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大野直之氏インタビュー・1

20220519 聞き手:立岩真也 

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大野 直之
生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築

大野 直之 i2022a インタビュー・1 2022/05/19 聞き手:立岩真也 於:全国障害者介護制度保障協議会・全国ホームヘルパー広域自薦登録協会事務所(東京都・小平市)(本頁)
大野 直之 i2022b インタビュー・2 2022/05/19 聞き手:立岩真也 於:全国障害者介護制度保障協議会・全国ホームヘルパー広域自薦登録協会事務所(東京都・小平市)

◇文字起こし:ココペリ121 20220519大野1424(96分)
〜このように表現しています〜
・タイムレコード:[hh:mm:ss]
・聞き取れなかった箇所:***(hh:mm:ss)
・聞き取りが怪しい箇所:【○○】(hh:mm:ss)
・漢字のわからない人名・固有名詞はカタカナ表記にしています。


立岩:今日は、大野さんが関わってる組織についてはいろいろと知らせていただいてるんで、その詳細というか、っていうより、ふだんけっして聞かれない、聞かれても答えないかもしれないけど、そういうことを伺いたいと思ってまいりました。大野さんでも、東京来てからだとずいぶん長いでしょうね。

大野:もう93年ですから、20年弱。

立岩:93か。20年よりもっとずっと長いじゃん。29年とか28年とかじゃない?

大野:間違えました、30年か(笑)。

立岩:そうでしょ? 20年より30年でしょ。

大野:そうですね、30年ですね。30年。

立岩:93年か。私の記憶が正しければ、高知大学? 高知? それは間違いないですか?

大野:ええ、ええ。

立岩:なんか「そんなこと聞いてどうすんのよ」ってきっと大野さん思ってると思うんだけど、そもそも東京に誰かに呼ばれた的なことなんですか?

大野:いえいえ。

立岩:そういうことではなくて、なんですか。では最初っから 〔※建物内少し見学↓〕 高知県の生まれなんですか?

大野:そうです。

立岩:高知自体おれ行ったことないけど、高知の何市っていうか。

大野:あ、高知市です。

立岩:高知市、市内?

大野:ええ。

立岩:高知市に生まれ、高知市に育ち、高知大学に行ったっていう人ですか?

大野:そうですね、はい。

立岩:高知大学の何学部?

大野:最初入ったのは地学科っていうとこなんですけど。

立岩:地学?

大野:はい。

立岩:地学をやろうと思ったんですか?

大野:地層、うん。それがいちばん入りやすかったんで入っただけです。

立岩:そんなに地層が好きとかそういうことでは必ずしもなく。

大野:あのー、タモリさんのあれぐらいです。

立岩:タモリぐらい知ってる?

大野:(笑) タモリさんほどは知らないですけど。

立岩:おれタモリの番組〔『ブラたもり』〕観るたびにタモリに関心してんだけど。

大野:「断層はこうなってて地形はこう」ぐらいは。

立岩:そうそうそうそう。砂嘴(さし)が何とかとか言ってるよね、毎回。

大野:ええ、ええ。

立岩:好きは好きだったんですか? でも。

大野:まあそりゃ自然系は好きですよね。

立岩:自然系のほうが好きやった?。

大野:理科系が好きですね。

立岩:理科系が好き。で地学科に入って、で、4年で出たんですか?

大野:えーっとですね、まずその途中で学部を変わったんです、文系に。理系は大変なんで、実習とかが。

立岩:確かに忙しいは忙しいですよね、文系よりずっと。

大野:3、4年生がもうほとんど実習で、毎日夜中までつめなきゃいけない。

立岩:ですよね。

大野:なんで、大学入ったら好きなことしてたんで、社会系の運動をしたりしてて。

立岩:理系だったけど、理系だったけどっていうか、それがちょっと謎でね。理系の人って理系だけっていうか、何だろ、勉強もしないかもしれない、してる人としない人と。とくにその社会活動だの運動だのって、そんなに足突っ込む人ってあんま少ないと思うんですけど、大野さんはそうではなかったんですか?

