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「障害者の家族形成に関するローカルな医学的観点の揺らぎ」

竹田恵子(大阪大学人間科学研究科) 2020/09/19
障害学会第17回大会報告 ※オンライン開催

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last update: 20200824

質疑応答(本頁内↓)



■キーワード

障害者、家族形成、ローカルな医学的観点、揺らぎ、医学モデル

■報告要旨

障害者の家族形成に関するローカルな医学的観点を仮説生成的に浮かび上がらせたところ、制度から影響を受けた医学的観点と、制度から距離を置く医学的観点がみつかった。前者は家族制度・医療制度・社会制度から影響を受けるのに対して、後者はそれらの制度から自由であるために従来の医学モデルにはない揺らぎを認める一方で、より純粋で単純なインペアメントを含んでいた。


■問題の背景

障害者の自立を支援する動きが高まる一方で、障害者が家族をつくるのは、依然として困難を抱えがちである。特に近代西洋医学は、障害を心身の異常や欠損に見出すことが特徴であり、このような考え方が障害を個人化し、障害者の生活を保護しながら統制する社会をも誕生させたと言われる [1] 。その結果、障害者の社会参加はもちろん、家族形成もが社会的に阻まれることになったと考えられている。
  障害者の社会的排除が、このような障害の医学モデルによる構造として露わにされたことで、社会の責任が明確に指摘されるようになったのは大きな転換であった。しかし、障害の社会モデルにおける障害の社会構築性が盛んに議論され、障害者の社会的包摂が模索されても、障害者にとっての医療の影響は大きい。横塚晃一(2007)[2]や、ジェニー・モリス(1991) [3] などが指摘するように、障害者は生涯に渡って医学モデルへ向き合い続けねばならないとされている [4]
  このような矛盾に立ち会うとき、そもそも、障害の医学モデルが依拠する医学的観点というものはどのようなものなのか、という素朴な疑問が持ちあがる。多様な医療機関や専門領域で構成され、各種の医療専門職も医療へ携わるようになった現代では、医療者の医学的なものの見方に幅ができていることも十分想像できる。社会が複雑化し、医療も多様化するなかで、理論的かつ既成概念的な医学モデルにはあらわれない、今まさに医療現場で作動するローカルな医学的観点の存在抜きに、障害者の家族形成に関する問題を議論すべきではないはずである。そして、そんなローカルな医学的観点と従来の医学モデルが依拠する医学的観点との相違を知らずして、障害の医学モデルを真に理解したことにはならないと考えられる。


■研究課題

障害者の家族形成に関するローカルな医学的観点の特徴を明らかにし、障害の医学モデルと絡めて考察する。


■方法

(1)概要
  2019年5月1日〜2020年1月31日に実施した医師への個別のインタビュー調査から、障害者の家族形成に関するローカルな医学的観点を仮説生成的に提示する。

(2)協力者
  周産期医療に関わる医師12名(性別内訳は男性8名、女性4名/年齢内訳は30歳代1名、40歳代2名、50歳代3名、60歳代6名/専門内訳は生殖医療を含む産科4名、小児科2名、精神科6名)を研究対象とした。なお、研究対象者は、『全国医師名簿』[5]と日本産科婦人科学会へ登録された生殖医療機関の名簿 [6] から選出され、研究の趣旨等を理解したうえで、自発的に研究に協力した。

(3)手法
  個別のインタビュー調査で、障害者の治療に携わったときの経験、障害者の家族形成に関する意見、障害者の家族形成に関する社会の動きへの意見、障害者の排除に繋がると議論されている医療技術に関する意見を一人30〜90分間程度聞き取った。

(4)分析方法
  質的分析の標準的手法[7] をベースにして、分析の途中に、計量テキスト分析を組み込んだ。その流れを簡単に述べると、@インタビューデータを意味のある最小単位に切り分け、A切り分けられたすべての部分にタグを付け、Bタグ同士の類似性に着目したクラスター分析を計量テキスト分析ソフトKhcoder [8] にて行い、C抽出されたクラスターに相応しいと考えられるクラスター名を考え、D各クラスターの関係を考察しながら、障害者の家族形成に関する医学的観点の特徴を示す「概念図」を作成した。
  以上のような方法は、あらかじめ何らかの仮説を立てて、それを検証する仮説検証型の研究にはそぐわない。今回の研究のように、医療者が障害者の家族形成について、どのような意見を持っているか不明な場合、すなわち仮説を立てようにも立てられない仮説生成型の研究に適していると考えられている。

