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小泉浩子氏インタビュー

2021/01/05 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 桐原 尚之 於:JCIL事務所

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■インタビュー情報

◇小泉 浩子 i2021 インタビュー 2021/01/15 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 桐原 尚之  於:JCIL事務所
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

ALS(本サイト内)  ◇説明/辞典・医学書等での記述
介助(介護)  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
難病/神経難病 

■本文

99分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]

長谷川:えっと、どのあたりから聞こうかしら。

桐原:今日はありがとうございます。

小泉:あ、ありがとうございます。よろしくお願いします。いたやん、杉江さんのところ。

桐原:俺、いない(笑)。

小泉:あ、いないのか。

長谷川:そうそう、桐原さんいないんです。存在だけがでかいから、いると思ったけど、いないんです。

桐原:存在はでかくない、態度がでかいんです。

小泉:あとから入ったと思ってて、実際には(00:00:31)、

長谷川:JC…、あのね、私が聞きたかったのは、甲谷さんいるじゃない? 甲谷さんの前に、たぶん24時間の介護保障の運動をしてるじゃない? 
小泉:はいしてる。
長谷川:あれ、あそこらへんから聞きたいんですよ。

桐原:こう少し、ALSの人と関わるようになる前に、介護保障の運動をやってるわけじゃないですか。そこらへんの部分を少しだけ話して、で後半、そのALSのことあって、何が変わったとか何が変わってないとか、そういうのの感想というか感覚的なものみたいなのを、お話を聞きたいなと思ってるんです。

小泉:はい。

桐原:変な話、ALSってなんか特殊じゃないですか。大変じゃないですか。なのでいろいろ僕ら、まあ僕は精神の運動をずっとやってきたけども、ある意味では普通のCPとか中心の身体障害者の運動よりも精神障害者に近いんじゃないかと思っていて。言ってることが支離滅裂してるとか、そういうのは精神障害者的だなとは思ってるんだけども。そういう部分でなんか違いとか、あるいは同じ部分とか共通点とかいろんなの感じながら一緒にやってるんですけども。そういうところとかをお伺いしたいなと思ってるんです。
 で最初に、小泉さんが支援費制度下で、長時間介護の人たちのそういう取り組みとかやってる中でどんな感じだったか、みたいなのとかを少し簡単に教えてください。

小泉:はい。えーと、ここの事業所が始まったのが、2003年に支援費制度が始まって、まあ最初は身内だけのことで始めてて、そのときに、えーとね、もともとは重度の障害者が24時間介護を使うにあたって、他人介護料、生活保護の他人介護料と、全身性障害者派遣事業と、公的なヘルパー制度。

長谷川:3つってこと? 生活保護の他人介護と全身性障害者介護人派遣事業と公的なヘルパーと、3つ?

小泉:はい、そうです。この3つがセットでやりました。それは支援費が始まるちょっと前あたりです。全身性障害者派遣事業は支援費の前やったからね。それで、昼間は、公的なヘルパーさんがちょびちょびこうやって入ります。で、全然足らん中で(00:04:05)私が最初にしたのが、派遣事業のお金が12万ぐらいかな、全部合わせると。で、それを、なんか、これ変えてもいいのかな(00:04:24)。あの、何、やったらあかんことをやってたんかもしれんねん。でも、嘘じゃないねん。

長谷川:嘘じゃない。え、なんでやったらあかんってなるの?

桐原:よくわかんないけど、家庭奉仕員と全身性は一緒に使えるんですよね? あの方向的には、、、

小泉:うん、使える。使えるんやけど、現金まとめて私が預かって、そっから介助者に薄めて、、、

長谷川:ああ、なるほど。お金を小泉さんまとめてもらって、

小泉:うん、全部、全部預かって。

長谷川:それを、あ、その、薄めてね、[00:05:03]

小泉:うん、埋まるようなかたちに(00:05:05)したんです。【それ、言ったら】(00:05:08)公にしていいのかどうか。

桐原:それ、でも必要な儀式だよね。

小泉:それはけっこうやってはったわ。やってました、私が。

長谷川:私この意味が全然わかんなかったんですよ。みんなが「介護費を薄めて」ってずーっと言ってた、「薄めてやればいい、薄めてやればいい」って杉江さんのとき始まったときも言ってて、その意味がわかんなかったんですけど。そうだったんだ。こういうことですね、それは。

小泉:で、介護者には、、、 (00:05:45)、まあ介助者かわいそうやったわ。ほんまは高い金額(00:05:53)もらえるのに、薄めて入ってもらってたから。でもそのとき(00:06:03)ほんまに、不満が出たとか(00:06:05)とかは、介護者さんから、(00:06:09)特にはなくて。

長谷川:介助者から不満が出ることはなかった?

小泉:ないない。ほんであの、他人介護の方は厚生省、大臣、(00:06:22)、なんか、段階があって、一番お金の高いやつに届く(00:06:34)まで交渉したんです。はい。厚生大臣がオッケー出すまで。あの、知事(承認があって、その次が大臣承認)。こんだけ介護がいるから(00:06:53)から出してくれ、っていう、その交渉で16万までいったんかな? 金額はごめん、忘れた。

長谷川:16万、

小泉:金額はわからんで。

桐原:(笑)

長谷川:介護保障のそのお金の段階があって、その一番上のところまでのを交渉したってことですね?

小泉:はいはい。そのお金と全身性のあれと合わせて。でも1時間、千円ぐらいはあったような気がするな。

桐原:うん。支援費になった、

小泉:いや、800円かな。

長谷川:こっから支援費になるってこと?

小泉:うん。で、その中でも24時間介護派遣してたから、その人らの(00:07:49)のために事業所を立ち上げたっていうかっこうではあります。

長谷川:ああ、事務所立ち上げるまでは、生保と全身性と公的でやってて、それが一括で、一括でというか、そのお金は全部小泉さんたちが持っていて、それをのばして介助者に渡してた、

小泉:そうそうそう。はい。

長谷川:で、そのときも24時間の介助保障は何とかしてたんですか、その時代も?

小泉:うん。だからそれでいけたんです。

長谷川:いけた。

小泉:うん。24時間はいけました。

長谷川:で、それから支援費になって、事業所を立ち上げたってこと?

小泉:うん。

桐原:支援費になってからは当然24時間ですよね?

小泉:なのでそれは(00:08:38)、たぶんね、私、他人介護料を残したんやと思うねや。

桐原:ああ、なるほど。

長谷川:ああ、他人介護料。

小泉:夜間が(00:08:49)使えへんかったからね、あの支援費制度のときは。

長谷川:何が使えなかった?

小泉:支援費制度になったときに、泊まり介助がなかなかあかんかって、

長谷川:泊まり介助がだめ?

小泉:ただ、これはやった。(00:09:08)身体介護を細切れにもらって(00:09:12)、それをまた薄めて払ってた。介助者は(間の時間も)いてもらって。

長谷川:え、支援費制度のときは、泊まり介助がだめだったんですか?

小泉:泊まりがあかんていうか、時間数がまあ決まってた感じで、そんなには伸びなかった。何時間やったか忘れたけど。調べていけばわかるけどね。記録が残ってるから。

長谷川:結局どっちみち支援費になっても、支援費になる前も、24時間の介助保障やってたけれども、ぎりぎりのところでやってたってことですよね、これね。[00:10:08]

小泉:うん。

桐原:経済面はかなりいろいろ工夫されてたということで。で、あと利用者いるじゃないですか、実際に介助保障使う障害者がヘルパーとそりが合わなくなったりとか、そういうことってのはまあ起こったりはしますか。

小泉:はは。そんなことだからけや。そんなことは今もあるし。

長谷川:今もあるし、ずーっとある、

小泉:ずーっともう、ずーっと止めようがない。

桐原:いろいろ介護に対する考え方って運動によって全然違うけれども、なんか極力そうやって「切らないでつきあおう」みたいなCILもあれば、「もうできるだけ、いろんな人に交代交代でいいんだ」ってCILもあるじゃないですか。

小泉:私は、それはええかどうかは置いといて、私は切らない方向でいきたかったです。

桐原:ですよね。いや、わかります。

小泉:うん。その理由は、私が切られたから。ここで働く前は何回も仕事変わってるし。切られることのつらさっていうか、それはわかってるから、絶対人は切りたくなかったっていう、それで来てるけど、現状はそんなきれいごとではね、ならへんけどなぁっていう。やめていく人もいる(00:11:45)し、

長谷川:このころのJCILの、全身性のときと支援費のときぐらいの使ってる人、ここでみてた人って何人ぐらいだったんですか?

小泉:待って、10何人かな。そんなに多くない。で、資格もなんもなかったし (00:12:12)。そのときはなんか、みなし資格っていうのがあって。

長谷川:あ、みなし資格ね。

小泉:全身性をやってた人は登録をするから、その人は2年くらいは(00:12:29)資格ない中で、みなし資格ですっていうのをもらえたから、流れることは(00:12:36)ることはできたんです。

長谷川:そのヘルパーみたいな、みなし資格の人たちっていうのはどうやって集めてたんですか? その本人たちが集めてきたのを、、、

小泉:いや、それはない。JCが集めたんです。ビラ撒きに、大学が多かったけどね。

長谷川:ふーん、それはなんかビラ撒きに行ったりとかしてってこと?

