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京都ALS嘱託殺人事件公判開始にあたって 障害者団体による記者会見

於:京都府立総合社会福祉会館 ハートピア京都大会議室

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last update:20240121

■このページの目次

記者会見の概要増田 英明 2024/01/11 「京都ALS嘱託殺人事件公判開始にあたって 障害者団体による記者会見」 於:京都府立総合社会福祉会館 ハートピア京都大会議室岡部 宏生 2024/01/11 ────岡山 祐美 2024/01/11 ────野瀬 時貞 2024/01/11 ────

■関連事項

京都府におけるALS女性嘱託殺人事件

■記者会見の概要

京都ALS嘱託殺人事件公判開始にあたって 障害者団体による記者会見 日時:2024年1月11日(木)17:00から ※ 公判が終わり次第、30分後に記者会見 会場:京都府立総合社会福祉会館 ハートピア京都大会議室 登壇者: 増田 英明 ALS当事者/日本ALS協会相談役/NPO法人ある理事 岡部 宏生 ALS当事者/NPO法人境を越えて理事長 岡山 祐美 日本自立生活センター(JCIL) 野瀬 時貞 日本自立生活センター(JCIL) 連絡先:長谷川唯(立命館大学生存学研究所研究員/NPO法人ある)

■増田 英明 2024/01/11

◇増田英明 ALS当事者/日本ALS協会相談役/NPO法人ある理事 記者のみなさま、今日はお集まりいただきありがとうございます。 この間、取材で質問をいただいていたので、この場を借りて回答を兼ねる形で発言することをお許しください。 みなさんから私の姿がどのように見えているのか、わかりませんが、私は今、とても恐怖を感じていると同時に怒っています。 この事件は、差別で塗り固められた殺人です。 この事件を、安楽死で片付けるのは、言語道断です。 この殺人事件で安楽死が認められることがあれば、この社会からほとんどのALSの人が消えてなくなるでしょう。 安楽死は、私たちを社会から抹殺する方法です。 決して、私たちが安楽に生きられるための方法ではありません。 この事件を道筋に安楽死が認められてしまったら、山本被告と大久保被告のように、本人の意思も生活も介護もなにもみないで、ただ本人に「死」の選択を示し、さもそれしか方法がないかのように「死」へと誘い、金銭を巻きあげて殺すことが簡単にできてしまうのではないかと恐怖します。 林優里さんは、山本被告と大久保被告のことを医療者として受け入れていました。 安楽死をここで認めてしまうことは、医療に死なせる役割を認めてしまうことになります。 医療が必要不可欠な私たちにとっては、恐怖でしかありません。 医療者には、安楽死が医療には必要ではないということ、医療とは真っ向から反対するものであることを、はっきりと示してほしいです。 この事件が、「嘱託殺人」とされたのは、林優里さんの「死にたい」という一面的な言葉や状況だけを切り取ったからにすぎません。ALSの私たちからすれば、「真摯な嘱託である」とする裁判所の判断は、もってのほかであり、「真摯な同意」によらないただの殺人です。このことを裁判員のみなさんには理解し、考えてほしいです。 勘違いしてほしくないのは、日本でも海外でも、ALSの私たちにとって安楽死の意味合いは、変わらないということです。ALSという病気からの解放を強く望むことは、生きたいからこその希望であり、自ら死を切望する人はこの世界に誰一人としていません。このことをちゃんと認めないからこそ、安楽死に傾いてしまうのです。 生きてこその希望や苦しみを、安易に安楽死で片づけてしまわないでください。 私がこの裁判を傍聴しているのは、殺された林優里さんの問題は私自身の問題で、ALSの人たちの経験そのものだからです。私たちの存在を社会がどのように受け止めているのか、しっかりと向き合わないといけないと思って傍聴をしています。裁判の中で、林優里さんが死を希望していたと、まるでそれだけが本人の意思であるかのように、切り取られ繰り返し取り上げられるたびに、ALSである自分が否定された気持ちになりました。 山本被告の「林さんにとっては(生きるのを終わらせることを)達成できたと思う」という言葉、明らかにされない動機、ALSであることを主な量刑の理由とする裁判所の判決、どれもこれも納得のいくものではなく、絶望するには十分でした。 私の今の姿は、おそらく、林優里さんが最も恐れた姿でしょう。今の私の状況は、ALSなら誰しもが「いつかくることと」として恐れていることです。 人工呼吸器を着けて話すこともできないし、食事も口から食べることはできず胃ろうから注入しているし、目も見えにくくて、身体は動かず、表情も自分の思い通りには動かせず、なにより自分で自分の意思を発信することができません。 だけれども、コミュニケーションができないわけではありません。今使える表情や合図、脈や血圧、全身を駆使しながら、伝えています。 今日のこの原稿は、私と一緒に日常を積み重ねてきたパーソナルアシスタントが、これまで私が発信してきた意見、経験や積み重ねから丁寧に読み取って、私が耳で一つひとつ聞いて確認しながら文章を作っています。言語以外のコミュニケーションで、全身全霊でやり取りですから、時間がかかります。それでも、すべてが不自由なわけではありません。だからこそ、林優里さんに「生きてほしかった」と強く思います。そしてすべてのALSの人に、生きることでしか肯定されないという現実を伝えたいです。 大久保被告の裁判は、私たちが死ぬための選択肢を用意されるべき存在かどうかを問う裁判だと思っています。 そこで、大久保被告が、自分の犯行は間違っていなくて、法律こそが間違っていると言おうものならば、極めて身勝手な動機であり、許せるものではありません。大久保被告の殺意は、すべてのALSの人たちに向けられたものとして受け止めなければなりません。だから、私は、大久保被告の裁判では、裁判官と裁判員が大久保被告の考えを受け入れてしまわないかどうかを憂慮しており、最も注目しています。 事件が起きてからの変化は、生きることと死ぬことの選択の問題にされ、同じ病気や障害を持つもの仲間同士の分断が広がっていることです。私は、ALSで生きることを選択した代表のように扱われることが増えました。どっちも置かれている状況は同じであり、選択の問題ではありません。ALSを抱えながら生きることで直面する大変さ、しんどさは、同じです。大変さやしんどさを取り除くための環境整備こそ必要です。 私の夢は、ALSになってどんな状態になっても、絶望の谷間で未来に怯えることなく、安心して胸を張って生きられる道を作ることです。 この裁判によって、自分の命を自分で終わらせることが正しいことかのように、社会が私たちALS患者の声を誤解しないか、心配です。 生きることをどう選択するか、という議論よりも、誰もが当たり前に生きていける「生きることに価値がある」社会をどう作るか、ということに目を向けてほしいです。 2024年1月11日  ALS協会相談役/NPO法人ある理事 増田英明

