last update:20210129
<1> 控訴審第3回公判を取り組む
去る1月18日、仙台控訴審第3回公判は。大寒という厳寒の季節をものともせず、原告・弁護団・市民一同の結束によって取り組まれた。
第2回公判では原告による論告であった事を受けて、今回は弁護団を笠原太良・三浦じゅんの両弁護士が代表して、力のこもった意見陳述が展開された。
その論旨は以下の通りである。
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(1)優生保護法がどのようにして作られたか
優生保護法ができる前の「国民優生法」
- 国は,心や身体の病気が親から子供にうつるとされたひとたちの結婚や妊娠を許さなかった
- 本来生まれてくるべきではない人としていた
- 子供ができなくなる手術をしていた
- 国民優生法から優生保護法へ変わっても、国の考えは変わらなかった
- 「障害者は能力の低い存在」という考え
→日本の障害者に関する法律での障害者のとらえ方に影響を与えた
(2) 国がどのように優生政策を進めたか
国は,手術を増やすために・・・
- 本人の意志に反しても手術できるとしていた
- 身体を動けなくさせたり,麻酔を遣って意識をなくさせたり、騙したりして手術をすることを認めていた
各都道府県で手術を進めた
宮城県では・・・
- 宮城県精神薄弱児福祉協会ができた
- 『愛の十万人運動』を進めた
- 知的障害者を入れるための施設『小松島学園』をつくった
- 優生手術をするための病院をつくった
- 学校教育をとおして国民に優生思想(能力の高い人を増や し能力の低い人を減らす考え)を広めようとした
(例)高校保健体育で、「優生結婚」(家族に遺伝病のない家の人を選んでの結婚)をすすめる。
精神障害者を狙い撃ちした
- 北海道の記録では・・・
昭和30年に手術(本人の同意のない手術)をされた人の全てが精神病。そのうち85%が精神病
- 大分県の記録では・・・
昭和32年と35年に手術された101人のうち87人が精神病
手続きがいい加減なものだった
- 法律で決められたとおり会議をひらいていなかった
- 大分県の会議では,2時間で11人について手術を受けさせるかの話し合い
- 一人当たり10分程度で手術が決められた
- 法律で手術をしてよいとされていた理由以外の理由で手術された人もいた。
「女の人に対する関心が強い」「子どもを育てていく能力が低い」など
- 手術を受けるよう決まったことに不満を言わせなかった
→不満を言えると説明しない
不満をちゃんと聞かない
説得して不満を言わせない
「どんなことが起こっても文句は言いません」と書いた書類を出させた
- 法律で認められていない子宮を取り出す手術をされた人もいた
(3) 優生保護法が作り変えられた後も残っている障害者に対する差別・偏見
- 優生保護法は平成8(1996)年に母体保護法に変わった
しかし・・・
- 国は,それまでの手術の誤りをみとめない、
- 手術されたひとにあやまらない
- 手術は正しかったと言い続けた
―->「障害者は権利を制限されて当たり前の人たち」という国民の考えはそのまま残った
そのため障害者が暴力をふるわれたり、身体を触られたり、お金を取られたりする事件が後を絶たない
- 法律が変わった後の平成15年に、無理やり子どもを産めなくする手術をされた精神障害の人もいた
- 津久井やまゆり園事件の犯人も優生思想を持っていた
国は、国民に広がった優生思想や障害者に対する差別・偏見をなくする努力をしなかった
そのため,今でも優生思想や障害者に対する差別・偏見は国民に残っている
<2> 1月18日控訴審第3回公判報告会のあらまし
1)この日の公判内容と今後の予定:
- 意見陳述は上記のとおり
- 次回の予定は、来る5月14日(火)
2)当事者コメント:(下記)
- 飯塚淳子さん、佐藤路子さん、北三郎さん(東京裁判の当事者:この日は支援者)
3)(報告)全国の状況:北海道、大阪
4)質疑報告:山本発言
5)歩む会署名運動
2) 当事者コメント
飯塚淳子さん:
- 私の人生を返してもらいたい。
- 民生委員が、自分の子どもの悪いこと(卵を盗む)をわたしのせいにした。
