新型コロナウィルス(以下、コロナ)の感染拡大によって、高齢者施設でクラスターが多発している。今年の3月8日時点での発生数は1111件。医療機関の943件よりも多く、1月4日からの3週間は253件に急増(朝日新聞、3月16日「介護職員につのる 心の負担」)。また施設内で重症化した利用者に対し「延命措置を希望しなければ、受け入れ先はある」と救急隊員から言われ、家族が延命措置を断念する事態がある(注1)。
全国の介護現場の仲間から「いまのままでは自殺者がでます!」「いつ燃え尽きてもおかしくない」という叫びが届き、息を飲むような報告を聴いていた1月末。公立福生病院事件を考える連絡会(以下、福生の会)のKさんから杉並区長が「トリアージ(治療優先度の順位付け)のガイドラインをつくるべき」という要請を都知事にしたと知らされた。
福生の会が1月26日に出した抗議文を読んだ私は、「私や介護現場の利用者がトリアージされる!」と感じた。私もまたコロナに感染すれば重症化する慢性疾患の治療中だからだ。私は抗議活動への参加を決意した。
以下、区長発言の問題点がよく分かるので、福生の会の抗議文を引用する。
【注1】大阪市立総合医療センター糖尿病内分泌センター糖尿病内科部長の細井雅之氏は「『赤信号』大阪 現場で起こっていること(2020年12月8日・医事新報)」で以下のように報告している。
コロナによる死者は70代以上が9割。府は死者増加の背景には、相次ぐクラスターがあると分析。府は10月10日〜11月29日の死者88人を分析。感染経路は施設等が54%で最多。88人のうち17人は重症病床で死亡(71人は重症と判断されず死亡)。
急に症状が悪化する高齢者や人工呼吸器に耐える体力がなく、重症病床に移らないまま死亡する高齢者も多く、救命すべきと判断された人だけが急性期病院の重症ベッドに入院できるという。それでも昨年11月29日時点で重症病床運用数137床、重症患者数114人、重症病床運用率83・2%。
細井氏は「“コロナトリアージ”により重症と扱わないケースもあり“医療崩壊”が起こっていると言わざるをえない」と訴えている。
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田中 良 杉並区長殿
私たち「公立福生病院事件を考える連絡会」は、東京都下の公立福生病院で起きた透析患者に対する治療中止事件を通し「医療は患者を救うことが基本であり、いのちの選別・切り捨ては容認できない」と活動している団体と個人のネットワークです。
2021年1月11日の『文春オンライン』に「『小池都知事は責任を果たせ!』命の選別が迫る医療現場…杉並区長が“無策すぎる都政”を告発」との記事が掲載されました。
記事は「生還できた人と、できなかった人の差は何なのか。国や都は早急に情報を公開して国民的・都民的な議論を行い、トリアージ(治療優先度の順位付け)のガイドラインをつくるべきだ。命の選別という重責を医療現場だけに押しつけられない」と、田中区長が、1月8日、小池百合子東京都知事に要望書を送付したと報じています。
田中区長は、インタビューに「例えばの話ですが、年齢を五歳刻みなどで、生還率や死亡率を示します。人工呼吸器などを装着して外せるまでの日数も重要なデータではないでしょうか。基礎疾患との関係もあります。これらデータや症例を、一般に分かりやすく公開するのです。…そうすると 、人工呼吸器などを付けても延命にしかならないようなケースが見えてくるかもしれません。…これらをたたき台にして、都民の皆で考える材料にします。そうしたうえで、学会や有識者に相談しながらガイドライン化していくのです」と答え、高齢者や基礎疾患や障害のある人を切り捨てる基準を作れと求めているのです。
医療が逼迫し、多くのコロナ感染患者が入院できない状態であること、自宅療養中の方が急変して死亡、通常の救急患者の受け入れが出来ない等のニュースに私たちも不安と恐れを感じています。しかし、今、行政のやるべき仕事が「いのちの選別・切り捨てのガイドライン」作成でしょうか?
