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川口有美子氏インタビュー・3


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川口 有美子 i2022c インタビュー・3 2022/11/17 聞き手:立岩真也 於:東京

古込 和宏(1972/04/26〜2019/04/23)
生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
◇文字起こし:ココペリ121 https://www.kokopelli121.com/ 【rmk20-3】20221117川口有美子3


立岩:古込って、Facebook(フェイスブック)友だちだったんだよね?

川口:うん。Facebookでなんかしょっちゅう病院の悪口言ってる人いるんで、それで「あっ」と思ったら医王病院じゃん。

立岩:医王病院ってものを知ってたってこと? その時代。

川口:医王病院は私だって院長先生親しいし、前に筋ジス病棟の見学に行ってそこのソーシャルワーカーさんとも親しいし、その中で働いてるスタッフ何人も知り合いがいたの、医王病院に。だからおおやけにFacebookで医王病院の悪口書かれると困るなと思って。最初ね。

立岩:じゃあ医王病院のスタッフを知ってるほうが先か。

川口:そうそう、ぜんぜん先。何回も行ったことがあったし。

立岩:知ってる人もいる病院なのに、悪口書いてるやつがいる的な?

川口:そうそうそう(笑)、ちょっと困るなと思ったの。
 だからさ、入院患者の言いぶんと、病院の「いや、そう言われてもできない」っていうのと「いや、やってあげるけど時間がかかる」とかそういうのあるじゃない? 両方ともわかるのよ。私の立場からすると両方とももっともな面があるから、そこを調整するのが患者会の役割っていうかさ、でしょ? だからそういうような気持ちもあったし、もともと石川県って私が過ごした、子ども時代のいい思い出のある場所なんです。金沢ってわんぱく時代平和の団地で暮らしてたから、金沢って第二の故郷なのね。そういうのもあって、それで関わると金沢にも行けるかなとか。あと井上英夫☆先生も仲良しだった。井上先生、法律家の。

立岩:井上さんもすでにその時知ってた?

川口:知ってた、知ってた。

立岩:何でなの?

川口:喀痰吸引の時にお世話になった。

立岩:喀痰吸引の制度化の時か。

川口:その時にもお世話になってたし、その前からも。金沢はALS協会の永井さんもいたしね。だから、知り合いがもともとたくさんいたし、そういう意味では支援に入りやすい場所っていうか、というイメージだった、最初は。
 で、古込くんの話を聞くと、気管孔を閉じてほしいって言うの。

立岩:古込さん自身が閉じてほしかったっていうこと?

川口:うん。最初にそんなこと言ってるから「あれ?」と思って。「いや、閉じないほうがいいだろうな」って私もちょっと思って。せっかく開けてもらったんだから有効利用すればいいじゃんとか思って。で、でも文章がなんかすごく上手だなと思ったのね。最初それがあったんですよ。

立岩:確かに彼は文章書ける人ですね。

川口:書ける。書けるし、なかなか魅力的な人ですよ。

立岩:でも、最初の最初はFacebookってもさ、だってFacebookやってる人っていっぱいいるわけじゃない? どういう発見のしかたっていうか。

川口:だからその、攻撃的な書き方をしてたっていうことと、

立岩:だけどそういう彼の作文を見れるとは限んないじゃない。Facebookやってる人は何百万人って。

川口:だからもうMessenger(メッセンジャー)でもう個人的なやりとりが始まったんです。Messengerで。

立岩:だけど、どっちがどっちを知って、どっちがMessengerでメッセージを。

川口:私が先に古込くんが悪口書いてあるの見て。

立岩:悪口を書いてあるのを見るってのは、どうやって発見するわけ?

川口:なんか流れてきた。友だちの友だちのシェアみたいな☆。
☆2011 田村一義が川口有美子のフェイスブックを紹介

立岩:そうか、川口さんの友だちの友だちだったから、彼のやつが流れてきてたのをたまたま見たと。

川口:うん。それでもやっぱり、なんか攻撃的な言い方とか、あとそれからどうしても「自分の思ってることをやりたい!」っていう気持ちがすごい伝わる文章を書ける人だったのね。そういうものあってMessengerに移って、ちょっと「もうちょっと詳しく聞かせて」って聞いて。そしたら、もうほんと即レスなのよ。たぶんもう寝ないで書いてるみたいなとこあるでしょ、ああいう人ね。で、私も即レスじゃない? だからもう一日に何十通も最初のうちは二人のやりとりがずーっとあったの。それでいろいろ背景を聞いたり、その筋ジス病棟の、こっちから見えない部分だとか、彼の言いぶんとかってのをぜんぶ聞いて、それで「あ、これはまずいな」と思って。何とか私ができることはしてあげようと思った。で、すぐにALS協会の永井さんに電話したの。そしたら永井さんは古込くんのことよく知ってたのね。[00:05:49]

立岩:そうなの?

川口:もともと。

立岩:永井なんていうの?

川口:みちこさん。道路の道子さん。もう長く、協会立ち上げる時からのその支部の代表、事務局長というか理事もなさってたような人で、うちのママが死んじゃった時は私を金沢に呼んでくれてなぐさめてくれたり、私としてはすごく親近感を持ってるお姉さん理事の一人なのね。だから永井さんもいるし、あと医王病院の中のソーシャルワーカーさんも知り合いだし、院長も知り合いだったんです。だからそういうものあって。
 そしたらね、道子さんに電話したら「だめ」って言うわけ。「なんでだめなんですか?」って言ったら、その例のその年金問題?

立岩:もう最初っからその話が。けっこうそれって初期の初期じゃん。

川口:いちばん最初にそれ言われたからショックだった。びっくりしちゃったもん。そんな理由で退院ができないのかな。

立岩:親が彼の障害年金を生活費にしてるから。

川口:あてにしてるから。

立岩:それがなくなったら親が困るから。

川口:困るからっていうのと、あとそれからもう遅すぎるっていう。もう彼はもうそういう…。

立岩:生活を変えるタイミングとしてはってこと?

川口:うん。末期に近いような状況の人って。もっと前だったらありえた、呼吸器つけたり気管切開したりする前だったらありえたかもしれないけど、ちょっともう遅すぎるし危ないし。あと、それからそもその金沢市内で制度を使いたいって言ってくる人がいないんだって。金沢の人は、重度訪問介護って「他人介護を望む人は誰もいない」って言われたわ。それで、ちょっと***(00:07:40)ちがうなって思ったのね。そんなはずはないなって思って。いくら東京とちがうっていったって、ちょっとそれはちがうんじゃないかなって思って。それでその支部の人が何にもしてくれないんだったら、もう自分で乗り込むしかないなって思って、それで1回目行ったの、一人で。

立岩:覚えてる範囲でいいんだけど、それはその彼とFacebookでMessengerで知り合って、どのぐらい経った?

