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「張万洪先生追悼文」
長瀬 修
(ながせ おさむ) 20241018
障害学国際セミナー2024
於:台北(台湾)
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last update:20241115
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障害学国際セミナー2024
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長瀬 修 2024/10/18 「張万洪先生追悼文」(英文)
本文
尊敬する張万洪先生、
いつもお呼びしていたように、ワンホンと呼ばせていただきます。 私は長瀬修と申します。立命館大学生存学研究所で上席研究員、障害学会で国際委員長を務めております。個人としてお別れの言葉を述べさせていただきます。
[スライド:2019年、武漢にて]
私たちが共に発展させてきた障害学国際セミナーが2019年秋に武漢で盛大に開催された時、これがあなたにお会いする最後になるなんて、夢にも思いませんでした。ご自宅にお招きいただいた際の写真を見返すと、あなたの優しさ、魅力、そしておもてなしの達人ぶりが思い出されます。ご家族やご友人、同僚の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
[スライド:2013年、武漢にて]
ワンホン、あなたと初めてお会いしたのは2013年8月の武漢でした。真夏の武漢はとても活気があり、あなたのグループがホストを務めた集会においてインクルーシブ教育に関する武漢宣言が、純粋に民間の障害者組織から出されたことに感動しました。また、若手の障害者の研修合宿が行われていたこと、インクルージョンインターナショナルの役員として知的障害者の参加があったことを喜ばしく感じました。
初対面の私を、あなたが研究室に快く迎えてくださった時、日本弁護士連合会会長の揮毫が飾られていたことに私は驚きました。当時、日中関係は領土問題で緊張していましたが、私たちは非常に温かく迎えられたことをよく覚えています。
すでにその頃から、あなたの周りには障害者権利に取り組む人々がたくさんいました。あなたの薫陶を受けた方々が、中国国内はもちろん、アフリカや韓国、ヨーロッパでもリーダーとして活躍していることを知っています。そのような人材を多く育てたことに、心から敬意を表します。
私たちの交流が深まったのは、2016年にあなたが率いる武漢のグループが障害学国際セミナーに参加するようになってからです。あなたの国際的なネットワークは本当に素晴らしいもので、それを活かして世界的に活躍されました。国際会議を開催する際には、私にも声をかけていただき、2017年には立岩真也さん、高雅郁さんと一緒に武漢に行きました。また、2021年には立命館大学で障害者の権利に関する集中講義を行ってくださいました。オンラインでもとても迫力がありました。
[スライド:2017年 青森にて・スライド:2019年 日光にて]
私たちは仕事だけでなく、私生活でも親交を深めました。2017年に再び日本を訪問された際には、横浜の我が家に泊まるだけでなく、本州の北端にある私の故郷、青森も一緒に訪れました。母の実家の銭湯に一緒に入り、父の実家の農村地帯でおばの家に泊まったことも忘れられません。あなたが私の通訳を介して、尖閣諸島のことも含め、親族と色々な話をしていた光景が鮮明に残っています。2019年には日光もご一緒しました。これらの楽しい思い出は私の宝物です。
[スライド:2018年 京都にて・スライド:2018年 台北にて]
あなたは中国をベースに障害者の人権を守るという非常に重要で、同時にとても困難な仕事を続けていました。次第にその仕事はますます困難になっていったことも、私はひしひしと感じていました。2013年に民間の障害者組織が宣言を出すことができたのは、今では夢のようです。その後、障害者研修合宿は、2015年の広州を最後に開催できなくなってしまいました。
あなたの立場もますます難しくなっていきました。研究者としての純粋な立場を維持することが難しくなったことを、あなたの文章を通じて感じました。2022年に国際機関に寄せたあなたのレポートに対して、批判的なコメントを私は出さざるを得なかったこともありました。「自分はお気楽な立場にいて、何と勝手なことを言っているのか」と思ったでしょうか。それとも、「必要なコメントだ」と理解されたでしょうか。
ワンホン、いつかあなたと、そうした困難なことを自由に、友人として話したかった。しかし、その機会は失われてしまいました。厳しい環境の真っただ中で、あなたが本当に勇敢に障害者の人権のために挑んだことを、私は一片も疑いません。そして、あなたが直面した壁は、私たちにとっても挑まなければならない壁です。
昨年、韓国で開かれ大成功だった障害学国際セミナー2023で、武漢以来久しぶりにお会いするのをとても楽しみにしておりましたが、病気のために来られなかったことが残念でした。
[スライド 五言絶句]
そして、今年一月に京都で行われた立岩真也さんの追悼集会に病気で参加できなかったあなたが寄せてくださった五言絶句の詩は、私に深い感動を与えました。それと同時に不安な気持ちにもなりました。あなた自身の覚悟をも感じさせられたからです。
だからこそ、あなたが障害者権利委員会に立候補されたと3月に知り、私はとても嬉しく思いました。体調が回復したのだと思ったからです。自国の審査に委員は関与できない障害者権利委員会は、あなたの国際的な活躍の場にふさわしいと感じていたからです。頼まれてもいないし、必要もないのに、勝手に推薦状を書き、あなたに送らせていただきましたね。しかし、6月の選挙直前に立候補が取り消されたことを知り、不吉に感じていました。
[スライド 張先生と長瀬]
6月10日にいただいた最後のメールで、あなたはこう書かれていました。「日本や武漢でお会いできることを楽しみにしています。また、東アジアの障害者協力と交流に貢献できる機会が増えることを期待しています」。あなたのその思いを、私たちは東アジアで引き継いでいきたいと思います。私たちを取り巻く環境が厳しくなればなるほど、私たちの協力、交流、そして連帯の持つ意味はいっそう大きく、強くなります。それは障害分野を超えて意義があると私は確信しています。この障害学国際セミナーもそうした取り組みの大切な一部です。
大切な友人ワンホン、あなたからもっと学びたかった。もっと話したかった。この障害学国際セミナーで、あなたの追悼をすることになるとは思いませんでした。でも、あなたに会えて良かった。あなたがいてくれて、本当に良かった。私は、この十一年間の思い出を大切に、これからもそれを生かしていきます。本当にありがとう。今はどうか安らかにお休みください。
*作成:
岩﨑 弘泰
UP:20241107 REV:20241113(
中井 良平
), 1114(
岩﨑 弘泰
), 1115(
中井
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