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古木隆氏インタビュー・1

2020/12/12 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用

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こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
◇文字起こし:ココペリ121 https://www.kokopelli121.com/

 ※記録を2つに分けました。
古木 隆 i2020a インタビュー・1 2020/12/12 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用(本頁)
古木 隆 i2020b インタビュー・2 2020/12/12 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用


立岩:録音させてもらったものを文字にしてもらって、それを点検といいますか、必要と思われるんであれば削ったり足したりしていただいて、ホームページの方に掲載させていただくということでお願いしています。
 さっそく始めさせていただきますけれども。僕今日、さっきちょこちょこっと検索していて、古木隆で、で、いくつか。知らなかったんですけれども、もと熊本のかた、熊本にいらしたわけですか?

古木:そうです、熊本にいました。はい。

立岩:熊本の地震のとき、2016年の4月ですか、地震の後に西宮にいらしたと、そういうことで。

古木:はい、そうです。はい。

立岩:へえ、と思って。そのときの新聞記事であるとかいくつか拾えたものですから。それで、2016年のあたりに36歳って新聞には書いてあったんですが、そうすると1980年ぐらいのお生まれですか?

古木:そうです。1980年です。

立岩:ちなみに1980年の何月何日生まれでしょう?

古木:4月2日です。

立岩:それで、デュシェンヌ型の筋ジストロフィーってことですけれども、今日はけっこう古い話、先ほどは1991年生まれの女性のかたの話を聞いたんですけど※。いつもね、話すときは直近の話が多くなると思うので、今日は古い話からと思うんですけど。デュシェンヌ型の筋ジストロフィーってことになると、たいがい、5、6、7歳ぐらいのときに診断がついたりっていうような人が多いという印象を私は持つんですが、古木さんの場合どんな具合だったんですか? 診断のあたりっていうのは。

中野 まこ i2020 インタビュー 2020/12/12 聞き手:立岩真也 Skype for Business使用(近日公開予定)

古木:僕の場合はけっこう早かったんですけど、2歳のときに筋生検をやって、判明したという感じです。

立岩:2歳のときにもう筋生検をやったと。

古木:はい。

立岩:そのときのことは2歳だから覚えてらっしゃらないでしょうね。

古木:そうですね、そこは覚えてないですね。おそらくという感じですね。

立岩:親が病院に、何かっていうんで連れてって筋生検をしたら、そのときにもう筋ジストロフィーだっていう診断がついたということですか?

古木:はい。

立岩:お生まれは熊本県のどちらになるんでしょう?

古木:熊本市です。

立岩:それで、病院はどちらの病院に行ったっていうのはわかってるんですか?

古木:はい。

立岩:どこでしょう?

古木:熊本再春荘病院。国立療養所再春荘病院という※。
※国立病院機構 西別府病院 http://www.nbnh.jp/
 入所者へのインタビューとして
芦刈 昌信 i2020 インタビュー 2020/12/19 聞き手:立岩真也 西別府病院 Skype for Business使用(近日公開予定)

立岩:熊本の旧国立療養所ということですね。それで、2歳だと確かにけっこう早いですけど、そのあとっていうのはどういう順番でっていうか、どういうことになっていくんですか? 古木さん。

古木:順番的にっていうか、障害がどう進んでいったかって、

立岩:障害はそういうんで、あるものはあったっていう感じだと思うんですけど、そのあと在宅におられたのか、そういうようなことですけども。

古木:ああ、はい、普通の在宅で過ごしてたって感じ、

立岩:学齢期というか、小学校に上がる時期っていうのはどんな感じだったんですか?

古木:小学校に上がるときはまだ普通に歩けてる感じで。まあ走ったりできる感じで、はい。[00:05:05]

立岩:診断は早かったけれども、小学校入るときはまだ歩けたり走ったりっていう感じだったと。

古木:そうですね、はい。

立岩:小学校は近所の小学校ですか?

古木:途中で阿蘇に引っ越したので、阿蘇郡高森町っていうところの小学校。

立岩:じゃあその学校に入る時期の前に、おうちが阿蘇の方に引っ越しして、

古木:そうですね。幼稚園から。

立岩:高森町の、もしよろしかったら、何小学校って覚えてますか?

古木:えーと、高森中央小学校じゃないかなと思うんですけど。

立岩:高森中央小学校。じゃあ入った時はそんな感じだったと。それが小学校の間に、どんな具合にどういうふうになってくのかっていうのは?

古木:えーと、10歳ぐらいに歩けなくなったので。で、3年生の2学期から病院に入院することになったんです。

立岩:その病院はどこの病院ですか?

古木:それが再春荘病院です。熊本の再春荘病院。

立岩:最初に診断がついた同じ病院に。それは入院というかたちで入ったと。

古木:はい。

立岩:じゃあ小学校3年生のときに入院というかたちで。で、そうすると、そこの病院にくっついてるっていうか、そういう学校に行くことになるんですか?

