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西山啓氏インタビュー

20210214 聞き手:石川真紀 於:Zoom

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■インタビュー情報

◇西山 啓 i2021 インタビュー 2021/02/14 聞き手:石川 真紀 於:Zoom
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

難病  ◇線維筋痛症  ◇CRPS:複合性局所疼痛症候群  ◇慢性疲労症候群  ◇なおすこと  ◇名づけ認め分かり語る…  ◇原因/帰属 c11

■本文

96分

※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]

石川:西山さん、今日はよろしくお願いしまーす。

西山:はい、よろしくお願いしますー。

石川:まずは発症したときのことからお聞きしていいですか?

西山:はい。えーっと発症したのは16歳の冬なんですけど、まあ高校1年の冬ですね、冬にまあその1週間ぐらい、まあ当初はインフルエンザだと思ってたんですけど、まあ1週間経っても治んないんですね、体調がずっと悪いままで。で、それ以降体調ががたがたになってしまって、ま、学校にも行きづらくなったっていうのがはじめですね。
 ただその診断がついたのは、それからさらに10年経ってからで。で、なんでかって言うと、まあその診てくれるお医者さんが近くにいなかったからっていうのがあったんですね。

石川:でも、まあ最初の頃は風邪だと、風邪が長引いてるぐらいな感じだって考えて、

西山:そうですね。高熱も出なかったんですよ、そんなには。インフルエンザみたいに40度近い熱が出るってほどでもなくって、まあなんかその、そうですね、「変な風邪が続いてるな」みたいな感じだったんですね。だから病院にも行かなかったんですよ。

石川:あ、行かなかったんですね。

西山:そうですね。もうインフルエンザらしくなかったんで、「まあ寝てれば治るだろう」みたいな。でも全然体調が戻んなくて、それ以降なんかおかしくなっちゃった、みたいな感じでしたね。

石川:そしたら、いつごろ初めて病院にかかったんですか? 症状が出始めて。

西山:えー、いつごろだったかな。まあ実はその、それ以前から体調が悪くて、原因不明の頭痛とかもあったんですよ。でそれでそのCTとか撮ってもらったんですけど、まあ異常なしってことで。まあその、「病院行ってもしょうがないな」っていうの、ずっとあったんですよ。だから体調崩してからもしばらくかかりましたね、何年かしてから。
 その、まあほうほうのていで高校を卒業したんですけど、で卒業したあとはもう、しばらくほんとに「休みたい」っていうことしかなくって、まあその留年する…、留年じゃないわ、浪人するっていうていでちょっと休んでたんですね。でも1年経っても全然、2年経っても体調が良くなんないんですよ。「これはおかしい」と思い始めて、病院探し始めたってのが始めなんで、だから発症してから2…、1年か2年経ってからですね。

石川:病院に、「この症状何だろう」ってかかりだしたのが、

西山:そうですね。

石川:じゃ、その休みがちになってしまったときの学校の反応とか、家族の反応ってのはどんな感じでした?

西山:ああ、はじめはやっぱり母が「もういいかげん学校行きなさい」っていう感じになったんですよ。でまあ自分もしょうがなく行ってたんですけど、まあ調子が悪すぎて、毎日通えないわけですよね。だから休みながら行ってたんですけど。とくに学校から何か言われたことはなくって、「まあ、しょうがないな」みたいな感じ。

石川:どのくらいの感じで通えてたんですか?

西山:あ、当初は週2、3日は休んでたと思いますね。だからPS値で言うと、まあ3、4くらいだったと思います。で発症直後の、発症したのがまあ高1の冬なんで、まあ2年、高2あたりが一番調子悪くって、まあ2、3日休んでたんですよ。で、3年になってちょっと症状が落ち着いて、まあPS値3くらいになったのかな。ちょっと行けるようになったんですね。だからその発症後、その寝たきりになるほどじゃなかったんですけど、まあPS値3、4のあたりを行ったり来たりっていう感じでしたね。だからその、なんか「休みがちなやつ」みたいなふうに思われたとは思いますよ。で、実際その、高校2年生のときはその、出席日数ぎりぎりだったんですよ、けっこう。とくに体育とか、コマ数が少ないじゃないですか。だから休むと、あのほんとに足りなくなっちゃうんですよ、その、

石川:単位っていうか、しゅ…、

西山:単位がね、そうそうそう。出席日数が足りなくなっちゃうんで、もうとにかく体育だけはがんばって行くみたいな(笑)、感じで行ってましたね。

石川:え、体育の授業出てたんですか?

西山:あの、うん。ただすっごい調子悪くて、ほんともう「体動かしたくない」みたいな感じでしたね。ただその、部活とかもや…、

石川:見学とかじゃなくて?

西山:なんとかやってましたね。ただ、ほんとしんどくて。で、発症前からその、部活とかもやってたんで、いちおうそのあとも続けてたはいたんですけど、ちゃんと、

石川:何部ですか?

西山:柔道部でした。

石川:おおー。

西山:ただその、部員が少なくて、あんまり活発な部活じゃなかったんですね。それもよかったんですよね。だから毎日練習あったわけじゃなかったし、まあ自分のペースで続けてたっていうのもあって、まあなんとなく高校生活続けてたみたいな感じでしたね。

石川:呼び出されたりしなかったんですか?

西山:あー。

石川:「職員室にちょっと来て」みたいな感じで、「なんで来れなくなってるの?」

西山:呼び出しはなかったですけど、

石川:なんか三者面談とか?

西山:ああ、三者面談は一回なんか言われたことありますね、でも。「どうすんだ、これから」みたいな、進路とかの話ですけど。ただそんなにその詰問されたりっていう感じはなかったですね。だからけっこうその、まあ許してもらってたっていうか。

石川:ぱっと見、体調悪そうだなっていうのがわかったのかな? まわりにも。

西山:あのやっぱりその、ちょっとその、腫れ物にさわる感じの扱いでしたね、まわりは。もうその、体調崩してからは話すのもしんどかったんで、あんまりその、

石川:コミュニケーションもあんまり?

西山:うーん、しなかったですし、まあとにかくその学校行っても「帰りたい」しかなくって、「寝たい」みたいな。

石川:そのとき症状はもうほんとに、もう「寝たい」、「いるのつらい、体が」、で、あと頭痛、あとはなんか、咽頭痛とか関節痛とかももう来てました?

西山:関節痛はありました。もうすでにその高校2年の時からその肩の痛みがすごくって。で、水泳の授業で、そのクロールができないぐらいだったんですよ。で、まあでもその、柔道とかやってたんで、まあけがしたこともあるんで、そのせいかなとか思って、そんなには気にしてなかったんですけど、まあ今から考えるとまあ症状です、間違いないと思いますね。

石川:で、そのとき、なんでこんな体調なのかわからないまま過ごしてるわけですもんね、そのころ、だって。

西山:そうですね。まあたださっき言ったように、頭痛っていうのはずっとあったんですね。だからまあ「体調が悪い」っていうのは自分でどっかにずっとあったので、なんか「やっぱあのとき調子崩しちゃったんだろうな」っていうぼんやりとした感覚で、まあずっとなんとかやりくりして過ごしてたみたいな感じでしたね。

石川:で、今は新潟に住んでおられるわけですけども、引越しをされたんですか? 途中で。

西山:ああ、そうですね。14歳、だから中学3年のときか、14か15の時にこっちに来た、新潟に来たんですね。で2年後に発症してしまったっていう感じなんですけど。

石川:それまではどちらにおられたんですか?

西山:あ、横須賀に住んでました。

石川:あ、横須賀から新潟へ。環境けっこう違いましたね。

西山:そうですね、けっこう変わりましたね。

石川:ですね。新潟も大都市ですけども。

西山:そうですね、人口は多いんですけど。ただやっぱりその、そうですね、やっぱりその、うーん、まあ一番変わったのがやっぱりその、家庭環境が変わったっていうのは大きかったんですかね。

石川:あ、そうなんですか?

西山:まあ新潟っていうのはその、まあ父方の祖父母が住んでたんですよ。で、そのころはその祖父母が体調を崩しちゃって、まあ面倒をみるために新潟に来たっていう感じですね。でまあ父はその東京で仕事してたので、まあ母と私と、まあ弟が1人いるんですけど3人で、まあ祖父母の面倒みるために新潟に来たっていう感じでしたね。

石川:ああ、そうなんですね。じゃあお母さんは大変でしたね? 子どもたちの、

西山:そう、大変でしたね、祖父、祖母の看病…、祖父は早くに亡くなっちゃったんですけど、祖母の看病と、そうですね、私たちの世話と。で、母もけっこうその体調悪い人だったんで、よく寝込んだりしながら。うーん、まあほんとありがたいなとは思ってますけど。

石川:ああ、なるほど。じゃあちょっと、なんか大変だなあっていう感じのまんま、感じの新潟生活ですね。環境にもすぐなじめました?

西山:そうですね、そんなにその、なじむのが大変だったっていうか、まあ「そんなに長く新潟にいないんだろな」って思って、こっち来たんですね。

石川:ああ、「一時的に」っていう気持ちで。

西山:そうですね。まあたぶんその、大学になんとなくは行きたいなとは思ってたんで、「そのあとまあ東京へ行くんだろうなあ」なんてことは考えてたんですけど。まあ体調崩しちゃったんで、進学とかはままならないみたいな感じで、まあほんと何も予定が立てられなくなっちゃったっていうのが当時の状態ですね。

石川:じゃあ高校卒業して、もう就職もせず、進学もせず、とりあえず体を休めて立て直そうという感じですね。

西山:そうですね。まあとにかく疲れてたんで、「休みたい」、それだけで。「休めばなんとかなるだろう」みたいな、ちょっと楽観的なところがあったんですよ、当時は。「あ、でも休んでも休んでもどうにもならない。これはおかしいぞ」みたいな感じで病院に行き始めたっていうところがまあ、まあそこがスタートラインかなあ。うん。そこからようやく闘病が始まったみたいなとこがありますよね。

石川:「これ休んでも治らないし、いったい何なんだろう?」と。

西山:そうですね。

石川:で、病院ではどういう反応でしたか?

西山:はじめのころは、そうですね、まあどっちが先だか覚えてないんですけど、そのインターネットが家に入ってきたのがそのころなんですよ。で、まあインターネットで初めて調べたの、インターネットに触れてまあ初めて積極的に調べたってのが、まあ自分の体のことですね。まあとにかく体がだるい、で頭痛もひどい。で、下痢もその当時はちょっと強かったんですね、下痢の症状もあって。で、肩も痛いし。で、鍼治療とかも通ってたんですけど、そんなによくは…、すぐによくはなるものでもなくて。「何だろう、これは?」みたいな感じで。まあわりとその、すぐに慢性疲労症候群にはたどり着いたんですね。まあ当時その「頭痛大学」っていうサイトが、ああ今もあんのかな、あるんですけど、そこに情報があったんです。そこからリンクをたどって知識を増やしていったみたいなところでしたね。で、

石川:ああ。もうそのころっていうと、何年だろう? 西暦で言うと。

西山:2000年前後だと思いますね。

石川:ああ。じゃあ情報ありますね、それなりに。

西山:そうですね。ただその、まあ真紀さんご存知…、ああ、石川さんもご存知だとは思いますけど、あんまりその、まとまった正確な情報がなかったですよね。その知識の、

石川:「信頼できる情報なのかなあ?」みたいな(笑)、

西山:そうですね、うん。まあ知識のある人が個人的に発信してるっていうのがほとんどで、公式というか医療的な情報にたどり着くの、けっこう難しかったんですね。だから自分はやっぱりその、掲示板とかに書き込まれてる患者さんの体験を、まあそのたどってって、「まあおそらくこれだろうな」っていうのがあったんですよ。ただその、自分では、なんて言うのかな、その時点でその、慢性疲労症候群だっていう確信っていうか、まあそうですね、なんて言ったらいいのかな、まあ自己診断はしなかったんですよね。

石川:「これに似てるなー」みたいな?