小泉:うん。で、【ものが】(00:12:59)そのきた、どこも一緒やと思うけど、(00:13:09)きた学生の子が友だちを連れてくるってパターンが多かった。

長谷川:ふーん。ヘルパーというか、みなしの人は多かったんですか、その当時? 利用者がたとえば10人ぐらいいたとして、それを回せるぐらいの人がいたってこと? みなしの資格の人で。

小泉:何人いたかな。20(00:13:34)人ぐらいかな?

長谷川:じゃあほぼほぼ専属みたいな感じですか? 「その利用者に対してこの人」っていう専属みたいな感じの派遣ですか?

小泉:はい、そんな感じやと思う。 (00:13:46)そんな感じです。

桐原:あと、障害者運動として医療に対する考え方ってあるじゃないですか。医療を、なんていうか、要は障害を無理に治そうとしたりとか、そういうものに対して抵抗するじゃないですか。そういったこととかってのは、もう当時からわりと小泉さんはされていましたか?

小泉:あの、医療が入ってきたのが、介助現場に医療がもう入ってきたのが、まあALSのかたと、筋ジスか。で、脳性まひが多かったんです、もともとは。私が脳性まひやっていうのもあるし、時代が(00:14:43)。脳性まひは元気やから医療とは無関係のまま来れたんですよ。そんで、最初はやっぱりALSのかたやったとは思う。それでわからんことだらけではあって。逆にいえば(00:15:09)ALSのかたの介助現場の関わりは、あとから入れてもらったので、こっちが教えてもらうっていう立ち位置ではあって。まあ私的には抵抗もあったけど、まあ感覚的には「病気やし」っていう考え方ではいます。私たちとはちょっと違うんやろなって。[00:15:36]

長谷川:このときの全身性と支援費のときっていうのは、ほぼほぼ利用者の人って脳性まひの人?

小泉:脳性まひが多かった。

長谷川:その人たちって、たとえばここのJCIL、まあ障害者運動の自立だとかああいう概…、信念って言ったらいいのかな、あるじゃないですか。「自分で自分のことは」とか。

小泉:はい。

長谷川:ああいうのっていうのは利用者に対して教えたりとかはしてたんですか? 今みたいな、なんか、ピア何たらみたいな感じ、

桐原:ピアカウンセリングとか、活動者教育? 何だろ、

長谷川:ピアサポみたいなかたちの、そういうのって支援してたんですか? この10人ぐらいの支援費とかのときって。

小泉:えーと、えとね、これね、これまたピアサポートに対する考え方もいろいろあって。一般的にはCILのピアカウンセラーというのは、まあなんとなくはだいたい、まあその人の能力にもよると思うのだけど、いかに聞けるかっていう能力がある人はいいけど、ない人は、こう、押し付け、「こっちはこうやったんだから、(00:16:55)こういうやり方ででいかなあかん」とかいう話にどうしてもなる人もいて、そこで逆にそのカウンセリングを受けてる相手から反発をくらったりとか話はよく聞くけど。で、JCはピアカウンセラーっていう言葉はあんまり使ってこなくて。理由はここの長橋榮一が(00:17:32)、まあピアカウンセラーは大事やけども、そこそこ勉強もしなできないことなんやというふうに教わってて、カウンセリングというのがどれだけ難しいんかをわかってからしんと、逆にその障害者を潰すっていう考え方やったんで、「ピアサポート」の方はやってたとと思う。ピアサポートは(00:18:14)、おうちに行って、こう***(00:18:16)をもとにあわして、「ここはこうやったらいいね」とかいう話をやってきてます。家にいってね、「トイレが自分でできない人はどうやってやったらいいのか?」とか。そんときはあれをやった、「オルボン」って言うて。なんでその話になったというと、夜間に介助が入れられへんから、「トイレができないわ」っていう話になったときに、「脳性麻痺のこの手でどうやったら(00:18:55)自分でおしっこができるか(00:18:59)」っていう話で。「スカットクリーン」ですよ。スカットクリーンって知ってる?

長谷川:うん。

小泉:あれとか、あれ、スカットクリーンを使えない障害者もいてね、手があかんから。(00:19:16)、オルボンていうて、これは女の人はできへんかったんやけど、男の人はこれ、かぶせるんですよ。***(00:19:30)ね。とかいうを一緒に考えるというのがピアサポートの役割と思っていました。

長谷川:なるほど。たとえば「自立生活とはこんなもんだよ」っていうことではなくて、実態的に困っていることというか、「夜間介助者がいないからトイレ行けなかったのをどういうふうにしたらいいか」と、その工夫っていうか、情報というか、そういうことをしてたってことですね。[00:20:00]

小泉:そうそう。JCはそのスタイルできてます。

長谷川:なるほど。これはずっとですか?

小泉:ああ、【言うてください、言うてください】(00:20:09)、

長谷川:ああ、そうですか。えー、そうなんだ。なんかもっとバリバリ、「自立とは」とか、自立生活体験室で習うようなことをやってるかと思ってた。

小泉:いや、全然そういうタイプじゃない(00:20:21)。

長谷川:ふーん。だとしたら、介助者との問題とかはどういうふうな感じ…、このピアサポートの延長線上で?

小泉:うん、そんな感じで、

桐原:これって障害者どうしじゃなくて、障害者も介助者もみんな入って話し合う感じですか?

小泉:そういう場合もあるし、

桐原:ああ、なるほど。

小泉:それで、これができたのが、ごめん、私やったからかもしれん。理由は歩けたからやと思うねん。そこは大きいわな。

桐原:(笑)

長谷川:え、何で? 歩けたからできるっていうのは、

小泉:いや、だって行けるし。「今」言うて今、ぱっと行けますわ。まあちょっと「ガラスが割れたんやけど」っていう電話もらって、介助者いなかったら行けないっていうのんとか。で、役割分担やし(00:21:22)さ、えらそうに言うてるけど、その存在自体がピアサポートやっていう考え方もあるし。「あんなふうにやったらいいやん」っていう。

長谷川:なるほどね。いや、かなり私は勘違いしてたと思う。ああ、そうですか。ふーん。
 すごいさかのぼっちゃうけど、このJCILとかの、小泉さんが来て入ったときに、もうこのメンバーはいたんですか? その10人の利用者というか。それとも今みたいに、病院とかから施設とかから出たいっていう人の声を聞いて、「こうやって出れるよ」みたいなことをしたんですか?

小泉:そうやね、あの、施設に行って声をかけて出したっていうのは何人かいて。山崎信一さんとかもそう。

長谷川:あー、そうなんですか。へー。山崎さんは施設から出るときに。へえ、そうだったんだ。

小泉:山崎さんが出たのは支援費が始まって1年目ぐらいかな。あのときはね、事業所がばあってできたから、けっこうたぶん地域移行ができたんやと思うねん。

長谷川:なるほどなるほど。いやー、そうか。おもしろ。

桐原:施設から出す人とか、あとどっか他の都道府県から大学とかに入るんで引っ越ししてきた人とか、そういうのとかもいたんですか?

(桐原さんの質問を聞き取れなかったみたいで、少しズレてます↓)
小泉:えーと、それはもうちょっとあとになって、24時間介護ができたら、何人かはいましたわ。「京都は24時間出るよね」。今、佐々木さん来てはる。相談した佐々木さん。

長谷川:あ、佐々木さん、うんうん。

小泉:で、今は京都に暮らして、

長谷川:ああ、あの、神戸だっけ、

小泉:姫路。

長谷川:うんうん。ちょっと先生とも気にしてた人です。立岩さんが気にして、

小泉:ああ、そうそうそう。最近はだからあの、金沢からこっちに来た人もいるし、金沢の施設から。24時間が広まってからは何人か、他府県から来ました。

桐原:なんか松波さんとか絡んでる人だっけ?

長谷川:すごいね。このJCILの始まりとか、小泉さんが何でJCILに関わりだしたかみたいな話って、どっかに書いてますか?

小泉:本に書いてあるわ、あの、『バトン(障害者運動のバトンをつなぐ)』、

長谷川:『バトン』ね、

小泉:今しゃべったことは全部書いてあるわ、たぶん。
(↑そんなに書いてないかも)

長谷川:えー、山崎さんもか。

桐原:甲谷さんの方にはいかない?

長谷川:このピアサポートのときに、の延長線上で、介助者との関係もやってたってことですか?

小泉:うん、それもやってた。アテンダント。アテンダントって呼んでたんやけども。あの、施設にいるときから外出、施設からどっかお買い物に行きたいとか、どっか出かけたいとかいうときには、ここ、JCILの有料介助者、アテンダントって呼んでたんやけど、その人と一緒に行くので、訪問、(00:25:28)連れて行ったりとか、そんなことをしてきた。[00:25:34]

長谷川:で、この支援費がちょうど始まって、で、それでも24時間とか泊まり介助が難しくって、お金とか大変だったじゃないですか。だから24時間の介助保障ってのなかなか難しいなかで、京都市とか京都府とかと交渉をする24時間交渉が始まったんですか?

