HOME

動かなかったものを動かす

「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」
【全記録】 障害学会第17回大会・2020・オンラインシンボジウム 共催:立命館大学生存学研究所


Tweet


障害学会第17回大会・2020・オンラインシンボジウム
 (20200919)_221分 この頁(ファイル)は当日の録音記録を文字化し整理し始めたものです。作業途上です。〜いちおういったんやりました(20210101)。
 (20210921)『障害学研究』掲載用

こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

「動かなかったものを動かす――「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」」【当日用資料】,障害学会第17回大会・2020・オンラインシンボジウム
 □当日・次第   □資料・文献   ◆歴史   □参加方法・注意事項   □企画経緯

登場人物・組織(↓) ◆全記録(↓) ◇歴史(別頁)



>TOP
□登場人物・組織(作業中)

芦刈 昌信
伊藤 佳世子
井上 武史
岩崎 航
石島健太郎
植田 健夫
内田〔由佳〕
海老原 宏美
大野 直之(作成中)
大藪 光俊
岡本 晃明
岡山 祐美
押切 真人
川口 有美子
小泉 浩子
◇斉藤 新吾
斉藤 実
坂本 昌文
曽田 夏記
高野 岳志
高橋 慎一
立岩 真也
◇田中
田中 正洋
◇段原
中島 孝
長瀬 修
中西 竜也
野瀬 時貞
深田 耕一郎
福嶋 あき江
藤田 紘康
藤原 勝也
藤原 祐樹
古込 和宏
前田 拓也
山田 富也
油田 優衣
渡辺 一史
渡邉 琢

介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット
呼ネット全国障害者介護保障協議会
全国自立生活センター協議会(JIL)
全国ホームヘルパー広域自薦登録協会
JVUN〔1990〜〕
DPI日本会議
日本自立生活センター(JCIL)
メインストリーム協会


>TOP
立岩:シンポジウムをこれから始めます。最初にちょっとだけ学会と大会の説明をします。
 「障害学会」という学会があって、大会が毎年秋にあるんです。他方、僕らは、韓国、中国、台湾、日本と、東アジアの4地域で「障害学国際セミナー」っていうのをもう10年ぐらいやっていて、その当番が今年は日本、京都のはずでした。だったら障害学会の会員にも加わってもらうといいんじゃないかということで、2つを繋げるかたちで秋に京都で大会を、というのを当初計画しました。実は学会の大会は去年も京都で、そういうことはあんまりないんですけども、そういう事情があって2年続けてっていうことになり、そして私が、国際セミナーをやっているのが日本では立命館で、その教員でもあるので、大会長っていうことになった、そういう経緯です。しかしご存知のようにコロナでそういうことができなくなり、来年できればまたやろうとは思ってますけれども★、とりあえずそれが流れて、その結果どうしようかっていうことになったんですが、学会の大会はやる、と。
 ただまず報告のほうをどうしようか。これも情報保障等のことがあってだいぶ考えました。結果として、メールで報告そのものをいただく、それをホームページに掲載する、それを読んでもらって、時間をかけて質疑応答をしてもらうっていうかたちを今回とりました。悪くなかったのかなと自分では思っています。時間をかけてきちんと書く、時間をかけて読む、それに時間をかけて質疑応答をするっていうことが、聴覚・視覚に障害がある人たちも含めて楽なのは、実はこういう原始的な、文章を書いて、そして文通ですね、公開文通みたいなもんですけれども、そうやってやり取りするっていうのがいいんじゃないかなということで、一般報告のほうはそうしました。
 他方でシンポジウム。大会を2日間やっていたときは2つかな、シンポジウムを例年やっていて、今回はやれたとして1つっていうことにはなったんですけども、その1つを開催校のほうに投げてもらったということで、考えて。このかん、関西で、というのは違うかもしれませんね、でも関西から始まって、今全国でけっこういい動きになってるっていうか大きな動きになっている旧国立療養所、そこの中に筋ジストロフィーの人けっこういるんですけれども、その人たちに関わる、主にはですね、他にもいろんなかたいらっしゃいますけれども、その動きについて、その動きに加担してるというか担っているかたがたに今日来ていただいて話していただくと。その人たちは全国にいらっしゃいますので、かえってこういうオンラインっていう場は上手く使えるというか、積極的に使えるっていう思いもあり、こういうかたちをとらせていただきました。
 今回Zoom(ズーム)を使ってウェビナーっていうかたちで開催します。現在174とかのかたが来ていらっしゃるようですけれども、今日はよろしくお願いします。このセミナー、シンポジウム自体は、一人一人の顔が映ったりいろいろですので、録画したりはなしと。ただ障害学会、これまでもいつもそうしてきたんですけれども、毎年の大会の記録は文字化して、各報告者に点検していただいたのちに、『障害学研究』という学会誌に掲載することは事前にも申し上げておりますし、そういうかたちで還元する、社会貢献するということですので、よろしくお願いします。
 で、ウェビナーっていうのはですね、2種類の人がいるというか、しゃべるパネリストというか、その人たちを登録し、話せる。それ以外の人は、これはある意味いいことなんですけれども、画面に名前も出ないし、誰が聞いてるのか基本は、主催者サイドは別ですけれどもわからないっていう、そういう仕掛けのものです。ただ、聞いてるかたも手挙げていただければ質問とかそういうこともできると、そういう仕掛けのようです。どうも慣れないことありますけれども、本日よろしくお願いします。3時間とってありますが、ちょっと延びるかなという気もして、手話通訳、文字通訳のかたには30分以内の延長は「延長料金よろしく」というふうにお願いしてあります。休みはとるかどうかわかりません。ないかもしれません。よろしくお願いします。


