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大野直之氏インタビュー・2

20220519 聞き手:立岩真也 

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大野 直之
生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築

大野 直之 i2022a インタビュー・1 2022/05/19 聞き手:立岩真也 於:全国障害者介護制度保障協議会・全国ホームヘルパー広域自薦登録協会事務所(東京都・小平市)
大野 直之 i2022b インタビュー・2 2022/05/19 聞き手:立岩真也 於:全国障害者介護制度保障協議会・全国ホームヘルパー広域自薦登録協会事務所(東京都・小平市)(本頁)

◇文字起こし:ココペリ121 20220519大野1424(96分)
〜このように表現しています〜
・タイムレコード:[hh:mm:ss]
・聞き取れなかった箇所:***(hh:mm:ss)
・聞き取りが怪しい箇所:【○○】(hh:mm:ss)
・漢字のわからない人名・固有名詞はカタカナ表記にしています。


 ※以下の2つに分けた記録の2です。1は↓
大野 直之 i2022a インタビュー・1 2022/05/19 聞き手:立岩真也 於:全国障害者介護制度保障協議会・全国ホームヘルパー広域自薦登録協会事務所(東京都・小平市)



立岩:ああ。そっか、最初はメディアか行政かだけど、東京に1年いる間にそれだけでもないかも的な感じにはなってきたってことか。

大野:ええ、ええ。まあその93年に来たら、東久留米と田無24時間に。

立岩:うん、93年に来たってことやね。[00:40:02]

大野:4月に東久留米、5月に田無で24時間介護保障できちゃったんで。で、それを記事に書いて全国の障害団体が配んなきゃというのをやったりして。まあ北ヨーロッパだと何年…、100年以上かけてやっとできましたっていうのが、ポンとできた、それもなんか当時みんな大学出た人ひとりもおらんような団体が、国の資料とか都庁の資料をぜんぶ緻密に調べて、作戦たてて行政と交渉して、行政をだまくらかすようにとってきたみたいな、そのやり方っていうのは当時世界初で、これは、このやり方がヘルパーの国庫補助使ってるから、田舎の自治体で同じことできるから、これでやったほうが早いんじゃないかっていうのはあったんですよ。
 で、まあノウハウを知らせるための機関誌をばんばん印刷して、40ページぐらいのやつ毎月作って、全国にただで配りまく…、第三種郵便で送りまくって、で反応してくれる団体には継続的にアプローチするためにフリーダイアルとかを自腹で提供して相談にのって。

立岩:はいはいはいはい。そのころからぼくも多少そういう、今も大野さんやってるようなこと、知りだしたんかな。その話なんだけど、93年って所属っていうかさ、それはどういう変遷をたどるっていうか。

大野:えーっと、金もらってるのは自立企画で、はい。

立岩:自立企画から金もらってた時期がある。

大野:介護はそこの利用者さん。

立岩:自立生活企画の介護をやってた。

大野:運転したり介護したりで、週に3日ぐらいそれで働いて、学生並みの収入はあったんで、あとは季節労働者が住むような4畳半のぜんぶ共同みたいなところに、風呂無しのところに、風呂は風呂屋に行くとか、介護先で入るとかして。まあでもほとんど事務所にいて話を聞いたり資料を読んだりしてたので、まあ生活費ぎりぎりで。あとまあ高知に帰るときに片道4万円とか当時かかってたんで、あと電話代が当時3分450円ぐらいで。

立岩:そうだよね(笑)、昔電話高かったよね。

大野:それをフリーダイアルで、フリーダイアルで自腹切って。

立岩:自立生活企画のお金は、いつからいつまでもろてたの?

大野:それはいつまでだったかな。えーっとね、介護は、入っていた人が徐々に亡くなっていくたびに抜けるんですけど、亡くなるまで入ったから、あの、なだらかに減ってる感じですね。

立岩:最初はおもには収入は介護、まあ運転とかも含めたそういう仕事で、まあかつかつ収入を得てっていう感じやったけど、その割合がどんどん減ってったってこと?

大野:そうですね、はい。最初は介護と運転だけで、で途中から立川と田無の間に小平市って空白地帯があったんで、親の会の強い。ここに障害者を呼んでこようぜっていう企画兼その全国団体の事務所を配置しようっていうことになって、小平市花小金井の、田無から近いとこ、事務所を作って…。それが95年夏で。
 ほんでそこで全国から5人ぐらい介護の必要な人を呼んで、事務局職員兼ここに、小平で自立生活してもらって、介護の交渉もしつつ、そのノウハウも仕事に生かしてもらう感じ。で障害者雇用助成金も使う、東京都のえっと振興事業に使うみたいな感じで事務所作って。そしたらそっちから金が出ると、20万ぐらいですけど出る。それプラス介護はまあまだ生きてる、残ってる人だけでスタートしたのが95年ぐらい。

