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シンポジウム「障害者権利条約と労働・雇用をめぐる日本、アジア、世界の状況」


立命館大学生存学研究所、先端研院生プロジェクト「障害者と労働」研究会共催
張万洪教授集中講義3日目 特設イベント

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 日時 2021年1月13日(水)13時から16時30分
 会場 zoom会議室 (12時半以降入室可能)
 https://ritsumei-ac-jp.zoom.us/j/96191040234

 なお、張教授の集中講義については以下を参照
 http://www.arsvi.com/w/zw01.htm

 司会: 立岩真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授、生存学研究所長)

13:00〜13:45 日本語・英語通訳(長瀬修)
 報告1(30分): 日本の障害者雇用の課題@ 〜 日本障害フォーラム(JDF)の障害者権利条約初回審査パラレルレポート・労働及び雇用(27条)をめぐって
 長瀬修(立命館大学生存学研究所教授) 資料[PPT]
 報告2(15分): 日本の障害者雇用の課題A 〜 障害学国際セミナー2019武漢での議論をめぐって
 駒澤 真由美(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生、「障害者と労働」研究会)(↓)

 休憩

 14:00〜15:00 日本語・中国語通訳(高雅郁)
報告3(講義、60分): 障害者権利条約と労働 張 万洪(武漢大学教授)

 休憩

 15:15〜15:50 日本語・中国語通訳(高雅郁)
 報告4(15分): 「障害者と労働」、その理論と実践@ 〜 障害教員の雇用における「異別処遇・同等待遇」をめぐって 栗川 治(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生、「障害者と労働」研究会)(↓)
 報告5(20分): 「障害者と労働」、その理論と実践A
 立岩真也 cf.「障害者・と・労働 メモ」

 休憩

 16:00〜16:30 日本語・中国語通訳(欧陽珊珊)
 質疑応答(30分)

 
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■日本の障害者雇用の課題A
 障害学国際セミナー2019武漢での議論をめぐって
 ※本日の報告の通訳のためにとりあえず作った原稿ということで、この催しが終わった後、削除することになると思います。

 立命館大学大学院先端総合学術研究科院生 駒澤 真由美

 私は日本で精神障害を抱えた人たちの就労に関する研究をしている。日本でも精神障害者は労働市場から巧妙に排除され、その多くが職員に支援される利用者として低い工賃で福祉的就労の場に押し込められて生きているとされる。2019年の障害学国際セミナーでは、"Inclusive Society"という観点から、障害者の就労や雇用に関する議論がおこなわれた。
最終日のラウンドテーブルで、張恒豪氏(台北大学社会学系教授)は「社会的包容」ではなく「社会的共栄」という言葉を使いたいと話されていたのが印象的だった。
 ほかにも、唐?氏(中国の社会政策研究者)による基調講演 "社会包容、社会排斥与残疾人保障 Social Inclusion, Social Exclusion and Protection of Persons with Disabilities"では、「排除」には2つあり、ひとつは明確に表れているもの、もうひとつは隠れているものであり、人々の心の中にある差別・偏見は表面だけでなく政策の中にも埋め込まれているとの指摘があった。
 日本においても障害者総合支援法下の福祉的就労支援施設では、制度上補助金の使途は職員の俸給に限られており、障害者の賃金に補填することはできない。この点が障害者就労において利用者である障害者と職員との所得格差の要因にもなっている。さらに一般企業であっても障害者枠での年収は一般枠の平均432万円に比べると半分以下と言われている。国は「精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い者」に対する最低賃金の減額特例を認めている。政策を立案する行政やその制度を運用する側に障害者への拭い去ることのできない差別意識が反映されていると言える。
 障害学国際セミナーに参加し、障害者を単に地域社会に包摂するのではなく、経済的にも心理的にも対等な立場で「共に働く場」をどのように創っていけばよいのかを、自身の研究のフィールドで探求していく必要性を強めた。
 日本の障害者就労は、障害者雇用促進法に基づき補助がなされる一般就労よりも、障害者総合支援法に基づき補助がなされる福祉的就労が圧倒的多数を占める。就労系障害福祉サービス事業のなかで、通常の事業所に雇用されることが可能と見込まれる者は一般就労への「就労移行支援事業」を利用することができる。しかし、通常の事業所に雇用されることが困難であると判断された場合、雇用契約に基づく就労が可能である者は「福祉的就労A型」の事業所を紹介され、雇用契約に基づく就労が困難である者は「福祉的就労B型」の事業所に通所することを勧められる。福祉的就労B型の利用者数が全体の7割を占め、B型事業の訓練等に年間3,334億円の公的給付が投入されている(厚生労働省 2018)
厚生労働省の平成30年度障害者雇用実態調査によると、福祉的就労のなかでも労働者であり利用者でもある就労継続支援A型の月額工賃(7万7千円)と、利用者である就労継続支援B型の月額工賃(1万6千円)には格差があり、さらに一般就労での月額賃金(身体障害者: 21万5千円、知的障害者: 11万7千円、精神障害者: 12万5千円、発達障害者:12万7千円)と比べると大きな格差がある(厚生労働省 2019)。
 国は、障害者に対し福祉的就労から一般就労への移行を奨励している。高賃金を求めれば、競争的雇用市場に身を置かねばならないが、彼らの多くはそこで発病した/勤まらなかった経験があるため、戻りたくない/戻れない状況にある。そこで、生活保護や親の庇護を受けている人は、非就労(ひきこもり)や作業所(就労B型)に滞留するわけであるが、安い工賃ではなくもう少し稼ぎたい人は、@障害者枠雇用を目指すか、A福祉的就労A型に行く。しかし、@障害者枠雇用も時給制のパートであれば、障害年金がなければ、生活保護の水準(14万円程度)と大差なく、短時間労働であれば下回る可能性もあり(7万〜10万円前後)、医療扶助があるぶん生活保護のほうが得、と判断する人もいる。
 当事者からすれば、究極は「自分がそれで生きられるか生きられないか」である。
 国は、「障害者が少ない(とみなされる)労働で非障害者と同じ賃金を得たいという訴え」に対して「障害年金」があるではないか、また「障害者だけではなく、子供でも病人でも外国人でも老人でも、とにかく生きていけるだけの賃金を得られる職につくことのできない人」に対しては「生活保護」があるではないか、と主張し、「障害のある人とそうでない人が共に働く」同一賃金を主張した社会的事業所の法定化は認められなかった。
しかし、障害年金や生活保護という社会保障に、「社会的スティグマ」を感じる人々は一定数存在するのである。

文献
厚生労働省(2018)障害者の就労支援施策の動向について.厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部 障害福祉課.
厚生労働省(2019)平成30年度障害者雇用実態調査結果.厚生労働省 職業安定局 障害雇用対策課 地域就労支援室.
以上

