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稲場雅紀氏インタビュー


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稲場 雅紀 i2022 インタビュー 2022/07/22 聞き手:伊東香純 於:ZOOM

生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築

◇書き起こし:一般社団法人精神障害当事者会ポルケ・相良真央

伊東:最初にエイズの話について、『流儀』にも出ていると思うんですけれど、AJF(アフリカ日本協議会)がエイズ問題にどんなふうに関わっていったのか、2000年から2001年ぐらいの、お話をお聞きしたいです。日本でどんなことをされてきたかというのをお伺いできますか。
稲場:はい、わかりました。まず、2000年ぐらいに感染症研究会というのを設置することになったんですね。というのは、一つには、AJFに関わっていて、2000年に代表になった林達雄さんという人がいるんですけども、この人が、お医者さんだったんです。それで彼は、もともと80年代のエチオピアの、いわゆる飢餓問題といったところに現場で取り組んでいました。エチオピアの北部の方のウォロ州(現在のアムハラ州の北東部の一部)とかですね。彼は、いわゆる飢餓に瀕した地域で活動していたんですけども、90年代後半に、がんを発症して、けっこう治療が大変だったんです。大変な手術とかもして、いわゆる病気とか医療っていうものについて、掘り下げなきゃいけないということを改めて気が付いたというところがあったんです。あともう一つは、90年代末になってくると、アフリカのエイズ問題が非常に深刻であるということが問題になってきます。このアフリカのエイズ問題が深刻であるということの背景として、特に治療薬が供給されていないというところが、大きな問題であるということが市民社会の中でも出てきたわけなんです。これはどういう話かというと、1996年にエイズに関しては、3剤併用療法というものが開発され、実用化しました。この3剤併用療法によって――当時の3剤というのは、今ほど洗練された薬ではなかったわけですが、それでもなんとか命を生きながらえることができるようになりました。1996年以降、3剤併用療法にアクセスできれば、体調を回復して、実際に社会でしっかりと生きていくことができるようになったわけなんです。
 ところが、この3剤併用療法っていうのは、ご存じのように、一人当たり年間200万円以上するという、非常に高額な治療でした。それで、アフリカなり途上国の多くの人たちはアクセスができなかったんです。なおかつ、この高額の理由というのが、知的財産権による、製薬企業の利益とか、あるいはその薬をどこでどのように売るのかということに関する、あらゆる権限の独占という問題にあるのだということが明らかになってきたわけですね。それで、このルールを変えなきゃいけないということで、だいたい90年代の終わりぐらいから、途上国で色々な運動が始まったわけです。でも、これを途上国だけでやっても、結局、知的財産権の独占権を確保している製薬企業は、現在もそうですが、ほとんど先進国にあったんです。なので、先進国の市民社会が運動しないとどうしようもないっていうことなんです。
だいたい98年から、南アフリカ共和国で、エイズ治療薬裁判というのが始まり、それを、例えば国境なき医師団とか、先進国由来のNGOも、みんなで支援をしました。あと、先進国のHIV陽性者の組織が、途上国の陽性者の運動と連携をして、この問題に取り組むということになって、大きな運動になったわけです。これは1998年以降ですね。
 それでこの運動に、やはり日本からしっかり参加しなきゃいけないんじゃないかという認識を、林さんなり、あるいは当時のAJFの事務局長であった斉藤龍一郎さんなりが考えました。それで、いわゆる政策面で感染症問題、エイズの問題に取り組むにはどうするかということで、2000年に感染症研究会という、ある種勉強したりとか、いろんな形で翻訳をしたりとか、何らかの署名運動をしたりとか、そういうような動きをする会を立ち上げました。それが、2000年にAJFとしてエイズ問題に取り組むことになった経緯なんですね。
伊東:なるほど。稲場さんが、AJFに関わられていくのはそれより後ということですよね。
稲場:そうですね、私が関与したのは2002年からになります。ただ、2000年の感染症研究会には何度か出たことがあります。
伊東:感染症研究会は、AJFだけではなくて外にも開いて開催されていたということでしょうか。
稲場:外にも開いてはいたかなと。外に開くっていうか、知り合い呼んだりとかそういう意味合いでですね。
伊東:その後、稲場さんは2002年から関わられていくんですよね。
稲場:そうですね、私は2002年から。
伊東:そのあたりのAJFとの関わりは、エイズのことが大きかったんでしょうか。
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稲場:そうです、エイズのことが大きかったですね。つまり2002年にはこの課題は、知的財産権のことだけで言えば、ある程度、解決に道が開きつつあったんです。なので、ある程度道が開きつつあったその問題について日本の市民社会としてしっかりやっていこうということで、いろんな取り組みをしたというのが、2002年頃の話ですね。
