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H氏へのインタビュー

2021/02/28 聞き手:戸田 真里 ZOOMインタビュー

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last update: 20220113


◇2021/02/28 H氏へのインタビュー
場所:ZOOMインタビュー(語り手:○県ご自宅 聞き手:立命館大学究論館プレゼンテーションルームC)
所要時間:133分
語り手:H氏
聞き手:戸田 真里(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 → ◇インタビュー等の記録

※インタビューデータの一部を生存学研究所ホームページ(以下、HP)に掲載することに関し、聞き手である戸田から語り手の方へ、掲載の趣旨について口頭と文章で説明をし、同意を得ています。
なお、インタビューデータは語り手にご確認いただき、データ内の個人情報が特定できる固有名詞は全て記号に置き換えています。また、語り手のご意向でインタビューデータを部分的に削除している箇所があります。
インタビュー対象者のアルファベット表記については、イニシャルではないことを申し添えます。



【音声開始】

戸田:はい。すいません、よろしくお願いします。

H氏:はい。お願いします。

戸田:ちょっと今からH氏さんの身体、体のご病状のこととか、で、ちょっと経済的な背景とか、あと家族的な背景、で、今後ちょっとどういったこう制度であったりとか、医療サービス、福祉サービスっていうところを、H氏ご自身がどのように感じていらっしゃるかっていうあたりの側面をちょっと全体的にお聞かせいただけたらなと思ってます。

 で、ちょっと生活面のことに踏み込んで聞かせていただく内容があるかと思うんですけども、もうどの方にもお伝えさせてもらってるんですけども、「伝えたくない」とか「言いたくないな」っていうことがあれば、もう全然、おっしゃっていただいたら、

H氏:わかりました。

戸田:よろしくお願いします。

H氏:大丈夫です。はい。

戸田:えーと、H氏さん、今おいくつでいらっしゃるんですか?

H氏:私、今○です。

戸田:あ、そうなんですね。

H氏:はい。

戸田:で、病気の型は何になりますか?

H氏:型は、えっと栄養障害型ですね。えっと、一応劣性ですね。

戸田:うんうん。今のご病状ってどういった感じですか?

H氏:えっと、皮膚症状は一応四肢のみですね、ほぼ。ほぼほぼ。手先、末端の手先と、あとまあ足もほぼほぼ足関節とか、足背部とかにまあ多少傷があるぐらいで、そんなにあれですね。で1か所、左の足関節の潰瘍だけはもうちょっとずっと治らないんですけど、それ以外はまあできたり治ったりのくりかえしですね。

戸田:じゃあこの体幹部分は、症状は?

H氏:体幹部分はないですね。

戸田:なるほど。それは幼少のころからずっと?

H氏:いや、幼少のころにはけっこう首もぽつぽつできてたんですけど、なんか成長するにつれて首はきれいになってったので、今ほとんど傷あとわかんないぐらいなんですけど。あの、ほんと、昔はもうちょっとありました。

戸田:すごいきれいですよね。

H氏:そうですね。首は奇跡的に、はい、治りました。

戸田:じゃあこの胸のあたりとか背中の部分、お尻とか、

H氏:あ、もう全然ないですね。で、皮膚の色もほとんどあの、健常のかたと…。あ、まあ多少こう色素沈着じゃないけど、ちょっと名残りで、色素沈着じゃないな、ちょっとこう皮膚がポコッてなったりはしてるんですけど、色的には全然出てないですね。

戸田:お顔もすごいきれいですよね、皮膚。

H氏:そうですね。顔も昔このへんあったんですけど、あの、だんだん治ってきました。

戸田:じゃあ今、手のこの、

H氏:手はけっこう出てますね。まあでも傷というか、形ですかね。うんうんうん、ですね。

戸田:この、指のこう谷間、

H氏:は、ちょっとあいだは狭いですけど、えっと、一応でも離れてはいますね。こちらも同じですね。うん。ただやっぱ関節のこの食い込みですかね。ちょっとこう切れたりとかして治るときに、やっぱり瘢痕で治ってくので。なのでやっぱりちょっと、この皮膚のつっぱりっていうのはやっぱり出てきますね。

戸田:今の日常生活で手を使うってすごい、もうほぼほぼ日常生活、手を使うことがあると思うんですけど。今、H氏さんの日常生活で、何かその不便なこととか不具合なことってどういった? なんか細かな、

H氏:そうですね。うんうんうん。まあやっぱりこの指先に、なかなか力が、あの、加えにくいので、ちょっとこう固いもの開けるとか。だから要は、たぶんほかのかたもそうだと思うんですけど、瓶開けるとかはすごい苦手ですよね。ほとんど人にやってもらうとか。で、えっと、右手よりも左手のほうが、ここの開きがちょっと悪いんで、

戸田:左手の親指と、この人差し指の、

H氏:親指のこの開きが少し悪くって。ちょっと最近は洗濯ばさみが若干、あのおっきいタイプの洗濯ばさみがちょっと掴み…、そうです、そうです、そうです。

戸田:こうつかんでぎゅっと開ける作業が、

H氏:そうです。ぎゅっとやらなきゃいけないので、あれがちょっと大変ですね。

戸田:何かこうお皿洗いをしたりとか、お料理をされたりとかでこう、状態が悪くなることってあるんですか? [00:05:09]

H氏:ああ、そうですね。やっぱり冬場がけっこう、皿洗いしたあととか手も乾燥するので、一応クリームはつけるんですけど、うん。でもやっぱ今年、とくにまあ手洗いする機会がほんとに増えたので、なのでやっぱりちょっと手の乾燥ってところで切れやすくはやっぱなりました。

戸田:じゃあ何かこう、物理的に何か力が加わったりとかで水疱ができるというよりかは、こう乾燥で荒れるような感じですか?

H氏:そうですね。物理的なところは私、手よりも腕とかのほうが多いですね、ぶつけたりとかは。

戸田:でもこう、全体的にこうできたり?

H氏:あ、いや、でもそこまで、あの何かなるってわけではないですね、こっちはたぶん。まあ冬場なので、まあ長袖着てるからってのもあるんですけど。夏場のほうがちょっとぶつけて小っちゃい傷みたいなのが多いですかね。

戸田:足の裏も同じような感じですか?

H氏:足の裏は、あ、足の裏はできないです。

戸田:あ、そっか、足の裏はできない。

H氏:足の裏は、えっと、ちょっと詳細がよくわかんないんですけど、私、あの幼少期、ほんとたぶん生まれたてぐらいなのかな、皮膚移植を母から受けてまして。ええ、あの、おそらくたぶんあれですね、生まれた病院は普通の産科、クリニックみたいなところだったんですけど、そこで結局、まあ原因がわからない。まあ要は剥(む)けた状態で生まれてきた。たぶん産道を通るときに、やっぱりちょこちょこ傷を作って出てきたらしく。で皮膚欠損っていう診断名で、当時原因がわからないから、○にある○病院に送られて、そちらで診断を受けたんですね。で確定診断ってかたちでちゃんと遺伝子検査したわけじゃなくって、あの臨床診断、臨床判断で一応「水疱症じゃないか」っていうことで、で、一応病名がつけられて。そのときにおそらく皮膚移植を受けたんじゃないかなっていう。そうなんです。

戸田:なるほど。じゃあ今まで遺伝子診断は受けられてはいらっしゃら…、

H氏:あ、いや、えっと、ついこないだ子どもができたのを機に、遺伝子、まあ遺伝子診断。その前からちょっと遺伝子診断の話は先生には相談してたんですけど、「やろうか」って言ってた矢先にちょっと子どもができたので、それでえっと、やりましたね。

戸田:なるほど。じゃあ遺伝子診断受けられたのは、ほんとに子どもさんの妊娠がちょっときっかけっていうとこ。それまではまあおそらく臨床症状から、劣性の栄養障害型かなっていう、

H氏:ええ、そうですそうです、はい。

戸田:なるほど。で足のこう、足の裏もできなくて。太腿とかふくらはぎとかも?

H氏:足の裏もでき…、えっと硬いですけど、できはしないです、なんか皮膚的には。あ、でも指の癒着はしました。

戸田:ここの指の癒着することで、歩きづらさとかはありますか?

H氏:あー、えっとね、普段は感じないんですけど、なんかやっぱり踏み込む力がやっぱちょっとあれなのかなって気はしますね。うん。ちょっとぐって踏み込む…、

戸田:今ちょっと拝見させてもらったとき、親指ともう、えっと第…、お母さん指、

H氏:そうですそうです、がもう癒着して。ここがもう3つ、はい、もうくっついてます。

戸田:あ、第1指、第2指、第3指がこう癒着してる。

H氏:そうですそうです、くっついてる感じですね。で、たぶんですけど、えっと、この指、

戸田:第2指、お母さん指。

H氏:第2指が結局、関節がちょっと曲がった状態、曲がった状態っていうか完全にじゃないですけど、ちょっとたぶん曲がった状態でくっついてるので、だからちょっとそこは痛いですね。

戸田:あ、何かこう踏み込んだりとか、こうぐっと力が加わると痛みが出る。

H氏:ぐって、そうです。力かかってきちゃうと痛くて、うん。

戸田:なるほど。それは、えっと今左足? 見せてくださってる、

H氏:あ、左足です。そうですそうです。

戸田:右足も同じような感じ?

H氏:右足はくっついてはいるんですけど、あの、伸びた状態でくっついてるので。ここも3指まではくっついてるんです。同じです、あの、こう、[00:10:08]

戸田:あ、第1指、第2、第3指までがこう癒着している。

H氏:そうです。第3指まではくっついてるんですけど、こっちは伸びた状態なので痛みはそんなにないです。

戸田:痛みはない。左の第2指がちょっとこう曲がった状態で癒着しているので、こう踏み込んだりすると痛みが出る。

H氏:痛みが出る、そうですね。

戸田:で、その足の裏も、なんだろ、ちょっとこう前の日に長く歩いたりとかすると、ちょっと剥けちゃったりとかそういったことも?

H氏:あ、それはないですね。なんかほとんど足裏は剥けたことがないですね。

戸田:癒着はいつぐらいから進んできた感じやったんですか?

H氏:えっと、もう幼少期からたぶん癒着してたって親は言ってた気がしたんですけど。

戸田:じゃあ幼少期は指と指のあいだの皮膚も、ちょっとこう水疱ができたりするので、こう癒着してしまった感じやったんですね?

H氏:おそらく、おそらく。

戸田:なるほど。じゃあ今、歩行とか移動に関して何か不具合を感じられる?

H氏:でも特にはないですね。えーと、けっこう長距離も歩けるので、それこそ遠足とかもみんなと同じ距離は歩けてはいたので、はい。

戸田:手のほうもまあちょっと乾燥するぐらいで、何かこう包丁をぐっと持って硬い大根を切ったりとか、そんなことをしても水疱ができるとかは、

H氏:大丈夫です。ないです、ないです。

戸田:じゃあその、ぶつかったり力が加わることで水疱ができてしまうのは、腕とか足の太腿とか?

H氏:そうです。そのあたりですね。

戸田:なるほど、そうかそうか。で、まあほんとにその幼少の、もうお母さん出産されて、水疱症で、って。でお母さんも、ご親族に同じご病気のかたっていらっしゃらなかったんですね?

H氏:いないですよ。いないです。

戸田:もうお母さん、

H氏:母は大変だったと思います、ほんとに。

戸田:ごきょうだいはいらっしゃるんですか?

H氏:はい、○が1人います。

戸田:○さんは表皮水疱症の方では?

H氏:ではないですね。まったくのあの、普通の健常児ですね。

戸田:じゃあH氏さんとされては、幼少のころからちょっと弱い皮膚をお持ちっていうなかで、日常のなかでそういったケアをしたりとかっていうのは、もの心つく前からもう当たり前の生活みたいな感じ?

H氏:そうですね。なんか処置をするっていうのは当たり前で、まあ一応こう来て。で、最初はもう母にやってもらってたんですけど、まあだんだんやっぱり年ごろにもなってきて、まあ傷もそこまで多くなかったので、まあだんだんまあ自分で。ちょっときっかけはわかんないんですけど、どこからやるようになったかはわかんないんですけど。はい、でもそうですね、気づいたらまあ自分でやってた、みたいな感じですね。

戸田:じゃあえっと、ずっとその幼少のころからケアが日常の中にある、

H氏:はいはい。

戸田:で、たぶん波があるかなと思うんですけども、一番こうちょっと症状…、まあ最初「首も症状あった」っていうふうに。一番症状が重かったのは、だいたいどれぐらいの時期?

H氏:そうですね。皮膚の症状で言ったら、たぶん幼稚園ぐらいかなって気がします。あの、けっこうこう、走って転んで傷をつくるみたいなことを繰り返してたので。それこそ転んで、手と膝をこう、べっと全面すり剥いて、あの、剥けたっていうか、はい、水疱になっちゃったりとかっていうことが、は記憶にあるので、そのへんかなって気がします。

戸田:なるほど。で、今はそのケアに要する時間とか?

