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見形信子氏インタビュー

2022/07/15 聞き手:坂野 久美

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見形 信子 i20202 インタビュー 2022/07/15 聞き手:坂野 久美

こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
◇文字起こし:ココペリ121 https://www.kokopelli121.com/

【rmk09-1】見形信子氏インタビュー 2022.7.15_61分 聞き手:坂野

坂野:よろしくお願いします。
今、見形さんは埼玉県に住んでみえるんですか?

見形:今はつい最近引っ越して、東京に住んでるんですけど。

坂野:東京なんですね。なぜ。

見形:東京に引っ越してきました。その前はずっと埼玉にいたんですけど。25年ぐらい、生まれてから埼玉出たことなかったので。はい、埼玉県民でした。

坂野:そうなんですね。なにかきっかけはあったんですか?

見形:仕事を東京のほうで始めたので、そちらに通うのが大変っていうこともあったり。あとは、結婚することになったので。

坂野:おめでとうございます。

見形:はい。そのパートナーのかたがこちらに、東京に住んでいるので、それでいっしょにこっちに私が越してきちゃうっていう。仕事先はこちらだし、パートナーもこちらに住んでいるので、引っ越しちゃえっていうので引っ越してきました。

坂野:そうなんですね。それはそれは、すごいです。いつ引っ越されたんですか?

見形:4月です。

坂野:コロナがちょっとおさまってきたときですかね。

見形:そうですね。少しだけ落ち着いてきたので、「今だ」っていうのもあったので。

坂野:ほんとですか、すごいですね。東京はどうですか?

見形:東京は今すごいコロナが増えてきたので。

坂野:そうそう、すごいですね。

見形:どうしようと思いますけど、でも私が住んでいるところは田舎のほうなので、そこまで都会で人がわんさかっていうわけじゃないので、そんなに実感はないですけど。でもヘルパーさんたちが感染したという話はよく聞くので、それでちょっとびっくりというか、びくびくしてはいますけど。

坂野:そうですよね。外に出なくても接触されるヘルパーさんが感染したっていうのがいちばん大変ですよね。

見形:そうですね。しょうがないですけど。

坂野:しょうがないですね。はい。そうなんですね。ワクチンとか、もう打たれているんですか?

見形:3回目は打ったんですけど、4回目はまだちょっとかな。ちょっと先になりそうですけど。

坂野:そうですね。ほんとにこんなにまた増えると思わなかったのでちょっとびっくりですよね。

見形:はい。



坂野:ではちょっとさかのぼって、筋ジス病棟に入院っていうか入所されていたっていうことで、その当時のことをちょっとお聞きしたいんですけど。やっぱり学校通うためということで入られたんですかね?

見形:そうですね。あとは、親が私の介護をするのがむずかしくなってきてしまっていたので、入所しちゃったほうが学校にも通えるしいいねっていうことで。

坂野:中、高でしたっけ。

見形:はい、そうです。

坂野:中学のときに入られたんですか?

見形:そうですね。それまでは在宅だったので。

坂野:じゃあ、そのころ身体のほうは、どのくらいの進行というか状態だったんですか?

見形:そうですね、今とそんなには変わってないですけど、全介助でした。まだでも、一人で座ってられるというか、支えがちょっとあれば座っていられる状況だったんですが、今はもう完全にこう、ちゃんといすというかしっかり座れるものでないと、背もたれとかぜんぶきちんとないと座れないので。
そうですね。あと体重もぜんぜん大きかったので。あのころ、中学生くらいがいちばん大きかった。

坂野:そうなんですか、今よりだいぶ大きかったんですか?

見形:プラス10キロくらいはあったかなと。

坂野:ほんとですか。なるほど。じゃあ小学校のときも支援学級みたいな感じでした?

見形:そうですね。私は訪問教育を受けていたので家にずっと学校の先生が来ていて。だから家の学校みたいな感じで一人でやってた感じですね。

坂野:なるほど。じゃあ、小学校のときは、あまりお友だちとかっていうのは。

見形:そうですね、いない感じです。

坂野:じゃあ、中学校高校時代に病棟にいらしたときに、お友だちができたっていう感じですかね?

見形:そうですね、同じ障害のSMA、女性も男性もいて、嬉しかった。
40人くらいの病棟だったんですけど、それが4つくらいであるんですね。

坂野:4つ。

見形:一つは成人病棟といって、高校卒業した人たちがそこに送りこまれていくっていう感じで。私は小児の病棟だったので、高校生くらいまでの人たちばっかり。小学校から小学校行ってない子もいたかもしれないですけど、学童というか高校生までの子どもたちがいる病棟でずっといたんですけど、その筋ジスのディシャンヌ型の人たちが多くて。あと、福山型とか。

坂野:そうなんですね。いちばん小さい子はどのくらいの年齢だったんですか?