立岩:そん時ってさ、そん時…、そこがよくわかってないんやけど、今の保障協議会につながるような組織っていうか、そういうものは。

大野:はいはい。最初は、田無の事務局が〔全国公的介護保障〕要求者組合の全国の事務局機能を受託して、月4万とか…、年4万か月4万か忘れたけど。

立岩:組合から、組合が金出して、田無の事務局というか、事務所っていうかが受け取って。

大野:電話代行とかをしてた事務作業とか。で、もともとは高橋さんとこにあったやつを、たぶん企画が事務所借りるときに家賃の足しにして、もらったんだと思うんですけど、立川から田無に移ってきたのがあの事務局なんですけど。
 ただまあ入ってくるお金ってみんなの会費だから、100人か200人かわかんないけど、はした金でしかないんで。で、厚労省に集まるときに役員的な田舎の人の交通費とか必要な紙代とか通信費とかを払うと、残りが月に4万円ぐらいしか事務局に入ってなくて。だからまあ全員ボランティアでやるしかない。
 だからまあ逆にボランティアだったから予算の了解も取らずに使って提案して、会議で反対されながらも40ページ機関紙毎月出すっていうのは許可とってもらったりとか(笑)。「ボランティアでやるっていう若者がいるから、いいことでしょ」って「認めてよ」みたいな話を2回3回反対されてながら通したりとか。認められる…、その会議にかけなくていい範囲でできるだけ好きなことやったりとか、フリーダイアルもどうせ通らないから最初は自分でやって。

立岩:いや(笑)、自分でやったって言ったって、フリーやからこっちがかかるわけ、お金がかかるわけでしょ。

大野:そうです、そうです。自分の場合介護で稼いだお金でNTT(エヌティーティー)に3分450円払って。

立岩:ああ(笑)。自分のサラリーから払ってたってこと。

大野:ええ、ええ。それでまあだから会員が増えたから、それで〔組合〕本体から出しても大丈夫でしょ、って交渉を半年とか1年後にしてもらって、益留 〔俊樹〕さんとかにしてもらって(笑)。ほんであの、北区の新田〔勲〕さんとか国立の三井〔絹子〕さんとかが反対するなか、何回かかけて説得してもらって。

立岩:そういうことか。

大野:われわれが、だからようするに、田舎メンバーが突き上げて、益留さんたちを。古い東京の人たちは「そんな甘やかすな」とか「自分で勉強するべきだ」とか「無料で情報もらうなんていかん」みたいななんしか古いで考え方で、東京の古い役員は、われわれの敵なんで。

立岩:それは今に至るなんか対立っていうか、違いかなあと思って。似た話でなんか「もっと自分で苦労して取るもん自分で取ってくんねん」みたいな、そういうノリっていうのを終生持ってたなあって思ってて。それとそのさっきさ、機関紙出したりするのを反対されたっていうのはそういうことなのかな?

大野:そうだと思います。何でも反対するんで。

立岩:(笑)何でも反対すんの?

大野:そうです、あの古い連中が。だからそれをいかにだまくらかして。あまりになんか、こちらも手をかえ何をかえで、事務局にちょっとボランティアに反対してる連中こいや、つって来てもらって、わざとめんどくさい単純作業いっぱいやらせたりとか。事務局することいっぱいあるんだ、大変なんだよ、っていう。

立岩:ああ、ああ、こんなに大変なんやからもっと金入れてもええやん、みたいな? そういう話ですか?

大野:そういうふうに、まあ後半はしたりとか、それ何年か経ったあとですね。最初はだから何するにも反対されないように上手いように言ってもらう、抜け道探してた。

立岩:ああ、そういう構図やったわけか。

大野:ええ、まあだから私が一人でやってたんですよ。最初の2年3年ぐらいは、ほぼほぼ。地方に情報送るっていうのは。

立岩:そうだと思うんだよ。私の認識でもほぼそうで、これ誰やってんねんってったら、たぶん大野、たぶんじゃなくて大野さんがやってるんやろなって思ってて。ようまあこんなこまごましたことが載っている厚い月報っていうか機関紙、ようけ作るなって半ばあきれてましたけど。いやあ、ほぼ自分の発案で自分で仕事して、時には自分も自分で金払ろてみたいな、そいういうことか。

大野:はい、ええ、ええ。印刷とか大変だったし。昔はだからいちおう印刷機があるんだけど、あれに紙を入れてがっこんがっこん刷って。

立岩:こういうやつ、手で動かすやつってこと?

大野:いや、スイッチ押したらジャカジャカやるんですけど、しょっちゅう詰まるんで。

立岩:はいはいはい。そりゃようわかる。ぼくもそういう世代というか、そやったから。

大野:それをでも製本機で製本、カタカタカタカタって製本して、ぜんぶページを40ページ組んで、で帯封をして、で全国の金ももらってないいろんな団体の名簿を集めてきて、そこにどんどん送って。

立岩:最初はもう何、勝手に送るって感じ?

大野:あ、そうです、そうです。

立岩:住所がわかったところに手当たり次第っていうか、可能性がありそうなとこはもうとにかく送るっていう。

大野:そうですね。

立岩:それって何、最初は何個ぐらいで、だんだん増えて何個とか、そういうの何か覚えてらっしゃいます?

大野:いや、ぜんぜん覚えてないですけど、ありとあらゆる団体とか関係だろうと。

立岩:それは何、100の単位?

大野:いや、もちろん1000単位で。

立岩:(笑) 1000部ってこと?

