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志賀玲子氏インタビュー

2020/10/02 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 於:ALSーD

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■インタビュー情報

◇志賀 玲子 i2020 インタビュー 2020/10/02 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 於:ALSーD
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

ALS(本サイト内)  ◇説明/辞典・医学書等での記述
介助(介護)  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
難病/神経難病 

■本文

112分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]

ユ:すみません。

長谷川:志賀さん、今日はお休みですか?

志賀:はい。私、今シフト上は週1回しか入ってないんですよ。

長谷川:そうなんですね。いっぱい読んだらというか、志賀さんの書いてるやつを読んだら、ああーと思いながら。聞きたいことはいっぱいあるんですけど。

志賀:もう書いてあるなぁみたいな。

長谷川:いやいやいや。あれですよね。もともと、このあいだもおっしゃってたけど、甲谷さんには旦那さんから、腰の痛みかなんかで紹介してもらってってことですよね。そこから行ってて、甲谷さんが病気になっていくところでは、なかなかもう忙しくてあんまり行けなくて、で、病院に入院されたのを聞いて行って、はじめびっくりするってことですよね。

志賀:たぶん偶然の積み重ねだよね、今があるのは。なんていうか、関係性からいえば、必ずしも私がやる必要なかったし。それほど深い友達でも全然ないから。私は甲谷さんに治療を受けてる一患者でしかなかったし。もちろん私の劇場のプロデュースを見に来てくださったりという意味ではお互いの仕事に関心を持ってたけれど。私はやっぱり甲谷さんってすごいスペシャルな人だなとは思っていたけど、まさかこんな個人的に人生を共にするような関係になるとは。一回も一緒に飲みに行ったりとか食事行ったりとかもない。そういう友だちですらないんで。だからみんな、私が毎日病院に行きはじめたときに、一体何が起きているのか理解不能っていう、なんていうか、「どういうことですか?」みたいな、「なんのつもりですか?」みたいな感じだったと思う。

長谷川:それは聞きたくて。言ってしまうと、今いろいろ、志賀さんもたぶん今新聞だっけ、NHKか。NHKの人に取材とかを受けてて、林優里さんとこの問題もあったりして、甲谷さんとこはスペシャルだけど、甲谷さんみたいな、介助者、事業所の繋がりで始まるんじゃなくって、介助者でもなくって。



志賀:(指圧のブリジットさんが来宅)ブリジットさんと甲谷さんは、同じ先生に習った指圧の兄弟弟子なんですって。だからブリジットさんが、今、週に1回、甲谷さんの指圧に来てくれてる。ブリジットさんは、指圧の先生であり、舞踏ダンサーで、甲谷さんとお友だち、長いお友だち。
ブリジット:始めまして。

長谷川:私は何度か見させてもらって。ここでやってたときに。

志賀:立命館の学生さんたちです。

ブリジット:会ったことあると思います。

ユ:初めまして、韓国人です。ユと申します。

ブリジット:はい。スコットランド人です、ブリジットと申します。


長谷川:はあ。そんな繋がりがあるんだ。

志賀:そうそう、彼女も古いお知り合いです。在宅始まった一番最初の頃、訪問指圧ってあるでしょ。介護保険とかで使える。それをセッティングされたんですけど、リハビリ以外に。一回受けてすぐ断ったの、甲谷さん。で、その指圧の先生は「何か落ち度がありましたでしょうか?」って。たった一回で断られるってあり得ないじゃないですか。向こうもプロだから。「どういうことでしょうか?」って言うから、「申し訳ありません、甲谷さん、プロの指圧師だったから、やっぱりいろいろ考えがあるんだと思います」って言って、なんとかお引き取りいただきました。その後からずっと、ブリジットさんが来てくれてるわけです。

長谷川:さっきの続き。優里さんとことか事業所が入ってて、何ヵ所もやっぱり24時間繋ぐって大変だから。他の人とかでも、24時間入っているのはそうだとしても、やっぱり介助者としての関係だけだったらしんどいじゃないですか。単純にいってやっぱり。本人にしたら生活だから、そこでやっぱりほっとできる場だとか、そんなのがないとと思うんだけど。ここはこう由良部さんとか志賀さんとかが、介助者じゃない関係の人たちがたくさんいて。

志賀:たぶん、元々介助者じゃない人たちが場をつくってるからだと思う。3年半やってくれてる、メンバーの中では新しいヘルパーがいますが。彼女は発病前の甲谷さんを全く知らないし、文字盤が使えなくなってから入ってきてくれた人。彼女は由良部さんがここでやってた舞踏のイベントに、友だちに誘われて見にきていて、「もし興味あったらヘルパーやってくれる人いませんか?」みたいな話になったら、手を挙げてくれた人なんですよ。だから、彼女の話とか一回聞いてほしい。由良部さん、仁井さん、私は発病前の甲谷さんを知ってる。他の4人は文字盤でコミュニケーションとれた時代を知ってる。その後に来た彼女は、甲谷さんが言葉を発するところを全然知らない人なんですよ。それに福祉というか介助の経験もないし、やろうと思ったこともないのに、たまたまここに舞踏を見に来て、ヘルパーになった。そのへん、どういうふうに甲谷さんと関係性を自分としては作れたと思ってるのか、今どう思ってるのか、ぜひインタビューしてほしいなと思うんですけど。
でも人間って場になじむから、ここのこういう甲谷さんと私達の雰囲気に、ここはこういう場だと、「まあそんなもんやな」と思って、そこにいる先輩たちにならって人間関係を新しく作っていくのかな。私、他を知らないんで、さっきもユさんに増田さんとこの話とか聞いてて、どういうふうにやってらっしゃるかとか、学生さんが中心なの?とかいう話も今初めて聞いてて。たぶん全然雰囲気が違うんだよね。

ユ:違いますね。

志賀:普通だったら、それこそ林さんなんて、いくつもの事業所から知らない人がヘルパーとして来て、っていうことだもんね。でもそれが普通だったりするわけだよね。

長谷川:そうそう。でも私も、いっても、この甲谷さんのところから入ってるから。甲谷さんを見て、杉江さんところに行ってるから、こういう雰囲気ってのが初め普通だなと思ってたんですけど、それをつくるのは確かに難しくって。でも、志賀さんの読んでると、そんな、読んでて、こないだの話も聞いて、そんなに甲谷さんとはいうほど深い関係じゃなかったけれども、ちょっとお見舞いに行って、すごく衝撃を受けて、そっからしばらく行けなくなるんですよね。それで、由良部さんの支援の会みたいなので声かかって、「そこだ」と思って行ったって。あれがすごい、どんな突き動かし方があったんだろうって。

