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公開シンポジウム
「生存学×医療の哲学×生命倫理学――安楽死を巡る学説の展望と課題――」

2010年10月2日(土)13時より18時10分まで
於:京都府中小企業会館8階 会議室802
[チラシ/PDF] [申し込み用紙/doc] [チラシ・申し込み用紙/doc]
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last update:20101011


■公開シンポジウム「生存学×医療の哲学×生命倫理学――安楽死を巡る学説の展望と課題――」

◆企画趣旨:
本シンポジウムは、昨年9月に東京大学で開催したシンポジウム「死生学と生存学」の続編にあたる企画であり、前回の企画で共有された問題意識や不十分であった議論について、更なる対話を重ね、理解を深めていくことを目的としています。 具体的には、生存学・医療の哲学・生命倫理学といった相互に隣接・重複しつつも異なる学問領域の対話を通じて、安楽死問題についての従来の学説を俯瞰し、今後の研究・実践上の課題を明確にすることを目的としています。安楽死や尊厳死に対する問題意識の高い人たちとの出会いの場を通して、日本の終末期医療や障害者・高齢者福祉の問題について有意義な対話の場をご提供できればと思っております。本シンポジウムの企画趣旨をご理解いただき、何卒ご支援のほどをよろしくお願い申し上げる次第です。

◆開催日:2010年10月2日(土)

◆時間:13:00-18:10(12:30より開場・受付開始)

◆会場:京都府中小企業会館8階 会議室802
(京都駅より市バス205号系統に乗って、「西大路花屋町」にて下車徒歩1分。)
※ 会場には駐車場がございませんので、ご来場の際には公共交通機関をご利用ください。

◆定員:100名(定員になり次第、締め切ります)

◆参加費:無料(要事前申込)

◆申し込み:申込み用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、メール(送付先:ars-vive@st.ritsumei.ac.jp ただし、@→@にしてください。)もしくはFAX(送付先:075-465-8342)にてお申し込みください。
申し込み用紙をダウンロードする〔DOC〕

◆お問い合わせ:
〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1 立命館大学生存学研究センター
E-mail:ars-vive@st.ritsumei.ac.jp (@→@にしてください。)
TEL:075-465-8475   FAX:075-465-8342
担当:佐山/伊藤

◆プログラム内容:
12:30〜    開場・受付開始
13:00〜13:10 開会の辞
           立岩 真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)

13:10〜14:30 第一部:安楽死・尊厳死を巡る議論とガイドラインの現状――若手研究者による総括と分析
          (1名当たり報告15分、質疑応答5分)
         (1)安部 彰(総合地球環境学研究所プロジェクト研究員)
         (2)有馬 斉(東京大学大学院医学系研究科特任助教)
         (3)坂本 徳仁(立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員)
         (4)堀田 義太郎(日本学術振興会特別研究員)

14:30〜14:40 休憩

14:40〜16:00 第二部:安楽死・尊厳死と障老病異――パネリストによる基調報告(1名当たり報告20分)
         (1)浅井 篤(熊本大学大学院生命科学研究部教授)
         (2)江口 聡(京都女子大学現代社会学部准教授)
         (3)清水 哲郎(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
         (4)立岩 真也

16:00〜16:10 休憩

16:10〜18:00 第三部:安楽死・尊厳死問題のこれから――パネル・ディスカッション(議論90分、質疑応答20分)
         モデレーター:安彦 一恵(滋賀大学教育学部教授)
         パネリスト(五十音順):
          浅井 篤
          江口 聡
          清水 哲郎
          立岩 真也

18:00〜18:10 閉会の辞
          立岩 真也

◆共催:
立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点、立命館大学生存学研究センター、立命館大学大学院先端総合学術研究科、ファイザーヘルスリサーチ振興財団研究助成「尊厳死・安楽死研究会」