古木:そうですね、はい。最初診断されたところは熊本大学病院です。

立岩:なるほど、診断されたのは熊本大学の付属病院だと。

古木:はい。

立岩:で、入院したのは再春荘病院だと、そういうことですね。で、その時期の様子を聞きたいんですけれども。付属している小学校というか小学部というか、それがあったということですよね?

古木:はい。黒石原養護学校っていうところで。

立岩:何養護学校?

古木:黒石原養護学校。

立岩:「黒」い「石」ですか?

古木:はい、「黒」い「石」に「原」と書いて、黒石原養護学校というところがある。

立岩:そこに行かれた。

古木:はい。

立岩:さっき伺ったのは山口県出身の人だったんですけど、女性なんですが、彼女は通ってたところっていう、やっぱり同じようなところなんですけど、通ったとこは自分のクラスは1人だったって言ってましたけれども※。古木さんの場合は通ってた小学部っていうのかな、クラスってどういう人がどのぐらいいたって感じですか?

中野 まこ i2020 インタビュー 2020/12/12 聞き手:立岩真也 Skype for Business使用(近日公開予定)

古木:僕と同じ障害の人が1人と、あと1人、年下の女の子が1人。3人ですね、僕と含めて。

立岩:筋ジストロフィーの人が2人いて、年下の女の子が1人いてっていう。

古木:僕とその人と女の子1人で3人。

立岩:3人っていうのは、同じ学年?

古木:はい、同じ学年。僕のクラスはそうです。

立岩:年は下だけど、同じ学年っていうことでいいんだよね?

古木:同じ学年の人と、年下の学年の人が1人いたんです。

立岩:それは小学部っていうところ全体でどれだけいたっていう話なんですか?

古木:全体で言えばもっといましたけど、僕のクラスが3人だったという意味。

立岩:ちょっと待ってくださいね。クラスって普通だったら同じ学年じゃないですか。それで、年下の女の子がいたっていうのは、どういう仕掛けっていうか。[00:10:08]

古木:ちょっと僕もよくわからなかったけど、なんか同じクラスで。

立岩:よくわかんないんだけど、でも同じ学年に。

古木:そうですね(笑)、はい。

立岩:年が違う子も含めて3人いたっていう。

古木:そうです、はい。

立岩:だんだんわかってきました。

古木:はい、なんか難しい。

立岩:小学校っていうか小学部っていうか、そのときのことで覚えてるっていうか、何か思い出すことっていうか、そういうのはどうです?

古木:そうですね、普通の学校のときは僕、勉強がけっこう好きで、学年でも上の方になるぐらいの学力があったんですけど、でも養護学校でほとんど勉強しなくなった。なんかやる気もなくなったって感じです。はい。

立岩:ほんとにそう、学年によっても違うみたいなんだけれども、今日午前中に聞いた彼女は、自分1人で、「自分は進学もしたい」みたいなことも言って。で、教わる中身としては他の学級と変わらなかったっておっしゃってましたけど、何だろ、教える教えられるっていう中身からして、同時期の学年の子とは違う中身だったんでしょうかね?

古木:いや、ほとんど変わらないと思うんですけど、ちょっとレベルが低かったかなとは思いますけど。

立岩:教えられることはそんな変わらないんだけど、やる気がなくなった的な感じ?

古木:そうですね、もう「病院に閉じ込められた」っていうので、

立岩:入るとき、まあまだ、僕なんか小学校3年生のことなんかほとんど覚えてませんけど、古木さん、1、2年生のその近所の学校のとき、それからその学校を途中で、3年生の終わりころってことですかね、やめて移るっていうあたりのことで、覚えてることってのはどんな感じですかね?

古木:ああ、もうなんか勝手にお母さんが決めてた感じで。たぶん病院から言われたと思うんですけど、大学病院で。僕のお母さんの兄が同じ障害で、たぶん同じ病院に入ってたと思うんですけど。

立岩:それは熊本の大学病院ってことですか?

古木:はい、同じ病院に入ったみたいな、はい。

立岩:じゃあ2歳で診断を受けたあと、再春荘病院に行くまでは熊本大の付属病院に通ってたっていうか、そんな感じだったんですかね。

古木:はい、そうですね、大学病院に通ってて。

立岩:それで通院してた時期っていうのは、小学校入ったときは走ったり歩いたりっていうことだったとおっしゃったけれども、何か様子を見るっていう以外に、リハビリテーション的なことであるとかそういうのはあったんですか?

古木:いや、それはなかったですけど。

立岩:ときどき行って、体の様子を見てもらうぐらいの感じですかね?

古木:そうですね、そんな感じです。

立岩:それはお母さんが連れて行かれた。

古木:はい、車で連れてって。はい。

立岩:そうすると、そういうのでときどき様子を見せに行き、小学校3年生の終わりころに、たぶん大学病院の方から言われて、母親っていうか親の方(ほう)がその病院にっていう、そういうことだったと。

古木:はい。

■小学校で

立岩:なるほど。小1、小2、僕よく覚えてないな。1年生、2年生、3年生か、その小学校のときのことって何か覚えてますか?

