護老人保健施設が受けてる短期入所なんです。琵琶湖学園でも同じなんですけど、2万4千円なんです。1日単位。それが下の、下の、自立支援法でみんなで一所懸命地域でナイトやってる事業所のところからすれば、値段が全然違うわけなんですね。ところが、もう一つ話が出てくるんです。次行きましょう。
 介護施設いうのはどんな条件かいうのをちょっとだけ見といてもらったら、これも一つの知識として知っといてください。いわゆる介護療養型と介護老人保健施設と特養と。これみんなね、設置根拠は、医療法、介護保険法、老人福祉法、違うんですよ。それから医者の数も違います。介護保険、介護保険、医療保険、この中身も違います。これを一緒くたにして縦断的な法をどのように作っていくのかっていうのはものすごく難しいと思うんですが、まさしく介護保険をどう変えていくかっていう討論がここにのぼってくるんでしょうけど、医療保険だって同じですよねっていうものが出てくると思います。看護師の数にしてもそうです。こんな条件があります。はい。
 もうひとつ条件みといてください。次。
 これですね。小児科で入院して社会的入院っていわれる人たちは、たとえば、今赤文字で書いてある一番見にくいところに重なってるところですけど、3万6千円なんです。これお金の話ばっかりするから嫌だと思うでしょ。だけど何でT型を受けないかっていうのは、この値段があるからなんです。社会的入院で普通に入院してるだけで、7対1で、小児科常勤が5名以上いる大きな病院のところで、いわゆる病名だけつけて入院してもらってたら、レスパイト入院してもらってたら、3万6千円あるんですね。だから何で2万6千円で受けなければいけないの? しかもそこでお薬を出したり、治療したりしたって一切できない。福祉型は。一切できないんですよ。医療行為は一切できないんです。福祉ですから。短期入所っていうのは。そんな片手落ちのかたちで、レスパイトなんかできるか。これは医療制度で、お薬だしたり何したり写真とったり、何しても全部お金に加算されるんですね。この差があるのにどうするねんっていうことなんです。はい。
 で、要するに、今、医療的ケアの問題が表に出てるんですけども、やっぱり、2階建てという考え方を持たないと重い人たちについては、二階建てというよりも、当然のCANにするためには、医療と福祉が連携したかたちで、どちらもお金として十分つくということを考えないといけないんじゃないのっていうことなんですね。一方で、この2階建ては、今たとえば琵琶湖学園だったら琵琶湖学園のイメージをしてもらって、2階建てやいうことと違うんですよ、平屋ですけどね。あの、一方で福祉の値段が、24万。はい。特別加算っていうのは、都道府県によって違いますから、値段が違いますけど、6万8千円のところから5万から東京都みたいにもっと高いとこもあったり、いろいろ違うわけですね。ひとりにつき、月ですよ、月の値段ですよ。
 それで、上の福祉施設、知的入所とかですね、いわゆる療護もそうですけども、上の値段だけでやってるんですよ。下の値段とれないんです。ところが医療法、医療保険によると40万から100万。ま、呼吸器動かすと平均100万前後の医療費が入ってくるわけですね。当然それだけのことをするわけですけど。ただ、その方がショートステイに来られると一律2万4千円ですけどね。こうやって長期入院の場合は、長期入所の場合は、この値段がつくんです。だから1対1の、いわゆる40年前から言われてきた守る会の言ってる、守るべきその介護比率の問題。一人に対して一人が介護につくっていう。これと同じもの、なぜ入所だけにこのお金の動きをするのかっていうことなんですよね。在宅になればこれは、入院したら医療保険だけ、退院して福祉を使えば福祉だけ。もうどっちかしか金がおちないわけで、それを同じ超重症児者という中で、やっぱりお金も二本立てにしていくかたちで十分な支援の手を入れていかなければ、その発想を持たなければ、やっぱりできないんじゃないかっていうことなんですね。児童福祉法っていうのは、ご存知の通り、18歳までに発症した人たちが合致するものであって、20歳過ぎて事故を起こしてしまうとそれは全然この範疇に入ってこないから、重身施設にすら入れない。療護施設しかないわけですね。こういう日本の法律があるわけで、はい。
 もうすぐ終わります。
 で、今、自分の課題としては、やっぱり医療的ケアの可能な地域でのケアホームをどれだけできるのかということで、いろんな全国の有名と言うたらおかしいですけども、どんなやり方をしてるのかっていうのを実際に見て、どんな人が入ってて、どんなやり方で、どんだけ余裕を持って職員が働いているのかっていう辺りを、今レポートしてまわってるんですね。今までだいぶ見ましたけど、ちょっと伊達の野ぶどうだけまだ行けてないんですけども。伊達市っていうのは伊達市なりになかなかおもしろいところがあるんですけども。で、まぁ、いろんなところへ行って来ました。あと、仙台もそうですし、いろいろ行きましたけども、どことして十分やれてません。やっぱり今の自立支援法の制度では、医療的ケアという医療行為的な、その医療保険がらみのところでのケアホームを夜間十分支援していけるだけの体制をとれるかといえば、とれていないんですね。
 たとえば、横浜の訪問の家のケアホームのあり方っていうのは、これ、日浦先生がもう横療、横浜療育に行かれたから言ってもいいかも。あの、怒られるかもしれませんが。やっぱり、横浜だけにしかできない、いわゆる生活保護の上に横浜市の単費、単費をつないで、やってるっていうことですけども、実際、夜間のバックアップするのは、いわゆる朋の家の45人の重身の対象に雇用している2人の常勤看護師と3人の非常勤看護師で、そのうち2人の看護師が1週間ごとに9つの訪問の家のケアホームの電話番をしてるんですね。しかも費用は、福祉職と同じ値段で雇用されている。これ続くのかなぁ?これって大変だなぁ・・・っていうのが結論的なものになると思います。
 どことも大変だし、なかなかこういうのは成立しない状況です。これを成立するようなかたちで、やれるような仕組みを作ってもらわない限り、つまり、それとさっきのショートステイもそうですね。何が足らなくって、どうしてできないのかっていうことをせめてきちっと指摘していかない限りは、なかなか国の厚労省っていうのは動かないんだよっていうのは、後の川口さんの話でも出てくるんだろうと思います。はい。これで終わりですかね。だからこれはまとめですね。やっぱり、パーソナルアシスタントとしての医療的ケアの流れっていうのに辿り着いてきて、やっと在宅である程度の制度をつなぎながらできるようになってきたけども、ここで制度化する中で、どのようなかたちで、今後もっとこう分厚い支援の中で安心して暮らせるものの、やっぱり制度をきちっと保障していかない限りは、いけないんじゃないかっていうのがひとつの結論です。バクっとした結論です。すいません。おわります。

◆立岩:ありがとうございました。長い話を短くまとめていただきました。すごい、あの、たくさんの話が入ってて、なかなか、なんていうかな、えっと、理解するのが難しかったところもあると思いますけれども、それはいろいろ後で補っていただくことにして、次に参りたいと思います。では、川口さん、お願いします。

