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インタビュー@ 三戸教諭通勤問題と支援システム

中村 雅也×佐藤 幹夫 2021/01/04 オンラインインタビュー

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last update:20210503


■インタビュー@ 三戸教諭通勤問題と支援システム

話し手:中村 雅也
聞き手:佐藤 幹夫
日時:2021年1月4日(月) 16:00-18:00
場所:オンライン(zoom)
*本稿は月刊『教職課程』に連載の「教育≠ヘどこに届くのか」のために、佐藤幹夫さんが中村雅也にインタビューした取材メモに中村が加筆、修正したものです。


◆研究者の立場、当事者の立場

○佐藤:秋田県の車椅子の中学校教師、三戸学さんが、秋田県の人事委員会に訴えを起こし、20年の12月に決定が下されました。ご自身の、通勤の条件の整わない勤務校への人事異動の問題、交通費支給の自己負担が大きすぎるという問題、20年間希望しながら学級担任を一度も持たせてもらえないことなど、秋田県教育委員会を相手取っての提訴でした。結論は、すべて棄却されたのですが、この問題についての中村さんの感想をお聞かせください。

○中村:最初の三戸さんの問題について、障害のある教師が働くという問題は「障害教師論」という、研究者として取り組んでいるテーマです。もう一つの質問のほうですが、自分自身が障害のある教師として勤務してきた経験の中で、当事者として受けてきた思いがあります。その当事者としての思いが下地にあって、それをバックグラウンドとして研究に取り組んでいるということは確かなんですが、研究をしていく中で一つの大きなネックというか、課題になったものは、当事者性と研究者としての客観性が混同されて受け取られてしまい、ぼく自身は切り分けているつもりではあるのですが、受け取る人からすると、研究として提出しているものを個人的な感情に基づいたもののように受け取られたり、研究者の間でも、研究者としての立場から書かれていて、書かれてあることはデータとか、客観的なものであるにもかかわらず、当事者の感情の垂れ流しであると言われたりすることが、しばしばあるのです。
 今回の取材においても僕が何らかの発言をする。それを佐藤さんがまとめて公表するという作業の中で、二つのことをまとめてしまうことで、また混同されてしまうのではないかということを危惧しています。佐藤さんの物はブログで読んでいますし、見識も筆力もあって書き分けはされていることは重々承知なのですが、三戸さんの問題に研究者としての客観的な分析に基づいたコメントをしても、発言している中村という人間が障害をもつ人間として教員をしてきて、つらい思いや苦しい思いをたくさんしてきて、それにたいするルサンチマンを持っているし、三戸さんに対する共感も持っている。そういう立場の人間であるということが併記されてしまうと、研究者としての客観的な分析的側面を述べる意味がなくなってしまうという感じも持っています。両方お話しすることは可能なのですが、ぼくがどうとらえたかと聞かれると。研究者としての捉え方と、当事者としての捉え方は、やはり違うのです。だからどういうスタンスで答えようかなということが、最初に考えていることです。
 多分、研究者の立場からこの三戸さんが提示している問題にコメントできるのはぼくしかいないだろうと自負しています。でも当事者としてこの問題にコメントできる人は、現場で頑張っておられる先生はいるし、三戸さんと一緒に障害者の運動をしてきた人もたくさんいるわけで、むしろそちらの人のほうが適任だと僕は思います。そういう意味で、障害のある教員の問題について研究しているのは、日本で一番、知識と実績のあるのはぼくだと思っているので、そういう意味で、研究をしている人間としての発言であると受け取ってもらえるとありがたいです。

