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2024年2月5日 桜井政成ゼミ 質疑応答と感想の記録
『精神障害を生きる――就労を通してみた当事者の「生の実践」』合評会

立命館大学大学院 先端総合学術研究科 研究指導助手 駒澤 真由美 20240215.

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last update: 20240319


 本資料は、去る2月5日に立命館大学政策科学部の桜井政成先生に企画いただいた拙著『精神障害を生きる』合評会での質疑応答の要点をまとめ、また時間の関係で応答しきれなかった内容について訂正を含めて補足(※で表記)したものである。当日参加者は、ひきこもり経験者の居場所・就労支援のフィールドワーク研究で修論を提出した院生、自身の不登校体験を生かして学習支援のボランティアをしながら大学院への進学も視野に入れつつ「高齢者の見守り」をテーマに卒論を計画している学部3回生、就労継続支援A型事業所を起業し運営してきた実践に説得力を持たせるべく博士後期課程に所属している院生と、主催者である桜井先生の4名である。冒頭より参加者2名から拙著への解題をお話いただき、約3時間にわたって議論を集中的に行うことができたことにあらためて感謝したい。


Q1:インタビューでこれだけの語りをどうやって得られたのか?

A1:調査研究だが、インタビューの場が臨床でもある。了解を得て録音するが、表情を見ながら言いよどんでおられるなと感じたら「止めましょうか」と聞き、うなずかれたらその箇所は研究に使わず、ただ話を聴くだけに留める。「いや、止めないで」と言われたら、このことを記録してちゃんと使ってほしいのだと理解する。また「思わず言っちゃった」「言い間違った」というのは後から逐語録で削除や訂正をしていただく。そのような微妙な細かいやり取りを繰り返している。もちろん、この研究が終わった後、その方の人生はまだ続いているので、また考え方が変わられたりしているかもしれない。だけど、私との出会いのなかで、その時に話されたいことを、その環境やタイミングで感じていらっしゃったことを一旦は吐き出してもらうという感じで話していただいている。もう一つは、この方は(たとえば)いま怒っていらっしゃるんだろうなと感じたら、その感情に応答(ときに同調)するようにした。もちろん私の思い違いということもあるが、それで思わぬ話が展開することもある。

※補足①:最初に趣意書をお渡しし読み上げ、同意書を交わして実施した。倫理審査用に準備したインタビューガイドを念頭に置きつつも、設問項目にとらわれることなく、自然な対話を心がけた。


Q2:当事者でもある支援者は、当事者性をどこまで開示すればいいのか?(第3章)

A2:国の政策でピアスタッフに(障害福祉サービスの)報酬加算がつくようになった。が、精神障害だけでなく、子育ての経験、癌になった、幼少期に虐待を受けたなど、誰もがいろいろな人生の当事者で、当然だがそれを一人で全部経験することはできない。それぞれ症状も環境も異なるので、必ずしもその経験を売りにすることはできないけれども、ある場面でその経験が効いてくることはある。ご本人がピアとして働きたいというのは動機にはなると思うが、それが周囲の人たちに受け入れられるかどうかはまた別の話である。「私(利用者)は月1万6千円の工賃で、あなた(ピアスタッフ)は16万円のお給料をもらっているのね」みたいな話になってくるので。

S:ベクトルが違う2つの役割を負わせられることで、その人自身が混乱する。ゴッフマンが「役割期待を人は演じる」と言っているが、ピアなのか専門家なのかどう演じていいかがわからなくなる、それがやっぱり良くないのかなと思いながら、この章を読んだ。

図3-1 複数役割を担う青山さんの複雑な立場性
図3-1 複数役割を担う青山さんの複雑な立場性


Q3:ピアスタッフは、「精神障害から回復した」と誰かから見なされてなるものなのか?

A3:それは関係なく、ある求人票ではどこの精神科にかかっているか、診断名は何か等個人情報を書かされるところもあった。今も通院・服薬している人が自らの経験を活かして支援する。

S:ピアスタッフって、そういうものなんですかね。なんかちょっと違う。治った人が、せなあかんのやろうと思うけど。

Q4:賃金補填については、どのように思われているか? 個人的には、競争して仕事を獲得していこうというときにマイナスに働いてしまう。国からの補助金を賃金に使っていいと言われたら、言葉は悪いかもしれないけど、ラク、安心やなって。(第6章)

