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永村実子氏インタビュー・4

20201127 聞き手:立岩真也・尾上浩二・岸田典子 於:東大阪・ゆめ風基金事務所

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■インタビュー情報

◇文字起こし:ココペリ121

■インタビューの全体

※167分+1つ(インタビュー後御馳走になった時の会話)の記録を4つのファイルに分けました。
永村 実子 i2021a インタビュー・1 2020/11/27 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
永村 実子 i2021b インタビュー・2 2020/11/27 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
永村 実子 i2021c インタビュー・3 2020/11/27 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所
永村 実子 i2021d インタビュー・4 2020/11/27 2020/11/27 聞き手:立岩真也尾上浩二岸田典子 於:東大阪・ゆめ・風基金事務所

■関連項目

楠 敏雄(1944〜2014/02/16)  ◇関西障害者解放委員会  ◇全国障害者解放運動連絡会議(全障連)  ◇ゆめ・風基金

■本文


■■
※以下は、インタビューがひとわたり終わった後、永村さんに御馳走になりつつの会話のなかから、さしさわりのない部分をいくつか取り出し+その前のインタビューの一部を加えたものです。
■■

立岩:だから76年以降というかぐらいからは、まあまあ書いてあるものとかいろいろあってわかりますやん。で今日も言うたけど、やっぱ72年ぐらいから76年ぐらいの3、4年がちょっと闇っていうか知りたいって思うんですよね。だからまあいろいろあって運動から抜けた人の方が多いかもしれないけど、でもご存命であって、まあお話ね、してくださる人がいればうかがいたいなっていうか、岸田さんに聞いてほしいなってのはありますね。

尾上:たとえば今日のお話だとその、全障連の前のその全国活動者交流会とかっていうやつでしたっけ、その、そのときのことを知ってるっていったら、今だったら誰に?

永村:今つながりがあると言えば、今もうパラリンピックでそれどこじゃないっていう、

尾上:吉田〔義朗〕さん

※2020/02/25 「成田闘争で下半身不随、障害者カヌー協会立ち上げ25年 会長、東京パラへ共助の社会願う」『京都新聞』
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/169540
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田義朗(1952〜)

永村:彼はもともとね、高校時代にカヌーをやってて、三里塚に行って生き埋めになって、下半身不随になって、

立岩:そういう人なんや。

永村:うん、んで障害者運動をやってたんだけど、有名なモンベルのあの門真の店長をやって、定年までやったと思う。モンベルの会長にえらい好かれてね。今でも岸和田のメンバーとかと交流はあるらしいけど。知的障害者と一緒にやる、みたいなんで。

尾上:その、全障連結成の頃っていうのは、僕も吉田さんっていうのは関西ブロックの会議で1回ぐらい見たか見ないかぐらいで、尾上:で、そんなに知らなくて。全障連をつくるぐらいのときは、けっこう中心に、

永村:燃えてたよー。あの頃は。「日共全障研を越える障害者運動の全国潮流を」って、燃えてましたよ。(笑)。

立岩:その人が今カヌーで、

永村:今は日本障害者カヌー協会の会長、多分。

立岩:パラリンピックで、

永村:パラリンピック。東京に出向しているはずです。

立岩:いや、でも、でもというか、まあおもしろいかもしれないね、そういう人に話聞くの。三里塚で生き埋めか。そうか、そういう人か。

永村:カヌー協会は今の連絡先は東京だけれども、関西の障害者定期刊行物協会に加盟のままで通信発行しているから。

尾上:ああ、その機関紙のあれで、

永村:もう昔やけど、電話番号はお互いたまたま登録してあって(笑)。あの、私は〔障害者カヌー協会〕本部に電話したんやけど。たまたま彼が出てきて。「もしかして本田はんか?」とか言って(笑)。そんで突然「腐ってへんで」と言うので「何それ?」って聞くと、「腐ってると思われているかなと」って言う。何十年ぶりの会話やし腐ってるなんて思うわけがない。

立岩:スポーツやってた人と、ただの、っていうかもとからの障害者って、雰囲気違うところやっぱりあるよね。たとえば頚損とかだと、けっこうラグビーやってた人とかいますやん。やっぱなんかラガーマンだよね、頚損になってもね、心は。その、マッチョっていうか。

尾上:基本の精神構造がね。

立岩:そうそう、精神構造が。もうそういう感じ。**さんとか、ああいうの。

尾上:(笑) わかる、わかる。すごくわかる。

永村:「えー、そんなこと思ってるんや」って発見やったわ。

立岩:昔を知ってる人に会うときに一瞬思い出すんですよ。そんな毎日は考えてないですよ。

永村:ああ、なるほど。

尾上:だから、もしかしたらその彼からしたら、こう、自分は運動をやめてこれをやってるけども、もうずーっと運動へこう、一生やってる本田さんっていう、思い出して、ちょっとこう、そういう言い方になったんかな。

立岩:そうやと思いますよ、それはわかる気がする。

尾上:あと、全障連の戸田さんとかはその時代は、まだなんですかね。

永村:戸田ちゃんは全障連以降やね。戸田ちゃんとかね、平井さんはね。戸田ちゃんもゆめ風の理事やねん。で、なんと副代表になったの。

■※インタビューの冒頭

立岩:岸田典子って知ってますか?