◆三戸さんが提起した課題

○中村:三戸さんの出された問題、訴えについて、本人からも聞いているし、訴状も読んできていますのである程度把握していますが、大きくいえば、自分が同意していないところへの転勤があり、そもそも転勤するとき通勤の方法が確立していないと、安心して勤めることができない。それを保証してから転勤させてほしいという交渉が長い間あったうえで転勤があったが、じつは通勤の手段が確立されていなかった、というのが一つ目の問題点ですね。そのなかで解決策としていまはタクシー通勤になっている、でもそれでも55,000円の通勤手当では収まらない通勤費になっていて、いまの状況が納得できるものではないという訴えになっている。だから大きく分ければ二つあって、ひとつは通勤手段が確保されていないのに転勤が行われた。その交渉の中で、もうひとつの問題として通勤費の問題が出てきている。その二つに分けて考えたほうがいいのかなとぼくは思っています。
 この問題は、従来の教員採用試験の受験資格のなかに、これまで文言として書かれてきたのが、自力通勤できることと、介助者なしで勤務が遂行できることというのが、ほぼすべての教育委員会の実施要項にこれまで書かれてきたわけです。それがやっと昨年度、募集要項の中から削除されました。その前に文科省がこの条項はいけないと言ったので、それを受けてのことです。そんな状況になったわけです。
 自力通勤できるということ自体、定義がはっきりしていないと思うのですが、じゃあ自力通勤ができない人がいたときにどうしようかということが考えられていなかった。それが三戸さんのケースによって、こういうケースが想定されるということが、課題が浮き彫りにされた、可視化されたという事なんだと思うのです。「自力通勤ができること」と抽象的に書かれていたことが、それを外すということがどういうことなのかが、三戸さんのケースによって具体的なかたちで浮き彫りになったわけです。個人的な問題としてではなく、障害のある教師一般に通じる問題として提起してくれたのが、今回の三戸さんのケースです。教育委員会の見解が正しいとか、三戸さんのほうが正しいとか、今回の人事委員会の裁定がとんでもないとか、個人的にはいろいろな感想はあるのですが、それを判定するデータも持っていませんし、法律的な知識も持っていないので、その点についての研究者としての言及はできません。
 付け加えて言うならば、教育委員会が理念に追い付いていない、先ほどの条項を外した時、そういう現状があるということだと思います。そういう意味では教育員会に対しては批判的です。
 これが全国の教育委員会に通じる問題かどうかということですが、これは町中と地方では具体的な状況が違うし、東京では違うし、秋田の問題が全国の問題に直結するかどうかはぼくにはわからないのですが、少なくともそういう障害のある先生の具体的な課題が上がってきて、それについての議論がなされている様子はまだどこにもない。三戸さんのケースで、秋田県という地方性とか、八郎潟の教育委員会の教育長や県の教育委員会や管理職の個別の事情が絡んで、こういう問題として噴出してきたのだと思いますが、そもそも障害のある先生の通勤という問題が抱えている大きな問題として、いわば悪い条件が整って、三戸さんのケースとして噴出してきた。そういう意味ではほかの都道府県では現れていない、でも潜在的には必ずあると思います。
 こうして一つのケースが現れると、この三戸さんのタクシー通勤というのは初めて現れたモデルだと思うので、よその都道府県でも今まではタクシー通勤には通勤手当は出せないんだと言っていたと思うので、そんなことはないんだということで、これはみんなが評価しているところだと思うのです。そういう秋田の判断が一つのモデルとなって、こういうことができるんだということが示されたことは、これがすべてではないにしても一つのモデルとして、全国的に影響を与えていくんだろうと思います。

