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優生:2020(日本)
第13回:東京控訴審第2回――2021年5月21日付 東京高裁にて
山本 勝美
20210605
(第1回)
(第2回)
(第3回)
(第4回)
(第5回)
(第6回)
(第7回)
(第8回)
(第9回)
(第10回)
(第11回)
(第12回:仙台5/11)
(第13回:東京5/21)
(第14回:仙台9/17)
(第15回:東京10/4)
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last update:20210609
■目次
<1>控訴審第2回期日を取り組む
<2>(16時〜16時50分)期日報告集会
<3>終わりに
<1>控訴審第2回期日を取り組む
去る5月21日、東京控訴審第2回期日は、気象記録史始まって以来の早期梅雨前線の曇り空の下、東京高裁前にて14時15分、原告・弁護団・市民の入庁行動デモンストレーションをもって開始されました。
その後、市民への傍聴券配布、抽選。この日は高校生一団の姿が注目されます。
15時に裁判期日が開始されました。
――――――――――――――――――――――――――――――
続いて旧優生保護法東京弁護団の意見陳述が開始されました。同時に会場にはパワーポイントによる公開が続く。
(※
以下はPDFファイルで掲載しております。
)
意見陳述要旨
(
いけんちんじゅつようし
)
2021
年
(
ねん
)
5
月
(
がつ
)
21
日
(
にち
)
旧優生保護法東京弁護団
(
きゅうゆうせいほごほうとうきょうべんごだん
)
1 はじめに
今日
(
きょう
)
の
裁判
(
さいばん
)
では、
前回
(
ぜんかい
)
の
裁判
(
さいばん
)
で
私
(
わたし
)
たちが
主張
(
しゅちょう
)
したことについて、
国
(
くに
)
からの
反論
(
はんろん
)
がありましたので、もう
一度
(
いちど
)
、
私
(
わたし
)
たちの
主張
(
しゅちょう
)
を
伝
(
つた
)
え、
反論
(
はんろん
)
しています。
これまでもお
伝
(
つた
)
えしてきたように、
私
(
わたし
)
たちは、
北
(
きた
)
さんに
対
(
たい
)
して
優生
(
ゆうせい
)
手術
(
しゅじゅつ
)
を
行
(
おこな
)
っても
良
(
よ
)
いとしていた
法律
(
ほうりつ
)
、その
法律
(
ほうりつ
)
によって
作
(
つく
)
り
出
(
だ
)
された
障害者
(
しょうがいしゃ
)
に
対
(
たい
)
する
差別
(
さべつ
)
、そしてその
差別
(
さべつ
)
を
放置
(
ほうち
)
してきた
国会議員
(
こっかいぎいん
)
や
大臣
(
だいじん
)
たちが、
憲法
(
けんぽう
)
のもとで
責任
(
せきにん
)
をとることを
求
(
もと
)
めています。
2
私
(
わたし
)
たちが
国
(
くに
)
に
対
(
たい
)
して
求
(
もと
)
めていること
(1)
違法確認
(
いほうかくにん
)
の
訴
(
うった
)
えについて
まず、
前回
(
ぜんかい
)
の
裁判
(
さいばん
)
で、
私
(
わたし
)
たちは、
国
(
くに
)
が
北
(
きた
)
さんに
対
(
たい
)
してきちんと
補償
(
ほしょう
)
をしないことは
違法
(
いほう
)
であることも
確認
(
かくにん
)
して
欲
(
ほ
)
しいと
求
(
もと
)
めています。
国
(
くに
)
は、このような
主張
(
しゅちょう
)
は
認
(
みと
)
められないとしています。しかし、
私
(
わたし
)
たちは、
補償
(
ほしょう
)
をしないことが
違法
(
いほう
)
であるということを
確認
(
かくにん
)
することは、これまで
私
(
わたし
)
たちが
求
(
もと
)
めてきたことと
共通
(
きょうつう
)
する
内容
(
ないよう
)
が
多
(
おお
)
く、そして、