大野:理系と…、うーん、理系と理系じゃないかで違いがあるかどうかはわからないですけど。

立岩:まあ、そんなあんま違わないかもしれないけどね。文系でもやっぱりいないのかもしれないけど。

大野:そうですね、文系にも理系にも基本いないですもんね。

立岩:そうですね、そう言われりゃそうですね。

大野:ええ。で障害者と一緒にサークルをやってたんですけど、チラシを1000枚撒いて、1人、なんか交流するイベントに来るかどうかだから、うちの大学、4000人しか、田舎なんで、いないんですけど、1000人に1人だから。

立岩:いや、その悲しみはぼくも多少はわかります。ビラ受け取ってもらえないよね、まずね。

大野:まあまあ教室に置くんですけど、だいたい2000枚くらい置いたとしても、反応が毎日毎日やったとしても…、毎日じゃない、毎週3回ぐらい。

立岩:そうか。いや、そうそう。ビラ撒いてもビラ置いても、うん、なんにも、っていうのは私も大学のときに多少は経験しましたけど。

大野:年間数人問い合わせがあってみたいな。もう毎週のようにやってて。だからまあだいたい1000人に1名ぐらい、ちょこっとだけゆるいことを書いとけば問い合わせがあるか、ぐらいの。そのなかでもコアにこういうなんか社会問題やろうなんて人はもっと少ないと思うので、まあたとえば数万人に1人ぐらいの。

立岩:でもその数万人に1人のマイナーな運動っていうか。なんか、ぼくも同じようなことよく聞かれて、答えようがないみたいなこと答えるんですけど。なんか理由というか事情というか、なんか思ったこととかあったんですか? 大学入ってすぐにそういうサークルに関わった?

大野:もうすぐではない。えーっとですね、最初は、もともと登山やってたんで、高校の時も。大学の時もワンゲルに入って、ばりばりの大会系をやってましたけど。ただまあ障害者関係のやつはいつからやってたんかな? 2年目ぐらいにサークル…。障害者…、街の障害者と大学生で作っているサークルに入って。

立岩:それは自分が作ったの? [00:14:54]

大野:いやいや、違います、元からあったサークルで。大学に3種類ぐらい、障害者系の団体があって、一つはその、教員養成、養護学校の教員、なんかようするに教育学部の先生主導で、ボランティアなんかをやってるような、あまちゃんみたいなとこがあって、一つはなんかあの過激派。

立岩:セクトが入ってる的な?

大野:そうですね。過激派系列のやつで、もう一つはそこから分裂した「過激なことはやーよ」っていう。けどまあちゃんと優生思想とかの勉強会とかちゃんとやってるし、まあ「交流をメインにしましょう」みたいに、「交流で社会啓発していきましょう」っていう、障害者と一緒に市民を集めてキャンプしたり、遠足行ったりみたいな。その三つ目のところに入ったんですね。
 でまあ街のなかで暮らしてる障害者のところ、当時ヘルパー制度って自薦じゃないし、基本的におばさんたちが家事援助をしにくるヘルパーで、身体介助はほぼほぼなかったんで、で、週に何回か交代でボランティアに行って介護に、入浴介助とかに行ったりとかが、まあそういうことをしつつも、学習会とか学生で週に2回ぐらいして、イベントの企画考えて、市役所とかから椅子とかを借りてきて、で40人ぐらいでみかん狩りに行ったりとか。(笑)そういう市民を啓発するにはまずは知ってもらわなきゃいけないからつって、「街の中で重度障害者住んでますよ」って啓発をしようみたいなそういう企画、それは2年目からです。
 あとは、環境問題もちょろっと。熱帯雨林使うな、だとか、あとは下水問題をちょっと。市民団体としての団体を、大学生もちょこっと入ってるけど、メインは市民みたいな感じのもやったりしましたけど。

立岩:環境問題系だったら、それよりは少し多いかもしれないけど、でもまあそんなにたくさんはいないよね、そういう活動したり。でもワンゲルはやりながらも、そういう方面に対する関心みたいなものは、大学に入ってからってわけでもなくて、わりと初発にあったみたいな感じなんですかね?