伊東:なるほど。最初は、斉藤さんと林さんが中心になってやられていたということなんですけど、その後日本国内でも意識が高まって道が開けていくあたりとかの経緯って、どんな感じでしょうか。
稲場:日本国内で道が開けたわけじゃないんですけども、世界的には、知的財産権に関わる新たなルールとかが、2001年の世界貿易機関(WTO)のドーハ特別宣言で出たりとか。それを、法理論的に細かく使った、いろんな方法が実現したりとかしたということですね。あともう一つは、知的財産権で治療薬を輸入したりとか。その国で作ったりとかするということ以上に、この取り組みによって、途上国でもエイズ治療をしなきゃいけないという国際的な合意ができたわけですね。
 その結果として、治療薬については、一つは世界エイズ・結核・マラリア対策基金――グローバルファンドですね、もう一つは米国の大統領エイズ救済緊急計画――PEPFARですね。この二つの、大きな途上国のエイズ支援スキームができまして、ここで大量に購入をして供給をすることになったんですね。
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稲場:つまり、知的財産権の強制実施権の行使によって、エイズ治療薬を輸入するというのは、できることにはなったものの、法的な意味で、力技が必要になってくる状況でした。というのは、知的財産権の強制実施権の行使というのは、そもそも、まずその国において、保健上の緊急事態であるということを宣言しなきゃいけないんです。
 この宣言は別に、緊急事態だと宣言すりゃいいだけの話ではあるんですけれども、宣言するからにはこういうことであるというデータをとってちゃんと物を言わなきゃいけない状況も出てきますし、その国の中で合意も形成しなきゃいけないんですね。
 その上で、特定のこの治療薬に関して、開発した人や法人、つまり、いわゆる特許権を持っている企業などの主体と交渉をし、そして、いくばくかの資金を払うなりなんなりをして、それで強制実施権の発動を宣言するなりなんなりするんです。例えばインドとかで作ってるとなれば、それを輸入するとか、そういうことになるわけです。これは、WTOのルールでは行使できることにはなるわけです。ところが、特に米国をはじめとして、知的財産権の保護を含む貿易ルールの履行状況について、強力に監視をしている国があるんですね。こういう国々が、2国間で貿易上のペナルティを課してくるわけですよ。
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稲場:2国間でペナルティを課したりとか、様々な形があります。それぞれの国は、その薬だけ輸入してるわけじゃないんで、他のさまざまなものを輸入しなきゃいけないわけですよね。あるいは、途上国としては、こっちから輸出しなきゃいけないものもあるわけですよね。農産物とかですね。例えば、この治療薬を輸入するっていうことで、先進国からペナルティをかけられて、農産物といったものを輸出をする時に、なにか制限をされたりとか、関税を高くされたりとかすることがあります。そういういろんな目に合うとなると、当然これはやりにくいわけですね。
 つまり、強制実施権を発動して治療薬を輸入した場合に、ほかの貿易関係でどんなペナルティが待ってるかが予測不能であるということがあるわけです。
法的にできるというだけですから。法的にやっていいっていうふうに言ってるだけで、やったことに関して、いろいろな国々が、嫌がらせをすることをしてはいけないというルールじゃないんですね。
 で、嫌がらせっていうのは、いろんな形でできるんですよね。つまり、その国は実は、民主主義じゃないとか、そういうことを言って嫌がらせをすることもできるし、この治療薬以外の面での保護貿易をやっていることについて取り上げて、嫌がらせをすることもできるし。つまり、先進国で知的財産権をとにかく守りたいと思っている、巨大な国が嫌がらせをすることを規制するという法的構成はないんですよね。
 そうすると、たしかに、エイズ治療薬の件だけで嫌がらせをしたら、それこそ世論が黙ってないとかいうことがあるかもしれないから、いろんな意味合いで、ほかのことをネタにゆするとかいうこともできるんですよ。あるいは、その国のメインの輸出物を、止めたりすることもできるわけですね。
あともう一つは、その国が何らかの強制実施権を発動した時に、何らかの手続きミスがあったりとかして、手続きがおかしかったりすると、WTOには訴訟を起こすための機関があって、問題をそこに訴えるってことができるわけですね。だから、ここがおかしいとか言って、WTOに争いごとに持ち込むっていうこともできるわけです。
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稲場:なので、この強制実施権を発動、実際に発動して、その特定の薬を例えばインドなりなんなりから輸入するっていうのは、それなりにハードルが高いことで、国内にプロフェッショナルな貿易関係の法律家がたくさんいないと、端的に無理ですね。
 例えば、イスラエルとか、韓国とかはできるわけですよ。そういうことができる法律家がたくさんいるのでね。ところが、そういった法律家とかがいなかったり、あるいはそういった法律家の、いわゆる法律知識が浅かったりとかすると、当然穴があって攻撃されるんですよね。なので、この知的財産権の強制実施権の発動っていうことに関しては、できるようになったのはいいが、様々な穴があって、それでその国が独力でやろうとすると、特に非常に貧しい国の場合は、それをするキャパシティが非常に不足するということになってしまうんです。なので、そういった国の場合、例えば国境なき医師団のようなNGOがサポートしてそれをするってことは十分あり得るわけですよね。
