【音声開始】
戸田:よろしくお願いします。
Oさん:お願いします。
戸田:ありがとうございます。私、いまお部屋、大学の研究室で誰もいないお部屋なので、プライバシーを守らせていただきたいと思っていますので、お願いします。Oさんはもうずっと、〇の生まれ?
Oさん:そうです。〇ずっと。
戸田:〇生まれ。〇生まれ〇育ちで。
Oさん:はい。
戸田:そうなんですね。じゃ、ちょっと生まれた頃、記憶が残っていらっしゃる頃からのちょっとご様子をお伺いしてもいいですか?
Oさん:はい。
戸田:もう生まれた頃からご病状があった?
Oさん:そうですね。あの、聞いてる話によると、左脚がもう足首から下が、なんかもうずるっと剥けた状態で。で、もう顔が、そのもうなんか1時間か2時間すると真っ赤になって真っ青になって、全身がね、真っ青になってきて、で、もう死ぬところまで行ったらしいんですけど。はい。で、まあもちろん年代が年代なんで、その時は表皮水疱症とかそういう病名とかまったくわかってなかったんですけどもね。で、〇大、まあものごころついて、幼稚園とかそのへんで〇大かどっか行ってる時に、まあ表皮水疱症だということがわかったらしいんですけど。
戸田:じゃあ生まれてすぐに表皮水疱症というのがわかったわけではなかった?
Oさん:あ、ないです、ないです。もうその時爪もあったし、その左脚以外は、色はちょっと真っ青になってましたけど、ずる剥けになってたりとかそういうことはなかったみたいなんですね。だからまあ皮膚が弱いのか何なのか、ちょっともう、まったく原因がわからず。親戚一同も全部検査をしてもらったんですけど、そういうまあ先祖とかね、そういう人にもこういう病気はなかったということで。
戸田:病型は優性の栄養障害型になるんですか?
Oさん:はい、優性です、はい。
戸田:で、診断がついて。お母さんは普通の産婦人科でご出産されたんですか? Oさんのこと。
Oさん:はい、そうです。
戸田:で、生まれたらちょっと症状が出ているということで、その後に何か大きな病院に移られた? もう移らずにそのまま?
Oさん:えーとね、なんか個人病院の皮膚科で最初に診てもらったみたいなんですけど。それからまあ〇大、おばが看護師をしてたのもあって、最初にその〇大のほうへ行ったらしいんですね。で、もうその頃、もうちょっとものごころついてたので、私もなんとなーく覚えてるんですけど、
戸田:あ、じゃあもう2、3歳とかそれくらい?
Oさん:ん?
戸田:2、3歳とかそれぐらいやったんですかね? 〇大に行かれたのは。
Oさん:あ、もっと、もっと、歩いてたので、もうちょっと。幼稚園ぐらいかな。
戸田:じゃあもう5、6歳ぐらい?
Oさん:で、…にずっと通ってて。で、あの、〇に〇病院ありますよね。
戸田:はい、はい。
Oさん:あそこ初めてできて、まあ〇ということもあり、そのおばの知り合いのお医者さんが皮膚科をされているので、まあ「そこへ行ってみたらどうか」っていうことで、今度〇病院にかようようになったんですね。で、そこで、もうちょっと歯がだいぶん、あの、虫歯とか欠けたりとか、やっぱちゃんと洗えてないっていうのもあって、そこで皮膚科と歯科にかよってたんです。
戸田:じゃあその〇病院に行かれるまで…、あ、最初は〇大に行かれて、で、そこから〇病院に行かれるまでのその5歳までの間は、その近所の皮膚科の先生に診てもらってた?
Oさん:うーん、なんかそこらへんはちょっとあんまり知らないんですけど。
戸田:大丈夫です。
Oさん:はい。
戸田:診断を受けられたのは〇大?
Oさん:だったと思います、はい。
戸田:で、ご両親も遺伝子検査もされて?
Oさん:ん?
戸田:ご両親、遺伝子検査をされたんですか? その当時。
Oさん:もちろん、もちろん。はい。
戸田:で、ご両親にもちょっとお一人ずつ遺伝子があったみたいな感じやったんですかね?
Oさん:そのへんもよく知らないですね。本当にあの、今のご両親みたいに検査したりとか、遺伝子のどうのとかっていうことはまったくその、してなかったと思います。
戸田:なるほど。わかりました。で、その頃から〇病院のほうに通院されるようになって。
Oさん:はい。
戸田:で、症状としては、生まれた頃の脚の症状以外にも、もっと他にも出て来られたんですか? その、成長するに…、
Oさん:ええ、まあだんだんその、すれたりとかそういうので水ぶくれができいの、皮が剥けえの、爪が取れえのしながら、まあ全身に傷が増えていったんだと思うんですけど。で、〇病院でその原因を探るのに、まあお肉を少し手術で取っていろいろ検査をしてもらってると思うんですけど、それでもやっぱりあの、まだその頃は原因がよくわからない。うん。
戸田:でも一応、表皮水疱症だよっていうのは、まあ5歳の時に診断はついておられたということで?
Oさん:はい。
戸田:何かその動いたりとか、こう締めつけた衣類を着ることで、水ぶくれができたり、びらんしてしまったりっていう?
Oさん:あ、もちろん、そうですね。パンツのゴムでもう、すぐ赤くなったりとか。まあだからゆるゆるにしたりとか、体中その、包帯を巻いてたりとか。もう小さい頃はほんとに今から思うとひどくて、あの、滲出液もかなり出てて。分厚ーいガーゼと包帯でもう全身、軟膏塗って包帯だらけでしたね。
戸田:主に体幹と腕と脚?
Oさん:えーと、だいたい腕もここから下全部と、で首まわり。で、もう体はもう全体、で脚もお尻も全部。もう、でもやっぱりちゃんとした皮膚のところも少しはあったので、まあ今のね、表皮水疱症のお子さんたちなんかはもう全身ずる剥けとか、もうテープを貼る位置もないぐらいひどかったりとかっていうのあるんですけど、私の場合はちゃんとした、まあ弱いんですけど、普通の皮膚のところも少しあったので、だからまあ、ちょっと治る見込みはあるのかな? みたいな感じでは思ってたんですけど。まあ結局その〇病院でも良く…、あの、「良くなったり悪くなったりすることはあるけど、もう完全に治ることはまずない」と(笑)、その時点で診断されてしまって。そやったらもう別に遠い〇までね、かよっていく必要もなかっ…、ないし。まあ母もその、もう私の、その頃は特定疾患とかそういう制度もなかったんで、まあ朝から晩まで私の包帯代だとか薬代稼ぐのにまあ働いてくれてたし。まあ朝早く行かないといけなかったのもあるしね。で、私も疲れてしんどいし(笑)。だからあの、もう〇病院も途中でやめてしまいましたね。
戸田:だいたい何…、5歳から行き始めはって、途中でどれぐらい、何年ぐらい通われたんですか?
Oさん:5年生ぐらいやったかな?
戸田:じゃあ5年くらいは〇病院に?
Oさん:行ってたんですけど、毎月ね。
戸田:毎月!
Oさん:お薬も買わないと、もらわないといけないしね。
戸田:軟膏をもらわ…、
Oさん:で、ずっとやってました。
戸田:そうでしたか。
Oさん:でも、もうこのまま良くならないということ言われて。で、今度は病院行かなくなってからは、〇っていうところで薬局をされてるところがあってね。漢方薬とか、そうやって薬剤師さんがいろいろ相談に乗ってくださる薬局があったんです。で、そこで飲み薬買ったりとか、漢方薬を買ったりとか、「じゃ、これ試してみようか」っていろいろアドバイスをいただきながら、ずっと過ごしてたんです。
戸田:なるほど。
Oさん:で、高校卒業まで、だいたいそこでお薬、塗り薬、消毒液、飲み薬は買ってましたね。
戸田:じゃあその主治医の先生、小学校4年生ぐらいまではその皮膚科の先生にかかってらしたけれども、それ以降、高校卒業ぐらいまでは、その薬局で軟膏を買うっていう?
Oさん:はい。
戸田:じゃお医者さんにかかるっていうことは、もうその4年生から平成20年○医大に特定疾患申請の為に受診するまでの間は、
Oさん:なかったです。
戸田:なかったんですね。Oさん:はい。
戸田:皮膚の状態が化膿したりとか、そういった時はなかっ…、大きな変化はなかった?
Oさん:もちろんありました。良くなったり悪くなったりすることもあったし。高校の時に1回、あの、母がちょっと「離婚する」って言って家を出たことがあったんです。あ、中学校の3年生の時かな。
戸田:それは、Oさんが中学3年生の時に、
Oさん:ちょっと父がね、お酒をよく飲む人で、暴力もあったので。
戸田:ああ、せやったんですね。
Oさん:で、母がまあその、「もう離婚する」って言っていったん家出たんですよ。で、やっぱりそれでもあの私の薬代とかね、けっこうかかってたし、まあ父も反省してるっていうことで、母だけ1回戻ったんですよ。で、私はその高校がちょっと電車に乗ったりして行くのが大変やっていうことで、親戚の、あ、その、家を出てる時に借りてたマンションにそのまま住んで、で、近いその高校のところまで通ってたんですけど。 まああの、親から離れて自由気ままに遊んだり、ごはん食べんのも食べたり食べへんかったり、なんかちょっといろいろしてたもんで、あの、なんかばい菌が入ったんですね、一回。それで全身化膿して、膿んで。ある日突然その、もう39度ぐらい熱が出て、ぶっ倒れたんですよ。で、それから家へ帰されて(笑)。ほんで家でその2、3か月、もう全身包帯巻いて熱が下がるの待って。で、その化膿してる時もお医者さんにかかることはなく、自分であの、治したんです。
戸田:自力で(笑)。
Oさん:ええ、自力で(笑)。
戸田:すごいですね!
Oさん:うん。もう、今思ったらね、「ようやったなあ」と思うぐらい、毎日ね、もう大変な思いしながら。で、ちょっと、(一部削除)ならまあ、とりあえずは治ってくれて、何とか事なきを得たんですけどね(笑)。まあそれからはもう「家から通え」と。まあ、もう離婚もしないことになったので。
戸田:それは高校生の頃?
Oさん:そうでございます(笑)。一年生ぐらいに、まあそういう馬鹿なことをしてしまって。
戸田:じゃあ、その全身が化膿してしまう…、痛みもありますよね? それって。
Oさん:もちろん! もうあの、なんか心臓がそのへんにいっぱい付いてんのかなっていうぐらい、ズッキンズッキンドッキンドッキンで。
戸田:けっこう匂いとかもしましたか?
Oさん:まあ、そうですね、もうあの、全身膿んでたので。あらゆる傷を膿ましてしまって(笑)。だから熱もなっかなか下がらなくてね。もうほんっとに大変でした。
戸田:それはご自身でお風呂に入って洗浄したり?
Oさん:あの、お風呂はね、もう痛くて入れなかったから、消毒液で全部拭きながら。
戸田:痛いですよね? それも。
Oさん:もちろん。でも、なんかもう小さい時から痛いのは慣れているので、うーん、痛いけど、やっぱり全部ね、きれいに拭き取らないといけないので、全部拭き取って。で。もう包帯巻き終わった時にはもうズッキンズッキンしてるから、しばらく動けなかったです。うん、それが、
戸田:もう心臓がいっぱい付いてる感じで。
Oさん:何か月か続いて。2、3か月ぐらい続いたかな。
戸田:でもその間(かん)って学校行かれてたんですか?
Oさん:いや、もう行けなかったです。あ、2、3か月もないか、1か月ぐらいかな。とりあえずはその、まあ事情を話して。まあ入学の時もね、「皮膚が弱い」ぐらいしか言ってなかったんですよ。あんまり学校側に言うと、あの、入学取り消されたりとか、まあその頃はね、いろいろあったので。だから「皮膚が弱いんです」みたいな感じで、長袖着ないと…、まあ校則も厳しかったんでね、「長袖を着ないといけない」とか、「体育の時間は夏場は見学しないといけない」とか、「靴下も」ね、「長いの履かないといけない」とか、そういう面で言わないといけなかったので。まあ全身その、皮膚が弱くて包帯を巻いてるので、で直射日光も紫外線がだめなので、まあ長袖、長いのを、靴下を履かせてもらいますっていうのは許可いただいてたんですけど。まあ他の人にね、「表皮水疱症」って言ってもおそらく理解できない時代でしたから。
だからそんなんでまあ1か月…、そやね、3か月もあれしたらあかんから、1か月ぐらいやったかな、ひどかったのは。で、まあ治ってからは、あの、まあまだ膿んでましたけど、学校には行ってたと思います。
戸田:幼稚園も行かれてたんですか?
Oさん:あ、行ってました。○幼稚園っていうところ行ってたんですけど、まあその時ももう全身包帯だらけで。
戸田:で、小学校、中学校、普通学校に行かれて?
Oさん:はい。
戸田:で、小学校、中学校も特にその、状態が悪くなってお休みをするとかっていうことはなかったんですか?
Oさん:あ、もちろんありました。もう週末なんかずっと熱出してたし。休みがちで、もうギリギリ卒業…、まあ義務教育ですからね、言っても。
戸田:その週末に熱が出ちゃうっていうのは、ウィークデイ、月曜日から金曜日までもうけっこういっぱいいっぱいで動いていた?
Oさん:そうですね、疲れで。ほとんどもう週末は寝てましたね。
戸田:その当時からお風呂は毎日入っておられたんですか?