◆障害教師の支援システム

○佐藤:三戸さんが提示する問題をどう一般化し、「障害のある先生」全体の問題へと開いていくことができるか。その点についてのお考えをお話しください。

○中村:いまの、ここからどういう提言を一般的な問題としていえるかというご質問ですが、ぼくは『障害教師論』のなかで、「障害者労働の業務支援理論」という章を割いていて、障害者の労働をどう支援したらいいのかというモデルを提案しているのですが、簡単に言ってしまえば次のような内容です。  一般的に、障害のある教員や公務員の方もそうなのですが、人的なサポートをつけるときに、同じ学校にいる先生がサポートしているケースが多いですね。TTという形で、数学だったら同じ数学の先生がサポートに入るとか、場合によっては非常勤の先生を連れてきてその人に採点のお手伝いをしてもらうとか、三戸先生にも人的サポートが一時ついていたことがありますが、障害のある先生を同僚の教員がサポートしている例がほとんどです。これにはいい点があって、数学であれば数学の先生にサポートしてもらったほうが、数学の力があるし、採点の要領も分かっているので都合がいい。
 そういういい面はあるのですが、一方で、今回の三戸さんのケースで現れたように、障害者のサポートは、数学の採点だけにはとどまらないですね。通勤、食事、三戸さんだったら洋服を着るときにもサポートを必要としますね。そういうものは同僚の先生でなくてもいいわけです。視覚障害の人でいえば、テストの採点は同僚ができるかもしれないけれども点訳の教科書を作ってくれと言っても、それはできないわけです。聴覚障害の先生の場合であれば、生徒たちの発言を手話で通訳してくれる先生は、もしかしたらいるかもしれないけれども、それだけでは専門的な英語のお手伝いはしてもらえないということもありうるわけです。
 三戸さんに戻ると、あそこで明らかになったことは、支援は教科指導だけにはとどまらないということ、「通勤の支援」という問題が出てきたということで、これは福祉業界の言葉でいうと「移動支援」ですね。「移動支援」の専門性のない、例えば教頭がやってしまうと、車に移乗させるのも下手だし、どういうふうに車に乗せれば快適かは分からないし、乗せ方によっては三戸さんがどれだけ怖い思いをするかは分からないわけです。身体に不自由のある方の介助は、それなりに慣れていないとできないですね。車椅子の操作にしても、本当は怖いけれど我慢しているだけで、本当はプロにやってもらいたいときもあるのです。そういうこともふくめ、支援には様々なものがあって、それにはある程度適格性が必要なのです。
 ぼくは四つに類型化したのですが、障害のある教師を支援するためには二つの要件がいるのです。一つは、教師であることとか、数学の教師であるというような意味での専門性。もう一つは、車いす使用の先生だったら、車いす使用についての専門性。全盲の教員であれば、移動のサポートをしたり点字の教科書をつくったりする専門性。聴覚障害の人であれば手話をしたり、パソコンの要約筆記ができるような専門性。これを「障害支援要件」と僕は名付けているのですが、障害者の労働を支援するためには、職業に関する専門性と障害に関する専門性の、二つの要件がいるのです。二つがあればうまくいくんだけれども、兼ね備えている人はほとんどいないわけですね。4つの類型というのは、教科についての専門性を持っている人による支援で充分な場合(職業要件)、障害についての専門性を持つ人による支援で充分な場合(障害支援要件)、両方を兼ねそなえている人による支援、特別な要件を必要としない一般の人的支援で充分な場合、この4つです。
 教科の専門性のある人には採点とか、板書とか、そういうものを任せればいい。車椅子を押したり、視覚障害の人の移動支援ができたり、教科の専門性がなくても、そういうことができる人に任せればいい。そういうことに慣れたヘルパーさんでもいいわけです。ガイドヘルパーとか、専門性のある人がいるわけですから、そういう人に任せればいい。数学教科書の点訳などは、数学の知識と点訳の知識の両方が必要です。洋服を着る手伝いをするとか、給食を運ぶとか、特に専門性を必要としない支援もある。でも、それがなければ障害者は生活ができないから、これはこれで必要な支援です。
 こういうふうに4つに分ければ、これをすべて同僚の先生にサポートしてもらうという今までの発想ではなく、今回の三戸さんのように、教科の支援は同僚にやってもらうにしても、通勤は福祉タクシーという移動支援の専門性のある人はいるわけだから、こういう人にやってもらう。必要な福祉タクシーは教育委員会が準備する。三戸さんの場合も、必要な支援を学校の中だけでやってしまうのではなく、社会には障害を支援する資源がたくさんあるので、そういう資源を総動員して障害のある先生を支援する。必要なものには教育委員会がお金を出して用意する。そういうことが必要だということですね。そういうことを「障害者労働の業務支援理論」で書いています。
 先ほどの佐藤さんの、今回の三戸さんの問題から何を一般化できるかという問いに戻ると、支援にもいろいろな内容があって、そのリソースが社会にはたくさんある、それを利用しないで学校の中だけでやろうとしたり、教頭にやってもらおうとしたり、そういう発想のままでは障害のある教員の支援はもうできない、そういうことが言えるんだろうと思います。この問題にも、分厚い人材の層があるところと、薄いところ、場合によっては全くなかったりするところもあります。これは学校の教員の問題だけではなく、もっと端的に表れているのは、障害者の自立生活ができるかできないかとか、高齢になっても一人で生活できるかとか、そういう地域のサービスの厚さがどれくらいかによって全然変わってきます。教育委員会が金を出すと言っても、それが使えるものは大きく違ってしまうという課題は残りますね。
 そこで障害者運動では、資源がなければそれを養成するという運動をするわけです。資源がなければそれを作っていく運動ですね。ひょっとしたら企業が少ない地方のほうが、働き手は余っているかもしれませんから、そうした人材をうまく取り込むとか、その潜在的なパワーはあるかもしれないですね。もちろんそのとき搾取するのではなく、十分な給料がもらえて、充実した仕事につながるということが前提です。安い給料で障害者の面倒を観させるという発想ではだめですよ。


佐藤幹夫 Sato Mikio
1953年秋田県生まれ。國學院大學文学部卒業。批評誌『飢餓陣営』主催。フリージャーナリスト。主な著書に『自閉症裁判−レッサーパンダ帽男の「罪」と「罰」』(朝日文庫)、『「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと』(洋泉社)、『評伝 島成郎』(筑摩書房)など。最新刊に『ルポ 闘う情状弁護へ−「知的・発達障害と更生支援」、その新しい潮流』(論創社)がある。



*作成:安田 智博
UP: 20210503 REV:
障害学生支援(障害者と高等教育・大学)  ◇障害者と教育  ◇全文掲載

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