A4:そもそも広がっていない。出ても一人7万5千円とかで人数制限もある。A型事業所のほうが倍以上もらえるので、そちらに、さらにA型からB型に流れていく。A型をいかに事業として成り立たせるか。現実では、A型もB型もやっている作業が変わらなかったりする。清掃やレストランをB型(工賃)でやっている事業所もある。ある意味で労働搾取と受け取られる面もある。現在はA型よりもB型がさらに増え続けている、どんどん株式会社が新規参入して。

H:これ、福祉全般に言えること。事業をやることが目的になっていて、本人たちがどうかっていうところの視点がなくなってしまっている。空洞化している現状を10年現場でやって本当に痛感した。じゃあ、そこから本人たちがどうしたいと思っているのかとか、どうありたいと思っているのかということを職員が全然知らない、わからない。やっていることは この事業所を継続するため。制度ができていくのはいいけど、生きていくなかで福祉に従事している人間たちも収まろうとする、そこから出ようとしない。本来、社会福祉が日本でできた経緯のなかで、ソーシャルアクションを、社会に対してやっぱり発信していくんだって戦う部分も必要なんだっていうところの欠如を本当に感じてきた。そういうのがマジョリティな業界になってきてしまっているなっていう感覚は間違ってなかった。そこへの危機感がすごくある。自分たちの給料をどう確保するかっていうことに躍起になっているようなことしか耳には入ってこなくなってしまった。

S: まず、労働運動とその福祉の運動が結びついていないので。労働運動、今どき盛り上がらないけど、政府と経団連が率先して最低賃金を上げてくれているから景気がいい。景気が悪い時期、労組は何をしたかと言うと、非正規雇用に賛成して、できるだけ今いる社員の正規雇用を守ろうとした。だから、それは自分で自分の首を絞めたんですよ。氷河期時代に労組がそういうことをしたから、誰も労組になんか入らなくなって、いま労働運動なんて盛り上がらなくなっちゃったんですよ。

Q5:世代的には、50代、40代、30代と、バブル世代、氷河期世代、その後と、世代のミックスがあるのですけど、たどってきたライフコースというのは一緒なのか?(その時代、景気が良かったからなんとかなったみたいな人はほとんどいなかった?)

A5:第5章の西行さんはバブル期で就職できた時代だが、4回精神科病院への入退院を繰り返して解雇されている。その下、第2章の松坂さんは就職氷河期で派遣の時代、一度も一般就労をされていない。第2章の岡田寛子さん、第1章の道場さんも1社目は正社員で入社されているが、退職後は病の関係でどこも続かなかった。道場さんは調理師。今の職場では、長時間労働・残業せずに1日6時間でバランスを取られていた。第6章の女性の松田さんは2社目からは外国人技能実習生の時代、ベトナム人のところに放り込まれて言葉が通じない。インタビューでは、そのような時代背景も見ながら話を聴いていた。

※補足②:拙著の読者のなかに休職して復職できた人や通院・服薬しながら勤務を続けている人はいる。就労支援を利用していないため、研究協力者としては登場していない。


Q6:ジェンダー差は感じられなかったのか?(女性のほうが人には相談できるのかな、相談できなくて抱え込んでしまうのは男性が多いのかな。ただ、女性のほうが職業的には不安定になりがちなのかな)

A6:私のなかではそれはあまり浮かび上がってこなかった。男性でも相談する人はする(第1章の道場さん、村上さん等)。


Q7:精神障害当事者は「リカバリー」を指向しているのか?(第5章)

A7:あまり意識されていない。「回復」という言葉もほとんど聞くことはなかった。インタビューしたなかで自ら「リカバリー」という言葉を口にしたのは第3章の青山さん(専門職で当事者でもある)のみ。なお、(認知行動療法などを行う)心理職は就労の現場にはいなかった。外部でそれぞれが利用する形になる。困りごとに対処するようなSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)、当事者研究のアレンジ版のようなものはあった。浦河べてるの家の当事者研究は、就労のためではなく、自分たちが生きていくための技法。

※補足③:デイケアで就労支援をしているところもあるが、基本的には下図のイメージ。

図 序1 精神障害者を取り巻く法制度と障害者就労の関係
図 序1 精神障害者を取り巻く法制度と障害者就労の関係


Q8:実存を問うみたいな感じのことを工夫して、うまくアレンジして、理念を持ってやっているところはないのか?(制度はうまく利用するけど、就労ありきの社会に反旗を翻すみたいなことをやっている事業所はないのか?)

A8:そういう理念を持ってやっているところもあるだろうが、本当にわずかだと思う。 

S:Tさんのひきこもりの支援の現場では就労ありき以外のことをどう考えていたか?

