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優生手術問題:活路と展望(8)――9月4日仙台高裁にて,控訴審第2回公判取り組む

山本 勝美 20200919

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last update:20201218


■目次

  1. <原告の取り組み>
  2. <9月4日の取り組み>
  3. <優生保護法の何が問題だったのか>
■関連資料


「国は72年間(1948年優生法設置以来)の違憲処分の謝罪と補償を!」

(旧優生保護法裁判 仙台高裁にて)

■1)<原告の取り組み>

旧優生保護法によって不妊手術を強制された女性ふたり(注)は、2018年、国に幸福権(第13条)という基本的人権の侵害に対して、謝罪も補償も放置して来た責任を追及して仙台地方裁判所に訴訟を行いました。
ところが2019年5月28日、判決では一方で旧法の憲法違反を認めながら、他方で手術から20年経ったという民法の除斥期間を振りかざして、責任を放棄する判決をおこないました。 それゆえ両原告は、国を仙台高裁に控訴しました。

(注)飯塚淳子(仮名)さんと佐藤由美(仮名)さんの義姉佐藤路子(仮名)さん

■2)<9月4日の取り組み>

そして去る9月4日に控訴審第2回期日を迎えました。
当日、多数のメデイアの取材する中、参加者一同、法廷に向けて入廷行動を行いました。

時折しも、コロナ対策により傍聴席が半数以下に縮小されながら、
公判後弁護士会館にて集会を持ち,報告を行いました。
全国の支援仲間の結集に支えられつつ取り組みました。
第3回は2021年1月18日(月)に行われます。皆様のご支援をお願いします。

■3)<優生保護法の何が問題だったのか>

この裁判は,国が1948年、一方的に優生保護法を設置したあと、国際的にもさらに国内からも、また第一審判決で優生法の憲法違反を指摘されましたが、廃止されてからもその問題点について何ら謝罪も補償もせず、一方的に合法だったと正当化し続けました。

これは、優生保護法改正が、一部の議員によって密かに仕組まれたからで、どこがなぜ改正されたのかについては、あきらかにされなかったことに大きな問題があったのです。
今後,旧法の何が問題だったのかについて,改めて追及される必要があるでしょう。

(続く)


2020年9月4日 控訴審第2回期日 報告集会にて
被害当事者佐藤由美さん(仮名)の義姉佐藤路子さん(仮名)のアピール

私は原告佐藤由美の義姉佐藤路子です。
本日は、皆様には 旧優生保護法国家賠償訴訟裁判傍聴並びに報告集会にお集まり頂き 感謝いたします。

国は20年という除斥期間を盾に請求棄却をしても、優生保護法が犯した罪から逃れる事は出来ないと思います。
杜撰な旧優生保護法の施行で何万人ものからだにメスを入れてその方々の人生に抱え切れない苦しみ、悲しみを負わせていた事実について国の謝罪が聞きたいです。
被害者の声をしっかり聞いてほしい。


当日支援に駆けつけた東京高等裁判所控訴審原告の北三郎さんのアピール

東京地方裁判所で私の請求を棄却する判決が出ました。私の訴えを全く受け入れない判断であり、本当にやり切れない思いでいっぱいです。
14歳の時に優生手術により、子どもを作ることができない身体にされてから、私の人生は本当につらく苦しいものでした。
国がした手術とは知らなかったのです。
ずーっと父親を恨み続け、最愛の妻にも真実を告げる事ができず、子どもができない理由がわからないことで、つらいおもいをさせてしまいました。私は国の手術によって60年以上苦しみつづけてきました。
私はこの裁判で優生手術によって奪われた私の人生を返してほしいと訴えました。勿論手術をなかったことにすることはできません。
でも国が事実としっかり向き合って責任を取ってくれる事で、私も少しは自分の人生を受け入れることができるように思えたのです。
しかし私の願いは全く届きませんでした。
裁判を起こしてから2年間、長い闘いを続けてきました。そして判決を迎えるまで、亡くなった妻の前で良い報告ができることを楽しみにしてきました。
とても残念です。賠償請求を認めないのなら私の身体を元に返してほしいです。そして妻との幸せな人生を返して欲しいです。

