HOME > 障害学会全文掲載 >

「障害のある人の「障害」の語りの生起過程及び変化に関する検討」

田中佑典(北海道大学大学院教育学院) 2020/09/19
障害学会第17回大会報告 ※オンライン開催

Tweet


last update: 20200919

質疑応答(本頁内↓)



■はじめに

発表者には,脳性麻痺による両上・下肢の機能障害と広汎性発達障害という診断名がついている。生活の中で困難を感じることが多々ある。他にもセクシュアリティやジェンダーアイデンティティのゆらぎなど,主観的な生きづらさを感じるようなものごともある。しかし,自身の障害や経験を他者に語ることができていると感じられず,もどかしさや劣等感がある。
  障害を語るというときに何を語れば語ることができたといえるのか。また,自分の障害,それ自体を自分自身が納得して語ることに必要なこととは何か。それ以前に,自分の(鍵括弧)「障害」,診断名以上の持つ意味は,どのようにして得られるものなのか。


◆先行研究――当事者による社会学的手法を用いた研究(矢吹,2017)

アルビノ当事者の矢吹(2017)は,当事者の経験のモデル・ストーリーを批判した。モデル・ストーリーとは,これまで多数派から見過ごされてきた課題を明らかにし,問題解決を求めようとする当事者たちの試みの中で生まれた,病いに関する物語である。一方で,モデル・ストーリーには,問題解決を他者に求めることを目的とした物語であるという点で,政治性が伴っているといえる。また,それがすべての当事者が語るべき物語として受け取られ,問題解決ができなかった経験は物語として語るに値しないとみなされてしまう。さらに,物語の聞き手は,次第に当事者の経験の物語を,政治性を伴うモデル・ストーリーに無意識のうちに回収しながら聞くようになる。モデル・ストーリーは,多様な物語の可能性に沈黙という弊害をもたらしてしまう可能性があるといえる。そこで,矢吹(2017)は自身の納得できる説明はいかに可能かを探求した。ライフストーリー研究を通して,沈黙や語りがたさの表明,嘘や揶揄を用いることで,政治性から離脱して経験を語ることができることを明らかにした。ここから,自分自身が納得して語るには,政治性から離脱する必要があると捉えられる。しかし,その示された方略は,経験を語りたいという当事者の本当の欲求に応答しているものとは言い難い。どのようにすれば,沈黙や嘘,揶揄を使わずに,政治性やモデル・ストーリーから距離を置いて,当事者が語ることは可能になるのであろうか。


◆目的

本研究では,自身が納得できるような(鍵括弧)「障害」の語りとはどのような場で何をいかに語ることか,そこでは(鍵括弧)「障害」はどのように語られていくのかを明らかにすることを目的とした。


◆障害と(鍵括弧)「障害」の区別について

本研究では,(鍵括弧)「障害」を,誰かに命令や強制されたわけでもなく,自分の意志でそうしたわけでもなく,自然とそうなってしまうと発表者が感じていることにより発表者が抱える自身にとっての悩みや問題として捉える。一方で,発表者が医学的診断を受けた脳性麻痺や広汎性発達障害を鍵括弧なしの障害と定義する。


◆方法

1.研究対象者と研究協力者
  本研究の対象者,つまり語り手は,発表者である田中佑典(以下語り手と表記する)とした。また,本研究には,語りの聞き手が必要となるため,Aさん,Bさんの2名(以下聞き手と表記する)に研究協力を依頼した。

2.手続きとその手順
  調査は2019年9月に行われた。
  語り手は,2名の聞き手に対し,以下に記す聴き取り方を依頼した。
  1点目:語り手のことをわかろうとする態度で聴いてほしい。
  2点目:可能な範囲で語り手の語りがその場で共有できている感覚が得られたら言葉で返してほしい。
  加えて,聞き手それぞれに異なる聴き取り方を依頼した。それに関しては,次項,3. 聞き手についてと実施方法の中で記す。
  調査時間はそれぞれ約60分ほどであった。2回とも最初は語り手が障害を語ることから始めたが,以後は会話の流れに委ねた。

3.聞き手についてと実施方法
●Aさん
▲背景・語り手との関係性
  Aさんとは,2013年に障害当事者向けのプログラムで出会った。Aさんには,進行性の両上下肢機能の障害がある。また,その機能の現状維持を目的としたリハビリテーションを受けた経験もある。

