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発達障害者が災害復興支援活動に携わる際の意義と社会的困難

相良 真央(特定非営利活動法人凸凹ライフデザイン 宮崎青年・成人発達障害当事者会ShiKiBu) 2020/09/19
障害学会第17回大会報告 ※オンライン開催

[PDF:PPT]

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last update: 20200919


質疑応答(本頁内↓)



■キーワード

発達障害、災害支援、社会活動、当事者活動、合理的配慮


■報告本文

1.目的と背景

 本報告は、発達障害当事者が共助活動としての災害支援活動に参加することには社会的意義があるiと仮定し、しかし活動への参加には社会的困難があることならびにその困難のメカニズムを発達障害当事者の視点から明らかにしようとするものである。本報告では主に2020年7月の豪雨被害後の被災者支援活動での発達障害・線維筋痛症等のある報告者と発達障害当事者会メンバーの体験とその視点を手掛かりとする。
 令和2年7月豪雨iiによる被害は熊本県内を中心に広範囲に及んだが、本報告では報告者らの活動の中心である人吉・球磨地方を取り上げる。氾濫した球磨川は人吉盆地を貫流する熊本県内最大の川である。


2.支援活動の概要

 報告者は所属する発達障害当事者団体iiiで熊本水害支援助成ivの申請を行い、並行して支援活動を行っている。相談電話・メール等の窓口設置、発達障害者が自身の説明や配慮してほしいことを伝えるツール「発達障害者災害手帳v」の作成、在宅避難・車中泊者訪問アウトリーチ活動を主に行う。関係団体vi等と連携しながら進めており、熊本地震後の支援活動経験も生かすよう努めている。


3.発達障害者が支援活動を行う社会的意義と本人にとっての意義

3-1.独自の視点

   発達障害者は支援活動中にその独自の視点を生かすことができると考える。自身の経験から、つらさや困り事を予測したり、どういう言葉に傷つく可能性があるか考えて発言したりする。例えば、報告者は挨拶程度の言葉としても「がんばってください」とは言わない(言えない)し、団体メンバーも同様である。相手の顔を見ることができないので服装や室内の様子を観察して課題に気づいたり、記憶の独自性を持つために被災者の一言一句を記憶していて、後の支援につなげたりすることがある。他人の言葉の意味や気持ちを理解できないとされることも多い発達障害者だが、被災者を客観的に見ている時の記憶が支援に生かされることもある。しかし、気付いたことの他のメンバーへの伝え方がうまくいかないために、視点を十分生かせていないようにも思われる。

3-2.障害者の存在の周知

 避難所の住民が「ここ(この避難所)にはそんな(発達障害の)人はおらんけど」と言われたvii。そのような状況で障害者が実際に地域で生活していることを知らせる機会としての意義もまだ大きいだろう。身近な弱者に気づく目を増やす必要がある。
 一方でカミングアウトの難しさもある。普段の自分たちの地域コミュニティ(熊本市)外なのでカミングアウトのハードルはやや下がるかもしれないが、報告者も、カミングアウトの前に「おらん」と言われたことで、当事者としての自分がいなくなったように感じ、それ以上会話もできなかった。電話相談時、名前や地域を言わない人が多い印象もありviii、当事者が名乗り出るリスクの可能性も感じられる。

3-3.共助の具体化とエンパワメント

 災害後に地域参加を行い、参加できるコミュニティがなければ積極的につくる、仲間を集める活動を行う事例をつくることに意義があるixと考える。障害当事者間、また地域との共助(ここでは「『共助』とは、小さな地域コミュニティ単位で(中略)災害発生時に実際に助け合うx」ことであり、自助を補う位置の意味では用いないxi。)としての意義の他、当事者自身のエンパワメントにもつながると考えられる。「障害者はいつも『助けられる存在』ではないことを、筆者もリルビットxiiの7年に渡る活動を通して実感しているのだxiii」「共助活動をしたことで、他の参加者の方々に発達障害をオープンにすることが出来て、その結果コミュニケーションの緊張が少し楽になったり、安心したりも出来ましたxiv」等、障害当事者が、助けることで助けてと言いやすくなる(支援することで支援を受けやすくなる)面は以前から報告されている。
 例えば報告者は今回の活動において、災害支援助成金の手続きをしたこと、被災地に足を運んだこと自体にやりがいや充実感がある。これは周囲の人たちと比較すると支援活動とは言えない小さなことかもしれないが、自分で選んで行動することで自分を社会の中の個人として認識できると感じている。
 常に自分が社会の中で助けられる側に固定されていないことを実感できると、反対に障害者として被災者支援を行う自負も生まれる。また障害者であるかどうかに関わりなく、自分が被災者の支援者であることをカミングアウトすることは大切だと考えるxv