西山:うん、そうですね。やっぱりまああの、体験談とすごく符合するし、まあ「おそらくこれなんだろうな」。ただ病院行ったときに、まあ「慢性疲労症候群だとは思うんで診てください」っていうふうには言わなかったんですね。やっぱりそれはその、まあ当たり前の話ですけど、患者は自己診断しちゃいけないんですよね。患者というか、医師以外は診断してはいけないっていうのありましたし。まあそんなやっぱりその、病名を出して医者との関係が悪くなる、みたいな話もいっぱいあったんですよ。

石川:ああ、なるほど。じゃ最初っからそうならないように注意払ってたんですね。

西山:そうですね、まあそうですね。まあだから、とにかくその知識としてはあったんですけど、自分もよくわかんないし、とにかくだるくて仕方ないんで、「原因を究明したいので診てください」っていうふうにして、まあ病院にはかかったんですね。ただまあやっぱりその、いろいろ検査しても異常なし。で、「精密検査しますか?」って言われて「はい」って答えたんですけど、「じゃあ何しますか?」って言われたんですよ(笑)。

石川:(笑)

西山:「私に聞かれても」っていう問題なんですよ。でも精密検査ってひと口に言ってもものすごくたくさんあるから、全部やるわけにはいかないから、「じゃあホルモンの検査でもしますか?」みたいなこと言われて、まあホルモンの検査もしたんですけど、異常なし。で、最終的にやっぱり精神科に回されるんですよね。で、まあ精神科に行ってもやっぱり、「まあ鬱でもないだろう」って話になって、「じゃあもうこれ行くとこないな」みたいな。
 で、そのころからもう、「まあ慢性疲労症候群で、もう十中八九、間違いないだろうな」って確証はもうそこらへんで得てましたね。ただその、専門に診てくれる先生がいないので、そっから先どうにもならないっていう状態でしたね。

石川:そしたら、まあ1年浪人するつもりで自宅療養しましたけど、それが結局は何年に…、何年経ったんですか?

西山:何年だったかなあ。まあ2、3年そういう状態が続いてると、もう家族とかももう「進学する気はないんだろうな」っていうふうには、もうばれてましたね。で、自分ももう勉強とかできる状態じゃないんで、「とにかくこの状態をなんとかしたい」っていう一心でしたね。でまあやれることがほんとに少ないので、当時はもう本当に鍼灸治療、まあたまたまその近くにいい鍼灸の施術院見つけられることができたので、まあそこに通うのと、あとその、西洋医学でまあ医師、医者の先生で、まあそうそう漢方を使える人がちょっとたまたま近くにいたので、まあそこでちょっと治療受けて、様子見しながら、まあ体調全体、回復を試みるみたいな、まあほんと試行錯誤、手さぐり状態でしたね。

石川:じゃあ、まあ無治療ってわけでもなくて、その東洋医学的な治療はまあ受けてたんですね。病名がどうっていうよりも、今の症状を改善しようっていう治療は受けられてた。

西山:そうですね。まあただ、ちゃんとわかってはもらえてなかったですね。まあだるいっていう症状は伝えるんですけど、まあその、ニンニク注射打たれたりとか(笑)。でね、漢方治療も、はじめあんまり効果なかったんですよ。で、まあ自分で調べて「これ出してくれ」みたいに言って、出してもらったりもしてましたね。たまたまそれがうまくいったりして、まあそれはあの、まあ運が良かったんですけど。で、最近調べたら、その処方もやっぱり慢性疲労症候群に用いられる処方だったんで、まあたまたま、よかったなって思って。で、こっちのわがままも聞いてくれる先生だったんで、それはよかったですね。

石川:じゃちょっと、ちょっとずつ、ちょっとはよくなったりして?

西山:そうですね。まあ漢方と鍼灸治療で徐々によくはなってましたね。

石川:え、その間、家族は、なんか家族からどういうふうに言われてました?

西山:まあさっきも言ったと思うんですけど、まあ母がずっと調子悪い人だったんですよ。まあ本人は「ホルモンのバランスが悪いんだろう」っていう説明してましたけど、まあやっぱり病院に行っても診断がつかないタイプで。ただ慢性疲労症候群っていうほどではないですね。

石川:じゃあその体調不良に関しては理解があったんですね? きっと、ご自分がそうでしたから、お母さんに関しては、

西山:母に関してはそうですね。母からそんなに強く言われたことはなかったんですけど、まあやっぱり父のほうが、「お前これからどうするんだ」みたいなこと言われて、で、まあ、まあ自分も悪かったんですけどね、今どういう状況でどういうことしてるってはっきり言ってなかったので、「まあ病院には通ってるんだけど」って話はしたんですけど。まあそれでちょっと父と仲が悪くなったっていうのは、まあ私のほうから口をきかなくなったりとかして、あんまり家族の状態も、関係もあまりよくなかったっていうところがありましたね。だからまあ、

石川:ちょうどそのころって、まあ二十歳前後だと、すごいみんな元気いっぱいで、同級生たちは、新しい大学生活始めてたり、就職して、お金を得てこう、車買ったりとか、けっこう華やかに、華やかっていうか、高校時代とはね、また全然、急に大人になって、生活変わっていくじゃないですか、まわりが。

西山:そうですね。

石川:それでも、そのときこう西山さんは治療…、体きつくてそれどころじゃなかったので、焦りとかなかったですか?

西山:うーん、まあそこはちょっと自分の状況が特殊だったっていうのもあって。まあ新潟に来てから、来たのがまあやっぱり中学3年生のときで、そのあと直後に調子を崩しちゃったんで、あまり親しい友だちがいなかったんですよね。だからその、まわりの友人が今どうこうしてるかっていう情報、全然入ってこなかったんですよ。し、自分も全然その、まわりに興味がなかったんで(笑)。まあ友だちもいないし、まあこんな調子悪いし、その人付き合いも大変なんで、「別に俺は俺でやるしかない」って、まあ当時からそういうふうに思ってましたね。

石川:おおー。

西山:ただその、やっぱりその、たまに調子いいときにアルバイトとかしてたんですよ。

石川:どういうアルバイトできたんですか?

西山:ま、当時あのね、あの、派遣法が改正されて、専門職じゃない人、業種もあの、派遣労働できるようになったころなんですよ。で、その、派遣業者が雨後の筍のごとく出てきたころで。で、たまたまその、で、そこだとその、けっこうその働き方が自由っていうか、まあ仕事あるときはあるんだけど、ないときはない。で自分の働きたいときだけ働けるみたいな。「これリハビリにいいな」と思ってやってたんですよ。で、そこでやってて、いろんな人来るじゃないですか。でまあ、うん、まあだいたい車運転できたり、まあ自分はもう、今も免許ないんで車運転できないんですけど、「免許も取れないし、これからどうなるのかな」みたいな感じは、そのときはちょっとありましたね。でもそのときは働けるのがけっこう楽しかったんですよ。ていうのもやっぱり家にいるよりかは、働いてるのが精神的にはずーっと楽なんですよね。これたぶんその病気したことある人はたぶんみんなわかると思うんですけど、体はつらいんだけど、精神的には働けてるほうが楽なんですね。ただアルバイトも全然続かなくて、たぶん全部で1年くらいだとは思うんですけど、まあ結局そのあと調子崩しちゃったんですよ。で、まあ「ちょっとこれは」、そうですね、「もうまわりの人についていけないな」と思って。そうですね、まあ、焦り、まあそうですね、うーん、まあ「普通には生活できないな」っていう思いはもう当時、そのときはありましたね。

石川:じゃあしばらく、しばらくっていうか今もですけど、ご実家のその家にずっと住めている状況ではあるんですよね?

西山:そうですね。

石川:それで、まあ今に至るっていう感じですか?

西山:そうですね。まあそういうことです、うん。

石川:生活的には。ちょっとよくなって、働ける時期もあるけど、やっぱり働くと調子崩して、また働けなくなったりっていう繰り返しっていうか。

西山:そうですね。でまあ、うん、まあそんな感じでしたね。ほんとにその、きちんとした治療も受けられないし、自分ではどうしようもできないし。で、今から思うとやっぱり、当時は「もとの状態に戻ろう」って一生懸命してたんですよ。まあ「普通の生活をしたい」っていう、まあそれは「フルタイムで働けて」っていう。でも、「いきなりそういう状態に戻るのは無理だ」、

石川:っていうことを悟って、

西山:っていうのが、ようやくその、悟ったというか、ちゃんとそういう知識を得たのが、まあ慢性疲労症候群に関してちゃんと勉強し始めてからなんですよ。だからだいぶあとになってから、「ああ、あのとき働いたのはまずかったんだな」っていうのがわかったというか、わかるまでしばらくかかりまして。で、そのあとしばらくしてからその、あの、専門治療をしてもらえる先生にかかったんですけど、そのとき「働いてたんですけど」って話をしたら、「働かないほうがよかったですね」ってはっきり言われましたね。

石川:じゃあそのインターネットで、「あ、新潟に慢性疲労症候群の専門医が来たぞ」っていうのがわかって、その情報をインターネットで得て、すぐ予約したんですか?

西山:いや、予約するまでしばらくかかりましたね。と言うてもその、私新潟市に住んでるんですけど、まあその新潟県に来てくれた、まあ下村先生って言うんですけど、まあ上越に病院があるんですね。で上越まで行くのね、けっこうかかるんですよ、100キロぐらい離れてるんで。車だと高速で90分ぐらい、電車だと片道3時間以上かかるんですよ。で当時の体力だと、「これ通えないな」って思って、しばらく行くの躊躇してたんですね。あともう一つ、

石川:3時間はちょっとつらいなあ。

西山:そうですね、つらいですね。いや、つらかったです、電車で行ってたときもあったんですけど、ものすごい、ある程度体力がないとできない、行けないっていうことでしたね。それでまあその、とにかく行ける体力になるまで、体調が安定するまでしばらくかかったんですよ。その、そのときは医師にかかってなかったん、病院にかかってなかったので、まあ鍼灸治療メインでやったので、まあ行くまでにちょっとその、しばらくかかったっていうことですね。
 ただまあその、病院でいちおうその、異常なしっていう結果が出てたので、自分なりにその、来歴…、履歴をまとめて、こういう経過でまあその、この病気を疑って、ちょっと受診したいんですけどって予約を入れて、まあなんとか診てもらえたっていうことですね。

石川:初めての診察のとき、どうでしたか?