▲実施方法
 インターネット音声通話ソフトウェアを利用して実施した。調査ではビデオ通話機能は利用しなかった。また,調査前日に,同じく音声通話にて,調査についての説明と協力依頼を行い,互いの近況報告などの本研究に直接関係のない雑談もした。

▲個別に依頼した聴き取り方とその意図
  1点目:語り手の語りと共通する点を見つけながら聴いてほしいこと。
  2点目:語り手と語りを一緒に紡ぎ出してほしいこと。
  以上の2点を依頼した。これには,語り手とAさんの経験の共通性や違いを活かしてともに自然と(鍵括弧)「障害」を語り紡げるのではないかという語り手側の意図があった。

●Bさん
▲背景・語り手との関係性
  Bさんは,発表者が在籍していた大学と同じ大学の大学院に所属していた,発表者の先輩にあたる人物である。修士論文では,自閉症スペクトラム障害(ASD)当事者の逆境体験がいかなるものかをインタビュー調査によって描き出そうとする研究をされていた。現在は,ASDのある子どもの支援者である。また,Bさん自身にも,人と関わることの苦手さや心の中に漠然とした生きづらさがあるようである。

▲実施方法
  語り手の所属する大学の相談室で直接対面して実施した。調査当日,近況報告をした後,調査開始直前に,調査についての説明と協力依頼を行った。その後,調査を実施した。

▲個別に依頼した聴き取り方とその意図
  1点目:静かに相槌を打ちながら聴いてほしいこと。
  2点目:語り手の語りがBさんの他者との関わりの経験と共通する点を思い出し,その共通性を可能な範囲で言葉にして語り手に投げ返してほしいこと。
  3点目:語り手の語りに突然ツッコミや鋭い指摘を入れることはしないこと。
  以上の3点を依頼した。これには,語り手自身の語りが滞りなく受け入れてもらえるのではないか,という語り手側の意図があった。

4.分析方法・手順
●分析用データの作成
  インタビュー終了後の手続きは以下の通り。
  Step. 1 逐語録をWordファイルで作成。
  Step. 2 Wordのコメント機能を用いて,Step.1で作成した逐語録ファイルに,発話ごとにインタビュー時,語り手が感じていたこと,考えていたことを記述。
  Step. 3 Wordファイルを研究協力者に送付。
  Step. 4 聞き手に,逐語録の内容の確認と,語り手同様に発話ごとに協力者が感じていたこと,考えていたことを記述するよう依頼。

●分析
  本研究の分析は,長谷川(2017)の方法を参考に,プロセスレコードの記録法を本研究に即して一部改変して利用した。その際,(鍵括弧)「障害」の語りがどのように生起し,変化するかを,語りの相互作用過程に注目して検討した。なお,分析は,語り手,聞き手の双方が行った。
  一部の分析の過程では,2名から5名の大学生,大学院生,及び北海道大学教育学研究院の教員1名も分析に立ち会った。これにより,語りの場にいた当事者である聞き手や語り手以外の視点を取り入れ,より広く語りの場を見ることが可能となった。

5.倫理的配慮
  本研究は,北海道大学大学院教育学院の研究倫理委員会からの研究に関する倫理的配慮について承諾を得ている(受付番号:19-16)。

◆結果と考察

  以下に本研究で得られた結果を示す。なお,以後,結果と考察の中で発言のデータを提示する際には,語り手のことを田中と表記する。

1.Aさん:(鍵括弧)「障害」を共に語る―突然の不謹慎さの中にも現前し共有される(鍵括弧)「障害」
  Aさんとの調査では,語り手から語られた(鍵括弧)「障害」の中に,先輩後輩関係や恋愛関係を含む人間関係全般において,@コミュニケーションの苦手さをなんとかできない,A駆け引きができない,B金銭的にも精神的にも他者に尽くし過ぎてしまう,というものがあった。そのような語り手自身の(鍵括弧)「障害」を他者に伝えようとしても理解してもらうことができないため,人間関係がうまくいかず,それが語り手の問題のように感じられるという内容が語られた。以下に示すデータはそれに対するAさんの応答から始まる。

Aさん:ま,私からしたら,それはタナカのキャラクターでしかないのね
田中:まあね
Aさん:あの,うんうん,そういう困難があっても,まあタナカやし,みたいな
田中:うん
Aさん:うん,しゃべりすぎるところが,タナカやしみたいな

