HOME >

意思表示が困難になりゆくALSにおける『生死を分けるプログラム』

川口 有美子 2009/09/06
COE死生学+生存学シンポジウム「死生学と生存学――対話・1」 於:東京大学


  市民の代表ということで、学者でも医者でもないのでたぶん一番言いたい放題ができる立場です。
  よろしくお願いします。川口と申します。ALSという病気に関して、1回も聞いたことがないという方がいらっしゃったら、手をあげて頂きたいのですけれども。2人ぐらいいらっしゃいますか。その病気の説明をするとかなり時間を取られてしまうので、今日はあまり詳しい説明はしないで、すぐにスライドに行ってしまいます。
  全身の運動神経が選択的に動かなくなる病気です。難病中の難病みたいに言われていまして、最終的には肺の筋肉も動かなくなるので、呼吸ができなくなります。ただ呼吸器を付けると、長く、最長の方で30年以上生きられるし、自宅で家族とともに過ごせるという病気です。そこで呼吸器を付けて生きていくか、それとも付けないで死ぬかという選択を迫られる。選択の問題だと、大谷さんもおっしゃっていましたが、生命倫理学の教科書で例題にも出る病気ですよね。そういう立場から報告をさせて頂きます。
  振り返りをさせていただきますが。私はなぜここにいるかというと、もとは私の実家の母がALSを発病してしまって、95年から介護生活に入りました。私は介護の当事者でした。家族介護者の当事者ということです。最初は本当に1日中、家族だけで母の介護をやっておりました。2000年に母との意思疎通が全くできないような状態、TLSと言われますけれども、Totally Locked-in Stateになりまして、その時に私は安楽死の法制化は必要でできることなら死なせてあげたいというふうに思って、非常に迷いまして、その時に死生学だとか、生命倫理とかの本を読みました。
  その時に清水先生とか、立岩先生とかの本を読んで、先に書かれたものの中から感銘を受けて、いろんな考え方ができるのだ、私は母と一対一の関係の中で、いろいろと決めなくちゃいけないなあと思って、勉強しなくてはいけないというふうに思っていたところに、いろいろ教えて下さる方の出会いがあって、現在に至りました。
  2000年にそういう状況、一番最悪だったのは2000年なんですけれども、で本当だったら橋本操さんというALSの患者さんでいつも行動を共にしている方が今日はいらっしゃるはずだったんですけれども、ちょっとおなかを壊しちゃったので、今日は来ていないみたいなんですが、その橋本が2003年4月に、ALS協会の会長に就任すると同時に、私も仲よくしていたので、橋本さんの意訳、通訳のようなことをすることになって、常に行動を共にするようになりました。

【相模原事件が発端】
  唐突に、2004年8月に相模原事件が起きました。相模原市でたった一人で24時間365日息子の在宅介護していた母親がALSの息子さんを殺してしまうという事件があって。このALSの息子さんの状況がうちの母もそうだったのですが、
  Totally Locked-in Stateといって完全に眼球運動も止まりどこも動かなくなってしまうので自分から発信ができなくなってしまう状況になりつつあった。その息子さんをお母さんが殺してしまったという事件でした。事件を聞いた時にこれはもう私の話だ、私は(殺しは)しなかったけれども、このお母さんはしてしまった。何というか、その頃私も母を苦しめていると思いこみ、自分を責める気持ちがあって、これは自分のことでもあると思って横浜地裁の公判に橋本と通ったり、彼の医師やご家族にも聞き込み調査したりしたのです。そうこうするうちに、尊厳死法制化の動きが世間でもどんどん加速していきました。
  ちょうどこの頃、清水哲郎先生と出会いました。2003年か2002年。それぐらいだったと思います。そしてその半年ぐらい前に、立岩先生とお会いしていたので、この事件があった時には、私はお二人にはいろいろ相談できる立場だったのですが、その年〔2004年〕の11月に「人工呼吸器の人間的な利用」という文章を『現代思想』に書かせていただきました。初めて文章を書いたので、非常に緊張したのですが、だんだん社会が尊厳死賛美になっていくことは、この頃から予感していたので、先手必勝と思って、「人工呼吸器は人間的なもので、他者の都合で取ったり付けないとかそういうのはいけない。」というような内容の文章を11月に書きました。
  次の年になった途端に、浅井篤さんという生命倫理学の方、シンガーのところで学ばれた方なんですけど、重症疾患の診療倫理指針ワークング・グループというところで、ALS患者から呼吸器を外せるという報告をなさりました。私は驚いて、たぶんこういう場ではっきりと呼吸器の継続を否定されたのが私には初耳だったし、国の研究班の先生たちも、これで非常に焦ったこともありまして、ここからこういう考え方の人たちとは戦っていかなくてはいけないなと思いました。

