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仙台控訴審第6回期日 及び 報告集会のご報告

山本 勝美 20211208

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last update:20220105


■目次



<1>はじめに

初冬の仙台へ行く.日々を関東で過ごす者には、気候の変化に敏感になる。が、新幹線を降りてみると、どうということはない。
それより次回はいよいよ結審,という方が緊張感も高まる。
さて裁判所内で身体検査のあと、一たん外へ出て皆で入所デモ。
そして顔なじみの面々と共に傍聴席に着く。


<2>本日の控訴審期日のご報告
(以下、報告集会で配布の資料を元にご報告)


「パワー・ポイントの元になる意見陳述文は、スペースの都合で省略します。」

準備書面(18)について




準備書面(19)の意見陳述





<3>報告集会のご報告

A ) 当事者・ご家族のご紹介(全員仮名):

・飯塚淳子さん:
何も知らされないまま子どもを産めない体にされた人たち
飯塚淳子さん(仮名)の経験

日本でたった25年ほど前まで、「優生保護法という法律がありました。
その法律によって、「不良な子孫の出生防止」のために,国から子どもを産んではいけないと言われ、子どもを作れない,産めない体にされた人たちがいます。
優生保護法が制定されてから今に至るまで,被害者は他と違って「不良な存在」として国に扱われ,個人の尊厳を傷つけられてきました。
被害者への謝罪と補償,そして差別の是正を求めて闘う訴訟です。
飯塚さんは,16歳の時、住み込みで働いていた先の奥さんに、「出かけるからついておいで」と言われ,診療所へと連れられて行きました。
そこから意識がないままに,気付いた時には手術が施され、本人は後に両親の会話を偶然耳にして,それが不妊手術であったことを知りました。飯塚さんは実際には障害はなかったのですが,知的障害があるとされて手術されました。飯塚さんは,訴訟期日のたびに、報告集会で辛い心境に耐えながら,支援者や報道機関に対して言葉を紡ぎます。
「手術から約60年間,ずっと死にたい,と思ってきた。今でも死にたいと思うことがある。」
子どもが欲しいと思っても,16歳の時に同意のないまま行われた手術によって、子どもができない身体にされてしまった。そのことを結婚相手に打ち明けられず,子どもができないことが原因で,離婚を切り出されてきた。まさかそれが国が作った法律によって行われた手術だなんて,当時は知る由もありませんでした。


・佐藤路子さん:
2021年12月8日仙台高裁第6回口頭弁論 佐藤路子」

本日は、控訴審第6回期日に傍聴並びに報告集会にお集まり頂きありがとうございます。
私は原告 佐藤由美の義理の姉で 佐藤路子です。由美は 夫の妹です。
妹は、15歳中学3年で事実とは異なる理由で強制不妊手術をされました。
2019年5月28日地裁での判決は、「旧優生保護法は違憲」としながらも、敗訴でした。

 優生保護法という法律が存在したために、強制的に不妊手術され
 国賠訴訟ができるのは、手術されてから20年の間である事
 しかし、どのように考えても 障害のある本人・家族が 20年の間に国賠訴訟を起こすという事は、不可能だったのではないでしょうか?
 法律で決められた事に 障害のある本人・家族が提訴することが如何に大変かと言う事です。 私が 優生保護法という法律があった事を 知ったのは インターネットのニュースでした。
 ある会社で勤務していた時に 朝 昼 退社時にネットニュースを確認する様指示されていました。それは社会情勢 国内の情報を知るためです。それが今から15年前です。
 2017年2月26日に日弁連から意見書が出されたことが大きく報道されそれを聞いて 新里弁護士に連絡 その後提訴して今日に至ります。
 その間に一時金支給法が成立しました。
 10月31日の宮城県での認定が累計で102名です。
 提訴して本当に良かったです。宮城県が全国で一番です。
 強制不妊手術されたことが いかに人権侵害 理不尽だったのか反映されていると思いました。認定を受けた方々は陰ながら私達を応援している事と思っています。


・北三郎さん(東京):

 こんにちは。優生保護法の被害者、北三郎です。
 つらかった、悲しかった、苦しかった。
 六十四年前、十四歳で何も説明されずに手術されてからずっと、耐え忍んで、生きてきました。
 もうすでに、七十八歳になります。