西山:うーん、やっぱりそのときも、自分で「慢性疲労症候群だと思います」っていうふうには言わなかったです。まあ「この病気調べて、その、まあ、かもしれないんで、ちょっと診てもらえますか?」って、まあ診てもらったら、まあ案の定、慢性疲労症候群だったってわけなんですけど。だからまあ、そんなにその、ほかの病院に行く時と変わらない感じで行きましたね。まあほんと、「この病気かどうかわかんないけど、とりあえず診てください」っていう感じで。

石川:で、「確かにそうだよ」っていうふうに、下村先生に「そうだと思うよ」って言われたときは、どんな心境でしたか?

西山:まあやっぱりそのときはね、そのまあ変な話なんだけど、ちょっと安心するんですよね。まあ安堵感があるっていうか、「ああ、ようやく診断ついたな」。うん、「この病気で間違いなかった」っていうか。

石川:だって、やっと、「異常なし」だと治療もないし、「何だこの体調は? 説明つかないぞ」っていうのが、やっとその話を、体調についての説明をわかってくれる医師がいて、「ま、こういうことはしないほうがいいよ。こういうことは悪化するからやめたほうがいいよ」とか、「こういう薬をいちおう出して治療していこう」とかっていう、具体的によくなるための話ができるわけじゃないですか、やっと。

西山:そうですね、うん。ほんと、

石川:それはやっぱり嬉しいですよね。

西山:そうですね、ほんとに心強いですよね。「やっと相談できるとこができた」っていう。

石川:それまで、相談できてました? 誰かに。

西山:まあそりゃ鍼灸の先生に相談するくらいで、あとはほんとどこにも話せない状態でしたね。だから、まあその、うん、どこにも相談できないっていう。でもこれは私だけじゃなくてもう、みんなそうなんですよね、この病気に悩む人は。

石川:わりと、そういうとこ多いですね。

西山:うん。ほんとに安心したっていうかね、「ここに来ればなんとかなる」っていう。

石川:もしかしたらね、治る可能性も。今までは診断名がなかったので、その治療法、治療法っていうか、どういうふうにしていけばよくなるのかっていうのもアドバイスくれる人があんまり…、まあ鍼灸の先生はくれたんでしょうけど、鍼灸の先生は病名がどうこうっていうことじゃなく、なので、その病気の特性をわかってる医師のその助言を受けながら、療養生活っていうか治療に入っていけて、「もしかしたら治るかも」っていう気持ちにもなってました?

西山:いや。正直その、治るっていうふうには確信は持てませんでしたね。ただその、そうだなあ、うーん、まあ、それこそその、「慢性疲労症候群かもしれない」って病名を出さなかったと同じように、治るっていう確証は持たなかったですね。まあ弱気って言われてしまうとそうかもしれないんですけど、やっぱりその、ね、インターネットとかで情報集めたりするじゃないですか。やっぱり「予後が悪い」っていうのはもう、それ頭に入ってるわけなんですよね。で、完治するっていう話もたまーに聞くんですけど、ものすごい数が少ない。「これは完治するのは相当運がよくないと無理だな」っていうふうに、ある、まあやっぱりどっかで思ってたんですよね。で、そういう前提があるはずでやっぱりその、「治るかもしれない」っていう楽観的な気持ちには、やっぱりなれないですよね。ただ、「病院に相談するところがあれば」、まあその、「たとえ悪化することがあっても、まあ診てもらえるだろう」みたいな、そういうふうにしか捉えられなかったですよね。まあその、

石川:ていうか、それ大きい違いですよね。

西山:まあもちろん治りうる病気ではあるんですけど、やっぱりそこまで楽観的にはなれなかったっていうのが正直なとこですよね。

石川:ただ、相談できるところができた安心感はね、だいぶ違いますよね。

西山:ああ、もう全然違いますよね。

石川:全然違いますよね。いやその10年長かったですね。

西山:ん?

石川:10年長かったですね。

西山:そうですね。でも、まあ、まあでも、診てもらえる病院にたどり着けただけでもいいほうだとは思いますよね。まあ石川さんなんかはね、あの、発信してらっしゃるけど、けっこう早めに診断ついたんですよね?

石川:もう、めっちゃ1週間後ぐらいに(笑)。

西山:え、あ、そんなに? そんなに早かったんでしたっけ。なんか1年以内についたっていうのは、聞いた覚えがあるんですけど。

石川:1年以内、1年以内。そんな人はあんまりいないよね。

西山:うん、すごい、もうほんとに、ねえ。でも、ねえ、それこそ「20年以上」、その、ねえ、「闘病してる、でも行くところがない」みたいなのは、話はざらにある病気なので、もうほんっとに「診てもらえるところがあるだけで」っていう。

石川:はい。ただその、やっぱりその情報をつかめたのは、西山さんが「これなんかおかしいぞ」っていう「異常ないって言われるけど、なんか違うぞ」っていうふうに、いつも情報にアンテナ張ってたからでしょうし、

西山:ああ。そうですね、まあそれはあると思うんですけど、たしかにその…、そうですね、まあそこがちょっと難しいとこでもあるんですよね。たしかにその、自分の病気、まあその不調感があって、まあその、ネットで情報集めてしまうって、まあ誰でもやったことはあると思うんですよね。ただそれで、やっぱりその、医療側が困ってるっていう理屈もあるんですよね。やっぱりその、自分で勝手に診断つけちゃって、「俺はこの病気だから診てくれ」みたいな。で、病院側ともめちゃうっていう話もあったりするんですよね。

石川:ありますね、はい。

西山:そういう、まあ危険性もあるわけですよ、患者が本人、自分で情報集めるっていう。ただその、この病気みたいにその、ねえ、情報が少ないうえに、医師の知名度、医師の間でもその知名度が低いとなると、もう自分でなんとかするしかないっていうふうにその、追い込まれちゃうんですよね。だからほとんどの、ほとんどって言ったらあれだけど、この患者、病気を疑ってる人の多くはその、やっぱ自分で情報集めるんじゃないかなっていうふうにはまあ自分では思ってて、まあ自分だけ特殊だとは思ってないですね。ただその、情報の使い方を気をつけないといけないし、その自分の振る舞い方、まあ患者としてね、まあ医師とどう向き合うか、医師にどう向き合ってもらうかっていうところはすごく大切で。やっぱりその患者としての領分を踏み越えてはいけないっていうのは、それはずっと気をつけてましたね。

石川:さすがだ。

西山:だからその、ネットで情報得ても、安易に自分で判断しなくて、してはいけないってふうに思ってましたし、まあ専門家の意見は必ず聞こうと思ってましたし。で、まあ下村先生にかかってからも、下村先生の意見っていうのはすごく参考に、大事にしてましたね。まあ自分で勝手に判断しないっていうのは、大事かなっていうふうに思いますね。だからまあバランスが難しいっていうか、そんな感じはします。

石川:でもその、「異常ないはずない」っていうふうな、「うーん、なんかおかしいぞ」っていう気持ちはずっとあったから…、まあ当たり前ですよね、でもね。当たり前っちゃあ当たり前なんだけど(笑)。

西山:そうなんですね。それはその、それの感覚はたぶん当事者じゃないとわかんないと思いますね。それぐらい深刻な病気っていうことだと言い換えてもいいと思いますね。まあそれくらいその、症状をほっておくわけにはいかない。なんとかしないと、生活が成り立たないっていうぐらいなので。だからその、うーん、まあそういうことだとは思いますね。

石川:で、専門医のところにたどり着けて、治療が始まって、まあ生活の指導とかも受けて、変化ありましたか?

西山:あれはね、あんまり変化なかったんですよね。ただまあ、そうですね、

石川:ただその、働いたりしたのも、「ああ、それ働かないほうがよかったよ」って言われて、「とりあえず、とにかくまず体休めたほうがいい」とか、そういうアドバイスでした?

西山:とにかくその、「無理しないでください」って必ず、毎回言われたくらいですね。で、その下村先生にかかってたときのまあその印象、印象っていうか、あの自分の思いとしては、「あ、この人全然『体動かしてください』っていうアドバイスしない人なんだな」って思いましたね。一度もその「運動してください」とか「趣味を始めましょう」みたいなことをアドバイスされたこと一回もないんですよ。

石川:その前はされてたんですか? 別のお医者さんとかには。

西山:あー、そうですね、そういうふうには言われてなかったけど、まあその、要するにその、まあ「精神的な問題ですよね」とか、その「脆弱性っていうのがあって、人間には。まあ体弱いのはしょうがないよ」みたいな、「それ何の解決にもなってないんですけど」みたいなことを言われたことはありましたね。あとはまあその、医療関係者以外の人からまあ「体動かしたほうがいいんじゃない?」みたいなことは暗に言われることはありましたし、ただ下村先生は絶対そういうことは言わないんですね。「ああ、やっぱりこの人、すごくこの病気のことわかってるな」っていうふうに、逆に自分はそう思ったっていうか。鬱病なんかだとやっぱりその、回復してくると、まあ「趣味始めましょう」みたいなアドバイスされるらしいんですけど、この病気の場合はそれ安易に始めてしまうと、けっこう逆効果になったりしてしまうんですよね。だから私がその働いたのも、やっぱり逆効果だったんですよね。まあ調子がいいから安易に働いてしまったら、やっぱりその、よけいに調子悪くなってしまったっていうのがあるので。ほんっとにその、さじ加減が難しい病気だと思うので、だからわかってないときちんとしたアドバイスができない。だから下村先生はほんとに信頼できる人だなってずっと思ってましたね。

石川:で、最初はあんまり大きな変化はなかったけれども、いったんちょっとよくなった時期があったんですよね?

西山:そうですね。まあその、薬がもう、ちょっとずつ変化、あの、変えてもらったんですよ。まあその、胃腸の症状とかもあったりしたこともあったんで、じゃあそっちをちょっとやり…、治療するためにちょっと処方を変えましょうってこともあったりして、で、徐々にはよくなってったんですね。で、動ける範囲も広がってって。

石川:だいたいどのぐらいから、どのぐらいまで?