無事終了しました!
◆開催報告:堀田 義太郎
 三部構成のシンポジウムの第一部は、共催のファイザーヘルスリサーチ助成を受けた研究会のメンバーが報告を行った。第二部では、シンポジスト四氏の報告があり、それを踏まえて第三部のパネル・ディスカッションに移った。
 メインイベントの第三部は、主にファシリテーターの安彦氏の問いに答える形で、各シンポジストが持論を展開した。話し合われた話題は、安彦氏によって明示的に提示されたトピックを挙げると、@苦痛は安楽死の条件になるのか否か、A最終的な決定者は誰か(家族の意向をどのように位置づけるのか)、B精神的苦痛をどう考えるか、C死期の切迫は安楽死の条件になるのかどうか、D本人の意思決定が「合理的」であればよいと言えるのかどうか、である。
 これらは、安楽死の許容要件として語られているもののなかでも中心的な要素であり、それぞれの論点に対するパネリスト各氏の主張は、相違点を含めて興味深いものだった。正確な発言内容については記録が出るまで待って頂きたいが、そこで提示された論点については、さらに考えるべき課題が多くあると強く思わされた。
 会場とのやり取りのなかにも興味深い論点が含まれていたが、ここでは、上の論点に絞って、報告者(堀田)の記憶にとくに残っている限りで議論の概要を記したいと思う。
 @「苦痛」については四氏ともに、とくに身体的苦痛についてそれが安楽死の許容――「許容」とは何かは措くとして――のための必要条件になりうる、という見解を共有しているように見えた(消極的/積極的の間に明確に線は引けない、という点も共有されていた)。それに対して、明確な相違があったのはA〜Cの論点である。
 まず、A「意思決定者」の問題について、浅井氏と江口氏が、家族等の意向ももちろん重要だがやはり最後は本人の意思が優先されると述べたのに対して、清水氏は「最終的な決定者」という発想自体に違和感があるとして、話し合いで合意を目指すことの重要性を強調した。その上で、家族が必ずしも患者の利益のために動くとは限らないという点が指摘された。立岩氏は、本人の意思は重要だが、しかし苦痛も含めてそれが「安楽死の許容条件」になるか否かという形で考えていないと述べ、むしろ家族が本人をその意に反して生かし続けるという一般的なイメージの偏向性を指摘した。(Bについては最後に言及する)
 C「死期」については、清水氏が、理論的には死期の切迫は安楽死の条件ではないとしたうえで、実践的には鎮静でも苦痛が除去できない状況は死期が切迫している場合でしかありえないので、それは事実上の条件になると述べたのに対して、立岩氏は死期の切迫を数時間から数日と考えた場合、わざわざ死期を早める必要がどこにあるのかが分からない、と指摘した。この立岩氏の議論について、医師でもある浅井氏は、数時間で亡くなる場合、新たに何かをしたりしなかったりする理由はないというのは、現場の感覚にも合致すると述べた。
 D「合理性」については、合理的な判断の内容が問題になった。清水氏は、たとえば事前の合理的な判断力がある時点での栄養中止の決定を、認知症になった人の現在の食欲を無視して貫こうとするとすれば、それは間違いだと述べ、立岩氏も、合理的という判断の形式よりも、その判断材料に含まれているバイアスを問題にすべきであり、合理的だから認めるという立場はとらないと述べた。それに対して、江口氏は、とくに清水氏の議論について、空腹で食事がしたいという現在の要望を事前指示よりも優先すること自体を、「合理的」という言葉で解釈できるはずだと述べた。

 個人的にもっとも興味深かったのは、B「精神的苦痛」を原因とした安楽死をめぐる議論だった。この論点は、Aの本人の決定の内容にも密接に関わるし、Dの合理的な判断の条件と内容にも関わっている。このBの論点についてもっとも踏み込んだ議論を展開したのは清水氏だった。清水氏はまず、鎮静でも除去できないような苦痛がある場合にのみ安楽死が問題になるという前提から、鎮静でも除去できない精神的苦痛があるとは誰も言えないので、精神的苦痛では基本的に安楽死は問題にならないとした上で、しかし、ALSのような長期療養を経た人が、意思を表明できなくなった時点での人工呼吸器抜去を(事前に)指示していた場合、それを認めるか否かについて、社会的効果に慎重に配慮しつつも認めざるを得ない場合もありうると述べた。それに対して、立岩氏は、安楽死が問題になる場面での精神的苦痛は軽減できるものが多いのではないかと述べていた。
 この論点については、ディスカッションのなかでは議論が深められることはなかったが、清水氏が述べるように、それはもっとも「厳しい」問題であり、また厳しい議論が戦わされるべき論点であると思った。たとえば、意思表明能力が失われた場合、その時点での本人の意思や苦悩の程度を確認できなくなり、本人の意思は事前指示で確認することになるので、事前指示一般に言われる時差問題が生ずることになるが、それをどう考えればよいのか等々。いろいろと考えていたら、議論が先に進められていて着いて行くことができなくなってしまっていた。
 総じて、江口氏が最後に述べたように、上記の他の論点についてもより詳細な検討が、具体的なケースに沿って行われる必要があるということを――安楽死の「許容」とは具体的に何を意味するのか等も含めて――あらためて感じさせられた。

生存学×医療の哲学×生命倫理学
冒頭挨拶する立岩真也教授(生存学研究センター長)

生存学×医療の哲学×生命倫理学
パネル・ディスカッションの様子


cf.
◆2009/09/6 「死生学と生存学――対話・1」,於:東京大学
◆立岩 真也 2010/10/02 「争いを期待する――御挨拶に代えて」
◆立岩 真也 2010/12/01 「人間の特別?・1――唯の生の辺りに・8」,『月刊福祉』2010-11


*作成:坂本 徳仁
UP: 20100721 REV:20100902, 25, 29, 1002, 05, 06, 11
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