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見形信子氏インタビュー・2

2020/12/12 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用

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見形 信子  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
◇文字起こし:ココペリ121 https://www.kokopelli121.com/

 ※記録を2つに分けました。
見形 信子 i2020a インタビュー 2020/12/13 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用
見形 信子 i2020b インタビュー 2020/12/13 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用(本頁)
 以下はインタビュー記録の後半です。


■1987〜

立岩:で、18、19、20となっていくわけじゃないですか。それがどんな…、結局病院出るのが何歳だった?

見形:28です。

立岩:そうすると約、高等部出てからまあ10年ですよね。その10年ってものはどんな感じだったんですか?

見形:うーん、ボランティア人のたちと出かけたり、あとはダスキン〔ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業〕で留学したり。

立岩:ダスキン、行った

見形:はい、行った。

立岩:へえー。いつ? 何年だか覚えてます?

見形:13期生。

立岩:13期生ね。今それちょっと集めてるんですよ。誰が何期生なのかみたいな(笑)〔→ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業〕。

見形:あ、そうなんですか。確か13期だと思います。まだ団体研修を、グループ研修をやってた時代なんで。AJUの今理事長、誰でしたっけ? 一番、

立岩:山田〔昭義〕さんではなくて?

見形:山田さん、山田さん。山田さんが団長だったときです。

立岩:(笑) ああ、山田団長のもと、どこ行ったんですか?

見形:アメリカです。

立岩:東? 西?

見形:ニューヨークとかサンフランシスコとかですね。

立岩:じゃあ東も西も行ったということか。

見形:あの、佐藤〔聡〕くんも一緒でした。

立岩:佐藤ってメインストリームの佐藤くん?

見形:はい、DPIの。

立岩:DPIの今、

見形:事務局長の。私と一緒に。

立岩:佐藤くんと同期?

見形:はい、同期です。

立岩:僕ね、佐藤さんにもインタビューしたんですよ、2年前ですけど※。佐藤さんそれで知り合いにはなったわけだ。なるほど。それが何年ぐらい? 13期って。まあ調べればこっちでわかるんですけど。

※佐藤 聡 i2018 インタビュー 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤真由美 於:東京・戸山サンライズ

見形:平成ですよね。うーんと、私が22、3ぐらいだと思います。

立岩:92、3年〔→たぶん1993年 cf.ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業〕ぐらいか。こっちでもちょっとそれは確認しますわ。それって結局応募したってことだよね。応募して、受かってってことだよね。その頃はわりと気持ち的には「出れたらいいな」っていうのはかなり明確にあったってことですか? [01:30:01]

見形:うーん、そうですね、でもそうでもなくて。私が応募したというより、応募…、なんか看護師さんが「あなた行ってみたら?」って言って、「これでも書いてみて」って言って、私が「じゃあおもしろそうだから書いてみる」っていう感じで、「もし行けたら楽しそう」って思って軽い気持ちで書いて、そしたら受かっちゃったっていう感じなんです。

立岩:そういう人いるよね。誰が書いたか、「自分が書いたんじゃない」とか、なんかそういう人の話も聞いたことあるな。じゃあ看護師さんが知ってたってことか。

見形:看護師さんが「あなた、ぜひやってみたらどう?」って言って、受け持ちの看護師さんが。で、その看護師さんと行ったんです。

立岩:あ、一緒に?

見形:はい。

立岩:へえー、そうか。で、行って、戻ってきた。でもそれからだってまだ5年ぐらいありますよね。それが92、3年だとすると、出るまで5年間。そのへんの5年間っていうものはどんな感じで、何を思い、何をして過ごされていたんですか?

見形:なんかそんときは「あなたはなぜ自立しない?」ってアメリカの当事者に言われて、「なぜいつまでも施設にいるの?」みたいな。で、私は「5年後には出ます」ってそのときに言って、その通りにまあだいたいなったんですけど、「まだ修行が足りない」って言ったと思うんです。だからもうちょっと明確に、ただ病院が嫌だから出るとかじゃなくて、目的意識を持ってちゃんと出たいって言ったような気がします。

立岩:ニューヨーク、サンフランシスコ、で戻ってきて、具体的に修行っていうか、5年間修行した(笑)。何をなさってた?

見形:うーん、修行、そんな大した修行は積めてないんですけど、でもその間に何してたかな? やっぱりILPとか、ピアカウンセリングも受けたり、当事者の、

立岩:それはどこが提供するプログラムだったりカウンセリングだったりしたんですか?

見形:えーと、ILPは虹の会がやってたんかな。村山美和さんって覚えてます?

立岩:名前っていうか、はい、覚えてるというか存じ上げていますけど。



見形:村山さんがやってたピアカウンセリングの、埼玉の一番最初のに私出てて、集中講座だったかな、そういうのに参加したり。あとは、なんか一生懸命病院を変える運動をがんばってた感じがします。「病院の中で変えるんだ」みたいな。なんか「仲間を残していけない」みたいにずっと思ってて。

立岩:ああ。「病院のことほっといて、自分だけ出るとかっていうのは嫌だ」というか、そういう感じですか? 「病院もどうせ残る人たちはいるわけだから、ちょっと良くしてから出たい」的な感じですかね。それは20代半ば、その時期「病院をなんとか」っていうのは、何か実りがあったというか、何をなさった?

見形:うーん、でもね、実りあるものはほとんどそんなにはなかったかも。ただ、できてたことは、みんなを旅行に連れて行くこととか、職員が一緒にですけど。あとボランティアを入れて、みんなでバス旅行に、呼吸器をつけてても連れて行くことができたりとか。そういう協力してくれる職員をまあ募ってっていうか、ドクターも協力してもらってそれを毎年やれるようにしたり。

立岩:そのイベントを企画するような仕事というか活動を、見形さん自身がなさってた。たとえば1つ2つ、「どこ行ったなあ」みたいなのってありますか? バス乗ってどこへ行ったんですか? たとえば。[01:35:11]


見形:馬頭温泉とか、栃木の。とか、あとどこだろうな。どこ行ったかな。ディズニーランドも行ったかなあ。なんか温泉が多かったですけど。なんか2、3か所行った記憶がある。

立岩:それは医者とか看護師っていうのは仕事の一部にはなるの?

