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黛正氏インタビュー・5

20220521 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀
 

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黛 正  ◇新潟県における障害者運動/自立生活運動
生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築

 ※いくつかに分けた記録の5です。
黛 正 i2022a インタビュー・1 2022/05/21 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:魚沼釜蔵新潟店(新潟市・新潟駅隣)(本頁)
黛 正 i2022b インタビュー・2 2022/05/21 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:魚沼釜蔵新潟店(新潟市・新潟駅隣)
黛 正 i2022c インタビュー・3 2022/05/21 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:魚沼釜蔵新潟店(新潟市・新潟駅隣)
黛 正 i2022d インタビュー・4 2022/05/21 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:魚沼釜蔵新潟店(新潟市・新潟駅隣)
黛 正 i2022e インタビュー・5 2022/05/21 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:魚沼釜蔵新潟店(新潟市・新潟駅隣)(本頁)
黛 正 i2022f インタビュー・6 2022/05/19 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:新潟市総合福祉会館
黛 正 i2022g インタビュー・7 2022/05/19 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:新潟市総合福祉会館
黛 正 i2022h インタビュー・8 2022/05/19 聞き手:立岩 真也栗川 治山口 和紀 於:新潟市総合福祉会館

◇文字起こし:ココペリ121 20220521黛正(於:新潟市・魚沼釜蔵ぼんしゅ館)_205分 〜このように表現しています〜
・タイムレコード:[hh:mm:ss]
・聞き取れなかった箇所:***(hh:mm:ss)
・聞き取りが怪しい箇所:【○○】(hh:mm:ss)
・漢字のわからない人名・固有名詞はカタカナ表記にしています。


■開業

黛:だから、開業をしてさ、おれがめしを食ったのは往診だよ。往診代でめしを食ってた。

立岩:開業をするときに、ふつうとくに【床屋だったり】(02:01:38)だけど、うちやら建物やら何やらかんやらで、もうそんなお金がかかる…、ふつうはじゃないですか。それはそうでもなかったんですか?

黛:うん、だからね、おれは開業すると時にいっさい投資はしない。だから、整形外科医ということで開業するとさ、レントゲンの器械も買わなきゃいけないしね、【日常のって、そんな】(02:02:01)買わなきゃならない。でもさ、それはいっさいしない。だから、だって、えー、まあね、おれの今の感じとしては、今の医者っていうのはね、検査をして、で薬を出して、ね、で器械を使った治療をしないと治らないっていうかな。で、それは農業と同じ。農業が、あのー、

栗川:田植え機とかね。

黛:うん、田植え機が必要だったり耕運機が必要だったり何とかかんとかってさ。で、そうするとその器械を、代金を払うためにね、余分な仕事しなきゃならなくなるわけ。で、まあそれこそ医者もほんとに同じ。で、器械をさ買うとさ、必要のない検査までせざるをえないわけ。レントゲンとかさ、撮らなくたっていいようなところまでさ、「うーん、ちょっと骨折してるとよくないですから撮りましょう」つってさ撮るわけよ。で、それがある意味で医療費を上げてるわけだよね。
 で、***(02:03:18)がさ、そんな骨折してるかどうかなんかさ、そりゃ見りゃわかるんでさ。ほいで、その治療する段になって、じゃあ手術したらいいのかギブス巻くだけでいいのかっていうね、それはさ、そのためにはレントゲンも場合によったら必要になるかもしらん、ぐらいなもんでしかないわけよ。だから、おれは今の医療でさ、とくにCT(シーティー)だとかMRI(エムアールアイ)。ほんとうにさ、最近頭が痛いっていうとさ、ね、昔だったらね、どうでもいいようなことをさCT撮ったりするわけじゃん。それはさ、器械のローンを払うために撮ってるだけでさ。だからそんなのはさ、必要があったら「どこそこの病院行って撮ってきてください」って言えば、

立岩:その時の開業した時の黛さんの頭としては、それはもう買わないっていうかローン組まないっていうの決めてて、それだったらそんなに手持ちの金はないけど、なんとか開業はできるっていう腹づもりはあったってこと?

黛:うん、だからぜんぜん器械は何も持ってないし。ほんでね、すごいね、今医療点数ってさ、薬を出さないと安いわけよ。で、ね、30分だとか1時間付き合ってさ、1500円にもならないかな? ぐらいでしかないんだけれども、それをさ、車で行くと往診料ってのがさ、7000点ぐらいとか8000点ぐらいとかさ、7000円とか8000円とかつくんよ。[02:05:09]

立岩:賢いっすね、意外と。意外と賢い。

黛:賢いでしょ。だからさ、それで稼いだの、往診で。

立岩:それね、高木俊介って精神科医、京都にいるんだけど、おんなじこと言ってる。高木さんも、京大でまあいろいろ上ともめた人で、開業するんだけど、精神の訪問のほう、けっこうちゃんと商売できるよって。

黛:精神科なんて何もね、薬なんか出さなっくたってさ、検査もあんまりしない。

栗川:往診で。

黛:うん、往診。ね。で、往診でさ、でもね、おれが最初にね開業したころはさ、往診料ってのは今のように一律じゃなかったわけ。ほんで、どこそこに往診してそれから2キロ先行くだとかさ、それから先行ってこういう、その往診先からその次のところまで行くのにどれくらいかかるかっていうことで計算されていたわけ。だから、それをさうまくこういう付き合うとさ、新発田ぐらいまで行ってたいんよ。うん。だからいわゆる身体障害ってそんなに集中しているわけじゃないわけじゃない。だからあっちこっち分散しているからね。だから、かなり遠くなところまで行かなきゃならんのだけれども。
 で、そういうかたちで往診していたのがさ、途中からね、16キロ以上は往診を認めないって言いだしたわけ、厚生労働省が。ほいでね、で、厚生労働省、だって、おれが必要だっていう人がいるんだからいいじゃないかって言うとさ、それは特別なそれを書かないとだめなわけ、厚生労働省に対してね。で、彼らが、「いや、新発田病院があってそこにリハビリがあるんだから、そこに依頼すればいいじゃないか」って。その新発田病院のリハビリじゃだめな患者さんをおれは行ってるんだよ、って言ってもさ、そういうのって通用しないんだよね。でね、そういうので、それこそその医療費の改定ごとにだんだんあれが下がってきた。
 ほいでね、それをね、これサービスでね、サービスで16キロ以上こっちはサービスでじゃあやるからって言ってもさ、それは認めないっていうのね、あいつら。

立岩:それもだめなの?

黛:うん。まあそれでもまあ往診料でそこそこ食えるだけの収入はあるからね。

立岩:それ以降の話は明日で。今日はじゅうぶんそこまでで働いてたんで。そのもう一方の、もうちょいおっきい話のは、その開業は何年ですか?

黛:開業はね、87年。

高橋修

立岩:87年だとするじゃないですか。そするとまあ79、そのころ7、8年のあいだ、最初のその新大医学部行った時は、全国何かっていうぐらい知らなかったって。それがこうこうでって今日伺ったんですけれども、その開業にいたるまではまぐみにまあ何だかんだいたころの全国とのやり取りはどうだったんですか?

黛:それはね、うーんとね、おれよく覚え…。まあおそらくその前にね、何かあったんだろうけども、85年に全障連の10周年〔大会〕ってのがあるんよ、大阪で。

立岩:ああ76で86、まあそうでしょうね。

★第10回大会 1985.7.26 〜28 大阪・中の島公会堂ほか
 代表幹事:中川,副幹事:楠,平井,事務局長:西岡,相談役:八木下(『全障連』53:15)
 85.7.01 全体基調・草案→『全障連』51
 85.7.26 『全障連第10会全国交流記念大会 基調 (案) ・分科会基調 (案) ・レポート集』,181p.,1000
 86.4.01 『全障連第10全国交流記念大会報告集』 252p.,2000 有/

黛:うん、でね、でその85年に大阪に行ってる時に高橋修と会うわけよ。

立岩:新潟出会ったんでなくて大阪で会ったの?

