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鈴木智氏インタビュー

20210213 聞き手:石川真紀 於:Zoom

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■インタビュー情報

◇鈴木 智 i2021 インタビュー 2021/02/13 聞き手:石川 真紀 於:Zoom
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

難病  ◇線維筋痛症  ◇CRPS:複合性局所疼痛症候群  ◇慢性疲労症候群  ◇なおすこと  ◇名づけ認め分かり語る…  ◇原因/帰属 c11

■本文

100分

※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]


石川:鈴木さん、今日はよろしくお願いします。

鈴木:よろしくお願いします。

石川:はい、鈴木さんは仕事していらっしゃいますけれども、現役で。

鈴木:はい。

石川:今、その病気を抱えながら、体調不良と付き合いながら仕事されてますけれども、そもそもの始まりはいつ頃だったですか?

鈴木:えっと、私が発症したのは15歳のときですね、中学3年生のとき。ちょうど東京に住んでいたんですけど、東京から広島に、あの、もともと自宅が広島にあって、私が帰りたいって言って、父を残して広島に戻ってきたんです。それで、勉強してる最中になんか体がおかしいなと思って。ものすごく重いし、頭痛もすごいひどいし、「なんなんだろう、これは? でもきっと勉強のストレスだ」とずっと、そのときは思って。でもその症状がまったく治まらないので、「これはおかしいな」と思って病院に行ったんですけど、全然検査でも異常はないし。ただアレルギーがあったので、「アレルギーのせいだ」って言われて、すっごい強い薬を、もうボルタレンとかロキソニンとか1日3錠とか飲んでて、痛みを止めるのに。まあなんかそれはいま考えるとすごくよくなかったと思うんですけど。ものすごいきつい痛みどめをずっと処方されて飲んでたんですけど、全然効かないし良くならなくて。

石川:熱はなかったんですか? その時は。

鈴木:熱はね、測った覚えはないんですよ。でも微熱があるっていうような感じではなかったですね。

石川:感じではなかったんでしょうね。もしあったら絶対、「あれ、熱ありそうだな。測ってみよう」ってなったりしますし。

鈴木:なりますよね。

石川:病院でもいちおう測ったりすると思うので、そのときはじゃあ、なかったのかな。

鈴木:なかったと思います。自分のそのひどい症状は倦怠感で。それと頭痛ですね、当時は。

石川:じゃあ学校は普通どおり行けたんですか?

鈴木:学校は一応、中学までなんとかなったんですけど、高校すごいしんどくって。わりとなんかその、保健室とかで休んでましたね。だから「これは大学受験厳しいな」って思って。で親も周囲も誰も理解してくれなかったんです、私の場合。で、もう私が学校に行かなかったら、たぶん家庭崩壊するなって思ったし。そういう人間を許容できるような家庭じゃなかったんで。

石川:ご両親が厳しい感じですか?

鈴木:厳しかったのかな。厳しかったというか、なんか全然「弱さ」とかを受け入れられる強い人たちじゃなかった。だからもうとにかく「病気でちょっとしんどい」って言うと、すっごい怒られる。これ言っていいのか今わかんないけど、病気だって言うとやっぱり、うーん、すごい怒られて。

石川:どういうふうに怒られるんですか? なんか「言い訳してる」とか?

鈴木:うーん、たとえば「頭が痛い」って言うと、「うるさい、黙って」っていう感じですね。

石川:えっ? もうそれ以上話さしてもらえない、みたいな?

鈴木:話させてくれない。そういう「痛い」とか「しんどい」とか「頭痛い」とかは、日常を何ていうか、毎日の日常をおびやかすリスク、おびやかすものなので、母としては見たくなかったんだと思うんですよね。うちは単身赴任で父が東京で仕事していて、母しかいなかったんですよ、家に。でまだ、

石川:ごきょうだいは?

鈴木:ん? あ、きょうだいが、下に二人妹がいて、で下の、一番下の妹がまだ小学生、小学校低学年だったので、すごく離れてたんですね、歳が。で、たぶん母も子育てに大変だったし、父との関係もすごく悪くて、とにかくその娘たち、

石川:余裕がなかったのかもしれませんけども、[00:05:02]

鈴木:そうそう、余裕がなかったんだと思うんです。

石川:でも普通、体調不良をうったえたら親だったら心配するのに、話させてくれないっていうのは、子どもじゃなくても大人でもちょっと、なんでしょう、信頼できないっていうか頼れない?

鈴木:だから私、ずっと大学時代はこれ精神疾患…、精神疾患っていうか鬱系なのかなって。考えてみると両親ってこの子を理解しようみたいところが全然ない人たちだったんですね。中学のとき…、あ、中学だけじゃない、小学校のときにもすごいいじめられたんですけど、私。で、小学校の先生が心配して親に告げたみたいなんですけど。父にも母にも「いじめられるのはいじめられるやつが悪い」「お前が駄目だからいじめられるんだ」って言われましたね(笑)。なんかもうそういう、なんだろう、一事が万事、弱いのは許さない、っていうか、恥だ、みたいなとこがあって、すごく。

石川:じゃあ味方になってくれる人いなかったんですか?

鈴木:いなかった。一人もいなくって。まあ、その、小学校の先生とかにはわりとかわいがられるところはありました。それがいじめの一因だったかもしれないと今は思いますが。当時はわりとその、まあ先生とかが、なんだろ、かわいがってくれたんですけど、親にとってそれは普通というか。だからその「できない」ってことがたぶん許せなくって。もう、だからちょっといじめられたりとか、そういうマイナスなことがあると、もう「お前が悪い」って、「お前がなんとか対応できないのが悪いんだ」っていうような感じだったんですよね。それでちょっと話がずれるんですけど、誰にも言えなかった、その病気のことも、まあいじめのときもそうだし。だからたぶん書くことにいったんですよね。自分の思いを。で、それを書いて。当時『ジャンプ』がいじめの特集やってたの知ってます?

石川:おお、当時って、何年頃だろう?

鈴木:当時、20…、もう、え、だから約25年前ですよね。

石川:25年前は、もう『ジャンプ』読んでない(笑)。

鈴木:(笑) 当時ドラゴンボールとか、『ジャンプ』が一番読まれてた時期で、確かギネスに登録されて。その、『ジャンプ』の黄金時代に、いじめの連載特集をやってたんですよ。その特集でいじめ問題で何が問題かを当事者の目線から書いて、2ページ、載ったんです、『ジャンプ』に(笑)。そして、その『ジャンプ』の編集部とかから連絡くるんですけど、そしたらもう母が「そんな恥さらしなこと絶対許さない」ってすごい怒って(笑)。あ、やっぱり恥だと思ってたんだなって。それが忘れられない(笑)。

石川:えー。

鈴木:そういう感じ(笑)。

石川:じゃ、ちょっと安心できる環境じゃなかったし、

鈴木:ないですね。

石川:抱え込むしかなかったんですね?

鈴木:そうですね。だから味方が一人もいないんです、学校にもいないし。

石川:こう友だちとか?

鈴木:そうそう、先生は先生で物わかりのよい優等生か、いわゆる不良っていうか、先生的に分かりやすい問題児しか好きじゃないし。だから、で中学でその、なんかよくわからない病気になっちゃって、かろうじてなんとか生きるために保ってたその、うーん、なんかその能力主義の世界で生き抜くというか勝ち抜くための力も失われて、「どうやって生きていこう?」っていう感じでしたね、ほんとに。誰も私の複雑な弱さを分かってくれる人は…、いなかったんですね。だから絶望してるんだけど、「誰もこの絶望をわかってくれない」みたいな感じで。で保健室で寝てたりして。

石川:その頃ってスクールカウンセラーとかもいないですよね?

鈴木:あ、いないいない。いないし、もう完全に、なんかちょっと「精神弱い子」みたいな感じで見られることを選んだというか。でも「ちょっと鬱病とか精神疾患とも違うよね」みたいな、「よくわかんないけど、まあしんどいんだね」っていう感じでなんとか受け入れられてたんですけど、その保健室では。でも学校では勉強もあんまり集中できないし。一方で親も先生も「よい大学行ってよい会社に入るのは当たり前」っていう価値観、なんか、今考えると、それしか知らなかったんでしょうけど。それができなければ、切られる、無情に切られるっていうプレッシャーがありました。

石川:ていうか、ご両親がご自分たちも健康だったのかな?