大野:そうですね。だから会員は100とか200とか。

立岩:会員がそんなもんで。

大野:うん。ちゃんと覚えてないっすけど。

立岩:1000。

大野:いやだから徹夜仕事で。夜印刷して朝6時、7時ごろやっと終わって、で郵便局に持っていくっていう。

立岩:三種郵便か。まあ一個一個はそんな金…、でもまあ1000個やったらそれだけでもかかるもんな。それを始めたのが?

大野:えっと93…、93年からですね。

立岩:もう来た年の

大野:来てから2、3か月経ってすぐ。

立岩:ああ、じゃあもうけっこうスタート早かったよね。いやぼくはなんとなく誰かにこう雇われてっていうか、なんかこういうある組織にね、「お前なんかこういうの得意そうやからやったら…」、やらせたというか、やらされたっていうのが始まりなんかなってちょっと思ったんやけど、そうでもないんだね。

大野:だから東京の古い障害者たちをだまくらかし、けんかしつつ、無理くりやったって感じですね。

立岩:じゃあ、独自企画的なもんやね、けっこうね。

大野:そうですね。だから他人の第三種郵便を使って、最初は〔自立生活〕企画の第三者郵便を使って、でそのまま『要求者組合通信』の第3種郵便に移行して。

立岩:そやね、『要求者組合通信』と相乗りじゃないけど、なんかそういう時ありましたよね。

大野:最初のうちはだから許可取れないんで、企画のほうの名義で。

立岩:企画のほうの名義の第三種で、ってこと?

大野:ええ、そうです。

立岩:そのあと、〔全国公的介護保障要求者〕組合の機関紙みたいの体裁の情報にしたってことか。

大野:まあタイトルなんかも、だから一般の人が見てくれないと運動広がらないから、あんまりおどろおどろしい「要求者組合」っていう名はちっちい文字にして、第三種郵便に怒られるぎりぎりの大きさにちっちゃくして。

立岩:それ益留さん今日言うてた。大野に地方の人は組合とか言うと赤だって思われるからそういうのはあかん、って言われたって言ってた。

大野:そうですね、誰も見ないんで、組合なんて。『公的介護保障制度情報』みたいなタイトルにして。

★ 全国障害者介護保障協議会/障害者自立生活・介護制度相談センター
 『公的介護保障情報』→『全国障害者介護制度情報』
 『全国障害者介護制度情報』(1995〜1996):http://www.arsvi.com/0j/0095m.htm
 『全国障害者介護制度情報』:http://www.arsvi.com/0j/0000m.htm
 ※1995年08月号から収録されている。立岩が松本に移ったのは1995年4月。
  2002年4月に立命館大学に移ったのに伴い、信州大学のサーバーにあったものを移動させた。
  初めの数年は各記事を1つずつのファイル(ページ)にしていた。当時のネットの速度がとても遅かったことが関係するかもしれない。
  2007年12月号まで収録されている。障害者自立生活・介護制度相談センターのサイトに掲載されるようになったことに伴い、だと思うが掲載(転載)終了。

立岩:なるほど、なるほど。ぼくもちょっと帰って整理してみますけど、ぼく95年から信州に移ったんで、あのー、それまではけっこう東京に出入りしてたんだけど、松本に引っ込んだっていうか、なので、あんまり直(ちょく)には関わらなくなったんだけど、その代わりに96年から信州大学のサーバーでホームページ始めて。で、それでだんだん、大野さんとこからいっぱいくるじゃないですか。それを最初はなんかねちねちホームページに貼ってたりしてたのが90…、ホームページ始めたのが96年なんですよ。だから翌年とか、97とかかな。しばらくやってましたね。
 ああ。それで、まあ言ったらそうやって最初の年から始めたことを今に至るまでやってるって感じか。

大野:そうですね。

立岩:いちばん簡単にまとめると。

大野:ええ、ええ。だからまあその田舎のほうでわれわれと毎週のようにやりとりして、熊本で24時間公的な制度ができたりとか、松山とか高松にできてったとか、成功例もありますし、まあ16時間しか出ないとか12時間出ないみたいな、まあ全国に大勢の仲間ができて、その関係があるんで、まあ地元に戻るのはやめましょうっていう話に、やっとその話を。

立岩:ああ、そうですよね。ぼくもそれ毎月いただいて、それ、まあ「こんな田舎でも取れました」的な記事がすごい多かったですよね。それは明確な意図があったと思っていて、まあぼくらっていうか、さっきのね北ヨーロッパ、北欧の話じゃないけど、なんかとっても進んだとこじゃないとあきまへんみたいな。「東京やから」って何かと言われるわけじゃないですか。「そうでもないよ」っていうことを言いたくてやってるんやろなっていうことやと思うんですよね。

大野:とくにその日本の場合は左翼が市民運動をやってる人が当時多くって、今もそうですけど。左翼の運動って革新自治体みたいな、都市部の余ったお金を財政のいいところで独自のなんか手当を作りましょうみたいな、ああいう、そのためには共産党と社会党で首長を出しましょうみたいな運動だったじゃないですか。

