中村加織氏インタビュー
20210208 聞き手:石川真紀 於:Zoom
■インタビュー情報
◇中村 加織 i2021 インタビュー 2021/02/08 聞き手:石川 真紀 於:Zoom
◇文字起こし:ココペリ121
■関連項目
◇難病
◇線維筋痛症
◇CRPS:複合性局所疼痛症候群
◇慢性疲労症候群
◇なおすこと
◇名づけ認め分かり語る…
◇原因/帰属 c11
■本文
86分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。
■■
[音声開始]
石川:今日はよろしくお願いします。
中村:よろしくお願いします。
石川:えーと、あのー(笑)、なんかちょっと緊張してるんですけど、私もなんとなく。
中村:私もです(笑)。
石川:中村さんよろしくお願いします、石川です(笑)。
中村:よろしくお願いします、中村です。
石川:(笑) 今、しきり直しました。すいません。
中村:いえいえ(笑)。
石川:今、年齢はおいくつですか?
中村:40です。
石川:あ、40になったんですね! おめでとうございます。
中村:なりました! こないだ。ありがとうございます。
石川:そうだねー。もういよいよ40になったのかあ。
中村:なりました(笑)。
石川:なんかね、知り合った時に20代だったような気がする、加織さんが。
中村:そうですね。
石川:で今は、まあ当時もですけど、出身は、出身とお住まいはずっと、
中村:浜松市です。
石川:ね、静岡県浜松市ですよね。
中村:はい。
石川:で、えーと、そうなると…、病気になったのは何歳ですか?
中村:28歳です。
石川:その時のようすを教えてください。
中村:はい。えっと、
石川:当時は仕事をしてて、
中村:はい。当時、仕事をしていて、
石川:何のお仕事ですか?
中村:ケーキを作る仕事をしていました。で、前日まで働いて、普通に働いていたんですけど、突然40度を超える熱が出て、それから、で病院に行ったとき、それはインフルエンザだったんですけど、その40度の熱がずっと下がらなくて。下がったのが、たぶん10日後くらいに熱が下がって、
石川:長いですね。インフルエンザの薬を処方してもらって、飲んでもなかなか下がらなかったんですね?
中村:そうです、飲んでも下がらなかったです。で、熱が下がってももう、熱が下がっただけでインフルエンザの症状みたいなのは残ったままというか。倦怠感とか関節の痛みとか筋肉痛とかがずっと残っていて。それでそのまま仕事には復帰したんですけど、
石川:10日後にですか?
中村:そうです。[00:03:30]
石川:でもそのときに、熱はもうまるっきり平熱に下がったんですかね?
中村:え、どうだったんだろう? でも6度台…、そうですね、下がったんだと思います。
石川:そうなんですね。で、とりあえず、なんか体はあんまり楽になってなくて、でも仕事いつまでも休めないしということで、仕事復帰して。
中村:そうです。仕事復帰して、はい。それでもう、その仕事復帰してすぐに、また別に風邪をひいて、っていうのをずっと繰り返していて。常に風邪をひいている状態から、もう2か月後にマイコプラズマとかなんかいろんなものをもらうようになって、百日咳とかが重なっていて。
石川:感染症祭りですね、すごい。
中村:あ、そう、そうですね(笑)。それでもうそのころ、そうですね、2か月後くらいはもう階段登るのも四つんばいで登るようになっていて、登れなくて。であと着替えするのももう関節が痛いのと、あと着替えるだけで息が切れちゃったりとかっていうのがあって。で、そこで病院に行ったのかな。
石川:あらためて行って。
中村:あらためて、はい。
石川:そのときは、ご家族と暮らしてたんですか? [00:05:14]
中村:はい。家族で、実家にいました。
石川:お母さんと、
中村:はい、母と姉夫婦と甥っ子。
石川:家族のかたの反応はどうでした?
中村:もう、なん…、「弱ってるね」みたいな、そんな感じでわりとゆるく。
石川:そんな感じで、はい、はい。で、あらためて、2か月ぐらいしても改善しないからおかしいなと思って病院に行って、
中村:はい、行って。でもそのときあの、百日咳とか診てもらってた地元のクリニックにもう一回行き直したんですけど、もうあの、「その感染症に対しての治療は終わっているから、もうあなたはどこも悪くないよ」っていう、検査もしてもらったんですけど、「どこも悪くないから、もうちょっと様子見て」っていうのが、それからまた3か月ぐらい続いてですね。それでまあほかの病院、婦人科とか、あと喉とかちょっと痛かったので耳鼻咽喉科に行ったりとかですね、4軒ぐらいかな。心療内科とかも行ったけどとくに異常が分からなくて。で、そのころから自分でもやっぱり探し始めて、「何かな?」と。
石川:「これ何なんだろう」と。
中村:「何なんだろう」と。で、その時に慢性疲労症候群っていうのを知って、
石川:はい、インターネットか何かで?
中村:私は本を読みました。
石川:本で。はあ、なるほど。
中村:はい。それで「そうかもしれない」と思ってて、それを診ている病院も探して。その、一番話しやすかった先生が耳鼻咽喉科だったので、ちょっと相談をして、紹介状は書いていただけなかったんですけど、もうそのまま名古屋の、名古屋大学の病院、附属病院にかかったのが、たぶん発症してから10か月ぐらいあとだと思います。
石川:予約してもすぐ診てもらえないですもんね、けっこう予約が先まであって。
中村:そうですね。私の時も本当に予約もなしで、初診で全然知らない先生に一番最初にかかって。
石川:あ、そうなんですね。
中村:あ、そうです。そっから3人先生に診ていただいてから、CFSを当時診ていた先生につながっていく感じでした。
石川:はい。で、診断がついたのが10か月後なんですかね?
中村:が、そうですね。そこ、名大に行ってから2か月くらい後でした。
石川:その病名が分かったとき、どうでした?
中村:うーん。ちょっとほっとしたのと、あとはなんでしょう。えー…、
石川:何をしたら体調が良くなって、何をしたらだめなのかっていうのも分からないまんまずっと過ごしてきて、すごいこう心配だったと思うんですけど、[00:10:00]
中村:はい。えっと、そうですね。でもやっとその、わかって、
石川:治療に入れるっていうか。
中村:そうですね。通じるというか、わかってくださる先生に出会えたっていうのと、お薬っていうか治療、
石川:改善するためのアクションが起こせるというか。
中村:アクションが、はい、「やっと、あ、つながったな」っていうのが、
石川:ね、やっぱり「気のせい」みたいな「何も異常ないよ」っていうふうな対応をどこでもずっと病院でされてきて、「でもおかしいんですけど」っていう、それをこう真に受けてもらえないみたいな感じだったのかな?