 
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■「「軽減労働同一賃金」を障害者雇用において可能にする条件――障害のある教員の事例を通しての異別処遇・同等待遇の検討」

栗川 治 立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程、日本学術振興会特別研究員(DC1)
 ※これは投稿を予定している原稿ですので、本日の企画が終わった後、削除します。

邦文要旨
(背景)日本の障害者雇用において、障害に応じた勤務の軽減を獲得しつつ、賃金等の待遇では不利益な扱いを受けないで就労し続けた事例が、1990年代以降、障害教員のなかで存在してきたことがわかってきたが、そこで当事者から提起された「軽減労働同一賃金」の主張が含意する問題については、これまで検討されてこなかった。
(目的)「軽減労働同一賃金」の主張の可能性を、障害教員の事例を通して考察し、その条件を明らかにする。
(方法)障害教員団体の機関誌や個人の記録等の資料を用い、5人の障害教員の事例を分析した。
(結果)事例では、公立学校の正規職員、中途障害の教員であり、有給特別休暇による勤務時間の軽減や業務分担の削減、人的加配を、合理的配慮として保障されていることが共通していた。
(結論)障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張が可能となる条件として、@有資格者として採用された正規職員で、能力や成果を問われずに、同一の賃金等の待遇が保障され、A勤務時間の軽減が、有給の特別休暇等で権利として保障され、B業務分担量の軽減や、人的支援等が合理的配慮として提供され、それを理由とした待遇低減が不合理とみなされ、C能力や成果の評価において多様な評価項目・基準が設定される、といった場合があることが見いだされた。

邦文キーワード: 障害 労働 軽減 賃金 教員

本文

1 はじめに
 1.1 問題の背景
 日本における障害者の雇用・労働に関しては、これまで「身体のある部分に損傷があっても、その部分をなんらかの形で補えば『健康な人』と同様に働けるという『健康な障害者』を想定し、それを典型的なモデルとして雇用政策や就労支援のあり方が設計されてきた」(栗川, 2020, p59)。この「健康な障害者」モデルに当てはまる人だけが雇用の対象となり、当てはまらない人(病弱な障害者)は一般就労の対象とはならず、働くこと自体を断念するか、低賃金の福祉的就労を選ばざるを得なかった。手塚直樹は「内部障害者、精神障害者は医療との連携によって職業生活が成り立つことが多く、また障害も固定されたものではなく流動的なとらえ方が当たり前になってきたのですが、実際に企業においての障害者雇用をとらえていくときに、現実としては『健康な障害者を雇用していく』という企業側の意識の戸惑いをもたせる側面をもっています」(手塚, 2000, p216)と「健康な障害者」に該当しない「病弱な障害者」の雇用の困難さを指摘している。
 しかし、心臓などの内部障害や精神障害、知的障害のある人が就労を求めていくようになるにつれて、勤務軽減や仕事内容の調整・変更がおこなわれれば、一般の企業で働くことができるし、その軽減等の処遇変更が合理的配慮としてなされるのであれば、その軽減等の変更を理由として賃金を削減するのは差別的取り扱いに当たらないのか、「軽減労働同一賃金」を保証すべきではないかという主張が、障害者から提起されるようになってきた(栗川, 2020, p60)。
 そして、実際に、障害に応じた勤務の軽減を獲得しつつ、賃金等の待遇面では不利益な扱いを受けないで就労し続けた事例が、とくに障害のある教員(以下、障害教員)のなかで存在してきたことがわかってきた。なぜこのような「軽減労働同一賃金」の主張が受容され、実現した事例が、障害教員のなかにみられたのだろうか。そこには、どのような条件があったのだろうか。
 これらの事例には、障害者の雇用・就労を考えるうえで、障害に応じた働き方、そのための労働条件・処遇の変更、その状況での賃金等の待遇について再検討すべき論点がふくまれている。労働の量・能力・成果が低く評価され、就労が不可能、あるいは就労するとしても低賃金が当然とされてきた従来の「障害者と労働」のあり方、とらえ方を問い直し、「障害をもって平等に働き、賃金を得る」ことを理論的、実践的に可能とすることを展望しつつも、本稿では、具体的な障害教員の事例を通して、その「異別処遇・同等待遇」の可能性の条件の一端を探る。

 1.2 目的と方法
 本稿の目的は、障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張が、どのような状況・条件において、理論的・実践的に可能となるかを、障害教員の事例をとおして考察し、その可能性の条件を明らかにすることである。
 研究方法は、文献調査であり、障害教員団体の機関誌(『障教連だより』等)や個人の記録等を用いた。