 タイトル『動かなかったものを動かす――「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」』って、これは鍵括弧ついてて、そういうプロジェクトが実在するので、それを持ってきたんですけれども、そういうシンポジウムです。それの、今日は聞き手というかたちで、みなさんにお話を聞いてまわるっていう役をさせていただきます、立岩真也と申します。さっき「ちょっと変じゃないか?」って聞いたら「いつも変だからいい」って言われたんでそのままなんですけど、先月誕生月でちょっと嬉しかったもんですから帽子を買って、かぶる機会なんかそうないので、今日は帽子をかぶってやっみています。今回は大会長というのと、会長というのとをやっています。
 さて、今回事前にメールとか諸々の手段で説明しましたけれども、このホームページ、シンポジウム用のページを私としてはけっこうまじめに作りました。たとえば今回出演する可能性のある人のうちの8割ぐらいについては、プロフィールとかいろいろ書かれたものとかご覧になれるようなページを作ったり、それをリンクさせる、このシンポジウムのページを作ってあります。で、画面共有ってあるじゃないですか。それもちょっと考えたんだけど、けっこうみんな見たいところも違うし、スピードも違うし、かえって良くないんじゃないかなと思って、今日はそういうのはしません。ただ「この人は誰だろう」とかそんなこともあるでしょうし、けっこう今日は具体的な細々とした話がいろいろ出てくると思うので、歴史的なことも含めてですね、そういうことで、昨日まで一所懸命私作ってたページをときどきご覧になったりしながら話を聞くといいんじゃないかなと思います。はい。イントロ長かったですけど始めます。
 さて、実は僕は2018年に『病者障害者の戦後』★っていうけっこう厚い本を書いて、なんで国立療養所っていう場所に筋ジストロフィーの人たちがいっぱいいることになったのかっていうことは、実は書いたんです。今回のムーブメントと直接的な繋がりはなくて、いつの間にかなんか関わりができてきたみたいな不思議な関係なんですけれども、それとは別に書いてきて。仕掛けはそんなに難しくはないんですけど、1945年、日本が戦争に負けた年にですね、国立療養所ってものをGHQの命令でつくるってことになりました。つくるっていっても新たに建築したわけじゃなくて、各地にあった病院を国立療養所と名づけたっていうことですけれども。そこにですね、当時一番やっぱり大きな、今はコロナですけれども、その当時は大きな病気というか伝染病、結核ですね、その人たちを収容する施設、収容することにしたわけです。で、実際何万人という人たちがそこに収容されていったわけです。ただそれが1950年代になっていくと、栄養事情とか衛生状態とかそういうのもよくなっていって退院する人がでてくる。「退院したんだから、病院要らないじゃないか」っていうことになったかっていったら、ならないんですね。まあそういうもんです。精神病院だって「要らないからなくせ」って言っても、なかなかなくなんないですよね。で、国立療養所はなくならず、新しいお客さんを受け入れようということになったわけです。で、それが一つは重症心身障害児って呼ばれる人たちですけれども、もう一つが筋ジストロフィーで。
★立岩 真也 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202 [honto][amazon][kinokuniya] ※
 こういう話は長くなっちゃうんですけど、1960年、だからちょうど今から60年前が始まりの始まりなんですが、この業界では知られている山田三兄弟っていうのがいてですね、そのうちの二人が西多賀病院っていう仙台にある国立療養所に、院長さんが「かわいそうだから」っていうんで、例外的にですね入れてあげたっていうのに近いんですけれども、それがきっかけになって、64年ですね、国として政策として筋ジストロフィーの人を収容する、そういう政策が決まって実行されたっていうことなんです。それから60年っていう時間が過ぎたわけです。その間(かん)、先ほど申し上げた山田さん、とくに3番目に入所して一番早くに西多賀病院を退院したのかな、山田〔富也〕たちの「ありのまま舎」の活動は比較的知られてます。これは1987かな、にケア付住宅っていうのをつくる。それからいろんな文化活動って言ったらいいでしょうか、をしました。岩崎航さん◇ってご存知のかたいると思うんですけど、仙台に住まわれてる★。彼の生活なんかも実は今でも支援していて、今でも仙台では大きな活動をなさってるところではありますけれけども。知られてるってそのぐらいだったかなって気がします。
★岩崎 航 i2019 インタビュー 2019/12/08 聞き手:立岩 真也 於:仙台市・岩崎氏宅
 もう一つは1980年代の前半ですね。その頃はアメリカ合衆国のほうから自立生活運動というかそういうのが紹介されたことも影響したと思いますけれども、千葉の下志津の病院から退院して地域での生活を始めようっていう試みがちょっとありました。高野岳志さん◇というかたと、それから福嶋あき江さん◇というかたですけれども、千葉と埼玉で生活を始める。ただ、高野さんは84年に、福嶋さんは87年に亡くなられて、いったんその脈というかは途絶えることになります。ただ、福嶋さんの支援をした虹の会っていう埼玉の組織は今でも活躍していたりして、けっこうそういう脈々としたものもあるんですけれども★、ただ全般的にはこの50年60年っていう長い時間が過ぎてしまったなっていう感じがしていて、それが大きく動き出すのが2010年代の後半だったんじゃないかと。それが、今何を考え、今何をしてるのかっていうことを今日いろんな人に話を聞いていきたいと思うんですけども。
★佐藤 一成 i2017 インタビュー 2017/06/23 聞き手:立岩真也 於:埼玉・虹の会事務所
 ただ、この間(かん)このページを作るっていうか年表のようなものを作っていて思ったんですが、2010年代、つい数年前、いろいろ関西で動きが始まるその下地みたいなものとして、兵庫県西宮にメインストリーム協会っていうサイズの大きなCILがありますけれども、そこはけっこう最初からっていうか、初期から筋ジスっぽかったかなっていうことがわかってっていうか、あらためて気づきまして。今日の取っかかりは、そのへんの話を伺うところから始めようと思います。