Oさん:毎日入ってます。はい。
戸田:でもすごい、他のかたのお話しをお伺いしているとやっぱお風呂が、みなさんすごくこう大変な思いしておられる。シャワーが怖いとか、普通の水道水、お湯がしみちゃうので食塩水にしたりとかっていうふうに工夫されているお話をお伺いしてきたんですけど。Oさん、ちっちゃい頃お風呂で嫌じゃなかったですか?
Oさん:いや、嫌でしたよ(笑)。嫌でしたけど、かゆくなってね、ひどくなるっていうのをわかってるので、必ず何があっても、熱出てても、風邪ひいて熱があってもお風呂は入ってましたね。あんまりひどいときはもう、ちょっと自分がもうふらふらなんで包帯とか巻けないから、入らなくてそのままにしてるときありましたけど、もうそれ以外は何があってもお風呂には入って包帯を巻くっていうのは続けてました、もう当たり前のように。
戸田:じゃあお風呂入る前にガーゼと包帯を外して。で入って、シャワーで?
Oさん:まああの、シャワーきついときは、もう洗面器でお湯くんでぺちゃぺちゃしながら。でも石けんで必ず洗ってました。
戸田:もうそれは普通の石けん?
Oさん:はい。小さい頃はね。
戸田:で、こするというかは、なぞるような感じ?
Oさん:そうですね。
戸田:で、泡で。で、お湯で流して。でもそれもすごい痛みを伴いますよね?
Oさん:もちろん、痛いですね。もうそれでも、かゆくてばい菌が入ったりとかそういうのが怖いので。あの、もう当たり前やと思ってたんでね。薬をまず落とさないと次塗れないと思ってたし、もうその、汚いかさぶたとか皮とかもちゃんと取らないと良くならないってなんとなく自分で思ってたので、必ず入ってましたね。
戸田:それでお風呂入って、またタオルでこう、ちょっとなでるように拭く?
Oさん:はい。もう、押さえるように。こするとやっぱり剥けてしまうので(笑)。
戸田:こんなんできない(笑)。
Oさん:できない、できない(笑)。
戸田:(笑) ゴシゴシ背中をこする。
Oさん:だからこう押さえて。一回こうバスタオルかぶって、こう押さえながら拭いて、上がってきてましたね。
戸田:で、そのあとに、症状があるところに軟膏。軟膏はもうワセリンみたいな?
Oさん:ワセリン…、あ、フルコートを私はずっと使ってたので。
戸田:あ、抗生剤が入った?
Oさん:もうあれが一番。今の人はね、「抗生剤が入ってんの怖い、赤くなって怖い」って言うんですけど、私はなんか合ったのか、フルコートで。まあ他にもその、油分のある軟膏はたしか塗ってたと思うんですけど、ちょっと名前とか全然覚えてないんですけどね。ひっつかないように。
戸田:あ、そっかそっか。で、フルコートを塗って、ガーゼを当てて。で、
Oさん:包帯。
戸田:包帯。もうこの胴体のところも包帯?
Oさん:あの、母がサラシをこう結んで巻けるように作ってくれたりとか。もう普通に、包帯のようにサラシを何重も巻いて留めてしたりとか。とにかくズボンとかね、履くときに直接当たらないようにしてましたね。
戸田:でも交換のときに出血してたり、浸出液でこうガーゼと皮膚が引っついてしまって、一緒に皮膚が持っていかれちゃうというお話よくお伺いするんですけども、それもけっこうありましたか?
Oさん:ありました、ありました。で、あんまり引っ付いてひどいときは、もうお湯にちゃんと浸して。うん。でもその、私あんまりお風呂でね、そのガーゼを取るっていうの嫌いで(笑)。もう、そーっとめくって、「あ、破れたー!」とか思うときあるんですけど、「しまった、やっとけばよかった」って思うときあるんですけど、ちゃんと全部取ってからね、お風呂入らないと、なんか、なんか気持ち悪くて。ひどいとき以外はほとんどもう、剥がしてからお風呂入ってます(笑)。
戸田:「剥がして、入る」みたいな(笑)。
Oさん:もう血だらけになってるときある(笑)。
戸田:もう血が出てても、もうそれで入るっていう感じで。
Oさん:うん。全部取ってから入る。こだわりというか、わけわかれへん。
戸田:なるほど。湯船は浸かっておられたんですか?
Oさん:はい。だから最後に入って。湯船に浸かるとちょっと、お薬とかも浮いてくるんですね。だから最後にこうきれいに取って、そこで。お母さんに怒られてましたよ、「あんたやめてよ!」(笑) 一番それがこう膨らんでね、取りやすいから、ようやってました。
戸田:お風呂の順番とかってあったんですか? ご家族の中で。
Oさん:あ、やっぱり父が一番最初で、で姉が入って、で最後私が入る。まあたまに母が最後になったときに怒ってました(笑)。「やめて!」 ま、でもあんまり、「しょうがないなあ」という感じで、浮いてるやつをこうきれいに洗面器で取って入ってましたけどね(笑)。
戸田:(笑) で、お風呂上がられて、その軟膏を塗って、…は小さい頃はお母さんがケアしてくださってて?
Oさん:そうですね。書いてた通りその、もう高学年になると、やっぱりもう母が大変なのも知ってるし、で、「自分でできるようになっとかないといけない」ってなぜかそのときに思ってて。で、もうほとんど一人でやってました。人にやってもらうとね、痛いじゃないですか。それもあるし、自分で加減が分かるから、自分でやってましたね。
戸田:背中とかもこう棒で?
Oさん:そうです、鏡置いて。でだいたいその、触ると位置って覚えちゃうんですよ。ガーゼとか見て、「ああ、このへんに大きい傷があるな」とか。だからそれで覚えてて、こう塗って。今もそうなんですけど、今、傷のあるあたりっていうのは大体把握しているので。それで棒とか手で、できるところは鏡見ながらやってました。
戸田:で、腕も脚もケアされて。お風呂、「さあお風呂入るぞ」っていう、剥がして、「さあ、ケアが終わりました」で、だいたい…、さっきエクセル出してくださって、「今は2時間ぐらい」って書いてくださってたんですけど。
Oさん:あれは、今2時間。だから子どもの頃はもっとかかってたと思うんですよ。
戸田:それはなぜ? なぜそん…、
Oさん:やっぱり不慣れっていうのもあるし、傷がたくさんあったので。ほとんど傷だったので。だから包帯巻くにしても、あの、今みたいにこうテープでちょっとだけ留めてね、あの、うまく巻いたりとかっていうのもおぼつか…、おぼついてないし。だからその、やるところが多いほど時間がかかる。今はまあある程度慣れてるのもあるし、こうテープ貼れるところもけっこうあったり、そのバンドエイド、…はバンドエイドでいこうとかも自分で分かるので。だからあの、わりとこう先に切っといたりとか。ガーゼもあの、なんかしょぼしょぼついてるやつありますよね、端っこに。あれももう全部私カットして何枚かずつにたたんで、用意、準備してあるんですよ。だから早いんです、下準備をちゃんとしてるので。
戸田:じゃあ下ごしらえが大事っていうことなんですね?
Oさん:はい。バンドエイドもその、長いですよね、テープの部分が。あれも全部カットしてあるんですよ、いいように、いい長さに。
戸田:幼少の頃と今とちょっと傷の数がちょっと違うんだってさっきおっしゃってくださってたんですけども、一番傷がひどかったのは幼少の頃がひどかったんですか?
Oさん:そうですね、滲出液もたっぷり出てたし。今考えると、今はもう、ほっとんどその、浸出液は出ないです。うん。
戸田:さっき「滲出液たっぷり出てた」って、だいたいどんな感じだったんですか? こう、もうガーゼからこうあふ…、もうガーゼの上に出てるような?
Oさん:あふれてました。はい、はい。だからもう小さいときはね、もうブラウスとかについてないかとか、すーごい気にしてたし。やっぱり女の子だし。で匂いとかもね、気になるし。
戸田:ガーゼを厚めに当てていても、衣類に染み込んだりとかっていうご経験も、何回かあった?
Oさん:あります、あります。背中なんか見えないじゃないですか。でも、こう椅子にこうもたれたりとかすると、ついてたりとかするので。で、そのガーゼがずれたりすると、血が出たりするときもあったし、いろいろありましたね。だからもう常にその包帯とガーゼと薬は持ち歩いてて、まあ学校でそういうふうになったら、保健室で自分で手当てしたりとかしてたし。
戸田:なるほど。で、高校を卒業されたあとに就職?
Oさん:あのまあ、えーと、その高校を卒業したとき、まあ友だちみんなと、何て言うのかな、「電話交換手の試験受けに行こう」ってみんなでなって。で、その前にパーマをあてて(笑)、みんなでおしゃれ。もうあの、校則でパーマだめだったんで、みんな全員パーマあてて(笑)。
戸田:Oさんも? (笑)
Oさん:電話交換手、に講習受けに行って、免許取ったんですよ。で、電話交換手やったらね、その、まあ表に出ることもないし、いいかなと思って、その受けに行ってやったんですけど。結局なんか〇新聞社に私とその同い…、同じ学校の友だちと、〇の人と、三人で受けに行ってくださいって言われて、「やったー!」と思って行ったんですけど、やっぱり身体検査で引っかかって。あの、友だちが受かったんですね。で、友だちが、発表の日にちよりも早く「合格した」ってなんか電話もらったらしくて行ったらしいんですけど、そのあとに私のとこ電話してきてくれて。で「実はね」って、「向こうの人に言われたんだけど、〇の私のこともね、いいなと思ったんだけど、やっぱり夜勤とかもあって、お体がちょっと続かないかなということで、あなたに決まりました」と。で、〇の人は遠いからだめやったみたいで、(一部削除)「やっぱり体のことで落ちてたって言われたよ」って、「だからそんな気にすることないよ」って電話くれたんですよ。でも悔しくてねえ。
戸田:その当時の思いとしてはもう、とても悔しかった?
Oさん:そうですね。で、あの、まあそれでも親は「別に働かなくてもいいよ」って言ってくれたんですけど、私は嫌で。早く自立してお金を稼いで、まああの、お薬代とかね、そういうのんで、自分でやりたいなと思ってたから、「いや働く」って言って。で、たまたまその、職業安定所に行ったら、今、書いてあった株式会社〇っていうところが募集してて、事務員を。で、「事務やったら大丈夫かなあ」と思って受けに行ったんですよ。で、そこでもやっぱり躊躇してしまって、表皮水疱症だとかそういう詳しい病名は言わずに、まあ「皮膚が弱いんです」ということは一応言って。まあ手も一応、爪がないのもすぐ判ると思ったから見せたんですけどね。「こういうふうにちょっと皮膚が弱くて、爪もないんです」みたいな感じで言ったんですけど。もうそこで面接してくださった社長の奥さんが、「もう明日から…、いつから来てくださるの?」って。だから「え? もう受かったん?」みたいな(笑)。もうその面接だけで受かって。で、母親にすぐ電話したら、「ああ、よかったねー」って、「がんばりなさい」って言ってくれて。で次の日からもう、すぐ働きだして。
戸田:もう次、次の日から就職? (笑)
Oさん:(笑) 「早!」とか。
戸田:早いですね(笑)。
Oさん:だからもう安定所の人、「え? もう受かったん?」みたいな(笑)、「早いねー!」 だって朝、安定所に行って、昼から面接ですぐ受かったんですもん。
戸田:それは高校をご卒業されてから、どれぐらい経ってから?
Oさん:いやもう、すぐでしたね。だからあの、電話交換手の行ったりとかしてたから、何か月、4月…、あ、でも入社が4月だから、そんなに経ってないかな。
戸田:じゃあもう本当に、卒業されてすぐ決まった、みたいな感じやったんですね。そうですか。で、就職のときはまあ「ちょっと皮膚が弱いんです」っていうのと、まあちょっと見た目でわかっちゃうので「爪がないんです」っていうことは言われたけども、特にその気にされるご様子もなく就職されて。
Oさん:はい。
戸田:その就職されたときの当時のご病状も、けっこう症状出ておられたんですか?
Oさん:そうですね。まあ浸出液とかはそんなに、もう高校入ったときは、あの全身膿んだあとは、そんなにひどくはなかった。もう普通、普通って言うのかな、まあ良くなったり悪くなったり。やっぱり季節の変わり目はひどくなったりするときがけっこうあったんですけど、その、あんまりそんなにひどい症状ではなかったので、よかったんですけどね。
戸田:で、お勤めされ始めて。お勤めはもうご実家から通われてたんですか?
Oさん:はい。電車で通ってましたね。
戸田:もともとOさん、足の裏の症状というのはそんなになかったんですか?
Oさん:なかったです、はい。
戸田:じゃあ歩くのは問題ない?
Oさん:歩くのは全然問題なく。
戸田:靴も問題なく?
Oさん:はい。
戸田:じゃあ階段登ったりとかも、
Oさん:ん?
戸田:階段。
Oさん:あ、全然大丈夫でした。うん。
戸田:でも手のひらはちょっとタオル絞ったりとか、硬い、重いもの持ったりすると、けっこうずるっといっちゃう感じやったんですかね?
Oさん:あ、もう、そんなにひどくないですよ、もう普通にあの、絞ったりとかもできるし。まあ当たるとね、やっぱり水疱ができるのはあったんですけど。
戸田:じゃあ本当に、手のひらとか足の裏はそんなに、こう圧が当たったりとか重たい物を持っても、そんなに水疱が出る感じではなく?