古木:そうですね、けっこう、同じクラスにいたときは良かったんですけど、まあ小学校2年生ぐらいから特別支援学級に通う、学校内にある、はい、そこで僕1人になるっていうのがあったんですけども。[00:15:10]

立岩:それは支援学級が、1年生から6年生まで含めて1人だったみたいな感じですか?

古木:そうですね、僕1人しかいなくて、はい。

立岩:もう1人きりっていうか。

古木:はい、そうですね、小学校2年からは。

立岩:じゃあ全科目というか、1日中1人で先生とっていう感じだったんですか?

古木:そうですね。給食以外、給食と音楽以外は。

立岩:給食と音楽は元の学級に行くけれども、それ以外は、か。

古木:はい。

立岩:ああ。それって、だけど今から考えるとっていうか、「体が動かないだけ」っちゃ「だけ」じゃないですか。

古木:そうです。

立岩:だからそういう意味で言えば、授業というか、受けられるような気がするんですけどね。

古木:そうですね。教室の移動とか、階段上がるのがちょっととしんどいとかそういうのがあったから、たぶん分けられたんじゃないかなと。

立岩:3年生っていうのは階が上がるんですか? 2階にあるとか、そんな感じだったんですかね?

古木:いや、1階…。ああ、そうですね。階は上がりま…、2階だったような気が。

立岩:その特別支援の学級っていうのは1階にあった。

古木:そうですね、1階に。

立岩:だんだん1年生、2年生と移動っていうかが困難になってくるっていったときの移動っていうのは、どんなふうになさってたんですか?

古木:は、もう自分で歩いて行ってた感じですけど、まあ階段登るのはやっぱ難しいという感じで。最初、手伝ってもらってたけど、もうそれも難しくなってきて、っていう感じで、はい。

立岩:そうやって上がるの難しくなってからは、まあ基本2階行かないっていうか、行けないっていうか。

古木:ああ、そうですね。

立岩:これも人にほんとによるというか、地域によるみたいで、実質親が介助したりとか、教員というか学校の側で用意されたりとかいろいろみたいですけど。古木さんの場合はそれじゃ、特に小学校にいる間は誰が付いてっていうようなことはなかったって感じですかね?

古木:そうですね、先生がいたって感じですけれども。



立岩:それで、そうか、まあその病院のほうで言われて、らしいという。そのときはやっぱり、やっぱりというか、どうなんですか、1人いる学級っていうのと、そのあと病院に行き、病院の付属とくっついてる学校に行くときの変化っていうのは、小学校3年生の古木少年にとっては、どんな感じだったんですかね?

古木:でもやっぱりなんか普通の学校に行きたいな、とは思ってました、それは。

立岩:思ってた。思ってたけど、でも「親も言うし、しょうがない」っていうか「しょうがないんだろうな」みたいな、そんな感じですかね。

古木:というか、「もう決めたから」って言って連れて行かれた感じです。

立岩:「もう決まっているから」っていうんで、いいとか悪いとかそういう話じゃないっていうことですね。

古木:そうです。「今日からここ行くから」って言って連れて行かれた感じで。

立岩:「今日から」っていう感じだった。

古木:そうですね。「今日からもう行きますよ」みたいな。

立岩:え、その前の日に言われたとか、その1週間前に言われたとかじゃなくて、その日に言われたみたいな感じですか?

古木:そうですね。連れて行って、「今日からここに住むから」みたいな感じで。

立岩:あら。じゃあけっこう急激に生活が変わったっていうか。

古木:そうですね、はい。

立岩:その学校のクラスの方は3人だったとおっしゃったけれども、住んでたのが病院ってことですよね?

古木:そうですね、病院ですね、はい。

立岩:どういう病棟だったというか、あるいは教室だったっていうか、部屋は。

古木:部屋は8人部屋で、ベッドがなんかもう並んでるだけみたいな。

立岩:これもけっこういろいろあるみたいですね。8人は僕がこれまで聞いた限りじゃ多い方かな。

古木:ああ、そうなんですね。

立岩:6っていうのと4っていうのと聞くんですけど。8、ベッドが並んでいるわけですよね?

古木:そうですね、はい。

立岩:仕切りみたいなものは? カーテンというか。

古木:いや、カーテンはなかったです。はい。棚が置いてあるだけみたいな。3段ボックスみたいな。[00:20:03]

立岩:4かける2って感じですか? 並び方としては。

古木:そうですね、4つ両方に、はい。

立岩:4つ、4かけ2で8はもう、8埋まってるっていう感じでした?

古木:そうですね。埋まってましたね、僕のときは。

立岩:で、その8人住んでる子どもたちっていうか、さっき聞いた話だと、子どもだけじゃなくて40ぐらいの人もいたっていう話聞いたんだけど、古木さんのとこは、どんな人がどんな感じで8人いたって感じですか?

