HOME > Archives

五反田 法行さんへのインタビュー

2022/05/20 聞き手:田場 太基 場所:ZOOM

Tweet
last update: 20220610

■インタビュー概要

五反田法行さんへのインタビュー
実施日:2022年5月20日金曜日 15:00-15:40   於:Zoom
話し手: 五反田法行 ごたんだ のりゆき (自立支援センター おおいた 職員)
聞き手:田場 太基

■本文

田場
宜しくお願いします。まず、五反田さんが別府のCIL、大分のCILに入ることになったきっかけみたいなのって何かあれば教えてほしいです。

五反田 
自分がこのCILに出会ったきっかけが、仕事をしたいっていう思いから、女性の当事者スタッフの方がいらっしゃったんですね、ウチ(自立支援センターおおいた)の会社に。元々、自分は、重度障害者センターに暮らして訓練をしてたんですけど、その時に一緒にいた女性なんですが。やっぱり、自分の地元が熊本なんですけど。熊本で仕事を探したいって思っても。やっぱり、仕事をするのであれば、資格を取らないといけないということで、一度埼玉に行ったんですね。

田場
所沢というところですか。もしかすると。

五反田
はい、そうです。所沢です。所沢の職業訓練校に、だいたい1年間くらい、重度障害者センターを出て、行かせて頂いたんですけども。やっぱり、その、関東とかで仕事を探すっていう選択肢もあったんですが、両親が九州にいるので。できたら、九州のどこかで働きたいのと。一番理想は、地元の水俣、熊本の水俣で働きたいっていうのがあったんですが、なかなかいい仕事というか、自分に合った仕事というものが見つからず。また、スポーツ、車椅子バスケとかもちょっとやってたので。できたら仕事をしながらスポーツもしたいなと思ったときに。自分が住んでいる地域から、熊本のチームが練習している場所っていうのが、けっこう、1時間ちょっとくらいかかるんですよね。なので、練習とかって考えたときに、毎週通えないなとかっていうことで、ちょっと地元を諦めようっていうことを、知り合いにお話をしたら、自立支援センターおおいたの職員として働いていた女性の方が。それだったら、仕事しながらバスケとかもできるんじゃないって。一度見学に来てみたらどうですか
って話のきっかけをつくってくれたのが、CILとの出会いだったんですけども。全然、CILの内容っていうのは、そのとき全然分かってなかったんですよね。なので、当事者が実際中心として働いているであったり。ヘルパーさんを使ってるっていうことも知らなかったですし。自分は、このセンターに出会うまでは、自分で何もかもしないといけない。一人で何もかもしないといけないとのことで。埼玉に行っているときは、食事以外は自分で生活を送っていたんですよね。なので、そういった生活を送っている中で、このCILに出会う理念とか、いろんな考えのことを聞かされ、目から鱗ですよね。そういった感じで最初から思っていました。そんな感じのきっかけで入りました。はい。

田場
ありがとうございます。あのですね、この別府重度障害者センターって、2000何年とかに入って、そこで退所してっていうのを覚えてたりしますか。それかCILに入社した年があればちょっと気になるんですけれども。はい、すいません。

五反田
入社したのが、22歳だったっけ。15年前くらい。

田場
じゃあ、2022年から15年前ってことですね。ありがとうございます。

五反田
2006年とか、2007年とか。

田場
そうだったんですね。ありがとうございます。この先程も、話があったんですけども、僕自身、後藤さんもそして米倉さんもそうなんですけれども。けっこう、重度障害者センターっていうのって別府のCIL活動をする中で、大きな一つの大事な部分なのかなって僕自身話を聞いて思ってて。あとは、米倉さん、仁さんの『車いすの暴れん坊』の本を読んだときにも、国立重度障害者センターの話が出てきたんですけども。重度障害者センターの中っていうのは、五反田さんの話せる範囲で、どんな感じだったんですか。和気あいあいとしてたとか、どういった雰囲気だったんですか。