Oさん:大丈夫でした。
戸田:言うなればこの体幹部分と腕、脚の部分が、背中とが、ちょっとぶつかったりとか、下着の締め付けとかで赤くなったり水疱ができたりっていう感じですか?
Oさん:はい。水疱がもう、すぐできるぐらいでしたね。
戸田:で、就職されたあとも病院には行かれず、ずっとその、
Oさん:行ってないです。行ってません。
戸田:薬局で軟膏と、
Oさん:はい。
戸田:購入されてっていう感じで。で、すごい長いことお勤めされてたんですよね? この〇さんのほうに。
Oさん:で、〇入ってから、姉が特定疾患のことを何かで知って。で、病院、それで病院、〇医大病院に行ったんです。
戸田:お姉さんが「なんかこんな制度があるよ」っていうのを、
Oさん:そうなんです。
戸田:何かで知ってくださって。で教えてくださって、「じゃあ行こうか?」みたいに?
Oさん:はい。
戸田:それが20代?
Oさん:20代やったかな。
戸田:前半ぐらいですよね?
Oさん:で、まあ薬とかももらえてたし、まあお金のほうもそれで、そのときはただになってたのかな。
戸田:無料やったんですね?
Oさん:はい。たしか、うん、無料やったと思います。無料で、
戸田:おっきいですよね? 薬局で今まで購入されてたのが、病院で、
Oさん:もうフルコートがね、10グラム…、あ、ちゃうちゃうちゃう、5グラムで2千円ぐらいしてるじゃないですか。あれがただになって、あれが一番もう喜びましたね、「やったー!」と思って(笑)。
戸田:(笑) で、その制度を知ったから、まあそういうことが、使えるっていうのがわかった。
Oさん:わかって、うん。
戸田:でもそういう制度があっても、何かこう知るきっかけっていうのがなかったんですよね?
Oさん:なかったですね、ほんとに。だから姉もずっと気にしてくれてたんやと思うんですけど。
戸田:ああ、そうなんですね。そっかあ。で、就職されて、20歳前後ぐらいで特定疾患の制度のことを知られて、で、そこから〇医大に通われて、お薬もらわれて。そのときにその先生にお薬もらって、症状も伝えて、まあちょっと月に1回診てもらうみたいな感じになっていったのが、その頃から?
Oさん:月1回で、しかも診察は、パッて座るじゃないですか、「変わりないですか?」って、「あ、大丈夫です」「あ、薬出しときます。さよなら」、これぐらい。これだけだったんです、ほんとに。
戸田:(笑) なんかあんまり、あれですね、薬局でお薬もらってたのと変わりない。
Oさん:全然変わりない。
戸田:そのときそのOさんの思いってどんな感じ? なんか「こんなもんか」みたいな感じやったんですか?
Oさん:そうですね。もうあの、私は病院にそのときは期待してなかった。もう「治らない」って言われたときから、病院にそんなに期待を持ってなかったんですよ。
戸田:〇病院のときに「もう治らないですよ」って言われたときから、もう医療に期待することがなかった?
Oさん:はい。だからもう今みたいにね、いろんなことをすることとか、まあ内容を知る術もなかったし、「こんな治療がありますよ」ってそんなことも教えてもらってないし、その病院からのアプローチっていうなものはまったくないし。だからもうほんとに座って、「1分も座ってへんのちゃうか?」っていうぐらい、先生もなんか当たり前のように。脚を診るでなく、手を診るでなく、もうあの、
戸田:ガーゼを開くことなく。
Oさん:そう。もう「あ、はあ?」みたいな感じで。まあそれでも制度があってね、お薬がもらえるから「まあいっかあ」みたいな感じで行ってただけなんですよ。
戸田:じゃあ20歳から特定疾患が使えるっていうことで、医療にまあ期待はないけれどもお薬が処方いただけるっていうところで、もう期待がないまま、まあ平たく言えば「こんなもんか」みたいな感じで?
Oさん:そうです。で、その特定疾患の、まあ年に1回更新ありますよね。それで保健所のほうから「〇でそういう表皮水疱症ばっかりの人が家族会やってます」っていうのを聞いて。初めて聞いたんですよ、「えっ、私以外に表皮水疱症の人っているの?」みたいな。「そんな近くに、そんなにたくさんいるの?」っていう感じで、それがまず驚きで。
戸田:それは更新の申請に行かれたときに?
Oさん:保健所から、あの、なんか書類とかいろいろ来るようになるじゃないですか。その中にあの、手書きでね、係の人が書いてくださったんだと思うんですけど、「こういう集まりがあるから行ってみませんか?」っていうのを聞いて、「えーっ」と思って。まず私の病気ってそんなにたくさんいないって思ってたから、「〇でそんなにたくさんいるの?」っていう。まして、参加するようになってから「世界中にいる」って、「ええー!」と思って、もうそこで二度びっくりで。で、まあ小さい子からね、お年寄りまでけっこういるっていうのをそこで知ったんですよ。
戸田:それがおいくつぐらいのときですか?
Oさん:もう働いて、30…、あ、40は回ってたかな。
戸田:じゃあもうけっこうご病気わかってから、もう40歳ぐらいのとき。じゃOさんが40歳になられるまで同じ患者さんと交流というか、いらっしゃるっていうことじたいも知らなかった?
Oさん:なかった。で、その小さいときに〇大で、たまたま隣にいたお兄ちゃんが同じ病気やっていうので、「ああ、やっぱり大きい病院やからね、全国から来てるのかなあ」ってお母さんと言ってたぐらいで、「私の病気は特殊なんや」って。だって周りにもそんな人全然いなかったから、「特殊なんやなあ」と思って、思ってたから。で、行ったら、もうわんさかいて、「えー!」みたいな(笑)。で、もう若いお父さんやお母さんがもうすっごい詳しくて、「こんなんやってます、あんなんやってます」とか、制度のこととか。で、〇大の〇先生のこともそこで知って。「こういう研究が進んでる」とか、いろんな話聞いてて、「うーわ、すっごいな」と思って。で、そこでガーゼがもらえるっていうのも知ったんです。[00:40:00]
戸田:それが4…、制度ができたのが、たぶん12、3年前。
Oさん:そうですね。
戸田:じゃああの制…、友の会ができてからそこの〇の会に行かれたんですかね? ほしたら。
Oさん:そうですね。だからその、〇…、あ、ちゃう、〇県の家族会みたいな感じやったんですよ。
戸田:何人ぐらい来られてたんですか? その家族会は。
Oさん:えーとね。何家族って、5家族6家族ぐらい来てたのかな。ほとんど小さいお子さんばっかりで、うん、お父さんお母さんが全員参加されてて。そこで〇さんとも出会ったんですよ。
戸田:そこで初めて出会われたんですね?
Oさん:そうです、そうです。でもあの、ねえ、インタビューでお話しされたとおり気さくなかたなんで、いろいろ教えてもらいながら。そのときはまだ〇に住んでおられたので、あれやったんですけど。で、こっちへ引越して来るっていうのを聞いて、「うわー、やったあ!」と思って。またいろいろ情報交換したりとか、私は子ども持ってないけど、まあ同じ悩み、〇さん〇の悩みがあるから、「こんなんやった、あんなんやった」って。まあ今まで友だちにもあんまり病気のことは詳しく言ってなかったんで。
戸田:それは何か理由があるんですか?
Oさん:いや、なんかね、「説明してもわからへんやろうな」っていうのはまずあったんですね。
戸田:「言ってもわかんないだろうな」っていう。
Oさん:まあ、友だちも「皮膚が弱いんやなあ」っていうぐらいわかってたと思うんですけど、まあ手見たらすぐわかるやろうし、包帯も巻いたりとかしてるのもわかってるから。でも私からその、「これは表皮水疱症という病気でね」とかって「水疱ができてね」って説明してもそんな、ねえ。なったこともない人はまあ「うんうん」って聞いてくれるかもしれないけど、共感はできないから、「まああんまり怖がらせてもあれかな」と思って言わなかったんですよ。でも〇さんとかはもうその、ね、詳しく教えてもらったりもするし、私からも「こんなんでね」とか、「もう困ってんねん。こんなん困ってんねんけど、どうしたらいいの」とか相談できる相手が身近にできたので。まあその他の家族の話とか愚痴とかいろいろ聞いてもらえるから、すごい意気投合して。で、〇に来てからは、まああの、〇さんのとこに行ったことはないんですけど、まあ外で会ったりとか。まあこうなってからはほとんどうちでしゃべって、ごはん食べたりお茶したりしてたんです。
戸田:そうかあ。その、じゃあ〇の集いに行かれて初めて、その他の患者さん、ご家族とかと交流ができるようになったって。でもその頃も〇さんのほうでお勤めは継続しておられるんですよね?
Oさん:はい。
戸田:20〇年。あ、でもちょうどその頃ぐらいに退職の話になってるんですかね?
Oさん:はい。行ってるときに、右脚になんかちょっと違和感のある、「ちょっと今までと違うなあ」っていうような傷ができて。で、それがみるみる、
戸田:それはどのへんにできてたんですか?
Oさん:右の足首のところに、当時直径3センチぐらいの、ちょっと穴がぼこって掘れたような傷がなかなか治らなくなって。で、今まではそのあんまりこう掘れる…、あの、肉がぐっと掘れたようなのはこう…、まあ膿んでね、少し肉が下がったりとか、でもすぐぱーっと浮いて…、あの、皮膚が盛ってきて、普通な傷になるっていうのがほとんどだったんですけど。ちょっとその掘れたような感じが、嫌な色、「ちょっと今まで見たことないな」っていうような、自分でも「ちょっとやばいかな」っていうような傷になってきて。
戸田:ちょっと黒い、黒っぽい感じなんですか? その嫌な色っていうのは。
Oさん:そうですね。赤黒いというかね、傷が。乾いてもなかなか肉が盛ってこずに、赤黒いのが残ってたので、「わー、ちょっとこれ変な傷やな」と思って相談したら、通院のときにね、病院のほうで聞いたら、「あ、ちょっとこれ様子見ましょうか」って。で、そんときになんか、たぶんばい菌がついてるっていうのは先生もひと目でわかったのかもしれないけど、ゲーベンクリームをくれたりとかしながらやってたんですけど、もうみるみるうちに広がってきて。で、まあ広がるのはそんなにあの、私らの傷、今までの傷もそういうのもあったんでね、そんなに気にしてなかったんですよ(笑)。そしたら「MRSAに感染してますね」って言われて、「えーっ」てなって。
戸田:病院で検査してくださったんですね?
Oさん:はい。で、夏に1回入院したんですよ。徹底的にそのMRSAを、感染をね、なくそうということで、菌をなくそうっていうことで1回、2か月ぐらい入院したことがあって。それでもまだどんどん傷が広がってきて。
戸田:それはおいくつぐらい? 40…、
Oさん:6。
戸田:46歳ぐらいか。10年前ですよね、ちょうど?
Oさん:はい。で、もうそのときもう仕事が忙しかったんで、めちゃくちゃ。本当は休みたくなかったんですけど、「まあ脚切らなあかんようなったら困るからね」ってそのとき脅かされてて(笑)、で「あ、それは困るな」と思って。もうそのときはもう母も父も他界してたんで、一人やったんでね。
戸田:そうなんですね。もうその頃はご両親いらっしゃらなかったんですね。あ、そうか、そうですよね。お母さんが〇年ですもんね。
Oさん:はい。亡くなってたんでね。だから一人でまあ、またそれこそ一人やったから、仕事が忙しい、もう極限まで仕事をやってたんで。で、まあ疲れて帰ってきたら、ごはんも食べんのしんどいですよね。もう食べんと寝たりとか。まあそれでも、お風呂はちゃんと入ってやってたんですけど。食べ物、栄養状態も悪い中、やっぱり激務、もうほんとに忙しかったんで。だからそれでちょっと体、免疫力も下がってるところに感染したもんやから、うわーっと一気に広がってしちゃったんです。
戸田:で、入院されて、MRSAの菌を排除しようっていうので点滴とか?
Oさん:はい。もうひたすら、痛いのに洗われましたね、イソジン石けんで(笑)。もう、それももう痛いの通り越してましたけど。まああの、痛いのには慣れてたんで。
戸田:それも免疫力がついてて(笑)。
Oさん:ガーッ!て洗われてましたね(笑)。
戸田:でも、結局除菌しきれなかったんですか?
Oさん:そうですね。ちょっとましになったぐらいで一回退院さしてもらって、でまた仕事復帰して、またずっと生活してたんですけど、もうあまりにも広がってきてしまって。もう脚が脚じゃないというか、もう感覚がなくなるぐらい。
戸田:じゃ最初はその3センチのこうちょっと深さも出てきたところが、だんだん広がっていく感じになったんですか?
Oさん:もうあの、膝まで広がってきましたね、うわーっと一気に。
戸田:その3センチのところから膝まで? 足首から膝までこうえぐれるような感じの?
Oさん:はい、えぐれるような感じで、ぶわーっと広がってきたんです。
戸田:で、広がっていって、それも赤黒い状態? 出血もしてる?
Oさん:はい。あの、もう浸出液もかなり出てたし、もうゲーベン塗ってたからすごい匂いもしてたし。
戸田:ゲーベン塗って、ガーゼと包帯で巻いて。でもそれ、その状態でお仕事行かれてたんですよね?
Oさん:はい、車乗って(笑)。
戸田:運転して(笑)。で、それは先生は診ておられたんですよね? 退院したあとも。
Oさん:え?