鈴木:非常に健康なんですよ。

石川:健康だからわかんないんじゃない? (笑)

鈴木:そう、まさにそうなんです。うちね、母がいっさい病気したことないんですよ。で、うちの母方の祖母が最近亡くなったんですけれど、104歳で亡くなって。で、いっさい病気したことないんです、老衰ですよ。最後の10年は大変過酷な環境下にいたにも関わらず。過酷な環境じゃなかったら、もっと長生きしたと思います。

石川:強い遺伝子持っ…、受け継いでますね、鈴木さんも(笑)。

鈴木:でも父のほうは弱くて、あの、ほら腎臓の指定難病もあるし。両極端なんです。ただ、父とはずっと離れて暮らしていたので。だから母は全然わかんなかったですね、病気の人たちのこと…、本当に風邪さえ引いたことないから、母は(笑)。

石川:うらやましいですけども。

鈴木:そう。長寿で全国的に有名な島の出身で。かなりの住民が100歳以上生きるような島なんですけど(笑)、そこの出身なんですね。めちゃくちゃ母は強い。でも父は逆で、わりと両親も早くに亡くなってるし、祖父母も60ぐらいで亡くなってて。で、そのひいばあちゃんは20代とかで腎臓病でなくなってるんで、父のほうは。

石川:鈴木さんの腎臓は、何歳ぐらいからですか?

鈴木:あ、それ、わからないらしいんです。あの、人によって違うみたいで。でもだいたい60くらいからまずくなるらしくて。

石川:鈴木さんが腎臓に異常がわかったの、

鈴木:ああ、わかったのは最近ですね。

石川:あ、そうなんですね。

鈴木:ていうかね、ずっと前からわかってたんです、水胞が結構あるっていうのは。でもあれって遺伝子の病気だから、遺伝子の病気でその、あの、まあそうじゃない人もいるけどだいたいが遺伝の病気だから、父が発症するまではっきりわからないんですよ。で発症ってだいたい60過ぎてから発症するんで。で、うちも父が発症してわかったんですよね。

石川:なるほど。

鈴木:そもそも希少難病だから、病気を知っている医師がほとんどいないんです。だからそれまでは「水胞が多いですね」「多いですね」って言われてて。身体の、特に腎臓なんですけど、腎臓に水胞がもうどうしようもなく多くなって、もう腎臓が機能する…、しなくなるぐらい多くなったら、移植か透析を選択するっていう対処療法しかない。指定難病なんで、その、原因がよくわかってないんですよ。遺伝子が関係していることしか。で、治療法もないし。だから医者としても、診断しても診断しなくても、どうしようもないですし。父も今のところ何の治療も受けていません。ただ最近はその、遅らせる薬ができたんです。でも、その遅らせる薬にしても、もう発症手前のところまでいかないと適用してもらえないから、あんまり意味がなくて。

石川:ああ、なるほど。じゃあ学生時代は別に腎臓が由来の症状とかではなく、とくにそっちには関係なかったんですね?

鈴木:と思ってるんですけど、でもわかんないんですよね、それってなんか。なんかその多発性嚢胞腎って最近わかってきた病気なんですよ。なんでかというとその遺伝子、遺伝病なんですけれど、片方は正常な遺伝子じゃないですか。で、異常な遺伝子は片方だけだから発症が遅いらしいんです。だいたい60ぐらいからって言われてて、まあ早い人は40ぐらいから悪くなるらしいですけど。そうすると昔の寿命だとみんな亡くなってるから、60ぐらいまでで。あんまり問題にならなかったらしいんですね、それまでは。

石川:データもあまりなかったのかもしれないですね。

鈴木:そうそう。だから本当に、多発性嚢胞腎でも多発性嚢胞腎って診断されないまま亡くなっている人はたくさんいて、医者のあいだでもほとんど知られていないから、まだ。診られる医者も、大阪なら大阪大学とか、本当に少ないんで。あの、指定難病とはいえ、多発性嚢胞腎は多発性嚢胞腎で色々と問題があるんですよね。[00:15:35]

石川:で、まあ高校時代まではご両親とっていうか家族と住んで、味方になってくれる人もいなくて。じゃあ笑っている時間ってありました?

鈴木:笑ってる時間、なかった気がします(笑)。あ、ただね、そのときに、障害のある人たちと付き合ったんですよ。どうやって生きたらいいかわからなくて、「じゃあ障害のある人たちどうやって生きているんだろう?」って思ったんですね。そして障害のある人たちのところに通って、なんかそのボランティアじゃないですけど、やらせてもらって。そこはある種の居場所だったかもしれないですね。まあそこはそこで、厳しいところもある場所だったんですけど、でも素敵な人たちにお会いできたりして。あの、これ、話すとすごい長くなっちゃうんですけど、簡単に言うと、その人たちに、「もう弱いってことをさらけ出して生きていくしかないんだ」みたいなことを肌で学んだんですよね。なんかそれまでは「強くあらねばならない」って思っていたし、そういう環境だったし。でも、そうやって生きてくことはもうできないなって思っていたから、彼らから、障害のある人たちから学びましたよね。

石川:まあ家庭では見つけられないものでしたもんね、その、弱さを抱えながらどうするかとか。

鈴木:そうそう。今もそうです、あまり変わってないですね。そこは。

石川:苦しいなあ。苦しいですね、その家庭で弱さが出せないっていうのは。で、そのあと、でも大学に進学もできたんですか? 高校は卒業できて。

鈴木:あ、そうですね。あそうそう、大学はその、体調的にかなり厳しいなって感じました。でも、あの、まあそうやってちょっと誰にも理解されないから、自分の思いをけっこう文章にしたりして、でなんかその、読書感想文コンクールとかで色々賞をもらったりしたんです、それで新聞に載ったりして。それから音楽をしていて、全国大会とかにも出場したりして。で、当時自己推薦入学、AO入試っていうのが流行りだしていたので、文章とか音楽の活動をアピールして大学に入ったんです。

石川:そこで一人暮らしですか? そこからは。

鈴木:うん、そこからは一人暮らしですね、一人暮らしです。途中寮に入りましたけど。

石川:どうですか? 家庭を離れて、何か変化ありました?

鈴木:いや、すごくしんどかったですね、一人で生活するの。しんどかった、

石川:家事の意味ですか?

鈴木:家事の意味で。家事の意味でしんどかったですけど、同時に初めて、それまでは自分の家庭のことをなんだかんだと客観視できなかったんだけど、すごく客観視するようになって(笑)。だから「自活するために、どうにかしないといけない」と思いました。

石川:なるほど。

鈴木:私の場合、自分がだめになったときに絶対に家庭に帰れないって思いがあったんで。だからほかの患者さんに話を聞いていると、家族がわりと理解しようとされていたり、分からないなりにも受け入れようとされているじゃないですか。もうそういうことってうちの家庭では絶対ありえないと分かっていたので、「家には絶対に帰れない」と思ってて、何とかして自立することが、本当に不文律としてありました。

石川:(笑) すごい決意でもう、「もう戻らないぞ」っていう決意で。

鈴木:家に戻ったら、あの、たぶん父親に殺されかねないと思ったから(笑)。

石川:じゃあもしかして、夏休みとか冬休みとか帰省もあまりしなかったんですか?

鈴木:しなかったですね。

石川:そうなんですね。

鈴木:距離、置いてましたね。[00:20:20]

石川:精神的にはでも、気をつかわなくてすむことが一人暮らしのメリットでもあるじゃないですか。

鈴木:あ、そうですね、自由でした。自由になって。そうなんですよ、だから、

石川:ちょっと開放感、

鈴木:はありましたね。だけどやっぱりしんどいから、家事とか。なんか、しんどいのはすごいしんどかったんですけど、でも「やっぱり家族といないほうがいいな」とは思いました。あと、それ以来家庭に帰るとなんかその、私ちょっと疑ってるのはシックハウスだったかもしれないとも思っていて。東京から広島に引っ越してから発症してるんです、すぐに。で、

石川:はい、体調不良がね?

鈴木:そうです。で、今でも広島に戻ると急激に体調が悪化するんですよ。もうすごくひどいことになるんです。で、実は広島にいるときよりも、広島から出たほうがまだましなんですね、体調が。で、それが広島っていう空気が何か私に合わないのか、あの家が合わないのかわかんないんだけど。親と会うのが嫌とかじゃなくて。当然、一緒に旅行に行ったり、親と関西で会っていてもなんともないです。ただ、広島に帰ると、その、ひどいアレルギー症状が出るんですよ、いろんなところに。湿疹とか、激しい頭痛とか、呼吸困難とか、喘息とか、重度のアレルギーで起き上がれないほど寝込んじゃうんです。むしろそういう意味でも、もう家に帰れないんですね。

石川:ああ、なるほど。

鈴木:うーん、だからちょっとその化学物質が影響しているんじゃないかなって。かなりそう思ってます。とにかく、化学物質に非常に弱いです。PM2・5の濃度が上がると倒れますし、タバコの煙でもちょっと吸ったら4日間ぐらい寝込みますし。

石川:でもまあ大学に行かれて、家と距離置いて、ちょっと自由…、ちょっとしんどいけど自由な気持ちにはなれて。大学時代は、

鈴木:なれて。そして4年の猶予をもらったけど、まあ卒業したら働かなきゃいけないんだけど、それを思い描けなくて、全然。

石川:大学はちゃんとフルでっていうか、通学はできてたんですか?