H氏:は、だいたい、すごい傷の調子がよければ、たぶん10分とか15分で終わりますね。ちょっと傷が増えてくると3、40分ぐらいですかね。

戸田:まあまあその、「傷がちょっとできたかな」とか「腕にちょっとできたかな」っていったらもう、創傷被…、メピレックス?

H氏:そうですね、メピレックスがほとんどで。私あの、部位によっては絆創膏も使えるので、あの普通の絆創膏を。ただあれ全部だとすごく粘着面がすごくおっきいので、はじっこ切ったりとかして、ぎりぎり貼れる粘着力で(笑)、まあ使ったりとかはしてますね。[00:15:15]

戸田:なるほど。で、メピレックスと、その絆創膏をちょっとこう、粘着の部分を切り取ってケアをされている、

H氏:はい。そうですね。

戸田:今はもう全部、H氏さんご自身で、手の届く範囲で、

H氏:そうです。そうです、私が全部管理をしてます。はい。

戸田:で、手が届かない…、まあ「背中とかがない」ってさっきおっしゃっておられたんで、何かこう手伝って、ご家族に手伝ってもらうこととかは?

H氏:ああ、えっと、たまーにやっぱり背中とかこうできて、「あ、ちょっとこれは貼んなきゃな」、…でもな、背中も届くっちゃ届くな、なんで助けてもらうかな? なんかあの背中に水疱がたとえばできたとかだったら、あの、ちょっと家族に「ちょっと切ってよ」って言って(笑)、あの、水疱つぶしてもらって、とかってことはたまにやっぱ。

戸田:今は、病院は近くの○病院とかにかかっておられるんですか?

H氏:えっと私、かかりつけというか、ちょっと遠いんですけど、電車で1時間ちょっとかかるかな、1時間半ぐらいかかるかな。向こうのあの○病院のほうに、はい。で、皮膚とこっちの食道のほうはそっちにかかってて。まあそれ以外の、たとえばちょっとお腹が痛いとか、まあ何かってときには自分が勤めている病院にかかってます。

戸田:なるほど。今、○のほうは何か月に1回とか?

H氏:えっと、だいたい食道狭窄はもう定期的に、このバルーンでこう膨らませてるので、それはもう半年に1ぺんでだいたい予約が組まれてて。でそれ以外の皮膚に関しては、えっと自分、薬が減ったりとか、ちょっとあの、まあ傷がたとえばひどいときとかだけ行ってましたね、不定期で。

戸田:じゃあほんとにその食道狭窄の症状も、幼少のころから?

H氏:そうですね。えっとたぶん幼稚園の年中とか年長ぐらいから出てた気がしますね、記憶にあるぐらいでは。

戸田:それはH氏さんが、その飲み込むのがちょっと飲み込みづらくなるっていう?

H氏:そうですそうです。で、えっとたぶん普通の白米が通らなくなったぐらいが、たぶん幼稚園のその、それぐらいの時期だったと思うんですよ。

戸田:で、その「通らなくなった」っていうのを、たぶん幼少のころはお母さんがいろいろ様子を見ておられて、病院でその状況を伝えて?

H氏:はい。

戸田:で、そのバルーンで定期的に開けるその拡張の手術、処置は、もう幼少のころからずっと定期的にされているんですか?

H氏:えっと、そうです…、幼少期はわりと定期的にやってたんですけど、一回途絶えて。たぶん10年くらいあいだが空いてましたね、やらない時期があって。

戸田:それは10代?

H氏:えっとそうですね、10代はあんまりやった記憶ないですね。たぶん10…、小、小3ぐらいまで、えっと定期的にやってて、なぜかそこから、

戸田:半年に1回ぐらい?

H氏:はい、1年に1回ぐらいでやってて。なんか振り返ると、その幼稚園の時期から小1…、幼稚園の時期は、でもやってたわけじゃなくって、喉の症状が出始めて。で小1で…、あ、で結局、「できる病院がすごく限られる」って言われて。で、そのときは○がかかりつけじゃなくって、○病院がかかりつけだったんです。で、○病院で相談したら、えっと「うちではできない」と言われて。で、その当時、その当時からっていうか、まあたぶん、えっと私が生まれたわりとすぐぐらいですかね、たぶんあせび会っていって、ご存知ですかね? うん、あせび会のほうに入会してて。で、会長さんがその○にけっこうつてをお持ちのかたで、でそっちの紹介で相談したら、一応あの、ブジーをっていうことで。たぶん小1で一度やって、初めてやって、で広げて。で、小2はほんとはやらない予定だったんですけど、えっと、そのときに盲腸、アッペをちょっと起こしまして。で、オペで取ったんですね。そのときに、たぶんマーゲンかな、マーゲンか、イレウス管じゃないと思うんですけど、たぶんマーゲンを入れて、[00:20:40]

戸田:鼻から?

H氏:はいはい。入れてやってて、それを、まあ要は術後よくなってきて、抜いたんですよね。で抜いたときに、けっこう思いっきり抜いたんですよね。あの、オペした場所がその○病院だったんですけど、けっこう勢いよく抜いたもんで、たぶんその衝撃で傷ができて。で、そっからまたちょっと細くなってっちゃったもんで、もう1回○に行ってやって。で小3は結局、またたぶん検査したのかな? ちょっと詳細はわかんないんですけど、で小3でもう1回やって、でもまあけっこう安定してよかったから、結局その10年ぐらいはやらなかったですね。

 で、20…、たぶんあの専門学校を卒業するかぐらいのときに、ちょっと喉の調子がちょっと悪いかなっていうのは自覚してたんですけど。まあ結局就職もして。で、最初病棟勤務だったので、ものすごいやっぱ忙し…、忙しいというか、で自分の仕事がわからないので、けっこう帰りも遅いとかで、なんだかんだこうちょっと自分もおざなりにしてたんですよね。うん。なかなかやっぱ、ごはんも結局食べれるものだけ食べて、みたいな。で、あんまりちょっとこっちもかまう余裕がなくって。そしたら気づいたら、やっぱ白米が食べれないことに気づいて。「あれ、最近パンしかなんか喉通ってないな」って、「あ、喉の通り悪いな」って。で、えっと、なんかそのときにむくみもものすごい出てきて、「なんでこんなにむくむんだろう?」って。「ああ、なんか慣れない仕事だからかな」ってちょっと最初はなんか思ってたんですけど、ちょっと一回○病院に行って、まあ定期的にはかかってたので、○病院に行って一回ちょっと検査をしてもらおうかなと。で、相談に行って、で、レントゲンと採血をとって、「まあたぶん狭いとは思う」とは言われて。で、えっと一応バルーンの予約も入れてもらったんですけど、そのときに採血の値がものすごく悪くて、Hb(ハーベー)が4.6しかないって。だからもう「ちょっとしばらく仕事は」って言って少しお休みをいただいたんですけど。で、たぶん、アルブミンは見てないけど、たぶん低かったのかな、すごくむくみも出てたし。

 で、えっと、まあちょっと療養して、そっちのほうは改善したんですけど。で、結局バルーンをそこで1回ポンてやってもらって、広がって。たぶんその次の年もやってもらったのかな? で、えっと、また少しあいだが空いたんですね。で24、5ぐらいで、「あ、なんかちょっとまた狭くなってきたかも」と思って、○病院に相談したら、「もうたぶんうちじゃなくてもって、だから、ちょっと他に行ってくれる?」ってことで(笑)。それで結局、最初紹介されたのが地元の病院だったんですけど、まあ「ちょっとそこは」って言って。ちょっとそこの病院とも結局、実家からはすごく近かったんですけど、やっぱちょっと、たぶん小学生ぐらいの時ですかね、ちょっと何か皮膚科ともめたらしくて。

戸田:あ、お母さんが?

H氏:そうですそうです。その結局、こちらは食道狭窄があって、そのときにそのエンシュア・リキッドをもらっていて…、えー、ちょっと待ってくださいね、一番最初にかかったのは確か○病院なんですけど、そのあと実家からすごく近い病院で皮膚もたしか定期的に診てもらってて、皮膚科のほうはそっちが主流だったんですね、最初のころは。で、えっと、その地元の病院で診てもらってたんですけど、その病院の皮膚科の先生が代わられたときに、結局私は食べれてるからエンシュア・リキッドは結局出せないっていう話をされて、

戸田:経口で食べれてるので、そのエンシュアの処方をする必要性がないっていう? [00:25:04]

H氏:ない。そうです、そう言われたと。だけど母としては、まあそのブジーはやっているけれども完全ではない。そのときはたしかエンシュアも併用して使っていたんですよね。日常の食事だけじゃちょっと補えないので。うんうんうん。でえっと、それも要は特定疾患でもらっていたんですけど、その先生は、「いやいや、その特定疾患のあれでは出せない」、まあえっと慢性小児何とかか、「では出せない」と言われて、「もし出すなら全額自腹だ」と、その「エンシュア・リキッドに関しては」って言って、母がけっこうそこでもめて。で、えっと皮膚科を切ったんです、その。で○病院の皮膚科に途中で変えてるんですね、一時、最初は診てもらってたんですけど。で、えっと、ちょっとそういう経緯もあって、ちょっと地元の病院はちょっと信用ができないから、遠いけども「○に変えてはどうか」と言われて、まあ○に通い始めたのから今にいたりますね。

戸田:なるほど。じゃあそこの先生が、そのエンシュア…、なんかそれもおかしな感じがしますね(笑)。

H氏:で、えっと確かそのときに、やっぱりそのあせび会の会長さんに相談したら、「そんなおかしな話があるわけない」と。で、「もらえないはずはないんだ」ってやっぱ言われて。で結局その、そのエンシュアに関しては○病院に相談をしたら、やっぱ「出せます」ってことだったので、結局○病院で、どこの科かな? えっとあれですね、もらってた気がしますね。ちょっとどこの科か忘れちゃったんですけど。

戸田:じゃあその、幼少期はもちろんお母さんがマネージメントされてたと思うんですけれども、やっぱり病院での理解がなかったりとか、病院ではちょっとそのバルーンはまだできなかったりっていうので、一つの病院でこうずっと定期的にっていうより、なんかそういういろんなところにちょっとこう情報を聞きながら選んでいくっていうような?

H氏:そうですね。うん、そんな感じでした。はい。

戸田:なるほど。で今はバルーンの、食道狭窄の部分はもう○で、

H氏:そうです、もう完全にフォローしてもらってます。

戸田:それがもう10年ぐらい前ぐらい?

H氏:そうですね。たぶん久しぶりに行ったのが24とか5ぐらいのときだと思うので、まあそうですね、うん、7、8年ぐらいになります。

戸田:今はもう半年に1回ぐらいに広げる…、

H氏:はい、半年に1回で。で最初のころは、その行き始めて24、5ぐらいのときには、まあ初めてお会いした先生で、「で、こうこうこうで」ってちょっと一応経緯を説明して。で結局その先生も表皮水疱症って名前がもちろん初めてで。消化器内科の先生なのでもちろん初めてで、って言って。で最初に「内視鏡をしましょう」って言われて内視鏡をしたんですけど、あの、まずあの鼻用の内視鏡が通らなくて、経鼻が。でもう、3ミリないぐらいだったんですって。で、「これじゃあさすがに」って言って。ただ、どのぐらい広げればいいのかがわからない。あの、○病院だと、単発でボンッて入ったときには、ほんとたぶん2ミリとか3ミリを一気に1センチまで広げて日帰りで帰してたんですけど、「さすがにそれじゃあちょっと怖すぎる」って言われて。で結局「どこまで広げられるかもわからないし、じゃあ1回でどこまで広げていいかもわからない」ってやっぱ言われたので、最初の入院は2週間入院して、1週間目にやって、とりあえず5ミリまで広げて。そのあともう2週目に、今度5ミリを6ミリに広げるって言って。で、また次の週、一回退院して2週間後ぐらいに、えっと、今度6ミリを8ミリにとかで、徐々に徐々にやってって、ですけれど。

 でたぶん今は、えっと1センチまではいくようにはなったんですけど、1センチがずっと維持されてる、やっぱ、わけじゃなくて、結局どんどんまあちょっとずつは狭くなっていくので。今どれぐらいなんだろ、5ミリとか、でも6ミリをまあ1センチにするとかっていうたぶん方式になってると思います。うん。

戸田:でもその都度やっぱり入院が必要になるっていう?

H氏:あ、そうですね、入院が必要になりますね。1泊2日とかで、はい。

戸田:口の中の粘膜は大丈夫なんですか? H氏さん。[00:30:07]

H氏:いや、弱いです。なので口も開かないですし、あの、弱いですね。

戸田:この口角のところとかもちょっと切れ…、

H氏:そうですそうです。そうです、切れやすいですし、はい。

戸田:なんかこう硬いものとか食べちゃうと、やっぱり水疱できちゃったり?

H氏:水疱できますね。

戸田:今は食事で何かこう軟らかい煮物とか、ちょっとごはんも軟らかめとかっていうかたちで、何か工夫とかってされてるんですか?