戸田:退院したあとも主治医の先生は診ておられたんですよね? その広がりを。
Oさん:はいはい、はい。
戸田:でももう、どうする…、
Oさん:私が手当とかできるもんだから、先生も「まあ退院して家でちょっと様子見ましょうか」っていうのもあったし。
戸田:で、もう痛みもすごかったですよね? きっと。
Oさん:はい、もうすっごい痛かったですね。
戸田:でもなんか松葉杖、杖もつかず?
Oさん:ですね。で、骨にね、ちょっと転移しそうだったんですよ。ちょっとしかかってて、もうそれこそ「切らないといけなくなるから入院してください」って言われて。「もう癌化してると思います」って言われたんですよ。で、「脚切らないといけない」って言われたから、もう会社に言って、「まあ、こういう状態で癌になりつつあるから、もうちょっと早急に入院しないといけない」ということで、まあ入院して。まあ出たり入ったり出たり入ったり、その間(かん)もあの、デブリして。その癌化しているところデブリして、植皮してっていうのが何回も続いて。で、そうしてる間にやっぱりお肉も削れ、骨も見え、みたいな感じで(笑)、あのー、ある日その、ものすごい大出血をしてね、血管まで切れたんですよ。
戸田:どれぐらいの出血やったんですか?
Oさん:もうベッド周りがバーッと下、もう血の海みたいになっちゃって。
戸田:それはご自宅で? 血の海。
Oさん:あ、いえ、入院中に。
戸田:あ、入院中に血の海になっちゃって。
Oさん:はい。で、なって。でそれが2回ぐらいあったのかな。で最後のときには、もう麻酔が効かない状態のまま止血するのに手術して。もう、あの、この世の痛みとは思えないぐらいの痛さを感じて(笑)。で、もう「これはもう切らないといけないよ」って言われて、もうそれで決心したんです。もう、「もう一回出血したら、もう命ないよ」って言われて、「じゃあ切ります」って言って。
戸田:一番最初に「ちょっとできたかな」って言って、その血の海になるその2回目まで、どれぐらいのスパンやったんですか?
Oさん:どれぐらいやったかな。
戸田:半年ぐらいとか?
Oさん:えーっと、ちょっと待ってくださいね。もうね、それもね、全部まとめてあるんですよ。
戸田:あ、すごいですね。
Oさん:どこやったかなあ。あ、これじゃないわ。えっと、平成〇年にその1.5センチの潰瘍が見つかってから、脚が〇年。だから3年ぐらい、その出たり入ったり出たり入ったりしてて。で、止血したときに、もうそのときにももうレントゲンでね、「骨にちょっと転移しかかってるな」っていうのは言われてたんですよ。で、あとはもう私の決心次第やったんですけど、やっぱりなかなかね、決心がつかなくて。うん。もうデブリードマンの、これ何回やってんのかね、1、2、3、4、5、6、7回、やってますね。7回デブリードマンの手術やって、なんとかその、お肉を盛らせて、「皮膚がついてくれないかなあ」ってやってたんですけど、やっぱりそのMRSAに感染してるのと、まあちょっとなかなかね、免疫力もかなり下がってて。最終的には、モース法って知ってます? なんか白いだんごみたいなんぬって、もう脚が炭みたいな、なってきて。もうあれもやるのが痛くて痛くて、悲鳴あげてましたけどね。それ、それをするぐらい、私はもう切りたくなかったんですよ。「どうしても治したい」と言ってたんですけど。
戸田:一番、その切りたくない思い、一番「切りたくないな」ってうのは、どういったところやったんですか?
Oさん:うーん。どうなんやろ。その、脚を失うっていうことが考えられなくて、まず。車いす生活っていうことよりも、「脚がなくなるってどんなんやろ?」って想像がつかなくて。
戸田:「脚がない」と、その車いすというのは別物の話?
戸田:そうなんですよ。もう車いすとかそういうんじゃなくて、脚がなくなるっていうのはとんでもないことやなと思って。普通に歩かれへんっていうのがね。
戸田:ちょっとこう松葉杖で歩くとか、車いすをちょっと利用するとかではなくて、その脚そのものがないっていうことに、もうOさんの中でこう整理がつかないというか?
Oさん:で、今までも、どんなにひどくなっても私は自分で治してきたから、「絶対治る」っていう。
戸田:高校生のときも(笑)。
Oさん:なんか変な自信じゃないけど(笑)、「絶対治してみせる」みたいな。だから変よね、ここまで来たら。
戸田:もう根性論が(笑)。
Oさん:うーん、なんかね、変な自信があって、「治してやろう」と思ってたんですけど、もうあの、炭みたいな脚になって、血がもう止まらなくなったときに、「ああ、もうこれはあかんわ、あきらめよ」って、「もう、じたばたせんとこう」と思って、「もう、切ろう!」と思って。
戸田:でもその間(かん)にすごい悩んで泣いたりとか、
Oさん:ない。あ、全然ない、それは。あの、「治したい」っていう強い意志はあったけど、悩んだりとかうじうじすんのはなかったですね。もうスパッと「ああ、もう切ろ!」って(笑)。
戸田:(笑) 「もうあかん」って?
Oさん:(笑) 「もうしゃあない、切ろ! この痛いのはもう耐えられへん」と思って。で、それをね、友だちに言うとね、「あんた、どういう思考回路?」みたいな、「脚切るって大変なことよねえ」って。で、切ってからもそんなに悩むことなくしてたんですけど、あの、なんかアンケートみたいなので、その「鬱状態になってるかどうか」っていうのをやらされて。「思い悩んでないかな」とか、その、脚を切ったことでね、「悩んでないかな」というなんかアンケートを、「すごいめっちゃ、もうようけあるな質問」と思いながら(笑)。もうそれだけでうんざりしてて、こうやってて。
(チャイムの音)
Oさん:あ、ちょっとだけ、ごめんなさい。
戸田:全然大丈夫です。
[中断]
Oさん:すいませーん。
戸田:大丈夫ですか? 全然私、こっちは全然大丈夫なんで。「Zoom(ズーム)あるある」で(笑)。
Oさん:(笑)
あ、その、えーと、精神をね、どうかなってないかっていうアンケートがあって、めっちゃ分厚いのん来て。で、もうなんか適当に答えたんかどうかわからへんねんけど、「鬱状態や」って話になんか診断が出て。で「精神科行ってください」って言われて、「はあ?」と思って。で、行ったんですけど、先生が「どういう状態ですか?」って静かに聞かれたんですけどね、「あ、全然平気です」って(笑)。「いや、もうなくなったのはね、もうしかたがないから、くよくよしてもしょうがないし。今さらその『もっかいつけて』って言うわけにもいかないから、そんなに悩んでませんけど」って、「でもなんかアンケート、ごめんなさい、なんか適当に答えて(笑)、鬱状態って出たみたいで。あの、全然平気ですから」って言ったら、「じゃあ様子見ましょうか」って言って、それっきりになったんですけどね(笑)。
戸田:(笑) すごいですね。そうか。その切断は膝から下?
Oさん:そうです。えー、あ、じゃない、えーとね、その、骨に転移してたから、あの、リンパに回ってたら困るからっていうことで、太ももの2分の1まで切断したんです。
戸田:太ももの半分までもう切断。じゃあこう座って、
Oさん:はい。膝まであったから、やっぱりそっから上にのぼっている可能性があったので、2分の1まで切られたんですけどね。
戸田:一番、その手術後、見られたときのお気持ちとかって、どんな気持ちやったですか?
Oさん:「あ、ないわ」みたいな(笑)。あの、なんかよろよろって泣くとか、「なくなったー」とかっていうのはまったくなかったですね。
戸田:「ないわ」って(笑)。
Oさん:めっちゃ包帯巻かれてて団子みたいになってたから、「うわ、すごい」と思って。「どうやって切ったんやろう?」と思うぐらい。「先生、どうやって切ったん?」って言ったら、なんか電気のこぎりみたいなんでベーッて切って、で、あの、なくなった、「その取った脚どうしたん?」って聞いたら、その「まあMRSAに感染してたのもあったし、すぐなんか焼却しないといけないっていうなんか決まりがあったので、焼却した」って言うから、「あ、そうですか」って。なんかあの、死亡診断書と同じく、そのなんかそういうの、処分の何かの書類か何か書かされて。「見たかったなあ」とは思うけど、それを友だちに言ったら、「怖っ」って言われて(笑)。「切り取った脚って見たいとか思わへんって、普通」とかって(笑)。
戸田:そうかあ。で、その46歳のときに脚の切断をされて、そのあと退院をされて。で、退職になっておられるんですか? お仕事。
Oさん:あ、えーとね、しばらくその、一人なんで、こけて、まあたとえば床に座っちゃったときに立ち上がれなかったら困るから、リハビリで一応「床から立ち上がる」っていう動作ができるまで家に帰れなかったんですよ。で、〇医大では、まあいったんもう治療が切断で終わってるんだけど、ちょっとだけそのリハビリさしてもらって。で、そのあとは、え、何やったかな、〇病院やったかな、〇にあるリハビリ専門の病院に移らされて。で、そこで立つ練習、家での生活の練習をさせられましたね。
戸田:なるほど。で、そこから2、3か月ぐらい入院されて?
Oさん:えー、1か月、2か月ぐらいやったかな。うーん、リハビリ、うーんと、8月…、6月か。4月の6日、じゃない、5月の6日に切断して。でその、6月の〇日にもう移らされ…、1か月ぐらいその〇医大にいたんですけど、もうあとはリハビリだけなんでっていうので追い出されて(笑)。〇医院っていうところに6月の〇日に入ったんですよ。それから2か月かな、8月に退院したのかな。
戸田:じゃあその間(かん)、床からこう立ち上がりができるようにっていうので?
Oさん:そうです。あとはその、段差。で、そのあいだに、
Oさん:ここで障害者手帳とか取られたんですか?
Oさん:ん?
戸田:身体障害者手帳。
Oさん:あ、取りましたね。で、あの、脚切る前に、もう引越しする予定やったんですよ。
戸田:あ、そうなんですね。
Oさん:なんと(笑)。あの、家もその車いすが使えないんで。まあその前から両親が亡くなって、もう家広いから、一人になったしもう家売ろうと思って。あの、三井のリハウスといろいろ相談してたとこやったんですね。
戸田:なるほど。
Oさん:で、脚切る前にその引越しを済ませるつもりやったんですけど、もうその、立てなくなってしまって、ほとんどね。で、姉がいろいろ動いてくれて、で、今のこのマンションに引越してきて。
戸田:じゃあ切断される前に今のマンションにお引越しされておられたということやったんですね?
Oさん:はい。
戸田:じゃあご両親が他界されてからは、Oさんお一人でご実家に住んでおられたという?
Oさん:そうです。〇の下のところに家があったんですけど、そこに住んでました。
戸田:事前に送ってくださってたあのエクセルは、「お姉さんが〇のほうに〇で行かれてた、いろいろご事情があって」っていうことで。お姉さんはおいくつぐらいでもうおうち出ておられたんですか?
Oさん:えーとね、その、母が離婚するや何やって言って、で家を出たときに、もう既に姉は家から出たかったっていう願望があったから(笑)。
戸田:それはちょっと、お父さんと合わなかったから?
Oさん:そうですね、うん。あんまり人に命令されるのは嫌いな性格の人なんで。で、おじがそのまあ、よそへ行かれるよりね、「うちへ来いや」みたいな感じで言ってくれてたので、で、おじんところに。おじが〇職人なんで、そこの会社を手伝うというあの、簿記のあれを持ってたんでね、名目もあって、おじのところへ転がり込んだみたいな感じなんですけど。まあその間(かん)も母と父は「帰ってこい、帰ってこい」って言ってたんですけどね。ちょっとそのへんの折り合いが悪くて、勝手に〇をして〇になったって。知らなかったんです、私らは、まったくね。で、ある日何かで〇の話、私が何か取り寄せないかんということになったときに、姉が〇しているのがわかって、「え!」と思って。
戸田:そうやったんですね。
Oさん:ちょっとしばらく絶縁状態が続いてたんですよ、姉とも。その間(かん)、母がだんだん悪くなってきて、まあ父も他界、
戸田:お母さんご病気やったんですか?
Oさん:あの、リウマチを持ってたんですね。で、母がその、子宮が下がってきて手術をしたときに、父が亡くなったんですよ。
戸田:ああ。お父さんもご病気?
Oさん:いや、まあお酒をけっこう飲んでたので、肝硬変みたいな感じで、救急車で運ばれてね。亡くなったときは、母がもう手術して入院してたんですよ。
戸田:じゃあお父さんはけっこう急なご病気の変化で亡くなられた?
Oさん:そうです。あの、まあ書いてあった〇月〇日が、ちょうどあの、ゴールデンウィーク真っただ中で。で、朝から「なんか調子悪い」みたいなこと言ってたんですけど、急に倒れてしまって。
戸田:あ、お父さん?
Oさん:で、私はそのときに、あの、会社に行かないといけなかったんですよ、後輩とか休ましてたから。
戸田:お勤めされてる頃やったんですね?