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佐藤路子さん:
「私は原告佐藤由美(仮名)の義理の姉佐藤路子(仮名)です。
本日は、皆様には 旧優生保護法国家賠償訴訟裁判傍聴並びに報告集会にお集まり頂き、感謝致します。
国は20年という除斥期間を盾に請求棄却をしても、旧優生保護法が犯した罪から逃れることはできないと思います。
杜撰な旧優生保護法の施行で何万人もの体にメスを入れてその方々の人生に抱え切れない苦しみ、悲しみを負わせていた事実…国の謝罪が聞きたいです。
20年の除斥期間、この壁は4地裁で打ち砕くことはできませんでした。
原告の方々それぞれ違う理由でも同じ判決なのでしょうか。
余りにも理不尽に尽きます。
20年の除斥期間を過ぎていることを承知の上で、提訴しています。
司法はなぜ除斥期間内に提訴することができなかったことに対して深く掘り下げて審理して欲しい。
さいごは裁判官の決断、勇気なのか?と思います。
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(別紙1)北三郎氏意見陳述(原文)
こんにちは、優生被害者の北三郎です。
14歳のとき、何の説明もないまま手術を受けました。この裁判を起こすまで、親を恨んできました。しかし、自分が受けた手術は国がした優生手術だったことを知り驚きました。今も妻の声が聞こえてきます。「子どもがいなくて寂しいの」。この言葉がとてもとても辛かった。子どもが欲しくてもできない体にされてどれほど苦しんできたか。
この苦しみ、国に謝ってもらいたい。国が勝手にした不妊手術。私の人生を返して欲しい。
6月30日に判決がありました。私の願いはまったく届きませんでした。判決には納得できません。
20年たったら権利が消えてしまうというのは納得できません。それに判決では、優生保護法が平成8年の母体保護法に改正になった時には裁判ができたと言っていました。仙台の裁判の報道まで、まさか国が手術をしたとは思っていませんでした。国は私に何も知らせず、謝ってもくれませんでした私の住所は分かったはずです。謝ろうと思えばいつでも謝れた筈です
手術のことを知らせることぐらいはできた筈です。国から何も知らせがないのに裁判なんかできるはずがありません。私はずっと親が手術を受けさせたんだと思っていたんです。平成8年には裁判ができたはずと言われた事は納得ができません。
裁判所には同じ判決はしてほしくありません。20年たったから請求できないと言われると、裁判所は血も涙もないのかと思ってしまいます。
妻のためにも被害者の人たちにも、私はこの不当な判決に泣き寝入りできません。国に謝ってもらうまで裁判を続けます。命のある限り闘っていきます。全国にいる2万5000人もの方が人生被害を受けました。そのうち、誰一人として,満足のいく被害回復をしてもらっていません。
ようやっと全国で25名、裁判に名乗りでてくれました。私は、もっと名乗りでてほしいという気持ちでテレビや新聞に顔を出しました。優生被害者がどれほど辛く悲しい日々を送ってきたか。一人ひとり苦しみが違うかもしれないけれど、国にこの苦しみを訴えていきたい。
私たちは高齢者ばかりです。原告の中では裁判中に亡くなられた方もいらっしゃいます。一日も早く解決をしたいと思っております。
裁判所には、被害としっかりと向き合い、公平に裁判して欲しいです。
4)質疑報告:
<山本の発言>
1. 旧優生保護法の別表にある「顕著な遺伝性精神病質」をめぐって
旧優生保護法の優生手術対象とされる疾病の診断名の中に、上記カテゴリーが掲載されていた。
遺伝性の犯罪、非行の顕著なものがこれにあたる。
このカテゴリーについては、NHK から出されている「旧優生保護法の歴史的背景」その「前編」「旧優生保護法と逆淘汰論」に記されている。
この日、だいたいこの論と近似していることを触れた。
2.もう一点は、優生保護法によって国民に浸透した優生思想は、法律が変わってもその基本的な思想は今日もなお浸透しているとの意見陳述にそう見解が特に結婚相手の家族にある遺伝性疾病についてチェックする必要性が、当時の高校保健の教科書に掲載されていた。その視野が今日もなお、障害者のきょうだいに目を向けられている現状が明らかにされている。
*作成:安田 智博