鈴木:あ、大学は私、途中から大学の寮に住み始めて。隣だったんですね、大学と。で、

石川:体力を通学であんまり消耗しなくてすんだっていう。

鈴木:消耗しないし、あと、わりと大学の授業は自由だったので何とかこなせました。

石川:じゃあそんなに負担が大きくなく、順調に卒業できたんですね? そしたら。

鈴木:そうなんです。

石川:で、就職活動は?

鈴木:就職活動は…。あの、私、大学時代に留学したんです。で、その、紛争地にいて、なんかその、もう生きるか死ぬかみたいなところで生きてる人たちと一緒にいて、その「どうやってぎりぎりのなかで生きていけるか」っていう、生きのびる術をずっと学んだんです。私、就職するつもりがなかったんですよ。ていうか、できると思っていなかったんです。

石川:どうするつもりだったんです?

鈴木:あの、大学院に行って、なんとかモラトリアム期間を延ばそうと考えてたんですね笑。そうしたら、

石川:学費については、家からちゃんともらえてたんですか?

鈴木:そうですね、あの、そうなんです。大学院に関して親は文句言わなかったですね。やりたいこととか勉強とか学問とかには割と協力してくれる親でした。

石川:なるほど、そこは理解があるわけですね。

鈴木:理解がありました。まあ大学院には行かなかったですけど、結果的に。私、大学時代もいろいろ文章を書いてたんですね。で、大学に元記者の教授がいて、その文章を読んで面白がってくれてたみたいなんです。私、4年の秋に留学から帰ってきたんですけど、もう就職試験はほとんど終わっているわけですよ。それで、一応キャリアオフィスをのぞいてみるんだけど、「もう就活するのは遅いです」って言われて。私、就職氷河期の最後の世代なんです。で、もう皆、就職で苦労している話があちこちから聞こえる。で、落ち込んで、絶望的な気持ちでキャリアオフィスを出てキャンパスをふらふら歩いてたら、ちょうど偶然にその教授にキャンパスでお会いして、「就職どうするの」って呼び止められて。「いや、先生、ちょうど今、就活もう全て終わってるって言われて。困ってます」って言ったら、すぐに研究室に来なさいって言われて、で、「君、記者になれるから記者になれ」って。ゼミの先生でも全然なくて関わりもそれまで薄かったんですけど。で、よくわかんないんですけど、ちょっと運命感じたんですね笑。で、まあ、書く仕事って大変そうだけど、書くのは好きだし、まあ受けるだけ受けてみようと思って東京で就活しました。そしたら就活自体かなりおもしろかったんです(笑)。で、メディア業界に入りました。初任地は大阪でした。というか、実は入社前に会社に、「実は私すごく体調が悪くて、私の病を診られる病院がある都会がいい」って打ち明けたんですね。でまあちょっと、そんなこと言ったこともあって、内部で問題になったんでしょうね。普通はあまりないんですけど、大阪本社の内勤部署に配属になったんですね。そこが本当に厳しくって。厳しいというか、今考えると、人間関係が大変でした。それで、鬱病になりました。

石川:何年目ぐらいで?

鈴木:1年目です、1年目でなって。で「あ、もうこれ無理だな」って、「こんなんじゃもう」、ね、「1年目でもうそんな状態だから、もうたぶん会社とか勤められないな」と思ったんですけど、会社の先輩のなかには、理解してくれるかたもいらっしゃったりとかはして、なんとか1年半勤めて。で、もう働いていくのは無理だと思ってたんですけど、えーと、京都に異動になったんですよ。そこでの仕事はすごく楽しくって。なんか京都がとても合ったんですよね、私に。で、鬱病は治ったんですよ。その倦怠感とか、頭痛とかはやっぱりひどかったんですけど、鬱病は治って。で、仕事じたいは楽しいから、なんとかやれるみたいな状態になんとかもっていける気がしてきて。もともと書くのは好きだったから、書くこと自体は全く苦にならなかったんです。ただやっぱりその、朝早くて夜遅い。24時間寝られなかったり、がつらくて。警察をまわって、大きな事件を扱えて一人前という事件中心の伝統があるので、まあ「こいつちょっと無理じゃん」みたいな感じで、けっこうまわりから白い目で見られたりはしてました。

石川:それはその体調不良が理由でですか?

鈴木:もちろんそうです。体調不良で動けないときとかあって、で何回か倒れたんですね、仕事中に。で、そうすると、「もうこいつ任せらんない」みたいになっちゃうじゃないですか。しかも、私は倒れたんだけどもうなんかその、なんか本当にしんどくて倒れたんだけど、なんか「やりたくないから倒れてる」みたいに完全に思われていて、実際にそう言われたこともありました。

石川:演技、演技性(笑)。

鈴木:そう。で「演技してる」っていうか「だらしない」「さぼっている」と思われて、それでなんかすごいあの、そういう悪い評判ってすぐに広まるんです。「なんかあいつ、さぼりでやってる」「どうしようもない」「馬鹿だ」って言われているのを耳にしたり。でなんか事実じゃないことまで、なんか事実として誇張されていたりで、もちろん人事評価とかも下がるし。ただ、メディアの仕事のいいところは、社内の評価って社内の出世には関わってくるけど、でも社内じゃなくて社外でやっぱり教えられて鍛えられるところもあるし、「社外の人たちとどう関係を築いていくか」っていうことが結局は大切だと私は思ってきたから、うん、そこに救われて仕事してきましたね。で、社外では勉強…、とてもよい人たちに出会えたんです。京都ってすごくおもしろいものがたくさんあって。その京都っていう土地にやっぱり、なんていうか支えられたんですよ。

石川:はい、京都勤務は何年目ぐらい続いたんですか?

鈴木:2年半ですね、2年半。で姫路に異動になったんですけど。で、そこで当時のパートナーに「お前そんなに体調悪いんだったら一度、なんか検査全部受けてみろ」って言われて。でその、脳脊髄液減少症っていうのをまた別の友だちから、「鈴木さんそれじゃない?」って言われて。でもその「たぶんそれわかっても治らないし、別にいいよ」って思ってたんですけど、パートナーに「なんで検査しないの?」って強く責められたというか。「いや、だって検査したって、それでわかっても治らないし、たぶん」って、で「検査もけっこう3日間入院したり、放射線浴びたり、しんどそうだから」って言ったら、「お前は治る気がないからそういうこと言うんだ」って言われて(笑)。でなんかそこで、すごい私の中では「検査はあまりしないほうがいい」ってどっかでなんとなく直感していたにも関わらず、それを受けてこうなんか「じゃあやってやる」みたいなふうになっちゃって。まあ、最終的には私が決めたんですけど。で、なんかこう検査受けたら、本当に倒れちゃって、それで。[00:31:41]

石川:検査中に?

鈴木:検査、あ、検査終わったあとで。起き上がれないんですよ。あのその、RIシンチ? あの、造影剤を入れるんですけど、そのときに髄液も漏れちゃう。で結果は4パーセントっていって、なんかその先生が今まで診てきた人の中でももっとも悪いレベルの数値だったらしいんですよ。

石川:大量に漏れてるっていう。

鈴木:大量に漏れてる。だから20パーセントぐらいがもう漏れてる、けっこう漏れてるって言われてるところで、4パーセントなので。4パーセントしかないっていう話なんで、すっごい漏れてる。明らかに、明らかに異常って言われて。でまあ脳脊髄液減少症っていう診断名がついたのは結構なんですけど、「え、でも私、起き上がれないぐらいなんかやばいことになってるよ」って。造影剤の影響か検査で髄液が漏れた影響か何なのか分からないけど。で、そのときに両親を呼んで、一応説明を先生にしてもらったんですよ、検査の説明を。でその検査のあとで私その、もうものすごくひどい状態になって、なんかずっとこう吐き気が治まらないし吐いてるし。吐くわ、なんかもう感じたことのない目まいに襲われるわ、頭痛はするわ、起き上がれないわ、なんか「何?なんなんだろう、これ?」みたいになってるときに、まあとりあえず、でも普通はそういう状態にならないから家に帰されますよね? で家に帰って、両親と一緒に家に帰って、「じゃあもうお母さんたち広島に帰るから」ってなったときに、「なんかでも私、すごいちょっとこれやばい気がする」って言って、「ちょっと吐き気もすごいひどいし、もうめちゃくちゃやばい気がする」って言ったら、また母親がすっごい怒るんです笑。「あんたねえ、私、明日仕事があるのに、もう帰るよ」って言われて。「でも、私めっちゃ吐き気するし、めっ…、なんか今まで感じたことのない頭痛とか目まいとかすごいひどいんだけど」って言ったら、父は若干ちょっと「え・・」みたいになったんですけど、母がもうすごい怒って(笑)、「もう私帰らなきゃいけないんだから帰るよ」って言って帰っちゃったんです(笑)

石川:お母さん、無慈悲(笑)。

鈴木:(笑) で私はそのまま寝たきりになっちゃって。だけど実家からも面倒見れないって言われるし(笑)。だから結局入院して、もうどうしようもないから入院して。で、

石川:それ病院は姫路の病院なんですか?

鈴木:ああ、明石の病院です。はい、もうずっと入院。

石川:何か月ぐらい?