大野:まあ、そうそう、思いはあったけど、高校生って何もできないんで、高校生ぐらいの時にはだいたい社会問題の関心は少しはありましたね。

立岩:関心はあったけど、そうだよね、高校生なんかすることないもんね。しようがないというか。大学入って、ちょっとじゃあ実際に、みたいな。

大野:ええ、ええ。実際に何か企画してやる、話し合ってやるっていうのはその障害者団体のやつがスタートで。

立岩:それはそうか。もともとは何派か知らないけれども、セクトの連中か何かがちょっとそういう意図を持ってたのかな、始めたとこから、嫌気がさした人たちが割れて作ったサークルってことか。

大野:そうですね。

立岩:四国の運動ってぜんぜん知らないんだけど、昔、愛を貪る会だっけ? そういうのなかったでしたっけ?

★検索したら以下。
『全障連』39(1984・5・4)
「愛媛県から 保安処分新設阻止闘争、「病」者の病院闘争と結びつけた闘い・・・・愛媛百人委員会
構成団体「愛をむさぼる会」「ごかい」など
「この闘いの中で、松山精神病院医師・盛次君(百人委員会の会員)が解雇され、これに対してまた新しい闘う仲間が組織されている。また、一「病」者が松山精神病院に対して、連日の「面会・通信を求める闘争」を闘い抜き、彼の「病」者としての怒り、闘争のエネルギーに多くの人々が共感・感動を覚え、『松精問題』を自分自身のものとしてとらえ直す動きが高まってきている。(11)」
『全障連』47(1985・2・1)
「中四国ブロックに“施設小委員会”が設立される(施設小委・水口)
 […]また、施設から自立した「障害者」が自立後 、施設と関係を持ち得ないでいるとの指摘と総括があり、今後積極的に施設「障害者」の介護者捜しなど施設「開放」に向けた取り組みをするよう指摘が出されています。
 次回施小委は、2月23日―24日、松山市において開催します。施設問題を取り組まれている方多数参加して下さい。詳細は、松山愛をむさぼる会 電話0899―33―3786 水口まで問い合せ下さい。資料その他送ります。」

大野:それはぜんぜんわれわれは知らない。

立岩:知らない?

大野:うん。なんかその関西のほうの全国大会みたいなやつのは全障連なのか何なのか、先輩が数年にいっぺん行ってたらしい、数年前に行ったとか、それぐらいのつながり。

立岩:じゃあたとえば、実際そのボランティアで介護に入ってたっていうその相手の人もとくに何か運動的なことっていうんでもなくて。[00:20:04]

大野:ああ、障害者はもうみんな完全素人です。あの、運動的な意味では。共産党はなんか怖いみたいな。ふつうの選挙公報見てて、そういう噂で言うようなふつうのおっちゃんおばちゃんとか。まあ若い人はいろいろ考えてたけど、脳性麻痺の人だと、自費出版できるぐらい文章たくさん書くけど、金がないから出せないみたいな人もいて。

立岩:人もおった。

大野:ええ。ただまあその具体的な運動は何もできてなくて。情報がなかったんで、言ったら当時だともう、えー、80年代後半だから、他人介護料の大臣承認の情報とかちゃんと入ってたら在宅続けられたのに、情報がなくて、もうメインは家族介護なんで、重度の人の場合は。

立岩:それは、高知にいたときは、100パーセント知らなかったって感じですか?

大野:そうですね。

立岩:情報入ってないっていうか。

大野:全国大会的なとこに行ったとしても、そういう情報を知ってる団体がぜんぜん配ってない。どっか別のとこで配ってたかもしれないけど、われわれのとこに届いてなくって。なんでまあ24時間介護の必要な人ってやっぱり家族介護がメインで、親がもう高齢化してきたら施設に行く。自分の人生死んだと思って山奥の施設に入って。学生4000人ぐらいいてもぜんぜん集まらない、24時間は無理なんですよね。週何回かのお風呂の介助に行くとか、外出のときに行くぐらいしか人足りないんで。で、もうちょっと軽度な人は、筋ジスと脳性麻痺の人の夫婦がいたんですけど、脳性麻痺の人は立ってつかまって動けるんで介護はいらない。筋ジスの人も自分で畳の上をこうやって動くみたいな。

