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芦刈 昌信さんへのインタビュー

2022/06/22 聞き手:田場 太基 場所:ZOOM

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last update: 20220709

■インタビュー概要

実施日:2022年6月 22日 水曜日 15:15-16:30
場所:Zoom
話し手:芦刈 昌信
聞き手:田場 太基

■本文

田場
まずはですね、西別府病院に入って、学校生活をすると思うんですけど、このときに挫折だったり、何かしら自分なりの葛藤はあったりしましたか。

芦刈
実際に、自分が入院するまで、自分が筋ジスとは知らなかったんですよ。何となく、病気だとは、分かってたんですけど。何の病気かっていうのは、全然分からなかったんで。学校通うのに、階段の上り下りとかがきつくなって。ちょっと、入院して、手術をしたら治るのかなと、安易な考えで入院しちゃったんですけど。実際に、入院してみて、同じ病気の先輩方を見てて、「自分も将来、寝たきりになっちゃうのかな」と思ったときに、挫折を感じて。丁度、6年生のときに、歩行ができなくなったんですよ。それは、絶望しかなかった。それ(絶望)が2、3年続いて。1番辛かったです。

田場
ありがとうございます。西別府に入れていた先輩というか、同じ仲間というのがいたと思うんですけども、全体でどれくらいいましたか。

芦刈
その頃は、病床数が40床。筋ジスの人ばっかりだったんですよ。年齢が、20代とか。その頃は、呼吸器とかなかったんで。寿命が短かったんで。30(歳)まで生きる人がいない感じで。もう、その人たちは、寝たきりで。ご飯も食べれない状態の人ばっかりだったんで。

田場
分かりました。西別府病院に入られた方々って、大分出身とか他のとこから来てる人たちとか、そういったのって覚えてたりしますか。

芦刈
1番遠い人が、山口県の奥の方。けっこう、福岡とか愛媛から来た人たちも。意外と、県外の人も多かったですね。県によっては、筋ジス病棟もないとこがあったので。西別府、昔からあるんで。それで、入ってきてた人も。5:30 西別府は、療養所って言われてたところで、長期の入院の人が入るとこなんで。筋ジス病棟があったりとか、重心病棟、重症心身の人とか、結核病棟とかもあったんで。けっこう、長く入院してる人が多い病院で。筋ジス病棟は、大分でここだけなんですよ。

田場
分かりました。ありがとうございます。あと、リハビリのことも聞いてもいいですか。どういった気持ちだったとか。あとは、病院の学校のことととか。

芦刈
治る見込みがないっていうのが、1番で。「所詮、これやったって、歩けないじゃないか」とかがやっぱりあって。どうしても、自分の為になってると思えなくて。目に見えて、治ったりすれば、張り合いもあるんですけど。けっこう、面倒臭いなと思って、サボってました。
9:35 僕の場合、リハビリが大事で。何もしないと進行していって、気づいたら、動かなくなるんですよ。今、自立して、リハビリの大切さというのが身に染みてて。すごく自分、のみ込みとかも悪いんで、嚥下のSTとかもやってるんですけど。それを一時期、全然やってなかった。ちょっと、進行したところがあって。指の動きも悪くなったっていうのがあって。西別府に、月に1回、OTを受けてて。PTを在宅でも受けれるように。最近してるところなんですよ。あとは昔、必然的に学校も、西別府に入ったら、石垣原養護学校に入るっていうのも決まってたんで。他の学校にいく選択肢がなかった。西別府っていうのはやっぱり、病院というのが強いので。中々僕も、自立するときに、ずっと長期の入院で退院した人とかいなかったんで、大変だったんですよ。

田場
そうだったんですね、ありがとうございます。あと、西別府病院の内の患者の会とか、親の会ってどういう風に活動をしているのかっていうのを伺ってもいいですか。

芦刈
今は全然、活動していないんですよ。年数とか重ねてくると、重症化とかしてくるんで。集まりも少なくなっちゃって。昔は、食べ物を売ったりとか、忘年会で出前とって宴会したりとか。やっぱり、食に関しての集まりが多かったんで。そこができなくなると。みんなで1泊して泊まりにいくのもあったんですけど、段々行く人もいなくなっちゃって。「1回、解散しよう」ってなって。コロナが流行ってからは、料理会も一切できないんで。20:40 患者にとっては、病院側に個人で訴えるより、団体で訴える方が、けっこう、要望を聞いてくれたりしてたんで。それが、今、やりにくくなったのかなというのもあるし。親の会は、患者の会がなくなる前に先に無くなったんです。やっぱり、やる人の負担になるっていうことで、解散しちゃったんで。でも、ある頃は、楽しかったですね。