志賀:甲谷さんは最初、確定診断される前、最初に話すことができなくなったんですよ。だけどまだ施術の仕事は続けていて。その頃のことは施術を受けていたので知っています。でも、それもできなくなって、そのうちもう手も指し棒でこう文字盤指すぐらいの感じになり、足もフラフラになって。で、京大に検査入院してたのが、たぶん2004年の秋、冬ぐらいの感じなんですよね。そこでお見舞いに行って、やっぱりこっちはALS知らないし、その変わりようにすごいショックを受けました。重たい病気の人のお見舞いってね、回重ねていくって、自分に何かやるべきことが見つからない限りはちょっと行きにくいですよね、よっぽど親しい友だちじゃなかったら。たぶん、みんながそんな感じになっていったのを由良部さんが感じて、もうちょっとみんなが甲谷さんの周りに、近くにいられるように支援の会を立ち上げましょうっていって。[00:09:23]
それで声をかけて、2005年のたぶん5月とか6月ぐらいに1回目の会合がもたれて。そのときたぶんね40人だか、けっこうすごい人数の人が集まったけど、今でも覚えてるけど、お通夜みたいだった、場の雰囲気が。みんな、何を言ったらいいかわからないし。でも気にはなってるから、この会ができたことはすごくいいと思って、みんな気にしてたから、おおぜい集まった。でも、じゃあ何ができるの?って、どういう支援ができるんだ?って話し合いになるんだけど、結局答えはないし。まだ子供も小さいし、お父さん病気になっちゃったわけだから、寄付でも募って経済的なサポートとか、みたいな話になったんだけど、きっとそれは家族は断るだろうとか・・・。なかなか結論出ない。でも、じゃあとにかくメーリングリストだけは作りましょうよっていうことになって。で、甲谷さんに何をしてほしいか聞きましょうと。そしたら甲谷さんから、読書をすることができなくなってきているから、本を読んでくれたりとか、散歩に連れて行ってくれたりとか、マッサージみたいなことをもし誰かが来てやってくれるんだったらっていう希望が出ました。そこで、病室に午後行くボランティアをやってもいい人を募って。最初30人ぐらいの人が参加していたんですよ。でも3年の間に、やっぱり徐々に人は減っていって、最後、在宅移行って話が出る直前ぐらいっていったら、由良部さんご夫婦と、うちの夫婦と、インド舞踊やってる野中ミキさんとか、もうほんとに四、五人で。
在宅移行って話、全くないわけだから、先がまったく見えないんですよ、結局。何ヶ月か毎に転院だし、転院したら行った先の病院でまたそこから関係を新しくつくらなくちゃいけないし。そして、やっぱりどんどん病気は進んでいって、すごいむせて、まっすぐ座れなくなって。希望がないわけですよ。そうするとやっぱりみんな、自分の生活もあるし、お金が出てるわけでもないから、一人減り、二人減りって、そうなってしまって。気にはなっているけれども、それだけでは人って続けられないんだよね。で、私の関わり方だけど。2005年の7月ぐらいに宇多野病院に3ヵ月間だけいたんだけど、そのときに東京の友だちが来て、私が文字盤をとりながらの会話で、甲谷さんが「しのはなしをしよう」って言ったんですよ。死、ね。もちろん、相手の方も答えられずに話は続かなかった。その様子を見て、ああこれは、こんな、週に1回だけ来て「どうですか?」って言ってるのではあかんって、神の啓示(笑)を受けてしまった。そこからは全く単独行動、毎日、夕方、病室に通い出しました。それはもう、人と相談して、「もっとこうしましょうよ」とかいう話ではないっていうか。私は自分のできることをやれるだけやる、っていう感じでしょうか。
なんだろうなぁ。なんでそこまで突き動かされたのかっていうことですよね。でもそうしないと私は付き合えないと思ったのかな、甲谷さんと。死を見つめてるわけですよ。彼にとってみたら、この一日一日が自分の残された時間の一日一日と思って生きてることはもう明白だったし、そして、そういうことについて話したい。つまり死を見つめている自分は何を考えているか、とかっていうことを話したいって思ってるっていうことがわかったときに、私にできることは、毎日来ますっていうことぐらいだった。伴走するっていう感じかな。まあそのときは、その伴走が、果たして何ができるかとか、毎日行ったからってどうとか、もちろんわからないんだけども少なくとも、この週に一度来るっていうのではだめだと思って、始まった。まだその頃ボランティアの人もある程度いる時期だったからね。そんなんで始まったんですよね。[00:14:22]
でもそうやって走り出してみると、今度はやっぱり見えてくるわけですよ。やれることっていうのか、やれるのにやられていないことっていうものが、いっぱい見えてきて。宇多野病院、その頃、人手が足りなかったから、看護師さんから、人生最後の食事の時間かもしれないのに、「家族の人が介助に来てくれるんだったら口から食べてください。でもそうじゃなかったらもう胃ろう注入でお願いします」って言われて、ええ?そんなことあんの?って。普通の感覚からいったらびっくりしますよね。まだ食べられるのにって。それで、食事介助を始めました。でも最初は甲谷さんの夕食が運ばれてくると同時に私は帰ってたんですよ。なぜかといったら、見られたくないやろうなと思って。もう手が動きにくくなってて、きれいには食べられない、苦労して食べてはるような時期がちょっとあって。だからそれは見ないほうがいいかなと思って、食事が来ると同時に「じゃあね」って帰ってたんですけど。でもあるとき、なんか、やってもいいのかなぁって、私の逡巡するようなタイミングで、甲谷さんから「食事介助してみますか?」って言われたんですよ。それで、やってみるってことになって。そこから夕食の時間に合わせて行くようになって、そうすると、やるべきことが具体的に出てきて。
最初は病院食を食べてもらう介助をしてたんだけど、そうすると今度、こんなことでいいのかな、人生最後の食事が・・・っていう。病院には申し訳ないけど、あんまり美味しそうじゃない…、なので、ちょっと作って持っていくっていうようなことが始まりました。それから、散歩の時、病院から出てちょっと行ったらスーパーあるから、お惣菜売り場で食べられそうなものを一緒に買うとか、お蕎麦やったら食べられるって言うからお蕎麦刻んでとろみつけて食べるとかみたいなことが増えていきました。毎日行ってると具体的に、まだ甲谷さんができること、でも誰もやらなければやらないままに過ぎていくことっていうのが次々出てくるわけですね。甲谷さんも最初はどうして毎日来てくれるのか、不思議に思っていたみたい。当時、私は大阪大学コミュニケーションデザイン・センターの特任教員だったので、大学の研究対象になっているのかな、とか思っていたみたいでした。そうですよね、深い友だちでもない、元カノでもない訳ですから。「志賀さんの研究にできるだけ協力すること」とか日記に書いてますよね(笑)。もちろん私はそんなつもりでやってたわけではないんですけど。

長谷川:その病院の夕食の介助を具体的に始める前までは、志賀さん単独で行って話をしたりとかしただけですか?

志賀:夕食の介助、宇多野に移ってわりと早い時期にもう始まったように思います。たぶん昼間は昼間の人が行ってるから、夕食ぐらいの時間に行くようになったのかもしれないね。ちょっと記憶があいまいだけど。

長谷川:宇多野の人たちに言われなかったですか?すごいこれ気になってたんですけど。私、宇多野に、杉江さんに関わってたとき、すごい部外者みたいな感じで。

志賀:わかります。でも、家族があんまり来られない中、私は毎日来るから、もう結局私に聞くのが一番はやいし、「家族じゃないけど、もうええんちゃう、あそこは、あの人で」みたいな感じにたぶんなっていったんちゃうかな。ある日、甲谷さんがニヤニヤしながら、「愛人はまだかと聞かれた」って文字盤で言ったこともあったりました(笑)だけど結局、病棟も人手が足りないから、徐々に私が来るのが当たり前みたいになっていって。でも、どこの病院もやっぱり最初は「あなたは誰ですか?」っていうのは常にあって。

長谷川:他の患者さんからなんか言われたことあります?

志賀:他の患者さんとは、私やっぱりすごく気をつかって付き合ってたから。基本的に個室ではないから。

長谷川:甲谷さんとこだけ毎日来て。[00:19:39]

志賀:いやな感じで言われたことは一度もなく。たまたまいい方とご縁があったのか。一緒の部屋のおじさんが、「あんたが来たら態度全然ちゃうな」みたいな感じで。ものすごい好意を持って接してくださって。そんな嫌味な感じで言われたりとかっていうことは一回もなかった。宇多野で二人部屋だったときに、お隣にパーキンソンのおじいちゃんで、もうほとんど眠っているみたいな方で。でも奥さん毎日来てはる人で、その奥さんとランチ一緒に行ったりしてました。その奥さん、ダンスのイベントを宇多野でやったときとか、ものすごい感動してくれはって、すごいいい感じの関係でした。「あなたたちの食事介助を見てると、まるでなんかお茶会のセレモニーを見てるようで気持ちがいいわ」とか言ってくれたりとかね。

長谷川:素敵ですね。

志賀:だからあんまりいやな思い出は、患者さん同士の関係の中ではないですね。病院のスタッフとの間ではもちろんちょっとね、ギクシャクしたりとかありましたけどね。

長谷川:もともと私は杉江さんが地域移行するっていうことで通ってるから。入ってる人たちはそれができないわけですよ。だからすごい、「杉江さんいいな」みたいな。羨ましい目でずっと見られてて。

志賀:そうかそうか。甲谷さんは在宅移行が決まってから、あとはもうトントンバタバタって感じだったから。もう即、日赤にまず入院して手術して、すぐもともとの民医連に戻ったから。民医連に戻ったときは、リハビリ病棟で地域移行のための最後の支給時間決定を待つような3ヵ月だったから、そのときはあんまり同じ病室の人との記憶はないですね。おそらくもう、自分たちの在宅の準備のことで精一杯だったせいか。

長谷川:気持ちって、宇多野病院に通ってるとか、いろんな病院転々としてるときって、甲谷さんもだと思うけど、もう別に地域生活とかって頭に、

志賀:ないわけよ。

長谷川:ないじゃないですか。で、たぶん呼吸器も、そんなに毎日考えてるわけじゃないと思うけど、

志賀:甲谷さんは、呼吸器はつけないつもりだから、数年以内に死ぬ、ということで生きてる。

長谷川:ことで、うん。そこのベースの付き合いっていうか、そりゃある意味先がちょっと決まってた。もうつけないということを決めてて、亡くなるってことも決めてる中での志賀さんの伴走の仕方と、一転、西京都病院とかで川口さんが来て、地域生活できるんだって、先が、ある意味開けていって。だけどそれは先が続くってことじゃないですか。変わりました?やっぱり。付き合いというか考えとか。

志賀:いや、あんまりそれは変わってないと思う。目の前の現実が変わっただけで、何か甲谷さんとの関係とかつきあい方が大きく変わったわけではないと思う。川口さんが登場して、在宅できるよっていう話になるところまでは、「毎日行く」っていうことを続けてきたけど、やっぱりもう私も限界は限界だったんですよ。だって仕事もしながらだから。大学の教員と劇場のプロデューサー掛け持ち。劇場でリハーサルに立ち会っていて、座った瞬間に爆睡してしまい、目が覚めたらリハーサル終わってたとか。もう、これあかんやん私、劇場のプロデューサーとして、みたいな。かなりの限界状況でした、毎日やっぱり行くってね。ただ始めたことだからやってたけど、どこかでもう、「これってどこまでやれるかなぁ」っていう状態ではあったと思う。で、甲谷さんも状態悪くなるし、まあいいタイミングで川口さんの話が来て。由良部さんも私も躊躇しなかった。甲谷さんももちろん躊躇しなかったのは、もうそれしかないだろうと。できるとかできないとか考えてる暇はない。もうそれしか選択肢はきっとない。このままここに居つづけることもできないし、新たな転院先を見つけることも、それは奥さんがやってたんだけど、もう限界って感じだし、どこの病院に移ったとて、これ以上良くなることはない。身体も悪くなるし、待遇も悪くなるし、私らのサポートももう限界がきてるし。もうできてもできなくても、この川口さんの話に乗るしか進む道はないっていう状態まで来てたと思う。だから、誰も反対するとか迷うとかなかったね。もうそれしかないっしょって感じだった。[00:25:28]