立岩:いざるっていうかね。

大野:ええ。で電動車椅子まで、自作の板を縁側から降りて、そのまま車椅子に乗ってって、そのまま一人で外出して。だから風呂の介護だけ頼むみたいな人はまあ自立生活っていうのか、親と離れて暮らしたり。
 でまあ、情報を東京のなかの団体の情報ってぜんぜん入ってこなかったんで、大阪の全国大会とか行っても何もそんな話教えてくれないのか、それとも行った人たちがちゃんと見てないのか。

立岩:そっちを聞いて…、まあそこは判然としないがって感じですか。まあ確かに得られにくかった。ほんとは手前の手前だけど、ぼく大野さんって歳知らないんだけど、何年の何月何日生まれの人なんですか?

大野:あ、70年の3月16日生まれです。

立岩:じゃあぼくと十(とう)違うというか、十しか違わないというのか。そうすっと70年の生まれぐらいだと大学に入るのが、その高知大に入ったのが1900…、

大野:88年とかじゃないですかね。

立岩:88年の入学、現役で入った? 浪人しないで入った。

大野:ええ。

立岩:80年代の後半であれば、そうか、東京ではそれなりに脳性麻痺者介護人派遣事業とか、

大野:まあまあ、もう74年ぐらいからスタートしてるんで。

立岩:制度そのものはね★。

★1974年度開始→立岩 真也 19930625 「東京都脳性麻痺者等介護人派遣事業――自立生活運動の現在・5」,『季刊福祉労働』59:130-135

大野:はいはい。15年ぐらいは経つ。

立岩:そうですね。

大野:ええ、ええ。ふつうに当たり前にみんな制度使ってて。

立岩:使ってた時期か。ちょうどそうか、ぼくらが調査とか、それこそ聞き取り調査とかしてた時くらいに入学して、っていう感じか。大学は4年で出たんですか?

大野:えっと学部変わったんで、えーっと5年ですね。

立岩:5年。その地学科に入って、何学部に移ったんですか?

大野:ええっとね、文系は人文学部しかないんですよ。

立岩:ああ、高知は?

大野:人文の中の経済とかがあって。

立岩:じゃあ人文学部の、

大野:経済学科ですね。

立岩:経済学科か。なんでまた地学部から経済学科へ。

大野:とりあえず文系行かないと実習が大変だから。

立岩:ああそうか、さっきの話ね。

大野:はいはい。ほとんど大学に興味なかったんで。サークル活動か市民運動の活動しかしてなかったんで。

立岩:ああ、じゃあそれをよりよくというより、よりたくさんやるためには、もう理系じゃ務まらないと。

大野:そうですね。

立岩:そやから文系やと。経済に行ったのは何かそれなりに理由が。

大野:いや、人文学部って文学部か経済か二つしかない。

立岩:文と経済か。ああ、そうか。まあ文学部だと文学だもんなあ。

大野:文学はちょっとさすがにかんべんなので。何もわかんないんで(笑)。経済に行くと、いちおう法学とかも含めぜんぶそっちでやってるんで、なかにはその北ヨーロッパに毎年夏は行って、財政を研究をしてる先生なんかもいたんで、いちおうそこだったら大学のちっちゃなゼミとかも行ってもつまらなくはないと思って。あとその先生は、すごい休みが長いんですよ。夏の間4か月ぐらいいないんで、スウェーデン行っちゃってるから。

立岩:あー、それで授業もないし。

大野:拘束される時間も少ないし。

立岩:ああ。そっか。

大野:ええ、だからまあ第二外国語とかもやりたくないんで、先生とけんかになったりしてた。

立岩:(笑)ドイツ語?

大野:うん、ドイツ、何でしたっけ?

立岩:いやぼくもほとんど忘れてるようなもんですけど。めんどくさいよね。私は外国語はだめだわ。まあそれはいいんだけどさ。
 じゃあ何、わりと学校は少なめで、サークルであったり市民活動的なものに時間を費やしてたっていう感じの人だったってこと?

大野:そうですね、はい。最低限行かなきゃいけない、

立岩:単位ぎりぎりとるだけとってっていう。

大野:単位がとりやすいところだけ狙って、最低限で。

立岩:ああー、もともとそういう人やったんや。それ何? 5年おる間の学科におったのは何年なんですか?