H氏:そうですね。基本、ごはんは軟らかめがやっぱ好きですね。うんうんうん。

戸田:で、ちょっともう硬い食材とかはもう避けて?

H氏:そうですね。なんかこうたとえば外食とか、まあお弁当とか、こう買ってきたものとかで硬いものは、もうよけます。で家だったら、うーんと、けっこうこう軟らかくします。煮込んだりとかして。

戸田:うんうん。じゃあ揚げ物とか、

H氏:あ、でも揚げ物は意外と、えっと最近はわりと平気ですね。昔は、揚げ物こう硬いじゃないですか、だから、

戸田:なんかパリパリッとしたところ。

H氏:そう、パリパリッとしてるので、みそ汁に一回入れたりとかして軟らかくして、ちょっとおいて食べるみたいな(笑)。

戸田:なるほど。じゃあちょっとこう浸して、ちょっとふやかして(笑)。

H氏:はい、ふやかして(笑)、そうなんです、やってます。

戸田:なるほど。じゃあ食生活でちょっと、そういうふうに工夫されて、

H氏:あ、そうですね。

戸田:なんか「食べたいけど食べれない」とかっていうのってあるんですか? なんか「あんなの食べたいけど、これ食べたらちょっと」、

H氏:ああ、あのね、けっこうあれですね、ナッツ。味は好きなんですけど、やっぱどうしてもあれを克服できなかったですね。ピスタチオとか好きなんですけど、硬いし、まずもうここがだめなんですよね。どんなに噛んでもやっぱ結局ここに当たるっていうか。もう細かくしても結局、鋭利だから、それこそ粉にするとかじゃないとたぶん食べれないんだなっていうのがわかって。

戸田:じゃあもう、ひっかる感じがわかる?

H氏:わかります、わかります。なんかこう傷をつけて通っていく感じですか、なんかこう「痛いなあ」っていう(笑)。なんかわかるので、ちょっとあれは。

戸田:ぶつかりながら食道に、こうピスタチオが下りていってるみたいな感じ(笑)。

H氏:そうです、そうです、そうです。「ああ、なんか今ちょっと変だなあ」みたいな(笑)、そんなことありました、はい。

戸田:じゃあなるべくその狭窄おこさない、傷をつくらないために、食材もちょっと気をつかうとか?

H氏:そうですね、若干選んでますね。後は例えば、えっと蓮根とかも、あのすっごい、たとえば「圧力鍋で煮込んでます」みたいな蓮根とか、薄くとかだったらいいんですけど、ちゃっとこう煮物に入ってる分厚い蓮根とかはちょっとコンディションによってはだめな時とかあるので。

戸田:さっきその、コンディションっていうのが、「今日はちょっと調子いいな」とか、それか、

H氏:そうですね、なんか朝、朝が一番調子が悪いんですね私、喉に関しては。朝、なんかやっぱり結局夜のあいだ物を通さないから、朝詰まりやすいっていうのはなんかそうらしいんですけど。朝と、あと、ちょっと夜。まあ夜は、まあ微妙に「そういうシーンもある」ぐらいの感じなんですけど。朝はわりと毎朝、「あ、なんかあれだな」みたいな感じがけっこうあって。で、やっぱりこうなんか閉塞感というかこう、物を通るのがちょっとこうやっぱ力がいる。たとえばこう唾液とか飲むにしても、なんかちょっとぐって押さないと入ってかない感じがあって。

戸田:じゃあそこにちょっと意識を加えないと、ぐっと飲み込めないっていう?

H氏:そうです、そうです。なんか油断するとつっかかるなっていう感じ。

戸田:なるほど。今もエンシュア飲まれておられるんですか?

H氏:あ、今はもうエンシュアやめました。

戸田:もうお食事だけ?

H氏:食事だけで、はい。

戸田:なるほど、そうか。今は家事全般はH氏さんがしておられるんですか?

H氏:そうですね、基本的には私がやってます。うん。[00:35:02]

戸田:お掃除とか洗濯も?

H氏:あ、そうですね。掃除、洗濯、炊事です。はい。

戸田:お食事も作られて、

H氏:食事も作りますね。

戸田:なるほど。あとそのご病状があることで、今までその、ほかのご友人とか、社会に出て何かこう困ったりしたところ、何か言われちゃってちょっとつらいなとかっていった経験って?

H氏:ああ、やっぱ、えーとね、小学校はそんなでも。やっぱちょっと思春期入ったぐらいで、やっぱりその異性、

戸田:男の子、

H氏:男子。そう、男の子からの目っていうのはけっこうきつかったですね。やっぱ中学校、高校ぐらいが、けっこうまあ、もう言うたら目にみえるので、やっぱりちょっとこう「気持ち悪い」とか、やっぱちょっと「汚い」みたいな。

戸田:それは、

H氏:あとは…、あ、はいはい。

戸田:あ、それは何か、直接、言葉で言われた経験とかもあるんですか?

H氏:うーんと、こうひそひそ、でも聞こえてくるみたいな、たぶん自分のことなんだろうなって。やっぱ目が合うんですよ、だから自分のことなんだろうなっていうのはあったりとか。あと、なんか一回なんかわかんないけど、そういって言われたことがありました。何がきっかけでか、私はでも、たぶん私は悪くないんですよ、全然。思い返してみても悪い理由とか当てはまらないんですけど、なんかでも、相手がすごくキレちらかしててっていうのはなんかあったりとか。

戸田:攻撃的な感じで言われたことが、

H氏:そうです、そうです、そうです。

戸田:それは病状に対して?

H氏:なんかほかのことが原因でそれを言ってて、でもその延長線上にやっぱなんかこう「気持ち悪い」っていうのが入ってたような気がしますね。

戸田:ふーん。それをこう受けられたときのH氏さんのその時の思いって、どんな思いやったですか?

H氏:あのときはなんか悲しみというか、やっぱ怒りに近い感じの感情だった気がしますね。もう「悔しい」ってなんかこう、そう、思いがありましたね。「なんでこんなことを言われるんだ、悔しい」っていう、ですね。

戸田:その中学生、高校生の頃はその…。今はほんとにあの、まあちょっと画面上なんですけれども、お顔も首も、衣類で覆っておられたら全然わからない、皮膚の…。中学・高校のころはちょっと見えている部分にも?

H氏:いや、えーと、中学はもう首なかったので、全然出せてたので。あの、手だ、手でしたね、主が。手と腕かな。

戸田:じゃあどうしてもこの手元のところで、その学校の男の子とか女の子とかが見て。それを聞かれることはなかったんですか? 「なんで、ちょっと」、

H氏:あ、聞いてくる子もいました。で、えっと、聞いてくる子は、わりと「こうこうこうだよ」って言うと、「ふーん」って納得して終わりで、そういう子は言わないんです。聞いてこない子のほうが言うんです。ですね、うん。

戸田:じゃあこう言って、そのときH氏さんご自身でどんなふうに説明…、なんか「表皮水疱症なんだよ」って言ってもなんかね、そんな、わか…、

H氏:ぱっとこないですもんね。

戸田:うん。どんなふうに説明を?

H氏:あのときは「皮膚が弱いんだよ」っていう説明でしたね、うん。なんかあんまりその、そういう、ふわっとした感じだったんですけど。うんうん。

戸田:じゃあこう「皮膚がもともと弱いので、ちょっと症状が出ているんだよ」っていうかたちで伝えられて、

H氏:ああ、そうですね。

戸田:何かその、友だちの作りづらさとか、なんかそういったこととかってありましたか? ご経験、学校の、

H氏:ああ、あんまり病気でっていうのはなかった気がしますね。友だちもあの、やっぱいい子もたくさんいたし。友だちはわりと恵まれたかなと自分では思いますね。

戸田:じゃあその、仲のいい友だちとかは理解し合えたけれども、全然こう仲よくない友だちとかが、こうパッと見だけで、なんかこうごにょごにょ言ってるような感じ?

H氏:うんうん、それは確かにありましたね。

戸田:何かその、学校でこう配慮をしてもらったりとか、たぶんお母さんも言われてたかなと思うんです、学校に説明されてたと思うんですけども、[00:39:56]

H氏:あ、そうです。たぶんなんか自分がいないときに、その…、ま、小学校入る時は、たしか「先生がみんなに言ってくれた」って親から聞きましたね。で、中学に入るともうほとんど持ち上がりだったので、あんまりこう大っぴらには言わなかった気もします。うん。わりと知ってる、知ってるっていうかこう、「そういう子がいる」っていうのは小6ぐらいになると、もうけっこう広がってたというか、だったので、あんまり説明はせずかな。学校側にだけ「ちょっと配慮してほしい」っていうことろで、まあたとえば「体育できないものもがある」とか、「給食も残すけど許してほしい」みたいなそういうところは。

戸田:それはお母さんが説明されて?

H氏:そうですね、母が説明してました。であと保健室にちょっとその処置の。まあでも処置ももうほとんどガーゼだ…、とあれだったから、エンシュア置いといてもらって、食べれない日だけ自分で飲みに行ってました。

戸田:じゃあそういうこう環境の調整もお母さんがしてくださって、

H氏:そうですね、母がしてました。はい。

戸田:で、今日はちょっと給食、食べづらかったなっていう時にはH氏さんが判断されて、保健室に行ってエンシュアを飲むっていうので、

H氏:そうです、そうです。

戸田:じゃあ、そういったこう、たぶんこの他の子どもたちにしたら、ちょっと特別な感じがするっていうところで何か言われたりっていうのは? そういったことは、

H氏:なんかやっぱりその、なんだろう、ちょっと小学校の時はちょっとこう持ち込みじゃない…、あ、持ち込みをしてた時もちょっとあったので、あの、ほんと食べれなくなったときに、あれでやっぱ「ちょっとずるいよね」って言われたことはありました。「なんで持ってきてるの?」って。まあでもそれは結局、どうしたんだろ? 先生がその子に言ったのか、友だちが言ってくれたのかわかんないんですけど、まあ「食べれないから、しょうがないんだよ」みたいな。自分で言ったのかちょっと忘れちゃったんですけど。まあ一応、説明はしたような気がするんですけど。

戸田:なるほど。

H氏:あ、先生に言ってもらったのかな。先生に言ってもらったような気がします、うん。

戸田:なるほど。じゃあその、主にその「悔しい」とか「なんかすごいつらい」って気持ちってのは、その見た目的なところで言われたりとか、こうちょっと「そんなふうに言ってるだろうな」みたいな、

H氏:うんうんうんうん。そうですね。

戸田:で、たぶんそうなってくると、こう言われないように何かこう隠すというか、こう覆うことで言われないように工夫するような行動に移ったこととかってありましたか?

H氏:なんかそういう手袋みたいな、たとえばしたりとかはなかったですけど、やっぱなんかすごく、ちょっとこう内向的だったなって、こう。やっぱどんどんこう、ちょっとこうなってくみたいな、気持ち的にっていうのは、うーん、ありましたね。

戸田:もうなるべく言われないように、事前に防いでおくみたいな、

H氏:うんうん。あんま、でもしなかったですね。

戸田:じゃあなんかその、暑くても長袖を着るとか、そういったことも別に?

H氏:あ、でも長袖は基本、着てた気がします。あ、制服とかは、ほとんど半袖を着た記憶がないので、たぶん長袖ちょっと折るとかぐらいだった気がするので。

戸田:それはもう意図的に?

H氏:意図的に。

戸田:「見せたくないな」っていう。

H氏:そうそう、「見せたくない」っていうところですね。あとまあ、えっと体操着とかも、まあやっぱ膝が出ちゃうので、あの、ほとんど短パンみたいなの履かないで、ジャージみたいな感じで。

戸田:膝にも症状出ておられた?

H氏:出てました。調子がいい時もあったんですけど、色がやっぱり明らかに赤いっていうので、傷はなくても赤いから出せないっていう感じでしたね。

戸田:じゃ、傷がなくてもその皮膚の色で、ちょっとこうパッと目がいくっていうので。で、それも他の子は短パンの体操服で体育をしていても、H氏さんはもうくるぶしまであるジャージでっていう、

H氏:そうです。うんうんうん、ですね。

戸田:でも、夏でも暑くても長袖を着る、

H氏:暑くっても、そう長袖。

戸田:それで余計にこうちょっと、暑くて蒸れてかゆくなって、掻いてしまったりとかで病院…、こう皮膚が悪化してしまったりとか?

H氏:あんま、でもそれはなかったですね。何、どうしたのか忘れちゃったけど、でもなかった気がします。[00:45:03]

戸田:意図的に覆うことで、病状が悪化してしまうっていうことは今まで、

H氏:なかったです。

戸田:なかったですか。なるほど。

H氏:うん、なかったですね。

戸田:じゃあその予防線として張るための覆うことはもう、日常のなかでももう無意識?

