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石川真紀氏インタビュー

20210215 聞き手:谷田朋美 於:Zoom

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■インタビュー情報

◇石川 真紀 i2021 インタビュー 2021/02/15 聞き手:谷田 朋美 於:Zoom
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

難病  ◇線維筋痛症  ◇CRPS:複合性局所疼痛症候群  ◇慢性疲労症候群  ◇なおすこと  ◇名づけ認め分かり語る…  ◇原因/帰属 c11

■本文

91分

※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]

谷田:よろしくお願いします。じゃあ石川さん、まず発症したころのことからから教えてもらっていいですか?

石川:はい、私は11年前の…、あれ? 12年前かな? 2009年なんですけど、12年前、

谷田:ああ、2009年ですね。12年前ですね。

石川:そうです。2009年の、えー、5月の終わりぐらいだったかな、半ばぐらいだったかな、に、なんか微熱が続いてるなと思って。で、「風邪なのかな?」と思ったんですけど、なんか悪寒もするし。でも鼻水が出るとか咳が出るとかそういう症状はないんですけれども、微熱とか悪寒だけで、「なんか体調変だなあ。風邪気味かも」ぐらいにしていたら、すぐにアナフィラキシー症状になりまして。

谷田:それ何かきっかけがあったんですか?

石川:昼休みに…、あの、仕事してて、昼休みにごはん食べたあとに、なんか喉が、気管が閉まっちゃう感じ。「あ、やばい。これ呼吸できなくなる」っていうのは、私は前にアナフィラキシーショックでショック症状になって入院したことがあるので、そのときに、

谷田:え、そうなんですか?

石川:「やばい」と思って。「やばい、これまた喉くっついちゃう」と思ってですね、職場の数軒となりの最寄りの内科に駆け込んだんですね。それでアナフィラキシーの対応をしていただいて。えっと「抗アレルギー剤とか1週間出しますので」って言って、1週間出してもらって。1週間後に熱も微熱がまたちょっと上がってたり、アレルギー症状もますます、なんていうんですか、じんましんだったりいろんなものが起き始めて、むしろ悪くなってたんですよ、症状が。で、「あれ? もしかしたらこれ慢性疲労症候群かもしれない」ってすぐそのときに言われたんですね、先生に(笑)。

谷田:すごい。すごいですね、じゃあ診断早かったですね。

石川:はい。でも慢性疲労症候群って6か月症状が継続してるっていうのが基準なので、ま、その可能性があるっていうことで、まずは甲状腺のホルモンだったり、いろんな女性ホルモンだったり、そういう鑑別をしつつ、その補中益気湯(ほちゅうえっきとう)とかビタミンCとかそういう慢性疲労症候群の基本の薬はすぐに出されて、「これで様子みて」っていう感じで。人参養栄湯とかね。それで様子みたんですけど、どんどんどんどん悪くなるんですよ。で、仕事中も座ってられなくて。で、あの、1時間、2時間だけ出勤して帰るみたいな。大事なとこだけ、自分が担当してるすごく大事なところだけチェック…、やって、あとは帰るとかして。で、あの、「これ風邪かもしれないし」と思って、私、「そんな6か月なんか続くはずないし、続いても困るし」と思って。まあ話半分くらい、「うん、そうかもしれないんだー」と思いながらも、「ちょっとこれ休んでみよう」と思って、土日みっちり休むことに専念して。でも熱も下がらないし悪寒もするし、インフルエンザっぽくて、「じゃあ月曜日も休んでみよう」って、休んでも何も変らないんですよ。うん。で、「おかしいな、どうしよう」と思って。で、毎日職場に電話して、「ちょっと体調悪くて」って電話するのがめちゃプレッシャーで。怪しいじゃないですか、なんか(笑)。[00:05:01]

谷田:なかなかうまく伝えられないですよね。難しい症状だから。そのときの症状って、前におっしゃってたような、ビルから落ちたときのような、

石川:うーんとね、そこまでいってない。とにかくインフルエンザの初日、二日目の症状がすごくて。あと喉が痛かったり、

谷田:なんか全身痛、関節痛とか?

石川:関節痛とか。まさにインフルエンザ以外の何ものでもないんですけど。熱はね、37度台からだんだんだんだんこう上がってって、まあ37度後半で、8度近い感じになっていって。もう駅まで歩くもできないし、階段も無理だし、という感じでした。

谷田:それ、何か思いあたる原因ってありますか?

石川:ないですね。そのアナフィラキシーになったのがもしそうだとしたら。

谷田:でもそのアナフィラキシーなる原因物質とかって?

石川:あ、とくに。そのとき食べた食事かなと思ったんですけれども、食物のアレルギー検査は全部陰性だったんですよ。うん。もともと食物アレルギーもないですし。添加物とハウスダストと薬のアレルギーはあったんですけど。なので、「とにかく休んで体早く戻さないと。っていうか、これ何なの?」って、「いったい?」って思って(笑)。
 まずは私、腎臓の指定難病もあるんですね。で、腎臓科に相談にまず行って、「今こういう状態で、慢性疲労症候群の疑いで、今、薬飲んでるんですけれども、腎臓が原因の可能性あるでしょうか?」っていうふうに相談に行って。そしたら「あ、腎臓関係ない」って言われて。で、私その腎臓でっていうか、あの、けっこう仕事がハードだったりして、ちょっと無理がたたって若い頃に何回か入院してるんですよ、急性腎炎になったり。で、3か月ぐらい不明熱が続いたこともあったんですね、その急性腎炎以降、ま、40度近い熱が出て、入院して。

谷田:それ、おいくつぐらいのときですか?

石川:23とかかなあ。20代はね、3、4回入院してるんですよ(笑)。

谷田:それでですか? 腎臓で?

石川:えーと、腎臓と、あとアナフィラキシーショックとか。アナフィラキシーショックでも、もう死に…、死ぬとこ…、ショック死寸前だったので、3日ぐらい入院したかな。

谷田:そのときは原因は何だったんですか?

石川:あ、薬です。いつも飲んでる市販の頭痛薬。別に薬を多く飲んだわけでもないし。急になったんですよ。ごはん食べてなかったんですよね。「空腹時に飲んだからかなあ」ってちょっと思ったりしてましたけど、そんなのでね、アナフィラキシーショックにしょっちゅうなってたら大変、うん。だからそれはそれで。
 あとはでも、子ども、赤ちゃんのときも、注射、足に、赤ちゃんのときって足に注射するじゃないですか、熱出したりすると。その注射したものが体に回んなくてそこで固まって、その固まった肉をえぐる手術したことあるんですよ(笑)。

谷田:あー。

石川:だからたぶんね、薬アレルギーだと思う、赤ちゃんのときから。もう生まれたときから、顔拭いても何しても全部赤くなっちゃって。あの、肌弱いっていうか、なんだろうね。[00:10:02]

谷田:じゃあやっぱりちょっと化学物質に弱いっていうところが?