大野:最初の2年が籍上は地学なんですけど、まあ1、2年あんまり関係ない。一般教養なんで。

立岩:じゃあそのあとその3年文系のところにいて、5年で出たっていうことか。

大野:はい。本当に出たかどうか知らない。

立岩:出たんでしょ? 知らんけどさ、それは。

大野:卒業証書もらっていないので。

立岩:ああ、ぼくらんときもまだ、まだぼくらんときもっていうか、卒業式はなかったですね。まあいいやそんなこと。

大野:卒業式は自分で行かなかった。

立岩:それで話飛びますっていうか、つながりだけど、じゃあ自発…、そっか、そこはちょっとぼくにとってはちょっと謎で、この人なんで東京に来たんやろ? って前から思ってたんやけど、自分で東京行こう思ったっていうこと?

大野:きっかけはですね、当時大熊由紀子さんってあの朝日新聞の論説委員が、北ヨーロッパの老人福祉、障害者福祉の…

立岩:『寝たきり老人のいる国いない国』★みたいな、そういうやつですよね。

★大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社

大野:ええ、ええ。あれはなかなかわれわれの間ではヒットだったので、呼んで講演会しようって連絡したら、ちょうど同じ時期に高知市役所も呼んでて。

立岩:おお、大熊さんを。

大野:そうです。だからまあそれで来るから会いましょう、って言われて。その障害者の自宅とか一緒にまわったりして話(はなし)したんですけど。そしたら自立生活センターというのが東京で始まったよ、って。

立岩:ああ、大熊さんが言うた?

大野:で、大熊さんが書いたその論説記事、自立生活センターの記事を渡してくれて、こういうのが始まったよって言われて、何ことかわからなかったですけど、自立生活センターって聞いたことないんで、関西なので。で、いちおうそれはもらって、じゃあちょっと見学に行こうやって2、3か月後に高知県の車いす用のバスに何人かで乗り込んで。

立岩:それは、学生さんプラス車いすの人って感じ?

大野:そうですね。あと岡山の障害者、自立生活してる人のところにも一泊寄って、その人たちも乗せて。

立岩:四国から岡山に渡り、岡山で人一人拾って、その人たちも含めて東京行ったってこと?

大野:そうですね。

立岩:ちなみに高知から行った人で学生は何人?

大野:学生は4人ぐらいですね。

立岩:4ぐらい。車いすの人が?

大野:車いすの人は、高知から一人と岡山から一人と、歩いてる障害者が一人。

立岩:歩いてる人が一人。それは高知の人?

大野:えっと、いやそれは岡山。

立岩:岡山の人。

大野:もう一人高知にいたっけな。

立岩:じゃあまあ学生おおむね4、障害者おおむね3ぐらいの感じで、バスっていうかそういう車いす…、

大野:マイクロバスみたいな。

立岩:マイクロバスみたいなやつだよね。

大野:トヨタコースターのでかいやつ。

立岩:うんうんうん。それで、一路東京に向かうわけ。

大野:ええ、ええ。

立岩:それは、5年あったうちの何年目なんか覚えてます?

大野:あ、それ最終の年です。

立岩:5年目ってことか。

大野:ええ、ええ。それ、2回ぐらい行ったような気がするな。一度は自分だけで行ったんだっけ。順番がちょっと思い出せない。

立岩:どっちが先やかわからない。みんなで行ったのが先か、大野さんが一人で行ったんか、どっちかはちょっとわからん。

大野:ええ、ええ。で、その時は田無と八王子と。

立岩:1988入学で、5年経ったら93とかですよね。自立生活企画が92年にできてる。

大野:あの前の体験室があったとこですね。うん、2回くらい来てますね。その岡山の人がディズニーランド行きたいって言ったから、北区のスポーツセンターに泊まったのがあるから、それでたぶん一週間ぐらい来てるのが一回あるんですけど。

立岩:で、田無に行って、ディズニーランド行って、それから?