 1.3 先行研究の検討
 「軽減労働同一賃金」を考察するうえで、労働と賃金との関係を、どのようにとらえたらよいかは、理論的に重要な論点である。一般には、「労働の対価としての賃金」や「労働と賃金の等価交換」の原則が、経済における自明の原理とされてきたが、これを問い直す研究が、とくに障害学、障害者の労働の研究においておこなわれてきた。青木千帆子は、労働が人を社会的な価値ある存在として位置づけるものであるべきとする価値観や規範(労働の理念的側面・自己実現)と、労働が生産的で集団に貢献するものであるべきとする価値観や規範(労働の経済的側面・生産性)という二つの側面に注目した。障害者の労働に関して、「働けない身体」の社会での存在をどのように認めるのかという課題と、「働ける障害者」の経験する格差や差別をどう是正するのかという課題とを止揚することを目標として設定し、個人と集団の無条件の両立と生産の計測可能性という二つの擬制を内包する「労働と賃金の等価交換の原則」の矛盾を指摘した(青木, 2012, p9)。すなわち、「労働と賃金の等価交換の原則」は、個人と集団との両立や、生産の計測可能性を暗黙のうちに前提してしまっており、その前提を外していけば、「労働と賃金の等価交換の原則」を突破し得ると主張していると解釈できる。
 また、遠山真世は、障害者雇用における差別禁止アプローチの能力主義モデルと、割り当て雇用をふくむ雇用保障アプローチの反能力主義モデルとを比較検討し、「機会平等と結果平等をともに実現しようとすることには、理論的にみて無理がある」とし、個人の努力量の差のみを個人の責任とし、それ以外の能力に関する要素(労働能力の習得機会、評価における障壁、習得力)は社会的に解決すべき課題とする「責任モデル」を提唱した(遠山, 2005, p54)。ここでは労働能力をいくつかの要素に分け、そのある部分(努力量)にもとづく差(採用や待遇等)は容認しつつ、他の個人の責任でない部分に関しては平等な扱いをすべきであると主張し、労働と賃金の連結を部分的に外すことが理論的に可能であることを示したと考えられる。
 また、理論的に労働と賃金の関係を考察した研究として、労働と賃金や生産物の所有に関して、ジョン・ロック以来の労働価値説、すなわち自らの身体を所有している自己が、その労働によって生産した価値を所有することを自明のこととする考え方に対して、その自明性を問い直し、労働と所有(賃金)との分離の可能性を理論的に示した立岩真也の政治哲学の研究がある(立岩, [1997]2013, p65)。この研究によって、労働と賃金とは等価交換のような形で連動させる必要はなく、それぞれを分離して考え得ることが原理的に示された。しかし、この理論からすぐに「軽減労働同一賃金」の理論的可能性を演繹することはできない。原理的には分離し得る労働と賃金とを、現実的な労働の場面において、さまざまな差異を顧慮しつつ再結合していく必要があるからである。
 障害の概念を、その身体性のさまざまな差異を顧慮し、あるいは顧慮しないで構築し、そこから障害者への処遇や、排除的な社会の修正を構想する障害学・社会学の一連の研究(Oliver, 1990; 石川, 2002; 星加, 2007)のなかで、榊原賢二郎は、身体を顧慮したうえでの「包摂的異別処遇」の理論的可能性を検討した。榊原は、「障害者への『差別』をなくし『平等』を目指すという時、基本的には健常者と障害者を同じように扱うこと(同一処遇)が重視される」が、「障害者を健常者とは異なる仕方で扱うこと(異別処遇)が部分的に認められ」る場合でも、「配慮によって発生する負担や障害者の能力などの点で、ほぼ同一処遇と見なせる異別処遇だけが、合理的配慮として制度化されているに過ぎない」と述べている。そこで「障害問題を差別/平等という枠組みから解き放つことで、『別扱い』つまり異別処遇をより積極的に認められるようにし」、その処遇が「社会参加や統合といった観点で『包摂的』であるか『排除的』であるか」の座標軸を設定して、障害者への処遇を「包摂的同一処遇・包摂的異別処遇・排除的同一処遇・排除的異別処遇」に分けた(榊原, 2016, p3)。これにより包摂的か排除的かを判断基準として、包摂的異別処遇の有用性を示し、「平等・合理的配慮・間接差別・直接差別とこれまで呼ばれてきたものが抱える欠陥や限界を乗り越えることができる」と主張した。
 この榊原の設定した理論的枠組みによれば、障害者の就労における勤務軽減等の「異別処遇」は、多様な身体のあり方に対応したものとして、その有用性を主張できることになる。だが、その勤務時間等の「異別処遇」を主張するときに、賃金は「同一処遇」にすることを求める「軽減労働同一賃金」を主張することは、論理的に矛盾することになってしまう。榊原の理論では、従来の平等/差別の枠組みでは解決できなかった身体の特性に応じた「別扱い(異別処遇)」を、包摂/排除の枠組みを設定することによって正当化することができたが、異別処遇に連動する低賃金の問題を乗り越えることはできない。
 障害者雇用における異別処遇、支援のあり方については、中村雅也が視覚障害教員への調査をおこない、研究を進めている。視覚障害教員においても「他の教員と同等の授業時数を担当することが過剰な負担となることがある。授業時数軽減は適切な職務配慮だといえるが、軽減分の補填をどのように行うかが問題となる。」(中村, 2020, p128)と述べており,「健康な障害者」に分類されやすい視覚障害者においても仕事分担の軽減の必要性が指摘されている。ここでも「軽減労働」の必要性は述べられているものの、労働を軽減した場合の賃金等の待遇をどうすべきかについては言及されていない。
 以上のように、「労働と賃金の等価交換」の原則を問い直し、労働と賃金との連結を一旦切断しつつ、労働の軽減、異別処遇を正当化することは理論的に可能であることは、これまでの研究で明らかになりつつある。いっぽう、その「軽減された労働」をどのように評価し/評価しないで、賃金等の待遇と再連結するかについては、十分に検討されてきたとは言えない。本稿では、障害教員を事例に、その検討を試みる。

