天畠大輔(日本学術振興会特別研究員(PD)/中央大学)、油田優衣(京都大学教育学部教育科学科)です。
「当事者研究の新たな可能性について」というタイトルで発表します。
今回の発表の概要を説明します。
まず、当事者研究とは何かについて説明します。もともと、当事者研究という言葉は、「浦河べてるの家」で使われ始めました。当事者研究は、自分の症状やしんどさの裏側にある意味やパターンなどを、当事者本人が、仲間とともに「研究」していく営みです。今では、さまざまな自助グループ(依存症のグループ、障害のある人、あるいは障害という言葉では括れない人たち)が、当事者研究という実践を行っています。
当事者研究には二つの源流があるとされています。その二つとは、①依存症自助グループの源流と、②難病当事者や身体障害者らによる当事者運動の源流です。その二つの流れが重なるところに当事者研究が生まれたとされています(綾屋、2019:熊谷、2020)。
当事者研究に関してよく知られている言葉として、「言いっぱなし・聞きっぱなし」という言葉があります。なお、当事者研究は「言いっぱなし・聞きっぱなし」で終わるものだと考えている人も多いかと思われますが、熊谷・國分の対談でも述べられているように(熊谷・國分、2017)、当事者研究にはその先に、社会を変えるという営み・運動の営みにもつながる部分があります。
当事者研究は、歴史の浅い分野ではありますが、非常に活発な議論がなされています。代表的な先行研究の一部は、スライドの通りです。
本発表では、大学で行う当事者研究の新たな可能性を考え、それを示すことを目的とします。そのために、今回は、大学という環境に身を置きながら当事者研究を行った油田と天畠が、当事者研究に至るまでのプロセスや、当事者研究の中でどんなことをしたのかを互いに振り返り、共通点や相違点を出し合いながら、当事者研究の可能性について考察を行いました。
発表者の2人について紹介します。
天畠は、低酸素脳症によって四肢麻痺、視覚障がい、嚥下障がいと発話障がいを負いました。コミュニケーションは「あかさたな話法」という方法を用います。「あかさたな話法」とは、介助者が天畠の手を持ちながら、「あ・か・さ・た・な・・・」と子音行を言い、天畠は自分が伝えたい行のところで手を引きます。そして、例えば「か」で止まった場合、次に介助者は「か・き・く・け・こ」と言い、天畠が「こ」で手を引いたら、最初の言葉は「こ」となります。この繰り返しで会話をしていきます。一字一字伝えていくので時間がかかり、コミュニケーションコストを抑えるためには介助者が「先読み」をすることが重要になります。
博士論文では、「介助者と協働でつくる重度身体障がい者の成果物の帰属問題」について、つまり、介助者と協働で何かを生産した場合、誰が作ったことになるのか? その判断の背後にはどのような合理性があるのかを考察しました(天畠、2019)。
油田は、脊髄性筋萎縮症の当事者で、24時間介助を受けながら一人暮らしをする中で感じた、介助者手足論の問題点や運動の中にある強い障害者像の抑圧性について考えました(油田、2019)。
まず、当事者研究に至るまでの背景について。これは、「弱さ」の中に知を見出すプロセスだったと言えます。
当事者研究を始めるきっかけとして、天畠と油田はそれぞれ、ある“もやもや”を感じていました。
まず、油田は、自立生活運動の中で言われている「介助者手足論」規範に到達できない自分に悩んでいました。手足論とは、「介助者は障害者が「やってほしい」ことだけをやる。その言葉に先走ってはならず、その言葉を享けて物事を行うこと。障害者が主体なのであるから、介助者は勝手な判断を働かせてはならない」(究極、1998、p.179)というものです。この主張の中では、「障害者こそが介助関係における主体=主権者であ」り、「その主体に介助者は手段として仕えること」(後藤、2009、p. 226)が求められます。しかし、介助者によって自分のやりたいことが変わってしまう現実を前にし、手足論規範に乗れない自分の「弱さ」にもやもやしていました。
次に天畠が感じた“もやもや”についてです。天畠は、自分が論文のオーサーシップを持っているのかという葛藤に悩まされていました。天畠は、「あかさたな話法」という方法を用いて介助者と論文を書きます。共有知識が豊富な介助者は、天畠から読み取った少ない言葉から、天畠が頭の中で描く文章の展開を「想像」で補い文章を作成します(黒田 2018: 141-2)。そうすることで、天畠の考えを論文にまとめるという膨大な作業が可能になっています。しかし、もしその介助者のうち、一人でも何かの事情で辞めてしまったら、同じものを書くのは難しくなってしまいます。天畠にとって論文を書くということは、自分の論文でありながら特定の介助者とチームを組んで執筆するために、その能力は普遍化が困難なものとなります。つまり論文の再現性が担保できず、それによって天畠は自分のオーサーシップに自信が持てないという「弱さ」にもやもやしていたといえます。