北
(
きた
)
さんの
被害
(
ひがい
)
の
回復
(
かいふく
)
のために
裁判所
(
さいばんしょ
)
に
判断
(
はんだん
)
してもらうことが
必要
(
ひつよう
)
だと
反論
(
はんろん
)
しています。
(2)
大臣
(
だいじん
)
・
国会議員
(
こっかいぎいん
)
の
不作為
(
ふさくい
)
による
損害
(
そんがい
)
について
次
(
つぎ
)
に、
大臣
(
だいじん
)
・
国会議員
(
こっかいぎいん
)
の
不作為
(
ふさくい
)
によって
北
(
きた
)
さんが
受
(
う
)
けた
損害
(
そんがい
)
、つまり、
北
(
きた
)
さんが
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
を
受
(
う
)
けさせられる
原因
(
げんいん
)
となった
優生政策
(
ゆうせいせいさく
)
に
対
(
たい
)
して
必要
(
ひつよう
)
なことをしなかったことを
問題
(
もんだい
)
としています。しかし
国
(
くに
)
は、
今回
(
こんかい
)
の
裁判
(
さいばん
)
では、
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
を
行
(
おこ
)
なったことが
問題
(
もんだい
)
とされており、
北
(
きた
)
さんの
損害
(
そんがい
)
の
議論
(
ぎろん
)
はそのことを
中心
(
ちゅうしん
)
に
考
(
かんが
)
えれば
十分
(
じゅうぶん
)
であると
主張
(
しゅちょう
)
しています。
しかし、
今回
(
こんかい
)
の
裁判
(
さいばん
)
で
問題
(
もんだい
)
とすべきなのは、
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
だけではありません。
優生保護法
(
ゆうせいほごほう
)
を
作
(
つく
)
ったこと、
手術
(
しゅじゅつ
)
をしたこと、その
後
(
ご
)
、
被害回復
(
ひがいかいふく
)
のために
何
(
なに
)
もしてこなかったこと。
北
(
きた
)
さんの
被害
(
ひがい
)
については、
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
の
時
(
とき
)
だけ、つまり「
点
(
てん
)
」として
考
(
かんが
)
えるのではなく、「
線
(
せん
)
」として
考
(
かんが
)
える
必要
(
ひつよう
)
があります。なぜなら、
手術
(
しゅじゅつ
)
によって
北
(
きた
)
さんが
受
(
う
)
けたのは「
人生被害
(
じんせいひがい
)
」、つまり、
人生
(
じんせい
)
の
中
(
なか
)
でずっと
続
(
つづ
)
いている
痛
(
いた
)
み、
苦
(
くる
)
しみだからです。
(3)
大臣
(
だいじん
)
・
国会議員
(
こっかいぎいん
)
の
偏見
(
へんけん
)
・
差別
(
さべつ
)
をなくす
義務
(
ぎむ
)
と
被害
(
ひがい
)
の
回復
(
かいふく
)
について
また、
私
(
わたし
)
たちは、
国
(
くに
)
が
優生政策
(
ゆうせいせいさく
)
を
作
(
つく
)
り
出
(
だ
)
し、
北
(
きた
)
さんをはじめ、
多
(
おお
)
くの
人
(
ひと
)
たちに
苦
(
くる
)
しみを
与
(
あた
)
えてきたからこそ、そのような
偏見
(
へんけん
)
や
差別
(
さべつ
)
をなくすために
必要
(
ひつよう
)
なことをすべきであったのにしなかったことが
違法
(
いほう
)
であると
主張
(
しゅちょう
)
しています。しかし、
国
(
くに
)
は、
金銭
(
きんせん
)
での
賠償
(
ばいしょう
)
が
原則
(
げんそく
)
であること、
私
(
わたし
)
たちが
主張
(
しゅちょう
)
するような
義務
(
ぎむ
)
の
根拠
(
こんきょ
)
はないなどと