2 「軽減労働同一賃金」が実現した/しなかった障害教員の事例
 2.1 事例の概要
 以下の5人は、いずれも公立学校の正規採用の教員(教諭)である。採用時には障害はないか、軽度であり、障害者として雇用されたわけではない、いわゆる中途障害者である。
 (1)大葉利夫(東京都、高校、視覚障害)(障教連, 1994, p19)
 大葉は、1990年代前半、授業の担当持ち時間の軽減を要求して、逆に「指導力不足教員」制度に一旦適用され、授業0とされたが、教育委員会(以下、教委)との交渉等の結果、勤務軽減を実現した。軽減が必要な理由としては、眼精疲労による通勤負担、授業準備が長時間必要、授業中の集中力が人一倍必要、光に対する抵抗力が無い、休暇の増加、勤務内における授業準備の確保(資料の朗読・点訳、教具の作成)、ワークアシスタント(ボランティア)との対応時間等を挙げている。大葉の授業時間軽減が他の同僚の負担増にならないために、都教委は軽減分の授業を担当する講師を加配し、「今回の講師配当に対して賃金的・身分的不利益はない。理由としては、勤務時間をこなしているのだから勤務軽減には当たらない」と説明している。
 大葉は、かつて講師配当がされた時に、特別昇給が認められなかった事がある事を追及すると、都教委は、勤務評定との絡みで学校長が「成績評価」をどうするかによって、賃金的不利益を生じたのかも知れないと回答した。大葉は「成績評価」に関しては、障害教員が働く立場からの講師配当であれば、悪い評価を与える事は「差別」につながるのではないかと主張し、都教委側も了解した。
 (2)栗川治(新潟県、高校、視覚障害)(障教連, 1993, p17; 栗川, 1996, p14; 栗川, 2012, p28)
 栗川は、1993年から2020年にかけて、軽減労働同一賃金を実現して、障害教員として働き続けた。教材の点字化、文字情報の把握などのためにかかる負担を軽減するために、栗川の授業の持ち時間が他の教員のおおよそ半分になっている。1時間の授業の準備や事後処理をするために、他の障害のない人より倍以上の時間と労力がかかるわけなので、これで実質的に労働量は均等となり、これが適正な分担と言えるわけであると、栗川はとらえている。授業準備や校務分掌で栗川が単独では困難な仕事についてアシスタント講師から支援協力してもらうとともに、栗川が軽減された授業をその講師が担当する。また、週1日の午後と、長期休業中のほとんどの日について、自宅での研修(在宅勤務)が「承認研修」として認められてもいる。賃金等の削減はない。
 但し、ボーナス(勤勉手当)に勤勉率の加算が導入された2017年度に、冬と夏とのどちらかですべての教員が上位区分による加算があるはずでありながら、2回連続で上位区分から外されたことがあった。校長が勤務を評価してのことであるが、交渉で問い質しても、障害が理由であるとは言わなかった。教職員組合を通じて県教委に抗議し、翌年からは他の教員と同様に冬夏のどちらかで上位区分に該当するようになった。
 (3)辻範子(京都市、中学校、心臓障害)(障教連, 1996, p36; 栗川, 2020, p61)
 辻は、1980年代後半から90年代前半にかけて心臓病で休職し、手術・療養を経て復職した。復職に際して、過労となると不整脈を起こし、生命の危険もあるので、授業持ち時間の軽減を要求した。市教委は軽減のための講師配置の制度がないということで、他の同僚に肩代わりしてもらう形での授業軽減ができそうな学校へ転勤をさせた。軽減が実現した年もあったが、その場合の賃金削減はなかった。
 しかし、転勤先で軽減が実現しないまま通常の授業をこなしているうちに過労となり、職場を休むことが増えた。校長らは病気休暇を取るように求めたが、辻は、このような状態に追い込んだのは講師配置をしない市教委の責任であるとして、辻自身が病気休暇を申請することは拒否し、管理職に対処を求めつつ、職場を離脱した。それが欠勤・職場放棄とみなされ、給与停止ののちに、1998年に分限免職となった。
 (4)大里暁子(東京都、小学校、視覚・腎臓障害)(障教連, 1994, p16; 1996, p5)
 大里は、1980年代後半から糖尿病性網膜症と腎症が進行し、全盲となり、人工透析に週3回は通院する必要があった。勤務時間内の通院保障と、視覚障害をサポートする人的加配を要求したが、都教委は制度にないと拒否し、「指導力不足教員」制度に当てはめ、大里を現場から外し、研修をさせた。上記の大葉とともに都教委と交渉し、有給特別休暇による勤務時間内通院、職場内介助者の人的加配を実現して、1995年に職場復帰を果たした。賃金等の削減はない。
 (5)三浦恵子(仮名、新潟市、小学校、下肢・内臓障害)(栗川, 2017, p9)
 三浦は、2010年代前半に脊髄拘束を突然発症し、3年間病気休職したあとに復職した。下半身の感覚はなく、尻や足に褥瘡ができやすく、痛みやしびれがある。移動は車いすを利用し、自動車を自ら運転する。復職にあたり、1日8時間のフルタイム勤務は体力的に負担が重く、半日勤務を希望した。校長らからは半日勤務は不可能で、非常勤となるか、退職しかないと言われたが、障害教員団体、組合、議員などの支援を得ながら市教委と交渉し、2016年に軽減勤務を実現した。勤務時間は1日4時間程度で、午後4時間については病気休暇扱いとされ、主治医の診断書によって、年間を通して半日勤務が保障されることとなった。年間180日の有給特別休暇を、半日単位で取得することを市教委が認める柔軟な制度運用によるものであった。この軽減措置による賃金削減はない。三浦の職場には、教員が加配され、三浦の軽減分を補った。
 しかし雇用主である市教委が政令市であり、新潟県教委からの人事権移管に伴う制度改定がおこなわれた結果、年間の病気休暇が90日になり、三浦の半日勤務は不可能となった。不足分を年休で対応しようとしたがまかなえず、2019年に体力の低下もあって退職した。その後は、非常勤講師として働いたが、賃金は大幅に減った。

 2.2 事例の分析
 この5人の事例を、「軽減労働同一賃金」が可能/不可能となった状況や条件が何であったかの観点から分析する。
 (1)公立学校の正規職員
 5人に共通する点として、公立学校の正規職員、つまり正規採用の地方公務員であることが挙げられる。一般に公務員は身分が安定し、労働条件もよく、賃金等の待遇も年齢や昇任昇格による昇給はあっても、能力や成果による差が少ないとみられている。賃金も月給制であり、時給換算の非常勤職員とは待遇が異なる。このことが、軽減された労働と、それに伴う賃金削減がおこなわれずに同一賃金が実現した要因の1つであると考えられる。
 (2)中途障害
 5人の共通点として、中途障害者であることも挙げられる。採用時には非障害者であり、障害がある状態になって軽減労働を求めたが、それまでの実績はあり、能力がある(あった)ことも認められている。
 (3)教員
 そもそも5人は教員であり、教員免許を保有し、教員採用試験に合格した。中途で障害のある状態になったが、その職務を遂行する中核的な能力を保有することは認められており、障害者雇用の差別禁止アプローチ(能力がある障害者を障害ゆえに差別してはならない)の有資格者であることが公認されている(中村, 2020, p40)。このことが差別禁止アプローチによる同一賃金の主張をしやすくしている。また、教員の職務能力の評価については、5人の事例からは共通のものは見いだせないが、別項で検討する。
 (4)有給特別休暇による勤務時間の軽減
 大里と三浦は、勤務時間そのものの軽減短縮を求め、制度として既にあった病気休暇(有給)の弾力的な運用によって軽減労働を実現した。有給休暇であるので賃金削減は生じず同一賃金が実現した。三浦の場合には、特別休暇の日数削減という制度改定の余波を受けて軽減労働が不可能となり退職することになった。
 (5)業務分担(授業持ち時間等)の削減、人的加配
 大葉、栗川、辻は、勤務時間の軽減は求めていないが、授業の担当持ち時間の軽減と、軽減分の業務の同僚への負担転嫁がおきないための人的加配を要求した。大葉と栗川は、持ち時間軽減と人的加配が実現し、賃金削減もなく、仕事を続けることができた。辻は、人的加配が実現しないなか、同僚への負担上乗せで持ち時間軽減を一時的に実現したことはあったが長続きせず、職場を休まざるを得なくなり、その責任の争いのなかで免職となった。大里、三浦も勤務時間の軽減にともない業務量が軽減され、職場に人的加配がなされたことによって、軽減分が同僚に負担転嫁されることもなかった。
 (6)人事評価にもとづく昇給や手当、処分
 大葉、栗川は、同一賃金を崩すものとして、人事評価にもとづく特別昇給や勤勉手当の対象から外され、賃金の削減を受けた体験があった。ほぼすべての職員が平等に恩恵を受けられるように、ローテーションで(対象者が20%であれば5回に1回)当たるしくみになっているなかで、その順番のときに該当しなかったのである。2人とも、これを障害を理由とする差別的待遇として抗議し、以後は外されることはなく、同一賃金の枠内に留まった。辻の分限免職や、大葉、大里が「指導力不足教員」とされたときにも人事評価が影響していたことが推測される。
 (7)合理的配慮
 以上の各項に共通することとして、勤務軽減等を合理的配慮として要求し、それが実現した際に、軽減(合理的配慮)を理由とする賃金等の待遇の低減がなされるのは差別に当たると障害教員が主張し、教委に受け入れられたときに、「軽減労働同一賃金」が実現している。合理的配慮の概念は、1990年にADA(アメリカ障害者法)で法定され、2006年の障害者権利条約で国際的にも承認され、2016年の改正障害者雇用促進法、障害者差別解消法の施行によって日本国内でも実働するようになった。5人の事例は1990年代から2010年代までと時期は異なるが、合理的配慮の考え方を基盤として「軽減労働同一賃金」を主張し、実現してきたことがわかる。とくに三浦の事例では、2016年の2つの法施行がプラスに影響したと考えられる。

