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インタビューに際して

永村 実子 2020/11/27

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 質問▽:岸田典子
 ※これは20201127の永村さんんのインタビューに際して、岸田典子さんが送った質問に対して、インタビューの前に永村さんが書いてくださったものです。▽が質問、◆が永村さんの書いた部分。
 ※インタビュー記録は近日中に掲載予定です。
 ※楠 敏雄(1944〜2014/02/16)


▽今回は1971年ごろから1975年ごろまで。ちょうど、全障連結成前までをお聞きしたいと思います。
 1.楠氏とはいつ頃知り合いましたか。年月がわかればお教え下さい。

◆多分70年か71年ころと思います。知り合ったというより、無理やり龍谷大学のボックスに連れていかれたと思う。

▽2.はじめから楠氏の秘書の役割をなさっていたんですか。

◆とんでもない。彼がヒューマインドで働きだして、職場介助者もいましたが、彼女が点字が読めないので、主に膨大な点字資料の頭の部分だけ読んでカナを入れるというのが主です。あとは彼のもとに届いた共闘団体等からの文書を読んで、要る、要らない、文書で答える等の振り分けの指示をうけ対応する程度。秘書的なことをする人は周りにたくさんいたと思います。

▽3.当時の楠氏のおもな仕事は非常勤講師以外どんな仕事をしておられたのですか。

◆70年代は「治療院」を作ってあんま・はり・マッサージの仕事。大半は結婚相手(最初の)Kさんが稼いで食わせていた。ぼつぼつと講演活動。解放同盟、全国解放教育研究所、反差別国際運動等のいわゆる「提言者」として稼いでいた。

▽4.政治党派(中核派)と別れ障碍者の独自の組織、「関西障害者解放委員会」ができた経緯をご存じでしたらお教えいただけますか※。
※インタビュー当日、関西障害者解放委員会の機関誌『「障害者」解放通信』28(1975/09/05)を永村さんからいただいた(立岩)。
※関西障害者解放委員会→http://www.arsvi.com/o/k16.htm

◆よくわからない。ちょうど分裂の後くらいに関わり始めて、皆さん、難しい話をしていた。お互い批判文書は飛び交っていた。よく「楠一派」と言われていたのは記憶にあるが……。

▽5.あまり知られていませんが、楠氏が三療業界の改革をめざし、三療業者に組合を作ろうと奔走していたのはご存じですか)

◆組合については記憶にないが、視覚障害者の仕事を守れ(晴眼者が三療に侵食してきている)、や病院等での視覚害者の待遇・差別の問題は話題に出ていた。当時はほとんどの視覚障害者が三療の仕事。

▽6.岸田のてもとに『被差別統一戦線』という期間しかよくわからない資料があります。
 女性解放の会・関西障碍者解放委員会・青い芝の会・水俣病患者会・公害患者の会・など被差別者が集結し運動を始めようとする準備会のようなものらしい…

◆被差別統一戦線や反差別共同闘争は74年ころからと記憶している。
 74年春闘で、総評は「弱者救済・国民春闘」を掲げた。「弱者救済とは何事だ」と総評の春闘に殴り込み。一方、解放同盟が「被差別統一戦線」を提起。障がい者、部落、在日、沖縄、女性等が連携しよう。解放同盟も狭山集会等で提案。その前から狭山差別裁判糾弾闘争、堺養護学校・片平闘争等でも解放同盟とは連帯していた。
 その後、反差別国際運動等にも発展。・・・・別紙、ネットからの資料参照資料→「被差別共闘」http://www.arsvi.com/m/h01.htm

▽楠氏は青い芝の会の行動綱領について厳しい批判をしていましたが、彼らの生き方にはかなり影響をうけたようですね…

◆批判というより、この行動綱領は青い芝のものとしてはいいけれども、それを「全障連の行動綱領とするには厳しい」ということだったと思う。「母よ、殺すなかれ」や「愛と正義を否定する」といったことがどういう状況から生まれたのかについては共感を持っていたのではないか?

▽「脳性麻痺の男性が楠氏の家にやってきて、たまたま介助者がいなかった。そこで、楠氏がトイレ介助をすることになったがそのおり、楠氏の障碍者としての生き方を批判した。」

◆これは直接はわかりません。
 が、障害者が一人で楠さんのところにやってきて、たまたまトイレ介助をせざるを得ない場面は珍しくなかったと思う。「いやー、まいったな」と笑いながら語っていた。
 記憶しているのは、Bさん(筋ジス)に何か忘れたけれども批判めいたことを言ったら切れられた。実に口の悪い人で「アホンダラ、ぼけ!」など、思いつく限りの暴言を連発し、「お前みたいにかしこーないんじゃ、お前はぎょーさん人がおるやないか!」「お前と一緒にすな!」みたいなことを叫びつつプラスチックのごみ箱を投げつけたら顔に当たって、割れて怪我をした。楠さんも首根っこつかんでげんこつしていたのはよく覚えている。

▽それ以来楠氏の障碍者としての生き方が変化した…

◆…わかりません。

▽楠氏に影響をあたえた脳性麻痺の人物は、あの荒木〔義昭〕さんだったのでしょうか?

◆わかりませんが、荒木さんではないと思います。荒木さんとは、どちらかと言うとお互いに共感があって、裁判闘争をどうしていくか、集会はどうしようみたいな話しで。

▽この出会いは楠氏にとって重要であったと思うのですが、いかがでしょうか…

◆「自分の生き方が問われる」「自らの障害者観が問われる」等の話は結構あったので、いろんな障害の方、重症児を抱える親御さん、被差別部落の人等々、重要だったのではないかと思います。

資料@ 「女たちの1970年代 ―― 『女性解放』誌を読み直す」 楠奈美子
資料A 「被差別共闘」 http://www.arsvi.com/m/h01.htm


UP:20201129 REV:20201202
永村 実子  ◇岸田典子  ◇楠 敏雄  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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