■西宮辺り
 なんでかって言ったら、これはおもしろいからだとか、みんなに知ってもらいたいからだっていう以外にないんですけれども、これ学会です。最後にもだめ押しをしますが、これ全国に動いている出来事なので、いろんな人が各地で研究したらいいとほんとに思ってるんですよ。だからここでやるんですけども。始まりは兵庫西宮のあたりから、お話を伺うことから始めたいと思います。
 今日、藤原〔勝也〕◇さんが1999年に関西学院に入学されたあたりから、西宮における筋ジスの人たちの活動が始まってるんだっていう話をさっき打合せの時に聞いたんですが。藤原さん、そのあたりの話をしていただけますか?

藤原:みなさん、メインストリーム協会の藤原と申します。いろいろ活動しているこのメインストリーム協会で、筋ジストロフィーで一番最初にスタッフになった者です。そもそも関わりっていうのは、立岩先生から紹介があったように今から21年前ですね、それから一人暮らしを始めました。私は西宮の関西学院大学っていうところに入りまして、それをきっかけにメインストリーム協会と出会いました。それがすべての始まりですね。ちなみに僕には弟が二人いまして、弟二人とも僕のあとを追って西宮で一人暮らしをしました。僕が一人暮らしできたのは、両親2人で障害の3兄弟の面倒みるのが難しくて、そして親が僕のやりたいことを挑戦させたいっていう気持ちがあって、それでもうなんとかしようってなったときにメインストリーム協会に出会ったんです。それがきっかけですね。
 私はずーっとそれまでは実家で暮らしてまして、病院の入院とかの経験もまったくなかったんです。病院とか、リハビリも特に受けたりもしてないんだけども、40までは生きてるって感じですね。大学生の頃にメインストリームのイベントに参加して、その中でいろいろ重度障害でありながら海外のイベントに行ったりとか、2003年の障害の介護制度の交渉、東京のデモとかそんなんにも参加しました。で、メインストリームで2004年から働いています。
 で、人工呼吸器は2006年から、24時間介護っていうことになってて、当事者やっている中で筋ジストロフィーとして何かやれることないかってことはずーっと考えていたんですけども、ずーっと頭の中にあるだけで全然行動には移せなかったっていう気持ちがあります。もともと大学進学とか自立を考えた大きい理由は、小さい子どもの頃から通院でよく筋ジス病棟がある病院に通ってたんですけども、そこの病院に行くの、小さい子どものときめっちゃ嫌いやって、母に「こんなとこ行きたくない」とか言った記憶があります。だから小さいときからなんとなく行きたくないっていう気持ちがあって大人になったんですけれども、その中でいろいろそこの筋ジスの人とかと出会ったりして話す中で、自分は行かなかったけど、でもメインストリームに出会わなかったらたぶん行ってただろうと思えるので、だからなんとかしたいという気持ちが今は強いですね。まずこんな感じにしておきます。