見形:6才とか5才とか記憶の限りですけど、小学校1年生は確実にいましたね。

坂野:それは筋ジスじゃなくてSMAのかたですかね?

見形:筋ジスのかたたちですね。

坂野:そうなんですね。みなさん男女は別?

見形:男女お部屋は別ですけど、病棟はいっしょで、部屋は別で。

坂野:部屋別で。でも大部屋ですよね。

見形:そうです。

坂野:4人か6人くらいの。

見形:そうですね。4か6ですかね。はい。

坂野:なるほど。そこでお友だちはできますよね、そりゃ。できますというか。

見形:はい。

坂野:それで、そのまま小学校に、隣の廊下を通って行く、みたいな感じですか?

見形:そうですね。

坂野:それ、連れてってくれるのはだれが連れてってくれたんです?

見形:私は電動車いすに当時乗っていたので、一人で。一人でっていうか集団登校でしたけど、自力で行ったり。あと手動に乗ってるときもあったので、手動車いすのときは看護師さんが押して行ってくれたり、児童指導員さんっていうかたとか保母さんがいたので、そのかたたちがフォローするっていうか、介助してもらって送ってもらったような記憶はあります。

坂野:ほとんどのかたが通われてたんですよね。

見形:そうですね、はい。

坂野:なので、それだけ介助者がたくさんみえるっていうことですか? 必要っていうか。

見形:介助者っていう人はいなくて、看護師さんと保育士とその児童指導員っていう人たちがいて、そんなには人数いなかったかと。

坂野:そういう人たちが、何往復もするということですか? 

見形:そんなに何人も押していくっていう人はいなくて、わりとみんな自力で手動車いすを自分でこいでいく。歩いていく人もいたし、電動の人は自分で行けるので、そんなに何人もついていくっていう人はいなかったですかね。あと、先生が迎えに来ていっしょに行くっていうこともありましたけど。あと、送ってくれる先生とかもいたり。あと、学校には介助員がいたので、介助員のかたも出動してるときもあったりっていう感じですね。

坂野:学校には、何人くらい通ってみえたんですか? 

見形:学校は、私が行ってたのは県立のA養護なんですけど。病院はB病院です。そこから通う人たちしかいなかったので、外部から、おうちから在宅で通う人は一人とか。特別に通えてる子どもは一人、二人いたんですけど、基本原則として入院していることがA養護の場合は条件で入れていたようなので。「病弱養護」っていうくくりであったんですけれども。
 今は、ほぼ成人しかいなくなっちゃってるので、通学の子どもがメインになっていますね。なので、病院から通う子はほんとに少ししかいないんじゃないかな。私がいたときと逆転現象というか。

坂野:今はもう在宅の時代ですかね? 

見形:そうですね。在宅の子どもは通学してバスでたぶん行ってる、バス通学を受けいれている感じで。病棟のまだ続き廊下だったところは、たぶんシャッターで一部閉まっている状態になったと思います。

坂野:そうなんですね。ということは、今は。

見形:肢体不自由学校になっちゃったかな。たしか。

坂野:そうなんですね。

見形:「病弱」っていうくくりじゃなくなってる、ちょっとちゃんと調べてないですけど。

坂野:ということは、今はお母さんやお父さんが在宅というか、おうちでみられてるってことですか? 

見形:たぶん在宅の子どもたちが通って来てるのが多いんで、入所させてる親御さんいないというか。少ない状況なんだと思います。
一般学校にも筋ジスの子どもたち通えるようには時代が変わってきましたし。あと、入所する必要がその当時、私がいたのも40年とか30年も前の話なので、そこと状況が変わってる。地域生活っていうところで社会資源が増えているっていうのはあると思いますね。

坂野:そうですよね。ということはあんまり病院のメリットがないってことですね。入院するメリットが。

見形:そうですね。それしかないっていう神話があるじゃないですか? 筋ジス病棟にいないといけないっていうか、治療ができないとか。あとは、予後が悪いってすぐ死んじゃうみたいな話が私たちのときは多かったですけど、人工呼吸器とかいろんなそういう医療が先進的に進んできたので、在宅もぜんぜんできる状況にはなっている現実もありますし、「二十歳までに死ぬ」みたいな、そういうのはなくなってきましたから。