西山:あの、動き…、活動し始めたのは2016年、あ、2015年の末ですね。末にちょっとその、新潟はその、あの、生きづらさ業界、生きづらさ界隈っていうのがあるんですよ(笑)。

石川:(笑) はい。

西山:何かって言うとその、病気とか障害当事者の人が発表する場がけっこうあったんですね、当時。

石川:ああ。

西山:はい。あー、まあ、まあいいかな、出してもいいと思うんですけど、「こわれ者の祭典」っていうけっこう有名な大きい団体とか、あとK-BOX(ケー・ボックス)っていう、これはその、鬱病とかの当事者のかたが、まあそのコミュニティを主催して、引きこもりとか、その、病気経験者の人が発表する場を作ってたり。なんかそういう団体がけっこういくつかあったんですね。で、そういう団体がまあ定期的にその、まあ活動発表みたいなことしてて、わりとそういうとこに参加しやすかったっていう土壌が新潟にはあったんですね。これけっこう珍しいことで、ほかの県だとあんまりないんじゃないかと思ってます。

石川:青森には、うーん、あんまりないかもしんない。

西山:そうですよね。東京なんかだとやっぱあるんですけど、地方の県で、まあなかなかないと思うんですよね。で、そういう、まあその、リハビリしやすかったっていうのはありますね。「ここなら話通じるかな」みたいな集まりが何個かあって、で、そこに参加するようにしてたんですね。でもう一つは、2016年に入ってから、近くにある若者支援のNPOがあったので、あ、そこでその、「ギター教室始めます」っていう宣伝を見て、「ちょっとこれやってみようかな」みたいに思ったんですね。で、ちょうどそのころ、イベントって不定期なので、定期的に通えるところが欲しいなって思ってたところだったんですよ。まあギター教室は2週間に1回だったんで、「ああ、これくらいなら通えるかな」って思って、行ってみた。たら、けっこう自分に合ってたんですね。で、そこ通ってるうちに、そのNPOが開催してる、まあ「居場所」っていうんですけど、そこは若者支援もしてるので、引きこもりの人とかもまあ支援してるとこなんですね。そういう行き場のない人たちに向けてその、居場所っていうの開放してるんですよ。そういうNPOとか、

石川:すばらしい。

西山:うん。全国的にそういう活動が広がってて、まあNPOだったり、市の機関、公的機関がやってたりするんですけど、まあそういう居場所とかにも通うようになって。まあそこでようやくその、コミュニティ的な活動ができるようになったんですよね。

石川:そのときは、自分の病名もカミングアウトしたうえで参加してたんですか?

西山:はい。あ、それでですね、すごく運がいいことに、そのNPOを運営してたのはご夫婦だったんですけど、奥さんのほうがその、線維筋痛症の当事者だったんですね。

石川:ああ、親戚みたいな病気ですよね。

西山:はい。線維筋痛症、まあいちおうその、ね、いちおうあの、あれなんで説明しておきますけど、線維筋痛症っていうのはその、慢性疲労症候群の類縁疾患って言われてますよね、併発されるかたが非常に多くて。まあその、レディー・ガガが自分もこの病気だっていうふうに公表したことでちょっと一時期注目されてたんですけど。まあその、原因不明で、全身痛みが出るっていう病気なんですけど。で、その当事者だったんですよ。「あ、この人なら、ちょっと話通じるんじゃないかな」。

石川:そうですよね。

西山:うん。で、話してみたら、「あ、慢性疲労症候群、知ってる知ってる」って話になって、すごく話しやすかったんですね。うん。で、それでその、やっぱりその、「あ、ここなら話通じるな」って思って、活動しやすかったっていうのが、まあ一番大きかったかもしれないですね。うん。

石川:でもやっぱり西山さんも、そういうのに積極的に参加していったのは、何だろう、やっぱり、その時って同じ病気の人との交流って、リアルでは、あったんですか?

西山:リアルでは、まったくなかったですね。だからもうそこで活動し始めたときから、なんだか活動したいな、まあリアルで、あの現実で、なんかその、ほかの患者さんと交流を持ちたいなっていうのは、まあぼんやりとは考えてたんですね。やっぱり専門治療してくれるお医者さんがいるわけだし、ほかにも患者さんいるのは間違いないんですよ。ただその接点がないので、知り合う機会がない。「じゃあどうしようか」となると、そうなるとやっぱりその、やっぱり自分自身その病気を公表して、活動するしかないわけですよ。そうなってくると、やっぱりその「患者団体として活動をするのがいいのかな」ってのは思ってたんですけど、まあ「自分にできるかな」っていうのが一番あったんですよね。まあ当時すでにその、ね、石川さんとかも活動されてましたし、なんで「自分にそこまでできるかな」っていうのが自信が全然なくって。
 だからその、始めの1年間はそのリハビリに徹したんですね。ネットで情報収集しながら、そのNPOのギター教室とかまあ居場所でリハビリさせてもらって、で、「自分はこういう病気で、なんですけど」って話(はなし)しながら、まあほかの人の病気、

[通話切断]

石川:あれ? もしもーし。もしもーし。あれ?

[通話再開]

西山:あれ、どこまで話したんだっけ。ああ、そうそう、団体をやろうにしてもまあ自信がなかったんで、まあ1年間リハビリに徹したんですよ。で、その間に、そのさっき言ったK-BOXっていう団体があるんですけど、このK-BOXっていうのはその、まあKacco(かっこ)さんっていう、まあそこではそのニックネームっていうかまあ芸名なんですけど、その人が表現活動をする団体をやってるんですけど、KにはまあそのKaccoさんもKだったりで色々な意味があるらしいんですけど、病気の当事者とかひきこもりの人の表現活動の場を作るという活動を独自でされてたんですね。

石川:はい。

西山:で、そのKaccoさん、当事者活動の一つとして講演会ってのをやってたんですね。まあその自分のその病気とか…、けっこういろんな病気されてるかたで、大変な思いをされてるかたなんですよ、その、鬱病とか摂食障害とか。でけっこう昔の話なんで、そういう情報もないし理解もなかったころに、けっこうもうほんと四苦八苦してこられたかたなんですけど、そのかたが自分の体験を話す講演会をやってたんですね。で、講演会のあとにふれあいタイムっていうのがあったんですよ。まあ何するかって言うとその、講演のときはそのKaccoさんがメインでしゃべるんですけど、ふれあいタイムのときはその参加した人が、にしゃべってもらうっていう時間なんですね。Kaccoさんのほうが「みなさんの話を聞きたい」っていうていで話を引き出してくれるっていう、ほんとに、うん、ありがたい会なんですけど。そこでそのまあ、

石川:うん。でも、何人ぐらい集まるんですか? そういうとき。

西山:あ、多いとやっぱり10人以上集まるんですよね。まあ10前後、

石川:あんまり大勢だと、みんなの話聞く時間とかないもんね(笑)。

西山:そうなんです。あれけっこう難しいんですよ、人数ってね。

石川:うん。そう。

西山:だから多すぎてもだめだし、少なすぎてもなんかね、みたいなことになっちゃうんで。まあ毎回ちょうどいいくらいの人数が集まるんですよ。
 で、そこでその、まあ自分の病気の話もして、たまたまそのKaccoさんのとこでも慢性疲労症候群のかたが活動してたのかな。まあ病名は知ってたんですね。ただあんまりくわしくはご存知なくて、まあ「精神科の病気なんだよね」っていうふうに言われたこともあったんですけど、「いや、脳神経内科です」とかいうふうに、まあそういう話はしながら、まあ自分の病気のこととかも知ってもらってたんですけど。その中でその、ああ、「いつか患者団体やりたいんです」っていう話をしてたんですね。

石川:休憩します? 大丈夫?

西山:ああ、大丈夫です。

石川:ゆっくりしゃべってもいいよ、全然。

西山:ああ、はい、ありがとうございます。
 まあそれで、うん、「患者団体やりたいんです」って言ってたら、まあ「やりなよ、やりなよ」って応援してもらえたんですね。んで、

石川:仲間ができてきた。

西山:まあほんと嬉しかったですね。

石川:うん。ずっとそれまで、ねえ、ちょっと孤独との戦いみたいなものもあったんじゃないですか?

西山:うーん。ほんとそうですよね、はい。

石川:ね。でも私はほら、西山さんがブログされてたのは私は読んでたし、うん、

西山:ありがとうございます。

石川:「ああ、そうなんだあ」っていうふうに、うん。私もやっぱり最初の1年2年ぐらいはおんなじ病気の人と会ったこともなかったし、

西山:そうですよね。

石川:うん。あまりにも生活が一変してしまったから、わかりあえる人はネットの中にしかいなかったですもんね、この病気のね(笑)。

西山:そうそう、まさにそう。ほんとそうですよね。そのころはまあね、まあ自分もそうだったんですけど、まあやっぱある意味ネットにはまっちゃうっていうか、はまっちゃうっていうのもちょっとおかしいんですけど、どうしてもその情報源を依存してしまうし、そのコミュニケーション面でもね、まあネットのやり取りに依存してしまうってところもあって、まああんまりいいところではないんですけど、まあしょうがないかなっていう感じもするんですよね、この病気の場合はとくに。

石川:外に出れないしね、

西山:そうそうそう。だからその、

石川:出たくてもね。

西山:うんうん、現実世界と接点を作る方法がなかなかない。で、それをするにはやっぱり誰かが活動しないとだめだなっていうのがあって。で、石川さんとかね、そのほかにも患者団体起こされてるかたいるけど、まあ「すごいな」とは思ってたんですね。で、まあ自分もいつかやりたいなってのは思ってたんですよ。まあそれ10年くらい、その、だからえー、まあ2000…、活動し始めたのが2016年なんで、まあずっとそういう思いはあったんですけど、ただ実行に移す機会も体力もないっていうのがまあ現実的な問題で、まあでき…、

石川:けっこう覚悟いりますよね、自分が体調悪いだけに。

西山:そう、そうですね。いや一番問題なのが、その自分が体調悪いときに会を、が、その、たとえば自分でイベントを開催しますって言って、「出れなくなったらどうしよう」っていう心配が一番あったんですよ。だからそこをまずクリアできないと、ちょっと話になんないなと思って。まあそう、体調が安定するまでそれは待ったんですね。で、そのさっき言ったKaccoさんのところで「やりたい」って話(はなし)して、まあ背中を押してもらったんですよ。
 で、まあ、ただ実際にはそのお世話になってるNPOのところで、まあちょっと会を開催させてもらったんですね。というのもその、奥さんが線維筋痛症だったんですけど、その何年か前にそのご夫婦で、線維筋痛症の医療講演会を新潟で開催されてたんですね。

石川:ああ、そうなんですね。

西山:うん、そうなんです。岡先生を呼んで開催されたんですけど、

石川:ああ、岡寛先生。

西山:そうです、岡寛先生。本とかもね、出版されてるかたなんですけど。まあそういう経験を聞かせてもらうと役に立つかなっていうのもあって、まあそのNPOのほうで、まあその居場所をこうちょっと利用させてもらって。まあ2017年の4月だったかな? ああ、そうですね、4月に、まあ初めてその、患者交流会開催したんですね。だからそれをこぎつけるまで、リハビリ始めてから1年かかったっていうのが実際のところです。

石川:そうですよね。私が「下村先生の講演会やってよー」とか言って(笑)。

西山:(笑) そう言ってましたね、うん、言ってましたね。ほんとに、

石川:うん。私も行ければ行きたかったよー、と思ったけど。だって神経内科医のお話も聞きたかったですもん。

西山:あー、そうですよね。それ、だって、だってその、日本だと神経内科医で慢性疲労症候群診てもらうっていうかたはすごく少なくって、

石川:当時ね。

西山:ええ、そうなんですよね。だから、まあけっこう貴重というか。でね、まあ、まあ下村先生をお呼びして、その医療講演会を開催したいっていうのは、まあ一番大きな目標だったんですね。ただそれやるにもけっこう大変なので、さらにそこから1年、あの、患者交流会を開催して、で人が集まるかどうかってのをまず確かめたんですよ。で自分がその開催に耐えられるかどうかっていうのも確かめる意味もあったんですけど。で、なんとなく開催して、「あ、これなら需要もあるし、これ自分もそのときちょっと体調上り調子だったんで、あ、いけるかな。じゃあ医療講演会やりましょう」って言ってまあ、2018年に入ってから準備始めたんですね。で、下村先生に直接その直談判して、まあ「医療講演会ちょっと企画してるんですけど、出てもらえませんか?」ってお願いして、そこからまあチラシ作ったり、まあ会場、

石川:確保して、

西山:準備とか、うん。でまあその、開催するにはどうしてもボランティアさんの助けが必要なので、

石川:そうですね。

西山:うん、で開催場所…、

石川:一人じゃ全然無理(笑)。

西山:うん、全然無理ですよね。っていうか会場の設営がまずできないっていうとこから始まってしまうので。まあそのボラン…、まあ会員のかた手伝ってもらったんですけど、やっぱりその、当事者のかたもいるんで、あんまりその動いてもらうことができないんですね。だから家族の、当事者の家族のかたとか、

石川:そうなんですよね、私たちの大変なところはね。

西川:そうなんですよ。

石川:患者が動けない

西川:動けない、

石川:っていうのが、ほんとにネックでね。あ、じゃあそのとき、

西山:ハモりましたね(笑)。

石川:そうそうそうそう(笑)。患者交流会初めてしたときに、何人ぐらい集まったんですか?