見形:えーと、確か仕事にしてもらってたと思うな。

立岩:完全な持ち出しっていうかボランティアじゃなくて、一応仕事の一部で参加できるっていうようなことにはしたということですね。そういうことをなさっていたと。

見形:はい。あとは、処遇はなかなか改善されなかった。あいかわらず人は増えないし、ナースコールをしてすぐ、まあ来てくれるときもあれば来ないときもあったし。で、けっこう放置されて亡くなってる人もいるし。人がいなくて、呼吸器外れちゃったり、【点滴】(01:36:30)が取れちゃった。

立岩:ああ、「見つかったときは死んでました」みたいな。

見形:医療事故、窒息。もう痰が詰まっちゃってて、ブザー押せなくて死んじゃってたりとか、そういうのが連発けっこうしてて。だから「始末書を書いて終わり」みたいな明るみにはなってないのはたくさんだったんです。

立岩:そうなんでしょうね。そういうのって、それは見形さんに聞くことじゃないかもしれないけど、病院的にはどうやって処理するんですかね。

見形:わかんないです。「なんでこれが事件じゃないんだろう?」っていうのが、患者の中でものすごく不信…、「あいつは殺された」ってみんな【知って】(01:37:22)いくし、とてもこれ、生きた心地がしないっていうか、「自分はいつ死ぬのかな」みたいな、「ああいうふうに死んでいくんだな」みたいな、みんなの心の中にすごい傷として。あと自殺しちゃった子もいましたし、それはもうすごい衝撃でしたね。

立岩:こんなこと聞いてもしょうがないけど、どういう自殺の仕方をするんですか?

見形:うーん、なんかあの、突然消え…、まあ体は動いてて、車いすで動ける人だったんですけど。病院って鬱蒼としてるじゃないですか、だいたい山奥なんで。で、急にいなくなって、すごい病院中みんな探し回ったんですよ。突如として消えちゃったんで。一人でよく散歩に出かけちゃう子だったんですけど、だから「まあ帰ってくるでしょう」とか言ってたら、夜になっても帰ってこなくて。全職員で捜索したんだけど見つからなくって。でなんか次の日また捜索したら、その雑木林の中で首が後ろに倒れちゃってて、で亡くなってたんですね。

立岩:車いすが後ろに倒れてたってことですか?

見形:いえ、首だけ倒れると、筋ジスの人って自分で起こせないですよ。

立岩:首がガクッと後ろに。

見形:そうですそうです。はい。で、そのまま窒息しちゃったっていうか。

立岩:それは、じゃ事故かもしれないってこと?

見形:うーん、そうですね。事故かもしれないけど、でもなんか、そうでもないっていうか、あえてそこで、

立岩:そこまでわざわざ行って、

見形:死んじゃったのかなっていう。まあ事故死としてたぶん扱われたのかなっていうのはあるんですけど、でもみんなは「自殺だ」って。遺書とかはなかったと思うんですけど。なんかそういうのがあったりして、うーん、なんかすごくしんどかったなっていうか。[01:40:23]

立岩:うーん。そういう行事とかは企画して協力してもらったりしつつも、病院の中での処遇が特に良くなるわけでもなく。人によるとね、「むしろだんだん悪くなっていった」っていう人もいるんですよ。「要するに重度化が進み、職員の数変わらないっていうので」ということをおっしゃる方もけっこういらっしゃるんだけど。見形さんの感じだと、80年代、東埼玉、おんなじだったのか、どんな感じでしたかね?

見形:なんか今のみんなの様子を見ていると、ひどくなってる気がします。なんか自由度がなくなりましたね。職員が変わらない中での、やっぱりケアが濃くなるわけじゃないですか。もっと手が必要だし、でも人はもっと減らされていて。私がいた当時は人がいないなりに、できる、動ける人もいたので、その外に出るっていうことも企画したりもいろいろできたし。私ぐらいの人もたくさんいたので、こう動けるっていうか、なんかいろいろ周りにやることができたけれど、今はもうネット頼みで。実質こう声を上げることができづらい状況下にあるのがすごく深刻で。文句を言えばやってもらえない、まあ当時もそうでしたけど、なんか「静かなる虐待」というか、うーん、そういうのがすごく進行してるような気がするんですよね。支配される感じ。

立岩:それは見形さんが20代を過ごされた90年代に、自分が東埼玉病院にいたときに、それが徐々に進行してたっていう実感みたいなのはおありですか? そのときはそんな変わんなかった? どんな感じですかね?

見形:支配される、されそうだなっていうのは思ってました。このままいたら脱力障害というか、無気力障害にさらになっちゃう。こう何も感じないように生きることを強いられるというか、感じることが悪っていうか、考えたり感じると人間嫌になっちゃうじゃないですか。だから感情捨てればいいんですけど、感情はやっぱり人間捨てられないので、私はそこまではやっぱ無理だったなって。でもあそこにいると、そういう人間になっちゃう感じ。

■1997

立岩:なっちゃう感を持ちながら、その時期を過ごして、か。で、結局は97年ですか、そこを出られるわけだけど、具体的な準備であるとか用意であるとか、たとえば住む場所探すであるとか、そのへんはどんな具合に事は進んだんですか?

見形:えーと、あまり準備は結局のところなくて、3か月ぐらいで準備して出ちゃった感じ。

立岩:それは誰か、どこか組織というか手伝ってもらったりってのはあったんですか?

見形:そのときはもう虹の会のみんながサポートしてくれて。

立岩:そうなんだ。僕も虹の会のちょっとごっつい感じのおっちゃん、歳はあんまり変わんないんだけど、僕より下なんだけど、佐藤さんっていう坊主頭のおじさんいるじゃないですか。[01:45:05]

見形:佐藤さん、はい、知ってます。はい。

立岩:彼に3年前かな、インタビューしたんですよ※。埼玉大学の前にある虹の会の事務所で伺ったんですけどね。じゃあ虹の会がそのときは手伝ってくれたんですか。それは何、住居を探すみたいな?

