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神田 憲治さんへのインタビュー

2022/06/02 聞き手:田場 太基 場所:ZOOM

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last update: 20220610

■インタビュー概要

神田 憲治さんへのインタビュー
実施日:2022年6月2日木曜日 14:00-15:00. 於:Zoom
話し手:神田 憲治(自立支援センター おおいた 事務局長)
聞き手: 田場 太基

■本文

田場
神田さんが、CILに入ったきっかけ、出会ったきっかけみたいなのがあったら、まず、最初に教えて頂いていいですか。

神田
はい。僕、あの、知ったきっかけだったり、出会ったきっかけは、私の理事長(後藤)というんですかね。理事長から、色々と、色んなことを教えてもらったり、知ったり、出会ったきっかけになります。

田場
はい、はい。ありがとうございます。この出会いというのは、何年前のこととか、だいたい覚えてたりしますか。

神田
そうですね、12、3年前になりますかね。

田場
12、3年。はい、はい。ありがとうございます。

神田
いや、15年前くらいかな? 15年くらい。

田場
ありがとうございます。この、15年前に出会うと思うんですけど、その以前は、どちらにいたとかって、もし可能であれば、聞いてもいいですか。あのですね、CIL、別府のCILの面白いとこだなと僕思うのが、県外出身者の方が多いというのと、大半の職員さんが、別府重度障害者センターから色々繋がってっていうのを伺って。これもひとつの面白いポイントだなと思ったので。

神田
まさにその通りです、僕も。僕もあの、奈良県出身で。それこそ、別府重度障害者センターに、訓練をしてまして。理事長(後藤)と出会って。

田場
そういうかたちだったんですね。わかりました。
神田
そうなんです。

田場
ありがとうございます。この、奈良県にいたということなんですけれども。重度障害者センターに入ろうというか、そこで生活をしようと思った決め手みたいなのって、あったりしますか。

神田
決め手はやっぱり、自立がしたいという思いも大きくあったんですけど。やはりその、家族への負担を減らしたいっていう思いが大きかったんだと思います。

田場
そうだったんですね、ありがとうございます。あの、重度障害者センターって、何年くらいの間いました?

神田
僕は、5年弱とかですかね。

田場
5年弱。はい、はい。そこでの生活って神田さんなりに、どのようなことを感じたとか、驚いたことってあったりしますか。

神田
それはもう、驚きの連続というか、驚きの毎日で。自分とおんなじような、頸髄損傷。首の骨を折って、首から下が麻痺がある人たちが。やはり、その、最初感じたのが、そういう障害がありながらでも、一生懸命に訓練に取り組む姿であったり、目の輝きが違うなって。とても印象的でした。

田場3:26
そうだったんですね。ありがとうございます。この、元々、奈良県に住まわれてたということなんですけども。今、神田さんの地元を振り返って、奈良のそういった福祉のあり方だったり。もし自分がそこ(奈良)に生活し続けるのであれば。奈良と別府の違いみたいなのって何かあったりしますか。

神田4:03
それはですね、まちのつくりが全然違いますよね。まちのつくりが違うっていうのもあれば。なんというんですかね、「障害のある方の見る目」が違います。それは、こっち(別府)に来てからなぜ違うのかっていうのが気付いたんですけど。それというのは、やはりその、太陽の家。中村先生ですかね。あの人が、太陽の家をつくって、築き上げてきたということによって、太陽の家の方が、別府市のまちであったり、色んなところで。障害があっても、車椅子に乗ってても。普通に、当たり前に生活をする。そのツラさを見ている別府の市民の方っていうんですかね。最初は、まあ、障害者っていう見る目があったかもしれないんだけど。それが(障害者)当たり前のように目にするように、なっていくというか。子供のときから車椅子の人がまちに出歩いてて。
そういうのがやっぱり、定着というか、当たり前になっているので。僕の地元(奈良)では、障害がある人で車椅子に乗った方って、いるかいないかぐらいの話なので。やっぱり見る目が違いますよね。まちのみんなが「うわ、障害者の人や」とか。そんな感じで多分、地元だと見てたのかなという目線や視線っていうのは、やっぱり感じましたね。

田場
そうだったんですね。ありがとうございます。やっぱり、太陽の家っていう存在が大きいなと僕自身も感じるんですけど。

神田
そうですね。

田場
逆に、別府に住んでいて、なんでしょう。太陽の家に対して、今の別府の福祉に対して、ここ、何か足りないんじゃないかな。ここ、もう少し何かして欲しいなみたいなことってあったりしますか。あの、僕自身聞いた話だと、太陽の家っていうのは、ルールとか生活環境におけるレベルが厳しいという話を伺ったことがあって。