石川:あ、あの化学物質っていうのは、食品添加物で時々。で、全身にめちゃくちゃすごいじんましん出るっていうのは、子どもときから何回か経験していて。

谷田:なんか薬とかも人工的なものだからかな? って思ったんですけど。

石川:薬飲む機会そんなになかったですからね。うん。なので、まずはそこで「腎臓に原因はないよ」っていうことで。で、「慢性疲労症候群の疑いって言われてるんですけども」って言ったら、まあ「いろんなこと言う医者いるけど、あんま気にしないほうがいいよ」って言われて(笑)。「だけど先生、私、不明熱で3か月、37度5分以下に下がらなくって、ずっと入院してたことあるんですけど。1か月以上かな、急性腎炎のあとに。でもそのときみたいに微熱だけじゃなくて、もう日常生活できないんですよ」って、「仕事にも行けないし、家での日常生活もできなくて、ただの不明熱じゃないんです」って言ったんですね。「座ってもられないし、生活できません」って言ったら、「じゃあ総合診療科で全面的に全角度から調べてもらったほうがいいな」って言って、そこに回してくださったんですよ、同じ大学病院の。

谷田:あ、それはよかったですね。

石川:で私、腎臓が、そんなに悪くないんですけどまあ腎臓病なので、あんまり激しい運動とか激しい労働とかしちゃだめって言われてるのに、「先生、スポーツクラブに行きたいんです」って、スポーツクラブに「行っちゃだめ」って言われたのに、「散歩程度」って言われてるのに、「ヨガとかそういうのしかやらないから、スポーツクラブ行きます」ってスポーツクラブ行ったり(笑)。そんな感じだったので、そんなこう、なんだろう、「寝てたい人じゃない」っていうのは先生もわかってて。なので、「そのときとは全然違うんです。生活できません」って言って総合診療科に回していただいて。でその総合診療科に、えっと当時インターネットで慢性疲労症候群の、もう説明するのもちょっとしんどかったので、慢性疲労症候群の厚生労働省の研究班のホームページの診断基準を印刷したものを持って行って、「この疑いと言われてるので検査してください」って言って。
 「あ、確かに…」(00:12:59)、「その病名初めて聞いたけど、これ読むと確かに症状合致するし、じゃあほかの病気ないか調べてみましょう」って言って、いろんな検査しましたね、はい。あの、心筋炎の検査から、MRIとかCTとか、もういろんな検査して、もちろん血液検査もそうですし。それでもどうしても異常がなくて、「やっぱり慢性疲労症候群の疑いということになるね」っていう感じで。で、その間(かん)もずっと、あの同じ慢性疲労症候群の治療の薬はずっと飲んでたんです、補中益気湯とビタミンCと。
 で、その期間に、研究と診療拠点の大阪市立大学病院が、症状が6か月継続して診断基準を満たしたときに専門外来の予約が取れるっていう仕組みだったんですね、当時。

谷田:あ、そうなんだ。

石川:はい。で、この病気のことを調べようと思って図書館に行っても、本は古い情報の、90年代とかのあの、「慢性疲労症候群は第二のエイズ」とか「心の問題」みたいな本しか置いてなくて、なんかちょっと違うなと思い(00:14:20)。で、いろいろ情報検索したら、3年前の読売新聞の記事が見つかって。2006年の。で、その読売新聞の記事に、診療している病院リストがいくつか載ってたんですよ。で私、当時東京に住んでいたので、東京の病院が3つ4つあったので電話してみたんですけれども、もう退職なさってたり、「定年退職しました」とかそういうのが多くて。あとはこう、自由診療のところはもう避けたんですね。[00:15:05]

谷田:けっこうありますよね。

石川:うん。「そんなお金もないし」と、「そういうので治る気もしない」と思って。で、あの、あとは精神科で診てるっていうところもあって。でも総合診療科、そのかかってる大学病院の総合診療科で、「先生、私自覚がないんですけれども精神面からきてるかもしれないので、先生が必要だと思ったら遠慮なく精神科にも回してください」って言ったんですよ。そしたら「あなた必要なさそう」って言って、そのときは回されなかったので。精神面から治療してる病院と、自由診療と、その退職しちゃった病院、もう先生がおられない病院しかなくて。であとは大阪にその研究の拠点がどうやらあるっていうことがわかって。で、そこにも病院リスト載ってたんですけど、やっぱり近くにはなくて。「え、東京に住んでるのに、なんで大阪まで行かなきゃいけないの」って思ったんですけど(笑)、でも「行くしかない」と思って。
 で、えっと、そこが一番、あの、本格的に検査や治療ができるんだなという感じだったので。そこは個人で予約が取れないシステムだったんですよ。6か月症状が続いたというのを医師が確認して、その医療機関からしか予約取れないっていうシステムだったので、半年間検査を継続…、検査を繰り返しながら、えー、やっぱ半年間経ってしまって、そこで大阪に予約を入れて。そしたら最短で5か月後でして。予約が、5か月先までうまっていて。でもうすでに私、貯金使い果たしちゃってたんですよ。なのでもうその予約が入っ…、がもう取って、もう東京にいる意味もうないし。生活を維持、全然できなくっていたので、

谷田:そのときはなんとか一人暮らししてたわけですよね?

石川:してました。もうほとんど家から出てない。食料調達するのに、あの、たまにコンビニとかに行くぐらいで。でも歩けないから自転車で行って。まあそのスーパーの中とかはカート押すから楽なんですよね、まだ。うん。で、歩けないし、何なのこれ? っていうことで。で、あの一回あの、その半年間検査しながら経過観察っていうかしてるときに、「この補中益気湯とビタミンC、一回やめてみようか。効いてるかどうかわからないのに飲んでてもだめだし」っていってやめたらですね、1週間ぐらいはとくに変わりなかったんですよ。まあ37度5分の熱だったんですけど、毎日。でも次の週から、薬をやめた次の週から38度になっちゃったんですよ。で38度が続いて、もう苦しくて苦しくて。また病院に行って、「その薬やめたら38度から下がらないので、もう一回飲みたいです」って飲んだら、また1週間ぐらい服薬すると37度5分に落ち着いたので、

谷田:やっぱり効いてるのは効いてる。

石川:「効いてるんだね」ってことで、やっぱりそれは続けていたんですよ。もうそれ飲まないと38度なんですよ、毎日。きつかったです。家にある自分が持ってる貴金属とか本とかCDとか、売れるものは全部売り払って。あー、でも、最初はしばらくは、家族にも心配かけるので言わなくて。でも、「もう家賃払えない」ってなって(笑)、家族に打ち明けました。[00:20:09]

谷田:ちょっと糖分、途中で補給したりしてますけど、気にしないでください。

石川:どうぞ、どうぞ。うん。

谷田:なるほど。それで大阪に5か月後に行かれたわけですか?

石川:そうですね。その前に一回、東京の漢方の病院に行ったんですけど。そこでもあの、えーと、それが2010年の2月ぐらいかな。そこもやっぱり5か月待ちだか、4か月待ちだか5か月待ちで。で、漢方か、漢方の、漢方診療で慢性疲労症候群を研究・治療してる先生だったんですね。で、その先生が「よく来たね」って、「ここまで来るの大変だったでしょう」って言って。でいろいろチェックして、「あ、あなたは間違いなく慢性疲労症候群だと僕が診断します」と。「だけど僕、来月で退職なんだよ」。

谷田:なんと!

石川:「次の診察予約入れられないから」って言って、「でも君は治るんじゃないかなと僕は思うよ」って、「希望失わないでね」みたいな感じで言われたんですよ。で、たぶん早期発見で早期治療で、精神疾患が併発してないと治る率が高いからかなあと思ったんですけど。そのときももうすでに、もう、あ、そうですね、その…、うん、歩けないし、もうめまいがひどくて、目つぶって歩かなきゃいけないぐらいで。で東京の病院に行ったあと映画でも観に行こうかなと思ったんですけど、それだったら別に、なんだろう、そんなに体に負担かかんないし、もう1年ぐらい映画を観てないしって思ったんだけど、そんなどころじゃなくて。それで親戚の家で寝込んでました(笑)。で結局やっぱり大阪に行かねばならなくなって。で、その2010年の5月に、

谷田:じゃあ1年経ってたんですね?

石川:4月か、4月か。6か月待ち、6か月待って5か月だから、4月ですね、に大阪に行きました。

谷田:倉恒先生でした?