【尊厳死っ、てなに?】
  それで清水先生、立岩先生、それに新潟病院の中島孝先生、それからうちの協会の理事でもある伊藤道哉先生を招いて、〔2005年の〕4月に大手町サンケイホールでさくら会のイベントとして、「尊厳死っ、て何?」を行ったら、報道関係者もたくさん、300人くらいの方が来ました。
  半分ぐらいは「尊厳死賛成」という話を聞きに来た市民だったし、尊厳死協会の人は騙されたみたいな顔だったのですけど。尊厳死はいけないという話をしたのです。ここに井形氏という尊厳死協会の理事長がたくさんの理事と来られていました。今日はこの会場にはいないですよね。ずいぶん馬鹿にされたとびっくりして、招かれてお話して下さいと言われた時は、たいていは尊厳死賛成の人たちの集会なんだけど、反対集会に呼ばれたのは初めてだと言ってたらしく、集会終わったらすぐに帰られました。
  2005年6月に尊厳死協会が国会に尊厳死法制化の請願書を提出しました。ALSの患者と家族から、ああいうことをされたので尊厳死協会の人が怒っていたというのを聞きましたが、ここらから井形さんらはますますALS患者の長期生存を批判するようになってきました。それに合わせて清水昭美さんらが安楽死尊厳死法制化を阻止する会を発足し、私達も入りました。

【射水市民病院】
  2006年3月、射水市民病院事件が発覚した日に私達は品川で「阻止する会」の集会をやってました。射水市民病院で、呼吸器が取り外しが普通に行われているみたいなニュースが、会場にいた京都新聞の記者からメモで渡されて、司会をしていた立岩さんと私はとても驚いたのです。
  それからは国も焦ってしまって、何らかの終末期医療のガイドラインを設けないとこれは大変だというので、拙速に終末期のガイドラインを作ったのがこれです。「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」。ここにも私たち、随分と意見を言ったのですけれども、結果としては白黒はっきりしたものではなかった。こうしたら治療を停止していいとか、そういうふうにはっきり決めてほしい人たちもたくさんいたのですけれども、それはやめて、プロセスを踏んで大勢で話し合いをしましょうという程度のガイドラインが、とりあえずできあがりました。それからまた、尊厳死議連というのも超党派でできあがりましたが、厚労省サイドには尊厳死法法制化が全然だめだったので、名前を変えて「臨死状態」としてきました。尊厳死という言葉を使うとどうも駄目だとわかったので、臨死状態における延命措置を中止というように名前を大きく変えて、要望を出してきたいうことがあって、死の法、死のルール化を求める運動が変化しつつ、さらに大きくなりました。

【後期高齢者医療 終末期相談支援料】
  2008年2月になると、今度は後期高齢者医療が始まりました。これもパブリックコメントを私、随分出したのですが、私のパブコメなんて中医協に全然取り上げてもらえず、そのまま検討なしに決まって、終末期支援相談料によってリビングウイルが保険点数にされてはどうしようと。終末期医療の支援相談料が出てきた時に、これはもう法制化に変わるリビングウィルの制度化。これは大変だと思って高齢の患者団体として動きました。中医協での決定の最終段階になって、仙台の伊藤理事から川口さん東京にいるんだから何とかしてとの電話があり、山井〔和則〕さんという京都選出の民主党の国会議員が親しかったので、すぐに山井さんに電話したら、出張中の山井さんが新幹線から何度も電話くださって。長妻さんと山井さんがやはり政治のこともあって反応よかった。彼らと相談してなんとその日の夕方には民主党公聴会と厚労省記者クラブで記者会見をしました。
  ALSは後期高齢者医療には反対。リビングウイルにつながっていくから、しかも病院内に大勢の職種で集まって1時間も終末期の相談などできない。点数もとても低いし、これじゃ形骸化するに決まっていると言いました。そういうときに、何でALSが後期高齢者医療に関係あるのかと、難病じゃないかと記者から質問を受けたのですけど、私たちには「あっそうか。一般の人たちにとっては、難病団体が終末期医療の相談支援料に反対するのは、なんだかわけがわからないだろう。つながらないのだなあ。」と分かって、主張の仕方は難しいなと思ったのです。その後、長妻さんが『週刊ポスト』に、「延命やめたら医師の御手当てに」と大見出しで書かせました。それで大衆の心が動いたのがわかったから、大衆誌の力ってすごいって思ったのです。
  こういう見出しが電車のつり広告になった途端に、国会でも「後期高齢者医療はやめましょう」と廃止になりました。