 
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川口有美子:川口と申します。東京から参りました。今、杉本先生のお話を聞いて、後半のところは私特に知識不足なので、もうちょっとゆっくり時間かけて教えていただきたいなーと思いつつ、先にいくんですが。私は、今日は、当事者の視点でお話させていただきたいと思います。当事者っていっても、その、家族当事者です。私の母がALSの患者で、1995年にALSを発症しました。そのときは、そのこういう障害ですとか、それからその医療ですとか、まったく関係のない生活をしていまして、そこからの経緯を書いたのが、こないだ本になって出版されまして、後ろでも販売しておりますのであとでどうぞって先に自分の宣伝するんですが。あの、そういうことです。
 95年っていったら、介護保険前で、何にも介護の制度っていうのがなくて、あったのは行政のヘルパーさんだけ。よくわかんなかったんですね、私も。ほんっと制度なんていうのは、意識して暮らしたことがない人だったので。母の介護をしなきゃいけないって思ったときに、保健師さんが来て、まぁ昔の話をしてますけど、どうだったかっていうと、介護のやり方をまず保健師さんから教えてもらうんですよね。最初はトイレ介助から。それからごはんの食べさせ方とか。それからお薬の飲ませ方とか。家族だけど介助なんてやったことがないからできないんですよ。母はどんどんどんどん進行して悪くなっていくし、介助をしないと危険だっていうことで、まず保健師さんから介護の仕方を教わったんです。
 で、その保健師さんが、えーっとその、ALSっていう病名がでますよね。そうすると、いろんな制度が使えますと。特定疾患っていう特別な病気だから、医療費もただになりますっていうことで、で、主治医が必要ですねって。で、まぁ、近くの診療所の先生を紹介してくれました。
 その先生は非常に人間味のある先生だったんです。今思うと、やはりかかりつけ医の先生との出会いが、母の命、私たちの人生を決めたんだなっていうふうに思います。でもね、やっぱり、その、杉本先生みたいにいい先生ばっかりじゃない。いろんな先生がいて、これはね、やっぱり運ですよね。どういう先生に出会えるかっていうのは。そのドクターが非常に前向きに母の命に対して擁護してくださったんで、私も間違った方向にいかないですみました。でも、母はどんどん悪くなっていく。やっぱり気管切開をして、呼吸器ってことになっていくんです。7割以上の方が、呼吸器をつけられないでそこで亡くなるんですけども、うちはそのドクターが母に対して、地域で呼吸器つけるということは、たくさんの医療的なことをこれからみんなで分担してやっていかなきゃいけないんだけど、そういうことをしてる人は、うちは中野区なんですけど、中野区で2人しかいないと。で、島田さんがもしそうやって地域で生きてってくれるんだったら、3人目だよって。僕も初めてなんだって。まぁ若かったんですよ、当時先生まだ40代前半でしたから。で、僕はそういうことをこれから応援したいと思ってるって。これから医療の必要な人がどんどん地域で生活していかなきゃいけなくなってくそういう時代だから。自分は、その、自分のお父さんも診療所の先生だったから、二代目なんですよね二代目。で、医師になった最初から在宅医療にすごく興味があって、これからはそっちがやりたい。だから島田さんがもしも呼吸器つけて生きていってくれるんだったら、僕にとっても味方になってもらえるだろうし、地域医療を島田さんと一緒に開拓していきたいっていうふうに言ってくれたんですよ。
 そういうふうに応援されたら、うちの母も呼吸器なんてやだなって、尊厳死に近いようなことを希望してたんですけど、コロっと気持ちが変わっちゃって、先生一緒にやりましょうって言い出して、私それ聞いてて、ちょっと感動したのと、ちょっと迷惑って思ったのと。家族ですからね、もちろん母の命は大事なんですけど、じゃあ実際の介護は誰がするんだよってチラッと思いました。先生かっこいいんだけど、先生ね、じゃあね、先生そういって励ますけど、じゃあ24時間の介護は誰がやるの?チラって思ったんですね。そのチラって思ったのがもう大変な問題になったんですけど。そのときはね、そうだそうだって一緒に言って、泣きながら母に生きようよって言ったら母もうんって言って、それで無事呼吸器つけて、都立神経病院に1ヶ月半入院して帰ってきたの。
 でも、やっぱりその嫌な予感的中で、家族がぜんぶ介護するんですよ。私と妹と、役に立たない父がいて、大人3人いる家族っていうのは、すごい恵まれています。こうやって見てても、たいてい、介護者ひとりみたいな。あの、奥さんがALSになっちゃったら旦那さんが介護する、その逆とかね。介護者がひとりぐらいしかいないっていう家が普通なんですけど、うちの場合は大人が3人いて、いちおうローテーション組めば三交替。だけども、うちの母が父の介護は嫌だって言ったんで、二交替になっちゃったんですけど。でもそうやって交替する家族がいたので、24時間を12時間ずつ妹と私で分担をしてやってきました。あのお、一週間でバテました。一週間で先が見えなくなって、これはほんとにね、大変だと思いました。それで、それまでは介護のイメージっていうのは、テレビで見た通りの高齢者の介護がベースにあったんで、大変だろうけれども、みんな家族でやってましたからね、その当時は。だから家族でなんとかなるもんだろうって思ったんだけれども、その医療が入ってくるってところで大きく違う。ほんとに神経が張り詰めてるんですよ。で、機械がついてるもんですから、機械の管理をしないといけない。母の介助と同時に機械の管理しなきゃいけないっていうことで、まぁ、あの、なんていうんですかね、ゆっくりする時間がないんですよ。で、横になっても常に耳は起きてるっていうか、アラームが鳴ったら飛び起きなきゃいけないしとか、それから、その呼吸器つけて意思ははっきりしてますからね。ですから、本人はやりたいこと言いたいこと山ほどあって、それに対して無視すると、ひどいことになりますね、母にとって。だから、もう無視できないですから、とにかく逐一文字盤だとか、それから、当時、伝の心なんかなかった。パソパルっていうコミュニケーション機器しかなかったんですけど、それに入力してもらって、コンピューターに入力してもらって、それを読み取って、あぁ今日のおかずは何?鰆?鰆をどうやって焼くの?とか、そういうようなことをずっと読み取りをしてたんで。まぁだから、今のヘルパーさんがやっているようなことを全部、妹と私と2人でやってたんです。今日は会場に来られているヘルパーさんいらっしゃると思いますけど、大変だったんですよ。とにかく制度が始まる前って。家族だけでやってたときは。本当に大変だった。
 それが2000年に介護保険が始まるっていうことになって、そのときに、ALSの家族は、みんな私たちみたいだったですからね、患者が生き残った家族っていうのはそうだったんです。とにかくもう、ヘルパーさんが介護を少しでも代わってくれるんだったら、こんな福音はないと思って、もう大喜びしたんですよ。そしたら最初、介護保険には障害の人いれないみたいな話になっちゃって、それは困るんで、こっちから厚労省にお願いに伺って、ALSね、もうほんとに大変な障害で、特定疾患だから、特定疾患の中でも身体障害のきつい人は、40歳から介護保険に入れてくれって、こっちから頼みに行って入れてもらったって経緯があります。そうやってALS協会ががんばって、交渉して入れてもらったんですけど、蓋を開いてみたら、なんと介護保険のヘルパーは吸引をしない。経管栄養はもちろんしない。「あれ?!」ってことになって、頼んで入れてもらったのに、なんか逆効果じゃないかと。これはもしかしたら、前の障害の行政のヘルパーと、障害のヘルパーっていうのは、昔は全身性障害者介護人派遣事業ってやってまして、それでやってるヘルパーは何でもやってくれた、今もその続きなんですけども。そっちの方がよかったなって。
 後になってね、蓋開いてみて、わかったと。橋本さん後から来ますけど、橋本さんが言ったのは、「煮え湯を飲まされた」って言ったんですよ。短い言葉で自分の感情を表現するのが非常にうまい人です。もうね、すごいんですけど、国に交渉に行ったときに、「煮え湯を飲まされた」って言って、それで、こんなはずじゃなかったっていう意味なんですけどね。それから「介護保険は絵に描いた餅だった」って言ったんです。それからどうしたかって言うと、ALS協会に対して全国の会員から、もう苦情が殺到。今までのヘルパーが「明日から私たちは何もしません、じゃあ」っていなくなっちゃったとか、それから、「介護保険使おうと思ったんだけど、ALSって言っただけで断られた」とか、「制度はあるのに使えない、どうしてくれるんだ」みたいな。どうしてくれるんだとは言いませんけど、じゃあどうしますって言ったら、橋本さんが「やるか」っていうから「何やるの?」って言ったら「署名」。署名をしましょう、運動しましょうっていうことで、全国に呼びかけて、いちおう協会の中にもヘルパーの吸引問題解決推進何とか委員会っていうのを作って、海野さんっていう一番今若い理事が委員長をやってやって短期間のうちに18万筆の署名が集まりました。
 そのときに、脊損の団体だとか、それからヤコブ病なんかほんとにちっちゃな団体だったんですが、とか、いろんな団体が入ったんですけど。CIL系列とか、あとJCILも入らなかったよね、多分。障害の関係の人たちは入らなかったんですよ。なぜかっていうと、こういうことをしてしまうと、要するにグレーゾーンでやってきたわけですよね、彼らはずーっと。グレーゾーンをあんまり公の場所に出すと、グレーがグレーじゃなくなって、陽が当たるとなんだこれはっていうことになるから、そういう運動をしない方がいいと。コソコソと医政局に行って、医政局の役人と取り交わしをして、医政法阻却論っていう、要するにね、法律には定められてないんだけれどもそれをやらないと人命にかかわるようなことはやってもいいってことになってて、それでやってきたわけです。それをね、あからさまに運動をして表沙汰にすると、何か嫌なことがあるからやめとけっていうふうに、障害者の団体の方から言われたんです。そうは言っても、私たちは介護保険を使ってますから、介護保険制度っていうのは、もう公の制度ですから、そこできちんとやってもらわないと困るっていうんで、高齢の病人のほうで運動になっちゃった。
 そしたら検討会が立ち上がって、国はもう検討会が大好きですね。それで、検討会が立ち上がったのに、なんと、当事者の委員が一人もいないっていう検討会で、しかも、ヘルパーの吸引を求めてたのに、看護職によるALS等の在宅をどうやるかっていうそういう検討会になって、8回の議論の末にまとまったのが「容認します」と、「時限付きでヘルパーに吸引を容認します」ってただそれだけだったんですよ。しかもALSだけ。ちょっとだいぶ違っちゃったなっていう気はしたんですけど、とりあえずそれで少し半歩だけ進んだっていうことでした。でもこっから始まるんですけど、私たちさくら会はその報告を受けて、とりあえず容認になったんだから、今まで、先ほど杉本先生も話されたパーソナルアシスタントっていうのは、障害者がずーっと自分たちの地域生活のために、いわゆるド素人のヘルパーでもなんでもない人を捕まえて来て自分のアシスタントにして、市町村にお金出させて使ったんですけどね。そのやり方に吸引ができるようにしちゃおうと思って、自分たちでヘルパーを養成をする事業を立ち上げました。それがさくら会の「進化する介護」っていうタイトルの研修会で、これを当初は実家のリビングで毎月、毎月やってたんです。どういう枠組みでやったかっていうと、当時の、当時は日常生活支援っていう、支援費制度が始まった年でしたから、日常生活支援のヘルパーの養成研修事業を東京都から指定をとって、そん中で、その日常生活支援のヘルパーを養成するってことで、そこに医療的なことをバンバン入れちゃったんです。そしたら、まずすぐに都庁に呼び出されて、研修担当の人に、「あなたたちは一体何を考えてるの?」って。「まだ何もねヘルパーが吸引していいなんて誰も言ってないのに、そんな勝手にやっちゃっていいんですか?」って。「もし何かあったとき誰が責任とるの?」ってふうに怒られました。すぐに怒られた。「責任誰も取りません。責任取るのは当事者です。」って言いました。でも、当事者が責任取れないって言われたんですよ。「えっ?!」っと思って、もうそこからして行政の考え方と私たちの考え方が大きくズレてるのが初めてわかって。要するに、私も、私はALSでも障害者でもないですけれども、障害の身体って一番近いところにいますから、そういう身体の責任っていうのは、やっぱり本人だとずーっと思ってたんですね。だから、本人が動かないから、自分で吸引したい、自分でご飯食べたい、できないから人に頼んでさせてもらうってところから始まって、そこになんか知らないうちに医療的になってたと。お腹に穴が開いたり、喉に穴が開いちゃったっていうだけのことであって、私たちにしてみれば、本人ができないから手伝ってあげるの延長に、その吸引とか経管があったんです。でもどうも行政から見ると、そうじゃなくて、これは医療で、本当は医者がやるべきなのをしかたがないから看護師にできるようにしてるけど、看護師もなんか数が足りなくて少なくて、しょうがないから今回ヘルパーには容認っていうかたちにしたっていう考え方なんで、そこからして大きくズレてるんですよね、考え方が。
 あと看護協会にも呼ばれました。あの山崎麻耶さん、橋本さんのことを書いた『マドンナの首飾り』って本を書いてくださった方なんですけど。あの本を書いたときはすっかりなんか橋本さんに取り込まれてたんですけど、最初に会ったときはすごい恐かった。看護協会の部屋に呼び出されて怒られて、そのときも言われたのが、「誰が責任取るんですか」って言われて、「はぁ・・・当事者です」って私また同じこと言ったんですけど。また同じことで怒られて、でも、あっちからも叱られ、こっちからも叱られ、みんなにいつ失敗するかっていうふうに思われて、失敗したとたんに潰してやろうっていうふうにあちこちから思われていたのが、8年間失敗しないで全然問題なく、しかもどんどん都内や地方都市に拡大していったのが、この「進化する介護」の運動です。
 だから、失敗ってね、とくにアクシデントだとかヒヤリハットだとかよく言われますけど、家にいてヒヤリハットってどっからヒヤリハットって言うの?ってなりますよ。あの、そこでうんうんってうなずいてる方、たぶんご家族なのかなとか思いますけど。たとえば、胃ろうチューブが途中で抜けちゃって、患者がびしょびしょになったりするのは日常茶飯事で、ヒヤリハットっていうけど、ただの接続の失敗、私たちからすると。それに猫飼ってますよね、ちょっと目離したとたんに猫がここのバルーンのところカニューレのところの紐引っ張って、うちの母のカニューレがポーンって飛んだんですよ。猫にカニューレ引っこ抜かれたんで、カニューレ抜けちゃうともう呼吸器が着けられないものですから、そのままほっとくと死んじゃうわけで、ヒャーっと思ってカニューレ拾って、ふーって吹いてハッて気管に入れたんですね。それでも、別に、感染しないでそのまま生きてました。もちろんすぐに先生がとんできてくれて、カニューレ交換してくれましたけど。
 そんなのが普通にあるわけですよ、家にいると。それは家族がやってるから問題になんなかったのかなっていうのもありますけど、たまたま、家族は家にいたけどヘルパーだけの時に同じようなことが起きるっていうのもあるんです。そういうときに、私たちはヘルパーのせいにしない。普段から家族はヘルパーに任せて隣の部屋でご飯食べたりテレビ見たりしてるわけですから、何か起きても一緒になってあぁー大変大変って言ってなんとかしてるわけですよね。
 家にいたら、いろんな事件が、おもしろい話がいっぱいあります。おもしろがっちゃいけなくて、それは、医療からすればヒヤリハットで、アクシデントになっちゃうんですよね。けれども、いちいち報告されるようなことじゃなくて、うまくなんかなってるし、それで死ぬっていうようなこともとりあえずないと。ですから、いちおう問題なくここまで来てるわけです。8年間ね。現場ではいろいろとおもしろいことあったと思いますけど、それも患者家族の常識の範囲なので報告はされてません。だから、問題なくきたということ。
 こうして家族は何が助かったかというと、24時間ほとんど外出もできないで、ずーっと患者に張り付いていなければいけなかったっていう生活、それから夜も一時間半ぐらいだったら寝れるけど、3、4回起きて吸引して体交しなきゃいけないから、一時間半を4回繰り返して寝るみたいな生活が普通だったんですけど、そうじゃなくって、週のうちの何回かは熟睡ができるっていうふうなことができてきました。つまり、吸引が容認された家族がヘルパーにいちいちクレームしたりしなかったから、ここまで来れた。
 これは、東京のさくら会の、あっ来ました!(操さんが会場に到着)操さんであとちょっとしゃべってもらう。こっちこっち。こっち来て。操さんのやり方で今でいう重度訪問介護っていう長時間のヘルパーが使えるようになってきたからそうなってきたんですけど。全く問題ないと。そういうことがあったので、まず、あの頃あちこちで私、叱られまくってたのがだいぶ色合いが変わってきて、3、4年前からなんと厚生労働省から研究費もらえるようになって、重度障害者の在宅の療養のための効果的な支援のあり方っていう研究費まずもらいました。
 それを3年間もらった。それから財団みたいなところからも支援をいただいた。ファイザーとか勇美財団とか、研究費いただいたっていうことで、経済的にもNPOに支援が来るようになって、とうとうあれなんですよ、今回その、先ほどの杉本先生のお話に出てきた検討会、ここにありますけど、介護職員等による痰の吸引等の実施のための検討会っていうのがあって、それの委員に橋本さんが入るっていうことになりました。
 ここに至るまでは橋本さんと政務官の山井さんとの熱い仲があって、先ほど杉本先生が言われた議員立法っていうのはデマだって、今となっては2月の通常国会で政府案として出されるっていうふうになったんですけど、最初はやっぱり議員立法だったんです。山井さんがバーっと走って、議員立法で出しますっていう約束を操さんにしました。操さんが山井さんにすごくお願いしていましたからね、とにかく自宅でヘルパーが経管栄養ができない。経管栄養ができないと一人暮らしができないんです。それから家族は、やっぱり安心して仕事に出かけられないです。訪問看護だって毎日来るわけではないから、訪問看護師が来ないと経管栄養ができないわけですから。それでヘルパーにぜひやってほしいっていう要望がすごくALSの場合はあって、橋本さんが山井さんにいつもお願いしてたのはそのことだったんです。橋本さんの携帯メールから山井先生の携帯メールにメールが行ったり来たり行ったり来たりして、山井先生が政務官になられて、まず最初にこれをやりましょうっていうことで、約束してくださったのはこれだったんです。最初はね、山井さんがかなりがんばって突っ走ったっていうのがあって、それが裏目に出たところもある。法制化してほしいってことではなかったんですよね。操さんがお願いしてたのは、できるようにしてほしいってお願いをしたんだけど、法制化してほしいは言ってないんですけどね。やっぱりその国会議員なので、国会議員ができることは立法だと。だから法制化っていう話になっちゃう。そこでちょっとズレたっていうのもあるんですが。そういう経緯がございました。
 討論になってからまた質問にお答えするってことにしたいと思います。資料をいろいろ持ってきたんですが、一番分厚いのが、これがさくら会で出した企画書です。こういうものを書いて出しました。操さんが検討会で、50時間モデルが出てきたときに、もうとんでもないと、50時間どうやって研修するんだと。できないことを言われても困るから、今まで自分たちがやってきた方法を継続させてほしいっていうことで、モデル事業をじゃあうちでやりますから、従来のやり方をみなさんにみていただくっていうことで、出した案がこれです。
 ただし、実地研修は看護師が評価するってことになりましたので、訪看さんにがんばってもらうことになりました。これ始まってみたらどういうことになるかちょっとわからないです。すごい戦々恐々として、この企画を書いただけでもかなり疲労しています。だからもうすでに川口はくたくたでございます。
 それから、表の一番上にきてるこれは厚労省が出してきた案です。私たちの提案の前に、最初にこれが出てきた。50時間研修案です。実施ガイドラインを作って、ガイドラインなんて言葉を使っちゃいけないってすぐ文句を言って、手引きに変えてもらったんですが、痰の吸引と経管栄養のそれぞれのガイドラインに則って、看護師がヘルパーに教えるってことになってます。その内々で見せてもらったガイドラインに非常に問題があったので、訂正してほしいっていうことで、意見を出したりしました。こういうのは皆さんには決して見えない裏舞台ですね。老健局と障害福祉課と、それから老健局に立ち上がった看護研究班と、それから私たちでガチャガチャやってきたんです。
 それから、施行事業における研修のカリキュラムがきちんともう出ています。こういうものがそのうち表に出てくると思います。これは施設でモデル事業やるそうです。「不特定多数の者」に対する50時間研修っていうのは、老健局できちんと作っています。
 それにたいして私たちは「特定の者」、いわゆる障害で地域で暮らしている人、いわゆるパーソナルアシスタントを使っている人。さくら会や、CIL、JCILで育ててきたようなヘルパーのやり方を残すっていうことで、うちが代表してモデル事業っをやってみせるってことになってます。その二つが今、モデル事業として進行中で、うちのさくら会と全社協と、それから訪問看護振興財団の三つがモデル事業をやります。6団体が手をあげて、そのうちの3団体になったっていうことです。全社協は施設50時間モデルのところで在宅と施設と両方やるそうです。ここが一番大きなモデル事業をやります。それから振興財団の方は、主に介護保険の高齢者。在宅で看取っていくかたちの訪問看護と介護の連携のところのモデルを出してくると思います。私たちは、障害者の自己決定を大切にした地域での自立生活っていうところでもって、パーソナルアシスタント、自薦ヘルパーのモデルを出す。
 だから、三者三様、全部違うんです。それぞれやってみましょうってことになった。ただこの法律がもう法制化されていくのは決定してしまったのですが、あんまりひどいようでしたらみんなでやめさせればいいわけです。さっき先生がおっしゃられたように、2月に政府案として出されます。それはもう作業進んでるんです。だからモデル事業の報告書が出るのは3月なんですけど、3月にはもう法案が決定してるんで、あれ?って思うんですよ。普通、モデル事業やってみて、みんなで検討して、ああじゃあこうやってって、また検討して議論してそれで法案作ってって順番ならわかるんだけど、そうじゃなくって、法案は法案でもう作業始まっちゃってるので、すごい不思議っていうか変ですよね。
 だから形式的に過ぎないのかもしれません、私たちがやるモデル事業っていうのは。要注意ですね。情報をできるだけ集めるようにしてます。それから私たちが今やってることは、随分前から医療的ケアですとか、それから自立支援法関連でお世話になってる議員の先生がいらっしゃいますので、その国会議員の先生たちを通して、情報収集するようにしてます。収集した情報はできるだけ、障害だけでなくて、学校の医療的ケアもありますし、施設系の医療的ケアもあります。いろんなところでいろんな運動が進んでますから、できるだけ共有をして大きな運動にしていく必要があるというふうに思っています。
 じゃとりあえず、先生ここで。橋本さんが来たので、ちょっと橋本さんになんか挨拶してもらっていいですか? じゃあ、橋本さん、突然振っていい??