立岩:そうですね。

大野:で、まあ要求者組合はがちがちの左翼ですけど、当時の人たちは(笑)。われわれは、この24時間介護の運動はそれじゃだめなんで、とりあえず国庫補助だから、国庫補助事業だから全国でできるし、国は「上限なしだ」って言ってるし、なかにはその老人のほうの施策の人(厚労省の官僚)なんかは、4分の1の負担も交付税で裏打ちするからどんどんやれ、っていう人もいたし。だから今までの運動とはぜんぜん違うから、田舎でできるので全国でできるから、周りの人に騙されるなと、「東京だからできるんだよ」「大阪だからできるんだよ」って必ず周りの人が言うけどぜんぶ間違いだからって言って、説得できるような細かい情報の通知から何からぜんぶ載せて送るっていう。

立岩:そんな感じでしたよね。で、その情報そのものは各地から自発的に寄せられてたって感じなんですか? どこどこの街でなんとかとかさ。

大野:ぜんぶわれわれが直接電話でやりとりしながら、まあ月1の人もいれば週1の人もいて、でそれで、「係長がこう言ってきた、どうしよう」みたいな、「じゃこういうふうにしよう…」。

立岩:ああ、相談を受けた人たちというか、で、手練手管を教えたというか、知らせた人たちとの関係やから、もちろんそこで決まったことやとか獲得されたものは当然こっちも知ってるっていう、そういう感じってことですか?

大野:そうですね。ほとんどはそれで。

立岩:相談に実際に乗ってるからってことか。まあそうなんだろうな。

大野:あとは、まあ二次的な、うちの情報なんかを基に、もとからある自立生活センターとか運動団体がそれを自分とこで読み込んで、相談せずに交渉して、

立岩:ああー、できちゃったってこともあるよね。

大野:その場合もまあ、いちおう連絡はして、取材したり記事書いてもらったり。

立岩:うんうん。なんかそういうのもありと。なるほどね。そっか。
 で、ある意味、初志貫徹っていうか、最初からやること決まってたっていうのは、まあ一貫してるっていうことは、それはいいことやとぼくは思いますけど。で、そういう意味じゃあもう30年おんなじことしてるよ、っとも言えるわけじゃないですか。

大野:ええ、ええ。



立岩:ぼくはそれでいいと思うんですけど、おんなじことでもええことやったら、おんなじことやるの何が悪いねん、ってまあ思う口なんですけど。そうは言いつつ、このなんだかんだ言って、大野さんなんか最初見たとき若いよなー、なんだこの人って思ったけど、まあそれから30年も経って、それを30年見てきたわけじゃないですか。なんかこの間のなかで、何か変化っていうか、このごろは…、「昔はこうやったけど、このごろはこんな感じやね」とか、そんな思うことってありますか?

大野:いやとくに何も考えてないんで。あんまり考えてないと思いますね。24時間保障だって最初4年で全国できると思ってやり始めたので。4年経って完成したら抜けようと思ってやったけど、けっきょくすごい時間かかって、2017年にやっと石川県で24時間できたんで、都道府県単位だと、始めて47都道府県、もう20年…、25年ぐらいかかって。

立岩:ああ、津津浦浦っていうか、少なくとも47っていうふうに考えた時はそうでしょうね。

大野:都道府県単位でもそれで、まあ市町村単位だとまだまだ先で。

立岩:うーん、そうやね。

大野:はい。

立岩:それは、そんな簡単に終わらないか。

大野:あの、だから優秀な人がいるところではうまくいくんだけど、そうでない人が、あの(笑)は、なんか、批判を受けちゃうから表現大切なんですけど。

立岩:あ、あとで変えてください。やばそうなとこは。

大野:あんまりその障害者の運動をしている本人とか運動体ってあんまりその難しいやつを読み込んで交渉がんがんはったりでかませるっていう人が数は多くなかったっていう、最初のうちの伸びなかったっていうのは。そこはだから交渉能力でがんがん切り込んでいってって。
 まあ東京なんかは優秀な人材がわりと多かったんだと思います。人口多いから優秀な人がたまたまいろんな市町村に一人ずつはいて、または隣の市町村とかに交渉の支援に行くんで、それでまあ東京都内はだいたい50ぐらいの取得があって、まあほとんど24時間、わりと早い時期になりましたけど。
 田舎だとまあ、運動する人側の、人の側の問題でなかなか進まなかった。最初の10年ぐらい。でまあそうこうしているうちに、まあ今都市部とか一部の田舎では、まあ支援費制度ができたころからだいたい政令指定都市はまあ半分以上24時間なってきた、田舎のほうもだいたい長時間出てる県が半分以上になってきたってころから、国のほうの法律なんかも、たぶん法体系が、「やってもやらなくてもいいんだけどやってあげます」みたいな福祉制度じゃなくて、「市町村の責務としてこれやらなきゃいけません」っていうふうに、法律が、新しい法律作る時も変わってきたので。
 だからそれを受けて裁判所も長岡〔健太郎〕さんとかがやったALS(エーエルエス)訴訟★とか、その前の石田訴訟とかで、あとまあ東京の藤岡〔毅〕さんの鈴木訴訟とかで、わりと裁判官も、「これは法律上の義務だから、やらないと違法ですよ」というような判断をするようになってきて。福祉関係者は、法律は変わっても、そんなに前文的なとこに書いてあるのはあんまり重視してなかったんですけど、法律関係者はまあそこは変わったんだっていう裁判所の…、まあたまたまいい裁判官だったんですけど、判決が出るようになって…。だからまあそういう意味ではちがいますよね。裁判所が味方をしてくれるようになったから。
和歌山ALS介護訴訟(2010〜2012)