【クローズアップ現代】
  2009年の2月になると、今度は千葉の亀田病院の倫理委員会の問題が勃発。ALS患者の照川さんという方がついにTLS(Totally Locked-in State)になったら、呼吸器外してほしいというのを、倫理委員会がGOサインを出してしまった。これはさっきのスライドにあったガイドラインに則ってやっているから、倫理委員会で話し合ったし、時間かけて話しているし、本人とご家族の同意も取れている。全部段階を踏んで、それでGOサインだから問題がないというふうになっちゃったのです。こういうことはきっとあるだろうと思っていたら、案の定やっぱり出てきちゃった。
  どうしようと思ったのですけど、今のところは法律では罪になるから、院長は反対というふうになっていました。ただ、やっぱり院長も頭の中ではいいと思っているらしくて。私は亀田病院の照川さんの主治医の先生に電話したりしたのですけれども、倫理委員会といっても病院の人と病院の息のかかった人だけで作って、外部の異なる意見の委員を全然入れていない。「倫理委員会で他の意見も聞いたのですか?」と聞いたら、さっきの浅井さんの話は聞いたというので、これではだめだと思った次第です。
  病院の倫理委員会って、似たような意見の人だけで集まって相談しても、それでいいことになっちゃうのですね。そんな倫理委員会って不思議だと思うのですが。照川さんの場合、主治医は個人の特別なケースだから許されるって言ってました。それから、NHKでも照川さんのこのことが放映されました。それで今度は一般市民に誤解が広まった。こんな患者は感覚を失ってかわいそうとか、Totally Locked-in Stateという状況がすごい悪魔のような怖い状況だという誤解と偏見が広まってしまいました。ALS患者はすごい怖い思いをしているに違いないから、照川さんも呼吸器外して死なせてあげればいいと普通のおばちゃんたちが話しているのを電車の中で聞いた患者の家族もいました。照川さんは別に死にたいと言っているわけではないのです。が世間はNHKの放映で彼の惨めな姿を見てそう捉えてしまった。人生からの「名誉ある撤退」なんて一般市民には伝わってないです。「かわいそうだから、死なせてあげて」ですから。そして、立て続けに2009年7月。だいぶ反対したのですけど脳死は人の死になってしまいました。