川口:どれぐらいだったかなあ? でも半年以内ぐらいに一人で行ってるんですね。その時はソーシャルワーカーさんが別室に彼を連れてきてくれて、それで主治医の大野先生っていう小児科の先生が私の前で、彼の状況は「とにかくもう心臓も悪い、腎臓も悪い、肝臓も悪い、ぜんぶ悪い。だからこれで退院したらもうすぐ死んじゃう」っていうふうなことだったのね。それ私に説明してくれるの。

立岩:その時に彼はいたの? その場所に。

川口:いたの。連れてこられてたの。で、私と彼とソーシャルワーカーさんと、小児科の子どもの時からの主治医と最初は4人だったの。それでその***(00:09:01)を受けて。その時にそのソーシャルワーカーのかたも、前はすごいフレンドリーだったんだけど、なんかやっぱりちょっと「なんで川口さんここに来たのよ!」みたいな。そりゃそうだよね、自分がいっしょうけんめいやってる患者さんのやり方に対して文句を言いに来た人でしょ。そりゃそうだよね、怒るよね、ふつうはね。でもだいたいみんなどこ行っても私は怒られるんだけど。そこのやり方とちがうこと言うから。もうしょうがない、もう慣れてんだけどさ。もうすごい不機嫌ですよ、みんなね。それで永井さんも不機嫌ですよね。だから「ああ、またか。でもこれじゃあ出れないな」と思って、もうすぐに大野さんに相談。

立岩:その時は永井さんにも会って?

川口:その時は会って。もうその時点で会ってもらえなかった。電話をして、電話の段階でぴしゃって言われてるから。

立岩:ちょっとじゃあそこをつついて、なんかこれ以上やっても可能性があるようには思えなかった。[00:10:00]

川口:うん。「もうとんでもない、何言ってんの!」みたいな感じだったから、その時からね。だから「ああ、もうだめだ」と思ってその時はすごすご帰ってきた。

立岩:それは何? 病院の面会というかだけ? それやって日帰りか一泊か知らないけど、帰ったんでしょ?

川口:富山の佐藤先生のとこ寄ったかもしれない。ものがたり診療所、佐藤さんのところに立ち寄ってから金沢入りしたかな。そこ一か所だけじゃなくてもう一か所ぐらい寄ったか…。井上先生に会ったかもしれない。[00:11:13]
 ちょっとそのへんは調べると【あとでチェックするけど】(00:11:18)、最初からもう支援者の人はいなかった。支援しませんよ。誰も支援しませんよ、支援しませんよ、無理無理。で、あと駒井先生も逃げちゃって。私の顔見ると逃げてく感じで、もうこりゃだめだって。

立岩:駒井さんが院長だったの?

川口:院長。

立岩:駒井さんとおれ、ボストンか何かで会ったような。ALSの会議で。なんかポスター発表か何かしに来てたんじゃなかったっけ? 

川口:あー、そうか。そう、会ってるね。

立岩:あの人が院長だったわけね。

川口:院長だよ、今も。

立岩:今も院長なの?

川口:うん。

立岩:でまあ、これじゃだめっていうか、ここには支援者いないんだと思って帰ってきたと。

川口:病院側の人の話も聞かなきゃいけないからって思って聞いてたら、やっぱりそのソーシャルワーカーの人の話によると、彼のお父さんやくざみたいで、殴り込みに来る? 怖いからそんなあんまり刺激しないでほしいっていうのと、その年金の話。

立岩:そこでも年金話が出た。永井さんとおなじような趣旨の話が出た。

川口:そう。みんなそういうことですかね。だから、私は古込くんを通してその筋ジス病棟の体質っていうのが、子どもの年金を、きのうのタナカさんの話じゃないけど、やっぱり年金を貯めとくとすごい額になるの。1千万超えるのよ。すごい額になんのよ。それをけっこう親があてにしてるっていうか、なんにも介護しないで搾取してる話なんだなって、あ、そういう仕組みなんだなって思って、それで、
 1500万ぐらいになるとかって。30年ぐらいで。

立岩:あれって1級7万5千円とかそのへんじゃなかった?

川口:8万5千円ぐらい。

立岩:それだと、ざっくり全額だったら1年100万ぐらいか。

川口:だって20年、30年入ってるでしょ。

立岩:1年で100万だったらそりゃ10年いりゃそういうことになる。あれってたとえば医王病院で、まあ人によるんだろうけど、本人ってどのぐらい年金からお金を使うもんなんだろね?

川口:人による。

立岩:まあそりゃそうだね。

川口:古込くんに聞いたら、古込くんはけっこう使ってんですよ。けっこう使ってんだけど。昔はほんとに安かったから、医療費も。食事代も取らなかったような。だけどだんだん今取るようになってきたじゃん? 病院も。で、取っていいと思うんですよ、もっと。もっともっと。年金ぜんぶ全額ぐらい取っていいと思うんだよ、ほんとに。だけど、やっぱり半分ぐらいは使って半分ぐらい残すみたいな感じ。

立岩:古込さんであってもそのぐらいは残る。

川口:お父さんが…。あのね、詳しい話をどこまでしていいかわかんないけど、お父さんもやっぱり古込くんの通帳からだいぶ使ってて、古込くんが調べた時はもう残金がなかった。使ってたわけ、【ほとんど】(00:14:35)。

立岩:通帳からってのは不思議でさ。お父さんというか親が通帳自体を持ってたの?

川口:うん。

立岩:じゃあだけど古込くんはそのお金はどっから引き出してたの? [00:14:49]

川口:お父さんに。お父さんに払ってもらうって。Amazon(アマゾン)とかで買い物するとお父さんが払ってくれる。【古込くんのところから払う】(00:15:04)。だからもっとひどい親だと、たぶん使わせない親もいたと思うんです。そんなのね、一円も払わない。でもそんな人はあんまりいなくて、やっぱりある程度自由に子どもたちは使ってたけど、親御さんもそっから使ってたわけ。でもそれを非難できない。私もママの介護してた時そうだったから。そんなの当然じゃない。だからべつに悪いことでも何でもないんだけど、病院や支援者の人たちがそういうこと言うのがおかしいって言われた。そりゃそうだ、「古込くんが自立するとそういうお金がなくなるから、お父さんお母さんが貧乏だから困る」っていう言い方で、退院しないほうがいいっていう感じでよけいな気を回してる。だけど実際にあとでわかったのは、古込くんのお父さんはべつにあてにしてなかったわけ。ないならないで生活できてたんだ。だから、すっごいばかにされた感じだなと思って。

立岩:なんか漆塗りの職人だった?