■結果と考察

(1)クラスターの構成
  分析方法Aで生成されたタグ数は1387個(協力者一人平均106.6個)だったが、クラスター分析の結果、これらを8つのクラスターに分けることができた。各クラスターに特徴的な語を7つずつ挙げると、クラスター1では「医療・医療的ケア児・進歩・救命・生み出す・終末・助ける」、クラスター2では「人・精神・子ども・障害児・問題・出産・遺伝」、クラスター3では「精神障害・家族形成・妊婦・相談・前・周囲・支援」、クラスター4では「患者・妊娠・女性・家族形成・希望・安定・持つ」、クラスター5では「医師・意見・男性・若手・患者・命・助ける」、クラスター6では「社会・福祉・変える・良い・暮らす・モデル・支援」、クラスター7では「障害・持つ・個人・家族形成・良い・変わる・定義」、クラスター8では「障害者・排除・家族形成・支援・問題・否定・思う」だった。
  以上のような各クラスターの特徴語に加え、各クラスターに分類された元のタグ、およびそのタグが付けられた元のインタビューデータも参照した結果、クラスター1を分析から外すことにした。理由は、このクラスターには障害者の家族形成ではなく、健常者の出産における障害児の誕生をめぐる意見が集中していたからである。
  そして、残りの7つのクラスターをそれぞれ順に「障害者が家族形成に向かう前段階の問題」、「精神障害者の家族形成の現状」、「家族形成へ向かう障害者と医療の関係」、「医師間の齟齬」、「障害を受容する理想社会に足りないもの」、「障害とは何か」、「家族形成から排除される障害者への思い」と命名し、それぞれのクラスターの関係性を整理して、下記の図1のような「概念図」を作成した。すなわち、障害者の家族形成に関する医師の医学的観点には、クラスター2〜5の「障害者が家族形成に向かう前段階の問題」、「精神障害者の家族形成の現状」、「家族形成へ向かう障害者と医療の関係」、「医師間の齟齬」が含まれる『制度のなかの医学的観点』と、クラスター7〜8の「障害とは何か」、「家族形成から排除される障害者への思い」が含まれる『制度から距離を置く医学的観点』、そして『制度のなかの医学的観点』と『制度から距離を置く医学的観点』の両方にまたがるクラスター6の「障害を受容する理想社会に足りないもの」で構成されることがわかった。

 

図1 障害者の家族形成に関する医師の医学的観点の「概念図」

以下では『制度のなかの医学的観点』と『制度から距離を置く医学的観点』について検討する。

(2)『制度のなかの医学的観点』
  医学的観点には、様々な制度が影響を与えていることがわかった。以下では、家族制度・医療制度・社会制度と医学的観点の関係についてみていきたい。

・家族制度のなかの医学的観点
  家族制度のなかの医学的観点の例として、まず紹介するのが以下の2つである。1つめは妊娠したにもかかわらず、産科の定期検診へ出向かないことから児童虐待を予想されてしまった障害者について話されている。なんと警察を動員させてまで、自覚のない妊婦へ適切な医療が提供されようとしている。

妊娠中から薬飲まなくなって、…少し感情コントロールが効かない方でしたが、産科の定期健診も受けなくなって、家でずっと引きこもりみたいな感じになり、出産も近づいてきました。産科の先生と今後のことを相談したときは、妊婦検診の拒否は児童虐待になるからとか、警察に通報するとまで言われてしまいました(障害者が家族形成に向かう前段階の問題)。

このように、母親になる者らしい適切な行動をとれないことが危ぶまれるのは、協力者が現行の家族制度に縛られ、影響を受けていることを指す。
同様に、以下でも、自分の状態をしっかり把握しないまま、無闇に家族形成へ向かう者への強い反対意見があらわれている。

自分に何ができないのかわからなくて、どんどん産むような人はやめてほしいと思います。(これは)うつ病といった病気の問題ではない。いろいろな生きづらさから、結果として、うつ病という形であらわれるのかもしれないけど、「そうじゃないだろう」みたいな気がしています(精神障害者の家族形成の現状)。

