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那須里美氏(日本障害者リハビリテーション協会 企画研修部)・光岡芳宏氏(同)・横山かおる氏(ダスキン愛の輪基金)インタビュー

20210823 聞き手:権藤眞由美 於:Zoom

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■インタビュー情報

◇那須 里美・光岡 芳宏・横山 かおる i2021 インタビュー 2021/08/23 聞き手:権藤 眞由美 於:***
◇文字起こし:***

■関連項目

ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業
◇日本障害者リハビリテーション協会 [外部リンク]

■本文

58分

■■

権藤:すみません。ちょっと簡単に私からこの論文を書く経緯にだけ少し説明させてもらってもいいですか。
私、ヴェトナムのハノイILセンターの調査をさせて頂いたんですが、JICAから資金を得て運営されていたんですね。JICAから資金が調達されていた間はうまくいっていたんですけれども、その資金打ち切り後に運営が難しくなってしまい、センターの方々ともお話をしたんですが、「外部資金を得ることに一生懸命で存続できるか分からない」というご回答だったんですね。その後、私が日本に帰ってきて担当教員の立岩に相談したところ、「メインストリームは海外のCILの支援をされていて継続できているよ」とお話をうかがいました。廉田さんからは「自分のところだけでやっているわけではなくて、リハ協だったり他のCILだったりいろんなところに協力してもらってやれているもんなんだよ」とお話を伺ったので、リハ協さんとダスキンさんにお話しを伺ってその詳細を文字化したいと思ったというのが経緯です。那須さんにおたずねしたいというところが、まずは一番はじめに1981年にミスタードーナツで始まったじゃないですか。その頃はダスキンさんから委託を受けて、結構おおきな部分で関わりがあったという風に奥平さんから伺っていたんですけれどもその辺りはどうなんでしょうか。

那須:私、さすがに入職していなかったので。

権藤:そうですよね。全然お若いですよね。

那須:(笑)小学生…

権藤:昔のものってなかなか掘り起こしても出てこなくて、文献もみつからなくて。一次審査の時とか、例えば、書類審査で選ぶ時のアドバイスとかダスキンさんにリハ協からもしていたという話しだったんですよ。その1981年の当時から現在というか、現在がどうかは分からないんですが、そういうかかわりというのはあるんですか。

那須:その当時のことって正直、分からないんですけれども。

権藤:はいはいはい。

那須:この後に入って下さる横山さんとかがもしかしたら古いデータを持っていらっしゃるとか、まだご健在でいらっしゃる方をご紹介いただける可能性はあるのかなぁというふうに思います。現時点では、派遣事業とうちがやっているのが招聘事業なんですけれども、基本的に委員の方も違いますし、うちが派遣事業に対して意見を出すとかいうこともないですし、逆にダスキンさんはうちの招聘事業に関しても委員とか出してないんですよね。もちろん、監督というか主催者なので色々と私の方でご相談はさせて頂くことは、もちろんあるんですけれども、基本的にうちに委託して下さっているので、基本的には全面的にお任せを頂いてやっているという感じなので。

権藤:すみません。音声が途切れちゃって最後の方が全然、音声が途切れちゃって。

那須:本当ですか。すみません。

権藤:すみません。

那須:ごめんなさい。

権藤:はい。

那須:愛の輪さんでやっているところは、日本人の卒業生で。お互い障害があるというところもありますのでひとつの事業でコラボできるところはやっていけたらなという話はしてはいるんですけれども。

権藤:派遣事業の方で目的はリーダー育成じゃないですか。

那須:派遣事業。招聘もそうですね。

権藤:はい、そうですね。
 選ぶ際のリーダー像はその書類の中から何かどういう視点で選んでいらっしゃるのかなと、ちょっとおたずねできたらと思うんですけれども。

那須:委員の方によっておそらく観点っていうのは必ずしも一緒ではないと思います。

権藤:はい。

那須:でいろんな委員の方がおられるので、それぞれの観点で選んで頂いてはいるんですが、いま、コロナの関係で現地には行けなくなっていますけれども、後、現地に行って現地で研修生が住んでいるところだったり、活動を見せてもらったり実際にインタビューをしたりするので、まあそこで皆さん最初はいろんな観点でみていらっしゃると思いますけれども、ある程度こうなんでしょうね、(異なる観点から見ていても、最終的には委員の意見がまとまって)リーダー性のある人みたいな人を選べているのかなとは思う。