鈴木:土日にパートナーが姫路に来れるときだけ退院したりして。だから、ずっと入院したり退院したり。「ああ、これなんとかいけるかも」って言って退院して、「ああ、やっぱりだめだった」って言ってまた入院して。で、そんなことしてたら、もう会社としても「こいつちょっともうあかん」ってなって。で、異動が出たんですね、大阪に。それで異動したんですけど、そこに以前お世話になった先輩がいて、たぶん、だからそこに異動になったんですけど、その先輩に「休職しろ」って言われて。もうなんかふらふらだから、仕事できるレベルじゃないから、見てて。「もうお前休職しろ」って。その方がその休職の手続きとか全部してくれて。で、うちの会社は優しいなって思うんだけど、「もう君一人では生活できないから、やっぱり実家に帰って療養しろ」って、「僕たちがご両親にちゃんと説明して、お願いするから」って言うんですね。

石川:すごいですね。

鈴木:そうですね。「鈴木が復帰したときにちゃんと好きな部署で仕事できるようにするから、待ってるから、安心して療養しろ」って。会社はとても優しい対応で。で、当時の会社の幹部が集まって両親を呼んで「会社としてきちんと守る」ってことを説明してくれて、「ただ、療養中は実家で看病してもらえないか」ってお願いしてくれたんですね。

石川:すばらしい。

鈴木:ただ、母は「この子は実家にいるよりも大阪にいたほうがいい」って。まあ、私も家族といるのはストレスだと思ったし「そうする」って言いました。

石川:え、お母さん頑なですね。

鈴木:そんな感じです(笑)。まあ、私もストレスになるって分かっていたし、お互い、一緒にいないほうがよいなってのは思いました。

石川:心配という…、心配の二文字ないのかなあ?

鈴木:心配のベクトルが違う感じがします。で、もう仕方がないから、パートナーに看てもらうしかない状況になって。実家に帰れないし(笑)。

石川:会社のかたもお母さんの対応に驚かれんじゃないですか?

鈴木:まあ「何かある」って絶対思われましたよね、帰れない理由が(笑)。だからちょっとね、やっぱりそういう意味でも、精神的な部分を変に心配されちゃうんですよ。で、その、まあ3年休職しましたね。

石川:ああ、3年。それって何歳から何歳の間ですか?

鈴木:28から31ですね。一番よい時期です。

石川:たしかに。でもその3年間ってどんな感じでした?

鈴木:もうひたすら寝てましたね。ひたすら寝てました。で、もう動けないんで、動くのもやっぱりしんどいんで、杖使って歩いてました。

石川:室内もですか? 外出のときだけ?

鈴木:あ、外出のときだけです。一時は室内でも使ってましたが。それまではやっぱり頭痛と倦怠感がメインだったんですけど、それにひどい目まいとか、あと聴覚過敏、音過敏とか耳鳴り。で、まあ一番しんどいのが呼吸困難。これはものすごく出るようになって、で、今もそれに苦しめられてますね。

石川:病院側の説明は?

鈴木:病院は検査する前は、「昔はそれで脳脊髄液減少症になる人もいたけど、今は針も小さくて小学生とかでもやるような検査だから全然問題ない」と。でも検査のあと、私が悪くなって聞かされた説明は「100人に1人ぐらいは体調悪くなる人がいる」と。で、「先生その100人に私が当たったってことですか?」って聞いたら、「そう」っていう話でしたね。それ、先に言ってよと思いましたが、今更どうしようもないですよね。

石川:100人に1人ってわりと高確率ですよね? それなりに。[00:40:02]

鈴木:多い。そう、だからなんかその、この前あの、Oさんにお会いしたときに、「先生がものすごい慎重すぎて、全然検査してくれない」って言っていたでしょう。私の印象とは違うなって。あれはもしかすると私が関係しているかもしれません。っていうのも、そのあとうちの幹部が病院に「説明してくれ」って訪ねていって。その、全然責めるつもりじゃないですよ、会社として「鈴木の状況を詳しく知りたい」っていうのでまあわざわざ、明石まで行ってくれたんですけど。

石川:なんかあの、福利厚生以上の何かすごい(笑)、

鈴木:以上。そう。ね。

石川:なんかすごい家族よりもあつい感じですよね?

鈴木:家族よりも色々と、あらゆる面で支えてもらいました。給料のほかに、治療費のカンパもありました。だから私にとってはもう、3年間の休職中は、自分の家族よりも会社が家族みたいな感じになっていました。で、もう先生が診るより、この病気の権威の方がいらっしゃるんですけど、そこで診てもらうようにって先生に言われて、で、まあ紹介状をもらって、そこで診てもらうようになりました。その権威の先生のところで、ブラッドパッチという治療をしたんですが、やっぱりよくならなくて、悪くなっちゃって、体調が。で、もうこれはもう脳脊髄液減少症かわからないけど、どっちにしろその、治療ではよくならないっていうこともわかって。そもそも脳脊髄液減少症って他の病院では「そんな病気はない」と言われるんですね。それならそれでいい、と思いました。

石川:でも、家族の支援がないっていうことって、すごく心細いことですよね?

鈴木:だからもう、なんだろ、常に安住の地がない感覚がありますね。

石川:うん、安心できる場所っていうのがないですよね。

鈴木:なかった。全然なかったですね。だから私、社会に出て、病気だからサバイバルだけど、社会に出て本当に思いました、「えっ、こんなに社会って優しいんだ」って(笑)。

石川:え、家が一番厳しかった?

鈴木:家と学校ですね。

石川:ああ、そうだったんですね。

鈴木:そう。ただ、妹二人の両親に対する感覚は全然違うんですよ。むしろ正反対ですね。

石川:うーん。なるほど。そうなんですね。でも3年きゅう…、結果的に3年休職になったっていうことですか? 最初はもう期限がわかんないけれども、とにかく休職したほうがいいんじゃないかというふうに勤務先から言われて、

鈴木:3年半までは休職できるって言われてて。で3年半までにはなんとかしてよくなりたいと思ったんですけど。2年ぐらいよくならなかったですね、全然、よくなるきざしがなくて。

石川:いちおうそのブラッドパッチという、

鈴木:ものもやったけど全然、

石川:やったけれども、よくならなくて。

鈴木:よくならなくて、むしろ悪くなって、「あー、これ復帰できるのかな」みたいにしながら、もうずーっと寝てて。でもなんかこうちょっとずつ、ちょっとずつ、

石川:それ一人暮らしでってことですよね?

鈴木:いや違います。2年間はパートナーと一緒にいて。

石川:一緒に暮らしてた感じですか?

鈴木:そう、一緒に暮らしてたんですけど、でも最後の1年で別れたんです。最後の1年で別れて。で、当時兵庫県の西宮に住んでたんですけど。そこから大阪で一人暮らしを始めたんですよ。だからもう、全然実家に帰るつもりはなかったから、そこで一人で療養して。そのときにはなんとなくこう、外出とかができるようになってきていて。ただやっぱりちょっとその、ちょっとでもがんばると倒れちゃうっていうのは続いてましたね。

石川:じゃ、まあ多少は改善したので、復職なんとかできそうだなっていうところまではもってこれたわけですよね?

鈴木:そうですね。

石川:休憩いれます? 大丈夫ですか?

鈴木:あ、大丈夫ですよ。

石川:はい。で彼と…、彼はでも、味方でしたよね? 当時の。

鈴木:そうですね。相性の問題でした。

石川:そうなのかなあ。でもすごく2年寄り添っていたっていうのはね。

鈴木:そうですね。

石川:そのあいだ、たとえばこうどこかにちょっと旅行に行ってみたりとか、そういうこともできなかった感じですか?

鈴木:旅行は行った気がします。国内で温泉。海外とかはもちろん行けないですけど、温泉には行ったと思います。なんかもうゆっくりするっていうか、療養みたいな感じで温泉とかは入りに行きましたね。岐阜県とか。

石川:ちょうどなんか結婚とかの適齢期ですよね? その頃ってわりと。まわりがそういうラッシュになる時期だから、

鈴木:そうですね。そうなんですよ。

石川:焦りとかなかったですか?

鈴木:結婚に焦りを感じたことはないです。とにかく働きたいと思っていて。働きたいってすごく焦ってました。なんか自分を認められないんです。ただ寝ている自分を。で、やっぱり働くことにこだわってて。

石川:でも、「復職できないかもしれない」っていう不安もなかったですか?