【終末期医療の在り方に関する懇談会】
  2008年10月27日に「終末期医療の在り方に関する懇談会」というのが始まりました。あの曖昧な終末期のガイドラインでは解決できなかった部分、つまり呼吸器停止などの死なせるためのルールなど、かなり残っている部分があるので、それをやっていこうということで、医政局の企画で舛添厚生労働大臣の前で私たちも参考人として呼ばれ意見を言う機会がありました。
  私たち、橋本さんと私と海野さんは、ALS協会の理事なんですけど、操さんは呼吸器の本人で、私たちは介護者・人工呼吸療法の親を10年以上介護してきた家族当事者として、医政局の課長補佐から参考人席に呼んでもらいました。私たちの隣には尊厳死協会の井形さんが座ってます。両方とも参考人で全く違う意見を言って、なかなか面白い議論ができました。第二回目に、橋本が大臣の前で自分の死生観を発表しました。
  現在は、懇談会も止まっているのですね。政権交替されたらどうなるのかと官僚に聞いたら、たぶん継続になるだろうというふうに言ったのですけど、分かりません。(こないだ第五回目がありました)。
  今まで、4回開催されたうちの3回目と4回目で、NHKの『クローズアップ現代』を視聴した複数の委員から、ALS患者からの呼吸器の取り外しについて、容認する意見が出されました。
  それで、これから、ちょっとそこの議論を丁寧に見ていきます。
  柳田邦男はあの番組で何を言ったのか。この番組をご覧になった方はいらっしゃいますか? そんなにいないですね。ああそうですか。私はあまり見たくない番組だったのですけれども、しょうがないから見たのですが(笑)、
  「あらゆる機能が次々に失われていく、患者は自分ではどうしようもなくなって、遂に最後はコミュニケーションができなければ、意思表示もできない。そして視力も、視力というよりも目が開けられなくなって、言うならば海底一万メートル深海に…」って。彼、文学者ですよね。「ただひたすら暗闇の中で生きていかざるを得ない命、こういう状況におかれたときの苦しみというのは、我々のような健常者がいくら想像しても追いつかないと思うのです。」と言ったのです。「現代医学というのは、人工呼吸器をつけることによって、延命のことを一生懸命やってきたのですけど、その結果延命した先に、どうしてもこれ以上は苦しくて生きられないというときに、じゃあ延命装置をどこで外すのかということについては議論なしで、そのところについては棚上げにしてきてしまった。そのことが、今問われているわけです。」と、非常にまとまりのあることを説得的に仰られて、でもそれは一般論だし、物語的な常識論です。だからこういうことを、有識者がテレビでさらっと言ってしまうと、見ている人たちは100%信用してしまう。ですから、私はこういうことを言える立場にいらっしゃる方の責任は、非常に重いと思って見ています。
  そして、その番組を見た委員がどういうことを言ったかというと、福永先生は南九州病院の院長です。そこにはALSの患者さんもたくさん入院しています。筋ジス病棟のあるところで、福永先生は何冊も支援のために本を書かれているという、とても良い先生ですけれども、常に患者さんの言うことに共感して下さるので、ここでも照川さんに共感を示されて、「ALSでは事前に意思を確認できていたら、例えばTLSの場合も治療の中止という選択肢もあっていいのではないかと思います。超高齢社会を迎えた今、ALSに限らず死を迎える人も、残された人も悔いのないように、健康なときにこそ「人生の終幕」への想像力を働かせることが大事」などと言われました。
  それから、石島先生は、聖ヨハネ会桜町病院の有名な先生なんですが、パワポの黄色いところだけ読んでいきますが、彼はこういうことは、彼というのは柳田邦男なんですけれども、「こういうことは法律には馴染まない。一人ひとり違うのだから、患者と家族と医療者と十分話し合った上でやるべきだ」というふうに言っていたので、「私もそう思う。」と石島先生は述べました。
  今度は、中川委員。北海道の定山渓病院からの委員でいらっしゃるのですけれども、「柳田邦男さんの発言は、あまりにも曖昧ではないかと聞いた。まさに、本人の意思を尊重することが大切であると思いますから、意思表示を後方で支える緩やかな法整備も必要ではないか。法整備がないといけない」と仰っています。医者は緩やかなルール化を望むのですね。
  第4回目で東大の民法の樋口先生が出てきまして、樋口さんは「ヘルパーの医療行為」の署名のときに、患者サイドに立って、現場の倫理でヘルパーでも吸引ができると言って下さった先生です。今までは、私たちは樋口先生にまかしておけば大丈夫と思ったのですけど、この時も同じで現場の倫理にまかしておけばできると同じ事を仰って、あれ?と思って、あっそうか矛盾しているのは私たちの方なんだと思いつきました。
  「いかに死ぬか、いかに生きるかというのは、最も法律には馴染まないから、医療倫理というのは個人の問題意識の在り方で、それは変化していくものだ。」
  ただ、その患者はどう思っているのか?というと、患者は医療者の倫理感には疑惑を抱いていて、そもそも 第2回目の橋本があんなに一生懸命に報告して、自分の死生観だとか、患者には社会的支援がまったく足りないという状況を言ったのに、委員はそれを無視して、すぐさま自分の意見を言っていた。つまり、医者は患者の言葉を間近で聞いていても聞いていなかった。医者は自分の主張があれば、患者の話など聞いていない。結局、患者は医者を信用できないというのが露呈しちゃった状況でした。私は思わず、橋本の隣から手をあげて、橋本の代理でさらに意見を言ったのですが、「コミュニケーションができる・できないという判断は患者本人ではなく、読み取る側が決めているから、医療現場で多くの患者は無視され、家族や病院の都合の良いようにされている。まずは患者の気持ちを敏感に読み取ることは重要です」と言いました。それを言ったらすぐに難病団体代表の伊藤たてお委員が、「患者や家族が「人工呼吸器を付けてくれ」ということが病院に懇願しているにもかかわらず、「うちの病院では付けません」と言って付けてくれない。そうなると死んでしまうのですけれども、そういうことは普通にある。これは延命の中止になるのか、法律的にはどうなるのか」という非常に大事なことを言ってくれて心強く思いました。
  最近は、「死」は物語なので怖くなく、現実に身近な病人の生存を肯定的に語り合うことのほうがタブーになった。長生きがタブーです。昔は死が現実にそこにあったので、タブーだと言われたのです。でも、最近はそうじゃなくて細々と長生きすることが現実なので、現代のタブーなのです。だからどういうふうに彼らを支えようかという議論もタブー。こういう検討会や委員会の場ではなされません。死にたいという患者の声には共感を示してもらえるけれども、「頑張って皆と一緒に生きていたい」という長患いの病人の声は世間にも届きません。橋本の言葉はあらゆるところで無視されてきました。人々は死よりも病人の生を恐れているのがわかります。
  1つ。意思伝達不可能性は人を死なせる理由になるのかというところ。確かに自律/自立を生存の資格にする議論はありますけれども、コミュニケーションができないというのは、本人のせいばかりではないということを私達は自覚しなければなりません。「人間はおしゃべりが多すぎる。ALSはいいぞ。交渉には不便だけど。」これは、橋本さんの日記にあった橋本さんの言葉ですけど、すごい。これ本当だなって。橋本さんは、なんて短い言葉で大事なことをまとめるのだろう。
  それから、呼吸器を外すための倫理や法ばかりの議論がされているけれども、呼吸器を付けないことの合意はとれているのでしょうか?まるで合意がとれているように見せつけられているのですけれども、実はとれていないんじゃないか。むしろ、「不作為な自然な死」というものを倫理や法の不在を問題にして突き詰めていきたいですね。
橋本さんちの犬が「私も時々はわざとおもらしするけど、不作為だから許してね。」っていう。そういうことですよね。わざと何かを「やらなくても」知らなかったと言えば、不作為の行為になって「見捨てること」も許されてしまいます。