小泉:はい。こっちで山崎君(00:25:57)のことで動こうとしたときと、甲谷さんがなんかたまたまやけどおんなじ時期やったんです。

長谷川:ですよね。たぶん甲谷さんが出てくる前ぐらいに、甲谷さんのことでもたぶん一緒に行ってると思うけど、甲谷さんの前でたぶん24時間の介助保障を求める活動っちゅうか要望をしてる、

小泉:うん、そうそう、要望してて。そのときはJCILだけやって、(京都市からは)「シッシッ」(00:26:28)って感じやったときに、あの、川口さんかな、(00:26:34)、何で呼んでくれたんやろな? 誰が呼んでくれたか忘れたけど、あの、ココペリの事務所に、あ、違う、杉江さんの家か。

長谷川:杉江さんの家ですよね。だからね、甲谷さんときってたぶん岡本さんとかが、立岩さんとかが甲谷さんの介助保障、それこそ他人介護料だとか何とかっていうので交渉に行ってるんですけど、そのときにJCILって一緒に行ってる? 甲谷さんのことで、

小泉:甲谷さんのときはね、あの、いったかな?最初は、あの人、

長谷川:岡本さん?

小泉:岡本さんと、あの女の人、名前忘れた、

桐原:志賀さん?

小泉:そうそう、志賀さんが来はって。

長谷川:ここに? ああ。

小泉:「24時間なんですけども、どうですか」って言われたんかな。いや、うちはもう(00:27:48)、、、いや、でも、あれを使おうとしてたわ、自薦。

長谷川:ああ、自薦?

小泉:(自薦)は、やろうとしてたわ。初めてお会いしたときは。

長谷川:ああ、JCILへ来たときはそれを使おうとしてたんですね、自薦は。あ、だってヘルパーはいましたもんね。

小泉:「こんなことを考えてるんですけど、何か知ってますか?」って言って聞かれて、「ここで使ってる人いますか?」って聞かれたような気がする。でも、いなかってん。

長谷川:なんかその自薦の考え方もあれじゃない? もう甲谷さんのところは甲谷さんが施術の先生だったから、ダンサーとか、介助者はある意味でいたんですよね。だからそれをどうするか、だったんでしょうね。だけどここに来る人たちとかって、基本的に自薦になっていくもんなんですか? その、専属? だから始めはJCILが集めた人が派遣されていくじゃないですか。でもその人はそこに、たとえば桐原さんだったら桐原さんなりに、専属でその人が入ってくようなスタイルだったんですか? この当時は。

小泉:いや、そうでもないと思う。でも、そんなには(00:29:00)利用者もいなかったし。結果的には専属になるって少ないですよね。専属になってたんやろうけど、もうどんどんでかくなってきたから、そうはなってない(00:29:17)、

長谷川:じゃ、自分で介助者を引き連れて来た人はいないってことですね? ここにはあまり。

小泉:ああ、自分でか、ああ、そう多くはいません。

長谷川:ふーん、そうか。自薦の相談を志賀さんとかが来たけれども、「うちでやってない」っていう話をして、

小泉:うんうん、そうそう。そうやったと思うんやけど、覚えてない。あの、前に来はったときにここは、「なんかJCっぽくないな」(笑)。なんか、なんかシュッてしてるやんか、

長谷川:ああ、わかるわかる。

小泉:シュッと、

長谷川:障害者運動っぽくないよね、たしかに

小泉:うん、そうそう。なんか、なんか、ちょっと、ちょっと空気が違った。[00:30:03]

長谷川:ああ、空気。そうそう、そういうの聞きたいですね。考え方とかもあんまりそういう感じじゃないですもんね。

小泉:ない。「ダンサーが介助か」ってちょっと、ちょっとなんか「どうだろな」とは思ってたんやけども。でも実際はいいやしい(00:30:28)な、あの、体のこの使い方とか、なんか介助に向いてるんやろって聞いた。最初聞いたときは「ダンサーが介助」ってなんか全然結びつかへんかった。

長谷川:なるほど。じゃ、甲谷さんときは別に、ここに相談しに来たときって、ほぼほぼ24時間の介助っていうのがなんか決まりつつあったときなんですかね? たぶん。なんかそこの24時間の介助の、たとえば「交渉とかを一緒にやってほしい」みたいなことは言われなかったですか?

小泉:いや、今思えば(00:31:10)、何をしに来たのか定かでない(00:31:14)。帰ったあとに、「ああ、何やったんやろなあ?」っていうような感じやった。なんかそういう(障害者運動の)世界に対して(00:31:25)結び付け(00:31:26)たかったんかな。岡本さんも、ついてきてい(00:31:31)たような気がしていて。

長谷川:うんうん。だから甲谷さんとかとは別に、ずっと24時間の介助保障は要請してたんですもんね。で、ちょうどうまいことそれが重なって、甲谷さんのところの24時間の保障も重なったって感じだと私は思ってたんですよ。ちょうど甲谷さんが地域生活をする前ぐらいにJCが交渉していて、で、その交渉をしてたことは新聞記事に残ってて

小泉:あ、した。した。でもそのときには、あの、立岩さんの方があとぐらいじゃないかな、入ってきたの。

長谷川:そうですよね。だから、やって、で、そのあとぐらいに甲谷さんが出てきて、

小泉:うん、そう思うわ。

長谷川:で、甲谷さんところで立岩さんとかがやって、たぶんそこにはJCとして具体的に関わってはないけど、もともとJCはその運動、運動というか要請があったからそれがきいて、出てる。

小泉:そう思ってるんだけど、立岩さんは「僕がやった」って言うてはいはるみたい。

長谷川:立岩さんはちょっと認知症だからやめとこ(笑)、

小泉:うん、でもまあそこはまあええかと思ってて(00:32:43)、

長谷川:いやたぶん歴史…、ちゃんと資料を見たら、JCのほうが先だと思いますよ。

小泉:はい。まあ何でもいいですよ。ただ、一緒にできたことは大きかったんだと。ただ、一緒にできたことは大きかったとは思います。それはもう間違いない。

長谷川:え、そのときに、甲谷さんのあそこらへんのときに、JCとたとえば立岩さんとで交渉しに行ったことってあるんですか? 一緒に。

小泉:あるある。おっきいとこでね。それ岡本さんらも来てたと思うわ。

長谷川:それ、甲谷さんのことで? それとも大きな24時間介助保障のことで?

小泉:うん。そう、大きい話で。

長谷川:で、そこには甲谷さんいなかったんだろうか? 岡本さん、

小泉:と立岩さん。渡邉くんがいたから渡邉くんに聞くとわかるかも。

長谷川:渡邉さんいた? 琢さん。じゃあちょっと、これが大きなところで、

小泉:渡邉くんの本にも書いてあると思うよ、あれ。『介助者は…』
(↑書いてません^^)

長谷川:ああ。それで介助保障を求めてて。ALSの甲谷さんのところには、そんなになんかJCとして、介助派遣に関わるとかってないじゃないですか。

小泉:うん、と思う。でも何回かは行った、甲谷さんに会いに。あれ何しに行ったんやろ? あのおうち、提灯のあるおうちや。

長谷川:どっちのおうち? 仮住まいのほうですか? 今のほう、西陣のほう?

小泉:今…、西陣やったかな。

長谷川:今のほうか。でも、そこぐらいからちょっとずつ、なんかALSとJCILがつながりつつあって、で、杉江さんのときに、[00:34:59]

小泉:介助に入らせてもらった。高橋…、

長谷川:そう、杉江さんのときに、あれね、関わったんですよね。杉江さんのときって、どこから関わ…、どこからJCが登場するんだろうな。

小泉:高橋くん、

長谷川:高橋さんめっちゃくちゃあとで、一番初め杉江さんのがこっち側の、梅津段町じゃなくて、こっち側のあそこ、西陣に、それこそ西陣に引っ越してきたときに小泉さんが来たんだよね。小泉さんと、琢さんいたかな? なんかあの日はいっぱい来て、小泉さんと、それからALSの、水町さんと来て、みんな来たんだけど、水町さんはすごい厳しいひと言を言って。で小泉さんその時に杉江さんに「患者」…、杉江さん自分のこと「患者」って言うから、「患者って何で言うんだ」って話になって、

小泉:なにいうたかなぁ。(00:35:58)「制度、障害者の制度を使うくせに、患者って何やねん」って言うたと思う。あほでごめん(小声)(00:36:07)、

長谷川:いやいや、あんとき、たぶん杉江さんの介助がちょうど増えたときだったと思うんですよ。増えたというか、病院から出てきて、梅津段町からこっち側に移ってきたときだから、やっぱり。そのときに、まあ「どういうふうに介助体制を作っていくか」って話で。杉江さん自身にもいろいろとこう「障害者としての自覚を持ってもらわなきゃいけない」みたいな、「自立、自立」みたいなの、なんか、にわかに言われてて。で、そこに水町さんとか小泉さんが来た。で、水町さんはなんか「そんなんじゃだめだよ」ってなんかすごい杉江さんに言って。で、小泉さんが来たときにそのことを言ったんですよね。で、そのとき同性介助だったでしょ? 基本的に。違った? JCって。

小泉:うん、JCはあのときは同性介助で、

長谷川:だから杉江さんのところにはあんま入れないっていう、初めはたぶん判断だったんじゃないか。まあ人が足りなかったわけじゃなかったけれども、たしか。あのときの杉江さんに対しての、さっきの「患者」っていうこととか、その杉江さんの家の体制、もうほんとにみんな知らない人たちばっかりで、むしろ障害者運動の「し」の字も入ってないような。事業所も入ってるけど、学生も入ってて、でもプロのヘルパーってあんまりいなくって、ココペリが主流で、みたいな。でもココペリもちょっと異質じゃないですか。障害者運動の文脈とはちょっと違うというか。