長谷川:それはもう呼吸器つけるとかつけないとかそんなんじゃなくて、それしかない。

志賀:これ以上、甲谷さんが生きていく場所がもうないし。終身で受け入れるって言ってた病院が一年でギブアップしたときに家族も「これ以上先がない」っていうふうにやっぱり思ったと思う。支援の会が立ちあがる頃に、実は甲谷さんは長野県かどこかの施設に入る話も出てたらし。ただ、みんながそういうふうに言ってくれるんだったらやっぱり京都にいたいっていうことになった経緯もあったから。京都での転院がもう限界には来てたと思うんだよね。

長谷川:志賀さんも大変で。

志賀:私ももうたぶん…。やってたけど、いやとか、もうやめたいとかそんなことじゃなくって、もうなんていうか、朦朧としながら生きてる感じになってましたよね。だけどやっぱり、待ってるってわかってるから、「今日は仕事だからごめん行けへん」って言えないところにどんどん、そういう関係性になっていくじゃないですか。もちろん「仕事で出張だからこの一週間来ません」とかいうのはあるけど、自分の都合で行くとか行かないとかっていうことはやったらあかんと思ってたので。そこだけはなんとかと思ってやっていたから、もうフラフラ。病院で10時までいて、また劇場に戻ったりとかしてたんで。私が交通事故起こしてなんかあってもおかしくないぐらいの状況だったとは思う、それは。

長谷川:甲谷さんから「もういいです」って言われたことないんですか?

志賀:なかったね、それは。最初の頃は「無理しないでください」とか言ってたよ。だけど、やっぱりどんどん彼も身体きつくなっていって。まっすぐ座っていることも難しくなっていたし、パソコン使うにもセッティングちゃんとしてほしいとか、できるだけ誰か側にいる必要があって、そういう意味でもう病院のスタッフでは無理だったからね。

長谷川:病院のスタッフに言うことあったんですか?志賀さんから。自分がいない間とか、甲谷さん、

志賀:だからいろいろ紙に書いてとか、写真をとって説明とか書いて貼ったりとかしてましたけどね。でもけっこうそういうのウザがられたよね。

長谷川うん。そうですね。

志賀:そういうことをすると、プロのプライドを傷つけられるみたいな感じなのか、すごい嫌がられた。でも転院は甲谷さんのストレスも大きいので、ケアをまとめたファイルを甲谷さんが作ってくれって言うから、細かい細かいことまで全部ファイルにしたり、パウチして貼れるようにしたりとかして。壁やベッドにいっぱい貼ってたけど、あるとき「こんなん剥がしてください」みたいなことを言われたこともあったし。

長谷川:そういうことでやっぱり病院でちょっと話し合いあったというか。

志賀:交渉したり喧嘩したりっていう記憶はあんまりないので、我慢してたんですかね。ていうか、私が我慢するんじゃなくて甲谷さんが我慢するってことに結局なるから、ある程度言うことは言ってたけど。でもやっぱり追い出されるわけにはいかないということは絶対的にあったからね。家族でもない者の立場から、それ以上のごり押しできないし、逆にそういうことがあるときだけ奥さんのほうに病院から連絡がはいることになって。またそこがややこしくなったような気がする。だからすごいストレスだった、病院に行くっていうことは。毎日通うっていう物理的なことだけじゃなく、今おっしゃってるような、病院側とのこととか、家族じゃないっていうことね。家族だったらまた全然違ったりね。

ユ:志賀さんの家族の反応はどうでした?[00:29:43]

志賀:私の夫は甲谷さんのことをよく知っているし、彼もボランティアで関わっていたので、そのこと自体は全然問題もなかった。毎日行くようになってからも、ちょっとうちの夫もアーティストで変わり者なんで。たぶん普通の男性だったら自分の奥さんがそういうふうに男性の友人にすると、なんかちょっと複雑な感情を持ったりとかきっとするだろうと思うんだけど。うちの夫はあんまりそういうタイプの人じゃないので、全然そのことに関して問題ありませんでした。まあ私のことは心配はしていましたけど、疲れてるからね。だけど、そういう変な意味で「もうやめとけ」とかそういうのはなかったの。それは感謝してます。でもそんなんいったら、自分以外のアーティストと仕事するプロデューサーとは結婚できないけどね。

長谷川:そうですよね。たぶんそんな。

長谷川:それ聞いてというか、私ね、甲谷さんとか患者さんといわれる人たちって、すごいストレスだと思うんです。あの病院にいるっていうこと自体が。それはもうレスパイトでもなんでももう帰ってきたら絶対体調悪くなるし、なんのために行ったのかわかんないぐらいですよ。それはわかるじゃない。で、志賀さんがいつも甲谷さんとかにさ、「もう一回病院に帰るってのは自分ももうやられへん」っていうことを言うのは、志賀さんとか通ってるほうもつらいんですよね。

志賀:そうですね。だから、家だったら、もし誰もヘルパーいなくなって、ずーっと介助しててもできるって思う。でも病院にはもうよう行かんわやっぱり。なんやろね。

長谷川:なんなんでしょうね。それが。

志賀:病院の空間ね。

長谷川:あれがね。なんていうのかな、通うのがしんどいっていう、例えば車で、物理的にそんなんじゃなくて、そこの空間に入るとっていう。

志賀:なんというか自分の居場所がないっていうのもあるし、病院のルール主動で生きていかなきゃいけないし、コントロールされてるからね。本人主体のの暮らしじゃないし。ましてやそこに家族でない人間が関わってきて、色々注文つけてくると、病院の方も嫌な感じなんでしょうね。
でもそれは、私、父がALSになって、家族の立場で大阪の刀根山病院っていうところに関わったときでも、まあ似たようなことは感じました。ただ、家族だから向こうは、家族じゃない者だった私にとったような態度はとらなかったけど。やっぱりこっちが、「いやこうじゃなくてこうじゃないんですか」みたいなこととか、「なんでこういうふうにしてもらえないんですか」とかいうようなことを言うと、やっぱり「ここは家じゃないんで」ってはっきり言われたから。ああ、もうどこも手が足りないから、「わかってるよ私らだって」っていう気持ちがあるんだろうなっていうふうには思ったけどね。

長谷川:でも、さっきのしんどいってところには、甲谷さんがやっぱりどんどん悪くなっていって、その先って、まあいってしまったら、もう死っていうものが明白に見えてて、それ本人も言ってるわけじゃないですか。

志賀:でもあんまり死ぬって思ったことなかったような気がする。今、言われてみて思ったけど。

長谷川:ほんとですか?

志賀:いや、甲谷さんは死というものに向き合ってるねんで。で、この先呼吸器つけへんかったらっていうことあるんやけど、たぶんやってるときは、在宅の話が出てないときね、たぶんね、たぶんそんなことはあんまり考えてる余裕がなかったと思う。目の前のことっていうか、そんな先の、「死ぬかも」とか「いつ死ぬかな」とか考えてる余裕きっとなかったと思うわ。自分の仕事と、病院へ行くっていうことと、行くために準備していかなきゃいけないこととっていうことのほうがいっぱいあり過ぎて、たぶんその観念的なことを考えてる余裕はなかった。むせてるから、倒れるから、どうやったら、どういうクッションがあったらいいのかなって、そんなことは考えるけど、「この先死んでしまうかも」みたいなことをあんまり考えた記憶がない。[00:35:14]

長谷川:それはもう一番初めの支援の会のときのお葬式みたいな、お通夜みたいな空気感からすれば全然変わった。

志賀:具体的にやることがあるからね。

長谷川:具体的にやることが見えて。その具体的にやることが見えたのは、やっぱり通い始めてっていうことですね。

志賀:っていうことだと思う。で、通い始めたことによって、私も見えるっていうのもあるし、病院側が「来てくれるんやったら」っていう、ある程度私を組み込んだ甲谷さんの生活っていうものもだんだんできてくるし、甲谷さんも私がありきで生活を考えてるから。そういう意味でいうと具体的になる。支援が具体的だっていうことかな。