【不作為の作為】
  次に死を強制された患者の事例です。これらは「不作為」。法律に触れないから事件にもならない。患者が殺されても誰も訴えないんです。
  北海道元ピアノ講師。呼吸器を希望していた女性患者で、非常に前向きだった方が医者と夫が相談してモルヒネを使用して呼吸苦を緩和してしまった。患者は朦朧として迫る死を自覚できずに死亡した。地元の保険師さんが北海道の難病での音楽療法の研究会に行ったとき私に駆け寄ってきて、これはいいのですか?これはいけないことでは?と。けど、ALSの不作為の死はいくらでも言い訳がたちます。たとえば緩和ケアだったとか言い訳できますから。意図的作為的に殺しても「緩和ケア」と言えば罪にならないです。だからこういう安楽死的緩和ケアから、本来の緩和ケアを奪還しないと。
  G県。本人の呼吸困難の訴えを医者が「まだ大丈夫。まだ大丈夫。」と引き延ばして、放置し、最終的に本当によろけそうになったときに呼吸麻痺で死んでしまった。これも家族が後悔していて、私たちが気付いてあげればと言っているけれども、私は医者が気付かなかったのがおかしいと思っています。3回も4回も病院に行っているのに全部家に帰しています。
  E県。これは本人家族が呼吸器を希望したけれども、病院の医師とソーシャルワーカーに脅かされて断念。呼吸器をつけたら、年間3000万円もかかるとか、家族が地獄だとか、嫌なことばっかり患者に言いまして、それで本人は聞いた途端、しゅんとなって「もういいです」となって死亡です。
  C県。患者はTLSですから、意思疎通ができない状況になっていた。ヘルパーが水分補給をしたら、これを保健所が見つけて告発。保健所が厳しく取り締まりました。これで、在宅が無理になって、高齢者用の施設に収容され3ヶ月後に施設の中で放置されて、呼吸器を付けたまま窒息死をしました。
  東京都。市町村から24時間介護保障されている人なのに、妻がヘルパーの出入りを嫌って、夫を他県の病院に収容して在宅サービスもやめてしまいました。だからもう自宅に生きて帰ってこなくていいよ、ということでした。夫は捨てられてしまったということです。本当にかわいそうでした。
  S県は、主治医と家族の合意において、本人が希望していたにもかかわらず、呼吸器不全時に救急車を呼ばなかった。それで死亡。
  それから日本各地で起きてしまうは、家族の留守中に呼吸器が外れての死亡です。ヘルパーが吸引をしない自治体では、重度訪問介護の支給決定をしないので公費による見守りサービスが使えない。一日中びったり付き添って介護していても、家族は買い物くらいはしないといけないでしょうから外出しなければいけない。で、20分くらい外出している間に呼吸器外れて死んでしまったということがよくある話です。呼吸器が外れてしまえばALSはすぐ死にますから。
  それから、昨日行った都内の総合病院では、本人にも家族にも説明なく終末期の緩和ケアが開始されていました。本人も家族も呼吸器をつけようと前向きだったので私を呼んだのですが、私が行ったときには自発呼吸をサボらせるためにか、酸素が3リットルも入れられて、ミニトラックというがんの末期の人に爪楊枝みたいなのを喉に刺しといて、ここから痰吸引をするのですが、そういうのを設置しましょうというふうにドクターは言っていました。
  肺が機能していないから、気管切開しても無駄だと家族に説明をしていたそうです。でも、私が正しい方法を説明したら、呼吸器を付けて家に帰りたいとはっきり患者は言ったので、その気持ちを明日、先生にはっきり言いいなさいと言って私は別れてきました。でも、不安になったので、患者会の先輩にメールで「呼吸器を付けたいのに、3リットルも酸素を入れて大丈夫なの?」と聞いたら、すぐメールを返信してきて「大丈夫じゃないと思います。3リットルずっと入れられていたら、意識がなくなって、亡くなるまでの日数が早いです。医療の人が意識的に入れているんじゃないですか。大変なところを見たね。」という返信が来ました。