鈴木:ああ、ありました。ずっとありました、ずっとありました。無理かなって思っていたし。ただなんか2年目経ったぐらいで、やっぱりこうずっと休んでると若干回復するんだなってまあ少し思って。何にもしなかった。本当に何にもしなくて、屍みたいになっていたんですけど、3年目ぐらいから「これ、あ、ちょっと動けるようになったな」って。でもやっぱその、検査する前よりはさらに悪化はしてるんですよ、今も。体調は何段階も落ちた感じはずっとある。

石川:あ、そうなんですね。[00:50:13]

鈴木:やっぱり検査の前ほどには戻ってない。全然戻ってない。今でも。

石川:あれはこう漏れてても、すごく漏れていても、日常生活なんの異常もなくできてる人もいるって聞きますし。

鈴木:そうなんです。

石川:漏れが原因なのかどうかっていうのが、あの、

鈴木:そうなんです。漏れと体調不良にどうも相関関係がないのでないかっていう医者も多くて、だから、専門医以外では、誰に病名を言ってもだいたい「そんな病気はない」って言われるんです。

石川:ただ先進医療として認められたり、すごい勢いでなんかいきましたよね。

鈴木:やっぱり交通事故とか、

石川:はい、あとは学校の授業でっていう、発症したっていうのがあるから。

鈴木:そうそう。なんかあの、保険とか裁判に関わってくるじゃないですか、保険が出るか出ないかとか。そうするとどうしてもやっぱり制度化しないといけない状況が出てきて。で、まあそういう現状に対して、政治力もありましたし、脳脊髄液減少症っていう病名が一番フィットしたんだろうなっていう、認識の仕方を個人的にはしてます。

石川:はい。でまあ復職、

鈴木:復職しました。

石川:はい。その3年目でちょっとずつ快方に向かってきた感じがあったので、復職を31歳でしたんですね?

鈴木:はい。で、やっぱりそこからはもう病気だってことが、もう会社にもわりと認識されつつあったので、まあ割と自由に仕事をさせてもらえるような、わりと働きやすい部署で働かせてもらってきたとは思います。

石川:じゃあ復職後は倒れたりとかはなく?

鈴木:あ、なんか和歌山支局にいた時期があって、そのときにはちょっとしんどかったですね。倒れたことありました。

石川:でも、こう長期間の休みを取るということもなく?

鈴木:長期の休みは取らなかった…、あ、えっと、

石川:なんか思い出した? (笑)

鈴木:そうそう、人事部時代に3、4週間ぐらい休みましたね、やっぱり倒れて。

石川:3、4週間、けっこうですよね。

鈴木:3年前ですね。あれはけっこうひどかった。なんか「あ、また私寝たきりになるのかな」みたいになって。で、人事って編集よりもやっぱり仕事としては、ずっと会社にその、朝9時に行って夜6時に帰るみたいな規則正しい部署だから、休むことが…、自分の好き勝手にこう休んで仕事してっていうやり方ができないからけっこうしんどくて。そんな人事部で3週間休むってけっこう大変なことなんですよ。だからあのときは相当に参ってましたね。

石川:そのときも病院に行ったりはしなかったんですか?

鈴木:なんか「病院に行っても、治療法もないしな」と思って。いちおうその…、吐き気とかひどかったんですよ。吐き気と、えーと、吐き気と目まいと頭痛と、もうすごいひどかったので、いちおうその頭痛外来行ったり、吐き気どめもらったりとかしてましたけど、もう対処療法ですよね、頭痛がするから頭痛外来とか、吐き気がするから吐き気どめとかそういう感じで。でも頭痛はよくならないし、吐き気は一時的に止まるけど、すぐ薬が効かなくなるし。

石川:それでいつも…、

鈴木:そうです。それと慢性疲労症候群の専門医にも通ってました。

石川:はい。それは何で情報を得たんですか?

鈴木:たぶんホームページで見て。

石川:それは「倦怠感」で検索してたとか、そういうことですか?

鈴木:「慢性疲労症候群」で検索したんじゃないかなあ?

石川:慢性疲労症候群っていう病名はどこで?

鈴木:いつ知ったんだろう? 大阪の先生のところに行ったときに、最初、大阪の先生に、

石川:あ、大阪の病院ですね。

鈴木:そうそうそう。大阪の先生から「慢性疲労症候群」って最初に診断されたんですよ。[00:55:10]

石川:そうだ、そうだった。

鈴木:で、それがなんかあって、まあそのあとまあ復帰して、でまた人事部に行ったときにそういうなんかちょっとひどい状況になったので、ちゃんと慢性疲労症候群の専門医のとこに行っていろいろ検査をしたんですよ。でもなんか「働ける状況にないから休職してください」みたいに強く言われて。PS値ってけっこうなんかその「1週間中、何時間勤務できる」とかなんかそういう感じじゃないですか。

石川:はい、パフォーマンスステータスのPS値ですね。

鈴木:そうそう。で私はもう「働ける状況にないから」って言われてたんですけど、私は絶対に休職したくなかったんです(笑)。だからあの、まあフルタイムで働きたいし。で、そこで専門医の先生とちょっと対立したところはありましたね。

石川:先生のところでも慢性疲労症候群の基準満たしているっていう診断だったんですか?

鈴木:うーん。私その、慢性疲労症候群だってはっきり言われたかよく覚えてなくて。なんか「PSでこの値だ」って言われた覚えが全然ないんです。やっぱり先生の言うことを聞かないで働いちゃったのでPS的には、そのPS3とかPS2とかの診断になってしまうと思われたんじゃないですかね。そうなると、慢性疲労症候群かどうかっていうとあいまいなラインじゃないですか? あれって3からでしたっけ。

石川:3からですね。

鈴木:うーん、言われた覚えないですね。

石川:あ、じゃあ診断名言われたかわからない、なんか記憶はあいまいだけれども、休職はすすめられたってことですね。

鈴木:そうそう。で、なんかその、働ける状況にないし、で、「診断書は書くから」って。で、その診断書は「慢性疲労症候群」っておっしゃっていたようにも思うので、やっぱり慢性疲労症候群が疑われていたとは思うんですよ。

石川:そうですね。

鈴木:ただ、その、「僕が診断書書くから会社休んでください」って、なんかけっこう強引な感じで言われて。「いや先生、私そんなつもりないです」って。でも行くたびにそれを言われる。しかも向精神薬を処方されて、それで体調がものすごく悪くなって。「薬飲んでから体調悪くなった」って訴えても全然聞いてくれない。「今の向精神薬は安全なのに、過剰な不安を抱いている患者が非常に多い」って言われて、この医師は私自身を全く診てくれていないのでは、と思いましたね。なんか行きにくくなってやめちゃったんですね。向精神薬をやめてから体調はかなり改善しました笑。

石川:なるほど。そのあいだに、それまでに脳脊髄液減少症以外にほかにもいろいろこう診断名付いたりしたんですか?

鈴木:えーっと、あ、でも脳脊髄液減少症と慢性疲労症候群ですね。

石川:あとはあの、まあ異常ない、異常ないっていうか病名をつけられてはこなかったけど、

鈴木:心療内科にも行ったんですけど、やっぱり「鬱病とか精神疾患ではない」って言われて。

石川:ええ。まあ社会人1年目のときは鬱病だったけれども、それは克服…、ねえ、治ったので。

鈴木:そのときは鬱病でした。あれは鬱病…、だから鬱病がどんなものかはわかってるんですよ。あの鬱病特有の重だるさ、鬱病の起きられないとか体の重いのと、この慢性疲労症候群の重いのは全く質が違うので。あの、鬱病はだるいというより身体が重いんですけど治るっていうかその、波があって、それこそ抗うつ薬である程度は回復する。でも慢性疲労症候群は何をしようがずっと一緒ですし、だるさもね、鉛のような重さというか、もう全然質が違うんですよ。

石川:なるほど。なんかいろんな、なんだろ。でその今、振り返って、たとえば学生時代の自分に味方がいなかったっていうのが。本当に10代でね、経済力もないし社会のこともまだわかってないときに、そのとき何があったら救われたでしょうね? 多少でも。[01:00:11]

鈴木:ああ、やっぱり話をちゃんと聞いてくれる大人の存在ですよね。子どもの視点で。

石川:話せる場所とかね。

鈴木:話せる場所。親や学校と交渉できる大人の存在。もうなんかだめなんです、子どもが何を言っても。だから、

石川:ある意味ちょっとこう、ネグレクトに近いようなところもありますよね? 精神的に。

鈴木:精神的なネグレクト、確かに。だから、書く方にいったのかなと。結構、雑誌に投稿して図書券とかよくもらってました。そして、それを母親に嫌がられてたというか、見下されていたというか(笑)。でも、だから、私の話を唯一聞いてくれたのは、編集の人たちだったんですね。

石川:へえ。

鈴木:編集部から電話かかってきて、母親が邪魔する・・・、電話を切ろうとするから、トイレに、トイレにこう入って、話をしてたら、母がもうトイレのドア、どんどん、どんどん叩いて。で、編集部の人が「あの、大丈夫ですか?」って(笑)。

石川:ちょっと『シャイニング』思い出しちゃいます(笑)。

鈴木:(笑) そんな感じで。でも、うちの母は外では社交的で、すごく友達も多いし、まわりからはよいお母さんに見えてたと思う。実際、学校でも恵まれた家庭って見られていて、悩みを打ち明けても「お嬢さんだから考えが甘い」としか言われない。こっちは将来生き延びられないぐらいに追い詰められてるんだけど。