 
ここでAさんは,語り手の(鍵括弧)「障害」だと感じているコミュニケーションの苦手さに関する語りを受けて,それが語り手のキャラクターであり,語り手自身であるという肯定的な捉えを語り手に対して示した。それに続けて会話は以下のように展開した。

田中:(笑)……うん
Aさん:うん
田中:そうね
Aさん:うん
田中:だから,今のところはそういうあなたみたいに,そういうのがタナカだよねって,言ってくれるような人としか,付き合えないのよ
Aさん:うん。いや,でも,私もそうだよ
(このときAさんは,なんだかんだで今まで付き合ってきている友人たちは,障害も含めて私を受け入れて,それを良しとしてくれているような気がしていると,Aさん自身の友人関係を振り返っていた)
田中:えっ,そうなの?
(このとき田中は,自分だけの特異で異常な経験だと感じていた,自分を受け止めてくれるような人としか付き合えないことがAさんにもあることに驚いた)
Aさん:うん,多分そうだと思うよ
田中:へー,そうなんだ
Aさん:え,そうだよ。あの,そう,すごい,あの,そうだなーっと思ったのがさ,やっぱし,なんだっけ,後輩とかにさ,何してあげたらいいみたいなのあったじゃん。うんうんうん。すごいわかる。うん

 
  ここで,語り手は,戸惑いながらもAさんの発表者に対する肯定的な捉えを引き受けた。その上で,だからこそAさんを含めた自身のことを受け止めてくれる人としか「付き合えない」,それは自分の(鍵括弧)「障害」であると語った。それに対してAさんは,「私もそうだよ」と語り手と共通していることを示した。語り手は,常日頃から人間はうまくいかない人ともある程度は付き合いをするのが当然で,それができない自分がおかしいように感じていた。そのため,Aさんの「私もそうだよ」という言葉は,語り手の驚きと安心感を引き出した。
  続けてAさんは,語り手が語った後輩との関係から話題を膨らませて,Aさんが中学,高校時代部活動に所属していたことや大学時代に委員会に所属して活動していたことを語った。

Aさん:で,まあ,後輩できるやん
田中:うん
Aさん:とまどうよね。何か,先輩とかはさ,本当に,先輩には好かれやすいんよ
田中:うん
Aさん:ううーん。一緒,一緒やと思うんやけど
田中:一緒や
Aさん:何してあげたらいいかわからんというか,うん,後輩に好かれた,記憶はない
田中:えー,そうなの!?

 
  Aさんにも,語り手と同様,先輩には好かれるが,後輩とはうまくいかない経験があったと語った。ここでも語り手には,驚きと安心感がもたらされた。先輩との関係と後輩との関係の違いや付き合い方の難しさという経験の共通性が,語り手の驚きと安心感を契機にしたAさんとの間の語り合いで共有されたといえる。

田中:先輩って何なんだっていうのが何にもわからない
Aさん:そうねえ。いや,多分,先輩好きやし,甘えていくのっていうか,こう,遊びましょうって,ご飯,行きましょうみたいな,そういうのは,言えるし好き,好きやし,可愛がられたいし。後輩ってなるとなあ,なんかなあ,どうしていいかわからん
田中:わからんなあ

 
  その語りに刺激され,語り手は,自分が先輩と同じ年齢になっても,同じように振る舞えないという気づきを言葉にした。Aさんは,語り手の言葉に理解を示し,Aさんの先輩と後輩,それぞれに対する捉えを語った上で,「どうしていいかわからん」とまとめている。語り手もまた「わからんなあ」と同意を示した。ここで,先輩との関係と後輩との関係の違いや付き合い方の難しさという経験の共通性が,語り手の驚きと安心感を契機にしたAさんとの間の語り合いで共有された。
  しかし,ここから話は思わぬ方向に進む。