永村:実はね、昔から楠さんの周辺にはいたので、だから私は知ってたんですけど、そんな親しい関係でもなかったから。またお会いするようになっても、よそいきの関わりで。視覚障害者の方たちはしょっちゅう楠さん会ったり、焼肉食べに行ったり、なんや寿司食いに行く、なんやら実行委員会とか(笑)。鹿児島まで寿司食べに行くとかね。そういうことしてはったみたいです。これは知りませんでした。

立岩:それはすごい。けっこうつきあいが濃いですよね、視覚の人たちってね。

永村:濃いですよ。ほんで5、6人視覚障害者が集まって焼肉食べたり。楠さんにガイド頼まれて待ち合わせ場所に行くと、5人・6人の視覚障害の人が単独で来てるんですよ。思わず、「もうちょっと堪忍してよ、介助者わたしだけ?」って(笑)。

立岩:視覚の人が6人ぐらいいる中で、1人で肉焼いてる、みたいな。

永村:ひたすら焼いて(笑)。

立岩:6人分焼くのは大変やね。

永村:だいたい楠さんそうなんです。言わへんねん、当日まで。「もうやめてよ」言うて。

立岩:それは大変や。昨日は栗川〔治〕っていう、ご存じないと思いますが、新潟で高校の教師をやって今年定年になった人が、全盲なんですけど、うち来てちょっとしゃべって。

永村:視覚障害教師の会の人かな?

立岩:そうです。

永村:それも手伝わされましたわ、全国大会とかやるときに。

立岩:その辺りのこと聞けたら聞いといてって、昨日一応宿題を出されてはいてて。

永村:(笑) 三宅〔勝〕先生いう人、もうとっくに定年で辞めてはりますけど、彼が中心になって。

立岩:大阪の方なんですか?

永村:西宮の音楽の先生です。で、中途失明で全盲で。けっこう学校とごたごたして。で、「なんとかせんといかん」いうんで、全国視覚障害者教師の会っていうものを立ち上げるんですけど、冊子※作りを頼まれて。神戸で総会みたいなのがあって。で、そこに、私は手伝いで行ってるだけなんで、そんなに真剣にも聞いてませんけど(笑)。

※後出の中村の論文に出てくる、全国視覚障害教師の会『心がみえてくる――普通校における視覚障害教師の実践記録』(1987)?

立岩:三宅さんご自身のその在職、就労かけて何かやったっていう話なんですか?

永村:その頃、もうあちこちに中途失明の教師がいて、みんなやっぱり学校で嫌がらせをうけたり、暗に退職を勧められたりっていうので、みなさん「なんとか残りたい」言うて。それで教師の会を作って、みんなで支えあおうみたいな感じの会でしたね。でもなんか聞いてたらもう泣きそうな、「うわー、つらい生活してはるなあ」って、みなさんね、各地の教師の人たち。で、三宅先生なんかもう、譜面作りとかあるでしょう。膨大な点字なんですよ、ずっと教師としてやってきたんで。その費用が自腹だからね、「大変や」言ってました。

立岩:その三宅先生っていうのは、その活躍というか、何年ぐらいの話ですかね? だいたい。

永村:そうとう古いです。全障連はできてたと思いますわ、その頃。

立岩:76年よりはあとってことか。

永村:「視覚障害教師の会」で検索したらね、出てくると思いますわ※。

※ 三宅勝(〜2018) 全国視覚障害教師の会初代代表(1981〜1992)
◇「三宅さんをしのぶ会 「教師の会」など40人が参加 大阪」,『点字毎日』2019年5月19日
◇楠敏雄 2012 「お祝いの言葉(1)」 http://jvt.lolipop.jp/iwai1.htm
「この視覚障害教師の会は数人で始めました。最初のころは、三宅先生と、真ん中あたりにいらっしゃる後藤先生の三人で、喫茶店で愚痴を言い合い、ぼやきながら出発しました。その組織が、いまは百名を超える仲間を結集するようになっており、これ自体がすばらしい成果だと思います。 」
◇楠敏雄 2012 「発足当時を振り返って(5)」 http://jvt.lolipop.jp/furikaeri5.htm
https://mainichi.jp/articles/20190516/ddw/090/040/008000c
◇中村 雅也 2013 「三宅勝先生のライフストーリー」,「視覚障害教師たちのライフストーリー」第2章,2012年度立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文 http://www.arsvi.com/2010/1300nm3.htm

ゆめ・風

立岩:〔ゆめ・風基金の事務所〕ってこんな感じなんですね。

永村:たまたまここが空いたんで。文房具屋さんやったんです。で、こういう棚はもともとついてたんで、「あ、これはいいわ」って。

立岩:店の棚をそのまま使ってるんですね。棚をスライドさせられるんですね。 〔この後、教師の会について→「3」に移動させました〕

[…]

立岩:ここ〔で永村さんが働いているのは〕はいつから?