石川:ただ鈴木さんがちゃんと自分で生活できる能力があったから、これてると思いますよね。

鈴木:その、もう自立せざるをえなかったんですよ。

石川:退路がないからね。

鈴木:そう。子どもって、大人がちゃんと受け止めたり理解してくれなかったら、たぶんもうあの、どうしようもないと思うんですよ。逃げ場がない。だからなんかその、虐待の中にももしかしたらそういう事例があるかもしれないし。慢性疲労症候群の子はいると思いますよ。すごく深刻な問題だと思いますね。

石川:なんかそういう本ありました。海外の著書、著作、本ですけれども。はい。ノーと言えなかっ…、言えない私だったかな? それがその、親との関係で、こういう病気になる原因、関わりがあるみたいな。

鈴木:そう、だから私たぶん、精神的なストレスが、なんかその関わっているっていうタイプかもしれないですね。子ども時代のストレスはたぶん影響してて。精神的なストレスというとすぐ精神疾患につながって話をされがちだけどそれだけじゃない。心と体がつながっている、それは当たり前のことなのに、その同じだっていう当たり前のことがなぜか伝わらないというか。私、ストレスがなかったら、もうちょっと体調がマシだったんじゃないかなって思ってるんです、思ってるところはありますね。

石川:でも診断名がついて治療…、まあたとえば脳脊髄液減少症で「あ、漏れてるのが原因だな」ってわかったっていうかそういうふうに診断が出たときに、「あ、これで今までの体調不良がなくなるかもしれない」って。でも検査の段階で具合悪くなったから、思えなかったですか?

鈴木:全然思えなかったです。もうそのころにはもうありとあらゆる病院にすでに行ってるわけですよ、脳脊髄液減少症って言われるまでに。もうほとんど、[01:05:04]

石川:いくつぐらい行きました?

鈴木:えー、だってもう、脳神経内科、脳神経外科、あの、ほんとに、あらゆる科に行きました。アレルギー科、あの、呼吸器内科、耳鼻科とか。マルファンの検査までしました。で、MRI撮って、あの、MS、多発性硬化症を疑われたこともあったし、疑わしい病気は全部つぶしてきましたよ。でまあよく言われるのは甲状腺機能障害、甲状腺って一番疑われるんですが、甲状腺も全然問題ないし。「ハウスダストやダニのアレルギーはあるね」っていう話でしたけど。
 なんかもうその時点で大病院でもたくさん検査してもらって、もう全部検査してもらったもん。大腸の内視鏡まで受けましたよ(笑)。

石川:カメラ? はい。

鈴木:ずっと原因不明の下血にも悩まされていて。体調が悪くなると、下血するんですよ、大量に。それで大腸カメラまでやって、もちろん胃カメラとかもやってるし。もうありとあらゆる検査をやって異常がなかったから、「もうこれは異常の出ない病気なんだ」って思ってましたよ。だからもう、たとえ出たとしてもたぶん治らないし、あの、その、脳脊髄液減少症の詳細を調べても治療は難しそうだなと。なんかその、よくなる人たちもいるみたいだけど、まあよくならないっていう人たちもいるから、それなら、もうちょっとその問題を置いといたほうが。そういう、論争中の問題はあえてほうっておくっていうほうを選択してきたんですよ。正直なところ、医療って治らないなら、受けないほうがよいんじゃないかっていう経験ばかりしてきたので。かみ合わせが悪いから体調不良が起こるからみ合わせの治療をするよう言われて、かみ合わせの治療をして、体調が悪化したこともありました。今、歯を数百万円かけて治療しているのも、その時の間違った治療が遠因なんですね。脳脊髄液減少症もまさにやらなければ良かった治療の代表です。もちろん、先生たちは治そうと努力してくださったのだとは思いますが。

石川:そのときって、あの、先進医療として認められてない時期ですかね? 自費でした? ブラッドパッチ。

鈴木:あ、全部実費でした。30万。30万払いましたよ。

石川:けっこうな勇気いる金額ですよね?

鈴木:何というか、個人的には茶番を演じている気持ちでした。

石川:でもやっぱりわらをもすがる思いで、まあ「これでよくなるかもしれない。可能性があるなら」っていうことでいろいろね、ちょうせ…、その、

鈴木:なんかね、検査して悪くなってなかったらブラッドパッチは間違いなく受けなかったと思うんです。検査をして、「私はもしかしたら検査によって本当に脳脊髄液減少症になったかもしれない。検査で髄液が漏れてしまったかもしれない」という思いがあったので。その、やっぱり検査で髄液穿刺するので、髄液が漏れるらしいんです。で、それで脳脊髄液減少症になってしまった・・・、だから検査によって脳脊髄液減少症になった可能性がかなりあると思っていたんです。だから、検査で受けたダメージを少しでも回復できるならと受けただけです。もうなんか感じたことのない、ありえない体調不良だったんで。それは今も治っていません。

石川:ええ。かえって悪化したんですもんね。

鈴木:そう。仕事ができないほどに悪化しました。だからブラッドパッチをしたんですよ。

石川:本当にたい…、疲れますよね。そのことを、その健康状態を常に気にしながら日常生活を送らなきゃいけないわけじゃないですか。

鈴木:うーん。私は15歳で健康寿命を迎えたので、本当に周囲は若くて健康な方がほとんどなんですね。もちろんなかにはそうでない人もいるでしょうが、慢性的にわけのわからない症状がずっと、という人に会うことはほとんどなくて。だから、周囲は言ってみれば、成長を信じていて、成長できないやつはだめな人間だっていう、価値観なんですよね。だからなんかほんとに自分の中では病気を受け入れるしかないし、あきらめるしかないしって思ってても、なんかもう常にこう比較させられるんです。その、体力があって、健康で、全力でがんばれるって人たちと、見た目は同じだから。そのなかで、ひとりだけ成長とか信じられない、違う時間を生きてきたんです。私が一番人生で恨みに思ってるのは、どうして人生で一回でも社会で、全力で勝負できるチャンスを私はもらえなかったのかっていう。15歳で発症しているんで。せめてね、せめて25歳でもよかった(笑)。子どもの時に発症したというのは、ある意味、能力至上主義の社会で信頼を積み上げる、地位なり居場所なりをつくる時間を与えられないということなので、大人になってから発症した人とはまた違う大変さがあると思っています。最初から社会に居場所を作れないっていうハンディを抱えることになるんです。

石川:思いっきり、体のこと気にしないで思いっきり仕事をしてみたいっていうことですよね? [01:09:18]

鈴木:そう。思いっきり自分の体の限界までね、勉強だったり、仕事だったりしたかった。だって、これはもう今だから言いますけど、病気になるまでは、割と何でもできました。自分で言うのも恥ずかしいんですけど、周囲からどんなに馬鹿にされても、言い訳する機会がこれまで一度もなかったので、ここで言っておきます(笑)。だから、自分の能力を社会で試してみたかったというのはありますね。その悔しさはあります。誰にも理解してもらえないと思いますが。だから病気に、たぶん30とかで病気になって倒れちゃったとしても、なんかそのやりきったっていうか、とりあえずやりたいことに存分に挑戦して、「失敗したけど、挑戦したよね」って思えたかもしれないけど、常にやっぱり体をかばってるんですよ、もう15歳から。それにブレインフォグ。頭が全然働かないんですね。だから全力の挑戦なんてできなくなっちゃったんですけど、本当はやりたいことがあった。憧れがあったんです。病気であきらめるしかなかったけど、やっぱりあきらめきれてなくて、すごく悔しい。いまだにその悔しさを消化しきれていないなぁって。どうして私の身体は15歳で。せめてもう少し・・と思いますね。そして「青春を経験しないまま、このまま本当に老いていくのか」って思うと、とても悲しくなっちゃって(笑)。私に青春といえるようなものはなかったなぁと思います。

石川:でも鈴木さんは今、今現在はご結婚もされていて、味方になってくれる家族ができてるわけですよね?

鈴木:ああ、そう。だからその、夫と出会って初めてわかりました、こんなに穏やかな場所があるんだなぁって笑。

石川:いくつぐらいのときに出会ったんですか?

鈴木:えっとー、いくつだったかな、33とかじゃないかな。

石川:それで病気のことも理解してくれて、こんな穏やかな場があるんだと。

鈴木:うん、あの、そうなんです。気が合ったんです。

石川:今はじゃあ家事もサポートしてくれたりとか?

鈴木:うん。あ、家事はほとんど夫がやってます。

石川:それもう、みんなにうらやましがられちゃいますね。

鈴木:(笑) そうですね、それは。おかげで仕事できていると思います。

石川:それでも、なんかその病気のことは、結婚の障壁にはならなかったんですね?