古木:まあやっぱり年齢が同じぐらいの人が多かったような気が。たぶん大人は大人みたいな部屋があったり、女性は女性みたいな部屋があったり、そんな感じやったと思いますけど。

立岩:古木さんのところは、まあ子どもの、男のっていう部屋。

古木:はい。

立岩:障害名で言ったら筋ジスの人が多かったのか、それともいろいろだったんですか?

古木:筋ジスの人って人もいれば、SMAの人もいたかなって感じは。

立岩:ああ。でもどっちか言ったら筋疾患というか、SMA、筋ジスみたいな。

古木:そうですね、あと福山型とか。

立岩:ああ、福山型の筋ジスの人もいるっていう。やっぱりそれは、熊本のその旧療養所っていうのが筋ジスの病棟から始まったというか、があったっていうのが関係してるんですかね?

古木:はい、「筋ジス病棟」っていう名前だったんで。

立岩:ですよね。今日、午前中聞いた人はそういうところじゃなかったんで、「周りの人はみんな、脳性麻痺とかそういう人だ」って、「筋ジスは私だけでした」っておっしゃってましたけどね。
 そうか、じゃあわりとそういう人が多くって。それで、学校とその病院の間は近い? 隣接している感じですか?

古木:近い。はい、廊下でつながっている感じですね。

立岩:どこも等しくそうみたいですね、廊下でつながっている。

古木:ああ、はい。

立岩:それで、朝起きて、朝ごはんたべて、廊下わたって学校に行く。

古木:はい。

立岩:そんな感じ?

古木:はい、そうですね、はい。

立岩:お昼は?

古木:お昼は病院に帰ってきて、ごはん食べるって感じ。で、もう1回行くみたいな、はい。

立岩:なるほど。学校でよりは、いっぺんまたその廊下わたって、病院の食堂っていうか、そういういうところでごはん食べて、また学校戻って。

古木:はい。家から通学してる人とかは、学校で食べるっていう感じです。

立岩:そうか。病院は病院がたぶん提供する食事があるわけですよね。

古木:はい。

立岩:その通学してた子たちっていうのは、お弁当? 給食?

古木:たぶんお弁当だったと思います。

立岩:じゃあ通学の子たちと病院の子たちは、別々のところで別のお昼を食べてたってことですよね?

古木:そうですね、はい、はい。

立岩:お昼食べて戻って、午後の授業受けて、それで病院に戻る。

古木:そうですね、病室に戻るみたいな。

立岩:誰だっけな、聞いたときに、病棟と学校の間くらいのところにリハビリの部屋みたいなのがあって、そこで訓練した、みたいなことを言ってた人がいたように思うんだけど。古木さんのとこはそういうのはどうだったんですか?

古木:は、学校行く途中、もう1回戻ってきて、訓練室に行くっていう時間はたしかあったと思うんです。

立岩:訓練室っていうのがあるわけね。

古木:はい。

立岩:訓練室はどっちにあるって?

古木:病棟のちょっと隣にある施設みたいなところにあったんです。

立岩:病棟の中っていうよりは横っていうか。それは何をしたっていうか、させられたっていうか、記憶ありますか? [00:25:06]

古木:それはやっぱり起立台に立ったりとか、

立岩:立ったり?

古木:起立台みたいな台に、起立訓練みたいな感じでなんかベルトで留めて立たせるみたいな。とか、体動かしたりっていう感じで。あとまた別に、病棟に帰ってきたときに、床に何かマットみたいなの敷いてあって、そこをいざり訓練っていう、座っていざって1周するみたいな。はい。

立岩:膝立てて、いざって。それも訓練っていう感じか。

古木:はい、そうですね。それを毎日やらないと、

立岩:その訓練っていうか、それって「けっこう体がほぐれて良かった」っていう人もいればね、「なんか痛くて嫌だったよ」っていう人もいるんですけど、古木さんにとってはどんな感じだったですか?

古木:まあけっこう動けたというのもあって、でもけっこう、なんかその人によって何周かする人もいれば、僕はけっこう動けたので、何周もしないといけなかったので、けっこう、

立岩:ああ、動けるがゆえにというか(笑)、

古木:はい、けっこうしんどかったですけどね。

立岩:痛いとかそういうのはなかった? どうです?

古木:まあ下は地面、硬いからまあ、痛いのは痛いですけど。

立岩:それはいざる方のやつか。

古木:はい。

立岩:ベルトを使って体を支えて立つとか、そういうのはどんなでした?

古木:ああ、それはそんな、まあまあ痛かったですかね、ちょっと。

立岩:まあまあぐらいの感じで。「まあしょうがないかな」っていう感じだったのか、どうでした?

古木:やっぱり嫌だとは思ってましたけど。治るとまでは思ってないですけど、「意味あるんかわからないな」と思いながらやってた感じ。

立岩:それは週で言ったら何回というか、何日というか。

古木:えー、それはたしか毎日だったと思うんですけど。

立岩:毎日やった。そうか。今日聞いた人はね、途中で手術をしたって言ってましたけど、そんなことは古木さんに関してはなかった?