橋本みさお(娘さんのかよさんが代理で話す):(口文字で読み取る)今日は、膝の上にちょっと見えないと思うんですけど、犬がのってるんですね。その犬がちょっと猫にまでついに吠え掛かるようなしつけの悪い犬に育ってしまってしまいました。

◆川口:関係ないじゃん(笑)

◆橋本(娘さんのかよさんが代理で話す):ええ、挨拶だからいいの?って言ったけど、このまましゃべれって言われたんでしゃっべてますけど。(口文字で読み取る)やっぱり当事者は、言いたいことを言うべきだと思ってます。おわりとのことです。すいません、突然。失礼しました。

 
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◆立岩:はい、ありがとうございました。最初の挨拶っていうか、というものも含めて、ほんとに30分、30分ぐらいで、本来であれば長い長い話を2人ともしていただいたので、そうとうの時間がこれからとれると思います。
 このなんかけっこうややこしい話をまずどうやってこうみなさんにお伝え、お伝えというか、間を、間の話をしようかなと思って、困ってはいるのですが、こんな話なんじゃないかっていうのが一つあります。
 杉本さんがおっしゃってくださったのは、医療と福祉、それから年齢、それから原因とか、そういったことが複雑に絡み合った中で、非常に制度がややこしく出来上がっていて、そこの中で、たまたまなのか何なのか、そこそこお金のつく部分もあれば、全然そうではない部分もあって、ものすごいまだら状態になっていて、それを常人ではというか、普通の人はわからない。そういうぐちゃぐちゃっとした状態になっている。しかし、そこのところのアンバランスであるとか、そういったものをうまい具合にただしていって、レベルの高いところ、かろうじて今なんとかなっているところに引き上げていかないと、多様な、多様な年齢層の多様な原因による、そして今現在、いわゆる医療的ケアが必要な人っていうのが、ちゃんと生けていけないんだよと。そういうお話であったと思います。
 そこのところは、研究という部分においても、ほんとに足りてない部分で、そういったことの全容と言いますか、詳細といいますか、そういったものを把握する必要ってものはあるだろうというふうにはあらためて思いました。私自身が、言ってみれば、成人の在宅というか、あるいは、家族がいたりいなかったりして暮らしていく人たちに対する介護、ケアっていう辺りのことを念頭において、それについてであれば、そこそこのことは知ってるかなっていう感じでしたから、それ以外に、もう本当にぐちゃぐちゃっとした多様なものがあるんだなっていうことは、やはり知っておくべきことであろうと。その全体をどうしていくのかってことが、基本的な課題であろうというふうに思ったわけです。
 ただ、そのことを踏まえつつ、これは杉本さん自身がおっしゃったことですけれども、基本的なラインとして何を置くのかに関しては明快であったと思います。すなわち、パーソナルアシスタントという、業界用語っちゃ業界用語ですけれども、ひとりひとりが基本的に住みたいところに住み、ケアしてほしい人にケアをさせ、そしてそれに対して公的なお金が出るってそういう仕掛けですね。そういった仕掛けを基本的なところに置く、あるいは、そこから、そこを基点にとってその現在の制度、仕掛けというものを評価していくとすればどうなるのかと、それに近づけていくべきであろうというふうに、その長い長いというか、複雑怪奇な話を一つそういうふうにみていくことができるんではないか。それはその杉本さんご自身のお立場であるというふうに、後半の方でお話しなさったと思います。
 ちなみに、杉本さんの場合は小児の方がご専門で、そういったところから仕事を始めてきた。そのへんの長い話を十分過ぎるほどというか、端折っていただいたんですが、そういったことに関して、『現代思想』という雑誌がありますが、それの今年の3月号に、何にも知らない私が、インタビューさせていただくっていうかたちで、それが掲載されております。今回、川口さんの本もそうですし、それからその『現代思想』、それから他いくつか本を売っています。それは後ろの方にあるはずなんですが、もうひとつ玄関の方に医療的ケアネット*の方から、関係する書籍をかなりこちらの方に持ってきていただいていますので、終わってすぐに帰らずに十分それを見ていただいてですね、買っていただき、役に立てていただきたいかなって思います。これがその一つ。
http://www.mcnet.or.jp/index.shtml
 もう一つ、川口さん、川口さんはいちおう、いちおうじゃないか、僕らのところの大学院生でもあるんですが、要するにどういう話だったのかっていうことをまとめてみるとですね、そのALSの人たちが、いろいろ端折れば、介護保険ができるときに一瞬それに期待して、できたら使えるかなと思ったけど使えなかった。医療的ケアっていうのが入ってなくて。それで署名運動とかしてみた。検討会ができて、なんかちょっとやっていいことになったけど、かえって他の人はできないとか、そんなようなことになって、中途半端というか、かえってあれがよかったのかっていう状態にとどまってしまった。っていうことが一方の現実としてあると。そんなこと言ってたら自分たち生きていけないと。
 じゃあどうするかっていうときに、いわゆる障害者のために、今は自立支援法っていう法になってますけども、それ以前にあった、各地の制度ですね、障害者のための制度を使い、そして、自分たち自身が事業所を立ち上げ、その公的なお金を使って自分たちがヘルパーを派遣するっていうそういう仕掛け。それにその医療的ケアっていうものを、言ってみれば、勝手にですね、誰からもいいって言われないまま、だけど必要なんだからしょうがないってかたちでそれをくっつけた、そういう事業をこれまで展開してきたと。それはもう7、8年の歴史があってうまいこといってると。結論から言えば。ということがもう一つあるということですね。
 だから、制度の方ではこういうことになっていろいろやってみたけど動かなくって、非常に制約の多い状況が続いていた。そんなこと言ってらんないから、自分たちで事業所を作って医療的ケアを教え込んで、本人やら、あるいは事業所の人たちが、そこの中でまわしてきた。それはそこそこうまいこといっていた、きたってことです。ちなみにその辺の話に関しては、これは自分の本の宣伝になってしまいますが、2004年に書いたものですけども、『ALS』っていう本があって、その真ん中あたりにその辺の経緯については、そこそこに詳しく書かれています。ですので、ご覧いただければ幸い、ありがたいかなと思います。細かい話っていうか、そんなに細かくもないですけど。ちょっとご覧下さい。
 そういう状況であったと。だけれども、それをより制度化するっていう流れ、これはどういうところから出てきたのかっていうのは微妙なとこがありますけど、そういう流れがまた始まって、そこの中でまた検討委員会が立ち上がって、それで今、その法制化っていうものに向かって進んでいると。ただし、そこの中ででてきてる話っていうのが、一方では、これをするために、50時間なら50時間の研修っていうものが必要だっていうことを言ってるサイドがある。それは主には、看護師の団体というか、研究者というか、そういった方々なんだけれども、やるからにはそういうものでなければならない、看護師なりの医療職というのが、ちゃんと監督しなければならない、そういったカチッとしたものを作らなきゃいけないという話になって、それじゃかえって今のままの方がまだマシだぐらいの話であって、それじゃあ困るからということで、今、厚労省とやりあって、今まで自分たちがやってきて続けてきてうまいこといってた、まずは短い時間で基本的な手技なら手技というものを教えてもらい、そして後は現場でですね、ひとりひとりがそのパーソナルに、個々別々に違う中で技術を確実なものにしていく。そして、24時間きっちりそこをはっているんであれば、たまにやってきて状態をチラッとみて、それで医療的ケアと称して何事かをして去っていく看護師、その他の職業の人たちよりも、安全確実に事ができるんだっていうモデルを一方で出してると。
 それが、併存っていうかたちでいくのか、あるいは、その2つの間の中間的なものみたいなその辺のつばぜり合いがこれからどうなるかわかりませんけれども、その検討会やら、あるいは行政の中のごちゃごちゃっとした細かいところでやってる話やら、やがてそれが法律になっていく。その過程の中でですね、それがどういう方に持っていかれるのか、あるいは持って行くのかっていうことが、現代の課題である、現在の課題である、そういうお話だったというふうにまとめることもできようかと思います。
 とういうことで、私なりにというか、お二人の話を聞いて思ったことやら、あるいはこういうふうにまとめられるんではないかと思ったことを申し上げました。そういう意味で言えば、若干、強引なところがあって、要するに、ひとりひとりがひとりひとりのところで暮らすための仕組みっていうものが、現に試みられ、存在してるからには、それを基本にして、それにきちんとお金をつけていく。それを基本にやっていけばいいのに、その他いろんな利害が絡んで、世の中もう少し複雑になってしまっているっていうことだったんじゃないかと思いますけども。
 私なりのまとめといいますか、は、そのぐらいにしてですね、もう時間がまだ半分以上ございます。ということですので、長年というか、かかわった方もおり、これからこういったところで仕事をするとか、あるいはそういうつもりは別にないんだけれども関心があるっていう方、多様な方がこの場におられると思いますので、うまいこと交通整理ができるかどうか甚だ自信はないのですが、とにかくやってみましょうっていうことで、残りの半分の時間を使いたいと思います。
 まずは、あの、まずはじゃなくてもいいんですけれども、ここんとこはちょっと説明してもらったけどよく頭に入んなかったよとかですね、ここんとこは大切だと思うんだけれどももうちょっと説明してくださいっていうような、そういうポイントがあったら、その辺りから始めたいと思いますけれども。ご質問、あるいはご意見のある方、手をあげてください。それから、これは文字化して記録に残す可能性がありますので、名前を言ってもいいっていう人は、どこそこのだれそれですってところから始めてください。あるいはそれは遠慮するっていう人は、好きなように始めてください。ということで、どなたからでもかまいませんがいかがでしょうか。

 
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◆立岩:えっと、話が、今の制度とかそういうところに移る前にですね、やっぱりその病院っていうところと、それから福祉施設、それから中間的なもの様々ある。でも大きく言えば、施設の中で提供されてきたものと、そこから出て、暮らそうとしてきた動きってものがあって、そこの中には、大まかには、基本的にその人たちが暮らせるように、生きられるようにってところで、大きくは共通のものがあったにせよ、しかし、じゃあ具体的にどこに住み、どういう体制でやっていくかっていうことについて言えば、やっぱりそこの中で仕事をする、してきたっていう人と、いや、そこから出て暮らそうっていう人との間には、微妙な、あるいは微妙ではなくてはっきりした、差異といいますか、論点というものがあるのかもしれません。そういった部分にかんしては、こないだの『現代思想』のインタビューでは、僕自身が無知でもありましたし、今でもそうですが、立ち入ったというか、私の方から質問するっていうか、提示していくっていうことができなかったんですね。ということで、事前にですけれども、「人工呼吸器を着けた子どもの親の会」、通称「バクバクの会」っていう会があって、こないだも私が少しお話をさせていただいたことがあるんですけれども、今回の、たとえば川口さんの話が成人の親であったり、あるいは配偶者であったり、そういう親を在宅でっていう、そういう話が中心だったとすればですね、その子どもが病院に今までいた、あるいはそれをどうやっててこと、それから教育機関、あるいは保育とか、そういうものとのかかわりで、それをどう位置付けるかっていう部分にかんして、本来であれば杉本さん自身も詳しくお話できたと思いますけれども、時間を無理やりこちらから短くしたってこともあります。そういった部分も含めて、補っていただくっていう部分も含めて、あるいはその異論あるというか、独自の意見があるという部分も含めてですね、バクバクの会の方の方から今日、なにがしかの時間を発言にあてたいと事前に私の方に申し出もいただいておりますので、どなたがお話しなさるのかわかりませんけれども、まずバクバクの会の方からですね、ご発言というか、質問等含めていただきたいと思うのですが、よろしいでしょうか。

◆バクバクの会 平本:みなさん、こんにちは。バクバクの会と言います。バクバクの会の平本美代子と言います。バクバクの会というのは、正式名称が「人工呼吸器を着けた子の親の会」と言いまして、今年で20周年を迎えました。東京で立岩さんをお呼びしてシンポジウムを開きました。バクバクというのは、ご存知の方をあると思うんですけども、人工呼吸器、機械で呼吸をするんですけれども、それを外したとき、お風呂に入るだとか、移動するときに使う、医療の用語でアンビューバックというんですけども、これをカニューレのところにあてて空気を送ります。そのときに、バク、バクという音がしますので、そこからバクバクという、バクバクの会という名前がつきました。親が愛情を持って子どもたちに、空気を送ってあげれるというふうな意味合いを込めてバクバクの会、親の会というよりもバクバクの会というふうに言っている方が社会的には通用しているかなと思います。
 どういうふうにしてできあがったか、できたかということなんですけども、実は私の娘が今年で24歳で、今日はちょっと遊びに行きたいということで、今日は来てないんですけども、同じ仲間で、折田涼さん、大阪府の池田市に住んでおられるんですけども、21歳、それから、佐藤ゆみえさん、大阪市に住んでおられまして、23歳です。みんな立ち上げた当時からの古い仲間です。一番最初にうちの娘が入院していまして、ここに来ておられる吉岡さんという方がいらっしゃるんですけども、私と一緒に入院してまして、だんだん状態が悪くなって呼吸器を着けなきゃいけないということになって、その当時、私たちも全然呼吸器がどんなものかも知らなかったし、それを着けられたらもう一生病院の外には出れないというふうな、もう生命維持装置といった怖ろしいような機械だというふうなぐらいしかわからなかったんです。もうそれを着けられたらもうこの子の人生はもう終わりだというふうに思ったし、また子どもさんによっては、もう余命、予後がもうないというふうなことの宣告をされた子どもさんもおられました。
 そうしてるうちに、ポータブルの人工呼吸器、今はかなり小さくなってるんですけども、があるので、いったん外に出てみないかって、外国製の物でしかなかったんですけども、ということで、主治医の方から提案があって、一生天井を見つめて暮らす、そしていつ命がつきるかわからないのであれば、一回ぐらいは外の空気を吸わしてやりたいなということで、そのポータブルの人工呼吸器を着けて家に帰りました。それがきっかけとなって、家に帰れるんだったらもっといろんなところも行けるんじゃないかということで、どんどん外出を繰り返しました。最初のうちは、医者や看護師さんについてきてもらったんですけども、いつもいつもそういうわけにいきませんので、これから外出をするんだったら親だけで行けるようにということで、いろいろ訓練を受けて、最終的には親だけで行けるようになりました。うちの場合は、4年間入院してましたけども、全部で60何日外出し、20何日は自宅で外泊しました。
 4年間を経て、在宅に移ったんですけども、その在宅に移ったとき、移るきっかけとなったのは、やはり、本人が家へ帰りたいと訴えたんです。何回か家に帰るうちに、家庭の味というのがわかってきて、それまでは病院の生活でしかなかって、病院が自分の家のように思ってたんですけども。家へ帰りたいということで、本人が泣いて訴えたわけ。4年間の後、在宅にしたんですけども、家へ帰って生活をするだけでは、病院の生活と何ら変わらない。あるいは、それ以下の生活になる。親と家族だけの生活ということで、やはり子どもとして当然、集団の中で生活をするのが当然じゃないかということで、地域の保育所へ行きました。公立の保育所に申し込んだですけども、そんな呼吸器を着けた子が保育所に行くなんてことは前例がないということで、もうすぐ却下されまして、そこで闘っていく方法もあったんですけども、地域の民間の保育所が引き受けてくれましたので、そこで2年間保育所へ行きました。
 そのときに、私たちは、先ほど言いましたように、4年間しっかりと家へ帰っても両親だけでやっていけるように十分に研修を受けて、そしていったん退院というかたちをとって在宅に移ったんですけども、非常にそれに対する誹謗中傷ですかね、そういう危険なことをしてどうするんやというふうな話があったと聞いています。ただし、私たちが直接そういうことを、私たちの耳には直接は聞きませんでした。あと、地域の小学校にも行きましたし、中学校、高校もずっと行きました。ただし、親の付き添いが、やはり医療的ケアがあるということで、条件にされました。呼吸器、その当時、呼吸器というものが、やはり、非常にケアがたくさんいるということで、学校にかんして言えば、非常に訪問教育ぐらいしかなかったんですけども、やはり子どもとして当たり前の生活をさせてやりたいし、本人自身が一番子どもたちの中でその生活を望むということで、地域の学校にも行きましたし、中学校にも行きました。
 ただ、それについても、非常に、親のエゴであるだとか、親の勝手であるというふうなことで、かなり誹謗中傷もありました。しかし、バクバクの会は全国で300、300人ぐらいいますし、海外にも会員さんもいるぐらい、非常に子ども命と思いを大事にしてやりたいということで会員も広まってきています。『現代思想』の方で杉本先生と立岩先生の対談を読ませていただきましたけども、杉本先生がいろいろとバクバクの会に対するご批判、恐れているようなことを読みましたけども、私たちは子どもの命と思いを大事にしてやりたいという気持ちでやってきましたし、杉本先生と直接お話しをしたという経緯も全然ありません。今回の厚労省の問題にしましても、いったん退院して、研修をしっかり受けて、在宅したということで、生活支援行為というふうに捉えております。
 そして、この間のずっといろんな経緯を見てみましても、非常に医療者側だとか、大人の側の目線であって、子どもたち当事者の側の視点が全く入ってないように思います。私たちはやっぱり、子どもの命と思いを大事にしながらやってきました。今、安易な在宅というのが、非常に出ているんですけども、こうやって呼吸器を着けてる子が在宅がどんどん増えてきてるのはなぜなのか。やっぱり、子どもたちが地域で暮らしたい、お友達と一緒に生活したいという子どもの思いが、やっぱりそれを、親や地域や周りを突き動かしたんじゃないかなと思っています。
 決して、呼吸器なり、医療機器の発展だけじゃないと思います。安易な在宅については、非常に私たちは警鐘を鳴らしてきました。今その呼吸器が手軽に手にも入るし、安易に気軽に操作もできるんですけども、それによって医療者側が努力をしないでどんどん帰してしまう。そういうことが一番問題じゃないかなと思っています。ですから、今回の問題に対してましても、当事者の視線が全然ありませんし、研修さえすれば誰でもケアはできるように思ってます。でも、よく在宅するときに、医者の側から、何かあったら救急車で来てもらったらいいですよみたいな、非常に、医療者が言う言葉かというふうに思うぐらいに、簡単に帰されてるんですよね。そうじゃなくって、私たちは何が何でも自分の子どもの命を守るんだという気持ちで、ずっとこの24年間やってきました。本当に繊細な気持ちと、そして大胆な気持ち、両方のその気持ちで、一生懸命やってきたつもりです。ですから、子どもたちの思いを大事にしながらやっていくということね、これからも大事にしてやっていきたいと思います。以上です。