T:就労をゴールというのは別になく、それよりも本人の意思を大事にしていると述べている方が多かった。ひきこもりの方とか、そもそも外に出ることが難しいので、居場所でも難しかったり、就労なんてもっと壁が遠いからとおっしゃっていた。

H:うちもそれをやっていた。いざ働く経験をしてみようとなっても受け入れてくれるところがなくて、体験をさせてくれって来る。けど体験はお断りして、ちゃんと働きに来てくださいと言って〔中略〕今日一日働いた対価として今日の給料を渡す。制度の建付け上A型がしないといけない仕事ではないけど、お金を引っ張ってくる手段として、その枠の中で何ができるかを考える。数時間に何百回と「ありがとう」を受け取る経験をすると、やっぱり変わる。そういう発想がない。不登校、高校中退、少年院あがりの人、気持ちはあっても出ていく先がない。

K:社会的事業所で給料面での不満はありつつも継続して働いているのは、一般就労のように無理に頑張らなくてもいい安心感があるからではないかと感じた。

A:これまで福祉的作業所で月に5千円。ここは賃金が安くても10万円もらえるので、障害年金とあわせれば何とか生活していける。一日6時間なので負担も少ない。ほかに行くよりはいい。字が読めない・書けない方もいるが、清掃の仕事はできる。やれる人がやれることをやる。確かに仕事の遅い人・速い人はいるが、普通の企業でもそれは同じだと思う。

Q9:リカバリーの話が「パーソナル・リカバリー概念の限界」というなかでしかされていない? 社会的就労とリカバリーがどのように結びついているのか?(第7章)

A9:パーソナル・リカバリーは概念。色々な指標(p444)のなかの一つに就労がある。一人暮らし、友人の数など、そういった指標でパーソナル・リカバリーを測ることも困難だし、それはあくまで支援者側の見方。就労では測れない「生の論理」がある。第7章の今井さんは、様々な支援者や制度との関わりのなかでたまたま社会的就労の場に行きついたところでストーリーが終わっているだけ。この先のことはわからない。(すべての人にとって)社会的就労がリカバリーとは限らない。


Q10:(博論について)「リカバリー」でいくしかないとなったのはなぜか?社会的就労が望ましいという結論ではないのかと疑問に思った。

A10:それは、私の動機が「リカバリー」から始まっているから。修論は、がんで配偶者を亡くした10人にインタビューした。死別や精神の病など人生で予期せぬ出来事に遭遇した人たちはどうやって生きていくのだろうかという、研究に通底するテーマがある。就労支援の制度の研究がしたいわけじゃない。それは別に私でなくてもいい。そもそも、就労支援だけの調査では報告書になってしまう。理論がない。論文にならない。研究過程で、「一般就労でもなく、福祉的就労でもなく、社会的就労」というゴールも考えた。でも、「共に働く」と言っても、結局は障害者手帳を取らないといけないし。一般就労にどうしてもチャレンジしたいという方もいれば、一般就労には行く気がないとはっきりおっしゃる方もいたので。第5章の西行さんは、「お金、15万持ったらパッと使ってしまう」と言っていた。私も導入で、時給200円ってどうなの?と思っていたけれど、その制度で何とか過ごされている方もいる。それは否定できないなと思った。だから、どの就労が良い悪いという話が本書の言いたいことではない。

S:枠組みの話になってしまうが、主査が立岩真也先生で、副査が岸政彦先生の指導が入ったんだなというのがよくわかる本だなと思った。

A:ありがとうございます。立岩先生がおっしゃっていることは正しい。だから、「リカバリー」なんて言う必要ない。結論はそう。そうなっているが、それを言うためには、「リカバリー」について書く必要がある、と主張して自分の意思を貫いた。

S:社会構成主義は、その場でしか生まれない語りであり、再現可能性がないから客観的ではないというのが以前のライフストーリー論。いわゆるナラティブ。それに対して、岸先生の立場は、「いや、そんなことない。ライフヒストリーとして、その個人の人の歴史でもあるけど、社会の歴史としても捉えられる」と。 だから、客観的な事実として使えるものなんだという立場で論考されている。私は、その人の語りとその外部環境との関係をどう結び付けていくかだと思う。その一人ひとりの語りに、その語りが語られた時代背景と一緒に整理することによって、どこまでそれが事実として使えるかみたいな話になっていくんじゃないかと思っていて。駒澤さんも時代背景と一緒に分析してきたというのは、岸先生のご指導なのかなと思いながら聞いていた。