黛:うん、大阪で会ったの。だから、何でね、あの時に、まあ10周年だからってことで行ったのかな。やっぱりもうそのころあの新潟でいろいろやっていたけれども、やっぱり新潟だけでだめだろうなというふうなことは感じていたと思うんだよね。で、それで全障連の10周年。で、10周年のあと潰れるんじゃない? 全障連。

立岩:潰れちゃいないですよ。そういうと怒る人もいるんじゃないですか。でもまあ、ほとんど死んでますけど。[02:09:43]

黛:だからね、で、あのころにちょうど大阪大会に行っていたんだな。ほれでうちの子ども連れて行ってたらさ、ほいだら八郎っていうのがさ、高橋修さんと友だちになって一生懸命遊んでたわけよ。ほいでいろいろ話(はなし)してたら、「いやおれ実は長岡なんだ」つう話をね。

立岩:じゃあ知らなかったんだ。修さんに会ったほうが先で、修さんが長岡出身だってのはそのあと知って、

黛:そのあとで知って。で、そうだな、それがそれこそ全障連大会はそのあとから行くようにはなってて、でもすぐ潰れたろ?

立岩:潰れてないって。

栗川:90年代途中ぐらいまでいちおうやってるから。

立岩:潰れちゃいないんで。まあ潰れたようなもんなんだけど。

栗川:全障連大会はいちおうやってましたよ、90年代半ばぐらいまでは。

黛:だからあのころね、だから、介護をさボランティアでやるのか、ね、金をとってやるのかっていうのをさ、いろいろ議論してたじゃない。でそれはおもしろいなって思ってさ。

立岩:あー、そうか、おれてっきりね、新潟でなんか修さんと、って思ってたんだけど、そうじゃないんだね。

黛:うん、ぜんぜん、うん。だからそうじゃなくって。

立岩:もう修さんが東京出てきて、でまあ何やら全国的なことごちゃごちゃやってる時に会ったっていう感じなんですね。

黛:そうそう。ほいで、たまには長岡にね、実家に帰ることがあるからってので、その時にそんじゃあ新潟に遊びに来てよ、っていうので、うん、そんな感じよ。

立岩:それで実際遊びに来たんですか?

黛:うん、実際遊びに。だからおれ…、来て、ほいでその【にった】(01:11:37)の家で篠田なんかと一緒に飲んだりさ。うん。それが全国とのつながりの、その前ってなあ、ないと思う、おそらく。

立岩:***(02:11:50)とほんとに違うふうに思ってて、なんかもう黛さんのほうが先で、20年もなんかやってて、まあ逆にっていうか、修さんがそういうことを教わってみたいな、なんかそういう像みたいなあったんだけど、違うってこと。

黛:ぜんぜん違う。だから、

立岩:栗川さんは高橋さんも会ったんですか?

栗川:あ、修さんとは会ってない。会ってるかもしんないけど、まったく記憶がない。

立岩:いやあ、会ってない可能性ありますよね。新潟から離れてましたもんね。

栗川:はい、お名前は聞いてたんですけど。あと、樋口恵子さんとか堤愛子さんとかは新潟に来て、なんか、ピアカウンセリングの講座でよく会ったりとかそういうのはありましたけど。

立岩:へえ。何か素朴な前後関係みたいのって、思い込みみたいなのがあって。野口〔俊彦〕さんに今日インタビューしてきたんですけど★、野口さんって立川ローカルな人なんですよ。ぼくのイメージでは立川でやってて、新潟からの高橋さんがそれに加わったというイメージだったんだけど、逆、違うんだよ。とかまあそういう、ちっさいといえばちっさい、具体的な誤解みたいなこと。

★野口 俊彦 i2022a インタビュー・1 2022/05/21 聞き手:立岩真也 於:自立生活センター・立川事務所(東京都・立川市)

栗川:因果関係的にどっちが前か後かみたいなのはね、意外と違って、みたいなね。

黛:おれね、意外と保守的なんよ(笑)。

立岩:それは知らんけど。大阪のおばちゃんが言うんだ、「知らんけど」って。

栗川:でも全障連に行くってのはけっこうなことだから、その前から会員とか何かそういうのがあった。

立岩:そうだよねえ、みんながみんな全障連行かないよね。

黛:全障連なんで行ったのかなあ?

栗川:その前からなんかちょっとはなんか、気になる何かがあったんですよね。



黛:いやだから、おそらくね、新潟でさキャンプだとか、なんかいろいろやっていたわけよね。でキャンプを通して…、キャンプをしてるとね、女の子が寄ってくるわけよ。

立岩:来ますか?

黛:そのころね、そのころは寄ってきてた。寄ってきて、で、その女の子をこう釣りあげてさ、介護者にできないかって、それは考えていた。[02:15:04]

立岩:だからそれは、キャンプ場にではなくて、「キャンプをやるよ」って言うと集まってくる、そういうことね。

黛:そのなかでさ、で、ほんとにさ、いろいろ障害者の問題考えてくれるのがいるとさ、そのあと一緒に口説いてさ、

立岩:はいはい、それはよくあることです。

黛:だから、そのためにキャンプをやってたんだから、毎年。でもさ、

栗川:リクルートのためのキャンプ。

黛:うん。で、それがだんだんやっぱり「それだけじゃだめだろうな」ってね感じ始めたころなんじゃないんかな、そういう、うん、全障連はね、なんで行ったのかな? とにかく全障研とは合わんわね。

栗川:障問研以来の。

立岩:そっかあ。まあでもちょっとしたまだ謎が残りますね。これはいかになんでも全障連すぐに行かねえだろうってふつうはね。

栗川:全国大会ね、大阪まで。

黛:いやでも、意外と気楽に行ったよ。

栗川:大阪に遊びに行こうかなみたいな?

黛:そうそう。

■■

立岩:お子さん何? はちろうって言いました? 8人子どもいるわけじゃないでしょ? 8人いるんですか?

黛:うーん6人。そういやはちろうっていうのはさ、八郎潟があるじゃなん、絵本があるじゃん、『八郎』って、

立岩:秋田の八郎。

黛:秋田の八郎潟の、うん、その絵本を読んではちろうってつけたんだけどね。

立岩:6人子ども、現存してるの?

黛:うん、まだ現存してる。

立岩:すげー。じゃあみんないい大人でしょ?

黛:もうけっこうね、うん。

立岩:6人もいたらにぎやかでしょ?

黛:え? うーんでも、もうそんな一緒に集まるってことはないっしょ。

立岩:おれね、昨日までにインタビューしてて、そういう話をちょっとうちの院生としてたのよ。そういう家族とか、おんなおとこの話とかをぼくはあんまり聞かなすぎると。それはインタビュアーとして資質に欠けるって言われて、ちょっと腹立たしかった。
 つまりなんでさ、それで大学最後の年、最後の年の1年前か、に結婚して、それ以来いちおうつづいて…、

黛:うん、つづいてる。とりあえず捨てられないでね。だから、ほんとにひどいんよ。来年卒業できるからっていうんで結婚してさ、そしたら卒業できなくてさ、で、その翌年子どもができたろ、夏。ほいで、

立岩:それ学生の時?

黛:学生の時に、うん、

立岩:生まれちゃったって。

黛:生まれて、うん。ほいで、おれ大学院の時に子どもの送り迎えしたりとかさ、して。ほいで二人目の子どもがね、卒業か、そして、その翌年はどうにか卒業したんだよね。で、来年は国家試験受かるからっていうことでさ、いて、で二人目の子どもが生まれた時には、ようは国家試験落っこってさ(笑)。

立岩:え? 卒業したけど国試は落ちたんですか?