◆バクバクの会 穏土(おんど)ちとせ:続いて、バクバクの穏土と申します。ありがとうございます。今の話にも関連しますが、(たんの吸引の)検討会の話に戻ったときに、もうまな板の上に載った以上、何が何でもこれは「医療行為」だということで決着をつける以外にはないんだろうかというすごくモヤモヤした思いがあります。今の(平本さんが研修さえすれば誰でもケアできると言ったように)「生活支援行為」というか、さくら会がされてきたこともそうだし、親もそうです。たまにみる医療職の方が対応できないことも、もともと素人が、継続してその人と関係性を作りながらやってきました。そこでわかってきたことは、やっぱり、(「医療的ケア」は)本人にとって欠かせない「生活支援行為」だということで、私たちは、「医療的ケア」の問題を医療の問題じゃなくて、やっぱり人権の問題だと、捉えているんです。
 それを、もうずっと「医療行為」の話でやるから、何時間の研修でああでこうでって話にしかならない。もちろん安全性を確保するために一定の枠をはめることは必要かもしれないけど、やっぱり発想が医療というところにとどまっているもんだから、いろんな制度ができても、(「医療的ケア」が必要な人たちは)もう“コントロールされなければいけない存在”というふうな発想でずっとやっていかれることになる。それは、たとえば、私、太っているでしょ。そこに無理やり「あんたはMサイズのガードルをはきなさい。」と言われるのと同じぐらいすごくおかしいことだと思うんです。ちょっと、たとえが悪かった? でも、みんな自分の問題として考えないとわからんじゃないですか。
 「医療的ケア」が、その人にとって欠かせない毎日のいろんな介護のケアやサポートのひとつであるのに、「医療行為」というふうにされてしまったまま話が進んできたことで、何が起こってきたかというと、たとえば、学校なんかでも、先生たちにかかわってほしいと思っても、「医療行為」とされている以上、看護師さんが配置されるしかないわけです。それで、親の付き添いが外れても、「あの子は医療が必要な特別な子どもで、他の人は手出ししてはならないんだ」というふうな印象を、周りの人たちに、子どものときから植えつけてしまうわけだし、先生たちも「手を出してはならないんだ」というふうな意識になってきます。「医療行為」ということがすごく人の意識を縛って、本当は知恵と工夫でいろんなことができるのに、制限をかけられる、差別されていくということになってしまいます。
 実際、私の娘も、「医療的ケア」や呼吸器が必要だということで、垂直移動(2階以上への移動)は禁止、プールも禁止、あれもダメ、これもダメって。1年生の子どもが精神的に追い詰められるぐらい、すごい制限を受けました。他のバクバクの例でも、学校に看護師さんが配置されたのはいいけれど、たとえば、お医者さんの指示書に「サチュレーション(酸素飽和度=モニター機器で血液中の酸素の行き渡り具合が何パーセントか数値で表示される。)が90を切ったらちょっと気をつけるように」とか、あるいは、「脈拍がなんぼになったら」とあったら、もうその数値だけをみて、救急車で運ばれていたり、「お母さんすぐ来てください」と言われていたりするので、やっぱり「かかわりの中で(理解する)」というところが抜けてしまうと本当に恐いことだと思います。新幹線に乗る場合でも、「医療行為が必要な人は乗っちゃいけません」と言われたり、「(病人搬送でないから)誰も看護師はついていませんよ。同行しているのはヘルパーですよ。」と説明しても、誓約書を書けと強要されたり…と、そういうふうなことも起きています。
 だから、無駄な抵抗とは思いたくないんだけど、やっぱりここで諦めるんじゃなくて、当たり前に暮らすためには、「医療行為」じゃなくって、「生活支援行為」だっていう新しい概念の捉え直しというのをやっていこうと言いたい。でないと毎年(法制化云々の)検討会を開いて、私が死んでもまだ当たり前に暮らせないままじゃないのかなと思います。
 私は子どもは亡くなりましたけど、まだバクバクの活動をやっているのは、私、歳をとったら山へ捨てられそうだからそれだけは嫌だなと思って、当たり前の暮らしをしたいからなんですけど。それなのに、今の検討会では、なんか高齢者は別、介護保険は別とか言われている。それに、「法制化してもグレーゾーンはそのまま」「今できている人はそのまんま」って言っているけど、今できていない子どもたちもヘルパーを使いたいし、子どもは重度訪問介護は使えないという状況もあります。(「医療行為」として考えていくと)もうどんなふうに言い訳をしても限界がある。概念の捉え直しからやらないと、もう無理がきているんじゃないかという、そういう噴火しそうな思いでいます。それをどうしたらいいか、みなさんちょっと一緒に考えてください。

◆立岩:はい、ありがとうございました。こういうふうにしたいと思います。平本さんの方からは、私と杉本さんの対談、というより僕のインタビューですけれども、その中の話も関係して、むしろ現在というか、あるいは過去からかもしれませんけれども、安易にというか、安易にっていう言葉は難しいですけれども、在宅に移行するっていうことにかんして、安直であるのは、家族であるよりむしろ医療者サイドではないかと。そういった現状ではないかと。あるいはそういう経過であったんではないかと。私たちはそういうふうにはしてこなかったという、そういう指摘があったと思うんですね。それについては、杉本さんの方に、回答といいますか、応答していただきたいと思います。それが一つです。
 それからもう一つは、穏土さん、平本さんの話の後半と穏土さんの話に関係するんですけれども、その医療的ケア、医療行為っていうものが、法に規定されて、そこからどうやってっていうのが、そもそもの話の発端なんだけれども、じゃあこれからどうしていくかってことなんです。ひとつは、名称っていうか、名前の問題もあるわけですよね。僕も自分で言葉を使うときには、ほとんど必ず「いわゆる」っていうのを前につけて「いわゆる医療的ケア」というふうに言ってますけど、めんどくさいですから「医療的ケア」と言ってしまうこともある。でも、そういう意味で言えば「医療行為」ではなくて「医療的ケア」であったとしてもですね、そこの中で、やっぱりズレてくるものっていうか、間違って受け取られるものっていうのは出てくるんじゃないかっていう、そういう提起でもあったと思うんですね。
 そうしますと、今回、どういうレベルの制度化になるかわかりませんけれども、杉本さんであれば学会の関係者として、あるいは医療的ケアネットの関係者として、厚労省ならびに議員たちと関係することがあるでしょうし、川口さんは毎日というか、その関係の行政の担当者とやり取りしてる。そうした場合にですね、その名称みたいなことも含めて、今回どういうふうになりそうなのか、あるいはなることができるのかっていうことを、これはちょっと川口さんの方に聞きたい。これは二つ目です。
 三つ目にかんしては、もう一回、バクバクの会のどなたでもいいんですけどもね、投げ返したいんですけれども。言葉っていうものが、非常に、言ってみれば我々に影響を与えるっていうのは事実その通りだとして、だから、言葉を変えてしまうっていうのは、僕もそれについては、私自身は個人的には賛成です。それ以外にですね、今回の制度化というか、そういうものに向けて、ここは落としてほしくないとか、あるいは逆にこれはしてほしくないとか、そういうこう具体的なというか、提言というか、意見がいくつか、一つでも二つでもありましたら、再度その点をお伺いしたいと、そういう三つのことを思いました。ということで、まずは杉本さんの方にですね、平本さんのお話の前半の部分といいますか、について少し応答していただければと思いますが。

◆杉本:座ったままで。自分の、今ここの討論でですね、自分の生きてきた道のいろんな試行錯誤の中での問題点を、追求されるっていうのは当然あってしかるべきかと思うんですけども。僕、いつも言うことなんですけども、僕は医者として1974年、NICUができてきたのが1970年の後半なんですね。その子たちが、なんていうんですか、退院するのにどうしようかって言ってきた頃が1980年の前半なんですね。その直後に、対談でもありましたように、ボイタ、ボバースの問題。特にボイタ法にかんしては、すぐにも治るんじゃないかっていうことで、僕らもそれを信じて、ボイタ自身に教えをかったりしながら、治すってことを基本においてやってまいりました。(cf.脳性まひ
 それとその機械とか含めてですね、当時1980年の前半っていうのは、僕の理解としては、病院に1台あるかないかっていう呼吸器の年代だったと思います。それが1980年の後半になって病院の中に何台か、それからここにかまんざ(?)に、うちの子どもが運ばれた第二日赤があるんですけども、あそこの救命救急センターが1970年代の後半に初めて動き出して呼吸器を揃えたっていう時代がありました。だから、大きな呼吸器で、しかも先ほどもおっしゃったように、ポータブルの呼吸器が十分できていない時期に、帰りたいっておっしゃることの行為っていうのが、1980年代の前半に、僕自身が経験した例としてはありました。
 それがバクバクの会というふうなかたちで立ち上がっていたのかどうかの記憶は、僕は持っておりません。それは、記憶が間違ったら謝りたいと思います。ただ、そういった呼吸器を着けて帰った人たちもいたということは、80年代の前半の中にありました。そのことをさして、もちろん帰らぬ人となったわけですけども、やはり、医療側としてはそのまま置いておく、置いておくという言葉が正しいのかどうかわかりませんですけども、治療を続けるという方向しかなかったと思うわけですね。その中にひとつとしては、1時間から2時間、病院まで救急車でもかかるという遠方の方もおられました。だからそういった中で、着けて帰るということがどういうことを意味するのかっていうことの討論は、ご家族とした覚えはあります。ただし、その方がバクバクの会の会員であったかどうかっていうのとは、記憶の中では、80年代の前半部分では、よくわかりません。だからそれが間違っていれば修正したいと思いますし、謝りたいと思います。
 ただその後の、淀川キリスト教病院を含めた船戸先生のやり方の中でですね、船戸先生のターミナルの考え方っていうものに対しては、僕は一言持ってますけども、それとは別に、彼がやってきた呼吸器を着けて外へ出ようっていう運動の中でバクバクが育ってきたんではないかっていうひとつの理解は持ってるんですけども、そこの中に自分が絡んだという覚えはありません。それもバクバク会と結びつけたという表現を使ったということは謝りたいと思いますし、それは事実でないかもしれません。
 だから、その今20周年を迎えたとおっしゃると、90年ですよね。1990年の頃なんで、その頃は、僕が養護学校も含めて行為として医療的ケアに取り組み始めた頃だったと思いますので、その頃の話とこう、これだけ歳をとってくると一緒くたになってしまってるところはあるかもしれません。だから混乱があるのかもしれないんですけど、ただ、もう一つの問題として、医療がもう治療が終わったから、CUREじゃなくってあとは自分らでやりなさいということで放り出すっていう現状ってのは、これは病院によってもいろいろ違いますけども、今、社会的入院なりポストNICUの問題なりを含めて、それぞれの病院対応の違いと、それから政府の考え方として、やはり、在院日数の減少ということで、肩たきがどんどん行なわれてるっていうことは、事実としてあるんじゃないかと。小児の状態の中でもあるんじゃないか。それ以上に救命救急だとか、高齢者の中の考え方としてのはたたたきはもっと厳しいものがあるんだろうなと思いますけども、そういったところの辺りがあることは事実だと僕は思います。
 ただ、それを受け皿として帰れる条件を作れていないっていうことは、先ほども申し上げました通り、ショートステイもケアホームも含めてですね、ほとんど地域の中でのリソースっていうか、そういう受け皿がないのに帰るっていうことは、家族ががんばる以外何ものでもない事実が今の日本の中にはある。それは、お母さんやお父さんや家族がまとまって支援ができる状態ならいいんだけど、そういう状態でない、たとえば高齢者の場合であったり、配偶者の場合であったりしたときにですね、その条件が整わないときには、それこそ抜管することイコール死を意味するような、抜管というのは管を抜くっていうことイコール呼吸器を止めるということにつながっていくという状況が、今後も、今も行なわれてることは確かなんではないかなと思います。だからその辺の仕組みを年齢だけではなくって、新生児から高齢者まで同じような目線でのものができればいいんじゃないかな。それには、今、申し上げたように、いろんなこう、福祉と医療の狭間の問題があるということと思うんですが。お答えになってないですかね。はい。

◆立岩:いったんここで止めてもらって、また戻しますので。はい、確かにバクバクの会の結成は1990年。こないだ20周年の集会があって、へろへろな話を私がしたんですが。ですから90年ですね。それから、淀川キリスト教院から始まったっていうのも事実ですけど、むしろ病院じゃらちがあかないから自分たちがっていう、私の理解ではそういうムーヴメントだったっていうふうにも思ってます。いずれにせよ、この20年ってものは、僕は大切な20年だったと思うので、何かの機会に、僕はこの機会にこちらにお呼びするっていうことも少し考えたんですけれども、それだけじゃもったいないんでまた別の機会にってことになるかもしれませんけれども、お話伺いたいなっていうふうに思ってます。
 後半の話は、僕は杉本さんの話は、全くその通りだというふうに思います。さっき言った二点目ですけども、川口さんにね、いわゆる医療とか、医療っぽい言葉とか、ターミノロジーっていうのかな、そういうものが今回どのぐらい法律なりね、制度なりの中にね、入ってくるのか、あるいはその言葉だけじゃなくて看護職というか、も含めて医療職の入り方っていうのがどのぐらいの幅の可能性があるのか、どんな具合なのか、ちょっとわかってる範囲で。