Oさん:で、コンピューターの処理に、しに行かないといけなかったのに、急に父が救急車で運ばれたもんやから、もう身動きが取れなくて。で、後輩ももうゴールデンウィークで全然連絡が取れなかったから、父を救急病院に残して、私は仕事いったん行って、姉に怒られながら行って。で、姉がちょっと付き添ってくれてる間に、父がもう危ないって言われて。でその頃、母も悪くなってて。あの、その術後のね、あれが悪くてちょっと生死をさまよう時期が、あ、時間帯と、父が亡くなるのが一緒になってしまって。で、うち電話して、その病院からね、家に電話かけられてたんですけど、まあ私はその救急病院行ってたりとか仕事行ったりとかしてて全然連絡が取れなくて。で夜になってから繋がったら、「いや、実はお母さんもちょっと具合悪くて危なかったんです」って言われるの、言われたのを聞いて、「もう勘弁してよ、二人して」と思いながら(笑)。
戸田:そうやったんですね。
Oさん:それで次の日に父が亡くなって、夜中に家へ連れて帰ってきて。で、母には私から次の日に、「実は亡くなったんや」って言ったら、もう泣き崩れてましたけどね。
戸田:ああ、そうやったんですね。で、お母さんが〇年に、リウマチがまあちょっとベースにお持ちやったので、
Oさん:そうですね。〇医大で何回も入退院そのあいだ繰り返してたんですけど。あの、食べれなくなったりとかしながら、出たり入ったりしてたんですね。そのときももう仕事が、私はもうめちゃくちゃ忙しくて。でも、もう毎日、〇医大は車ですぐだったんで、あの、行ってたんですけど。で、なんかもう最後は、なんか白血病とか言われて。
戸田:ああ、お母さんが。
Oさん:ええ。で、その白血病の検査をしてるときに亡くなっちゃったんですよ。
戸田:ああ、せやったんですね。じゃあもう、こうお父さんとお母さんを、Oさんがこうまあちょっと一人で見送るようなかたち? お姉さんはまあちょっと、ちょっと距離がある状態だったので。
Oさん:絶縁、もう、そうですね、ほとんど帰ってこなかったですね。
戸田:じゃあもうそのあとのご葬儀とか、もう全部Oさんお一人で?
Oさん:はい、はい。
戸田:ああ、大変でしたね。で、そのあとはまあまあ、もうご実家でお一人暮らしみたいな状態で。で、もちょっとOさんご自身の脚の状態も悪くなってきたので、引越しをしようということで、今のマンションにお引越しをされて。で、切断されて、リハビリをして戻ってこられて。でそのあとに退職になったんですかね、お仕事?
Oさん:そうですね。うーん、もうやっぱりあの、設備がないっていうのも一番あったんですけど。まあ最初ね、「家でできることをやらしてくれる」みたいな感じで話があったんですけど、やっぱりその、あの、なかなか難しいっていうことで、結局は退職。
戸田:それは、職場のほうから「もう退職してほしい」みたいな雰囲気やったんですか?
Oさん:そうですね。あの、どうしても、車いすで来てもらうとか、その、家でリモートでね、お仕事するってのは。まあ今の…、今でこそリモートでできますけど、その頃はそういうのもなかったし。繋ぐのは繋げてましたけど、やっぱりその繋げるときにいろいろ問題があると困るし。「だから申し訳ないけど」っていうことで、退職せざるを得なくなってしまって。
戸田:その、退職理由は、自己理由で退職された? それかもう会社都合で? 会社都合で辞められる感じやったんですか? 自己都合で辞められる?
Oさん:もう私の都合になりましたね。
戸田:ああ、そうかあ。傷病手当とかは使っておられたんですか? 入院されているあいだとか。
Oさん:はい。もうそれはあの、経理がね、ちゃんとしてくれてたので。
戸田:ああ、そう、よかった。
Oさん:傷病手当はずっともらったんですけど。
戸田:そうですか。で、そのあと退職をされて。で、障害年金の申請もこのあたりにされてるんですか?
Oさん:はい。それも姉がね、いろいろ教えてもらって。「こういう書き方をするのよ」とか(笑)、いろいろ教えてもらいながら。で、最初はその、まあ先天性の表皮水疱症なので、「20歳前年金しかだめ」って言われたんですけど、まあそれはおかしいっていうことでね。あの、まあ普通に働いてたし。で、会社のほうにも何かアンケートが送られてきたから「どうする?」って聞かれたんですけど、まあ「ちゃんとそのままを答えてください」って言ったら、まああの、病気を理由に仕事を軽減してもらったりとかそういうことはまったくなかったので(笑)。もうそれ以上に働いてたし。「働けー!」みたいな感じで働いてたし。もう〇のときなんか、もう死ぬかと思うぐらい働いてたし。
戸田:(笑) そんな配慮なんて。配慮以前の話。
Oさん:女性として扱ってもらってなかったっていうのがまずありますね。あの、夜、夜中でもやらされてたし(笑)。
戸田:管理職もされてたんですね。課長さんされてたんですよね?
Oさん:そうです。だからもう全然その、女性としての配慮がなく(笑)。
戸田:うーん、そうかあ。で、そのあとに年金。年金のほうはもうご自身で書かれて?
Oさん:そうですね。姉にもうあの、添削してもらいながら。こういうのせなあかんとか(笑)、いろいろあって。
戸田:専門のその社会保険労務士の先生に相談とか、入ってもらって、とかではなくて、もうご自身で書いて?
Oさん:そうです。
戸田:すごいですね。あの書類、大変ですよね。
Oさん:ものすごい書きましたよ、だから。
戸田:ねえ。へー、そうか。で、障害年金は、今は厚生年金の2級?
Oさん:えーと、そうですね、あ、2級ですね。厚生年金2級。はい。
戸田:厚生年金の2級が取れて。で、身体障害者手帳は3級?
Oさん:3級。
戸田:が、手術のあとに取得ができたっていうことだったんですね?
Oさん:はい。
戸田:で、今は〇型の就労に行かれてるっていうことで。ありがとうございました、ホームページのURLも貼り付けていただいて。拝見さしてもらいました。すごい。
Oさん:あ、よかった(笑)。あれ私、作ったんです。まあ「どんだけかかっとんねん」みたいな。
戸田:あのホームページ?
Oさん:私が作ったんです。
戸田:すごい。めちゃくちゃ見やすかったです。
Oさん:あ、そうですか? よかったー。
戸田:見やすかった。ページの項目もすごくわかりやすくて。すごい。
Oさん:もう、かなりかかりましたよ、あれ。
戸田:すごいですね。へえ、そうか。でそこの〇型の就労に行くきっかけっていうのは何かあったんですか? 何かこう相談員さんとか支援員さんとかが?
Oさん:そうです。〇のあの、障害…、なんかそういう相談するところがあって。それも誰に聞いたん…、あ、それは新聞で見たんです。あの、就職、まず「働かなあかんな」と思って。年金だけでは暮らしていけないんで、いろいろかかるのでね。で、「どっかで就職できひんかなあ」と思って相談しに行ったんですよ。そしたら、「こういうとこがあるんだけど、行ってみませんか?」って、「近いしね、体を動かすのにちょうどいいから、まずそこから始めてみませんか」みたいな感じで紹介してもらったのが、あそこなんです。あ、だからその前にその、〇っていうところでやってたんですけど、まああの、お年で責任者のかたが退職されて。で、そのあとに入られたかたで、〇っていう名称になって、引き続きあれしてたんですけど。もうそのときに、名称が変わ…、あの、経営者が変わるときに私、「本当は正社で雇ってほしい」ってお手紙書いたんですよ、あの、「生活ができひんから」っていうことで。そしたらその事務作業の分のお金をもらえるから、「事務作業をやってもらうことで、他の人の工賃よりも少しだけアップさせてもらうので」っていうことで。あ、じゃあまあ、そのまんまメンバーのままで、正社員じゃなく、メンバーのままで、利用者のままで、事務作業を兼ねた仕事をさしてもらってたんですね。
戸田:じゃあ最初に新聞でその支援機関を見つけて行かれたときは、障害者雇用枠で、まあ一般就労をこうちょっとイメージしておられた?
Oさん:ん?
戸田:新聞でその就労支援機関を知られて相談に行かれたときは、「障害者雇用枠で一般就労しようかな」っていうふうにイメージしておられた?
Oさん:そうです。
戸田:でも、そこの相談員さんが、「まあちょっと体を慣らす意味で、〇型の就労支援機関どうかな」っていうふうに案内してくださって、ちょっとお給料のこともご相談したら、「プラスアルファで」っていうことで、「じゃあ行ってみようかな」って?
Oさん:はい。
戸田:行かれたとき、Oさん以外は知的障害のかたが多いっていうふうに書いてくださってたんですけども、行かれたときにちょっとこうOさんの中のお気持ちというか、ちょっと違和感とかあったりなかったり?
Oさん:ありましたね。
Oさん:最初に行ったときは、そのお給料も1日500円やったんです。
戸田:はい、はい。
Oさん:で、あの、〇になってからその、いろいろ事務作業をさしてもらうようになったんですけど、最初に行った〇の時点では、えっとー、1日、あ、ちゃう、半日500円にしてもらってたんですよ。だからお昼から、朝弱いんで(笑)、お昼から行っていろんな作業を、内職作業をさしてもらってたんですね。
戸田:それは何年ぐらいやったんですか?
Oさん:えー、何年ぐらいになんのかな? 何年ぐらいやろ。2年か3年ぐらいかな? 2年か3年ぐらいですね。
戸田:じゃあ、いただけるお給料としては、月2万円ぐらい?
Oさん:そう、えー、20日間働いて1万ぐらい。
戸田:あ、そうか。1万円ぐらいが、まあそれで2年間ちょっとそれを、それで生活してこられて。で、今の事業所のほうにちょっとお名前も変わって、経営者のかたも変わられて。で、「もうちょっとプラスアルファがないと」ということをご相談されて。
Oさん:はい。
(一部削除)
戸田:なるほどー。作業所に行かれてもう今、何年目? 今の、変わられてから。
Oさん:もう何年…、もう〇年。〇年にもなってないと思うんですけど。
戸田:そうですか。でも最初ね、さっきおっしゃってくださってた「違和感すごいあった」って言ってくださったんですけども、それでもこう辞めようとは思われなかったんですか?
Oさん:思わなかった。楽しかったし。最初はもう、何て言うのかな、やっぱりすごくあの、人見知りが多いじゃないですか。だから最初の頃はめっちゃ遠巻きに見られて。
戸田:(笑) 距離が。
Oさん:あの、車いすっていうのもあるのかもしれないんですけど、まあ「年上のおばちゃんが来たな」みたいな感じで遠巻きに見られてたのが、まああの、だんだん気安く話(はなし)してくれるようになってきて。で、私としてはやっぱ年上としてね、やっぱりやったらあかんことは注意せなあかんし。あの、「あ、それはやったらあかんやろ」って注意したりとか、怖がられたりとかしながら(笑)。持ち前のその、あほなこと言うのんがけっこうウケたのか、まあ今ではね、和気あいあいとしてもらえるようになったけど。やっぱり仕事に対する姿勢が、全然やっぱり違うじゃないですか。(一部削除)
戸田:じゃあその行かれることで、Oさんもその今までのご経験されてきたことと、またちょっと違う視点が入ってきたみたいな?
Oさん:そうなんです。で、障害に対する考え方。「こういうのもあるんや」っていうのを知って。(一部削除)今ではそのまあ、「どうしたらいいですか?」って先にね、「こういう場合はどうしたらいいですか?」ってスタッフの人に聞いて、「あ、こういうふうにしたほうがいいと思います」とか、「ここは注意してもらって大丈夫よ。この人は大丈夫です」とかいうのを聞きながら、あの、作業のときにとか、「これはできる?」って先に聞いてあげたりとか、まあそういうふうに接していくようになって。だから今はもう嫌じゃないというかね、あの、むしろすごく感心が湧いて仕事をさしてもらってるなあって思うかな。
戸田:すごい柔軟にこう、ものごとを捉えていかれる。すごいなあと、今お話を伺ってて。
Oさん:だってもうここを辞めたらもう次なんかないと思うし、年齢的に。まあ今のところ辞めるつもりも。でもちょっとあったんですよ、あの、お給料が安いから、どうしても。工賃と言われるお給料が安いから、〇型に変わろうってしたときがあったんですよ。
戸田:ああ、なるほど。
Oさん:うん。で、面接も行ったんですけど、(一部削除)変わらずに今のままにいるんですけど。
戸田:お答え出来る範囲で全然大丈夫なんですけど、今、お給料ってどれぐらい?
(一部削除)
戸田:出していただいてる。ふーん。じゃあ今はOさんは障害年金とお給料とで生活をこうやりくりしていってるっていう状態でいらっしゃるということなんですね。わかりました、ありがとうございます。
あと、一番最初の頃に言っておられた、包帯でこう服に浸出液がついたりとかして、ちょっとこう「見られるのが嫌だな」とか、こう人からジロジロ見られたりとか、友だちとの関係で、その皮膚のことでちょっと嫌な思いされたこととかってありましたか?
Oさん:もちろん。もう男子はその、寄って、「ばい菌が寄ってくる」みたいな顔された子もいるし。もう「隣になるのが嫌」って拒絶された人もいるし。まずその、体育で手繋ぐのはまずしてくれなかったりとか。「うつるから」とか、なんかそういう感じの目で見られたりとか、言われたりとか。でもそういう人がいる反面、私が救われたのは、そうじゃない子もいてくれたから今までやってこれたなって。いい友だちもいたから。
戸田:その嫌なことを言うのは、やっぱり小学校とか中学校とかの男の子が多かった?