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稲場:例えば「国境なき医師団」には法律家がたくさんいますので、強制実施権の発動のための支援ができるわけですよ。つまり、そういうようなサポートをNGOから得て、やるっていうことはまあ可能は可能なわけです。
 ただやっぱり、それをやることで何年も費やしたりしてしまいます。また、それこそその薬を輸入したりするのは厚生、保健省なわけですけど、そこで法律で闘わなきゃいけないのは通商産業省になりますよね。
 そうすると、また問題が生じるということにもなるわけですね。ですので、強制実施権を発動して治療薬を輸入するっていうケースに関しては、けっこう例が限られるっていうことなんですね。非常に難しいし、この国がやって成功したから、ほかの国も好きなようにやっていいっていう話にはならないわけですよ。あるいは、全ての国にそういうことをする、国家意思があるかどうかって言うのももちろん関係しますよね。
 例えば南アフリカ共和国は、すごくやる気があるが、レソトとか、エスワティニとかは、いやいやそんなことできないよって話になることも十分あるわけですね。国の規模が全然違うからです。小さい国だとやっぱりやりにくいです。法律家もそんなたくさんいるわけじゃないし。
伊東:嫌がらせをされるんじゃないかってことでできないってことですか。
稲場:そうです。嫌がらせをされてもやるんだっていうことができるのは、それこそ国是として、例えば、憲法にすべての国民に医療を保障するって書いてあるとかですね。何らかの理由でそういう、例えば国民の健康は非常に大事であるとか、そういうような、ある程度国是になったようなものを持っている、例えばブラジルとか、南アフリカ共和国とかですね。そういった国々は一応そういうのが国是になっているので、できるわけです。
 しかし、国民の健康がその国にとって一番大事だという話になるかどうかっていうと、これはいろいろあるわけですよ。そういう意味合いにおいて、強制実施権の発動っていうのは、ものすごく様々な体力が必要になってくるので、そう簡単に全部の国がやれるもんでもないということがあるわけですね。
ですので、アフリカあるいは途上国に向けたHIV治療薬の供給は、強制実施権の発動によって、多くの国々が自らやるというよりは、先ほど言ったグローバルファンドによるプログラムによる供給だとか、あるいは米国の大統領エイズ救済緊急計画による供給であるとかっていうところが、中心になったわけです。
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稲場:つまり援助が中心になったわけですね。
伊東:ファンドとかが、高い値段を製薬会社に支払うっていうことですか。
稲場:例えばグローバルファンドの場合は、インド製の治療薬を購入して、それを供給する。インドの治療薬はジェネリック薬なので、つまり、ブランドで買えば2万ドルするところが、200ドルで買えるわけですよ。
 なおかつ、大量定期的購入をするので、もっと安くなるわけですよね。それで、その購入資金の中心は、先進国をはじめとするドナー国のお金ということです。つまり先ほど言ったように、この闘いの結果、エイズ治療を途上国でもやるんだということが、国際的に主流化されたわけですよ。
 つまりやらなきゃいけないことになったわけですね。当時は、エイズをこのまま放っておけば、南アフリカ共和国とか南部アフリカ全部壊滅してしまうかもしれない、また、アフリカがこうなるからには、他の地域も同じようなことになるかもしれない、という巨大な脅威として認識されていました。だから、やることにしたわけです。それでWHOとUNAIDSが2003年に、今HIV治療薬が必要な600万人のうちの半分の300万人に2005年までに供給するという、いわゆる「3?5」(スリーバイファイブ)というものを決めました。それで、このスリーバイファイブの実施に関しては、例えばアメリカ合衆国のPEPFARや、あるいはエイズのグローバルファンドが、かなりの部分を行うということにしたわけですね。
 なので、2001年のいわゆるドーハ特別宣言や、あるいは同じ2001年の南アフリカ共和国でのエイズ治療の薬裁判での実質上の勝訴っていうのは、基本、全部強制実施権でやる、という話じゃなく、国際的にそうすることにするっていう合意をつくるっていうことにおいて、非常に大きな意味があったわけです。つまりその合意ができず、それぞれの国々が、全部強制実施権で一からやっるというのは、基本的には無理なんですよ。どういうことかというと、強制実施権っていうのは一つの薬について一国でしかできないんです。
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稲場:強制実施権の発動っていうのは、これこれという治療薬について、強制実施権を発動するということを、X国がやるってことだからです。例えば、X国がAという薬について強制実施権発動をするとします。これが成功したら、自動的にY国がBという薬についてもできるようになるわけでは全くないんです。つまり、全部一個ずつなんですよね。Xという薬について、A国がやる。Yという薬についてB国がやる。Zという薬についてC国がやるっていうのはそれぞれ全部別々のプロセスでやんなきゃいけない。