主張
(
しゅちょう
)
しています。
これに
対
(
たい
)
して
私
(
わたし
)
たちは、
法律
(
ほうりつ
)
は、
金銭
(
きんせん
)
ではない
形
(
かたち
)
で
賠償
(
ばいしょう
)
してはいけないとは
書
(
か
)
いていないこと、
今回
(
こんかい
)
は、
現実
(
げんじつ
)
に
沿
(
そ
)
った
結論
(
けつろん
)
を
出
(
だ
)
すために「
条理
(
じょうり
)
」という
考
(
かんが
)
えを
使
(
つか
)
うことを
説明
(
せつめい
)
しています。
北
(
きた
)
さんがそうだったように、
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
は、そもそも
本人
(
ほんにん
)
に
知
(
し
)
らせずに
行
(
おこな
)
われ、
本人
(
ほんにん
)
が
手術
(
しゅじゅつ
)
のことを
知
(
し
)
るまでには
時間
(
じかん
)
がかかることが
多
(
おお
)
いです。だから、
私
(
わたし
)
たちは、
国
(
くに
)
が
手術
(
しゅじゅつ
)
を
受
(
う
)
けさせられた
人
(
ひと
)
に
対
(
たい
)
して
積極的
(
せっきょくてき
)
に
賠償
(
ばいしょう
)
するために
特別
(
とくべつ
)
な
法律
(
ほうりつ
)
を
作
(
つく
)
り、しっかり
謝罪
(
しゃざい
)
したうえで、
優生政策
(
ゆうせいせいさく
)
が
広
(
ひろ
)
めてきた
障害者
(
しょうがいしゃ
)
に
対
(
たい
)
する
差別
(
さべつ
)
をなくすための
取組
(
とりく
)
みをするべきであったと
主張
(
しゅちょう
)
しています。しかし、
国
(
くに
)
は
何
(
なに
)
もしてきませんでした。
私
(
わたし
)
たちは、このような
行為全体
(
こういぜんたい
)
が
違法
(
いほう
)
であると
強調
(
きょうちょう
)
しています。
そして、
偏見
(
へんけん
)
や
差別
(
さべつ
)
をなくす
義務
(
ぎむ
)
があるという
私
(
わたし
)
たちの
主張
(
しゅちょう
)
に
対
(
たい
)
して、
国
(
くに
)
は、
何
(
なに
)
をすべきであったのか、その
義務
(
ぎむ
)
の
内容
(
ないよう
)
がはっきりしないといった
反論
(
はんろん
)
をしています。
しかし、それぞれの
大臣
(
だいじん
)
や
国会議員
(
こっかいぎいん
)
は、
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
の
被害者
(
ひがいしゃ
)
に
対
(
たい
)
して
謝罪
(
しゃざい
)
をすること、
障害者
(
しょうがいしゃ
)
などへの
偏見
(
へんけん
)
や
差別
(
さべつ
)
は
許
(
ゆる
)
されないものであることを
人々
(
ひとびと
)
が
知
(
し
)
って、
偏見
(
へんけん
)
や
差別
(
さべつ
)
がなくなるように、
人権
(
じんけん
)
を
広
(
ひろ
)
めるための
活動
(
かつどう
)
を
行
(
おこな
)
うこと、
偏見
(
へんけん
)
や
差別
(
さべつ
)
が
行
(
おこな
)
われないように
教育
(
きょういく
)
を
通
(
つう
)
じて
広
(
ひろ
)
めることなど、
優生政策
(
ゆうせいせいさく
)
の
影響
(
えいきょう
)
をなくすためにすべきことは
明
(
あき
)
らかでした。
自分
(
じぶん
)
たちが
作
(
つく
)
った
法律
(
ほうりつ
)
によって、その
人
(
ひと
)
が
生
(
い
)
きていることすら
否定
(
ひてい
)
する
酷
(
ひど
)
い
差別
(
さべつ
)
が
行
(
おこな
)
われ、それは
今
(
いま
)
なお
続
(
つづ
)
いているのに、その
状況
(
じょうきょう
)
を
変
(
か
)
えるために
何
(
なに
)
をしたら
良