大野:町田も行ったな。町田行って、町田ヒューマン〔ネットワーク〕で、樋口恵子さんたちに説明してもらって。

立岩:ああ、そうだね。町田はそうだよね。なんかすらすらしゃべってるよね。

大野:説明するの専門家のような。テレビに出てる人のようなしゃべり。で、中西〔正司〕のところにも行って。

立岩:八王子〔ヒューマンケア協会〕も行って。じゃあそこそこもう当時やってたCILを見学というか。

大野:はいはい。あと、一人で行った時は、世田谷の横山〔晃久〕ところには。で、横山さんの自宅とかに泊めてもらって、見学させてもらって。あとまあ世田谷区役所にもいろいろねほりはほり聞いたりとか。

立岩:ああ、役所も聞き取りしたってことか。役所の担当者というか。

大野:アポなしで行ったんで。向こうは卒論か何かだろうってなって。

立岩:対応してくれた?

大野:困りはって、困りながらもいろいろ。こっちの聞きたいことがぜんぜんなんか説明できないんですね。今だったらわかるんですけど、なんでこの制度がこうなってるか、作ったのはずっと昔の人だから、今人事異動できてる人わからへんし。

立岩:ま、そりゃそうやね。世田谷の区役所の人は知らんわね。

大野:たぶん係長か課長補佐ぐらい、ちょっと上の人じゃないとわかんねえつって、その人がたぶんその係のなかで一番暇そうだったから学生の相手しろ、みたいな。で2時間ぐらい話聞いてもぜんぜんなんか、

立岩:要領えないというか、

大野:理解できない、どうしてかな、みたいな感じで。

立岩:ああ、でもそりゃそんなもんやろな。でも5年目にそうか、だからこの5年目に東京2回行って、ほいで? でも…。

大野:でまあ自立生活センターっていうものがあって、その新しい障害者団体の動きがあるっていうこととか、まあ長時間介護の人も一人暮らししてるっていうか、そこはすごい長年のテーマだったんで、田舎のわれわれにとっては。当時は公的な制度ってガイドヘルパーぐらいしか考えられなくって、24介護の人は山奥の施設入っちゃったっていう。刑務所に入ったと同じなんで、一生入る、重度の人にとっては。それはみんなの心のなかにまあ強くあって、で、この問題解決どうしたらいいのと。本とか新聞とかの情報だと、北ヨーロッパみたいな税金を高くしないとできないらしい。住民参加型で、何10年もかかって意識を高めていかないとこんなことはできないらしい、っていうのがあったので。東京に来ると、24時間介護は当時できてなかったけど、まあ半分ぐらいは、

立岩:そうですね、毎年ちょっとずつこんな感じで。

大野:そうですね、12時間ぐらいは制度があって、ボランティアの学生が夜やって、昼間は専従で、みたいな感じで、一人暮らし、24時間介護の人がしてるというのを聞いて、これはちょっと勉強に、取材に来ようと思って、卒業して1年くらい取材に来ようと思って。

立岩:ああ、じゃあもともとは東京で勉強して、その果実をこっちに持って帰ろう的な思いがあったことですか?

大野:はいはい、ええ。高知のことだけ考えてたかどうかはわからないですけど。

立岩:うんうんうん。

大野:国際的な制度のこと考えてたから、地元をどうのこうのではなかったと思いますね。

立岩:でも、東京にかくも長居するというつもりでは少なくともなかったってことですか?

大野:そうですね、はい。当時はだから世の中の常識としては、われわれのそれまでの常識とすると、北ヨーロッパみたいなモデルでやるんだったら、新聞記者か自治体職員かに入るのが最も効率的な社会の改革だったから、そのルートだと思って、ただまあ少なくとも現場見学1年ぐらいはしなきゃだめだろって。

立岩:あー、なるほど。まあちょっとまあ1年ぐらい修行したあと、メディアの人になるか役所の人っていうか、そいういう人になろう的な目論見だったと。

大野:そうですね。あとまああんまり働きたくなかった。

立岩:(笑)ああ、会社員になってガリガリっていうのはあんまり、考えたくなかったっていうか考えてなかった。

大野:そうですね、好き勝手に5年間生活してて、思いついたらこれやろうの世界だったんで、あんまり金をもらって時間を拘束されて面白くないことをするのはやだなと。

立岩:うんうんうん。ちょっと私もそういうとこあったなあ、やっぱり。けっきょく就活っていうのはまったくしなかった?