田場
ありがとうございます。そういった中頃に、自立支援センター おおいた、押切さんとの出会いがあったと思うんですけど。どんな繋がりだったのかお聞きしたいです。

芦刈
最初に押切君と出会ったのが、西別府でイベントがあって。そのイベントに参加してたわけではなくて。イベントだった会場の横にあるロビーみたいなとこがあって。そこに、たまたま、僕、遊びに行ったら、車椅子の人がいて。「見ない顔だな」と思って、声かけたんですけど。名前聞いたら押切って、「僕、芦刈です」って。「お互い名前似ちょんな」とか言って。話があって。それで、けっこう楽しいなと思って。まあ、聞いたら、「自立支援センターおおいたっていうとこで働いてる」って聞いたんで。「今度イベントするから、遊びにおいで」みたいな。バーベキューだったかな。なんかに誘われて、行って。それが、出会いのきっかけで。そこから、ちょこちょこイベントに参加させてもらったり。僕、電車で中々、移動することがなかったんで。「電車使いたい」って言ったら、イベントに呼んでくれて。「大分駅まで行ってみよう」みたいな。(別府CILが)イベントをつくってくれたりして。僕は、全然、病院にいて。けっこう、自由にやらせてもらってたんで。そもそも、「自立しよう」っていうものはなかったんですよ。センターと繋がって、そういう選択もあるっていうのを分かってて。4年前くらいかな。病院に入院してても、重度訪問が使えるようになって。そこでお願いをして。遠出するときとか泊まりに行くときとかにヘルパーを呼んで、やってもらえるようになってて。そういう感じで、(病院から)出る気なかったし。多分、押切の方も「アッシーは出ないだろうな」と思ってたみたいなんですけど。そこに、コロナが来ちゃったんで。自分の活動がなんもできなくなったという。まあ、どうしようもないと思って、押切君に相談した感じですね。

田場
そうだったんですね。それから、自立生活を始めたのが、2021年の8月頃っていう認識でいいですか。

芦刈
はい、そうです。

田場
分かりました。ありがとうございます。あと、大林正孝さんって方ご存知だと思うんですけど。

芦刈
大林さんですね。

田場
1945年生まれで、彼も今、西別府病院に入られてる方で?

芦刈
そうです。今、自立目指してて。

田場
彼との直接的な出会いってありましたか。病院の中で。

芦刈
えっと、元々、大林さんは、ずっと自立生活をしてて。西別府病院には住んでたんですけど。昔、なんか先生とかやってて。障害者運動を中心となってやってた人で。たまたま、ウチ(西別府病院)の音楽やってた人が、「ライブをやりたい」って言っったときに。障害者も一緒に入って、コンサートに障害者を集めて。そのときに、大林さんに会って。活動のこと聞いたりだとか、コンサートの運営に一緒に関わったんですけど。「第2回目をやろう」ってなったときに、大林さんから「実行委員長やってみないか」って言って。僕、自身もなかった
んですけど、とりあえず、イベントも好きだからやってみようってなって。大林さんと一緒にやり始めて。結局、10回までそのイベント続けられて。そういった意味で、大林さんには、昔からお世話になってて。(大林さんが)体調悪くなって入院するってなったときには、僕のところに訪ねてきたりして。その後、五行歌っていうイベント、詩を書いてもらって。今回、自立するって話を聞いたので。僕にできることがあればと。

田場
コンサートが何年に開かれたって覚えていたりしますか。初めて、第1回目のコンサートに携わったっていうのって。

芦刈
そうですね。まだ、22(歳)とかだったんで。あんまり、外に出たりもしてなかった。20歳になるときに、詩集を出して。そこから、社会との繋がりができてきた頃で。人をまとめるのが経験がなくて。まとめるっていうのは戸惑いもあったんですけど。

田場
そうだったんですね。次はですね、自立をしてみての率直な思いみたいなのってありますか。

芦刈
今、自立してみて。大変なこともあるんですけど。自由な時間に寝るとか、作り立てのご飯を食べたりだとか。それって、病院では絶対無理なんで。そこと、ヘルパーとのやり取りも近すぎたりして、失敗したりもあるんですけど。何人か離れた人もいるんで。人間関係が上手くいかなかったりとか。ずっと、24時間、隣にいてくれることは安心で。特に、病院だと、患者も多いんで、中々、コールに来てくれないのもあって。けっこう、不安だったりとかで、寝れないこともあったんですけど。(自立生活をしてからは、)寝るときも、横に居てくれることがあって。すごい安心して寝れてるとかもあるし。あとは、外出とかも自立センターの車を貸してもらえるので。それで、中津とか三重町まで行ったりとか。ヘルパーさんたちは、運転が上手いので、遠出しても、疲れない感じで。それは、やっぱり、病院に今いたら、何も外出できないし。会いたい人にも会えない。家族にも会えないっていうのを考えたら、去年自立して、本当に良かったなと思ってて。体調崩すこともあって。そのときは、 病院の方が対処できるというのもあるんですけども。近「くにずっと付きっきりで、介護してくれ」っていうのは、大きいことだと思ってて。でも、「また、入院しますか」って言われても、「入院したくない」って思うし。「ずっと、病院でいいや」と思ってたんですけど、実際に出てみて、「もっと早く出なかったのだろう」と思ってて。早く出てたら、できることまだまだある、いっぱいあるのかなと思う。体力的にも難しいこともあるので、無理せずゆっくりやってるとこなんですけども。自立して頑張って良かったなと心から思ってます。