※佐藤 一成 i2017 インタビュー 2017/06/23 聞き手:立岩真也 於:埼玉・虹の会事務所 ※

見形:おうちがたまたま空いて、まあ生活保護だったんですけど、「空いたよ」って言って、「じゃあ来る?」っていう感じで、「じゃあ行きまーす」って感じで。

立岩:じゃあその部屋が、前の人がいなくなって「空くよ」っていうか「空いたよ」みたいな、そういう連絡というか。で、場所がわりとするっと決まり。それでそのあとの話は非常に長いので、今日はだいたい人生前半的な話をしようと思ってるんですが、その出たあたりの時期、80年代終わり、90年代にかけてって、どんな暮らしが。まあ僕、福島さんの遺されたものとかを読んでて、「やっぱ80年代前半ってしんどかっただろうな」って思って読んだりしてたんですけど。まあそれから5年は経ってる時期じゃないですか。そのあとずっとさいたま市ですか? 浦和っていうか埼玉っていうか。

見形:はい、そうです。

立岩:そのときに見つかった住居から、そのあと引っ越したことはおあり?

見形:あ、はい、引っ越してます。

立岩:でも同じ埼玉市内で引っ越し、って感じですか?

見形:はい、そうです、そうです。

立岩:その出たあとの、話は超長いでしょうけど、暮らしはヘルパー入れてっていう感じ?

見形:はい。

立岩:それはどのくらい入ってもらえてたというか、制度使えてたというか。その頃だと、何だ?

見形:まだヘルパーは短い、1日5時間くらいしか使えない制度の中で、やりくりしてた感じですね。

立岩:5時間で、ボランティアみたいな人も来てたんですか?

見形:えーと、夜勤帯は学生の有償ボラ的な感じの人を入れてて。

立岩:生活保護だから他人介護加算も使っていた?

見形:はい、使ってました。

立岩:他人介護加算だったら現金っていうかお金だから、それで有償ボランティア的な部分はある程度払えるっていう、そんな感じ?

見形:そうですね。あとはガイドヘルプ、ヘルパー制度が国で【決ま…、あってて】(01:48:35)、で、それを日中帯の人には使ったり、自薦の人たちを入れるみたいな感じでしたけど。全身性の介護人派遣事業みたいなやつですね。

立岩:うんうん。埼玉って全身性介護人派遣事業ってその頃あったんだっけ?

見形:はい、確かあった気がします。

立岩:あったはずですよね。

見形:今も残ってるのがあるかな。春日部はありますね。春日部は使ってるかもしんない。



立岩:それで、97。で、これ聞いていいかどうかちょっとよくわからないんですけど、くれぱす※始めたのが2001年でいいんですかね?

※自立生活センターくれぱす
 http://c.saitamacity-support.jp/gnks13/mypage/index.php?gid=G0000053
 https://ameblo.jp/cilkurepasu/

見形:はい、そうですね。はいはい。

立岩:で、そうか、高等部出たのが87年、で、そのあといろいろあって。80年代って言ってますけど、90年代ですよね。90年代そんなこといろいろなさって、97年に出て。そうか、90年代だったらちょっと風景というか、福島さんなりが苦労された時期とは、[01:50:16]

見形:うん、ちょっと変わってきましたね。

立岩:変わってきてたでしょうね、おそらくね。

見形:CILが増産体制に入ってた時代なんで。

立岩:そうですね。だいぶ景色が、

見形:中西〔正司〕さんとかがんばっていた感じです。

立岩:あのへんの連中とは、その、山田さんとはそれで、アメリカのときに。僕、山田さんのキャラ好きなんだけど(笑)、笑えるっていうか。今のIL系の先輩たちとはぼつぼつと付き合いがあった?

見形:そうですね、はい、はい。

立岩:97年にまあなんやかんやで出られて。でそのあと、くれぱすの設立って2001年らしいんですけど、4年ぐらいですよね? 出てから。

見形:虹の会でがんばってて、で、そこをやめちゃって、

立岩:虹の会のスタッフであったことはあるんですか?

見形:はい。派遣の代表をやってました。介助派遣。

立岩:いろいろあるじゃないですか。のれん分け的なやつもあるだろうし、一本立ちみたいなのもあるだろうし、いろいろな別れかたっていうか独立の仕方ってあると思うんだけど、見形さんの場合、くれぱす始めたっていうのはどういう思いというか。それはちょっと、言いたければですけど。

見形:うーん、そうですね。やっぱり、何なんだろな、別に虹の会がどうのこうのっていうのは置いといて、で、のれん分けをしてもらったことでもなくて、なんか勝手に私がまあ出てったっていう感じなんですけど。なんか自分のセンターが作りたかったっていう、単純に。こうできあがったものではなくて、自分のやっぱりセンターがやりたかったなっていう。こう重度障害者、本当の最重度の人たちが活躍できる社会を作るためのセンターや介助派遣のところがほしかったっていうか。まあ虹の会がそうじゃないっていうわけじゃないですけど、まあ守るものが大きすぎたっていうか、歴史も大きいし。「やっぱり自分でやっていきたいな」って思ったというか。

立岩:うん。まあ、自分でできるというか、そういう組織を作ろうということで、2001年か。僕は一度呼んでいただいて。「あれいつだったかな?」って今日調べたら、2007年だったみたいです※。

※2007/03/03 尊厳死と医療を考えるシンポジウム「尊厳死、ってなに?」 於:埼玉,

見形:ああ、そうです、そうです。川口〔有美子〕さんのとき、

立岩:そうそう安楽死、尊厳死協会の人とか呼んできて、荒川さんっていう人だったの今日思い出したっていうか、記録見たらわかりましたけど。埼玉伺ったのそのときだけだと思うんですけど。そうか、それが開設というか、始められて6年後ぐらいだったということですね。

見形:はい。もう一昨年やめちゃいましたけど。

立岩:なんかその話も風の便りでちょっと聞いてはいて。このへんは、別れたりやめたりとかいろいろあるからさ。ほんとに今日は「そのへんはパス」っていうんだったら全然パスでいいんですけど、パスしましょうか?