大野:ええ、いやいやまったくしなかったわけじゃなくて、2年目にはだから、新聞か役所だと思ってたんで、いちおう受けにはいきました。

立岩:就職試験を? 役所とか?

大野:はい。

立岩:両方とも? 両方のジャンル?

大野:はいはい、ええ、ええ。

立岩:それ、学校出る時ですか?

大野:いやいや、ちがいます。その1年後ですね。

立岩:あ、そうかそうか。東京に1年いたあとってことか。

大野:そうですね。けどまあその時にはもうかなりなんかそのルートで、じゃない方法があるような感じはしてたんで、しょうがなく公務員試験、県とかに行って、途中まで行って、どうしたんかな。

立岩:県って高知県?

大野:県庁は行きましたけど、途中でやめたような気がする。

立岩:ああ。そっか、最初はメディアか行政かだけど、東京に1年いる間にそれだけでもないかも的な感じにはなってきたってことか。


続き↓
大野 直之 i2022b インタビュー・2 2022/05/19 聞き手:立岩真也 於:全国障害者介護制度保障協議会・全国ホームヘルパー広域自薦登録協会事務所(東京都・小平市)


◇※最初の挨拶のところ

立岩:ほんとに今日はすみません、遅れまして。

大野:いえ、たぶんもとからこの時間ぐらいだと思って。最初中央線沿いにいるって言ってたから、

立岩:ああ、武蔵小金井、そうですよね、そりゃ、確かにそうかもしれないんだが、いやあ、もっとずっと早く終わると思ったら、3時間ぐらい話をってことになっちゃって。

大野:自立生活企画

立岩:うん、企画。

大野:益留さんたちですね。

立岩:だいぶ長くなりまして。

大野:(笑)

◇※最初のほうで、ざっと建物のなかを案内していただく。

大野:ああ、もうスタートしますか?

立岩:スタートいいですか? あとで増やすなり減らすなり、それはなんとでも。

大野:はいはい。えっと、うん、ちょっと2階のCIL(シーアイエル)とかちらっと見ます?

立岩:じゃあそうしましょうか。はい、わかりました。

大野:このままでぱっと。

立岩:このままでぱっと行って、はい。

大野:メインは小平のセンターのメンバーが大家さんと話して建ててもらった賃貸で、***(00:02:25)同居してるんですけど。

立岩:これ建ててもらった感じなの? だってふつうこんなに巨大なエレベーターないですよね? 広い。

大野:専用設計で、大家さんは10年くらい貸したら、もうあとはぜんぶ儲けになるらしく、10年分くらいの家賃で***(00:20:50)。3階は会議室とか、研修場所があったりとか。

立岩:新しい建物ですよね。

大野:***(00:03:05)。こんにちは。

一同:こんにちはー。

大野:関西から立岩先生。

立岩:初めまして、どうもどうも。大野さんの話聞きに来ました。
 新しいですね、めっちゃ。

大野:えっと、5年くらい。

立岩:それよりもっと新しい気がする。
 ビルの4階って書いてあったから、なんかそういうのがいっぱい建ってるようなとこかと思ったら、なんかぽつんっていうか、このビルがどんと建ってる感じが。

大野:住宅街なんで、***(00:03:48)。

立岩:こんにちは。

竹島:小平の竹島です。

大野:前の代表。

竹島:今まで代表してました。いや、ほそぼそとやってます。

大野:***(00:04:10)的な代表で、今はまた別の人に。定年退職。

立岩:定年あるんですか?

竹島:定年は作りました。

立岩:作った。自分のために?