そしてこれらが、二人の出発点として、問いのテーマにしてみようと思う自分たちの「弱さ」になります。
そして、前のスライドで述べたような“もやもや”を昇華するために、以下の共通の過程をたどっていることが分かりました。
一つ目は、「弱さ」を解明するヒントになる概念に触れるという段階です。
油田の場合は、介助関係に悩んでいた時に、たまたま受けていた哲学や現代思想の授業の中で、自分の苦しさの理由の一つである手足論規範を乗り越える手がかりとなる概念や言葉を知りました。結果的に論文にまとめる際に用いたのは「中動態」という概念でした。
天畠の場合は、ある介助者が「一文字一文字、紡ぎ出さないと大輔さんの論文ではない」と、天畠の論文執筆手法に苦言を呈すると同時に、星加良司の「合理的配慮と条件標準化原理」の概念をレクチャーしました。天畠はそれをきっかけに、自分の悩みの源泉となっているマジョリティの規範を指し示す言葉を知りました。また、構築主義などを自分で学び、発話困難なひとのコミュニケーションのあり方を考える手がかりを得ていきました。
2人はいくつかの概念に触れることから、“もやもや”や自分の「弱さ」を考えるための言葉を得ていったといえます。
次の段階として、2人に共通するものに、「弱さ」を承認してくれる先生との出会いが挙げられました。
油田の場合は、先の授業をしていた先生に、授業を受けての感想や自分の経験を伝えに行った際に、その先生から、「それおもしろいから文章書いてみたら?」と言われ、それで油田は「自分の経験は、(文章にして)書くほどの価値があるのか」と思い、自分のことをテーマに文章にまとめる作業を始めました。天畠の場合も、大学院から自分自身をテーマにすることになったが、それは、「大学院で受講した上野ゼミでの」上野千鶴子の影響がありました。
このように、油田と天畠、2人とも、個人的な「弱さ」の経験を探求する価値があると背中を押してくれた先生の存在が大きかったのだとわかります。
これは「浦河べてるの家」の話ともつながる部分があるといえます。「浦河べてるの家」の向谷地生良は、最初に相談に来た人の話を聞いた時に、その人に対して「あなたのその経験はものすごい価値があることです。ぜひ仲間に聞かせて下さい、共有しましょうよ、他の人にもすごい役に立ちますから」という旨を伝えるという働きかけをすると言います(向谷地、2009)。ここからは、「あなたの経験・悩みは、共有すべき価値があるんだよ」と認めてくれる存在の重要さが示されているといえ、そしてそれは大学という場で自分をテーマにして研究を行った天畠と油田にとっても、同じように重要であったということが言えます。
そして次の段階として、新しい知を歓迎する場での「弱さ」の公表という段階があります。
当事者研究は一人で完結させず、みんなに聞いてもらう場が必要です。当事者研究の源流であり、当事者研究的な実践が行われているさまざまな自助グループでも必ず、仲間と話を共有することが行われます。
大学という環境の中で、当事者研究を行った油田と天畠の場合は、大学のゼミがその役割を果たしたといえます。油田はゼミで発表する機会があり、天畠は正規のゼミに加え、自主ゼミの要素も大きかったと言います。これは、「言いっぱなし・聞きっぱなし」とは違い、学問的な話もするし、批判もありうる場ということで、この点については、大学で当事者研究を行うことの特殊性、重要性だといえます。
このようなプロセスを経て、2人は自分の「弱さ」の中に「知」を見出していったといえます。
次に、当事者研究の新たな可能性について考察をしていきます。私たちの主張を先取りすると、当事者研究は、「弱さ」の合理性を問うものであり、運動的な要素もあるということです。
まず、当事者研究の効果ということに関して、自分自身に対するカウンセリングになるという点があげられます。
例えば、油田にとって、当事者研究をすることは、「介助者によって変わってしまうこの弱い自分を受け入れる為の作業をしている」と感じられ、「自分を許していく範囲を変えていくプロセス」だと感じられました。また、天畠も、当事者研究をすることが「自分にとってカウンセリングだという意味合いも強い」と述べていました。
このように、当事者研究は自分自身へのカウンセリングになりうるということが言えますが、なぜ、当事者研究が、カウンセリングになったのか、自分を許すことに繋がったのかというと、それは、自分の弱さの合理性を言語化して証明する作業を伴っていたからだと言えます。
例えば、油田は手足論規範に対し、介助者によって自分が変わってしまうことの合理性を考えました。天畠は発話困難な障害者にとって、先読み介助や介助者との協働作業で論文を書くことがいかに合理的であるかを考えました。そのことを通じて、自分の「弱い」あり方の中にある合理性を見出してゆき、「弱い」自分を許すこと、熊谷晋一郎の言葉を借りれば「免責する」(熊谷・綾屋、2014)ことに繋がったといえます。