Oさん:そうですね。うちは女子はそんなにいなかったですね。
戸田:ああ、そうなんですね。
Oさん:ええ。むしろ受け入れてくれて、まああの、かばってくれるっていうか、そういう人が多かったし。
戸田:うんうん。で、あまりこう「言われるのが嫌だな」とか、「じろじろ見られるのも嫌だな」っていうので長袖を着たりとか、なるべくその傷口が見えないように工夫されているかたも、今までお話をお伺いしていらっしゃったんですけども、Oさんもそういったこう、ちょっともう見られないように、こう工夫をしたりとかっていうこととかってありましたか?
Oさん:そうですね、してましたね、襟があるものとか。襟がないやつだったら、スカーフ巻いて首が見えないようにするとか。
戸田:で、その見えないように工夫をすることで、よけいにこう夏場とかだったら暑くなって、状態が悪くなったりとかっていうことはありましたか?
Oさん:あります、あります。あります。
戸田:それでもやっぱりこう見られないようにするほうが、優先順位としては高くなる感じ?
Oさん:そうですね。
戸田:たとえばどんなふうに状態悪くなったこととかってありましたか? その、
Oさん:やっぱり脚が出るじゃないですか。もう薬が落ちるとか、まあ貼ってたテープが取れるとか、もうそういうのはもう日常茶飯事だったから。トイレで直したりとか、汗拭いたりとかしてましたね。
戸田:じゃあ、もし見られたりとかそういったことがなかったら、半袖とかもうちょっと涼しいお洋服でいられたけれども、まあちょっとこう見られるのがあれだからというので、スカーフ巻かれたりとかでちょっとよけいに汗をかいてしまって?
Oさん:そうですね。だから今思うとその、えーと、下は袖なし着てて、上から薄いカーディガン羽織るとか、まあそれなりに工夫はしてたんですよ、暑くならないようにとか。で、手がここんところ、今、今やったらあの、なんか夏用の日の当たらないやつしたりとか、半袖着てるけどそこだけにするとか、そういう工夫はしてましたけどね。
戸田:なるほど。これもOさんのお答えできる範囲で全然大丈夫なんですけれども、恋愛関係とかっていかがでしたか?
Oさん:ありましたよ。うん。付き合ってる人もいたし。で、相手も別にあの、構わないって言ってくれてたんですけど、うちの親が「だめ」、反対でしたね。だから内緒で付き合ってる…、付き合ってたんですけど、その、結婚の話が出たときにね、勝手に相手が先走って、親に電話しちゃったんですよ。
戸田:ああ、そう。
Oさん:あの、こう、何と言うかな、徐々に言えばいいのに、なんか「早く結婚したいから」って言って、うちの親に電話してきちゃって。まあそっからもめにもめて(笑)。
戸田:おいくつぐらいのときやったんですか?
Oさん:30代やったかな。
戸田:30代。じゃ、その頃はお父さんもお母さんもご健在。
Oさん:はい。
戸田:どちらが強く反対されたんですか?
Oさん:両親ともに。
戸田:お二人ともに?
Oさん:はい。
(一部削除)
戸田:で、お相手のかたもそこはご理解くださって。
Oさん:はい。「子どもはいらない」って言ってくれてたんです。
戸田:お相手のかたも、Oさんと結婚したいんだっていうふうに思われて。で、先走ってご両親に電話しちゃったんですね(笑)。
Oさん:徐々にやればいいのにね、もうその、何て言うのかな、先走ってしまって。しかも電話で。で、もう速攻で、その仕事中に母から電話かかってきて、「こういう人から電話あったけど、どういうことなの?」って。まあ「帰って話するから」って言って、そのときには収めたんですけど。
戸田:うん。で、帰ってお話しされて、まあ「ちょっと結婚したい人がいるんだ」ということをお伝えされたら、
Oさん:「結婚したい」というかね、その、そのときは仕事のほうが楽しかったので(笑)、私はね。だからあの、まあ「とりあえずお付き合いはしてるけど、結婚はまだ全然考えてない。言われてるけど考えてない」っていうのを言った。ほんならもう父も母も激怒で、「絶対あかん」って言われて。
(一部削除)
戸田:(笑)
Oさん:(一部削除)でもまあ向こうは「子どもいらん」って言ってくれてるから、どこまで理解してそう言ってくれてんのかはわからないけども、まあそういうことはちょっと伝えてたので、「できないかもしれないよ」って。「それでもいい」って、そのときはまあ言ってくれてたんですけどね。まあ「何年かして」ね、「やっぱり、どういう気持ちが変化するかわからないから」って言う、母は言うんですよ、言ってたんですよ。「結婚するときはお互いに好きとか嫌いとかね、そういうのんで突っ走るけど、何年かしてからね、子どもがいいひんことが原因だったりとか、親戚の人にね、どういうふうに見られるかとか、親御さんがどう思うだとかっていう問題が絶対に起こるから、やめといたほうがいい」って言われて。
戸田:ああ。で、そのあとにもうお付き合いをやめられたんですか?
Oさん:そのあとにね、何やったかな、なんかもう向こうがめちゃくちゃ先走って、「仕事を辞めろ」など、「仕事は辞めてくれ」とかね、「結婚したら仕事は辞めてくれ」とか言い出して。で、その、会社関係の人やったんで、なんか知らんけど、社長にそれをなんか言ったかな? なんかされて、勝手に。で社長がちょっと、「一回お前、時間取ってくれ」みたいなことを言われてたんです。「あ、またなんか言うたな」と思って。で、そうこうしてるうちに向こうも、向こうがね、その、「会社を辞めてくれ」って言い出したから、もう私はそれでブチっと切れて。「別れよう」って言って、別れたんです。
戸田:その、お仕事を言われたことが直接の原因みたいな?
Oさん:はい、はい。その「私の気持ちを尊重してくれへん人やな」っていうのが、
戸田:ああ、なるほど。
Oさん:わかって、で、もう別れてしまって。でも別れてからも、そのなんか、母とは電話しか繋がってなかったから、顔を見てないんですよ。家に来て、その、単車を…、一回単車盗まれたことがあって、そのときバイクで通ってたから、この鍵をね、「友だちやけど、この鍵を渡してください」とかって言って家に来たりとか、勝手なことばっかりするし。で、仕事が終わってから同僚と飲みに行ってたら、その車を置いてるところに、あの、「あいつがおったぞ」って言われたりとか、なんか付け回されてて。それがすごい気持ち悪くて、うん、もう完全にもう冷めて。「やめて」って、「そういうことされるの嫌やから、困るからやめて」って。
戸田:うんうん。そのあとにお付き合いされるかたとかはいらっしゃらなかったんですか?
Oさん:いなかったですね。
戸田:その前にもいらっしゃらなかった?
Oさん:はい。
戸田:じゃあそこの恋愛のところで、まあもう、ちょっと付け回されるような態度も出てきたので、「もういいかな」っていう感じで?
Oさん:て言うか、もう仕事が楽しかったので。忙しかったのと楽しかったので。うん。いろいろ任してもらってやるのがすごい楽しかったので。
戸田:やりがいも出てきて。
Oさん:うん、起こらなかったんですね。まあもう、家でももうその、近所の人がお見合いの話を何回か持ってきてたりとか、
戸田:へー。
Oさん:本人が直接なんか家に来たりとかしてたらしいんですよ、「お見合いさしてくれ」みたいな感じでね。で、それは全部両親が断ってた(笑)。全然知らなくて、もうだいぶん経ってから聞いたのかな。「実はねえ」いうて、「何件か見合いの話が来てて。なんか本人が来たりとか、いろいろしてたけど、全部断ってたのよ」って言うから、「はあ?」と思って(笑)。
戸田:「知らなかったよ」って。
Oさん:うん。
戸田:そうかあ。じゃあそういうちょっと経過もあり。で、その当時、性のこと、「どこまでやっても大丈夫なんだろうか」とか、そういうことがこう他に相談できる人ってなかなかいなかった?
Oさん:えー、相談はしてないけど、知識はあった。あの、まあなんせ女子校なもんで(笑)、そういう話はもうけっこう友だちどうしで話してたから。
戸田:でも、表皮水疱症っていうご病気を抱えたうえでその行為をするっていうことで、どうなるのかっていうところはちょっとわからない?
Oさん:わからないですね。で、相談もできなかったですね。その「表皮水疱症で性行為をする」っていう相談はできなかったですけど、そういう行為をどういうふうにするっていうのはもう、その女子高でいろんな話を。「彼氏とした」とか。
戸田:そうですよね。一般論としては知識としては見聞きはするけれども、じゃあいざその表皮水疱症というご病状を抱えて性行為をするっていうところでの「どこまで大丈夫なのか」とか。でもこうやっぱり好きな人ができたときに、こうスキンシップがしたいっていうところでの葛藤とかって、Oさんご自身の中でもありましたか?
Oさん:ありましたね。まずそのやっぱりね、あの、肌を見せるのがもう怖かった。だから好きになっても、別にそこまで発展しようとは。その、1回こっきりそういうふうなことがあってね、相手は見たりとかしてるけど、何も言わなかったけど、他の人はどうなんかはようわからなかったし。もうめんどくさいから(笑)、そういうのを悩むがね、まずめんどくさかったから、もう考えへんようにしてたんかな、最後のほうはもう。
戸田:じゃあちょっと「好きだなあ」っていう男性のかたがいらっしゃっても、もうそこに発展する以前に、「見られるのも嫌だな」っていうのもあって、そこまで発展するには至らなかったみたいな感じ?
Oさん:至らなかった、うん。あの、友だちとして付き合うっていうのは、もう同僚とかね、飲みに行ったりとかできれば別に問題なかったし、そっからもう恋愛云々っていうのはめんどくさい(笑)。あの、ほんとに恋愛、その付き合ってる頃はなんかお弁当作ってあげたりとか、朝起きてなんか電話せなあかんとか、なんかそういうのが当ったり前みたいやったけど、今それ考えたら、「めんどくさー」と思って(笑)。突然会いに来られても、両親知らないから、隠れてこそこそなんか出て行くのもめんどくさかったし。もういっぱいいっぱいやったんです。仕事とその、体のケアするので、もういっぱいいっぱいやったから、もう他のことするのがめんどくさくて。日曜日とかも「会いたい」とも思わへんかった(笑)。「しんどいから寝てたい」っていうほうが勝ってた場合もあったから。デートするのも面倒くさいときあった。
戸田:じゃあOさんの中でそういう仕事へのやりがいであったりとか、たぶんすごくお仕事をバリバリされておられ、今もされておられるんだろうなってお話を伺っててすごい感じるんですけども、やっぱりこう優先順位としてお仕事。で、でもやっぱりお仕事を継続するためには、その日々のケアを毎日しないといけないというところで、もうそこでこういっぱいいっぱい。恋愛、彼氏まで入り込む隙がなかった?
Oさん:まあそんだけ好きな人が現れなかったってことなのかもしれないけど。うーん。あの、巷でね、「もう会わないといられない」とか、「うーわ、めんどくさい」(笑)。
戸田:「会わずにいられない」とか(笑)。
Oさん:「なんで?」って、「自分の時間なくなったら嫌やん」とか思いながら、「めんどくさー」とか思って。
戸田:「もういいわ」って(笑)。
Oさん:(笑) 「もう私、別にいいわ」みたいな。「勘弁してよ」みたいな。
戸田:なるほど。これももうお答えできる範囲で全然あれなんですけども、もしそのときの主治医の先生が「性行為しても大丈夫ですよ」って言われてたら、「ちょっとやってみようかな」という気持ちはありましたか?
Oさん:いやー、どうかなあ。まあそういう雰囲気になれば、あったかもしれないけど。
戸田:ああ、なるほど、もう見られるのも…、特にお相手のかたが、何も言われなかったらそのときの雰囲気で踏み込んでたかもしれないけども、やっぱりその先生の最後のこう、だめ出しみたいな感じで、「あ、やっぱり無理なのかな」っていうふうになった感じやったんですかね?
Oさん:そうですね。「だめなんじゃないかな」って、うすうすは思ってたけど、はっきり「だめです」って言われたから、「あ、やっぱりやめといたほうが」。もしそれをね、あの、雰囲気に飲まれてゴリ押しししてやったとして、その傷がね、どうしたらいいのかもう想像がつかなかったから、怖かったですね。
戸田:ああ。特にその体の内部になっちゃいますもんね。まだその表面的に出ているものでもないっていうところで。そこの話も関連するんですけど、お口の症状ってどうなんですかね? Oさん、喉とか。お口の粘膜と喉。
Oさん:もうすごいですよ。今、特にひどいんですけど、あの、歯が悪いのでね。
戸田:うんうん、書いてくださってて。
Oさん:水ぶくれはほとんど…、けっこう出るし、舌の水ぶくれもあるし。で、喉もすぐ水ぶくれができるんです。
戸田:狭いですか? 食道狭窄ってあるんですか?
Oさん:はい。だからお薬もお薬カッターで切らないと飲めないし。カプセルは全部中身出して飲むし。
戸田:何か「この食材食べたら、水疱とかちょっとびらんができるな」とかっていう食材ってあるんですか?
Oさん:辛いものはもう、すぐ水疱できますね。
戸田:たとえばどんな?
Oさん:あの、唐辛子とか。ほとんど食べないんですけど、あの、たまに入ってたりとか、ちょっと辛いのがあったら、もうぶわーってすぐできます。
戸田:でもそれって水疱できたときに潰さないと、どんどん広がる?
Oさん:はい。だからすぐ潰します。
戸田:口、舌とかでピッと?
Oさん:あの、やったりとか。もう、もうそれでも潰れないときは針で潰しますね。
戸田:痛みはないんですか? 水疱のときは。
Oさん:あります、あります。だから、潰れてからあの、白〜くなるじゃないですか。それが1週間ぐらい続くのかな。で、剥けたりとかするし。
戸田:でもそれも痛いですよね。
Oさん:痛いです。
戸田:で、その口の中の症状も小さいときからずっとある?