永村: 1995年に阪神淡路大震災があって全障連の事務所で対応してたんですよ。そしたら大御所たちがやってきて、もう「救援本部立ちあげようや」って。その当時は救援本部立ち上げて。95年は救援本部やってて。1月でしょう、地震あったのは。6月に「ゆめ・風基金」を、河野さんと牧口さんが相談して立ち上げて、まあそのときに「関わってくれ」っていうのは言われて。あの、専従ではないけど関わりはずーっとあって、まあできることをぼつぼつ手伝うみたいな。だからもうほとんどここで仕事したことなかったんですよ。ここ、何年かな? それも週2回ですよ、あとは関定協にいるんでね。

立岩:関定協に仕事に行く日の方が多いですか?

永村:もちろんそうです。うん。もともと週1やったんですよ、ゆめ風は。そして若いスタッフが入ったんだけど、1年間の育休に入って、また専従の1人が定年退職と言う事も重なって、そこから週2日になっています。だから今は関定協が週3日で、週2がこっちに来てますね。

立岩:そんな感じなんですね。[…]

永村:電話番しながら、もう週2ではとてもここの仕事こなせないから、理事会のテープ起こしとか議事録作りとかいうのを、関定協の電話も鳴らない静かなときに片付けられるので。そこはね、ちょっと助かりますね。で、印刷の仕事も同時に引き受けてるんで、関定協で。ただ印刷が忙しい時はゆめ風の方は調整させてもらっています。

立岩:ああ、なるほど。ゆめ風、どんなあんばいですか?

永村:うーん。やっぱり永〔六輔〕さんの影響はすごく大きくて。有名人いっぱい名前連ねてくれてるんですけど、それほぼもう永さんのおかげなんですよ。

立岩:そうなんですか。

永村:それ以外の人たちもテープで応援っていうんで、最初のこの趣意書みたいなものを1小節ずつ、1行ずつ、落語家の人たちが入れてくれてはるんですよね。だからけっこうそうそうたるメンバーが名前連ねてやってくれてるおかげで、会員はぐぐっと増えて。特に永さんなんかもうラジオでもテレビでも、とにかくすきあらばゆめ風のことを言ってくれるので。で、今、賛助会員が1万5千人くらいかな。でお金はね、東日本のときも2億ちょっとしかなかったんだけど、基金が。もう覚悟したんですよ。もうそれ全部吐き出しても足れへんなあって。結局3億5千万ほど出したんやけど、それを上回るまた募金が来て。で、災害があってお金を放出すると、また寄付で入ってくるという。
 ただね、この2011年以降やたら多いでしょ、災害が。そしたらもうみんなね、寄付慣れというか寄付疲れというか(笑)、やっぱりちょっとずつ落ちてきたりしますね。ただ一方で、遺言残してくれてはって、亡くなった家族さんが。それでお金が入ったりとかあるんですけど、そういうお金がかたまって500万であるとか1千万であるとか。

尾上:お母さんが一定の遺産を残されて、で、それを、っていうかたちで

立岩:そうか。なるほどね。遺贈ね。ああ、そりゃいるかもしれないですよね。

永村:そのへんはありがたいですよね。

立岩:そんなん込み込みで、まあまあなんとかって感じですか?

永村:そうですねえ。ただ世代交代はもうここ数年、もうずっと議論になってます。

立岩:そうだよねえ。どうですか? そういう運動全般の継承って。まあ、どこでもなんか悩ましいですけど。

岸田:でも私は、楠さんはね、尾上さんをね早いうちからゲットしてね、後継者にしてはったのはこれは大成功やと、

尾上:そんなん別にねえ、後継者とかそんなあれじゃあないです。まあ楠さんに「DPI行ってこい」という話でしたけどね。

岸田:まあ、こないだDPIの討論集会のときに挨拶されてて、「ああ、やっぱ楠さんは見る目あったな」って思った。で、尾上さんのバトンを誰に渡す…、

尾上:え? あ、政策討論集会で、

岸田:あのね、政策討論集会で尾上さんが挨拶されてましたでしょ。

尾上:ああ、閉会の挨拶っていうか、コメントをしたあと。はい。

岸田:それを聞いてて、なんかすごーく楠さんと似たような、

尾上:そうですか(笑)。楠さんの受け売りをしてるんやろか。

岸田:ほんでね、「いやあ、ちゃんと後継者作ってお亡くなりになったなあ」と思って、「これは正解やったなあ」。で、「尾上さんの後継者を作らなあかんのちゃうかなあ」と。

立岩:でもDPIはまだおるほうやで、人が。

永村:いっぱいいるでしょう?