3 考察
 前項の障害教員5人の事例をふまえて、「軽減労働同一賃金」が可能となる理論的・実践的な状況、条件について考察する。

 3.1 「同一労働同一賃金」と「軽減労働同一賃金」
 「軽減労働同一賃金」の主張が想定している対立概念は「同一労働同一賃金」であるように見える。一般雇用において、2020年4月から「働き方改革関連法」により「正社員とパートタイム・有期雇用・派遣労働者との間の不合理な待遇差が禁止され」、「同一企業・団体におけるいわゆる正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者) と非正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)の間の不合理な待遇差の解消を目指すもの」として同一労働同一賃金が導入された(厚生労働省, 2020)。ここでは、同一企業内で同一の労働をしている正規労働者と非正規労働者との間の同一賃金という、限定された状況での「同一労働同一賃金」が述べられている。本稿で取り上げる健常者(非障害者)と障害者との間の同一賃金については言及されていないが、「不合理な待遇差」を解消するという観点からすれば、障害があろうとなかろうと同一労働で同一賃金(待遇)を主張することは、合理的なこととして理解され得るだろう。この障害者と非障害者との同一労働同一賃金は、障害者雇用における「健康な障害者」モデルにおいて主張されるものでもある。現状において、この「同一労働」でさえ実現が困難であるなかで、「軽減労働」での同一賃金(待遇)を主張することは無謀のように思える。
 しかし、これまで障害者は、健常者社会への同化を求められ、それができなければ差別・排除も甘受すべきとされてきた。「障害があっても健常者と同じようにできる」と主張して「参加と平等」をめざす活動をしてきた。そして、この「同化」戦略でやっていける一部の障害者と、やっていけない多数の障害者との間に分断と差別が生じてもきた。そこで、健常者とは異なる、障害に応じた処遇や働き方を主張し、そのうえで不当な待遇差をさせない「異化」戦略の模索が始まった。「病弱な障害者」モデルの「軽減労働同一賃金(待遇)」の主張は、その「異化」の立場を取りつつ、「包摂と平等」を求めるものであり、障害者の実態に即した現実的な主張となり得るものだろう。