■岡部 宏生 2024/01/11

◇岡部 宏生 ALS当事者/NPO法人境を越えて理事長 私は裁判員の方とこの社会で生きている皆様に申し上げたいです。 私は林優里さんと同じ病のALS患者当事者です。 よくあんな姿なら死なせてあげた方が良いとか、こんな姿なら死んだほうがマシだとか言われている本人です。 でも私は今日東京から参りました。 この記者会見が終わったら東京に帰ります。 フットワークよいでしょ? 私は以下のように今回の事件について思っています。 山本直樹被告の判決の中に林さんが強く死にたいと言ってたことが取り沙汰されていました。 実は私は林さんと全くといってよいほど環境が似ています。 社会保障の制度を活用して24時間ヘルパーさんの介護を受けて独居で暮らしています。 私はヘルパーさんの介護を受けながらではありますが、とても充実した暮らしをしています。 先程申しましたが、京都に日帰りです。 そんな私ですが、幸せな時ばかりではありません。 身体が自由に動かないことによる辛さもありますし、人間関係に悩むこともあります。 去年の8月には体調を大きく崩して周りの介護者に死なせてほしいと言いました。 体調のことだけでなくて、身体が動かない辛さや人間関係によって死にたいなと思うことはしばしばなのです。 でも周りの人の支えによりまた頑張って生きようと思うのです。 極端に言えば生きたいと死にたいを日々繰り返して揺れながら生きているのです。 ですから、林さんの気持ちは痛いほどわかります。 毎日揺れながら生きているのです。 私はそういう死にたいと思っている時に、死なせてあげようという人がいたら、間違いなく死に傾いてしまいます。 林さんも死にたがっていたことばかりクローズアップされていますが、SNSの発信を読んでみると明るい一面も持っていましたし、他の患者の役に立ちたいという記述や、現に役に立てて喜んでいる記述もありました。 林さんの死にたいという気持ちを大久保愉一被告や山本被告が後押ししてしまったのです。 林さんは人の関わり方によっては生きるほうを選択したかもしれないのです。 それを医療の知識を用いて殺してしまうなんて私には信じられません。 もうひとつ申し上げます。 大久保被告は安楽死の必要性について詳しく主張していましたが、本当に安楽死が必要なのでしょうか? 2つ申し上げたいです。 ひとつは大久保被告らの行為は世界中の安楽死を認めているどんな国の安楽死の方法にも当てはまりません。 大久保被告らの行った行為は殺人に他なりません。 もうひとつは安楽死の議論をする前に私たちは考えなければならないことに思いを馳せていただきたいのです。 死にたいと思っている人の死にたいという原因を取り除く、もしくは小さくできないかということなのです。 私のような重度の障がい者であっても健常な方でも死にたくなるような困難を抱えることはあります。 そんな時に死にたいを支えるのでなくてなんとか生きたいを支え続けられる社会を目指したいと私は強く願う次第です。 繰り返しますが、どうぞ裁判員の方と、この社会で生きている皆様に申し上げたいのです。 安楽死ができない日本は遅れているという人々もいます。 そうではなくて、私のような最重度の障害者がこうして生きていけるのは日本くらいだと思います。 日本は最先端の国だと思うのです。 人の命を大事にしてくれる国だと思います。 だからこそ、大久保被告たちの行なった殺人を許してはいけないと思うのです。 経済合理性も決して否定できるものだと思ってはおりません。 でも命について、考えていただきたいのです。 これは障害者に限ったことではありません。 誰しも困難を抱える可能性があります。 誰もがこの当事者であることを、考えてほしいと強く思います。 ありがとうございました。 2024年1月11日  NPO法人境を越えて 理事長 岡部宏生