長谷川:そっから川口さんが来て。でも、みんな疲れてるときに川口さんが来て、で、地域生活できるよってことで地域生活して、それしかないという一択で、出るという。

志賀:全然迷わなかったね、みんな。できるかなぁとか言ったって、もうこれ以上、今のボランティア支援ももうできへんやんねっていう感じやったからね。

長谷川:それは志賀さんとか由良部さんとか周りの人にしても、甲谷さんなんかこう読んでると、すごい嬉しそうな顔でやっぱり。

志賀:もうそう。「当然!」みたいな。「賛成!」みたいな感じでしょ。

長谷川:周りがどんな感じだったのかなって。

志賀:まずは由良部さんと私が相談して、「やろう!それしか道はないよ」と覚悟を決める。そして、「こういう話があって、それ以外に道はないと思います。私達にやらせて下さい」と奥さんと病院側に伝えました。でも、そこから最終的には奥さんとは決裂したし、病院の担当メディカルソーシャルワーカーの人との関係性はそりゃ最悪でした、移行するにあたって。最重度のALSの人が独居するという事例は首都圏以外ではほとんどなかったので、彼女にとっても大変な仕事だったのだと思います。とにかく、介護保険ではこれもできない、あれもできないと、できないことばかり言われた。そこへもってきて介護保険と障害のサービスを合わせて使っていくっていうことはそんなにたぶんあんまり例がなかっただろうから。こっちも制度のこと、何も知らない、初めてのことばかりで。ただ、「もうこれしか選択肢がないんです」っていうことでいる私に対して、彼女はやるべきことはちゃんとやってくれた人なんですよ。在宅移行時に彼女がセッティングした訪問看護やら往診やら、入浴サービスやらというものはその後もいまだに全部破綻なく使ってるから、やるべきことは全部ちゃんとやってくれたんですよ。だけど、むちゃくちゃ感じが悪かったから、すっごく追い詰められて。でも彼女も初めての事例に追い詰められていたんだと、今は思えます。思い出したくないぐらい感じ悪かったですよ。だから、病院に行ってその人と会うと思うだけで心臓がバクバクするぐらい。サポートされてるっていう感じは一切ない。はっきり言われたのは、「できもしないことで本人に希望を与えて、絶望に突き落とすようなことをしないで下さい」「家族でもないのに本当に人生の責任なんかとれるんですか?」って。まあ「できもしないこと」って、前例がないからですけどね。でも、それって答えようないよね。まだやってないんだからね。やるつもりで覚悟しているからっていう話をしてるわけだし。
私の中では、でも2年間、病院に私は毎日通いましたっていうことはありましたけどね。それがなかったら、私もちょっとようせんかったかもね。うん。結果的にですよ。結果的にだけど、もし私が週に一ぺんしか行かないような関係だったら、在宅の話になっても、たぶん私、「それやろうよ」って言えなかったと思う。やっぱりそれは自分が、私は2年見てきたと。で、もちろん病院だからプロの人たちのケアを受けてる中で私が見た一部のことでしかないけど、この程度のことだったらできるんちゃうかなっていうのは、はっきり思ってた。どういうケアが必要かっていうことがわかってたから。もちろん訪問看護も入るし、「素人のあんたらにできるのか?」って言われても、「別に素人でも、甲谷さんと気が合えばできると思います」ということぐらいは言えるぐらいに、甲谷さんの生活を見てきたし。そこはだから、やっぱりその2年があってのその話だったと思う。あと、制度のことなんて知らないけど、「それを説明するのがあなたの仕事でしょ」っていう感じには思ってた。でも、ものすごいいい加減なこと言って舞い上がってる人達っていう扱いは、それは当然受けました。[00:40:44]

長谷川:それは何?川口さんたちの提案が、やろうっていうことを決めて、病院としてはもう180度違うことを言うわけでしょ。これからどうしていこうかというときに、「いや地域移ります」って言ったときに、やっぱりみんなは「それはないだろう」って思う雰囲気だったんですか?

志賀:そういう選択肢があるっていうことを、想定していなかったみたい。「東京ではやってる人がいます」って言ったら、「それは東京だからです」って。「東京の資源、東京の財政、東京だったらできるけど、地方では無理です」と。それから、奥さんはケアマネだったから、私たちよりももっと京都の介護の状況っていうか資源を知っていた。その頃、まだ医療的ケアがグレーだったので、吸引は同意書でできたけど注入ができない。家族が同居じゃなかったら注入ができない、誰がすんの?そんなグレーなこと受け入れる事業所は京都にはないって。ケアマネの奥さんが言うのはやっぱり強いよね。だから、そういうこともあるんだって思ったけど、川口さんは「大丈夫よ、なんとかなるって」みたいな感じで、だんだんわけがわからない感じがありつつも、私らも「なんとかなるんかな」とか思ってて。まあ、そこでココペリの長見さんを思い出したんです。出会ってたんです、既にもう。

長谷川:もう既にですよね。

志賀:私が阪大にいたときに同僚だった西川勝さんとお知り合いで、横浜で甲谷さんの展覧会をやったときに、「甲谷さんのケアできる人がいない」って言ったら「長見ちゃん誘うわ」って言って、長見さん(ココペリ121代表)がついてきてくれたんです。

長谷川:じゃあ西川さん。

志賀:はい。西川さんはココペリ121の理事なんです。それ以前に、ココペリ主催のALSの方の映像上映会があって、その映像というのが阪大の同僚の西川さんと久保田さんの作品だったので、私も見に行き、そこで初めて、ココペリと長見さんを知りました。その頃、甲谷さんのことはすでにやってたので。横浜に一緒に来て下さったんだけど、その後、また途絶えて、在宅移行の話になった時にも忘れていたんです。甲谷さんのヘルパー事業所をどうするかっていう話になった時に思い出したんです、長見さんのことを。川口さんの社長プラン、患者さんが自分の事業所立ち上げてやるっていうの、そりゃあちょっと無理。甲谷さんは病状もあるけど、もともと経営とかそんなタイプじゃないし。じゃ、支援者でNPOの事業所立ち上げてって話になったけど、それも現実的にはむずかしい。京都には医療的ケアをやるような事業所とか、24時間入ってくれるような事業所なんかないとも聞いていたし、どうしようってなんて。で、長見さんのココペリ121にお願いすればいいんじゃないかと思いついた。ヘルパーをやる人は、すでにボランティアで関わってくれている友人や、由良部さんのワークショップに来ている人の中で興味を持ってくれている人がいたので、ある程度、人数はそろっていた。だから、あとはヘルパーを預かってくれて、グレーゾーンの医療的ケアに片目をつむってくれる事業所があればよかった。長見さんはなんの躊躇もなく「いいですよ。京都は思い入れのある街だし。」っていうことになったから、一気に問題が全部解決した感じでした。ココペリは大阪の事業所だけど甲谷さんを機に京都へ進出することになった訳です。[00:44:16]
在宅独居を始める上で、一番、周囲の専門家が心配したのは、医療的ケアを担って24時間入れるヘルパーを確保できるのか、それを担う事業所があるのかということだった。でも私達の 場合、ヘルパー候補は既に確保していたし、ココペリが受けてくれたので、受入れ事業所の問題も一気に解決したんです。ココペリで決まる前に、受け入れ先として川口さんは広域協会を紹介してくれました。でも広域協会の方と話したら、まず、「本人を電話口にだして直接話したい」「基本は同性介助だ」って言われて…。障害者運動の論理で言えば正論ですよ。だけど集まってるのはほとんど女性だったし、広域協会とはちょっとスタンスが合わないかなと感じました。患者本人主体というのは当然だけど、病気でできなくなっている、たとえば電話で話すこととかむずかしいわけで、どんなに時間がかかっても文字盤で読み取って代理で話す、というところまで、私達は本人がやらなくても良いと感じました。それは、私がプロデューサー上がりで、アーティストと出来ることを分担してプロジェクトを進めるという感覚が強かったからかもしれません。甲谷さんと十分に話し合って、問題意識も進める方向も共有している上で代理をしていると思っていましたから。
長谷川:その地域生活に具体的にいきますっていう声をあげるっていうか、周りに言わなきゃだめじゃないですか。それを言ったのは、志賀さんが伝えたんですか?

志賀:周りってでも誰?

長谷川:家族とか、それから。

長谷川:こっちの医療関係者ですか。みんなだって、このまんまいくって思ってるでしょ。

志賀:甲谷さんと由良部さんと私で相談して決心し、奥さんに伝え、奥さんが療養生活の中心的存在であった民医連中央病院のMSWに伝えたんだと思います。当時は呼吸器を付けない形で終身で受入れるといっていた別の病院にいましたけど、そこがもうお手上げになって転院先を探さなくてはならない状態だった。だから古巣の民医連に今後のことを相談したんだと思います。ちょっと面白いいきさつがあって。在宅の話が出たのは、2007年1月なんですけども、その前年の11月か12月に、さくら会がやったさくらモデルに関するシンポジウムのネット中継があったんです。その情報を私にくれたのは奥さん。既にその時、なんとなくきまずい関係だったのに、不思議でした。で、見たんですね。驚きました。まさに目から鱗が落ちた!患者さんが自分で事業所を立ち上げて、自分のヘルパーを育てて町で暮らす。考えたこともない発想だった。奥さんに「すごい感動しました」って言ったら、奥さんは「まあそれは在宅の話やからね」って、病院で療養していく甲谷さんのこととは関係のない、世の中にはすごいことがあるっていう感じのこととして言われました。私もまったくその時は甲谷さんのこととしては見ていなかったんです。でも、それを見てたので、川口さんが在宅独居の話を持って来たときに、理解と受入れが速かったんです。