川口:輪島塗ね。すごーく…すごくじゃないけどある程度それは、年金暮らしだし、その年金もないと思うんですよ、職人だからさ。だけど生活保護とらなきゃいけないような、そういうことではなかったの、蓋開けてみたら。なんかみんな心配しすぎしてたわけ。だけど、そういうケースがあったってことよね。たぶんそういうふうな発想になるわけでしょ? 病院の人たちは。ということは、古込くんそうじゃなかったけど、そういうことが多々ある。そういうことすると親が殴りこんでくるってのがふつうにある。そういうこと。
 だけど、私は最近はそういうふうに考えられるようになったけど、最初はそう思わなくて、【古込くんと一緒になって***】(00:16:56)ので、「もうなんとかして出してあげなきゃいけない」と思って、それでその領域侵犯したわけ。

立岩:その年金の話とかは、もう事の起こりのしょっぱなのところでもそういう話を聞かされてたっていうことだね。だんだん出てきたんじゃなくて、もう第一段階みたいな時に。

川口:大きなテーマだった。

立岩:最初から出てきた話だった。

川口:うん。それでその話を大野さんとかとしてて、大野さんすぐ怒るじゃん? で、「通帳を取り戻せ」、通帳を取り戻すためには住民票がないと困る、で、「病院に住民票移していいか?」っていったら病院「だめ!」って言うからどうしようってなって。それでしばらく通帳を取り戻せないっていうのがずーっとあって。で、大野さんは「べつに通帳なんか後回しでいいから、お金出してやるからとにかくどんどん話を進めましょう」って。

立岩:それは金沢から帰ってきたあとに大野さんに相談したの?

川口:そう。

立岩:でもそれはあんまり間を空けずに?

川口:うん。大野くんにはわりと早めに。

立岩:でも金沢の様子を聞いてからであったのは事実っていうか、そういう順番だったのね。

川口:うん。だから順番としては、ただたんに遅いから出してあげないんじゃなくって、年金の話と親の搾取の話が私のなかで燃え上がっちゃったの。それでしかもそれをみんなに言われたわけ、現地の支援の人に。だから確信を持っちゃったわけよ、私としては。「えー」と思って。でも今になるとさほどでもなくて、なんかみんな心配しすぎだったってのはわかって。

立岩:あなたも怒ったし、大野〔直之〕くんもそういうことは怒るよね。なんか冷めてるみたいだけど怒るときは怒るよね。

川口:あんな熱い人いないよ。

立岩:大野くんも怒っちゃって、あなたも怒ってて。

川口:そう、本気になったわけ、私、二人が。それで、24時間介護保障制度ができてなかったのが石川と滋賀とだったの。石川と滋賀と富山?

立岩:なんか北信越3県だとかってなかった?

川口:富山、

立岩:新潟、富山、

川口:新潟じゃない、新潟はあったの。富山、石川、滋賀。

立岩:福井じゃなくて滋賀。

川口:うん、滋賀。滋賀がまだ残ってんじゃないかな。それで、私はその石川がとにかくそういうことができる人が、てか24時間をやっちゃおうと思ってた。それもある。で、「あ、出た!」と思って、「じゃあ24時間介護保障取ろう」っていうのもあったのね。それで大野さんに相談をして井上先生にも相談したら、保険医協会? 保険医協会の偉い人だったから、保険医協会の事務局をやってる橋爪さん、[00:20:28]

立岩:はいはい。あの女の人ね、会ったよね。

川口:しっかりばりばり。

立岩:金沢で会ったよね。

川口:〔井上〕先生の学生。大学院の学生。

立岩:そう言ってた、そう言ってた。井上さんところの学生だった人が保険医協会の事務局みたいなことをやってるっていう、そういう人だよね。

川口:そんでその彼女が現地のまとめ役みたいなことやってくれて、その「支援団体作らなきゃ」っていう話に相談してなってった時に、事務局をじゃあ保険医協会に置いてくれるってなって。
 で、その前に、私ほら、全障連の平井さんのことも前から知ってたから、富山の平井さんに、

立岩:なんでだけど、あなたが平井さん知ってるってちょっと意外なんだよね。

川口:平井さんはね、自立支援法か何か作る時に東京に来た時に会ったのかな。それで、「富山です」っていうのはだから、平井さんにすぐ連絡したら平井さんすぐ会ってくれて。会いましょうってなって、その時田中さんも一緒に。平井さんと一緒にやってる田中さんって、むかーしのヘルパーのね。

立岩:ぼく平井さんにも田中さんにもインタビューしてんだよ☆。
☆平井 誠一 i2018 インタビュー 2018/01/29 聞き手:立岩真也 於:富山市・自立生活支援センター富山
田中 啓一 i2018 インタビュー 2018/01/31 聞き手:立岩真也 於:金沢市・田中さん自宅

川口:会ったでしょ。それで2回目の会議をその筋ジス病棟で開催した時に、その時はまだ先生来てなかった。

立岩:それがあなたが、

川口:2回目に行った時に。

立岩:金沢に行った2回目?

川口:うん。そこに橋爪さんとか、平井さんとか、その現地の支援グループ。あとあれだ、【なないろ訪問介護事業所】(00:22:16)の高島さんとか、今も残ってくれてる人たちが集まって古込くん連れてきてもらって。最初はその部屋まで来てくれたのね、連れてきてもらって。

立岩:医王病院内のその部屋に?

川口:うん、医王病院内の相談室。

立岩:相談室か。私らが行った時はね、

川口:古込さん出てこれなかったでしょ?

立岩:古込さん来れなかったもんね。

川口:あれはなんか「看護の手が足りない。ベッドから降ろすのに看護師3人いる」って言われて、3人も手が空きませんからだめですって。

立岩:まあいいや。その2回目は医王病院で彼もその部屋に来てやったってことね。

川口:うん。その時に彼が言ったのは、その、地域を考える会…地域の福祉を考える会とか何かっていうのを立ち上げたんですよ。

立岩:それはその場でって感じ?

川口:うん。で、私はほら現地にいられないから、現地で動いてくれる人たちをまず作んないといけないわけ。

立岩:この13年っていうのは、1回目にあなたが金沢に行った時のこと? 

川口:あ、タムラさんが私のFacebook紹介してるんだ。そういうことか。

立岩:古込さんの知り合いのタムラさんが「川口さんって人がいてFacebookやってるよ」って。さっきの話ではちょっとちがうじゃない? たぶんこっちのほうが、

川口:こっちが先。

立岩:当たりっていうか、先なんだな。

川口:だから「友だちの友だち」って、「タムラさんの友だち」で入ってきてて、それでっていうことだ。

立岩:で、二人は友だちになりましたみたいな話?

川口:それで「地域で暮らすみんなで考える会」っていうのを。そう。

立岩:これが16年か。でもこれとこれで3年半経ってるよね?

川口:うん、そう。

立岩:13年…。そうか、ソーシャルワーカーに相談したのがこれが古込さん本人で…。ちょっと待てよ、今の…。あなたが金沢に行ったのはいつ?