立岩:若いのが。なんとかなるやろうというか、なってるというか。佐藤さんは…、佐藤さんの話※もおもしろかった。僕、聞いたんですけど。まあそれはいいんですけど。そうかそうか。まあだけど、尾上さんが大学のときに捕まってっていう話は、そのときの状況とか考えたら、ありそうな話やなと。本田さんがまあ結局つかまったって、今日の話でだいぶわかった気ぃしたけど何やったんやろう? 近所におっていろいろしてもらって、

※佐藤 聡 i2018 インタビュー 2018/06/30 聞き手:立岩真也・権藤真由美 於:東京・戸山サンライズ

■新大阪

立岩:新大阪って僕は新幹線で通過することはあれども、そんな、降りなかったんやけど、3年前、そよ風の小林さんにインタビューしたときに新大阪で降りて※。新大阪って何かあるんですか? いわく、因縁が。

※小林 敏昭 i2018 インタビュー 2018/02/27 聞き手:立岩真也・北村健太郎 於:東大阪、りぼん社 ※

永村:ないけど、そのへんに青い芝の事務所があって、りぼん社もあったでしょう。で、何てったって、この写真の河野秀忠さんもリボン社とか青い芝に関わりのある人やったし。ほんでこのへんになったんじゃないかな。

尾上:なぜここらへんに、それこそ、昔は関西青い芝の会と全障連のもともとの全国事務局もここの近くのその大広荘というところにあったんですよね。

永村:そうそう、連絡先ね。

尾上:で、あとリボン社もここですし。あともう一つ、今なくなった東淀川勤労者センターっていうところでいっつも青い芝の会の会議をやって、で、さらに全障連の会議も時々やったって。なぜかこの新大阪周辺に事務所があり、会議をやってたっていうのありますよね。

永村:引越しの話があったときに、河野秀忠さんは「引越してどうするねん」って。事務所は新大阪、九州やら東京、札幌から来たり、いろいろ全国から来る人が便利だから」と。

尾上:ああ、全国から来たときに集まりやすいということ?

永村:そうです。一番便利やないかと、新大阪が。「だからゆめ風は新大阪から出たらあかん」って言って。

立岩:まあ確かにそういう意味では便利ですよね。必ず新幹線停まるよな。



立岩:さっきから〔ゆめ・風基金の〕ポスター見てるんですけど、この3人は、小室〔等〕さんとかわりとつきあい長いのは知ってますけど、あと坂田明さん。もう一人、林英哲とかって、ずっと支援してる、この時だけ? このイベントの時だけ?

永村:林英哲さん、坂田明さんはゆめ風20周年のときからのつながりですね。

立岩:ああ、そうですか。今でもつながりあるんですか?

永村:あります。永〔六輔〕さんつながりですわ。

立岩:林英哲が若い頃、この人って鬼太鼓座っていう佐渡の太鼓の集団の人だったんですよ。

[…]

永村:ああ、でも運動体のみなさんは大変やね。それでもよう働いてはるわ。だから私は「印刷で応援します」って(笑)。

尾上:まあ本田さんの印刷技術って、これお世辞でもなんでもなくて、そこらの人5人いるよりも本田さん1人いてる方が速いんですよ、まじめに。機関紙の折りとかね。

永村:それをみんなに言われる、褒められるから、「何言うてんの、私職人やで」って。

尾上:(笑)「そこらへんの人と比べるな」と。失礼しました。

永村:大好きやねん、印刷作業。ぜんぜん苦にならない。だから印刷とかのときは、もう土日出勤でもぜんぜん大丈夫。楽しいもん、紙さわってんのが。通信づくりの作業とか資料のファイリングとか紙の作業は楽しいですよ。(笑)。

尾上:いや、だって覚えてるのがね、その、阪神淡路大震災、それこそゆめ風とかできる前、救援本部とかできる前で、もうしっちゃかめっちゃかの中でやり始めるじゃないですか。で、それこそ通信をばんばん出さなきゃいけないんだけど、もうしっちゃかめっちゃかな状態で、それこそその発送とか誰もできない状態で、本田さんが来たらもうあっという間に片付いていくっていう。もう伝説だったんですよ。

立岩:へえー。

永村:今、ゆめ風の通信の発送も7千部請け負ってます。

立岩:その話聞いた方がよかったかもしれへんな。救援本部の便りって、わりと早くから来たじゃないですか。で僕がぱーっと開いたときに、知ってる人は大賀さんとかそういう人たちやから、「ああ大賀さん、関西に戻ってきてやってんだあ」みたいなそんな感じで。そっか、その裏には、というかそこには本田さんがいはったんや。

永村:大賀重太郎から指令が飛ぶんですよ。「西と東と分けてファックスで情報収集・情報発信を」「こうせえ、ああせえ、ニュースを出せ」って。大賀さんは自宅で一人でやってる(笑)。