長谷川:そうですね。すっと入った。

志賀:「あのネットで見たすごいやつだ!」「もうこれしかない!」と由良部さんにその話をうわーってして。で、由良部さんも「もうそれしかないよね」って。できるとかできないとか言ってる場合じゃないしってことになった。で、奥さんに話し…。奥さんも転院先を探せって言われて、手詰まりになっていた時期だったから、複雑だったんじゃないでしょうか。転院先はもうそう簡単にはみつからない。自宅で見るという選択肢はむずかしい。家族として夫婦として、他人にゆだねていいのか。京都の介護状況を考えたらそう簡単なこととも思えない。だいたい私ら福祉の素人が勝手に熱くなってるけど、本当に責任とれるのか。などなど、直接、聞いたわけではないけど、本当に複雑だったと思います。[00:50:15]
最終的に、甲谷さんは奥さんと話して離婚を決意し、家族も財産もすべて手放して、生活保護を受給して、独居するという形におさまりました。奥さんはいっさい関わらないとおっしゃって、実際、それを実行されています。結果的にはそうしてくださったことはプロジェクト遂行のためには大変賢明な判断をしていただいたと思っています。甲谷さんのことを責任持つという誓約書を交わしたいという話もありましたが、奥さんとそれを交わすのはちょっと違うと思い断った記憶があります。

長谷川:志賀さんすごいな。私ならそんな、うろたえてサインしちゃいそうな。

志賀:これは私達の決断であると同時に、根本は甲谷さんの決断であり、選択なんですよ。甲谷さんと誓約書交わすならわかるけど、周囲の人同士が交わすのはおかしいでしょ?まあ、奥さんも病院も、なにも知らない素人が熱くなって舞い上がってやろうとしてるみたいな感じに見えたんでしょうね。実際、とても冷静とは言えない興奮のるつぼにいたことも事実ですし。だけど、何度も言いますが、それでも私は2年間毎日病室に通った自分がいたから、やれる、やりたいと思っていました。

長谷川:反対というわけじゃないけれども、できないんじゃないって。

志賀:うん。そういう感じ。まさにそんな感じの言われ方した。そんなこと前例もないしとか言って。

長谷川:それがあるから病院の連携室のケアマネさんとかも、なかなか情報、情報っていうか、前向きに。

志賀:ごちゃごちゃしましたけど、進み始めると、まずスケジュールはすぐに決まりました。すぐに日赤病院に転院して、喉頭全摘の手術を受ける。その後、民医連に移って、3ヶ月間の退院調整期間を過ごす。その間に制度的な問題をクリアにする。8月13日がリミット。それは絶対に延長できません、と言われました。私達は家探しとヘルパー候補決定とココペリとの調整、それから生活保護の申請。MSWはケアマネは引き続き自身がやることにして、往診、訪問看護、訪問入浴、訪問リハビリを決めていく。でも肝心のヘルパーを何時間使えるのかっていう支給時間がね、ほんとにギリギリまで出なかった8月に入っても出ないから、3人目の中心的支援者の、京都新聞の岡本さんが、きらリンクの土屋さんにつないでくれて、役所に話をしてくれ、そしたらわりとすぐに答えが出ました。支給時間が決まらないと、ヘルパーの時給もお知らせできないですし、支給されないからと言って、独居なのでヘルパーのいない時間をつくるわけにはいかないからね。

長谷川:実際にもう地域移行しようって決まってから、由良部さんと志賀さんが、甲谷さんは動けないから動くわけじゃないですか。だいたい由良部さんが介助体制とか介助者集めと家探しか。で、志賀さんは制度的な面っていう話。制度とか割り振られときに、知らないけども、だけどもやっぱり地域連携室の人たちに聞いてっていうことで始められた。[00:55:06]

志賀:私は制度のことを何も知らない家族と同じ立場でしょ?だから、私にできることはないですよね。それをやるのはMSWの仕事ですよね。だけど、彼女と私がすごい緊張関係になってしまって。というのも、MSWの人も初めての事例ですごいストレスだったんだと思いますけど。もう一つの理由は、支援者がすごかったこと。甲谷さんの後に由良部さんと私、そして京都新聞の岡本さん。新聞記者が内部にいるというのはすごい緊張をもたらしたみたいで、病院の事務長に記者を連れてこないでくれと直接言われたこともありました。そしてその外側に、ALS協会やさくら会、立命館大の立岩先生たち、でしたから。そのくらい、甲谷さんの在宅独居実現は首都圏以外でのALS患者の将来がかかっているプロジェクトという圧というか熱が、我々の側にはあったと思います。私もわからない中で、後にいる人達のいろんな意見を聞きながらMSWと話すので、すごいストレスでしたし、どうしても答えの決定が遅れる。私が妻なら本人と相談して決めたらいいだけのことでも、甲谷さんのプロジェクトでは意見をみんなにはかるからね。それがまた先方をイライラさせたり。出来ないといわれていることでも、支援者はそんなことない、絶対できると言われて、でも私も判断つかないから、なんだか伝書鳩みたいになってしまったり。でもね、その時思ったのは、支援職なら、もう少しわかりやすく制度を説明して、私のことも支援してくれたらな、ということでした。あの頃は本当に理不尽なことをたくさん言われました。それは制度が家族がいること前提で、独居の事例がなかったからなんですけどね。例えば、訪問看護や入浴のサービスを受けているときはヘルパーは使えない、と。サービスの重複利用禁止ってやつですかね。訪問リハを入れるから、ヘルパーはマッサージしてはいけない、とか。結果的には家族がいなくて、ヘルパーが家族代わりなのだから、ヘルパーは常にいて良いということになりましたけどね。その過程においては、あれもだめ、これもだめ、ということが山のようにあって、「心が折れる」とはこのことって感じでした。そのぐらい、前例がなく、制度も熟していなかったということだと今ならわかりますけどね。そんな中で、ココペリの長見さんのスタンスにはとても救われました。医療的ケアがグレーだとしても、それをやらないと生きていけない人の介助に入るんだから、やるしかない、とね。それが原則だと思いました。

長谷川:志賀さんに降りかかっているんでしょうね、だから。みんながやってきて、川口さんなりにも。そういう人たちのアドバイスも、結局ここでやろうと思っても、今度こっち側の人からも言われてっていう。

志賀:そうね。それはそうだったよね。わかんないしね。ほんとでも私、経験がないから、判断がつかない。どっちの言ってることが正しいとか。初めて経験する地域移行をめぐる様々な複雑なことを、経験者や専門家がいろいろとアドバイスをすることはもちろん重要だし必要なことなんだけど、ちょっと気をつけないといけないことがあると思います。これ、耐えられない人もいるだろなと思った。もし、私がもっと気の弱い、あまり社会経験のない奥さんだったとしたら、在宅生活が始まる前の準備段階で、もう無理ですって。こんなことに巻き込まれて、とても自分には耐えられない、っていう気持ちになってもおかしくないだろうなと思った。私は家族ではなかったし、わりと職業的にもそういうふうな交渉ごととかややこしい話にわりかし耐性があったけど、そんな私ですらけっこうきつかったから。みんな良かれと思って言ってるけど、これめっちゃ普通の人にはきついとは思いましたね。だから、ちょっと情報量を整理するとか、直接接触する人の人数を減らすとか、ある程度、そのへんいろいろ考えないと、せっかくやろうという気持ちになってても、あまりにも複雑でややこしく、ストレスフル過ぎると、ちょっとこう折れてしまう人とかもきっとあるだろうなと思った。
でも、実際の生活走り出してみたら、なんにも問題なんかなかったんですよ。あんなにわーわーうぉーうぉー言うてたのに、現実に甲谷さんが退院して、往診があって、訪問看護があって、ヘルパーが入って。心配するようなことってそんなになかったんですよね。だから、ちょっとヒートアップし過ぎな感はあった、準備段階が。まあだから、最初の第一例目だったっていうことももちろんあったけどね。あまりにもヒートアップした時間だった気がする。

長谷川:それはでも甲谷さんは、その全部は。

志賀:ある程度、話してはいたと思うけど、彼はもっと自分の哲学的な境地にいたと思います(笑)。もともとあんまりそういうことはね。

長谷川:だし。たぶん広域協会、ALSの人もそうだと思う、だいたいの人がそうだと思うけど、広域協会とかは本人に本人にって求めていくじゃないですか。それをして、今の志賀さんのようなものも全部引き受けてってできないですよね。

志賀:そんなんできる人いる?