4.新型コロナウイルスの影響―更なる障壁

 7月13日、熊本県外から被災地に応援派遣されていた自治体職員が新型コロナウイルスに感染していたことが公表されxvi、これをきっかけに感染症対策が一層強化された。避難所の住民は「県外から大変な時に来てくれて感謝しかない。悪いのは感染者ではない、報道のされ方に問題があったと思う」と言われたxvii
 熊本地震後は多くのボランティア団体が避難所の中で住民の手伝いをしたり、話をしたりする姿が見られたが、今回ボランティア等は原則として避難所に出入りできない。またボランティアの受け入れは県内在住者に限られており、被災住民からは人手が足りないとの声が聞かれた。
 感染予防のためのマスク着用も課題の一つである。人吉盆地は全国的にも高温になる地域であり、39度に達する日もある。密でない環境下では住民はマスクを外していることも多いが、ボランティアは基本的に着用しているようであるxviii


5.発達障害者の支援活動時の困難

5-1.感覚xix

 発達障害者には多く感覚の過敏さがある。報告者にも光や皮膚感覚など様々な過敏性があり、災害支援活動時もそれらによって様々な困難にみまわれる。7月の日差しは皮膚を焼かれるような痛みを感じる(腕はなぜか刺されるように感じる)。他の当事者も、まぶしいと目を開けることができなくなるなど、被災地の環境が辛いという者は多い。特に今回は水害であり被災地には広範囲に砂泥が堆積しているため、日光の照り返しが強く視覚過敏を持つ報告者にとってもかなりの苦痛になるが、日頃は自衛のため用いるサングラスは初対面の被災者への訪問時には向かない。常識に従い顔を見せることで信頼、安心してもらわなくては話が進まないからである。日傘も同様に訪問に不向きであり、メモを取る等にも不便である。また、砂は弱風でも舞い上がり、車が通過すると数メートル先の視界も遮られる程の砂埃を生じる。目や鼻のかゆみを引き起こす他、蕁麻疹が出たという者もいる。散水車も出ていたが水は数分で乾いてしまっていた。泥特有のにおいもあり、嗅覚過敏者は気分の悪さを訴えていた。
 加えて、人吉盆地の暑さもある。マスクが苦手という当事者は多いが我慢して着用しているので恒常的にかかるストレスもある。

5-2.感覚の共鳴xx

 発達障害者は他者との距離感がつかめない等と言われることもあるが、報告者は原因の一つを自分と他人の境界があいまいになりがちな所にあると考える。報告者も球磨村を訪問した際「災害現場に精神をもっていかれそうになる」感覚があった。報告者の知人に今回の被災者はいないが、友人や自分が死んだような気がして息苦しくなった。相談事業では「被害のニュースを見ているとつらくなる」と訴える相談があったxxi。自分と直接関係のないことでも、自分事のように感じる特性があると自覚する当事者は多い。
 被災地の惨状や住民の話に無自覚に共感し過ぎていたり、メディアの情報を無意識に取り込み考え過ぎていたりすることがその感覚につながると考える。特に今回死者が出ている事実は大きく、自分の特性に自覚がないと自衛できず危険な場合もあると思う。