立岩:いやあれは、何て言うかな、ねえ、よかったっていうか。

尾上:あの、『オズの箱通信』ね※。

※2013/1/17 「被災障害者に自立生活を、阪神の活動「教科書」に」『日本経済新聞』 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK16033_W3A110C1000000/
「阪神大震災から17日で丸18年。震災直後から神戸を拠点に障害者の自立支援活動をリードしてきた男性が昨年病に倒れ、亡くなった。故人の思いは後進に受け継がれ、東日本大震災の被災地でも脈々と息づいている。
ハンチング帽をかぶった人なつっこい男性の遺影を車いすに乗った障害者ら約130人がじっと見つめた。学生時代にたまたま障害者と出会って以来、障害者支援に半生をささげた団体職員、大賀重太郎さん(享年61)を偲ぶ会が昨年10月、神戸市で開かれた。東日本大震災で被災した障害者を支援するボランティアも大勢駆け付けた。 1995年1月、阪神大震災の朝、大賀さんは兵庫県姫路市の自宅にいた。「身動きできない障害者がたくさんいるはず」。つながりやすい公衆電話に通って障害者の安否確認などに奔走、自宅を拠点にワープロ通信でファクスを送り続けた。
「無事か?だいじょうぶか?」。頭文字を取って「OZの箱」と名付け毎日発行した通信は何度も転送され、全国約100カ所の施設や個人宅に届いた。半月後には「被災地障害者センター」を立ち上げて行き場を失った障害者を探し出し、ボランティアの若者らと24時間介護をした。」
※立岩 真也 2012/12/25 「多様で複雑でもあるが基本は単純であること」,安積他[2013:499-548]
*安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,663p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 1200+ [amazon][kinokuniya] ※
「そしてCILもいろいろだ。これまでの章でも多様性については書いてきた。ただ、一九九〇年前後に私たちが関わったのは主に東京近辺の幾つかの組織だった。地域によっても形や「乗り」がずいぶん違う。例えば兵庫の「メインストリーム協会」はとても大きな規模の事業をしているが(常勤のスタッフが二〇人はいると聞いた)、東京の「ヒューマンケア協会」とはすこし雰囲気が違う。比べて緩い感じがある。それらがどんな具合に機能しているのか。どのように利用しているのか。どのように働いているのか。例えばさきにあげた前田・渡邉の本が示しているのは、全国で起きていくことでもあるが、その土地のその組織や人たちのことでもある。その上で、各地にできてきたつながり、そのつながりのつながりが、機能している。例えば阪神・淡路大震災の時、常に機能的に機能しているというわけでないそのつながりがあってなんとかなったところがあった。その人たちは新しい組織も作り、「ゆめ・風基金」を設立し金も集め始めた。そして東日本大震災の直後に東北に向かった人たちにメインストリーム協会の人たちもいたと聞く。そして福島で「被災地障がい者支援センターふくしま」の代表をしているのは、第1章の安積の先輩で盟友であった、そして全国青い芝の代表を務め(○頁)、神奈川県相模原市に「くえびこ」といを場を作りグループホームを運営した後、福島に戻って活動を続けてきた白石清春(一九五〇〜)であり、その活動の支援に、かつて兵庫の青い芝の会にいて(後に解散させ)、その全国組織でも白石と一緒だった(そしてたぶん対立もあったはずの)古井(旧姓:鎌谷)正代(一九五二〜)が駆けつけたりもした☆07。」
「☆07 ごくごく簡単な報告として[12A]。HPに「東日本大震災」の頁があり、関連頁につながっている。阪神淡路大震災の時・その後のことについては似田貝編[06][08]佐藤[10]にいくらか記されている。そして、これらの本にも出てくる大賀重太郎(一九五一〜)――彼もまたものを言わず傍にいて支えてきた人たちの一人だった――がこの章を書いている年になくなった。」
立岩記:永村さんへのインタビューから現われるのは「ものを言わず傍にいて」というのとは異なる大賀さんの像だ。私はどちらも当っていると思う。基本、大賀さんたちは熱い人たちだった。そのうえで、今でいうところの「当事者主体」のことは十分にわかっている、つもりだったと思う。自分(たち)がものをいうのは目的を(うまく)実現するための手段についてであって、と思って発言・行動していたと思う。しかし、時に目的と手段ははっきりと分けられるものでもない。そんなことだったと思う。

立岩:あれはちょっと、ちょっと感動しましたよ。

永村:私は感動する暇なかった、

一同:(笑)

永村:最近、たまたま昔のこと聞かれることがあったから、その記録を読んでて、もうわれながら、「えー、私こんなことしてたんやー」思って。

岸田:(笑) 自分で。

永村:「わー、すげー」と思って。作業だけよ。この計画を立てるとか、何々するとかいうのは一切ない。単に作業、私は。

尾上:だってあの時の通信の出してる量、すごいんですよ、ともかく。

永村:6、7千出してたからね。もう快感やねん。がーっと紙が積んでて。紙折りして組んで、出したあと。達成感があって(笑)。

岸田:あー(笑)。

立岩:ふーん。そうか、そういうことやったんか。

永村:作業が好きなんですよ。

尾上:うん。それなかったら、ほんとに回ってなかったと思う、あれ。

■KSK・関定協(関西障害者定期刊行物協会)/SSK・身定協(身体障害者団体定期刊行物協会)