五反田
元々、重度障害者センターに行くきっかけが、自分の身の回りのことをしたい、やらないといけないという感じで。そこに行くまでが、高校2年生のときに怪我したので、復学したいという思いで地元に帰ったんだけれども、自分で身の回りのことができなかったんですよね。食事することであったり、トイレすることであったり。お風呂とかもですよね。自分で車椅子に乗ることもできなかったので、そんな生活を送ってたら、やっぱり、両親に迷惑かけて、実際甘えっぱなしになると、学校に行っても自分の姿が惨めになるじゃないけど。やっぱこう、色んな人の同じ同級生とかと過ごしたい理想っていうのは、自分の元々の高校生活に戻りたいっていう理想が出てきたりして。なんでこんな姿になったんだろうと思ってしまうんじゃないかなって思ったんです。なので、復学、もしするんであれば、身の回りのことが自分でできて、自分なりに動けるようになってからすればいいかなと思って、重度障害者センターに行ったんですが。重度障害者センターに入るのも、色んな諦めてた思いがそのときは強かったんですよ。例えば、自動車免許を取ることであったり、結婚することであったり、子供つくることであったり、本当、色んなことを諦めてた時期に、同じ障害のある方が、リハビリとか訓練をすることによって、なんか可能性が広がるよみたいな。本当かなみたいな。疑問を持ちつつ行ったら、同じような障害はもちろんなんですけど、けっこう電動車椅子に乗られている方もいらっしゃって。あれ、この方って自分よりも障害の程度が重いんじゃないかなって。その方々たちの顔を見ると、すごい笑顔なんですよね。楽しんでるんですよね。なんでこの人たちこんなに楽しんでいるのかなと思ったときに、やっぱりこう、同じ障害があって会話ができるっていうのがひとつですし、そこで働いている職員の人たちって、やっぱり自分のたちの障害のことをすごく理解してくれて。なので共感して頂いてたので、共感して頂けると、こっちも安心するというか。なんか全部分かってくれてるというか、はい。そういった瞬間がけっこう、幾つかあってですね。ここで頑張れるなって思いになり、また日々の生活を送る中でも、できることがどんどん増えてくるんですよね。そうなるとやっぱ自分のこれチャレンジしてみようとかに思い、色んな障害のある仲間たちも、応援してくれるんですよね。「お前、ここまでできたんや、すげーな」みたいな。「すげーでしょ」みたいなところから活力になったりとか。なんかそういった感じだったので、すごく和気あいあいしながら、生活を、雰囲気としたら送れていたのかなと。でも、やっぱりできることが増えると欲求もどんどん上がってくるんですよね。自由になると、色んな場面でチャレンジしたいとかが芽生えてきて。例えば、外出することもひとつなんですけども。外に出て行って行きたい、もっと楽しみたいってなるんだけど。けっこう門限があったりとかね。

田場9:01
はいはい。けっこう、ここは厳しいですか、門限みたいなものは。

五反田
厳しいというか、(午後)9時までに帰ってきてねというか。外に出て、一緒に仲間と呑んだりとかとしても、9時までに帰らないといけないので、タクシーを8時半すぎに呼んだりとかして、じゃあ、帰ろっかみたいなこともやったりとかしましたし。食事に関しても、もちろん美味しいんですけど、ふと食べたいものが出てくるじゃないですか。ときには、カップラーメン食べたいとか、焼きそば食べたいみたいな。なかなかね、それって、食べれなかったりするんだけど、やっぱり、リスクを冒して自分で動けたら、やるようになるんですよね。お湯を入れ、どうにか膝に乗せて持っていってというね。なんか自然にそういった生活を送るようになったら、危ないけどやってみないと分かんないし。やっぱ、実際危なかったこともあったりするんですけど。またそれから気をつけるみたいな。そういった自由の中でも楽しみを見つけながら。自分が重度障害者センターに入ってみて一つ変わったのが、今までお酒が禁止だったんですよね。特例施設、規則というかですね。しかし、ラウンジにお酒が飲めるスペースもできて、お酒を提供できるようになったんですね。なので、自分より前に入った人たちっていうのは、お酒を飲めん。スタッフさんにバレるといったですね。そういった自由の中があるように見えて、やっぱり中には、施設のルールというのがあるので、そこをうまく。なんと言うんですかね、うまく守りつつやっていかなければいけないのかなあと思ったんですけども。まあでも、それがあったからこそ、やっぱこう、一人暮らしをしたいという思いに繋がっているのかなと。それがなかったら、別にね、家とかであれば自由に生活が送れていたり、食べたいもんも、もしかしたら食べてたりとか、そういった思いにならなかったのかなと、感じています。