権藤 では現地できちんとその活動というものは見せてもらうんですね。

那須:可能な限り。なので、曜日とかも土日に入ったりとかすると活動が休みとか言われることもあるので、逆に土日しかやっていないところもありますけれども、できるだけ活動は見せてほしいですということでお願いをして、あとご家族にも可能な限り会わせて下さいっていうふうには言っています。

権藤 それは、だいたいおおよそ何人くらいで見に行かれたり。一人のスタッフで見にいかれるんですか。二人のスタッフで見にいかれる…

那須:だいたい二人、二人が多いですかね。場合によっては三人になることもあるんですけれども基本は二人が多いです。で、実行委員と事務局がセットで行く感じですね。

権藤:光岡さんにちょっと質問させてもらってもいいですか。

光岡:はい

権藤:光岡さん自身も、派遣研修生として実際に行かれてらっしゃるじゃないですか。で、ご自身が面接を受ける側だった時のお話を聞いてもいいですか。ちょっと遡っちゃうんですけれども。

光岡:覚えているかどうかあやしいですが。

権藤:すみません。その時にこう面接を受けた時に自分の中でそのリーダー像をどう受け止めてどう考えたかっていう記憶ってありますか。その時、なんかもうリーダーっていうのが頭についているじゃないですか、

光岡:はい。

権藤:自分自身をどういう方面でそのリーダーとして活かせるかまだ漠然として分からないとは思うんですけれども、

光岡:えー

権藤:まずは面談を受けている時に自分の中でイメージされたものとかどう受けた、受け止めていたというかその覚えていらっしゃいますか。

光岡:そうですね。僕、当時、大学院を卒業してすぐに応募したんで、ずっと専攻していた社会福祉士での勉強をしたいと思っていて、そこでやっぱり考えたのは当事者でありながら専門家であるっていう両方のメリットを組み合わせてこう相談支援に関わりたいなっていうふうなことがあったので、その時にリーダーっていうよりはどちらかというと当事者と専門職者のいいところをセットでもてたら自分のスキルとしてもてたら日本の障害者の人たちの住やすい環境をつくっていけるんじゃないかっていうふうな人っていうので、こじつけ…そういう人になりたいっていうふうな意味合いで申し込んだんで。リーダーというよりかはパイオニアみたいなそういう先駆者になりたいなという気持ちだったと思います。

権藤:それって、実際に現地に行かれて研修を受ける中で、やっぱりそれってより強くなったのかちょっと何か考え方が変わったりとか、そういう実感、体感されたことありますか。

光岡:…僕、当時はまだその自立生活センターとかも関わっていなかったので、どちらかといったらそういう当事者運動的な側面は知らなかったんですけど

権藤:はい

光岡:アメリカに研修に行って現地の自立生活センターとかそういうリーダーに関わってきて「あっ、何か今までの自分の考えていうのはあんまりこう当事者としての役割について考えていなかったのかなというのがあるので、そういう意味では研修前の自分の考え方はちょっとこう違っているなあと思うし、であとは逆にアメリカだったので法律とかそういうものがけっこう力を発揮するので、そういう制度とか政策っていうのが障害者の生活を変えるために重要なんだなっていう、まあそういう意味で専門職のあり方みたいなものが大事なんだろうなそうですね、両方ありますね。