A:「歴史と構造のなかで本人の行為の意味を考える」というのは、岸先生の指導。「生活史」という言葉は使っていないが、やっていることはそうです。

S:いま私が関心あるのが、ナラティブがどこまで事実として使えるのか。ナラティブ主義者の人たちは、語りは透明な報告ではないというふうに捉える。その場で生まれていく。対話、聞く側の人がすごい重要で、その人の立場とか聞き方によって、生まれてくるストーリーが違うと言う。もう1つ、読みながら思ったのは、ナラティブのもう1つの側面は臨床心理の方に取り入れられた歴史があって、人が語ることによって癒されていく、セラピーになるということで、現場に取り入れられた。それは読んでいくと、そこらかしこにあって、だから、たぶんセラピー的に聞かれていたんだろうなとは思っていたんですよね。それは、逐語録を読みながら言葉を補足したり、語り直すシーンというのが結構出てきていて、それによって、セラピーの意味としての、その人の気持ちが整理されていく、自分の考えがまとまっていく、みたいな経緯がすごいよく出ていた。ただ、難しいなと思ったのは、自分自身もそう思ってしまいがちなのだけど、自分自身が一番いきいきしていた時期を1つの基準にして、そこ目指さなきゃって、すごい思っている方が何人かいて、 やっぱり人間って、過去の経験に引っ張られるんですよね。それは行為のリフレクションとかって、デューイとか、ブルデューとかが言っていたりするけど、その自分の経験をどう振り返るかがすごい重要で、それを何回も何回も振り返って、それによって過去の記憶が、意味付けが変わってっちゃったりもするんですけど、それがたぶん変わらないと、前にも進めないんだろうなと思って。なんかその辺の過程もあったかな。人によっては、3回目の語りで意味付けが変わったみたいな人がおられたような気がしたので、そういう意味でもセラピーだったのかなと。なんか少し、 過去のあの経験の意味付けを変えていく過程みたいなのが面白かったな。ただ最後に、ナラティブアプローチというのは、確かにセラピー的に使えるんだけど、それはいわゆる、心理主義/心理学主義と言われるもので、 その人の心の問題に全てを落とし込んでないかっていう批判はあって、産業社会学部の崎山先生も書いていたんですけど、先ほど出た認知行動療法も一緒で、その人の気の持ちようを変えていくというのは、そこはやっぱり限界があって、社会を変えていくわけでもないから、その障害を持っている人たちの気の持ちようでなんとかなることなの?という話で、ナラティブしてもしょうがないというところはあると思うんですよね。そこはひょっとしたら、いま駒澤さんがSNSでのいろんな当事者の語りやオートエスノグラフィーにも関心をお持ちなのも最近ちらほら見ていて思ったので、それはたぶん当事者が発信していくことに、意味や重要性を、なんか思うところがあって注目されているのかなって。やっぱり当事者の発信が、なんかこう社会を変えていけるんじゃないかみたいな希望をお持ちで、だから、そういうのに最近注目されているのかなというふうに思った、という感想です。


Q11:本書ではどのようにナラティブを扱うスタンスを確立したのか?(現場/教室で)

A11:まず経緯としては、修士論文の死別研究で、研究協力者(遺族)はそれなりに社会に適応し日常生活を過ごせているが、それぞれにいまだ「囚われ」があり、その「囚われ」が故人の精神疾患や習癖,親戚との不仲など生前のディスコースや、病院関係者や周囲の人たちの発言など外部の社会的・文化的なディスコースに由来している様子が窺えた。そこでインタビューで得られたデータだけでなく、協力者の語りに影響を与えうる社会的・文化的・政治的なディスコースに関する史料やフィールドワークによる参与観察も含めて情報を収集し検討する必要があると考えた(修論での気づき)。次に私自身のナラティヴを扱うスタンスは「社会構成主義」であり、マイケル・ホワイト(2007)やハーレン・アンダーソンら(1992)をベースにクライアントが体験した出来事に対する行為の意味を「無知の姿勢」で本人と共に探求するというもの。語りが「事実」かどうかよりも、本人がどのような捉え方をしているのか、本人にはどう見えているのか等、当事者にとっての「真実」に着目する。と同時にそのように考えたり行動したりする背景にいったい何があるのか、その文脈を理解するために本人から教えてもらいながら一緒に考えるというのが私のスタンス。


Q12:最近の駒澤さんのSNSでの語りやオートエスノグラフィーへの注目…自己語りの表出が世界をどのように変えるかに関心がある?