5-3.体力

 5-1、5-2のような内外の感覚があるので、感覚の忙しさで体力を消耗する。報告者自身のイメージだが、まぶしさ、痛み、においなど様々な感覚が常にバックグラウンドで働いている状態である。被災者との会話時はつらさを隠そうとする意識が特に働き、その意識がさらに消耗を加速させる。好きな時に休めないと考えること、つらさを申し出て良いのか、いつなら言っても良いのか悩むことでも疲労する。また、体幹の弱さもあるので、立つ・歩く・物資を持つ等の動作が辛く、暑さも加わり活動開始数分で歩けなくなったこともあった。
 アレルギー、うつ病など様々な二次障害xxiiを持つ当事者は非常に多い。それらの病気により十分な運動経験がない為の体力的な弱さもあると考えられる。

5-4.予定

 発達障害者は多くが予定変更にストレスを感じやすいが、支援活動であるので基本的に被災者のニーズに応じた臨機応変さが求められる。今回の活動中にも「疲れて車内で休憩を取っていたが急遽被災者を被災した自宅からみなし仮設xxiiiまで送ることになった」「活動終了予定だったが、時間的に車中泊者見守り可能だったので中学校にも行くことになった」等は頻繁にあり、特に疲れている時には大きなストレスがかかった。
 また、活動に必要な助成申請の作業も報告者には困難であった。緊急のため助成の公募から決定、報告までのスケジュールがタイトである。短期間で申請を決めて書類を作成し連絡を取る等の一連の作業がストレスフルなものだった。事業開始後の取材、延長申請、中間報告、第2次申請等日々の状況の変化に、実際の活動に集中できない矛盾も抱えている。

5-5.コミュニケーション

 被災者とのコミュニケーションでは、初対面の人からニーズを聞き出す力が求められることの他、相手の顔や目を見て話す、暑い中集中する等の困難を伴う。また、災害後は窃盗や詐欺も発生しやすいため、まず怪しまれる場合もある。誤解されやすいとされる我々発達障害者がどう「感じの良さ」を出すかを試行錯誤している。
 ボランティア仲間内では、今回は熊本市から人吉地方までの移動時間が2、3時間かかるため同じ車内の空間で過ごす必要があり、毎回違うメンバー、人数での会話を行う困難がある。それぞれの経験の差、各団体で受けている助成の内容も異なり、各々の立場を考えながらの会話に緊張状態が続く。

5-6.配慮の受けにくさ

 ボランティア仲間内での配慮の受けにくさもある。今回団体メンバー全員が発達障害者であることをオープンにしており、また発達障害者に一定以上の理解があると思われる人々との活動だが、各々目的や使命感があり、被災者に対する思いがある。発達障害者も意識は同じであっても、「できるだけのこと」に大きな差がある場合も多い。助成内容により各団体で達成しなければならない目標値もある。
 配慮を必要とする発達障害者の側も、被災者が大変な時に自分が休んでいてはいけないと考えて配慮の申し出が遅れ、その後の数日寝込んでしまった等も起こった。


6.発達障害者が支援活動を行うための提案

6-1.過集中の予防

 発達障害者は往々にして過集中の状態になる。何かに集中しすぎて自分ではうまくコントロールできなくなり疲弊する。一時的には成果を上げることもあるが心身の調子を崩すので続かない。
 また、何か一つのことにとらわれる点は視野が狭くなりがち(視野狭窄)な特性もあいまって自罰・他罰的な意識をもたらすこともある。「あれもしなければならない」「なぜみんなはしないのか」と活動継続や体力の限界を超えて自分や他人に求めてしまう。
 これらの状態を予防するためにも、息抜きの時間を積極的に持つことが必要と考えられる。多くの場合発達障害者は他の人よりも長い時間が必要である。支援活動が自分の生活の中でどのようなものかをとらえ直す時間を適宜持つことで「問題の渦に巻き込まれることがなくなっていくことを期待xxiv」でき、結果的に活動を継続できると考えられる。報告者も、より良い結果の為には一つのことに集中しなければならないとの思考にとらわれがちだが、複数を並行して行うことでそれぞれが継続可能になり、良い結果も出せることを体感すると納得できることも多い。