権藤:それで帰って来られてすぐにリハ協に入られて

光岡:帰って来て一年くらいは実家で何しようかなあと考えていました。

権藤:はい。

光岡:はい、で本当に個人的なつながりで東京の八王子の自立生活センターの関係者から声をかけて頂いて、中西さんに一度ちょっと来てみて自立生活センターの話を聞いてみないかっていうふうなことを言われたので、その当時もまだ働くっていう感覚ではなくってちょっと話しに来ないみたいに、

権藤:あー

光岡:声をかけて頂いて。

権藤:はい

光岡:で行きました。なので、帰って来て一年はとくに何もしてなくてその後ヒューマンケア協会に関わり始めた。

権藤:あー、ならヒューマンケアからそのまんまリハ協ですか。

光岡:そうですね。約9年ぐらいヒューマンで働かせて頂いて、その後リハ協に移りました。

権藤:なるほど。今度、ご自身がえーっと、支援する側、自分がその面接を受けて研修生として出ていった側ですけれども、今度は支援する側、えっと、リハ協さんはそのアジアから受け入れていらっしゃる方たちなので、外国からの方たちへの支援になるんですけれども、何か自分が支援することで、何かこう支援する視点、ここは大事にしたいなあと思われるところってありますか。

光岡:そういう時に大事にしたいのは、やっぱりこう何ていうんでしょう。その人の人なりというかバックグランドというか性格というか。色々言ってすみません。

権藤:いえいえ。

光岡:何か思いというか、そういうものが大事だなあと思いました。自分が派遣で研修をしていた時はどちらかというと、何か学歴必要だなあとか専門的知識が大事だなあとかって思ってましたけど、

権藤:はい

光岡:やっぱりダスキンの研修生の人と関わらせてもらうと、何ていうんでしょう。粘り強さだったりとか

権藤:あー

光岡:人と接するコミュニケーションとかそういうパーソナリティに関わるところがとても大事なんだと思うし、そういうところをちゃんと見ていきたいなという気がします。

権藤:ありがとうございます。

横山:すみません。ダスキン愛の輪の横山と申します。

権藤:お世話になります。立命館大学院生の権藤と申します。

横山:お世話になります。

権藤:宜しくお願いします。

横山:宜しくお願いします。何かちょっとね、会社パソコンが何とかアップしたら急に何もかもが通じなくなった、ごめんなさい。

権藤:とんでもないです。ありがとうございます。すみません。横山さん、録音させてもらってもいいですか。

横山:全然かまいませんよ。

権藤:私が論文に書くときに内容に齟齬があるといけないので、申し訳ないです。

横山:那須さんと光岡さんがよければ、私は。

権藤:お二人から先ほど了解を頂きました。ありがとうございます。録音させて頂きます。

横山:お願いします。

権藤:はい、ダスキンさんの方にはメールにもちょっと書いていたんですけれども、もう本当になんだろう。昔の1981年からのずっと歴史を分かる方ってもうダスキンさんにはいらっしゃらないですよね。その当時の当時の。

横山:さすがにおりません。

権藤:そうですよね。さすがに。えっーと一番最初のスタートは介助無しにみんな行ってるんです。確か。

横山:そうでしょうね。そうだと思います。

権藤:最初の10年は知的障害の方についてはご家族が一緒に行かれたりとか

横山:はいはい。

権藤:しているみたいなんですね。その後の1991年からは介助付きでというか同行しての研修になっているんですよ。介助者も一緒に同行しての。

横山:いや、基本的にね、違うんです。

権藤:え、そうなんですか。

横山:はい、確かにいま
権藤さんが仰られるように1期から10期っていうのはこの事業自体をご存じのようにリハビリテーション協会さんに委託をしてましたんで、

権藤:はい

横山:若干、うちでは把握しきれていないことが実はあるんですけれども、

権藤:うんうん

横山:11期から団体研修とかいうのがあったんですけれども、それ以降はうちの基本的な考え方としては、あの介助者は研修地で探すっていうのがベースなんです。

権藤:あーはいはい。

横山:はい、なので最近はあの以前に比べてより重度な方が行かれるようになったので飛行等々、移動とかの心配もありますんで、日本から介助者がついていくっていうことがありましてまあ人に合わせてフレキシブルには対応はしているんですけれども、基本は現地で探すというのがこの研修のすごい幹になるところでは実はあるんです。