立岩:そうですよね。裁判、うん、いくつか、数は多くはないけど、勝ったというか得られたっていうことは意味持ちますよね。で、そう、どうせまた今日藤岡さんと相談するんだから★、その話も地続きやけど、二つぐらいかな。
 まあ最初はその情報提供して、その情報提供した相手とやりとりして、入れを知恵して、その制度を使えるというということを手伝いするっていうのがメインだったし、今でもまあそういう仕事をなさっていると思うんだけど。それが、まあ一つはその今日の、あれ2階だったっけ? 12人ひとがいたところみたいに、広域協会というかたちで、実際のその制度利用というか運用の一部分を肩代わりっていうか支援するっていうふうに、そいういう部門というか、そういう組織っていうか、そういうものを作ってきたっていうのと、それから今おっしゃった司法、具体的には弁護士ですけど、その弁護士とつるんでというか、関係してそういうことを進めてきたっていうのが、その90年代の初めに始めた話に加わってきたことかなと思ってるんですけど、その今の広域協会の活動につながるような、その仕事っていうか活動っていうのはどういう経緯というか。
★2022/11/23 介護保障ネット10周年シンポジウム

大野:はいはい。えっと全国広域協会★っていうのは、その介護保険ができるとき、2000年に、

立岩:2000年ですね、はい。

大野:介護保険対象の障害者が自薦ヘルパー使えるようにできる。

立岩:はいはいはい。

大野:それから支援費は2003年だから3年後なんですけど、それも見越して、厚労省とわれわれしょっちゅう話合いしてるから、制度改正も数年前から話はあったんで。

立岩:制度が2000年にこうなる、2003年にこうなる、っていうのはだいたいわかった上でというか、だけど、で利用者はいると、金はないことないと、全国の制度やから。そやけど事業所はないと。

大野:うん、まあ事業所…、

立岩:事業所ではないのか。何だろ? 人か? 何だ?

大野:えっとですね、これまあ自薦登録を今後どうするかっていう問題があって、支援費制度になることはわかってたので、そうなると障害者団体が事業所やらないと、今までの自薦ヘルパーが、ようするに株式会社とかの社会福祉部門とかのヘルパーに切り替わっても使えようがないので、一つは事業所を自分たちで全国でやんなきゃねっていうのはあって、

立岩:事業所増やしましょう的なことやってましたよね。

大野:それは推進協会★のほうです。

立岩:そうかそっか、それは推進協会のほうで、うん。

大野:その推進協会のちょっと前に介護保険が先に始まったんで、介護保険始まるちょい前に話し合いをして、中西さんたちとか、われわれ、介護保障協議会とかDPI〔日本会議〕の人とかもちょっと入って、(われわれ介護保障協議会にそのころ変わってたんで、)話しあって、まあ全国広域協会というのをうち主導で作るからみんな賛同してよ、っていう会議をやって。それからまあ自薦ヘルパー推進協会★も作るからっていう、全国のCILの立ち上げ支援をして事業所も作る、われわれが代わりにNPO法人や指定事業の申請書作ってあげるっていうお膳立てをすると、収入は入ってくるからちゃんとした24時間支援をできるCILを作りましょうと。
 この二つを別団体としてやっていって、で、まああの団体支援…、推進協会の団体支援部っていう団体の面倒をっていうか、相談乗ったり事務代行するのは介護保障協議会と同じここに置きましょうと。で、全国広域協会もうちのほうでやりますと。
 で、3つ団体あるんですけど、まあそれぞれタスクは別なんですけど、人員はほぼ一緒で、役員もほぼ一緒で、で、たとえばCILを作るときは最初に全国広域協会のほうを使って、団体丸ごと登録から始めるとか、もう代表者は最初自薦で自分自身の勉強するとか、そういうことぜんぶごっちゃにやってるんですよ。

立岩:うんそうやって、最初は交渉と情報提供だけっちゃだけだったのが、実際にサービス提供の一部分というかある部分を、組織を作らせる、そこ運営させるっていうのと、こちらに登録させると、両方というか、複数を同時に走らせるってことだよね。それをまあ一つのきっかけは2000年の介護保険と2003年の支援費みたいなことかな。