中村:あ、そうです。行ってもどこも異常ないし、「考えすぎじゃない?」とか、「おまんじゅう10個食べれば元気になるんじゃない?」とか言われたりとか。「若いのにそんな疲れてるとか言うんじゃないよ」とか。
石川:怒られちゃったりして(笑)。
中村:怒られましたね(笑)。
石川:怒られちゃったりバカにされたりしてる感じありますよね。
中村:はい。「また来たの?」みたいな。
石川:(笑) 「病院が好きなの?」みたいな。
中村:(笑) そうです、そうです。
石川:「何しに来たの?」じゃないですけど、「もうできることないのにな」って。まあ病院のほうでも、たしかに検査値に異常なければ、どうもできないことはどうもできないですもんね。
中村:そうですね。
石川:でも、客観的な指標ないのがまあこの病気ですけど、熱はそのときはどうでしたか?
中村:そのときはずっと微熱がずーっと続いてました。その、そうですね。
石川:37度台かな?
中村:そうです、そうです。
石川:前半?
中村:37度台、えーと、前半。
石川:37度台前半の熱がずっと。その前は、もともとはどのぐらいが平熱でしたか?
中村:平熱が35度台でした。
石川:そうすると、1度から2度は高いから、しんどいですよね。
中村:そうですね、はい。
石川:で、やっと病名がわかって治療開始になり。勤務先とか家族には報告しましたか? [00:12:55]
中村:しました。
石川:その時の反応ってどうでした?
中村:えっと、勤務先は仕事、もう続けていくのは無理なのはわかってたんですけど、会社に着くだけでもう仕事できなかったので。でも、診断書がないと休めなかったりしたので、病名がついたことで、
石川:そうですよね、じゃあその10か月の間は、仕事はフルではできてなかった感じですね? そしたら。
中村:あ、できてなかったです。
石川:どんな状態でしたか?
中村:もう、えっと、有給をたくさん使って休ませていただいたりとか、あと出勤はするんですけど、まあ会社にたどり着くだけで何もできず、休んで帰るみたいな感じ。で、できてもやっぱり軽作業にしていただいたりとか、フルでは働けてなかったです。
石川:じゃあそれまでの仕事量のだいたい何割くらいできてました? 半分はできてました?
中村:えー、半分もできてなかったと思います。
石川:そしたら職場のかたも困ってたのかな?
中村:そう…、ですね。困ってたかもしれないですけど、その、
石川:困ってたというか、その、「なんだろう?」っていう。
中村:あ、そうですね。
石川:で、その、加織さんが仕事できなくなってるぶんを誰かがフォローして。
中村:はい、そうです。まわりがみんなでサポートしてくださったので、私は在籍できたんですけど、そのぶんの負担っていうのはやっぱりまわりにかけていたので、うん、そうですね、そこはちょっとストレスでした。
石川:ストレスですよねー。
中村:はい。
石川:休むっていう連絡するのもストレスだし、
中村:ストレスですね。
石川:行って「帰る」と言い出すのも心苦しいし、でも、いてもなんもできないし、みたいな。
中村:はい、そうです。
石川:で、病院行っても相手にされないし(笑)。
中村:(笑) そうです、そうです。
石川:「どうしたらいいの」っていう感じで…、泣いたりしませんでした?
中村:あー、泣いたかもしれないです。うん。
石川:けっこうそれが「いつまで続くの?」ってもう、半年過ぎても続いてると、もう先がね、「クビになるんじゃないか?」っていう不安もあったでしょう?
中村:はい、ありました。[00:16:20]
石川:ねえ。
中村:はい。「辞めたほうが気持ちは楽なんじゃないか?」とか、迷惑かけるから。
石川:たしかに、たしかに、心労がね。ただ、収入がなくなってしまうし、
中村:そうですね、収入が。はい。
石川:好きなお仕事だったでしょうし、夢が叶ったっていうか、そうですよね?
中村:はい。そうです、はい。
石川:それで職場に、やっと診断書が、病名がついて診断書がもらえたりすると思うんだけども、それで会社にはどういうふうにしたんですか? 休職とかしたんですか?
中村:あ、そうです。休職しました。
石川:どのぐらい?
中村:どのぐらいだったんだろう、ちょっと思い出せない。えっと、3か月…、いや、3…、そうですね…。え、思い出せない。3か月? 3か月ぐらいお休みをいただいて、
石川:その、診断書を提出して?
中村:はい。
石川:やっと休めた、
中村:やっと休めた。
石川:なんだろう、やっと「なんだかわからないけど休みがちな人」から、ちゃんと病名ついて、病欠っていう
中村:はい。
石川:で、ご家族の反応はどうでしたか?
中村:家族の反応…、わりと薄かったです。
石川:ふーん。
中村:はい。
石川:休職してずっとお家で休んでることで、なんか、
中村:あー、でも最初のころは「働かざる者食うべからず」って言われたりとか(笑)。うーん、そうですね。
石川:あんまり、なんだろう、甘えてる感じに取られたのかな?
中村:そうだと思います。「友だちが遊びに来るから、車邪魔だから出かけて」とか(笑)。
石川:(笑) その、お見舞いに来てるわけですけどね、きっとね。
中村:家族の友だちが来るから、私の車が停まってると停まれないから。
石川:ああー、なんだ、そういうことね。
中村:「車邪魔だから出かけて」って(笑)。
石川:「えー、休職中なんですけど」って。
中村:なんかちょっと伝わってなかったみたいで(笑)。[00:19:29]
石川:ああ、なるほど。加織さんは本で、病気を「これじゃないか?」ってわかったっておっしゃいましたけど、どれぐらいそれまで本読みましたか? 何冊くらい調べてたどり着いたんですか?
中村:あ、私は1冊です、その。
石川:1冊目から。いろいろ読んだんじゃなくて。
中村:はい。じゃなくて、たまたま。はい。
石川:なんていう本ですか?
中村:ちょっと正しい名前は覚えてないんですけど、女性の疲れについて書かれた本が当時あって。
石川:へー。
中村:そうなんです。
石川:そうなんですね。著者とか覚えてます?