見形:はい。



立岩:はい、じゃそうします。今はわりと「神筋ネット」の活動が主みたいな感じなんですか?

見形:そうですね、はい。

立岩:僕、神筋ネットっておもしろいと思っていて。やっぱり障害の種別で割ってもあんまりうまくいかない場合もあって、じゃ何もかんも一緒っていったら、「障害の種別超える」って、それは言葉としてはその通りだと思うし、いいと思うけど、実際にはまあ違いもあるしって中で。たとえばちょっと前からベンチレーター使ってる人のネットワークが出てきて、[01:55:15]

見形:はいはい。「呼ネット」

立岩:その前だと「JVUN〔ベンチレーター使用者ネットワーク〕」っていう、あれは発祥は北海道のかな?

見形:札幌の、そうですね。

立岩:あのへんから始まったやつであるとか、今だったら呼ネットとかね、神筋ネットとかね。そういう基本ニーズが一致してるっていうか、そういう人たちが集まって何かするって、なんかいいなと思ってるんだけど※。その活動の一部はたとえば相模原の事件のあとのことであるとか、それから今またするするっと決まりかけてるというか、もう決まっちゃったっていうか

※立岩真也 20091024 「『生の技法』までとそれからの20年とこれから」,自立生活センター・アークスペクトラム主催シンポジウム自立活センターの歩み――これまでの記録と記憶。これからの希望。
 「[…]そして「アークスペクトラム」ができて活動を始めた。不肖わたくしはしばらくはそのことを知らなかった。ただ2007年の3月に「尊厳死」を主題とする集会に呼んでくれたのだが「NPO自立生活センターくれぱす」(さいたま市)のみなさんで、その人たちと「自立生活センターリングリング」(神戸市)の人たちのつながりがあるといったことも知るようになった。そして、その人たちやこの「アークスペクトラム」の人たちが「しんきんネット」というものを立ち上げて、「受精卵診断」についての集会などしていることを、この9月に今日と同じ会場で集会を行なうからそれに来てくれと呼ばれて、知った。最初はホームページはなかったようだ。信用金庫のネットワークばかりでて来て困ったが、今は「神筋ネット」「神経筋疾患ネットワーク」で検索すると出てくる。そしてその集会で――今回の依頼は受けた後でメールでのやり取りはしていたのだが――「アークスペクトラム」の人たちにお会いすることになったのだ。
 以上、「これまでのこと」をただ書いていったら、決まった字数を超えたので、ここまで。あとは当日ということで。けれどもう一つ。「くれぱす」や「リングリング」や「アークスペクトラム」の人たちの多くに神経筋疾患系という共通性があるとともに、なんだか仲がよいこと、そして女性の比率が高いのがどうしてなのかしらと思っていたのだが、こないだの受精卵診断についての催で話を聞いていて、そのことに、関係者にピアカウンセリングの場を共有してきた仲間がいることが関係しているらしいことがわかって、すこしわかったような気がした。私自身は、正直言うと、こういうものは苦手なのだが、その私も、ずいぶん前に、『自立生活への鍵――ピア・カウンセリングの研究』(ヒューマンケア協会、1992年)という冊子(今でもぼつぼつ売れている)の編集を担当したことがある。安積も書いている。そう、安積は、もちろん知っている人とは知っているように、さきに記したヒューマンケア協会で、最初に自立生活プログラムだとかピアカウンセリングやらを始めた人である。だから、このセンターとそして今回の催は、安積の妹たち弟たちのものでもあるのだと思う。」

見形:生殖ですね、

立岩:生殖に関する法律※のことであるとか、そのあたりに関する発言っていうのはまあ一定聞いてはいるんだけれども。それはそれで一応聞いてはいるってことなんだが、見形さんにとっては、そもそも2001年とかだったらローカルにっていうか自分の地元でっていうね、そういうので、それでも10何年やったわけじゃないですか。そういうのと今やってる、ちょっと障害の一個じゃないけど全部でもない、中くらいの感じでちょっと似た人たちが集まる、で全国の組織っていうか、それをやってる自分というか、そういうのはどういう位置付けっていうか。そんなにたいした話じゃないですけど、位置付けとかじゃなくてもいいですけど、どういう気持ちでやってるっていうか、そういうのはどうですか?

見形:まあ、くれぱすやってる時代からずっとやってる活動なんで、ほぼ。自分の中ではやっぱりこの出生前診断とか着床前診断のことって、入院してた時代から遺伝子操作とか遺伝子診断が実際にやっている様子を見ていて。やっぱり否定される障害というか、「筋ジスはうつる」じゃないけど、筋ジスとかSMAの存在を否定され続けてきた歴史を目の当たりにしてて、「やっぱりこれは絶対だめだ」って思ってて。[…]

立岩:ああ、そうか。東埼玉のときはその治療薬の臨床の実験みたいな、それ以外にたとえば遺伝子的な相談であるとか、そういうものって見聞きというのはあったんですか?

立岩:家族にいるから、そしたらその家族が、親であるとかきょうだいであるとかに遺伝的なのがあるかどうかを病院に来て検査するみたいな。

見形:はい。

立岩:最初は、子どもんときは何してんだかわからなかったけど、聞いたらそういうことだったと、そういうことか。

見形:はい。で、またそれで、「ああ、生まれたらいけない命なんだな」ってすごく思っちゃって。自分にもきょうだいがいるけれど、「自分のきょうだいもそういうふうにやって来るのかな」とか、そう思ったら悲しくなっちゃって。

立岩:それってたとえば子どものときっていうか、中学校・高校ぐらいの時期でした? 思い起こすと、そういう、

見形:もっと大きくなってから、20歳とかになってからですかね。

立岩:じゃあ90年ぐらい。昭和と平成の境ぐらいってことか。

見形:はい。だから、なんかそういう、筋ジス協会はすごく推奨してて、まあもちろん。で、「死んだあともそういう媒体」、何ですか、「DNAを保存するっていうことを、意味やっぱ持つべきだ」みたいな、「凍結させておく」っていうことを「個人情報はもちろん守るから、そういうバンクみたいなのを作る」みたいなアンケートがいっぱいあって、「それをやってもいいかどうか」っていうのを送られてきてて。私はいつも「××(バツバツ)」とか言って、「そんなの嫌だ」と思って。死んでからもまたなんかいろいろ使われる、意味がないと思ってたので、なんか「絶対反対」みたいに書いていつも送ってました。[02:05:50]