H氏:そうですね、わりと。なので、そうですね。

戸田:別の方が言われてたのが、どうしてもこう出血とか浸出液がガーゼからちょっとはみ出てしまって、白い服を着るのを意図的にやめてるんだっていう方もいらっしゃったんですけども、

H氏:あー、なるほど。

戸田:そういった服の色とか、何か服の、こう首元見えないように襟のついた服を意図的に選ぶとか、そういったこう工夫とかいうのは、H氏さんはいかがですか?

H氏:ああ、私は逆ですね。あの、首はきれいだったから首は出したいっていう思いは、「首ぐらいは」って言うと変ですけど。だから絶対タートルネックとか着なかったです。

戸田:あー、なるほど。そうか、その症状、そのきれいなところ、どうしてもその手の症状とかは出てしまうところ、腕とかはもうそこは覆って、「ここは私、きれいだから」、

H氏:「出したい」っていう。そうです、そうです。

戸田:そこの「出したい」っていう思いは、どういった思い? 健康な、きれいな皮膚が、

H氏:なんだろう、なんていうの、やっぱこうその当時の、ごめんなさい、思いだったかわかんないんですけど、なんかやっぱり手がこう、やっぱその電車とかでも例えばこう、じろじろ見てくる人もちろんいますし。まあ今もたまにもあるんですけど、その、なんていうんだろう、「そこが私のすべてじゃないんだ」っていう、「ちゃんときれいな部分もあるんだよ」っていうその、そういう思いだったんじゃないかなっていう。

戸田:ちょっとこう意思表示というか、

H氏:そうですね、私なりのこう。「ここはちょっとあんまりきれいじゃないけど、ここはきれいだよ」っていうその、「全部じゃないんだ」って、そういうたぶん思いだったような。うーん。

戸田:うーん、なるほど。で、そこのこう首元は、まあ見えても大丈夫な服装、形態で。で、ちょっと足の膝のところとかは、腕のところとかはちょっと覆うようなかたちで、H氏さんの中でこうメリハリというか?

H氏:うんうんうんうん、そうですね、つくように。だからあの足も、えっと足首まではだめだけど、足首というか、そうですね、足首まではだめだけど、くるぶしはわりときれいな時があったので、あのちょっとこうレギンスの短いやつとかちょっと履いてた時期もありましたね。出せる範囲で出したかった自分はいて。

戸田:じゃあそのときの状態で、「あ、ここちょっと出せるな」って、

H氏:そうそうそうそう(笑)。「あ、今日はいけるかも」みたいな。

戸田:そうなったら、ちょっとこう、くるぶしが出るような衣類を選んで、

H氏:そうです、そうです。やつとかを履いたりとか。

戸田:なんかそうすることで、ちょっとこうH氏さんご自身の中でちょっと自信であったり、そういった気持ちもあった感じですか?

H氏:あ、ありました、ありました。「あ、やっぱちょっと出せるんだ、自分にも」っていう。なんかサンダルとかは絶対履けない、あんな人目で、人前では履けない。友だちとかと遊ぶときはサンダルとかは履けない。絶対まあ靴下かタイツが基本だったので、せめてこの部分出せれば、少しこの、ほかの子に近づけるような気がして。

戸田:やっぱりちょっとサンダルとか履きたいな、とかっていう気持ちは?

H氏:ああ、ありました。ありました。サンダルと水着はすっごい思ってました。

戸田:じゃあ夏、ちょっとこうプール、みんなが行くっていうときにはちょっと、「私はちょっとやめとく」みたいな?

H氏:そうですね。そうですね。

戸田:体育の授業は、プール、

H氏:も入らなかったので、

戸田:あ、プールは入らなかった。

H氏:はい。見学か、なんか高校のときはなんか校庭を走ってました。校庭とか、あとグランド、あー、校庭じゃない、校舎のまわりか、走ってましたね。

戸田:みんながプールのときは走ってる(笑)。

H氏:そうです。そうです。汗だくで走ってたりとか。そうそうそう。

戸田:なんかその水着とかプールとかへの憧れっていうのは、やっぱり若いときは、

H氏:うん、ありますね。ありましたね。うん、若いとありました。

戸田:で、こうかわいらしいサンダル履いてたりしてる友だちを見ると、

H氏:うんうんうんうん。「いいなあ」ってやっぱり。[00:50:00]

戸田:で、ちょっと履けない。うん。

H氏:そうですね、履けない。そうですね、「履けない、あーあ」っていう。うーん、そうですね、それを何かで昇華っていうよりかは、なんかまた他の靴、えっとパンプスで履けそうなやつとか、わりとこうスニーカー、まあでもそんなになかったかな、パンプスかな、どっちかというと、で、こんなかわいいのがないか?とか。

戸田:そのH氏さんの皮膚のご病状で、できる範囲のおしゃれっていうところを、

H氏:そうですね。そうですね。

戸田:こう模索している?

H氏:はい、はい。

戸田:何かその、かわいい水着が着れなかったりとか、そのサンダルが履けないという、ご自身のなかでのこう満たされないところに対して、何かお母さんにこう、「お母さん、なんで私はサンダル履けないの?」とかって、お母さんにぶつけたりっていうのはありましたか?

H氏:ああ、それはなかったですね。なかったです。まあそうですね、あんまり言おうと思わなかったかな。あのー、うん。「なんで?」…そうですね、あんまり母に対して、なんかそういうその、病気のこの思いをぶつけるってことができなかったですね、当時は、うん。

戸田:しなかったというよりかは、できなかったっていう感じ?

H氏:できなかったっていう感じですね。

戸田:そこにはなんか、どんな、

H氏:あのー、結局その、母がたとえば私のことであの、まあ義母からいろいろ言われたりとかもやっぱあったんですよね。直接聞いたわけじゃないけど、やっぱそれでちょっとこう怒ってたりとか。あとはこう、たぶん周りの人とかからこの、なんていうのかな、やり取りっていうか、こうちょっと垣間見てて、なんかちょっと泣いてるのとかも見てて、で、「ああ、なんか言っちゃいけないのかな」ってなんとなくこう悟ってた感じはありますね。

戸田:その義理のお母さん、お父さんのお母さんから、お嫁さんであるそのH氏さんのお母さんに対して、H氏さんのご病状に対するこう責任的なところをお母さんにこうぶつけるようなことを言われて、

H氏:ちょっとやっぱりこう、直接聞いたわけじゃ…、何て言ったかはわかんないですけど、なんかちょっとたぶんそういうのを言ったんだと思うんですよね。

戸田:で、それに対してお母さんがちょっとこう泣いちゃったりとか、傷ついておられるっていう様子を、子どもの頃のH氏さんがまあ察知していたっていう?

H氏:そうですね。

戸田:で、そのご近所の方とかまあ学校の何とかで、お母さんが前に立って言われてきたっていうところも、H氏さんご自身も「あ、お母さんちょっと言われてるのかな」みたいな、

H氏:そうですね、「ああ、なんか私のせいで、なんか泣いてるな」みたいなのはありましたね。

戸田:そういうこうお母さんの様子を見ていたときに、H氏さんのなかで、お母さんを責めるわけではないけれども、こう「すごい、病気でこんな苦しいんだ」とか「こんな」っていうのは、H氏さんの中でそれをこう発露するというか、アウトプットするっていう、

H氏:そうですね、うんうん。どうしてたんだろう? でもなんか紙に書いてた気がします、私。ノートにこう書いてて、やっぱ「好きでなったわけじゃないのに」みたいなのは、なんか昔、このノート見てたら出てきたんですよ、ノートが。それでやっぱ書いてあったような気がして。「ああ、こう思ってたんだな」っていう、のちのち。

戸田:なんかその、さっき言ってくださってた学校で、こうね、「直接言われてなくても、なんとなく言ってるだろうな」みたいなのがあった時に、すごくもやもやした気持ちを、帰ってお母さんに「こんなこと言われたんだ」っていうことを言うと、またお母さんが悲しむかなっていう? [00:54:49]

H氏:そうです。たぶん言ってた時もあったんですけど、「こうこう言われた」って言ってた時期もあったんですけど。やっぱりなんか、「うんうん」って言ってくれる時もあれば、なんかそのキレられるじゃないけど、なんかそういう時もあって。で、ある時、母に言われたのが、なんか「そう言われて、主観になり過ぎてるよ」って。その言われたことばっかりに、なんていうのかな、「もうちょっと客観的になりなさい」っていう話をされたんですね。で、それがわりと斬新でした、私としては。「主観って何だ?」って。そのときに「主観って何だろう? 客観って何だろう?」っていうふうに考え始めたのが、たぶんその時です。中学ぐらいだったかな。そうですね。なんかでも、言われたことにばっかり目がいくんじゃなくて、もうちょっとなんか、何かをその、考えなさいって、客観的に考えなさいって、その客観的の具体例がちょっと出てこないんですけど。でも主観と客観を私の中で考えるきっかけにはなったので、あれはけっこうおっきかったですね。

戸田:じゃあ、ちょっとこう俯瞰して見るみたいな感じ?

H氏:あ、そうです、俯瞰して見る。そうですね。

戸田:で、そのことでH氏さんのなかで、ちょっと整理ができるっていうか、ちょっと見方が変わるみたいな感じ?

H氏:そうですね。そうです。だから、その言われ…、えっとこう言われた時とか、たとえば「これは絶対言ってんな」って思われた時に、なんか今までは「言われたから悲しい」とか「言われたから悔しい」って感情しかなかったんですけども、それを言われたことによって、「まあでも、あいつは子どもだからな」っていうか、「精神年齢は私のほうが上だ」って、なんかちょっとそういう別の考え方も加えられるようにはなった気がします。

戸田:じゃあちょっとそれがこう、ステップ上がるような感じ?

H氏:ああ、そうですね。たぶんそこがちょっとこう、そう、転機だったかなって気はしますね。

戸田:じゃあお母さんとの関係は、ずっととこう良好な?

H氏:そうですね。たぶん反抗期とかもなかったので、わりと。ただこう立場っていうか、まあもちろん親っていうのもあるんですけど、結局けっこうこう依存、依存度はやっぱり他の子に比べて高いので、そういう意味で逆らいづらいっていうのは、多分あったと思います、今、考えると。

戸田:逆らえない、

H氏:逆らえない。たてつけないっていうか。なんか、あんまりそういうおっきなケンカみたいなのも、あんまりしてこなかったんですよ。

戸田:それは、ちょっと言葉がいいかどうかわからないんですけれども、お母さんにこう反抗したりすると、こう関係性が崩れてしまうことを、すごくこう内面化していたようなところが、

H氏:そうです、恐れてたっていうか。要は「見捨てられたらどうしよう」みたいなのはけっこう私、強かったんじゃないかなって気がして。

戸田:この状況でお母さんがいなくなってしまう、怒らせてお母さんが去っていってしまうと、自分の存在が危うくなるっていうところを無意識に持っていたので、お母さんに対してこう何か反抗したりとかっていうところがちょっとこう、

H氏:すごく、できなかった気がします。

戸田:お父さんはいかがやったんですか?

H氏:父はすごいやっぱりかわいがってくれたので、基本怒らないです、私を。

戸田:じゃあお父さんの関係性っていうか、お母さんとニコイチ的な感じが、もうずっと、

H氏:そうですね、ニコイチ的な感じで。で、やっぱ母も、ま、どこまでかはわかんないんですけど、やっぱ私は正直、結婚もしないしできないし、「ずっと一人だから私たちが面倒をみなきゃ」ってたぶん最初思ってたぽくって。何かそれを他の、えっと同級生の親にぼやいてたみたいなことをのちのち聞きました。

戸田:H氏さんがそのご病状ゆえに、将来その恋愛をして結婚をしてっていうところが望めないんじゃないかっていうのは、お母さんはそれを感じ…、まあ先読みしておられて、それをこうまあちょっと悲観しておられたようなかたちで。それを聞かれたときのH氏さんの思いって、どんな思いやったですか?

H氏:ああ、なんか複雑だった気がしますね。なんか、「ああ、そんなに苦労かけてたんだな」とか。でもまあ「結婚できてよかったな」とかって。なんかいろんな…、あ、ごめんなさい、ちょっと。[01:00:05]

戸田:いやー。しんどくないですか?

H氏:大丈夫です。ちょっとこう当時を、

戸田:思い出すね。

H氏:そうですね、うん。でもなんか、そんな、まあ考えてくれてたんだなっていうところで、なんか複雑でした。はい。

戸田:H氏さんのなかで、お母さんがそのような言動をしておられたっていうのは、すごくその、H氏さんをすごくお母さんが心配しておられたっていう、

H氏:そうですね。

戸田:「結婚できないわけないわよ」とかっていう気持ちではなくて、こう「心配してくれてたんだ」っていうところのお母さんの思い、

H氏:そうですね。どっちかというとそっちですね。

戸田:うーん、なるほど、そうか。お母さん、ご両親はお元気でいらっしゃるんですか?

H氏:ああ、元気です。はい、元気です。

戸田:よかった。ごきょうだいの関係とかはいかがでしたか?