【死のプログラム化】
  この曖昧な状況ではまずいので、「死のプログラム化」が必要であるというふうになってきていると思います。
  ALSなどの疾患を末期に位置付けるということとともに、事前指示書とか、緩和ケアという安全そうなツールを使って、作為的な治療の不開始、要するにわざと治療しないこと、差し控えだとか不開始というものを、自己決定とか家族の合意とか、尊厳ある安らかな死という害のなさそうな行為に変換していく。
  事前指示書とか緩和ケアというのは、ALSに関しては今まではあまり日本ではやってこなかったから、こういうものを使うことによって、社会のコンセンサスを得て法律で裁かれることを回避していこうという動きが、加速しています。ALS=終末期というコンセンサスが確立している英米の社会では、どうなっているのかというと、イギリスでは緩和ケアというのが確立しています。癌のホスピスと同じです。がん患者と同じようにモルヒネを投与して、緩慢に安楽死をさせていく。緩慢な安楽死といったら、ドクターに怒られちゃうようですけど、緩和ケアと言われているけれども、看護介護などの多職種によるケアが入っていれば、ALS患者にはモルヒネなんか使わなくても安らかに死ねます。
  でも、どうしても何か使わないと精神的にも苦しくて、息も苦しい時は酸素注入だけで十分だと思っています。それでも本人は酸素の量をたくさん吸わないように絞りますから。それから、アメリカの場合は多くが事前指示書を書くのですけど、呼吸器を外す日も事前に決めておくので、例えば下の息子が高校を卒業するまでとか言って、それまでが半年だったら、みんな頑張るのですけれども、高校を卒業したらそろそろお父さんから呼吸器外す日ねって。そんなのおかしな話でしょう?でも、最初にいつまで生きるって約束しておかないと、家族の合意が得られないということだと思います。
  家族はケアの終点を設定し、そこを目指して介護していくので、何とか息切れをしないで最期まで頑張ってやっています。けれども、だんだんお父さんには死んでもらうという話になると思います。お金が底をつくということもあるでしょう。それから、オランダなんかだと、ALSの3人に1人は積極的安楽死、貧困による安楽死も容認です。死のプログラム化が進むと、生きていく選択肢も閉ざされていくというのは、このように他の社会ですでに見られるのです。
  ALSから呼吸器を外せるようにしたら、ALSは呼吸器はもっとつけられなくなる。手軽に呼吸器外して殺せるようになると病人の命がますます軽くなるからでしょうね。患者は健常者同様の人権が認められていないので、息子の卒業までの命とか、生存期限を切られたりするんです。そこの説明は生存学を志す皆さんにお願いしたいと思っています。以上です。

□当日の資料集に掲載された文章

川口 有美子 20090625 「意思伝達不可能性は人を死なせる理由になるのか」,『福祉労働』123:28-35
 http://www.arsvi.com/2000/0906ky04.htm
 「違法性なく死なせられるかという議論の前に、「伝えたくない人」との信頼を築くための介護技術と支援を確立しなければならない。」この続きの話をしたいと思います。(報告者より)


UP:20100218 REV:
川口 有美子  ◇「死生学と生存学――対話・1」  ◇生存学創成拠点・催・2009  ◇死生学  ◇  ◇安楽死・尊厳死 2009

TOP HOME (http://www.arsvi.com)