立岩:そうですよね、筋ジス協会、なりたちがとにかく治療っていうか研究・治療、それでできたみたいなとこがあるからね、基本的には変わってないんでしょうね。1965年だから、もうすごい前ですけどね。55年前ですけど、基本同じノリなんでしょうね。

見形:尊厳死協会と一部似ているところがあると感じたり。

立岩:親たちが作って研究者たちを支援し、研究者たちは親たちに協力を求め、みたいな構図は基本変わってないんでしょうね。

見形:治療、そして新薬開発に向けてさらに政府と強いつながりを作っていく。

立岩:うん。いやまあほんとに、こないだっていうか2年前に本書いて※、そういう、親たちが運動し、研究者たちを巻き込むか巻き込まれるか。それでその政治、政府に行き、有力な政治家にっていう。そういう三つ巴っていうか、そういう構図ですよね、そういうなりたちでできて。そのときの役員の人たちもそんなに変わってるわけじゃなくて、人そのものがもう何十年と同じ役職をやってたりとか。

※立岩 真也 2018/12/20『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202 [honto][amazon][kinokuniya] ※

見形:今の与党幹部と似ているのかも。どこも世代交代って難しいですね。

立岩:そうみたいですね。その話、昨日もちょっと出て。そういう全国組織が結局高齢化というか、弱体化っていうかしてて、「どうするんだろうね」みたいな。まあ弱体化した方がいいのかもしれませんけど。

見形:そうですけどね。でも変に君臨してるのがもう嫌です、うざいです。でもね、そこをよりどころとしてる人も、まあ知らないから、患者さんたちもいるんですけど、「早く目を覚ましてくれ」と思います。

立岩:うん。昨日も愛知のほうで、筋ジス協会、まあ愛知のローカルな支部はそれなりに仲間を知れたりとかしていいけど、「でもね」っていう話を聞いて、「そうなんだろうな」って聞いて思いましたけど。

見形:はい、そうですね。



立岩:これから、じゃ、わりと見形さんは今現在も、これからしばらくも神筋ネットっていうかそっちの方を拠点というか、そこらへんを軸足というか、そんな感じで活動してこう、みたいなそんな感じですかね?

見形:うーん。でも、もう少し違うこともやりたいと思ってはいるんですけど。

立岩:それはたとえばどんなことですか?

見形:うーん、なんかもう少し、自立生活センターは再建したいなとは思ってるんですけど。ただ、今までみたいなセンターではまた同じ失敗をしてしまうだろうなと思うので、なんかこうほんとに新しいセンターを模索したいというか、ほんとにインクルージョンというか、インクルーシブなセンターというかを目指してできないかなって、はちょっと思ってます。[02:10:25]

立岩:場所はやっぱり埼玉ですか?

見形:うーん、それもちょっとわからないです。

立岩:そうそう、昨日の人は、中野まこさんってご存知ですか?

見形:ああ、まこちゃんね。

立岩:「まこちゃん」ですか(笑)。そうですよね、だいぶ後輩というか。昨日中野さんに話伺って※。筋ジス協会のオンラインの、総会なのかな、「それでちょっと言っちゃったのよ」みたいな話を聞いて、「いや、いいんじゃないですか」って(笑)。そういう話はしたのは、まだ昨日ですけどね。
 これから、今日はもう2時間ぐらいお話伺ってるんですけど、早速文字にしてもらって、ちょっとまずいところは削ったりなんかしていただいて掲載って運びなんですけど。[02:12:05]

■COVID-19

立岩:謝金プラス文字起こしのお金は、ちょっと今大学の方からコロナがらみのことでそういう名目でもらってるので、ちょっとおまけっぽいですけど、どうですか? そのコロナは、見形さんの周りでは。何が変わったとか、何も別に変わってないとか、そういうのはどうですか?

見形:いやあ、全然変わりましたよね。良かったことといえば、オンラインが増えて仕事がしやすくなったっていうか、行きやすいというか、どこでもできるじゃないですか。

立岩:このインタビューだってそうだよね。僕、埼玉行くの大変だもんね。

見形:そう、私が行くのも大変ですし。でもこうやって簡単にできちゃうし、そういう意味では幅が広がって良かった。で、障害者の在宅就労もね、これで進むかな、みたいなのもあるんですけど、やっぱり人とのコミュニケーションがネットだけっていうのはしんどいなっていう。それが変わったとこですかね。

立岩:それ昨日も中野さんとかもおっしゃってました。「やっぱりピアカウンセリングったって、オンラインでピアカウンセリングはちょっときついよな」みたいな。

見形:そうですね。

立岩:まあ、そうなんだろうな。あとプログラムなんかでも、やっぱ一緒に行動するとか、

見形:どっかへ一緒に行くとか。

立岩:うん、駅一緒に行くとかね、そういうところがないとしんどい、って。「そりゃそうなんだろうな」って思ったし、でもまあやれるところも、今見形さんがおっしゃった通りで、こうやってしゃべったりぐらいだったら、かなりオンラインでできますもんね。

見形:そう、IL(アイエル)もできるしね。ただ一つ心配なのは、バリアフリーが落ちちゃうんじゃないかなって。私たち出歩けないんで。

立岩:ああ、「実際に身体移動させなくてもいいから、もういいだろう」みたいな、「さぼっちゃえ」みたいな感じね。

見形:エンパワメントしづらくなっちゃうし、駅員とかバスの運転手とかタクシーの人たちとかもどんどん対応が悪くなっていっちゃうっていうか、それが心配。

立岩:うーん、ありえなくはないですけどね、「うちで仕事すりゃあいいじゃねえか」みたいなね。

見形:そう。

立岩:あの、どうですか? 介助とかそういう部分で、何かこう人が来づらくなったりとか、そういうことは見形さんは体験なさってますか?