石川:そうですね、初診は中富先生がされていて。はい。いっぱい検査して、2か月ぐらいその、確定診断するのにかかりました。いろんな検査して、精神科も受診して。はい。で、その初めて行ったときも、私の関西に住んでる友人が、「久しぶりに会えるね。10年近く会ってないね」って言って、二人でごはん食べたりちょっとお茶したりしようと思って、そのときに私の通院に合わせて友だちが出て来てくれてたんですよ。ですけど、そんなこと何にもできなくて、ベッドで…、私もうホテルのベッドから全然動けなかったんですね。それで、そのとき彼女の子、幼稚園の子ども連れて来てたんですけど、幼稚園の子どもも泣いちゃって。で、ホテルの部屋の中に敷物しいて、コンビニからごはん買ってきて、「ピクニック」って言ってごまかしてました(笑)。で、せっかく外泊できて、まあ主婦なんで、友だちがね。「せっかく真紀と何年ぶりかに会えて、自分も家から外泊するなんて何年振りで楽しみにしてたのに、なんでさ、ホテルの中でコンビニのごはん食わなきゃいけないの〜」って(笑)。「ごめーん」って言いながら、「私も、もうちょっと大丈夫だと思ったんだけど」って言って。病院もほんとホテルから、ホテルの近く、あ、病院の近くのホテルに泊まったんだけども、そこからも歩けなくて全部タクシー、近距離で***(00:24:57)タクシーで行って。で薬も取りに行けなくて、その友だちに薬取りに行ってもらって。ほんとにずっとベッドでしたね。なので「どうしよう」って思いました。[00:25:19]

谷田:そこから診断は2か月後についたんですか?

石川:そうですね、検査はいろいろして。2か月後だったかな、翌月か翌々月ですね。

谷田:で、治療はどんな感じになったんですか?

石川:あ、同じです。

谷田:じゃあビタミンCと補中益気湯。

石川:補中益気湯と、あとビタミンB12かな。神経…、神経を、なんていうんですか、保護するっていうか守るっていうか、神経痛とか関節痛のために。ビタミンB12だと思いますけど。

谷田:で、そこから東京の自宅は引き払われて。青森に帰られたのはいつでしたっけ?

石川:うーんと、2009年の11月です。

谷田:ああ、じゃそこからはもう自宅療養だったんですよね、ご実家で。

石川:そうですね。でもその家、実家に引き払う前も、もう身の回りのことができなくて、自活できてないので。とくに(00:26:36)夏になったらますます苦しくなったんですよ。外が暑いし、エアコンもあれだし。で、だんだんだんだんもうほんとに自分の面倒みれなくなって、で家族が、「しばらく実家で療養してみなさいよ」って言って、実家に1か月ぐらい、実家で世話になってましたけど、引き払う前も。

谷田:そうだったんですね。ご両親とかご家族の理解って、どうでした?

石川:あ、あの、うちは父親が、えーと、私が、あ、そうでしたね、うーんと、50歳で亡くなってるんですよ、病死していて。母と弟がいるんですけど。

谷田:あー、そう、そうでしたよね。

石川:はい。で母は、みんな病気に対しては理解はしてるつもりだったと思うんですけども、こんなに大変だと思ってなかったと思います。

谷田:じゃあまあ、ちょっと「しんどいんだな」とは思ってたけど、「こんなにひどいのか」って反応、

石川:***(00:28:19)ですから引き払う前も、ほんとに私「6か月続くわけないし、そんなことあっちゃ困る」と思ってたわけですよ。で実家に夏に、あまりにも東京も暑くって体も衰弱してしまったので、青森のちょっと涼しいところで体ちょっと楽になったんですけど。結局ベッド…、もうずっと寝続けてるわけですね。で母親が一回あの、私の部屋にバーンッて入ってきて、「何が気に入らなくて、ずっと部屋に閉じこもってるの!」って言ったんですよ。うん。でもそのときも私もう苦しくて、ずっとハアハア、息も絶え絶えに眠ってたから。いや、母はそんなに悪いと思ってなかったんですよね、たぶん。うん。高校生が…、高校終わって家出てるので、なんだろうね、中高生って思春期ってずっと自分の部屋に閉じこもって本読んだりね、いろいろやってるじゃないですか。そういう感じだと思ったのかもしれない。

谷田:しんどいから、寝込んでるんだって、

石川:その名残りがあったのかもしれないんですけど、私はずっと具合が悪くて熱がすごくて寝てるだけで、その24時間ほとんど寝…、なんだろうな、あんま起きれてなくて。それ言われたときに、「もう一人暮らしに戻りたい」と思いましたけど(笑)。

谷田:あー、そうなんですね。そのとき、

石川:そのときに私は体調が悪くて返事もできなくて、眠ってたのを起こされて目を開けるのがやっとで、またすぐ閉じたんですね。母親は、「はっ」て、「あ、あれ? ずっと苦しんでるんだ」って顔してました。

谷田:でもそこからまあ、ずっと療養されてたんですよね? 青森で。

石川:そうです。[00:30:14]

谷田:で、障害年金とか障害者手帳とかはどうやって取得されたんですか?

石川:障害年金はあの、それこそ私20代のときにいろいろ入院してるし、生命保険って個人で加入する民間の生命保険にも入ってたんですよ。けど「全部該当しないよね」って、「どれも保険下りないよね、この病気じゃ」っていう感じで。「でもこんな状態で何にもないなんて、おかしくない?」と思って、いろいろ調べんたんですよね。そしたら慢性疲労症候群で障害年金を受けてるっていうかたのブログがあって。「あ、なるほど、それだったら該当するな」と思っていろいろ調べてみて。それであの、うーんと、1年半で固定だったかな? あれ? 違いましたっけ?

谷田:いや、よくわからないんですよ、仕組みが。

石川:傷病手当って何年でしたっけ?

谷田:手当?

石川:傷病手当。

谷田:あ、傷病手当、あ、それってなんか会社によるんじゃないんですか?

石川:え、そうだっけ? たしかね、症状がその固定すると認めるのが、たしか1年半***(00:32:08)続いたら、障害年金、障害と認める、の状態になるっていう感じだった気がする。で、あの、年金事務所に手続きをしに行ったら、「慢性疲労症候群っていう病気はね、という病名は障害年金の対象じゃありません」って言われて、で、「そんなはずはありません」って言って。その申請の用紙をもらうのに1時間かかりました。

谷田:どうやって説得したんですか?

石川:あ、資料もいくつか持ってったし、まあでも結局1時間で根負けしたっていうだけですよ、たぶん。説得…、納得してなかったと思いますよ。なぜならその、まずは初診証明っていって、病気がいつ初診かっていう証明の紙をまずもらうんですよ。でそれを1時間ねばってやっともらって。でその、そこに、年金事務所に出かけて行っただけで1週間寝込んだわけですよ。「腹立つなあ」と思いましたけど(笑)。で、それで初診の診断書をもらって、また持って行って。今度は現在の、あの、現在の病状のその意見書をもらわなくちゃいけなくて、その用紙をもらうのにまた1時間ですよ、「対象外だ」って言って。で、またその1時間ねばって(笑)。また書いてもらって、でもうこれで書類はそろったので、また出しに行ったら、またそこでも1時間ぐらいなもんで、行くたびに。

谷田:あー、しんどいですね。

石川:そうですね。けっこうちょっともめましたよ、最後の最後には。「この書類とこの書類とこの書類をそろえてくるように」って、あの、用紙を渡されたんですよ、「これとこれとこれ用意して」って丸つけられて。でその、持って行ったら、「これいらないよ」って言われて。たとえば市役所から戸籍謄本とかなんか、いろんなもの持ってこなきゃいけないみたいな感じで、住民票だとか。で「いらないよ」って言われて、「だったらこれにかかったお金返してください」って言ったの。そしたら「返せない」って言われて。「なんであなたたちの間違いを私が出費しなきゃいけないんですか?」って言って(笑)。[00:35:15]