中村:全然覚えてないんです、すみません。
石川:あ、そうなんだ。
中村:はい。でも女性の疲れについていろんなことが書かれていたので。
石川:でその中に、慢性疲労症候群っていう病名があって。
中村:はい、ありました。
石川:「これだ」と。
中村:はい、「もしかして」と思って。そっからインターネットでブログとかを見るようになって、「ああ、同じだ」って思いました。
石川:なるほど。当時ってそんなになかったですよね、情報、ほんとに。
中村:全然なかったですね。
石川:そうなんですね。友だちと会ったりとかそういうこともできてましたか? たまに?
中村:できてなかったと思います、仕事に行くか休むかっていう感じで。
石川:仕事もプライベートも、もう本当ままならない感じですよね。
中村:はい。
石川:で、治療が始まってどれくらいで治るとか、考えてました? [00:21:34]
中村:「もう治療始まればすぐ治るんだろうな」と、漠然と。
石川:休職して、回復するんじゃないかなっていう?
中村:はい。楽観的な。
石川:楽観的に。だってせっかく治療もはじまったし、自分の症状のことをちゃんと理解してくれる先生とも出会えて。で、休職3か月した結果、
中村:結果、なんとなく働けるのかなと思って、
石川:ちょっとよくなった感じがしたんですね。
中村:ちょっとよくなった感じがしました。で、復職して。復職して、でももう半年ぐらい、えっと、もう正社員は辞めさせていただいて、パートっていうかたちで1週間に3回ぐらいにして、いろんな配慮とかもいただいて、仕事始めました、えっと、復職しました。
石川:なるほどじゃあ退職して、雇用形態を変えて戻った感じなんですね。
中村:はい。
石川:その期間がどれくらいですか?
中村:うーん、正しい数字は覚えてないんですけども、たぶん半年ぐらいだと思います。
石川:で、復職したら、もと通り仕事できた感じです?
中村:あ、できなかったです。やっぱり重いものとか…、肉体労働なんですけど、重いものとか持てなかったですし、立ち仕事もちょっとできない感じで。
石川:じゃあ、「あれ、なんで治ってないの?」焦りませんでした?
中村:焦りました。[00:24:11]
石川:ね。「え、ずっとこうなの?」みたいな気持ちだったりとか、結局、
中村:そうですね。やっぱり収入が一番心配だったので。
石川:確かに。結局、半分ぐらいになっちゃうのかな?
中村:はい、そうです。
石川:ですよね。あと不安定ですもんね。休めば休んだぶん入ってこなくなって苦しい。有給とかもなくなっちゃうのかな?
中村:はい、なくなって。
石川:ですよね。
中村:ですね。当時、奨学金の返済とかもあったので、もう働くしか、はい。
石川:実家にいるとはいえ、やっぱり収入が半分とかになってしまうとつらいですよね。
中村:働く以外の選択肢がちょっと見つからなかったです。
石川:うん。それでそこからずっと、半年経って、半年その生活を続けて、そのあとは、どういうふうに?
中村:そのあとは、そこからずっと同じ会社で休職と復職を何回か繰り返して、で1年くらいいたんだと思います。
石川:その間に「治んないかなー」とか思ったり?
中村:もう1年くらい経って若干のあきらめがあって、「このままなのかな」って思うようになって。焦りもやっぱりありましたけど、うん。
石川:そうですよね。
中村:はい、でも収入の不安が大きくて。
石川:そうですよね。
中村:はい。
石川:で、そのころだいたいまあアラサーじゃないですか。アラサーのときって、すごくみんな人生のステップこう踏んでいくときだと思うですよ。
中村:はい。
石川:結婚したり、出産したり、まわりがわりとそういうのがラッシュの時期だと思うんですけど、その収入の不安もそうですけど、そういうことに対してのなんか気持ちってどうでした?
中村:ああ。その診断から1年くらいの時に、ちょうどお付き合いしていたかたと結婚したんですけど、「もう働かなくてもいいから、もう一緒に」っていうことで、で結婚はしたのと。でも仕事は、ちょっと症状がひどくなる前、もう発症はしてたけど働けていた時期に、本当はお店を、新しい新店舗を出すっていうときに店舗をまかせていただけるっていうお話もいただいてたんですけど、
石川:店長になる予定だったんですね?
中村:(笑) それはできなくて。
石川:それすごい、楽しみにしてたんじゃないですか?
中村:そうですね、はい。それができなくてっていうのはすごい、心残りがあります。
石川:それを目前に、はい。で、結婚をして、また環境が変わったわけですよね? 生活環境が。[00:28:52]
中村:はい。
石川:なんかこの11年、良くなったり悪くなったりを繰り返した感じでしょうか?
中村:あ、そうです。えーと、良くなった時期もやっぱりあって。そうするとやっぱり「仕事をしよう、しなきゃ」ってなるので、仕事をして、悪化してっていう波がずーっとありました。
石川:で病院は、同じ病院に今も通ってると思うんですけど、どのぐらいの間隔で行かれてましたか? [00:29:52]
中村:最初のころは2か月に1回行ってたんですけど、もう、
石川:はい。だいたいその通院するときに、最初1人で行ってたのかな?
中村:あ、そうです、1人で。できるだけ…、
石川:で、片道…、1回行くのに、その通院にかかる交通費と時間ってどのぐらいかかりました?
中村:もう最初のころは、もうできるだけお金をかけないようにと思って在来線とかを使っていたので、2千円ぐらいで行けてたんですけど。
石川:片道?
中村:片道です、はい。
石川:そうすると時間けっこうかかりますね?
中村:あ、時間かかりました。
石川:朝何時に出て何時に帰って来る感じですか? だいたい。
中村:えっと、朝、
石川:あ、片道何時間ぐらいかかって、
中村:片道3時間です。
石川:帰りももちろん3時間ですよね? で、病院にいる時間が、
中村:30分ぐらい。
石川:あ、そんなもんなんですね?
中村:あ、待ち時間とか入れていいんですか?
石川:入れて入れて(笑)。病院の滞在時間っていうか、
中村:待ち時間入れるとたぶん、滞在時間、たぶん1時間ぐらいだと思います。
石川:通院そのもので、じゃあ7時間とかかかっちゃう感じですよね? [00:31:40]
中村:そうですね、はい。
石川:で薬出されたらその、それも待ったりして、7、8時間かかったりして。1日仕事ですよね。
中村:はい、ほぼ1日。でも、ちょっと交通費が出せなくて病院キャンセルしたこととかもあって…、うーん、は、ありました。
石川:浜松市って大きい街じゃないですか。遠くの病院まで行ってる人ってまわりにいました?