見形:うーん、それもそうですね。PCRを受けるとかそういう人も出てくるので、出てきたりしてたので、あとコロナ疑いとか。あと自分もコロナじゃないか、みたいに言われたときとか。

立岩:え、見形さんがコロナだって、そういう話?

見形:うん、いわゆる疑いがかかったり。それで介助者が防御体制というか防護服着てやるみたいな。カーテンつけて、「手だけ出してください」みたいな。

立岩:(笑) それは、なんで見形さんが感染疑いになったんですか?

見形:あ、熱がね、1回出たんですよ。PCRがそのときできなくって。でも「たぶん違うでしょう」っていうとこなんですけど、「危ないからちょっと防護服着ましょう」みたいな。[02:15:32]

立岩:ああ、そうか。防護服はちょっとつらいですよね。マスクぐらいはまああれだけど。そうか。昨日ほぼ同じ話を聞きました。古木さんっていう、熊本から出てきて今メインストリームで仕事をしてる古木さんが、「検査受けたけど大丈夫だった」って言ってましたね※。

見形:うん、だから防護服っていうか、まあエプロン、割烹着みたいなやつ、エプロン使い捨てのを着て、ビニール着て、手袋して、フェイスガードしてやるみたいな感じですけど。

立岩:それは、とりあえずその疑いが晴れてからは普通にっていう感じですか?

見形:別に、はい大丈夫です。

立岩:近所で陽性者が出ちゃって派遣が難しくなったりとか、そういう事業所の話とか、そういうのは聞かないですか?

見形:えーと、私の自薦が先日、陰性だったですけど、そういう人が出て、介助者がいなくて困りました。探せなくて、でもどうにかこうにかしましたけど、なんかそういうことが起きてきて。あとは断られたって人もいましたね。「来ないでくれ」って。

立岩:「来ないでくれ」っていうのは誰が誰に言ったの?

見形:そういう陰性のヘルパーさんが、他事業所の、私じゃない事業所の人たちを、陰性だけど「あなたは来ちゃ困る」って言って、「帰ってくれ」みたいなふうに言われて。「出てくるな」みたいに言われちゃったとか。

立岩:ヘルパーが言われたってこと?

見形:そう。

立岩:利用者にってこと?

見形:利用者じゃなくて、事業所に。他の事業所に言われた。

立岩:それはどういう根拠でなんだろうね。

見形:うーん。

立岩:わかんないか。ふーん、そうですか。

見形:そういうのもあったり、あとは派遣停止になったっていう利用者さんもいました。コロナ疑いで、

立岩:事業所の中で、

見形:「事業所の中で出ちゃったから派遣しません」って、「誰も行けない」みたいになっちゃって、お風呂に入れなくなっちゃったとか。

立岩:事業所が仕事できなくなったから、利用者もヘルパー来なくなっちゃってっていう話だよね。

見形:代わりのところは探してもらえず、しばらくは派遣停止になっちゃって。

立岩:それは場合によったら一番困りますよね。

見形:そう。でもそういうふうになりそうですね、やっぱ他も。だからまあそれが一番困る。今はかろうじてつながってますけどね。

立岩:わかりました。3時過ぎから始まったので、今17時17分、

見形:あ、もう時間過ぎました

立岩:いや、こっちが勝手に延ばしてるので、ほんとにありがとうございます。
 僕はここのところ話聞いてて、やっぱり話聞くときって「今どう?」みたいなこと聞くじゃないですか。コロナもそうなんですけど、それも大切なんですけど、でもやっぱり何だろう、小学校、10代の時どうだったとか、そういうのってやっぱりいっぺんは聞いとかなきゃなって思うんで、今日は見形さんの話を聞けて僕は大変ありがたかったです。

■不妊手術

見形:いえいえ。あと一つ、先生知ってたら逆に教えてほしいことがあって。うーん、わかんないんですけど、優生手術の話で、私が入院した当時に「みんなやってるよ」っていうふうに言われていたんですよ、国療で。で、そういう実態ってほんとにあったのかどうか。[02:20:33]

立岩:ああ、俺その話、2007年かなんかに見形さんにちょっと聞かなかったっけ? いやまあ、それはわからないんだけど、そういう噂っていうか、それは聞いたことあるんですけど。それってなんか確かめ様(よう)っていうか、あるかな?

見形:実際それってどうだったのかなって、ずーっと気になってて。調べる余地というか、調べる自分の手段がなく。

立岩:それは具体的に、誰が何の優生手術っていうか、いわゆる断種手術ですよね、をした…、何をするために誰に対してやったとか、そこまでは見形さんご存知というか、聞いた話ではどうですか?

見形:そのときは看護師さんが「重心の子はみんなやってる」って言ってたんですよ。重心病棟。筋ジスっては言ってなくて、重心病棟の子はみんなたぶんそういう手術してて、私がその、生理多い、「大変だから」っていう話で、「それもあるんだからやっちゃえば」みたいな、「みんなやってるからさ」みたいに普通に言ってたんですよ。

立岩:それは看…、「重心じゃあやってるから」、まあぶっちゃければ「あなたもどう?」みたいなそういう話?