谷田:確かに、確かに。

石川:そうじゃなくても1時間ずつ理不尽な交渉して、こっちもすごい具合悪くなっちゃってるのに。それで、「あ、じゃあ、らちあかないんで、上の人出してください」って言って。そう。

谷田:なんか水際作戦みたいな感じですね、聞いてると。

石川:そうですね。で、そのあとも脅しみたいな電話がきて、あとで。「こっちはね、お役所だからそういうことできないのよ」って言われたんですよね、なんか。で話が全然かみ…、「だったら東京の本部に言うわよ」みたいなこと言われて、「いや、まだ言ってないんですか? 早く言ってくださいよ」って、「その結果待ってたのに」って言って。

谷田:すごい。

石川:こっち電話で話すのももうしんどいわけですよ、熱も高いし。でそれで、なんか「お役所だからどうのこうの」とか言われて、らちあかないなと思って、もうこっちもしんどくなって電話切ったんですけど。そのあと私がちょっと新聞の取材を受けて、新聞におっきく載っちゃったんですよね、写真付きで。そしたら年金事務所から電話がきて、あの、態度が急変して「謝罪に伺いたい」と。

谷田:すごいですね。

石川:(笑) 「え、謝罪に来るには交通費とかいろいろかかりますよね。そちらの間違いで私が負担した何百円は返せないけど、それは出るんですか?」と言ったんですよ。「それは経費として出るわけですか?」って。で、「私、対応する体力も時間も使いたくないので、来ないでください」って(笑)。「なんで急に謝罪しにくるんですか?」って、「新聞見ました」って、「あ、新聞に出たら謝罪に来るんですか?」って。

谷田:へえー。その新聞にはじゃあその、「ちょっと障害年金取得で苦労した」っていう話を書いてくれたんですか?

石川:書いてなかったと思うけど。うん、そうなんです、思いのほか大きく出ちゃって。私もちょっと、「あー、覚悟してたけど、うー」っと思って。

谷田:あ、そうなんですか? ちょっとやっぱり、

石川:いや、私出るつもりなくって、最初。地元の新聞にその、えーと、私は東京ですんなり診断ついて、専門外来にも行けてたわけですよ。ですけど、青森の病院ではどこからも診療断られて、大変な苦労をしたんですね。「ていうことは、青森県民にも絶対この病気の患者さんいるのに、じゃあどうしてるんだろう?」っていうのがすごい心配になったんですよ。でも私はもう青森県内で対応してもらえなくても、大阪の専門外来に行けばいいんだけど、「じゃあ青森にずっと住んでいる人はどうするの?」っていうのがすごく心配になって、地域の新聞にこの病気の情報を載せてもらえば、ありがたいなと思って。病気の連載みたいなコーナーがあったので、そこに慢性疲労症候群を取り上げてくださ…、ほしいですっていうリクエスト電話をしたのかな。そしたら、「あ、それはですね、自分たちの取材じゃないんで」っていう、まあ共同通信とかの配信の記事なんで、自分たちで決められるものじゃないんですよ(00:39:22)って言われて。で、「ちょっとその病気について取材したいんですけど、いいですか?」って言われて。「ああ、わかりました」って言って。
 ちょっと息が苦しくなってきました。

谷田:あ、ちょっと休みましょうか?

石川:そう、

谷田:休みましょうか?

石川:そう、それで…、なんか早くしゃべんないと忘れちゃうし、頭がね、かといってしゃべると、

谷田:もうちょっと1時間、ちょっと…、

石川:消耗しちゃうしっていう(笑)。

谷田:1時間かかってるんで。

石川:もう1時間いってるんだな。

谷田:いってますね、ほぼ。どうします? ちょっと、

石川:大丈夫、このままいって、

谷田:いきます?

石川:うん、いきます。
 で、それでその、うーんと、自分が載るんじゃなくて、病気のことを取材に来てるんだなって、病気のことを調べて病気のことを載せてくれるんだなと思ったんですけど、「写真撮っていいですか?」って言ったときに、「あれ?」[00:40:13]

谷田:それはもう石川さんがメインですよ、もちろん(笑)。

石川:「私が出るの?」って思って(笑)。

谷田:もちろん、新聞ってそういうもの(笑)。

石川:そうそうそうそう。私はその、そっからなんか専門医とかに取材してくれて、その病気の情報出るだけだと思ったら、私が出るっていう企画だったんだーと思って、「あ、あ、はい」って言って(笑)。なんか何にも、化粧ももちろんしてないし、服も、あのね、写真撮られてる用意も何にもしてなかったんですけど、不本意なかたちで写真、「あ、わかりました」って言って(笑)。

谷田:でも、え? それで掲載されて…、石川さん、活動されてるじゃないですか、今

石川:今はね。

谷田:はい、患者会の。それ、やっぱきっかけがあったわけですか?

石川:そういうことをするきっかけになったのは、やっぱりその記事の反響もすごかったんですよね、わりと。

谷田:そこ、あるでしょうね。

石川:うん。で、新聞社宛にお手紙がきたり、あとは私の家にもまあ知り合いからいろいろ電話きたり、記事を見たっていうので、はい。

谷田:それってあれですか? 全国紙ですか?

石川:いえ、地方紙です。

谷田:ああ、でも地方紙だからこそやっぱり地元からいっぱい来るんでしょうね。

石川:東奥日報っていう地方紙です。

谷田:なるほど。それがきっかけ、一つのまあ反響を受けて、

石川:そうですね。それで、ちょっと時系列、ちょっとチェックしたいな。ああ、時系列印刷しとけばよかった。ていうか今この画面で、見れ…、うーん、えーと、そのあとで、そのとき私、「慢性疲労症候群をともに考える会」っていう患者会ができたのを知って、で一回入ったんですけど。で、それで患者が力を合わせて、この体制とかいろんなものを変えていけたらいいなって、その一員としてできることしようって、最初そういう感じだったんですよね。で、「地方議会に訴えよう」っていうアクションがあって。で私も青森市議会に、その慢性疲労症候群のことを、えーと、そのとき病気の、この病気に特化した研究班もなかったですし、それこそ診療拒否にだいぶあってたので、私は地元で。で、その状況を、それ、あ、そうですね、地元の医療相談、行政の医療相談とかに電話しても、「指定難病じゃないから」って言われて相談にも乗ってもらえなかったり。

谷田:え、そうなんですね。

石川:はい。もう、うん、とりあえず市議会に説明に行って、「こういう意見書を出したいんです」っていうことで話しに行ったんですよ。それ、年金事務所のやり取りしたあとかな。で、「年金事務所でもひどい扱いでしたよ」って言って。そしたら議員さんが、「じゃあ次行くとき同伴するよ」って言ってくれたんですよ。「あ、でももう終わりました」って(笑)、「もう終わったから大丈夫です」って言ったんですけど、「ああ、なんか議員さんってすごい親身だな」と思いました。話を熱心に聞いてくれて、「あ、これは取り組むべきだな」みたいな話だったし。で、それでもうみなさんが力になるっていう雰囲気で、「これは大事なことだね」っていう感じでした。で全部の会派、回ったんですよ私。[00:45:09]