古木:そうですね、手術とかはなかったです。

立岩:そうか。それってちょっと待てよ、小学校3年生の終わりころにそこに入って、で、けっこうそこ長居するんですよね? たしか。

古木:そうですね。

立岩:いつまでいたってことですか?

古木:えーと、23歳ぐらいまで。

立岩:1980年生まれだから、2003年とか?

古木:はいそうですね。

立岩:じゃあ10歳からだとすると、13年とか?

古木:ああ、そうですね、13、4年かそんなんですね。

立岩:小学部出て、中学部出て、高等部もそこにあるんですか?

古木:はい、高等部も途中でできたんですけど。僕がたしか2期生ぐらいの感じで。はい。

立岩:そこで高等部できたのはけっこうあとの方で、

古木:はい、そうですね。

立岩:古木さんが高等部入る1年前にできたから、古木さんは2期生と。

古木:はい。

立岩:ああ。その高等部って学生というか生徒さんっていうか、どのくらいいるような感じの高等部だったんですか?

古木:高等部になったら、たぶん10人ぐらいはいたと思います、1クラスに。

立岩:1クラスっていうのは1学年って考えていいの?

古木:ああ、そうです、それは1学年だったんです。

立岩:1学年10人ぐらいいて、高等部やって。そのときに、総じて古木さんって小学校1年のときは勉強したし、勉強得意だったっておっしゃったけど、どうですか。中・高通してというか、学校の勉強というか教科っていうか、そういうのはどうだったんですか? [00:30:08]

■不良になる・反抗する

古木:いや、けっこう、もう宿題も全然やらなくなったし、もう無視してやらないって感じで、先生に言われても。

立岩:宿題がなかったんじゃなくて、宿題は出たけど宿題はやんなかったっていうことですね。

古木:はい。全然んやらなかったって感じでしたね。

立岩:それはどういう感じ?(笑) 反抗心みたいもんなのか、「なんかもういいや」って、

古木:そうですね、反抗もあったし、諦めもあったって感じですかね。

立岩:そうすると先生は何か言うわけ?

古木:めっちゃ怒りますけど。

立岩:怒られた。

古木:はい、けっこう怒られてます。

立岩:でも、怒られてもやんないんだ。

古木:はい。

立岩:(笑) そうですか。

古木:何かそんときちょっと荒れてた感じなんで。病棟でもめちゃくちゃな感じやったんで。

立岩:病棟の中でも荒れてるやつと荒れてないやつがいるわけ?

古木:そうですね。僕だけじゃないかな、荒れてたのは。

立岩:病棟の中での不良グループっていうかさ、そういうのがあったわけ?

古木:いや。

立岩:そういうことでもない?

古木:それ、僕だけ何かちょっと変わってるって感じで、みんなに嫌われてる感じの。ちょっといじめたりしたんで。

立岩:どっちがいじめたの?

古木:僕がまわりの人をいじめたりとか、

立岩:古木さんが、

古木:はい。

立岩:じゃあけっこう1人で非行に走ってた感じなんですかね。非行っていうか。

古木:そうですね、病棟で、

立岩:じゃあほかの子たちはそんなにさぼったりしなくて、まあまあまじめだったんだけど、

古木:けっこうまじめだったんですね、僕以外はね。

立岩:古木さんが1人で反抗的だったと、そんな感じなのね(笑)。

古木:そうですね、めちゃくちゃ。病院のもの壊したりとか。

立岩:壊してた?

古木:はい。

立岩:何壊すんですか?

古木:ああ、なんかガラスを頭で割ってたりとか。

立岩:ええ、それはけっこう激しいですね。

古木:そうですね。あとは、虐待とかやられたら、看護師さんの車、壊しに行ったりとか。

立岩:え?(笑) すげえ。ちょっと待って、古木さんが虐待されたの?

古木:そうですね。

立岩:看護師さんに?

古木:僕とかまわりの人が、

立岩:それは何されたっていうことなんですか?

古木:えーと、なんか寝てるときにバケツで、風呂場かな、風呂場で、寝てるときにバケツで顔に水かけられたりとか。

立岩:え? ちょっと待って。寝てるってことはベッドの上ですよね?

古木:そうですね。洗ってもらうとき、寝て洗うときがあるんですけど。

立岩:ちょっと待って、ベッドの上で顔洗う?

古木:はい、寝て洗うときに。

立岩:寝て洗うときに、何をされるって?

古木:上から顔にバケツで水かけられたり、お湯かけられたり。消毒液を、陰毛、陰毛っていうかチン毛ですかね、にかけられて。

立岩:消毒液を?

古木:はい。かけて、ライターで火つけられた。

立岩:え? 消毒液かけられて。火がつくような消毒液なんですか?

古木:そうですね、アルコールが入ってる、ちょっと。

立岩:アルコールの。え? 火がついたら燃えるじゃないですか。

古木:そうですね、まあ何人か燃やされたみたいな感じで。

立岩:え、え、ちょっと待って。体のどっかに近いところが燃えるんですか?