A12:はい、そうです。出版後に遅ればせながらSNSを始めたら、当事者も支援者も赤裸々に要望や不満を発していて驚いた。これまで声にならない声を掬い上げようと聞き取りをしてきたが、現在は自己を自由に語ることのできる仕掛けを一緒に創っていくことに関心が向いている。

Q13:働き方は変えられるか? 協同労働に(そこまで)期待できるのか?(終章)

A13:労働法が適用されると、柔軟な運営が難しくなる一面もある。就労継続支援事業の利用者は(A型でも)組合員構成の要件としてカウントできないなどの制約がある(本書p.459の最後から2行目~p.460の7行目まで)。制度に乗ることで自由度を失うリスクもある(本書p.471)。


Q14:自立とリカバリーの違いとは? 今一つつかめなかった。

A14:リカバリーの定義は、国や地域、事業所や個人によっても異なり(序章)、第1章の道場さんや村上さんのように「自立」を「リカバリー」と捉えている人もいるということ。


Q15:筆者自身がうつ病を経験していらっしゃるということで、調査でボランティアを行う時、どのような立ち位置でボランティアを行っていたのか? 第3章の青山さんのような、アイデンティティに関わる葛藤はあったのか?

A15:大学院生の「研究者」という立場で、博論の研究に協力していただきたい旨を施設長・職員・利用者の方々に(職員向け説明会、事業所内の朝礼などの場で)伝えた。そのうえでボランティアを行った。自身のうつ病の経験については表立っては公開していない。修論の研究では、「がんで配偶者を亡くした当事者」という立場を公開して協力者を募った。だが、インタビューの最中に走馬灯のように自分の体験が思い出されて、話し手の語りに集中できない場面もあった。こんな失礼なことはないなと猛省して、博論の研究では、自分の体験とは少し距離を置こうと思って、研究テーマを変更した。


Q16:社会的事業所での一律の分配金に対して不満が語られる場面で、「誰もが対等に働く場」であるからと言って不満を上に言わないのは違うような気がした。(第6章)

A16:そういう状態に置かれているということ。言えば、ここに居られなくなるのではないかと思っていたのかもしれない。


Q17:一般就労においては、就労の場に合理的配慮がないことが前提? 本書からは、配慮をすることにも抵抗感がある現状が見て取れた。何がそうさせるのか?(第1部)

A17:同じ会社でも上司が変わると対応が変わったりする。つまり人による。制度としての合理的配慮は浸透しておらず、機能していない。第3章の青山さんが介護職で「上にはオープン、下にはクローズ」の状態にあったのは、人手不足なのにこれ以上現場に負担をかけて辞められては困るという懸念が上の人にはあったのではないかと推測する。


Q18:「当事者なりの新しい『合理性』の枠組み(p198)」が差別の受容になっていないか?

A18:差別の受容というのはその通り。「考えないようにしている」と言わせてしまっていることも問題。


Q19:結城さんのインタビューでは、筆者自身も「心配になり」ということや、なかにはカウンセリングをしているような印象を受けた場面があった(p331)。(第5章)

A19:結城さんの自殺企図への介入については、相方さんの死去後ではなく、闘病中の出来事であった。駒澤自身の体験から、今は病院での看病に専念されたほうがのちに後悔がないのでは?と感じて、施設長に結城さんの了解を得て状況を伝えた。その時は、結城さんの、「人の命」に関わる問題だと思って動かずにはいられなかった。


Q20:作業所の作業内容に関して。単純なものが多いイメージだが、一方でピアヘルパーやバリスタを利用者のステップアップの場としている事業所もある。このことから、就労の課題は作業所が仕事を獲得してくる力量という話になるのだろうかと感じたため、作業所が仕事を獲得する、または新規事業を生み出すことについて、どのような苦労があるのかをお聞きしたい。(第5章)

A20:福祉的就労の多くは事業をなりたたせることに力を注いでいる状況。一般企業とも仕事の獲得を巡って争わなければならない。現実には、下請けの孫請けの内職作業を安く引き受けさせられている。利用者のためになることと事業の継続の両立が難しくなっているのが実情。


Q21:「精神障害者」はラベルであるが、「当事者」はラベルなのか? 私にとって「当事者」は、自らの現状を訴え、社会と戦う、あるいはお互いを励まし合っている人々という認識でした。「当事者になる」ことなしに生活できる社会の仕組みが望まれるのだという本書の主張がよく分かりませんでした。(終章)

A21:本書において「当事者」とは、自分の問題の根源を考えていく時に、社会に対してどのような要請をしていけばいいのか、という話も含めて「ニーズを持った人々」(p.41の最後から3行目~p.42の1行目)と定義づけている。P.455に書かれている「当事者」は、「精神障害」というラベルを自らに貼って生きる「当事者」のことをさす。たしかに誤解を招く文章となってしまっている。ここは「精神障害者」というラベルを貼らなくても生きていくことのできる社会、としたほうがよかった。ご指摘ありがとうございました。


Q22:正規労働者になることが障害の有無に関係なく難しくなっていることを考えると、精神障害当事者の就労はどのような場で実現していくことがいいのだろうか?