  ここには、「うつ病といった病気の問題ではない 」として、障害者へ向けた意見ではないことが強調されつつ、個人的資質から家族形成を十全に行い得ないことへの懸念があらわれている。つまり、家族形成を容易にさせない社会よりも、生きづらさのために結果として、無責任な行動をとってしまう個人が危ぶまれていることになる。
  以上のように、障害者の家族形成をその障害ゆえに疑問視する一方で、「やはり、そこは生まれてみないとわからない 」とも考えられていた。たとえば以下では、家族形成に問題を起こしそうな者が、思いのほか出産後にうまく育児をしたり、その反対に、問題がなさそうな人が、出産後に大変な状態になったりすることもあるとされている。様々な障害者がいることを知った協力者は、障害者の家族形成で起こりうる問題を懸念しつつも、それらを危機として、ひとくくりにできない難しさを話す。

お腹で十カ月間育てている間に変わる人もいます。実際に産んでみたら、すごく愛着が湧いて変わる人もいますし、逆に産む前までは大丈夫だとこちらが思えていても、生まれてみたら自分の生活を脅かされて、子どもを可愛がられなくなるっていう人もいます。だから、やはり、そこは生まれてみないとわからない(家族形成へ向かう障害者と医療の関係)。

以上に挙げた3つの話は、家族形成へ向かう障害者が、家族形成を自分の能力と責任のうえで行いうるかが問われていると言える。つまり、ここでは障害者が妊娠や出産、育児を行う上での障害が注目される一方で、社会の不備は問題にされていないのである。
  しかし、障害者の家族形成は単純に、障害者の障害による個人の問題ととらえられている訳ではなかった。以下では、家族形成における女性の負担を、障害を持つ女性患者と共感的に分かち合う様子がうかがえる。

鬱とか不安障害なんかの人は、お姑さんにいびられて具合が悪くなるんですけど、男性の医者だと、「それが何か?」みたいな感じなんですよ。「それぐらいは我慢すべきでしょ」みたいに平気で言っちゃうわけですよ。だから、そういうところは、私は患者さんと一緒に怒れるというか、「それはひどいね」って言える(医師間の齟齬)。

  ここでは、男性医師が嫁姑間の問題に疎く、障害を持つ女性の家族形成をじゅうぶん理解していないことが指摘されている。それはとりもなおさず、協力者である女性医師と家族形成を目指す障害を持つ女性が、「女性身体」という潜在的なインペアメントを介して共感を生んだことになる [9] 。このような協力者のものの見方は、現代の家族制度におけるジェンダー問題のうえに生起したと言えるだろう。

・医療制度のなかの医学的観点
  その一方で、当然のことながら、協力者である医師が、現行の医療制度から大きな抑圧を受けることもある。たとえば以下のように、障害者がいくら頑張っても、出産前後のストレスを克服するのが難しく、医療側もそのような障害者の支援をうまくできない場合があげられる。

暴れたりとか興奮したりする患者がいますよね。それは産婦人科では担当しないことがあって、精神科で出産直前まで診ます。場合によっては、生まれるときだけ産婦人科で、またすぐ精神科に母体だけ戻して、子どもはNFICU(注:母体胎児集中治療室)に戻すこともあります。一般の妊娠とは全然、雲泥の差ですよ。数倍のエネルギーと人が要るんですけど、日本の保険システムはそういうふうになっていない(家族形成へ向かう障害者と医療の関係)。

この他にも、糖尿病と精神障害をもった患者や重篤な心疾患を持った妊婦などが例に挙げられており、障害者の家族形成には医療への負担が大きいうえに、それを補填する医療保険制度も整備されていないことが指摘されていた。
  このような問題は、専門化や細分化が進んだ現代医療ならではのものである。障害者が家族形成するうえで克服しなければならない課題は、自らの障害に関係のある診療科に加えて、産科や小児科などとの連携が不可欠になる。しかし、そのような連携に必要な医療資源は今のところ、じゅうぶん整備されているとは言いがたい。障害者が家族形成を目指しても、それにじゅうぶん応えられない医療の現状と、医療制度に振り回される自分たちの無力さを協力者は嘆いているようにみえる。それは家族形成を妨げる障害を取り除いたり、回復させたりすることを第一とする医学的観点において、大きな挫折を意味するものだろう。

・社会制度のなかの医学的観点

家族制度と医療制度に阻まれ、ときに振り回されながら障害者の家族形成を支援しなければならない協力者が、さらに直面するのが税制や雇用制度、社会福祉制度全般を含む現代社会に敷かれた緒制度だった。以下では、障害者が問題なく家族形成を行える社会をつくるためには、今の社会全体を根本から作り直さねばならないと考えられている。そして、理想的に作り替えられた社会的支援を受けて、障害者は自分の障害を補い、自立することが前提とされていることがわかる。