中村:まわりにいなかったです。
石川:そうですよね。
中村:はい。「なんでそんな名古屋まで行かなきゃいけないの?」って言われたりもしますけど。
石川:しますでしょうね。
中村:はい、ないから(笑)。
石川:(笑) 「好きで遠くの病院に行ってるんじゃないんです」っていうことだよね。
中村:そうです、そうです(笑)
石川:で、私たちの病気っていうのは動いたりしたあとに悪化するので、通院の時も、駅の階段だったり、いろんなのがすごくしんどかったと思うんですよね。必死だったと思うんですけど、通院。
中村:はい、必死でした。
石川:それでもね、まわりに「なんでわざわざ行ってるの?」って言われるそのジレンマっていうか(笑)。
中村:そう(笑)、はい。
石川:こっちもお金も使いたくないし、近くの病院で診てもらいたいのやまやまですよね。
中村:はい、ほんとに。
石川:体力的にも経済的にも。
中村:体力的にも経済的にも、消耗しかないですね。
石川:そう、ほんとほんと(笑)、そうですよね。精神的にも、なんだろうな、まわりの認識とこの自分のその体の苦しさとがすごいギャップがあったと思うんですよ。[00:34:01]
中村:はい。
石川:それつらくなかったですか?
中村:ああ、けっこうつらかったです。見た目、全然たぶん変わらなかったので、そうですね。
石川:でもあの、見た目変わんないのって、ほとんどの病気が見た目変わらないと思うんですよ、私。
中村:ああ、確かに。
石川:うん。指定難病でも、パッと見て「あ、この人病気だな」ってわかるような病気のほうが少ないと思うんですよね、どちらかと言えば。
中村:あ、そうですね。
石川:たとえば癌とかでも、「あ、この人癌だな」って見た目でわかんないじゃないですか。
中村:(笑) わかんない。わかんないですよね。みんなそうかもしれないと。
石川:そう。でも、「癌なんです」って言ったら、「ああ、大変だね」って言われるけど、私たちの病気の場合、どういう反応でした?
中村:なんか「私も疲れやすいんだよね」「私もCFSかもしれない」とか、それはよく言われました。
石川:で、その時の加織さんの反応は? (笑)
中村:「フルタイムで働いて、遊びに行ってるのになあ」って。
石川:(笑) あ、その人たちがね。
中村:そのかたが。はい、思ったりとか。やっぱり全然伝わらないんだなっていうのは、ありました。
石川:ですよね。でもまあ結婚もされて。だけどその結婚した…、まあ旦那さんはご理解あったんだと思うんですけど、その旦那さんの家族に対してとか?
中村:はい、主人の家族は、主人がもう説明をしてくれていたので、結婚前に。病名よりも、その症状のことをちゃんと受け入れてくれていて。
石川:そうなんですね。
中村:はい。その、いろいろ私家事しなくても大丈夫とか、いろいろサポートしてくれて。わりと実家よりも受け入れられやすかったと思います。
石川:あ、なるほど。「働く者食うべからず」とは言われないんですね?
中村:言われないです。ちょっと体調悪かったりすると、「あんた休みなさいよ」とか言ってくれて。
石川:ありがたいですね。
中村:ありがたいです。寒くないようにとか、すごい気をつかってもらって。はい。
石川:なるほど。でもその、結婚してじゃあちょうど10周年なのかな? 今年。[00:37:19]
中村:はい。こないだ10周年になりました(笑)。
石川:おめでとうございます(笑)。
中村:ありがとうございます(笑)。
石川:その結婚生活10年の間に、なんかその病気のことで、「この病気がなければこうできたのに」とかありました?
中村:ああ、もうちょっとなんか家事ができればとか、妊娠出産とかも考えられたのかなとか、そういうのはあります。
石川:妊娠出産は、病気のことを考えてあきらめた感じです?
中村:えっと、もともと多嚢胞性卵巣症候群っていう、できにくい状態ではあったんですけど、その病気の前から、20代前半のときにわかってたんですけど。それでもその不妊治療をしてまでこう出産する体力はない…、なかったかなって、はい、思います、経済的にもですけど。
石川:そうですよね。あとはたとえばそれこそ、まわりの人たちがどんどん結婚したり子どもを産んだりいろいろ、家族で旅行に行っただとかいろんなことがね、あるじゃないですか。でも加織さんはね、なかなかそういうこともできなかったんじゃないかな? [00:39:15]
中村:そうですね、うん。そうですね、あまりたくさん出かけられてもいないし。うーん、そうですね。二人は、二人の良さはありますけど、やっぱりまわりからは「仕事もしてないし、子どももいないで、いいご身分だね」みたいな。
石川:わーお(笑)。
中村:(笑) 言われるんです、リアルに。
石川:おー。その時はどういうふうにリアクションするんですか?
中村:まあ「授かりものだから」って、笑って(笑)。
石川:なるほど。最近その不妊治療とかに対しては、「欲しくてもできない人がいるんだよ」っていうとかね、「結婚したからって『子どもまだ?』とかあんまり言うもんじゃない」っていうようなのがだんだん広まってきたとはいえ、
中村:はい。いやいやもう、ご年配のかたはとくに。
石川:あ、そうですね、年配のかたはね。
中村:「子どもまだ?」(笑)
石川:うんうんうん、まあ楽しみにしてるんだよね、純粋に悪気なく、きっと(笑)。
中村:そうですね。はい、悪気なく。そうなんです(笑)。
石川:だからその、たとえばこの病気になって失ったものとか、なんていうか、「病気になってなかったらこうだったのになあ」みたいなありますか?
中村:ああ、あります。「私の30代…」って思います。仕事もともと好きだったので、もっと、もっと仕事したかったし、なんなら独立もしたかったし。ありました。
石川:そうですよね。[00:41:22]
中村:はい。
石川:夢の実現というか、自分の手に職があるかたなので、それが、あるべき未来が、レールから落ちたちゃったみたいな、外れちゃった、脱線しちゃったみたいな感じですよね。ほんと目前で、残念だったと思いますけど。でも、こんなに10何年もこの生活続くと思ってました?
中村:思ってなかったです。思ってないし、これから先、ポンて治るんじゃないかみたいな、やっぱり楽観的な。
石川:あ、希望は持っている?
中村:(笑) 希望は持っています。
石川:それはいいことですね(笑)。じゃ逆にこの病気になって、なんだろうなあ、得たものっていうか、ありますか?