黛:うん。

立岩:じゃあけっきょくもう1年ってことじゃないですか。

黛:うん、あのころね、おれ3回目かな、国家試験で。うん。であのころ2回、年に2回あってさ。

立岩:年に2回あった時期があったんだ。

黛:あって。うん。ほいで、おれ新潟でさ、あのころ、うーんと何だ、何病院だったかな。もう忘れたけどもさ、そういう国家試験受かってないけれども、卒業したっていうさ医者を使ってさ、検診事業をやっていたんよ。

立岩:ああ、そいでまあ稼いでいたと。

黛:そいでさ、おれも声掛けられてさ、ほいで検診に行って、それこそ女の子のおっぱいをこういうふうに。あのころいちばん華やかだったけどもさ、うん、中小企業のさ検診をやっていて、ほんでね、

立岩:医師免許なくてもできんだ。

黛:いやできない。だからできなんだけどもさ、うーんとね、あれは信濃町にあったさ、何病院だたかな。うーんと、あの悪徳商法やっていたさ、[02:20:00]

立岩:まあ実質働いてた。それでバイトして。

黛:バイトしていてさ、ほいで1回行ってくるとそれで3万円ぐらいくれたんよ。それでどうにかね、めしを食っていたんだけどさ。で、それがね、ちょうどその年にさ摘発されてさ、警察に呼ばれてさ。

栗川:悪徳で。

黛:うん、ほいで、お前のほかに誰がそれやってるんだってさ、名前を言えとか言われてさ、おまわりは汚ねえなと思ってさ、いたけどさ。ほいで、それに引っかかってさ、あれ、名前が出たりしたのはさ、台湾から留学に来てる人だったり、沖縄から来てるやつだとかさ、ネパールから来てるのとか。まあおれはただ勉強をしなかっただけなんだけどさ、そういうやつらがみんな引き払ってるわけですよね。ほいで名前を、あと誰がやってるんだとか言えとか言われたけどさ、それはおれのレベルでは言わなかったけどね、あー、あの信濃町なんとかって、

ようこ:ぶんきょう病院。

黛:あ、ぶんきょう病院。

ようこ:それだそれだ。

立岩:ネット賢いな。「新潟・悪徳病院」ってやると出てくるんだ。

黛:だから文教病院でさ、そういうバイトして、ほいで、まあいちおうおれの場合はその、書類なんたらでさ、起訴はされなかった。

栗川:医師免許自体は。

黛:持ってないんだから。

立岩:その時はまだ免許持ってないのにやってるから挙げられたって感じ。

栗川:ああー、学生の時にね。

立岩:いや、そんな話もさあれですけど、さっきそもそもの、二人トイレ行った時の話は、何で黛さんって6人も子どもいるんだって。八郎でおかしいじゃない。8人***(02:22:02)それは違うんだって。八郎潟の八郎ね。それにしても6人いるっていう話で、まあそれはちょっと近ごろとしては異常ですよね。

黛:そうだな、倉田先生からもあれだな、クリスチャンだからぼくは6人もいるんですって言って(笑)。

立岩:わりとほんとはにぎやかなほうが好きだって、そういう傾向なんですか?

黛:あー、そうだねえ。にぎやかなほうがね、おもしろいから。

立岩:その6人は新潟市育った。

黛:新潟…、は、あっちこっち引っ越したけどね。

立岩:市内は市内なんですか?

黛:うん、市内で。でもうちの子どもは新潟がふるさとって感じはしないと思うわね。

立岩:そうですか?

黛:うん、最近の若い人って、自分のこういうふるさとみたいなものってあんまり考えないんじゃないの?

立岩:どうだろうね、そうでもないような気がしますけどね。

黛:そう? おれはね、上の子二人がその鳥屋野っていうね、ところで住んでいる時に生まれて。あとその二人が内野で生まれて、であと、

ようこ:万代小学校とか、【お子さんが卒業とか】(02:23:25)。

黛:***(02:23:27)ったりでね、うん。

立岩:そりゃほっときゃあ生まれるかもしんないけど、おれは6人…。まあうち子どもいますけど、一人ですから、この差は何だ。べつにどうだっていいんですけれども。

黛:いやでも、子どもってさ、おれ最近思うけど、やっぱり子どものなかで育つんでさ、きょうだいって大事だと思うよ。

立岩:ああ、それも思ったんですけど、うちの場合ゼロ歳から保育行ったんで、けっこうゼロ歳児保育の子ども、子たちいっぱいいて、だからある程度そういうのもあって。それとあとね、人間そんな好きじゃないんす、ぼくは。だからなんか、もうゼロはちょっとあれだけど、まあ1ぐらいでいいと思うんです。それはちょっと趣味がわかれるとこ。
 ぼくはじゅうぶん聞いたよ。もう飲ませると称して2時間半働かせようってのは、私はもう満足でござるんで、まああとはちょっと明日も付き合ってくれれば本望、本懐を遂げるんで、ぼくはもういいっす。何かちょっと…。あと何分で出るんですか?

山口:もうそろそろ、2時間半。

立岩:出てけコールになるんですかね。

栗川:2時間半で出てけだから、ちょうど2時間半ぐらい。

立岩:じゃああと5分ぐらいの間でなんか、山口さんとかさ。

■篠田さん

黛:じゃあ篠田の話は聞いたわけ?

立岩:誰?

黛:篠田。

立岩:篠田さんの話は聞きました。[02:25:01]

黛:やっぱりね、おれのね新潟の話を聞くんだったらやっぱり篠田。

栗川:キーパーソン?

黛:うん、あいつがね、ずーっと一緒にやってきたから。

立岩:それを今聞くとやっぱり、その時のインタビューは、そうっていうか、だったと思うな、今、今思うと。まあちょっと帰り、うち帰んなきゃいけないってことで焦っていたのもあるんですけど、ぎりぎりだったんで。

黛:いやだから立岩さんがね、おれ、立岩さんがね、話をって、新潟の話をっていう時に、新潟の話だったら篠田がしたほうがいいんじゃないかなと思って彼に電話したら、彼は今までそういう話(はなし)したとは言ってなかったんだけど。

立岩:いちおう聞いたんですよ。だけど、こういうことってやっぱり複数の人がこう追加して聞くって。ぼくはまあとりあえず2時間ぐらい聞いたじゃないですか。で、おれは何かばたばたして、その日のうちに京都帰んなきゃって思って、ほんと、ほんとに電車ぎりぎりだったんです。走って乗ったみたいな。でぎりぎり帰ったんですけど。でもまあとうぜん大したこと聞けないじゃないですか。それをじゃあ次の人が聞いて次の人が聞いて、厚くしていって、でようやくなんとかなりますっていうことだと思うんですけどね。

黛:やっぱりね、新潟の話ってのはあいつがいちばんよく知ってると思う、うん。当事者として。

立岩:行ったら★山口百恵のポスター貼っててさ、おー山口百恵っていって。

栗川:同い年だからね。

立岩:歳もほぼ同じなんですよ。おお、山口百恵だって、たまげましたね。

黛:あいつもなあ、あほだからさ。うーん、あいつはね、結婚してからだめになったと言ったらまずいけどさ。

立岩:奥さんずーっと隣に座ってたからね、それはちょっと聞けない話だよね。

黛:あの恵さんとね、一緒になってまあそれはそれなりに悪くはないんだけれども、あいつは結婚してから守りに入った。

栗川:守りにね、まあまあ。
 でその新潟の障害者運動をだめにした三人の、黛と、その高橋芳子と、

黛:アンリさんね。

栗川:アンリさんと。その高橋芳子さん何となくボランティアで甘やかしてみたいな、なんとなくわかる気がするけど、アンリさんはなんでだめにしたんですか?

黛:ん? アンリさんだった上げ膳据え膳じゃない。

栗川:やっぱ上げ膳据え膳?

黛:コーポ大竹だとかさ、ドンキホーテにしても。それでドンキホーテだってさ、わたなべこういちに***(02:28:05)、篠田の願いだとかさ、そういうの【みんな叶えて】(02:28:10)やったじゃん。

栗川:はいはい、それボランティアがみんなね。

黛:ボランティアがそんな優しくて、お前ちゃんとヘルパーね、ちゃんと申請してさ、ヘルパーにやらせろよ、ってあの人も言わなかった。あの人もみんな自分でやっちゃうから。

栗川:親切にね、やっちゃうからね。社会を変える方向にはいかない。

黛:いやでも発想はすごいあれよ。ヨーロッパ人ってやっぱり個が確立してるよね。

栗川:アンリさってあれでベルギー人。

黛:ベルギー。いや、あの人もね、うーん、なんだ、『アリの町のマリア』じゃないけどね、うん、あの神父さんみたいにさ、

栗川:ゼノ神父だっけ?

黛:うん、ゼノ神父さんね、みたいに、老人ホーム入れたらまずいよ。ちゃんと【身近な】(02:29:15)障害者が、アンリさんがこう年取った時にちゃんと介護をしてさ、うん。ベルギーに帰るつったらさ、こうちょっと引き止めないとまずいと思うよ。

栗川:アンリさんはまだご存命で新潟にいらっしゃるんですか?

黛:まだいるよ。

立岩:いやぼくが篠田さんとこ行った時に、山口百恵のポスターがあって、むこうのほうがでかいんですけど、アンリさんたちと何周年何周年みたいな、集合写真が飾ってあって、おれ「誰ですか?」って聞いて、おれ何にも知らないから、こうこうこうでって言われて、へえーって。

黛:え? アンリさんとの写真あって、おれの写真なかった?