障害の人でも、ちゃんと生活、仕事ができるような社会にすればいいわけですよ。消費税40%でもいいじゃない、上げて、そういう人たちが生活できるような、みんないい生活ができるようになればいいんですよ。でも、それは到底、なりそうにないわけです、こんな調子では。でも本当は、それが理想と言えば理想ですね。そんなことは無理なんです(障害を受容する理想社会に足りないもの)。

このように、『制度のなかの医学的観点』は、家族形成を目指す障害者を支援するため、現行の家族制度や医療制度、そしてそれらをも含めた大きな社会制度から影響を受けながら作動する。しかし、それらの制度は、障害者の家族形成をじゅうぶん支援できるものではないとも考えられる。そして、理想の障害者支援が叶わない窮屈な環境の中でこぼれる協力者の嘆きは、患者の障害を自明視したうえで発せられていることに、疑問が挟まれることもないのである。

(3)『制度から距離を置く医学的観点』
  様々な制度からの影響を受ける医学的観点のほかに、諸制度から距離を置こうとする医学的観点もみつかった。たとえば以下では、障害を医学的な異常や欠損から離れて、一般的な個人の特徴である個性と表現されている。

身体的に動かないとか、手がない、足がないっていうのは、広い意味でも、やはり障害にはなるだろうと思います。…日常生活で何らかの支障が出る可能性があったり、子育てをする面で、もしかしたら何か問題があるかもしれないというのも、障害だと思えます。肝臓の数値が悪くて肝臓の病気を持っている人と同じような形です。…例えば妊娠したときには「ここを気を付けないといけないな」という注意点。…その人の個性と同じような形で捉えているような気がします(障害とは何か)。

注目すべきは、上の話の中で、障害が「 日常生活で何らかの支障が出る可能性があったり、子育てをする面で、もしかしたら何か問題があるかもしれない 」ものと考えられていることである。これは障害が、心身や器官の異常もしくは欠損としてのインペアメントと考えられているのではなく、生活面での困難や支障というディスアビリティととらえられていることを指す。
  その反面、障害が「身体的に動かないとか、手がない、足がない」「肝臓の数値が悪い 」とも表現されているように、従来の医学モデルにおけるインペアメントとしても健在であることを示す。つまり、上記の話には、インペアメントとディスアビリティが共存していることになる。
  さらに以下では、病気、すなわち障害を全ての人間が持つ特徴としてとらえることが奨励されている。これは先の障害を個性とするのと類似した見方だと言えるだろう。そのような障害を持った全ての人間は、不自由を感じながらも、それぞれがその不自由を克服するために努力する方が良いとされる。そして、互いに協力し合いながら向上することで、理想の社会が訪れると考えられていることがわかる。

みんなに少しは病気があったほうがいいかなと思います。そしたら病気の人の気持ちがわかるし、障害者の気持ちがわかる。…完璧に(障害者に)何もかも全部してあげるというのは、私は決していいとは思いません。自分で何とかするというのももちろん残して、不自由なところもちょっと残して、「みんな不自由を感じて暮らしたほうがいいんじゃないの」と思います(障害を受容する理想社会に足りないもの)。

しかし、いくらすべての人々が障害を持って互いに助け合ったとしても、可能な限り自力で障害を克服することが前提とされるのは、やはり従来の医学モデルにおけるインペアメントのとらえかただと言わざるを得ない。加えて、障害を万民のものとすることで、現行の社会制度を改める必要をもなくさせてしまう。
  このように、『制度から距離を置く医学的観点』には、障害を生活面での支障からとらえようとする社会モデル的な眼差しや、障害が万人のものであるとみなす側面がある。しかし、家族制度、医療制度、社会制度などからも距離を置くがゆえに、より純粋かつ単純に、障害克服の自助努力を自明視する従来の医学的インペアメントも現れうるのかもしれない。このように、諸制度から自由になったときの障害の揺らぎをどう理解するかが、障害者の家族形成に関する医学的観点を理解する重要な鍵になるだろう。