(
よ
)
いか
分
(
わ
)
からなかったというのは、あまりにも
無責任
(
むせきにん
)
ではないでしょうか。ハンセン
病
(
びょう
)
に
関
(
かん
)
する
裁判
(
さいばん
)
でも、
国
(
くに
)
は、ハンセン
病
(
びょう
)
患者
(
かんじゃ
)
への
偏見
(
へんけん
)
差別
(
さべつ
)
をなくす
義務
(
ぎむ
)
を、
本人
(
ほんにん
)
だけではなくその
家族
(
かぞく
)
にも
負
(
お
)
うことが
認
(
みと
)
められています。
(4)20
年
(
ねん
)
という
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
が
過
(
す
)
ぎてしまっていることについて
国
(
くに
)
はさらに、これまでと
同
(
おな
)
じように、
北
(
きた
)
さんが
裁判
(
さいばん
)
で
請求
(
せいきゅう
)
できる
期限
(
きげん
)
が
過
(
す
)
ぎてしまっていることを
主張
(
しゅちょう
)
しています。
しかし、
今回
(
こんかい
)
のように、
国
(
くに
)
が
政策
(
せいさく
)
によって
酷
(
ひど
)
い
人権侵害
(
じんけんしんがい
)
をしていた
場合
(
ばあい
)
に、
国
(
くに
)
の
主張
(
しゅちょう
)
である「
法律関係
(
ほうりつかんけい
)
を
早
(
はや
)
く
安定
(
あんてい
)
させること」が、
北
(
きた
)
さんの
訴
(
うった
)
えを
認
(
みと
)
めない
理由
(
りゆう
)
になるのでしょうか。
北
(
きた
)
さんは、
手術
(
しゅじゅつ
)
を
受
(
う
)
けた
後
(
あと
)
も、
子
(
こ
)
どもをもてないということ、そしてそれを
周
(
まわ
)
りの
人
(
ひと
)
に
打
(
う
)
ち
明
(
あ
)
けることもなかなかできないことによる
苦
(
くる
)
しみをずっと
感
(
かん
)
じていました。
北
(
きた
)
さんが、このような
悲
(
かな
)
しみや
痛
(
いた
)
みの
原因
(
げんいん
)
が
国
(
くに
)
だったことを
知
(
し
)
ったのは、
仙台
(
せんだい
)
で
裁判
(
さいばん
)
を
起
(
お
)
こしましたという
報道
(
ほうどう
)
に
触
(
ふ
)
れた
時
(
とき
)
でした。
実際
(
じっさい
)
に、
仙台
(
せんだい
)
の
裁判
(
さいばん
)
は
国
(
くに
)
を
訴
(
うった
)
える
初
(
はじ
)
めての
例
(
れい
)
だったのですから、
北
(
きた
)
さんがそれまで
知
(
し
)
らなかったのも
当然
(
とうぜん
)
です。この
時
(
とき
)
、ようやく
北
(
きた
)
さんは
自分
(
じぶん
)
の
権利
(
けんり
)
と、それをどのように
使
(
つか
)
うことができるのか
知
(
し
)
ることができたのです。
国
(
くに
)
は
自分
(
じぶん
)
の
政策
(
せいさく
)
として
酷
(
ひど
)
い
人権侵害
(
じんけんしんがい
)
である
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
を
行
(
おこな
)
ったばかりでなく、
被害回復
(
ひがいかいふく
)
のために
特
(
とく
)
に
何
(
なに
)
もしませんでした。
北
(
きた
)
さんには
何
(
なに
)
も
落
(
お
)
ち
度
(
ど
)
もなく、
仙台
(
せんだい
)
の
裁判
(
さいばん
)
を
知
(
し
)
った
後
(
あと
)
は、すぐに
声
(
こえ
)
を
上
(
あ
)
げました。
このような
状況
(
じょうきょう
)
なのですから、
私
(
わたし
)
たちは、
今回
(
こんかい
)
、
北
(
きた
)
さんに
対
(
たい
)
して20
年
(
ねん
)
という