見形:そうです、はい。

立岩:それっていつ頃? 見形さんの歳で言ったら。

見形:えーと、12歳、中1ぐらい。

立岩:ああ。ありうると思うんです。手術もね、たぶん3つぐらい。いわゆる狭い意味での優生手術って、要するに遺伝の型を次の世代に残さないみたいな、そのためにやるっていう手術が1つ。それからもう1つは、特に知的障害とかですけど子どもが生まれちゃうというか、生まさせられちゃうっていうか、そういうのを防ごうっていうのでやるのと。もう1つがいわゆる生理とか、そういうことの処置というか処理がめんどくさくないようにって。僕は3つくらいあるのかなって思っていて。じゃあその見形さんはわりと3つ目的なニュアンスで言われちゃったって感じなのかな。

見形:はい、はい。

立岩:それは僕は、うーん、でもそれ知りたいんですよね。そのへんがどこでって。明らかに僕は知的障害、まあ重心ではたぶん親同意か何かだと思うんだけれども、2番目或いは3番目の理由、2プラス3ぐらいの理由でやってたことは、これは間違いなくあったと思います。ただそれをどういうふうに証拠立てるというか、うーん、っていうのは、ちょっと知り合いというか、そっちにも聞いてみますけどね。たぶん2番目の、だから「男に襲われて、不用意に妊娠しちゃうかも知れないから」っていうふうな言い方で、親の同意をとって、でも実質的には「生理の処理がめんどくさいから」みたいな、そのへんが大いにからんでいて、「2番目だ」って親に言いつつ、3番目もけっこうありで、特に知的障害の人の手術はされてたと思いますね。

見形:ああ、やっぱり。そういうのが、国療ってみんな重心持ってるじゃないですか。だから、やりやすいっていうか、どんどんやろうと思えばたぶんみんなやってしまってたと思うけど、それでどこも明るみに出てないので、なんかすごく大変なことをやっぱりやってしまってるっていうことなんだと思うんですけど。[02:25:14]

立岩:そうですね。それをなんかして、まあ僕個人が、は難しいかも知れないけど、誰か。一つは去年だっけな一昨年だっけな、滋賀で、近江学園って日本の障害児施設の草分けみたいな、びわこ学園とか近江学園とかあるんですけど、そこでっていう話は記録に残ってたみたいなとこがあって。

見形:ああ、そうですか。

立岩:それを京都新聞かな、僕の知り合いですけど、

見形:岡本〔晃明〕さん?

立岩:岡本さんとか、もう一人、森、って記者、熱心な記者がいるんだけど、それがちょっと調べたりっていうのはありましたね。だから、なんかカルテがどうのっていうんじゃないけど、間接的な証言というか証拠でもいいから、そこは少し今よりは明らかにというか。たとえば今の、見形さんが12のときに言われた話自体が僕、やっぱり大きい証言だと思うんですよ。だから、それは単に「やってるから」ったって別に、何だろう、嘘ついたってしょうがないわけじゃないですか、そういうときにね。ってときにたぶんその看護師さんが、そうやって見形さん個人にダイレクトに言われたことっていうのは、やっぱ僕は証言として、証拠能力というかあると思うんですよ。だからカルテなり何なりが、同意書なりっていうのが出るとか出ないとかに関係なく、「こういう話を私はいつ頃聞いた」っていう、そういう証言の蓄積自体意味があると思うんですよ。

見形:うんうん。

立岩:だから、見形さんは見形さんでその話を12のときに聞いたと。81年かな、それぐらいに聞いたと。他の人は、いつ頃どの病院でどういう人からこういう話を聞いたっていう。聞いたって話自体は嘘じゃないじゃないですか。実際にやったかどうかは、それはわからないかもしれないけど、でも、やった可能性非常に高いですよね。そういうレベルの証言で僕、とりあえずいいと思うんだ。病院から、もちろん一番いいのは情報開示だけれども、30年40年前だったら、「もう書類は全部破棄してます」って、実際に破棄してるぶんもあるだろうし、「破棄した」って言えば、もうそれでどうしようもないって感じですから。だから、そういうダイレクトな証拠は出なくても、そういう間接的なというか伝聞とか、僕はそこは今からでも集められるだけ集めて、「限りなく黒に近い灰色だ」みたいなそういうことをね、声上げるっていうか言ってくっていうことはできるし、それはしたほうがいいような気がするんですけどね。

見形:うんうん。

立岩:そこは誰かというか、こちらでも誰か、そういうことをまとめてくれたり…。だけど今日のインタビュー全部文字化しますから、そこの中の今の見形さんのその数行の伝聞というか、伝聞じゃないですよね、実際に見形さんが聞いた話ですよね、そういったものをインタビュー全体の中から抜粋っていうかそこだけ抜いて、そういう人の証言を5人10人と加えていけば、何にもしないよりいいと思うんですよ。それぐらいだったら僕も今でもできるので、もし今日終わって、神筋ネット、まあ何でもいいですわ、「そういうことを一緒にしよう」とか、「情報提供できる」とかそういうのあったら、メールでも何でも言っていただければ、やれることはしたいなと思ってます。

見形:はい。

立岩:そうだよね、そういう話、俺、だけどそれ、見形さんに聞いたのかなあ? 10何年前に。「そんなことを聞いたよ」って話を聞いたのかな。なんか頭には残ってたんですよ。[02:30:04]

見形:じゃ私が言ったのかな。

立岩:だから、尊厳死のときのシンポジウムに呼んでいただいたとかもしれないな。あるいはその神筋ネットの別の人なのか。そういうこと自体、僕はその記憶が定かじゃないんだけれども。でもそれはいいですよ、僕の覚えが悪いってだけだから。だけど見形さんが10代のときに、生理とかね、そういうことがなってくるときに、そういうことを言われたっていう証言っていうかな、もしかしたらその話は違うかもしれないけど、でもそういうことを看護師なら言われたったこと自体はやっぱり大きいじゃないですか。見形さん自身にとってね。やっぱそういうことの記録とか記憶っていうのは、取っとくっていうか明らかにしたほうがいいと思うんですよね。

見形:うんうんうん。

立岩:わかりました。私の知り合いで何人かそういう優生手術とかに関心あるのが同業にもいるし、利光恵子って知ってるかな?

見形:ああ、利光さんね、はいはい。

立岩:利光さんがうちの大学院の修了者なんですよ。たぶん彼女たちも関心持ってると思うし。なんかそういう証言集、ちょっとしたね、証言をこう、そこのテーマだけに限った証言をリストにしていくっていうのは、そのぐらいだったら僕でもできますので、ちょっと考えて、たとえば仲間っていうか知り合いでそういうこと聞いたことある人とかいたら、僕、たとえばこういうような感じでインタビューさせていただきますから、集められればなと思います。

見形:はい、わかりました。

立岩:それはすごい大切なことですね。

見形:そのときに、自分ももしかしてやっちゃってるって可能性もあったし、わからないから、「みんなやってる」って言われてて。

立岩:「みんなやってる」ってね、「どうせ」みたいな言われかたするわけだよね。

見形:え、お母さんにも相談したことがあって、「そういうのやったほうがいいのかな?」って。

立岩:ああ、そうですか。

見形:だから、でも、しなくて。お母さんが何も、

立岩:お母さん何て言いました?