古木:ああ、その、陰毛が燃やされてるって感じ。下の毛。

立岩:ああ! 陰毛ね。

古木:はい、はい。

立岩:えー、何それ? それは普通に聞いたら、意図的な加害行為っていうか、

古木:あ、そうですね。

立岩:としか思えませんけど。それは何、ちなみに性別的に言うと男性ですか? [00:35:07]

古木:はい、男性の人で、それをやったのは主に看護助手。

立岩:看護助手? 男性の看護助手なんですか?

古木:そうですね、はい。

立岩:そういうことするのは、もうこの人1人だけっていう感じ?

古木:まあ2、3人。2、3人ぐらいって感じですね。はい。あと、足蹴ってきたりする人いるんで。

立岩:それは、古木さんの分析じゃないですけど、思うにね、何が憎くてっていうか、何でそういうことしたんですかね? その人たちは。

古木:は、どう…、何でかはちょっと。「ストレスが溜まってる」とは言ってましたけど。

立岩:はあ、ストレスねえ。その被害を受けるのは、古木さんだけじゃなくて?

古木:そうですね、みんなけっこう。でも、主(おも)に嫌われてる人がやられるとは思うんですけど。

立岩:嫌われてる人の方がやられがちだけど、でもそれは1人や2人ではないってことね、やられるのも。

古木:はい。

立岩:たとえば8人部屋の部屋があるじゃないですか。そこの中の何人かもやられるっていう感じなんですね?

古木:そうですね、火つけられたときはけっこう、5、6人、その部屋におった人はやられてます。

立岩:え? 8人部屋で、5、6人火つけられたってことですか?

古木:はい、順番に。「邪魔だから燃やした方がいい」と言われて。

立岩:邪魔だから? ああ、「毛が邪魔だから」。

古木:はいはい。「介助するとき邪魔だから」。

立岩:へえー。あとで車壊した話は次に聞きますけど、それはそれとしてさ、そういうときにその病院では、誰かに、たとえば看護師長であるとか医師であるとか、そういうのに訴える的なことっていうのはなかったんですか?

古木:そうですね、1回だけ、なんか福山型の女の子が泣いて、倉庫に閉じ込められたっていうのがあって。口にガムテープを貼られて、それで閉じ込めたっていうことがあって。

立岩:泣いた福山型の女の子に、テープを貼って閉じ込めたってことですか?

古木:そうです。ガムテープ口に貼って、「ちょっと泣きやむまでここにいなさい」という感じで、車いすを置いてある倉庫に連れてって。

立岩:そんなこともあったと、したときに、

古木:それで怒って、院長室に僕が1人で行って、なんか「ちょっと話し合いさせろ」みたいな感じで、何て言うの、殴り込みまでは言わないですけれど、「話し合いさせろ」っていう感じで言って、1回話し合うことになったんですけども、その看護師さんがやっぱ泣いて、そこで、「やってないのに言われてる」みたいな感じで泣き真似して。で僕は素行が悪かったんで、あんまり信用してもらえなかった。「嘘ついてる」っていう感じになって、あんま聞いてもらえないっていう感じ。

立岩:そうか、古木さんは不良だったんで言い分聞いてもらえず、看護師は嘘泣きして「やってない」って言うもんだから、形勢的には不利でっていうか。

古木:はい。

立岩:で、結局それはそのままというか、その、

古木:そうですね、そのまま。逆に僕がだんだん居心地が悪くなっただけみたいな感じでしたね。

立岩:そのあとね。

古木:はい。

立岩:へえー。じゃあその1回院長室行ったのは効果なく、かえって自分の立場が悪くなるぐらいの感じだったと。[00:40:19]

古木:そうですね。それから訴える方法はちょっと思いつかない。

立岩:院長室に殴り込みっていうか行ったのは、何年生のときだか覚えてらっしゃいますか?

古木:それはたぶん、小学校5年生か6年生ぐらいだと思いますけど。

立岩:そんなに、中・高になってからじゃなくて、小学校高学年のとき。それは何、女の子が閉じ込められたのに怒って行ったってこと?

古木:そうですね。「やりすぎや」って思ったんで。

立岩:じゃあ、その陰毛焼かれる事件はそのあとですか?

古木:そうですね、それはそのあと。

立岩:生えてないと火つけられないもんね。

古木:それで訴えるとこはなかった、まあ思いつかなかったって感じですね。

立岩:ああ、「もう無理や」っていうか。その火つけた話っていうのは何? それ。その看護師の車?

古木:いや、いや、火つけたのは、

立岩:火つけたんじゃなくて壊したんだっけ、なんか壊しに行ったって言わなかったっけ?

古木:そうですね、棒で叩いて壊したみたいな感じで。やり返すために。

立岩:それは陰毛焼かれ事件の復讐というか、そっち?