権藤:そうですね。それで現地で交渉するっていうところにもあの力を入れていらっしゃるじゃないですか。本人じたいが研修の中できちんと交渉して、自分にあう生活スタイルというか介助者含めっていうことですよね。

横山:はい、そうです。

権藤:そこを大きく勘違いしてました。なんでついていくようになったのか。私の中で重度の方々が増えたから行って、介助ってなかなか個別で全然違うじゃないですか。細かいこともあるし、相手に伝えることも大変だし、そういうこともあって連れていっていると思ったんですけれども。そういうわけじゃ、なかったんですね。ありがとうございます。あと、すみません。ダスキンさんで研修生を選ぶ時に、まずは書類選考の段階があってそこから面接とかがあるわけじゃないですか。そこで選ぶ視点で核となるものって何かございますか。

横山:それはね、光岡さんみて下さったら分かると思うんですけど。

光岡:いやいや

権藤:はい、それは分かります。ダスキンの研修生の方々、はい、

横山:実はもともとその書類じたいをうめるというのが非常に大変だったと思うので、応募者じたいがすごく多いわけじゃないんですよ。その書類を出して来られる方っていうのが。

権藤:あーそうなんですね。

横山:そこで一定の志と思いをもった人が、その書類を提出されてきているなというのはすごく感じます。

権藤:はい。

横山:そこから実行委員の先生方が選ばれるんですけれども、選考の過程とかを拝見していて思うのは
実はみなさんそんなにとっても優秀な人をとろうとか何かそういう視点はないんだなというのは感じてますね。
だから、うちの応募要項とかみて下さったことがあるかちょっと分からないんですけど、

権藤:見てます。

横山:障害をもった経緯であるとか何故この事業に応募しようと思ったのかという、たぶんそのあたりにものすごい、実行委員で選ばれえる先生方のよむ思いが入っているのは感じますね。だから、本当はアメリカとか行くんで語学力とかは非常に大事なんですけれども

権藤:はい

横山:そこが最初にみるところではないですね。先生方が。この障害があってでもこういう考え方をしてこういうふうになりたい、こういうふうに貢献をしたい、そういうものを書く自分史的なところがあるんですけれど

権藤:はい

横山:そこはすごく読み込んでおられているなあという感じで。結局、そこで選んでらっしゃるなぁという感じもします

権藤:あー

横山:何かやっぱりしゃべられて何か感じられるのかなあ、その何かっていうのは先生方の知見であるとか応募者にかける思いっていうのはその直接っていうのかお話することで得てらっしゃるのかなっていうふうには思ってます。なので、500名以上の方がいろんな分野で活躍してらっしゃるなあと、そこがうちの強みでもあるのかなあというのは思っています。長々とすみません。

権藤:ありがとうございます。CILを立ち上げる人たちだけじゃないですからね。他の芸術分野でも活躍されていますしね本当にこう、研修内容についても個別で皆さんたてていらっしゃるじゃないですか。だから、偏りがないですよね。本当に自分がやりたいことをきちんと書かれているというところに、やっぱり研修の良さがある
というか他の一般的な研修というのはだいたい大枠は決まっていて、それに沿って受けていってその先にこう枝分かれしているってうのはあるんですけど、最初から枝分かれしてるじゃないですか。ダスキンさんの研修って、みんな目的があってその分野で到達した人物になりたいっていうのがあるので、そこがこう現地に行ってきて体感して日本に戻ってきて活かすことができるっていうふうに感じています。
あと、やはりダスキンさんとリハ協さんの連携というかすごくとれているように見えるんですね。あの、何ていうのかな、例えばリハ協さんのつながりがあるところに研修生を紹介していったりとかしてるじゃないですか。メインの廉田さんところに行く方もいれば八王子の中西さんの…