そして、自分の弱さの合理性を問い直すことは、自分がとらわれていたり、当たり前だとして内面化してたりしている既存の社会規範を問い直す作業と両輪であるといえ、このような成果を世の中に発信し、自分の考える合理性を世に問うことは、あるコミュニティや社会に存在する規範を見直すことにつながり、社会全体の合理性を問い直しうるものにもなるのではないかと考えます。
例えば、油田は、一部の障害者コミュニティの中に存在している手足論規範を、天畠は、論文を書く、情報を生産する主体が一人であるという、一般に人文科学における学位論文のオーサーシップは一人であるという前提を問い直す作業をしたといえます。
さらに、こうした当事者研究は、「当事者にとって本当に合理的な合理的配慮を導き出すことにつながる」と言えます。
例えば、天畠は論文を書く際に、介助者に先読みしてもらいながら協働してかくための支援については、「情報を生産する主体は1人である」「論文には再現性がならねばならない」といった一般的な規範により、合理的な配慮であるとはなかなか認めてもらいにくい場合があります。
しかし、当事者研究によって、既存の・マジョリティの規範からは外れてしまう自分の「弱い」あり方(例えば、天畠の場合で言えば、他者の介入がないと論文を書いたりアウトプットしたりできないというあり方)に、合理性があることを証明することが可能になります。そしてそれを発信することで、社会の見方を変え、既存の合理性の境界線を変化させることになり、ひいては合理的配慮の範囲を広げていくことにもつながると言えます。
それは別の言い方をすれば、運動につながる、ということです。そしてその営みは、フェミニズムの「個人的なことは政治的なこと」(井川・中⼭、2017)という言葉と非常に重なる部分があるのではないでしょうか。当事者研究も同様に、個人の個人的な経験から出発し、個人的な経験の洞察を通じて、社会の規範や既存の合理性を問い直す営みになりえます。「個人的なことは政治的なこと」という言葉は、私的な領域における抑圧や悩み事が、公的な領域における抑圧的・差別的な構造や人々の価値観と深い関係にあることを示す言葉です。もちろん、自立生活運動も、一人一人の個人的な生活のあり方をよくしていくために行われてきた運動です。しかし、現在は、制度が(まだ不十分とはいえ)ある程度整ってきて、制度に囲い込まれる中で、自分のプライベートな生活の問題と、運動の必要性が結びつかない人も少しずつ増えてきているのではないかと思います。そのような状況を打開し、「個人的なこと」を「政治的なこと・社会的なこと」に結びつけ、障害者運動を再び活性化させる可能性を当事者研究はもっているのではないかと思います。
最後に、文字化することの意義についてです。
当事者研究の成果を文字化し世に発信することの意義として、まずは、存在の認知になることが挙げられます。そして、自分の言葉で語ることで、マジョリティの語り方に(完全にとは言わないが、比較的)回収されることなく、自分という存在について、多くの人に知ってもらうことができます。
そして、当事者研究の成果を文字化し世に発信することの意義の二つ目として、人々に行動の指針を提示できるということが挙げられます。
例えば、青い芝の横田弘の行動綱領や社会モデルという考えが、障害者の困難について考え、それを解消していくための行動を取る際の起点・指針となり、社会を変えてきたように、当事者研究も、個人の困難がいかなるものであり、それをどう支援していくか、その支援の合理性を考える際の指針を提供するものになるといえます。時間はかかるかもしれませんが、その営みは社会を変えていくことにもつながります。当事者研究はまさに「個人モデルから社会モデルへの転換」を最小単位で実現し、社会規範を変える糸口を多分に秘めているといえます。
そして、そのような可能性をもつ当事者研究を、アカデミックな場ですることの難しさや意義について述べます。
なお、アカデミックな場で当事者研究を行うことの難しさや意義を述べることについて、私たちはある懸念や葛藤、難しさを感じています。というのも、それを述べることは、アカデミックな場での当事者研究が(一番)素晴らしいといったメッセージを暗に伝達してしまうことに繋がったり、またそれゆえに本発表の内容が他の当事者を排除するような「エリート主義」に陥ることに繋がってしまう可能性があるからです。私たちは、そのようなことを意図しているのではありませんが、そのような「アカデミズム万歳」「エリート主義」に通ずると感じられる要素を本発表の中からぬぐい切れたとは言えず、難しさを覚えています。このような言明(葛藤の開示)をさせていただいたうえで、しかしそれでもなお、大学で当事者研究を行うという、未だ十分に明らかにされていない経験や特徴について述べ、データとして蓄積することは意味のあることだと考え、以下では、アカデミックな場で当事者研究をすることの特徴を述べていきたいと思います。