じゃあA国がXという薬についてできたから、じゃあYという薬についても自動的にできるようになるかって言ったらならないんですよ。つまり、A国は、XYZ全部について、それぞれやんなきゃいけなくて、そんな体力は、どこの国にもないんですよね。
 だから、そういう意味では強制実施権の発動によってすべてのエイズ治療薬を賄うのは、これは基本的には無理で、レジーム自体が変わらなければ、どうしようもないんですね。
 結局のところ、そのレジームを変えることになったわけですよ。つまり、エイズ治療薬ってのは先進国だけで使って、ブランド企業は、自分の好きなように、好きなところに、好きな価格で売って構わない。途上国の方は、エイズ治療薬を確保できなければ、患者には、とりあえず健康的に生きてもらって、寿命になったら死んでもらうというそういうレジームから、ちゃんと治療するというレジームに、2000年代に変わったんですね。
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稲場:それを変えることにつながったのは、市民なり患者の運動であったということです。レジームが変わらなかったら、強制実施権で全部やんなきゃいけないってことになってしまう。そうすると、一個ずつ一国がやるってことになってしまいますから、無理なんですよ。
 それで、エイズ治療薬を途上国にちゃんと届けることにし、届けるための仕組みっていうのは、グローバルファンドや、例えば米国のPEPFARがやるというふうに、2002年ぐらい――2002年とか2003年――に大きく変わり、だいたい2005年、6年ぐらいには、無料での治療アクセスが、多くの国でできるようになったということですね。
伊東:なるほど。ファンドは、どこの国も同じように援助するという感じなんですか。
稲場:そうですね。例えばグローバルファンドについては、グローバルファンド日本委員会のウェブとかあるので、それを見てもらえれば分かると思います。グローバルファンドっていうのは、そういう形で、まず先進国の政府が拠出する資金を中心にしつつ、民間の巨大財団とかのお金や民間企業の寄付とかも含めてお金を大量に集めてきます。途上国は、自分の国はこういう対策、エイズ計画でなんやかんやしますというプロポーザルを出してくるので、それを審査をします。それで、その資金をもって、そのプログラムに金をつけるわけですね。
 プログラムに金をつけたらその金で、例えば計画の中にエイズ治療のプログラムが入っていれば、その治療薬を購入して、国内で無料で供給をするということになるわけです。それが、基本的にどういう国が対象かというと、一つは、低所得国ですよね。つまり、一人当たりGNI――一人当たり国民所得――が、例えば1000ドル以下ぐらいの国(2021年現在、一人当たり国民所得が1085ドル以下の国を意味する)。貧困な国です。あとは、中所得国の中で、患者が膨大にいる国とか。あと、特定のコミュニティに患者感染者が大量にいて、そこにはリーチするのが難しいというような、上位中所得国であるとか。そういったような国々に、資金を提供して、プログラムを実施する。その中に治療のプログラムがメインのものとして入ってるので、それで、無料で供給するというのが、グローバルファンドがやってきたことですね。
伊東:そうすると、強制実施権よりはその方が楽だと思うので、強制実施権は実際はほとんど実施されず、多くはグローバルファンドから薬を得て供給するという形ですか。
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稲場:そうですね、あるいは南アフリカ共和国とか、グローバルファンドのいわゆる援助対象国の基準よりも、所得が上の国とかは、結局自分の国でやるしかないので、自分の国でやるということになります。その他には、ブラジルとかですね。
 つまり結局、真ん中か、もっと貧乏な国がグローバルファンドの支援の対象になるんですよね。あとは、そういう国に対しては、例えばインドから薬を輸入すること自体を、意地悪しないってことも一つあります。強制実施権発動しないでも、輸入できるようにするということです。特許権が切れた薬であれば輸入できるわけですから。なので、古いタイプのエイズ治療薬を、輸入するっていうことになるわけですよね。
伊東:ブラジルとか、南アフリカとかの場合も、そういう動きはあるんでしょうか。
稲場:南アフリカとかの場合、自分の国で作るっていう選択肢もあります。ブラジルの場合は自分の国で作ることができるし、南アも自分の国で作ることができるので、何らかの形で自分の国で作るように、うまく法的構成を考えて、自分の国で作れるようにするということです。発明――開発――されてから20年経れば、特許は切れるので。
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稲場:一番古い薬っていうのは実は、もともとがんの薬として開発された薬で、エイズに使われるよりもっと前に開発されてるんですよね。なので、特許に関しても、例えばHIVが始まってその薬がエイズに効くってことになった。なった時にはもうそれなりに年月が経っていて。開発されてから20年って言っても、なんとか2000年代初頭には、いわゆる特許切れになって、自由に作れるようになっているということです。
伊東:それは、3剤併用とは違う薬っていうことですよね。