谷田:すごい、でもやっぱ行動力ありますよね。

石川:***(00:45:17)市議会議員の控室の棟ってあるじゃないですか。

谷田:あります、部屋がありますよね、一つ一つ。

石川:そうそうそう、それ回るだけだから、1日に1か所か、うまくいけば2か所。で、また寝込んで。もう帰ったら玄関でぶっ倒れたりして、母親に「もうやめなさい」とか怒られたりしましたけど(笑)。救急車呼ぼうとされたりして、「あ、救急車呼ばれても何にもできないから、とにかくそっとして」って、「しばらくここで」、玄関でね、「しばらく寝てればまた動けるようになるから」って言って。うん。で「もうやめなさい」ってすごい母にも怒られてたんですけど。その、市議会に話しに行ったのが1月だったんですね、2011年かな。で2月に、なんと国会の代表質問で慢性疲労症候群取り上げられたんですよ。

谷田:それは石川さんの、あの、

石川:あ、結果的にそうだったんですね。そのときはあの、そのTwitter(ツイッター)とかSNS(エスエヌエス)でも「え! 国会で慢性疲労症候群取り上げられた」ってすごい騒ぎになって。まだそのときSNSでも慢性疲労症候群をカミングアウトしてる人がほとんどいなかったんですよ。うん。新聞に取り上げられることもあんまりなかったし。なのですごい騒ぎになって。で、「ああ、よかった。なんか知らないけどよかった」と思ったら、あとで電話がきて、「あなたが訴えにきた慢性疲労症候群のことを…、あの、国会で取り上げたので、それについて報告したいので来てください」って言われて、「えっ」、びっくりして。うん。そしたら母も、「もうやめなさい」って「あんた一人がここでこんなことしててどうするの」って「とにかく悪化するからやめなさい」って言われてたんですけど、「あ、こんな片田舎のね、一人の女性が訴えたのが国会で取り上げられるなんていうこともあるんだね」って言って、あの、うん、そこは母もびっくりしていて。

谷田:すごいですね、でもやっぱ行動、その後すぐに行動してくれるものなんですね。

石川:あ、そうですね、びっくりしました。うん。

谷田:でもやっぱそれが、そういうことがあって、動いたらものごとが進むっていうことがまあ、わかったわけですよね。

石川:そうですね、「変わる可能性あるな」と思いました。そのあとにあの、3月議会で、青森市議会でも全員一致で、全員賛成してくださって、青森市議会で慢性疲労症候群患者の支援が採択されて、国にその意見書を提出してもらえたっていう動きがあって。
 ですけどやっぱりこう、すごく私、症状重かったので熱も (00:48:40)大変だし、頭に時々もう花瓶とかでガーンて殴られたみたいな衝撃があったりして、「え、これ脳溢血じゃない?」と思ってこう頭の検査をしてもらったりして(笑)。でも異常出ないんですよ、脳神経内科で、CTしても。で、あの、ほんとに大阪の初診に行くまでに私、死んでるかもしれないと思ってました。

谷田:あ、それぐらいしんどかったんですか?

石川:うん。そのぐらい頭の痛みもすごかったですし、熱も苦しいし、うん。ほんとに慢性疲労症候群って病気なのかな? って自分でも、確信(00:49:42)できてたわけじゃないですし。で、私もこう自分の母がウイルス性脳炎で植物状態だったりしたのも見てるので。

谷田:あ、そっか。

石川:はい。

谷田:ウイルス性脳炎はなんで起きたんでしたっけ?

石川:風邪かなんかですね。

谷田:あ、じゃあ、植物状態になって、[00:50:06]

石川:そうですね、人工呼吸器つけて、もう自分で息もなくて、呼吸も自発できなくて。

谷田:1か月でしたっけ? 2か月ぐらいでしたっけ?

石川:2か月近くですね。なので、うん。です。
 で、結局大阪で、専門外来でいろいろ研究用の検査を、特別な検査をしたりして、いろんな異常が目で見えて、まあ「慢性疲労症候群ですよ」というふうに確定診断を受けたんですけれども。結局外来がパンク (00:50:55)してるので、4、5か月先、4、5か月しないと次の予約取れないんですね、再診が。で、まあこっちも飛行機で行ってるので、ホテルも、あの、宿泊もしなくちゃいけないし、経済的も体力的にもちょっとつらいと、遠距離通院が。それでもう、あの、なん…、「こんなときどうしたらいいの?」っていうこと次々に起こるわけですね、症状とか。それこそ頭は鈍器で殴られたようなふうにもなるし、ほんとに「ビルから飛び降りたらこのぐらいの痛みだろうな」っていう体がバラバラになるような痛みだったり、その熱(00:51:43)もそうだし、痛みもすごいし。で、「これ地域でやっぱり診てもらえるところがないとやっていけないな」と思っていて。あとはその、同じ地域に住んでる同じ患者さんの人は診断つかないで、とても大変な状況にあるんじゃないかっていうその心配と両方でしたね。はい。その診療してもらう場所、体制を作るには、まずはあの、医療講演会とかなんかやんないとだめだなと思ったんですよ。で、それであの、私と私の親戚とか友人とか議員さんたちとかが手伝ってくれて、講演会開きました。

谷田:あ、それが患者会のスタートみたいな感じ?

石川:いや、全然そんな覚悟なんてできてなくて、体調が(00:52:52)すごい悪化するし、「一回こっきり」って思って毎回やって、それが何回か続いて。「これが最後で私ほんとに療養に専念します」って毎回言ってるんですよ。で、講演する…、できる体力も、もう病状も重すぎて。もうびっくりしましたよ、その、市議会に話しに行くときも、資料作るときに、A4の資料なんてそのぐらいだいたい1時間もかからずにね、30分ぐらいでぱぱっと作れるなっていう、頭でパソコンに、今までの自分だと。それでパソコンに向かっても、A4の資料1枚作るのに何日もかかるんですよ。「何これ?」って思って、「なんで私、資料作れなくなってるの?」 で、メールが来てもそれに返事するのもすごく大変だし、読み書きがもうすごい支障出ちゃっているので。はい。「運営するとか絶対無理」と思いました。ですけどそれを、何回かその講演会とかやってるうちに、やっぱり「一緒にやろう」っていうふうに言ってくれる人も出てきましたし。参加者もけっこう集まってくれていて、毎回。

谷田:それ、けっこう他県からも来た? [00:54:51]

石川:他県からも毎回来られます。

谷田:うん、そうですよね。

石川:はい。で、ほんとに情報ないんですよ。その、本屋にもなければ図書館にもなければもちろん、情報がとにかくないので。で社会の理解もないし、「まずはそこからやらなきゃいけないな」っていうことでやったんですけど。結局その、私が最初入ったその患者会の方向性にも違和感があったので、そこはやめて。うん、けっこう一緒に入ったその仲間たちも、けっこうみんなやめてって。で、あの、あるときその、カナダかな? 慢性疲労症候群の世界啓発デーってイベントで、カナダのナイアガラの滝をブルーライトアップするっていうニュースがあったんですよ、2013年に。で、「それ日本でもやろう」っていうふうにこう話があって、で、2014年に青森でやったんですよ。私と私の友人や親戚や議員さんとか、そのときは行政もバックアップしてくださって。市長も挨拶に来てくれて。

谷田:へえ、すごい。

石川:はい。でテレビの、テレビも、青森にあるテレビ局全部来てくれて、特集も組まれたし。新聞社もほぼ全部の、全国紙も地方新聞も全部ほぼ来てくれて、10何社。全部で10社以上、たぶん取材がね。死んじゃうと思いました(笑)。うん。ありがたいことでしたけどね。そのとき、まあやっぱり県外から手伝いに来てくれる患者さんもいたり。あの、その、講演会必ずセットにしてるので、うん、それを聞きにやっぱり県外から来てくれる同じ病気の患者さんとか。あとそれをツイキャスで生放送したんですよ、ライブ中継したんですね、そのイベントの様子を、あの、患者さんがやってくれたんですよ。それがすごい一体感で、めちゃ盛りあがったんです、インターネット上で。で、それはでも、もういつまでも個人ではやっていけないなと。