神田
それが、私たち、CILというか、自立生活センターというのは、そのような規則はないです。ほんとに、あの一般と同じっていうんですかね。障害がない方。言い方はあれなんですけど、健常者の方と何ら変わりがないというか。まあ、リスクというか。やっぱり、その、ヘルパーさんが私たちの、自分もそうなんですけど、24時間付きっきりっていうわけでもないですし。必要なところで使うというんですかね。朝昼晩であったりとか、寝る前であったりとか。それ以外は、自分で仕事したりするわけですし。リスクはあるけど、そうでもして、思い描いているような。まあ、身体には障害が残ったというか、障害があるんですけど、人から与えられる人生ではなく、自分の思い通りに、切り開いていく人生っていうのを送っていきたいので。自立支援センターおおいたさんでお世話になって。こちらで生活をしているって感じです。

田場
そうなんですね。ありがとうございます。あと、自立支援センターおおいたの画期的な取り組みというか、ユニバーサルマンションというか。障害のある方々たちも自分ひとりで生活できるように、住宅の環境をバリアフリーにした状態で。自分で自力で生活ができるようにという環境をこれまで築き上げたと思うんですけど。神田さんの今住まわれているお部屋というか、お家も、そういったかたちなんでしょうか。

神田
そうですね。おトイレ、お風呂、自分の障害に応じた、自分の車椅子に合わせた高さであったりとか。きちんとカスタマイズというか、自分に合わせてみたいな、改修というか。そういうふうにして生活を送っております。

田場
そうなんですね。ありがとうございます。やっぱり、障害のある方々たちの自立生活というか、ひとり暮らしというか、そういったものを考えるときに、別府のCILならではというか。バリアフリーの取り組みが挙げられると思うんですけど。実際、神田さんがまちに、別府のまちに出る機会があると思うんですけれども。最初、別府に来た時に、から、今まで、まちに出る意識に対して何かしら変わった感情だったり、そういった思いっていうのは、あったりしますか。

神田
そうですね、やはり、別府に来たときには。重度センターに来たのが、一番最初で。そのときから比べると、まちの段差であったりとか、でこぼこであったりとか、減ってきているのかなと。ハードの面であったり。自分は、その重度センターに居てるときは、とにかくまちに出たりするのが楽しかって。車椅子でも自由に動けるっていうのもあったんですけど、現在では、(車椅子)が生活の一部になりつつ、その状況が、当たり前っていう目線もあると思うんですけど。別府のまちは良いなと感じながら。何がいいのかなっていうのは、古いまち並み。別府の古いまち並みであったりとか、それと新しい建物が共存してるというんですかね。そんで、障害がある方もない方も一緒に共存しているような。人もまちも、同じような考えというんですかね。自分の中では、「共存」というんですかね。まちも人も全部が共存しているなというイメージがあります。

田場
わかりました。ありがとうございます。神田さんが別府に生きる人間としてですね、自分がこう動くことで周りが変わったみたいな、エピソードとかってあったりしますか。

神田
僕の尊敬するというか、理事長と、よく共に行動するってことがあったりするんですけど。そういう意味では、居酒屋さん、新たに建て替えるときに、もちろん段差もなければ、車椅子でも入りやすいように、つくってくれたのと。それとプラス、障害者用トイレっていうんですかね、車椅子でもできるようなトイレっていうのをつくってくれたりとか。そういう部分では、自分たちが活動することによって、自分たちを知って頂くことによって、行きやすい店づくりっていうんですかね。そういうところにも繋がったというか。

田場
わかりました。ありがとうございます。具体的にどのようなかたちで、どのようなことをされるんですか。まあ、当事者スタッフとしてというか。

神田
まず、自立支援センターおおいたでは、コンサルとかもやってますので。やっぱり、そういう相談を受けたときに。自分たちが、現地(お店、家)でこのようにすれば、スロープの角度であったりとか、アドバイスであったりとか。そういうところで、携わらせて頂いています。

田場
そうなんですね。あの、コンサルということなんですけども、具体的にどのような依頼みたいなのが来たりするんですか。

神田
車椅子利用の方が入りやすいお風呂にするにはであったりとか。店の段差解消であったりとか。大きなバランスとして、トイレ。作成というんですかね。トイレ改修するにあたって、どのような手すりを付ければいいであったりとか、相談受けたりします。