稲場:いや3剤併用の薬の中にもそういう薬が入ってるわけですよ。3剤併用っていうのは何かって言うと、そういった古いタイプの治療薬と、最近開発された新しいタイプの治療薬で3剤になるわけですよね。
 つまり、タイプの異なる3つの治療薬を使うということなんですね。このうち、タイプが異なる3つっていうのは、タイプが異なる薬が2つしかなければ、3剤併用療法できないわけですよね。
 新たに3つ目のタイプの薬が開発された結果、1996年に3剤併用療法ができるようになったんですよ。だから、3つ目の治療薬に関しては、どうしても特許がかかるわけですよね。残りの2つのうち、例えば1つとかに関してはもう特許切れになっていたりするというようなところなんです。
 なので、その3つ目――「プロテアーゼ阻害剤」――が、開発された結果として、3剤併用療法ができるようになったわけです。
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伊東:じゃあ2つは、自分の国で作りつつ、もう一つはなんとかするということですか。
稲場:そうですね、輸入するとかそういうことですね。
伊東:日本の話に戻るんですけれども、そういう当時――2000年から裁判が終わって、しばらくの間――っていうのは、AJFでは、エイズに関しては、どんな感じだったんでしょうか。どんなふうなご活動をされていたんでしょうか。
稲場:まずはやっぱり、この問題について普及しなきゃいけないんですよね。つまり、この知的財産権の話――途上国における、いわゆる医薬品アクセスと知的財産権のコンフリクトっていうものが生じているということ――について、日本では多くの人が知らないんです。だから、この問題について、普及をしなきゃいけないっていうことで、例えば、ウェブサイトに、そういった記事を訳して載せたりとか、シンポジウムやワークショップをやったりとかしました。あと、例えばアフリカから、HIV陽性者の人たちを呼んで、日本国内で、講演会を連続してやったりとか。そういうような形で、一つはこの問題についての啓発活動を行うということをしたわけですね。
 その他には、政府との対話です。特に日本は、今言った知的財産権の問題で言うと、先進国なので、知的財産権を保護することを、非常に重視する国なわけですね。つまり、そういったものを開発して高く売ることで、国のGDPを上げるっていうふうにやっている国なわけですよ。
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稲場:なので、逆に言うと日本は、治療薬をどっかの国が開発して、それを安く輸入したいっていう国じゃないんです。高く売って儲けたいっていう国なので、当然知的財産権は、強い方が良いっていう立場です。まあ最近はそうじゃなくなってきたんで、ちょっと困ってきてるわけですが。つまり、治療薬を開発して高く売るということを、国のビジョンとしてやっている国なわけですね。なので、その結果として、途上国、医薬品が手に入らずに困るっていう場合、日本はその原因をつくっている側の国なわけですよ。
そこで、この問題についてこういうようなことがあるっていうこと――例えば、こういうことで困っている人がいるんですけどどうするんですかということ――を、政府に問いかけるっていうことをやってきました。これは例えば、外務省の、当時の調査計画課(現在の地球規模課題総括課にあたる)っていうところが、いわゆる国際保健に関する計画を立てているわけですけれども、ここに対して、例えば先ほどのグローバルファンド、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に対するお金をもっと出せとか。
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稲場:あと、知的財産権に関して、よりマイルドな政策を取れということとかだったり、あるいはそのあたりの問題について、果敢に取り組んでいる途上国をいじめたりしないでくれということですね。そういうようなことについて、外務省の、例えば調査計画課との対話や、厚生労働省との話し合いをしてきました。そういういわゆる政策提言をすることの2つっていうことになるかと思いますね。
伊東:政策提言は、どういう風にやってきたんでしょうか。政府の側が、そういう場を設けて、参考人みたいな形で呼ばれて行くっていう感じなんですか。
稲場:これはいろいろなやり方があって、一つは、日本の場合、1994年から日本政府と保健分野に関わるNGOの定期対話っていうのが、2カ月に1回あるんです。この定期対話においてこの問題を提起するということが一つのやり方としてあるわけです。
 あともう一つは、例えば、NGOが自分たちのキャパシティを上げるために、いわゆる研究会あるいは研修の活動をするということに対してお金を出すプログラムを政府は持ってるわけです。それに関して、途上国でのエイズ治療の促進っていうテーマで、申請をして、そのお金をもらいます。それで例えば、途上国において、今こういうエイズ治療をやんなきゃいけないっていう話になっていて、どんな団体がどんなことをやっているのかっていうのを調査して日本に持ち込んで、政府に対してその報告書を提出して、こういうところがあるからこうせよと言うとか。いろんな方法があります。
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稲場:あとはなんらかの形で署名を、みなさんから集めてそれを政府に提出をするとかです。まあそういったことをいろいろやってきたということですね。