小泉:はいはい。

桐原:まあ異端だよね。一応障害者運動の中に入ってはいるけど、異端ではあると。

長谷川:そのときの小泉さんの受け止めというか。たぶんあれが、たぶんそこで初めて、初めてじゃないけど、小泉さんとか障害者運動の人たちが京都でALSのところに来たっていうのが、なんかこう接点持ったっていうのが、なんかほぼほぼ初めて、本人とというか。甲谷さんときはもう、すでに志賀さんが、甲谷さんあまり自立を発揮しない人だから、「自分がやる」っていう、なんかこう「代理でもうやる」っての決めちゃってたから、あんまり甲谷さんと誰かが面と向かって話をするってことはあんまりなかったんです、そういう。生活のことはあったけど、たとえば「自分の自立とは何か」みたいな話って全然なくて。
 杉江さんのときがかなりゆれたんですよね。で、杉江さんのとき何でゆれたかっていうと、まあけっこう原因、私あると思ってて。一つはやっぱり立岩先生の、立命館系統が入るわけじゃないですか。その人たちって経験、私もそうだけど経験なかったんだけど、本を読んでるから、『生の技法』とか読んでるから、なんか介助みたいなものってかじってるんですよね、その本で。それってやっぱり「自立」とかって書いてある、「本人の」とかって、ああいうの読んでるから、それに従ってやろうとすると、杉江さんわかんないじゃん。で、本人もやろうとすんだけど、なんかその自覚がないというか。それでなんか右往左往してた時期でもあって。でも私もべつに障害者運動やってるわけじゃないから、やってたわけじゃないので、全然その奥…、真髄をわかってないから、表面的なことじゃない? そんときにいろいろ問題があって。で、小泉さんが来てくれて、そこで「なんで患者って言うんだ」って話をしてくれて。そっからしばらくは関わりはあったんだけど、そのJCから派遣されるってことはしばらくなくって。で高橋さんが、どのくらいかな、けっこう経ってからあとに入ってくれたって言う経緯があるんだけど。あんときぐらいのその、ALSの人ってどんな感じに見えてました?

小泉:私そのときはあれやけども(00:39:59)、「健常者のおっちゃん」っていうことでしかなかった。向こうもだって、「かわいそうに」見えてる感じに見てはったと思うんやけど。「よう来たなあ、あんた」っていう感じやって。いや、おもしろかったわ。「普通の健常者のおっちゃんやな」と思うけど。なんかそこで「私らが(00:40:30)こうやってがんばって(つくって)きた制度を、あなた使うんやで(00:40:39)」っていうふうに言ったと思う。[00:40:44]

桐原:ああ、「ほんとにやる気あるんか?」みたいな、

小泉:ああ、そうそう。うん、そんな言ったと思う。

長谷川:あの反応ってどうでした? 杉江さん、反応見て、

小泉:そりゃ、「何言うてんねん」的な感じ(00:41:00)、

長谷川:周りの支援者、私も含めていろんな人がいたと思うけど、何にも知らない人たちに対してもそういう感じでしたか? やっぱり。

小泉:うーん、なんか、

長谷川:キャッキャキャッキャ遊んでるサークルみたいな、

小泉:そこは(00:41:19)ちょっとは、まあぶっちゃけ思ったのは思ったのかも。ようけで「何しに来てんの?」とか思ってた、

桐原:なるほど、「この人たちわかってんのかな?」みたいな(笑)。

小泉:まあでもな、現場に入っている(00:41:38)人から話を聞いたら、ああ、こんなに難しいのか、とは思ったけど。

長谷川:なんか私は小泉さんの、まあ障害の話をしてくれた、杉江さんに向けてか、私たちに向けてか、両方に向けてだとしても、聞いた時に、けっこうJCILって、まあまあそんときは障害者団体なんてJCILしか知らないから、「JCILっていうのはやっぱ自立とかそういう障害者運動のことをきちっとやっていく組織なんだな」ってふうに何となく思ってたから、さっきのそのピアサポート的なところ、「トイレのやり方こうだよ」っていうのはけっこう新鮮で。なんかもっとこう利用者に対して教育してってるのかなって思ってたんですよ。そうでもなかったですか?

小泉:そのとき杉江さんのときになんか、なんかで、「見えへんから」っていう話で、「鏡をつけたらどうや」とかいう話とかもした覚えがある。

長谷川:ちょこちょこなんか、杉江さんには響かなかったというか、まあね、響かなかったけど、その周りにいる介助者というか私たちは、岡本さんもいたからかわかんないけど、そう、JCとつながりができて、相談はしてたんですよね。その、いろんなとこで会ってたから。そのとき、だから琢さんもそのぐらいに会ってるのかな? そのときぐらいに、だけどかりん燈とかもあったじゃない? あって、あのときぐらい、でも、なんか利用者のことを、杉江さんのことを言うときって、ほぼほぼ悪口に近いことしかないんですよ。

小泉:ああ、まあしんどかったんかな。そう思います。

長谷川:そう、そう。で、そういう話をすると、「そういう話はしちゃいけない」っていうか、っていうのも言われたのは覚えてる。JC、うん。だからなんかすごい難しかった。何て言ってわからへんけど。

桐原:けっこうその、本人いないところで介助者で話すると、それ一つが権力になるじゃないですか。「利用者対介助者」みたいなそういう図式を促進させて分断につながるから、「極力そういうのはやめてね」ってことは、どこのCILでもみんなだいたい言ってるはずなんだけども。杉江さんの場合って、あの同じ空間にいて、すでに杉江さんとヘルパー分断しちゃってるんですよね。だからもう「いないところで言う」って感じになっちゃってて。それは、「なんでそういうふうになるんかな」っていうと、たぶん関係性の作り方とかのところが、もうすでにALSの体抱えながら関係性を作ると、難しい問題がものすごくたくさんあるんだなってのは、すごい痛感しました。「自分のやってる運動の理屈だけでは、この人たちは捉えられないな」ってのは、すごい僕も強く感じました。[00:44:50]

長谷川:高橋さんが、初めそうやって小泉さんがわーって回って…、ないけど、杉江さんに厳しいこと言って、もう何となくあの時点で、「あ、JCILはもう入らないんだろうな」って思ってたんですよ。関わるっていうか、杉江さんのところに、個々の相談はしたとしても杉江さん自身には何となくいかないんだろうなって思ってたところに高橋さんが入ってきたんだけど。あれはたぶんこっち側も含めて、その介助者が少なかったから、堀田さんとかがいろいろ動いてくれて、高橋さん***(00:45:22)とか、ってだと思うんですけど。そのときの派遣をよしとしたのは、なんか、何で? 派遣してもらえると思ってなかったから。

小泉:まあでもぶっちゃけ、やっぱり高橋くんが「僕は行きたい」って言わはったから。いろいろあった(00:45:43)けど。切られましたやん、何回か。2回か3回ぐらい切られて、「もう行かなくていい」って言うたんやけど、それでも「いや、もう1回チャンスをもらいたい」っていうのが、もう3回か4回あったかな。なんか私のスタイルとしては、やっぱり、杉江さんやから、だれだれやから(00:46:15)とかいう、「ALSやから」とかいう考えがなくて、なんや「何とかして」って言われたら、その人のところに行く(00:46:27)っていう、このスタイルになるねえ。

長谷川:ああ、それはわかります。

小泉:たぶん、せやったと思う。

長谷川:ええ、それはわかります、すごく。

小泉:うん。だから「杉江さんだから、高橋くん行って」って言うたわけでもなく、

長谷川:うんうん。ふーん。なんか見方が変わりましたね。もう、その、高橋さんが実際にALSの介助に入って、まあ杉江さんに切られていくじゃないですか。でもそれはほかのところでもあることだから、さほどその「ALSだから」っていう枠では見なかったですか? それともなんかやっぱり「これはちょっと難しいな」と思いました?

小泉:そりゃ「難しいわ」と思ったわ。思ったんやけどね、話し合いしてどうにかなるもんでもなさそうやし(00:47:14)、どうしたもんかなとずっと悩んではいた。難しい。

桐原:けっこうココペリなんかは「来るな」って杉江さんに言われても、なんかヘルパー寄こしてたみたいですよね。杉江さんがヘルパーに「もう来ないでください」と言うじゃないですか。するとあの、だけどココペリはそれでもなんかヘルパーをやってたみたいですね。

小泉:そこで潰れていく(00:47:46)人もいたんや。

長谷川:いました。いっぱいいました。

小泉:帰山さんとかもそやったと思うけど(00:47:51)
 [ユさんに向かって]***(00:47:57)、

ユ:いえ、大丈夫です。

小泉:どうしよ、ごめん。

長谷川:いや、どうなんかなと。いやあの、けっこう杉江さんのところにも、まあこれはどこの問題でもあんのかALSだからかわからないけど、けっこう切るじゃないですか、すぐ。すぐ、「もう嫌だ」って。で、その理由ってわかんないんですよ。何でそれが切られているのか、何で自分は嫌われて「来るな」って言われているのかがわかんないから。で、それを探そうとすると、具体的に「ああですか、こうですか」って言うじゃないですか。でも「いや、違う、違う」。たとえばじゃあ「そうだ」って言われても、それをしたとしてもそれが受け入れられなくて、なんかちょっと違うくなるみたいな。やっぱ相性の問題なのかなって思うけれども、そこに人を派遣しなかったら、その人は一人になっちゃうから、ココペリなんかは本人がすごく嫌な思いをして、本人も嫌な思いをして介助者だってしんどい思いをしてるけど、「その介助者がいなくなったら大変だ」っていう本人を取れば、やっぱり入(い)れるわけじゃない? そしたら介助者は病んでいくし、少なくなっていくよね。あれはどっちを取るべきなのかがさっぱり、やっぱりあんときはわからなくて。小泉さんはどうでした? そのところ。まあ高橋さん入らなくなったら、そこが穴あくわけじゃないですか。そしたらココペリが入れるのかわかんないけど、まあ入(い)れなかったら一人じゃないですか。そういう、で結局、だから最終もめたのは、杉江さんの、まああんときは「自己決定」っていう感じで、「杉江さんそんなことするんだったら、みんな入(はい)れないから、もう病院に入院して生活立て直すしかないよ」っていう話があって、まあ実際立て直すための入院みたいなのをするんだけども、