横山:それはアジアの話しですかね。

権藤:あ、そうそう、そっちの方です。ごめんなさい。ダスキン、JICAとか日本財団とかリハ協さんとかつながりっていうその連携、色んなことで情報共有するという場で何かあるんですか。例えば困った時にやりとりするとか、こういうことをやるので一緒にやりましようとか、そういうのはないですか。基本的には。もう事業のことだけ。

横山:今、言って下さっているのは派遣のことでしょうか。

権藤:派遣事業のこともそうなんですが、

横山:日本から海外に行く方の話し、全体の話ですかね。

権藤:海外に行かれて日本に戻ってきて報告会とかされたりとか一緒に協賛とかでやられたりとかああいうのは定期的にやっていらっしゃるのもあるんだけれども、シンポジウムとかは定期的にやっていらっしゃるものではないと思うので、そこで情報共有してやりましょうという話しになると思うんですけれども、そういうのはやはり繋がりがあってやるわけじゃないですか。その話しの発端というか、それはどこからくるのかなあと。

横山:うちはご存じのように企業が設立母体の公益財団なので、障害分野に知見があるわけじゃないんですよね。派遣事業のもともとの1期から10期もリハ協さんにお願いしてご対応して頂いたというのがあるので、仰っておられるところの連携をとって云々というのも、今の話では派遣の話で軸足を置いていらっしゃるかもしれないんですけど

権藤:はい

横山:リハ協さんが日本財団であるとか他のCILとか諸団体との接着剤的な役で、こんなことありますよっていう情報は入れて下さっているというのは感じていますね。

権藤:ありがとうございます。以前メールで資料についておたずねさせて頂いたんですけれども、1981年から1990年の「自立のはばたき」の原本ってダスキンさんにはありますか。

横山:担当が何て言ってたか分からないんですけど、ないと言っているものはないと思うんですけどね。みてみますね。担当はなんていうてました?

権藤:最初におうかがいした時は、なくて私も他からさがして83年と85年はお借りすることができたんですけど、

横山:そうなんですか。

権藤:何せ古いものですからなかなかなくてもし、原本があって会社の方にお伺いさせて頂いてその場でコピーさせていただくことができればお願いしたいなと思うんですけれども。なければそれは全然いいです、もしあればということで御願いします。

横山:はい。

権藤:那須さん、入っていらっしゃいますでしょうか。

那須:いまーす。

権藤:すみません。先ほど、お話したんですけれどもリハ協さんに接着剤的な役割をしてもらってて、そこから情報も得てらっしゃるということだったんですが、リハ協さんとしてはJICAさん、日本財団さんとかとうまく連携をとっていらっしゃるみたいですし、それはけっこう昔からなんでしょうか。

那須:JICAは、もう長いですね。それこそ、私が入職する頃よりずっと前から課題別研修はやっているので、JICAの方は非常に長いです。で、日本財団さんはそんなに長い訳でもないですけど、

権藤:はい

那須:ただ、あちらも障害のある方の事業をやってらっしゃるし、それがアジアの中でも東南アジアが中心なんですけれども、招聘事業の方と完全ではないですけれども被る部分があるので、そういう部分で情報交換をしたりということはありましたね。東南アジアとかで色々日本財団さんは、現地に事務所はないけれども視察されたりすることが多いらしいんですよ。その時にリーダーとして出てくるのがうちの卒業生であることが多くて、特にミャンマーとかはパートナーとして事業をさせてもらったりとかいうのがあって、そういうところで私たちが日本財団に働きかけるっていうことよりも、研修生が自国で活躍することによってそれをやっているのがダスキン愛の輪基金というとこらしいぞみたいな話しで