西山:そのときはお二人来ていただけました(笑)。

石川:じゃ三人で、けっこうゆっくり話できましたね。

西山:そうですね。あの、思ったよりもその、会話が弾んだ、って言うとおかしいですけど、まあ転がった、沈黙をしないですんだんですね。まあそのために、いやまあある程度はまあ自分で準備してたんですけど、やっぱりその、普段話すところがないんで、けっこうその、

石川:みんな同じように…、同じような気持ちの三人が集まったんでしょうね。

西山:そうですね、だから何もその気をつかわなくても勝手にこう会話転がっていくっていう感じだったんですよ。

石川:むしろ普段どんだけ神経つかってるかっていう(笑)、

西山:そうそうそう。「ここで話せるかな? 話せないかな?」みたいな判断からまず入りますからね。、

石川:そうそうそうそう(笑)、わかる。

西山:そういうことのあの、心配をしないでその話せる場があるだけで、なんか全然違うんだなって、そのときにやっぱあらためて思って。で、あっという間にほんとに2時間、2時間っていう枠をはじめに決めてやったんですけど、ほんと2時間、まあトイレに行くのも忘れて話しこんでたみたいな。やっぱりその、こういう場ってないとだめなん…、だめっていうか、ほんとにあったほうがいいんだろうなって思いましたね。うん。

石川:そうですよね。で、念願の下村先生の講演会を開いて。

西山:はい。

石川:うん、それも実現できて。

西山:そうですね。ほんとに運がよかったと思いますね、今から思うとね。まあ自分がその体調が安定してたってのが一番大きかったんですけど、やっぱり協力してくれる人がたくさんいて、もうほんとありがたかったですね。

石川:ねえ。それは西山さんがね、リハビリ段階でネットワークを作っていったから。

西山:そうですね。まあネットワークを作るっていう意識はなかったですけど、

石川:自然にね。

西山:まあその、たまたま仲良くなった人とかに…。まあその、やっぱりその、団体を作るにはある程度人数がいるんですよね。で、公共施設を利用して、まあその、図書館の3階にその、市民活動に使えるまあ研修施設の貸し出しサービスがあったんで、それを利用して、その、まあ、んで、なんでかっていうとその、けっこう大きい図書館なんで、駐車場とかも大きいし、エレベーターとかもあるんで、まあ車いすの人も来れるだろうなっていう判断があって、まあそこの研修室借りてたんですけど。そこ借りるにしても団体を結成しないと借りられないんですよ。団体登録しないと借り…、

石川:個人ではね。個人ではちょっとね。

西山:個人ではできない。たいていの、だからたいていのその、公共施設はそういう仕組みなんですけど、だからその、とにかくその、名簿、団体の会員が必要なんですよね。ただその、初回の会で集まってくれたのが2名で、3人なんで、足りないんですよ、全然。「あとじゃあ残りどうしようか」って考えると、やっぱりその、まわりの人に協力してもらうしかなくって、でまわりの人が何人かその名前貸してくれたおかげで、その、借りることができて、まあ医療講演会にもつながったんですね。でその、交流会の開催当日も、医療講演会の開催当日も手伝ってくれる人がたくさんいて、おかげでなんとか開催にこぎつけたっていうのもあったりして。

石川:で、そこでまた仲間も増えたのかな?

西山:そうですね、またやっぱり会に加入してくれたかたも何人かいらっしゃいましたし。そこでその、新潟県と新潟市のその難病相談支援センターさんにもつながれたってのがけっこう大きかったんですよ。

石川:ええ、それをきっかけに。

西山:そうですね。会場にいすを展開しなきゃいけないんですけど、そのいすがけっこう重いんですね、あのテーブル付きのやつで、折りたたみ式の。

石川:あ、いいやつだ(笑)。

西山:いいやつ、けっこう(笑)。で、しかもけっこう重いんですよ。で、もう5個も運ぶともう手がぷるぷるしてくるっていう。で、一人じゃ絶対展開できないんで、そこにそのボランティアの人を5名くらいお願いして、あ、4名だったかな、うん、お願いして当日来てもらったんですね。

石川:ええ、ありがたいですね。

西山:で、医療講演会にも参加してもらって、話を聞いてもらって。で、そのあとも私のほうからその、センターさんのイベントとかにもちょっとお邪魔したりとかさせてもらって。で、その流れで難病カフェとかにも参加させてもらって、まあ自分の話もできましたし、ほかのね、難病患者さんの話も聞く機会とかもできたりして、ほんとそれも大きかったですね。だからその、まあ医療講演会の開催っていうのはその、「とりあえずこれをやりたい」っていう最低限の一番大きな目標だったんですけど、そこに向かって活動することで、そのいろんなつながりができたっていうのが一番大きかったですかね。

石川:まあ私たちがそういう講演会一つ企画して、準備して、当日その場にいれる体調を作るっていうことがどんなに大変か、っていうね。

西山:そうなんですよね。まあほんとその、この病気の特徴の一つに当日の体調が読めないっていうのが大きくって、

石川:そう、すごいプレッシャーですよ。

西山:ほんっとにね。

石川:うん、しかも準備もしながらでさ(笑)。

西山:うん。行けなかったらどうしようっていう不安感、いつもありますよね。とくに石川さんなんかは私よりも、あの、1、2段階調子が悪いかたなので、ほんといつもそれ心配してるんですけど、まあ「よく活動してるな」ってほんと毎回思ってますよ。すごいなって思って。うん。で、どう…、

石川:私もいいかげんにしたいなと思ってますよ(笑)。

西山:(笑) ねえ。休めるものならね、休みたい、みたいな、だと思うんですけど。

石川:でもその新潟のね、難病相談支援センターに初めてご連絡したとき、この病気、通じました? 病気の名前言って、

西山:ああ、初回は何だったかなあ。初回はたしか難病カフェに参加したことだったとは思うんですけど、いや、通じなかったですね。やっぱりその、ほかの難病患者さんは知らない人ばっかりで。で、「こうこうこういう病気なんですけど」って言ったら、あ、で、「寝たきりにもなる病気なんですよ」って言ったら、「ええ? 全然そんなふうに見えない」って、難病患者さんに言われちゃうくらいの病気なんですよね。で、「ああ、やっぱり全然知られてないんだな」って思いましたし。ただその、説明すればわかってもらえるんですね。ただそこはその、なんていうのかその、情報が大切な病気なんですよ。

石川:ん? 情報が?

西山:情報がね、その、情報どう伝えるかってその、まあ病気に対する印象とかも変わっちゃうので、だからそのへんをうまくやらないといけないっていうのか、

石川:たしかに。それで、ほかの難病だとだいたいは本屋か図書館に行けばあるんですよ、どういう病気かなってのがわかる資料がね。われわれないん…、なかったんですよね、当時ね。

西山:当時はなかったですね、ほんとにね。まあインターネットの情報しかないっていう感じで。で難病って枠組みの中であれば、まあ「大変な病気持ってらっしゃるんですね」っていうふうに思われることのほうが多いとは思うんですよ。まあ聞いたことない病気もたくさんあるんですけど、

石川:ええ、ええ。指定難病でさえね、聞いたことないっていう、知名度が低い病気いっぱいありますからね。

西山:いっぱいありますけど、「難病なんです」っていう枕詞があることで、「あ、大変なんですね」っていうふうになるんですけど、われわれの病気は「慢性疲労症候群なんです」って言うと、「あ、私も疲れてます」みたいな感じで返ってきちゃう病気なんですよね。もうほとんどたぶんそうですよ。自分の病気を話したことある人はみなさんわかると思うんですけど、そこでどういう説明をするかで病気の印象が全然変わってきちゃうんですよ。で、私自身も「かなり誤解されてたんだな」っていうふうに今は思うとこもたくさんありますし、まあそれはまあ自分の説明の仕方とか…。
 で、当時調子がよかったので、その、「あ、慢性疲労症候群でもこれだけ動けるんだ」って思われてたとこもたぶんあったとは思うんですね。だから逆にその、調子がいいとかいうと、逆にその、誤解が増してしまう、誤解される部分が増えてしまうっていう、まあほんとやっかいなとこなんですけど、と思うんですけど。やっぱりその、さっきも言ったようにその、伝え方がすごくなんて言うか、うん。

石川:そう。そのときよりも、そのちょっとあとに症状が出ちゃうからね。

西山:そうそうそう。

石川:「それ見て」って感じなんだけど、それ見せることが、家にいる人にしか見てもらえないし(笑)、誰も来てほしくないぐらい具合悪いからね。

西山:そうなんですね、そこがすごく難しいんですよね。うーん、ほんっとにね。まあ、そうですね。

石川:ですね。でもそれがやっぱりその社会参加だし、社会復帰の一歩でしたね。

西山:あ、そうですね。それは間違いなくその自分でも意識的にしてました。あの、「患者団体の活動をリハビリにしよう」ってふうに自分ではじめにそう決めてやってましたね。だから明確にそういうふうに思ってました。で、なおかつ「リハビリの範疇をこえないようにしよう」とも思ってましたね。やっぱりその、無理しちゃうと逆効果で、最悪病状が悪化しかねないので、まあそこだけは気をつけようと思ってやってました。

石川:そこが西山さんの、そこがちゃんとしてるところで。なんだろうね、うん、私もそうなりたいです(笑)。

西山:(笑) まあその、性格的な部分って言っちゃうと、まあ身もふたもないんですけど。まあ自分もやっぱりその、痛い目は何度か見てるんですよね、動きすぎちゃって。それこそそのね、アルバイトして調子悪くなっちゃったみたいなことあるし。その、調子がいいときでもやっぱり動きすぎると、しばらく動けなくなっちゃったりすることもあったんで、とにかくそれを避けたいっていう一心があったんですよね。あともう一つはやっぱりその、インターネット上で情報集めてて、ほかの患者さんが苦労してるのを情報としては知ってたわけですよ。そういうのあったからこそ、まあ自分でもその、ブレーキをかけることをより意識できたっていうところがありますね。だからその、ほんとインターネットのほかの患者さんの活動には助けられたって思ってます。