立岩:藤原さん、どうもありがとうございました。1999年が始まりだそうですよ。実はメインストリーム協会、3年前かな、2017年に神戸で障害学会の大会あったんですけれども、それの大会長は前田拓也さん◇で、前田拓也さんはメインストリーム協会のヘルパーをしてたんだよね。そういうことの経験がもとになって本★を書いたり、こういう業界というか学会にも関わられたって、なんか繋がりがここにもあるんだなって思ったんですけど。
 ちょっとあいだ繋ぎますね。藤原さんが1999年の入学。で、2000年代になるといろいろあるんですけど、2003年に、今日実は参加していただいてるんですが、顔も見えていると思いますけども渡辺〔一史〕さん◇が、みんな「夜バナ、夜バナ」と言ってるあの本★を北海道新聞社から出しました。あれが2003年の3月で。僕は5月に『看護教育』という雑誌にふた月続けて本の紹介をさせていただいて、僕はそれが最初の夜バナの紹介だったと思ってます★。違うかもしれませんけど、ちょっと僕誇りなんですけれども、そういうことがあったり。それからあと、こうやって調べてたら、長瀬修さん◇、やっぱり今障害学会理事やってくれてます、初代の事務局長でもありましたけど、彼がそのとき東大に務めていて、渡辺さんとトークセッションをするとか。あるいは同じ年の10月に、今はほとんど開店休業というかもう閉店したのかもしれませんけれども、障害学研究会関西部会っていうのがありまして、そこに渡辺さんをお呼びしてお話していただくとか。そんな感じで実は繋がりというか、今に繋がるという部分もあったんだなということに、今さら気がついたところもあります。
★前田 拓也 20090930 『介助現場の社会学――身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』,生活書院,369p. ISBN-10:4903690458 ISBN-13: 978-4903690452 \2940 [amazon][kinokuniya] ※ c04 ds
★渡辺 一史 20030331 『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』,北海道新聞社,463p. ISBN:4-89453-247-6 1890 [amazon][kinokuniya]→20130710 文春文庫,558p. ISBN-10: 4167838702 ISBN-13: 978-4167838706 760+ [amazon][kinokuniya] ※
★立岩 真也 2003/05/25 「『こんな夜更けにバナナかよ』」(医療と社会ブックガイド・27),『看護教育』44-05(2003-05):(医学書院)/立岩 真也 2003/06/25 「『こんな夜更けにバナナかよ』・2」(医療と社会ブックガイド・28),『看護教育』44-06(2003-06):(医学書院)
 それで、障害学会2007年と2009年に僕が大会長させてもらって立命館で大会をやったんですよ。その2007年のときに、田中〔正洋〕さん◇っていう筋ジストロフィーの本人と、それから伊藤佳世子さん◇っていう、前は僕のとこの大学院にいたこともあるんですが、筋ジスの脱施設、脱病院というテーマで立命館で報告してくださった★。そういうことがあって、「ああ、そうだったんだな」とちょっと思い出したわけです。ですから2003年『夜バナ』出て、その年に僕らいささか紹介させてもらったり、話したり、話してもらったりってことがあり、それからしばらく経って障害学会の大会で伊藤さん・田中さんが報告を大会でやった、そんなこともありました。
伊藤 佳世子・田中 正洋 20070916-17 「筋ジストロフィーの「脱ターミナル化」に向けて――筋ジストロフィー患者の国立病院機構筋ジス病棟の生活と自立生活の比較から」 障害学会第4回大会,於:立命館大学
 今話された藤原さんが今のプロジェクトの主役の一人なんですけれども、やはりインストリームの職員で、コスタリカと日本を行ったり来たりっていう井上武史さん◇が、もう亡くなられたんですけれども田中さんとの関わりが一つのきっかけにもなり、今の活動に繋がってるっていうお話をこないだ伺いました。そういうことでちょっと井上さんに、田中さんとの関わりであるとか、その頃の西宮メインストリーム、そのへんの話を伺いたいと思います。井上さん、よろしいですか?

井上:メインストリーム協会の井上と申します。ご紹介にあったとおり、コスタリカと日本と両方行ったり来たり、今はちょっとコロナで帰れない状態なんですけども、行ったり来たりして活動しています。で、それは2008年からの研修、ラテンアメリカの障害者の研修がきっかけになって始まったんですけども、その前、僕は1997、8年ごろからアルバイトで介助を始めて、2004年に支援費の導入と同時に職員になっています。その頃はもう介助者として日々介助に行く生活で、先ほど話をした藤原勝也くんの弟さん、〔藤原〕祐樹◇くんっていうんですけども、2006年に残念ながら亡くなったんですが、その祐樹くんの介助に特にたくさん入って仲も良かったと思います。で、介助者には、頸損の人と肌が合うとか、CPとなんとなくちょっと気が合うとかいろいろいるんですが、僕はたぶん筋ジスの人と気が合って。たぶん筋ジスの人ってそこそこ知的なことが好きで、話をしてても楽しいのが合うのかなって思ったりもするんですけども。
 で、田中くんが2007年に兵庫県の三田市の兵庫中央病院から自立してきて。「自立してきて」って言うんですけども、当時は介助者不足で「待ってくれ、待ってくれ」とメインストリーム協会に言われながらも、アパート借りて出てきちゃった。で、お母さんに介助をしてもらいながらも出てきたような状態で、「もう、ちょっとお前ら自立生活センターとして恥ずかしくないんか」っていうふうに代表から言われて、もう男の人はこう時間数マックスでみんな入って、田中くんの介助に入るような状況でした。で、けっこう病院とあんまりよくなく、無理やり出てきた感じになって、そういう活動家気質を持って「出たら何かしたい」っていう気持ちマックスで出てきました。
 で、僕は普通に介助に入って、横に行って、何か言われればそれにもとづいて何かするっていうことをしてたんですけども、当時その後に田中くんと共同研究をすることになった伊藤佳代子さんとほんっとによく電話をしてて。ずーっと電話してる感じ。なんかこう、どこどこの病院に伊藤さんが行った話を聞いて、それを聞いてるみたいな、田中くんが聞いてる横で僕も聞いてるみたいなことが1年ぐらい続いたんですかね。
 で、障害学会があって。田中くんていうのは後にスタッフになるんですけど、それまで「田中正洋」って書いて、電話番号とメアドしかない名刺を持ってて、それを持ちながら誰にでも電話して会いに行くし、みたいなことをしてて。「あ、こういうことしていいんや」って僕は、もう今でもおっさんですけど、既に当時けっこうおっさんだったんですけども、思って。そういうことを僕は真似するようになって今に繋がってると思ってて。僕の活動家としての師匠は田中くんっていうことを常々言っています。
 えっと、こんなんでよかったんですかね?