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
は
認
(
みと
)
めるべきではない、
信義
(
しんぎ
)
や
誠実
(
せいじつ
)
、
正義
(
せいぎ
)
と
公平
(
こうへい
)
という
理由
(
りゆう
)
から
間違
(
まちが
)
っていると
主張
(
しゅちょう
)
しています。そもそも、
国自身
(
くにじしん
)
が
行
(
おこ
)
なってきた
人権侵害
(
じんけんしんがい
)
について、
自分
(
じぶん
)
が
作
(
つく
)
った
法律
(
ほうりつ
)
を
理由
(
りゆう
)
として
責任
(
せきにん
)
をとらなくてもいいという
主張
(
しゅちょう
)
は、
国民
(
こくみん
)
の
権利
(
けんり
)
を
守
(
まも
)
るという
国
(
くに
)
の
義務
(
ぎむ
)
を、
自分
(
じぶん
)
で
放棄
(
ほうき
)
するものです。
(5)
国際的
(
こくさいてき
)
な
人権
(
じんけん
)
の
条約
(
じょうやく
)
によっても
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
は
認
(
みと
)
めるべきでないことについて
北
(
きた
)
さんに
対
(
たい
)
して
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
を
認
(
みと
)
めることは、
日本
(
にほん
)
が
国際社会
(
こくさいしゃかい
)
に
対
(
たい
)
して
守
(
まも
)
ることを
約束
(
やくそく
)
している
条約
(
じょうやく
)
にも
反
(
はん
)
しています。
北
(
きた
)
さんへの
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
は、
拷問等禁止条約
(
ごうもんとうきんしじょうやく
)
の「
拷問
(
ごうもん
)
」に
当
(
あ
)
たるほど、
北
(
きた
)
さんの
人
(
ひと
)
としての
大切
(
たいせつ
)
なものを
奪
(
うば
)
っています。そして、このこと
自体
(
じたい
)
は
国
(
くに
)
も
争
(
あらそ
)
っていません。
国
(
くに
)
は、
拷問
(
ごうもん
)
に
対
(
たい
)
する
補償
(
ほしょう
)
を
求
(
もと
)
めるために、
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
をつけるべきではないという
考
(
かんが
)
え
方
(
かた
)
は、
国際社会
(
こくさいしゃかい
)
でまだ
一般的
(
いっぱんてき
)
に
認
(
みと
)
められていないと
反論
(
はんろん
)
しています。しかし、
条約
(
じょうやく
)
の
解釈
(
かいしゃく
)
をする
専門家
(
せんもんか
)
やガイドラインが、
拷問
(
ごうもん
)
について
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
をつけてはいけないと
(
)
言っていることは、
既
(
すで
)
に
国際的
(
こくさいてき
)
なルールであり、
国
(
くに
)
も
尊重
(
そんちょう
)
しなければなりません。
さらに、
拷問
(
ごうもん
)
である
以上
(
いじょう
)
、その
苦
(
くる
)
しみは
長期間
(
ちょうきかん
)
続
(
つづ
)
くのですから、たとえ
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
は
条約
(
じょうやく
)
ができる
前
(
まえ
)
の
出来事
(
できごと
)
だとしても、
国
(
くに
)
は
賠償
(
ばいしょう
)
や
謝罪
(
しゃざい
)
などの
救済
(
きゅうさい
)
する
義務
(
ぎむ
)
があります。この
義務
(
ぎむ
)
は、
時間的
(
じかんてき
)
な
制約
(
せいやく
)
も
及
(
およ
)