中村:ああ。そうですね、そっちのほうがたぶん、たくさんあって。
石川:おー? どういうことですか? (笑)
中村:やっぱりその、指定難病じゃない、制度から外れている病気があることとか、病院に行っても治らない病気があることっていうのを知らなかったので、そこを知れたことだとか。やっぱ外側から、さっきの話もそうですけど、外側から見えない病気とか障害っていうのが、自分だけじゃなくて他の人もいっぱい実は抱えているんだっていうことがわかったことがけっこうラッキーだなあって思います。[00:43:20]
石川:でも、知らないほうが幸せだったかもって思いません?
中村:(笑) それはちょっとありますけど。でもそうですね、それなんか、まあ知らずにいたよりも私ちょっと今、幸せかもしれないって思ってます。
石川:あと、私と加織さんは、加織さんが最初闘病ブログを始めてらして、私はそれを読んで知り合って、私ものちにブログを始めてお互いコメントし合ったりして知り合ったってことが、すごい遠い。遠いし、なんかてれくさい(笑)。
中村:(笑) 本当ですね。懐かしい。
石川:ね、懐かしいですよね。でそのあと、まさか静岡県で講演会開いたり、浜松城を啓発ライトアップすることになるとは。
中村:はい、なるとは。
石川:思ってなかったですよね(笑)。
中村:(笑) 思ってなかったです。
石川:うん。なんかその今、発症当時のこととか話していて、「すごいことだな」って今改めて(笑)。
中村:(笑) ほんとですね。
石川:病名も口にしづらいし、口にしたらかえって変なこと言われてめんどくさくなる病気って(笑)、本当肩身が狭いというか。
中村:はい。もうなるべく言いたくないって思います。
石川:ですよね。でもその、静岡県の行政主催で医療講演会を開いたり、啓発デーで浜松城のライトアップをしたことで、何か変化とかありましたか? まわりの変化と自分の変化と。[00:45:49]
中村:あ、すごいあったと思います。えっと、うん、まずはそうですね、「慢性疲労症候群って病気だよ」っていうことがまわりにちょっと伝わったこととか、あとは「あ、言ってもいいんだ」って、
石川:(笑) うん。
中村:(笑) そうですね。病名を公表したことで、「その新聞を持って私も病院に行きました」とか、
石川:加織さんがその取材を受けてくれて、新聞に載った記事を、
中村:はい。「それを持って病院とか職場に行って説明ができました」っていうかたがいらしたりとか。なんでしょう、それはよかったなあって思いますね。うん、いろんなかたが、[00:47:08]
石川:加織さんが発症した当時、社会問題として新聞に載ることもまずなかったし、本も、この病気の本っていうのがなかったですよね? 当時。
中村:あ、なかったですね。
石川:たとえば「この病気になったらどう暮らしていいか」とか、「この病気ってこういうもんだよ」とかっていう本って、ほとんどの病気に何十冊とあるのに、
中村:うんうん。
石川:慢性疲労症候群についてちゃんと書かれてる本なかったですよね。
中村:はい、なかったです。
石川:ほんとに「何? どうしたらいいの?」っていう(笑)
中村:情報がなさすぎて。
石川:情報がなさすぎて、ほんとに。
中村:私もたぶん最初に読んだ本っていうのが、慢性疲労症候群の説明ってたぶん3行ぐらいだったんです。小っちゃい、小っちゃい3行です。そうですね、その情報のないところから、「あ、病名言っても伝わるのか」っていう。
石川:でのその同じような状況にある人たちが、加織さんが載ってる新聞を見て、どれだけ心強かったろうなと思います。
中村:よかったです。勇気を出してやってよかったです。
石川:私もちょっとメディアに出るって、いろいろ、なんだろう、良くも悪くもなんか受け止めなきゃいけないことが出てくるので、ちょっと心配はしたんですけど、加織さんはあんまり迷いなかったですよね? [00:48:58]
中村:ブログにちょっと嫌がらせをされたりとかはありましたけど、知らない人から。あんまりなかったです。
石川:ですよね。
中村:はい。
石川:あとは、お母さんがその記事を読んで、社説…。社説にもしてくれたんですよね、静岡新聞が。
中村:そうです、社説書いていただいて。
石川:静岡新聞ですよね?
中村:はい。
石川:で、それを読んで、お母さんが、
中村:ちょっと感動したのか、ちょっと、
石川:泣いてらしたと聞いて、でそれを聞いた加織さんも泣いたんじゃないですか?
中村:(笑) そうですね、ちょっと。「あ、伝わったのかな」って、うん。
石川:やっぱり身近に見てる家族でさえも、やっぱり心配だったでしょうし、なんかどうしていいのか家族もわかんなかったかもしれないですね。
中村:ああ、そうかもしれないです。はい。[00:50:24]
石川:で、加織さんの変わったところはどうですか? そういうのをしたことで。まわりの反応と、あと加織さんのこう、自分の変わったところっていうのは、「言っていいんだ」っていうところ? (笑)
中村:あ、そうですね。「言っていいんだ」っていうことと、あと想像以上にまわりのかたがたが応援してくれていたこと、心配してくれてたことがすごいわかりました。[00:51:00]
石川:そうですよね、うん。
中村:私自身、そうですね、もともと表に出るタイプではなかったので、まあ人の役に立ててちょっとよかったなって思います。
石川:仕事もできないし、お金も稼げないし家事もできないと、なんだろう、自分の存在価値っていうか、
中村:存在価値、そうそう、そうですね。「私、あ、生きてていいのかな」って、「なんのために生きてるのかな」っていうのは、やっぱりありました。
石川:同じく。あとは途中で「加織さんもきっと障害年金の対象だよ」って言って、その障害年金が認められたとき、ちょっとほっとしたというか?
中村:もう、だいぶ救われました。
石川:救われますよね。
中村:大号泣しました。
石川:(笑) ほんとに? 大号泣だったんだあ。
中村:もうほんとに苦しかったので、「奨学金の返済どうしよう」とかあったので、それはやっぱり主人に言えないし、「学費払って」とか言えないし。だからそれだけは、ほんとに貯金崩したりとか、もう使い尽くしちゃったんですけど。
石川:そのときその、収入が途絶えて通院ができないときもあったからね。「病気なのに通院できなくなるってどういうことだ?」っていう(笑)、
中村:ほんとにそうですね。
石川:ね。「どうして隣の県まで行かなくちゃいけないの?」っていう、
中村:(笑) はい。
石川:「移動がつらい病気なのに、なんで長距離移動しなきゃいけないの?」っていうの、まあ私自身もいつも思ってるし、「このお金の負担どうにかならないの?」って思ってるんですけど、私も。
中村:ほんとですね。
石川:あとコロナになって、通院とかその他の面で何か変わったことありますか?