石川:ですねえ。やっぱりその、うん。そしてその翌年の2019年には、私たちと一緒に厚生労働省に要望書を出しに行きましたしね。

西山:そうなんですよね。まさか行けるとは思ってませんでしたね(笑)。というのも、2019年に入ってから調子を崩してしまいまして。まあその医療講演会が大変だったってのもあるんですけど、まあ別の要素があって、まあそれはちょっとその、まあ精神的なほうなんですけど。まあ精神的と言ってもその、精神的な、精神疾患とかではなくって、まあ別のちょっとまあ、まあ言ったら人間関係のストレスっていうか。

石川:精神的に落ち込みがあったり、

西山:うん、そうですね。落ち込みというかまあその、けっこう深刻な話が、まあそのね、友人関係っていうか人間関係の中であって、でそれでちょっと足引っ張られちゃって体調崩しちゃったんですけど。そうですね。
 まあそれでその、2019年ていうのはほんとによくなったり悪くなったりの繰り返しで、まあ「よく東京行けたな」ってほんとに思いますね。たまたまその、回復してたときだったのと、

石川:そうでしたよね。なんか「今だったら行けそう」っていう感じで。それで初(はつ)対面でしたね。

西山:そうですね、ほんとお会いできて、あの、ほんとに「はじめまして」で、ありがとうございました。

石川:初対面っていう気もしなかったけども(笑)。

西山:(笑) ねえ。これあのネットでね、交流してたりしてると不思議なところでね。「はじめまして」もおかしいですけど、まあ「はじめまして」から入りましたよね。

石川:そうそうそうそう、一応ね(笑)。

西山:うん、ほんとお会いできてよかったと思ってます。まあでもその、そうですね、その、まあ、まあぶっちゃけ…、

石川:その声を国に届けることがね、できて、

西山:うん、ほんとに。

石川:え、ぶっちゃけ、何?

西山:ぶっちゃけその、そうですね(笑)、うーん、あ、ちょっとここオフレコにしてもらおうかな。

石川:何、何?

西山:その、厚生労働省に提出するっていうことよりも、まあ石川さんに会いたいって気持ちのほうが強かったですね。

石川:あ、ありがとうございます。全然オフレコじゃなくていいですよ(笑)。

西山:(笑) ああ、まあじゃあ載せるかどうかはご判断にお任せします。

石川:(笑) 「お任せします」。ね、でもね、ほんとに、「やったぜ」っていう感じで。うん。ちゃんとあの、なんだろ、当事者の声を届けることって、そして国がどういう反応してるかっていうのを一緒に聞けてね、

西山:そうですね。

石川:うん。で、それでそれに対して、また今後どうするかっていう話とかもね、あの場にいる…、いないと、またその温度感とかいろんなものがね、共有できないのでね。

西山:そうですね。やっぱりその、まあ自分の普段の活動もそうなんですけど、やっぱ話(はなし)するのが大切だなって思いますよ。やっぱりその、直接まあ意見を交換したり、まあ意見を交換するだけじゃなくても、そのね、身の上話するだけでもいいんですけど、あ、自分の普段の活動はね。でもその延長線上に、やっぱりそういうね、しかるべきところに話、意見を届けるってのやっぱ、ほんと大切なんだなって思いましたね。で、ほんとに充実した時間でしたよね、あの、いろんな話ができて。まあ「こういう問題がある」って「大変なんです」ってまあ話ができましたし。まあね、お役所さんのほうもね、やっぱりその対応できるとこと、できないところがあるんだなってのもわかりましたし。で、そのほんと議員さんのかたが熱心に聞いてくれて、ほんとあれは嬉しかったですね。

石川:ですねえ。

西山:で、まあ石川さんの団体からもね、何人か当事者のかた出てもらって、その、まあ当事者にしかできない話(はなし)してもらって。あれもほんとにありがたかったかなあ、…たなあと思って。

石川:またこうみんなの話聞いてると、こっちもなんか、元気をもらうって言うと変ですけど、ね。

西山:うん、うん。そうなんです、そうなんです。

石川:なんだろう? 

西山:あれ不思議、

石川:なんかエネルギーがわいてきますよね、なんか。

西山:うん、ほんとに不思議ですよね。で、私の普段の活動、

石川:うん、すごいいるの疲れるんだけどね。

西山:うん。で、私の普段の活動がどこにあるかっていうと、まさにそこなんですよね。その、一番はじめはその、お世話になったNPOのかたの、まつてというか、そのかたが企画したイベントに、まあその、新潟に十日町っていうまあ雪深い山の中の町があるんですけど、そこでまあ引きこもりの支援の団体、あ、活動をされてる団体のかたも来ていらっしゃったんですね。で、そこのかたに呼ばれて、「慢性疲労症候群について解説してくれないか」っていう、まあ講師として呼んでもらえたんですよ。そこで話をした時にその、患者家族のかたが一人、お一人いらしてくれて。でまあその、ひと通り病気の話(はなし)したあとに、「じゃあ、みなさんからお話聞きましょう」ってなったときに、まあその人が、話してもらったんですけど、もうほんとにその、堰を切ったように話してくれたんですね。やっぱりその、普段どこにも話することがないっていう、そういう場所がないんだなっていう。

石川:言える場所がね、ないっていう、あの、なんだろな、抱え込んでるっていうか。

西山:そうですね。で、「あ、これ、ほんっと話す場所って必要なんだな」って思って。で何度か交流会繰り返してるうちに、まあその、ほんとその瞬間があるのは患者交流会、一番大切なんだなって思ってて、思うようになって。「これ何だろな?」って思ったときに、「心の棚おろしだな」って思ったんですね。

石川:ん?

西山:心の棚おろしをしてるんだなって、この場所で。

石川:あ、棚おろしね、うん。

西山:うん。まあ浄化って言うと、ちょっとかっこつけた言い方ですけど、ほんとにその普段言えない話をして、ここで心の重荷をみんな少しおろして、

石川:ちょっとおろしてくっていう、そしてなんかその、話してる人だけじゃなくて、聞いてるほうも、「ああ、自分だけじゃないんだなあ」って思ったり。

西山:その瞬間ってのは、ほかでは全然得られないことなんですね。

石川:うん、インターネットとまた違いますよね。

西山:そうですね。やっぱりその、文字だけでは伝わりきらないものって、やっぱいっぱいあるわけじゃないです…、

石川:ある。

西山:うん。でそれやっぱりその、ほんとその出かけるだけでも大変なんですけど、やっぱり対面して話すっていうのがほんとに大切なんだなって思いますね。

石川:ね。今コロナで、またそういうことがちょっとやりにくくなっちゃいましたけど。

西山:そうですね。

石川:コロナになって生活変わったところとかあります? まあ生活だったり、通院状況だったり、精神面だったり、何でもいいんですけども。

西山:やっぱりその、交流会を開催できなくなったっていうのが大きくて。で去年、2020年の10月にも交流会やったんですけど、それはオンラインでやりました。

石川:オンラインでやったんですね。

西山:そう、その、石川さんの話を参考にして、やっぱり。はじめはその、集まろうと思ったんですけど、まあ自分の体調が悪かったのと、やっぱりそのコロナに配慮して、まあオンラインでやったんですけど、やっぱりその、参加できる人とできない人がいるんですね。回線の問題とか、あとはまあ電話がね、もうガラケーだともう参加できないんで、そもそもオンライン・ミーティングなんか。

石川:たしかに、うん。パソコンかスマホ持ってて、Wi-Fi(ワイファイ)環境整ってないと。でまた整ってても、使い方っていうか技術面っていうか、まあ難しい技術じゃないんだけど、まあそういうのが苦手なかたはね。

西山:慣れてないとね。なんかハードルが上がっちゃってるんですよね、その集まるための。話をするためのハードルが上がっちゃってるので、そこが一番大きい変化、

石川:どうでした? 参加者。

西山:ん?

石川:参加者どうでした?

西山:あ、そうですね、10月のほうは、えー、3名参加していてもらったんですけど、まあ1人は会の会員のかたで、もう1人はよく参加してもらってる当事者のかたと、あとまあ議員さんのかたに、新潟市の市議のかたに参加してもらって、まあ、

石川:あ、いいですね。議員さん参加してもらって、当事者の話理解してもらうの、いいことですよね。

西山:で、当事者のかたも私以外に参加してもらったので、ほんっとによかったですね。

石川:ですねぇ、ほんとは対面のほうがいいけどね、ほんとはね。

西山:そうですね。でもほんと、私の話じゃなくて、ほかのかたの話も聞いてもらえたので、まあ。あまり長時間はできなかったし、まあ少人数だったんですけど、まあできてよかったなっていうのはありますけど、やっぱりその、できたらね、対面でやりたかったなっていうのはありますね。

石川:ただその、会場に行く体力がない人も参加できるっていうよさもあるんですけどね。

西山:うん、そうですね。それもその、会員のかたからもそういう声が前からあって、「出てこれない人が参加できる仕組みもあっていいんじゃない?」っていうふうには言われてたんですけど、まあ、前回のそのオンラインのミーティングのね、手間取りかた考えると、ちょっとまだそこまで環境が整ってないかなっていう感じはしますね。まあできる人だけしか参加できないし、やるにしてもけっこうね、時間取られちゃったりするんで。まあその、実際の会と並行しながらオンラインも補足的にやるっていうのが一番いいと思うんですけど、そこまでちょっと実際できるかなっていう。

石川:そうなんですよね。その、人員の問題とか、

西山:そうですね。まあ専属にその操作してくれる人がいないとたぶんできないと思うので。そうなってくるとね、ある程度くわしい人を1人、ちょっとね、専従してもらわないとだめなので、まあハードルが上がっちゃいますよね。

石川:あと私たち、体だけじゃなくて、その脳機能も落ちてるから、「あれもこれも」って頭ちょっとついていかないんですよね(笑)。

西山:そうですね、ほんとにね。当日もなんかほんとね、操作に手間取ってしまって、「普段そんなとこで手間取るとこじゃないのに」みたいな。やっぱりテンパるとだめなんですよね(笑)。追い詰められちゃうと、頭が回らない。

石川:うん、あとまあやっぱりいろんなことに神経使うから、追いつかなくなっちゃうんですよね。

西山:そうですね。人と話すっていうのが、これ自体が神経使いますし、やっぱりその、お客さんを迎える側なので、やっぱりけっこう、そういうある程度気づかいっていうのは必要なんですよね。で、そうしないとやっぱりそのね、参加してくれる人も話しづらくなってしまうし、やっぱ参加してくれる人に、どういうふうにそのね、話してもらうって、まあ気持ちよく話してもらって、話したいこと話してもらって、で帰ってもらうかっていうのが一番大切なので、やっぱけっこう疲れますよね。うん。

石川:うん。私も参加したかったですよ(笑)。

西山:(笑) ありがとうございます。もうほん…、石川さんにね、参加してもらえればほんとにねえ。

石川:えー、よかったの?