ばないというのが
国際的
(
こくさいてき
)
な
法律
(
ほうりつ
)
の
理論
(
りろん
)
で、このことは、
世界各地
(
せかいかくち
)
の
裁判所
(
さいばんしょ
)
でも
認
(
みと
)
められています。
日本
(
にほん
)
の
裁判所
(
さいばんしょ
)
は、これまでも
重要
(
じゅうよう
)
な
判断
(
はんだん
)
をする
時
(
とき
)
に、
条約
(
じょうやく
)
が
決
(
き
)
めていること、
日本政府
(
にほんせいふ
)
に
対
(
たい
)
して
言
(
い
)
われたことを
参照
(
さんしょう
)
してきました。
今回
(
こんかい
)
も、
国際人権
(
こくさいじんけん
)
に
関
(
かん
)
する
専門機関
(
せんもんきかん
)
は、
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
が
人権条約
(
じんけんじょうやく
)
に
違反
(
いはん
)
すること、その
賠償
(
ばいしょう
)
に
対
(
たい
)
して
時間
(
じかん
)
の
制限
(
せいげん
)
をするべきではないことをはっきりと
認
(
みと
)
めているのに、
国
(
くに
)
がこれを
無視
(
むし
)
することは
国際社会
(
こくさいしゃかい
)
に
対
(
たい
)
しても
説明
(
せつめい
)
がつきません。
(6)
憲法
(
けんぽう
)
17
条
(
じょう
)
を
理由
(
りゆう
)
として、
特別
(
とくべつ
)
な
法律
(
ほうりつ
)
による
被害回復
(
ひがいかいふく
)
が
認
(
みと
)
められることについて
国
(
くに
)
は、
被害回復
(
ひがいかいふく
)
のための
特別
(
とくべつ
)
な
法律
(
ほうりつ
)
は
必要
(
ひつよう
)
なかったと
主張
(
しゅちょう
)
しています。しかし、
私
(
わたし
)
たちは、
国家
(
こっか
)
が
人権侵害
(
じんけんしんがい
)
をしたときの
賠償
(
ばいしょう
)
について
決
(
き
)
めた
憲法
(
けんぽう
)
17
条
(
じょう
)
でも、
今回
(
こんかい
)
のような
事案
(
じあん
)
では、
北
(
きた
)
さんのように
被害
(
ひがい
)
を
受
(
う
)
けた
人
(
ひと
)
たちのために
新
(
あたら
)
しい
法律
(
ほうりつ
)
を
作
(
つく
)
ることはできると
主張
(
しゅちょう
)
しています。
3
裁判所
(
さいばんしょ
)
に
伝
(
つた
)
えたいこと
裁判所
(
さいばんしょ
)
に
対
(
たい
)
しては、
次
(
つぎ
)
の3
点
(
てん
)
を
特
(
とく
)
に
強調
(
きょうちょう
)
して
伝
(
つた
)
えたいと
思
(
おも
)
います。
まず、
仙台
(
せんだい
)
でも、
大阪
(
おおさか
)
でも、そして
札幌
(
さっぽろ
)
でも、
優生保護法
(
ゆうせいほごほう
)
や
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
は、
私
(
わたし
)
たちが
自分
(
じぶん
)
らしく
生
(
い
)
きるためにとても
重要
(
じゅうよう
)
な
権利
(
けんり
)
を
侵害
(
しんがい
)
し、
憲法
(
けんぽう
)
に
違反
(
いはん
)
すると
認
(
みと
)
める
判決
(
はんけつ
)
が
出
(
で
)
ていること、そして、
国
(
くに
)
が
優生手術
(
ゆうせいしゅじゅつ
)
を
始
(
はじめ
)
めてから
一時金支給法
(
いちじきんしきゅうほう
)
をつくるまで、71
年間
(
ねんかん
)
も
経
(
た
)
っていること、
最後
(
さいご
)
に、
北
(
きた
)
さんが
自分
(
じぶん
)
の
受
(
う
)
けた
被害
(
ひがい
)
の
意味
(
いみ
)
に
気
(
き
)
がついたのは、
仙台
(
せんだい
)
で
裁判
(