H氏:は、あんまり、小・中・高はなんかそこまですごい仲のいいきょうだいじゃなかったので。でわりと○は思春期ほんと反抗期、こうちゃんとやってるので、親にがっつり反抗してるので、そういうときは全然、あんま話もしなかったし。

戸田:どうしてもその、H氏さんとお母さんが、どうしてもご病状ゆえのニコイチ的な関係があったと思うんですけども、それに対して○さんが何かっていうこととかは?

H氏:とかもなかったですね。○もたぶんやっぱ人を、要は「病気だからね」ってこう言われて、あんまりこう、うーん。まあ○なりにはたぶん心配はしてくれてたと思うんですけど、入院もしてましたし。でもこう表だって口にするってことはなかったですね。まあたまに「大丈夫?」みたいなことは言われたりとかはしましたけど。

戸田:なるほど。

H氏:そうですね。

戸田:そっかそっか。恋愛のこととかもお伺いして大丈夫ですか?

H氏:あ、大丈夫です、大丈夫です。はい。

戸田:はい。その、幼少のころからそういったご病状があったなかで、異性とこう交際するとかっていうところでのためらいとかもお持ちもあったのかなと思いますけど、

H氏:うーん、まあなんか最初はやっぱまあすごい、まあやっぱそのね、女子なのでやっぱりね、例えばマンガとか、こう友だちとかとの話で、恋愛ってものに対してものすごい興味はあったんです。ものすごい興味はあったんですけど、きっかけがまあなかったのと、あと自分が告白しても絶対その、うまくいくはずがないっていうのがまず前提にあったので、そういうこうイメージが持てないわけじゃなかったんですけど、現実感はあんまなかったんですね。で、こう、いやわりとなんかこう、ちょっと遠い、「遠いもの」みたいな。小学校高学年ぐらいからちょっとこう、ませてる子は付き合うだ、付き合わないだ、みたいなそういう話もあって。でまあ、好きになった子も何人かいましたし。だけど絶対そういう気持ちを伝えるってことは、まずしてこなかったですね。

戸田:それはこう、皮膚の見た目的なところで?

H氏:うん、見た目。見た目的なところで、たぶんだめだろうなって。でまあ、やっぱり田舎の学校なので、私が誰それに例えば想いを伝えたってなったら、たぶん広まるんですよ。で、その人にもちょっと嫌な思いをさせるのかな、みたいな。で、まあ絶対言わずに、そう片思いで来て。で、えっとその、専門学校、あ、違う、専門学校か、専門学校の1年生の時に今の主人と出会って、まあ、友だちの紹介でって言って。で、あの、まあだからその、好きだから付き合ったというわけではなくて、まあ、言うたらもう恋愛がしたいから、付き合ってみたい。えーと、「その人が好き」というよりも、「付き合ってみたいから」っていう前提にこう連絡を取るみたいな、取るようになったんですね。で、向こうもまあ、わかなんない、本当かどうかはわかんないけども「彼女がほしい」、で、私も「彼氏がほしい」って言って、会ったんですね。[01:05:09]

戸田:じゃあもう、こう、お見合い的、お見合いまではいかないけれども、

H氏:お見合いに近いですね。こう紹介で、

戸田:お見合いに近い感じで。

H氏:そうそう、紹介みたいな感じです。

戸田:「友だちから」っていうよりかは、もう「お付き合いを進めていきたいな」っていうところがちょっと、

H氏:はい、そうです、そうです。で会って、でまあ、付き合うようになって。で、うーんと、でもあのたぶんですけど、そのどこからか、自分で言うのもなんですけど、若干モテ期みたいなのに入ったのか、まあちょっとその、えっと今の主人とこうお付き合いもあったけど、でもなんかちょっとこの、同級生の男の子とちょっとこう。まあそんな別に、すごい仲に発展したわけじゃなくて、ちょっと仲良くなったりとかっていうので、まあ交流みたいなのはありましたね。

戸田:その、ご主人と付き合われるきっかけは、ご主人からアプローチしてくださった感じ?

H氏:なんでしょうね。なんか、そんなにすごいアプローチがあったわけじゃないですし、「付き合うでしょ」みたいな、何かそういう感じ(笑)。

戸田:もう「付き合うよね」みたいな(笑)。

H氏:感じです(笑)。

戸田:でも、そのこうお付き合いが始まるなかで、H氏さんのなかでちょっとこう他者とのこう向き合い方とかっていうところに変化とかってあったんですか? 「あ、大丈夫だな」みたいな、

H氏:うん、あの、そうですね、それは確かにありましたね。もう絶対、たぶん今まで男の人、なんか「絶対だめだろうな」みたいな。今までの中学だったり高校だったりのあれを見てて、「男の人、絶対なんか付き合う…、うーん…」みたいな感じだったんですけど。でも、主人とこう付き合ったことによって、少しその男性に対しての、なんかこう、まあ自信じゃないですけど、「あ、そういう悪口を言う人ばっかじゃないんだな」っていう、新しいところがこう、うん、見えたかなって。

戸田:お付き合いされるときにこう、「皮膚がちょっと弱い」「もともと持病で持ってるんだ」みたいなことはもう事前にっていうか?

H氏:ああ、言ってました、言ってました。会う前から言ってました。

戸田:ん?

H氏:会う前から。最初からメールのやりとりで、こうお互いこう、

戸田:やり取り、

H氏:「趣味が」とかってこうやってからの、初めて会うみたいな感じだったので。えっと、そうですね、その「皮膚が弱いんだよ」っていう話はしてありましたし。

戸田:ご主人から何か詳しく聞かれたりとかっていうのは?

H氏:たまーにこう聞かれることはあったような気がするんですけど、でもそんなに気にする感じはなかったですね。うん、うん。

戸田:じゃあもう、最初その20、看護学校行かれてる時ですよね、二十歳ぐらいからお付き合いされて、

H氏:そうですね。

戸田:で、結婚?

H氏:えっと、そうです。結婚、うん。

戸田:そこの流れっていうのは何かこう、もう自然に「結婚しよう」と、

H氏:わりと、だんだんだんだんって感じですかね(笑)。そんなにおっきな波はなかったんですけど。

戸田:じゃあもうその自然の流れで「結婚しようか」っていう話になって、

H氏:うんうんうん、そうですね。

戸田:なるほど。ちょっとこう突っ込んだことお伺いして、お話ししたくなかったらあれなんですけども、その性のところ、セックスのところとかは、そのあたりH氏さんのなかで、そのどうしてもこう皮膚を相手の方に、異性の方にっていうところの、その抵抗感とかっていうのは? もうお答えできる範囲で、

H氏:けっこう抵抗しましたね。けっこう抵抗があって、やっぱり最初は。もうそれこそ何年越しで抵抗しましたね。

戸田:あ、抵抗、

H氏:抵抗しました(笑)。なかなかこう全部をさらけ出すっていうのは、ちょっと時間がかかりましたね。

戸田:なるほど。性行為に及ぶときには、ちょっと覆っていたりとかっていう方もいらっしゃったんですけれども、[01:10:03]

H氏:あー。えーっと、たぶん最初は隠してたような気がしますね(笑)。そうですね。

戸田:で、その性行為をすることで、病状とか、そこの皮膚粘膜が損傷されるっていうこととかは大丈夫やったんですか?

H氏:は、なかったですね。それは大丈夫でした。うんうん。

戸田:じゃあそこの抵抗、ずっと抵抗、年越しに抵抗しておられて、それもご主人は、当時の彼は理解はしてくださってた?

H氏:最初は理解してて。で、でもなんかそういう気持ちというかまあ、なんだろう、えーと、うーん、なんか「待つよ」みたいなことは言ってくれて。まあちょっと徐々にみたいな。徐々にじゃないけど、イメージがあったんちゃうかな(01:11:02)。

戸田:じゃあH氏さんご自身も抵抗が、皮膚をその見せるっていうことに抵抗がある、

H氏:抵抗があった。そうです。

戸田:行為そのものに、その、

H氏:いや、あ、それも抵抗があって。

戸田:あ、それは身体がどうなるかな? みたいな。

H氏:そうそうそう。そうですそうです。その、傷つくんじゃないかとか。それこそ、そうなんです。まあそれこそ、けっこうあれですけど、「入るのか」とかも、うん。入るのかがけっこう心配で。

戸田:あー、なるほど。

H氏:で、入んなかった時に、相手がなんか失望しちゃうんじゃないかとか。

戸田:その相手への気持ちもちょっとこう先読みをして、

H氏:そうですね。

戸田:セックス自体が成り立つのかどうかっていうところの不安感と、その皮膚を見られるっていう、こう視線を受けるっていうことの両方に抵抗を感じていらっしゃった、

H氏:感じましたね。

戸田:そこの悩みとかっていうのを、こう、誰かに相談でき…、

H氏:できなかったですね、正直そこはもう。なんだろう、うん、えっと、もちろん同じ病気の友だちも、あの、いましたし、同年代の友だちもいるんですけど、なんかその子はそういう悩みは言ってなくって。彼氏いっぱいいる子だったんですけど。でも、かと言って深く聞けない自分がいて。

戸田:ああ、なんか聞いちゃいけないかなっていう?

H氏:聞いちゃいけないかな、みたいな。で、なんか自分が知らないって、そういうのをできないっていうのを人に知られたくないっていうのもあって、わりとこう濁してたとかみたいな。

戸田:じゃ、そこのこう、その行為そのものが成り立つのかっていうところと、その視覚的なところでのすごく葛藤が、H氏さんご自身のなかではあったってことですね。

H氏:ありました。

戸田:でもそこも、彼に伝え…、その「行為じたいが成り立つのかどうかも不安に感じているんだ」っていうこともちょっと伝えておられる?

H氏:そうですね。で、向こうも初めてだったので、向こうもまあ要は自信がない。であの、けっこうこう何回かトライしたんですけど、最初、まあ言うたら入んなくて。ちょっと何回かもう、「今日は…」みたいな感じのが何回かあって。で、いったん「それをやめよう」って話になったんですよ。確かなった気がします。なんかそれにばっかりにあれすると、会うのがつらくなっちゃう。

戸田:ああ、たしかに。もうそっちにね、コミットしてしまうとっていう。

H氏:そうですね。だからなんかそういうのをやめて、会っても、まあたとえばこう「一緒に寝る」とかはしてたんですけど。

戸田:別の意味でスキンシップをはかるっていう、

H氏:そうです。そうですね。で、ちょっとそうです、別の意味でのそうですね、そういう接触。たとえば「キスまではするけど」とか、ちょっといったん変えて、みたいなこともやりましたね。うん。

戸田:なるほど、じゃあそういうふうにちょっと段階を追って、

H氏:ですね。

戸田:それはもう結婚前のお話?

H氏:それは結婚前ですね。前ですね、はい。

戸田:なるほど。で、ご結婚され、もうその自然の流れでご結婚のお話になって、

H氏:はいはいはいはい。

戸田:でその先方、彼のご両親とお会いされるときも、「持病があるんです」ということもお伝え…、[01:15:03]

H氏:あ、そうですね。えっと一応主人から、彼から、えっとお父さん、あ、お母さんかな、お母さんに、あの、「ちょっとそういう皮膚が弱い病気があるみたい」っていう話はしてもらって。でも、私からご両親に直接説明するっていうことはなくって。で、一応まあ病名とかは伝えといてもらったのかな。なんかちょっとどこまでかわかんないですけど、まあでも一応は伝えといてもらって。

戸田:なるほど。それに対して何かこう、H氏さんがこう「うっ」って思うような言葉とかは特になかった?

H氏:は、なかったですね。

戸田:ご理解いただいて。

H氏:そうですね、はい。

戸田:なるほど。そうだったんですね。あとごめんなさい、H氏さん、看護師さんになろうと思われたきっかけって何かあったんですか?