谷田:うん、組織にしないと。

石川:組織にしないとっていうことで、次の年から…、あ、その年の、その2014年に青森でライトアップをした年の11月に団体設立したんです(00:58:18)。でもやっぱりこう患者本人が活動の主体になるの、ほんっとに無理。無理に近いので、

谷田:なんか障害じゃなくて、これ病気はそうですよね、こう痛いし、もうとくにこの、

石川:それもそうですし。あの、連絡も、私そのころほんとに電話とかも3分ぐらいが限界だったりして。で息がもう続かないんですよ、しゃべるのにも。で座ってられないし。あの、報告書とか、実施報告書とか作るのにも何か月もかかってしまって。もう、あ、思考すると頭の痛みすごかったんですよ。なのでその、今私たちは患者会ではなくて支援団体というふうにしてんですよ。はい。患者は最初は、えーと賛助会員になって、えっと、当事者じゃなくて、支援者を正会員にして。その活動の主体になったらみんな悪化しちゃうし、自分はその苦しい思いをしてるんですけれども、それ同じことを同じ患者さんにさせるわけにはいかないなっていう気持ちもあったし。ですけどやっぱり熱心なのは、当事者なんですよ。

谷田:え?

石川:熱心なのはね、活動に情熱すごい傾けられるのって当事者と家族、やっぱり。

谷田:ああ、なるほど。きっとそうですよね、一番、問題を本当に問題だと感じて、[01:00:12]

石川:うん、なので途中からはそういうのはあの、両方、患者、家族もみんなあの…、あ、家族は最初から正会員か、あの、えっと当事者も正会員として一緒に、体調みながらね、無理ない範囲で、みんな正会員としてしましょうっていうことで。あとはその、社会から孤立してるかた多いんですよ。「社会参加になってうれしい」っていう声もあったんですね。

谷田:なるほどなあ。

石川:でも社会との接点がなかったり、家族から孤立してるかたも少なくないですし。で、あの、いろいろこう勉強会とか交流会とか開くと、最初はみんなこう硬い顔してたかたでも、帰るときみんなすごい笑顔になって帰っていかれるんですね。それだけ、なんていうかあの、同じ病気抱えた人がそこでしか話せない話、同じ病気だからわかってもらえることとか、その、もうまわりと違いすぎてしゃべったって通じないなあっていうことをみなさん経験してるので、同じ病気の人たちだと「ああ、わかるわかる」っていうのいろいろあったり、「そういうとき、こうしたらいいよ」っていう、こうみんなで知恵を共有したり、そういう場はとっても大切だなっていうことで。うん。

谷田:けっこう石川さんっていろんなかたたちを巻き込むのが上手だなと思ってて。どうやって?

石川:いえ、あんまりそういう自覚はないですけど(笑)、でも時々言われるんですけど。うん、まあ協力してくださってるかた、

谷田:石川さんの中で、「あ、この人」って思ったかたをこう引き込まれるのかなって。

石川:あ、そんなことないですよ。その、こうイベントとか交流会に来てくださったかたが、「あ、自分もできることあったら力になります」みたいな感じで参加してくださってる感じで。

谷田:あ、なるほど、そういう感じで広がっていったんですね。

石川:そうですね。うんうん。「なんで大変なのに手伝ってくれてるの?」って聞くと、「楽しい」って言いますよ。うん、大変だけど、その、たとえば当事者じゃないかたですよ、「やっぱり関わるの大変だけど、会社と家の往復よりも、すごい充実感ある」って、「こういう手伝いしてると」。達成感もあるし、みんなが喜んでくれる、当事者の人とかがね。だから「楽しい」って言ってくれたりもします。楽しくないと続かないですからね。

谷田:そうですよね、確かに。石川さんはずっとその体調不良続いてて、その体調の波っていうのはあるんですか? やっぱり最初のころのほうがしんどかったですか?

石川:あー、最初のころのほうがしんどい部分と、今のほうがしんどい部分とあって。

谷田:どういうことですか?

石川:熱はですね、今は37度前半なので、***(01:04:17)非常に楽になりました。その37度5分から8度のあいだ維持してたときは、もう冬でも1年中アイスノン離せなかったし。【すぐとけたので】(01:04:30)、目が覚めるときはアイスノンがとけたときぐらいか、尿意があるときぐらいで、あとはもうずーっとほんとにうなされて寝てましたよ。うん。で、読むことも見ることもできなかったし、難しくて、三行字を読むだけでもう脂汗だらだら出て、めまいぐらぐらしちゃって。そのときよりは今ましなんですよ、読み書きもまだ。

谷田:そうなんですね。逆にしんどいとこって何なんですか? [01:05:10]

石川:うーん、耐久力。

谷田:耐久力、へえー。耐久力って?

石川:耐久力、その、衰弱度っていうか(笑)。

谷田:あ、衰弱度か。まあちょっとがんの手術もされましたもんね。

石川:そうですね。がんの手術したときは体はきつかったですけど、頭は楽でしたよ。

谷田:ほんとですか?

石川:頭重感っていうか、頭を…、がんの手術のときに、もうメンタルはすごいきました、でも。メンタルもきたけど、その手術後も熱ずっと続いてたんですよ私。また高くなっちゃったんです。手術後、で、ずっと寝込んでて、あの、パソコン作業もしないで。そのとき会の運営からも手術の前後は外させてもらっていたので、パソコン作業もしないで頭も休めてたので、腕の、いつもの腕の激痛もちょっと軽くなったし、パソコン作業しないぶん。あとはいろんなこといつも考えなきゃいけないので、運営してるとき。それも頭が休まったので、頭重感は軽くなりましたね。なので、「今までどれだけ負担かかってたのかな」っていうのをすごく痛感したし、「あ、このままもう」、すごいその体のつらさ、やっぱり何にもしないと楽なので、症状が、多少は。「あ、この状態を維持しなきゃいけないな、本来」って思いました。

谷田:今、一番しんどい症状、なんかナンバースリーぐらいで教えてもらいたいんですけど。

石川:うーん。そのブレインフォグと、頭の重さとか、頭重感とか、めまいとか、そういう頭に関することが一番つらくて。あとは座ってられない、座位を保持、維持できないことと。あとは腕の痛みだな、一番痛いのは。

谷田:どんな感じなんですか? 腕の痛みって。

石川:どんな感じ?

谷田:うん、常に痛い感じですか? 何もしなくても。

石川:そうですね、痛みどめずっと塗ってますよ。

谷田:ああ、もうじゃあかなり。

石川:消炎鎮痛剤塗ってても痛くて痛くて目が覚めるときもあるし、もう腕もごりっごりなんですよ。肩こりみたいにごりごり盛り上がって。

谷田:なんかあの、ズキズキする感じですか?

石川:ズキズキもするし、焼けるようでもあるし。

谷田:大変ですね。

石川:大変、そうです。だから今まだこうやってしゃべれるようになったので、コミュニケーションちょっと取れてますけど、キーボード打つのとかも、やっぱこうテキスト打つのが(01:09:10)しんどいんですね。【物も持てない】(01:09:13)わけですよ。よく物を落とすんです、いっぱい家でもね。

谷田:脱力ですか?