西山:いや、全然全然いいですよ。

石川:私、新潟限定かなと思って。

西山:ああ、まあまあ基本的にはね、そうなんですけど。まあ石川さんはまあね、ほかの団体の主催されるかたですし。

石川:あ、スペゲス枠で(笑)。

西山:うん、そうです、そうですね。特別、特別ゲストみたいな感じで。

石川:(笑) あ、通院の面ではどうですか? コロナになってから。

西山:通院はですね、うーん、まあコロナ以前からまあ体調崩しちゃってその、上越通えなくなっちゃったんですね。なので、

石川:ええ。だって一日仕事ですよね? 片道3時間だと。

西山:そうですね。いや、体調よければ行けるんですけど、ほんと体調崩して行けなくなっちゃったので。で以前からその、漢方の専門治療は受けたいなとは思ってたんですね。ただその、下村先生のところで漢方出してもらってるので、これ以上服用もできないし、どうしようかなって思ってたんですけど。まあそうですね、まあやっぱり上越まで行けないし。それにその、下村先生が近々その、あ、引退されるんですね。なので、いずれにしろその、新しい病院見つけなきゃいけなかったんですね。で、まあ以前から気になってた近くの、地元の漢方専門の先生に、まあ予約取って行ったんですけど。その先生、すごく評判のいい先生で、まあその、漢方の名医を取り上げた本なんかに名前が載るくらいのその、すごい人なんですけど。まあやっぱり話もよく聞いてくれますし、で処方も的確なのを出してくれますし、それに下村先生に出してもらってた処方も出してもらえるようになったんですよ。だからまあ、なんとかここで。まあ以前の状態にちょっと、ちょっとかえったってことですね。まあ専門治療ではないんですけども、「漢方の先生のところでちょっと診てもらおう」っていうふうにしてるのが、まあ今の状態なんですね。

石川:じゃあ、西山さんは障害年金とか障害者手帳とか、そういう公的な支援受けられてるんでしたっけ?

西山:いや、受けてないですね。というのも、

石川:え? 両方とも?

西山:はい。あのー、まあはじめにその診断受けたときに、「治りかけの慢性疲労症候群だよ」ってね、言われてたんですね。まあ要するにその、治癒の可能性があるって思われてたんだと思いますし、私自身もその、寝たきりほどではない、ある程度は自分の体動かせるし。だったらリハビリして治していきたいし、社会復帰したいなって思ってたので、まあ障害年金は取らなかったんですね。で、ただあの、父も働いてましたし、まあその、どうしても必要な状態ではないなっていうふうに思ってたんですね。ただ、もう悪化したらそっちの方面で考えるとは思ってたんですけど、まあ幸い、そこまで悪化もしなかったので、今までその障害年金とか、手帳、手帳も持ってないです。
 で、以前その下村先生にお話ししたときも、わりと調子のいいときだったので、まあ「手帳を取るにしてもまあ6級、身体6級だよ」って言われたんですね。「まあ6級って言ったらもう、取るのに手間かかるけど、取るメリットがあんまりないよ」っていうふうに言われたんですよ。「だったらまあ、今はいいかな」っていうふうに思ってましたね。なのでまあ障害年金は受けてない、手帳もない、という状態ですね。

石川:西山さんは学生時代に、10代、2000年のときに発症してるので、障害年金は1級と2級しかないんですもんね。

西山:ん?

石川:障害年金の3級っていうのが厚生年金だけなんですよ。

西山:ああ、そうですね。はいはいはい、そうです、そうです。お金がもらえるのがってことですよね?

石川:うん、そうそうそう。国民年金だと3級っていう設定がないんですよね。

西山:うんうんうん。

石川:それ設定があれば通ったと思うけど、1級と2級しかないもんね。

西山:ああ。

石川:そこ私、「国民年金の人も3級必要じゃないの?」って、私はすごく思うんですけど。

西山:そうですね。まあ障害年金っていうふうに限らないですけど、その公的支援の仕組みっていうのがけっこうその、まあアンバランスって言ったらいいのかな、まあ私もそんなくわしくないんですけど、ところがあって、やっぱその、利用しづらかったり、ちょっとでも収入があると、そのね、支給が受けられなくなったりっていう制度もあるので、ちょっとそのへんやっぱ実情とそぐわないところがあるなっていうふうには思いますね。まあただそのね、制度上の問題なんで、なかなか難しいんですけど。もうちょっと、

石川:なんかあの、たとえばわれわれの病気を障害と見るかどうかっていうところで、いろんな意見もあったり。「手も足もあるじゃない」っていう、

西山:そうそう、そういうことですよね。

石川:ふうに言われちゃうとかもあるけど、「いや、あるんだけどさ」っていうね。

西山:だからそこはね、やっぱりその説明しないとわからない病気っていうところが一番大きいネックなんですよね。だから機能は低下してるんだけど、外から見るとそんなにひどい状態には見えないみたいなところがあって、それがやっぱりそのね、

石川:いや、ほんとに重い人だけだよね。

西山:うーん。なんだけど、実情はね、ほんとに。よくそのね、ネットで冗談っぽく言われるんですけど、「もう後期高齢者の人より、私たち体力ないよね」みたいな話で盛り上がることあるじゃないですか。

石川:だからせめてじゃあ介護保険使える病気の…、あの、40歳からでしたっけ、40歳からこの病気の人たちは…、ほんとは65歳からか、介護保険使えるのって。だけど40歳からこの病気の人たちは使えるよっていうリストに入れてもらえたら、またちょっといいんですけどね。

西山:そうですね。まあ私なんかまだいいんですけど、ほんとにその、最重症の患者で家族の介護だけが頼りだ、みたいな人、けっこうネットで発信してたりするんですよね。まあそういう人たち見ると、ほんとこれ、ねえ、何の支援も…、

石川:ね。親が死んだら生きていけないってね。

西山:そうそうそうそう。「どうなっちゃうの?」みたいな。で結局そのね、そういう人たち、その支援の行き着く先って、結局まあ生活保護とかになっちゃうんですよね。まあ実際その、まわりの人にもそういう人いますし。「それでいいのかな?」っていうふうに、

石川:いますけど、生活保護受けてもさ、家事ができないんだけどっていうことじゃないですか。

西山:そうそう、そうですよね。そこで齟齬がまた出て、まあヘルパーさんにまた嫌味言われたりって、みたいな話もけっこう聞きますよね。「全然」、そのね、「大変そうに見えない」みたいな。まあ「でもね、最近体動かないんです」みたいな、でも言っても、全然その話が通じないみたいな。で、そのヘルパーさんとのやり取りで疲れちゃうみたいな話もよく聞きますので、やっぱり病気として認めてもらうっていうのが…

石川:やっぱ疑いの目で見られる病気なのかなあ?

西山:うーん、まあそうですね。まあ、そうですね。

石川:疑いの目で見られるってわけじゃないんだけど、動けないところを、一番大変なところを、外に…、一番大変な状態のときは家から出れないから、ほんとに家族しか知らないっていうところがね。みんな見てるのは、すごくいいとこしか見れないじゃないですか。

西山:そうそう、そうなんですよ、うん。

石川:ね。そこだよね。「それが普通じゃねえんだ」って。それ最高にいい状態に持ってきてるだけであって、その次の日絶対寝込んでるからっていうか(笑)。次の日だけじゃないよね。

西山:だから、もう自分も最近思いだすと、これ明らかにその、誤解って言葉はちょっとあの合わないんですけど、まあ何て言ったらいいかな、その病気をじ…、

石川:1時間過ぎちゃってるけど、大丈夫?

西山:あ、うん、まあ大丈夫です、うん。脳も大丈夫なんで、まあ、

石川:アドレナリン出てきちゃった?(笑)

西山:うーん、まだ、まあ大丈夫ですね。まあその、ちゃんとわかってもらえてなかったんだなって最近思いだして、うん、とこなんですけど。やっぱその、調子のいいとき、その活動し始めたときも上り調子だったんで、まあ調子よかったんですよね。で、ある程度動ける状態だったので、まあ動けるとこしかほかの人には見てもらえないわけですよ。だからまあ、「あ、この人動けるんだな。まあまあ病気も大変そうだけど」。まあ病気を否定されることはなかったんですけど、やっぱりその病気の実態というか、その一番核になる問題がやっぱり伝わってなかったなっていうのは最近痛感してますね。
 確かにその疑いの目で見られるっていうか、まあ病気を否定されたりってことはなかった…、幸いにもね、私の場合はなかったんですけど、まあ動けてしまうことで逆に誤解を増長させてたっていうところはあって。まあほんと難しいなってふうには思いますね。

石川:またなんか、みんなの前に、人前に出るとき、なんでしょうね、なんか「がんばんなきゃ」とか、私なってて。で、

西山:うーん。うん、いや、それはもう、うん。

石川:うん、あとはしんどければしんどいほど何も言えなくなっちゃって、

西山:そうそうそう、そうですよね。

石川:「ただいるだけで精一杯」みたいになっちゃって、説明する体力とか、頭のスタミナとか、そういうのもちょっと足りないんですよね。

西山:うーん、ほんとにね。

石川:やっかいだよね。ほんとに。

西山:やっぱりその、人前に出るときは、どうしても気が張るんですよね。その、ね、これも病気に限った話じゃないんですけど、その、やっぱり精神疾患のなんか、でよく言われるらしいんですけど、やっぱりその医者の前だと張り切ってしまう。張り切ってしまうっていうか、そのね、気を張ってしまうので、普段よりその、元気に見せてしまう、無意識のうちにね、…てしまうんだけど、ほんとはその患者はもっとしんどい状態にあるんだよ、みたいな注意が書かれてたりっていうまあ文献とかもよく見たりするんですよね。まあそれと同じ状況がわれわれの病気にもあって。でもやっぱりそのね、ある程度消耗してしまうと、今度は話すこともうまくできなくなってしまうっていう。まあそのギャップをどう理解してもらうかってなると、なかなか難しいんですけど。まあ石川さんがYouTube(ユーチューブ)に公開されてる動画なんかだと、ね、あの、倉恒先生と一緒に出てる動画で、私ちょっとときどき引用させてもらってるんですけど、あれなんかほんっとにその、まあ言い方悪いんですけど、すごくその、病気の実態をよく反映されてて、その、

石川:あれ、私のやばいシーンありましたっけ?(笑)

西山:やばいシーン、やばいシーン、うんうん、まあそうですね、やっぱりその、話し方、ほんとにその、声も途切れ途切れで、

石川:ああ、しどろもどろってるところ?

西山:うん。で、息もすごく苦しそうにしゃべってるし。でその、リクライニング車いすじゃないと体がもたないとかっていう、まあ説明をさせてもらうんですけど。まあ、ああいう動画があることでね、あ、ほんとにその、今目の前にいる私、西山なんかまあほんとに動けてるけど、ま、そういう重度のかたも、重症のかたもいらっしゃるんだなっていうのがよくわかる動画だとは思うんですよね。だからああいう動画公開してもらって、ほんとにありがたいなと思ってますし。

石川:もしかして挨拶のときかな? 啓発デーの。

西山:そうですそうですそうです、そうですそうです、啓発デーの挨拶のとき。2017年か、のあたりだったと思いますけど。

石川:うん、そうかも。あとなんか、みんな気づいてるかわかんないけど、リクライニング、フルフラットにしてて、リクライニングで、挨拶のときに体起こそうとして、「やっぱ無理」って下げてもらってるところがあるんだけど(笑)。

西山:そこはちょっとあの、あれですよね、なんか伝わりづらいやつですよね。わかんなかったです、そこは。

石川:誰もさ、わかんない。なった人は、「あ、これもう体、10度15度起こすだけでもきついんだな」っていう状態もあるわけですよ。

西山:細かすぎて伝わらないやつですね。

石川:そうそうそう(笑)。そうなの、その同じ病気の人でもさ、その体験をしてない人のほうがたぶん多いから。

西山:そうなんですよね、うん。それはね、言われないとたぶんわからないところでね。で、そういうところがいっぱいあるんですよね、われわれの病気には、うん。ほんと説明しないと、で、説明の仕方もちょっと気をつけないといけないし、っていうところだと思います。やっかいな部分だってふうには思いますね。

石川:ですね。なんかもうちょっとその、発信をしていかな…、こなか…、発信をしてこれなかったから、この病気に対するいろんなことが取り残されてきたような気もしますよね?