大野:サービス提供については自立生活センターを作っていかなきゃいけない、っていうのは最初からあったんで、90年代から最初からあったんで。

立岩:そうですね、はい。



大野:だからまあ東京都内で言うと、昔の我の強い脳性麻痺中心の人たちが、個人個人で頑張ってたじゃないですか。

立岩:はいはい。

大野:あの、後輩が先輩のところに通ってやり方を学んで、介護者との関係を学んで、っていう今でいう自立生活プログラム的なことをやったので、まあ後輩の障害者が地域に増えていくみたいなことをやってたのを、CILでそれをきちんとしたかたちにして、そういうなんか運動仲間つながりじゃなくって、誰でも市役所に行ったらパンフレットも置いてあって、見たら「自立生活24時間介助できますよ」って。見て問い合わせたらちゃんとした事務所があって、サービス提供としてプログラムを受けて、こういう言葉を学んでこういう生活できますよ、っていう。
 それで誰でもできるようになるんで、まあ一人ではちょっと無理な人も、自立生活センターのGMっていうまあ障害者の先輩が、きちんとピアカウンセリングの手法で話してくれてサポートすると。知的が重複してる人にも、できないところは団体がサポートするみたいなシステムを作ってったんですよ。
 で、どんどん脳性麻痺とかの先天性の重度なちょっと知的にも何かある、高次脳的なのもあるとか、そういう人だと、一人じゃぜったい介護者とけんかして、施設戻りになるんです。自立生活センターで毎週のようにまあGMと話をして、追加プログラムしたりして、もうでも1か月経ったらぜんぶ忘れてるとか。で、介護者はとても困ってて、悩んでて話を聞くコーディネーターと、障害者の話を聞くGMととが毎晩事務所で話(はなし)して、対策考えてっていう。それでまあ最重度の人の自立支援をしていくんですけど。
 そのやり方って全国に広めないと、自薦でできる人は、団体なくて自立生活できる人ってだいたい1割、2割。残りの8割どうするのって言ったら、まあセンター作んないと自立生活できませんよ、施設なくなりませんよって。これはもうあったんですね、90年代後半から、全国にCILを作んなきゃねと、東京のちゃんとしたセンターですね。24時間の人は自立できてる、支援体制もちゃんといってる。で、それをまあ推進協会という名前で全国のとくに地方、CILのない空白地メインで、綿密な研修とかサポートをして全国に作っていきましょう、っていうのが推進協会。

立岩:そうですね。その「一人でやれるよ」っていうのが、まあざっくり言うて1割やとか、そういうのってぼくも体感的っていうか、ある程度なんとなく腑に落ちる数だな、割合だなとは思うんだけど、それは90年代ずっとやってきて、まあそんなことかなという実感みたいなもんですかね? みたいなもんから来てるんですかね?

大野:はいはい、ええ、ええ。自立生活センターを東京のこのへんの地域でやっているところの実感です、現場の実感で、だいたい施設に行ったら、最重度の人を自立支援したりするんですよ、このへんのセンターは。施設の中でいちばん重いやろうっていう。その人が出たら、ほかの人が「自分もいける」って思うんで、あと順番待ちリストができるぐらい申し込みが来ちゃうんですけど。最重度の人、だいたいめちゃくちゃなんで(笑)。すごいむちゃくちゃな人を支援したりするんですけど、毎日何時間も電話かかってくるから、担当者はコーディネーター3人置いて、なんかぐるぐる回してたりとか。まあまあそういう最重度の人をやれるセンターっていうのは小平とかを中心にやって、そのノウハウを全国に伝えるっていう役なんですよね、推進協会。[01:15:19]
 でまあ最初は年間予算6000万ぐらいでスタートして、だと思いますけど、交通費とかぜんぶ出して、やりたいっていう人に来てもらって、3泊とか4泊勉強してもらったりをしょっちゅうしたりとか、ブロックごとに集まったりとか、全国で集まったり、しょっちゅう電話とかでやりとりしたり。あとまあ健常者職員がちょっと行って、そのNPOの法人を作るのを代行したり、指定申請を代行したりとかも何百団体とやったんで、まあそういう事務的なスタッフとかもいて、っていうやつですね。
 で一方で、その自薦登録のほうは全国広域のほうは、いったら自立生活運動でなくて、とりあえず介護が必要で自薦が必要な人は誰でもオーケーなので、もう高齢者もいますし、自立とかぜんぜん関係ない人もいますし、まあ最初は知的とか精神とか認知症の人とかいましたけど、最近はもうほぼほぼ重度訪問の24時間必要とか呼吸器の人とかが増えてきてて、軽度の人は地元の事業所でなんとかなりますっていうのがだんだん全国的に増えてきてる。

立岩:そうでしょうね。

大野:うん、まあけど利用者は増えて、ALSとかが、「地元の事業所じゃぜんぜんできません」っていう人がまあまあ人数では増えているので、われわれも職員が足りない足りないって感じで、しょっちゅう求人しては配置して教えて。

立岩:関係する質問2つあって、一つはその最初のほうの話で、全国にCILをっていう話は90年代はじめぐらいからでも、もっと前からかもしれない、出てて、なんか中西さんなんか威勢のいいこと言ってて、なんか「小学校区に一つぐらいいる」みたいなことを言ってはって。ほんまかいなって思いましたけど、それほどは増えてないじゃないですか。ここすくな…、とくにこの10年とか。まあ横ばいまではいかないけど、できるとこもあるけど、なんか潰れるっていうか、そいういうところもあったりして。まあ最初の人が見込んでたっていうよりは希望的観測だったんだんでしょうけど、増えるって言ったほどは増えてないかなっていうのをちょっと思うんですけど、それは大野さんの見立てでは、そこらへんのことはどう思ってらっしゃるのかってのは、まず二つのうちの一つなんですけど。