石川:そうです、脱力、筋力もなくなってて。前はだからハサミも使えなかったんですよ。ハサミ持つけど動かせない。箸持てるけど、箸を動かせない。うん。

谷田:この病気ってすごくしんどいですよね。

石川:そうですね。

谷田:でなんかその、毎日1時間でもいいけど大丈夫なときがあったら、たぶんまた全然違うんだけどずっとしんどいじゃないですか、常に。で、そんな中で何を希望に思って生きてるのかな? って。[01:09:55]

石川:やっぱりね、あの、収入がないことがすごく、障害年金があるといっても働いてたときのよりくらべたら、めっちゃ低い額なわけですよ。で、生活ぎりぎりっていうか、生活保護以下の金額なので。その、みじめではあるんですけど。あの、最初の診断つく前の6か月間検査繰り返してたときは、「家賃払えない、どうしよう」っていう、「検査代どうしよう」とか、その「もう貯金なくなっちゃって」っていうときの経済的な、

谷田:切迫感

石川:うん、それに比べたらましですけど。その、よく夢に見てました、何年も。あのときの「家賃どうしよう」っていう夢を何年も見てました。5年以上見てたんじゃないかな。なんか歯が全部抜けて、口の中に歯がじゃりじゃりしてる夢とかね、体調悪いときとか。

谷田:ああ、歯やられますね。

石川:そうですね、だからその家賃の心配が今いらないのはまあいい…、なんというか、まあいい、幸せといえば幸せですけど。

谷田:でもあれですよね、なんか生活保護よりも低いってなんか不思議だなと思って。病気のほうがお金かかるだろうになあ、とか思っちゃうんですけどね。

石川:「【ちょっと】(01:11:50)なんで?」って思うんだけど。「もうちょっと額上がってもいいんじゃない?」と思いますけどね。

谷田:体がなんとかなるなら、なんとかなるんじゃないかって思うところはあります。

石川:そうです。最初、私も「体が動かないんだったら、家で寝ながらでも文章の仕事はできる」と思ったんですよ、私。その、書く仕事もして(01:12:10)たし、番組の台本書いたり、そのライターだったり、そういうのできるなと思ったんだけど。まあ番組の台本は、もう何年もブランクがあるから無理だとしても、書く仕事をずっとしてきたので。あ、ここ、なんか入れたくないなあ(笑)。

谷田:あ、入れたくないんですか? えー。

石川:いや。入れたくないな。だからこう体が動かなくても、その書く仕事とか編集の仕事とかできるなと思って。最初の1年半は障害年金も何もなかったですし。で、その出版社時代の仕事仲間とかが、「あ、じゃあさ、フリーの編集の仕事とか回すからやってよ」って言われて。「え、あると助かる」なんて言ってたんですけど、「ちょっと私、読み書きできないみたい」って言って断って、「ごめんね、せっかく話くれたのに」って。ちょっと、だから頭も、体だけじゃなくてその頭脳労働ができないっていうのがとってもつらい。

谷田:つらいですよね、いやそれは。ほんとそうですよね。

石川:それって、そういう病気って、どちらかといえば少ないほうだと思うので、

谷田:そうなんだ。そうですよね、だってホーキング博士とかすごいですもんね(笑)。

石川:(笑) そうそう。体全然動かせないけど頭脳明晰っていう。それはそれで苦しいでしょうし、むしろ体も頭もどっちも、なんていうか冬眠状態だから、うん、耐えられるのかもしれないですけどね。

谷田:ああ、逆に?

石川:逆に。頭キレッキレで体動かなかったら、それはそれでつらいかもしれない。でも頭キレッキレだったら読み書きできるから読書もできるし、テレビも見れるし、映画も見れるし。そういうのできなかったんですよ。もう動体視力っていうんですか? テレビとかでもなんか動画が、動くのが目が追いつかなくて、目が回っちゃって、

谷田:うんうん。

石川:何年(01:14:40)も見れなかったですね。今、体調がいいときはちょっと見れますけど。

谷田:なんか石川さんって物が動いて見えたりはしませんか?

石川:それめまいじゃなく…、と違うんだよね?

谷田:めまいじゃないのかな。何かわからないんですけど、常に絵の中の、こういう絵の人物とかも動いて見えるんですけど(笑)。

石川:それは***(01:15:15)

谷田:これは何なんだろうって思うんですけど。[01:15:20]

石川:幻視なのかな?

谷田:わかんないんです。

石川:あ、全然それはない。めまいがとにかく激しかったので、空間認知もできなくて。市議会のその市議会棟とかに行くのも壁づたいに歩いてましたよ、目をつぶって。

谷田:すごい。

石川:だってもう、こんなぐねぐねして見れない…、倒れ…、ぶっ倒れちゃうもん。

谷田:なんか、でもすごいそれってすごいことですよね、壁づたいに歩くとか。

石川:目をつぶってね、しかも。目を開けると目回っちゃうから。ヘレン・ケラー気分でしたよ。

谷田:え?

石川:ヘレン・ケラーみたいな。なんかぐんにゃりしちゃって、もう天井もぐるぐるして、なんていうんですか、うん、目を開けたら終わり、倒れるって感じでした。傍から見たらあやしかったでしょうね(01:16:22)、

谷田:なんかこれまでやってきた治療で、なんか「これは効いた」っていう治療はありますか?

石川:まあ一時的ですけど、その、鍼灸は効きます。

谷田:うん、ですよね。

石川:でもそれはこう、ずっと維持はできないので。

谷田:まあ100パーセントになるわけでもないですしね。

石川:あとはrTMS(アールティーエムエス)っていう、脳出血の後遺症や、うつ病治療につかわれている反復経頭蓋磁気刺激 (01:17:10)がME/CFS治療にも効果があるか検証する研究に被験者として参加したんですが、ちょっとだけよくなりましたね。でもその効果はずっと維持できないので。

谷田:だったらまだ鍼灸のほうが、ですよね。

石川:ね、家にいたらね。

谷田:あ、夫?(笑)

石川:(笑) いえ、鍼灸師が家にいたら最高ですけど。

谷田:私も「あ、鍼灸師が家にいたらいい」って思って(笑)。「この体のしんどさ、ちょっとましになるかも」って(笑)、思いましたね。

石川:だから夢は、この夢っていうか希望っていうか、まあ今、新型コロナでそういうのがもう無理になったんですけ…、無理かもしれないんですけど、あの、一攫千金かなんかでお金があったら、300万円ぐらいあったら、クルーズで世界旅行するのが夢だったんですよ、世界一周。

谷田:あ、それは元気なときにですか?

石川:いや、今。

谷田:あ、今。あ、今の夢

石川:要は元気なときだったら、飛行機で行って、バーンって回って飛行機で帰ってくるんですけど、長時間座ってられないじゃないですか、私。でファーストクラスとか、ビジネスクラスでフラットにできたらいけると思うんですけど、エコノミーだったらたぶん無理なんですよ、座位保てないんで。しかも毎日外に出るっていうこともできないので、クルーズだったら、だいたい3日、4日船で移動して、ベッドに(01:19:09)いて、なんか港で1日だか半日だかちょっと外に出られて、そしてまた3日、4日船で移動なので、ずっと体寝てられるじゃないですか。「だったらいけんな」と、「いけるかも」なんて思って。

谷田:ああ、いいじゃないですか。

石川:楽しみにしてたんですけど。まあそういうお金ないですけどね、もちろん(笑)。ないんですけど。そういう夢はあります。

谷田:夢があるとちょっと励みになるんじゃないですか。

石川:まあでもちょっと、普通に暮らしてたら無理なんですけどね。何かしら展開がないと、その収入になるようになることが。

谷田:クラウドファンディングとか。 「慢性疲労症候群の私が世界を回る」って。[01:20:00]

石川:集まらなかったらショックじゃない?

谷田:集まらなかったら?