Oさん:はい。小さいときはもう唇が、冬なんかくっついてたりとか。
戸田:あ、くっついちゃう?
Oさん:うん。だから母がもうお湯で拭いて、剥けないように開(ひら)けてくれたりとか。
戸田:でその、お口のかど、ここも切れちゃったりとか?
Oさん:開(あ)かないです、あんまり。だから歯の治療もすごい大変やし。で、今あの、書いてた「壊滅状態」というのは、
戸田:ね、書いてくださってて。
Oさん:こっちの奥歯が全然なくて。
戸田:右の奥歯?
Oさん:えーと、はい。で前の、今、えー、歯が3本あるんですけど、そこに4本分の歯をかぶせて、あ、え? かぶせて。で、ここも1個なくって。で奥にちょっとあるんですけど、その奥歯とこの前は2つで、今これカチッと入れ歯が入ってるんです。
戸田:この入れ歯入れるところの、ここの歯茎、当たることで水疱ができたりとかは大丈夫なんですか?
Oさん:あります、あります。だからうまくあの、今、〇医大の先生けっこううまくやってくれてはるんですけど、外すのも爪がないから、ちょっとここ歯を削ってもらって、クッと掛けれるようにしてもらったりとか。
戸田:ああ、なるほど。
Oさん:で、金具もなんか特殊な金具にしてもらって、で、当たらないようにうまく調整してもらったりとか。すごくあの、まあ今まではその、近くの歯医者さん通ってたんですけど、やっぱり表皮水疱症のことをよくご存じないから、もう力任せにやったりとかされるんですよね。それでもやっぱり近いからがまんしてたんやけど、入れ歯になったときに、ものすごく面倒くさそうに言われて(笑)。もうおじいちゃんやからけっこう気が短いんですけどね。もうなんかひと言、私何も言ってないのに、「なんか文句あるんか」みたいなこと言われたりで、もう〇医大にかかろうと思って。皮膚科の先生からね、言ってもらったんですよ。入院中もちょっと、ずっと歯、その〇医大でかかってたから、「トータルでやってくれませんか」っていうことで。で、今その、前のこの4本もね、ぐらぐらで、けっこうぐらぐらで、ちょっと危ない状態。これがなくなったらもう引っ掛けるとこがないから。
戸田:固定ができないんですよね。
Oさん:そうなんですよ。だから全面入れ歯にしないといけないんですよ。あの、上顎が剥けるじゃないですか。だからそれができひんから、何とか今この前歯を大切にしてはいきたいなと思って。だから毎月その皮膚科のあとに行って、診てもらってるんです。
戸田:今はその皮膚科の先生も、その脚の切断のこととかもあったと思うので、まあちょっと親身、親身というか、状態を見ながら診察してくださる感じなんですか?
Oさん:そうですね。あの、やっぱり癌になりやすくなっているんですね、ちょっとした傷でも。その下に書いてあったのは、〇先生っていう先生がずーっとその主治医だったんですけど、で、研修医のときから今いる〇先生って主治医になってくださってる先生が一緒になって診てくださってたので。で、〇先生が変わるときに「どうする?」って、「主治医の先生どうする?」って聞かれたときにね、もう言いやすいし、「もうこのまま、〇先生にしてもらっていいです」って。で、今〇先生に診てもらってるんですけど。
戸田:じゃあ、ちょっとこう言いやすいのと、ちょっとその癌化しやすいっていうところも踏まえて、なるべくその症状のところはOさんもこうお伝えされて、で、先生もその言ったところを診てもらうという感じで、前みたいに1分で終わるという感じではもうない?
Oさん:ないです、ないです。もう今、手荒れがひどいんですね。あの、どうしても、
戸田:コロナでね。
Oさん:もあるし、その、ちょっと気になる傷は毎回写真を撮って、こう比べながら、大っきくなってるかどうなっているか見ながらやってるんですよ。
戸田:じゃあそういうこう、先生とのこう向き合い方っていうのも変わったのは、やっぱり癌? 癌というかその脚の切断のところが、ちょっとこうきっかけとして大きい感じ?
Oさん:ですね。だからその脚のその、ちょっとした腫瘍からこういうふうになったので、そのときにあの、教授の先生やったんですけど、親身になって診てくれなかったんですよ。うん。ほんとにもう、あの、通り一辺倒な診察で。で、〇先生がついてくれてから、その「大っきくなった」とか「小さくなった」とか「この薬に変えてみよう」とか「こうしてみよう」とかって、いろいろ親身になって言ってくれている〇先生がいたから、ここまで来れたなあ、っていうのはあるんです。
戸田:ああ、本当ですよね。じゃあずっとその幼少の頃からの医療との付き合い方ってすごい、ねえ、変わってこられてるなあと思って。病状とともにっていうところですよね?
戸田:だから今はその、先生の言うことも信用できるし、相談することもできるようになったんですけど、もうそれまでは、もうあの、「もう治らへん」って拒絶されてから、あんまり信用できなくなったっていうところはありますね。
戸田:5歳のあの〇病院のところで「治らないよ」って言われたので、ちょっともう断絶感みたいな感じがあった?
Oさん:もうだから、そのときから「もう自分でやる」っていうふうに決めたっていうか。だから薬の塗り方も包帯の巻き方も、その「こういう症状のときはこういうふうな処置をせなあかん」とか、「もうこれぐらいやったらバンドエイドですむわ」とか、そういう知識っていうのかな、自分で得た、
戸田:経験ですよね。
Oさん:経験ですね。うん。
戸田:うーん、なるほど。今、メピレックスは使っておられない? かゆくなるって、
Oさん:かゆくなるんですよ。あの、一回その〇先生に、「こんなんあるけど、どう?」って言われたときに貼ってみたんですけど、かゆくなっちゃって。うん。で、ある程度、なんか2、3日ずっと貼ってないといけない…、貼ってるじゃないですか、みんな。毎日替えないでしょ。うん。あれがもう信じられないというか。
戸田:じゃあ今もガーゼと包帯?
Oさん:ガーゼ、あとバンドエイド。はい。
戸田:で、お風呂も今、毎日?
Oさん:はい、全部外して。はい。
戸田:外して毎日入って。あとさっき、痛みもね、すごいお話聞かせてもらってたんですけど、かゆみもやっぱりすごい症状として?
Oさん:はい。それをムヒ。「ムヒです」って書いてましたよね。あのメントールのを塗ってやったりとか、冷やしたりとか。
戸田:でももうムヒって、完全に市販薬ですよね? (笑)
Oさん:はい。あれが一番効くんです、私には。
戸田:ムヒが一番(笑)。
Oさん:うん。病院で「出してくれへん?」って言ったら、「それは無理」って言われて(笑)。
戸田:「ムヒは出せない」、そうか(笑)。
Oさん:「いや、ムヒじゃなくていいから、メントール出して」って言うぐらい、先生に。「それもない」って言うんですよ。
戸田:その傷が治っていく過程がやっぱりどうしてもかゆい?
Oさん:そうですね。治りかけが一番かゆいですね。
戸田:で、他のかたも伺ってると、そのかゆいのががまんできなくてガリッとやっちゃって、また傷ができちゃうみたいな。
Oさん:そうです。
戸田:ああ。でそのガリッてやったときの、「あー、やっちゃった」っていう、こう「あー」っていう体験も?
Oさん:「あー」(笑)、「あー、剥けたー」みたいな。「あー、水ぶくれになったー」。
戸田:(笑) もうそれは幼少の頃からの、もう日常な感じなんですか?
Oさん:そう。あと私あの、すごい皮をめくるんですよ。あの、かさぶたになったやつとか、気持ち悪くて。で、それをこうガリガリ取ってるときに、あの、ベリッてめくったりとか(笑)。
戸田:(笑) 今まで、もちろん痛みもなんですけれども、かゆみと痛みがその体の中で混在するわけじゃないですか、表皮水疱症のかたって。こう集中力がなかったりとか、気持ち的にこう余裕ができないこととかっていうのもけっこうありましたか?
Oさん:んー、どうかなあ。わりとねえ、たとえば仕事に集中すると、かゆかったのが忘れられたりとかありますね、私はね。
戸田:じゃあちょっとこう集中が途絶えて、ほっとしたときに、「あ、かゆいなあ」みたいな感じで?
Oさん:まあ寝てるときはもう無意識にかいてるから、パッて起きたときにめっちゃ血だらけになってるときある(笑)。「どこ? どこ?」みたいな。
戸田:(笑) それはシーツが、血が付いてる状態?
Oさん:(笑) だからそういう無意識にかくときは、もう包帯巻いて寝るんですよ。うん。かいても大丈夫なように。
戸田:寝返りとかで出血したりとか?
Oさん:あ、あります、あります。もう脚なくなってから特になんですけど、この肩のこのへんとか、腰のところとか、脚で蹴って、何て言うのかな、寝返りができなくなってから、もうそこの傷が治らない。
戸田:じゃ体をこうぐっと動かすところが、ちょっと脚の切断されたことによって、
Oさん:はい。よけいにすれる。
戸田:なるほど。
Oさん:それはすごい感じてますね。あの、もうほんとにこのへんとか、寝てて、私、横向きに寝るんですけど、こう寝返り打つときに、まずここ、すりますよね。だからもう治っても治っても赤くなって、すぐ水ぶくれになる。
戸田:なるほど。今おうちの中はおうち用の車いす?
Oさん:はい。
戸田:で、外出のときは電動車いす?
Oさん:はい。
戸田:で、お仕事行かれるときは、送迎があるんですか?
Oさん:あ、ないです、ないです。もう15分ぐらいで行けるので。
戸田:あ、そうなんですね、じゃあ電動車いすでブーンと行かれる感じで。
Oさん:はい。
戸田:お買い物とかはどうされてるんですか?
Oさん:あ、行ってますよ、自分で。
戸田:電動車いすでスーパーに行かれて?
Oさん:かごを膝の上置いて。
戸田:で、ぽいぽい入れていく?
Oさん:うん。もうめっちゃ、「ウィリーするんちゃうかな」ってくらい後ろ積ん…、あの、袋に入れて。でも体重のほうが重いから大丈夫なんですけど(笑)。
戸田:後ろひっくり返りそうになる(笑)。でも、それ帰ってきてまた冷蔵庫へ入れたり、大変ですよね?
Oさん:大変ですよね。だから廊下ずーっと引きずってくるんですよ、ずーっと。後ずさりしながら(笑)
戸田:そうか(笑)。今、何かおうちの生活でサービス、ヘルパーさんであったりとか、何かそんなん使っておられる?
Oさん:あ、受けてます。ヘルパーさんに来てもらって。で、今、去年からコロナでやっぱりちょっと怖いので、来てもらってないんですけど。
戸田:そうなんですね。それまではヘルパーさんは来てくださってた?
Oさん:はい。あの、お掃除だけ。
戸田:あ、お掃除で。うんうん。
Oさん:あの、高いとこの、レンジ周りとかのお掃除とか。カーテン替えたりとかまずできないので、季節ごとに替えてもらったりとか。あとクーラーのお掃除、掃除機でバーッて吸うだけなんですけど、それやってもらったりとかはしてました。
戸田:週に何日ぐらい来てくださってたんですか?
Oさん:えー、月に1回。
戸田:あ、月に1回?
Oさん:うん。
戸田:なるほど。じゃあ、日々(にちにち)で何かっていうのは、もう今、Oさんの中で工夫されて?
Oさん:はい、やってます。
戸田:すごいお写真いっぱい送ってくださって、すごい分かりやすかったんですけども、いろいろ手の届くところにケアの材料とか置いて、
Oさん:はい、置いてます。
戸田:工夫されているっていう。なんかお部屋すごいかわいいですよね、写真見さしてもらって。
Oさん:(笑) かわいいのが好きで。
戸田:カーテンとかぬいぐるみとか、トイレのマットとか、すごいおしゃれやなーと思って(笑)。
Oさん:かわいいの好(ず)きで、特にキティーちゃんは、もうめちゃめちゃあります。
戸田:いいですよね。癒し(笑)。癒されますよね。ちなみにOさんの趣味とか、何か好きなことってどんなことなんですか?
Oさん:趣味? あ、手芸? あの、手芸かな。ミシンとか使っていろいろ作るのが好きですね。
戸田:へえー。どんなものを作ら…、
Oさん:でも今は全然やってないですけど、あの、やる時間がないというか。生地とかすごい好きなんですよ。だから2年間ほど家にいたときに、安い生地とか、パソコンでずーっと見ながら買って、それを置いたまんまなんですけどね(笑)。
戸田:(笑) どんなものを作っておられたんですか?
Oさん:まずあの、小物。掛けたりとかする小物は全部作ってたし。
戸田:そのソファーのカバーもですか?