大野:それまずわれわれも最初は全国に何個作ろうとかって書いてた、1000か所とか書いてた時期があるんで(笑)、推進協会の趣意書か何かに。ただまあやってみてわかったのは、そんなにこの運動やりたいみたいな人で、なおかつ能力がある人って、あんまり障害者の業界に日本にはいなかったっていうのがだいたいわかって。まあだから両方必要なので、能力と「運動しなきゃ」っていう思いが。

立岩:そうだよね。

大野:はい。大抵はひどい現場を見てきたり、自分自身がそういう目にあったりして、ほかの障害者にも仲間意識があって、「これをなんとかしなきゃ」って思ってる人で、なおかつ能力がないとできないですよね。
 たぶん自立生活プログラムとかったって、講座だけやっておしまいじゃなくって、あと毎週のように問題が起きたら話(はなし)しなきゃいけない。人間関係がちゃんとできる人じゃないと難しくって、そうするとまあ日本の障害者でそれができて運動性もある人って、けっきょくまあ全国に数百人ぐらいしか今まで20年、30年やってきたけど見つからなかった。それ以外の人はまあほかの分野で一般就労したり、何もしてなかったり。

立岩:まあ、そうですよね。っていうか身も蓋もないというか、実際はそうやと思うんですよね、その通りだと思うんですけど、それって、もうそれはそれでしょうがないっていうふうにしてほかの手を考えるっていうふうに考えたほうがええのんか、それでもその1000まではいかんとしてもなんか、なんか手立てというか増やすというか、やり方はあるっていうふうに考えて、ぼくは、そんなこと聞かれてもね、と思うかもしれないけど、どうですか?

大野:あ、いやそれはメインテーマになってて、ここ10年ぐらい前からメインテーマになってて、全国の団体でどうしようかね、と。まずは自分の団体の存続も危ういところも多いんですよ。

立岩:そうだよね。

大野:代表者一人が思いがあって、二人目以降はそんなに苦労せずにね今生活できている感じになると、こんなにしんどい思いをして他人を運動で支援するっていうの、モチベーションがあんまりない。と代表が亡くなると、ちょっと、

立岩:けっこうありますよね、一代限りみたいな。実質一代限りみたいなとこありますよね。

大野:自立支援をしなくなって、ただたんに介護事業所だけ自分たちのために残ってるみたいなところがたくさんありますし。それをどうするかっちゅうのは、そのなかなかたぶん障害者団体だけじゃなくっていろんなNPO・NGO活動がありますけど、うん、ぜんぶ共通だと思います。

立岩:そうだよね。

大野:あと人材のことで言うと、全国の中小企業の社長さん、社長が亡くなったら、「やれる人がいません、トップは大企業に貸してもらいましょう」みたいな、そこも似てると思うんですよね。そこは、どういう方法があるかは完璧な解決方法は見つかってなくて、まあちょろりちょろりとやってますけど。
 たとえば若手向けの、若手を入れてくるにはまあ養護学校の先生とタッグ組んで、養護学校で教育課程に自立生活センターの話を聞いてもらったり、自立生活聞いてもらったり、介護を使った生活にいきましょうとかそういうのをやって、そこから養護学校から一般就労できない重度の人で興味のある人に、自立生活センターに最初は実習で来てもらって、途中から職員に上がっていく人もいれば、っていうようなことをやっているところもありますし。
 あ、時間があと15分ですね。

立岩:そっか。あれ、4時からでしたっけ?

大野・立岩:(笑)

立岩:じゃああと15分だ。
 いや、うん。そうだと思う。だから、「これをやれば解決」っていうのは論理的に考えて論理的にないんですよね、答えがね。

大野:完璧には、

立岩:うん、だからなんか部分的な方策をいくつか組み合わせて、それでちょっと効果が出るか出んかぐらいのもんやろなって。まあそれでもちょっとようなったらそれでええやん、って思うしかないというか、「ああそうやったね」と思うんですよ。最初の見込みはある種甘かったというか、甘かったというか、まあ希望を持ってたってことやったと思うけど。まあそれはもうそれで終わりやと、終わりというかあとはやる、部分的に効果があるかもしれないことをやるしかないっていう、それで終わりやと思うんですよね。
 で、そのCILを増やすっていうのはその話だとして、やっぱりその一人ひとりの人、その重度訪問使う人が増えてって、その人たちに関わる仕事が、どうですか? かなり急激に増えてるっていう実感はないですか? 急激っつっても困るか。

大野:関わる人というのはヘルパーとかですか?

立岩:そうですね、その全国広域っていうんですか? そういうそのALSならALSの人が、その重度訪問を使って、それに大野さんたちが関わるっていうのが。この、たとえば20年前とかだと、まあぼくは、18年前かな、ALSの本★書きましたけど、その時ってほんとにそういう制度そのものを知ってるっていうALSの人って、ほんとに〔橋本〕みさおさんとか、片手で数えられるぐらいしかいなくって、そういうことから18年…、まあそうだな、18年経った今からすると、かなりそこには変化があったのかなと思うんですけどね。制度を知りだしたっていう感じなのかな。
★立岩 真也 2004/11/15 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya]

大野:そうだと思いますね。あの、だいたい人って変わるのが5年、10年かかるので。秋田県で田舎で何もなかったけど、その松本〔茂〕さん、ALS協会の名誉会長が始めたら、最初は説得しても、県内の会員みんな「介護保険だけでいいです」とか「役場にたてつけない」とか言ってたんですけど、5年、10年経ってやっと今、あの(笑)、自薦が秋田県内あちこちに広がりまくって。

立岩:ああ、松本さん、あの人も農業、米作りしてた人やけど、が落とした種が今になってこう実りだしたっていう感じですかね。

大野:最初のうちはもうぜんぜんみんな説得しても乗ってこないのよ、って言ってたんですよね、奥さんが。

立岩:松本さんともじかの付き合いがあったんですか?