H氏:えーっと、何かわりとこう小学校、中学…、小学校ぐらいで、まあいろんないくつか夢があって、将来、要は何か書いたりとかするじゃないですか。で、なんか漠然と、こう「これがいいな、あれがいいな」のなかに看護師もあったんですね。で、中学校になって、まあ要は入院もこう結構してたので、「看護師さんいいな」みたいな思いがあったんですね。で、介護士っていうのもちょっと考えたんですけど、こう介護士だとちょっとやっぱり体…、たとえば移乗とか、まあちょっと看護師もないわけじゃないんですけど、そこはあんま知らなかったので、介護士さんよりかは、まあこう知識がもうちょっとある看護師っていいなっていう思いもあって。まあそれこそ注射とかもできるし、こう医療知識がまあ持てるしなっていうので、漠然と看護師っていうところにこう、ちょっとこう定まってったのが中学ぐらいですね。で、高校で普通科のまあ高校に入ったんですけど、もともと衛生看護科っていって看護科のある学校だったんですね。なのであの、ちょっと看護学の授業とかもちょっとあったりとかして、まあ全然わかんなかったんですけど(笑)。で、その時にまあ漠然とこう「看護師になりたい」って、要は進路希望とかでこう書きますよね。「専門学校に行きたい」とか、「大学に行きたい」とかってこう書いたときに、保健の先生から、保健室の先生ですね、いわゆる養護教諭の先生から、「あの、ちょっとあの、あなたにはちょっと看護師は体力的にやっぱちょっと厳しいんじゃないかしら。たぶんすごい挫折しちゃうと思う」って言って。で、私その時は、もう何にもなくてこう普通に看護師になれると思っていたので、すごいショックだったんですね、正直言って。「挫折を味わうわよ」って、「だからもっと理学療法士とか作業療法士とか、リハビリの人はどう?」って。いや、その先生はほんとによかれと思って言ってただけなので、あれなんですね。で、「え、私、看護師になれないの?」って、すごいショックで。で、なんか多分その時その場で泣いたような気がするんですよ、うっすらですけど。で、先生もまあびっくりして、「いや、そういうつもりじゃなかったんだけど」みたいな。

 だけど一回家に帰ってその話を親にしたんです、父親にも母親にもして。で二人ともは、その看護師になること、なりたいってことに対して、全然反対はしてなかったので、「ああ、そういう話をされたんだけど」って言ったら、まあ「じゃあわかった、一回やってごらんなさい」って、「一回学校に」、あ、「受けてみなよ」って。「学校が受けてダメなら他の所に行けばいいし、看護学校入ってみて、それできつかったらやめればいいじゃない」って言ってくれたんですね。で、えっと、「あ、そうか。あ、やってみて、ダメなら諦めればいいんだ」っていって。で、受けてみて。で、えっと結局、専門学校が受かって、大学はちょっと二次試験とかしか受けてなかったので、ちょっと受からなかったんですけど。まあ学費もすごい高いし。で、結局、専門学校に入って。[01:19:54]

 で、まあ、ある種、私は「ダメならやめればいいや」精神がちょっとあったので、あれだったんですけど、でもやっぱいざやってみると、まあやっぱり取りたいなって。で、実習もやっぱすごい場で、もちろんご経験があるかなと思うんですけど、正直やっぱつらかったです、実習が。なんかその、何が、何がつらかったって、その、体のことよりも、その、たぶん看護師っていうものに対して、やっぱちょっと自分が甘く考えてたんだなっていうのも、まあ実習で一回突きつけられたっていうところで、そうですね、つらかったです。なんかでも、今考えるとまあ、まあ患者さんとの関係性のこの作り方が難しい時があって。あの脳外の実習の時に、患者さんがすごくADL(エーディーエル)が自立した方で。であの、だから看護が見つからなかったんですよね。手のかかる人ならいっぱい、やっぱり看護問題あがるんですけど、何、何に私は焦点を合わせていけばいいとかが全然見つからなくって。で、「ああ、私は甘かった」って。で、もうあの、全然その患者さんところに行っても話もさせてもらえないし、で、話しに行ったら行ったで怒られるし。で、「ああ、どうしたらいいの」、なんかそういう2週間だったので、なんかあれで一回、いやほんとに、なんかちょっと考えるきっかけにまたなって。

 で、まあだから逆に国家試験の勉強って苦じゃなくって、実習をしなくていいっていうところで(笑)。私はわりと国家試験がもう、「救い」とまでは何ですけど、「ああ、これに受かればいいんだ」っていうところで。で、えっと、資格はまあ取れて、看護師にはなったんですけど、もちろん何もね、わからない、できないで。でまあ、日々怒られて、で途中でちょっと体調も崩して。結局あの、さっき言ってた、あの、こう、ちょっと…、そうです、そうです。で、えっと部署も変わったりとかして、だったので、まあ、やっぱり何十回もやめよう、やめようと思ったんですけど。ただ、うーん、なんだろう、もうちょっと、もうちょっと、もうちょっと、もうちょっとって言ってるうちに、なんかまあ、ここまで来た感じですかね。

戸田:処置をしたりとかで、こう皮膚で何かこう、でき…、ちょっと、そういったこととかってあるんですか?

H氏:ありました、ありました。えっと、注射開けて、バイアル開けて、詰めるのが、すごい最初遅くて。

戸田:あー、えっとその、生理食塩水とかに、その抗生剤を入れたりとか、

H氏:そうそうそうそう、とかも、なんか要は力の入れ具合がわからない。で、アンプルとかもみんなこう苦なく開けますけど、アンプルじゃないや、バイアルとかも開けますけど、私にとってはすごい固くて。なので、それにすごく時間がかかるって、また「遅い」って言われて、まあもちろんそうなんですけど。あれがしんどかったですね。あれとかまあ、そうですね。あとまあ移乗とかはもう最初っから、あんまりあれだったんですけど、まあ今もあんまね、あれなんですけど。

戸田:それは免除してもらってた感じ?

H氏:あ、でも力にはならないんですけど…、あ、一緒にやってもらったりとかしてました。

戸田:声をかけて一緒にっていう感じで、

H氏:そうですね、助けを呼んでって感じで。そうですね。

戸田:その白衣を着ててこう、ご自身の体からこう出血とか、滲んだりとか?

H氏:ああ、たまにあります。たまにあるんですけど、えっと、もう素知らぬ顔をして。「ああ、ちょっと出てんな」って思ったときに、ちょっと先になんか保護材を当てて。で、ついた衣服は、あんまりひどかったら替えるんですけど、ちょっとぐらいだったらもう素知らぬ顔をして少し裏に行って、あの、オキシドールかけて(笑)。それでもう、

戸田:薄めて。

H氏:もう、そうです、そうです。薄めてもう、何食わぬ顔でまた戻ります(笑)。

戸田:それはもう、今は? 今は育休中でいらっしゃるんですか? [01:25:00]

H氏:今、また働いてます。

戸田:あ、そうなんですね。

H氏:はい、そうですね、戻って。

戸田:えっと、夜勤もしておられる?

H氏:あ、夜勤はやってないですね、あの、○室なので。

戸田:ん?

H氏:○室。

戸田:あー、なるほど、じゃあお昼間だけ。

H氏:そうです。働く感じですね。

戸田:なるほど。じゃあもう看護学校を卒業されてから、今33歳。もう10年以上もうずっと臨床で?

H氏:そうですね。

戸田:そうなんですね。そうか、すごい、すごいですね。もうじゃあ育休はもう明けて?

H氏:明けて。

戸田:なるほど。えっと、子どもさんはいつご出産?

H氏:えっと今年○歳になったので、あ、○年、○年前ですね。

戸田:出産するときもいろいろご不安があったかと思うんですけれども、出産は○で?

H氏:○でしました。なんかえっと、遠かったんですけど、もう○しか取ってくれないぐらいな感じだったので(笑)、状況的にもう。

戸田:妊娠中、何かこう表皮水疱症ゆえに困ったこととかありました? お腹膨らんでいくことに対するご不安とかあったんですか?

H氏:ありました、ありました。なんか結局、皮膚が薄くなるじゃないですか、どんどんお腹おっきくなるから。「大丈夫なのかしら? 私の皮膚は」っていう、それはけっこうありましたね。

戸田:で、出産は、えっと自然分娩?

H氏:自然分娩で。はい。

戸田:そこもね、ご不安…、

H氏:えっと、そうですね。あの、子どもがまあできたってわかって。で、えっと、まあそこもあれなんですけど、えっと、最初にあの、○病院…、あ、まあ母にも相談して、じゃあ一回○病院で、まあ診てもらって…、その、もともとの一番最初のかかりつけの○病院に一回相談しようって言われて。で、そっちに受診をして、まあ妊娠のとりあえず確定診断をもらったんですけど。えっとそのときに、まあその先生も表皮水疱症を知らないので、その、リスクがわからない。どんなリスクが、

戸田:予測できない。

H氏:そうです、そうです。予想ができない。まあ、ただ、「最悪もう胎盤剥離とかがあるかもしれないよ」って。でその時に、あの、えっと私がまだその分娩、あ、分娩じゃない、検診台に乗ってる時に、まあ母と先生とで一回その、「どうしますか?」って、もしその妊娠がけっこう、まあ要はハイリスクだから、「もしもの時には娘さんを取りますか? 子どもを取りますか?」って母は聞かれたらしいんです。でもその時に母は、「娘を取ります」、もし子どもが、子ども、お腹の赤ちゃんがだめになっちゃう、お母さん、お母さんも危険な可能性があるし、子どもも危険な可能性がある。どっちかを救う、どっちかしか救えないってなった時にはどうしますか? って。まあその、今、考えると、「初期の段階でそんなこと聞いたって」って思うんですけど、まあその時に母は「娘を取ります」と、「お腹の赤ちゃんじゃなくて、娘を」って言ったらしいんですね。で、そんな話をわりと直後に聞かされて、検診が終わった直後に聞かされて、「私はこうやって答えたからね」って。だからたぶん、「大事にしなさいよ」って意味だと思うんですけど。

 で、えっと、こう妊娠が、まあ要はどんどん進んでいって。あ、で、「その病院で産みたい」っていう話を最初相談したんですよ、その○病院で。はい。NICU(エヌアイシーユー)もあったので。そしたら「うちでは診れない」って言われたんですよ。なのであの、○…、あ、それで最初に…、あ、いいんだ、○が結局かかりつけって話をしたら、「じゃあ○に先生、手紙を書くから、○で産んでください」って言われて。で、まあ○に行ったんですけど。途中、お腹が大きくなって、毎回、○に通うのは大変だから、あの、一回前もめた地元の○病院で、「健診だけ診てもらいたい」って話を相談したら、健診だけは診てくれたんですよ。で、だから三十何週くらいまではそこで診てもらって。えっと、ちょっと待ってくださいね。安定期に入るまでは○病院で健診を診てもらって、安定期に入ってから三十二週くらいまでは○病院で診てもらって、で、三十三週とかから産むまではもう○って、ちょっとこう三つはしごしてるんですけど、病院を。で、やっぱ○病院でも、あのまあ、ふわってその「ここで、ここで産むことって…」って言って、「できないですかね?」ってふわって聞いたら、「ああ、うち、もう無理ですね」って言われて(笑)。でもう「○がいいと思います」って言われて。で、○はやっぱね、断らなかったので、そこはありがたいなと思うんですけど。そうなんですよ。[01:30:55]

戸田:なるほど、じゃあ出産までに、まあちょっと病院もわた…、こう段階を踏んでいくってところと、まあちょっとそのリスクを抱えながらっていうところも、H氏さんご自身もちょっと覚悟しながらっていう、

H氏:そうですね、そうですね。で、あのやっぱ、胎盤剥離が一番怖いなって思ってて。それがずっと不安で。で、いろんな人にその友だちとか、えっと、言って、

[ZOOMの音声が途切れ、画面も固まるなど通信不良の状態になる]

戸田:H氏さん。 大丈夫ですか? H氏さん。

H氏:はーい。はーい。

戸田:H氏さん、聞こえますか?

H氏:はーい、聞こえまーす。

戸田:あ、ごめんなさい。なんか電波が悪くなったみたいで。

H氏:聞こえまーす。そうですよね、一回切れちゃったかな。

戸田:うん、大丈夫です。ごめんなさい。

H氏:えっとその、リスクが…、すみません。リスクが高いって言われて、それをいろんな人にこう相談してたんです。あの、職場の友だちとか、あの職場の先生とか。

戸田:医療職ですもんね。

H氏:で、あの、まあきっと、そうですね、なので何かその、「産んだ経験がある人とかいれば聞いてみたら?」っていう例えば話とか聞いてて。で、ただ誰に聞いていいかがわからなくって。私のまわりに出産の経験者がいなかったです、同じ病気で。いてもすごい軽い人とかはいたんですけど、なんか「普通に産んだよ」って言って終ったんで、ほんとかなあと思って。で、えっと、その時にちょうどあせび会の交流会があって、で、○先生がお見えになってたので、○先生に聞いたら、なんか驚くほどあっけなく、「大丈夫、大丈夫」って。で、剥離って言ったら、「あの、私たちはどちらかというと、癒着のほうが」、あの、「あ、そんなに」って、「どっちかっていえば胎盤の癒着の可能性のほうがあるよ」って。まあだけど、あの、そもそも、その子宮とか膣は、あの7型コラーゲンの関与じゃなくて細胞が別だから、細胞? うん、別だから大丈夫って。「まあ妊娠リスクはほかの妊婦さんと変わらないから」って言って。まあそこでちょっとほっとして、ですね。

 で、えっと出産のときは、えっとたぶん前日におしるしがきて。で、まあ電話をしたら、やっぱ「一回来てください」っていう話をされて。で、実家にいたので、えーと、どうしようかなって。車で2時間半ぐらいかかるんですね。で、んーと、新幹線とか、まあ要は公共交通機関では行けないので、まあちょっと父親に連絡してもらって。で、仕事をたまたま早く切り上げられるからっていって帰ってきてもらって、病院まで行って。あの、子宮口1ミリも開いてなかったんですけど(笑)。で、一回、帰される流れになったんですけど、まあ遠いし、で、○もけっこうあの初めて、初めてだったので水疱症の妊婦をとるのが、だったので、で「まあ一応リスク的にも何があるかわからないから、一回NST(エヌエスティー)をとってほしい」って言われてNSTをとったら、やっぱちょっと心拍が落ちるときが謎にあって。で、その診てくれ…、いただいていた先生が、「ちょっと明日予定日だし怖いから、もう今日入院して、明日お産にもっていきたい」って言って。で、結局そのまま入院になったんですね。[01:35:43]

 で、うんと、もともと無痛やらないつもりだったんですけど、あの、無痛をもう入れてほしい、結局エコーかな、エコー入れたときにものすっごい痛くて、なんかもうずーっと叫んでた気がするんですけど(笑)。で、結局1ミリも開いてないってなったんですけど。なんかそのたぶん刺激でちょっと開いてきたみたいで、そっからちょっとお産。で、無痛を結局、急遽入れてもらって。で、えっと、ちょっと無痛を入れた、無痛でエピ入れた直後にたぶん迷走神経反射で、ちょっと自分が、なんていうのかな、SAT(サット)かなんかが下がったのかな? SATはあったのかな? で、ちょっと子どもの心拍も、ちょっと一時的に70とかまで落ちちゃったので。で、そのまま、まあ、入院管理で。で、まあ、でも結局、自然分娩で、翌日の昼ぐらいには産めたので、まあ良かったんですけど。

戸田:そっかそっか、じゃあ出産そのものが無事に終わって、そのあとの育児、

H氏:はいはいはいはい。

戸田:も、たぶんすごい、ね、大変やったんじゃないかなと思うんですけど。

H氏:そうですね、そうですね。

戸田:おっぱいとかどうでしたか?