中村:やっぱり今、緊急事態宣言とか出ていて、その対象の県に行くっていうのがリスクしかないし、その予約をずらすのか、「地元で診てもらえたら一番いいのにな」っていうのは思います。なんていうんでしょう、
石川:そうすると、診療はいつも通り行ってます? 通院。
中村:今のところ行けてます。たまたま、たまたまなんですけど、今4か月に1回行っていて、たまたま感染者数が減る時期に今まで行けていたので、ほんとにたまたまなので、これからどうしたらいいのかな?っていうのはあります。
石川:今コロナになったおかげで…、なったおかげでっていう言いかたがどうなのかわかんないんだけども、その、
中村:はい、わかります、でも。
石川:ね。オンライン診療とか、電話をすれば安定している患者さんは薬を、処方箋を出してもらえるとか、いろいろ変わってきましたよね。
中村:はい。それが対応になれば一番助かります。なんでしょう、大学病院で、うん、できれば、それが一番安心ですね。
石川:そうですね。あとはその、体調悪いときほど通院に行けないじゃないですか。
中村:はい、行けないです。
石川:なので、やっぱり体調悪いときほど近くで診てもらいたいですよね?
中村:はい。通院に体調を合わせて、一番いい時に通院するみたいな感じが、「何なんだろう、これ?」って。
石川:で、帰ってきてからもしばらく体調悪くなっちゃうわけじゃないですか、通院のせいで。
中村:はい、はい。そうですね。
石川:それほんとに、「時間返して」って思いますよね(笑)。
中村:ほんとに思います。
石川:時間が、ほんとになんだろうな、時間返してほしいですよね(笑)、本当に。
中村:(笑) 時間返してほしいです。何に対してかわからないけど、ちょっともったいないなって思います。
石川:ほんとに10年返してほしいです、私も(笑)。
中村:ほんとですよね(笑)。
石川:「何ができたんだよー」。あと「通院費と医療費でいくらになってるんだよー」って思いますね。
中村:ほんとですよね。
石川:ほんとに悔しいし失ったもの多いのに、なんだろうな、変なふうに見られてるっていうか(笑)。
中村:切ないですね。
石川:なんか割に合わないですよね。
中村:合わないと思います(笑)。
石川:ほんとに。でもその、なんだろう、病気になって人と会う機会とかも、やっぱり少なくなるじゃないですか、交際範囲もね。友だちに会いたいけど会ったらまた具合悪くなるし、
中村:すごい減りました。
石川:「会える体調の日って、月に何回あるかな?」っていう状態ですよね。
中村:はい。そうですね。
石川:それでもなんか「毎日暇な人」みたいな、「家でのんびり過ごしてる人」扱いをされがちなので。
中村:されがちです。
石川:いつもその、なんだろう、ギャップに悶々してるかな(笑)。
中村:(笑) します、します、うん。
石川:かといってそれを相談できるところとか、あと、その気持ちを分かち合える人がいるっていうことがほんとに支えになったりしますね。…って、私インタビューする側なのに私が言っちゃってるんですけど(笑)。
中村:すみません、私言わなきゃいけないのに。
石川:私は誘導尋問してるみたいになってたら(笑)、
中村:助かります。でも、ほんとにそう思います。あの、SNSとかがない時代だったら、ちょっと耐えられなかったんじゃないかって。
石川:孤立してますよね、きっと、ほんとに、外に出ていけないし。
中村:ほんとに、はい。
石川:SNSのメリットやデメリットもありますけど、患者どうしのつながりを持てるっていうのがやっぱり違いますよね。
中村:そうですね、安心はずっといただいてます。
石川:あとはその啓発デーで、浜松城をやるので、ライトアップして、ライトセーバーみたいので、何ていうお名前でしたっけ?
中村:えっと、遠州鎧仁會(えんしゅうがいしんかい)? ちょっと違ったらあとで送ります。
石川:(笑) あ、でもYouTube(ユーチューブ)でも上げてくださってますよね?
中村:はい、そうなんです。
石川:それホームページにリンクしていいかな?
中村:え?
石川:ホームページで紹介していいかな? 私のブログとか。[01:00:54]
中村:あ、いいと思います。ちょっと確認します、はい。
石川:そうね、その啓発デーの実施報告にご紹介せていただいて。
中村:はい。YouTubeだからきっと、
石川:ね、自由だよね?
中村:そうですよね。
石川:(笑) でもそういうふうになんかこう、そのとき議員さんとか、加織さんの個人的なお友だちとか、その他のかたがけっこう集まってくれてましたね。
中村:あ、そうですね。あの日150人ぐらい集まってくださったんですけど。
石川:すごーい。
中村:その中でも、友だちの友だちがただ「青くなる」って聞いて来てくれて、それであとから「慢性疲労症候群って何だ」って調べてくれて、「そこで知ったよ」っていうかたがけっこういらして。
石川:へー。やっぱりお城の影響力って大きいですね。
中村:大きいですね、すごい。なんかあの、ちょっと言葉悪いかもしれないですけど、狙い通りというか、ほんとに。なんで青いのかを調べてくれる人ってほんとにいたんだなって思いました。うん。
石川:ね。だって「病気のこと話します」って言っても、「聞きたい聞きたい」っていう、
中村:(笑) なかなかいないし、自分もしゃべりたくないし。
石川:(笑) ね。だからなんだろうね、ちょっと楽しそうな、入りやすい感じ。別に深く知ってもらわなくても、「あ、そういう病気があって、そういう症状でいろんな制限があるんだな」っていうのをわかってくれるだけでも、けっこう生きやすいですよね。
中村:はい、すっごいよかったです。生きやすいなと思いました。理解、まわりの理解がちょっとあるだけでこんなに変わるんだなって思いました。
石川:それは気持ちの面でですか?