立岩:いや、写ってました。たぶんアンリさんたちと撮ってた写真のすみかどっかとは言いませんけど、「あ、これ黛さんです」っていう***(02:30:02)だったような記憶はあります。黛さん写ってますからそんなにひがまないほうがいいですよ。[02:30:06]

黛:(笑)。
 でね、おれはやっぱり、新潟のさ自立生活センターが立ち上がった時にさ、おれは運営委員とかね理事とかやらないよ、って言って断ったんよ。障害者、ね、お前らちゃんと当事者としてきちんとやれよ、って言ったけどさ、それがね、そのあとまずかったよね。ああ。だから新潟の自立生活センターが、

立岩:そのへんが調べに行ってます。ほんとは、

黛:それはおれしゃべれないよ。だってもう、うん。だからおれは口を出さないと。でさ、今、じゃあ新潟の障害者運動残ったかっていったら、青木学には悪いけどさ、残ってないよ。うん。

栗川:もうほぼ、ぽしゃった感じ。

黛:うん、ぽしゃって。で今精神のね、内藤さんってさ、ココカラの人ががんばってるけどもさ、身体とか知的の人はまあ今ぜんぜん。

立岩:これはその【つづき】(02:31:22)とか連続性とかあんまり考えずに、ぜんぜん違った方向で、のなんか若い人とか、そっちのほうが【新しく変える】(02:31:30)っていうことはありますよね。なんか妙に過去があると、***(02:31:35)いろいろっていうことは経験的にはあるんです。っていうような話をね、おとつい***(02:31:42)。

黛:いやでも出てこないよ、今。次の、

立岩:いやその話もしたんですよ、それは難しい。まあこれこれしかじかでって話もしたんですけど。やれやれって、

黛:ね、ねえ、うちらのやり方とやっぱり違っていいんだろうけれども、次の人たちがね、何かやってくれたらなあと思うんだけど。

立岩:でもね、なんかぼくはなんだかやっぱり【学生やってるときにさ】(02:32:16)誰の話でそれ一致したのかな、誰? ああ、大野くんっていう介護保障協議会とかやってる、ぼくよりちょうど昨日明らかになって、十歳違うんだって。その人は高知大だっつってたけど、1000人にビラまいても、だれも、1000人に1人しか***(02:32:38)みたいな、悲哀の話をその彼してて。まあそれとして、まあ今ずっとやってるんだけど。だから何だろ、【学生だったころに】(02:32:47)そういうのを、教室でどれだけビラまいても見てくんないみたいな、もうそこ、そこですから。それより悪いことないっすよ。だからぼくはそこから楽観論者になると決めて、それはなってるわけ。情勢判断とかじゃなくて、それでいくと、いう***(02:33:11)。ただね、だからとしても***(02:33:15)しょうがないこと。それは、社会科学的な***(02:33:17)ってことはあんまり関係ない。なんかもうおれ【底】(02:33:21)見たことある、それよりは、ってなって。
 実際昨日その30代の支援者と40ちょいの天端っていうのと、トークセッションってやったんだけど、それはそれなりに、やっぱちょっとみんなと違いますよ。違うんだけど、でも、やっぱりいい感性してたり、いい動きしてたりしてるから、それは大丈夫っていうか、だと思う。そういう感じです。

黛:ああ、あとさ、今一時期さ、障害学っての流行った時期っあるじゃない。あれどうなったの?

立岩:それいいんだよ、流行ってはいないけど、最初っから最後まで流行ってないけど、あることはありますよ。あることはあって、ああ、いけてるかどうかに関しては、ぼく障害学会って会長っての2年ぐらいやってたんですよ。でやめて、まあ終わったんですけど。そういう役をやった人が言うのもなんですけど、そんなおもしろいかってね、まあそんなことないですよ。でもまあないよりはいいかなって。まあそれもだから、もうあれですよ、楽観論に決めたので、ないよりずっといいですよ。ないよりあったほうがいいものはあったほうがいい。そういうことです。そんなたいしたもんかと言われると、微妙。

黛:いやでもさ、でもね、最近ね、『福祉労働』ってあれがあったでしょ、雑誌が。あれを見ていて感じたんだけどね、昔はさ、現場が、現場っちゅうかな、障害者に関わってる人ってのがけっこうさいろいろ書いていたんだけれども、うーん、最近ぜんぜんおれとってないから、もうわからないけどさ、最近みんな、何たら学者…、学者っていうかな、学校、[02:35:11]

立岩:それはちょっとぼくは言いたいことがあって、学者は仕事しないから、***(02:35:10)。だから、学者が牛耳ってのは嘘で、学者、牛耳るぐらい学者ほんと仕事しろ、ってぼくは思ってる。ぜんぜんそんな仕事してないから。だからそれはもしそう思うんだったら学者買いかぶりすぎ。だから学者ほんと仕事してないもん、ぜんぜんしてない。

黛:だから、まあおれ最近おもしろくないからぜんぜんとってないんだけどさ。

立岩:あのね、ぼくも読んでないんですけど、まあちょっとやっぱりその間(かん)、あれ季刊っていうくらいだったんで季刊だったじゃないですか、年に2回出して。まあなかなか大変は大変だった。でもまあそれなりに、あのずーっと創刊からずっとやってた小林律子さんっていう人が定年になったんです。で、悠々自適の、あの人なんかロシア好きで、まあロシア旅行とかして余生を過ごそうかと思ったのが、今の木村英子★、昨日会って、会ったんです。そりゃいいんですけど。でまあ今ちょっと若い人やってますけど、あれはあれなりにたぶんちょっと褒めてあげてもいい、頑張ってると思う。ぼくも読んでないので、いいも悪いも言えませんけど、まあとにかく年寄りは年寄りで温かく見てやってください。

黛:だからああいう雑誌もさ、読まないとつぶれちゃうんだろうなとは思うんだけどさ、あんまりおもしろくないとさ。

立岩:だからあのね、学者のいいことは、おもしろくてもおもしろくなくてもやるとこはいいんです。ふつうの読者って、おもしろくなかったらやめるじゃないですか。正しいんです。そっちのほうが正しいんだけど、そういうおもしろくない時期もふくめて、まあなんかいやでも、

黛:付き合わないとだめ?

立岩:付き合うっていうのが学者の唯一の美点かなって思うわけ。だけどそんな仕事もしてないんだよ。それはある意味学者の買いかぶりで、おもしろくてもおもしろくなくても仕事しないと。だからそれは障害学とかいう限った話ではなくて、社会学だって何だって研究してないと。で、もう毎日怒ってるんだけど、そういう感じです。
 だから、仕事したうえで怒られるんだったらなんぼでも言いますけど、仕事しないんだからね。なんていうかな、怒られたら「はいはい、仕事しますよごめんなさい」っていう以外に言葉はないですよね。私はそれだけです。
 3時間しゃべらせちゃった。
 ああ、なんか呼ばれるまでいりゃあいい。出すもん出したら…。[02:38:18]

(宿泊施設、明日の会場への経路説明等)

[02:40:24]

黛:あのさ、持ってこいっていうのとか。

栗川:ああ、で資料をね、なんかいっぱい持ってきてくださって。

黛:この広島さんの、

立岩:赤い本は持ってますわ。障害文化。

黛:うんそれね、これで、広島〔幹也〕さんの…。これさ、持ってる?

立岩:いや、持ってないです。これはレアです。

黛:うん、これはね、ブントの人がさ、広島さんって前。

栗川:ブントの人なのね。

黛:うん、ブントの人で。

立岩:新潟にもブントいたんですか?

黛:いやあ、三里塚にいたのよ。

立岩:誰が?

黛:広島さんが。それでね、それで、七十何年かこの新潟に帰ってきたみたいなんだけども、そのあとのことをずっと書いたりしてるんだけども、それコピーしとこ? じゃあ。

立岩:これどうしよう。これ借りて、返したらいいですか?

黛:おれもそれ、あとほかの人にみんな配っちゃったから、それあと一つしかない。

栗川:コピーして返す。

黛:ん? だから、だからおれがだから明日コピーして渡そ。

立岩:どっちでもいい。でも、たぶん彼は資料大切にすると思うんで、ぼくよりは安全だと思うんですけど。

黛:それとね、おもしろいっていうかさ、この新潟のCIL(シーアイエル)のやつってのは資料行ってる?