まず、当事者研究をアカデミックな場でやることの難しさについて。これは今年の7月25日に行われた、公開シンポジウム「シチズンサイエンス・当事者研究が拓く次世代の科学:新しい世界線の開拓」でも中心的なテーマとなっていたことですが、当事者研究をアカデミックな場でやるということは、その成果を、アカデミックな形にしなければならないという要請が前提にあります。そのため、自分の経験を表現する際には、アカデミックな書き方にのっとらねばなりませんし、また、アカデミックな場での価値の序列に基づいて、自分のこの経験は価値があるとかないとかが決められます。そのようなアカデミックの作法や価値体系の中で、自分の当事者としての経験をどのように位置付け、活かすのかは難しいところだといえます。時には、当事者としての自分の経験が、既存の学問の言葉に置換・吸収されて、そのビビッドさのようなものが削ぎ落とされていくということも考えられます。その場合、論文の中にある言葉は、当事者の経験を語るには、距離のある、現実を反映しない言葉になり、当事者研究者は、ただの「専門家」になってしまい、当事者コミュニティからは遠い存在となることも考えられます。
一方で、当事者研究をアカデミックな場で行うことの意義やメリットとしては、自分の経験を捉え直し考える際の知的資源にアクセスしやすいということと、その成果を発信した際に、社会に対する発信力・影響力を持たせやすいという点が挙げられます。そもそも当事者による研究・発信であることは社会の注目や説得力が高まる作用があることに加え、学術的裏付けがあることによって、さらに社会的信頼度があがり、発信力が高まるといえます。
まず、大学というのは、熊谷晋一郎が言うように、生きる中で「躓き」を経験した先人たちが、蓄積し、練り上げ、継承してきた知のアーカイブが宿る場所であり(熊谷、2019)、そこにはマイノリティの経験を記述するためのヒントになるような言語的な資源がたくさん宿っている場だといえます。もちろん、大学の知は大学の内部に閉じられたものではなく、大学内でしかそうした研究が難しいということでは全くありませんが、大学というのは、さまざまな概念にアクセスしやすく、自分を客観的に捉えるための材料を手に入れやすい一つの場ということが言えると思います。
もう一つは、その当事者研究の成果を、論文という形で出すことは、社会的な発言力を持たせる一つの方法であることです。
まず、さまざまな自助グループで行われている当事者研究と、アカデミックな場で行われる当事者研究を比べてみると、前者においては、当事者研究の実践やその成果が本人にとって妥当だと思えるか、あるいは、使えるものなのかという点が重要であり、まず個人にその成果が還元されることが大切です。一方で、アカデミックな場では、自分にとって使えるかという点だけでは不十分であり、論理的に妥当か、学問的に妥当かという点が重要になり、最終的には学問の場や社会にその成果を還元することが目指されます。そこで先ほど述べたような難しさも生じてくるわけですが、それをクリアすれば、論文という形は、科学的に信頼できるクオリティや根拠になるため、何かの合理性を証明するときに、その主張の質が世の中に認められやすい面があります。もちろん、マイノリティの経験を明らかにし、世間に対して、なんらかの合理性を伝えることは、論文という形ではないやり方でもできますし、というか、まずそれがあってこそ/あるからこそ、障害のある人の権利保障が進んできたと言えますが、論文という形で、学術的な書き方をすることも、一つの重要な「運動」の方法だと言えます。
以上述べてきたことをまとめます。
大学で当事者研究を行った天畠と油田にとって、当事者研究は、弱さの中に知を見出す、弱さの合理性を見つけ出すプロセスであったといえます。
当事者研究は、弱さの合理性を見出すことで、個人と社会の両方を変えうるものになりえます。社会に対して既存の規範や合理性のラインを問い直し、新たな合理性を作り出し、障害のある人に対する合理的配慮を導き出す作業にも繋がります。
当事者研究は、マジョリティ規範にはのっかることができず、また、運動が掬い切れなかった人々、「弱さ」を抱えて生きる人々の葛藤を掬い上げ、個人の経験を社会の問題と繋ぎうる可能性をもっていると考えます。さらに、特にアカデミックな場で、当事者研究者が、研究の作法に則りつつも、当事者コミュニティから乖離することなく、多くの当事者に還元されるような研究成果を世に出すことで、社会に対する発信力・影響力が高まります。そして、それらが、障害者運動を再び活性化させ、社会を変える実践につながると考えます。