権藤:うんうん

那須:最近はもうほぼほぼそれです。研修生のおかげで色々とあちらからこう「そう聞いたんですけど」と連絡がきたりとかというのが増えています。

権藤:私もヴェトナムに調査に行っている時にその障害のある方、特にダスキンのことを話された視覚障害の方が多くて「応募してるんだけどなかなか通らないんだけれどもダスキンで日本に行くのが夢だと。視覚障害者の方5人から話をきいてそのうち3人はそう仰っておられて、1人はすでにダスキンで日本に行ってらっしゃる方だったので、日本に行って生活してみてヴェトナムとの国の違いがよく分かったとはお話されていたんですよね。なかなか国外に出るっていうのは難しいのでダスキンというのがあるよって言って情報共有しているっていうのは視覚障害者の方たち言っておられましたね。

那須:私はまだ出会ったことないんですけど、街ゆく障害のある人から「ダスキン?」みたいなことを言われることが面接であるとか。

権藤:やっぱりすごく有名になっているというか、そういう感じはします。私もそれは向こうに行って感じました。

那須:やっぱり長く続けて頂いているということと、研修生が先ほどの面接のポイントとかもありましたけど、
本当にちゃんと、何ですかね志を持っているというかいい種を持っている人を選考できているというところもきっとあるんだと思いますし、彼らがそれを活かしてくれているっていうところもやっぱり、先ほどお話にありましたけれども廉田さんとか日本で研修を受け入れて下さった方からご協力頂いて帰った後とかをご支援を頂いていることもすごく大きいのかなあと思います。

権藤:そこはやはり大きいですよね。ヴェトナムとかはもう切れちゃっているので、その先はないので自分たちでやれることはやっていると仰っていたんですけれど、例えば中西さんに相談すれば資金の面ではなく、それ以外の部分でも何かしらやってくれるのではと思うんですが本人たちがそれをやっていないので、理由はあるとは思うんですけど。廉田さんところをみると、フォローアップされているというか日本に来られた時に会議みたいなものを開いて情報共有して、メインのスタッフみんなで支援していますと話されているので、途切れない支援ができているなとは思います。

権藤:いま、コロナでなかなか事業の展開が難しいじゃないですか。これって、コロナ状況によっては募集はするけれども、止まったりすることはありますか。

那須:現状、入れたくても入れられないので、止めざる得ないというところはあります。ただ、止めながらもオンラインとかで語学研修をやったりとか、選ばれた人たちって1年後だったら行かないという人は誰ひとりいないんですよ。勉強させてくれみたいな人たちばかりだから、できるだけその気持ちに応えられるようにしたいっていうことでオンラインで、語学研修は継続的にやっていて。後は月に1回、ちょっとみんなで集まってミーティングをやるとか、そういったことで学びを止めないような工夫はしています。

権藤:それはZoomでやられているんでしょうか。

那須:はい。

権藤:ここの担当は、那須さんと光岡さんが主に担当されているんですか。

那須:常勤で月曜日から金曜日まで張り付いているのは2人なんですけれども、研修事業として課のスタッフとしては5人います。当然、研修のことはうちでやるんですけれども、お金のこととかは全然できないのでうちのリハ協のスタッフにお願いをしてますし、あとまあもともと団体じたいが障害のことを扱っているので研修先だったりとか情報をもらったりだとかは、他の課にも協力してもらったりだとかしています。

権藤:そうなんですね。他の課の中で那須さんの課だけでなくその他の課とも協力してやっているんですね。

那須:主にはほぼほぼうちの課でやることなんですけど、研修の内容によってはIT系のことをやりたいとか、うちは情報センターっていうのがあるのでそこに研修をお願いしたりだとかは勿論ありますし、例えばファッションだとかであれば情報誌を出していますので、そこの担当にお願いして障害のある人のファッションをやっている人いないですかって聞いて情報を得たりだとかはしています。

権藤:本人の要望に沿ったかたちになっているということですよね。

那須:個別研修期間というのがあってそこは完全にそれぞれがやりたいことをやるというかたちなので。そういうところではそのようなかたちで研修先をみつけています。

権藤:研修先をみつける時に難しいことってありますか。

那須:んー、やっぱり教育現場とか、いま先生方が忙しかったりするので、なかなか長い期間お願いするっていうのは難しいというのがあったりとか、そうですね、結局、外国の方なのでコミュニケーションのこととかをすごく心配されたりする方が多いのは事実ですかね。ただ、基本CILさんとかもそうですし、障害関係団体の人のところってすごく協力的なところが多いですね。