立岩:ないです。いっこもないです。

黛:おれが、新潟のCILが発足をしてしばらくしてからね、新潟の歴史をまとめようじゃないかっていって、で、いちおう基本的におれが書いた部分があるんですよ。それで、それ、そのあとにそれに関わった障害者の人が書いたらっていう部分はちょっとばらばらになって、ないんだけれども、もしこれがあれば、コピーをしとこうかと思うんだけれども。

立岩:いや、えっとぼくはお勧めなのは、この人に貸して、あとでその松ヶ崎のほうに送ります。

黛:ううん。

立岩:大丈夫。ぼくに頼むと危ないですけど、山口さんは大丈夫です。

黛:うん、ほんとに返してくれる?

山口:ああ、もちろん返します。

黛:で、これがね、「もたれあいからささえあいへ」っていうやつを、おれが、おれなりの視点で自立生活センターが発足するまで、新潟、の、その、まとめたやつがこっからあるんだけれども。

立岩:これさ、紙のサイズも違うし、コピーもめんどくさいから、なんかこういう人に頼むのが良いと思います。今日ぼく酒をおごるんで、まあそれで、そのぶんで働いてもらって。

黛:ちょっとじゃあこれで、そのうしろの、あ、うしろのほう。すいどうのね、もたれあいから、ここから。

立岩:黛さんに連絡とるのどうしたらいい? 電話するの?

黛:うん、電話。

立岩:住所は、どっか、名刺とか持ってないの?

黛:名刺は持ってない。

立岩:持ってないです。まあそれもふくめてたぶんちゃんとやってくれると思うんで。

山口:コピーとれる範囲なんで、明日返す感じで。そんなに…。

立岩:どっちでもいいと思うけど、じっくり学校でコピーして、

黛:それがね、自立生活センターを立ち上げる前の新潟のいろんな動きっちゅうかな、それをおれがわかる範囲で書いたやつがその文章だね。

立岩:でさ、山口さんはそれをコピーするより、とりあえずうち帰って寝ればいいよ。ほんで、質問、それの話をちゃんと考えて。これ今日、おれ酒飲みながらまあまあ仕事してる。だから明日はじゃあちょっと山口さん。[02:45:24]

栗川:で、明日の午後はね、桐沢さん★にインタビューする。

黛:あ、桐沢。ふーん。

栗川:その篠田さんとは幼友だちだけど、ライバルでもあるから。

立岩:彼の家っていうのは、ぜんぜんおれ新潟市のことわかんなくて、あっちのほうじゃないんですかね。

ようこ:西区の。

栗川:だから、篠田さんちの内陸部。篠田さんちの海から見るともうちょっと内陸のほう。

黛:ええ、あそこのまだ松海が丘にいるの?

ようこ:いえいえ、西小針の市営住宅。松海が丘はだいぶ前に。

黛:ふーん、あ、市営住宅に移った。

立岩:おれ行ってもぜんぜんわからないっす。たとえばなんか、その砂丘へ行ったら、妙に佐渡のほうが見えるなと思って。たとえばさ、佐渡から新潟とか、新潟から佐渡って、見えるか見えないかぐらいの感じなんですよ。だけど、おれが新潟市内の時に、だから、***(02:46:38)立っていて、なんか不思議な感じがあります。

栗川:西に行くような***(02:46:45)佐渡が近くにあります。

立岩:そうなんでしょうね。

黛:うん、佐渡はでっかいでしょ。見て。ねえ。

立岩:みんな信じてくんないですけど、そこそこおっきいですよね。

栗川:だって沖縄返還前は日本でいちばん大きい島は佐渡みたいなこと言ってましたよね。

立岩:四島の次にね。

黛:いや、でもね、広さからいうと、だいたい沖縄本島と同じぐらいなんですよ。だって、沖縄本島はね、120キロかな、が、ずーっと辺戸岬からね、南部戦跡のほうに120キロぐらいあります。で、佐渡ってのは、60キロ60キロなんだけど、大佐渡小佐渡ってこういうふうになってんですよ。それがこういうふうになると、こういうふうになると120キロぐらいにね、沖縄本島とだいたい同じぐらいで。で、広さとしては佐渡のほうが少し狭いぐらいなんだけれども、でもそこにさ、米軍基地が10パーセントぐらいあるわけでしょ。それで、120万人が沖縄住んでいて、佐渡は今6万きりましたよね、もう。

栗川:ああそっか、沖縄の人口密度すごいですよね。じゃあね。佐渡6万で、沖縄120万か。

立岩:20、15とか、どんどんどんどん減って、ぼくの時で8万ぐらいだったかな。

栗川:沖縄って人いるんですね、じゃあね。佐渡を基準に考えると。

黛:そうですよ、だから。それでさ、米軍基地いちばんいいところをとってるわけじゃない。だから、おれ昔ね、佐渡に米軍基地を誘致したらって言ったらさ、そりゃあいいって言われたらさ、ちょっと困ってる。もうそれ以来言わないんだけどさ。

栗川:基地がないことがいちばんえらいですよね。

黛:でもさ、米軍にしてみればさ、ずいぶんいい立地条件だと思うんだよ。北朝鮮に近いし、ねえ。

栗川:中国とかロシアとかみんなね。

立岩:北と事を構えるには最前線です。

黛:だから、佐渡島民がね、国中のさ、国中平野をねぜんぶ米軍基地にやって、ほいでわれわれは、ちょっとこざわとか***(02:49:10)山のへき地でもいいですから、って言ったらさ、安保条約ずいぶん変わると(笑)。

栗川:そっか、佐渡6万で沖縄120万か。ほぼ同じ面積でね。

ようこ:すごいね。でも人に会いませんよね、佐渡ね。

黛:まあもったいないよ、だから佐渡がいっぱい。

ようこ:両津港から佐和田までタクシーで行ったんですけど、信号があんまりない。人にもほとんど会わない。

立岩:あのね、***(02:49:45)しないと、それはいかになんでもちょっと、ちょっとそんな毎日そうじゃないよとちょっとぼくは言いたい。

ようこ:でも平日の昼間。

立岩:昼間はね、昼間だと農民は出ないです。昼間は外に出ないです。だけど、まあいいや。何を言ってもなんか、いなかの人は…。[02:50:04]

ようこ:いやいやいやいや。

黛:山口くんさ、まだ若いんだからね、うんな、こんなくだらん取材をしているのはさ、どうでもいいけどさ、まあ体力のあるうちに佐渡に来たらさ、田んぼはあるし、畑はあるし、

山口:話どこいくかと思ったらそれ来たか。

黛:そこね、それをね、きちんとおれ、日本のさ若いものがね、今汗流せないじゃない。汗流してないでしょ? だからね、汗を流す仕事しないとだめよ。ほんなね、パソコンこういじってさ、ね、パソコンいじって情報でさ稼ぐなんて、そりゃね邪道よ。

山口:不安になりますよね、なんかこう。

黛:そうだよ、不安になるだろ。やっぱりさ、自分でさ田植えをして、これが秋になったら実るんだな、こうやって自分の口に入るんだなと、そういう生活をしないとさ。うん。
 おれ今3分の1ぐらいさ、あの仕事やってて。農業よ。

立岩:百姓してるんですか?

黛:あ? ああ、百姓やってますよ。田んぼをね、うん、今年から、今まで山のさるはちっていうね、とこでやってるんだけれども、***(02:51:41)っていうすぐとなりの集落でさ、田んぼをやめるって人がいたからさ。

立岩:***(02:51:51)だ、***(02:51:51)だ。私も、うちべつに農業じゃないですけど、親、やっぱり、昔の人って勤めだろうと何だろうと、いなかの人はみんな農業やったんですよ。だから私もだから稲刈りから、田植えからぜんぶ手伝わされたんで、やりますけどね。私はだから、そういうのが板についてるから、今でも京都で畑やったりしてるんだけど。

黛:そうやらなきゃだめだよ。

立岩:だからどっちかっていうと同好派なんだけど、でもね、そこまでの、なんか私はしょうがないっていうか、なんかやってるけど、田んぼとはいかないかな。

黛:うん。だってさ、一次産業をね金にならないって政策でしょ、はっきり言ったら。だってパソコンいじってさ、何に金になるの。

立岩:それ説明するんですか?