見形:お母さんは「そんなことはいらない」みたいなことを。「そんなことしないでいいでしょう」って。

立岩:ああ。うーん、でも、「やっといたほうがいいよ」っていう、これはDPIの女性部会とか、「実際に子宮取っちゃった」とか、「そっちのほうがよかった」っていうような発言が、DPIっていうか、もとはと言えば車いす全国集会なんですよね。そのときにそういうできごとがあって※。「いや、それは、そういうことはやっぱり言っちゃだめでしょう」みたいな議論がちょっとあったりとか、あるんですよね。それも誰か論文とか書いてくれるといいな。

見形:だから、ね、そういうことって私はまあ言えるけど、言いにくい女性もいっぱいいるだろなって。

立岩:そりゃ言いにくいですよね。特にやっちゃった人は言いにくいですよね。

見形:そうですね。だから、でもそうやって人知れずやられてる人がきっといると思うから、なんかそこは、なんかほんとはまずいぞっていうか。それを置き去り、なおざりにして歴史が進んでしまうっていうのは、よくないというか。

立岩:そうですね。僕らはそんなに積極的なことはできないけどれども、私はそういうふうに誰か、「いつ、私は、どこで、どういう話を聞いたか」って記録は集められます。それはぜひというかやれますので、そういうことをくだされば、それを集めたりっていうことはしますので、仲間にもそういうことは知らせていただいて、よろしくお願いします。[02:35:06]

見形:はい、聞いてみますね。

立岩:はい。もう2時間半、時間取っていただいて、

見形:はい、すいません。ありがとうございます。

立岩:いや、「すいません」はこっちの話で。

見形:いえ、こっちの話も最後ちょっと付け加えちゃってすいません。

立岩:いや、ありがとうございました、ほんとに。長い時間取っていただいて、ありがとうございます。
 ずっとぼーっとは聞いてない、まじめに聞いてたのかな? 坂野さん、何か言うことある? なけりゃなくてもいいんだけどさ。(笑) 坂野さん今、筋ジスのプロジェクトに、いろいろみんなにいろいろ言われながらめげずにまあがんばって(笑)。けっこうみんな看護師のこと言ったりするじゃん。で、本人看護師だからさ、

見形:ああ、そっかそっか。

立岩:ちょっと傷つきながら、でもまあがんばってる。坂野さん、何かある?

坂野:はい。貴重なお話ありがとうございました。

見形:あ、いえいえ。

坂野:中途半端な立場なので、非常にどっちのこともわかるというか、すごく、はい。他の話もいろいろとあるんだろうなっていうのが予想がつくだけに。私は筋ジス病棟にいたわけじゃないので、そのあたりは誤解のないようにお願いしたいんですが(笑)。

見形:はい、大丈夫です(笑)。

坂野:ちょっとほんとにひどい、ひどいというか、すごいところで一生懸命やってみえたんだなっていうことがすごいわかりました。ありがとうございます。

立岩:うん。僕ね、でも何だろうな、そういう人はいたほうがいいと思うのね。そういうちょっとね、他の人から言われながら、「でも」っていうそういう医療従事者っていうか、そのスタンスはスタンスで大切だと思うので。まあちょっといじめられながら、でもあまりめげちゃいけなくて、そこでね、めげずに、でも本人たちの話をちゃんと聞くっていうのは。そういう微妙な立場だからこそ、センシティブというか敏感になれるところもあるから。立ち位置としてはほんとはちょっとつらいときもあるかもしれないけど、悪くないんで。だから聞いて調べてくださいっていう、ちょっと指導教員みたいなこと言っちゃいましたけど。

見形:私もすべて看護師さんたちが悪者扱いというか、で、いたわけじゃなくて、もちろん私たちに協力してくれる職員もものすごくいたんですよ。自分の身を挺してもがんばって言ってくれるようなスタッフも、看護師さんたちもいっぱいいましたし。そういう中で私はやっていけたっていうか、病院暮らしがまあ続けられてた部分もあったので。そういう環境作っちゃうのも、悪な環境を育てるのも病院ていうところなんで、そこがすごく問題だと私は思っているんで、だから筋ジス解放プロジェクトは大事なんだと思うんですよ。

立岩:そうだと思います。ほんとにそうだと思います。

見形:そう、だから普通、並の人間を、そういう悪に変えてしまうのが施設であり病院なんで。はい。そういうところだと思います。

立岩:僕らは、いや「僕らは」って別に坂野さんと僕と一緒にしなくていいんだけど、とにかくこういうことは一人二人ぐらいやってもいいなと思ってて。今の筋ジス病棟どうなのかっていうのをちゃんとアンケート取るって仕事を、一方で他の連中がきちんとやってもらいながら、僕はその裏の方で一人一人にちょっと昔話を聞いて回るっていう。前者の方が大切ですけど、まあ僕がちょっとやってるのも、ないよりかはいいかなと思って、これからもやっていきますので、「俺しゃべってもいいよ」とか「私しゃべってもいいよ」みたいな人がいらしたら紹介していただければ。こんな感じでざっくばらんな感じでお話を、たぶんオンラインで伺いますので、よろしくお願いします。
 見形さん、ほんとにもうこっち真っ暗になっちゃいましたけど。

見形:あ、こっちも、はい。お疲れさまでした。

立岩:どうもありがとうございました。またこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

見形:お願いします。

立岩:よろしいですか? これで?

見形:はい。坂野さんもありがとうございました。

坂野:ありがとうございました。

見形:引き続きよろしくお願いします。

立岩:よろしくお願いいたします。

坂野:よろしくお願いします。

立岩:失礼いたします。

見形:はい、じゃまた。失礼します。


UP:2021018 REV:
見形 信子  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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