坂野:ほんとですね、言われていましたもんね。

見形:「15才で死ぬ」とか。私のときはみんなそう思っていたところがあったので。それがもう今はないので。ふつうにデイケアでじゅうぶんフォローできる状況であったり。
あとは、C会の話が出てくると思うんですけどC会もその当時はすごい力を持っていましたし、これはたぶんオフレコのことになるかもしれないんですけど、政治政党とかそのへんとつながっているかたちだったので、厚生省とか、上層部のかたたちがある意味癒着っていうか、お金を、政策医療と研究費が欲しかったので、やっぱりそのへんがすごい力関係はたらいていたと思うんですけど。まあ親の力もものすごくあった時代でもあったので、そういうところで入院させるっていうことで、なんですか、病院もあげあげというか、病院としてもうれしい、お金がおりてくるので長期療養をさせる必要があったり。
あとは、研究、治療研究のためにやっぱり実験台として私たちが、まあ、モルモットじゃないですけど、いろんな薬を、いろんなかたたちが製薬会社がそれにお金をつぎこんでいたので。やっぱり研究材料がほしいっていうのがある、あったと思うんですね。
親御さんたちは一刻も早く治したいというか、こういう子どもたちを二度と作りたくないというか、ふびんでしかたがないとか思ったでしょうし。親は自分のせいだと思うので。自分がこの子を産んでしまったがためにつらい思いをさせてしまったとか。
あとは、早くその苦しみ、親御さんは苦労をすごいする。苦労してらしてたと思うんで、そういうところを根絶やしにしたいというか…っていう思いがたぶんあったと思うんで。遺伝性疾患っていうこともあるので、そこがたぶん優生思想ですけど、それとうまく当時合致していたのかなって。
だからみんな敬遠してきたというか、たくさんこの人たち入院しなくていいのにみたいな子どもたちも入ってきてたので。今考えるとそういうのあったのかなっていう。

坂野:そうですね、たしかに。

見形:考え方としてはそういう古い考えというか、医療モデルだったわけなので、今みんな社会モデルだから医療も変わってきましたし、収容するっていう考え方ではなくなってきてるんで、そこが大きかったかなと思います。



坂野:そうですね。けっきょくなんか、すごくいいお薬っていうのはできた? できてない?

見形:できてない。

坂野:できてないですよね。できてれば、ちょっと意味もあったのかなっていう気がするんですけど、なかなかできなかったですもんね。

見形:そうですね。今もいちおう、できたとかいう話も聞きますけど、あんまり有効的なことはなくて、そういう治療薬的なのはまだないんじゃないかな。

坂野:そうですよね。

見形:SMAはいちおうできたですけど。将来に向けてというか。で、私は「やりませんか?」って今言われてるところなんですけど、まだわかんない。

坂野:注射のほうですか? 飲み薬のほうですか?

見形:いちおうどっちも勧められてて。でも私の遺伝子検査を今してる段階で、効く症例かどうかまだ私わからなくて。それによってちょっと考えましょうって感じなんです。
でもあんまり積極的に受けたいとはべつに思ってはいないんですけど。今の状況でべつにあまり困ってはいないので。そのへん、副作用もちろんあるでしょうし。いろいろ聞いてみて、やるかやらないかはそれから決めようかなって思ってます。

坂野:小児にはね、なんかけっこういいみたいですし。

見形:はい。効くって言ってました。

坂野:あとは、大人のかたも進行を止めるっていうか、あんまり進行してる感じはないみたいですけど、少しでもというか、気のせいかもしれないけど、気休め程度とかっていうのは聞いたことがありますけど。

見形:私もあんまりそんなに進行してる感じがないので。10年20年こんな状態なので、そこまで薬がないと困るかなっていうことも今のところは感じてはいないんですけど。加齢現象といっしょにゆるやかに悪くはなっていくだろうなとは思います。でも、そんなことをちょっと今考えたりはしてますね。

坂野:そうなんですね。

見形:でも実験台になってた患者の筋ジスの男性のみなさんたちはすごいつらいっていうか、くやしかったろうなって。

坂野:そうですね。なんかもうちょっと期待されてたと思うんですけど。かなり研究がされてましたもんね。

見形:はい。D製薬がやってたやつが実験したの、10年くらいやってたんですよね。プラセボを使ったりして。そのちがいを、たぶん10年くらいデータをとってやってたと思うんですけど。
でも、C会の研修会かなにかで失敗しましたっていうことで、発表を私たち聞いていて。で、何のためにいっぱい私たち使われたんだろうっていうか。なんかそういう思いをだれがわかってくれるのかなっていうのを。すごく傷ついた。私がなんか傷ついたっていうか。

坂野:そうなんですね。

見形:それで、「ごめんなさい」で済まされないんじゃないかなあって。10年もやってて、効かないんだったらそれにやらせる必要もなかっただろうなとか。その当時まだ子どもだったですけど、それを聞いてすごくショックを受けたなって思います。

坂野:C会に入ってみえたんですか?

見形:はい。

坂野:それは子ども、親がたいてい入られるものです?