伊東:そういうご活動はAJFが中心となってやってきたということですか。
稲場:そうですね。うちが中心となってやってきました。
伊東:ほかの団体の方とはどんなつながりがあるんですか。多くの団体は、エイズ治療薬の供給を促進しようという意見なんでしょうか。
稲場:保健分野っていろいろな団体がたくさんあるんですよね。つまり、エイズ・結核・マラリア対策基金っていうのはそれこそエイズもあるけれども、結核もマラリアもあるんです。マラリアやってる団体も結核やってる団体もあるということです。
マラリアをやってる団体はマラリアのことをやってて、結核をやる団体は結核のことをやってるわけです。それで、結核をやる団体っていうのは、日本はそれこそ結核大変だったんで、日本で結核を治療したり予防したりするっていうことも、それぞれやってるわけですね。あと、海外における結核の問題について啓発をしたりとか、あるいは、結核に関する基金に、お金が出るようにするような取り組みをアドボカシーしたりとか。そういうことをしてるわけです。マラリアに関する団体もそういうふうにやってるわけですね。
 例えば、母子保健についてやっている団体は、母子保健のことをやってるわけですよ。それで、同じように、母子保健にお金が行くようにとか、あるいは日本政府の政策が、アメリカの共和党のような、いわゆる中絶とかに断固反対みたいな変なところに影響されないようにするとか。それぞれが、そういう様々な取り組みをするわけですね。
 このそれぞれの保健分野をやってる団体っていうのは、それぞれのテーマがあってそれぞれやってるので、一般的な要求としては、やっぱりその日本の保健分野のODAを増やしてくれとか。NGOがもっとあちこちでちゃんと活動できるように、環境を整えてくれとか。そういうことになるわけですね。あとは個別の団体が、個別の問題について言い、似たような問題については、一緒に取り組むというような形でやってるんですね。日本について言うと、残念ながら、HIVエイズに取り組んでいる、国際的なHIVエイズ問題に取り組んでいる団体っていうのは、あんまりたくさんはないんですよね。
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稲場:なので、数少ない例えば途上国でエイズのプロジェクトをやっているような日本の団体と連携をしたりとかしています。例えば、中米のある国で、エイズの取り組みをしている日本のNGOと連携して、グローバルファンドに関するいろんなことをしてみたりとか、そういうようなことはいろいろしてきたわけですね。
伊東:なるほど。アフリカのNGOとの関わりは、啓発活動のほうでしたっけ。
稲場:これも、アフリカのNGOっていうのも、いろんなことをしてるんですよ。特にアフリカのNGOの場合、各国の政府にキャパシティが十分にない分、自分たちでやんなきゃいけないとか、そういったいろいろな事情があるんですよね。なので、アフリカのNGOは、アフリカのNGOとしての能力があるので、こういった団体がやることをサポートしたりとか、日本に呼んできたりとかしています。
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稲場:例えば、日本は、当時5年に1回アフリカ開発会議(TICAD)っていうのをやっていて、このTICADにHIV陽性者の参加を促して市民社会から発言するっていうようなときに、エイズについてやっている、取り組んでいる団体から発言をしてもらうとか。それで、TICADで採択される宣言にちゃんとエイズのことが書かれるようにするとかですね。あと例えば、それこそグローバルファンド――さっきのエイズ・結核・マラリア対策基金――は、アフリカに相当のお金を供給しているので、アフリカ各国の政府から、日本政府に対してグローバルファンドにもっとお金をって言ってもらって、日本政府がもっと拠出するように持って行くとか。そういうようなことをやってきたわけです。
伊東:じゃあ政府との対話の中でも、アフリカのNGOの方も関わっているということですね。
稲場:そうです、もちろんそうです。政府の方も、日本人が言うより、アフリカ人が言う方が、聞く耳を持つので。
伊東:なるほど。そういうご活動は、2000年あたりからなんでしょうか。
稲場:そうです、2000年以降ですね。
伊東:感染症研究会は、定期的なものでしょうか。どれぐらい続いていたものなんですか。
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稲場:感染症研究会自体は、実際に様々な形でプロジェクトが発展したので、あんまりやらなくなったんですよ。それで、国際保健のプログラムってことになったんですね。
伊東:それはいつ頃なんですか。
稲場:だいたい2002年とか、3年とかですね。
伊東:じゃあ割とすぐに、プログラムになったんですね。
稲場:そうですね。
伊東:それはやることが、いろいろ増えたっていうことでしょうか。
稲場:多岐にわたったっていうことですね。
伊東:エイズのほかにもっていう感じでしょうか。
稲場:HIVだけとっても、すごくたくさんやることあるんです。世界の市民社会と一緒に何かやるとなれば、先ほど言ったグローバルファンドの理事会に、先進国の市民社会として参加をしなきゃいけないとかいうような話が出てくるわけですよ。それで、グローバルファンドは、割と新しい機関という意味合いで、政府以外の例えば民間企業とか民間財団とかも、政府と同じ決定権で理事会に参加することができるっていう仕組みなんですね。