川口:ここ。ここの話を、15年と16年の間の話を今したの。それで古込さんは古込さんで病院のソーシャルワーカーに相談して「動きたい」っていうことも言って、病院のソーシャルワーカーも何とか動こうとはしてくれてたんだけど、わかんないでしょ、やっぱ地域のことなんて。もう無理なんだ、はっきり言って。それで、私とFacebookで知り合ったのはここ。[00:25:10]

立岩:これFacebookで相談したって話なんだ。

川口:うん。

立岩:そうするとあなたが医王に行ったのは、調べなきゃわかんないってことか。

川口:15年は…。だから11年から私のFacebookは読んでたんだね。私は今初めて知ったけど。たぶんFacebook私のは読んでたんだけど、

立岩:じゃあこの間はあなたは直には関わってないってことか。

川口:知らない、知らない。

立岩:15年の10月に相談ってのは何? Facebookで相談…。まあいいや、うち帰って調べて。
 あなたが最初に医王病院に行って、ああだこうだっていう話はいつごろの話なの?

川口: 15年ぐらい。

立岩:15年。じゃあ次の年に、たとえば2回目に、

川口:これが16年。

立岩:16年に行って、その時は医王病院で古込さんもその部屋に来たってことね?

川口:いや、ちがう。この16年ってのは先生も一緒にいたのよ。この前に1回私は行ってるのよ。それは書いてないけど、1回じゃない、2回ぐらい行ってるの。岩永さんも連れて行ってるの。で、これが立ち上げの時は先生いたの。

立岩:この第1回っていうのは発足のあれじゃなくて、発足後の第1回っていう話なのか。

川口:まあでも初めてみんなで顔合わせしたのは第1回だから。

立岩:でも、この時はぼくも覚えてるけど、古込さんは来れない、

川口:来てないでしょ?

立岩:移乗がいないっていうんで来なかった。で、その前16年の10月20日の前にあなたは医王病院に2回は行ってるってことなのね?

川口:行ってるの。1、2回行ってるの。
 ここでその支援グループができたでしょ? でもそうしたら病院の人たちがちょっと離れちゃって。離れちゃったっていうかもう「何しに来たの?」みたいな感じになっちゃって。だからその相談してたソーシャルワーカーさんもいたんだけど、もう私たちが出っぱってきたから、なんかちょっと【遠回りに…】(00:27:15)。
 それで、こんど宮本研太さんっていう弁護士。もう大野さんも怒っちゃってるんで、広域協会がお金出してくれたの。それで宮本さんを雇用して、それで、

立岩:それは何? 事実上広域が宮本さんにお金出したっていうことか。

川口:そうそうそう、そう。

立岩:じゃあとくに弁護士のネットがボランティアでとかいうんじゃなくて、広域が宮本さんに仕事を依頼っていう。

川口:依頼。もうだから運動ですよ。このへんは私は知らないけど、かなりねえ、広域協会、大野さんが「全国のCIL(シーアイエル)に」って投げて、

立岩:お金を集めたって言ってたよね。

川口:「IL(アイエル〔自立生活プログラム〕)に通ってください」っていって、みんな金沢に行きだしたの。山口とか沖縄とかいろんなとこから訪ねていって、そいでその古込さんにそういう自立生活の教育をしたわけ。そのなかの一人が京都のJCIL(ジェイシーアイエル)からも行った時に斉藤さんがとなりのベッドでいて、で、斉藤さんが「ぼくもしたい」って言いだして、それで小泉さんが斎藤さんに話聞きだしたら、こんど斉藤さんをじゃあ京都連れていくことになっちゃったのと並行して斉藤さんの支援も始まった。

立岩:それは初期なのかな? けっこうJCIL何度も行ってるじゃない。

川口:初期じゃない。もうかなりあとのほう。

立岩:そうでしょ。ぼくも行ったあたりだよね。

川口:先生と同時ぐらい。同時っていうかだいぶあとのほう。古込くんもだから退院が見えてきたぐらいにこんど斉藤さんの話が始まった。でもさ、私がやっぱ2年…もっとかかってるか。2年じゃない、私もうちょっと…、あでも、この手術…。そうね、やっぱこのぐらい、2年? 2年かな。私のFacebook見るとわかるけどね。
 宮本さんとも何回も話をしながら住むところを自分で探さしたんだ、古込くんの。古込くんもなんかすごいイメージ膨らませて選べないのよ。住むところに、「こういうのがいや」「ああいうのがいい」って言って。でも、病院の近くがいいって言うわけ。[00:30:16]

立岩:ああ、病院の近くがいいって言ってるって話はぼくも聞いたな。

川口:病院の近くがいいって言ってたんだけど、病院の近くにマンションとか借りれる家がぜんぜんなくって。そしたら大野さんは「病院なんか頼るな!」みたいな。あとね、自分の名前で借りれないから広域協会の名前でアパート借りて。
 けっきょくね、訪問看護のなないろさんが、だいぶ、だんだんだんだん、力を発揮してくれて。高島さんね。高島さんがその地域の先生探してきてくれたりして、ちょうどその病院と地域医療をうまくやってくれたわけです。
 で、***(00:31:26)って退院できるってふうになったんだけど、でもやっぱり最後ご家族と縁切るかたちで退院したから、最後の日にやっぱり病院のスタッフが誰もお見送りをしてくれなくて。ほんとに誰も、誰もお見送りしないなかでもう勝手に出てきた。ちょっとさびしいよね。34年もいちおう看たのに、そういうかたちで。でもそんなのふつうなんだって。そうやって出てくるものらしいです。
 あ、でもね、小児科の大野先生はすごい心配して、ちょっと泣いちゃったりした。

立岩:小児科の大野先生っていうのは医王病院の、子どものころから担当してた大野先生っていうお医者さん。

川口:大野先生がすごい心配して、「退院したらもうほんと早く死んじゃうよ」って。ほんとにそうだったけどね。1年ちょっとで。だけど最終的にはわかってくれて、退院させてくれた。わかってくれたと思うんだけど、でもやっぱ心配で、なんか私のとこにメッセージ来たのかな? 大野先生とちょっとやり取りしたんだよね、私も最後は。
 それでさ、その時まではやっぱりなんかこう囲い込むみたいにしてるのかなってちょっと思ってたの。

立岩:病院が?

川口:病院が、収益の一部に。【そうじゃないなってちょっと思った。ほんとに心配してる。ほんとに心配してて】(00:33:30)。親御さんもずっと反対してたんだけど、最初はお金のせいかなってちょっと思ってたんだけど、どうもやっぱりそうじゃなくって、やっぱりほんとに心配してて。「出たらやっぱりこうこうこうです」って医学的判断がやっぱり出ちゃうと、病院だとちょっと具合悪くなったら治すこともできるけども、地域出ちゃったらそういうことができないからっていうんで、そういう説明を親御さん聞いてるから、やっぱ親御さんも。だからお父さんもそうだったと思うよ。それでもう、「とにかく病院にいろ」と、「病院にいれば***(00:34:04)」っていうふうに言ってた。
 ただ、その古込くんもいったん出たじゃん。だけどさ、やっぱり病院が好きなのよ。それですぐ病院に戻っちゃったじゃん。

立岩:あったあった、そんな感じだったよね。

川口:でもすでに常時二人体制取れてたから。金沢市が常時二人出してくれてたから、なんと病院の中でずーっとヘルパーをつけたの。

立岩:それ二人とも入(はい)れたの?