A22:「精神障害者の就労」と言った時点で、対象(客体)化してレッテルを貼っていることになる。逆に言えば、競争的雇用で精神を病むことも増えているので、一般就労そのものの働き方を見直す必要があると考える。

※補足④:立岩真也(2004)『自由の平等――簡単で別な姿の世界』岩波書店(p.33)より
 生活欄で「がんばりすぎない」ことが言われ、同じ新聞の政治経済欄に「新世紀を生き抜く戦略」がある。それを矛盾と感じる気力も失せるほど社会を語る言葉は無力だろうか。いま考えるに値することは、単なる人生訓としてではなく、そう無理せずぼちぼちやっていける社会を実現する道筋を考えることだ。足し算ではなく引き算、掛け算ではなく割り算をすることである。もちろんそれは、人々が新しいことに挑戦することをまったく否定しない。むしろ、純粋におもしろいものに人々が向かえる条件なのである。




2024年3月6日追記
 上記質疑応答以外にもご発表いただいたお二人の感想を記録として以下にとどめておく。

<お1人目(平尾昌也氏)の感想>
全体所感
• これだけのインタビューを実施して、当事者の語りを抽出するのに大変な思いだったのだろうと率直に感じた。
• 語りを得るには、対象者との関係づくりも重要なポイントで、長期間に渡って参与観察された努力の賜物だと感じた。
• 【リカバリー】【就労】をコアに置いたことで、とても読みやすく感じた。
• 仕事場以外での生活に関する内容(地域社会での生活者・住民としての側面)がすごく気になった。(個人的な関心事)
• 知的障害・身体障害と精神障害・発達障害は当事者の障害受容において異なる側面があるということを改めて実感した。
• 障害者はマジョリティである健常者中心の社会構造によって生み出されたものであること、「障害者」という枠を作ることで「支援対象者」のレッテルを貼って安心する(健常者と区別する)。その枠に入らなければ、他の障害者が受けられる「支援」を受けられない、受ける権利が守られないために枠の中に入ることを求める・・・なぜなら枠の中にいなければ、社会から弾き出されて、生きていく事さえままならない環境がそこにあるから。

第1章
• 制度や法律によって提供される支援には、【対象者】が定められているために、規定される【対象者】の枠に自身の選択として入らなければならない。
• 精神障害者にとって、職場の人間関係は重要なポイントであり、頼れる場所や依存先を複数持つことで心の支えとなる。

第2章
• 自分が「障害者」であることを受容する(認める)ことに抵抗がある背景には本人自身の内在する障害者への偏見(内なる偏見)があり、ジレンマが生じている。
• これを乗り越える?ことができなければ、サービスを使うことができない為に、乗り越えることが求められる。
• 「制度としての障害」に集約されるように、制度が障害者というカテゴリーを生み出しており、「本人が望む・望まない」は無関係であり、支援を受ける為には「望む」以外の選択肢がないことが問題。
• しかし、国の制度や法律では、その対象を明確に規定しなければ実施することができない建て付けになっている。

第3章
• 専門職として関わるのであれば、安易に当事者性を開示してはいけないと思う。クライエント理解のプロセスの中で、自分の体験と重ね合わすことはあるが、自分の経験=相手の経験ではない。専門職は理解していたとしても、クライエントはそうでないことが多いのではないかと懸念される。その状況で当事者性を開示することは、最終的にクライエントに誤解と負担をかける結果となるのではないか。