長谷川:いやあ。私はもう。

志賀:私は自分の職業経験としては劇場とか舞台芸術のことしかわからないけど、なんでも一人で全部できる人なんかいない。才能あるアーティストだけいても公演できない。アーティストとプロデューサーが車の両輪になって、それぞれの専門家を雇って、一番いい組み合わせを考える。で、この人のほうが腕もいいし評判もいいけど、やっぱりこの人のほうが気が合うとか、そういう組み合わせの中でしかチームというかプロジェクトっていうものは動いていかない。当事者本人が何もかも全部理解してできるってこともないだろうから。もちろん、障害当事者本人の意思がちゃんと尊重されてるかっていうのは、一番大切なことだけどね。

長谷川:でもあれですね。甲谷さんの、甲谷さん、一つのモデルですよね。さくら会のあの社長モデルとはまた違うじゃないですか。

志賀:そうですね。だから社長モデルができる人たちがマスコミには登場することが多いでしょう。岡部さんとかにしてみてもね。でもそれ、そもそもALSになってなくてもできない人多いよね。

長谷川:そう。
長谷川:逆にそれが。

志賀:敷居がちょっと高くなるね。

長谷川:高くなるし、入ってくる人たちの考え方が「本人でしょ」とかなると、全部本人に求めるから、もうストレスになるんですね。どっちみち、「本人が言わないからこうなってるんだよ」みたいな押し付け合いになるから。そういうのはしんどいなと思ってて。[01:10:12]

志賀:ねえ。ただでさえもう病気になってて、物理的にできないっていうこともあるし、精神的にも相当ね、もうまずその状態にいらっしゃるっていうだけでも相当なものを背負ってらっしゃるって考えたときに、本人の意思を曲げてないんだったら、まあ代われるものは周りの者が代わってやったらいいんちゃうんかなぁとは思いますけどもね。そのへんのことで、障害者運動をやってる人たちと接触するときはちょっと緊張する。なんかこう、「甲谷さんのところは勝手に志賀さんがやってる」みたいな感じに思われへんかなぁみたいな感じの緊張感。でも、現実問題として生活を進めていかないと暮らせないし。甲谷さんがもともとあんなタイプだっていうこともあるのでね。

長谷川:そのときのじゃあ、もう地域に出るまでは、いろんなやらなきゃいけないことがたくさんあったわけじゃないですか。制度面をそろえなきゃいけない。それで、でも志賀さんも制度のことはそんなに知らない。で、支援っていうか、専門職の人もさほど前向きにっていうか優しいわけではなくって、その中でもいろんな人に情報をもらいながらやっていくんだけど、逆に情報を持つのも情報がたくさん過ぎてなかなかしんどい部分があったっていうのが地域移行までですね。

志賀:そうですね。とにかく前例のないことを先頭で走ってやったわけだから、しかたなかったと今振り返ると思えますけどね。甲谷さんが「あとにつづくみちをひらきたい」とよく言っていたけど、あの時の混乱があって、甲谷さんの在宅独居が実現して、今でも継続できていることによって、少しでも今はスムーズならなによりですけどね。

長谷川:じゃあかなり、地域移行するまでの、プランっていうんですかね。こういう生活っていうプランの中では、志賀さんも、「あれができなかったらどうしよう」とかっていう不安はあったんですか?

志賀:当時、ヘルパーに許されていなかった胃瘻からの注入、かな。でもそれは長見さんが、「やらなかったら生きていけない人を前にしてやらないって言えますか」の一言で解決した。事業所の代表がそういう意見で、ヘルパーにグレーだけどやってもらえますか?やりますっていう同意がとれたから。そして主治医も訪問看護さんも理解して教えてくれましたから。実際の生活の中では柔軟に対応することができて良かった。あまりにも準備期間に、できないことばかり言われていたので、ちょっと拍子抜けするくらいでした。

長谷川:でも一気に地域生活きたときには、今までいろいろ言われてきたけど結局は回っていくという中で。

志賀:うん。全然。始まってからはもう全然楽しかったし、ストレスもなかった。

長谷川:ああ、そうですか。始まってから。

志賀:全然。

長谷川:全然ですか。これ問題やなとか、新たにこれが出てきたなとかっていうのは。

志賀:ほぼなかったね。一度、初期に甲谷さんの体調がちょっと悪くなって、硬直がすごく強まった時期があって。その時に辞めたり、倒れたりするヘルパーがあったり、私もかなり精神的に追い込まれたりとか緊張した時もありましたよ。今みたいにヘルパーが定着するまでには、合わずに辞めていく人もありましたし。でも転院を繰り返しながら病棟でサポートしている時や移行準備の時のストレスに比べたら、在宅生活は基本、平和でした。

長谷川:それぐらいだったんですね。

志賀:「何も問題ないやんか!」って感じだった、実感としては。それよりも毎日楽しかった、生活を作っていくのが。甲谷さんが病院を出て、新しく始まった場所だったから甲谷さんの家でもあるし、みんなの場所でもあるみたいな感じがありました、最初の頃は。今思い返して、「いやあ、始まってみたらやっぱり大変だったんですよ」ってう感じはないんですよ。基本的にヘルパーが絶望的に足りなくなるっていうこともなかったし、出たり入ったりはあったけれどもね。[01:15:08]

長谷川:志賀さん、ずっと聞きたかったんですけど、介助者でもないじゃないですか。自分を、どういうふうにここの、甲谷さんのチームの中で居つづけてるのかな?みんなから聞いていると、例えば伊藤敦子さんなんかは、やっぱり志賀さんがここをまとめてくれていて、なんかあったらそこによりどころがあるみたいな。だからすごく安心していられる。志賀さんの存在はすごいおっきい。で、あんまりこう介助者、増田さんとこなんかでいうと、それって別にないというか、介助者の中でないわけじゃないですか。この人に言えば解決するとかって話じゃなくて、淡々と、普通にいえば家族の人が、志賀さんとはまた違う意味で調整してるっていう。そういうなんかみんながやってる。

志賀:普通は家族がなんとなくそれをしてるんだよね。

長谷川:それをこう志賀さんの中で、どう。甲谷さんはたぶんそういうふうに、もうちょっとこう、志賀さんに、今まで積み重ねてきたものがあるから、すごい信頼感があって。

志賀:それはもう何度も言いますけど、やっぱり<プロデューサー>ということだと思います。プロデューサーは現場のことは現場に任さないといけないし、プロデューサーが現場に出張って行って細かい仕事をしてたら、やっぱりそのプロジェクトは回らない。やっぱりある程度距離をもって見てるいて、あるポイントでは誰よりも現場を知ってるっていうぐらいの関わり方でいないと。完全に中に入ってしまったら、プロデューサー的な視点ってのは持てないし、かといって、プロデューサーというのが肩書だけで、全然現場のことをやったことがなかったら、やっぱりそれは回らないし。私は自分の職業経験で持ってるその感覚と同じかたちでしかやってないので。ただ、プロデューサーは、その代わり、「全ての責任は私が負います」っていうことだけは言わないといけないと思う。そこを逃げるんだったらもうプロデューサーはできないですよ。だから、「ここで起きる全てのことは、私が責任を取るからやっていい」とか、「やってください」とか、「そのことは甲谷さんに私が話します」とか、やっぱりそういう口のきき方は意図的にしてます。つまり、ここで、あなたたちが何か最初の責任を負うとか、逆にいうと最初に判断をするとかっていうことはないと。限定的な責任の中で安心して仕事をしてもらって、私がヘルパーに望むことは、できるでけ長く続けてもらうことだけですっていうふうに、ヘルパーの関わり方を明確にするっていうこと。責任の範疇とか、望まれてることを、私がはっきりさせるっていうこと。その上で、ここを回していくための全体のことは私がやります。そのために、私は時給でヘルパーとして働く賃金以外に、コーディネーターとしての賃金をいただいているから、その部分が私の仕事だということを明確にする。で、私のこのポジションですけど、「甲谷さんのところが上手くいってるのは志賀さんがいるから」って言ってくれる人もあるけど、私というキャラクターがいるからではなくて、このポジションがやっぱり要るんだと思うんですよ。

長谷川:プロデューサー。

志賀:うん。まあプロデューサーっていうのは、ここの場合家族がいないから、そういうおっきな名前で言ってしまってるけど。もし家族がいたとしても、ご本人と家族でも利害関係はあると思うので、コーディネイターは必要ではないかなと思います。[01:18:39]

********切断********
(医療的ケアの資格取得の話?)
長谷川:移行するときに、要はもうあけて。で、ここもこうじゃないですか。他の人の場合だと。そしたら、じゃあ移って、みなしでやるかっていうふうに、まあみなしでもできるんですけど、

志賀:ああ。時間差がちょっとかかるってことね。

長谷川:そう。だから病院の中でそれやってみたいな話がたぶん、大変。でもどっちみちでも大変。そこが大変なんじゃないかな。

志賀:それは制度上の問題なのね。

長谷川:そうそう。制度上の問題で。でもやっぱり始まって。結局のとこ、どの話聞いても。

志賀:最初のそこはだから、どっちにしても誰かが頭やわらかくしない限りは正論言ってたらできないっていうことでしょ。

長谷川:そうです。そうです。ほんとそう。だから、地域移行のときは大変っていう話、ケアマネさんとかってのも、結局のところ思惑として、同じ方向を向いてくれないんですよ、要は。何かしらの、ほら、例えば「人がいないからそれは難しいだろう」とか、責任を覆いかぶさってくるようなこと言ってくるんだけど、その責任自体はそんなにね、私もおっきなことだと思わないんだけど。ただ、モチベーション下げてくるっていう、この一点かな。[01:19:47]
長谷川:やっぱりビビるんじゃないですか。今でも看護師さんとかケアマネさんとかもそうだけど、知らないっていうのもあると思うんですけど、制度の仕組みとか詳しくないっていうのももちろん一つあると思うけど、なんかね、一番みんなやっぱ言ってるのは、なんかできなくなったときの責任が自分たちにあるみたいなことを言われるってのが、一番怯えてますね。みんなね。責任っていうこの言葉に。誰もその責任っていうのは基本的にはとれないんだろうなって思っているんですけど、ただ、この人の生活をこういうふうに考えて、こういうふうにしてあげたりだとか、本人がこういうふうにしたいけど、どう実現するかっていう話っていうのもね、その責任よりかはそっちを見たときに、どうしていくかっていうのは、なんだろうな、責任っていう言葉だけじゃないじゃないですか。それはできなくなったときに、「できなかったね」じゃもちろん済まされないんだけども、ただそれをやろうとした事実だとか、そういったことって残るわけだから、もっと違う、じゃあ別の方法を考えようっていうふうに本来ならシフトしていけばいいんだろうなって思うけれども、なんかそうじゃなくって、地域移行するなら地域移行するって、もうこれがゴールになっちゃってるから、専門職にしても。その先続けるってことがね。そこらへんがなんか難しいなって。