優生保護法は間違った法律だと思います。
人の体を勝手に子どもを持つことができない体に作り変えることが許されてよい筈がありません。
こんな判決には全く納得ができません。
私は自分だけでなく全国の被害者の皆さんに声を上げて頂きたいという強い思いを持ってこの裁判を戦って来ました。この裁判をきっかけにして、優生手術により傷つけられた人々優生手術にかかわった人々が次々と名乗り出て下さり、当時の実態が明らかとなり、傷を少しでも埋める対応がとられることを心から願っていました。
この思いは今回の判決によっても揺らぐことはありません。被害者の代表として私がこの不当な判決に泣き寝入りすることはできません。死んでも死にきれません。このまま心の傷を墓場までもっていきたくありません。
私は正義と公平に満ちた裁判がなされ国に謝ってもらう迄この裁判を続けます。
高等裁判所でも私の思いは決して変わりはありません。
わたくしのような被害者の思いを当たり前の事として理解してくれる事を心から望みます。



9月4日「仙台高裁-控訴審第2回期日」公判の概要

<弁護団の主張>

今回は、新たな主張(言い分)を含め,次の通り主張を提出しています。
――――――――――――――――――――――――――――――
* 第1審の原告が控訴したので控訴審では原告の事を控訴人、被告の事を被控訴人と呼びます。




■藤木和子氏「優生保護法をめぐる第二号判決 東京地裁判決を受けて――優生保護法の被害と国の責任とは何か──」


国は勝手に私の身体にメスを入れて、知らぬ、存ぜぬ。責任さえもない。

「国は勝手に私の身体にメスを入れて、知らぬ、存ぜぬ。責任さえもない。そんなことで許せるわけがありません。亡くなった妻や親の墓、裁判で証言してくれた姉さんにも報告したいが、いったいどんな報告をすればいいのかわかりません。私は死ぬまで闘う、そう思いました。でも、この苦しみを墓場まで持っていきたくない。そのために、私は控訴します」。
 原告の北三郎さん(活動名・七七歳)は、「不良な子孫の出生を防止する」ために国策として推進されていた優生保護法に基づく不妊手術(以下、優生手術)を一四歳のときに行われた被害者の一人である。優生保護法をめぐっては二〇一八年一月に仙台で国に対して損害賠償請求をする第一号提訴があり、二〇二〇年七月末において、全国八地域で二五名の原告が提訴している。北さんは東京訴訟の原告であり、二〇一八年五月に提訴。北さんの姉、優生保護法の問題に長年取り組んでこられた市野川容孝東大教授の証人尋問を経て、先日二〇二〇年六月三十日に東京地方裁判所にて判決がなされた。仙台判決に続く第二号判決であったが、原告の請求は同様に認められなかった。
 私は弁護団の一員であり、弟に障害がある家族の立場でもあるが、優生保護法の被害や国の責任が裁判官に理解されていないという印象をもつと同時に、理解されるためには何をどう伝えればよいのかという原点を考えさせられた。なお、本稿は、筆者個人の見解であり、弁護団としての見解を示すものではないことをご理解いただきたい。

北さんが受けた被害と裁判に至るまでの経緯

北さんは宮城県に生まれたが、複雑な家庭環境と反抗期による素行不良により一三歳のときに教護院(児童自立支援施設)に入所した。そして、一四歳のとき、突然、施設の職員に病院に連れていかれた。「悪いところは何もない」と言ったが、全く説明されないままに優生手術が行われたのである。後日、施設の先輩から「子どもができなくなる手術だ」と教えられ、大きなショックを受けた北さんは、父親が手術をさせたと恨み、実家との音信を絶った。就職後、結婚にも消極的で見合いなども断っていたが、周囲の勧めで結婚。子どもができないことで妻も辛い思いをしていたが、手術のことは妻にすら打ち明けられない。誰にも話せない秘密を抱えて一人で苦しみ続けた。
 その後、手術から六〇年以上経ち、北さんは二〇一八年一月の第一号提訴を報道で知り、自分に行われた手術が優生保護法という法律に基づいて進められていた国策だったことをようやく知った。手術をさせたのは父親ではなく、国だった。驚いた北さんは姉に連絡。姉も北さんの手術のことは祖母から聞かされていたが、「絶対に誰にも言ってはいけない」と口止めされていたのだった。弁護団に連絡した北さんは、より多くの被害者に声を上げてほしいと決意して、同年五月、提訴に立ち上がった。