古木:いや、そっちじゃないですね、やっぱいろいろな違うやつの。なんかずっとえらそうにしてる看護師さんがいて、めちゃくちゃみんな言われて、僕も言われてたんで腹が立って、それで壊しに行ったって感じ。

立岩:それは、単独犯っていうか、

古木:はい、それは僕1人です。

立岩:車壊すって、だけど何、どういうもので何を壊したんですか? 車の。

古木:まず電動車いす乗ってるんで、それでけっこうぶつかって、ドアをこうボコボコにして(笑)。で、棒みたいので叩いてたみたいな感じ、叩いたみたいな感じです。

立岩:電動車いすで突進してぶつけて、で、棒で叩いて。

古木:はい。

立岩:ガラス壊れたりした?

古木:そうですね、けっこう。

立岩:(笑) それ、すごいすね。

古木:そのあと警察来たんですけど。

立岩:警察来た?

古木:はい、調べに。

立岩:へー。警察の取り調べ受けました?

古木:いや、僕は全然、ばれてない感じですね、「誰が」、

立岩:あ、ばれなかったんですか? それ。

古木:そうですね、誰がやったかわからなかったみたい。

立岩:誰も見てないところで壊してから帰ってきたみたいな感じか。

古木:そうですね。

立岩:そういうことか。じゃあ犯人挙がらずだ。

古木:そうですね、わからなかったみたいで。

立岩:これ、だけど、いいんですかね? 時効ですかね?

古木:いや、わかんない。あれ、時効じゃないかもしれない。

立岩:それ、ちょっとあとで記録、点検するときに、やばかったら削るなり、

古木:ちょっと危ないかもしれない。

立岩:いやもうなんか削らない方が楽しげ、楽しいっていうか、おもしろそう。私はいいと思いますけど。まあ大丈夫ですよ、たぶん(笑)。それはだけど何年生ぐらい?

古木:それは中学、たぶん1年ぐらい。1年か2年だと思います。お母さんがいなくなってからだから、中2かな。

立岩:お母さんいなくなったってのは、どういう?

古木:ああ、途中で再婚して、どっか違う県に行くっていうことで。「ついて行かない」って言ったんで。

立岩:つまりお母さん離婚なさって、別のところに再婚に行って、離れたってことですか?

古木:そうですね。小さいころ、たぶん病気がわかったときぐらいに離婚してたみたいですね。お母さんが19歳ぐらいで、たぶん障害がわかったんだと思うんですけど。お母さんは17歳のときに僕を産んだんで。

立岩:じゃあけっこう若くて産んで。でもそっか、2歳のときにデュシェンヌ型だから、その遺伝のことがわかって。で、自分がそれ持ってるっていうこと? [00:45:05]

古木:はい、そうですね。

立岩:が、わかって。でも小学校2年、3年生のときまではお母さんが熊本大学病院に連れてったわけでしょ?

古木:そうですね、でも普通面倒みてるのは、おばあちゃんがずっとみてるって感じ、家では。

立岩:ああ、家の中ではおばあちゃんが面倒みてる。

古木:はい。

立岩:お母さんが家を、もし聞いていいんだったらですよ、家を離れたのがいつごろってことになるんですか?

古木:は、14歳ぐらい。

立岩:ああ、中2とか。

古木:はい。中2ぐらいで再婚して、どっか行くってことになったんで。「大阪に行く」しか聞いてない、そっから連絡取ってないんで。

立岩:ああ、それからはまったく音信不通っていうか、まったくないの? やり取り。

古木:はい。

立岩:今の話の流れから言うと、その当時荒れてたっていうのはそういうことも関係あったっていう、そういう話なんですか?

古木:まあ、親のこともたぶん関係はあったと思いますけどね。まあ、そうですね。

立岩:へー。いや、けっこうやりましたね。まあでもそれは見つかんなくて。でも、そういうんで気に食わなかったってことですよね、学校にしろ、病院の、とくに看護師なり看護助手なりにとんでもない人がいたと。

古木:そう、それもあったし、まあやっぱ病院の環境が嫌だったというのがたぶん大きいと思います。

立岩:明らかなハラスメントっていうか暴力っていう以外に、病院の感じっていうか嫌さっていうのはどういうところだったんですか?

古木:やっぱ夜とかナースコールを押したときに、それはやっぱけっこう怒られるんで、夜押したりすると。

立岩:ああ、「また呼んで」みたいな、「ナースコール押して」みたいな。

古木:そうですね、誰かが呼んだあとに気づかず寝てて、もう1回押すと、やっぱり「さっきいたのに何で言わないの?」ってけっこう怒られる。

立岩:ああ、そういうことか。そのナースコールっていうのは何のために呼ぶわけ? 夜ですか?