中村:はい。気持ちの面は大きいです。
石川:ですよね。なんかたぶん自分で自覚してるよりも、そんなにすごいつらいとかきついとか思ってなく…、自覚してなくても、それが解けたときに、「あ、こんなに重いものが自分の心にのしかかってたんだな」みたいなのが、あとで気づいたりしますよね。
中村:します。ああ、すごくわかります、それ。
石川:なんていうか、「市民権復活」みたいな。[01:04:07]
中村:はい。
石川:ちょっとなんか、「非国民」的なとこありましたもんね、たしかに。
中村:ね、そうですね、はい、たしかに。10年とかも過ぎると、もうこれが当たり前になってしまったのかなというか、慣れすぎて、なんていうんでしょう、がまんするとか、そういうことに慣れすぎていたのかなということにもちょっと気づいたりとか。
石川:たしかに。あとはやっぱり最初の、何軒も病院回って相手にされなかったりしたことが、もうなんかそれでもうじゅうぶん、こりたっていうか(笑)
中村:(笑) こりますね。「もう新しく病院に行きたくない」って。[01:05:10]
石川:なかったり、「人に病気のこととか言いたくない」みたいな気持ちにさせられてしまってたのかもしれないですよね。
中村:はい、ほんとにそうですね。
石川:コロナをきっかけに、地域のみなさんに理解も広まってることですし、地域で薬出してもらったり、いろいろ対応してもらえるようにぜひなってほしいなと思います。
中村:はい。
石川:ほんとになんかあったときの、なんだろ、慢性疲労症候群って言っただけで、「あ、ちょっと対応できないので」とか言われてしまわないように、なんでしょうね、地域のかかりつけ医、連携できるところを確保しておくって大事だと思います。
中村:はい。
石川:この病気以外の、別の病気になったときにもそうだし、異変があったときに遠くまで行けないから地域で診てもらえるようにね、体制づくり、自分でやんなきゃいけないけど、でもだいぶスムーズにいくと思いますよ、昔と違って。10年でだいぶ変わりましたもん。
中村:いや、もう真紀さんのおかげで。
石川:いえいえ、そんなことない(笑)、
中村:いえ、ほんとに。
石川:…し、加織さんのあの新聞記事もありますし、それいつも持ち歩けばいいよ(笑)、お守りがわりに。
中村:お守りですね。はい。
石川:うん。お守りですよね。
中村:あれはお守りです。
石川:ほんとに、いろいろ私も見返して「ああ」って、じーんとくるものがあるし、たぶん私たちが知らないところでも、病名にたどり着きやすくなってたりしたらいいなあと思います。[01:07:34]
中村:そうですね。
石川:だからその、友だちの友だちだったりその先にもずっと枝葉(えだは)があるから、同じような境遇のときに誰かがね、1人でも知ってる人が「あ、こういう病気もあるよ」っていうふうになってね、発見が早くなったりしたらいいですよね。
中村:それが一番いいです、はい。
石川:私たちはまだインターネットとかで情報を調べられたり、SNSで繋がれたりもしますけど、ほんとにその前だと、どうやって患者さんたちがんばってきたのかなって思いますし、ほんとに誤解や偏見の中で。けっこう、家族から理解されなくて追い出されたっていう話もあったり。[01:08:47]
中村:あー、追い出される…、
石川:追い出されるっていうか、もう絶縁状態みたいになっちゃってたり。なので家を借りるとかいうことにも、保証人とかに困ってたりね。いろんなケースがあるので、そういうのちょっと変わってほしいよね。
中村:変わってほしいです。なんか病院でも嫌なこと言われるとかいうのも、もうなんかこのあとの人に味わってほしくないですし、変わってほしい。
石川:たしかに。病院恐怖症じゃないですけど、病院に対して、なんだろうな、安心できる場所ではなかったですよね。
中村:はい。ほんとに。
石川:大丈夫かな? っていう。
中村:***(01:10:00)ですね。説明も難しいし。
石川:なんかそれで、他の病気になったときに発見が遅れたりとかしないといいなって思うんですけど、逆にね。他の病気になることもあるから。
中村:はい。
石川:でまた、この病気が色眼鏡で見られて、信じてもらえなかったり。そういうことが、起こらないようになってほしいなあと思いますけど。
中村:ほんとですね。
石川:ただ静岡県ではね、加織さんの勇気ある行動で、静岡県のホームページにも情報載ってますし。
中村:はい。県のご理解がすごくあって。
石川:もうそれだけで、それ印刷してっていうだけで、だいぶ違うと思いますよ(笑) [01:11:09]
中村:あ、そうですね。そうしよ。
石川:それがすごく、なんでしょうね、パスポートじゃないけど身分証明書みたいな、に近いようなものになる気がします。
中村:うん、そうですよね。県のホームページに情報載せていただけるってすごい心強い気がします。
石川:そうですよね。うん、すごく違う思いますよ。
中村:そうですよね、うん。新聞もそうですけど。
石川:うん。行政の力っていうか。
中村:はい。そう。信頼度が増すというか、なんていうんでしょう、うん。
石川:オフィシャルな感じですよね、なんか。
中村:あ、はい、そうそう、それです(笑)。
石川:なので、そうですね。これまで相談できた人って、ところとかありますか? いっぱい困ったことあると思うんですけど。
中村:ああ、今まで相談できたところ、ないかもしれないです。みんな患者さんの先立つ行動っていうか、そういう情報をいただいて全部やってきた気がして。どこに相談すればいいか、何を聞いていいのかもわからなかった気がします。[01:12:58]
石川:ね。今も障害年金が認められてなかったら、もっと精神的にも。
中村:恐怖。
石川:追い詰められてたかもしれないですよね、経済面で、ほんとに。
中村:ほんとに、そうですね。
石川:大号泣したんだー。
中村:「ああ生きていける、病院も行ける」って思いました。
石川:ですよね、ほんとに。
中村:もう、そうですね。
石川:当然の権利なんですけどね。
中村:そう、そうですよね。穴の空いた下着とかをずっと使って。こんなこと言っていいのかな。
石川:うん、大丈夫。
中村:そうですね。なので、
石川:いろんなことにこう辛抱して、なんだろう、旦那さんに言えない奨学金のこととかも一人で抱えてしまってたんですね、「これ以上負担かけたくないな」っていう気持ちで。
中村:ああ、そうです。はい。
石川:あのまま10年これたと思います? その状態のままだったら。
中村:ああもう、ちょっと生きていけなかったんじゃないかと思います。当時「死にたい」とかそういうことではないかもしれないですけど、なんかちょっと道が見えなすぎて。そうですね、奨学金…、あ、じゃない、年金なかったらちょっと病院もあきらめてたかもしれないし。
石川:そうですよね。診てくれる病院も近くにないし、行きづまってしまいますよね。
中村:行きづま…、はい、思います。
石川:まだコロナもあって、緊急事態宣言とかもまだ延長なので、まだね、県境を超えて通院するのができなくなる可能性もあるしね。できたとしても、自分も怖くないですか? 感染リスク。[01:15:46]
中村:そうですね。あります。
石川:そうですよね。そうか、じゃあ結局一人で抱え込んでしまって、苦しいことを言えないで、孤立…、表面上は家族と一緒に暮らしてるし、別に友だち関係とかもあっても、まわりに言えずに抱え込んでしまっているっていう点では孤立してしまってたかもしれないですよね?