権藤:光岡さんにおたずねしてもよろしいでしょうか。

光岡:はい

権藤:光岡さんも那須さんと一緒にやられているじゃないですか。光岡さんが感じておられる難しさというのは別にありますか。

光岡:似たようなことですけれども、学校もそうですし、例えば就労の現場とかそういう活動している現場に行かせて下さいとか、研修をお願いしますとかだとなかなかやっぱり外部の人を受け入れることが
セキュリティ、個人情報のことだったりとかあってなかなか難しいし、教育とか就労とかに興味をもつ研修生の人たちは多いのは多いので、その辺をうまくニーズにあわせるのが難しいというのはありますね。あとは、やっぱり英語ですね、日本の方が英語でコミュニケーションをとるのは難しいので、ダスキンの研修の特徴というかメリットは日本語でやり取りできるということなので、研修生から英語で研修をお願いしますと言われた時も、それをダスキンの研修の意図をきちんと話して説明するというそういうところも気を付けているというか、ありますね。

権藤:ありがとうございます。


権藤:横山さん、ダスキンさんで、何かこうこういう派遣事業とかで文献とかを探してみたんですが、ダスキンさんで本とか出されていますか。けっこう探したんですけど。

横山:研修生が本を出していることはありますけど

権藤:はい

横山:研修の成果をすぐにみせてほしいなんていうことは、実はうちの財団は思っていないんです。皆さん、色んな障害もあるし、考え方もあるし、住んでいらっしゃる地域もあるんで、それぞれの場所でそれぞれにあの大きい小さい別にして貢献とか活躍とかしていって下さるといいっていうのがもうすごくあるんで、それって実はアジアの招聘事業も同じようなことを思っているんですけど。

権藤:はい

横山:だから、んー、何かあんまりそういう取りまとめてっていうのは一切ないですね。

権藤:探してもないのは、もともとがないからってことなんですね。これだけ障害者分野で関心が高くて年月を経ているので、何かしかあると思って色々探しているという、鈴木さんに関する本とかはご本人も含め出されたものがありますし、他にも書かれたものは1冊くらいはあったんですけれども、障害者に関する事業について特段その書いたものが見当たらなくてもしかしたらあるのかと思いつつ。

横山:いやいやないですね。最近、ようやく少しずつ宣伝というかするようになりましたけど。いいことは隠すぐらいの考え方があったんで。

権藤:あー

横山:本当にそうだったんですよ。だから、ないんだと思います。

権藤:うんうんうん

横山:陰徳とかっていう、私聞きました。そういう話。

権藤:表立ってというのにはしないというか。ですね。

横山:まあ、逆に研修生が「もっと言った方がいいん。違う?」みたいな。今どきの人はみんな言ってくれる。(笑)

権藤:(笑)

権藤:応募してくる方の中には合格した後に体調不良とかで辞退される方もいるって聞くんですけれども、体調不良以外で辞退される方はいますか。

横山:就職が決まったとか、

権藤:うんうん

権藤:基本的に交渉は本人だけでやるってことですよね。

横山:そうなんですけど。例えば本人が日本と海外、本人がどれだけネットワークを持っているかによって探せるところが限られてくるのでアドバイザーの実行委員の先生がうまく「こんなところあるよ」って言って下さる場合もありますが、研修生があうかも分かりませんし、難しいところはあるんですよね。