鈴木:あ、そう、友達の頃から病気だってことは伝えていて。そういうことを伝えられる人だった。そしたら、なんか「俺も心臓悪いし」みたいな。実際、心臓で何回か倒れたりしてて、失神したりとかしてて。で、なんか「人間って壊れやすいよね」みたいな感じで。なんか、そういうことをけっこう受け入れられる人だったんですよね。

石川:それはでも、いい出会いでしたね、そしたら。

鈴木:うーん、たしかにいないですね、あんまり。そういう人は。

石川:でも、鈴木さんは海外旅行とかの写真とかもね、いろいろ撮られてますけど、それはどういうタイミングで行けたんですか? その体調的に。

鈴木:できるだけあきらめたくないんです、自分がやりたいことを、病気でも。でも海外に行くたびに私、倒れてるんですよ、実は(笑)。エジプトでも倒れて、あの、ホテルに医者を呼んで点滴を受けたりとか、そういう感じです。けっこうなんだろ、旅先で倒れてるんですけど。でもやっぱやりたいことあきらめたくないので、あの、会社の休みの日、休みを取れるときには旅行に行くようにしてます。[01:15:25]

石川:それは一人で行くんですか?

鈴木:あ、一人で行くんですけど、なんで一人で行くかというと、他人と行くと迷惑をかけるので。だから、全部事前に手配するんです。ものすごい費用がかかりますよ。50万以上かけて、全部私だけのためのパックツアーを作るんです。そしたら私が倒れてもまわりに迷惑かけないし、お金で何とかなるから。だから個人で現地のガイドを雇っていつも行ってます。

石川:でも、脳脊髄液減少症とかだと、立ったときに頭痛が激しくなるとかあるじゃないですか。

鈴木:あー、ありました、ありました。

石川:そういうのは、ちょっ…、そういうのもありました?

鈴木:ありました。あの、検査した当初はもう、寝てるとちょっと楽なんですよ。でも立つともうなんかね、立ってられないぐらい、立ってられないぐらい痛いんですよ。なんかそういう状態はもう半年ぐらい続きましたね。

石川:じゃそれはそれでいったん改善されたんですね。じゃあたとえば旅行に行くと、

鈴木:だいぶ・・でも治ってはいないですよ。今でもありますよ、あります。うん、でも日常生活を送れるレベルまで戻っただけです。

石川:でも座ってながらも、「ああ、つらいな」っていう、思いながら常に?

鈴木:座っているのつらいですよ。常にしんどいです、座ってるの。

石川:で帰ったら…、今仕事をしたら、帰ったらまあパートナーが家事を担当してくれているから、ごはん食べて。そういう家事労働からは免除されていて、体を休められてる感じですね? 家では。

鈴木:そうですね。もう夫が、夫がもうほぼ家事は全部やってくれて。で実は夫、もともとサラリーマンだったんですけど、私と結婚したのを機に、脱サラして鍼灸師になったんですよ。だからけっこう体調が悪いときとかに、鍼とか灸とかしてくれるんですね。それがけっこう助かってます。

石川:功を成してる、はい、なるほど。

鈴木:だから夫の全面的なバックアップがあるからこそ、やっぱり働けますね、間違いなく。

石川:それ、たとえば転勤とかあって、一人になったりしたら成り立ちますか? 今の仕事。

鈴木:今、だからもうちょっと一人で…、だから潜在的に怖いのは、「夫がいなくなったらどうしよう」とずっと思っていて。で、もう夫がいなくなったら生きてけるのかなとか思うんですよ。命綱になってます。つまり、夫にすごい負担をかけているわけですよ。夫は「自分で決めたことだから」って言いますけど、私と結婚しなかったら、仕事もやめなかったと思うし。会社から引き留められたり、海外勤務の話もあったから、本当にやめる必要はなかったんです。でも、私が仕事をあきらめられなくて。夫が仕事をあきらめました。夫はそれでいいって言いますけど、私は心苦しいです。でも、私のような働きたい人を介助してくれる制度はないですしね。

石川:なるほど。じゃあコロナになって、何か変わったことってありますか? コロナ禍になって。

鈴木:コロナの後遺症がやっぱりすごく似てるなって思っていて。症状とか。まあ違うところもあるけど、なんか私たちの病気を理解が進む、一つのきっかけになるかもしれません。ただ、持病の人は悪化するって言われる、その持病に、私の体調不良は含まれないんだろうなっていう不安がある。コロナになったらたぶん、死にかけるか下手すると死ぬかもしれないという危機感はがありますが、それは共有してもらえないし、リスクの高い人間として私は認識されないだろうな、っていう。でもまあ、CFSがかなり知られるようになりましたよね。

石川:けっこうコロナの検査をしても、症状あったのに陰性になってしまうとか、その検査するタイミングで。

鈴木:そうですね。

石川:ありますよね。そういう報道が大々的に毎日のようにされて、その「検査で異常出ない、イコール異常なしじゃないんだな」っていうのが一般化…、一般に浸透した気がして。検査に…、今の科学の力が追いついてないだけで、まだ名前のない病気っていうのもいくつもあるでしょうし。でその中の一つの、一つがまあ私らの病気も、

鈴木:そうなんです。

石川:はい。検査法がないから「そんな病気ない」って言われたし、検査で異常が出ないので。だけど確実に異常はあるし、その特殊な研究レベルの検査をすると異常は出たりするから、それがね、実用化されて、それがコロナとのこの共通点でいろいろ関連が、また解明にもなんか進歩があればいいですよね。

鈴木:そうですね、ほんとそう思います。昔だったら「風邪とかインフルエンザみたいな症状で」って言っても、なんか「えー?」みたいな感じだったのが、「あ、そういう人たちっているのかな」っていうふうに認識され始めている、想像できるようになってきている、今、うん。

石川:そうですよね、ほんとに。「ああ、そういうのもあるんだ」っていうのがちょっとね。

鈴木:浸透してきた、そう世界的に浸透してきたっていうのかな、すごい大きなって思ってます。だから私たちのような病状が多くの人に知られる、もしかしたら研究が進むことになればよいなと。

石川:ただ、でもかなり違う部分もありますよね。

鈴木:ありますね、うん、なんか脱毛とかはあまり聞かないですよね。

石川:脱毛もないし、味覚障害もないし、うん、いろいろ。あと血管の炎症とかもあるじゃないですか、そういうのはないから。

鈴木:ああ、血栓とか。

石川:うん。そこらへんがだいぶ違うところもあるので、まあ一つの独立した新しい病名なのかもしれない。

鈴木:うん。ただなんかその、CFS患者のみなさんの話を聞いてると、若干みなさんも症状違いますよね。だからなんかやっぱり弱いところにくる部分もあるのかな、とか。で、なんかまあ共通しているのは倦怠感なんですけど。

石川:ただ倦怠感は本当にあの、ほとんどの病気にあったりもして。

鈴木:たしかに、たしかにね。

石川:たしかあの、病院で症状を訴えるランキングの2位ですよ、倦怠感が。

鈴木:あー、まあたしかにその、腎臓の病気もやっぱり倦怠感ひどいっていいます。

石川:ま、肝臓でもそうだし、膠原病もそうだし、もう本当に倦怠感が出てくる病気ってすごくたくさんあるので、それだけで、あのなんだろ、過剰診断されちゃってる人もいるかなと思いますよ。

鈴木:だからこの慢性疲労症候群も、その、バイオ・・・

石川:バイオマーカー。

鈴木:バイオマーカーがあるわけじゃないので、そういうことはあるかもしれませんね。

石川:あとは、その病気の中のAタイプ、Bタイプみたいな感じでサブタイプ分けされたり、まあいろいろ、とにかく何でもいいから進んでくれっていう思いはありますけどね。

鈴木:同じような症状でもやっぱりちょっと違うのかなっていうところはありますよね。

石川:そうですね。でも入会してくださる、うちの会の入会してくださるかたのなかにも、診断まだされてないかたも含まれてはいるので、うん。あとは診断ついたあとに別の病気が見つかって、卒業していく人もいますよ。なんかいろんなパターンがあるので、ほんとに、うん。[01:25:06]

鈴木:そうですよね。

石川:そうなんですよ。本当に一筋縄ではいかない感じなんですよね。

鈴木:ほんと、そう。

石川:え、こんな感じで、もうでも1時間半ぐらいになりました。

鈴木:ね、なんか病気を受け入れられないですね、まだ。

石川:自分自身がってことですね?

鈴木:自分が。はい。

石川:それ、受け入れられないっていうのは、認めたくないっていうことですか? それともあの、「病気だと思いたくない」っていう受け入れられなさですか?