見形:そうですね。でも子どもも入れるというか、親が入れるというか。

坂野:そうなんですね。

見形:私が成人になったときに、18才過ぎて一会員として自分でお金を払ってたような気がします。

坂野:会費っていくらなんですか?

見形:5千円。

坂野:1年に?

見形:昔は3千円で、今、5〜6千円のような気がします。

坂野:そうなんですか。それはおもに何に使われるんです?

見形:療育相談とか。あとは、病院に隣接されてるC会の事務所があって。デイケアセンターみたいな施設を持っていて、そこを利用するお金の費用というか、維持費か。あとは、療育キャンプっていうのがあって、そういうどこかに遊びにみんなでバス旅行したり、そういったところの人件費じゃないですけど、企画してなんかお金にあててたり。機関紙/季刊誌とかふつうにこう、ありますよね。PTAみたいな会報みたいなのを発行するお金だったり、情報誌とかの提供のお金とか、そういうようなことに使ってます。医療のそういう情報を提供しますとかなんかいろいろ、そういう活動のためのお金になりますみたいなことを。啓発事業とか。

坂野:はい、ありますね。

見形:えんぴつを売ったりとかして、子どもたちにそういう子どもたちがいる、筋ジスの子どもたちを理解してもらいましょうみたいな、そういう病気の子どもたちがいるんですよみたいな。そういうパンフレットみたいのをそう言って買ってもらったりとか、そういうのを昔はやってましたね。

坂野:今はどうなんですかね。

見形:今は、私もぜんぜん関わってないので。

坂野:まだ入ってみえるんですか?

見形:もう脱退しちゃった。で、中の様子はわからない。

坂野:会員じゃないとわからないんですかね。

見形:わかんないですね。でも当事者、筋ジスの人たちで自立生活してるかたたちの入ってるかたもいるので、そういうかたから情報をもらったりすることはあるんですけど、なんかだいぶ変わってはきたよって話は聞いています。昔の親御さんたちもいないので、当事者側ががんばってるとか、自立の理念を少し持って取り組んでるよとか、そういう情報を聞きます。

坂野:そうなんですね。じゃあ今筋ジス病棟にいる人たちっていうのは、もう昔に入っていて出てない人っていうのがほとんどなんですか?

見形:そうですね。あとは一回出て入ってきてる中途のかたとか昔はたくさんいました。健常者だったかたが途中で筋ジスになられたかたとか、神経難病を抱えたかたが入ってきてるっていうか、40代後半のかたとか30代になってからかかったかたとか入院されてるっていうケースはあります。

坂野:ALSのかたとかもそうですかね?

見形:そうですね。もう私の記憶だとALSのかたはあんまりいなかった、その当時はあんまりいなかったような気がするんですけど。もしかしたらいらっしゃったのかもしれないんですけど。

坂野:そうですね。私が知る10年くらい前にも途中から入られたかたがみえて、その人なんかはふつうに過ごしてて病気になられたのでちょっと葛藤がすごくて。よく病棟の看護師さんと言い合いになってましたね。

見形:そうでしょうね。

坂野:外出したいとかお酒が飲みたいとかたばこが吸いたいとかで、タクシーを呼んで行けばいいよとか言われていたのは見てましたけど。でも、小さいときから入られた人たちはもう高校生とか高校卒業してみえたので、あまり逆らってはいなかったですけど。

見形:そうですよね。

坂野:そうなんですね。今Eさんたちが当事者だけの会やってますよね、イベント。あれは当事者じゃないと。

見形:交流会。

坂野:そうですそうです、毎月開催されているみたいで。ちょっと私は入ることはできないのでぜんぜん内容はわからないんですけど。たぶん知ってる人もいるのかなって思いながら。
でも亡くなったかたもいるのかなって思うと、「えー」っていう感じですけど。最期まで地域に出れなかったんだとか思いながら。出るっていう方法があったのかわからないですけど。

見形:つい最近、同じ病院にいた人がその交流会によく出てたんですけど、亡くなっちゃって。5月かな。ちょっとショックでした。出たいなってずっと言ってたので。

坂野:ほんとですか。

見形:突然亡くなった。突然じゃないのかもしれないですけど急に亡くなってしまったので、もう少し自分ができたんじゃないか、何か一歩遅かったな、だいぶ遅かったなって思って。

坂野:その人筋ジスのかたです?