川口:入(はい)れた。

立岩:あんな狭いとこに?

川口:うん。病院にいて、呼べばドクターがすぐ行って、しかもずっとヘルパーがそばにいるって環境がベストなのよ、はっきり言うと。そしたらもう退院してこなくなっちゃった(笑)。[00:35:00]

立岩:そういうことあったよね。

川口:そう、それで***(00:35:03)さんが怒っちゃって「早く退院しろ!」って。3ヵ月までは病院の付き添いはフルで100パーセント請求できるけど、3か月過ぎると75パーセントぐらいになっちゃうんだ、ヘルパーの支給。そうなったらもう自腹ですよ。それで、「早く出ろ、出ろ」。でも、古込くんは自分の***(00:35:21)心配だから出なくなっちゃって、それで私もちょっと古込くんに怒って。それでヘルパーつけてね、ほんでもう病院から出るって決めたんだから、なんで病院***(00:35:32)(笑)って言って。でも古込くんやっぱ病院好きなんだなと思った。
 恐いんだよ。なんかやっぱその地域、ずっと病院にいた子がさ、じゃあ自由になりたいからっていって病院の外に出てすぐに自由にできるかっていったら、たぶんそうじゃないんだよね。だから、「あー、そっかな、そりゃそうだな」って。

立岩:彼はさ、何だかんだそんなことも言われて、けっきょくいったん出たあと病院に戻ってどのぐらい、ヘルパー付けていていてどれぐらいでやっぱりもう一回退院してくるわけ? したのいつごろっていうか、どれぐらい再度の入院期間があったの?

川口:ずいぶん長く入院してて、それでちょろっと出てきて、それでほんとにまた悪くなっちゃってまた入院して、そのままでしょ。ほんと短いのよね、地域生活ができてたって。でもほんとに短い間に近くの本屋さんに自分でヘルパーと行って将棋の本買ったりとか、あと自分の家でみんなを招いてごはん一緒に作って食べたりとかそういうことはできた。

立岩:ぼくが行った時は誰かと囲碁やってて。天井っていうか上向きでそのスクリーンが見えて、それは記憶にある。

川口:大会に出て、ちょい負けたの。

立岩:一発で負けたの?

川口:うん。負けた。でもほんとにちゃんとやれば強くなると思ったから、***(00:37:28)ね、で、初大会では【二位よ】(00:37:30)。そしたらさ、「うちのパパも将棋うつんだよ」って言ったら、じゃあこんど私のお父さんとやりたいって言ってくれて。

立岩:将棋じゃなくて囲碁でいいの?

川口:囲碁。「やりたい」って言ってくれて。それで私も囲碁ぜんぜんわかんないから、「じゃあ川口さん、教えたげます」って言ってくれてたんだけど、死んじゃった。

立岩:病院からいよいよ退院しました、でも医王病院に戻りました、で、わりと長いこといました。それからやっぱりアパートっていうか戻りました、でもからだの調子悪くなってまた医王病院に行きました、そして亡くなりました。みたいな感じ。

川口:たしかそんな感じだったと思った。

立岩:どこが悪くなったっていうもんでもなくて、いろいろっていうか亡くなった。

川口:全身の多臓器不全。

立岩:最期はもちろんそうだろうけど、なんかどこがどうっていう話はあんまり聞いていない?

川口:聞いてたかもしれない。メールを見たらわかる。
 私ね、毎日3時間は古込タイムだったよ。1日のうち、毎日3年ぐらいずっと。っていうのはやっぱね、文章がうまい。

立岩:それはぼくも思って。

川口:感動させる文章と、すごくその、あとやっぱり人間性が出るじゃん、文章の中に。彼のさ、何だろなあ? すっごいこう…限られた環境のなかでがまんしてがまんして、だけどいろんなこと考えてきた人なんだなってのがわかるような文章なの。

立岩:そうそう、ぼくがちょうどそのころ、古込さんとは何も直接関係ないんだけど、国立療養所の筋ジストロフィーのことを『現代思想』に書いてて、それで古込さん、あなたの紹介だと思うんだよね。古込さんが「この文章はホームページに載せてくれ」とか「載せてもいい」とかっていうのがいくつかあって。だいたい16年はね、これ見ると16年が1、2、まあけっこう数あるね。17年…。こういうんで短いけど、けっこうびしっとした文章をぼくにメールで送ってくれて、「どうしましょう?」つったら、最初のころはまだ病院との兼ね合いがあるから「実名だとちょっと病院内的にやばかもしんない」ってことで、最初は匿名だったのね。[00:40:42]

川口:これとかさ…。

立岩:これはかなり長い文章でさ、

川口:うん、覚えてる。

立岩:「互いに殺し合う存在」っていう16年の3月か。16年の3月って、古込さん何してた?

川口:まだ出てないよ。

立岩:出てないよね。だから最初は匿名でっていう話だったんだよ。

川口:それですごくいい文章なんだよ。これはもう何か宣言みたいな。自分は地域のためにがんばるって、みんなと一緒にがんばるっていう、そういう宣言。

立岩:重訪の制度取る時って、実際に役所に赴いたのは宮本〔弁護士〕さん?

川口:それがその、障害福祉課の地域の担当の人が井上先生の弟子だったの。大学の教え子だったの。で、橋爪さんともつうかあだったの。

立岩:同じゼミ生みたいなもんだな。

川口:うん。だから一発合格。もめてないの、もめなかったの。それでね、これでもめてたらまた1年、2年とさ。でしょ? なんですけど、一発でさ。しかも、はじめての事例で24時間ぽんって出すってのはあんまりないんだけど、もちろん宮本先生が資料を用意してくださったっていうのももちろんあるんだけど、やっぱりみんなもうだから総力戦よ、はっきり言ってね。甲谷さんの時もそうだったでしょ? 総力戦だったでしょ。これも総力戦なのよ。だからそういう意味では、井上先生とかあと保険医協会、あとちょっと平井さんとこで考えちがったけど、でも田中さんが住所を貸してくれたりとか。田中さんのところの住所、しばらく…。

立岩:最初にアパートを借りた時の名義がって。そうじゃなくて?

川口:最初は、古込くんがアパート借りる前は田中さんのところに住所を移した。それで通帳を自分でつくり直して、親からお金を引き出せないようにして、そこでもうぜんぶやったの。

立岩:じゃあ、「古込さんの住所は田中さんとこだよ」っていうような仕掛けを作ったっていう、そういうことですか?