■岡山 祐美 2024/01/11 2024/01/11

◇岡山 祐美 日本自立生活センター(JCIL) 私自身も進行性の筋疾患により、多くの介助が必要な難病患者であり障害者です。 難病・障害の進行に翻弄されて死にたいと何度も繰り返し思わずにはいられない時期がありました。 その渦中では、死という選択が魅力的に感じられました。生と死の間で揺れ、様々な感情が交錯し渦巻く思いの内の1つではありましたが、私の目には死が強く魅力的に映ったのも事実です。 あの時に仮に優里さんのように死に至っていたら、「望みが叶い、死んで苦しみから解放されましたね」と、裁判所からも社会からも共感されたのでしょうか。 今は、あの頃より難病が進行し色々ありつつも、死にたいと思うことはなく、それなりに充実した日々を生きているのですが、あの時そうやって楽に死ねる方向へ背を押され死を選んでいたならば、今日ここに私は存在していません。 山本被告の一審では、被害者がALSであったことを理由にして、被告が被害者を死なせたことに対してある種の理解を示す表現を判決要旨でいくつもされていました。それは、優里さんの苦しみへの共感から出された表現なのでしょう。しかしそれはALS患者や重度障害者の生きる価値を低く見ているように感じるとともに、なぜ死ぬ方向への共感だけが司法の立場からこんなにも出されているのかと憤りを覚えます。 被害者の死にたい気持ちは否定されるべきではないと思います。しかし、死にたい願望を叶えるのではなく生きようと思えるにはどうしたらよかったのかは、なぜ強く問われていないのでしょうか。大久保被告に対しても、医師を称する者が、医師の責務として患者が生きられる手立てを一切講じなかったことを重く受け止めて追及すべきだと思います。(起こった事実としては、大久保被告の行ったことは医療行為と呼べるものではなく、医師の名と知識を悪用した殺人であることも念のため付け加えておきます。) 司法は、優里さんの苦しみへの共感から死ねたことへ理解を示すよりも、その苦しみへの共感からむしろ苦しみを減らし生きられるようにするにはどうしたらよかったのかを社会へ問うてください。死ねる(安易に死に追いやられる)社会の実現よりも、どんな命も丁寧に大切にされより良く生きられる社会を目指してください。どうかよろしくお願いいたします。 2024年1月11日 日本自立生活センター 岡山祐美

■野瀬 時貞 2024/01/11

◇野瀬 時貞 日本自立生活センター(JCIL) 僕自身は生まれつき障害があり、24時間介助者の手を借り生活をしています。 ALSの皆さんや中途障害の方は先天性の僕とは違い、先天性の僕とはまた異なる苦労や葛藤があるとお察し致しますので、同じ目線で話せない事をご了承ください。 僕は先天性のため、障害を受け入れる事は物心着いた時から出来ていたと思っています。 しかし、小学校入学前まで動いていた手は動かず何故出来ないんだと悩み苦しんだ日もあります。 医療的ケアの多い僕は、地域の学校へ進学する事は出来ず、親の判断で病院と隣接している養護学校へ進学しました。 学校生活では細々な事を抜くと不自由さなどさほどなかったです。 ですが、病院生活はとても辛かったです。 通学目的で入院していた病院ですが、障害の進行もあり、より医療的ケアが必要となり、容易に病院の外へ出れなくなりました。 学校生活は12年なのに気がつけば、17年病院にいました。 何故、出れなかったのか。 それはこういう生活が障害があっても出来ると知らなかった…いえ、知れなかったからです。 病院というあの場は本当に外の情報を全て遮断してしまう不思議な力があります。 また、地域にいても障がい者団体や同じ境遇の方と関わりがないとなかなか知る事は難しいです。 林さんは地域に居られたと伺っていますが、そういった団体との繋がりはなかったと聞いています。 僕は当事者団体や同じ境遇の方と少しでも繋がりがあれば救えたのではないかと思っています。 僕自身も入院中、何度も死にたいと思う事がありました。 しかし、今は例え手足が動かなくてももう一度、この身体で生まれたいと思うようになりました。 地域に出た今、好きな時間に好きな物をたべれるし、出れるし、会いたい時に会いたい人にあえます。 恋だって、旅行だって自由です。 もちろん人の手は借りなければなりませんが、決してそれは家族の手だけではありません。 今は家族の負担にならないサービスも色々あるので、どうか少しでも楽しく生きようと思って貰えるように僕も精進していきたいですし、国や自治体の方々にもこういう道もあるよと提案して頂きたいと強く思っております。 日本自立生活センター 野瀨時貞
*作成:中井 良平 
UP: 20240121 REV:
介助・介護  ◇京都府におけるALS女性嘱託殺人事件  ◇病者障害者運動史研究 
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