田場
相談を元に、現地に行かれて実証というか、やられたりもするんでしょうか。

神田
はい、やります。

田場
今でもそういった相談というか、関わりっていうのは、別府でやられている感じですか。

神田
そうですね、主に別府でそういう活動を別府でやってて。

田場
ありがとうございます。別府市外でもありますか。

神田
ありますね、宇佐市の利用者さんもいてますので。そちらで、市役所の方から依頼であったりとか、障害者の活動であったりとか。まち歩きみたいなのも実施しながら、まちを検証していくという活動をやっておりますので。

田場
わかりました。ありがとうございます。どういった感じでまち歩きをやられてるのでしょうか。

神田
車椅子を持って行って。車椅子を利用されていない方に乗ってもらって。車椅子の体験をして頂く。白杖を持って、アイマスクをして、視覚障害者の体験をして頂いたりとか。コロナになる前には、3ヶ月に1回とかでやってたり。コロナになってから、行政がね、動きか取れないということでめっきり減ってしまって。

田場
ありがとうございます。今後、これから、やっていこうと思う取り組みはあったりしますか。

神田
今と変わらない核となる部分というんですかね、障害者の自立支援もそうですけど。ユニバーサル・ツーリズム。市の委託を受けたりとかで、これから力を入れていって。障害があっても楽しめるというのを全国に発信したりであったりとか。

田場
あと、別府って、2つ国立病院があるじゃないですか。西別府病院と別府医療センター。こちらにまだ入られている方で、「自立生活をしたい」という方々って、けっこう、いたりするんでしょうか。

神田
いますね、やはり。ですので、今、自立生活プログラムを今やってる方っていうんですかね。西別府の方であったりとか。今、病院の中に支援っていうんですかね。支援ができないというか入れない。まあ、面会ができないという状況になりますので、コロナ禍の中で。ですので、今、Zoomをこのように利用しながら、自立生活プログラムをきちんと行なって、自立に向けるという動きはやっております。

田場
そうなんですね。わかりました。この自立生活プログラムを立てながら。だいたいどれくらいのスパンをかけるのでしょうか。人によってそれぞれだとは思うんですけども。はい。

神田
そうですね。1年、2年であったりとか。差はあるんですけど。1年くらいかかりますよね。まだ、僕たちの活動を知らない方、自立生活できるんだっていうことも知らない方も、まだまだ、沢山いてますので。施設だけしか知らない方もいてますし。自立生活センターの存在も知らない方もいてますので。そういう方たちがいなくなるように。知ってるんだけど、自分で自立生活を選択する。その選択肢を広げていけるように、自分たちの活動を知っていただくことも、自分たちの役目かなと思っております。

田場
ありがとうございます。あのまた別の話になりますけど、車椅子マラソン大会って、出られたことはありますか。

神田
あれですね、重度センターで訓練しているときは、参加というか、出場したことがあるんですけど。田の浦ビーチっていうんですかね。車椅子マラソンの練習をされている方。あの出場されてる方っていうのは、脊髄損傷の方っていうんですかね。練習している方は、僕たちのように、腕まで障害がなくというんですか。上半身は、健常者となんら変わらないっていう機能の脊髄損傷の方だったら、ああいうふうに、練習しながら、レースに参加するっていうのもあるんですけど。僕たちのように、頸髄損傷になってくると。まあ腕の力も、健常者と比べれば1割、2割くらいしか使えなかったりするので。体力づくりであったり、訓練、トレーニングを人一倍しないといけないっていう部分もある中で、就労もしながら練習もしてっていう、両立っていうんですかね。なかなか厳しいので、当分というか、ずっと、訓練しているとき以外は、参加は厳しいのかなって。はい。

田場
そうなんですね。わかりました。ありがとうございます。

神田
制限時間があるので、関門をクリアするっていうのは、なかなか。

田場
わかりました。ありがとうございます。神田さんが別府重度障害者センターにいたときに、リハビリのエピソードってあったりしますか。

神田 
そうですね。スポーツの時間があって。重度障害者センターのまわりを、タイムを競い合ったりとか。そして、重度センターには、1階から2階まで、上がって下がったりするスロープっていうのがあるんですよね。そこを何分で上がれるかであったりとか。それは、とても(自分にとって)大きかったのかなあって。今でも覚えておりますね。

田場
重度障害者センターって、坂が多いところって聞いたんですけれども。

神田
そうですね。別府でも中腹っていうんですかね。真ん中のあたりなので。上に行くのも登って、下もすぐに坂になってたり。

田場
そうなんですね。ありがとうございます。今日のところのお話は、この辺で終わらせて頂きたいんですけれども。はい。今日はこういうかたちでお話を止めさせて頂きます。ありがとうございました。

神田
ありがとうございます。

UP:20220610
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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