H氏:おっぱいは、あんまりあげてないです。あの、初乳と、ほんとちょっとって感じ出て。あの、まず吸わせるっていうか、あの、

[再度、ZOOMの音声が途切れ、画面も固まるなど通信不良の状態になる]

戸田:H氏さん、聞こえますか?

H氏:…子どもに吸われる…、すみません。

戸田:H氏さん、ごめんなさい。電波が、ごめんね、なんか悪くなっちゃって。

H氏:聞こえますか? はい。あ、あ、でも電波立ってる。

戸田:H氏さん。

H氏:もしもーし。もしもーし。

戸田:あっ、あ、動きました。ごめんなさい。なんかね、電波が悪くなって、ごめんなさい。

H氏:あ、すみません。いえいえいえいえ。すみません。

戸田:大丈夫ですか? すいません。

H氏:なんだっけ? あれだ。

戸田:おっぱいのところ。

H氏:あれだ、おっぱいの(笑)。すみません。なんかおっぱいの刺激が、ってか、あの、痛い。あまりにも痛すぎて。で、もう初期から水疱と、初期っていうかを繰り返されていて。でも、うん、直接授乳は諦めました。

戸田:ああ、もう早い段階で。

H氏:うん、はい。なんか、で、結局、基本的に搾乳。ただ、あの搾乳しても、吸わせてるほどの刺激で出るわけじゃなかったので、取れるのは日々ほんと10ccとか、10ccぐらいしか出なくって。で、それをミルクと混ぜて飲ませるみたいなかたちで。で、ほぼほぼまあ、○はだから、○はミルクなんですけど。で、えっと、その、「1か月間だけは搾乳を続けてほしい」って言われて、病院から。正直、搾乳ですら私、水疱がやっぱできてたんです。

戸田:ああ、そのまわりの、おっぱいのまわりのところがこう、

H氏:あ、えっとね、乳首です。ほんとにあの乳首の部分から、プッて水疱がこう、

戸田:あー、痛いね。そうかー。

H氏:痛かったです。痛かった。で、あれって、7回とか8回とか、あ、もっとかな、授乳があるじゃないですか。で、授乳のたんびに結局、搾乳も一緒にやるから、あれが一番しんどかったですね。[01:40:01]

戸田:さっきその妊娠をきっかけに、その遺伝子検査をされたっておっしゃっておられたんですけども、そこのこう遺伝のことに関するご不安とか、子どもさんへの遺伝とかっていうのは何か、考えておられたりとか、ありましたか?

H氏:ああ、そうですね。最初はなんか「遺伝しちゃったら」っていう思いもあったんですけど、やっぱりその、ま、要は自分みたいにっていうか大変な、やっぱ思いはあんまり、できたらさせたくないっていう思いもありましたし。まあ、ただ、まあ、できたらできたで、もし同じ子が生まれてきちゃったとしても、まあ多少は逆に自分の経験を少し返せる、返せるっていうか活かせるかなっていう思いもちょっとありましたし。うんうん。まあただ、できたらやっぱり遺伝はしないでほしいなっていう思いのほうが強かったですね。

戸田:その、赤ちゃん、○さんが生まれてこられた時に、遺伝してないかなっていうので、皮膚をこうパッと見たりとか?

H氏:あ、それはなかったですね。なんか先生から、えっと結局「遺伝子検査で劣性でした」って言われて、「まあほぼ、ほとんどまあ、たぶん遺伝しないと思う」って話はされたんですけど、まあそれでもちょっと、まだ不安はあって。で、今度あの、その、○先生と話をした時に、えっと、結局その時にはどっちだったかな、遺伝子検査の結果が出てたか出てないか、忘れちゃったんですけど、まあ「子どもに遺伝したらっていう思いもあるんです」って言った時に…、あ、でも劣性って診断ついてたのかな、「劣性であれば、もうこの確率でほぼほぼないんだよ」って。で、「まあ、主人が持ってる可能性も、まあ、ゼロじゃないわけですよね」っていう話をしたら、「まあ、そうなんだけど、ただ、この確率で考えて、ご主人がまず持ってる可能性も非常に低い」と。あの、まあ「近親で考えたときには、確かに多少やっぱり持ってるリスクがあるんだけれども、ご主人が持ってる可能性っていうのは、ほぼほぼないから大丈夫」って言われて。その、結構あの「大丈夫」っていうのも、私としてはかなり心強くて。

戸田:うんうん。安心感があって。

H氏:そうですね。生まれたときには、皮膚というよりかはもう、「産んだ」って「生まれた」っていうところに、もう「ああ、やっと出てきた」っていうので、わりとあれでしたね、いっぱいいっぱいでした。いっぱいいっぱいでした、はい。

戸田:なるほど。じゃあ、その、生まれてこられて、ちょっとその関わりのなかで、「あ、皮膚大丈夫かな?」とか?

H氏:ああ、そうですね。それはちょっとやっぱり、「ほんとに大丈夫かな」っていうのは、ちょっと、余裕が出てきて(笑)、

戸田:ちょっとめくって。

H氏:そうそうそうそう。ちょっとやっぱ確認したりとかは、正直ありました(笑)。

戸田:で、その「大丈夫やな」っていうので、その関わりのなかで、ちょっと安心感が確立していったみたいな?

H氏:そうそう、そうですね。だんだんこう強くなってって。「あ、大丈夫なんだ」「あ、大丈夫なんだ」っていう。

戸田:そうかそうか。あと何かその、育児、それ以外で何か育児でこう「大変やったな」とかっていうのはありますか?

H氏:えっと、あれでした。

戸田:抱っこをずっとできないとか?

H氏:あ、そうそうそう。抱っこは、結局、横抱きだったんですけど、重さ的には大丈夫なんですけど、ここが擦れちゃって、あの、腕のこの、頭のこの動きが、すんごい擦れちゃって(笑)、

戸田:子どもがこう、すりすりする、で腕がすりすりしてしまう(笑)。

H氏:そうそうそう、こう摩擦がすごくて(笑)。

戸田:じゃあ、その摩擦でちょっと水疱ができるような感じ?

H氏:はいはいはい。剥けたりとか、水疱になったりとかありました。

戸田:じゃあH氏さんご自身としては、こうね、スキンシップをして、

H氏:うんうんうんうん。

戸田:思うけれども、なんかそれがちょっとなかなか難しいっていう場面が、

H氏:そうですね。痛…、でも痛いけど、結局そのまま、なんかちょっと、なんか布とかちょっと当てたりして、抱っこをしてましたね、そのまま。

戸田:じゃあ、出産はもう里帰り出産?

H氏:あ、そうです、里帰りで。母と一緒に。

戸田:で、ちょっと落ち着いてからご主人と一緒にっていう感じで。もう、今ほとんどもうお昼、日中はもうフルタイムでお勤めされてるんですか? [01:45:00]

H氏:えっとそうですね、○時間とか働いてますね。

戸田:それはもう正職員で?

H氏:いや、あの、パートで。

戸田:パートでお勤めされて。で、土日お休みで?

H氏:で日曜は休みで、土曜日は不定期で仕事してますね。うんうんうん。

戸田:なるほど。で、子どもさんは保育園?

H氏:そうです、保育園。

戸田:でも、お忙しいですよね? 仕事終わって、保育園、

H氏:迎え行って、そうですね。で、ごはんやってとかって、食べさせてって。いっそがしいですね。

戸田:忙しいですよね。じゃあ、その育児でちょっとこう、その、場面場面でこうちょっと皮膚が悪くなったっていうのが、

H氏:うんうんうん。ありましたね。

戸田:あったぐらい。うんうんうん。あと何かこう、それで何かこう、育児でなんか病状が悪化してしまうこととかってありましたか?

H氏:えっと、育児に直結してるかはわかんない…、わかんなかったんですけど、足の傷はけっこう悪くなりました、一時期。

戸田:ああ、それは何かこう、子どもさんへのこう、育児での動きがちょっと増えたからとか? こう子どもさん追いかけてとか、公園連れて、

H氏:なんか生活がやっぱり不規則、あの生まれたわりとすぐあと、夜中も授乳してとか。で、あの、里帰りしてたあいだも…、はお風呂、自分がお風呂入ってるあいだはみてくれ…、みてもらってたんですけど、その足の処置は結局子どもみながら自分がやってたので。で、そのタイミングで寝てくれればいいんですけど、寝てないときとかは、ずっとその足の処置、放置であやしたりとかしてて。で、かっぴかぴになっちゃったりとか(笑)。

戸田:その処置っていうのはクリームを塗って保湿するっていうのがメイン?

H氏:そうです、そうです。なんかあの、まあ要は傷があったらそこにメピ貼って、でそのあと保湿剤塗ってっていうのがいつもなんですけど、それをちょっとおざなりにして。まあおざなりっていうか結局、お風呂…、

戸田:できない状況、

H氏:そうです、そうです。できない状況で2時間ぐらい、結局、子どもが寝なくって。で、うん、かっぴかぴだったとか(笑)、なってることはあったりとか。

戸田:ご主人も育児は手伝うっていうか、一緒に?

H氏:手伝って、はい、もう積極的にやってくれてるので。

戸田:そうですね。じゃあすこいご家族、ね、ご両親の関係も、義理のご両親もご理解いただいて、サポートいただけてる、

H氏:そうですね。はい。

戸田:二人目とかって考えられたり?

H氏:うーん、なんかほしいなって思った時期はやっぱあったんですけど、正直まず自分の体力にちょっと自信がないのと、あと結局、病院が遠方になるので。まああの、今回はほんとにその、たまたまいろんなタイミングがよかった。病院にもすぐ行けたし、そのまま入院もさせてくれたし。でも、次が同じとは限らないし、それこそ何か途中で不都合が起こった時に、まあ要は自分が対応できるのかっていうところで、正直ちょっと自信がなくって。あの、ちょっと二人目はっていう感じです、今は。

戸田:うーん、なるほど、そうですよね。今、経済的なところでのご不安っていうのは、まあ今、ご主人が生計中心者で、

H氏:そうですね。そうですね。

戸田:それで、H氏さんご自身もお勤めしておられるっていうとこで、今後、その病状ゆえに経済的な不安になるようなこととかって何かありますか? その、ちょっと、まあ病状が変化してしまって、ちょっとお仕事が難しくなってしまうんじゃないか?とか。

H氏:うんうん。あ、それはありますね、うん。まあやっぱ働けなくなったらな、あのまあやっぱり、収入は減るから、まあまあそこでの不安はあるんですけどね、まあ、うん。その、働けなくなるかもしれないっていう一応その前提、前提もあって、まあ、結婚もしてるので。もしかしたら私、将来的にその、人より働けなくなる時期が早いかも知れないっていう話をしてるんですね、結婚のときに。まあ覚えてるかどうかわかんないんですけど。その時にも、まあ、あの、「そうなったら、そうなっただよ」みたいな感じで、「まあそれなりの暮らしでいいんじゃない?」っていう話はちょっとしてくれたような気もして。[01:50:25]

戸田:じゃあその結婚っていう位置づけは、まあ、ちょっとその経済的なところも、H氏さんの中でも、長く安定的にH氏さんご自身も働けないんじゃないかっていう思いがあって、

H氏:そうですね。っていうのもありました。

戸田:じゃあ、ちょっとその経済的な安定っていうところも結婚の中には含まれていたっていう?