東京判決の概要と評価

東京判決は全体で一四六ページにわたるが、「判決要旨」(一〇ページ)は、優生保護法被害弁護団ホームページで閲覧できるので、合わせてご覧いただきたい。

一、違憲性について 原告への優生手術は憲法上の権利の侵害だとするも、優生保護法の違憲性には踏み込まず

東京判決は、北さんに対する優生手術については、憲法第十三条で保護された実子をもつかどうかについて意思決定する自由を侵害するものだとして、国による人権侵害を認めた。しかし、優生保護法の違憲性については言及せず、踏み込まなかった。
 この点については、仙台判決が、社会的な注目を集めている裁判であることを前提に「憲法判断の回避はしません」と宣言した上で、「優生保護法は違憲」と正面から認めたのに比して、東京判決は後退であった。「仙台判決は山の八合目まで行ったと評価したが、今回の東京判決は登り口で終わってしまった」(新里宏二全国弁護団共同代表)と受け止めざるを得ない。
 また、東京判決、仙台判決ともに、優生保護法によって侵害された人権を「実子をもつかどうかについて意思決定する自由」、「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)」としているが、それだけでは狭い。優生保護法の被害の本質は、国家に「不良」な人間だとされたことにより「人間の尊厳」というまさに基本的人権の中核を奪われたことにある。
 なお、東京判決は、優生保護法において優生手術の対象とされた疾患が北さんにあったとは認めがたく、優生手術を適当とした宮城県優生保護審査会の審査が誤りであり、違法だとも認定している。この点は、優生保護法それ自体が違憲であり、すべての優生手術が対象疾患の有無や優生保護法上の手続の適法性にかかわらず違憲であること、優生保護法を国策とした国の責任を見過ごすものである。

二、除斥期間の適用──国の責任が二〇年で消滅

東京判決は、上記の通り、国の人権侵害を認めたものの、「除斥期間(=二〇年)」という時効に近い概念を適用して、損害賠償請求を提訴できる期間が過ぎていると請求を退けた。優生手術は、法律が「不良な子孫の出生を防止する」手段として掲げており、厚生省の通知により拘束や麻酔の使用、騙して行うことも許されていた。このような国による犯罪行為とも言い得る重大な人権侵害行為の責任が、単なる時間の経過によって消滅するとされたのである。この結論は、仙台判決も同様であった。
 ただし、これについて今回の東京判決は、除斥期間の二〇年のスタート地点(起算点)を手術のあった一九五七年よりも遅らせる可能性を検討している。一九八八年頃までには優生保護法の問題点は社会的に理解され得る状況にあり、どんなに遅らせるとしても一九九六年改正で優生条項が削除された時点においては、優生条項の存在によって差別意識が助長される程度が、かなり低下していたのであるから、提訴が困難な状況にあったとは認められないと判断している。
 しかし、これでは事実認識と評価が現実から乖離し過ぎており、優生保護法による被害の実情を理解しようとする姿勢さえないと言わざるを得ない。北さんは、手術について全く説明されず、優生保護法という憲法に違反する法律によって自身の手術が行われたことなど知り得なかった。そして、手術のことは、妻にも打ち明けられない、誰にも言えない秘密であった。北さんの姉に祖母が「絶対に言ってはいけない」と口止めした通り、本人はもちろん家族を含めて被害を公にすることなどできなかったのである。現在も、活動名での提訴で、顔を出すことも非常に悩んだ上で、声を上げる人が増えればと考えた上での決断だった。除斥期間の適用は著しく正義・公平に反した判断である。なお、一九九六年から二〇年と言えば二〇一六年であり、北さんの提訴は二〇一八年であるが、あと二年早く、二〇一六年に提訴していれば、請求を認めていたとでも言うのだろうか。
 一九九六年改正時には提訴が困難でなかったと判断したことについて、東京判決は、特に以下の点を根拠としている。裁判官の視点を踏まえて、今後何をどう伝えていけば理解されるのかを、読者の方々にも一緒に考えていただきたい。