 なので、20名の理事の中に、先進国のNGOの代表の理事とか、途上国のNGOの代表の理事とか、患者感染者やエイズ・結核・マラリアの影響を強く受けているコミュニティの代表の理事とかがいて、この人たちが、例えば日本政府の議席と同じ権限を持って運営に参加するんですね。
 だから我々が例えば日本やアメリカの議席と同じように、賛成とか反対とか、これはこういうことがあるから問題だとか、そういうことを理事会に出てしゃべるわけです。先進国NGO理事っていったときに、その理事がしゃべるといっても、理事が勝手にしゃべるわけにはいかないので、いろんな先進国で同じような活動をしている人たちが、10人集まります。そして、その理事会で何を決めるのかっていう、いわゆる議題を全部見て、この議題についてはこういう対応をしようとか、あの議題についてはああいう対応をしようっていうことを全部決めます。その上で理事が発言するっていうことになるわけですよ。
 なので、そのチームにこちらとして参加をしなきゃいけないということになります。特にグローバルファンドの場合は、2000年の沖縄サミットで設立が決まったので、日本政府はそれなりの力を持ってるんですよね。日本政府っていうのはアメリカ合衆国の政府と一緒になって、彼らが運営したいやり方で運営しようとするわけです。
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稲場:ところが、途上国の立場とか、患者感染者の立場は、日米の立場とは異なるので、日米のやり口が良くないっていうふうに考える場合もあるわけですね。その場合は、日米の提案に反対して、我々の提案を出さなきゃいけないことになります。そういうようなことをしたり、あるいはほかの途上国全部を説得して、こっち側につけるようにしたりとかしなきゃいけないわけですよ。
 そういうような様々なことっていうのが、たくさん出てくるんです。あるいはアフリカ開発会議をやるとなったら、いかに患者感染者の団体を日本に呼んできて、その人たちがちゃんと自分たちの声をいろんな人に届けるようにするために、いろんなイベントを組んだりとか、そのほか非常にたくさんのことをしなきゃいけないということになるわけです。そういうような様々なことをするようになったということです。
伊東:その先進国のチームというのは、どれぐらいの規模の人がいるものなんでしょうか。
稲場:グローバルファンドの理事会っていうのは、各代表団、各議席が、10人の人を連れてきていいってことになってるわけですよ。
伊東:1議席につき、10人。
稲場:1議席っていうのは理事は1人しかいないんですが。
45:03
稲場:理事を中心とする代表団が10名までオッケーで、この代表団の中には、まずその理事がいて、副理事がいて、取りまとめの人がいて、そしてメンバーがいるという構造になってるんですね。
 日本政府は、そういう意味では10人も連れてこないわけですよ。理事がいて、副理事がいて、ジュネーブの代表部の担当者が取りまとめの人になって、あと厚生労働省から1名みたいな感じで4人ぐらいです。
 先進国NGO代表団とか、途上国NGO代表団とか、コミュニティ代表団は、それぞれ10人ずつ連れてきて、30人いるわけですね。
それこそ、例えば先進国であれば、アメリカ、イギリス、フランスといったような国々から来るということですね。途上国であれば、アフリカ、あるいは中南米とか、東南アジア――インドとか――ですね。そういったところから参加するということです。10名ずつっていったんですけれども、その後ろに例えばインターネットグループがあります。
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稲場:意見交換をするための、コンスティテュエンシーのためのグループがあって、例えばそのメーリングリスト――そこに300人とか入っているわけです――に、例えばグローバルファンドの特定の理事会のときの議題とか、あるいは事務局からの提案が上がってきます。それをみんなで、議論するっていうことですね。あとは、電話会議をして、議論するというようなプロセスが、定期的にあるわけです。
伊東:なるほど。インターネットでつながっている何百人の人たちがいて、そこでも議論をし、そのあとに各国の代表者みたいな人たちがまたさらに議論をして、NGOとしてどんな意見を出すのかを決めるということですか。
稲場:そういうことになりますね。あと10分で別の会議に行かなきゃならないんですけど。
伊東:分かりました。その会議では、先進国なら先進国で意見はだいたい同じような感じなんですか。けっこう割れたりもするんでしょうか。
稲場:割れることももちろんありますね。まあ割れたときには議論して、どっちかにするっていうことですね。
伊東:それは、各国の代表同士で話し合ってということですか。
稲場:そうそう、10名の代表団が編成されてるので、その代表団の中でなんとかすると。
伊東:なるほど。
48:20
伊東:最後に、先日東京でお伺いした話に戻るんですけれども、マラリアと結核の対策のことを、お伺いしてもいいですか。
稲場:はい、どんなことですか。
伊東:特にマラリアのことで、この間、支配階級が中心で5つのこと――蚊帳を設置するとか、防虫剤を使うとか――をご紹介いただいたかと思います。それらは、どこが主導して、どんなふうに進んでいるのかっていうあたりを伺いたいです。