見形:そうです。

坂野:筋ジスのかたはねちょっと、やっぱりちょっとなんか調子崩しちゃうとそういうことになりがちですよね。

見形:最近連絡まったく取れてなくて気になってはいたんですけど、そういう訃報ばっかりが私のところに来るようになっちゃって、最近。なんかちょっとやだなっていうか、早くこの箱から出したいっていうか、出てほしかったなっていうか。こっちの受け皿が足りないっていう問題がまだあるんですけど、コロナ禍でもあってなかなか私たちが入っていけないんで。

坂野:そうですよね。なかなかちょっと、ただでさえ入りにくいと思うんですけど、同じようなかたたちだったらちょっと面会にとか入りやすいところが今まではあったと思うんですけど。
昔はね、ボランティアとかそういう人たちも入ってたように思うんですよね。学生のボランティアとかも。とくに、「そういうのを学んでもらいたい」とかっていって、病院はそういうのはオッケーだった気がするんですけど、コロナでぜんぶだめになっちゃって、それで。そうなんですね。
あと、そういうかたたちっていうのはもうお父さんお母さんも高齢になるので、けっこう頼れないから、出るといっても。やっぱり自立生活ですよね、基本。

坂野:今も何人もみえるんですね。今もね、けっこうそういう人たちがいっぱい。
ちょっとあんまり、あの、何ていうんですか、出たっていう話をあまり聞かない気がするんですけど、どうですか。

見形:でも私が埼玉にいたときは、おととしくらいまでは毎年一人くらいずつ人工呼吸器つけてる人たちが自立して来てたので。

坂野:毎年一人くらいずつ。

見形:はい。相当数出ているなとは思いますけど。

坂野:毎年一人。

見形:私が自立してから20何年経ってますけど、10数人は出てきているはずで。

坂野:みなさんお元気ですか、まだ?

見形:そうですね。みんな元気です。

坂野:ほんとですか。じゃあそれは筋ジス以外のかたもぜんぶ含めて?

見形:そうですね。でもだいたい国療から出てきた人が多いです、私が自立支援した人。

坂野:ほんとですか。

見形:はい。

坂野:やっぱり見形さんみたいな人たちが支援すると出やすいんですかね?

見形:みんな友だちだったから、「ミカちゃんみたいになりたい」とか、「ミカちゃんができるんなら私もやれるんじゃない?」っていうのでみんな来てくれるとか、「やってみよう」って思ってくれた感じもあります。

坂野:大きいですね、やっぱりそういう存在は。

見形:Eさんとかもきっとそうでしょうけど、ロールモデルとしてだれだれさんみたいになるとかいって、自分にもできるって思ってもらえるのがまず必要なのかなって思って。

坂野:そうですね。面会に行ってこういう顔を見せたりとか。元気な姿とか。あと、退所後っていうか退院後のようすとか見せたり、案内とかできたと思うんです。今はけっこうウェブで病院の中のかたともつながっていたりするんですか?

見形:そうですね。ラインっていうかメッセージを送ったりメッセンジャーを送ったり、そういうのはできてる感じですね。メールとか。

坂野:病院では設定をしてもらわないとだめなんですか?

見形:わりと私が今コンタクトとってる人は、好きにできる感じですね。ベッド上ではい。

坂野:頼まなくても。

見形:交流会とかなるとサポートしないといけない人はいらっしゃるみたいなとこはあるんですけど、私がコンタクト取ってる人はわりと自由に連絡取れる。いちおうぜんぶそろってるみたいなので、いつでもできるようにはなってるというか。ベッドサイドにパソコンがあってwi-fiがつながってるというか、状況ではあるんですね。

坂野:それって、お金ってどうされてるんですか? それはもう病院が設置してくれてるんですか?

見形:みんながたぶん払ってるのかな。で、あと使用料はもしかしたら個人もちなのかもしれないですけど。病院側が設置してるんですね。

坂野:じゃあ病院のかたは外とつながってるっていうことは知ってるってことですよね。自由にやりとりしていることを。

見形:そうですね、はい。

坂野:じゃああの、どう思ってるんでしょうね。それはそれでいいと思ってるんですかね、それともいろいろな情報もぜんぶ流れてると思ってるのかな。

見形:ねー、どうなんでしょう。私たち交流会をやったとき、さいしょのほうは「同席させろ」と言われて。監視してるふうではありました。

坂野:そういうこともありえますよね、たぶん。

見形:はい。

坂野:どんなところでどんなふうに伝えられてるかわかんないから。

見形:はいはいはい。

坂野:あとは、背景に病棟スタッフの姿とかが映らないようにとか。そのあたりも以前は制限があったとか聞いたことがあるんですけど、最近は、その姿が映ったりすることもあるので、どうなんでしょう。

見形:10年以上やってるので、もうだいぶ理解はしてもらってるかなあと思いますし、べつにそんな変なことやってるわけじゃないですし。

坂野:逆に外部とつながる楽しみができていいと思ってるかもしれないですね。

見形:サポートするのは大変そうではありますけどね。設置してあげたりとか。そういうのは大変みたいな。

坂野:でもだいたい時間が決まってるんですかね?