根拠@ 一九八二年頃から、「不良な子孫の出生を防止する」ための優生手術や中絶等に関する優生条項については改正ないし削除すべきである旨の問題意識が与党や厚生省の内部で明確化され、その一部が公表されたほか、一九八八年には、厚生省内で、優生条項の削除に係る、より具体的な論点整理が進んでいた。北さんは、なぜ自分にそのような手術が行われたかを調査、検討する機会があったものと言える。

ここで根拠とされている与党内の小委員会の資料、科研費による研究報告書、厚生省内の内部メモは、すべて今になってようやく出てきた資料である。北さんがどうやって知ることができようか。なお、これらの資料は、著しい人権侵害の問題を認識していながら対応しなかった国の責任を追及するために原告が提出した証拠の一部であるが、逆手に使われたのである。

根拠A 一九九五年には、民間の障害者団体からも優生保護法の優生条項の人権侵害性が指摘されるようになり、一九九六年には、優生条項が「障害者に対する差別になっていることを正面から認める形」で改正が行われた。

一九九六年改正において、国会では、「障害者に対する差別になっていることにかんがみ」という提案理由の説明がなされたのみであり、実質的な審議は一切なされずに優生保護法は廃止され、葬り去られた。そして、国は、一九九六年の改正以降も、優生手術は当時としては適法であり、謝罪や補償を考えていないと言い続けてきたが、これを「障害者に対する差別になっていることを『正面から』認める形での改正」と言うのだろうか。

根拠B 優生学ないし優生思想自体は、十九世紀末には広まっており、二〇世紀に入ると各国でこの考え方に沿った立法がされた。障害者に対する差別的な意識は、優生保護法の「不良な子孫の出生を防止する」を始めとする優生条項や施策によって「助長」された面があったことは否定しがたいが、国が「作出」したものとは言えず、またその排除は現実問題として必ずしも容易であるとはいえない。ハンセン病については、らい予防法により、療養所に強制的に患者が隔離され、法律について知る知らないにかかわらず、社会が物理的に認識可能であり、優生手術を行われた者が置かれた問題状況とは質的に異なる。

このように述べる東京判決の意図は把握しきれていないが、根拠@Aと合わせて優生保護法の被害と国の責任が何かが裁判所には全く伝わっていない。さらなる調査、説得力のある主張、裏付ける証拠が必要であると考えさせられた。
 少なくとも優生保護法は戦後の議員立法の第一号であり、障害者関連法の先頭として与えた影響は大きい。ハンセン病との比較については、国による重大な人権侵害について被害が見えるか見えないかで国の責任及び救済の線引きをすべきではない。優生保護法については、被害が見えないことで被害者が孤立し、声を上げられなかったことを考慮すべきである。

三、国が被害回復のための措置しなかったことへの責任

また、判決は、国が補償等の被害回復のための措置や立法を行ってこなかったことへの責任も認めなかった。除斥期間に関する判断と同様、「一九九六年に法改正がされた時点では、すでに障害の有無によって人を差別することは許されないという意識は国内に広く浸透していた」等の現実と著しく乖離した認識をもとに、優生条項の撤廃のほかに、被害回復のための措置や立法をすべき必要性、法的責任はなかったとした。
 この点は、仙台判決が、一九九六年改正から既に二〇年以上も経過して提訴された仙台訴訟が全国で初めての訴訟である事実等から、提訴は現実的に困難であったとして、被害回復のための立法の必要性を認めていたのに比して後退した。東京判決は、司法の人権の砦としての被害者救済の視点が致命的に欠如しているというほかない。