立岩:関東の刊行協会の事務局が、二日市さんのとこだったんですよ※。

※杉野 昭博 20090927 「DM不正の行政責任と障害者団体向け郵便割引制度の沿革」,障害学会第6回大会報告 於:立命館大学
「「障害者団体向け郵便料金割引制度」[…]が、1970年代の日本の障害者運動史における重要な運動成果の一つであることは、あまり知られていない。この制度の創設に尽力したのが昨2008年2月に亡くなられた二日市安さんである。http://www.arsvi.com/w/fy03.htm
二日市さんは、[…]」

永村:永村:やっぱ楠さんが亡くなったのが痛かった。あの障害者郵便物のことは楠さんはおらなあかんかったなと思ったわ。進まない。

尾上:ちょうどね、あの例の事件※があって。2011年、12年、だから11年、12年ぐらいですね。楠さんが、だからちょっと調子くずす前ぐらいはけっこう、あの、まあその前からだいぶしんどくなってたんだけど、必ず絶対東京に来てましたからね。で、あの、そういう意味では。それで提案して第4種の話までいったところで、ちょっと体調くずされて、詰め切れなかったんですよね。

※杉野 昭博 20090927 「DM不正の行政責任と障害者団体向け郵便割引制度の沿革」,障害学会第6回大会報告 於:立命館大学
「2009年5月6日、「ベスト電器」(福岡市)のチラシ広告を、「障害者団体の機関紙」と偽って、1通8円の割引料金で不正に発送した罪で、大阪地検は10名を起訴した。起訴された10名のうち氏名が報道されている8名は、不正DMの広告主であるベスト電器元部長K氏(51)、不正DMの印刷を請け負ったとされる大手通販・印刷会社「ウイルコ」(石川県白山市)前会長のY氏(57)と、執行役員のM氏(64)、不正DMの作成にかかわったとされる広告会社「博報堂エルグ」(福岡市)執行役員のI氏(47)、不正DMの取引をウイルコに持ちかけたとされる広告会社「新生企業」(現・伸正、大阪市)社長のU氏(53)と元取締役のA氏(55)、新生企業と提携したとされる自称・障害者団体「白山会」(東京)会長のM氏(69)、同じく自称障害者団体「健康フォーラム」(東京)代表のK氏(61)である。
5月6日以降も、健康食品販売の元気堂本舗や、紳士服大手のフタタ、通販大手のセシール、ベルーナなども、不正発送の事実や、不正への関与の疑いが発覚している。つづいて、5月19日、障害者団体向け郵便と偽った大量のダイレクトメール(DM)の不正発送を黙認し、正規料金との差額計約3億円を免れさせたとして、大阪地検特捜部は、郵便事業会社(日本郵便)社員2名を逮捕した。
さらに5月26日には、障害者団体としての活動実態がない「凛の会(現在の白山会)」のために、障害者団体であることを証明する厚生労働省の稟議書を2004年に偽造した容疑で、同省障害保健福祉部企画課係長のU氏(39)と、「凜の会」(現・白山会)の元会長K氏(73)と元会員K氏(68)の2名が逮捕され、続いて、6月14日には厚生労働省係長U氏の当時の上司だった厚生労働省雇用均等・児童家庭局長M氏(53)が逮捕され、不正DM事件には、郵便事業会社のみならず、障害者福祉行政や政治家事務所などまでが関与していることが疑われることになった。」

永村:楠さんは最後になった入院中も「これだけ(障害者郵便制度)はやり遂げな、死んでも死に切れんわ」言うてたわ。

尾上:[…] しかもそれって楠さんとかが言ってた第4種やなくて、「こんなものやったら広告も何もできない、こんなんやって誰も出せない第4種なんか、これは乗っちゃだめですよ」みたいな感じの話を、するっと、誰も止めなかったらそのまま乗ってしまいそうだったから。

永村:関定協〔関西障害者定期刊行物協会なんか小さいとこを守るためにつくった組織やのにね、小さいとこ切り捨ててどうすんの、っていうんで。もう楠さんいなかったけど、もう「ここは譲られへんな」っていうんで。

尾上:というのが、僕ちょうどDPI〔日本会議事務局〕へ入る前ぐらいのときです。2014年のあのときですよね、それね。思い出しました。

立岩:全然知らん…、知らん話やな。

尾上:だからけっこうその、インターネットとかない時代の、SSK第3種が果たした役割、そっからKSKとか、いろんな広がっていった、それ自身が一つのなんか運動体をつなぐネットワークとしての役割みたいな。それはそれで、ちょっとまたぜひ誰かそういうの研究する人がいてもいいなあと思うんですけどね。

立岩:SSKとかさ、あれがなんかわからんみたいで。雑誌の名前だとか思ってるやつとかおんねんな。まあ書いてありますやん、たしかに表紙に。

尾上:たしかに、あくまでそのSSKの中のいろんなあれで、ね、だから通巻の数も振ってあって。

立岩:そうそう、そう、理屈はそうなんや。せやけどその理屈がわかってないと、なんのことやわからない。



尾上:業績になる論文って何枚以上っていうのあるんですか?