鈴木:なんか病気と今ともに生きてるから、ある意味で受け入れようが受け入れまいが受け入れざるをえないというか、一緒に生きてかざるをえないんですけど。なんかその、できない自分が受け入れられない(笑)。

石川:うんうんうん。15歳までの自分と、自分を、

鈴木:そう。だからなんかその15歳までのわりとこう…、あの、なんかほかの学齢期に発症した人たちってその前のこと割と「覚えてない」っておっしゃったりするんですけど、私はすごい鮮明に覚えてて。なんかものすごい、山とか登ったりするの大好きだったし、わりとその、なんだろう、運動とか全然こう苦にならないというか、けっこう好きだったし。で、記憶力もものすごくあって、一度覚えたことは絶対忘れないし。身体に自信があって・・・・

石川:なんか万能感じゃないけど、

鈴木:万能感、そう、そうですね、が忘れられないんですかね、いまだに。というか、そのころの自分と今の自分を常に比較してて(笑)、たぶん、いまだに病気になった自分のフェーズに合わせられないんですよね、どっかで。だから自分を過剰評価してると…過剰評価になってるんだけど、なんか実際の自分は全然できないから、そこでいつもこう自分をいじめちゃうっていうか。まあ、だからこそ踏ん張ってきたところもあるんですけど。どうやってこの、なんか「できない自分でもいい」っていうか、「病気でいろいろ、なんか人に迷惑かけちゃう自分でもいい」って思えるようになるのかなって。

石川:旦那さんはなんて言います?

鈴木:夫は別にあんまり気にしていないっていうか、私は私のままでいいと思ってくれてるんですよね。ただ私が許せないっていう。

石川:納得いってないっていう。

鈴木:許せないですね。

石川:ある意味、お母さんに子どものときっていうかね、されてきたことを自分にしちゃってることですよね?

鈴木:それはあるかもしれません。

石川:連鎖。連鎖。子ども産んでたら子どもにね、虐待を連鎖させるっていうけど、自分に向かってるんだったら、もっと自分、

鈴木:自分に向かってるんですよね。うん。で、なんか妹とか見てても思いますもん、やっぱり。

石川:そうですか?

鈴木:なんか妹もやっぱりそこはちょっと似てるんですよね、私と。なんか許せないタイプ、自分を。

石川:自分に厳しいんですよね。

鈴木:うん、そうですね。妹は病気じゃなかったし、本当に、常にまあ、何でもトップでないといけないプレッシャーに耐えてきた。でも、戦いつつも、、あの、なんかこう「男を圧倒する地位を築くと同時に、女としての幸せも手に入れる」みたいな。

石川:すごい目標が高いっていうか、課せられ…、うん。

鈴木:で、妹は、母の夢を全部叶えてますね。現在進行形で。そういう意味では妹には妹の負荷があると思います。まあ、妹は自分の人生が母の願いを再現してるって思っていないだろうし、私はある種落ちこぼれた気楽さで勝手にそう見ているだけだけど。はたから見たらとても恵まれてるように見えるかもしれない。ただ、私には幸せそうに見えないんですよね。私が病気で寝たきりで休職してた時、妹が私に「そんな駄目人間でよく生きていけるね」って言うんですよ(笑)。そう言わせる余裕のなさは何だろうって。今、私は父とはほぼ会話しませんけど、母とはけっこうその、表面上は問題ないんです。結局、母には同性として同情もしているんですね。ただ、やっぱり心のなかでは距離を置いてます。わりと距離があれば、だから距離があればそんなに問題が起こらないんです。

石川:ね、鈴木さんも十分実現してると思いますけどね。

鈴木:いやー

石川:うーん、いろんな家庭がありますね、ほんとに。そうだったんだあ。そこらへん私も今日初めて聞けて新鮮でしたけど。

鈴木:そうなんです。なんか毒親話になっちゃいましたね。こういう話をすると、やっぱり、甘えって言われるんだろうなぁと思います。でもなんかこうやって話をしたときに、それが出てくるっていうことは、忘れられないんでしょうね。一番辛い時に、いつも追い詰める言葉と行動しかかけてもらえなかったってことが。なんか私、常に「自分は助けられない人間、助けてもらえない、助けてもらえなくても仕方がない人間」って思ってきたところがありますね。

石川:ただ、今はね、職場に…、は助けてくれるし、新しくね、

鈴木:そうですね、社会のほうがはるかに優しかったです。というか、大人より子どものほうが断然生きにくい社会なんだと思います。

石川:でもこれからその、うん、まあ「病名にこだわらずに生きていく決意」みたいな、決意表明みたいなのを書かれてましたけど。

鈴木:ああ、はい。なんかその、病名を設定した時点で、なんかその病名の周縁に、なんだろ、置かれてしまう人たちが出てきて。それと、病名がつくことによってその、治るんだったらいいんだけど、そうでなかったらそこまでこだわる必要はないのかなって思ったところもあります。解決手段が医療に限定されてしまうこともありますし。ただ慢性疲労症候群っていう診断名があったことで、こうやって石川さんとかともつながれるし、医者ともつながれるし、だから病名は大切だとは思うんですけど、こだわらないというか。その、病名がつかない人たちもいるから、なんか、そういう人たちをどうやったら救い取れるのかなっていうことは考えてますね。[01:35:15]

石川:その病名がつくまでの20何年間、その病名がなかったときの、でも体調不良抱えてきたっていうときは、やっぱり病名を探してましたか?

鈴木:探してましたよ、すごく探してました。すごく探してて、で慢性疲労症候群で、えっと、でいろんな病名つけられ…、いろんな病名っていうかその、「精神疾患かな」って思ってた時期はわりと長くて、でもなんかしっくりこなかったんです。精神疾患差別って言われる方もいるんですが、そもそも病者は精神と身体は当たり前のようにつながっているということを実感していますから。むしろ、診断は何でもよいので何とかしたい、というのが、他の患者さんの話を聞いていても、当事者の本音です。でも、残念ながらというか、既存の精神疾患の治療が全く効かない。うつ病になった時、薬ってこんなに効くんだって逆に驚きましたよ。それまでは、効かないのが当たり前だったので。それにやっぱりしっくりこないんです。私、精神疾患とか発達障害の人たちのピアグループみたいのにずっと参加したこともありました。だから精神疾患の友達は多いですし、中には長期入院している友達もいます。でも、なんか、「え、だけどずっとしんどくない?インフルエンザみたいじゃない?」って言うと、「しんどい」って言うんだけど、でもずっとじゃないんです、みんな。「え、だって、ずーっとしんどいでしょ。ずっとインフルエンザみたいでしょ」っていう人がいなくて。たとえば、みんなの症状を聞いていても、私は倦怠感がまずあるんだけど、友人たちは私にはない別の主症状があって、その結果としての倦怠感だったり。で、疎外感をずっと感じていたんですね。それで、「これやっぱりちょっと、なんか」、

石川:違和感があって。

鈴木:やっぱりしっくりこなかったんです。でも、やっぱり、しっくりこないから悩むんです。そうですね。だから病名はわりと簡単につけられるんですよ。どこか病院に行けば、たぶん何らかの病名はつけられるんだけど、どうも自分にしっくりこなくて。で、わりとしっくりきたのがたぶん、わりとっていうか一番しっくりきたのが慢性疲労症候群だったっていうことですね。だからたぶん脳脊髄液減少症も一つの病名なので、「言われてるやん」って言われたらそうだし。だけど慢性疲労症候群も、たぶん先生が会社を休職するように言ったのは、一つはやっぱりPS値がちょっと設定できなかったんだろうなって、ちょっと今、振り返るとそうだったのかもって思ったりもするんですよ。だから私、その、慢性疲労症候群の中でもグレーゾーンというか、私の感覚では一番慢性疲労症候群に近いけど、なんとか働けてるし、その慢性疲労症候群って診断をつけるかどうか迷うレベルの人間だと思うんです。その、コエンザイムの数値とか低かったし、自律神経とかも測ったんですけど、よくなかったんです。たぶん先生としては慢性疲労症候群っていう診断で休職っていうふうに考えてたのかもしれないですけど、そこはその、私ぐらいの体調不良だとグレーゾーンだったんじゃないでしょうか。別の専門医にも「働けるなら違うね」って言われたこともあります。「じゃあ私、何なんだろう?」って。

石川:でも、休んで…、「よく休んでみよう」っていう気持ちにはやっぱり今もなってないですか?

鈴木:私、3年休んでるんです。で、ずっと寝ていたわけです。まあちょっとはよくなったんですけど、たぶん劇的に回復はしないなってわかったんですよね。もう一つは、まあちょくちょくやっぱり寝込むことあるんです。3、4日ぐらいだったら全然普通に寝込んだりするんですよね。でもそれで3、4日寝込んでるのと、なんか3週間、4週間、1か月寝込んでるのって、なんかちょっとあんまり変わらないっていうか。3、4日寝込んで、2日仕事したほうがいいんです。ずーっと1か月寝込んでまた仕事っていうよりは、1週間のうち2日とか3日とか寝込んで、3日4日仕事するっていうほうが断然精神的にもいいから。

石川:ですね。で今、薬の研究も始まってますので、それができるのを、あの、ゆるく期待しながら。

鈴木:ね。でもほんと、薬ができるといいですよね。

石川:いいですね。うん。じゃあ、こんな感じ、


[音声終了 01:39:48]

*作成:中井 良平
UP:20211014 REV:20211016
難病  ◇線維筋痛症  ◇CRPS:複合性局所疼痛症候群  ◇慢性疲労症候群  ◇なおすこと  ◇名づけ認め分かり語る…  ◇原因/帰属 c11
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