志賀:責任ってむずかしいですよね。家族でもないのに責任とれるんですか、って地域移行調整の時にも言われたもんね。責任ってなんだろうね。だけど誰かがはっきりと決断して宣言しないと、進まないことは多いと思う。本人が言えたら一番良いけど、家族もけっこう躊躇するよね。病院が言ってることと違うことを主張するのは。ただ、最近は本人の意向を尊重するというのはしっかりあると思う。本人も自分一人で暮らしていける訳ではないから、周りのことも慮って自分の意見だけを言うこともむずかしいだろうし。本人の意向を軸に話し合って、意見を一つにしていくということをやるしかないんだろうね。そうじゃないと、「様子見ましょうか」といつまでも保留になってしまうこともよくあるように思う。よくヘルパーに言うのは、私達が一番近く長く甲谷さんの側にいるんだから、医師や看護師に遠慮せずに、見ていること、感じていることを伝える義務があるよ、と。なんとなく保留にしたり、先延ばしにしないことは気をつけてます。自分が甲谷さんだったらどうしてほしいか、いつもそれは考えてます。だって私達が黙ったら、甲谷さんは何も言えないんだから。一[01:25:53]

長谷川:そう。それが、そうなの。だから私、ほんともう一個、家族じゃない人たちがいいなって思うのはそういうとこですよ。

志賀:家族も先生に遠慮するんだよね。わかるわかる。

長谷川:そう。それはあって。例えば増田さんのこの傷でも、ほんとにすごい傷なんですよ。それが直らなくって、私はもうあんな痛かったら、しかも痛み止め飲むくらいだったら、もう早く早くって、検査でもなんでもして!みたいな。それこそ入院なんてしなくていいから検査して、原因突き止めたらいいじゃんって思うけど、それがやっぱり言えないんですよね。
長谷川:そこの林さんのとこへ行くと、なんも知らないけれども、なんも知らないんですよ。やっぱり知識がないし、そんな他のALSの人たちを知ってるわけでもないし、協会の繋がりがあるわけでもない。ただのほんとお父さんなのに、家族っていうだけで、わかんない責任ばっかり押し付けられて、あれやれこれやれって、わかんないからやって。

志賀:それはお父さんも気の毒。

長谷川:そういうふうなことがなんか、周りからしたらすごく家族っていいポジションなんですよね。そういうふうに使われるのもなって思ったりして。

志賀:どこまで、まだやれそうなことを挑戦し続けるか、ってところはあるよね。外出とか、経口摂取とか、おしゃれとか、一番大切なコミュニケーションもだけど。命の安全を守りながら、生活の独自性とか質をどう保っていけるか。

長谷川:いやあ。そういうのほんとにある。なんなんだろう。慣れもあるのかな。「もうこれぐらいでいいだろう」みたいなそういうのが感じられて。

志賀:そうそうそうそう。諦めちゃうっていうかね。「しょうがないでしょALSだからな」みたいなね。

長谷川:そうそう。身体こんなふうなんでって訴えてても、いやでもALSで、

志賀:ああ、そんなもんよねみたいなね。

長谷川:神経系の病気だからまあそういうふうに出てきてもおかしくないよねみたいな。いやいやみたいな。

志賀:しんどい言うてはんねんしって。[01:30:03]

長谷川:それは本人とか家族が逆に、「いやいやそんな検査なんて」って言うぐらいでも、医者としてやってくれよって思いますけどね。それは不安じゃないですか、一つ。解決できることは解決してほしいし。

志賀:そうそうそう。ほんとにそういうことがやっぱり普通にあるしね。

長谷川:恐ろしいなと思って。それはやっぱり家族とかだと権力関係みたいなものもあるんですよね。

志賀:なんであんなお医者さんに遠慮するんやろ。お医者さんやから偉いって、ある世代以上の人は思ってるからね。

長谷川:うん。し、そこにそっぽ向かれたらって思うんじゃないですか。やっぱり。そういう意味ではなんかね。そこにいる介助者もいくらそんなに本人のことを思ってても、家族がそう言っちゃったらそれまでってこともあるから。

志賀:まあね、なかなかそこまでは踏み込まないよね。それはね。

長谷川:だからすごい思うのは、一般の普通の感覚っていうんですか。病院とか行っても、やっぱりおかしい。ほらおかしいじゃないですか。ああいうのが慣れてくるっていうのがだめなんだろうな。だから一般の感覚持ってるのってすごい重要やなってのは思う。

志賀:そうだよね。しょうがないと言っちゃえばしょうがないことはたくさんある中で、どう踏みとどまるか、だよね。父が入院していた神経難病の方が多い病棟の食事介助に、すごくショックを受けたことがある。U字型のテーブルの外周に車椅子の自分で食べられない患者さんがずらっと配置されて、Uの中に看護師が一人入って、順番にスプーンで口に食事を運ぶの。私、それ見たときに、ぞーっとして。ただでさえALSになってショックを受けているのに、父がどういう気持ちで口開いてんのかなって思ったら、なんかもう、涙が出ました。まあ人手が足りないからなんでしょうけどね。でもそれって、それこそ尊厳が失われている状態じゃない?びっくりした。みんな飲みこんだりするのに時間がかかる人だから、それで効率よく食事介助できるんだけど。こんな扱いされたら、死にたくなっちゃう・・・。

ユ:それは人間に対する、行動じゃないですね。

志賀:冒涜だよね。

ユ:動物とか、他の。

志賀:いやぁ、すごいもの見ちゃったーと思って。それが普通になっちゃってるからね。やってる看護師さんたちも、別にその人個人が悪いわけじゃないよね。それを強いられてるわけだから。

長谷川:慣れって怖いよね。

志賀:尿パッドとかオムツの使い方も、在宅では考えられないくらいの枚数を当て込んであったり。いずれも人手不足のなせることなんでしょうけど、怖いです。

長谷川:ほんと思います。ほんとに思う。怖い。ああいうことやってると何されてるかわかんないっていう思い出てきますよね。

志賀:思うよね。だから、人間が死にたいって思っちゃうのってさ、病気事態のことで絶望するっていうのはあると思うけど、でも病気そのもの以外のこともいっぱいあるよね。無力感っていうか、「自分はもう何もできないんだ」「こんな人に身を任せるしかないんだ」「こんな扱いを受けても何も言えないんだ」っていうことがやっぱり積み重なってくる絶望感っていうのは、病気そのものよりも大きいよね。でも、それはさ、本当は変えていける、改善していける部分だからね。ALSは治せないけど。だから、そんなことで絶望感を抱かせてはいけないと思う。いつも甲谷さんに接するとき、自分なら我慢できるかって考えるようにしている。この我が儘で自己愛の強い私がALSだったら、こんなやり方で、この程度の介護で満足するだろうかって。

長谷川:いやぁ。ぜひ林さんのお父さんに聞かせたい話です。呪縛から解いてあげたい、みんな。そういう。

志賀:お父さんとかやっぱり自分を責めてはるようなところがあるんですか?亡くなって。[01:34:48]

長谷川:やっぱりそうですね。ヘルパーにも気をつかわなきゃいけないから。ほんとは娘さんのね気持ちとかそういうの優先したいだろうけども、娘さんが、やっぱり自分の意思が通らないわけですよ。人、あんだけいたら。で、そうしてヘルパーが辞めていったら、じゃあ24時間成り立たなくなる。でまあある意味で親としては、娘を人質に出してるような感じがあるから、ヘルパーに対して気を使わなきゃいけなくて。そのヘルパーがしてる仕事、例えば刻み食だったりとか、すごい大変だから、「それは用意しといたほうがいいよ」って自分から娘に言ってしまったとか。一つ一つはね、ほんとは、なんていうかな、別にそんなこと言わなくてももちろんいいとは思うし、だけど家族としては環境として、そんな辞められたら困る。娘がそんなワーワードンパチやって、それでまた虐待されても困るとかいろいろ思うと、その間をとりもってしまうっていうところが逆にマイナスに思ってしまってるところがあったんじゃないかなって話をしてたと思うし。そういう意味ではほんとにポジションがあるっていうのはすごく。志賀さんの話なんかを聞いてて、やっぱりそうだなとか思って。

志賀:とにかく問題をね、具体的に外に出すっていうか、「今こんな問題がありますよ」っていう、解決策ないかもしれないけど。っていうふうにできるかできないか。でもその状況だとできない可能性もあんだよね、問題をね。結局わがままってことになっちゃったりとか。