川口:うん。だから先に住所だけ自立したの。親元からね。それでお金が使えるようにして、自分の年金が自由に。

立岩:通帳が送られてくる住所が親のところの住所だったら、

川口:向こう行っちゃうから。

立岩:何の変りもない***(00:44:42)、住所が変われば通帳がっていう。

川口:だから紛失届出して、それでこっちで古込くんが、

立岩:紛失届出して、新しい住所知らせて、それで通帳を送ってもらってっていう、そういう話か。

川口:本人の戸籍取ったんですよ。【本人できるのは】(00:45:07)。そういうことをみんなでやったわけです。訪問看護さんは地域医療の受け皿を作ったし、なんかもうほんと総力戦でみんなで出して、しかもその金沢市の担当の人が井上さんの先生サイドで。[00:45:29]

立岩:それはけっこう実際には大きかったんだろうな。

川口:それがなかったら無理だったと思いますよ。しかもその反対勢力もあったわけだから難しかった。親が止めるとこんなにこじれるのかっていうののいい事例だったよね。でも親御さんは最終的には「もう勝手にしろ」っていって、「おまえはもう***(00:45:43)」って、お父さんが。

立岩:あの時さ、親も親だけど、弟さんがいたって話があったじゃない。

川口:弟さんとのメールのやり取りに私をBCCで入れてたんですよ、私怒っちゃったもん。だって弟さんはさ、もしかしたら自分が筋ジスが発症するかもしれないわけじゃん? 同じお父さん。それでお兄ちゃんは発症して、自分はもう新進の工芸作家になってるわけでしょ? そしたら弟さんが古込くんにつけばいいだけの話だ、はっきり言えば。だけど、弟さんそれね、「いやだ」つったの。それで、古米くんは「弟はわかってくれる」って最初に言ってたんだけど、その弟からのメール見せてもらったけど、「いやもう入っててください」って、「病院に入っててください」って。なんかもう古込くんがあの時いちばんがっくりしてたから、それで「もういいです」って。もう誰にも、もう家族には頼らないで自分でやりますって。

立岩:お父さんは輪島塗の輪島の人じゃない? 輪島の職人なわけじゃない? このある種の工芸家っていうか、その弟さんはどこに住まれてたの?

川口:東京か神奈川か、こっちにいるのよ。東京か何かにいるのよ。もうほんとに作家さんになっちゃってて、なんか賞もらったりするような人なんだよ。

立岩:なんかそう言ってたよね。展覧会っていうか個展か何か知らないけど。
 じゃあ本人はけっこう最初の段階では弟をあてに、

川口:最初じゃない、もう最後のほう。弟さんとのやり取りは最後のほう。

立岩:親と膠着状態になってから弟にっていう、そういう順番だ。

川口:はい。

立岩:だけど弟さんがって話か。で、やり取りしたけどけっきょく弟さんを頼るわけにもいかず、それで?

川口:それで、そしたら大野さんが「もう成人なんだから家族関係ない」って言って、その家族に病院が何か言うの。家族が同意がないとできないなんとかってあったでしょ?

立岩:おれもなんか同じの言ったことある。なんか「大野さんの言うとおりだ」みたいなこと書いたような気がする。

川口:そうそう。その時私、大野さんと先生に相談したじゃん。それでそれぐらいからさ、なんかもう「成年なんだから関係ないはず」って二人が言って、それで、「…だって」「古込くん、そうだって」みたいにして。でも古込くんはお母さんは好きなんだよ。

立岩:なんかそういう感じだったよね。

川口;お母さんがリュウマチひどくて、お母さんのことすごい心配してて。「お母さんにいい医者を見つけてあげなきゃいけない」とかってずっと言ってて、「あー」って思って。なんかそのお母さんとの別れの場面も泣かせるのよ。

立岩:書いてあった。子どもの時のやつでしょ。

川口:その時は自分はすぐ帰れるものだと思ってうきうきして病院にいたら、いつまで経ってもお母さん迎えにこないし、お母さんたしかそういえば別れ際に泣いてたなって、「あ、ぼくは帰れないんだ」って、あとでわかるわけよ。

立岩:それは読んだ。

川口:泣かせる文章だったでしょ。私もうほんとに泣きながら読んで。でも古込くんはうまい、そうやって文章の力でさ。

立岩:なんか『砂の器』的な(笑)。日本海でさ、なんかそういうので。

川口:そう。それでその、能登のね、輪島の自分の生まれ故郷の定点のビデオってあるのよ。

立岩:一日中、そこを、そこの海を映してるみたいなやつね。

川口:そう。それをときどき私に見せてくれるの。それでもうすっかり私の乙女心を奪われちゃった。あれをみんなにやってたら支援者増えるよね。

立岩:お母さんはけっきょく表にっていうかは。けっきょく何か言うのはお父さんだけっていう状態だった? それは体の調子なのか、でもやっぱお父さんが「ものを言うのは男だ」っていうことだったのかな?

川口:まあ、いなかの人。お父さんの***(00:50:01)。[00:50:01]

立岩:けっこう暴力的というか、やっぱりお母さん、体が悪かったか、従わ…っていうか、表立った何かを言うことができないような状態。

川口:怖い。まあ職人だからね。

立岩:職人かたぎっていうとそれで済ましちゃおしまいよって話だけど、ちょっと頑固一徹みたいなそういう。

川口:でもね、腕はそうとう良かったんだと思いますよ。
 それでね、なんだかあんまり表に出てない話がいっぱいあるんだ。思い出してきちゃった、だんだん。それでさ、先生にもちょろっと言ったけどさ、井上先生にも相談したら、井上先生最初になんか高齢者の貧困問題研究してたから、やっぱり永井さんと同じこと言ったのよ。

立岩:ああ、言ってた。

川口:ね。それ怒ったでしょ、私。

立岩:井上さんがそう言ってたってあなたが怒ってたのは覚えてる。

川口:怒ってたでしょ? 何回も怒ってたでしょ?
 それで、その古込くんのお父さんの唯一の味方が井上先生だったわけ。井上先生は古込くんのお父さんの味方で、古込さんのお父さんに会いにいってくれたの。

立岩:そうだよ、そうだよ。「なんでわざわざ会いに行くんだよ」みたいな、「関係ねえじゃん」みたいなことを大野くんとぼくはなんか、わりとそんな感じだった。
 行ったんだ?

川口:行ってこてんぱんにされて(笑)。ぼこぼこにされて帰ってきた。それでまた何かみんなでもう一回行った時にやっぱり会ってもらえなくて。それでね、何だっけな? 誰だっけな?

立岩:ぼこぼこにされたって意味わかんなくて。さすがにだって井上さんを殴るわけにはいかないでしょ?

川口:もうこてんぱんにされた。

立岩:何を言われたの?