Aさん:いや,な。でも多分,これは,その恋愛関係においてもそうで,与え,自分が与えられるものって,こう,ない,から,引いちゃうよね
田中:うん,そうだね
Aさん:うん,そう。もしさあ,ここで,もしかしたら,巨乳だったりとかしたら(このときの田中の感情:巨乳は不意打ち。どういうことなのか。驚いた)
田中:(笑いをこぼす)
Aさん:どうもないのかなあとか,いろいろ自分なりに思うわけ
田中:(笑いながら)そうねえ(戸惑いながら)巨乳だったら確かに,巨乳だったら
Aさん:与えられるものがないからね(このときの田中の感情:「与えられるものがない」という表現が腑に落ちた)
田中:そうだね。いや自分もそうだな(笑いをこぼす)そうだよね。与えられるものね
Aさん:うん。いや,与えて,だから,すごい,いろいろ,まあ,障害者は,だからっていうのもあるのかもしれないけど,助けてもらうことが,本当に多いんやんか
田中:そうだね
Aさん:何,私はね。何にしても,ご飯食べるにしても,
田中:あーあー(このときの田中の感情:Aさんはご飯を食べるにしても,介助が必要だが,田中はそれが必要ない。助けてもらうことの意味合いが違うのにそれに気付かず,田中もAさんと同じだと思いながら,Aさんの語りを聴いていたことに申し訳ない)
Aさん:何かを,何かをするってなったら,もう,身体介助がいるからさー,やってもらうことが多い中で,じゃあ私が何を相手に返せる?与えられる?っていうのを,考えてしまうと,まあもやもやするよね(このときの田中の感情:相手に返す,与えるというのは,本来考えなくてよいことなのにも関わらず,なぜか考えてしまうっていうのが,自分にもあってわかる)
田中:うん
Aさん:うん
田中:うん
Aさん:うん

  Aさんは,語り手が語った恋愛経験での駆け引きの苦手さを引き合いに出しながら,先輩後輩関係と恋愛関係は共通するところがあると語り出した。Aさんの場合は「自分が与えられるもの」がないため,恋愛に積極的になれず,「引いちゃう」と語った。語り手は,「与えられるもの」がないという表現に納得し,相槌を打った。しかし,ここで,Aさんの語りは,急展開する。Aさんは,「巨乳だったりとかしたら」恋愛関係や人間関係で,他者からも引かれず,自分からも引かずにより積極的になれるのではないかと言った。語り手は,「巨乳」という単語に大きく驚き,戸惑いつつも,相槌を打った。このとき語り手は,もし自分が,最初から女性として生まれており,巨乳であったら,自分にも男性が自然と寄ってきて,人間関係や恋愛に困ることはなかったのかもしれず,もしそうであれば今のように自分の(鍵括弧)「障害」とは何かなど気にしてしまったりすることなく幸せに生きていけたのだろうかなどと想像を膨らませていた。
  さらにAさんは,「与えられるものがないからね」と再び強調した。ここで,語り手は,Aさんから語られた巨乳の語りを踏まえた上で,Aさんの表現が腑に落ち,「自分もそうだ」と共感しながら,語りを共有物として受け取るような表現をした。
  その後,Aさんは,障害者は人に助けてもらうことが多いからこそ,自分が与えられるものがないことを意識すると語った。それに対し,語り手は理解を示した。加えて,Aさんは,Aさんの場合,何をするにしても身体介助が必要になるため,助けてもらうことの多さを意識すると語った。それに対して,語り手は,自身とAさんの立場の違いに改めて気づかされ,そこを深く考えていなかったことに申し訳なさを一瞬感じた。ただ,その後のAさんの「何を相手に返せる?与えられる?」ということを考えてしまって「もやもやする」ということに対して,語り手は自身との共通性を改めて感じ,理解した。
  語りの共有感や語り手とAさんの間の前提の違いに対する一種の申し訳なさの感情が語り手の中に渦巻きつつも,結果として語り合えている感覚を語り手は得た。

2.Bさん:応答のないモノローグー緊張の緩和と離脱に誘い出すもスルーされる
  Bさんとの語りでも,語り出しは語り手から行われ,最初に診断名と脳性麻痺がどのような障害かの説明がなされた。具体的には,脳性麻痺により,細かい動作や,目で文字や物を追うのが困難であり,筋肉,特に首や肩の筋肉が緊張し,凝りやすいということが語られた。この際,Bさんは,指定された聴き取り方の中の「静かに聴く」を強く意識しており,語り手の語りに対する音声的応答はほとんどなかった。以下に示すデータはそれに続く,語り手の語りである。

田中:で,おもしろい話があって,あの,手の筋肉も緊張して,あっそうか,字書くときにこの伝わって肩の部分も緊張して凝りやすくなって,小学生のときに「私肩凝るんですよね」って,そのころ特別支援学級に入りながら普通級で勉強していたんで,特別支援学級の先生に言ったら,「なんでそんな年寄り臭い,ことを」
Bさん:あー
田中:まだ,二千,二千,一桁台だったので,多分わかんない(笑)んだなっていう