H氏:まあ、そうですね。そうですね。

戸田:なるほど。で今、お勤めもされて、家事も全部されて、育児もしておられてってなって、今いろんな障害福祉サービスとかは使われておられないかな、と思うんですけども、

H氏:そうですね、使ってないですね。はい。

戸田:何かこんなサービスがあったらいいかな?とか。えっと、手帳とかもお持ちじゃないですよね? 障害…、

H氏:あ、持ってないですね。持ってないですね。うーん、そうですね、なんだろう。やっぱ今だったら、そんなになんか個人がしてほしいっていうのはなかったですけど、やっぱあの子育てっていうところで。結局、今あの、自分の両親ともすごい近いわけじゃないんです、距離が。あの、車で○時間ぐらいのところなので、基本的に自分とまあ主人が…しか、子どもの面倒を、まあ言えばみてない、普段の状態でね。今はわりとそうでもないんですけど、もうちょっと小っちゃかったときに子どもが、あの、まあ要は一時保育みたいなのは、まあ、ほとんど利用したことがなかったんですけど、なんだろう、なんかそういうのをなんかこう、もうちょっと気軽に利用できたらよかったなっていうのが。確かにあるはあるんです、市役所とか行けば。そういうサービスはあるのは知ってましたし、案内はされてたんですけど、なんかちょっとこうフランクに連絡しにくい感じなんで。なんでなんだろうって言われて、ぱっと出てこないんですけど、なんか、「そういうのを利用しちゃあ悪いんじゃないか」みたいな、なんかちょっとそういうのもあって、で、なんかちょっと利用しづらくて。なんだったんだろうな。

戸田:その皮膚のご病状が、さっきね、言っておられた、子どもさんがちょっとなかなか寝られなくって、その、足がかぴかぴになる。で結局それが悪循環で悪くなってね、ほんとにその、次の日の生活もままならなくなった時のちょっとサポートであったりっていうところが、さっき、おっしゃってくださってた、なんかこう気楽に相談できない何か。それが何かこう、ほかの方もよく言われてるのは、「車いすだからとか、こうはっきりしたものではないから、ちょっと言いづらい」みたいなことも言われてる方がいらっしゃったんですけれども。

H氏:あ、そうですね。なんか、その、結局その、傷の調子が悪いとか、もう極端に言うと、その傷の調子があんまりよくなくて、やっぱちょっと疲れ…、疲れももう要は普段、もうその普段の疲れもありますし、ちょっとこう、こう溜まってってのちょっとこのけだるさみたいなのも出てきてたんですけど、なんかそれを言ってわかってもらえるか? たぶんわかってくれない…、「何て自分でも言っていいかわかんない」ってのもありましたし、「なんか…わかってくれないんじゃないか」みたいな。まあ、結局その、もちろん育児って大変、生まれたての赤ちゃん、しかも、一人目だし大変だよねって、その大変、育児が大変っていう思いは他の人とも共有できるんです。そうそうそう、一緒だから。だけど、そこにその、「いや傷の処置が2時間できなくて」とかっていう、そうそうそう、思いはやっぱ共有できないから、結局それがどんどんこう溜まってくのかなって。[01:55:03]

戸田:なるほど。それがこうぱっと目に見えて、「車いすだから」とか、ちょっとこう、言葉がいいかわからないけど、「ちょっと腕がないから」とかってなると、こう伝えやすい伝わりやすいっていうのがあるけれども。ちょっとその皮膚のご病状ゆえにケアがなかなかできなくて、積み重なっていって、で、ちょっとそこができなくなるから、そこの部分を一時保育とか、何かそのお家での家事をちょっとこう、

H氏:そうです、そうです、ちょっとこう、

戸田:援助してくださるっていうようなところを入れてもらいたいな、と思うけれども、それを言ってもちょっと伝わらないんじゃないかなって、

H氏:そうなんです。

戸田:となると、そこを伝える労力をもうはずして、もう自分でやっちゃおうみたいな?

H氏:そうです、そうです。なんか「やりくりできるんじゃないか」とか。なんかその、一時保育を使うなんかその基準じゃないけど、自分の中でとか、こう友だちとかとはなししてて、結局たとえば、どうしても自分でやりくりしてみた結果、どうしても足りない部分を、そのそういうサービスで補うのはありなのかなって。だけどその、自分がちょっと疲れてるとか、なんかそういう何かの理由があるわけじゃないけど、ちょっと今日はサービスを使いたいっていうのは、なんかちょっと違うのかなっていう。

戸田:うーん。なんかそれは、甘え的な感じになるっていうふうに?

H氏:そうそうそうそう。なんじゃないかな、みたいなのもちょっと思えてきちゃって、そういうのもあって利用しづらかったのかなって。その、要はその、なんていうのかな、結局その、傷うんぬんっていう話は要はみんなに該当するわけじゃないから、なんかそこの部分を理由に出すのはあんまり、あれなのかなって。まあ、要は伝わらないっていうところと、あんまり自分としてもなんか、「どうしてもやりくりできないわけじゃないよね」みたいなちょっと思いも、なんか考えもあって。

戸田:「無理をすればできるかな」っていうところと、「甘えなのかな」っていうところがこう曖昧な感じ?

H氏:曖昧な。そうです、そうです。

戸田:「だったらもう自分で、無理してやっちゃおう」っていうふうに、

H氏:そうですね。そうですね。

戸田:でもまあ、結果的にちょっとこう状態が悪くなっても、もう自分で、

H氏:自分で、なんかどうにか。

戸田:根性で乗り切るみたいな(笑)。

H氏:そうです、そうです。勢いでって感じですかね、普段のところは。だから、例えば病院に、自分がこの日に通院の予約を入れてて、予約してた。で、主人に、まあお休みをお願いしてたんだけど、主人も急遽仕事になっちゃった、ってなった時に、一時保育も一瞬考えたんですけど、やっぱいきなりね、子どもをよくわからない保育園とかに、こうぽんって一日預けるのは、ちょっとやっぱりそれじゃあかわいそうだよって言われて。だったら、自分が通院の日を延ばせばいいかって。で、結局延ばしたんですね。

戸田:ねえ、そうなるとこう、H氏さんご自身の体のケアがちょっとこう、

H氏:そう。

戸田:後方にずれていく。

H氏:そうです。

戸田:ね。そこでほんとに無理してしまって、もう、あかんってなってしまうっていう前に、何かこうセーフティーネット的なものがあれば、気持ちも余裕をもって生活ができたんじゃないかなっていう?

H氏:そうですね、うんうん、気はしますね。

戸田:たぶんそこは育児だけではなくて、いろんなこうお仕事の場面であったりとか、日常生活の部分でもその、「自分でがんばればなんとかできる」っていうところと「甘え」の部分との、

H氏:そうです。あると思うんですよね。

戸田:なるほど、そうかそうか。H氏さん、もう2時間過ぎて、体調大丈夫ですか?

H氏:たぶん、大丈夫です(笑)。

戸田:ごめんなさい。最後に一つだけ、H氏さんご自身が表皮水疱症をかかえて、今、子育て、お仕事もしながらっていうふうに日常生活を過ごしておられると思うんですけど。今のH氏さんご自身が、その今の身体、生活も含めてどのように捉えておられるのかな?っていうところを、ちょっとお聞かせいただけたらなと思ったんですけども。まあ幼少期のお母さんとのね、今までのエピソードとかも含めて。[01:59:48]

H氏:はい。えー、そうですね。こういう、「なんで自分」…、まあ、もう考え始めたらあれなんですけど、結局、今の状態、まあ、確かにその、表皮水疱症で生まれてきて、まあ大変、やっぱちょっと人とはまた違うちょっと苦労の仕方が、してきてるとは思うんですけど。まあ、結果それを持ってても、一応自分も、一応就職もできたし、まあ大変ではありますけど。で、えっと、まあ結婚もできましたし、まあ、一応子どもも授かりましたし。で考えると、まあ、わりとこう人並みの人生は今のところ歩めているのかなってところで。で、うーんと、結構その、まあ結婚したことによって、まあ、ちょっとその母との関係性も少しこう変わった気がするんですね、私。なんかその、その前か、就職かな? なんかその結局母が、まあ就職して、したことによって、少しその私を対等にちょっとこう見てくれる、大人として見てくれるようになって。で、結婚したことによって、たぶんその、一人の女性としてこう見てくれるようになって。で、今度、子どもができたことによって、母として見てくれるようになって。そうですね、少しずつこう関係性が変化していって。だからなんかそれは、「あ、結婚してよかったな」とか、ちょっとこう「子ども産んでよかったな」って、まあ一つこうなりますし。

 で、えっとね、こないだ患者さんから言われたのが、その患者さん、もうたぶん○年ぐらいのお付き合い、お付き合いというか、○の中でこう、要は知り合って○年経つので、まあ関係の長い患者さんなんですけど、なんかその、「あなたは子ども産んでほんとによかったわよ」って、「すごい地に足がついてる」って言われて。「子ども産む前は、ほんとになんか、どこに足がついてるか、わかんなかったわよ」って。なんかたぶんちょっと、あんま覇気がなかったのかな(笑)。でもそう、結婚して、まあ子どもを産むことによって、まあ要は、たぶん守らなきゃいけないものができた。今までは結局自分のことばっかりだったから、なんかその、なんかちょっともう、ちょっとどうでもいいや、みたいな時もあったかな、かもしれないけど、今はもう子どものことを、こう守んなきゃいけない。だから「強くなったね」って、「お母さんになって良かったわね」って言われて、「ああ、そうか」。

 だからなんか、あ、確かに考えてみると、まあ、日々忙しいんで、自分のことをこう、あんま考えてないような気がするんですけど。でも、その調子が悪くなった時に、あ、寝込んでいられないから、あの、寝て、たとえば忙しいから寝込んでられないから、もうちょっと早めに、例えば薬を飲もうとか、ちょっと、ちょっと目の調子が悪いから早めに休んどこうとか、なんかその、今までよりも、ちょっとそういう対処行動は早くなった気がして。

 だからまあ、うーんと、大変だし、あれですけど今の状態としては、一応その体とのこの付き合い方っていうか、病気とのまあ、付き合い方は、まあ、なんていうの、悪くない。悪くないっていうか、今のところは、まあわりとこういい状態なのかなっていう気はしますね。なんかその、結局、慢性的なものなので、その、今の状態だとまあ治ることもないですし、もう付き合っていくしかない。ずっと足の処置も続けていかなきゃいけないし、それこそ食道なんて、まあ、いつまでできるかわかんないですけど、でもブジーもやっぱりやり続けなきゃいけない。なんですけど、なんか、まあ、その中でもこういい関係性を築けたらって。ちょっとうまく言えないんですけど。[02:04:52]

 あの、こないだ廊下で、自分の働いてる病院の廊下で先生に、まあ、言えば○の先生に、すれ違った時に、「なんか珍しい病気なんだってね」みたいな話をされたんですね。なんで急にあんな話されたのかわかんないんですけど、「なんか珍しい病気なんだってね、僕、全然知らなかったけど」って話をされて。あ、思い返してみたら、私けっこう珍しいんだな、みたいな。今まであんま意識してこなかったんですよ、あの、そういうね、友だちもいたし、私、珍しい病気なんだな。あ、それで、そうか、珍しい病気で、で、働いてて、結婚もして、母親もやってて、ああ、けっこうなんか珍しいなって(笑)、なんだろう、再認識して。まあだから、なんて、どう捉えるかっていうとちょっと難しいんですけど、まあそれなりに付き合っていけたらいいかなって、この体と、うん。そうですね、そんな感じです。

戸田:ありがとう。難しい質問してごめんなさい。

H氏:すみません。いえいえ、すみません、まとまらなくて最後、全然。

戸田:いえいえ。でもほんとに、いろんなそのライフイベントの中でH氏さんがこう向き合ってこられて、その向き合い方もだいぶ変化してこられたんだなっていうのが、すごい伝わってきました。

H氏:(笑) ほんとですか。ああ、よかったです。

戸田:すみません、難しい…、なんかもう、すみません。もう2時間、貴重なお話聞かせていただいて、ありがとうございます。体調、大丈夫ですか?

H氏:大丈夫です、はい。

戸田:今日はほんとに貴重なお時間と、貴重なお話聞かせていただいて、ありがとうございます。

H氏:いえいえ、ありがとうございました。私もなんか聞いてもらえてよかったです。なんか改めて思い返せました。はい。ありがとうございます。

戸田:また交流会とかで、ほんとに実際にお会いできる日を楽しみにしてます。

H氏:はい。私もそうですね、楽しみにしてます。ありがとうございました。

戸田:ありがとうございました。またよろしくお願いします。

H氏:はい。すみません。はい、よろしくお願いします。

戸田:すみません。じゃあこれで。ありがとうございます。失礼します。

H氏:はーい、ありがとうございましたー。

戸田:失礼しまーす。

【音声終了 02:12:26】





UP:20210821 REV: 20220113
表皮水疱症  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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