第4章・5章
• 自分自身もA型事業を使って組織の経済基盤を確保しながらソーシャル・ファーム実践を行ってきたこともあってか、うまく受け止めきれない部分があるのだと感じた。
• A型を利用する当事者の方々の、利用に至るまでの人生や体験は本人の口から語られる以外に積極的にアプローチしなかった。それは、そこに立つある種の覚悟を決めた人たちに対して、私たちができることは「働きたい」「稼ぎたい」というニーズに応えることしかないと考えたから。
• 「働く」ことを通して、地域社会へ参加する機会を広げること、その人たちの存在を地域社会に知ってもらって、つながりを広げることを法人としてのMissionにしていた。
• 障害の有無に関わらず、お互いに支え合う(合理的配慮的なことをしあえる)職場環境づくりを大切にしてきたことは、職場の安心感や居場所感を高められたのではないかと感じた。
• 法律や制度が未整備の段階では、自分たちが必要だと感じる取り組みを自由に組み込むことができたし、「自分たち」の所有感やアイデンティティに近い場所であった。しかし、「法律や制度が整備されると、他者によって作られた枠組みの中に押し込まれるという結果が引き起こされる反面、経済的な基盤は得られるようになる」というトレードオフの関係にあることへの違和感・葛藤・諦め。
• 他者に決められた枠組みを越えるために、その枠組みを利用して超えようとする試みではあったが、当事者の人や社会から見れば(外から見れば)“単なる1つのA型”でしかない。という現実。
• A型でも、最賃以上の雇用契約を結べる人もいるが少数。週40時間前後の人も少数。その少数者が一般就労すると、「支援も無くなり・給料も下がる」ことが多く、一般就労しない人たちもいた。(そりゃそうなるだろうと察する)

第6章
• 障害があるから働く場所がない。というアンフェアな社会を変えたいという思い。こんな場所は無い方がいい。けど、無いと困る人たちがいる以上存続し続けなければならないという矛盾に満ちたモチベーションがあった。
• 補助金という意味では給付費も社会的事業所の補助金も同じだが、後者は障害者への賃金を補填することができる。給付費はそれができない。これをどう解釈するか・・・。
• 働く場所が、行くところが「ここしかない」と表現されている。追い詰められて、ある種の諦めにも感じられる反面、ここなら「安心」できる場所を見つけたという感情も受け取れる。
• 「考えないようにしている」という発言について 考えるとしんどくなる。考えたところで思うようにはいかない現実と体験を目の当たりにしてきた本音が詰まっているように感じられた。

第7章
• 「実際の社会に触れ合える経験ですね」←楽しい理由 (これまでの障害者福祉サービスや制度を否定する意図はないが)障害者への支援において、閉鎖的であったことや、現状においても同様の傾向が継続している。例えば、内職仕事や工場内作業などでは、作業している人以外との接触はほとんどない。逆に言えば、そういった仕事しかこれまで無かったということもできるのではないか? これには、福祉政策の歴史や、これまでの差別と偏見の歴史とも関連があるのではないかと思った。

終章
• 一般就労・A型就労・社会的事業所就労のいずれにしても、最賃水準の賃金しか得られず、生活保護費と大差ないのが現状。高所得を目指すのであれば、非障害者雇用枠で就職するしかないが、現実的には難しいのが現状。この状況を短期間で劇的に変えることは不可能に近い。
• 「障害年金+最賃雇用収入+福祉サービス利用(グループホーム等)」で地域生活がギリギリ継続できるラインで制度設計されていると考えられることから、最初の段階で就労だけで安定した生活ができるようになっていない。
• (株式会社で働いたことはないが)正社員として働く際には、結果と成果を厳しく求められる。それは株式会社のMissionが、出資者である株主に対してより多くの配当金を出すこと(会社としての企業価値を高めること)であるため。働く社員の働きやすさを主軸に置く会社は少ない。社員も結果と成果を出して評価され、高い給料を貰うために働いている。同僚は仲間ではなくライバル(競争相手)という側面もある。和気藹々とはなかなか行きにくく、人間関係もギスギスするのも当然と言えば当然。

<お2人目(古賀愛海氏)の感想>
第1部
• これまでは一般就労に関して何も疑問を抱かなかったが、一般就労で何かしら働きづらさを感じる人たちの立場から見ると、異常さを感じた。
• 定着支援で会社と障害者間の調整をしていることを初めて知った。複数人が支援者の存在を「安心」という言葉で語っていることから、調整をする専門家の支援の必要性が垣間見えた。
• 労働規範を内面化しているため、一般就労を目指す政策への合意形成がしやすいことが見て取れた。しかし、支援や人間関係の中でたまたま自分がそのような状況で生きることができているだけであると思う。
• 「専門職」と「当事者」というアイデンティティの間で葛藤が生じることについて、専門職は単なるやさしさで務まるものではないのだと思った。
• アイデンティティの葛藤について、似たような経験をしていると感じた。私は不登校経験者であり、現在ボランティアで携わっている学習支援教室にも不登校の児童生徒がいる。理事の先生からは、経験したからこそ、してほしいこと・してほしくないことが分かるから、それを支援する側に伝えてくれたら嬉しいと言われたことがあり、当事者としてのアイデンティティは守られているのだなと感じた。