Oさん:あ、ソファーのカバーは作ってないんですけど。ちょっとあの、掛けたりとかするカバーとか、ああいうのは作ってましたね。大好きなんですよ。
戸田:ものづくりが。
Oさん:うん。で、ワンピースとかね、作りたいんですけど。あの、そのとき考えてたのは、やっぱり表皮水疱症の人ってね、こう襟が詰まってたほうがいいとか、素材が優しいほうがいいとか、あんまり締め付けがないほうがいいとか、今いろいろあの、パッと脱げるような、首からボソンとかぶるんじゃなくって、こうボタンで外せるような、そういうお洋服がいいなと思って。できたら、自分でそういうふうに作れるようになったら、他の人にも作ってあげたいなとか考えてたんですけどね。
戸田:えー、素敵ですね。
Oさん:まったくそこまで至ってなくて(笑)。
戸田:(笑) でも素敵ですよね。なんか本当にそういう視点で、ねえ、みんながこう肌にも優しい、ちょっとでもこう「見られたくないな」って言うところの気持ちもカバーできて、でもおしゃれもできる、みたいな。
Oさん:なかなかないんですよね。もう、襟がぶわーって開(あ)いてたりとか。
戸田:そうですよね、かぶりだったりとか。
Oさん:うん。もう今、袖が中途半端じゃないですか。「あれやめてよ」って(笑)。
戸田:(笑)
Oさん:「あ、やった、長袖ある!」と思ったら中途半端やったりとかね。だからそういうのが作れたらいいなって。
戸田:じゃあ今、もちろん今もなんですけれども、「ちょっとこんなおしゃれしたいな」とかっていうのが、やっぱり今までちょっとできなかったっていう苦い思い出とかも?
Oさん:あります、あります。まず下着がね、「かわいいブラつけたい」とかあるじゃないですか。もうそういうのもほとんどワイヤーが入ってたりとか、ブラ、あの、「寄せて上げて」っていうやつは特にそうなんですけど、「したいな」って思ってたんですけど。もう今はその、締め付けのない下着があって、そう、それでなんとかいけてるんですけど。もうそれに出会うまで、やっぱりこのへんの下、胸の下のところ、アンダーとかは、すっごいできてたんですけど。もうその締め付けのない縫い目のないグンゼの肌着があるんですけど、それを見て、あの、つけてから、全然そのへんの傷ができなくなったんですね。だからそういうのも、やっぱりね、あの、ブラとかできない人、女の人、ちょうど…、まあ知ってるかもしれないですけどね。私はもう、ごく最近に知ったので、もう「これいいわ」と思って。
戸田:体感でね、そういういいものがあるとお伝えできたらいいな、みたいな感じですよね。ちなみに、なんか「こんなおしゃれしたかったけど、ちょっとできなかったな」みたいなのとかってありますか?
Oさん:やっぱりスカートですね。
戸田:ああ、そう…。もう常にズボン?
Oさん:ん?
戸田:常に履かれてる?
Oさん:冬はね、あの、タイツとか履いてミニとか履けますけど。やっぱりね、夏はどうしても、履きたいけどミニは履けない。で、薄いの着たいけど、やっぱり、
戸田:浸出液とか。
Oさん:「血がついたらどうしよう」とか、「見えたらどうしよう」っていうので。
戸田:他のかたも、「白い色がなかなか着れない」って言われてたんです。
Oさん:はい。だから白いワンピース半袖で、上、黒のカーディガン羽織るとか、そういう工夫はしてますけど、薄いやつね。
戸田:なるほど。
Oさん:で、「ちょっとここ今日、血が出やすいなー」と思ったら、そういう黒いお洋服を着たりとか、血が目立たないようなのを着たりとかはしてましたね。
戸田:じゃあ夏にこうミニスカートとか…。サンダルとかは履かれてるんですか?
Oさん:あ、履いてます、履いてます。うん。それもやっぱりもう…、勤めてた頃はね、やっぱりスーツにヒール履きたいから無理して履いてたけど、もう今けんけんで行かないといけないから、危ないからそんなヒール全部捨てて、ペッタンコの靴ばっかり履いてるんですけど。
戸田:うんうん、そっかそっか。今のOさんの生活で楽しみなことって、何かありますか?
Oさん:楽しみ? 寝ることかな(笑)。
戸田:(笑) 寝るのが楽しみ。
Oさん:で、なんか知らないけど毎日忙しいんですよ、私。あの、家、片付けれるところ決めてね、そこを徹底的に片付けるとか。
戸田:すごいですねえ。
Oさん:もう今、断捨離に凝ってて、もうほっとんど捨てていってますね、今。友だちに「終活か」って言われるぐらい(笑)。
戸田:(笑)
Oさん:でもその、きれいになることがすごい気持ちよくて、「次どこやろうかな」って思ってるぐらいで。
戸田:すごいお部屋も、写真送ってくださった、「すごいきれいにされてるなあ」と思って感動してたんですけど。
Oさん:ありがとうございます。ばい菌がやっぱり怖いからね、お掃除は欠かせない。
戸田:前のその経験からっていうので。なので早期発見できるように、予防するっていうところにすごく重点を置いておられるっていう感じなんですね?
Oさん:はい。
戸田:そっか、なるほど。ごめんなさい。結局もう2時間ぶっ通しでお話聞かせていただいて。
Oさん:(笑) ほんまや。
戸田:お疲れじゃ…、大丈夫ですか?
Oさん:あ、大丈夫です(笑)。いや、もう普段から、こうやってしゃべることを友だちとね、もう半日ぶっ通しで機関銃のようにしゃべるとか、そういうことはもう日常茶飯事でやってるから、あんまり苦にならないというか。「あ、もうこんな時間?」っていうぐらい。大丈夫ですか?
戸田:あ、私は全然大丈夫(笑)。
Oさん:「ようしゃべるおばちゃんやなー」と思われてたらどうしよ(笑)。
戸田:そんなことないです、全然。貴重なお話聞かしていただいてありがとうございます。
Oさん:あ、あとね、あの〇さんもおっしゃってたんですけど、やっぱり老後のときにケアをね、やっぱりそのヘルパーさんとかそういう人らにケアをしてもらうのってできないじゃないですか。やっぱり、できたらその、まあ同じ表皮水疱症みたいな悩みを抱えたね、そういう人たちが集えるような、なんか施設みたいなんができたらいいなあという話を〇さんにしてて。「いや、実は私もそれ考えててね」とか言って(笑)。
戸田:〇さんね、「EBハウス」っていうのをちょっと作りたいなあっていうのを、
Oさん:ああ、それそれ、言ってはりました。だから、まあ〇でもこんだけねえ、同じような人がいて。まあ私の周りってまだ大学生だったり小学生だったりね、してる子、若い人がたくさんいるんですけど、やっぱり歳いってくるとね。私なんか特にあの、骨折したらもう終わりですから。左脚しかないんでね。もうすーごい気をつけてるし。もう手骨折しただけでも、もう大変じゃないですか、自分でできないから。そういうときにどうするのがいい…、どうしない…、どう…、どこで相談してその、ヘルプしてもらうか、確かめとかないといけない。
戸田:そうですよね。今、身近に相談できる支援機関の人とか保健師さんとかっていらっしゃるんですか?
Oさん:あの、その就職の時にお世話になったところがあるんですけど、なかなか忙しくてお尋ねしてなくて、一回その、
戸田:ヘルパーさん来てくださったりとか、今のその生活のところで、そのケースワーカーさんとかは担当のかたはいらっしゃらない?
Oさん:はい。もうただお掃除だけとか、そのヘルパーさんもね、今まで来てもらってた人もお掃除だけの人。もう普通の主婦の人ですよね。
戸田:ああ、そうか。何かね、こうOさんのこの生活全般のところをちょっと相談できるかたというのは、今はいらっしゃらない?
Oさん:ですね。だから、もしその骨折とかして傷の手当てをしてもらおうと思ったら、あの、看護師さんみたいな人?
戸田:訪問看護師さんとかね。
Oさん:あの、他でそういう、やってる人がいるんですけど、なんか「看護師さんに来てもらう」って聞いたから、「じゃあ看護師さんってどこから来てもらったらいいの?」っていう、もうそっからわからへんから。一回その、質問をね、全部ぶつけてみて、聞いてみようかなとは思ってるんですけど。って言いながら、もう何か月か経ってるんですけどね(笑)。
戸田:難病の医療費助成の継続申請のとき、もうこれもね、さっきエクセルで書いてくださってて、「本当にこれ必要なんか?」っていうこと書いてくださってたんですけど、「もうおっしゃられる通りやな」と思ってたんですけど。行かれたときに、難病の担当の保健師さんとか、保健福祉…、保健所なりにいらっしゃるんですけど、そういったかたに相談とかってされたことはないですか?
Oさん:あ、えとね、その保健所行きたいんですけど、ちょっと遠いんですよ、〇の保健所。で、私がいつも申請行ってるのが、何て言うの、もうほんとにお役所みたいなところで、もうただ書類だけの受け答えだけのところに近いとこがあります。その、保健所に代わる、いう場所があるんですけど、そこへいつも申請に行ってたんですよ。だからその、内容的に相談できるようなかたはいらっしゃらないかな。
戸田:ああ。でも何かね、今後の老後に向けての不安であったりとかっていうところは、ちょっと相談できる人がいたほうがOさんもちょっと安心かなっていう感じ?
Oさん:だからそれもね、一緒にその、ぶつけてみようかなって思ってるんですけど。なかなかその、コロナ禍でね、行くことができないから。もうそれこそ質問書いて送るしかないなっていう。
戸田:そうですよね。か、保健師さんにちょっとご相談されたりとか。
Oさん:保健師さんって保健所にいるんですか?
戸田:うん、いはります、各区に。各区? そうか、〇のあの、市に、難病担当の保健師さんいらっしゃるので。で、「療養生活でちょっと悩んでるんだ」ということでご相談してくださったら、おうちにも来てくださると思うので。
Oさん:あ、そうですか。へえー。
戸田:で、さっき言ってくださってた「訪問看護どうしよう」とか、「もしそうなったときに不安やし、また相談にのってくださいね」とか言ったら、地域ごとに担当の保健師さんいらっしゃると思うので。
Oさん:へえー。
戸田:うん、もう一番最初の窓口として考えていただいたらいいかと思います。
Oさん:あと、その、今度ワクチンもね、
戸田:ほんとですねー。
Oさん:うん。行くのが大変やから、どうしようって迷ってたんですよ。で、障害者枠で、つい最近なんですけど、まあ今の作業所の責任者の人がね、あの、何て言うのかな、来てもらう、その、作業所に来てもらって受けるかどうかっていう、なんかこないだお話があったんで、もう私「何月になってもいいから待ってていいですか?」って言ったらもう、すぐに対応してくださって。今度7月の初めと終わりに受けれるような手配を今してくださってるんですね。
戸田:あ、そうなんだ、よかった。
Oさん:で、もしその2回目のワクチンのときにぶっ倒れたりとかしたら、「じゃあどこへ運んでもらったらいいの?」っていう。まずそこが心配で。
戸田:心配ですよね。
Oさん:だからその、〇医大に今度行ったときにね、「もし万が一私がけいれんを起こしてなったら、ここに運んでもらっていい?」って聞いてみようと思うんです(笑)。で、「いいよ」って言ってくれたら、それで安心してまた受けられるし。
戸田:本当ですよね。ひとつひとつね、ちょっと確認しながらですよね。
Oさん:今からあの、免疫力をつける食事をしようとか(笑)、
戸田:(笑)
Oさん:献立を今、考えてるんです、毎日(笑)。
戸田:そうか。じゃあ、今さっきも言ってくださって、ちょっと不安やなというのが、今後のちょっと老後のことであったりとか、一人で今まで工夫してされていることがちょっとできなくなったときに、ちょっとどうしようかな?っていうのが今、不安な?
Oさん:はい、一番の悩みですね。
戸田:うんうん。で、ちょっと誰に相談したらいいのかがわからないなっていうのが、ご不安に感じていらっしゃるところっていう感じ。わかりました。
ありがとうございます…、もう長い時間すいません、結局2時間、
Oさん:とんでもございません。私もべらべらしゃべって、大丈夫でしょうか?
戸田:ちなみに、壁に掛かっているあのゴリラのぬいぐるみは?
Oさん:あ(笑)、見えます?
戸田:(笑) すごいかわいいなと思って。
Oさん:魔除けですー。
戸田:魔除けなんですね(笑)。
Oさん:友だち来たらみんなびびる、「あ、ゴリラ」。
戸田:ゴリラやなあと思って(笑)。
Oさん:こういうの飾るのも好きでね、かわいいの。
戸田:かわいいですよね。すごい、おしゃれですよね、すごいですね。
Oさん:ありがとうございます。
戸田:ありがとうございます。
Oさん:いえ、もうこちらこそ、今後もよろしくお願いします。
戸田:ぜひ、よろしくお願いします。今回は本当にあの、Zoomチャレンジしていただいて(笑)。
Oさん:(笑) いや、ほんま簡単でしたよね。
戸田:本当に簡単? よかった。
Oさん:なんか、パスワードが載ってたのも全然入れなくてよかったし。
戸田:もうクリックするだけで入れるんで。もう本当に、お会いできるのすごい楽しみにしてたんですけど、なかなかこのコロナ禍で日程調整何度もお世話になって、本当に申し訳ございませんでした。
Oさん:いえいえ、大丈夫です。
戸田:ありがとうございました。また〇とか交流会とかでお会いできたらなと思ってますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
Oさん:こちらこそよろしくお願いします。
戸田:長時間にわたってすいませんでした。
Oさん:いえ、ありがとうございます。これはどう…、えーと、退室にしたらいいのかな?
戸田:今後ともどうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。
Oさん:こちらこそ、よろしくお願いします。何でもあの、協力さしていただくので、おっしゃってください。
戸田:心強いです。ありがとうございます。
Oさん:ありがとうございます。
戸田:ありがとうございます。じゃあこれで失礼します。
Oさん:失礼します。はーい。
戸田:はーい。
[音声終了]