桐原:(笑) すごいな。

長谷川:まあそういうふうになるじゃない? そういうのってどう考えてたんですか? あんとき。[00:49:45]

小泉:どう考えてた? うーん。どう考えてたんやったんやろな。いや、でも、たぶん日本の中でも(00:50:04)数少ない家やったと思うわ。たぶんもう***(00:50:12)(これまでは)病院で亡くなっていってはった人。みんなそうやったと思うんよ、その時代は。10年前はね、ALSのかたが独居で、一人で、初めてやから、まあわからんことだらけのなかでやってて、私もわかりませんでした、どうしたらいいのかっていうのは。私の立ち位置で言えば、「杉江さんがこっちを向いてくれなければスタートができません」やったん。向いてないなかでは、無理や。

長谷川:杉江さんとは何回か話をしたんですか?

小泉:何回かはしてると思う。だってシンポジウムに出そうと思ったんや。結局、嫌やって言って出えへんかったんやけど。何年前やったかな? 西田(美紀)とか(00:51:19)。あなた、いたっけ?

長谷川:うーん、ユさんはいないと思う。

ユ:私はほんとに最近、

小泉:最近なの、ああそうか(00:51:32)。うん、ね。答はないんですよ。ほんまに。ほんまにわからない。ただ最近はね、当事者運動のなかで私は今までは介助者に「対象者としての見方はやめてください」って言うてきたんですよ。だけど最近はこの部分がなかったら、(介助者が)もたへんのちゃうか(00:52:15)と思ってて。たとえば(00:52:18)ALSの人はほら、脳のなんかあの、

長谷川:うんうん、前頭葉のね、

小泉:そうそう。そういうことを聞けば、その「病気がもたらしているなんか(の症状)」(00:52:30)やと思って、介助者は直接自分不安からよけられる(00:52:38)というか、それがなければ(00:52:45)なんか、「対等ですよ」って言われても、痛い(00:52:53)だけや。だからここはあの運動の人間も考えんとあかんかったんやな、って最近は思ったりしてる。このバランスも難しくて、あまりにも対象者で、お客さんとして見られても、そこもつらいし。

長谷川:杉江さんとは話をして、そういうなんか、変わりましたか? ちょっと私も、脳性まひの人の生活でたとえばそうやって切っていく人がいるかがわからないけど、同じたとえば状況があったとしたら、脳性まひの人が介助者切ってもなんかその時間やり過ごせるんだったら、それはそれで来なくなったら、「うーん」ってなるけれども、まあやり過ごせるんだったら「それはいいじゃない」と。でもやっぱそうじゃない、まあALSの人もそうだけど、医療的なものがあったりとかっていう人って一人にさせられないじゃないですか。だけど、かと言ってそこにずっと派遣し続けて、人が苦しんでいくのもなんじゃないですか。私から見たら杉江さんって、私やっぱり健常者だから、なんかもっと杉江さんに「我慢してほしいな」とか、「何でそんなこと言うんだろうな」とか、いろいろ思ったことは思ったんだと思うんですよ、あのときに。当事者から見たら、その杉江さんというかその人たちっていうのは違う見え方してたのかな?と思って。

小泉:まああの、わかってもらえなさがあるんやろな、とは思た。あの、このしんどさをうまく説明できないしんどさがある(00:54:38)。言語障害も、ほんまにもっと重度な人は言葉が短いんです。短いなかでしゃべってきた【ことが】(00:54:55)なんかずれていって、ずれていくんやけども、「ずれていってるよ」という説明もなかなかこうわかってもらえなくて、あきらめて、また言われて、あきらめての繰り返しで、たぶんああいうとこになっていくんやろなとは思ったけど、そこをどうやって補えばよかったのかはわからへん。[00:55:36]

長谷川:周りの介助者に対してなんか思ったことある? 支援者とかに対して、杉江さんと接してる介助者とか支援者に対して、「ああ、これ杉江さんに対して失礼じゃないか」とか、まあ当事者的な視線で見れば、

小泉:あるわ。私が最初に行ったとき、たまたま田中先生が来てはって、私田中さんに「その言い方、失礼です!」って言うたことあるけど。なんか医者独特の口調ってあるやん。あんたはこの人はいくつかはわかってるのか、みたいな感じ。偉そうに(00:56:11)言うたけどな。なんか周り若い子らに、なんか「わかってんのか」って言われてる杉江さんはちょっと、気の毒にも見えたん。だって、40、50のおっさんやのにな、20やそこらの子にね、「こうしたらええで」「なんで杉江さんはやらへん(00:56:49)の」って言われてるしんどさはわかるな(00:56:55)。でもみんなが一生懸命やからね、あの介助者の人らも。

桐原:あの、全然杉江さんからちょっと脱線するんだけども、もっかい杉江さんに戻すけども、あの、全然違う患者さん、違う人、違うALSの人のカンファレンスで、そのALSの人がなんか「呼吸器つけない」みたいなことを言った、そういうカンファレンスがあったって聞いてて、そこに高橋さんが参加してたんかな? JCILのメンバーが参加してて、「いやいや」と、「呼吸器つけないっていうのはどうなんか」ということを、カンファレンスの場でけっこうクリアに意見を言ったってことがあったらしいん。で僕ら、障害者運動ってやっぱり「生きていてなんぼ」というか、生きるための運動じゃないですか。なので、生きるために介護も、介護保障もあるわけだし、全部作ってきたわけだから、そこでなんか「呼吸器つけない」っていうことに対する反発心ってけっこうあったような気がするんですけども。そういうのってのは小泉さん、どんな感じで捉えられてましたか?

小泉:そういう場面は、なので、(00:58:22)1か所じゃない、何か所もあって、今もあるんやけども、この呼吸器つけないことを選んだ理由が大事やと思ってて。なんで「つけない」って言わんとあかんかっていう、そこを見ずに、「つけません」って言うたときに、「ああそうですか」って周りが動くっていうのは違うと思ってて。かと言って、「つけないととあかんで」っていう話もまた違いますね。高橋くんはどういうふうに、どんなふうに言うたか、ちょっとわからんけど、運動をやってるから言わんとあかんっていう話ではないとは思う。

長谷川:高橋さんが言ったのは、あの、こじまさんって言う患者さん覚えてますか? あのこじまさんのときは奥さんがね、まあ高齢で、もう家族介護も難しいっていう話で、まあ「迷惑かけたくない」っていうことで、自分も「つけない」って言ってたん、まあ【建前的には】言ってたんだけど、ほんとはつけたかった人なのね。[00:59:44]

小泉:で、つけへんかったんやね。

長谷川:そう、で、亡くなってしまったんですよ、すぐに。つけずに亡くなったっていうよりは、手術して亡くなっちゃった。

桐原:本人がつけたいか、つけなくないかみたいなんで揺れるのはしょうがないとしても、周りがわりと「つけない」ってことで「あ、じゃあつけないでオッケーです」って言って、つける方向についての試行錯誤自体もあんまりしないケースっていうのはけっこう散見されるような印象があるんだけども。そこに目がけてば、やっぱり周りを説得するって本人に話を聞いていくっていうふうにするしかないっていうことですよね。杉江さんの話に戻す?

長谷川:うん。呼吸器の話から? うん。杉江さん、それで高橋さん入って、いろいろ問題あって。その頃、増田さんはその頃ぐらいからですか? 増田さんに入ったのも、別に端からヘルプあったからっていうことですか? 増田さんから。

小泉:増田さんにはなんで入ったんやろ(01:01:03)、誰かの紹介やったんかな。

長谷川:岡本さんかもしれないですけど。

小泉:と思うわ。

長谷川:増田さんも結局、段原さんとかが、

桐原:支給決定の交渉とかもなんか、

長谷川:あ、それ小泉さんがやった。

桐原:ああ、小泉さんがやったって、僕は増田さんから聞いてる。

長谷川:増田さんの重度訪問介護の支給決定の、

小泉:ああ、一緒にやったね(01:01:26)。そうそうそう、ああ、そうです、あのね、京都市の、あのときはこれ、課長さんに家まで来てもらって、ね、「介助の現場を見なさいよ」って言って。

桐原:(笑)

小泉:あったあった。その流れやねぇ。たぶん(01:01:46)。自薦でいくって言うてね、最初。自薦でいってはったと思うなぁ。それ私はぶっちゃけ言うと(01:02:03)自薦はあんまり賛成派ではない。

長谷川:あ、そうなんだ。それはなんで?

小泉:まあ、これはCILとして言うてええかどうかはわからんのやけど、限界があるとは思ってるね。働く場ができて、おんなじ人ばっかりに行くっていうのは。しんどさ、というか。(01:02:21)、

長谷川:ああ、本人がというか、働く側がその人ばっかりに行くっていうことに限界がある?