田場
はい、ありがとうございます。あの高校2年生のときに怪我を負った17歳のときに、そのま別府の重度障害者センターに入られたかたちですか。若い、まだ10代の時に入った感じですか。

五反田
17で怪我して、父の地元の病院に行ったんですけど、そこは専門じゃなかったので、熊本の八代というところに行ってくださいというふうに言われ、そこに搬送されたんですけど。まあ、2週間ほど居たんですが、自分の当時その3歳上の先輩に、同じ首ではないんですけど、脊髄損傷で腰をやった方で、車椅子の方がいらっしゃったんですよね。その方が福岡の脊損センター、福岡の飯塚にあるセンターを教えてくれたんです。そこを紹介して頂き、そこが専門の病院なので、重度障害者センターのような感じで、障害のことを知っていて。そこも受け入れとして、7ヶ月行って、その後、復学したいなと思って、地元に帰るんですが、中々学校が難しいなと思ったので、重度障害者センターに来たというかたちで。

田場
そうだったんですね、ありがとうございます。すごい貴重な話聞けました。あのですね、やっぱり、重度障害者センターの周りって、坂が多いし、一人で外出するとなると、けっこうリスクを伴うっていう話を前もこの聞いたんですけども。最初、よし自分で外に出てみようとか、慣れるまでのテクニックというか、そういったときに何かしらの気持ちって覚えてる範囲であったりしますか。

五反田
自分の場合は、自分で外に出ようという選択肢がなかったんですよね。まず、一人だったら、車椅子から落ちるんじゃないかっていう心配。外出しようと思っても、別府だったら下り坂が多いので、まずそこから重度障害者センターに自分から出ようという選択肢がなかったんですよね。となると、何が選択肢として出てくるかと言ったら、福祉タクシーになるんですけど。別府ではそれを使えるので、それを活用しながら、はじめの頃は行ってたんですけど。同じような仲間がコンビニ行ったという話を聞いて、あの下り坂降って一人で行ったん?みたいな。そういったことを聞いたときに、どうやって行くんだろうと聞いたら。なんか道があるんですよね。比較的行きやすいような道みたいな。自分は、玄関の入り口側の、この道路無理や、と思ってたんですけど。裏から行ったらけっこう行きやすいよとか、なんかそういった情報を聞きながら、下のコンビニまで初めて行ったという感じなので。一人で行ったことはなくて、同じような障害のある人が一緒に行って出かけたかなあという場面があるんですけど。やっぱ、車椅子同士で出かけるんだけど。一個、例えば、段差とかで引っかかったりしても、同じ障害があるので、助けようにも助けられないみたいな。となると、そのときに通りすがったお兄さんとかお姉さんとか、通りすがりの人が、「どうしました?大丈夫ですか」みたいな。なんかそのときに、別府の人って慣れているのか分かんないんですけど、気軽に声をかけてくれるんですよね。これって、中々、地元(熊本・水俣)でなかったことかなと。そういった感触を受けたので、別府ってあたたかいまちなんだなというのを感じた瞬間というのが、外出をしててあったのかなと思います。

田場
ありがとうございます。外出するときって行きつけのお店とかってあったりしたんですか。行きつけのお店ってあったりしないですか。別府市というか別府駅周辺で。

五反田
居酒屋のこいのぼりっていうお店があるんですけど、そこが、重度センターの中では、行きつけのお店。バリアフリーだったり、トイレもあるという。その当時は、そういった情報があって。あとは、焼肉屋さんとか、(焼肉)かねだ。そういったところにはよく行ってたかなと。