6-2.役割と責任の明確化

 役割があいまいだと、その解釈が他者と大きく異なりトラブルにつながることもある。以前報告者は、他の当事者との間で解釈が異なりお互いに不服に感じる出来事があったxxv。具体的に何かを進めている途中での役割の設定や変更は当事者に大きなストレスがかかり、また納得できないと行動できないこともあるので、できるだけ初めの時点で明確な役割分担を行うと良い。各々の役割や責任の範囲が詳細に定まっている方が行動はスムーズになると考えられるが、非常時の活動に際して役割を設定する人の負担も大きいため、バランスが求められるだろう。例えば、それぞれの役割を設定した上で、途中で役割が変わる可能性があることを説明したり、適宜自分の役割に納得しているかを確認したりすると発達障害者のスムーズな動きにつながると思われる。
 報告者も、納得できていないと不安になり、不安を解消するために他者の領域まで踏み込んで確かめようとしたり、精神的に不安定になったりする。納得できていないことに無自覚な場合もあるので、確認するターンが適宜設けられていると意識しやすい。しかし多くの人は、確認の場の設定の煩わしさ、「雰囲気」で分かることを言葉で確認する手間のデメリットの方が大きいと考えるだろう。報告者も、自身が分かっている物事に関して他者に確認を求められると非常に煩わしく感じてしまうこともある。全員にとって確認ターン設定のメリットを大きくする方法を模索中である。

6-3.対等に話し合う環境

 山田裕一(2018)は当事者が他者と対等に対話できない構造の原因として、当事者側は配慮がなされないために生じる不利益を感じ続け、周囲は配慮の提供によって生じる負担を不当に感じることがあると指摘しているxxvi。対等な対話とは立場の違いによる上下関係を双方が感じずに意見交換ができ合意を目指せるものと考えられる。劣等感を抱きがちな者の場合特に、周囲と対等に話ができると感じられれば支援活動はスムーズになるだろう。
 例えば、常識的には口にしないことも言葉にして確認する場を設けることで対等に話し合う環境づくりが可能になるのではないか。「障害者だからできないと決めつけていませんか」「私ばかり配慮しているように感じて不満です」等、言葉の裏を読まないルールを設定して話し合うのも方法の一つだと考える。ただし、全員が対等な対話を目指す意識を持った上で行わなければならず、困難も予想される。


7.定型発達者と発達障害者で異なる社会活動の意義

7-1.「余力で行う社会活動」との理解

 多数派によって行われ、それを我々障害当事者も内在化している事柄は多いが、「しなくても良いこと」についても同様に規定されているように思う。災害支援活動等の社会活動は、多数派にはまず「仕事、学業xxvii」を行いその余力で自主的に(基本的に無償で)xxviii行うものとの共通認識があると考えられる。障害者に対する就労や教育の場面での合理的配慮に関する報告は多いxxixが、社会活動の場面における言及はほぼ見られない。その理由として社会活動での合理的配慮について社会的な合意形成がなく、法律やそれに基づく制度が不十分であり、社会的関心が低いxxxことも重なって俎上に載りにくいことがあると思われるが、それは上記のような「仕事はすべきことだが、社会活動はしなくても良いこと」という認識があるからとも言える。社会を学校から就労への一本のレールのように感じやすいのは日本社会の課題として以前より指摘されているxxxiが、現在でもその構造が堅固であることも伺わせる。社会モデルでは「障害者とは、社会の障壁によって能力を発揮する機会を奪われた人々と考えxxxii」るが、能力発揮の機会は社会活動、災害支援活動の場にもあるとすれば、そこにも合理的配慮があるべきだろう。
 例えば、報告者は熊本地震後熊本市に発足した組織でボランティア活動をしていたため、その組織が被災者支援の仕事を受託した際職員に採用された。また報告者の所属団体はその組織から紹介された助成を得、発達障害のある被災者の支援も可能になった。この時報告者にできないことを他のメンバーに説明したり、できることをする機会を報告者に紹介したりする等、組織役員がサポートしてくれた。このように当事者の力を生かすサポートを行う人xxxiiiもいるが個人の域を出ず、まだ少数である。