立岩:もうちょい。もうちょいいきましょうか。

井上:あ、そうだ。言わないといけなかったのは、田中くんの活動で一番特筆すべきなのは、「呼吸器ユーザーのネットワークをつくりたい」っていうことを、もう出てきたときから言ってて。おそらくそれを日々してたのが田中くんの活動で。勉強しに北海道に行き、佐藤きみよさん◇とこで「ベンチレーター・ユーザーズ・ネットワーク」のことを勉強したりして。で、関西の頚損連絡会の人のとこに会いに行って、頚損一級みたいな人で呼吸器つけてる人を誘いいの、京都行ってアクスぺ〔アーク・スぺクトラム〕の岡田くんに会いにいって誘いいの、みたいなことをして。ちょっと正確に、何年かメモするの忘れたんですけど、2008年かな、秋だったと思うんですけど、西宮の市民福祉センターで第1回の関西の呼吸器ユーザーの交流会みたいなのを立ち上げました。残念ながらその翌年に亡くなったので、それ以降ちょっとその活動自体が途切れてしまって。
 田中くんは当時東京の海老原〔宏美〕さん◇とも繋がりかけてて、海老原さんがそういうのをたぶんモデルにして今の「呼ネット」とかをつくったと思います。という田中正洋くん。田中正洋のページを立岩さん作ってくださってるんで、そこにいろいろ当時のビデオとかも載っけてあるので、ご覧になってもらったら。

立岩:はいそうなんです。田中さん、僕は生前ほとんどお会いすることなかった人ですけれども、井上さんが撮ったビデオであるとかそういうものも見れるようになっていますので、見ていただきたいと思います★。それから井上さんにもインタビューしてあって、あんまり筋ジスのこと出てこないんですけど、けっこう長いインタビューが載ったりしますので、ご覧ください★。
2007 「田中正洋 呼吸器ユーザーネットワークを組織する」 https://vimeo.com/338825751
★井上 武史 i2018 インタビュー 2018/05/18 聞き手:立岩真也 於:京都
 そうですね、2000年越えてからの日本の運動のおもしろいところの一つは、そういう何を使ってるか、たとえば呼吸器使ってる人たちのネットワークができていく。「JVUN」〔1990〜〕、ユーザーズネットですけれども、それが一時期活動していたり、今は「呼ネット」っていう、その継承関係は僕はよくわからない、直接にはないんじゃないかと思うんですけれども、組織があります。そうしたことに関する研究っていうのもほぼほぼなされてなくて、でも大切なことだと思うんですよね。そういう活動がこの時期あります。藤原さんたち、それで2000年越えて、2010年も越えてずっと活動を継続されてきたんだろうと思いますけれども、それはまた時間があればというか、そういう機会になったらそちらに移っていただくとして、少し時間を飛ばすことにします。