田場
ありがとうございます。こいのぼりとか、かねだって今でもやられてるお店ですよね。

五反田
こいのぼりは場所が移転したんですけど今でも続いていますね。


田場
どこに移転したんですか。

五反田
駅近くです。

田場
駅近くなんですね、はい、はい。ありがとうございます。そうですよね、この障害のある人がどんどんまちに出ることで、周りの環境というのも少しずつ。まあ、物理的なバリアフリーだったら、そこも少しずつ変わってくると思うんですけども。先ほど五反田さんが仰っていた人のあたたかさというのも、以前もやっぱりですね、後藤さんとお話したときに同じことを仰っていたんですよね。その背景には、太陽の家というのが元々あって。サポートする、受け入れる、もてなす。何かあったときに手を差し伸べるということに慣れていらっしゃる方も多いのもあるんじゃないかっていうのも(後藤さんの方から)お伺いしたんですけれども。五反田さんが、所沢に行って、別府に戻って来るってなったときに、別府に戻ってきたいとか、重度障害者センターで過ごした、別府で過ごした期間が忘れられないなとか、そういった強い思いいれってあったりしましたか。

五反田
そうですね。もちろん知り合いの女性の方が声をかけてくれたっていうのが、一番のきっかけではあるんですが。やっぱり、重度障害者センターにいた経緯があるのもひとつですし、太陽の家とかで車椅子バスケもしてるんですけど。太陽の家のチームの中にメンバーがいて。チームのメンバーの中によくしてもらった先輩がいらっしゃるんですね。そういった同じような障害のある方たちのおかげも、おかげというか。戻って来てもいいよ的な雰囲気。言葉では言われないんですけど、安心して帰ってこれるみたいな。そういった感じがひとつだったり。そのときに、(重度障害者センターで)関わった職員さんたちも連絡先も今でも知っている中で、不安になったとき、なんかあったときには近くにいるので。相談しやすいのかなと。当事者の人たちと出会う機会っていうのも別府ならではかなと。やっぱ、埼玉にいるときには、もちろん(所沢の)訓練校の中では(障害のある人を)見る機会は多いんですけど、一歩、外に出て、電車とか乗ると、中々見る機会がないですよね。でも、お店とか、別府でいったらマックとかもそうですし、ゆめタウンとかもそうですけど、(障害のある)知り合いが近くにいるんだなという思い込みもありつつ、こういった車椅子の方が出て行きやすい(別府の)まちなんだなと、別府に来て改めて感じたのかなというのがありますね。

田場
そうだったんですね。ありがとうございます。あとひとつ、これ面白いなと思ったのが、CILの職員のほとんどの方々が別府市外から集まっているというのは面白いポイントだなと思っていて。五反田さんも熊本の水俣から来られたということなんですけども。後藤さんも宮崎からということもお伺いしてて。米倉さんも福岡からですよね。けっこう別府って、集まってつながる場所なんだなとすごく感じているんですよね。五反田さんのお知り合いの中でも、当事者の中で、別府に移住してきた方たちっていたりしますか。

五反田
そうですね。太陽の家で同じバスケチームの仲間には、四国の方だったり、もちろん宮崎の方いらっしゃったり。けっこう県外の方は何人かいますね、同じバスケチームの仲間で。それっていうのは、太陽の家があるのでそこに集まっているというのがひとつあるのかもしれませんが。けっこう、面白いというのか、太陽の家って有名なだけあって。お店とかで(車椅子で)すれ違ったときに、「兄ちゃん頑張ってるね」って何言われるのかなと思ったら、「太陽の家の人かね?」みたいな。「いや太陽の家の人じゃないんですよね」って言う機会が結構あるんですよね。車椅子イコール太陽の家って思われがちですね。別府にいると。

田場
そうなんですね、はい、はい。

五反田
なので、「自立支援センターおおいたですよ」って言っても、まだピンと来ない方は多くいらっしゃるので、いずれはですね、自立支援センターおおいたと聞いて、ああ、あの活動をしている会社なのかっていうのは今後の目標ではありますよね。

田場
そうですね、太陽の家でやられていることと自立支援センターおおいたでやられていることって、両者共々けっこう違うじゃないですか、方向性が。そこでやっぱり、何かしら、別府のCILが取り組んでいるバリアフリー観光だったりあると思うんですけど、そこで認知してくださる方も増えて来るのかなあと思いますので。もっともっと増えていってほしいなというのと、そこを語られていなかった部分も多くあると思っていて。自立支援センターおおいたのことを考えたとき、米倉仁さんが立ち上げてそこから色んな人たちが集まって、今活動してますよっていうのを何かしら伝える必要性というのもあるんだろうな思ってて。今回、五反田さんに色々、お話を伺っている次第なんですけども。2022年に設立20周年になるというのもお伺いしたんですけども。今回、支援センターおおいたの人たちが集まる場所が、偶然なのかもしれないんですけど、別府重度障害者センターでのきっかけって大事なのかなと思い、(五反田さんに)お話を伺ったんですけども。あとひとつ、温泉にちなんだリハビリだったり、訓練みたいなものって聞いたことあったりしますか。この、温泉と障害者、リハビリみたいな。僕そこ気になっていて。