7-2.心身の状態が理解されにくいメカニズム―生活の必須要素としての社会活動

 発達障害者にとって社会活動を行う理由はもっと逼迫したものの場合もある。災害支援活動中にも、多くの人が報告者によく「休んでいいよ」と声を掛ける。その配慮に感謝した上でではあるが、ある場合、発達障害者は休むことではなく活動をすることで回復することもある。疲れている時に休まず動くことで回復する、というメカニズムは多くの人にとって理解しがたいものだろう。むしろ疲れている人が動いていると周囲は気が散り迷惑になるかもしれない。しかし、この場合の発達障害者は休んでもより疲れる一方であり、両者の隔たりが広がってしまう。
 前述のように社会活動は仕事や学業の余力で行うものとの認識が一般的であると考えられるが、発達障害者は社会活動をすることで仕事や学業を安定的に継続できる場合がある。発達障害者にとっての活動の必要性がまだ社会的に理解されていないと言える。
 報告者は以前仕事をしていた時、上司たちに申し出て配慮を得、社会活動を行う場合優先的に休日を調整してもらった。休日を活動に充てることで体力は使ったが、自分の土台が広がる充実感もあり、仕事関係の事ばかりに頭を使う苦しさからも定期的に解放されたため、仕事の継続にも大いに役立ったと実感している。一方、職場で社会活動の話をしても中々他の職員には響かなかったように思う。それは彼らに仕事以外で社会活動を行う余裕がないという理由もあったのかもしれない。
 定型発達者にとって社会活動はなくても良いものかもしれないが、ある発達障害者にとっては、なくては生活が成り立たないものの場合もある。その認識も一般的ではないため、一般的な回復手段である「休んだ方がいい」となり、社会活動はしなくても良いものであるから「社会活動の場では発達障害者に配慮できない」となるのだろう。
 また、今後の研究課題でもあるが、他人の配慮があまりなくても可能な趣味等でも発達障害者の「仕事、学業」を継続するエネルギーになるかもしれない。社会活動は他人のためにするものという考えもあるだろうが、例えば高齢者がボランティア活動によって心身の効果を得られるなどの報告は以前からあり、自身の健康づくりを兼ねて参加する人もいるxxxiv。私たち障害者においても積極的な社会参加は本人の自己肯定感の回復につながるものと考えられ、何よりも本人が自主的に社会活動を行いたいという意思を持っている時、合理的配慮を得られないために活動から遠ざけられるべきではないと考える。


8.おわりに

発達障害者が混乱しがちな災害支援の現場に入るハードルは高い。しかし、参加意欲がある者が非常時だからという理由で必要な配慮を受けられないことがあってはならない。必要な配慮を得て発達障害者が力を発揮できれば、当事者の視点を生かし被災地の社会的弱者への支援により早期に取り組める可能性もあり、長期的には地域での多様性理解にもつながるなど社会的意義は大きいと思われるためである。それぞれの発達障害者に必要な配慮を考え実行することは、発達障害者以外の人にも適用されるべきものであり、今後の防災に広く役立つと確信する。他の障害と同様に、発達障害者に対する配慮を考えるプロセスや発達障害者が主体的に活動する中で生まれるアイディアは、地域全体の防災や復興を確実なものにすると思われる。報告者らも今後も積極的に事例を積み重ねていきたい。




なお、本報告にあたり、プライバシーの保護、人権の尊重等の倫理的配慮を行っている。


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■質疑応答

※報告掲載次第、9月19日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はtae01303@nifty.ne.jp(立岩)までメールしてください→報告者に知らせます→報告者は応答してください。宛先は同じくtae01303@nifty.ne.jpとします。いただいたものをここに貼りつけていきます。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。→http://jsds-org.sakura.ne.jp/category/入会方法 名前は特段の事情ない限り知らせていただきます(記載します)。所属等をここに記す人はメールに記載してください。

*頁作成:高 雅郁
UP: 20200918 REV: 20200919
障害学会第17回大会・2020  ◇障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
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