大野:あ、うちの全国広域の利用者で、事業所を自宅に最初置いてもらって。

立岩:最初期の利用者みたいな感じってこと?

大野:ああそうですね、介護保険ですから、2000年スタートの。

立岩:こうなんか、あの人のなんかあっけらかんとした感じって、ぼくは本しか読んだことないけど、けっこう、「あ、この人けっこう好きかも」って思ってたな(笑)。

大野:(笑)

立岩:そうかそうか。でもそれは確かに秋田でね、すぐに受けられるってのは、ちょっと松本さんみたいにちょっとこう飛んだ感じの人じゃないと、最初は無理やったかもしれないですよね。

大野:だから、ほかの地域もだいたい同じで、時間かかりますよね。最初の人が使い始めて、それを見て、徐々に広がっていくのが。とくに高齢の人とか、とくに10年かかったりとかするんじゃないですかね。

立岩:まあそうだろうな。でも、うん、変わってはきているよね。前はほんとに難病の人って、自分を障害者だと思わないというか、そういうことも含めてなかなか近寄ってこなかったけど。まあ背に腹はかえられないってこともそりゃもちろんあるんだろうけれども、かなり変わってきてはいるかなと思いますね。

大野:行政とか訪問看護とかも変わってくるんで、事例を知ってると。

立岩:まあそうでしょうね。

大野:ええ、ええ。そうすると、そういう人から教えてもらったとか、まったく新規の相談が来たりなんかは増えてますけど。

立岩:うん、そうだよね。
 あと、その、今日の話だけど、弁護士さんたちと付き合いだしたのって、もちろん訴訟もあったし裁判だっていうこともそれはさっきおっしゃったのもありますけど。

大野:うん、和歌山ALS訴訟、10年ぐらい前、あれがちょっと大きくって、われわれのほうには。それまで家族同居だと24時間無理だろうと思ってたら、裁判所が21時間以上義務付けるようになったので。

立岩:うん、で23時間とかそういうことですよね、ありましたよね。

大野:はいはい。それは、家族が同居だと田舎のほう行くと、介護保険だけでどうぞと、秋田でもどこでも、という時に、あれがちょっとかなり、家族同居の呼吸器利用者にはショッキング情報で、これは全国でいけるんじゃないの? っていうことで、まずはそれが一つですね。
 今まあほかの地域でも同じような、筋ジスで呼吸器で家族同居でも同じような判決が出て、21時間以上っていう。たぶん裁判官も過去の判断、判例にしちゃってるんですね。ぜんぜん家族状況こんなにもちがうのに。だからもうそれも全国的にどこでやっても裁判したらこの時間になりますよ、って言えるんで、で、それを受けて申請したら、だいたいもう裁判なんて経験しなくても、呼吸器で家族同居で24時間当たり前に出るようになってるんですよ。たぶん今9割ぐらいの市町村で、田舎のほうでは24時間出るんですよ。で、都会の一部ですよ、「21でどうか」みたいなことを言ってくるのは。

立岩:むしろね。はいはいはい。

大野:さらに田舎のほうでは、もう常時24時間二人体制の1400時間だとか、昼だけ二人の1200時間だとかっていうのも増えてきてるんで、そういう意味ではほかの自治体とか裁判所はどうだ、っていう資料をちゃんとつけて申請書を出したら、交渉なしで今ポンとALSの人にはちゃんとした時間が出るようになってるんですよ。都市部は除くんですけど。

立岩:それは訴訟とかそういう判決とかが判例になって、でそれを学習というかってことだったと思うんだけど、ほんとにこれから数分後の話だけど、藤岡さんたちとかとさ、具体的にどういうふうにあの人たちっていうか、こう。

大野:はいはい。10年ぐらい前にそれを受けて、川口〔有美子〕さんと私とで全国の訴訟活動とか、なんか弁護団に会って「やりましょうや」つって、で藤岡さんに相談して。

立岩:藤岡さんに話にいったって感じ?

大野:そうですね、はい。行ったというか、まあ橋本さんちに来てもらって、そこで作戦会議をして。



立岩:ぼくはほんとに、大野さんの前半生が謎で、この人なんでいつの間にか東京におって、なんでやろ? って思ってたけど、それだけがわかっても、それがわかっただけでもよかったわ。

 ※大野さんと立岩は藤岡さんとのZoomでの打ち合わせが始まるためにここで終わり。その打ち合わせの相手=藤岡さんに

立岩:えーっと、聞こえますか?

[01:35:46]音声終了


UP:20220820 REV:20221018
大野 直之  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇声の記録(インタビュー記録他)  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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