黛:「情報がさ金だ」なんつったってさ、そんなのはね、あれだって、情報なんて一般の人にとってみればさ、どうでもいいことでさ、支配するためには必要だよ、情報ってのは。だけれどもさ、やっぱり必要なのは自分が食べるものを作ること。ね、それが大事だと思うよ。だから今の日本の政策のなかでは非常に虐げられているけれどさ、でも、百姓もさ、同じよ。百姓もさ、医者と同じ。投資しなけりゃいいんよ。だから自分で、手でさ、こう植えれば。

立岩:そうね、コンバインとか買うとね、何千万するもんね。

黛:うん、だからさ、

立岩:まあいいや、いちおう聞いとこ。

黛:だからさ、うちのかあちゃん。

立岩:おれね、言っとくけどそっち系じゃないです。こないだ安積遊歩さんとそれでけんかして(笑)。まあ本出ますけど★、ぼくが…、まあいいや。わかりますよ、言いたいことは、気持ちはわかるんです。

黛:それでね、あの…うん。

立岩:そうか。田んぼ大変でしょ。

黛:田んぼ大変だよ。いちばん大変なのは耕すの。ね。耕してこなすのがいちばん大変。田植えぐらい簡単だけどさ。

栗川:投資してないからぜんぶ手作業でやってるわけですよね。耕運機とかなくて。

黛:でもさ、でもさ、昔の***(02:54:20)はさ、五【畝歩】(02:54:26)だとかさ一反ぐらいをそれやってればよかったわけよ。自分がさ食える。025429

立岩:そうですよね。わたしんちもそんな感じです。自分の***(02:54:35)けど、田んぼやって、それはおれ手伝わされたけど。それはそれでわかるんだけれども。そっか。

黛:だからさ、で今はさ、機械を使うと一町だとか二町だとかさ、一町、二町じゃすまないもんね。二町、三町とやらんとさ、だめなんでしょ?

栗川:儲からないからね。

黛:うん、でもさ、おれは一反の半分。五【畝歩】(02:55:05)耕した。そしたらみんな見にきてたよ、通る人がさ、「よくやるねえ」とかいって。[02:55:09]

立岩:変な人がやってるよ、みたいな。それ、おれも奇異の目で見ると思う。同じ島民だったらなあ、「あのおっさん何をしてんねん」。

黛:でもさ、4、5日すればさ耕せるんよ。

立岩:その面積だったらね。

黛:ね、そうすればさ、過ごせればさ、自分が食うぶんは賄えるわけよ。

立岩:それで割りきればそりゃ食っていけますよ。そりゃあわかります。そりゃあわかりますよ。はい。そこで闘う…、今日はちょっと、まあええや、それは闘ってもあまり意味がない。
 ぼくもけっこうやらされたんですけど、ぼくはほんとに小学校上がる前ぐらいから、こやしくみやらされたりとか、やってたんで、そのへんのまあおもしろさ、大変さをふくめて。それで板についてる、嫌いじゃないですよ。

黛:でも佐渡の男ってさ、田んぼやるけど畑やらないんだよね。

立岩:そうですか?

黛:うん、みんなさ、畑はさ、女の人に任せてんだよね。

立岩:ああ、そういうとこある。まあ***(02:56:18)的にはそうかもしれない。
 あのね、たとえばおれの母親の実家って漁師だったんですけど、やっぱり漁師は男、男が漁に行って、その間は裏の畑で野菜作るのは女の人、それはありますけどね。

黛:まあね、そういうのはさ、今漁なんかさみんなやってないのにさ、そういう伝統だけは残って(笑)。

立岩:そうなんですけど…。まあいいや、おれべつに佐渡の男の代表じゃない。弁護しませんけどね。
 あー、そっか、おれ、農業ほんとは嫌いじゃないんですけど。

栗川:やってますもんね、立岩先生、だって。いや、立岩先生ちのまわり畑あって、いろんなものとって。こないだも佐渡からの***(02:57:15)。

黛:やっぱりね、最終的にはさ、自分が何をつくりだすのかっちゅうのをね、やっぱりちゃんと考えておかないとさ。医者ってのもね、これは三次産業なんよ、サービス業よ。だから、サービス業ってのはどうでもいいもんっていうかな。ね。

立岩:ええ、まあわかりますけど、言いたいことはね。

栗川:やっぱつくりだすのは一次産業。

黛:うん、一次産業。

立岩:まあそういう話をしてもちょっと何なんで。ぼくはあれですけど。たとえば一次産業は作る。三次産業がメンテする。メンテをする仕事は作る仕事より***(02:58:02)とたぶんいけないですよね、やっぱり。ぼくはね、そういうことふくめて、ちょっと、

黛:それは一般論としてはそうだよ。

立岩:わかるんですよ、気もちはね。ぼくはその、***(02:58:14)おしてるけど、

黛:いや、おれらだってさ、その、遊びでやってるからね、あのー、ね、農業ちゅうのはさ。だから、遊び半分にやっているからこんなこと言えるのかもしらんけれども、でもね、あまりにも耕作放棄地が増えすぎてる。

立岩:まあそりゃほんとにそうですね、ほんとそうです。

黛:これ、日本滅びるよ、右翼じゃないけれども。ねえ。

立岩:そっか、黛さんついに田んぼまで始めたって、やばいっすね、それ。畑もやってんすか?

黛:畑? 畑はやってるよ。畑、7、8か所さ、全部さ。うーん、だってみんなさ、やめるちゅうけどさ、もったいないからみんな引き受けるとさ。

栗川:ああ、じゃあもうただかただ同然のを借りて。

黛:ただ、うん、草刈りをしてるだけの、うん。だっていーっぱい、ね、どんどん貸してくれるわけだからさ。

立岩:そらそうでしょう。だって地元のじいさんばあさんもね、もうやらないとか死んじゃうとかそうすると、そりゃ貸してくれますよ。

黛:最近はさ、廃材。家を壊した廃材をさ持ってきてさ。うちはとにかくなんかこういう廃品回収業みたいな感じでさ。

立岩:廃材もってきてどうすんですか?

黛:廃材もってきて、だからうち、薪ストーブを炊いてるからさ、それで、一冬けっこう燃すわけよ。で廃材を燃すと、

立岩:そういう話になると共通性だけが出てくる。ぼくも薪ストーブやる。ほぼ3年ぐらい薪ストーブで暖房賄ってます。[03:00:10]

黛:金払ってんでしょ? 薪代。

立岩:払ってないです。建築廃材。廃材を薪ストーブにできる薪ストーブがあるんですよ。美濃の、岐阜のメーカーが作ってる。いいですよ。

黛:ああ、それ作ってくれるわけ? うちはそれ、そのままどんと置いて***(03:00:30)。

立岩:ちゃんと製品で、でも今うち改築とかしてるんで、ほんとただ。

黛:だからさ、薪ストーブいいよね。

立岩:薪ストーブいいっすよ。

黛:だから薪ストーブをさ炊いとくとさ、家全体があったまるんだよ。

立岩:そうそう、そういう話すると、ぼくがあたかも黛さんと同じ思想を信じてる(笑)。でもまあ薪ストーブはいい、それは主義主張に関係なく。いやほんとそうです。

黛:だけどさ、京都だったらあの人もう、まだ生きてんの? ついださんっていたじゃない? つちださんっていったかな?