■金沢で

 実は今回の、主には2018年ぐらいから始まる動きの、一つの偶然と言っていいのかもしれませんけれどもきっかけというのは、石川県金沢市の郊外って言ったらいいのかな、そんなに離れてないですけれども、医王病院っていう病院が今でもあります。「医」者の「王」様って書く不思議な名前の病院ですけれども、そこに筋ジス病棟があって、そこに古込〔和宏〕さん◇っていうかたが、37年っていったかな、退院するまでにかかった時間が、輪島の出身のかたでしたけれども、いました。彼は2012年に大きな手術をすることになり、それがきっかけで「いつまでもここにいるのはいやだな」と思ったらしいんですね。彼にも坂野さんってうちの院生でもある人がインタビューした★、僕がインタビューしたり★、その記録ありますから、それもあとでご覧になってください、ぜひ。そんなことがあって、もう30年過ぎて、「もういたくない」って思ったと。だけれど、2013年、14年とそうやって時間が経っていくのだが、そして最初は病院のソーシャルワーカーに聞いたって言ったかな、それから地域の相談員みたいな人にも話を持ちかけてみた。だけど具体的にどうかなるっていうところまではなかなかいかず、悶々としていたと。
★古込 和宏 i2017 インタビュー 2017/12/30 聞き手:坂野久美 於:金沢
★古込 和宏 i2018 インタビュー 2018/01/30 聞き手:立岩真也 於:金沢
 だけれども、やっぱり2000年越えてネットは使えるような環境になっていくといった中でフェイスブックやっていく。そこの中で先ほど名前出た伊藤さんも繋がりができたし、それからALSのことでもの書いたり発言したりしている川口有美子さん◇が2014年って言ったかな、フェイスブックの友だちになります。で、よもやまよもやまやってたんだと思います。それですぐどうかなったってわけではないんです。ただ、なんとかしなきゃいけないっていう話に2年も3年もかかって、だんだんとなっていって、それで大野直之さん〔頁作成中◇〕、全国障害者介護保障協議会、そして「全国ホームヘルパー広域自薦登録協会」、広域協会ってみんな略称してますけれども、そういう組織で、全国に介護介助の制度を広げていく、重度訪問といわれる制度を使えるようにしていく、そういうヘルパーを登録する、そうした活動をもう何十年とやってきているベテランですけれども、彼のほうに話を持ちかけて、そして大野さんが推進協会〔主に地方部のCIL立ち上げ支援を担当している団体で、財源は東京の古参CILの会費。JILと介護保障協議会の協力で2001年に作られた:大野註〕の関係CILにつないで、関東と東海のCILが連携して支援に乗り出すっていう、そういう経緯があったようです。  簡単に言うと、推進協会が、主に関東と東海の8箇所くらいのCIL代表に声かけて、それで医王病院で古込さんに自立生活プログラムの個別講座を行った。その後、CIL小平と広域協会が宿泊体験や自立時やその後の一年弱の介助にコーディネーターを派遣するっていうことをやって(現地で自薦ヘルパーを常勤4人雇うまで派遣支援して)。で、最初は入院中に自立生活プログラムっていうのをけっこうがちがちやったと。病院は「だめだ」とは言わなかったみたいですね。だけれども何がネックになったかって言うと、親。親に許可を…、何て言うか、親のことを気にするわけですね、病院は。ほんとはおかしいんですよ。もう成人してるし、契約者は古込さん本人ですから、古込さんが退院したいって言ったらば、病院は文句言えないに決まってるわけですけれども、でも親のことを気がねというかして、なかなか動かない。で、「結局どうなったの?」って大野さんに聞いたら、一つはそういう、主にそのときは関東のCILからの強力な日々の支援、プラス弁護士さんですね。弁護士ネット〔介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット〕◇っていう介護保障にかかわるネットワークあるのご存知のかたもいると思いますけれども、それが直(ちょく)に病院と交渉するというか、「出させないなんてことはできないはずだ」って、できないにきまってるわけですよ。そりゃ弁護士が言わなきゃわかんないことではないんだけれども、しかし具体的に動いたのはその弁護士が入ってからだそうです。そういうことがあって、親との関係が何とかなり、そして人とお金を使った。「そりゃすごい大変だったでしょ」って大野さんに言ったんですけど、全国からカンパを集めたそうです。弁護士の方は、ほぼ手弁当でやってくれた部分もあるって言ってましたけれども、宮本さんっていう金沢のほうの弁護士さんプラス数人、ほかに全国にある人たちの何人かが、一つの弁護士チームだって言ってましたけど関わって、法律家の方から突破し、そして毎月のように訪問して。「それって大変だったでしょう」って言いましたけど、「そりゃ大変だった」と。
 それで、推進協会で担当した自立生活プログラムや介助支援は、東京から金沢、今新幹線通ってますけれども、やはり往復して、何百万円というお金がかかったって言ってましたね。そんなことがあって、話が始まってからで言えば、2014、15、16年、僕も1回だけ、地域移行のための会議みたいなので16年の秋に医王病院に行ったことがあるんですけどね。そのときは古込さん、6人部屋だったかな、病室狭いので、そこに何人も人が入れないという。そりゃまあわかるんだけれども、古込さんをベッドから移乗させる手間っていうか人手がいないっていうのが理屈だったかな。それで、彼はその病室にいるまま、僕らだけ会議室、両方をスカイプで繋ぐみたいな、そんな会議やって、「えー」って思ったの覚えてます★。
古込 和宏 他 2016/10/20 「地域で暮らすためにみんなで考える会」第1回会合 於:金沢市医王病院 ※録音記録有
 そんなんで16年秋ぐらいからとか、ようやくいろんなことが具体的になっていき、そして17年の秋に退院ってことになるっていう。まあ長かったですけど、長くすりゃいくらでも長くなるような、そういうことが起こって。そして古込さん病院出て1年半、2019年の3月にお亡くなりになるんです。だけれども、彼がその間(かん)いろんな人を巻き込んでやってきたこと、それから彼は文章が書ける人で、書けるというか上手い人でした。けっこう沢山の文章を書かれていた。最初僕は、16年ぐらいだったかな、まだ病院にいて、病院に気がねするというかそういう頃でしたので、匿名で彼の文章をホームページに掲載させていただいて。退院なさったあとは「もういい」ということで、記名の文章に変えて掲載して、今でも全部掲載してありますけど、そういうことがありました。で、出て1年半ですね、19年の3月に亡くなるんですけれども、でもそれがきっかけになっていろんなことが起こってきたなということを思います。
 実はそのへんの経緯っていうのが僕もわかってなかったんですけれども、どうやら聞くと、斉藤実さん◇という筋ジスのかたが同室にいて、自立生活プログラムを古込さんのやってるのを見ていたと。で、「自分も出たいから」みたいなことを思ったらしいんですね。そんなことがあって、つくばの「ほにゃら」〔つくば自立生活センターほにゃら〕っていうCILがありますけどそこの斉藤〔新吾〕さん☆がやって来たときにそういう話になり、それで斉藤〔実〕さんに聞いたら斉藤さんは福井の人であるということがわかり、「じゃあ」というので、ちょうど行っていた福井の「コムサポ」というところに話を繋いだと。ただ、コムサポはそんなに大きな活動が、人手とかそういうのでできるってわけでもない。ということで単独で支援は難しいっていうような中で関西、メインストリーム協会、それから日本自立生活センター、京都ですけども、そこに話を繋げて、3つの、福井、京都、西宮が共同して斉藤さんのほうの支援にあたるというかたちで、金沢のほうの動きが続いてきて今に至るということらしいんです。
 この間(かん)、あらためてここ1週間ぐらいのあいだに記録を出してもらって、実はさっき言った、「画面共有はしないけどできれば見てほしい」と言った、今日のシンポジウムのためのページのところに「歴史」っていうところがあるんです。で、最初はありのまま舎とかそっちの話が多いんですけど、2018年ぐらいになってくると、その斉藤さんを訪問するっていうことの経緯が出ていて、これをあらためて並べてみて、「すごいな」と私は思いました。毎月3回とかそんな感じでずっと行き来しているということがあって、まあ大変だったのでもあろうし、根性あるなとも思いました。それにJCIL、日本自立生活センターのほうで主要に関わったのは、去年の障害学会のシンポジウムにも出てくださった小泉浩子さんがその一人なんですが、小泉さん、一昨日、「斉藤さんの話をすると泣いちゃうから、しゃべれない」って言ってました。なので誰に話を聞いたらいいんだかわかんないんですけど。でも誰か、あのときの金沢での活動に関わったって人、ひと言ふた言でもいいですから。小泉さん、「だめだ」って断られてるんですけども、そのうえでですが、何かないですか?

