「書評・藤木和子著『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』」
白崎 朝子(介護福祉士・ライター)
last update: 20220511
■前書き
▼以下から試し読みができます。
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b603044.html
藤木和子さんの初の単著が上梓された。
一読し、荒削りだがいまの読後感を書いてみた。
■本文
□藤木さんとの出逢い
私は2019年にあった優生保護法強制不妊手術の裁判関係の会議で、弁護団の藤木さん(以下、著者)と出逢った。
そして彼女が運営する「きょうだい」の会・シブコトのホームページを読み、母〜私〜息子の親子3代がヤングケアラーだったと発見した。
この経緯については、文末にある著者との対談に詳しい【★文末記事参照】。
私の母は著者と同じく、「障害」をもつ弟がいた。母は、10代前半から2歳だった弟を育て、学業にも支障をきたしていたという。
幼少期、私は母から、弟(私の叔父)をいかに苦労して育てたかという話を繰り返し聴かされた。母の記憶が、私の脳裏で映像化されるくらいに……。
今年2月に88歳で亡くなった母がこの本を読んだら、どう感じるだろうか。そう思いながら、ページをめくった。
□苦労する母を気遣う著者
著者は少女時代、聴覚障害の弟を産んだ母が、「畑が悪い」「産むのが下手」と言われているのを聴いて心痛めても、誰にも言えなかった。そして初潮を迎えても、弟の世話で大変な母には言わなかった。そんな風に24時間体制で、母を気遣っていた。
著者はいま優生保護法の裁判も佳境であり(2022年4月6日現在)、多忙を極める日々だが、「きょうだい」の自助グループ活動や、ヤングケアラーへの社会的支援要請のために奔走している。その原動力の源泉は、彼女の少女時代の体験や痛みからなど再認識させられた。
私は一人っ子だから、「きょうだい」の立場ではない。だが「きょうだい」かつ、おそらくは虐待や性暴力被害によるPTSDだった母を2歳くらいから気遣い、お手伝いをし、慰めてもいる。
「母をケアした娘」という立場で、私も著者の少女時代の想いや痛みと似た感情をもっている。
著者は、「結婚は弁護士になるより難しかった」と書いているが、私もまた母の精神状態が原因で、恋人関係や結婚にダメージを受け続けた。凄惨な人生を生きた「被害者」の母は、娘や孫には「加害者」だった。
この本にも母の人生にも似た、ひと筋縄ではいかない重層的な問題提起がある。
□自助グループの恩恵
私と著者を助け、私の母には決定的になかったもの……それは自助グループの存在だ。
著者は20代後半で「きょうだい会」につながり、たくさんの仲間を得て、癒されていく。
私も今年21年目になる自助グループの仲間に出逢わなければ、いまの恢復はなかったと思う。
そして自助グループとの関わりがなかったら、私たちはたぶん出逢えてはいなかっただろう。
著者が生まれた1982年には優生保護法改悪阻止運動があり、私は20歳。そのとき私がともに運動し、旧厚生省前でハンストした年上の女性解放運動の女たちと再会し、若い著者ともつながって、いま優生保護法の裁判支援をしている。この世代間に続いていくシスターフットを、私はいまとてもとても、慈しんでいる。
著者と同じ「きょうだい」だった母を見送って「49日」。その5日後に出版された「きょうだい」の本。
きっと母も散骨した海のなかから、著者の活躍を応援してくれているだろう。
□追記
上記の文脈にはめられず、はみ出してしまったのだが、私なりに以下の問題意識をもっている。
@ヤングケアラーや「きょうだい」を支援しないのは、子どもの権利条約違反ではないか?
年齢や成長の度合いに見合わない重い責任や負担を負うことで、本人の育ちや教育、進路や人生に影響が生じるヤングケアラーや「きょうだい」の生活実態は、1994年に日本が批准した「子どもの権利条約」の「育つ権利への侵害」にあたるのでは?
A介護保険や障害者総合支援法との関連
ヤングケアラーや「きょうだい」をケア要員として放置している現状は、この間改悪され続けている介護保険(「介護の社会化」ではなく家族責任の強化)の実態からも問題意識をもつべきではないか?
私自身が母のケアマネジャーから二言目には「ご家族が一番ですから」と言われた。
さらに4年前まで働いていた職場のケアマネジャーから、職員がやれる支援すらも、「利用者の家族にやらせる」と言われ続けた。またそのケアマネジャーによる実子のいない利用者への露骨な身体的・性的虐待を間近で見た。しかし、いくら内部告発しても行政は動かず、実子がいないと虐待されやすいという実態に戦慄した。
B著者は障害者権利条約の批准に(2014年)に向けて、弁護士会の障害者委員会に入る。しかし、このとき先輩弁護士に指摘され初めて、「きょうだい」の自分にも「人間としての尊厳」や「人権」があるんだと気づく。
その記述に私は改めて、「きょうだい」自身に内面化された問題の深刻さに、強い衝撃を受けた。
C親から託された「きょうだい」の重責
著者の本を読む3日前、ある障害者支援施設の職員から、高齢の利用者が亡くなった際、その「きょうだい」の人から、「やっと肩の荷がおりました。これで私も自分の子どもたちに自分のきょうだいの面倒をみさせずにあの世に行けます」と言われたと聞き改めて、「きょうだい」の重責を痛感していた。
この本で著者が強く提起しているような社会的支援があれば、この「きょうだい」もこのようには言わなかっただろう。
しかし現状の社会福祉制度の不備により、家族が負う責任と負担はあまりにも大きい。著者も書いているが、家族による痛ましい心中未遂事件が多発している。
★シブコト〜親子三代ヤングケアラー
https://sibkoto.org/articles/detail/69
※『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』岩波ブックレット, 1062)
https://www.amazon.co.jp/dp/4002710629/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_CZ0PY7ASFQ8TANKGPZJC
*作成:安田 智博