川口:「帰れ!」とか、「おまえたちの言うことなんか聞かねえ」みたいな。弁護士…っていうか「上から目線で」みたいなそんなことを言われたらしく、先生としては非常に、「それはない」と。自分は正義の味方で貧困者の味方だ! って思って行ったのに、貧困の人に言われた、

立岩:じゃあ門前払いというかなんというか、「帰れ!」「話聞かない、帰れ。終わり」っていう感じか。

川口:そう、「***(00:52:30)」「けえれ、けえれ」。

立岩:【理屈人の】(00:52:35)話とか何かそういう? 「あなたのことを共感…」何ていうの。っていう井上さんの話が通るような話、シチュエーションっていうか、そういう状況ではないまま、ほんとに帰らされた? いったん、わざわざ輪島まで行ったのに。

川口:うん、そんな感じ。会ってもらえないみたいな。きのうもそんな感じで危なかったけどね。

立岩:それが1回目? 2回行った2回目?

川口:それ古込さんの死んじゃったあとかな? なんか律儀なのよ、北陸の人は。

立岩:おれもそう思った。そんなのいいじゃんって思った。

川口:そう、律儀なの。

立岩:会いに行ったんだよね、親の家に。

川口:それでべつにね、「もう古込くんがいいって言ってんだからべつにいいじゃん、そんな」って私は思うし、先生も大野さんも言うんだけど、みんなが「それはだめだ」と、「それはだめた」って言うわけ。それでちゃんとお父さんとお母さんに、「古込くんがいいって言ったらいいじゃない」って、もうそれをなんか支援者の会の人たちが行ってはなじられて行ってはなじられ(笑)、どういう会なんだろうと思ったけど。

立岩:なんか、最後はそんなにけんか別れじゃなかったみたいなこと誰か言ってなかった? 橋爪さんかなんか言ってなかった?

川口:最後にね、橋爪さんとほんとに何回も行ったのよ、あの人たち。それで橋爪さんが村下さんと行ったのかな? 村下さんって富山の…。

立岩:村下さんって誰?

川口:私、村下さんの支援もしたんだけど、村下さんって富山の、もともとは自動車整備やってた【男の子】(00:54:18)が自分で事業所作って。ALS Relation(エーエルエス・リレーション)っていう会社を今経営してて、それはもうCILも何もしないんだけど、ただ大野さんはいろいろしてくれてたけど、いっぱい…。
 その村下さんが古込さんのこれをずっと見てたわけよ、ずっとこのやりとりを。で、私も古込さんのことを村下さんに情報流してたから、村下さんからすると古込さんがいてくれたおかげで北陸がなんかこう…恩を感じてたわけ。それで、古込さん死んじゃってから毎年毎年命日にお父さんに会いにきてくれてんの、村下さんが。去年も行ったのよ。

立岩:今も行って?

川口:行ってるの。来年も行くの。[00:55:01]

立岩:えー。

川口:お墓参りしてくれて、お父さんとお母さんにおみやげ持ってって。

立岩:それはもう会ってくれる?

川口:会ってくれる。それで、ヘルパーさんが言うには、去年なんか行ったらお父さんがすごいまるくなってて、すごい自分の息子の自慢をするっていうわけ。古込くんの。それで、その自慢を聞いて帰ってくるんだって。だから村下さんいちばんいい役じゃんって。

立岩:そうか。
 じゃあ葬式っていうかさ、亡くなったあとはまだだめだったってこと?

川口:しばらくだめだったの。しばらくだめだったんだけど、

立岩:でもよくそんな毎年行ったりするな。えらいっつうか何つうか。

川口:村下さんは…。うちのアキラもそういうとこあるけど、なんかそういう節目に感謝したいわけ。昔の、その古込くんとかにやっぱりその…。でも古込くんは村下さんのことなんか知らないんだよ、ぜんぜん知らないで亡くなっちゃったんだけど。でも私たちの話を聞いて村下さんは古込さんにすごい感謝してくれてるから、それは私はちょっと嬉しいなと思って。

立岩:毎年その命日に介助者と一緒に。

川口:命日っていうか、お彼岸っていうか、お盆っていうか。そういう節目に行ける時に介護者と一緒に行ってくれてるんだ。それでお父さんとお母さんに会ってくれてるんだ。
 でもさ、【でもちょっといなかの人だからかなあって】(00:56:47)。

立岩:それもあるんだとは思うよ。それは多少はわかるかな。でも、割り切ってもいい…いいっていうか、いい悪いの話じゃないから。

川口:でもやりたいわけよ、彼は。村下さんはやりたいし、行くと喜んでくれるから。

立岩:今はな。

川口:うん。だからなんかいい関係になっちゃって。だから「また来年も行くの?」って聞いたら、「行く」って言うから、「じゃあその時は私も一緒に行くから声かけて」って。

立岩:(笑)。自慢話って何を自慢するんだ。亡くなった息子のさ。

川口:あとから知ったのかもしれないけど、なんか「立派な息子だった」っていうのはお父さんが言ってた。

立岩:何が立派なんだ。退院したのは実は立派だったっていう物語になっちゃったってこと?

川口:うん、もしかしたらそうかも。

立岩:囲碁が上手だったとか。

川口:囲碁のことももちろんぜんぶひっくるめて、たぶんお父さんのなかで、

立岩:書き変っちゃったんだ。

川口:書き変って、まあみんなからこう「すごいわね」って言われてちょっと嬉しくなった。

立岩:その病気抱えたお母さんっていうのはご健在なの?

川口:まだご健在。
 だからさ、ずいぶん長生きしてれば、もしかしたらお父さんと仲直りできたなってちょっと思ってる。

立岩:そうだよね。彼もセンターっていうか、やるって最初言ってたもんね。

川口:そう。それで、「今こうだけど長く生きてればぜったいに仲直りできるし、お母さんの治療もできるし、老後の面倒みてあげたりとかもできるよ」って、最初橋爪さんそんなふうに言ってた。だから最低3年は生きないといけないって自分で言ってた。
 だけど大野くんが、リアルな話ね、「すごいお金かかってるから、3年生きてもらわないともとがとれません」とか言ってたよね、たぶん。

立岩:まあそりゃそうだよ。

川口:言ってたと思う。私にもさかんに言って。ものすごい金がかかってますって。

立岩:それは聞いた。けっこう募金じゃないけど、いろんなCILからお金拠出させてというか、それを投入したみたいなことは大野さんも言ってたな、たしか。

川口:だって金かかるじゃん、山口からここに来たりとか東京から来てもらったりとか。

立岩:だってあの時、最後の最後のいよいよ出るとかあのへんってメインストリームも来てたし、JCILも。そりゃ斉藤さん込みの話だったけど、だっていっぺんに3人とか4人とか、それだけの旅費だけだってたいしたもんだよね。

川口:だから病院はびっくりしてたと思うよ。いろんなところから障害者のリーダーが来て、医王病院もびっくり。

立岩:ほんとにあの6人部屋かでその日プログラムとかほんとにやってたってこと?