小泉:うん。(01:02:38)(介助者が)そんなにもいないなかで回さなあかんやろし、***(01:02:44)プレッシャーがあるなかで、自薦だけっていうのはちょっと、よっぽど本人が(01:02:57)能力の高い人でなければ難しいやろなぁ(01:03:01)。

長谷川:ああ、「自薦だけ」は。自薦自体に対してはまあまあ良しとしたとしても、自薦だけで行くってことがしんどいってこと?

小泉:じゃないかとは。あると思う(01:03:14)。社会保障がどうなってるのかわからんけど、でも***(01:03:25)自薦***(01:03:29)、

長谷川:じゃ、今、あの、増田さんとこちょっと入らへん***(01:03:34)

ユ:(笑)

長谷川:自薦で、じゃあ、何て言うの、段原さんとかがずっと入り続けてるじゃないですか? あれ、ああいうのはどう捉えてる感じですか?

小泉:ああ、あれはだって(01:03:58)週に1回とか2回ぐらいだから(01:04:01)、

長谷川:ああ、そういうことね。同じところに週に1回とか入ったりとかするのはあれだけど、ずーっとその人しか入らないということがしんどいってことですか?

小泉:うん。ずっと、ずっとその人だけっていうのは、きついやろなと。関係性壊れたら終わりやし。「明日もあの顔見なあかんのか」みたいな話になってくると思うねん。

長谷川:うんうん。なんか増田さんとか、まあ増田さんと杉江さんって違う気がするけど、ああいう人って障害者運動的に見たらけっこう異端っていうか、外れたところにいるじゃないですか。そういう、まあ同性介助でも***【もちろんないし】(01:04:49)、かと言ってなんかこう、じゃあ、脳性まひの人でもそんなにおお…、みんな完璧じゃないと思うけど、じゃあ自分のしたいこととか、してほしいこととかちゃんと指示できるわけでもないし、増田さんのとこなんてきっと智子さんみたいな人がいなかったら回らないじゃない? 杉江さんとこだってまあそういう意味では西田さんとかそういう人たちがいなかったら回らない部分もちろんあって、それってなんかちょっと今までの運動からすると、ちょっと外れてるというか、じゃないですか。そういう人たちっていうか、小泉さんがまあ運動としてというか、見たときに、そういう人たちってどうだ、ってのは。またなんか知的障害とは違うと思うんですよ、ちょっと。[01:05:37]

小泉:うん、だってそれはしゃあないな、っていう部分はある。だって50歳までは健常者でいてやで、「いきなり重度障害者になりました」って、それは、「はい、指示しなさい」って言われたら、それは無理やろなとは思ってはいる。

長谷川:え、そういう人たちが、ほんとに最初に言ったように自分たちが作り上げてきた制度みたいなものを使うときって、けっこうずれが出てくるじゃないですか。

小泉:うん、かなりずれてる(01:06:07)ね。

長谷川:そこらへんはどういうふうに見てますか?

小泉:私の中で(01:06:14)は、その、健常者のときの生き方が出てくるやろなと思ってて。健常者のときに障害者がいたかどうかも大きいやろうとは思う、周りにね。で、「まったくあれは別もんや」と思ってた人が、自分が別もんの立場になるから、まあしんどいよね。自分がどう見てたかが返ってくるわけやから、そこはつらいやろなとは思うんやけどね。どう見てるか(01:06:58)。あの、障害者のなかで中途障害者はやっぱり違うっていうか、考え方が違うやろってイメージは持ってて、それで向こうも「あんたらとは違う」って思ってる。本当に違うんかどうかっていう。ほんなふうな(01:07:35)見方をしていいのかどうか、私のなかでもわからん。やっぱりおんなじ制度を使うわけやから。まあどっちの現場でも今まで(01:07:53)経験してきたことが出てしまう (01:07:56)。健常者のうちに大事にしていきましょうという話やねぇ(01:08:07)。答はないんですよ、私も。おんなじALSのなかでもすごい恵まれてる環境にいる人もおるやろし。

長谷川:この支援費とか全身性のときとかって、まあ言ったら利用者というか、まあ支えていた人たちっていうのは脳性まひの人たちが多かったじゃないですか。そこからまあALSの人たちが入ってきたときに、なんか違いというか、「あ、これはなんか考えさせられたな」とか、「これはちょっと違うんじゃないかな」とか思ったことってありますか?

小泉:せやから全然違うと思た。言葉が響かない。***(01:08:53)。なんかあの、自分らでやるっていう感じがないんですよね、たぶん。「やってよ」っていう感じなんかなとは思うんよね。どうなん?

長谷川:いや、平らな、ほんとに言葉だけで言うと、ほんと「利用者」なんでしょうね。まあ言ったら、

小泉:ああ、そういうこと。うん、うん。

長谷川:そういうことですよね。

小泉:そういうことやと思う。

長谷川:なんかそういう人たちを支えるっていうか、その自分たちが作ってきた、一所懸命作り上げてきた制度を使わせていくというか、まあ提供していくというか、そこを支えていくって言ったときに、「ここは自分たちも考えを変えなきゃいけないな」とか、あるいは「この人たちに、その使ってく人たちにきちんと伝えなきゃいけないな」と思うところとか、ありますか? [01:10:01]

小泉:まあ、まあこんなことも、この制度ができてきた過程ぐらいは知っといてもらえたらありがたいな、とは思うよね。まったく制度のない中で(01:10:19)青い芝の人らががんばってきて。ねえ。脳性まひがんばったんですよ。なのに、脳性まひががんばったのに、いきなり能力がある人がかっこよく見えて(01:10:37)、なんか「脳性まひはあかんな」って言われたり***(01:10:45) (01:10:49)脳性まひって言語障害(01:10:51)があって、なんか見た目も(01:10:54)変やし、教育もあんまり受けてこれなかった(01:10:59)人も多いし。そんななかで、頸損とか、中途障害者でもしゃべれる障害者とか、ばあっと出てきて(01:11:19)。なのでALSの人とかも歴史的な部分はわかってほしいところがある(01:11:25)。

長谷川:介助者に対してもですか?

小泉:介助者。

長谷川:けっこうね、あの、もちろん重度訪問介護っていう研修があるじゃないですか、今は。あれも研修反対したりとか何とかいう歴史があるけれども、まあ今2日間座学でやるじゃないですか。で、まあ最後は利用者宅でって話だけど、まあ2日間の中で教えられることってまあ限られてるじゃないですか。で、やっぱりなんかこう、そんなに伝わらないというか。まあもちろんそれをね、小泉さんとかやってきた人たちが話すのと、そうじゃない人たちが話すのとでは全然、たぶん温度も違うしさ、内容も違うだろうしさ、って思うんだけど。でもやっぱり増田さんのところに入る人たちなら増田さんとこに入る人たちも含めてだけど、なんかさ、そんな今みたいな歴史っていうのを色濃く知る機会ってないじゃない? まあ単純に、入るための資格というか、と思って取って、入ってく中でまあ技術を習得していくわけじゃないですか。で、そうすると何が重要かって、おそらくその、当事者の人、そのまあ自分、ケアを受ける人ですよね、ケアを受ける人たちの考え方っていうのが要は介助者に渡っていくわけでしょ? どうせ研修なんかはそんな渡らないわけだから。だったらその、増田さんとかALSの人たちが使うときには、きちんとそういう歴史みたいなものを知っといてもらわなかったら、そんなにその、制度の乖離って解消されないですよね、たぶんね。なんかそんな気が、今話(はなし)して思った。

小泉:はい。そうだと思う。

長谷川:うん。なんか、そういうピアサポートっていう文脈は今もなお変わらないんでしょ?

小泉:変わらない。

長谷川:その中では当事者に対しては、たとえば病院から出てくるとき、今の若い子たちだってわかんないわけじゃないですか。その筋ジスなら筋ジスの人で、20代30代の人たちっていうのは、別に自分たちは、差別的な経験はあるだろうけれども、制度がどう成り立ってきたかって、全然時代が違うから、経験も違うじゃないですか。その歴史みたいなものはどっかで教えてるんですか? JCの人たちに。

小泉:教えてはいないけど、まあ一緒の場所にいるから、何となくは雰囲気的にはわかってきてはいると思うし。かと言ってあの、私もべつに苦労してよかったとは思ってないし、苦労はべつにしなくてよければしなくていいとは思ってて。でもまあ歴史的なことは、一緒にいるからやっぱそれなりには伝わってはいると思ってて。若い子も今ようがんばっててね、ピアサポートは完璧にやってはるわ、あの子らが、岡山さんとか大藪くんとか。ようやってるわ、ほんまにようやってる。Zoom(ズーム)とかオンラインの中でやり取りができるので、そこは(01:15:10)。けどまぁ脳性まひやな、難しいのは。脳性麻痺、数が減ってるね、最近。[01:15:19]

長谷川:減ってる?

小泉:減ってる。あの、医学がたぶん良くなって、お産が良くなってるんやと思うねん。最近はお腹切るしなぁ(01:15:33)。まあ難産で脳性まひっていうのはけっこう多かったし。それで何やったっけ? 話。質問と答がかみあってないね(01:15:50)、ごめん。

長谷川:いやいや、いい、いい。

小泉:大丈夫?