◆川口:検討委員の橋本さんが帰られたんですけど、一言みなさんに「二月から運動になります」と伝言を残していかれました。「これは運動になります。よろしく」っていうふうに言ってます。っていうのは、それぐらい危機感を持ってるっていうことです。
 あの検討委員の中で橋本だけがただひとり浮いております。医療的ケアの定義ですとか、範囲ってことにかんしては、検討しないってことになってます。すごい変な検討会で「じゃあこの検討会何なんですか」って言ったら、「もうこれはゴールが決まっています。法制化して、吸引と経管栄養はなんとかできるようにしなきゃいけない」って、それがゴールだって。じゃあ一番大事なところの議論っていうのはできないんですよ。時間がないからしませんってことになってます。だけど、検討委員のみんなが一番議論したいのはそこなんです。ですからいつも、法律家の平林先生と人口研究所の島崎先生が口論になり、あるいはジャーナリストの黒岩さんが、「そんなのはもうみんなやってることだ。検討なんかしないで、このまま認めちゃえばいいんだ」って言ったりとか、もうみんなバラバラのことでだから議論をしたらね、もう何年かかるかわかんないっていう感じなんで、わざと議論をしないで、先に進めっちゃってるのがこの検討会なんです。
 だから、私たちも不完全燃焼ですし、なんかだまされているような気がしてます。ひとつね、ちょろっと決まったっていうか、一番嫌なところが決まったっていうか、要するに、吸引と経管栄養は医療に残しておいたままできるようにしようってことになっちゃたんです。だから医療なんです。医療行為なんです。あの検討会では、一回だけ少し話し合われたときに、じゃあその医療じゃないってことにしたら、八百屋のおじさんでもおばさんでも何の研修を受けなくってもやっていいのか。湿布貼るように吸引とかやっていいのかってそういうことになるからそれは危ないっていうことを誰かが言って、それに対してみんなうーんって考えたら、そのまま通り過ぎちゃって、それで議論を終了してしまったから。それにかんしてはもう後戻りしないんです。ああいう急ぎの検討会は後戻りの議論はできませんっていうことで、こないだ私、もう一回ね、やっぱりあれはもうちょっとよく話し合った方がいいんじゃないかって言ったら、いやそれはもう通り過ぎたから議論しませんって言われてしまいました。
 ですから、この点において、12月26日に東京で大きな集会を予定しているんですけども、そこでもう一回蒸し返そうと思ってます。場合によっては、そこの議論をやっぱりもう一回しなきゃいけないんじゃないかっていうことで、橋本さんが今言ったんですけど、法案が出てきた時点で運動に変えていくっていうのはありじゃないかなと。
 さっきのガードルの比喩よかったと思うんですけど、本当に、それはありだと思っています。
 ただもうひとつの案は、いやそうじゃないと、医療的ケアっていうものを法制化してしまえばいいんだっていう意見をこないだ聞きました。それはこないだ川崎の施設の理事長やってる江川先生たちと話したときに、医療でもない、それから日常生活行為のちょうど中間にあるところを法制化する方法はないのか、それによってあらゆるものを、要するにグレーゾーンっていうのを消して法律でグレーゾーンを認めるっていう考え方です。そういう考え方ができないのかっていうことを言われて、あぁなるほどこれもひとつの手かなっていうふうに思ってます。そこのところが本当に議論が足りていないっていうことですね。あと検討会では子どもの代理で発言してくれる人がひとりも入ってないから、子どもの医療的ケアの話もできてないし、在宅ももちろん学校も全然。厚生労働省でやってますから、文科省管轄なおんで外されてるっていうのもあるかもしれないけど、特別支援学校の校長先生の代表の方入っているけどほとんど意見を言わないです。
 ですから、子供たちにしてみたらすごい変なことになってると思います。こないだ下川先生っていう、ずっと医療的ケアを学校で推進してこられた方の意見を聞いたんですけど、この2枚の、1枚めくったのの裏側に下川先生から聞いた、その今の学校現場での状況っていうのを参考っていうことで書いたんですけど。
 今学校では看護師が配置されてどういうことになったか、看護師がいれば教員が看護師に教わって医療的なケアをできるようになってるのかなと私は思ってた。でもそうじゃなくて、学校が医療化されてしまっている。教員が対応しなくなったということで、たくさん事例をあげていただきました。たとえば、看護師が休暇をとると医療的ケアができないから保護者が付き添いになるとか、看護師の勤務時間が生徒の在校時間より短いと、保護者に早めに迎えにきてもらうとか、あと給食の時間には教室じゃなくって保健室にみんな集められて保健室で給食を、要するに、経管栄養ですから食べなきゃいけないっていうことで、どうも学校教育って教育の場なのに遠ざられて、なんかミニ病院みたいなところになって集められる。それじゃあ本末転倒じゃないかっていう話をしてまして。
 今、厚労省が50時間モデルの中で出してきたのがまさしくそれで、在宅の医療化を言ってきて、看護師がいなければヘルパーは経管をつなげないっていうルールを出してきてます。これに私たちは大反対をしてます。だって毎日毎日看護師さん来てくれるわけじゃないし、そんなこと言われたら外出もできなくなる。橋本さん、今日は日帰りで、もう帰られたんですけど、こんなこともできなくなるっていうことですから反対をしています。先生、こんな感じで。

◆立岩:はい、ありがとうございました。それでは今の応答を受けて、特に今進んでいるその検討会、検討会自体は何かたいしたことやってないんだっていうのが今の話だったんですけれども。要するに、制度化、法制化に、今そういう流れがあるんですけれども。最初から潰してしまえばいいっていうのもあって、なかなかいいんじゃないかなって私は思っておりますがそれも。それも可能性の一つかなと思っておりますが。バクバクの会の方としてですね、この点とこの点は入れてよとか、落としてよとかっていうのが今の時点でありましたら、それを言っていただきたいなと思いますけど、どなたでもかまいません。

◆バクバクの会 穏土(おんど):たとえばね、絶対外しちゃ困るっちゅうことですか?

◆立岩:絶対に外せでもいいし、絶対入れろでも、何でもいいですよ。

◆バクバクの会 穏土(おんど):「医療行為」から「生活支援行為」へとというのは、言葉を変えればいいっていう意味だけではなくて…。

◆立岩:はい、はい、それは了解しております。はい。

◆バクバクの会 穏土(おんど):吸引などのケアは、要は、生活に欠かせない行為だっていう理解で、「医療的」という言葉だけで縛られているんじゃなくて、医療とされているために縛られるということです。川口さんの説明でよく流れがわかったので、やっぱり今ちょっと踏ん張らないけんなと思いました。
 杉本先生の資料でね、2ページのところの左の下のとこで考察ノートって書いていただいてる中で、これは、杉本先生が小児神経学会として厚労省に行って尋ねて下さって、向こうが言った内容なんですか? 1番のところの、医療的ケアを軽度と高度に分けるとか、(吸引は)カニューレ内までっていうのは、これは厚労省の思惑はどうもこんな感じですというのもあるんですか?

◆杉本:これはですね、行く前に、向こうが考えてることがどうなんだろうっていうところで作った自分のメモなんです。それで、行って、ひとつの結論としては、1番のところまで。

◆バクバクの会 穏土(おんど):あぁ、1番のところまで。

◆杉本:はい。

◆バクバクの会 穏土(おんど):ということは、川口さんの話と合わせて言えば、たとえば、非医療職に認めるけど、それは、経管栄養と痰の吸引は「医療行為」であって、ここまでは認めるっちゅうことでしょう。でもこういうふうに、文章なんかに「気管カニューレ内まで」とか書かれてしまうと、今まで呼吸器の子なんかが「呼吸器はダメ、呼吸器はダメ」ってやられてきたのと同じことになります。咳ができない子がほとんどなので、やっぱり「気管内吸引は、気管カニューレ内までしかダメ」とか、ああいうふうな限定をされると困るので、さっき川口さんの話の中も出てきたように、少なくとも家族が研修を受けて、家族が担っている行為については、できるようにしていただかないと、当たり前の暮らしができないというか、常に、親か看護師がいなきゃ暮らせないことになります。たとえば、今日、涼さんはヘルパーさん二人と来ていますけど。
 厚労省なんかに意見書や資料を出すときなんかも、あ、これ言っていいんですか?吸引以外をヘルパーが実施しているという写真や記載があったらまずいとか言われたんだけど。でも、もし、ヘルパーはここまでしかやってはいけないっていうふうに書かれたら、もうバクバクの子どもたちは全員、やっぱりMサイズのガードルをはかされることになってしまいます。当たり前に生きていくために、幸せにするために法律を作るという、法律の趣旨に則って、品質、安定のための縛りはある程度必要だとしても、個々で違うケアなのに「ここまでしかダメ」というふうに限定をしていったら、誰かが切られていくということになるので、それだけは絶対やってほしくないと思います。
もうひとつ、前事務局長の吉岡さんが言いたいことがあるそうなので。

◆バクバクの会 吉岡:先にちょっと、ゆみえさん本人が言いたいことがあるそうですので。

◆バクバクの会 佐藤有未恵の母:大阪から来た佐藤有未恵です。今日ちょっと言いたいことがあって来たらしく、母親の私が代理で言わせてもらいます。
 有未恵はこの7月から一人暮らしをしたいということで、部屋を設けてそこで一人暮らしを始めたんですが、今のところ週2日しかそこで暮らせてないんです。大阪市にヘルパーさんの支給時間数を、一人暮らしするっていうことで申請したんですけど、下りてきた時間数が342時間と、まるまる一人暮らしするには程遠い状態です。先日、大阪市西区の区役所に、その事情を聞きに行きましたら、すごくおもしろい状況を聞けました。大阪市からの回答文書では、吸引は認められているというか、やってもいいからっていうことで、吸引についての記載はぜんせんなくて、ただし人工呼吸器管理については医療行為なので、吸引の時には人工呼吸器の回路を取り外して吸引するので、その付け外しは医療行為なので、ヘルパーさんには認めることができないので、ヘルパー派遣の時間を支給できないと。そういうことで、有未恵を丸ごと受け入れないと生活ってできないのに、吸引はできるが呼吸器の取り外しはダメとか、そういう狭間でむちゃくちゃ有未恵は不安に陥っていて、私は一人暮らしをしたらあかんのかと、そういうふうにすごく思っているようで。昨日の夜までは、今日は行かないって言ってたんですけど、今日やっぱりそのことを伝えたいから行くわって、今日来たそうです。
 ひとつ認められたらひとつだけ、それ以外のものはダメになる。娘が生きてるってことは丸ごとが当たり前の姿で、丸ごと認められるような、そんな方法を是非いっしょに頑張って運動でもなんでもやるので、やっていきたいということを伝えたいということです。

◆バクバクの会 吉岡:バクバクの会の前事務局長の吉岡と申します。もともとバクバクの会は、淀川キリスト教病院の院内グループとして始まりましたので、それが90年なんですよね。私たちの娘が85年生まれですので、さっきの杉本先生のお話を聞いて、杉本先生が感じておられたバクバクの会のイメージっていうのは、バクバクの会の事ではなかったんだなっていうことがはっきりわかりましたので、そのことが確認できてよかったなと思っております。
 あと、バクバクの会が、私たちの子どもたち二人とも同い年で85年に生まれて、バクバクの会を淀川キリスト教病院院内グループとして作ったのが90年で5歳になった時です。それまで4年間ずっと病院の中での取り組みがありました。院内グループとしてバクバクの会の活動を始めた1年間で、全国の同じような境遇の親御さんからの問い合わせがとても多かったので、わずか1年で病院の枠を外して全国組織のバクバクの会というのにしたんですね。
 私たちは、どんな重い病気であっても、呼吸器を着けていても、ひとりの子どもとして、家族の一員として一緒に暮らしたいっていう、親のエゴかもしれませんけど、そういう親の思いもとても強くて、そういう中から人工呼吸器を着けてもおうちで暮らしたいっていう取り組みを始めてきました。それで、その当時の主治医の先生に前例を探して学会とかの報告全部調べてもらったんです。主治医の先生は「一件だけあります。それは、国立小児の方で、その人の親御さんはお医者さんなんですよ」って言われたんですよね。そういう意味で、素人の親が家に連れて帰るのは、たぶんその当時私たちだけなんだなってあらためて確認して、だからこそすごく先生と看護師さんと私たち親が、よく話し合って試行錯誤しながら慎重に慎重に、子どもたちの命綱を太くするような方法を工夫しながらやってきた、その取り組みをバクバクという機関紙にまとめて出した、そっから始まったわけですね。
 ですが、そうやって実際に家に連れて帰ってしばらく経って、厚生省も在宅人工換気療法って保険点数で認めてくれるようになったんですね。そうなったら、本当に安易な在宅が増えてきた。というか、そういう問い合わせが入って来るようになったので、逆に私たちバクバクの会の方からちゃんと在宅教育をしっかり先生から受けてから帰ってくださいっていうことを発信してきました。もうそれは本当にバクバクの初期の頃の会報を見ていただけたらわかると思いますので、そういった誤解だけはしてほしくないなってあらためて言いたいと思います。
 それと、今回の医療的ケアのことにかかわってですけれど、私の娘が小学校に上がったときに、やっぱり呼吸器を着けてずっと寝たきりで学校に通っていましたけれど、そのときの同じクラスの女の子から言われたことがあります。「おばちゃん、しほりが大人になってデートするようになっても一緒について行くん?」って、聞かれたんですね。もうなんか、そのときにハッと思いましてね。それはなんていうんかな、子ども心に、やっぱり呼吸器を着けてる大変な子どもには親がいつもついてくるもんなんかなと、教育の場で根付かせてしまうっていうことを感じました。子どもは
すごい純粋にひとりの自分の友達のことを思って、「私やったらそんなん嫌やわ。大人になってママにデートのときついてきてほしないわ。そやな、しほり」とかいうて声かけてるんですね。でも大人は、その言葉、受け止めれなかったですね。
 もう一つ、クラスのお友達が、自分のお誕生日会に「しほりちゃんもうちのお誕生会に来てちょうだい。来てくれる?」って聞いてくれたので、「嬉しいわ」とかいうて喜んでたんですね。ところが数日後その子が泣きながら来て、「ごめんね、しほりちゃん。うちのママがね、しほりちゃんに何かあったら誰が責任とるのっていうから、しほりちゃんうちの誕生日会に来てもらわれへん」って言うんですね。こんな子ども同士の普通の付き合いに責任問題を出されてしまうのは本当に悲しいなって思いました。医療的ケアの問題っていうのも、こういう周りの大人たちの都合や考え方がとっても大きな壁になってるなと思います。
 だからそれをなんとかしようっていうために今、この会があると思うんですけれど、あまり賢くない頭では何を考えてもわからないんですけれど、とにかくどういう状態であっても当たり前に生きるために、本人の思いを尊重できるように、どうしたらサポートをしていけるのかという、そういうことを前提にした法律ができるべきであって、どうしたら本人がもっと生きやすくなるのか、本人目線で、本当にそこのところだけは大事にして、はずしてほしくないです。
 バクバクの会も当初は、私なんかは明らかに私の思いで「子どもを家に連れて帰りたい。家族水入らずの暮らしがしたい」っていう私の思いが先行して、「(外出や外泊を)やりましょう、先生」って言ったんです。やりましょうっていうか先生の話にそんなふうにのったんですけれど。
 だけど、やってくうちに子どもの姿から、「そうじゃないよ、お母さん」って教えられたんですね。話し長いですけど。子どもが教えてくれたんですよ。私は「おうちに帰りたい、帰れて良かった」でも「家に帰ってもお母さんと二人だけだったらつまんないわ」って言ったんですよね。だから、「あっそうなんだ、友達が要るんだ。保育所いかなきゃいけないんだ。学校へ連れて行かなきゃいけないんだ」とかいう感じでね。そうやって生活の幅がどんどんどんどん広がってったわけで、本当に子どもに教えられてやってきた。だからこそバクバクの会はずっと「子どもの命と思いを大切に」っていうのを掲げてるわけでして。だから、本人の目線で。法律の主語は本人であってほしいですね。当事者はなになに、当事者へのサポートっていう面で書いてほしいなっていうふうに思います。


 
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◆立岩:はい、ありがとうございました。ありがとうございました。あの、休みなしでいこうっていうふうに言ったんですけども、ちょっと疲れたかなっていう感じもあり、これちょっと延ばせるんだよね。何分ぐらい?