川口:6人部屋じゃない。2人部屋ぐらいだった。[01:00:02]

立岩:いや、彼が住んでたとこだよ。住んでたとこはそんな2人部屋とかじゃなかった。

川口:あ、2人部屋じゃないや。

立岩:4か6だよ。

川口:4ぐらい。そうよ、あそこの狭い、これぐらいの、

立岩:あそこ、あの狭い通路。人が通れないみたいなところに入って。

川口:カーテン敷いて。しゃべるから。斉藤さん聞いてるじゃない、こうやって。

立岩:聞こえるから。で、その同じ部屋にいた斉藤さんがちょっと感化されてみたいな。

川口:はい。あともう一人からも。もう一人からも私のところに「ぼくも出たい」って。もうみんな出たい出たい出たいってなっちゃって、だけど、出れる人…。なんかちょっと話をしてもとんちんかんなんだわ。

立岩:斉藤さん?

川口:斉藤さんはとんちんかんを通り越してた(笑)。

立岩:(笑) そうだよね。そこが愛されたゆえんでもあるよね。

川口:それで、小泉さんが弟みたいに「かわいい、かわいい、かわいい」ってなって。で、むしろああいう人のほうが出しやすいわけ、変なこと言わないから。で、素直でしょ? やってあげたらぜんぶ喜ぶじゃない? だから斉藤さんはうまく出せたと思うんだけどさ、肺炎になっちゃったんだよね。

立岩:確かに。72年生まれて19年に亡くなってるってことは、47歳。

川口:うん。50歳までは生きられなかったなって思うけど、でもまあ長生きのほうですよ。

立岩:筋ジストロフィーとしてはデュシェンヌ型なわけでしょ。にしてはまあそうだな、ほんとぎりぎりだったっていうことだよね。これ以上延ばしたら病院で亡くなられたか。

川口:病院の主治医としてはそう簡単には大丈夫とは言えないのも、まあわかる。「ぜんぶ悪いですよ」って、「すべての臓器がもう悪いですよ」っていうのはほんとにそうだったしね。

立岩:そうだよね、そこが数年でも早ければ、数年分よけいに金沢の街で暮らせたね。

川口:そう。だからさ、このへんでさ、もう広域協会にさ、もうこのへんで12年でもう相談してるわけだよね。してるのよ。だけどやっぱり自分一人だと出れないの。だからやっぱりチーム作って、健常者がわーって動いて。

立岩:これ確認しなきゃ。12年ってかなり早いじゃん。広域協会がプログラムっていうのは、要するに大野さんがこれに12年から関わってたってこと?

川口:大野さんが直じゃないかもしれないけど、自立生活プログラムを受けたか、受けかかったか、なんかもう先に問い合わせはしても、だけど諦めちゃったの。無理、自分は。で、もう危ないから先にここの気管切開の手術をして。

立岩:「自立生活プログラムするよ」って言ったけど…みたいな話なのかな? 実際にはプログラムが機能しなかったのかな。

川口:受けるっていうか調べたんだと思う。で、「ああ、ぼくには無理」って諦めたんだと思う。で、それよりも先に手術をしちゃったわけ。

立岩:その手術は何だったの?

川口:気管切開の手術。

立岩:その時までは気管切開してなかった?

川口:してなかった。

立岩:12年の4月26日ってのは気管切開の手術ってことだと。

川口:そう。気切の手術をしたんだけど、やっぱりとちるって言って、その「気管切開しなきゃよかった。とちる、とちる」って言ってるのをFacebookで書いてるのを私が読んで、で、それで私から…、[01:04:00]

(犬の鳴き声)

[01:04:11]

立岩:この間の3年間ぐらいよくわかんない。前後関係とかさ。だって川口さんのFacebookで紹介したの11年で、川口さんに相談したの14年って、間4年ぐらい経ってたわけでしょ。

川口:だから彼はたぶん私の書いたのを一方的に読んでたの。

立岩:あなたがとくに彼とやり取りしたんじゃなくて、実際に一からコミュニケーション始まったのは15年から?

川口:15年よりちょっと前。14年ぐらい。ソーシャルワーカーの。

立岩:じゃあこの「15年の10月、川口有美子に相談」ってのは何だったの? この「15年10月」って、内容は? これたぶん、何か書いてあるものを拾っておれが書いたんだよ。これ、この年表みたいなの。何だろ、14年。

川口:それは私が調べれば出てくる。調べればすぐ出てくるんだけど、でもここはね、二人で「どうしょう、どうしょう、どうしょう」って言ってるのが1年ぐらい。二人だけで。それで「よし、ほんとに出よう!」って本格的になったのは、このへんだったの。その前は1年ぐらいお互いに「どうしよう、どうしよう」って言ってる。二人で相談してるだけ。だから、「大野くんに言ってみようか」とか「弁護士に相談してみようか」ってなるのが、だいぶ経ってから、こんど15年ぐらいだから。[01:05:34]

立岩:そのへんは何年何月って、過去をさかのぼれば特定できる?

川口:できる。Facebookに残ってる。

立岩:その13年の2月に病院のソーシャルワーカーに相談したっていうのは、「相談したけど、」っていう話なの? 実らなかったっていうか。

川口:うん、実らなかったんだ。だからたぶんここで自分でノウハウは勉強したんだと思う。それでそれを自分で達成しようと思って、病院のソーシャルワーカーに「これやって、あれやって」って頼んだの。だけどソーシャルワーカーはそこまで動いてくれないから、ここで止まってたの。
 それで本格的には私に相談して、私がもうみんな集めてきて、ほんとに動いてくれる人が集まってきたでしょ。そっからだよ、ほんとにこう、弁護士が来たりとかさ、運動家が来たりとか、お金が投入されたりとか。病院のソーシャルワーカー相談したぐらいじゃ退院できないんだって。

立岩:これはとにかくというか、誰か。ぼくは坂野さんがいいんだよな。坂野さんちょっと頑張ってもらおうかな、坂野さん。

川口:誰? 坂野さんって。

立岩:坂野さんって、これよ。2017年の年末だけど、ぼくと一緒にインタビューした、看護の教員やってる坂野さん。博士論文そろそろ書くから。ちょっといまいち迫力不足で。坂野さん、長いインタビューしてるのよ。だからちゃんと記録もあるし、その翌月にぼくもインタビューしてるし、それもまあまあ長いから、資料はあなたのきょうのインタビューの記録ができるでしょ、そうするとわりとこう複雑なっていうか、

川口:あと新聞の記事にもなってる。

立岩:あるでしょ、記事もあるしね。古込さん自身のさっきの文章もあるから。そうだな、坂野さんに提案してみっかな。本来は坂野さんがやるべき仕事だな。
 そうなんだよ、いろいろ話は聞いてんだけど、そんなに深くっていうか、まだ調べられてないっていうか、書けてないんだ。[01:07:59]

(以降雑談、坂野さんの話等)

[01:10:43]音声終了

〜このように表現しています〜
・タイムレコード:[hh:mm:ss]
・聞き取れなかった箇所:***(hh:mm:ss)
・聞き取りが怪しい箇所:【○○】(hh:mm:ss)
・漢字のわからない人名・固有名詞はカタカナ表記にしています。


UP:20221204 REV:
声の記録  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
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