長谷川:大丈夫。

小泉:えーと、うーん、でもこれ20年見てきて、介助現場も変わってきてるから、「昔はこうやった」っていうが大事やけど、そればっかりでも…、変化してるものがあるから。私これね、あのね、最近他事業所さんとけっこう会うことが増えてきてて。前はあの、重度訪問介護ってあんまりほかやってないところが多かって、自立し(01:16:37)てきたらJCILだけがもってる(01:16:39)、とかいうのが多かったけど、最近はほとんどの事業所が重度訪問介護をやりだしたし、けっこう集まってくるんです(01:16:48)、事業所が。で、他事業所どうなんかな、と思ったけど、すごいちゃんとしてる。逆に言えば、JCILももうちょっとこれはちゃんとせなあかん。

長谷川:どこらへんがですか?

小泉:そこは、他事業所さんはサービスの部分が強くはなってるんだろう(01:17:10)と思うわ。「笑顔で」(01:17:14)とか、言われたことはちゃんと聞くとか。

長谷川:ああ、なるほどね。

小泉:うん、でも、その方が心地よいと思っている。ちょっとサービス的な(01:17:31)ところが入った方が当事者は心地よい。と思えてきて、最近。JCはまあ、「本人が言われたら動きます」っていうのが、そういうスタイルで(01:17:46)きたけど、そういうのも最近はあかんのやなと思ってきた。ちょっとちょっとサービス的な部分がなけんと(01:17:57)、やっていけないなっていうふうには思う。その方がうまくいってるし。

長谷川:20年やってきて一番変わったとこって、そこらですか?

小泉:そこは大きいね。

長谷川:やっぱり「本人の言うことを」というか、まあ基本的には一緒やと思うんです、見守りとか「空気になれ」とかそういう話はまあ一緒だとしても、指示されたことだけじゃなくて、っていうとこですよね?

小泉:そうそうそう。その方が居心地がいいなと(01:18:33)思うわ。ずーっとこうやって待機してるんでなくて、なにかしてあげようか、みたいな一言があるのとないのとでは (01:18:43)違うなと思う(01:18:47)わ。

長谷川:だって昔は、昔はって言うか前は、ALSの人たちとかはそういう指示ができないから、むしろこっち側が言って、ってことの方をしなかったら動かない部分があって、それがジレンマというか、どうなの?っていう時代があり。でもそれがだんだん普及してきたことによって、なんかサービス的な色というか、

小泉:そうそうそう。

長谷川:が増えてきて、利用者もそれに慣れてくるというか。だから言われてちょっとこう動いてもらった方がいいみたいな、

小泉:そう思います、うん。

長谷川:うーん。なんかそれはけっこう、それはそれでジレンマ的なとこは、

小泉:でもあの、それは、ラクに過ごせるんやったらな、まあいいかなと最近は思ってはきてて。ただ、そのサービス、買ってしまうとこれまた違うよね。まぁ。真ん中行けたらいいなとは思うけど。あとはあの、福祉系の学校を出た人とは、重訪だけで来た人との違いがやっぱ大きくて、そこはなんか「どっちがいい」じゃない、真ん中を行けたら一番いいとは思うけど。[01:20:09]

長谷川:真ん中ね。小泉さんがまあJCでこういう活動やってきて、その20年経った今もというか、大事にしてるっていうか変わらずに、逆にこれは変わらない方がいいと思うことって何かありますか?

小泉:うーん、「何とかしたい」と思う気持ちかな。みんながそう思えたらいい、って。***(01:20:37)、

長谷川:けっこう小泉さんは柔軟性があるよね。なんか柔軟性が、小泉さんはある気がするな。

小泉:ようわからんけどね。

長谷川:なんかけっこう周りのほら、人たち、障害持ってる人たちって、「これだけは変えない!」とかってなんかやっぱりあるじゃないですか、権利も含めてね。でも一方でやっぱりこう、事業所とかやってる、こうCILやってる人たちって、時代に合わせてやっぱり利用者のニーズってものも取っていかなければいけない側面もあるから、まあ変わっていかなきゃいけない部分もあり、みたいな。なんか難しそうだなあと思って見てるんですけど。私はけっこうJCILは昔と違って変わってきたなあっていうふうに、なんか思うとこがいろいろあって。なんかやっぱそれは、やっぱ広がってきましたよね、その障害の、たぶんこう支援する対象というか、

小泉:はい。

長谷川:ね。ALSもそうだろうし、知的障害にも力入れてっていう。そういう中では変えざるをえないところがきっとあって、おそらくその自己決定だとかそういう部分もそうですよね。

小泉:うん。

長谷川:で、それがたぶんあのALSの時代、ALSの時代じゃない杉江さんとかの時代って、そういう過渡期だったんだろうなと、

小泉:ああ、そうかもしれませんね。

長谷川:なんかやっぱまだあの時って、今言ってたようなその「本人の言ってること」みたいな本人の意識も大事だったし、周りが本人の意識をまあ育てるわけじゃないけど、尊重するみたいなところもすごく重要だったけれども、今は「それだけ」ってやると、いろんな障害に対応できないというか。でもそれがたぶんその前頭葉のとことかも関わってくると思うんだけど、だから「知的はこういう障害ですよ」ってある程度障害理解みたいなことが、昔はそれをされるとマイナスになってたところが、今はそれをしないと本人がしんどくなったり、周りもしんどくなって、その支援自体がうまくいかないというか。チームワークみたいなものとか、やる人たちも増えてきたからね。たぶん事業所も増えてきただろうし。昔ならたぶんJCならJCしか入ってなかったところにね、いろんな人が入ってきたから、そこの協調性というか、

小泉:うん。他の事業所を入(い)れるの、ものすごい抵抗があったけど、入ってもらったらよかったです。あの、勉強になる部分があって、「ああ、ここがJCIL足りてないんやな」っていうことは多々ある。

長谷川:今、医療との向き合い方というかはどうですか? やっぱ変わりましたか?

小泉:変わったっていうより、うーん。せやな、これあのね、医療っていうか、医療が入ると管理が強くなって。で、もともとの障害者運動では「管理されたくない」っていうスタイルで(01:23:58)、そこの格闘がけっこう各現場でも(01:24:03)あって、介助者が(01:24:07)(当事者と医療者の)間に入って困る、というような傾向がある部分はある。朝から医療者から怒られたとか、「またJCILの介助者か!」って言われたりとか。でもただ、食べたいものを食べれない状況になってきてしまったんやっていう理解を、まあ周りも本人もしてもらうことは大事かな。

長谷川:うんうん。そうですね。なんかけっこうそれは永遠の課題っていうか、ALSの人でも、

小泉:そうそう、課題ですよ、ほんま。[01:24:55]

長谷川:ほんとにその、それって究極まあ本人の、本人のっていうか、なんかこう楽な方を取れば楽な場合ってあるじゃないですか。まあ食事にしたって、たとえば飲み込みがもうしんどくなったときに食べさせてたら、それ、たとえば詰まったら、介助者の責任とかになるじゃない? そういうところの線引きっていうか、それでも「本人が食べたいのわかる」ってやるその介助者と、そうじゃないところをどう取るかとか。トイレ介助ひとつにしても、ね、もうそのベッド上でやってもらった方が楽だし、みんな負担かからなくて、本人も負担かからないはずだけど、みたいな、そういう。でも「トイレでしたい」っていう気持ちみたいなところを。なんかそれが、前のたぶんその支援費だとかそういうあたりのときだったら、きっとそのピアサポのレベルで話し合って、「こうしたら、ああしたら」っていうので、何となくこう丸くというかいけたようなところもあっただろうけど、今はいろんな人が関わるから、責任みたいなところも含めて厳しくなってるから、統一しなきゃいけなくなっちゃって、っていうところありますよね?

小泉:うん。あります。

長谷川:なんかお互いにこうゆるくいけなくなったというところ、何となくあるなと思って。

小泉:あるある。ね、なんかやっぱりね、事業所の責任になっていくし。そこは事業所も怖いやんか、「なんか起きたらどうしよう」とかいう。***(01:26:28)管理を強化せなあかんのんちゃうかとか(01:26:35)思ったり、でも、本人はこう言うてるし、とか。(01:26:39)その間でヘルパーは大変な思いをしてると思います。

長谷川:うーん、なんか、難しいですね。

小泉:難しい。うん。自立生活してるの(01:26:54)が一番難しい。家族がいると(01:26:57)責任をちょっと持ってもらえる状況やと思う(01:27:03)。単独やと(01:27:08)全部事業所の責任、ヘルパーの責任になってくるから、そこらへんの難しさは大きい。

長谷川:うんうん。なんか、小泉さんはもっとだと思う。なんかその、当事者じゃない人が管理者だとかとすると、それはもちろんまあ悩みはするけれども、なんかこう判断的には「本人の気持ちはわかりつつも」みたいなところで、でもまあヘルパーのほう、やっぱり健常者やったらそう取るから、

小泉:ああ、そうかそうかそうか。

長谷川:だけどやっぱ当事者だと、そこのつらさっていうのを引き受けながらの***(01:27:50)ね、

小泉:つらいです、つらかったです。そりゃ本人かて「あんた当事者やし、なんとかしてよ(01:27:55)」みたいなの、あるからねぇ(01:27:58)、

長谷川:そこはなんか、思ったりもしたけど。

小泉:うん、あります。けどまあこの悩みを抱えていくのが大事なんやなとは思っています。

長谷川:うん。えらいなー。

小泉:もう私もいい年で、もうね、56やし、今。

長谷川:ええ? うそ!