田場
ありがとうございます。芦刈さんが西別府病院で、外出て、講演会だったりの活動をされてたと思うんですけど。 

芦刈
そうですね。弁論大会の活動も病院に出て参加してたんですけど。その、外出して行って。1泊、泊まったり、出掛けたりしてて。全然、(病院側も)協力的に手伝ってくれたし。詩もずっと書いてて。20歳にときに詩集出してから、学校とかでの講演活動が始まって。主に、親が、ほぼ両親が、車に乗せて連れて行ってくれたりしてたんで。病院の職員が乗せてくれたっていうことは無いんですけど。それでも、外出届をちゃんと出して、全然、協力的にやってくれたし。けっこう、自治会(患者の会)の活動もそうなんですけど、プライベートでも遊びに行くこともあったりとか。あと、夜遅くなっても、家族室っていうのがあって。戻った後、遅くなったりするときに、(夜)11時に帰ってきたときは、家族室に泊まったりして。ほんとに、病院にいても、逆に悪くなったら、すぐに診てもらえるし。けっこう、やりたいことはやらせてくれたんで。そこで、全然、病院生活に支障はなかったんですけど。
田場
そうだったんですね。もっと、厳しいと思ってました。

芦刈
まあ、時間に関しては厳しいところもあったと。帰ってくる時間は、決まってたし。まあ、遅く帰ってきても、「家族がやるんで(家族が面倒を見てくれる)」って言っていたので。家族の協力もあって、できたことなんですけど。その辺は病院も「(自分で)やるんならいいよ」みたいな。厳格ではないんですけど、手伝ってもいいよっていうのもあったんで。やりやすかったと思います。

田場
そうだったんですね。分かりました。病院の中での病床数の変動、人の変動みたいなのってあったりしますか。

芦刈
いつだったけな。8年前くらいに、新しい病棟ができた、東病棟っていう。5階建てのができて。1、2階に筋ジスとかALSとかの神経難病の病棟があって。3、4が重心病棟で、5が一般の外から入って来る人の、呼吸器付けてる人もそうだし。そうなったときに、1病棟が50床になったんで。10床増えるっていうので、重心の患者さんも入っているので。最初、10人くらい重心の患者さんも入ってきたりだとかして。そのときに、職員増やしたりとか、夜勤の人増やしたりとか。慣れない人が対応していたんで、そのときは、大変でしたね。40床でもけっこうギリギリだったんですけど。「なんで、あと、10人も増やすんや」って言ってたんですけど、病院も聞いてくれなくて。それも、今は、結核病棟とかの合併とかがあったんで。50床は入っていないんですよ、45くらい。

田場
ありがとうございます。他に病院の外に出て働きに行くとか、病院の外に出ていた人の話って聞いたことありますか。

芦刈
病院にいて、ウチの病院で仕事に行ってる人はいなかったですね。希望を出せば、外出とかは自由にできたっていうのもありますけど。僕は、はみ出し者だったんで、病院も迷惑してたと思うんですけど。その代わり、西別府病院をいっぱい宣伝してきたので。新聞とかで名前出してたんで。その辺は、優遇してもらってる感じもあったのかなあと。 52:10あとは、自立して、もうちょっと、ヘルパーのことで苦労するのかなと思ってたんですけど。まあ、今のところは、「楽しい」ってやってくれるんで。そういう雰囲気は大切にしてやっていこうと思ってて。僕は、介助を受ける人とする側で分けるのは、すごい嫌で。長時間、夜勤の人とか13時間一緒にいるんで。楽しく、お互いが嫌な思いを生活できたらなっていうのは、目指していて。中々、自分の意思を言えないっていうのは、ひとつあるんですけど。家族は、親父が差し入れを持ってきてくれたりとか。最初は、(自立に対して)すごい反対で。「家族の縁きる」って言ってたんですけど。今では、いつでも会えるし。外出とかもしてるんで、今を楽しんでるっていう感じで。

田場
そうだったんですね。ありがとうございます。 外出をするってどこまで行かれるんですか。

芦刈
この前は歩いて、別府公園まで行って。スタバでコーヒーを飲んだりとか。車で行くときは、と遠くまで行くんで。訪看(訪問看護)の時間とか、(家を)出る時間とか決まってるんですけど。たまに、キャンセルして、ずっと出掛けたりとか。けっこうしてて。ラーメンが好きなんで、自立して、ラーメン屋、しょっちゅう行きますね。

田場
そうですか。ありがとうございます。 だいたい今日は、この辺で止めさせて頂きます。今後とも、お願いします。

UP:20220722
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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