立岩:だいたい40枚ぐらい。1万6千字ぐらい。

尾上:ふーん。40枚だったら、がんばればなんとかなりますやん。

立岩:そうですよ。

永村:え、つまり彼女が論文を書くのを手伝ってはるんですか?

立岩:ええ、一応。

永村:はあー、先生やのに手伝ってるんや。

立岩:なかなか難物ですよ。

永村:先生に手伝わせてるんや(笑)。言い方を変えると。

立岩:まあそれで給料もらってるっていうことありますんで。たしかに。

永村:書かないと…?

尾上:博士論文を書く資格がもらえない。

岸田:〔査読通った論文3本書かないと〕もらえない。私ね別に、私なんてもうばあさんやから、博士の免状もってもあれやけどね。そしたら誰かがね、「ええやんか。タンスの隅でも置いといたら何かになるで」って言うて。

立岩:せやな。今さら何かの役に立つかと言われたら、まあ立たんかもな。立たんな。まあでもまあ、でも、書くことはいいことやから、書いたらいいと思う。

岸田:いや、でもね、あの、また早よ出せって言われるんです。文章をね、組み立てるっていうのはね、頭の認知症予防にはちょうどいい。

立岩:俺は認知症予防の手伝いをしてるんだな。

尾上:(笑) 脳トレ、脳トレーニングですね。

岸田:そうそうそうそう、トレーニングね。

立岩:じゃ、その脳トレの手伝いしてるんだ。

■資料のこと

立岩:僕は「ありがとうございました」です。だいたい、なんとなくワールドが、ある程度わかりました。ありがとうございます。これほんとにお借りして、お返しします。この、

永村:あ、ていうか、もう私ほんまにいらないんですよ。今ね、断捨離してて。

立岩:いらんかったら、もらいますよ。

永村:あ、あげます。

立岩:ありがとうございます。じゃもう1回「ちゅうぶ」行って発掘しなきゃいけない。

尾上:じゃあ、それまでにありかを確認しておきます。

永村:前の通信担当してたの何さんやった? 吉田さんやったっけ、ちゅうぶの。ちゃうわ、吉田さんの前、誰やったっけな? 西尾さん? 彼女に言うと、すっと出してきはるで。
 1回預けたのに、また障大連から振られてね、マスコミの対応。「それが嫌やからあげたのに」って。またちゅうぶ行って「すいません、あげたダンボール出してもらえます?」言うて。

尾上:〔「インタビュー・1」〕この時代の運動の機関紙ってね、まあ月刊ぐらいよりもうちょっとあれかもわからんけど、そういう「今、こういう情勢になって」みたいな感じのやつと、もう一つ理論紙みたいなやつ、2種類出すのが流行りというか定番で。その理論紙みたいなのが『コロニー解体』ですね。

永村:〔『コロニー解体』等も〕それもちゅうぶにおいてある箱の中に入ってるんちゃうかな。ただそれね、Uさん知ってます? 龍大の楠さんの同期の

岸田:その名前は知ってます。

永村:うん、彼が「絶対、絶対出すなよ、これ。人目に触れさすなよ」言うて。

尾上:(笑)自分が書いたのを見られのんが嫌と言うんじゃなくて、写真、

永村:写真が載ってるから、

立岩:ええやんね。昔のことやんねえ。

永村:うーん。「出すなよ、外に」。

立岩:その何、本田さんがちゅうぶに寄贈したんですか?

永村:そう。もう「権利をすべて石田さんにあげますから、もらってちょうだい」と、「捨てるには忍びないけども、持っていたくないから」って言って。

立岩:それ、どれくらいのかさがあるものなんですか? 箱で言うたら。

永村:ダンボールのあそこのあんな箱、3つやったと思いますわ。

立岩:ダンボール箱が3つ。大きくはないダンボール箱が3つ。それは今ちゅうぶのどこに眠ってるんねやろう。

尾上:ちょっと僕もそれは今日初めて聞いたので、石田に確認しますわ。はい。

立岩:ぜひ。大変やけど、でも一応どっかではね、集めといたらいいなと思って。

永村:いや、あとで、集めてはって、リボン社のやつも引き取ってもらったいうの小林さんに聞いて、「ああ、なんやそんなんやったら私も」。もう何やかんや言うても、もうとにかく少なくしていってたんですよ。でも最後、ここは誰も持ってないかなと思うのんだけ残して、あと全部処分したんですよ。あとマスコミがそのまま持ってるやつもありますよ、資料。なかなか返してこない人もいるからね。

立岩:返してくれないですね、ああいうもんは。ええ、そうなんです。そよ風が終わりだと。それで小林さんところにインタビューに行って、一部屋あるじゃないですか。こんなに広くはないですけど、これの半分ぐらい。で、けっこうばーっとこういろんなものあって、それをくださるということで。かなりのダンボール、20、もっとあったかな、そのぐらいいただいて、うちで整理してますわ。やっぱりあそこにしか、見たことないのも、いやもちろん知ってるのもありましたけど、けっこう。パンフレットの類ってやっぱりないじゃないですか。それはけっこうありましたね。で、やっぱり関西ローカルのこんなに薄いちょっとしたパンフレットみたいなのけっこう、そよ風ありましたね。



立岩:そのマスコミって何ですか? 何の用でマスコミ来るんですか?