行政の責任者は、いのちの選別が起こらないようにこそ、努める責任があります。この記事では、医療体制の連携・拡充の具体策も、感染拡大を防ぐ検査等の対策も、まったく語られていません。
現場で苦闘している医師や看護師等、医療者の方々に対しても、水を浴びせるようなものです。(中略)そもそも「医療崩壊が起きる」というのは、病床数や公衆衛生施策を削減してきた医療政策そのものに問題があるのではないでしょうか。
コロナ患者を受け入れている民間病院と区外の都立病院や大学病院等が連携して感染対策に取り組める体制を作って下さい。保健所の人員拡充や職場環境の整備に今以上に力を注いでください。自宅療養を強いられている患者への訪問診療を充実させてください。(中略)リスクの高い高齢者施設や障害者施設等では定期的なPCR検査を行い、クラスターが発生しないように務めるべきです。
田中杉並区長には、上述のような努力を要請するとともに、以下のことを求めます。
(1)いのちの選別を推進する姿勢を改め、そうした趣旨のこれまでの発言を撤回してください。
(2)1月8日に都知事あてに提出した申し入れ書を公開してください。いのちの選別につながる内容を撤回する意思を、都知事に伝えてください。
昨年4月、福生の会は10団体共同で「新型コロナウィルス感染拡大でいのちの選別・切り捨てを行わないで!」という要請書を厚労大臣宛に送った。当時、生命・倫理研究会有志で出された「感染爆発時の人工呼吸器の配分プロセス」(一人ひとりの患者に最善をつくす医療から、できるだけ多くの生命を助ける医療への転換を)、「集中治療を譲る意思カード」への署名の呼びかけといった動きに危機感を覚えたからだ。
患者に最善を尽くせないのは「経済性、効率性」を優先し救急・集中医療の病床数や公衆衛生の拠点である保健所を極端に削減する医療行政に起因する。年齢、持病、障害の有無で線引きする判断基準が「価値なきいのちの切り捨て」となる懸念があった。
医療従事者に“いのちの選別”を強いる事態を起こさせないために、必要な人的・物的医療資源の整備を求めた。
「区長、いのちの選別をするなー!!」
2月9日、杉並区議会に10人近い障害当事者と支援者が傍聴にきていた。区長がトリアージガイドラインに言及した瞬間、鮮烈な抗議の声が上がり警備員に制止された。
区長の都への要請に、全国規模でネットワークをつくる障害者と支援者の団体等が発言の撤回を求めた。1月29日には障害者の運動団体『骨格提言』の完全実現を求める大フォーラム実行委員会(以下、大フォーラム)が、抗議申し入れをした。
ALSさくら会の川口有美子さんも、区議会議員や報道関係者に働きかけ、中央社会保障推進協議会も関係団体に周知。区内の団体、てんぐるまや、障害者福祉を考える杉並フォーラム(障害当事者・家族・支援者の団体)も動き、3月5日時点で10団体と5人から抗議や要請があった。
10日には日本共産党の山田耕平議員が代表質問。16日には立憲民主党のひわき岳議員が一般質問し、ともにトリアージガイドラインと、障害者団体の抗議等についての釈明を求めた。だが区長は、「緊急時だから仕方ない」「医療者に辛い判断を強いる事態を避けたい」という弁明に終始し、障害者団体の抗議に答えず、都への要望も撤回しないと明言した。その発言に、「障害者を殺すのかー!」「ナチスだー!」などの怒号が響いた。過去10年、傍聴者からこれほど強い抗議があったのは初めてだという。
大フォーラムのTさんは、「トリアージという主張があることは知っていたが、公然と自治体の長から出されるとは信じられない。絶対に許してはならないと思います。僕は何度も抗議の声を上げ、録音記録にも残ってます。広く伝わり抗議の声を上げてほしい。区長は『いのちの選別』から『情報開示』へとごまかそうとしています。でも区長が主張したのは『トリアージ』です。撤回させるまで頑張りたいです」と決意を語った。
昨年、市民がPCR検査の拡充を求める署名を手渡しても、区長は無視とも言える対応に終始し、今度は自らの言葉が人を死に追い込む可能性や、トリアージの恐怖を訴える存在にも向き合わなかった。
精神医療ユーザーのOさんは「コロナに対し、人類はみな無知である。無知は差別の温床であり、暴力の温床だ。しかし、無知だからといって、“いのちの選別”という暴力をふるっていい訳ではない。医療従事者は限界かもしれない。医療崩壊は起こるかもしれない。だが、そのような現場であってさえ、医療従事者が行うのは“治療”であって“いのちの選別”ではない」とのコメントをくれた。
私はALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性たちが男性に比べ、人工呼吸器をつけない選択を余儀なくされていることを知っていたが、2月9日にDPI女性障害者ネットワーク(以後、女性ネット)のメンバーが要望を読み上げるのを聴き、コロナ禍で女性がより厳しい状況になったことを痛感した。
女性ネットは、障害女性の自立促進と優生保護法の撤廃を目指して障害当事者の女性が中心となって1986年に発足。障害女性のネットワークづくりと情報交換を行うとともに、最近では障害者差別解消法、改正障害者基本法、男女共同参画基本計画、女性差別撤廃委員会への提言等など、障害女性に影響を与える法律や制度、施策のあり方をめぐる国内外の様々な課題に取り組む。
障害者であることに加え女性であるために被る複合的な困難を可視化しようと、全国の仲間に呼びかけ事例を収集するとともに施策の検証を行い、2012年に「障害のある女性の生活の困難―複合差別実態調査報告書」を発行した。女性ネットの要請は以下である。
田中区長のトリアージガイドライン化に言及した発言が事実であれば、私たちの不安と生きづらさを増幅させる虞を感じます。
新型コロナウイルスの感染拡大が進行するなかで、ともすれば周辺化されやすい障害がある人、なかでも、脆弱な立場に置かれている障害のある女性たちの生活と権利が守られる社会を強く望む立場から、優生思想を内包するいのちの選別の考えを改めるとともに、これまでの発言と東京都知事への要請を撤回することを求めます。
救命診療を含む医療において、障害、性別、または年齢に基づいて人々を除外または優先順位を下げる医療はあってはならず、すべての人々が差別なく検査と治療にアクセスできるようにすること。そのうえで、行政が医師の判断に介入することなく、医師が患者本人やその家族の意思を最大限尊重して治療を行えるよう、医療の環境整備に力をそそぐことが行政の責任であると考えます。
今後、新型コロナウイルスへの対応やそこからの復興に関わる政策討議の場には、必ず複合差別の視点を持った障害女性をはじめとする当事者を入れることも併せて要請しています。 ALSの女性は男性に比べ人工呼吸器をつける割合が低いと言われています。性差別を背景にした男女の役割分業が『家族のケアを担うのは女性』としてきたために、女性は、自らケアを受ける立場になることに否定的であることが一因と思われます。また、在宅療養を支える介助体制の不足や家族に頼れないためです。
昨年明るみになった京都のALS嘱託殺人事件で自らの殺害を依頼したALS女性は、人手不足により身辺介助を男性に頼らざるを得ない苦痛を生前訴えており、死を選ぶ一因になったのではと言われています。
しかし、このような背景がもたらす障害女性の選択も、複合差別が周知されない社会では『本人の意思』とされてしまう虞があります。トリアージを行政の首長が発言することは、医療体制を拡充すべき行政の責任を回避するとともに、ケアを受け生きている人々の生の声を抑圧することにもつながるのではないでしょうか。
女性ネットも言及している周縁化は高齢女性や介護職の女性をも直撃している。今年1月11〜17日、全国で3317件(前年比の2倍以上・総務省調べ)の搬送拒否があり、自宅や介護施設での療養を余儀なくされた高齢者が急増した(注2)。
高齢者入所施設の利用者のうち7〜8割は女性。したがって搬送拒否で死亡する多くは女性だと推察できる。クラスターで苦しんだ特養の施設長によれば、延命を希望すると入院できない例は昨春からあったという。そして介護職員もまた、7〜8割が女性だ(注3)。
コロナによる面会謝絶や緊張等で認知症や体調が悪化し、例年より亡くなる高齢者が多いという。人間的交流を大切にする職員にとって、利用者の死はダメージが大きい。
また沖縄、埼玉、釜ヶ崎、首都圏などの高齢者施設のクラスターで、N95マスクもなく働く職員の状況がある。サージカルマスクのみで陽性者の心肺蘇生や身体介護をしていた例もあり、その凄まじさを「野戦病院のようだった」と表現した支援者もいた。