堀田さん:いや〜、7時に会場を完全空け渡しなんですよ。

◆立岩:完全空け渡し。どのぐらい?

◆堀田さん:お手伝いいただけるならば、あの、片付けに。6時半、6時20分ぐらいまで。

◆立岩:わかりました。そういうことです。懇親会がすぐそこの自在館で6時半からですので、6時半にはそっちに懇親会行かれる方は行けるぐらいの感じで、ちょっと延ばすのもありっていうふうにしようと思います。それで、今から概ね5分くらい軽くちょっと入れて、それで後半はですね、今提起のあった、つまり、なになにはいいっていうことがすなわちなになにはダメであるっていうことになりかねないっていうことはときどきあるわけですよね。もちろん、これは論理的には、AとBはマルっていうことがCとDはバツってことにはならないんだけれども、ものの書きようというか決めようとしてはそういうことにもなりうる。それはかえって狭めるってことはありうるわけですよね。今までもあってきたわけですよね。
 実際にその、2000年をまたいだときのALSに限ってって言ったときに、そういうことが起こった。今回そのへんがどうなろうとしてるのか、あるいはそれに対して、学会ないし医療ケアネットないし、それからALS協会含めてですね、どういうふうに持っていこうとしてるのか、そのあたりの応答と言いますか、回答といいますか、そのあたりから始めて、今しばらくその議論を進めたいと思います。ということで、最初に言ったことを翻しますけれども、ちょっと疲れたんで、5分内外休憩しようと思います。

◆堀田さん:あの、JCILの人たちがもう帰るそうなんで。

◆立岩:あぁそうですか。じゃああの、今から帰るっていう山崎さんがお話しになるということで、それが終わってからにします。

◆山崎さん(言語障害があるので本人が話した言葉をヘルパーが再度話す):僕は JCILの 山崎です。今から 6年半 前に 地域 に 出て 来たけれど はじめ は ヘルパー の 時間数 は 少なかった けれど 僕は ヘルパー なくては 生活 が できないから 僕と JCIL で もっと 時間数を 増やすように 何回も 市役所 に 行って 交渉したら 今の 京都では 24時間 もらえる ことが できるように なりました。 今日はありがとうございました。

◆立岩:あの、JCILっていうのは、「日本自立生活センター」っていう組織の略称で、ここらへんのひとかたまりがその方々ですけれども。名前としては、日本で初めてできた自立生活センターということにもなると思います。特にここ近年は、介護派遣に力を入れていて、難病の人も含めて、かなり介護派遣もしている。そういったセンターのスタッフと利用者と、今日は何人か来ていただいてます。
 ということで、今何時になったんだろう、こんな時間ですけれども、なんかちょっと半端な時間になってしまいましたが、えーっとですね、正確に、半から再開しますので、その間だけちょっと姿勢を変えるとか、ちょっと歩いてみるとかなんかしてください。それじゃあ、いったん5分だけ休みます。

◆堀田さん:事務局からのちょっと案内ですけども、お手洗いですけれども、この建物の入り口の横に女性専用のお手洗いがあります。そして、男性の方はですね、入り口を出ていただいて、南側に木の箱で、木の部屋があります。そして車椅子ユーザーの方のお手洗いはですね、今日、最初に来ていただいた場所、出ていただいて左に曲がって、15メートル、20メートルぐらいのところに、永原診療会という診療所がありますので、そこがあいております。そして矢印があります。もしおられましたら、私なりスタッフに言っていただければと思います。
 あと、先ほども案内があったんですけも、後ろの方で本を販売しております。川口さんの大宅壮一ノンフィクション大賞をとられた「逝かない身体」をはじめとして、いくつか本を販売しております。そして入り口横ですけれども、杉本先生の御著書、編著も含めて販売しておりますので、割引きになっていると思いますので、ぜひこの機会にご覧になっていただければと思います。

 [休憩]

◆立岩:はい、半になりました。なりましたんで、みなさんまだお戻りではありませんが、やります。前半の話の最後は、これとこれはよいっていうことが、すなわちこれとこれはダメっていう話になりかねないっていうリスクっていうのは常にあるんだけれども、そこのへんは、今の議論ではどういうふうになっているのか、あるいは、どういう話の持っていきかたというか、主張の仕方っていうものがあるのか。そういった点についてですね、杉本さんとそれから川口さんに、それぞれお話しをいただきたいと思います。では、よろしくお願いします。川口さんから、はい。

◆川口:さっきバクバクのみなさんのお話を伺って、これからどうやっていくかっていうのは、ひとつ戦略を立ててるんです。橋本さん帰っちゃったんですが、橋本さん、ひとつ、検討会以外にも他に委員をやってまして、今三つの検討会と懇談会の委員やってるんです。忙しいんですけど。そのひとつに、障害者施策改革推進会議の下部組織で55人の委員によって構成されている総合福祉部会っていうのがあります。それの委員になってます。さらに、55人で議論しててもしょうがないっていうんで、これから分科会ができて、訪問系分科会っていうのが出来上がって、その訪問系の分科会の中の医療担当になってます。在宅の訪問系の医療のことで意見をまとめる立場になってます。
 まず橋本さんに意見を集めてもらって、そこから推進会議に上げていこうと思ってます。推進会議っていうのは内閣府直属の委員会。半数が障害当事者で構成されてるということで、いちおうその当事者主体っていう理念で動いている鳩山政権下でできた会議です。そこから検討会に痰の吸引の検討会に対して意見を出すっていうことを今お話をしているところです。
 そのときに、どういうふうに意見の出し方をするかというと、推進会議の一つの大きな目標に国連の障害者権利条約の批准があります。日本も批准をして、全ての国内法に権利法を関連させていくっていう作業しようっていうことをひとつの大きな目標にしてます。ですから、この検討会の後に何らかの法律ができますけど、その名前はまだ決まっていないんですけど、その法律に障害者権利条約をくっつけちゃう。医療を受ける権利とか自己決定もちゃんとその権利条約の中に保障されてますので、それをこの法律でも違反しないよう、結びつけるっていうことを考えてもらっています。検討会の方たちは、そんな障害者の権利条約なんて、毛頭念頭にないですから、患者の生存権とかそういうレベルの話を検討会でも本当はしたいとこなんですが、委員は自分の団体の権益守るのに必死で、患者の権利には意識はおよばないので、推進会議の方から、検討会に対して意見を出してもらうっていうことをやっています。杉本先生から何かありますか。

◆杉本:今、飴なめているんですけども。すいません、もういっぺんその質問の趣旨を簡単に

◆立岩:僕の理解だと、AとBにかんしてはこれこれしかじか認めるということと同時に、CとD他のものにかんしては認めないっていうような話になりかねないと。過去にもそういうことがあったと。そこのところをどういうふうにお考えなのか、あるいはどういうふうに持っていくべきなのかっていう。個人レベルでもいいですし、あるいは学会ないしその医療的ケアネットの見解でもいいんですけれども、お伺いいただければと、あの、お伺いしたいということです。

◆杉本:飴を出しました。あの、ちょっとね、事実の整理をしたいと思うんですけど。今、川口さんおっしゃったように、今の検討会が、最初申し上げた通り、痰の吸引と経管栄養のマルペケの、今日お配りした僕のところにもあるような、これを誰がどう埋め尽くすかということで、ここに書いてあるのは、先ほどもバクバクの会の方もご指摘になったように、中途半端でないか、これだけを認めるうんぬんっていう討論がされてしまうとってことなんですが、先ほどの川口さんの話にあったように、ここを前提として検討会が進んでいるんです。
 この検討会そのものが呼吸器の是非の論とか、そういうことについては討論としてはないですよね。だから、これからも入ってくるというここの項目以外のところに入ってくるということは、おそらく期待できないと思うし、11月か12月のところでもうやめちゃう、そこで切り上げてしまうと思うんです、おそらく。あと2回ぐらいでしょうか。だから、そのところで法制化が動いてしまうので、これは技術論としての問題で、この表を全部マルにするということを介護職員がどのようなかたちでやるかやらないか、どこまでどうするのやっていう話のところでしか答えは出てこないだろうということでAとBが認知される。ただし、CとDに出てくる、その呼吸器だとかそれ以上の、生活支援行為なのか医療行為なのかは別として、そこの討論まで踏み込んだ討論は行なわれないと考えた方がいいと思うんですね。今のしくみとしては、と僕は思いますし、そうだと思います。厚労省のしないですね。
 だから、今、川口さんがおっしゃったように、推進会議の方に委ねるっていう方法もひとつはあるんでしょうけど、推進会議そのものがいわゆる、言いたい放題の言いっぱなしの討論になって、最終的なところは権利法としての国連の、国際的な権利条約をどうするのかというところに執着するとして、提言はできても、法をどうのこうのとか、その個別のところまで入りきれるかどうかっていうのは、若干問題を持ってると思います。性格として。そしたらどうなるのかということで、先ほど橋本さんがおっしゃったように、具体的な法案が出てきた結果、それに対して対案を出すなり問題点を追求するなりしての運動を作っていくということになるんだろうと僕は考えています。
 もう少し広がって、ABCDじゃないんですけども、医者の立場から、小児神経学会の立場から考えればですね、僕らが穴を開けチューブを入れ呼吸器を動かすという方針を、医者の側から提案してきた立場にある医者の集団であるわけですね。その集団が一番危機感を持ったのは、非常にファジーで曖昧で、先ほどもおっしゃったように、きちっと在宅の準備をするようなことの力量を持ち得ないのに、闇雲にそこにつけてきたということで見放してしまうという現状が今までありすぎたということで、学会としてきちっと、言葉悪いですけどマニュアル化するようなかたちで、ここは最低認識して、ここはちゃんとやって送りだして、こういうシステムがあるということを、医者の中に医者が講義をしていくということの必要性を今訴え、それを、看護師だから、つまり医者の27万人いてたとしても、本にそのことが理解できるのは1万人いるかいないかっていう問題だと思うし、看護師が130万いてたとしても、そこに関われる力量を持って理解をする看護師がどこまで養成されているのかということに対しての危機感っていうのが、どうしてもあるわけですね。
 そこに、医療行為だということでおとすのか、生活支援ということでやるとすればですね、むしろ医療行為として今受け皿ができるのかできないのかという討論ですれば、非常に難しいという討論は結論としてはあると思うんです。そしたら今度は、今おっしゃったように生活支援としての行為としてみていくとしたら、そこの、なんていうんですか、費用体系と、それから先ほどもおっしゃったように24時間の支援体系をどんな理屈でどうたてていくのかっていうあたりが、ここは医師会じゃなくって、おそらく看護協会とのひとつのせめぎあいになるんだろうと僕は思うんです。
 だから、ノーっていうんじゃなくって、そこの重度訪問介護の、たとえば時給が今ほとんど重度訪問介護は、時給が、看護師さんの今の普通の看護師さんの時給とほとんど一致するぐらいなんですね。そこの夜間加算が50%ついたとしても、8時間単位で切り取っていくその訪問看護でいけやっていうても、重度訪問介護でいけるのかどうかっていうことは、いけないっていうことはわかってるわけで。そこの自立支援法的な、いわゆる生活をきちっと支援していくためのしくみをどのようなかたちで、安心性っていうか、その、やる方も支援する方も、それから当事者の側もそこに納得できる、この、なんていうんでしょうか、しくみを、しかも都市部だけじゃなくって普遍的に僕らの田舎も含めて、どこ行ってももう今格差がありすぎるくらい単費の格差がありますから、それを全国くまなくひとつの制度として作り上げるにはどうしたらいいのかっていう討論を、ぜひとも僕らはしていきたいなと。だから、質と量の問題っていうのは、やっぱり、今の現実的な課題として残ってくるだろうと思います。ちょっと言葉足らずですけども、そういうことに。

◆立岩:ありがとうございました。いくつもの論点あったと思いますけれども、私は聞いてた、特に杉本さん最後におっしゃった点ですよね。地域間格差があまりにもありすぎるっていうこと。地方分権、地方分権って、なんかそれ自体いいことのように思われているんだけれども、この社会サービス、介護とかにかんして言えば、地方によって差があるってこと自体がおかしいことなわけで、そこがそうなってないってことは非常に大きな問題だし、それをどう解消していくかっていうのは課題だろうと。にもかかわらず、現政権も含めてですね、分権、分権っていうふうに言ってるっていうことに対する、その注意深さといいますか、っていうのは僕自身非常に大切なポイントだというふうに伺ってて思いました。さて、正規の時間だとあと15分くらいですけれども、若干の延長は可能だということですので、さらにフロアからご質問ご意見いただきたいと思いますがいかがでしょうか。

◆川口:あてていいですか?あてていいですか?