永村:このところはね、もうほとんど優生手術の関係かなあ。なんかいろんなことで資料を提供してって言われる。もういいねんけど、もうめんどくさい。

尾上:1970年代のこの手の資料は本田さんとこだったらあるってのは、やっぱりマスコミがどっかから聞きつけて本田さんとこにかけてくるわけですか?

永村:来るわけないやん、みんな障大連。最近有名でしょう? で、障大連にマスコミが電話するでしょう。そしたら中村さんとか西尾くんがもう「私、言わんといてな」って言ってんのに、電話回してくるんですよ。

尾上:振ってくるわけですか。

永村:中村さん、「ごめんなさん、先にごめんなさい言いますー」って言って、「何?」って言ったら、「実は、朝日新聞の何とかが」って(笑)、

尾上:確かに中村さんとかは自分では答えれないと思うから、本田さんに頼むしか、すがるような感じですよね。うんうん。

立岩:今、六花出版っていう、漢字数字の「六」と「花」で六花出版っていう本屋さんが優生保護法改正、改悪、あれの資料集、復刻版を出してて。その中ピ連であるとか阻止連であるとかそういうリブ系のやつは、まあ物もちのいい人がおって、けっこうママで、今復刻版3巻出て、次に8巻出てみたいなのを延々とやるんですよ。意外と障害者運動側の文字の資料ってあんまりなくてね。僕のとこにもそれこそ探しにきたりして、ちょっとは提供してたんですけど、あんまなくてね。

※松原 洋子 編・解説 『優生保護法関係資料集成 全6巻』六花出版、2019〜2020年

永村:いや、私はあれですよ、聞かれたら「「全障連のことを知りたいんだったら立岩さんを検索したらね、全障連以上に全障連の資料山ほど出てきますよ」って。

立岩:はい。まあそれは言うてもらってもいいです。それが仕事ですので。それはさすがに僕がさぼるわけにはいかないので。昨日も今日もなんかそれでめずらしく全障連〔の資料を探している〕ってのが2つ続いて。

尾上:今の時代に改めて全障連を調べに来た人もいるわけですか?

立岩:その京大の院生※とかっていうのは僕は直接には知らないんだけど、統合教育のことの論文とか2つ3つ書いてるようなオーバードクターっていうか、年から言うたらそのぐらいの人々ですね。

尾上:養護学校義務化賛成と反対の、

立岩:たぶんそういうものを調べなあかんと思ったかな。あと、東大の教育学研究科の小国さんっていう教員が当時の関係者にインタビューしたのを報告書や本※にまとめたのとか、そういうのはぽつぽつ出てはいますよね。

※報告書:東京大学大学院教育学研究科小国ゼミ 編 20170308 『「障害児」の普通学校・普通学級就学運動の証言――1979年養護学校義務化反対闘争とその後』,東京大学大学院教育学研究科基礎教育学コース小国喜弘研究室,262p. ISBN-10: BB23982742
書籍:(購入済)

尾上:ようやくというかね、あれからもう45年経って、金井闘争のあれ、軌跡とか1冊の分厚い本になってるんですよ。

永村:へえー。

立岩:それは基本いいことやけど、とばかりも言われないって。要するにほとぼりがさめたからなんですよね。いや昔だとさ、やっぱ「どちらなんだよ、おまえ、闘争支持するんかい」みたいな突きつけられるわけじゃないですか、研究者も。せやから旗幟鮮明にするか逃げるか、みたいなとこがあったじゃないですか。それが、

尾上:関わりによって問われる、自らが問われるという。

立岩:そうそう。それがまあ、いうたら、歴史的遺物になって(笑)、

尾上:博物史みたいなものに、

立岩:そうすると研究の対象になるじゃないですか。僕はそういうとこあると思いますよ、やっぱ、うん。だから、まあそれでも知らないより知られた方がいいと思うので。

尾上:ある意味で、安全圏にいながら調べれる対象になってしまったということなんやね。ああ、そうか、そういうことか。

立岩:それはあると思いますわ、正直。うん。


*作成:中井 良平
UP:20210115 REV:
永村実子  ◇ゆめ・風基金  ◇楠 敏雄  ◇全国障害者解放運動連絡会議(全障連)  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇WHO 
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