石川:うん。

谷田:確かにすぐには集まらないかもしれないけど。

石川:なので、そうですね。あとはここ2年ぐらいで、やっと患者の体験本だとか、その診療の手引きだったり、ちゃんとした本がやっとこの2年ぐらいで出始めたので、それはとても喜んでます。

谷田:石川さんにとって、社会がどうなればもうちょっと生きやすくなりますか?

石川:あのー、私、今、電動車いすで外出してるんですけど、まず行ける場所が少なかったり、

谷田:バリアフリーの関係?

石川:そうですね、そのバリアフリーの視点で。うん。で、外出のハードルがとても高いんですよ。今ここに暮らしてると。あとは車いすになる前も、もちろん歩行に、私もう罹患後すぐ歩行難しくなってるので、全然よくなってないんですよ。

谷田:車いすっていつから乗ってるんですか?

石川:えーっと電動車いすの…、あ、車いすはわりと、うーん、1年以内に車いすになったかな。もう病院のなか歩けなくなったし。その、すいてるときじゃないと、病院の待合室がすごいすいてるとね、恥を忍んで横になったりできましたけど、混んでたら座ってるしかなくてもう無理だったので。普通の車いす、障害者手帳を取得して、介護ヘルパーさんに外出介護してもらえるようになっても、普通の車いすに私、座ってられないから。10分ぐらいでもうベンチ探して寝なきゃいけないんですよ、外出先で。座位が難しいから。で、「ベンチ、ベンチ」ってヘルパーさんといつも探して、そこでしばらく横になって、またがんばって座る。「座る」って休憩のポジションだったんですね、前、元気なときは。「休憩する」イコール「座る」とかが休憩だったんですけど、「座る」はもうがんばんないといけないことになったので。うん。
 あとはやっぱり、報道の力がすごく、私は感謝してますよ。

谷田:へえー。そうですよね、最初のときからやっぱり、

石川:そうですね、自分もマスコミ出身ですし、マスコミの力っていうのは、私は、あの、

谷田:あらためて、

石川:うん、大事なものだと思ってますし。

谷田:なんか今、新聞全然読まれてないから、マスコミの力って言われると嬉しいですね。

石川:【新聞も】(01:23:29)購読してる人は少ないかもしれませんけれども、少なくなってるかもしれませんけど、インターネットでその部分部分読んでる人っていうのはたくさん【いるじゃない】(01:23:28)ですか? うん。それにあの、たとえば私が載った新聞記事を持ち歩いて、それで理解を得たっていうかたもいらっしゃるし、病気について。

谷田:確かにあのタクシーの運転手もそうでしたもんね、あの大阪の(笑)。

石川:そうそうそう。

谷田:そうですね。

石川:すごいうれしいことですよね。

谷田:確かに、うん、そうですね。

石川:「それで診断がつきました」とか、「家族が理解してくれました」とかそういう声も多いですし。やっぱり患者本人の訴えももちろん大事なんですけれども、その報道の力っていうのはまた違いますよね。信憑性が増すし。

谷田:そういうところありますよね、確かに。信頼性っていうか。[01:24:55]

石川:まあたまに誤報もあるでしょうけど。原則ね、事実検証して載せるわけですから、テレビの報道もそうですし。なので今、生きづらさっていうと、その、病気のことは私、最初から医療機関で門前払いされる以外は、されたり、「そんな病気ない」だとか「その病名の人、診たくない」だとかそういうこと言われたのはありますけど、自分の身のまわりの友人だとか家族はわりと理解ずっと最初っからしてくれ…、得られてるし。ただその「何でこんなこともできないの?」っていうのは、「こんなこともできないの?」っていう、そのギャップがだんだんだんだん、うん、なんか理解が少しずつ追いついてきてはいますけど、最初は「これができるんだったらあれもできるだろ」とか。

谷田:石川さんもマスコミっていう、ある種能力主義的な社会で生きてたわけじゃないですか。で、今それがまあできなくなってるなかで、どうやって自分をこう受け入れてきたんですか?

石川:うーん、あ、でも楽しい…、活動自体は苦しいですけど楽しんでやってますよ。あの、なんでしょうね、取材してくれた記者さんとプライベートでも仲良くしてることもあるし。うん。けっこうあの、やっぱり同じ畑の人の匂いがあるとかなんかわからないですけど(笑)、なんだろう。その記者さんたちとの出会いもすごく大事なものだったし。

谷田:そうなんですね。

石川:うん。だからもう、

谷田:なんか嬉しいです。

石川:そうなんですよ。みんなよくしてくださって。私が番組にほんとは出なきゃいけないはずだったのに、体調悪すぎて出られなかったときに、記者さんが代わりに出てしゃべってくれたこともあったし(笑)。「***(01:27:33)すごい、すいません」みたいな。まあ生放送だったので、それは延期できなかったんですよね。

谷田:そうなんですね。

石川:(笑) けっこうすごい楽しい出会いがいっぱいありました。

谷田:そっか。出会いだよね、出会い。

石川:あとは患者さんとの出会いもすごい楽しい。

谷田:いろんな出会いですよね、ほんとに。

石川:勉強になるし。あとはこの病気を診てくださってる先生がた。

谷田:うん、それも出会いですよね。

石川:うん。だから最初はですね、私この病気になったときに世界がぐっと狭まってしまった気がしたんですよ。外にも出ていけないし、テレビも見らんないし、勉強しようと思ってもできないし、本も読めないし。あの、囚人になった気がしました。刑務所の(01:28:36)。部屋から出られなくて、楽しむことを禁じられる独房でね。全然独房オーケーなんですけど。人がいると…、いないほうが、あの、体と頭が楽なんで、全然独房でいいんですけど。「ああ、独房かわってあげられる商売とかあればいいのにね」とか思いました(笑)。

谷田:(笑) 石川さん、最高。

石川:なんですけど、友だちとも会えなくなったし、その、自分が出かけられる体力もないし、世界がすごい狭まったと思ったんですけど、「いつの間にか世界、逆に広くなってない?」って思いました。「広くなったな」と思いました。その同じ病気の人もそうですし、別の病気や障害の人との出会いもすごくあって、その、世界がむしろ広くなったんですよ、健康な人の世界しか知らなかったから。

谷田:そういう石川さんの話はやっぱなんか本にしたいですよね。

石川:印税で世界旅行しようかな(笑)。

谷田:そうですよ。

石川:そうそう、それはねすごく思いましたよ、むしろ世界広くなったなあって。だけどそれアクション起こしてきたこう一個一個の積み重ねが結果的にそうなっただけであって、世界広げようと思ってやったわけでもないし。やらざるをえなかったんですよ。[01:29:42]

谷田:ああ。でも助けてくれる人たちがいたんですよね、きっとそこには。

石川:そうですね。親戚から身内から、議員さんとか行政のかたとかその、私が催したイベントに参加してくれたかたが一参加者から一緒にやるほうに回ってくれたり。

谷田:いやあ、なんかおもしろかったです。もう2時間ぐらいしゃべってるかもしんないけど(笑)。1時間半かな。1時間半ですね。こんな感じで、何かほかにあります?

石川:最初のほうがさ、いらなかったね、いっぱい。

谷田:ああ。いや、なんかすごい丁寧に話してもらったんで、まあそれはそれで、でもいいと思います。別にこれで最後じゃないし。ちょっととりあえず切りますね。何かほかに話したいことってあります?

石川:いいかな。

谷田:大丈夫ですか? じゃあ、切ります。

[音声終了 01:30:42]

*作成:中井 良平
UP:20211014 REV:1023,
難病  ◇線維筋痛症  ◇CRPS:複合性局所疼痛症候群  ◇慢性疲労症候群  ◇なおすこと  ◇名づけ認め分かり語る…  ◇原因/帰属 c11
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