◆立岩:いなかったらあててもいいです。はい。まずは挙手を求めます。はい、どうぞ。

◆篠原:京都市南部障がい者地域生活支援センター「あいりん」:あてようと思ってくださってたみたいです。京都市の南部の支援センターあいりんの篠原といいます。NPO法人医療的ケアネットの理事もしています。生活行為か医行為かということで、たぶん、医行為概念からはずさないってね、ずっと国言い続けてますよね。僕、それでええと思っているんですわ、ある意味。ただ、医行為概念はずさへんけど、違法として問わないよって違法性阻却をしてるんですね。それって、実は家族にもしてるんですよね。家族も違法性阻却によって医行為を行なえると。それは範囲を限定されずに、生活を支えるために医行為を、違法性阻却によって行なっているのが現状ですってことはですね、違法性阻却を家族以外の者に広げていけば、課題は解決するというふうに僕は単純に考えています。
 それから呼吸器の管理であったり、家族がやってる医行為を違法性阻却していく。そのための条件がなんだかんだありますけども、それはある程度今までの支援学校の先生のかかわりとか、在宅における痰の吸引のかかわりとかで条件は示されてますので。それで行為を広げていけばいいんじゃないかというふうに思っています。逆に言うと、今度法制化で一律50時間の研修が必要になると、家族も50時間の研修を受けてもらわないと違法行為になるというふうに論理的にはなると思うんですね。そのへんをちょっと検討会で攻めてほしいなと思ったりするところです。

◆川口:それで、ちょっと付け加えると、昨日その係長から電話かかってきて、ボランティアについて聞かれたんですよね。ボランティアで制度を使わない人、自費で家政婦さんに頼んでいる人けっこういるんですけど、どうもそこにも網がかけれられる。そうすると家政婦とかボランティアはやっちゃダメっていうことになるの。それね、大変なことなんですよ、実は。ALSなんて大金はたいて家政婦雇ってやってもらってるって、けっこうあるんですよ。お金は本当に大変なんですけど。でも、そうしないと家族も生きていけない。長期入院できる病院もないわけです。じゃあ、その患者たちは行き場がなくなるんですよ。家族が介護できないから、いたしかたなく家政婦雇ってるわけです。それ言ったんですよ。「そこはね、残しといてグレーに。絶対に。そこまで法律で縛ろうとしたら大変なことになるから。もしやるんだったらまず病院に患者数のベッドを用意してそれからやってください」って。何千人も自宅で暮らせない人が出てくるよっていったんですよ。それもALSだけじゃないです。胃ろうやってる高齢者なんかがそうですから。家政婦でやってるわけですから今は。ということです。それからその違法性阻却論をなくすために法制化するって言ってるので、そこがまた難しくって、グレーゾーンをなくすそうです。私たちはグレーゾーンを残してって言ってるんですよ、いまだに。だけど、法律家もグレーゾーンをなくすために法制化するっていうふうに言ってます。

◆立岩:はい。

横須賀俊司:横須賀と申します。違法性阻却の話しが出ましたけども、私が思っているのはですね、先ほども出ましたけども、本人とか家族がやることにかんしては認められているわけですよね。それに対してですね、保険が適応されるわけですよね。つまり、在宅医療をやる場合にですね、それの指導管理でしたか、ちょっと正確な名称をあれでしたけども。たとえば、私であればですね、導尿が必要なんですけれども、それは家でやってるんですが、それに対しての診療報酬が出てるわけですね。医者がそういう在宅医療管理、あれちょっと書いてきたのにどっかいった、すいません。出てるわけですよね。
 つまり、それを保険で認めてるっていうことは、国はですね、基本的に、無資格の人が一定の医療行為をやることにかんしては制度的にもうそれは認めてるっていうことを、というふうに言えると思うんですね。ですから、私は当面ですね、その保険制度を、医療保険制度でですね、認められている行為が16種類ぐらいあるのかな、それにかんしてはですね、無資格で何の問題もないじゃないかということを堂々と主張できるのではないかなというふうに、あっ、ありました。健康保険収載のですね、在宅医療関連項目ですね。16個あります。たとえば、在宅自己注射指導管理とかですね、今私が言いましたけれども、在宅自己導尿指導管理とかですね。そういうものは、だから、家族とか本人がやるという前提なんですね。それに対して、お医者さんがなんかそういうふうに指導、指導っていったってべつにそんな大して指導なんかしませんけども。私の場合で言えば、グッズもらうだけですけれども。それで医療機関には診療報酬としてお金が入るっていうことですね。
 そういうしくみが現にあるので、繰り返しですが、少なくとも16項目にかんしては、16項目けっこういろいろあるんですけども、経管栄養もありますし、静脈栄養法管理とかですね、酸素療法とか、膀胱留置カテーテルとか、血液透析指導管理、まぁ16個あるんですけど。そういう理屈で当面はやっていけるのではないかなというふうに、戦略的には、個人的には考えているという次第です。

◆川口:いいですか、それ、先生。ちょっと杉本先生に質問なんですけど、そういう場合は、看護だって医者じゃないから本当はやっちゃいけないわけだけど、看護師がやっていいってことは、指示書を書くからですよね。たとえば、ヘルパーに対してダイレクトにドクターからて指示書を書いたらできるっていうそういう簡単なしくみじゃダメなんですか?

◆杉本:あの、僕は、役人じゃないですよ。まずそれは、いろんなしくみを話をするとしてですね。医師の指導とそれを受ける看護師。看護師は自分で起こして決めて何かをするっていうことは、今の医師法含めて法律の中ではできないわけなんですね。だからその指導管理っていうところで医者がまず発端として書かないといけない。ただし、先ほどおっしゃったように、医師法、医師法っていうか、その医療という、医療行為というところでは、だから看護師以外のところでできるできないという討論の中で、直接こうしなさいということを非医療職に書くことはできない。問題となるのは、学校内の医療的ケアに対して、医師が学校に書くことがあるんですよ。医療行為をこうしてくださいって。

◆川口:そこはいいの?

◆杉本:いや、いいんじゃなくて、それが宙に浮いてるんです。だから、いわゆる指示料としてはお金はとれないし、とってる病院もあるとは思いますが、あるかもしれないけど、あれはとれないんです。だから、文科省が言ってるのは、学校の中にいる看護師に向かって指示を書くことはできると、いうかたちで文言を通してるんです。そうなってると思います。だからそれを学校の担任に向かって、こうしなさいっていうことを合法的にできる、合法的にって言ったら、今の法律でそれを可能にすることはできない。
 それから、もう一つ今おっしゃった指導管理料の問題はもう少し項目を読んでいただいたらわかるんですけども、たとえば、呼吸器でも栄養管理でもそうなんですけど、これこれの条件を満たした病院がとれることに限るということです。それで唯一ひとつの病院に限るということで、結局、在宅診療なのか、そのもって穴を開けた病院なのかっていうところで、いつも討論というか、喧嘩が起こって、どっちがとるか、どっちが責任をとるかというところで、いつも問題になってるんですけども。そこもひとつ討論の結果がでておりませんので、いつも大きな病院に譲るということで、緊急時対応すること、そこは必ず呼吸器を持ってることとか、緊急時対応ができることを条件として管理料をとることって書いてあるんですね。だから、今おっしゃるように、簡単にとってるんですけども、なんていうんですかね、そういう相対する責任っていうものは本来は持ってるんですけど、そこが問われることは、今ないんですよね。きつく。だから呼吸器の人でも、どこで呼吸器管理料をとるかっていうのは、おそらくそれぞれの病院をお持ちだと思うんですけども、現実にその病院が果たして緊急時対応したり、それからどうこうしてくれるかっていえば、全然それはない状況だと思います。でも医療保険はそれで動いてます。呼吸器管理料は。月、1万なんぼでしたっけ、なんぼや忘れましたですけども。そういうしくみになってるんで、その前後のとれる条件の、管理料とりますよっていうところがいっぱい出てきたら、それは全部監査ではじかれます。指導で。だからちょっとこっちとこっちと三つほどお願いねっていうことはできないんですね。

◆立岩:はい、いいですか。

◆川口:いいですか、ちょっと。それで、今検討されてるシステムのひとつとして、ドクターが訪問看護ステーションに指示書を書く。訪問看護ステーションとヘルパーの事業所が協約書を結ぶ。ドクターは看護師に対して、ヘルパーに指導をしなさいっていう指示を出す。っていうそういう連携をね、今、50時間の方でも提案してきてて、これはこのまま制度化されそうなんです。ただ、ただ、私がすごーく心配してるのは、看護師さんにもいろいろいる、申し訳ない、今日ここに来てる看護師さんはみんな私は信頼します。こういうテーマに興味がある方は大丈夫だと思う。そうじゃなくって、本当にその障害者が自立して地域で暮らしていくことに対して応援する気持ちのない人もけっこういて、そういうところと連携を一生懸命がんばってる人がそのへんにいるよね。ちょっと発言していただきたいんですけど。そういう急にね、法律がバンっと出てきたときに、うまくいくのかなって。今まで、散々意地悪されてきてて、急に、ね、「じゃあいいわよ、私やったあげるわよ」ってなるのかなって。ちょっとすごいそこが不安で、ここカットですけどね。でもきっとね、なんかそういうふうにくだらない人間関係でダメになっちゃう話にならないかなって思ってんですけど、先生。

◆立岩:はい。えっと、今の、横須賀さんの発言以来の話っていうのは、論点としては大きく二つあって、一つはその要するに、法律、医療法的にもですね、家族なら家族に、本人と家族に認められてるのに、他の人に認められないっていう理屈はない。考えてみれば普通はそうなんですよ。だからその理屈がないっていうことをきちんと言ってくっていう話、そういう論法がひとつあるだろうっていうことです。僕はその通りだと思います。
 と同時に、その、逆にですね、さっき川口さんから出た話ですけれども、ボランティアにも家政婦さんにも、家族にもそういった研修を義務化するっていう、べきであるっていう話も、一方では成り立ってもしまうと。そうすると、そこらへんをどう考えるのかっていうポイントが一つ残るというか、存在する。これが一つのポイントだったと思います。
 もう一つはその、要するに、医師の指示のもとにっていう例の話で。今現在、ある意味それが形骸化していて、書類一枚書けば、あとはこっちで勝手にやって、医療のサイドには何か若干のお金がおちるって中でそこそこやれてるから、それを最大限使ってていう、それもひとつの現実的なやり方ではあるけれども、ただ、その指示っていうものが、たとえば今川口さんが言ったみたいに、看護の側までおりてきて、具体的にその、協約書とか相談とか指示とかっていうことが、必須であるとか必要であるとなった場合に、それがうまくというか、機能するだろうか。返ってですね、今うまくいってるものをうまくいかなせないようにするって可能性もある。ということで、医療サイドっていうのが、もちろんこれは技術ですから、技術を伝える、伝えられる、それを安全に管理するってことは必須のことであって、これには誰も異論はないはずなんですよ。だから、それにどういうかたちで、誰がその指示とかですね、相談とかですね、指図っていうのを絡ませるのか。あるいは、絡ませる必要がないのか。こういったところが、非常に大きな論点であろうということで、二つの論点が提示された。あえて、ここで、何がどうっていうことは、司会の立場で申し上げませんけれども、いずれも重要なポイントだと思います。だいたい時間は6時に近づきつつありますが、他に質問、ご意見、いかがでしょうか。

伊藤佳世子:私は千葉から来ました伊藤です。千葉でヘルパーの事業所をやってます。うちの事業所では、ALSの方とかの24時間の支援をしているんですけども、やっぱりその医療的ケアの問題っていうのは、千葉でもいろいろあります。それで、私が事業所を始めた2年半ぐらい前は、私たちがある独居の人の経管栄養をやることについて、「違法行為だ。だからお宅の事業所は訴える。」、保健所に訴えてやるって言われて、でも私たちにとってはそれは必要だと思うし、ご家族も必要だって言ってるんだからいいじゃないかって思って、やっていたことなんですけども、そこですごく問題になり、訪問看護、近隣の訪問看護さんと話しあって、保健所も巻き込んで、行政も巻き込んで、どうしても必要だからやっていきましょうっていうことを、結局はそういうことに話しがまとまっていくのに1年ぐらいかかるんですけども。そうやってやってきました。
 私たちも、やる側としては勝手にやってはいけないと思うし、かといってものすごい何時間も研修を受けなきゃいけないっていうのもどうかと思うし、それが法律で決められるっていうのもなんか義務って言われてもどうなんだろうっていうとこはすごくあって、だけども信頼関係の中ですごくやっていきたいとは思うんですけど、理解、近隣の人とか医療者たちみんなの理解のもとで、私たちの緊急時に備えてバックアップの体制がとれるっていう状態でやるならありかなっていうふうにして、現場でゲリラ的にそういうのをいくつかのおうちでやっていくようになってくると、法律が今はちょっといろいろ改正をするとかしないって話はある中で、実際その現場ではそういうかたちで医療者も当事者も私たちも認めてやっていくっていうことができてきているかなとは思います。
 ただ、地域間格差っていうのがすごくあって、それがすごくやりやすい地域と、千葉県で24時間の支援してるとこはすごく少ないので、私ちょっと隙間産業で千葉県の中の6つぐらいの市の仕事をしてるんですけども、市町村によっては、痰の吸引がヘルパーがやるなんていうことは違法だ!みたいな地域もあったり、そういう地域は人工呼吸器を着けてる人が全然いない。なんか50人ぐらいALSの方がいるのに、1人しか着けられないと、2%みたいな数字のとこもあって、やたらとモルヒネを早めに呼吸苦のときにはいれましょうみたいな話になっていて、モルヒネの話をするとまた長くなっちゃうんですけど、介護者としては非常に楽で、モルヒネを使った瞬間、今まで毎日すごい大変で2、3時間ごとに人が代わって一生懸命体位交換してたのが突然やらなくてすむようになって、これってどうなんだろうってすごく思うことがいろいろとあるんですけども。だからなんか、ちょっと話しがまとまんないんですけども、医療的ケアについては、やっていきたいなと思うんですけど、なんかヘルパーとしては法制化ってどうなんだろうっていう思いと、あとそれが進まないことによって、行政、患者さんで生きたいのに生きられない人たちもいたりして、そういうことに地域間格差がすごくあるなっていうのを感じています。以上です。

