「大賀はだいたい二〇年ぐらい前に知った人だ。一九五一年生。[…]たしか神戸大学を中退し、稼ぎの方は妻に任せ、ずっと障害者の生活や社会運動の支援をしてきた人だ。
そんな人たちがこの運動のまわりには、もちろんそう多くはないが、すこしはいて、たいてい脇の方にいて目立たないのだが、大切な働きをしてきた。それには時代背景というものもあるにはあるだろう。「反体制」的な気分があり、そんな気分の人たちがいて、その一部が、様々な経路でここに入って、抜けられなくなって、何十年を過ごしてきたのだ。自分らの主義主張のために障害者を利用しようという人たちは障害者本人たちからも嫌われ、長くは続かなかった。残った人たちは、介助(介護)の仕事などしながら、側面から支える役をしてきた人が多い。
そういう時代の雰囲気があったということではあるだろう。だだ、今でも企業に就職せず、という人はたくさんいる。その時代にもそういう人たちがいたのだということでもある。「普通の社会」であればどうか、といった人たちがそんなところへやってきた。(むろん、要所要所でするべきことをこなそうとしたら、それなりの才覚は求められ、ただの変な人では務まらないわけではあるのだが。)
大賀さんは兵庫の人だが[…]全障連等で仕事。[…]地震が起こった時には東京にいたのだが、いてもたってもいられなくて、兵庫に戻ったのだという。大賀さんたちは「被災地障害者センター」(現在は「拓人(たくと)こうべ」)を設立し、その活動を長く続けてきた。彼は事務局長をし、今はその組織はNPO法人で、肩書きとしては常務理事ということになっている。
震災後の一時期の騒ぎは収まっていき、引く人は引くが、困難は続く。それでその人たちの活動は長いものになる。一つ確実に言えるのは、そこに既につながりや方法があったということだ。てきぱきとやることをやるという場所ではない場所があって、そこが地縁とはすこし異なる、人々のつながりの拠点になる。生活を立ち上げて続けていくことを支える活動が既にあり、それがあって、よい仕事ができてきたのだと思う。」