大野:定年で、代表交代になって。

立岩:あ、代表交代っていうだけ。

竹島:はい。

立岩:わかりました。今日は大野さんにちょっと話を伺おうと思って。

竹島:あ、そうなんですか。

立岩:捕まえないときっと何もしゃべんないだろうし。伺わせていただきました。どうもありがとうございます。

大野:こっちがCILのほうで、こっちが***(00:04:40)。

立岩:うわ、いっぱいいる。

(シャッター音)

立岩:あ、顔がどうしても映りたくない人は映んなくていいです。[00:05:01]

大野:えっと、関西の立命館大学の先生の立岩さんです。有名な人。このへんに本がたくさんあります。

立岩:ありますか、ありがとうございます。こんなにいっぱい人が働いているんですか。何人いるとか言ってました? 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10…1ダース。すごいですね。こんなにたくさん人が働いてるの見たことなかった。すげー。これからお世話になると思いますけども、よろしくお願いいたします。

一同:よろしくお願いしまーす。

大野:1階はちらっと見たと思いますけど、知的障害者とかの作業所に。

立岩:あ、お店みたいなのもやってるんですか?

大野:ですね、はい。
 で、今日はあんなにたくさん人が【全国団体いるんで、】(00:06:06)テレワーク中心なんで、なんで今日はあんなにたくさんいるのかと思って。

立岩:そっか、テレワークでできる仕事っちゃそうだよなあ。

大野:コロナで、前はそうじゃなかったんですけど、コロナでテレワーク中心にしましょうってして。ちょっとあれは多すぎだ。

立岩:いや、今日いっぱいいた。みんなふつうに求人で人とるんですか?

大野:あ、事務職はそんなに。人気職種だから、

立岩:そうだよね。

大野:求人出したら100人ぐらい来て、そん中から、

立岩:選んで。

大野:うん、まあ介護はぜんぜん来ないですけどね。500万ぐらい求人を***(00:06:51)ぐらい出してても、めったに来ない。

立岩:そっか、事務職はやっぱりぜんぜん違うんだね。

大野:うん。

立岩:いや、そんなに、いや、いつもはもっと在宅だと言っても多いなというか、働いてるんだなって思いました。

大野:あれは、全国広域協会のほうの仕事だいたいしてるんで、ALS(エーエルエス)の人とかどんどん自薦をするしか田舎のほうはないっつって、つぎつぎ利用者が増えると、本部のほうでも事務をする人が足りなくって、何年か前、7年ぐらい前にうちの事務職が足りなくなっちゃって、一時ちょっと受付停止しなきゃみたいな。

立岩:そんなにいっぱいになったことがあるということ。今はその需給のバランスっていうのはなんとかなってるんですか?

大野:あの、給料もほかの企業より上げなきゃこりゃだめだつって。前はボランタリーな金額だったんで、NPOによくある、月給が20万円代前半とかばっかりだったんで、定期的に辞めていく人がいて、ほかの業種に転職していきますっていう人がいて、増えては減り…、で結婚退職する人とかもいたんですけど、今はもう、そこがボトルネックになってからは、一般企業よりもちょっといいぐらいにしなきゃ、つってどんどん入れて、そういう部分はちょっと人が足りない、大変ってな感じで。

立岩:でも前よりは給料上げて、定着率っていうかはよくなって。

大野:はいはい。だからあの、子どもが生まれても、あの、

立岩:続けて、仕事続けられるっていう感じ。

大野:ええ、ええ。まあほぼ全員、今は子ども生まれても産休・育休が終わったら帰ってきて、また子どもが生まれて休んで、また戻ってきて、みたいな感じに変わってね。

立岩:あと、女性が多いですか?

大野:今は2階は女性だけになりました。

立岩:女性だけでしたね、今見たの。

大野:前は男女半々のころがあったんですけど。

立岩:ああ、そういうこともあったんだ。

大野:あの、初期のころはですね。もう女性ばっかり。田舎のほうだと優秀な事務職って男性ほとんどいなくって、都心に通ったらもっと給料高いですからね。

立岩:あ、そっか。まあそりゃそうだ。

大野:まあここは「育休復帰の実績あり」みたいなやつで、それを見て応募してくる人とかが。

立岩:なるほど。

大野:うん。

立岩:いやあ、いっぱいいるなあと思って。

大野:***(00:09:52)。
 1階の作業所が、洗濯とかの仕事…、掃除とかの仕事に、[00:10:09]


UP:20220820 REV:20221018
大野 直之  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇声の記録(インタビュー記録他)  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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