 
  語り手は,この肩凝りについての話題に入る前に,話の枕として「おもしろい話があって」と置いた。その意図としてBさんの笑いを誘い,Bさんや語りの場の緊張を緩和させ,語り手が語りやすい語りの場にすることがあった。しかし,Bさんは語り手の笑ってほしいという意図は受け取りつつも,「あー」とだけ応答した。Aさんは笑えなかったのである。Bさんからの応答がなかったため,語り手は,昔のことであり,特別支援学級の先生もわからなかったのだろう,仕方のないことだと,ひとまずオチをつけて回収し,次の話題に移った。ここで,語り手には,語りの不全感があった。

◆総合考察ーー政治性からの解放

本研究では,障害の語りから出発して(鍵括弧)「障害」の語りが浮上するような納得できる語りを紡ぐために必要なことが2点明らかになった。
  1点目に,聞き手の純粋な反応や応答,問い返しを受け,そこにさらに応答していくことである。聞き手の態度や一般的には不謹慎とされる内容によってであっても,語りがたさが解きほぐされうる。聞き手の語りに対する純粋で率直な応答さえあれば,沈黙や語りがたさ,嘘の3つを使わずとも,語り手もそこに応答することで語ることは可能である。
  2点目に,語りを発展させ,自身の社会上,生活上のうまくいかなさを,多数派から見た異常な行動,状態ではなく,自分にもよくわからず,対処のしようもないが,そうなってしまう自分らしい不思議な現象として,自身の(鍵括弧)「障害」を語っていくことである。
  この2点は,今回見てきた語りの場の外部では,タブー視されたり,不可視化されたり,価値評価の対象になったり,あるいは不適切なものとして退けられたりするだろう。Bさんとの場合は,まさに(鍵括弧)「障害」を語りの場に現前化させることが叶わず,スルーされてしまう現実を示していたといえるだろう。一方,Aさんとの場合は,語り手と聞き手の二者間で,妄想的だったり,不謹慎だったりする内容であったとしても,語られた内容とは違い実際はそううまくはいかない,現実世界での(鍵括弧)「障害」が,確かに語りの場に現前していた。つまり,語りによって,逆説的に(鍵括弧)「障害」が浮かび上がっていたのである。また,それは語り手と聞き手という語りの当事者を含めて,誰をも攻撃的あるいは批判的に扱っているものではない。そこにあるのは,(鍵括弧)「障害」を感じる必要がないとされる非現実と,その背後に確かにある現実の(鍵括弧)「障害」だけである。これは,「沈黙や語りがたさ,嘘や揶揄」といった矢吹(2017)によって見いだされた方法のいずれも使わずに,なおかつ被差別者や弱者といった否定的アイデンティティを持った主体を前提とした問題解決を訴えるような政治的な語りもせずに,自身の(鍵括弧)「障害」を語る方法だといえる。
  その語りは,実際に聞き手が同じ状況に直面していなくとも,語りについて想像を膨らませることで了解可能なものであり,双方の間で共有可能なものでもある。これらは,語り手に語りの納得感がもたらされる。


◆本研究の意義

本研究では,モデル・ストーリーを相対化することも,問題が山積する社会を犯人扱いすることもなく,(鍵括弧)「障害」を語ることができることを明らかにした。これは,障害当事者が,政治性から解放され,他者と経験を共有することのできる新たな可能性が示唆されうるといえよう。
  また,語り手の視点から語りやそれによる語り手と聞き手の相互作用について検討し,それを記述することができたこと,その際,聞き手である研究協力者や語りの場にいなかった第三者である分析協力者からの視点を取り入れて検討することができたことも,本研究の一定の成果として考えられる。


◆本研究の課題

本研究の課題として,今回の調査の研究協力者は,2者とも医学的な障害への理解が深かったことが挙げられ,彼/彼女らは当事者ではないとは言い切れず,当事者コミュニティの外部での語りだとも言い切れない。そのため,今後は,より多様な研究協力者との調査を行っていく必要があるといえる。

以上で報告を終える。


◆引用文献

長谷川 雅美(2017).自己理解・対象理解を深めるプロセスレコード 第2版 日総研出版 p. 6.
矢吹 康夫(2017).私がアルビノについて調べ考えて書いた本 生活書院 p. 45.