古木:そうです、体位交換とか。それはもうけっこう高校生とか大人になってからですけれど。

立岩:体位交換しないと体痛いから、ナースコール押すと怒られるみたいな。

古木:そうですね、「今さっきおったのに何で言わへんの?」とか。

立岩:なるほどね。これもときどき聞く話ですね。嫌がらせというか暴力、それからそのナースコール。それから他には病院のことで、

古木:そのナースコールの件で言えば、もうちょっとある。ナースコール、痰がつまってて、押しても誰も来なくて、なんか気絶、気を失ったことがあって、1回。

立岩:息ほんとにつまっちゃって、

古木:はい。で、気管挿管したということがあって。

立岩:ほんとに瀕死っていうか挿管しないとやばいっていうか、そういうことだったってことですよね。

古木:そうですね、そこまで、はい。

立岩:それいつごろですか?

古木:それはもう退院するちょっと前ぐらい。21歳か2歳ぐらいですね。

立岩:そのお母さんのこと、何だろね、もちろんそこまでそうなると反抗的になりたくもなるよね、っていう気は僕はするけれども。でも他の子たちはまあまあ大人しかったっていうか、耐えてたというか、なわけでしょ?

古木:はい。

立岩:そこで1人で突っぱってたっていうのは、それはまあ家庭のこともあっただろうけれども、ほかに何か思いつく要因っていうか、ありますか?

古木:要因。何やろ、うーん。



立岩:その当時何か流行ってたとかさ、何だろな。たとえば何かに刺激を受けたりとか、そういうことってあったのかな? 音楽であるとか、何だろ? とくにそういうのはない? [00:50:13]

古木:いや、そんなんは。音楽とかもそんな聴けなかったんで、そんな。テレビ観るぐらいしかないですけども。

立岩:テレビは8人部屋に1個みたいな感じなんですか?

古木:そうですね、1個で、ベッドに近い人がほとんどチャンネル権を持ってるみたいな感じで(笑)。

立岩:そうかそうか。じゃあ80年生まれで2000年、そのあたりって通信手段っていうか外界との、それはテレビ観るのはとりあえず観れるとしてですよ、ほかに何かあったんですかね? 今だったらけっこうみんなネット使ったりしてるじゃないですか。

古木:まあ10代…。まあ20代からはネットが出てきたんで、ネットとか携帯使えるようになってきた感じですけど、その前までは電話だけでしたね、外とは。

立岩:ああ、外行って、ピンク色の電話みたいなやつを、そうやってお金入れて電話するしかないっていう感じですか。

古木:そうですね、はい。

立岩:携帯は、ある時期から使いだしたんですか?

古木:そうですね。でもほとんど病棟では、最初はやっぱあれ、医療機器との兼ね合いがあるからっていって、ほとんど使えなかった。

立岩:ああ、電波が何とか言われてね。

古木:はい。使ったら怒られて、取り上げられるっていう感じだった。

立岩:病棟っていうか病室で使えるようになったのは、いつごろだったか覚えてらっしゃいますか?

古木:病棟で使えるようになったのは、なかったですね

立岩:なかった。いたときには使えなかった。

古木:はい、まだ。はい。

立岩:パソコン、ネットは?

古木:あ、ネットは自分で引いて使うって感じです。回線を買って、パソコン室でつなげるっていう方法で。

立岩:パソコン室っていうのが、それは病棟の中にあるんですか?

古木:そうですね、病棟の中にパソコン室、

立岩:そこまで行って、病院の備え付けのPCを使うってこと?

古木:はい。

立岩:そのPCは、どういうかたちでネットに、ネットっていうか回線がつながっているっていう話なんですか?

古木:自分で買ったパソコンをつなげる。

立岩:あ、自分で買ったパソコンをそのパソコン室に持ってくってこと?

古木:はい、そうです。

立岩:なるほど。2000年ぐらいか。まだそんなに普及してないっていうか、遅い…。普及しだしたころですよね、たぶんね。

古木:だから20歳過ぎてからが、よくパソコン使うように、

立岩:そうなんだ。パソコンで何してました? ネット見てた?

古木:ネットしたり、なんかそんときチャットというのが流行ってて、外の人と連絡取って。今で言ったら出会い系って言うんですかね。女の子となんか、いろいろ付き合ったりとか、そういうのはありましたけど。

立岩:ああ。それで自分の機械もってってつなぐ分には、それは問題はないというか。

古木:そうです。

立岩:制限みたいのはあったんですか? 何時から何時までとかさ。

古木:いや、動けない人はたぶんまあ…、僕たちもまあ、どのくらいかな、制限はまあ夜7時ぐらいまでとか。

立岩:消灯というか、それに関係する制限はあったというか。

古木:はい。7時にはベッドに移動しないといけないというのがあったんで。

立岩:生活時間的に言うと、7時にベッドに上がんなきゃいけなくて。消灯時間もあったんですか?

古木:はい、消灯は9時。

立岩:7時ベッド、9時消灯。朝は? [00:55:05]

古木:朝は6時起床です。

立岩:朝は6時起床。朝ごはんは?

古木:は、7時。

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古木 隆 i2020b インタビュー 2020/12/12 聞き手:立岩 真也 Skype for Business使用


UP:20210118 REV:
古木 隆  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇筋ジストロフィー  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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