稲場:まず、マラリアに関しては、いろいろ経緯があるんですよね。その上で、その経緯を踏まえて言うと、1990年代半ばぐらい――ちょっと何年か忘れたんですが――マラリアについての新しい戦略っていうものができたわけです。ロールバックマラリアっていう戦略ができたわけですね。
ロールバックマラリアというのができて、その戦略計画が立ったわけですよ。このロールバックマラリアの戦略計画は、たぶんウェブを見れば出てくると思うんですが、一つは、これはコンビネーションによる対策なんですね。つまり、コントロールをするということなんです。それまではいわゆるマラリア撲滅政策っていうのが、ちょっと前まで取られていました。60年代とか70年代とかですね。70年代とかは、大量の殺虫剤を撒いて、蚊をやっつけるということをやっていました。あと、治療薬とかに関しても、それこそベトナム戦争とかの文脈では、治療薬を細かく粉にして食べ物に混ぜて、それでマラリアの人が治るようにするとか、そういうでたらめな政策がなされてたわけです。これが、残念ながら、マラリア治療薬に対するすごいレジスタンス――耐性――をつくってしまったんです。
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 その結果、効かないマラリア薬がたくさん出てきたわけですよ。あともう一つは、蚊を退治するのに使われていたDDTに発がん性があるという話が出てきて、これもやらなくなりました。その結果、マラリア対策がなされず、空白になった時期っていうのがけっこう長く続いたんです。それでその間に、マラリアがアージェンシーになった――いろんな国々でまたマラリアが流行るようになった――という状況になりました。それで、なんとかしなきゃいけないっていうのもあって、ロールバックマラリアというコンビネーション戦略がとられることになったんです。つまり、マラリアに関して、一つはマラリアの治療、もう一つは予防っていうか、蚊に刺されないようにするという対策です。あとは、ベクターコントロールといって、蚊の数を減らすということです。このあたりのことを、とにかくコンビネーションでやるということになりました。その蚊に刺されないようにするっていう戦略の中に、いわゆる蚊帳を使うというのが出てきました。しかもその蚊帳っていうのは、ただの蚊帳じゃなく、殺虫剤漬けにした蚊帳であるとか、あるいはもともと殺虫剤成分を練りこんだ蚊帳であるとかを作ったんです。それは、蚊がその蚊帳についたとたんに死んじゃうというものです。そういうものを供給したんですね。
稲場:つまりベクターコントロール――蚊を減らす――っていう役割と、蚊に刺されないっていう役割を両方やるというものを、いろんなとこに配るっていう戦略があったわけです。つまり、蚊帳で守るということです。さらに、例えば室内スプレーとして殺虫剤を壁に塗布します。蚊っていうのは、2分間飛んでると過熱して死んじゃうので、壁に止まんなきゃいけないわけです。それで、壁に止まった途端にそこに殺虫剤がついてるんで死んじゃうということですね。
 いわゆる室内殺虫剤スプレーという手法ですね。あと、池とかそういったところに、ボウフラがわかないように、これまた殺虫剤を使うということもあります。殺虫剤ばかり使って、体に悪いわけですが、じゃあどうするんだといったところで、マラリアの方が深刻だから、相対的にしょうがないだろうっていうような理屈になっています。もう一つは治療です。特効薬が90年代に開発されました。これは中国とかベトナムに生えている、ニガヨモギの葉っぱから出てきた成分を使います。これを使うと急性の脳性マラリアになってても、飲めば助かるんですよ。
 いわゆるアルテミシニンっていう治療薬を使えるようになったんです。そこで、このアルテミシニンを使った、コンビネーションセラピーを普及するという方法がとられていきます。そういう形で急性の重篤な感染症としてのマラリアに対して、一つは、予防、その中には、蚊に刺されないようにするという意味合いの予防と、ベクターコントロール、つまり蚊の数を減らすということが含まれます。あともう一つは、発症したらきっちり治療するということです。それをだいたい5つぐらい、これこれこれこれこれって挙げて――ちょっと私も今忘れて思い出せないんですが、それをやればマラリアは、確実に減るから、それをやればいいんだってことになりました。そこで、お金持ちの連中は、自分がいいことをしたいので、どんどんお金を出すようになったということですね。
伊東:その金持ちっていうのは、どこの人たちですか。
稲場:それは、アメリカの資産家ですよ。日本だって、青年会議所――若社長の集まりの団体ですけど――だって、なんとかっていうマラリアのイニシアティブをやっていますよ。お金を出して蚊帳を買って送るみたいなことをやっていますね。ユニセフにお金をあげるようなイニシアティブもやってますね。
伊東:ありがとうございます。すみません直前まで。
稲場:いえいえ。そんな感じでよろしいですか。
伊東:はい。どうもありがとうございました。
55:39
(了)


UP:20230106 REV:
稲場 雅紀  ◇アフリカ日本協議会  ◇声の記録(インタビュー記録他)  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇伊東香純 
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