 3.2 「軽減・労働・同一・賃金」の各概念の考察
 つぎに、障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の概念を構成する各語を分析する。意味のかたまりでみると、「軽減」「労働」「同一」「賃金」の4つの語に分解できる。この4つの語の示す概念が、障害者雇用においてもつ意味内容を吟味する。
 (1)「軽減」
 いわゆる「一人前」(健常者一人分)の仕事量に対して、障害者が働くうえでは、さまざまな「軽減」(処遇の変更)が必要となる。これには大別して3種の「軽減」が考えられる。
 1つめは、勤務時間の軽減、すなわち短時間勤務である。時給換算の賃金体系では、この軽減は即、賃金の削減につながる。しかし、日給や月給、さらには年俸などの成果・能力給の賃金体系においては、勤務時間と賃金とは連結しない可能性はある。
 2つめは、業務量の軽減である。教員においては授業の持ち時間の軽減や、学級担任業務の免除、校務分掌の分担の軽減などが考えられる。これも時給換算のような非常勤講師の場合には、授業コマ数の増減が賃金の増減に直結するが、正規採用の常勤教員の場合には、他の重要な任務を担っている場合などに、ある種の業務軽減がなされることは、管理職や主任等の例をふくめて、めずらしいことではない。また、他の業務がなくとも、その担当業務の重要度が高いと認められれば、いわゆる「単価」が高くなり、業務量がすくなくても、軽減とみなされない場合もあり、これも業務量軽減にふくめることができるだろう。
 3つめは、同一業務を複数の人の共同でおこなう場合である。障害者に割り当てられる業務量は、いわゆる一人分であっても、介助者・支援者が一緒に、あるいはサポートしながら業務を遂行する場合に、1人あたりの業務量は人数で割った少量になるわけで、これを軽減とみなされることがあるだろう。しかし、これも2つめのカテゴリーと同様に、他の業務との兼ね合いや、その業務の重要度によって軽減とみなされない可能性はあるし、軽減ととらえても賃金の削減に連動しないことは十分にあり得る1)。また、雇用者側からすると、人的加配・人員増員にはコストがかかるので、それが賃金等の削減要因になり得るという主張もあるだろうが、これに関しては、物的な設備投資等のコストもふくめて、必要なコストなのか、不要で余計なコストなのかは、労働者だけでなく、顧客・利用者に対するものもふくめ、社会的規制等との関係で変化し得る。
 (2)「労働」
 労働の意味内容には、軽減や賃金との関係でみると、いくつかの側面があることがわかる。
 まず、労働量、とくに労働時間である。これに関しては前述した。
 2つめは、労働能力である。機能障害・能力障害としてのインペアメントが問題となるとき、まさに障害者の労働能力(の低さ)が問われる。遠山は、障害者の労働能力に影響し健常者との能力差をもたらす4つの要因として、@労働能力の習得機会、A労働能力の評価における障壁、B労働能力の習得力、C労働能力の習得のために費やした努力量を挙げている。そのうえで、@ABは、個人の責任でなく社会的課題に分類し、Cの努力量のみを個人の責任とする「責任モデル」を提唱した。その結果、「労働能力の習得機会の少なさ・評価における障壁・習得力の低さの3つの要因による能力差を理由とした排除が、個人にとって責任のない問題として特定され、それらの社会的解決が正当化された。これにより、従来のモデルの理論的な弱さや対立を解消し、あらゆる障害者の問題を過不足なく把握・解決しうるモデルが提示されたことになる」と主張している(遠山, 2005, p53)。これは障害者雇用、とくに採用時に障害者の能力をどのように評価するかということに関して、従来の能力主義モデルと反能力主義モデルとの対立・矛盾を止揚する理論として主張されているものであるが、軽減労働と賃金との関係を考えるうえでも、とくにA労働能力の評価における障壁を、個人にとって責任のない問題として特定して、それらの社会的解決が正当なものとして求められるとする指摘は有効であろう。但し、ここで個人の責任とされる努力量を、どのように評価するのか、そもそも努力量を個人の責任とすることが妥当なのかという論点は残る。
 3つめは、労働の成果・業績である。これは生産と言い換えてもよく、労働の結果として生産されたもの(価値)が問題となる。労働の対価としての賃金を考えるとき、この成果(生産)は重要であるが、その評価・計量・数値化には大きな困難がともなう2)。どこまでが個人の成果で、どのような社会的環境が影響したか、職場の協力関係はどうであったかなどを考慮しなければ公正な業績評価はできないだろう。ましてや成果(生産)そのものがわかりにくく、結果がすぐには出ない教育現場での労働においては、目先のテストの点数や難関大学合格者数などの数値化しやすい指標で業績評価をしようとしたり、自己申告型の目標設定と達成度で評価しようとしたりと、難しい問題をはらまざるを得ない。
 以上、「労働」に関しては、個人の能力や業績の評価において困難があり、労働と賃金の等価交換の原則が単純に適用できないことがわかる。
 (3)「同一」
 「同一/軽減労働同一賃金」を考えるとき、「同一」には2つの側面がある。1つは、「労働と賃金の等価交換」原則における「等価」であり、労働とその対価が同等・同一であるということである。労働の量や成果を計量・数値化し、それに同等な賃金を対応させるという、いわば「垂直的同一」である。これについては他の項目で述べている。
 もう1つは、他の労働者との同一・同等の賃金(待遇)ということである。昨今の「働き方改革」においては、正規社員と非正規社員との「同一労働同一賃金」が課題とされ、本稿では障害者の非障害者に対する「軽減労働同一賃金」がテーマとなっている。これは、いわゆる「横並び」の、他との比較における「水平的同一」と言えるものである。
 この「水平的同一」に関しては、労働者の処遇(労働時間や職場環境、業務分担等)と、待遇(賃金、報酬、昇給等)を分別して考慮する必要がある。
 榊原は、身体を顧慮した社会的包摂を構想し、「包摂的異別処遇」の正当性を理論的に明らかにした(榊原, 2016, p3)。これは本稿における「軽減労働」に相当する。障害者が働くうえで、軽減をふくめた異別処遇は必要であり、その要求に正当性があると言える。障害者権利条約等でいう「合理的配慮」も、これに当たると言えるだろう。
 いっぽう、遠山は、障害者雇用、とくに競争的な採用における「責任モデル」を提示し、個人の責任に帰せられるものを労働能力における努力量のみに限定し、他の要素は社会的に解決すべきとした(遠山, 2005, p53)。この理論からすると、個人の努力量に応じた賃金等の待遇の異別化は正当化される。
 この榊原と遠山の理論を重ね合わせた先に言えることは、採用後の包摂された職場環境での、異別処遇・「水平的同一」待遇の可能性である。すなわち、採用後の勤務条件として軽減等の合理的配慮が障害労働者の処遇として提供されたとしても、それを理由として、他の労働者と比べて不利な扱いをせず、賃金等の待遇を同等に保障するのである。もし個人の努力量を公正に計測できるとすれば、それによる待遇の上下は理論的にはあり得ることになる。
 (4)「賃金」
 最後に、賃金等の待遇の問題である。一般に「賃金決定の3原則」として、@生活保障の原則、A労働対価の原則、B労働力の市場価格の3つが挙げられる3)。本稿では労働の対価としての賃金を中心に検討してきた。
 生活保障としての賃金を考える場合、障害者の低賃金を補てんする社会保障給付(障害年金等)をもふくめて考えればよいという主張がある4)。たしかに、生活するうえで必要・十分な収入が総額として保障されるのであれば、その内訳が労働の対価としての賃金であっても、社会保障としての年金であっても、問題ないであろう。しかし、それでは障害者の低賃金が是認・温存されることにもつながる。
 労働の対価、そして労働力の市場価格としての賃金には、もちろん労働者の収入として生活費をまかなう側面はある。しかし、それだけでなく、労働(の能力、成果等)に対する評価、労働者の社会的位置づけ・評価の側面も持つ。つまり、賃金が低いということは、その人の労働の能力や業績が低く評価されているということであり、それはその人の労働そのもの、その人自身の社会的評価の低さを現わすことになる。障害者の賃金の低さが社会的問題であり、社会的に解決しなければならないとすれば、賃金以外のもので補てんする前に、低賃金そのものを社会的に是正する必要があるのではないか。

 3.3 障害教員の処遇・評価・待遇
 障害者雇用において、最も遅れ、最も課題を抱えている職種の1つが、障害教員の雇用であると言えるだろう。日本の障害者雇用政策は障害者雇用促進法によって進められてきたが、そこでの雇用促進の手法は割り当て雇用制度であり、全従業員数の一定の割合の障害者を雇用することを雇用者に義務付けるものである。厚生労働省はいくつかのカテゴリーに分類して障害者雇用の統計をとっているが、教職員を雇用している都道府県と政令市の教育委員会だけが、法制定以来、一度も法定雇用率を達成したことがないのである。2017年に初めて達成したかと思われたが、それは障害者数を水増しするなどの虚偽報告によるものであった(中村, 2020, p38)。
 いっぽう、公共・民間をとわず一般企業では、「障害者に適した業務」(多くの場合は単純な軽作業)を抽出し、それを障害者に担当させるという形で障害者雇用を進めてきた経過があり、特例子会社制度などはその典型である(手塚, 2000, p28)。教員に関しては、そういったいわゆる「逃げ道」が雇用者側になく、教員という専門職で雇用を進める以外にないという事情もある。最近は事務職や技術職など、教員以外の職種で障害者雇用を進めようとしている教育委員会の取り組みも観られる(文部科学省, 2019)。
 障害教員の雇用は、障害者雇用の例外的な領域であるようにも思えるが、一般就労を進めるうえでは、「障害者に適した業務・職種」として特別に選別されたわけではない一般的な業務・職種である教員には、他の一般就労に共通する普遍性があると言えるかもしれない。
 また、教員は教員免許状を保有しているという点で、障害者雇用における差別禁止アプローチにおける有資格者であり、その労働能力の根幹部分に関しては形式的には能力があるとみなされている。さらに、採用試験に合格して正規職員として採用された者の教員としての能力は雇用者側も認めるものである。教育委員会が採用する公立学校の教員は地方公務員であり、その身分保障については、一般に民間企業よりは安定していると考えられてもいる。私立学校の場合には、公立学校と異なる条件があるが、ここでは検討しない。
 前項でも一部検討したが、教員の労働量や成績評価については、職員集団での取り組みなど他の教職員との多様な関係があり、またそもそも個人の労働を数値化して計測することが困難でもある。
 このような状況にある教員が障害をもつ場合に、その処遇、評価、待遇がどうなるかが問題である。障害に応じた処遇が、その評価と待遇の低減につながらなければ「軽減労働同一賃金」は実現していくことになる。すなわち、均質性が高く、能力も有しているとみなされ、その業績評価の数値化が難しいという教員集団のなかで、障害および障害に対する処遇を理由として、賃金を下げるなどの待遇の低減が「不合理な待遇差」であると言えるのであれば、障害教員と他の教員との待遇の「水平的同一」は可能となるはずである。
 しかし実際には、勤務軽減や支援のための人的加配等の障害に応じた処遇そのものがなされず、そのような処遇の根拠となる制度も未整備のままである(中村, 2020, p188)。また、障害や障害に応じた処遇を理由に、現場から外したり、評価や待遇を低下させたりする事例がまだあることは前述した5)。