第2部
• 結城さんがインタビュー当時に抱えている葛藤がとても伝わってきた。結城さんの言葉には力強い印象を受ける。しかし、その言葉にはやや攻撃性があり、他者にも結城さん自身にもそれが向かっているように感じる。とにかく規範が内面化されている人だと思う。退所後のSNS投稿を読んで、どのような気持ちで「これで完全に無職となります」と書いたのだろうかと苦しくなった。筆者自身も「心配になり」ということや、なかにはカウンセリングをしているような印象を受けた場面があった(p331)。本書に記述されていないだけかもしれないが、結城さんのインタビューでは特にそれが目立っていた気がする。言葉に表せないが、とにかくこれを読めて良かったと感じた。
• 事業所ではそれぞれが役割を与えられ、それに積極的に取り組もうとする姿が見て取れた。講演やピアスタッフという役割のために、試行錯誤する、それは一般就労における仕事と何も変わらないのではとも感じた。しかし、精神障害をもつ多くの者にとって、一般就労で自身の能力を発揮することが難しい。そして、福祉的就労でも問題はないと言えない。そもそも、就労を頂点とする制度のもとにおいては、就労継続支援B型に通い所得を得ている状況そのものに葛藤を抱かせると本書を通して学んだ。家族や友人にさえ認めてもらえない生活保護での生活。なんだか生きること自体が辛くなるのではないかと思った。
• 一般就労を望むことへの葛藤。給料が少ないという理由で労働条件の改善が求められているが、精神障害当事者はただ昇給を一筋に望んでいるわけではなく、葛藤もしている。現状を変えることがリスクであると語ったB型作業所に通所する瀬戸さん。A型作業所と一般就労では給与水準が変わらないため現状維持を選択している北村さん。就労の場を階層化していることで、その場を居場所として認めることが難しく、一般就労という目標を抱かせ葛藤させているのであった。自己否定につながるような気がする。それは支援者との個々のやりとりの枠内で解決することなのか。そのような感情を抱かせてしまうことが問題なのか。とすれば、一般就労とリカバリーを同一視し、精神障害をもつ人々に対し一般就労をするように求めることはやはり問題であると感じた。

第3部
• 同一労働同一賃金であることの不満。ああ、やっぱりそう思っているんだと感じた。職場でも仕事早い人もいれば遅い人もいる。その人たちも給料は同じ。私は障害の有無で給与が異なるのが当たり前と考えてしまっていたのだと自覚した。
• 社会的就労の場は指導員がいないことで、労働者同士が対等な関係を作りやすくなっているのだと感じた。対等な立場であるからこそ話せることもあり、それは障害の有無にかかわらず誰にでも大切なことである気がする。一方で、精神障害当事者の就労には何らかの支援が必要であることも別の語りから読み取れる。しかし、それは就労の場における指導員の必要性ではなく、外部の支援やその支援につながる必要性のことなのだと考えた。

全体所感
• リカバリー=一般就労ではない、ということに加え、リカバリーはある時点に限定されるものではないと考える。リカバリーは層のように重なっており、グラデーションを持つものであると考える。そこにはゴールはなく、それこそU所長の言う「『私はこれでオッケー』と思えることを『リカバリー』と言うならば、寿命を終える日まで完成しないもの」であるという解釈が私にはしっくりくる。
• 現在の政策は、リカバリー=一般就労をゴール地点として捉えられていることが問題であるということだが、そのように捉えないようにしようと言っても、では何を課題として政策を立案するのかという事態が起こると思った。障害者の就労を実現することは人権保障であり、労働市場から排除される傾向にある障害者を包摂する役目を持つため、就労を政策目標とすることに対する異論はない(ただし、本書で示されているように「精神障害者になる」ことを強要する政策は問題である)。しかし、本書においては、就労の現実が描かれている。一般就労では障害者枠雇用はほとんどが非正規であることや、どの形態の就労であっても給与が足りていない状況、再発と退職・退所の繰り返しなどである。筆者は、障害者というラベルを貼らずに働くことができる場として協働労働をあげている。しかし、制度で言う所の「一般就労」から障害をもつ人々が排除されることは、これでは解決されないのではないかと思ってしまった。

以上




*作成:岩﨑 弘泰
UP: 20240315 REV: 20240317, 19
障害者と労働 全文掲載
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