小泉:このお話をいただいたのは、メインの井上さんからだったんです、私は。だからあの、私が福井県出身やったっていうのもあって、そんなこんなで井上さんから「会わせたいんやけど」って言うて、なんやあの、わからんまま会いに行ったんやけど、それが始まりで。うーん、まあ、とにかくなんとか出てほしいと思って、みんなでがんばってきたんやけども、最後の最後で亡くなるっていうかたちになったので、やっぱりつらい、つらいです。井上さん、なんか言うてえな。井上さん、

井上:はいはい。僕、いちいち遡る必要もないんですけども、JCILとか小泉さんとの繋がりは、「かりん燈」っていう渡邉琢ちゃん◇とかJCILの人がやってた活動に誘われて、2008年、9年かな、その頃からの繋がりで、ちょこちょこシンポジウムにおじゃましたりしたときに一緒にごはん食べたりみたいなことをしてて。その中で小泉さんが福井出身っていうのはインプットされてて。で、「福井に帰る」っていうのは、なんかね、キーワードみたいになってたんですよ、斉藤さんの中で、「福井に帰る」っていうのが。「金沢にいるけども、地元の福井に帰る」っていうのが、なんとなく、コムサポも通じて言われてることで。「じゃあ、じゃあ、ちょっと小泉さん誘おうや」って言って連れてったのが〔2018年〕1月31日、立岩さんと会ったときですかね。おそらく。

立岩:一緒に行きましたね★。
★その時(滞在は2018/01/30〜02/01)のインタビューが以下。
古込 和宏 i2018 インタビュー 2018/01/30 聞き手:立岩真也,於:石川県金沢市

古込和宏20180131-3  古込和宏20180131-4  古込和宏20180131-5
20180131 井上・段原・小泉・古込 於:古込宅

井上:あの時だったと思います。まあまあそういういきさつなんですけども、ちょっと付け加えておきたいのは、これ斉藤さんやから今までこれみんなで続けてると僕は思ってて。というのは、ちょこちょこ言うんですけども、優れた人は出れるんですよ、古込さんみたいに文才があるとか、こう魅力的な人っていうのは。斉藤さんに魅力がないとは言わへんけども、少なくとも文才…、文才がないとも言わへんけども、でも社会、世間にアピールしてみんながガッと支援するようなタイプの人ではなかった。でも僕らは出会ってしまって、そのままほっとくわけにはいかなかった。これ、なんかその斉藤さんみたいな、ほっとっても出れるとは言わへんけれども、多くのそういう優れた人が出てきてるのは僕らは見てきてるわけで、これまで。でもほんとにやらないといけないのは、斉藤さんみたいな人がちゃんと出れるようにしないといけないと思った思いをみんなに広げてるっていうのがこの活動だと思ってます。

立岩:ありがとうございました。オフラインとかでしゃべったりすると無意味なあいづちをもっとたくさん打つんですけど、するとなんとなくやり取りしてる感じするんですけど。たぶんZoomであんまりそれやると、音がぶちぶちになっちゃうんで、しないほうがいいんだと思って黙って聞いてました。
 そうですね。古込さんはけっこう「病院っていうのがこんな感じで」っていうの、けっこうきつくっていうかリアルに書いた人ですけど、斉藤さんは、「街に出たら回転ずし行きたい」とか「何を食べたい」とかそういうのりの人で。そこが慕われたというか、みんな「じゃあ彼のために」っていう気持ちにもなったんだろうと思います。ちょうどそうやって、その金沢における個別の支援が進行していくのと並行してっていうか、やっぱりそれはそこの病院の一人二人の話ではなくてっていう認識っていうのは広がっていったんだろうと思うんですね。