 3.4 「軽減労働」と「同一賃金」の接合
 ここまで分析してきた障害教員の事例や語句の概念をふまえて、「軽減労働」と「同一賃金」とをどのように理論的に接合していくことが可能であるかを考察する。
 (1)労働の能力・成果で評価しない反能力主義アプローチ
 まず、同一労働であろうが、軽減労働であろうが、その労働の能力や成果に無関係に、すべてのメンバーに同一賃金を支給することが考えられる。メンバーシップは同一企業(組織)に属する者ということにしておく、構成員個々の能力や成果の評価はせず、待遇は同等とされる。その集団に属するということが有資格、有能力とみなされ、構成員相互の差異は不問とされる。年齢による昇給と、それに伴う賃金差はあるが、能力や成果によって差をつけない公務員集団も、このカテゴリーに入れることができるだろう6)。いっぽうで、福祉的就労や社会的就労において、低賃金ではあっても平等を重視し、その企業(社会的事業所)のメンバーに同一賃金を支払う例もある(米澤, 2014, p64)。
 さまざまな問題をはらみつつ、また状況の限定は必要であるが、反能力主義アプローチによって「軽減労働」と「同一賃金」とを接合することは可能でありそうである。
 (2)労働の能力・成果で評価する能力主義アプローチ
 「軽減労働」と「同一賃金」とを、能力や成果の評価を伴って接続するためには、労働は軽減されていても、能力や成果(生産)は低減していないと評価できればよい。そのためには、次のような実践的手法や理念的解釈が考えられる。
 @有給の特別休暇による勤務軽減
 勤務時間の軽減・短縮が働くうえで必要な障害者がいる。人工透析等の定期通院が不可欠であり、それを勤務時間後の夜間におこなうのは負担が重く、勤務時間内(午後等)におこなう場合や、そもそも体力的、精神的に長時間の勤務が困難な場合などである。そのような「病弱な障害者」が休暇を取って職場を離れる際に、通院等のための特別休暇が有給で、必要十分に権利として保障されれば、勤務は軽減しつつ、賃金の削減はおこらない。現行制度下でも、年間90日あるいは180日の傷病休暇が認められている地方公務員の例はあるが、短期的・急性の疾病の治療に対応したもので、継続的・慢性の障害に対応しておらず、前年に特別休暇をすべて取ると翌年は取れないしくみになっている例がほとんどである。この特別休暇のしくみを拡充して障害に対応したものに改革すれば、この種の軽減労働の同一賃金は、理論的にも実践的にも可能となるだろう。
 A合理的配慮
 勤務時間の軽減のほかに、仕事の分担量の軽減や、同僚等の人的支援を受けることによって職務遂行が可能となる障害者がいる。このような軽減・支援は、障害者権利条約で言う「合理的配慮(調整)」にあたり、必要な合理的配慮が提供されないことは差別となる。他の人との平等を確保するための合理的配慮が提供され、そのために労働量が低減したからといって、それを理由として賃金等の待遇を低減したのでは、結果的に不平等で差別的な取り扱いをしたことになる。勤務評価において、障害を理由とした差別や、合理的配慮を提供したことを理由とする差別を、直接的にも間接的にも、「不合理な待遇差」として禁止していくことはできるであろう。
 B評価対象・基準の拡充(多様化)
 具体的な労働の場で、「労働と賃金の等価交換の原則」が、どのような形で組み込まれているか、とくに、計測が困難な「能力」や「成果」が、どのように計測可能なものに還元され、数値化されているかについては吟味していく必要がある。とりわけ教育現場では、教員の人事評価において、計測困難な教育実践の活動が、集団から切り離された個人の営みに還元され、しかもそのある種の「能力・資質」や「業績・成果」を計測可能なものとして焦点を当て、それ以外の能力や業績等を不可視化しつつ、あたかも存在しないかのように擬制して、その労働を数値化していくことが進行してきている。障害教員などが「指導力不足教員」として現場から排除されたり、賃金(とくに特別昇給や勤勉手当等)の査定で不利益な扱いを受けた事例も見られた。
 労働の能力や成果が査定されるときに、評価の対象となっていない項目に、実は重要なものがあることは考えられる。能力が低い、成果が上がっていないと評価されがちな障害者の隠れた能力、隠れた成果に照準を当て、可視化することで、それまで計測・数値化されてこなかった能力や成果を正当に評価し、それを賃金等の待遇に反映させることはできるだろう7)。
 「能力がなくても認めろ」という反能力主義のアプローチが可能であろうことは前述したが、「能力はあるのだから、それをちゃんと認めろ」という能力主義的なアプローチも、「軽減労働同一賃金」を可能にする理論として成り立ち得るだろう。

4 おわりに
 4.1 結論
 本稿において、障害教員の事例の検討と考察を通じて、障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張が、理論的・実践的に可能となる状況、条件の一部が示された。その「可能性の条件」として、以下の各項で示される場合(状況)が考えられる。
 @有資格者として採用された正規職員で、能力や成果を問われずに、同一の賃金等の待遇が保障される場合。
 A勤務時間の軽減が、有給の特別休暇等で権利として保障される場合。
 B業務分担量の軽減や、人的支援等が合理的配慮として提供され、それを理由とした待遇低減が不合理(差別的)とみなされる場合。
 C能力や成果の評価において多様な評価項目、評価基準が設定され、障害に応じた労働が正当に評価される場合。
 これらの項目は、各々の場合に可能である事例があったことを示してはいるが、ここに例示したものがすべてでもないし、ここに例示されていない場合には不可能であるという意味でもない。
 しかし、「軽減労働同一賃金」の主張はまったく無謀で、不可能であるというとらえ方に対しては、本稿で示した事例は1つの反証となり得るだろう。