N95マスクがなければ感染拡大を防ぐことはできないが、医療法人が運営する高齢者施設でも、N95マスクは医療機関が優先され、高齢者施設には支給されなかったため、職員の感染率が高かった事例もあった。クラスターが多いのは、介護職員の怠慢ではけしてない。
「介護は女がやるもの」という根深いジェンダー規範に起因する社会的ネグレクト……。それは政治的な「殺戮」を生む。かつてない野戦病院のような状況で、利用者の死を目撃せざるを得ない女性職員。現場の声を聴こうとしない社会的状況が、職員の疲弊と沈黙を生み、うつ病やPTSD、自殺が例年より増加している(前述の朝日新聞)。
結晶のような記憶……。私には、そんな忘れ難い利用者がいる。
1998年に出逢った新垣さん(仮名)は、植物状態で生きていた。「なにかあったら延命しないで」と家族に伝えていたが、家族の強い希望で延命措置をし一命を取りとめた。私が出逢ったときには、在宅生活になり数年たっていた。経管栄養と導尿の状態で話すこともできず、いつも瞼を閉じていた。けれど私は、小さなアパートに住む新垣さん夫婦と猫の花ちゃんが大好きだった。
ある日、妻の百合さん(仮名)が新垣さんの友人だというクラシック歌手のCDを流した。すると彼は穏やかな笑みを浮かべ、からだが柔らかくなった。「お友だちの歌、素敵ですね〜この歌声、好きですよ〜」と話しかけながら清拭すると、さらに表情は和らいだ。そんな新垣さんの微笑みを見たくて、私は訪問するたびCDを流してと百合さんにお願いし、百合さんは笑顔で応えてくれた。
また猫の花ちゃんは気性が荒く、猫が苦手なヘルパーがくると引っ掻いたり威嚇したりしていたが、私が無類の猫好きなためか、「白崎さんのときは、花がご機嫌よ〜」と言われた。百合さんと親しくなると、花ちゃんはベッド下から出てきて、私の足に身体をすりつけたり、私が清拭する様子を、高いところから眺めていた。
その後、私は様々な事情があり退職を余儀なくされ、新垣さんに会えなくなった。経済的に苦しい新垣さん夫婦にとって、介護保険は負担だと職員たちは心配していた。だが介護保険開始の半月前、新垣さんは急逝。私に新垣さんの訃報を知らせてくれた元同僚は、「新垣さんは、経済状況をわかっていたのかな…」と感慨深く言った。それから一年もせず、百合さんも亡くなった。
午後の柔かな日差しのなか、友人の歌声に微笑んでいた新垣さん。その記憶は私の人生の賜だ。新垣さんの魂に触れたような、かけがえのない時間だった。だが、コロナ禍では、真っ先に彼のようないのちが選別されるのだろう。
私にとって、どんなにかけがえのない存在であったとしても……。
精神科病院の感染状況を独自に集計した有我譲慶さん(認定 NPO法人大阪精神医療人権センター理事・看護師)の調査によれば、コロナ禍で精神科入院者はかつてない危機にさらされているという。
2021年2月16日時点で、総合病院・大学病院の病床を除く精神科病院の73ヶ所で院内感染があった。陽性患者2842人、陽性職員802人で合計3644人(死亡した患者は47人)。
報道されないことも多く、国内感染率の4倍、死亡率は4倍(10月末は2倍)。100〜200人のクラスターとなった病院ほど転院や死亡事例などの詳細を明らかにしない傾向がある。
職員のみの感染は73病院よりもはるかに多い。また73病院のうち88%がクラスターで、40人以上のクラスターは47%。100人超が10(そのうち3病院は200超)。約7割が感染した病院も2ヶ所あり、職員の40〜60人が感染した。
医療法の「精神科特例」で医師は一般科の3分の1、看護師は4分の3、薬剤師は15分の7でよいという人員基準。1年以上の長期入院者が約6割、5年以上の超長期入院者は3割以上。クラスターは急性期の病棟では少なく、有資格看護師の比率が低い精神療養病棟や、認知症治療病棟で多発している。
職員は感染症対策のトレーニングも不充分。防護具や酸素の配管等も足りない。クラスターの多くは職員から始まり人手は逼迫。人員、感染症対策、防護具類の提供、速やかな転院体制の支援、そして厚労省が推奨する職員の定期検査が有効という。
日本の精神科病院は世界でも類をみない劣悪さだが、「パンデミックが日本の精神医療の根本的な課題を浮き彫りにした。治安と医療経済優先の収容主義から抜け出し、病床削減、退院促進とともに、医療人員も地域医療に出て行くべき。そして尊厳を軸とした地域精神保健に転換すべきではないか」と有我さんは提起している。