立岩:ああ、エコロジーの人? 槌田敦。まだ死んだって話は聞いてない。

黛:だからあの人はさ、昔から書いてたけどさ、地表に生えているね木だとかそれを燃している限りは、CO2(シーオーツー)は増えないんだってさ。で、地下からさ、石炭だとかさ石油を掘り出すからさ、かつてのね、CO2をさ封じ込めたやつをさ掘り出すからだめなんだ、って言ってさ。一生懸命うちはそれでさ、どんどんどんどん燃してるけどさ。

立岩:私も実際の生活スタイルはそうなんですよ。だけど、***(03:01:55)考えて、今地上に生えてるのを燃やすのがよくて、まあいいや。そういう話は今回のテーマではありません。でもまあ気持ち的にはほぼそういうライフスタイルをぼくもとってます。けどね、まあ***(03:02:12)5000円ずつもらって終りにしよう。

栗川:じゃあお一人5000円でよろしく。[03:02:18]

(支払いについて)

[03:03:15]

黛:あ、山口さんさ、こんど佐渡に遊びに来て。うちね、去年の暮さ、もらったうちがあるんよ。もう住む人がいないからってくれるんよ、ただで。

山口:うちの場合、お祖父ちゃん死んで、住まないと***(03:03:33)ばーちゃんに言われて。

栗川:いたるところに住む場所がある。

黛:いや、住まなくてもいいんだ。遊びに来てもさ、泊まるところはあるからって。そうそう、ただで泊るところがある。
 ほいでね、先客3名さままでは、夏場遊びにくると、これぐらいのアワビをとってあげる。

ようこ:それはすばらしい。

栗川:先着3名最高の夏休みになりますね。

黛:うん、サザエなんかごろごろしてるけどさ、基本的にはとらないことにして、まあ自分で食べるぐらいね、そっととってるんだけどさ。

立岩:宿根木にはちょっと、ちょっと事情は言いませんけど、まあなんばんかおもしろい、おもしろいっていうか、いい感じだなって。もともとなんかね、ほんとに小っちゃい島の限られたとこだから、すごい密集したところでもある。おもしろいとこですね。

黛:でもそういう意味じゃね、そういうので、もう宿根木はでももう、あそこの集落はほとんどみんな死に絶えちゃっていて、空き家ばっかりですよね。でもね、ああいう感じで集落残ってんのは、おれが往診に行ってるところでは、大川。大川って。[03:05:08]

立岩:大川はうちのお母さん、そこの分校の教員でした。ぼくだから、けっこう休みの日とか…。昔の教員ってけっこう宿直みたいなのあったんです。日直みたいなのあって、で、親に連れられて、大川の、大川分校行って、なんかこう誰もいない校舎で遊びました。

黛:うんうん。

立岩:大川もいいとこですよね。

黛:大川もいいとこ、いいとこだけどね、おれは住みたいと思わない、あそこは。

立岩:そうですか。何でですか?

黛:いやだってさ、あそこはね、ぎゅぎゅってこうきつすぎる、人間関係が。ねえ、とてもおれなんか入れない。宿根木もまあ半分それがあったんだろうと思う。

立岩:宿根木だってじゅうぶん密集してるでしょ。

黛:いや、宿根木はさ、おれ天皇制反対で入ったから。

立岩:やばいっすよ、それはやばい。

黛:そのTシャツ着てたらやっぱだめだって。

立岩:配慮してくださいよ、相当に。

黛:いや、だってどうせわかるんだからさ。2、3年住めばわかるんだがなあと思って、それで入ったんだ。そしたらさ、「おめえさん悪い人じゃねえけども、これじゃあなあ」って言われてさ(笑)。

立岩:ぼくでもそう言いますよ。

黛:でもね、

立岩:そっか、大川なんで大川知ってんですか?

黛:大川? 大川はね、新潟にいたころの障害児の親の実家があって、でそこを中心になってね、ちょっと年寄りの人を何人か集めて、そこに行ってるんだけども。

立岩:いやあ、みんな好き好き勝手に生きてくわけだから、止めやしませんけど。いやあ、夏休みに***(03:07:13)ぐらい行って、田んぼやる***(03:07:15)。

黛:でもあれだよ、立岩さんもさ、ほんと大学の教授辞めたあとを考えておかないとあれだよ、苦労するよ。

立岩:あのね、それはじゅうぶん京都のなかでも田舎なんですよ。そこが【みそです】(03:07:32)。ぼくはね、けっきょく、ちょっとおっきい街でも土がないとだめな人。そこはちょっと囚われてます。囚われてんですよ。ぼくはいいことだとはべつに思ってなくて、黛さんみたいに。ぼくは、***(03:07:50)好きなだけなんですよ。今はちゃんとそういうとこ行って。

黛:でもさ、男はね、男ってね、意外とこういう地域社会に入るのがへたくそでさ。ほいで、とくにね大学の先生なんかやった人っていうのはね、佐渡で見てても***(03:08:06)さ、浮いちゃって。

立岩:あえていうと、ぼくはその、となりと仲良くなるのあんまり***(03:08:13)くて、みんながいうほど京都の人を愛してるわけじゃないし。京都人ってのはいけずで、あのね、そこまで言うかな、っていうのはほんとは思ってる。そんなに【言われたんじゃない】(03:08:26)っていう、けど、そんな仲良くするつもりはないんだけど、京都ってやっぱりそこそこおっきい街じゃないですか。病人と障害者が山ほどいて、それこそなんか、友だちとは言いませんけど、知り合い? 必要じゅうぶんなんです。ぜんぜんなんていうの、人間関係濃すぎて、なんかもう、もうなんか***(03:08:53)それはたぶん死ぬまでは大丈夫です。なんかもうもっと山奥に隠居したいってなるかも。
 はい、何の話だったでしょう。
 この新潟の二人って何かそういう、田園に対する***(03:09:30)がありますか?

ようこ:ん? 何に対する?

立岩:田んぼ畑。***(03:09:31)。

栗川:***(03:09:35)だよね。

ようこ:***(03:09:33)。

立岩:***(03:09:38)

ようこ:ああ、でも土地があればいろいろやりたいなとは思うけど、土地がないから。

栗川:土地がないからね。

立岩:ああ、畑の話で終わるとは思わなかったとも言えるし、案の定って感じもするし、***(03:09:57)だな。
 、まあそんな、はい。こっからどういうふうに移動をするんですか? [03:10:07]

(栗川宅までの経路について等)

[03:11:18]

黛:アワビはね、いるところってのがあるんよ。だから、2、3個であれば毎年とれる。それ以上とったら漁師さんに申し訳ないからっていって、うちのおくさんがとらせない。

栗川:もう拾う感じでとれてるんですか?

黛:そりゃサザエはね。

山口:サザエは***(03:11:44)。アワビはテトラにはあんまり。

ようこ:アワビは先生が潜ってとるんですか?

黛:うん、潜って。

山口:岩場とかにいるんですか?

黛:うーんとね、佐渡はテトラポット。その場所だよね、うん。だから、こういう水がこう湧いてくるような場所があるんだろうね、アワビに適した。

栗川:ああ、ただの海水だけじゃなくてね。

黛:そこはね、2年に1回ぐらい行くと、必ずおっきなアワビがいるから。そういう場所を何か所かさ知っていると、いいね。
 そっか、立岩さん長男か。

立岩:長男ですよ、いちおう。

黛:佐渡へ帰っておいで。いいよ、いいとこだよ。おれが言うのもおかしいけれど。立岩さん帰ってきたらおれ沖縄行くからさ。

立岩:沖縄行く?

黛:うん。おれは最終的には沖縄のほうが酔っぱらっても凍死しなくていいかなと思って。

立岩:ああ、それはあるよね。おれ松本いたけど、松本って年に二人ぐらい酔っ払いが。酔っ払いが凍死するんです。

黛:寒いでしょ、ねえ。

立岩:それはないね、沖縄。

黛:沖縄いいなと思ってんだけど。最初おれ、佐渡はさ、ちょこっといて、沖縄行く予定だったんよ。それが、

栗川:長くなりました。

黛:うん、長くなって、家まで押し付けられたからさ。

立岩:***(03:1:24)なんで佐渡いくかなってその時も思いましたし、今でもほんと思ってますよ。やれやれ。
 いやあ、まあありがたいですよ、おれは。佐渡のじいさんばあさんをみてくれてんのはさ、それはありがたいですよ。

黛:じいさんばあさんおれ診てたってさ、行く必要ないよ、って言ったってさ、佐渡病院ちゃんと行く人は行ってるしさ。ね。ほいでさ、ひどいのはさ、佐渡病院がね、地域の中核病院になってないわけよ。

立岩:あ、そうですか。

黛:うん。だってさ、あそこはね、新潟大学のさ卒業したての若い医者さ、それがさバイト先に交代で行ってるわけ。だからね、あれはねどうにかしないとやっぱりまずいなっていうかな、やっぱりちゃんと中核病院としてのね、きちんと「これだけのことはやれる」っていうことをね、していかないとだめだなと思うけど。

立岩:それはちょっとうちの親たちもずっとじゃないけどしばらくお世話になってきたから、何となくその感じはわからなくもない。

黛:まあ確かにね、行かなくてもいい人が半分以上行ってるのは確かなんだけども、でもきちんとさ、中核病院としてのこういう役割を果たさないとだめだなと。だからそのためにやっぱり、行政・政治が動かないと。

立岩:それはそれでわかる。そうね、佐渡病院、そうね。昔はその、両津病院とかあったんですよ、うちの近くにその。ほとんど今は***(03:15:07)。うちの母親なんかは最後、ちょっと手前ぐらいそこにいたんだけど、「えー、今こんな感じなんだ」って思いましたよね。[03:15:16]

黛:おれね、これ、今回のでさ、昔のなんかこういういろいろ自分の書いたやつをさ、こう調べていてね、そしたらね、おれが佐渡に来た時にさ、佐渡に最初に来た時にね、佐渡病院に勤めるとか、そういうかたちで医者になったらっちゅう、そういうふうにまわりの人から言われたみたいなんだよ。でもさ、いや、おれが勤めちゃうと、たとえばおれが整形外科に勤めたら、整形外科の医者が一人来なくなる、新潟からね。来なくなるから、やっぱりそれはまずいんで、やっぱり今来てるんだったら定期的に来てくれたほうがいいだろうから、おれはそうじゃなくって開業するんだ、っていうふうに書いた文章が出てきたわけ。

立岩:殊勝な文章があるわけ。

黛:ねえ。そんな殊勝なことを考えていた時期もあんのかなと思ってさ。

立岩:佐渡に移ったって何年なんですか?