見形:そうですね。交流会は2時3時って決まってるんですけど、手が空いてるスタッフが常時用意できるわけじゃないっていうのがあるので。

坂野:予約とかするんですか。前もってお願いしておくとか。

見形:たぶんそうですね。あとは、協力体制のある病院とそうじゃない病院があるので、A病院がどっちかわかんないですけど。

坂野:そうですね、今も出たいっていうかたはまだみえるんですかね?

見形:そうですね。その亡くなったかたが出たいって言ってたので。出るのはむずかしいかなあっていうのはおっしゃってたんで、「そんなことないよ」っていっぱい言ってたんですけど。
私の入院してた当時にまだ今も入院続けてる友だちが何人かA病院にいるので、その人たちがもう40代になっちゃってて、でも出てくる勇気を持ってもらえたらいいなあって思って。交流会にはたまに参加してくれるんですけど。

坂野:じゃあそういう意味では交流会はすごく大事っていうか、よい場所なんですね。

見形:そうですね、はい。

坂野:そういう「出たい」っていう人に対しては、病院のかたは応援してくださってるんです? 

見形:そうですね。私がコロナになってからもうぜんぜん行けてないので、私が知ってる職員はまだ3年4年前まではいたので、入院してたときにいっしょに職員としていた人たちがまだ残っていたりして、その人たちは私たちのこと知ってるので「みんな出たらいいのに」みたいな感じで言ってくれたりしてたんですけど、そういう人たちもだんだんいなくなっちゃてて。転勤しちゃったり退職してしまったり定年とかでみんないなくなってしまって、なかなかどうなのかなあっていうのはあるんですけど。
でもA病院は私も何回か呼ばれて自立生活について話してくれっていうのを病院側から依頼されたりして。

坂野:すごいですね。

見形:何回かお話させてもらって患者さんたちに講演してほしいっていうのもあったので、前向きというか。

坂野:そうですよね。

見形:ではあるかなと思うんですけど、コロナになってからはそれはないんで、ちょっと熱が冷めてしまう可能性が大きいかなあって。で、「外に出たらあぶないよ」っていうふうにはたぶん病院ですから言ってると思うので。

坂野:そうですよね。

見形:「自立なんてとんでもない」っていう方向に行ってる可能性はあるかなと思いますけど、それまではわりと私たちが出入りしてたので、自立のために理解はしてくれたり、ドクターもそういう方向で動いてくれてるかたもいたので協力体制はできてたんですけど。
ただ、呼吸器ユーザーの人たちが親御さんといっしょに外出とかしないとだめっていう決まりがあって、A病院特有かわかんないんですけど、それですごく自立するのは親御さんもいないかたが多いので、もう高齢で付き添えないとか、医療行為をあたらしい現場にやらせるわけにいかないから親がついてかないとだめとか、いろんな制約がすごくあって、すごく支援しづらかったっていうのはあります。
だから、むりむり縁の遠い親御さんにおねがいして顔だけ出してもらって、あとは別で入ってもらって、あとはヘルパーといっしょに、みたいなところもありました。

坂野:そうなんですね。なんか看護師がついてないといけないっていうわけではなくて、親御さんと? 親御さんがいないとだめってことなんですね。

見形:はい。まず病棟から出るために呼吸器ユーザーは保護者が必要で。70であろうが80であろうが。
親御さんがついてこないとだめっていう。高齢のかたであっても、いてもらわないとだめっていう。

坂野:なにかあったときの責任っていうことですかね。

見形:そうですね。でもご本人も40、50のかたたちなんですけど。30代とか。なのにそういうふうになってしまって。あとは看護師を自費でつけないと外出させないとか。お仕事として看護師さんがつくわけにはいかないのでっていう感じで。

坂野:やっぱり病院の入院患者さんっていう前提なので、おそらく外出とかっていう扱いだから何かあったら責任がっていうところなんでしょうね、きっと。

見形:そうですね。だから地域移行で重度訪問も使えるんですけど、それでもさいしょの介助者とのこう、研修とかがすごくむずかしいところが、今もあるのかな。その当時もけっこう苦労した記憶はあります。