◆立岩:はい、ありがとうございました。時間的にはまだ大丈夫だということにしますので、他にいかがでしょうか。はい、どうぞ。

◆バクバクの会 平本:バクバクの会の平本です。先ほど発言しました。二回目ですけども。今この状況にあって、もうどんどん話が進んでいって後戻りもできない状況だとは思うんですけれども。やはり、あの、私たちやっぱ、なんていうんですか、基本的なところのね、スタンスというのは、行政がどうであれ、やっぱり、持っていかなきゃいけないんかなというふうには思うんです。バクバクのことを今までずっと言うてきたんですけども、やはり、バクバクは主に子どもが中心なんですけども、やっぱ子どもの思い、あるいは当事者の思いっていうのが、この検討会にはほとんど反映されていない。先ほども言いましたけれども、やはり医療者側であったり、介護者側であったりして、本当の当事者がどういう生活をしたいのかというところがね、全く抜けてると思うんですよね。人の人生の中で、生きていく中で、医療とのかかわりってみんなあると思うんですけども、吸引だとか経管栄養にしてもほんの一部分であって、それが全ての人生じゃないと思うんですよね。それをすべて医療者側からコントロールされてる、メディカルコントロールとか言われてるんですけども、そうじゃないよ、メディカルサポートと言いながら、やはりコントロールしようというね、そういうところの一番基本のところの考え方をね、私たちやっぱりずっと持ち続けなきゃいけないんじゃないかなと思います。
 あの、さっきも言われましたように、誰でもできるんじゃないんか。でもやっぱり私たちの側から言えば、誰でもやれるようになってほしいんですよね。極端なことを言えば。あの、さっき八百屋のおじさんとか話もなったんですけども、道歩いとって介護者が急に倒れたら、その近くにいる人がじゃあちょっと吸引してあげるわと。それは本当に極端な話なんですけども、日本全国どこでもね、生けていけるっというね、そういうかたちっていうんですかね。それは本当の本当に基本なところではね、やっぱり作っていかなきゃならないと思います。
 そしてその研修というのも、本当に個々人全く違うものであって、基本的な研修は必要と思うんですけども、やはり個々人の生活を支えていくという研修というのをね、やっていかなきゃいけないと思うし、一番重要なことはやっぱり、退院した時点では、もう医療とはいったん切り離されるということをね、考えないと、呼吸器を着けたりいろんな医療と関係ないかたちでも、何かの病気で入院した。いったん病気も回復して退院するという時点では、病院といったん切り離されるんです。ただ、薬が必要だとか、月に1回、週に1回は通院してくださいねっていうところではね、やっぱ医療との関係を少しずつ保ちながら生活していってるんですよね。それとやっぱり同じであるというふうに捉えないと、なんかこう医療に絡めとられてしまうというところで、今の検討会で何ができるかとかいうのもあると思うんですけども、やはり基本的なところの考え方って大事にしたいなって思います。
 今、実際には在宅されてる、一人暮らしなどされてる人のその研修も大事だと思うんですけども、これから退院されるときのね、先ほども言いましたけども、やっぱり、医療者側がきちんと在宅指導をすべきやと思うんですよね。それをしなかった結果として、こういうふうな事態も招かれてると思うんです。だからそこをしっかりやって、家族や支援者が、その人の命を守るんだというね、視点をしっかり持てるまでね、研修をすべきやと思うんです。先ほども言いましたけども、救急車で来たら何とかなるよみたいなね、そういういい加減な在宅指導。あるいは、その、サーチレーションモニターなんかなくったって、親御さんがずっと一日中見てるから大丈夫ですよみたいなね。親はじゃあ一日中寝ないで見てろというのか、夜も寝ないで見てろというのかとかね、そういう、命に対するいい加減さみたいなのが、医療者側にもあるんじゃないか。どうせ長くは生きられないんだからみたいなところがね、失礼だけどもあるんじゃないかというふうに思います。
 うちの子供も小、中、高と12年間ずーっとそれがネックになって、父親が12年間もう学校に貼り付けにずーっとされていました。本当に、学校に待機しているだけじゃなくって、家に帰れば家に帰ったで、24時間夜中もケアをしてました。その結果、どうなったかといったら、子どもが20歳になったときに、本当に死んでしまいました。家族が親が死なないと、こういう問題は本当に考えてくれないのか。先日、うちの、ヘルパーさんが来てもらってるんですけども、常に2人体制で24時間、1月全部の満時間の1488時間が尼崎市から出ました。たぶん日本では誰もいないんじゃないかなと思うんですけれども、非常に嬉しい話なんですけども、他の市でもこういうことを参考にしてほしいとは思うんですけども、ただ、それはやっぱり、親がいないから。親が病気がちだからというね。家族介護ができないから、仕方がないからじゃあ出してあげましょうみたいなね、そういう発想でしかないんですよね。やっぱり本人の生活、本人が本当に自立して生きていくためにやっぱり支援が必要だというふうなね、ところはまだまだ行政にはないところだし、やっぱり私たちはやっぱり私たちの視点で、やっぱりこう、やっていかなきゃいけないなというのを思います。以上です。

◆立岩:はい、ありがとうございました。続けます。えっと、そちらの方。

◆浦野:ホームヘルパーをしてます、浦野と申します。高齢者の方を中心のホームヘルパーを現在しているんですが、もと看護師で、神経難病、筋ジスの呼吸管理も含めてずっとしてきました。障害者のヘルパーもしてきましたし、訪問看護もしていました。今は、高齢者のホームヘルパーしてますけど。今、おっしゃったんですが、退院と同時に医療と引き離すっていうことについて、えっ?というふうな感じがいたしまして、それと同時に、やっぱり命を守るっていうことが大前提だという点については、その通りだというふうな感じを、思いをしながら聞いたわけです。私も筋ジスの呼吸管理をずっと長いことしてましたが、きちっと呼吸できるということが、生活をしていくうえでは大前提だというふうに思っています。ALSの方もそうです。
 昔と違って本当にコンパクトないい呼吸器できて、本当こう気軽に呼吸管理ができるようになってますが、人間の身体はそのここ穴開けて呼吸するようになってないわけですから、いろんな障害がでるんですね。痰も増えますし、唾液を飲み込めないからっていうふうな部分で分泌物も増えますし、しゃべれないためのストレスとか不安による睡眠不足っていうのも起きてくるんです。その中で、やっぱり、気持ちよく呼吸できる。痰が増えるとかそういう問題があると、やはり脳のクリア度も違ってきますし、やはりそこらへんで在宅にいった場合に、きちっとそれができているかどうかっていうことを前提で、やっぱり生活を考える。それであらためて、あの、あらためて、そのどういう生活をしていくかっていうことが必要だと思うんですね。ですから、やっぱりきちっとした医療が行なえる。たとえば、痰をね、上からとるだけじゃなくって、やはり、呼吸リハビリをきちっとして、寝る前にはきちっとこう、たとえば、カフマシーンとかそういうのを使ってね、効果的なクリーニングを、気道のクリーニングができるっていうことが本人の安心につながって気持ちよく寝れるとかいうふうなことが、やっぱ大前提の上なんじゃないかと思うんですね。
 でも実際にそれが、リハビリとか訪問看護とかバラバラの中で、その人にとってどういう処方箋ですね。その呼吸をきちっと管理するいう処方箋がくまれてるかって、それができてるかどうかっていう点については、私疑問を持ちながらみてるんです。ヘルパーがね、このごろは巡回型の訪問介護っていうことがすごい言われてるんですよ。滞在するんじゃなくって。その30分、あって30分、15分で、その人のこともわからないのに、どうしてね、気持ちよく吸引できます? できるわけがない。はっきりいって、看護婦でもね、効果的な吸引というのは難しいんです。本当にはっきりいって難しくって、本当にどこまでできてるのっていうことが、本当にあるんです。まして、その人らしい吸引のしかたがあるわけですから、その人との信頼関係がない上ではね、そんな効果的な吸引できません。ですから、そういう点では、本当、ヘルパーに片手間に巡回したときに吸引してオッケーよっていうのはちょっとどうかなと思いますし、そこらへんでは、難しい問題だと思います。ですから、あの、ALSの在宅生活を支える上でとか、それから重度のそういう管理を必要とする人に、本当に必要な医療がきちっと提供されるっていう論議をね、医療側からもっとあげてほしいなっていうことを、私はつくづく思いながらヘルパーとして働いています。以上です。

◆立岩:ありがとうございました。あの、今のお二方のご意見の基本的なところでは、僕は対立というか、相違はないっていうふうに、私は聞いておりました。それと、最後におっしゃった巡回型と滞在型っていうのは、非常に、看護にしても介護にしても、非常に重要なポイントで。しばしばですね、そういったいわゆる専門の人が、ある家を回って2時間に1回はここで吸引して次のところに行くっていうようなことが想定されていて、それをその研究だけしているって言っちゃいけないのかもしれませんけれども、その在宅介護の、看護のですね、実情を知らない人がそういった想定でいくと。しかし、今まさにおっしゃったように、日々ずっと一緒にいて他の介護をしながら、たとえば吸引なら吸引をする。それが一番合理的であり、安全でありですね、そういうことであるっていう理解が一部の人には足りないっていう感じは、僕はこの間の議論をみてても思いますし、実際はそうではないと、そういうものではないと。介護にしてでもですね、介護さえもと言ったらいいんでしょうか。そのピンポイントの巡回型っていうものが推奨されつつあるわけだけれども、少なくともあるタイプの障害を持つ人たちにとってはそれは非常に歓迎されざるものであるということの確認というのは大切なことだというふうに思いました。横須賀さん、もう一個。

◆横須賀:横須賀です。すいません、再び。みなさんがおっしゃってくださってたんでいいかなとも思ったんですけども。私はこの医療的ケアの問題は大きくはやっぱ二つで、一つは、その、吸引とですね、経管栄養に収斂しがちになっているっていうことですよね。他に医療的ケアが必要な障害者がたくさんいて、その問題がややもすると、取り残されがちになってしまっているっていうこと。これが一つですね。
 もう一つは、これが一番の大きなことだと思いますけれども、これバクバクの会の方がおっしゃいましたけれども、誰もができないということが問題なわけですよね。誰もができない、一定の人しかやったらあかん。それは医師法によって決められているということ、この二つだと思うんですね。だから、この二つを、こうクリアするかたちでのですね、しくみ作りというものを、我々は考えていく必要があるのではないだろうかというふうに思います。医療的なことはですね、もちろん十分であるに越したことはないわけですから、がしかし、それも判断するのは、やはり基本的には本人が決めればいいと思うんですね。どういうことかというと、たとえば、吸引へたくそな、ちょっとぐらいへたくそやけれども、外に出たいという人がおれば、やっぱりその人の力をかりてある程度やっていくっていいますかね。何を重視するか。私は、そのそういう医療的ケアを利用する者としては、もちろんよりよいクオリティの高いケアでいいに越したことはありませんが、最低限のことがしてくれれば、もうそれ以上は、もうええっていうか、そっから先はこっちになんか全面的に任せてくれっていいますか、そういう思いを持って臨んでいるという次第です。すいません。以上。

◆立岩:はい。

◆小林:福井県から来ました小林と申します。ALS協会(福井県支部)の事務局の方もお手伝いしてまして、福井という田舎の地域でですね、先ほどからでている地域間格差が大きい地域で、ALSの患者さんや筋ジスの方、それからホフマンの方とかを支援しています。それで、やっぱり、あの、共通して、たとえば、先ほどバクバクの会の方の発言がありましたけども、私のところにもホフマンでバクバクの会に入ってらっしゃる方が1人いるんですけども、やっぱり福井という地域では、1人か2人しか入っていないわけですよね。そうすると、なかなか、実際にいろんな支援を帰ったら受けるってことがなかなか難しいものですから、同じ共通する呼吸器を着けているということで、ALS協会には、べつにALSの患者さんだけじゃなくて、呼吸器を着けた方がみんな集まってきています。
 そういう中で、福井県の場合は、本当にヘルパーのステーションが少ない。まだ福井市という県庁所在地には多少選べる数ありますけれども、それ以外はほとんど各市町で1個しかないとかということでは、もうヘルパーだけの、いくら支援費、自立支援の方で何十時間っていうふうに枠をもらっても、そこに来てくれるヘルパーがいないという、すごくそういう問題があちこちの市町で起こっています。そのときに、訪問介護のヘルパーもそうですし、訪問看護師さんもすごく大きなマンパワーにもなるわけですよね。そのとき、医療的なケアが最初からある程度きちっと基本的な学びをしている訪問看護師さんっていうのを、もっともっと活用するっていうこともすごく大事で、訪問看護師さんとヘルパーさんとの連携のもとに、よりケアの充実っていうのが図れると思うんですね。小さいところですから、けっこう、今連携っていうのはうまくいきつつあるんですけども、その中でも時間的に足りないヘルパーさんをこれから増やしていくためには、ある程度の研修というのは、研修をすればこれができるという人を、やっぱり増やして、地方では増やしていく必要があって、日本全国やはり津々浦々やっていくためには、ある程度の制度的な最低限のレベルっていうのは必要だと思っています。そういう意味では、50時間っていうのが妥当かどうかはわかりませんけれども、やはり、全くの素人ではなくて、きちっと研修を受けるってことはすごく大事だと思っていますし、それをぜひ厚労省の方でも、私はぜひやっていただきたいと思っています。

◆立岩:はい。時間的にはかなりぎりぎりになってきました。どうしても短く、ひとつっていうことがあるということが、ある方がいらっしゃいますので、お願いします。短くお願いします。

◆宇多野病院神経内科医:宇多野病院っていうところで神経内科医です。役所との付き合いもあるので、役所の論理で、を言いたいんですけれども。ここに来てる患者さん家族の方であれば、最初の方で川口さんが、何かあったら患者の責任ということを言われたけども、世の中にはそういう人ばかりじゃなくて、何かあったら吸引した人の責任、その事業所の責任、それを認めてる役所の責任と言い張る人たちがやっぱりいます。そういう人がいる限り、役所としては守らないかん、そういう人を。だから、自由にというか、勝手にやっていいってわけじゃなくて、いろんな制限をつけなきゃいけないっていうことが、どうしても役所側から起こってくる。そこをなんとかくりぬける方法、うーん、カバーする方法を考えてもらわないと、役所の意見が通ってしまうような気がします。

◆立岩:ありがとうございました。一つ大きなポイントで、技術ほど確実に伝えるかっていう問題と、でも何か起こることはありうるわけですよね。その場合に、それが、それは、川口さんの言葉はやっぱ言葉足らずではあったはずで、それをじゃあ自分で引っ被んなきゃいけないって、そんなことはないわけです。殺された人が自己責任だっていう話にはならないわけですよね。そうすると、じゃあそのときのリスク管理、問題が起こった時の対応ですよね。それをどういうかたちでやっていくかっていうこと自体は、その自分が自分のことを決めるんだってこととは、べつの一つのテーマとしてですね、存在する。そのことをご指摘していただいたんだろうと思います。だろうというか、していただきました。
 さて、せいぜいがんばって、あと10分はないんです。ですが、ごく短い発言ならもう一つぐらい受けることができますが、いかがですか。けっこうでしょうか。いつもはだいたいこういうときは、最後に登壇者の人に短く一言ずつということになっているので、やめようかと思ったが、ちょっとやりますか。はい、どうぞ。

◆金岡:金岡と申します。私ね、子どもをひきとってから去年の5月にヘルパーの資格をとったんです。そのときに、すごく介護福祉士が一元化されるっていうことを、すごく言わされてきたんです。今年に、介護職員基礎研修も受けました。そのときにも、もうヘルパーはなくなる、もう介護福祉士一元ですって言われてたのが、研修会、研修生の方が私とこよく来られるんですね。そのときに今の事業内容を聞くと、全くまたガラッと変わって、ヘルパーさんの講習も受けれるようになってるし、なんかそういう点でも事情がわからないので、ちょっと言いたかったんです。すいません。短く言えといわれましたので。

◆立岩:すいません。時間のことで。ということで、お二方、若干遠慮がちのようですので、いいですか、なければないで。会場の都合と、それから懇親会が半ちょうどから始まりますので、その接続も考えると今がだいたいギリギリかなというふうに思います。
 医療的ケアっていう、なんかそれ自体よくわかんない言葉ではありますが、それで検索すると、それこそ医療的ケアネットのホームページが2番目ぐらいにきますし、それから、我々は立命館で生存学っていう今プロジェクトやってますけれども、それが15番目ぐらいにきます。かなり下の方ですけれども。我々のところであれば、「生存学」っていうので検索してもらって、そこで「サイト内を検索する」で、「医療的ケア」っていうのを選択していただくと、この間の議論であるとか、あるいは今日の報告も含めてですね、資料的なもの、それから各人各様の意見などもご覧になれる。医療的ケアネットの方が充実していると思いますけれども、そういったものによって、情報をいろいろ捕捉していただければなというふうに思います。
 議論をまとめることはできますし、私の見解を披露することもできますけれども、それは、今までの議論で、いろんなポイントっていうのはすでに明らかだというふうに思いますし、何よりも時間がございませんので、今日はここまでというふうにしたいと思います。最後に繰り返し宣伝になりますけれども、医療的ケアネットとそれから我々の方で、本の販売用にいくつか持ってきております。というので、お帰りの際にお立ち寄りいただいて、購入していただければありがたいかなというふうに思います。ということで、今日は本当に長時間、登壇者のお二人のみなさん、それからみなさま全て、どうもありがとうございました。これで終了します。


UP:20110116 REV:20100118(佐藤・穏土発言修正)
在宅における医療的ケアの現状と課題(地域生活を考える勉強会 第五回)  ◇医療的ケア・2010  ◇人工呼吸器  ◇gCOE生存学・催

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