 4.2 今後の課題
 本稿は、「障害教員の社会運動史」研究のなかで見いだされた、障害者雇用の「病弱な障害者」モデルにおける「軽減労働同一賃金」の主張に関して、理論的・実践的な検討を試みたものであるが、この研究はまだ端緒についたばかりである。
 本稿において導出された「可能性の条件」が、障害教員以外の職種・業務に応用・拡張できるかどうかについては、本稿の射程外であり、今後、他の職種や業務について検討していきたい。とくに、公務員以外の民間企業における雇用において、支払われる賃金の原資となる資金源をどうするかなど、理論的にも、実践的にも課題は多いが、既存の制度や発想を再検討し、新たな構想と提案もふくめて、考察を進めていきたい。
 また、本稿で示した諸条件についても、能力や成果の評価については、理論的な可能性を示唆することはできたが、実際の労働現場での実践的な可能性については検討できなかったし、その検討には多くの困難が予測される。
 しかし、本稿で試みた、従来の「障害者と労働」のあり方、とらえ方の問い直し、すなわち、労働の量・能力・成果が低く評価され、就労が不可能、あるいは就労するとしても低賃金が当然とされてきた障害者が、「障害をもって平等に働き、賃金を得る」ことを追求し、新たな可能性を模索していくことには、理論的にも、実践的にも意義があり、今後の課題として研究を進めていきたい。


1)会社経営者や医師などの働き方をみても、秘書や看護師などの補助的な業務を担う人のサポートがあるからといって、その業務遂行の価値が下がるわけではない。
2)計測が比較的に容易と思われる営業販売(自動車を何台売ったか)やプロスポーツ選手の成績(ホームランを何本打ったか)であっても、割り当てられた営業地域や対戦相手チームの状況、スタッフの支援などによって成果は大きく増減するだろう。
3)最低賃金法第3条(最低賃金の原則)では、「 最低賃金は、労働者の生計費、類似の労働者の賃金及び通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。」とされており、それぞれ、生活保障の原則(労働者の生計費)、労働対価の原則(類似の労働者の賃金)、労働力の市場価格(通常の事業の賃金支払能力)の3原則に対応していると考えられる。
4)障害者と一般就労者が共に働く「社会的事業所」のネットワークである共同連の中心的な団体「わっぱの会」では、報酬体系として、まずすべての従業者に基本となる12万円の分配金が支給されることになっているが、障害者の場合は障害基礎年金(1級の場合、約8万1000円、2級の場合、約6万5000円)と合わせて、12万円になるように調整される(米澤, 2014, p66)。
5)ほかにも、障害教員を現場から外して授業を持たせない事例や、公私立学校で免職が通告され裁判となった事件がある。これらについては、現在調査中であり、別稿で報告する。
6)国会や地方議会の議員などは、年齢による差もなく、能力や業績は不問で、同一賃金が支払われている。選挙という評価の機会が任期ごとにあり、当落はメンバーシップの存否に直結するが、得票・成績の多寡は当選後の報酬には連動しない。一旦議員の身分を獲得すれば、障害があっても、ほとんど議員としての仕事をしていなくとも、同一賃金である。
7)国連のSDGs(持続可能な開発目標)が企業の経済活動の評価に影響を与え、従来の生産・利益第一主義の経済から、環境や人権に配慮した経済への転換が迫られているが、障害者雇用においても、より多様な評価対象・基準が設定されることが望ましいと言えるだろう。多様な価値が社会(企業や教育現場など)のなかに組み込まれていくことが、持続可能な共生社会の形成につながっていくかもしれない。

文献リスト
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栗川治, 1996, 『異彩はバリアフリー──視覚障害教師が「障害」を問う』, 新潟日報事業社.
────, 2012, 『視覚障碍をもって生きる──できることはやる、できないことはたすけあう』, 明石書店.
────, 2017, 「日教組・障害のある教職員ネットワークの結成と新潟でのとりくみ」, 『日教組第66次教育研究全国集会新潟大会報告書(2017年2月)』, 日本教職員組合.
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文部科学省, 2019, 「障害者活躍推進プランについて」, http://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/gakusyushien/1413121.htm, 2020年10月13日現在.
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Oliver, Michael, 1990, The Politics of Disablement, London:Macmillan.(=2006, 三島亜紀子・山岸倫子・山森亮・横須賀俊司訳, 『障害の政治──イギリス障害学の原点』, 明石書店.)
榊原賢二郎, 2016, 『社会的包摂と身体──障害者差別禁止法制後の障害定義と異別処遇を巡って』, 生活書院.
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立岩真也, [1997]2013, 『私的所有論 第2版』, 生活書院.
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遠山真世, 2005, 「障害者の雇用問題──平等化に向けた理論と政策」2004年度 東京都立大学大学院社会科学研究科 社会福祉学専攻博士課程 学位論文.
米澤旦, 2014, 「障害者と一般就労者が共に働く「社会的事業所」の意義と課題──共同連を事例として」, 『日本労働研究雑誌』646号, 労働政策研究・研修機構.

英文題目
Reasonable Conditions for "Equal Pay for Reduced Workload" in Disability Employment:
A Case Study of Accommodative Treatment to Disabled School Teachers

執筆者名、所属(英文表記)
KURIKAWA Osamu,
Graduate student, the Graduate school of Core Ethics and Frontier Sciences, Ritsumeikan University,
Research Fellow of Japan Society for the Promotion of Science. 

英文要旨

(Background) Regarding Japan's disability employment history, previous studies have clarified that certain school teachers with disabilities worked on less duty in proportion to their disability types without disadvantageous wage discrepancy since the 1990s. However, little has not been studied on the issues including what they demanded by advocating "equal pay for reduced workload."
(Purpose) This paper shows the conditions for enabling their request of 'equal pay for less workload' as reasonable by examining the case examples of disabled school teachers.
(Method) I analyze the examples of five disabled school teachers by referring to the official publication by the Association of Teachers with Disabilities and some personal records.
(Result) The case study clarifies the common conditions, in which each of the teachers was a full-time employee at public school, acquired disabilities after birth, and also each obtained the reduction of workhours as special paid leave, the reduction of workload and the additional personnel distribution as reasonable accommodations.
(Conclusion) Therefore, the reasonable conditions for enabling their demand of "equal pay for reduced workload" are the following: 1) they are employed as qualified full-time workers and ensured wage equality regardless of work performance or results; 2) the reduction of work hour is ensured as their right related to special paid leave policy; 3) the reduction of workload and additional personnel distribution are provided as reasonable accommodations and any disparity in treatment due to disabilities are regarded as unreasonable; 4) the diverse criteria and items are decided in the evaluation of work performance and results.

key words: disability, work, reduction, pay, teacher.


UP:20210113 REV:
張万洪  ◇障害学 
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