権藤:うんうん

横山:すごくそのへんがあるんでね。

権藤:なるほど。あの、応募人数って推移って分かるんですか。

横山:えっとね、個人研修ではもう30〜40ぐらいなんです。だいたい応募者っていうのが。なので、100名以上がっていうのは1期とかそれぐらい。

権藤:そうですね。昔はそういうのがあったっていうふうに書いてあって、ここ10年くらいですか。平均30〜40は。

横山:そうですね。個人研修のハードルが高いんのかなっていうので、グループ研修とかスタディアメリカ研修とかをつくっていったという経緯は少しあるので。何かせっかく、就職しましたとかせっかく学校入りました、でも一年休みます。仕事辞めます、本人にとっては一大決断になるんでね。

権藤:はい

横山:だから、個人研修っていうのが今の時代にあっているのかなっていうのが、ちょっと書いて下さってますが、時代にあわせて研修形態を考えたようなところがあります。

権藤:この何だろう。今のCILの皆さんが抱えているのが後継者っていうのを考えていると仰っていて、ただ後継者って何十年に一回かは必ず考えていかなければならないというのがあるので、この事業が続いていくっていうのは、このCILで働く人も他の分野の人もですけれども、活動される方々にとってはすごくいい事業だと思うので継続して頂きたいと思います。これがあることで海外からも夢を叶えることができる人たちもいるので。これはずっとやられる事業なんですよね。財団として。

横山:そうですね。こういうことは、辞めるきっかけはないんです。

権藤:おー

権藤:うんうん。それは受け継いでおられるというか。歴代の社長さんからというか。代表者の方というか。

横山:辞めるなんていう発想がないですよね。だから逆に続けられる努力をしなさい的なことは言われます。

権藤:なるほど。なるほど。


権藤:今この事業は何人のスタッフでまわしていらっしゃいますか。

横山:招聘事業はリハ協さんに委託していますので、派遣事業の方は1名で担当です。

権藤:けっこう大変ですね。

横山:(笑)

権藤:出して最初の方と行って落ち着くまでの間が大変ですよね。確かに(笑)

横山:いろんな行事は全員でフォローアップして。総勢5人おりますので。わたし含めて。

権藤:主に中心に担当していらっしゃるのが1名でってことなんですね。

横山:だから他の者はお金を集めることをやっていたりとかね、そういう管理を担うとか。

権藤:すみません。終わりの時間も近くなってきたので。えっと、今日お話ししたことは文字起こしをしてみなさんに使わせていただくところはお三方に確認をさせて頂きたいと思います。
 もし、よろしければインタビューの内容を一度読んで頂いて、立命館大学のホームページに生存学研究所で「声の記録」というものがありまして、掲載をさせて頂けるかどうかただ、文字お越しの内容をみて「ここは削除して欲しい」という箇所は、全部消して頂いて大丈夫です。話しがつながらなくなっても。公開していいという了解を得た部分だけ公開しているので、それも可能かどうか文字お越しの内容を見て頂いて後日、メールで送りますのでお返事を頂ければ助かります。ダメなものは、全然かまいませんので、私の後にまたこうやって研究をしたいという方がインタビューの内容を参考にされるという意味のものでもあり、その当時のことを残すというものでもあるのでご協力いただければと思います。宜しくお願いします。なので、後日、文字お越しが終わりましたらメールをさせて頂いてよろしいでしょうか。

那須:はい

権藤:光岡さんも大丈夫でしょうか。

光岡:はい、大丈夫です。

権藤:すみません。お忙しい中、お時間をつくってありがとうございました。どうしてもおたずねしたいことがあったらメールで質問をするかもしれませんが、答えられる部分だけでいいのでその時はお願いいたします。ただ、今日ほとんどお聞きしたかったことは聞くことができたので、ありがとうございました。

那須:ありがとうございました。

光岡:ありがとうございました。

横山:すみません。遅く遅れてしまって。

権藤:いやいや、とんでもないです。ありがとうございました。お忙しい中、ありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

横山:こちらこそどうぞ宜しくお願いします。

那須:それでは終了させて頂きます。

権藤:那須さん、ありがとうございました。

横山:失礼します。

光岡:失礼します。

那須:失礼いたします。

権藤:失礼いたします。

*作成:中井 良平
UP:20211009 REV:
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