小泉:ほんま。だからもう、「もうぼちぼちこれ、世代交代やな」って。56やで、私。ちょっとどうする、これ?(01:28:34)、
長谷川:いやー、だけど、さみしい、さみしいっていうか、まあでも、その役割的なところで変わってはいくんでしょうね、きっとね。

小泉:うん、そう思います。もう、もうすでにやってはるし、あの、若い子ら。

長谷川:でもなんかこう、いろいろ移り変わりというか、まあ京都の中だけでもけっこうな移り変わりじゃないですか、ほんとに。だってもう自己決定とかほんとにそういうのが主流だった、やってるとこも少なくて、こじんまりと始めたことが、そこにALSみたいな医療みたいなの入ってきて、ちょっと自己決定だけじゃ立ちゆかない場面が出てき、介助者の立ち位置も変わってくる、ね。

小泉:うーん、そやねえ。

長谷川:そっからだんだんまあそれが進んで、みんな、ALSの人でもまあ地域移行みたいなことがけっこう主流にというかね、こういう界隈だけじゃなくて、みんながこう、なってきたなかで、どこまでその、脳性まひの人がんばってきたこの歴史を知ってんのかとか、全然ね、わかんないし。そういう人たちがやっていくところ、やっていく、まあそのやり方と、今までのこうやって踏襲しながらやってくやり方とでは、その都度ね、違うし。

小泉:ね。はい。

長谷川:勉強になります。でも難病が増えましたよね。[01:30:01]

小泉:増えたよね。

長谷川:増えましたよね、筋ジスも、難病、

小泉:それはあの (01:30:05)、増えたっていうか、わかってきたっていうか。それで、あれやで、わからしてきているのは(01:30:15)、(あなたたち)みんなやで。すごいと思うわ。

長谷川:いやいや、

小泉:いや、でもそうやんか。そやで。担ってるんや。(01:30:25)、

長谷川:いやいや。そりゃ私はペーペーというか、小泉さんのあれにずっとその、やっぱりけっこう衝撃的だった。杉江さんも衝撃的だったと思うけど、私もやっぱ小泉さんの「何で患者って言うの?」って言葉はけっこう衝撃的で、あれはほんとに。でも「忘れちゃいけないな」っていうのはすごい思っていて、ほんとに。

小泉:いや、今思えば、なんか失礼なこと言うたような気がする。

長谷川:いやいや、それがほんとに。いや、でも思うんですよ。けっこう当事者の人も、今、素直に自分の感情を出すっていうことが意外にできなさそうじゃん? で、出たときにはもう、それこそ関係が破綻するような感じになってしまうというか。なんかそういうのって、ある意味でさびしいじゃないですか。で、なんかその、やっぱりその中央が違うから。私たちやっぱり中途の、中途の人もそうだろうけど、私なんかもやっぱり健常でしか経験がないわけじゃないですか。で、いくらその、何て言うの、「差別されたんだ」っていうふうにいろんな人から聞くけど、それは想像はできたとしても実体験がないから、いくらでも、何て言うかな、こう書き換えて、その自分にいいように捉えて、そういうのってやっぱり差別者になりえる、やっぱりね、危険性はある、どちらかと言うとリスクが高いわけですよ。で、ずーっと私も、杉江さんとこでも言われたし、ずっと言われてきた、やっぱし健常者であることを全然考えてこなかったけど、その小泉さんから言われたこととか、JCILと関わって初めて自分がこう、自分の存在っていうか健常であることっていうのがなんかすっげー大変なんだなってことをやっぱ思い知らされたので。それがないとできないじゃないですか。ALSの人たちもそうだと思うんですよね。やっぱ自分たちの権利を主張していくっていったときに、医療者がなお相手だとしたら、すごい難しいじゃないですか。で私も、さっきの桐原さんの話じゃないけど、高橋さんが「呼吸器をつけた方がいいんじゃないか」ってカンファレンスで言う、っていうことって、実はごく自然に当たり前のことだとも思うんですよね。

小泉:そや(01:32:46)ね。

長谷川:うん。けど、それがやっぱり阻まれているし、「つけるかつけないかも含めて自己決定」っていうのが、なんか微妙やなって思ったりもして。なんかやっぱ決めてほしいことと決めてほしくないことってあるけど、なんか決めてもらった方が楽なところって、それに反発していくことが気持ちいいときもあるじゃないですか、楽なときというか。なんかね、なんかそれの、やっぱりこないだの林さんの事件でもそうだけど、やっぱり「呼吸器つける、つけない」とか含めてだけど、ああいうのが、たとえば「つけない」って初め…、病気になってから告知されて、「つけますか、つけませんか。あと何年ですよ」みたいなことを言われながら介助を受けるのと、そうじゃない、【な介助を受けるのとは】(01:33:29)全然違うでしょ。

小泉:なあー! なあー!

長谷川:で、介助者の意識とか考え方も全然違うと思うんですよね、やっぱりなんか。変な話、なんかゴール…、よく家族の人も言うじゃないですか、「ゴールがあると思ってやってるけど、ゴールがなかなか見えなくって、しんどくなる」みたいな。なんかそのゴールを、他人にやっぱり選定されてしまうっていうそのしんどさもあるだろうし、先が見えないもちろんしんどさもあるんだろうけど、なんかそこらへんが全然その、今まできちんと、ちゃんと「いや、私たちの声、聞いてよ」って一生懸命やってきた障害者運動が、なんかある意味で医療にないがしろにされてる気がして、すごいたまらないんですよね。

小泉:それはそうやと思う。うん。

長谷川:なんか、そこがちょっと悔しいなと思うところ。

小泉:ね、どしたらええやろね。

長谷川:どうしましょうかね。

ユ:(笑)

長谷川:いや、そりゃもう、小泉さんと一緒に活動しながらですよ。たぶんこれからまたいろんな人が来るから、難病の人が。そのさっき言ってた人もそうだし、一人ね、京丹後からまた来るんですよ。

小泉:ああ、そうですか。

長谷川:そういう、何だろな、私、当事者の人もやっぱりこう「素直であっていいんだ」っていうふうな、わがままじゃなくて素直であっていいんだってことをきちっとこう学ぶというか。学ぶってわけじゃないけど、なんかこう会話の中で、「ああ、それでいいんだ」みたいな思えるきっかけみたいなのの流れがすごいいいなと思ってて。今なんか、よく私わかんないけど、広域協会とかはオンラインでなんかこう、ピアカウンセリングですか、ああいうことしてるけど、あんまりなんか、こういうこと言うのあれだけど、やっぱり響かない気がするんですね。[01:35:14]

小泉:そやねえ、難しい。全然違うわ、やっぱりこうやってしゃべんのと(01:35:21)は。全然違う。

長谷川:で、そんな、そんで大げさなことでもないというか、きっと。大げさに見えると構えるけど、きっと日常の生活の中で自分のやりたいこと言うとか、まあ人に気をつかうことも含めてだけど、当たり前のことじゃないですか。それはなんか、こういう関わりの中で気づいていくことだから、あえてなんかこうね、勉強するというか教えるっていうのもなんか馴染まないな、とか思ったりもしてるんだけど。なんかそういうのができればいいですね、そういうつながりがね。

小泉:ねえ、そう思います。ね。

長谷川:ほんとに。小泉さんにはきっとまた聞くと思いますけど。

小泉:いやまた。これ私、しゃべるのがほんまにへたで。しゃべるのへたで。ちょっとあの、私の本の話が出たけど、それどうやってやってきたかっていうのは、その、そんなに多くないんです(01:36:28)。本をちょっと読んでもらえると、

長谷川:オッケーです、読んで、

小泉:ごめんね。

長谷川:ううん、読んで、また聞きたいときは聞きます。

小泉:うんうん。そんなに多くないんです、私のパートは。はい。また読んでください。

長谷川:私も去年の林さんの事件だとか、マイクさんっていう、藤井さんっていうALSの人がね、亡くなったんですよ。

小泉:あ、宇多野病院の。あ、そうかそうか、ご苦労さまでした。

長谷川:いや、そういうのがあって、なんかちゃんとこう残しとかなきゃなんないなと思って。やっぱりいいとこは残したいじゃないですか。やってきたこととかね。で今、なんかもっとこうJCもだけど、みんなも今までの、これからのことも大事だけど、今までやってきたことっていうのが、「いや、ちゃんとやってきたんだぜ」ってちゃんと言っとかなきゃな、と思うじゃないですか(笑)。ね、今たぶん筋ジスプロジェクトとかできちゃうのも、ああいう経験があってのことだと思ったので、

小泉:そう、それはそうやと思いますわ。 (01:37:39)、

長谷川:でしょ? ほんとにそう。

小泉:あの、ちょっと話それるんやけど、ちょっとこれ関係ない、

長谷川:ああ、オッケー、オッケー、

小泉:いや、いや、いいと思う、べつに。立岩さんは、事業所を立ち上げはるんですか?

長谷川:そうです。

小泉:あ、そうなんや。

長谷川:立岩が会社をまず立ち上げたんです。しかも、

小泉:事業所やらはるんですか。

長谷川:そう、私社員なんです、そこの。***(1:38:08)の社員で。で、これやばいでしょ。みんなに言って、「やばくない?」 先生がずっと、まあちょっと、これ切りましょうか。

ユ:(笑)

[音声終了]

*作成:中井 良平
UP:20210816 REV:
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