西山:そうですね、まさにその通りだとは思います。まあただその患者側が発信するってのやっぱ限度があるんですよね。

石川:病院で、医療不信に陥るようなことがたくさんあったりすると、もうその病名も出したくないし、みたいな、こう医療不信プラス人間不信みたいになってる方もいらっしゃいますよね。

西山:ああ、そうですねえ。まあそれはね、そういう人もいますよね。でも私はそういう人たちを夜叉と呼んでたんですけど。

石川:ん?

西山:あのね、その、ほんとにその、怒りで何にも前が見えなくなっちゃって、もう「まわり敵だらけだ」みたいな人になっちゃう人も中にはいて。ただ自分の場合は、うん、たしかにそういうことはなかったですね。というのもその、やっぱりその、医療者の人たちと適切なかん…、距離感を取るっていう気づかいはずっと、気づかいっていうかな、まあそう心構えというか、は、してたんですよね。まあたしかにその、病気と認めてはもらえないけれど、その、環境が悪いってのもわかってましたし、まあ患者がやっぱりその、「この病気じゃないか」っていうふうに相談すんのもやっぱ間違ってるなっていうのはずっと思ってたっていうのはあったんですよね。だからそのまあ、たしかにその、話は通じないんだけど、医療不信、

石川:まではいってない、

西山:にはならなかった。幸いその、「そんな病気ないよ」とか、「気のせいじゃないの」っていうふうに言われたことはないんですね。で、まあそれに近いことは言われたことはあるんですけど、まあ「そういう人もいるよな」っていうふうには思ってましたね。とくにその、あ、やっぱりその、まあちょっと、こういう言い方はちょっとよくないかもしれないけど、まあ精神科系の界隈だと、どうしてもね、その、うまく病名がつかないとみんな身体表現性障害にされてしまうみたいなのが、ちょっとこのね、言い方ちょっと乱暴ですけど、そういうとこもあるんですよね。で、そういう実情もある程度知識として知ってたので、まあ「しょうがないな」ってふうには思ってたんですね。で、まだ情報としてその、診てもらえるところもあるっていうふうなのを知ってたのはけっこうよかったとは思いますね。「まあここでは話が通じないけど、まあたぶんよそでは、まあそこに行けば何とかなるかもしれないな」っていう気持ちがあったっていうのもまあ、そういう医療不信に陥らなかったっていう、まあやっぱり情報が大切だったっていうことですよね。

石川:ね。これがほんとに、図書館とか本屋にも並んでたらね。

西山:そうですね。最近ようやくそういうそういう状況に、

石川:ようやく! ようやく整った!

西山:で、一昨年でしたっけ、あの青い表紙の、あの、『診療の手引き』、あれはほんとにいい本でしたね。すばらしかったです。今までその、こういうふうにその、医療…、慢性疲労症候群に関するその、医療的な情報がまとまった本っていうのがなくて、

石川:なかった。「なんでないの?」って。

西山:そう。いろんなその、本に、専門誌にその、ね、論文とかが分散してて、調べるのもうけっこう一苦労だったんですよ。とくにわれわれみたいな医療職じゃない人間が探そうとすると、ほんとにその、まあそれこそ国会図書館行かないと調べらんないみたいな情報けっこうあるんですよ。なのでその、東京行ったときに、まあこれ幸いとばかりにもう一目散に国会図書館行って調べたっていうこともありましたし。で、それをしなくてすむようになったっていうだけで、すーごい環境が違うんですよね、以前とね。やっぱりその、

石川:あとその、論文はね、1件っていうか1つの、なんて言うか、すべての論文が正しいわけでもないし。

西山:うん、そうですね。そういう検証、われわれはできないですからね、うん。

石川:うん。論文イコール正解じゃないから。うん。ああいうふうに一つの本になってくれて助かりましたよね。

西山:うん、ほんとに。ほんとにあれ、「出してくれてありがとう」しか言えないですよね。で、やっぱりその、医師のかたがちゃんと名前を出して、えー、まあそういう本を出しているっていうのが、まあ一番大きいですよね。もう「患者が好き勝手言ってる」じゃなくって、まあ医師が「こういう研究があって、こうこうこういう経緯で、こういう結論がここに出てるんです」っていう証拠を明確に出せるので。だからあの本があるのとないのとでは全然違いますよね。

石川:そうですよね。エビデンスもちゃんとね。うん。

西山:まあそのね、さっき石川さんが言ってたように、その患者の語りってのも大切で、患者さんが出された本も何冊かありますけど。まあそれも大切なんですけど、やっぱりその医療的な説得力を持たせるためには、医師のかたが書いた本っていうのは絶対必要なんですよね。それが今までなかったので、もうほんとに助かります。助かりました、ほんとに。ね、あれを書いていただいた医師のかたには「ありがとうございます」しかない、言えないんですけど

石川:いや、本当は「治療ガイドライン」になるはずだったんですけどね。

西山:ああ、まあなんかいろいろ、そこはね、事情があったんですよね(笑)。

石川:いろいろあったので、ああするしかなかったというか。うん。ほんとはもし、治療ガイドラインっていうのに乗っかってれば、何年かおきにちゃんと更新もされるレールに乗っかったし、あの、

西山:ああ、なるほどね。うん。

石川:うん。あとは医者が全員、ほぼ無料でアクセスできるし、患者もアクセスできたわけですよ。うん。

西山:あー。ああ、そうか、そうですよね。

石川:あの、Minds(マインズ)に載るからね。

西山:うーん、Minds、はいはいはい。

石川:で、改訂もされるわけですよ、定期的に。

西山:ああ、なるほどねえ。

石川:あれじゃ、でも次どうなるかわかんないよ(笑)。だからもう悔しいですよ、うん。

西山:うん、そうですね。まあその、石川さんとしてはそこ、かなり思うことがあると思うんですけど、

石川:そこは悔しいです。

西山:ただまあ、そうですね、そういう、

石川:ないよりはあったほうが全然いいんだけど、

西山:そうそうそうそう。本として出てるっていうのは、ほんとにね、もう雲泥の差だと思いますね、私としては。

石川:思います。ただし、

西山:あれがあることで、ま、患者が好き勝手言ってるわけじゃなくって、で医療的な証拠があるんだっていう証拠を提示できるので、ほんとあれが出てから、それこそね、2017年にその研究班の、日本の研究班がね、まあその身体的な病気だっていう証拠を出して、世界の流れが変わったっていうのはあるんですけど、まあそれ以上に国内では、あの本が出たことでだいぶ状況的には変わったと思いますね。

石川:青森市議会では、

西山:慢性疲労症候群、

石川:そうそうそう、あの治療ガイドラインが、厚生労働省の研究班から治療ガイドラインが出たら、青森市の行政としても、地域の医師会とも掛け合って診療体制ができるようにやっていきますっていうふうに決まってたんですよ。

西山:ああー、なるほどね。それはちょっと、なるほどねえ。

石川:それだから、それが一個ね、進めば、それ、ほかの地域でもできて、波及してったと思うから、それは非常に残念で。だから一般書籍と、あの治療ガイドラインに載るっていうのと、また違うんですよね。

西山:ああ、なるほどねえ。

石川:そこは非常に悔しいんですよ、ブログに書いちゃったけど、うん(笑)。

西山:ああ、それちょっと見逃してました。最近ちょっとネットの活動も控えめにしてるので。

石川:うん、そうなんですよ。なので、今後はどんな予定ですか? コロナがあるから集まったり、難しいですけど。

西山:そうですね。まあその、自分が体調崩しちゃったので、これまで通りの活動ができなくなっちゃったんですよ。だから以前みたいにその交流会定期的に開いて集まるってことがまあできない。まあコロナのせいもありますけど。で、現状その、団体としては活動方針を変更して、今まで私が1人でまあ準備なり開催なりいろいろやってたんですけど、今はその運営に参加してもらってるかたが、えー、今は3人か、3人いらっしゃるんですけど、まあその方々個人でちょっとね、その活動してくださいってお願いしてるんですね。それはその、私がやってきた、そのいろんなとこにお邪魔して、まあ自分の話をしてっていう活動をみなさんでやってくださいっていう話をしたんですね。ただその、まあやっぱできる人とできない人いるので、まあやっぱりそう…。で、まああとは体調を回復させて以前の活動形態に戻りたいっていうのが、まあ現状考えてることなんですけど。

石川:まあそんな感じで、今後はちょっとコロナもあって活動しづらい状況ではありますけど、団体になったので、今までみたいにこう一人、最初のころみたいに一人でやんなきゃいけないっていう体制でもなくなって、ちょっと、なんていうか、運営の裾野も広げつつ?

西山:そうなるといいんですけど。まあその、今までやっぱり自分一人でやってて…、たんですよ、実質的には。運営に参加して…、するって言ってくれたかたは何人かいらっしゃったんですけど、まあ実質的には自分が一人で企画して、まあ運営してたんですね。で、2019年にそれ引き継ぎというか、まあ今まで一人でやってたんですけど、まあ「今後はみなさんと一緒にやっていきたい」っていう話をしようとしてたところに、まあ体調崩しちゃったり、参加者が少なかったりで、だからうまく引き継ぎができなかったんですね。だからまあ今その、開催、活動方法を変更せざるを得なくなってしまったってとこもあるんですよ。だからまあ、そういうその、運営の裾野を広げるっていうのもこれからの課題なんですね。なんでまあ、そうですね、まあ「一から仕切り直し」じゃないですけど、「また新しい方法をなんとか模索していかないといけない状況になってしまったな」っていうのが今の状況なんですねえ。

石川:なるほど。あとはあれですね、要望書は年に1回出したいですね。

西山:(笑) そうですね。

石川:出したいけど、うーん、続けていけたらいいけど、うーん、って感じ。

西山:うんうん、そうですね。あの、まあこちらとしてもその、会の運営がうまくいけばそちらのほうにもお邪魔できるようになると思うので、まあうまくいかせたいとは思ってますし、まあその、協力してくれるかたがいらっしゃればね、ぜひ協力をお願いしたいなあとも思ってます。やっぱりその、こういう患者が集まる場所ってのはすごい貴重ですし、話ができる場所があるだけで全然違うんですよね。なんかこういう機会はやっぱ失いたくないとは思ってます。だからまあ、がんばってはいきたいですね。

石川:ありがとうございました、今日は。

西山:ああ、いや、ありがとうございました。


[音声終了]


*作成・更新:中井 良平
UP:20210927 REV:20220512
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