坂野:そこがネックなんですね。

見形:だから入ってもらえないっていうか。
あとは、これはまた別の問題なんでしょうけど、うちの私たちのところの病院と私が行ったとこが近いっちゃ近かったんですけど、自立支援をする団体がたくさんあって、当事者団体とか障害がない人たちの団体もあって、介助保険を行ってるところが多数あるんですけど、それみんな国療から出てきた人たちが設立、私も含めて設立した事業体なんですけど、なんとなく病院との関係性がうまくいかなくなっちゃう団体さんもあって。そうするとこんど、「あなたのところは大丈夫ですか?」みたいな、信頼がやっぱりおけないところも出てしまったりして。そうすると病院側が敬遠してくるっていうか、「大丈夫?」「この人出しても平気なのか?」って人が出てきちゃったりしてて。
私のところではちゃんと関係性作りつつやってきているって思ってたんですけど、どうやらそうじゃない団体さんもあったりして、そこでこう信頼が壊されてしまうと、私たちがいっしょうけんめい作り上げたものもぜんぶ壊れてしまったりして。
そうなると、自立させるというか、自立したいって言っても、まあ、患者さんたち選べるんですけど、「だれとやりたいか」みたいな。それはいいんですけど、こうあまりノウハウ持っていない団体さんがそれをやってしまうと、両方を応援できなくなっちゃうっていうのがあって。すごくどきどきしながらやったことがあるなって。

坂野:そうなんですか。そんなにたくさんあるんですね。そういう団体さんが。

見形:埼玉はわりと多いですね。やりたいっていうか、自立支援をしたいっていう。病院に団体さんがどんどん行って勧誘しちゃうっていうか、やろうよやろうよってなって。でも実際たしかにやるのはいいんですけど、そのかたの生活のほうが大変なので、そこをやっぱり、ただやりたいから出るっていうことがむずかしいっていうことをちゃんと教えていかないと。ヘルパーはただ待ってれば来るわけではないですし。

坂野:はい。そうですよね。

見形:育成しなきゃいけないとか、っていうものを作っていかなきゃいけないとか、ほぼちゃんとしていかないと支援する側がはぐらかしたってなっちゃうと、やっぱりうまくいかなかったりするんですけど。そういうコネクション的なものをちゃんとご本人ができるようにしていかないと、ただ「出しました」「はい、さよなら」っていうのは。

坂野:それは困りますね。

見形:だれでもできるんですけど、やっぱりそこからがちゃんとした自立生活っていうか。だからそういうことまでちゃんとフォローしながらやっていくっていう団体は少ない。

坂野:じゃあ在宅医もぜんぶちがうってことですね。

見形:そうですね。

坂野:病院側としてはなんか信頼できるところがいいですけど、地域がやっぱりちがうからですかね。埼玉の中でも。

見形:私がいたのは埼玉市なんですけど、埼玉市はたくさんその福祉制度もいいっていうのもあって。24時間出してくれるところでもあるので。介助時間。みんな集まってきちゃったっていうか。なのでそのぶん潤沢に事業所があるんですね。24時間派遣できる重度訪問介護の事業所はあるんですけど、ただその質を問われると、さまざまで。当事者はいてもうまく舵をとれない事業所もあれば、がんばって当事者ががんばれてるとこもあるし、その差はけっこう大きい。
産めよ増やせよで私たちはどんどん出してこれたですけど、今はだからそこから続くものはちょっといなくなっちゃってるところもあって。どうしよう、私もこっち来ちゃったし、今東京来ちゃったし、直接支援に今あまり当たれないので、埼玉のほうとあまりつながれなくなっちゃってるので、ほんとうに筋ジスプロジェクトでかかわるぐらいしかできない感じですね。

坂野:そうなんですね。そういうことが起こってるっていうのはちょっとあんまり知らなかったので。じゃあ病院にいる人たちは迷いますね、どこにしたらいいかとか。

見形:そうですね。だからみんなネット上で今はつながれてる人たちがその筋ジスプロジェクトの中にいれば、その人たちに相談できるんですけど。でも埼玉でたぶんやれてるのが私くらいしか今いなかったので。
だからそれで私も今交流会にあんまりちょっと出れてなくて、引っ越しのばたばたであまり時間がとれなくって。また来月から行こうと思ってるんですけど。はい。そんな状況なんです。

坂野:そうなんですね。なんかいろいろあるんだと思いました、今聞いてて。でもまあ出て楽しい生活が…楽しいっていうか中では味わえない生活があって、みなさん色つやも良くなってるのを見るとぜんぜんやっぱり外出てよかったと思われるかたが多いのではと思いますけど。なんかあったとき、例えばちょっと体調崩したときには、レスパイトのようなかたちで、病院に入院されたりとかされるんですか? 