一時金支給法制定後も裁判を続けている理由

東京判決は、判決本文の最後のページの一四六ページに入る直前に、昨年二〇一九年に成立した一時金支給法が優生手術等の被害者に対して三二〇万円を支払うとしたことについて、「諸外国の救済立法例に照らし、救済対象や給付金額の面で必ずしも不十分であるとはいえない」と一時金支給法への評価をあえて表明している。結局は、どのような論理や言葉であろうと、登り口であろうと八合目であろうと、「一時金を申請すれば三二〇万円もらえるのだから被害者救済はそれでよい」という判断を前提に、原告の請求棄却という結論ありきである感が否めない。高く険しい山の頂上にたどりつくためには、この判断部分こそをひっくり返さなければならない。
 一時金支給法は、全国で被害者が声を上げ、国に対して裁判を起こしたこと、報道でも大きく取り上げられたことなど、裁判の内外での大きな動きにより、謝罪も補償もしないと言い続けた国をようやく動かしてつくられた法律である。では、一時金支給法制定後も二五名の原告が裁判を続けているのはなぜか。
 北さんを始めとする原告の方々は「お金がほしいわけではない。国が間違ったことをしたのだから謝ってほしいだけ」等と繰り返し語っている。しかし、読者の方々は、三二〇万円という金額についてどう感じられるだろうか。
 もし仮に交通事故で怪我により生殖機能を失った場合の後遺症の慰謝料は一〇〇〇万円が目安とされている(七級:両側の睾丸を失ったもの)。これに対し、国策として推進された優生保護法に基づく優生手術は、身体を傷つけて生殖機能を奪うのみならず、不良な国民であると人間としての尊厳を傷つけるものであり、被害の重さは、個人の過失による事故と比較できないほどに重い。一時金支給法は、お詫びも形式的なものにとどまり、「補償金」や「賠償金」でもない「一時金」の三二〇万円はあまりにも軽んじられている。
 そして、その三二〇万円ですら受給できたのは、二〇二〇年七月末において六六一人。厚労省が把握している範囲での優生手術の被害者数二万五千人のうち、わずか二・六%にすぎない。厚労省が見込んだ、優生手術に関する記録が残っており、生存しているとされる被害者数三四〇〇人を母数としても、二〇%にとどまる。今も被害者が知らないまま、知らされないままの状態、被害者や家族が声を上げられない社会が続いている。優生保護法の問題がまだ終わっていないことの証左である。それが、原告二五名が声を上げ続ける理由のひとつである。

今後に向けて

今後も、東京高等裁判所での控訴審、各地の裁判が続く。東京判決を受けて、主張とそれを裏付ける証拠を補強するべく、全国の弁護団では議論と調査検討を重ねているが、優生保護法による被害と国の責任を裁判官に理解してもらうためには、まずは自分たちが背景や本質を理解しなくてはならないと痛感している。そして、裁判だけでなく、世論にも訴えかけ、原告や被害者への共感と理解を広げていく必要がある。
 国会が優生保護法の立法経緯や社会的背景、被害の実態等について、調査を開始することを決定したが、国によるこのような被害を繰り返さないためにも、徹底した調査と検証が不可欠であり、調査結果を踏まえて被害者への補償を充実させていくべきである。
 優生保護法の制定から七〇年以上、母体保護法への改正から二〇年以上の年月の中で、筆者が関わったのは二〇一八年の訴訟からであるが、原告、被害者と家族の方々、長年活動を重ねてこられた支援者の方々との関わりの中で、筆者もひとつ下の世代の障害当事者の家族として、優生保護法の影響を受けている当事者の一人であると実感している。高く険しい山の道半ばにいるが、頂上まで登るために裁判の内外の道から多くの方々とともに前進していきたい。

参考


ふじき・かずこ………弁護士。旧優生保護法違憲訴訟に弁護団員として参加。Sibkoto(シブコト)障害者のきょうだいのためサイト共同運営者。


*作成:安田 智博
UP: 20200921 REV: 0924, 0929, 1002, 1003, 1218
山本 勝美  ◇優生学・優生思想  ◇不妊手術/断種  ◇優生:2020(日本)  ◇病者障害者運動史研究  ◇全文掲載

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