黛:うーんとね、2020…、20年からうちの家族が来たわけ。介護保険がスタートする時に。その2、3年前に、

立岩:2000年だよ。2000年でいいんだよね。

黛:ほいでね、その2、3年前にほんとは佐渡に宿根木に入ろうかと思って、その3年ぐらい前に宿根木に単身で来てるの。だけれども、その天皇制反対が祟って(笑)。
 でもじいさんばあさんとも仲良くなったんよ。

立岩:それはわかりますけど。まあいいや。おれ、でもつったら、ああいいわ。ノーコメントです。

黛:ほいでさ、それおもしろいんよ。宿根木のばあさんがね、虫にくわれたからつってさ、ほいで、おれ、まあ虫刺されにはふつう、まあこの薬だけではないんだけれども、まあとにかく痒いのを抑えるのをさ、ある薬出した。リンデロンっていうのね、薬を出したわけ。そしたらさ、そのばあさんうちへ帰ってさ、「この薬うちにありましたわ」って。佐渡病院からもらってって、返しにきてくれてさ。そういう関係だったんよ。

立岩:でも、ほんとのこと言うと、だから、ほんとに原稿書くだけの仕事って、今、佐渡であろうと南極であろうと、ネットさへつながってりゃどこでもできちゃう。そういう意味で言えば、ほんとはどこでもいいんです。だけど、けっきょくおれこないだ、すごいちょっと…。この二人は知ってるかもしんないけど、学校辞めようと思って、けっこうまじめに考えてんだんだけど。
 自分の一人で仕事をするんだったら、正直京都でなくてもどこでもいいんだけど、ものが置いてある、今日もらう、新潟の資料にしても、ぜんぶなんかネットでっていうわけには。とにかく物質として置くわけじゃないですか。それを今集めて整理してやってるのぼくなんですけど、たぶん10年ぐらい経たないとそれを伝承できない。それはですよ。で、そこに、けんかわかれすると、まあちょっとやばくなるじゃないですか。それと、人間、のそういう積み重ね。山口さんとかいて、***(03:19:04)そう簡単に辞められないなあって思ったんです。一週間ぐらいかけて、毎日酒飲んで、毎日一升酒飲んで、おれこんなに酒飲めるんだっていって、酒飲みながら考えるんですけど、これはね、辞めるのはそう簡単に…、って思ったんですよね。なんで、

黛:それとね、大学の先生もそうだけどさ、と思うけれども、まあおれ医者も最近そうだなと思うんだけどさ、おれがさ、「お医者さまでございます」って言って、佐渡病院だとかさ、松ヶ崎診療院に勤めていると、医者として見てくれるんだよね。でさ、おれはふつうの人間的な付き合いをするなかでその医療を生かしていきたいからっていうことで、今、佐渡では最初そういうふうに、だから最初から天皇制反対でさ。[03:20:00]

立岩:「だから」がよくわかんないっすよ、ほんとのこと言うと。まあわかったことにしよう。

黛:それね、おれはこういう人間でね、

立岩:最初から言おうって。

黛:でね、医療でできること、できないことってのもあるしね。で、医療でまあ必要な治療があれば、どっか検査あればね、佐渡病院行けばいいさ、っていう、そういう入り方をしたらね、医者として見てくれない、はっきり言って、だれも。
 だから、それはね、立岩さんだってそうだけどさ、「大学の先生です」って言うとさ、それなりのさ、あれ、まわりがそういうふうにして評価してくれるわけよ。ふつうの人として入るとさ、

立岩:そうかもしんないけど、だって大学の先生なんて佐渡で何の役にも立ちゃあしない。

黛:そうだよ。うん。だからさ、

立岩:だから変な人ってのはあるかもしんないけど、だからどうってことないですよ。だって医者なんかでも、何だかんだいって、ちっとは役に立つわけですよ。それはそうだよ、だって、佐渡病院でもらった薬と同じ薬かもしんないけど出してあげたりとか。社会学者なんてそういう意味で言えば何の役にも立ちゃしない。

黛:いや、だからさ、サービス業であるさ医者だとか大学の先生ちゅうのはさ、それは、これで食ってけるようなもんよ。

立岩:だから、だけど、そういうことでいうと、だからおれ、だいぶ前からなんか小木のじいちゃんばあちゃんの前でしゃべれって言った時に、いや、それは無理だと。いや、なんか小木のじいちゃんばあちゃんの前でしゃべる話芸を私は持ってない。今も持ってないけどさ。だからもうそれはもう人生…、私の人生で最も思い出すかぎり最も不可能な、一生に***(03:21:45)。まあ***(03:21:46)だけど、なんだろ、それはもうその場その場なんだよ。やっぱり、おれは今でもその小木のじいちゃんばあちゃんになんか伝えるっていうか、そのまま商品化した言葉をぼくは持ってないと思うから。いや、それはそれでなんかもう違う場所で商売するしかね、ぼくはね。
 でも、いや、まあ黛さんは何だかんだいって医者って認めてもらえるといっても、とはいっても、まあまあかつかつ食えるぐらい、田んぼがやれるぐらい何とかなってるみたいな。そこが違う。
 私だって、私島に帰ったってなんの商品価値もない。あ、でも、そう。だからもうその***(03:22:33)で生計をっていうんじゃなくてね、消費者だけで、生産者としてはネットでっていうのはあるかもしんない。
 何の話をしてんだろ。わかんないけど、まあそれぐらいぼくも、けっこう考えてたんですよ。だから、なんか今回のこととか、地元、たぶんぼくは京都の***(03:23:01)で畑をしながら暮らしてくんだと思うな。
 黛さんでも、たまに、たしか今ぜんぜん外にあまり出ない感じ?

黛:外は…。うん、あんまり、なるべく出ないようにしてる。ていうのは、だからね、日曜だとかさ毎週佐渡なんか…、あ、新潟なんかに出てるとさ、この人は佐渡に住むつもりなくってさ片手間で来てるんだな、って思われちゃうからね。それは確かにある。

立岩:そうか、まあ…。あでも、ちょっと久しぶりに。いやだからぼくほんとに2019年の11月に栗川さんに段取ってもらって新潟に行って、その次の月かな、4月17日***(03:23:52)。それが最後で、そのあとコロナになったでしょ。だから2年半ぐらいどっこにも行かなくて、でもそれが、今回がそのあとの、***(03:24:00)最初の出張みたいな。
 やっぱそこそこ疲れるね。やっぱ東京、ふつうに疲れる。でも、ぼくは都会は好き、嫌いじゃない、それなりに。いろいろ細かくて。

黛:だって人をそんなに好きじゃないって言ったじゃん。

立岩:好きじゃないけど、だけど好きじゃないからいっぱいいてもいなくてもべつにどうでもいいやって。

黛:もうさっき出ろって。

栗川:今日はこれぐらいで。

立岩:じゃあ明日はもう、ぼくは明日働かないからね。ぼく今日ちょっと働いた。

栗川:明日は山口さんに***(03:25:00)。
 じゃあ明日9時に総合福祉会館407でよろしく。

[03:25:05]
音声終了


UP:20220821 REV:
黛 正  ◇新潟県における障害者運動/自立生活運動  ◇声の記録(インタビュー記録他)  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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