 若いときのことを思い出します。仕事にはげみ、手術させた父親と施設を、どれだけ憎み続けてきたか。
 だれにも言えない秘密をかかえて、一人で悩み、苦しんで来ました。
 最愛の妻が亡くなる四、五日前、私の秘密をうちあけました。
 うつむいて「ご飯だけは、ちゃんと食べるのよ」と言いながら、息をひきとりました。責められるかと思っておりました。つらさがこみあげて、どうすることもできませんでした。
 その五年後の二〇一八年の朝、ファミリーレストランで食事をしながら、無料の「読売新聞」を読んでいました。強制不妊手術、不良な子孫の出生防止、と書いてありました。書かれていること、佐藤さんや飯塚さんのことは、私と似ている。
 勇気を出して、仙台ホットラインに電話をしました。
 国がいったいなぜ、こんなむごいことをしなければならないのか、納得いかなかった。
 父親じゃなかった、施設じゃなかった、半信半疑だったけれど、誤解が解けました。
 国や優生保護法に目を向けるようになり、裁判を起こし、昨年六月三十日に判決が出ました。除斥(じょせき)期間で二〇年たったから、訴えは認めないと言われ、体が勝手に震えて、くやしくて、くやしくて、裁判官の顔を見上げて、ぼうぜんとしておりました。
 優生保護法で手術されたとは、私は知りませんでした。誰も教えてくれませんでした。
国は被害者に何もしてこなかった。平成八年、一九九六年前に、知らせもこないのに、裁判なんかできるはずがありません。納得できません。
 国は勝手に人の体にメスを入れ、子供を持てない体に作り変えることが、許されていいのですか。
 旧優生保護法は、まちがった法律です。優生手術によって奪われた私の人生を、返してほしい。  私と同じような被害者が、二万五千人もいることを知りました。全国でこんなにいるとは驚きました。裁判に勝って被害者の人たちに報告したいという強い思いで、戦っていきます。
 優生被害者が裁判に訴えているうちに、北海道で一人、宮城で一人、神戸で一人、そして福岡で一人、無念の思いで亡くなっております。
 今まで耐えてきたのにと、やり切れない思いでなりません。
 どれほどの月日がかかるか分かりませんが、亡くなった方々のためにも、私は残りの人生をかけて、国が悪かったことを認めるまで、戦っていきます。

 国に言いたい。どれだけ被害者が苦しめばいいのですか、教えてください。
 国は本当のことを認めて、謝ってください。
 国に言いたい。私の元の体を返してください。
 私の人生メチャメチャにして、私の幸せはどこにあるのですか。
 私の妻に子どもを抱かせてやりたかった。
 私の人生を返してください。
 被害者の心の叫びが聞こえてきます。
 私たち被害者の心の傷が癒されることを祈ります。

B ) 本日の期日について(同上記資料)& 今後の予定
3月1日付け結審予定

C )全国の状況
・大阪高裁判決 令和4年2月22日(火)午後2時30分〜
・東京高裁判決 令和4年3月11日(金)午後2時〜

D )各支援団体から
1) 強制不妊訴訟不当判決にともに立ち向かうプロジェクト
去る11月29日の「署名提出 院内集会及び全国集会」の取り組みをご報告

2) 優生手術被害者とともに歩むみやぎの会:上記集会共催の取り組みその他をご報告

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<4> ふり返りと次回

この日の状況は,緊張感がみなぎっていた。
次回は結審,その後には判決が迫っている。
次回のあり方をめぐって裁判長と弁護団との間に、「除斥期間」をめぐる意見陳述の持ち方をめぐって,幾度もやり取りが展開された。
更に,国際条約、とくに強制不妊手術を拷問と位置づけ,除斥期間を無力化の方向へ近づけようとする弁護団と、そのまま押し切ろうとする動きとの確執のようにも受け取れた。

次回(結審)は3月1日に開かれる。


追記

この報告は,昨年12月8日に仙台弁護士会館で行われた期日後集会にて配布された資料をもとに、当日の法廷で掲載されたパワーポイント、また,飯塚さんの経過その他の事実経過については、そのまま掲載しました。またご家族の立場から佐藤路子さん,また東京高裁の原告、北さんによるアピール文は当事者のアピール文です。また<1>のはじめに、及び<4>のふり返りは、編集者山本勝美によるものです。


*作成:安田 智博
UP: 20220104 REV: 0105
山本 勝美  ◇優生学・優生思想  ◇不妊手術/断種  ◇優生:2020(日本)  ◇病者障害者運動史研究  ◇全文掲載

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