>TOP

■質疑応答

※報告掲載次第、9月19日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はtae01303@nifty.ne.jp(立岩)までメールしてください→報告者に知らせます→報告者は応答してください。宛先は同じくtae01303@nifty.ne.jpとします。いただいたものをここに貼りつけていきます。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。→http://jsds-org.sakura.ne.jp/category/入会方法 名前は特段の事情ない限り知らせていただきます(記載します)。所属等をここに記す人はメールに記載してください。


◆2020/09/08 竹田恵子

 「沈黙や嘘、揶揄を使わず、政治性やモデル・ストーリーからも距離を置いた障害者が納得できる『障害』の語りとは、どのような場で、どのように生成するか」という、ご発表の課題に関心を持ちました。この問題は、当事者の経験を理解して問題解決へ迫るという実用的な面だけでなく、障害の定義にも関わってくるように思い、たいへん興味深く拝読させて頂きました。
 今回のご発表では、聞き手の純粋な反応や応答、問い返しが語りを発展させ、妄想的だったり、不謹慎だったりする内容であったとしても障害者自身の(鍵括弧)「障害」が語られたとのこと。そして、それが話し手と聞き手双方の間で共有可能になったことが指摘されています。まさに、インタビューにおける話し手と聞き手のコラボレーションだと思いましたし、このような方法で浮かび上がる一当事者の「障害」は、障害の定義を考えるうえでも重要な鍵になるものだと思えました。
 ただし、このようにして表れた「障害」は、ある特定の聞き手と話し手によって、偶然生み出されたユニークな「障害」であることに、私は注目してしまいます。つまり、たまたま、そのインタビューの場で社会構築された揺らぎのある「障害」が、当の障害者にとって、どのような意味があるのかが気になってしまうのです。
 質問者もインタビュー調査をしますので、このような疑問と葛藤を常に感じております。ご発表の趣旨と幾分ずれることを承知の上で、質問させて頂きました。なにかしらの示唆をいただけましたら幸いです。


◆2020/09/13 田中佑典

 竹田様
 ご質問くださりありがとうございます。また,返答が遅くなってしまい申し訳ありません。
 ご指摘の通り,本研究で表れ現れた「障害」は,ある特定の二者間で,偶然そのインタビュー機会に作られたストーリーであります。しかし,偶然作られ,題にあるようにそれが変化していくことが,当事者にとってより納得できる「障害」の意味に近づくことであるといえます。そして,その近づいていく過程,つまり本研究の研究過程自体も,自身の語りや「障害」の意味への納得感につながると考えています。
 本発表では発表尺の都合上省略したのですが,インタビュー調査終了後に,調査協力者や第三者である分析協力者(複数人)と考察を行っています。それによって,語りの場の捉えや「障害」の意味が揺るがされていきます。例えば,Bさんとの調査の後,私が自身で音声データをもとに逐語録データを作成しました。その際に,私は,語りの不全感は,私が聞いてもらい方をうまく設定できなかったことと,その場でBさんに合わせた語りができなかったことによるものだと自責的になっていました。ここで,私は,自分の広汎性発達障害のせいで,Bさんに自身の「障害」をうまく語れなかった経験として捉えられていたのです。しかし,その後の分析協力者の方々の考察で,うまく語れなかったのはすべて私のせいではなく,Bさんの聴き取り方にも問題はあるという指摘を受けました。このとき,語りの不全感が,広汎性発達障害のせいではなく,私とBさんの間でそのとき起きてしまった「障害」のために生じたものであると捉えが変わりました。そこから発展して,これまでのコミュニケーションの上手くいかなさ,失敗経験もすべてが自分のせいだと自責的になるのではなく,相互作用によるものであると捉えることができました。つまり,「障害」やその捉えは,場によって現前したり,消失したりするものであり,多様であり固定的ではないといえます。これは,自責や他責から抜け出すことのできる,心理的負担の少ない楽な捉えだと考えています。
 まとめますと,インタビューの場では,偶然「障害」が構築される。そのような揺らぎのある「障害」が,その後,インタビューの場から離れて省察することを通して,さらに揺るがされ,変化し,より納得感のある「障害」に近づき,離れ,また近づいていきます。そのような過程を通して,語りへの満足感や納得感が徐々にもたらされ,「障害」の捉えが本人にとってより納得感のある方向に変化しうると考えております。
 未熟でわかりづらい部分も多いと思いますが,ご忌憚なくまたご質問なさってください。よろしくお願いいたします。