中村:そうですね。
石川:思いつめてしまってたり。
中村:思いつめて、はい。
石川:自分のこと責めてしまったりとか。
中村:そうだと思います。
石川:そしたら、最後の質問にしようと思うんですけど、病気になってからのことで一番嬉しかったときって?
中村:えー、嬉しかった…、嬉しい…、あ、やっぱり啓発デーとかで味方がたくさんいるってわかったことです。
石川:そうですかー、なるほど。じゃあ一番つらかった時期って、どの時期ですか?
中村:体がですか? [01:17:44]
石川:体も心も、ま、両方で。
中村:体がつらかったのは、そうですね、啓発デーの時期、前後が一番、
石川:準備で無理しなきゃいけなかったもんね。
中村:そうですね。その、
石川:え、働いてるときよりつらかった?
中村:体つらかったですね、はい。
石川:そうなんですね。
中村:そうですね。気持ちがつらかったのは逆に働いてるときのほうがつらかったと思います。休みたい、休めない、でも休むと、
石川:働かなきゃいけないし。
中村:そう、そうです。
石川:休むと、
中村:収入もないしっていう。そこがたぶん一番、気持ちはすごいつらかったですね。
石川:そうですよね。
中村:はい。まわりに迷惑もかけるし、職場のかたに。まあそうですね、はい。
石川:確かにそう…、今なんか聞いてると、やっぱり病気そのもののつらさも相当ほんとはあるんですけど、それ以上に別のことで苦しんでますね、私たち。[01:19:21]
中村:ほんとですね(笑)。私もしゃべってて思いました。症状もあるけど、ね。
石川:症状もめちゃつらいんだけどね。
中村:はい。
石川:生き地獄かと思ったりしたけど(笑)。
中村:は、そう、生き地獄って、思います。
石川:とくに私は最初の数年。
中村:うんうんうん、そうですよね。今もつらいと思うけど、なんかブログを拝見しててすごい苦しいと思いました。
石川:すごい苦しかったですね。「えー、これこのままだったらちょっと、無理なんだけど」って思ってました。
中村:うんうんうん。
石川:ですね。やっぱりほんとに、こんなに大変な病気もなかなかないと思うんですけど、その、頭も体も。で、ストレスたまったときって、発散するにもなかなかね。
中村:うんうん(笑)。
石川:どうですか? (笑)
中村:発散、そうですね。発散するにも体力がいるんだなって。その貯蓄がないというか。
石川:「発散する方法がどれもつらい」みたいな(笑)。
中村:そう、そうです、そうです(笑)。
石川:「かえって負荷」みたいなね。
中村:そう、そうですよね。
石川:それがけっこう、ほんとに心の持って行き場とかね、なんか切ないですよね。
中村:切ないですね。
石川:ですねえ。今はストレス発散するには何ができるようになりました?
中村:寝たままできるヨガとか、呼吸を整えるとか、そういう小さいことでなんとかしのいでますけど。うーん、そうですね、そのぐらいだと思います。あとチョコを食べるとか。[01:21:42]
石川:なんか外に出て…、出たいですか? 外には。
中村:外出たいですね。はい。
石川:ね。出たいけど、出たら何日か具合悪くなるよっていうのを覚悟していかなくちゃいけないから(笑)
中村:そう、そうです。そうですよね。
石川:ね。で加織さんの場合は家事もあるから、それできなくても大丈夫? っていうね(笑)
中村:もうほんとに。すごい覚悟で外に出るみたいな。
石川:ね。そう、ほんとにほんとに。
中村:はい。
石川:あと家族の理解もなければね、出かけたら寝込むよっていうのを承知してもらわないと難しいですよね?
中村:はい、難しいですね。
石川:自分も苦しいですしね。[01:22:41]
中村:はい(笑)。
石川:ほんとに。じゃあこれからの…、最後の質問とかさっき言っといて。これからね、コロナでますます見通し立たなくなってきましたけど、ほんとに、じゃあ地域で解決できるようになるというのがいいですね、ほんとに。で、行政のかたもご理解ある地域なんで、その県をまたいでの通院をね、はばかられるし、いろいろ力になっていただけることを願ってます。
中村:はい。
石川:何かあったら私にも相談してください。
中村:ありがとうございます。心強いです。
石川:いえいえ、ほんとに。でもほんとに素晴らしい…、10年つらかったですけど、ある程度結果も出せて、ほんとによかったですね。
中村:ほんとに、ほんとにもう、ありがとうございます。
石川:こちらこそ、こちらこそ、私も全然、なんて言うか、
中村:いえいえいえ、一人じゃそんなに、何もしなかったと思います。
石川:ね。でも、ほんとに浜松の盛り上がりがすごかったので、私もすごく励まされました。みんなずれてやりたいよね。同じ日にやるからみんなもう、その時いっぱいで(笑)。
中村:そうですよね。
石川:そうですね。でもまたそういうことができるような環境になるといいですね。
中村:はい、そうですね。
石川:しかも私たち活動するの大変なので、力になってくれる人もたぶん増えてるとは思うのでね、前に比べたら。
中村:そうですね。
石川:すごいあの、いい環境です、ほんとに。
中村:はい、ありがたいです。
石川:みなさんのご理解とご協力があるので、ほんとにいい感じなので。それをつなげたのが加織さんの行動なので。
中村:はい。
石川:本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
中村:ああ、ありがとうございました。
石川:じゃあ今日は、インタビュー答えるのも頭つらかったかもしれないですけど。
中村:いやいやいや、真紀さんも。
石川:ありがとうございました。
中村:ありがとうございました。
石川:はい。またよろしくお願いします。
中村:こちらこそお願いします。
石川:はい。お疲れさまでした。休んでください。
中村:はい、ありがとうございます。休んでください。
石川:はーい。では失礼しまーす。
中村:はい。失礼しまーす。
[音声終了]
*作成:中井 良平