見形:そうですね。みんな自立してきた国療も、みんなはこの、もといた病院がでもいやでほかの病院に入院してたりとか、私がいる東京都のDセンターがあるので、独立の。そっちにみんな行ってますね。埼玉の人たちは。

坂野:そうなんですか。

見形:A病院きらいって言ってみんな言ってる。

坂野:あ、そうなんですか。

見形:二度と行きたくないとか。

坂野:じゃあ中の環境はもうやっぱりあんまりよくないんですね、どこもね。

見形:そうですね。ただ退院しても二度とみんな行きたくないっていう人が多い。

坂野:なるほど。わかりました。いろいろ聞かせていただいてありがとうございます。では、今は出てみて何がやりがいというか、やりがいはありますか。

見形:そうですね。私は自立生活をもう二十数年いちおうしてるんですけど、そこで施設がいやで出てきたっていうのもありますけど、国療がいやだったっていうのもあるし。やっぱりこう、ハンセン病みたいになっていく自分たちの暮らしがいやだったので。ハンセン病の人たちみたいにこう、隔離させられて閉鎖的な環境の中で「人間らしい暮らしじゃない」ってずっと思ってたんで。ねえ、棺桶に入らないと外に出れないみたいなのっておかしいなって思ってたし。なんか閉鎖的な環境で人生終わるのがぜったいいやだっていうか。ここにいるみんなを出したいってすごい思って、自分がじゃあまず出て行こうって思って。
それで、まず社会を変えないといけない。病院を変えるんじゃなくて、社会を変えていかないと病院が変わらない、あなたが出るしかないっていうか、出る意味が大きいっていうことを言われたので、そういうすごく、私自身は目からうろこだったんですね。それはまわりの病院の人ではなくて外にいる人に言われたんですけど。
私はそこからみんなを出していこうと思っていろんなアプローチをしたり、行政と交渉したりしてきて、10年以上自立生活センターもやって、地域社会を変えてきたっていうか。少しだけ。制度も変わりましたし。

坂野:そうですね。

見形:私だけの力ではなくて、そこから出てきた仲間たちがすごいがんばったから。仲間たちはすごく力をつけてくれたっていうか。それが絶えないようにこれからもできる限り、できることをしていきたいなと思っていることですかね。自立生活楽しいよっていうことを伝えていきたいなって。

坂野:ほんとですね。

見形:今はまた2人暮らしになったので、またもう一回こんど、そういう意味での自立生活がリスタートっていうか。またちがうステージに自立生活ができるっていうことは伝えていきたいなっていうか。そう思っています。

坂野:すごいですね。さしつかえなければ、パートナーのかたっていうのはどういうかたなんですか?

見形:CILのスタッフさんで、障害持ってる人です。

坂野:そうなんですか。

見形:はい。

坂野:そういうのもすごくいいモデルになりますね。

見形:なんか病院にいたらぜったいにたぶん知り合えなかったし。

坂野:そうですよね。
いろいろお話聞かせていただきありがとうございました。

■追加調査(メール) 2022.10.19

坂野:ご自身の入院中の生活を思い返し、「こうしてほしかった」「こうであったらよかった」と思われる点はありますか。

見形:病院の職員などとは関係のない、第三者的な立場で話を聞いてくるソーシャルワーカーのような人がいて、日常の様々な悩みなどを聞いてくれ、時には病院側に改善などを提案してもらえたらと思った。

坂野:現在入院中のかたとご交流があるとお聞きしましたが、今の筋ジス病棟の状況についてはどのように感じておられますか。

見形:30年前と現状の病棟環境は何ら変わっていないと感じます。インターネットなどで外部とのつながりというものはあるけれど、有効活用されているとは言い難い。相変わらず人員不足を理由に、十分とは言えない介助体制を強いられており、最近も30年以上を入院生活を送っている仲間が、自立生活を目指していましたが、志半ばで亡くなってしまいました。
コロナ禍もあり更に外部との接点がなくなり、人間らしい暮らしとは言い難いです。

坂野:地域移行(自立生活)には何が必要だと思われますか。どうであれば実現しやすいと思われますか。

見形:国立療養所にいる多くの仲間は医療的ケアが必要な人達ばかりだが、地域社会での医療的ケアを受けるための行政手続きなど、制度上のハードルが高いのと、こうした人達を受け入れてくれる民間の賃貸物件探し、親に地域社会での暮らしを理解してもらえない、病院側が家族にサポートを求めるなど、あらゆる部分でハードルが高いのが現状ではないか。制度上のハードルを下げる、病院側も地域移行に対し積極的にサポートをおこなう、また地域移行を助けるコーディネーターや自立生活センターのピアカウンセラー、ハード面でいえば自立体験室があると良いと感じる。
坂野:地域での生活がすべての人々にとって最良の選択とは言えないかもしれません。そのような人びとにとって筋ジス病棟での生活はどうであったらよいと思われますか。
見形:どんなに障害が重くても、一生病院生活というのはあり得ないと思います。病院は終の棲家にはなりえません。
坂野:レスパイト入院を視野に入れた筋ジス病棟の望ましい形についてどう思われますか。

見形:そもそも病院というのは病気の治療を行うところであり、必要な治療のため入院するのが望ましいので、レスパイトで入院するという発想が違うと思う。


UP:2021018 REV:
見形 信子  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇脊髄性筋萎縮症(SMA)  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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