◆2020/09/16 竹田恵子

 田中佑典様へ
 茫漠とした質問に対して、たいへん丁寧なご返答をありがとうございます。
 一対一のインタビューで生成される「障害」の裏に、その「障害」を第三者(今回のご発表では、分析協力者)の視点から捉え直すという作業があったとのこと。そして、そんな作業のなかで揺るがされ続ける「障害」が、少しずつ納得を積み重ねていくという事実に、大きな励みを感じました。先に質問させてもらったときには、「そんな揺らぎのある『障害』が障害者にとって、どのような意味があるか」に関心が向いていましたが、ご回答を頂き、揺らぎある「障害」の語りに周囲を巻き込むことで、障害者はもとより、社会全体も「障害」を理解できるようになるのかもしれないと思えるようになりました。そして、その作業には納得が是非とも必要であるし、これを踏まえてこそ、「障害」の理解が進むようにも思えました。
 私事ながら、これから障害を持った方々へインタビューを行う予定です。田中様のご発表は、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。
 本来なら、ここで終わるべきところ、質問を重ねてしまうことをお許しください。
 今回のご報告での「尺の都合で割愛された分析協力者との遣り取り」は、今後のご研究の中でどのように扱われるご予定でしょうか。学会報告や論文には、なにかと尺や文字制限があり、実は重要と思われる部分を仕方なく省かねばならないことが生じがちに思います。加えて、田中様と研究協力者との遣り取りは、形式が整った学術的な研究成果として扱うには難しかったり、受け入れてもらえない現状もありそうな気がします。
 私も、インタビュー前・中・後で生じた文字にしにくいけれども重要だと思われる遣り取りを、どのように成果として表せるのか頭を悩ませております。田中様が何か戦略をお持ちでしたら、ご教示いただけましたら幸いです。
【追伸】対面での研究報告だったなら、ここで名刺交換等をさせて貰っているように思えます。今回は叶いませんので、またの機会を楽しみにしております。
 申し遅れましたが、私は障害者の家族形成に関する研究を行っております。現在の所属は大阪大学人間科学研究科の招聘研究員です。今後ともよろしくお願いします。