五反田
そうですね。温泉療法

田場
リハビリで温泉って、別府ならではのことってあったりしますか。

五反田
そうですね、正直、リハビリ時期には温泉という選択肢がないですし、温泉を使ってなんかしているといった経緯は自分の経験上では、正直ないですかね。

田場
はい、ありがとうございます。先ほども所沢とか太陽の家とかお話があったと思うんですけども。あの、所沢での職業訓練ってどういった感じだったんですか。所沢にいたときに、訓練というかあったら、共有して頂きたいです。


五反田
所沢では色々選択肢があって。何の資格を取るのかといったところから、機械系の資格であったり、商業系の資格であったり、色んな資格を取る科がありまして。自分の場合は、ビジネスなんちゃら科だったかな。例えば、簿記とかの資格を取ったり、パソコンではワープロ検定とかエクセルとか。そういった感じの資格を取る科がありまして。まあ、そのもちろん、午前中と午後に訓練が分かれているんですよね。確か、8時50分までにそこの場所に行って自分の机があるのでそこに座って、先生の話を聞いたり問題を解いたりとかっていう時間があり。また、パソコンの時間がきたらパソコンに移って。時間内に資料を作ってねって、作らされたりしてて。それが午前と午後やってたかなという訓練をする中で。朝昼夜ごはんも出てたし、やっぱり夜の時間が空くので。夜の時間は何をしてたんかってなったら、友達とかと話したり、飲みに出かけたりもしましたし。やっぱり曜日によっては、マラソンをする時間であったりとかにあてて、生活を送ってましたね。

田場
そこで所沢のところでだいたい1年間でしたよね?

五反田
はい、1年間ですね。

田場
ありがとうございます。スポーツをされてたということなんですけども、車椅子バスケット以外やられてたことってありますか。

五反田
車椅子バスケ以外?

田場
はい


五反田
車椅子マラソン

田場
はいはい、車椅子マラソンは別の車椅子に移乗して走る用の車椅子でやるんですよね。

五反田
はい、そうですね。

田場
ありがとうございます。

五反田
もう一個あの、所沢では、車椅子ラグビーというのを初めて知ったんですよ。

田場
はいはい

五反田
自分もさせてもらったんですけど、けっこう車椅子ラグビーってバスケに比べて衝撃が半端ないんですよね。見たことあります?車椅子ラグビーって。

田場
僕、車椅子ラグビーはないですね、はい。

五反田
ないですか。

田場
はい。

五反田
パラリンピックとかで、成績を残したりとかは東京であったんですけど。結構、激しくて、車椅子ラグビーは自分には無理やと思った瞬間だったので。車椅子ラグビーはやめて、マラソンとバスケットだけにしようと思って。

田場
そうだったんですね。

五反田
そんな生活でしたね。

田場
ありがとうございます。僕自身も一度、車椅子バスケットさせてもらったことがあるんですけども、漕ぎきれないので、真っ直ぐ。やっぱり僕自身も右手が上手いように動くわけではないので、けっこう苦労しますよね。この最初、出だしというか。ボールも持ちきれないですし。今でもどれくらいやられてますか。週にとりあえず1回は、太陽の家の体育館でやる感じですか。

五反田
そうですね、コロナ禍前だったら、週1回土曜日にバスケットをする機会があったんですけども。今コロナ禍なので、中々こう集まってスポーツをするという機会ができなくて。集まれていないのが現状ですね。体育館を使わせてもらえないということもあるんですけども。

田場
ありがとうございます。とりあえず今日はこういったところでお話を止めさせて頂きます。ありがとうございました。

五反田
ありがとうございました。
UP:20220610
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)