■総合的考察

『制度のなかの医学的観点』では、家族形成で生じる課題を障害者が克服できるかが問われる一方で、家族形成を目指す障害者の支援に必要な社会資源が、不十分に映ることがわかった。このような医学的観点では、現行の社会的支援のうえに障害者の自助努力を伴った家族形成が成立することになる。ゆえに、家族形成に問題を抱える障害者がいた場合、それは現行の社会的支援の不十分さか、障害者の自助努力の欠如、もしくはその両方と見なされることになる。
  その一方で、『制度から距離を置く医学的観点』では、インペアメントとディスアビリティが共存したり、障害が万民のものと考えられたりしたが、諸制度から解放されるがゆえに、より純粋で単純なインペアメントが表出されることとなる。
  このように、インペアメントを前提にしつつも社会資源の貧弱さを激しく問題視するだけでなく、インペアメントとディスアビリティが共存したり、障害を万民のものと考えたりすることは、従来の医学モデルに収まらない揺らぎが、ローカルな医学的観点にあることを示す。
  このような医学的観点の揺らぎの原因を今回の発表では明らかにできない。しかし、医学という理論と、医療という実践の間に生じる齟齬を、解決のための一つの鍵とすることはできるだろう。純粋に人間の身体を生物医学の俎上に載せる「理論としての医学」と、現代社会の様々な制度的制約を受けながら生きる生身の障害者へ向き合う「実践としての医療」では、おのずと観点が異なってくる。そして、そのような制約は障害者だけではなく、医師である自分も受けていると考えられていることが重要である。その意味では、障害者の身体に浮かび上がるインペアメントを理論的前提として医療現場に立たざるを得ない医師は、その実践において、多かれ少なかれ矛盾や齟齬を感じたり、実際に経験したりしながら生きていることになりはしないか。
  その一つのあらわれとして、『制度のなかの医学的観点』と『制度から距離を置く医学的観点』の両方にまたがる「障害を受容する理想社会に足りないもの」と命名されたクラスターの存在が挙げられるだろう。家族形成を目指しながらも様々な社会的障壁に阻まれた障害者を前にして、医療の力ではどうすることもできないことを実感するとき、協力者は理論と制度との距離を広げたり縮めたりしながら、それらの人々が希望を叶えられる理想社会を夢想したのである。理論と実践に挟まれた揺らぎを内に秘めるのが、障害者の家族形成に関する現代のローカルな医学的観点であると言えよう。


■謝辞

インタビュー調査に協力してくださった12名の医師に感謝いたします。


■参考文献

[1] 松岡克尚、2010、「障害モデル論の変遷と今後の課題について」、『関西学院大学人権研究』、14:13−33.
[2] 横塚晃一、2007、『母よ!殺すな 新版』、生活書院.
[3] Morris, J., 1991, Pride Against Prejudice: Transforming Attitudes to Disability, London: The Women’s Press.
[4] 秋風千惠、2018、「軽度障害者の語りにみるディスアビリティ経験」、『フォーラム現代社会学』、17:175-186.
[5] 全国医師名簿刊行会(編)、2015、『全国医師名簿(北日本編、東日本編、西日本編、南日本編)』、ドクターズファミリー.
[6] 日本産科婦人科学会、2018、「平成29 年度倫理委員会 登録・調査小委員会報告(2016 年分の体外受精・胚移植等の臨床実施成績および2018 年7 月における登録施設名)」、『日本産科婦人科学会雑誌』、70(9):1817-1876.
[7] 佐藤郁哉、2008、『質的データ分析―原理・方法・実践』、新陽社.
[8] 樋口耕一、2020、『社会調査のための計量テキスト分析―内容分析の継承と発展を目指して(第2版)』、ナカニシヤ出版.
[9] 北島加奈子、2018、「インペアメントの意味―アイデンティティとの関係に着目して」、『Core Ethics』、14:35-45.

■補足

本報告はJSPS科研費 JP18K12928 (課題名:障害者の子を持つ困難に影響を与えるローカルノレッジとしての医学的観点の解明)の助成を受けたものです。



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■質疑応答

※報告掲載次第、9月19日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はtae01303@nifty.ne.jp(立岩)までメールしてください→報告者に知らせます→報告者は応答してください。宛先は同じくtae01303@nifty.ne.jpとします。いただいたものをここに貼りつけていきます。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。→http://jsds-org.sakura.ne.jp/category/入会方法 名前は特段の事情ない限り知らせていただきます(記載します)。所属等をここに記す人はメールに記載してください。



*頁作成:中井 良平
UP: 20200824
障害学会第17回大会・2020  ◇障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
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