長谷川:そうそうそうそう。ほんとそうです。そうです。だから、私はやっぱり素直に、ご家族は家族として、そこにいられるのが一番いいかなっていう。あんまり役割を背負わせすぎないというか。

志賀:そうだね。それからやっぱりもう五十幾つであれだけキャリア積んで、自立して生きてきた方だったら、今更親の支配下にもいたくないじゃない。自分と親の関係考えても、「なんでパパの言う通りに私が生きなあかんの」ってことになるよね。

長谷川:そうそう。だから、すごい、周りからしたら、お父さんお父さんってすごい頼ってくるけど、でも本人からしたら、

志賀:それも腹立つよね。

長谷川:そう。で、それがなんかわかってもらえないっていうもどかしさもあっただろうなっていう。お父さんも別に制度のこと詳しいわけじゃないし、他のALSの人の暮らし知らないままだから。

志賀:一生懸命言われた通りにするしかないよね。穏便にいくようにね。

長谷川:で、自分は仕事持ちながらでしょ。すごいそりゃしんどいやろなっていう。そういうことを逡巡されてるんじゃないかな。でも、その林優里さんにもお父さんにも甲谷さんところの話して、「面白いですよここは」って。だからそういうとこばっかじゃないっていうか。だからいかに、私たち側としては、いかにここの生活っていうのが、ある意味特別だけど特別じゃないっていうようなことを、いかに上手く伝えるかっていうことだと思う。

志賀:なんかほら、なんていうの、人間関係ってさ、特別大きな問題があるわけじゃないんだけど、嫁姑が例えば仲悪くなってしまうと、もうずーっとしんどいままでいく。別にじゃあ何が問題なんですか?って聞くと、別に何か大きな問題があるわけじゃないっていう、そういうのってあるじゃないですか。それに近いようなとこあるよね。具体的に何が大変っていったら別に大元の問題はなかったりするっていうか。ちょっと工夫すれば解決できたりするようなことが捻じれていくっていうかね。

長谷川:なんか言葉にしにくい問題でもあったりしますよね。そういう気持ちの感情的な問題ってね。

志賀:そうね。難しいよね。

長谷川:だけど、プロデューサーってかっこいいなと思います、私。

志賀:別にかっこよくはないけど、そういうポジションがいるっていうことだと思うんだ。これ権力でもなんでもないと思うんですよ。役割っていうか、ポジションなんですよね。なんとなくプロデューサーとかっていうと、すごく権力的なポジションに思うかもしれないけど。まあそれはすごい大きなお金が動くプロデューサーとかは話が別なんでしょうけど、私はそんなの知らないし(笑)もう最終調整役ってことですよね。とにかくみんな気持ち良くやってちょうだいみたいな感じ。

長谷川:それがすごい。こないだその話を聞いてすごいなぁと思って。

志賀:だって、気持ち良くやってるほうが絶対に能率も上がるし、クオリティーも上がるわけで、いやだなぁと思いながらいったって、あんまりねいい仕事できないしね。

長谷川:それ根本ですよね。

志賀:根本ですよね、ほんとに。

長谷川:すごいなって。その根本をやるのって、すごい実は明確化できないじゃないですか。「これをやればこうだ」みたいな法則もないから、人の動き見て、ここでこれかな?あれかな?っていうふうな感じでやるわけじゃないですか。すごいなと思って。[01:39:49]

志賀:「甲谷さん在宅生活5周年ですから、ヘルパーが横になれるソファーをプレゼントして下さい」って言って。甲谷さん、もう今はイエスかノーかはっきり言えないけど、「イエスやんね、もちろん」って言って買わせてもらいました。ちょっとしたことなんだけど、ソファー一つないだけでも、ヘルパーはしんどいと思うんですよ。あそこで、地べたで待機とかだったら。なんかまあ、そんなちっちゃなことの積み重ねだと思いますけどね。

長谷川:それがなんていうかな、なんていうんだろう、家族の気遣いと全然違うじゃないですか。ものすごい聞いてて私は腑に落ちる。志賀さんの話、ものすごく。

志賀:いや自分も、ここで介助に入っていて、やっぱり楽に過ごすためにはって思う。待機の時間も長かったり、夜とかここで寝るわけじゃないですか。そのときになんか誰が寝たかもわからない布団引っ張り出してきて寝るとか私には耐えられないって思うわけですよ。自分の実感に正直になったら解決するべき問題って意外とあるっていう感じがするけど、外から見てたらわからないよね。夜勤で泊まる人がどういう感じで寝てるかとかいうことがね。

長谷川:でもすごい、志賀さんの話ね、ほんと楽しくて、私すごい腑に落ちます。

志賀:私は甲谷さんしかやってないので、たいしてお役に立てないんですけどもね。

長谷川:大事だなと思う。いくらいろんなとこ入っててもわかんないことはいっぱいあると思うし。視点がやっぱり違うんでしょうね、ほんとに。

志賀:そうかしら。

長谷川:やっぱ違うと思いますね。

ユ:コロナの影響とかないですか?

志賀:市バスや地下鉄に乗るのを控えてるので、遠出があんまりできなくなってる。近所の散歩は毎日続けてるし、車での外出はしてるけど。今までだったらもっと普通に繁華街にも行ったりとか、遠くの寺社にも行ってたけどね。

ユ:やっぱりさっき病院の話を聞きながらコロナの影響を考えると、なんか家族とか禁止されてるから、面会も禁止さててるから、その関連もちょっと思いだしたりしていたので、ちょっとコロナの影響はないかな?と気になりました。

志賀:そうですね。ヘルパーもみんな、プライベートの外出やイベントを自粛してると思いますよ。DJの白石さんなんかどこにも行ってないって言ってました。バスにも乗らず、どこでも歩いて行ってるって言ってた。

長谷川:ああそうですか。DJの仕事は?

志賀:ぜんぜんやってない。増田さんとこなんかは、もう完全にあれですか?ご家族がみてる時間っていうのはなく、全部ヘルパーで回ってるんですか?

長谷川:いやいや家族。夜間は私もたまに入りますけど、でも私たちが入らないときは、夜間は奥さんが。ただ、自動痰吸引器使ってるから。

志賀:そんなに頻繁に起きてやらなきゃいけないわけじゃない。

長谷川:うん。そうです。そうです。別に体位交換もあんまりないので。看護学生が。増田さんはなんか変わってて。増田さんは増田さんのスタイルで、看護学生とかを入れたほうがいいらしくて。それはまあ、かわるじゃないですか。卒業ときと。そういう入れ替わりがあったほうがいいんだ。と。それはまあ、どうなんでしょう。そういう奥さんというかともこさんがいて、ずっといるから、それの安心感もあるからそういうことできるのかなと思ったりもするけれども。なんか、うん。ただ、やっぱりさっき言った問題起きますよね。どう考えても。家族がいて安心感もあるし、確かにそういう調整もするけれども、医者に対しては気を使うだろうし。

志賀:でも増田さん本人がいろいろ言えそうやけど。

長谷川:意外に本人って、言うほど自立してるっていっても意外に意外なんです。別に甲谷さんと変わらないとこもあるし。

志賀:そうなの。

長谷川:あります。あります。医療のこととなると、どうしてもよくわかんないところもあるだろうから、医者に言われるまんまになるとかね、あったりもして。でもヘルパーもやっぱり家族っていう目で見るじゃないですか。だからやっぱり自分たちの中立だみたいなんじゃなくて、確かに聞いてはもらえるけども、やっぱり、[01:45:06]

志賀:そうだよね。私だってたぶんそうだと思うわ。家族がいらっしゃるとこに入ったら、家族がそう言ってるのに、それ以上考えるってことはきっとないもんね。

長谷川:だからそういう意味ではいろんなとこが持ち越しになってしまうこともあるだろうから。かと言って、他と一緒でじゃあ、ケアマネなんて来ないし、顔なんか見たことないもんね。介助者***(01:45:28)
ユ:一ヶ月に一回は来ますね。


長谷川:広域協会だってそんなに介助者を守るっていっても調整をするわけではないし。まあ広域協会のスタンスとしては、どっちかというと本人に、

志賀:自薦だから本人がっていうことね。

長谷川:じゃあその本人はっていうとね、そんなに変わらないです、やっぱり。変わらないと思う。良し悪しではなくて、だいたい我々だってそうだよなと思うし。人に任せたい部分ももちろん出てくるから。そういうとこありますよね。

長谷川:うん、なくて、その想像力がどこまで及ぶんだろうみたいな。甲谷さんのさっきの呼吸器つける、つけないの話も、全然受け止めが違うじゃない。ほんとにこんな中のこれぐらいですよ、みたいな。こうじゃないんですよみたいなの。なんかそう思うけど、周りからしたらそこをもっと聞いてたら、そこがクローズアップするだろうし。
長谷川:そんなことよりあの医者二人が悪いねんってこと言ってくれりゃもういいかなと思いますね。
長谷川:怖いですよね。ほんとに。それぐらいおっきな。それぐらいおっきなっていうのもあるけど、環境がやっぱり影響しますよね、ほんとに。業務的に本人がやられてると感じてしまったら、それはね、しんどいだろうしね。

[音声終了]

*作成:中井 良平
UP:20210816 REV:
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