さいばん
)
が
起
(
お
)
こされた
時
(
とき
)
である、ということです。
今回
(
こんかい
)
、
北
(
きた
)
さんの
訴
(
うった
)
えについて
考
(
かんが
)
える
時
(
とき
)
には、この3つの
点
(
てん
)
を
必
(
かなら
)
ず
忘
(
わす
)
れずに
考
(
かんが
)
えてもらうよう
裁判所
(
さいばんしょ
)
に
対
(
たい
)
して
改
(
あらた
)
めて
求
(
もと
)
めます。
<2>(16時〜16時50分)期日報告集会
同時に全国へオンラインにて報告される。
とくに、この日、衆議院第一議員会館第二会議室をお借りし、Zoomによる集会が開催されました。
内容は先ず、北三郎原告(仮名)の以下のようなアピールがなされました。
原告・北三郎さん(仮名)のアピール
こんにちは、優生被害者の北三郎です。14才の時、何の説明もないまま、手術を受けました。
この裁判を起こすまで、親を今まで恨んできました。
姉さんは、あなたを恨んで手術したのじゃないと私に説得してくれました。半信半疑でした。
自分が受けた手術は国がした優生手術だったことを知り、驚きました。
多重の苦しみ悲しみこみあげてしまい、なみだが出てどうにもならなかった。
なぜ国が私の体に勝手にメスを入れなければならないのか、国に怒りがたちます。
幸福追求権に違反する行為です。国に目を向けるようになりました。
今も妻の声が聞こえてきます。子どもがいなくて寂しいの、この言葉がとても辛かった。
子どもが欲しくてもできない体にされて、どれほど苦しんできたか、この苦しみ、
国に謝ってもらいたい、国が勝手にした不妊手術、私の人生を返して欲しい、
昨年六月三十日に判決がありました。私の願いはまったく届きませんでした。判決には納得できません。
二十年たったら権利が消えてしまうというのは納得できません。
それに判決では優生保護法が平成八年の母体保護法に改正になったときには裁判ができたと言っていました。
仙台の裁判の報道まで、まさか国が手術をしたとは思っていませんでした。
国は私に何も知らせず、謝ってもくれませんでした。
私の住所は分かったはずです。謝ろうと思えば、いつでも謝れたはずです。
手術のことを知らせることぐらいはできたはずです。
国から何も知らせがないのに裁判なんかできるはずがありません。
私はずっと親が手術を受けさせたんだと思っていたんです。
平成八年には裁判ができたはずと言われたことは納得ができません。
裁判所には同じ判決はしてほしくありません。
二十年たったから請求できないと言われると、裁判所は血も涙もないのかと思ってしまいます。
妻のためにも被害者の人達にも私はこの不当な判決に泣き寝入りできません。国に謝ってもらうまで裁判を続けます。
命のある限り、闘っていきます。
全国にいる二万五千人もの方が、人生被害をう受けました。
そのうち誰一人として満足のいく被害回復をしてもらっていません。
ようやっと全国で二十五名裁判に名乗り出てくれました。
私はもっと名乗り出てほしいという気持ちでテレビや新聞に顔を出しました。
優生被害者がどれほど辛く悲しい日々を送ってきたか、一人ひとり苦しみが違うかも知れないけれど、
国にこの苦しみを訴えていきたい。
私たちは高齢者ばかりです。原告の中では裁判中に亡くなられた方もいらっしゃいます。
一日も早く解決をして親の墓の前に立たせて下さい。
裁判所には被害者としっかりと向き合い公平に裁判をしてほしいです。
――――――――――――――――――――――――――――――
次に、全国優生保護法被害弁護団新里共同代表のご発言、再度、優生保護法東京弁護団による意見陳述がなされました。
<3>終わりに
東京の第3回期日は 10月4日(月)15:00 からと決定されました。
*作成:
安田 智博
UP: 20210609 REV:
◇
山本 勝美
◇
優生学・優生思想
◇
不妊手術/断種
◇
優生:2020(日本)
◇
病者障害者運動史研究
◇
全文掲載
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