◆2020/09/19 竹田恵子

 竹田様
 ありがとうございます。
 今回の報告で割愛した調査後の分析協力者との遣り取りの扱いについてご説明いたします。これに関して,Bさんとのインタビューデータの分析における,分析協力者との遣り取りが特徴的ですので。そちらを用いてご説明いたします。
 まず,Bさんとのインタビュー終了時,私は「もやもや感もそんなない」とBさんに自身の「障害」を語り切ったかのような感覚がありました。しかし,時間が経つにつれて,私の中に名状しがたいもやもや感が生じました。本研究では,逐語録作成の作業を語り手だった私自身が行いました。この作業は,1人で行うしかないという点で孤独であり,何度も音声を再生し聴き直して,正確に文字に起こす必要があります。そして,Bさんとの語りには過去の自身の辛い経験が多く含まれており,それを何度も聴き直すことには生々しさや辛さがありました。客観的な視点で聴くことにより,もやもや感は,私の語りの下手さというはっきりした形を持ち,苦しみに変化しました。Bさんの逐語録作成の作業は,Aさんの文字起こし作業と比べ約2倍の時間をかかりました。
 そして,その苦しみは,Bさんからそのとき感じていたこと考えていたことのデータを受け取り,Bさんからの指摘を受けることで,さらに大きくなりました。次第に,その苦しみは,過去の自分自身に対する自責の念へと変化した。第三者とデータを共有する前の私の考察は,自身の語りの反省文の様相を呈していました。
 しかし,分析協力者が,分析に立ち会い,データや私の分析に対して意見を出し合った過程において,私のもやもや感やうまく語れなかったという感覚は,単に私だけのせいではなかったという考えが生まれました。私の語りは,私自身だけではなく,Bさんの私の語りに対する態度や応答,私とBさんのその場での関係性などの影響も受けているという見方です。この視点は,私の自責の念を軽減し,いかほどか苦しみから解放させました。分析協力者から得た視点で分析を行うことで,私が語った「障害」の語りをたどることを容易にもしました。
 このように,インタビューデータだけではなく,逐語録データ作成,分析,論文執筆などもエピソードとして扱いました。
 また,「インタビュー前・中・後で生じた文字化しにくいけれども重要だと思われる遣り取り」の扱いについても、ご説明いたします。インタビュー後については,前述のBさんのデータ処理過程が参考になると思われますので、割愛いたします。
 まず,インタビュー前については,調査協力の同意を得る過程の中で,調査に直接関係ない遣り取りも生じています。しかしながら,この段階では,調査協力の同意が得られていない都合上,録音等の記録はとっておりません。そこで,インタビュー終了後,逐語録を作成する際に,調査協力の同意を得た過程について,印象に残ったエピソードを遣り取りのあらましとともに逐語録の頭に記述し,それを研究協力者の方に送付して,分析に利用しても良いか確認を取るという方法を取りました。そして,許可が得られた場合,その遣り取りを論文に混ぜて考察しました。本発表の内容に関連すると考えられるのは,Aさんとのインタビューの中の「巨乳」をめぐる遣り取りです。この遣り取りで,私が巨乳だったらと妄想を膨らまし,恋愛等の人間関係における「障害」をAさんと共有することができました。なぜこのような形での「障害」の共有が可能になったのか。それは,前日の調査協力の同意への依頼の後の遣り取りが背景にあります。「はじめに」の項で,記述しましたように,私には,ジェンダーアイデンティティのゆらぎもございます。具体的には,私は男性ですが,女性的な生活,女性的な容姿に憧れ,異性装をすることがあります。ですが,完全な女性になる願望はありません(厳密に言えば,それは私の利にならないため,諦めています)。また,セクシュアリティについても,他者を憧れの対象と見ることが多く,そこに性別は関係ないという立ち位置を取っています。異性装,女性的な部分やセクシュアリティの部分について,前日の協力依頼の際に,Aさんから尋ねられました。そこで,私は,先に記したような内容を応えました。このような遣り取りがあって,「巨乳」をめぐる遣り取りが私とAさんの間で共有されたと考えられます。
 そして,インタビュー中で生じた文字化しがたい遣り取りについては,私の障害特性のためか自分自身でも把握しきれませんでした。よって,インタビューの逐語録データだけでは,記述することが不可能です。そこで,分析用データの作成の中で発話ごとに双方が感じていたことや考えていたことを記述する過程が活きると考えております。これは,Aさん,Bさんともに,まず私が記述し,それを協力者の方に送付し,私の記述も踏まえた上で逐語録を読み,同様に記述していただくという方法を取っています。この記述の遣り取りの中で,私が把握しきれていないコミュニケーション,つまり情報伝達が明らかになったり,反対に私が把握しきれていないディスコミュニケーション,つまり私はうまく語ったと感じていたため協力者の方に伝わっているだろうと思っていたが,そうではなかった,むしろ勘違いされた,ということが明らかになりました。そのコミュニケーション,ディスコミュニケーションをそのまま記述し,それがどうして起きたのかについて,先行の知見をもとに考察しました。例えば,障害学の世界では出尽くした話になりますが,私の話に対して,笑いが起き,そこで語りが共有された感覚が得られたり,反対に私が「おもしろい話があって」と枕を置くと(むしろ置いたからこそかもしれませんが)笑いが起きず,私に語りの不全感がもたらされてしまったりということがありました。このように,調査後にも,協力者の方と逐語録データを介し,遣り取りを繰り返すことを通して,遣り取りの重要さに気づき,先行の知見と照らし合わせることで徐々に言語化することができたように考えております。
 また,今後の研究では,AさんやBさんとも追跡調査という形で,再び「障害」を語る場を設定し,語るという行為をしてみようと考えております。そこで,今回発表したインタビューデータや互いの考察データを踏まえて,新たなインタビューデータと重層的かつ経時的に考察してみたいです。そこでまた,一本のストーリーラインでまとめることが可能であれば,割愛したデータも活かして考察をつなげられないかと考えております。また,他の研究協力者と調査を行う場合であっても,その時点までの研究過程があってこその,その研究協力者の方とのやり取りとなると思われますので,同様に活かせるデータは活かしていきたいです。
 まとめますと,私が研究過程で生じた感情や思いについては可能な限りすべて記録し,また研究協力者の方に対しても気になった部分は,インタビュー後に直接尋ねることで新たなデータとし,それをも分析に利用しと,発表される直前までデータが生まれ続けているのが私の研究の特色かもしれません。
 また長文になってしまいました。不足があれば,お尋ねくださいませ。
 田中佑典


*頁作成:中井 良平
UP: 20200826 REV:20200827, 0909, 14, 16, 19
障害学会第17回大会・2020  ◇障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)