■京都〜全国展開

 実はその2人は同じ月、2019年の4月の9日に斉藤さんが亡くなられて、同じ月の23日に古込さん亡くなるっていう、そういうことになったんですが。その前年ぐらいから、とにかくこの動きをもうちょっと広げて繋げてっていうことに、だんだんなっていったわけです。一つは2018年の12月です。クリスマスイブですから、12月24日ですけれども、京都JCIL、それからメインストリームも共催するかたちでクリスマスシンポジウムというのをやった★。それはあとで関係者に伺いますけれども、宇多野病院っていう国立療養所の院長さんなんかにも来てもらったり、あと新潟病院の中島〔孝〕さん◇にも来てもらったのかな。それもまあ一つの作戦って言えば作戦なんですけれども、そういうかたに話をしてもらったり。それからあのときはたしか斉藤さんはJCILの段原さんが介助者で医王まで行って、それで実況中継みたいな感じで話をしていただいたり。それから古込さんは文章を寄せてくださったんでしたっけ。そんな感じで2018年の年末はそういう金沢での動きと繋がりつつ、「じゃあ京都なりでどういうふうに」っていう「これから」っていうことが、もうすでに始まっていて、その一つの作戦というかステップとして集会をやろうというのが18年の12月だったようです。
★2018/12/24 第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ
 で、19年の4月に2人は亡くなってしまうんですけれども、どうやら年表的には古込さんが亡くなられたのと同じ日に、今の「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」の発足というか、最初の全体会議っていうのがあって、主にメールですけれども、やり取りを始めたということになり★。で、2人の死を挟んでというか、今度は西宮で6月にメインストリーム協会の主催で集会があって、それでそのときは夜バナの渡辺さんと私と2人話させてもらったりっていうことがありました★。それから同じ年に、あとは年表に書いてあるので見てほしいんですけれども、6月のJIL◇の全国の集会で話したり★、それから11月はDPI〔日本会議〕◇の政策討論集会でこのテーマを取り上げてもらったり★、12月はもう1回JILでやったり★、というようなかたちで全国的な流れができていきます。
★2019/04/23 古込和宏死去
 2019/04/23 筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト(仮称)・全体会議@JCIL+skype
 2019/04/00 「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」発足
★2019/06/01 筋ジスの自立生活とは?――筋ジス病棟から自立生活へ,於:西宮市
★2019/06/24 「筋ジス病院の地域移行」,第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー,仙台市中小企業活性化センター(5F) 15:00-17:00
・岡山 祐美 2019/06/24 「京都の筋ジス病棟からの地域移行――支援と運動」,第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー
・立岩 真也 2019/06/24 「動かなかったものを動かす」,第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー
★2019/12/17 2019年度JILセミナー@福岡「筋ジス病棟から始める「脱施設」」
 全記録:https://www.youtube.com/watch?v=IFdWk821Dow&feature=youtu.be
 で、どっちが先でもいいんですけれども、そうだな、まず京都、18年12月のシンポジウムの前後というか、京都で特に宇多野病院っていう病院との関わりも含めて、どういうかたちで動いてきたのか。そして実際に動いてきて、その12月の集会のときにも話していただいたかたが、そのあと京都市内で暮らし始めるってなことも起こっているわけです。それに関わってきた大藪〔光俊〕さん◇と、それからそういう活動に関わりのあるというか、今京都、鞍馬口という、私の自宅から実は意外と近いんですけど、にお住いの野瀬〔時貞〕さん◇と、2人にこれまでの、この間(かん)の京都の話をしていただこうと思うんですが。大藪さんよろしいでしょうか? お願いいたします。

大藪:京都の日本自立生活センターというところで、今スタッフとして活動しております、大藪といいます。あと、今カメラに映ってるんですが、もう一人野瀬時貞くんといって僕の古くからの友人であるんですけれども、自己紹介簡単にお願いできますか?

野瀬:はい。同じくJCILの野瀬です。よろしくお願いします。

大藪:先ほど立岩先生のほうから流れを説明してもらったんですけれども。そうですね、振り返ると2017年の12月19日までちょっと日は遡るんですが、そのときに私たちJCILのほうから宇多野病院の地域移行支援を始めるということで、初めて宇多野病院に訪問しました。それが、今日同じく参加されてるんですけども、岡山さん★といってJCILの女性の当事者スタッフのかたなんですけども、あともう一人、さっきも名前挙げました段原さん☆という介助者のかたと、あとさっきもしゃべられた小泉さんで宇多野のほうに行きました。ここに行くようになった背景、ちょっとだけ説明するとですね、僕がその前の月の11月に初めてJCILを訪れまして、そこでいろいろ話をする中で、自分自身も当事者スタッフとして活動することになったんですけども。そのときに野瀬時貞くん、僕の友人が宇多野病院でずっと暮らしていて、で、彼が一人暮らし、自立したいっていう思いを抱いているんだけど、自分も友だちとしてでもあるし、またこのJCILとして何か支援することができないだろうかということを相談したのが、最初のきっかけでした。
 それから岡山さんとか段原さんとか小泉さん、また高橋〔慎一〕さん◇というかたがたで宇多野病院を毎月毎月訪問するようになりまして。で、そこで野瀬時貞くんだけでなくて、植田健夫さん◇というかた、藤田〔紘康〕さん◇というかた、あと今は田中さん☆というかたもおられるんですけども、累計4人ぐらいのかたの支援を現在も引き続きやっているというような状況です。
 で、野瀬くんの話をさせてもらったらよろしいですかね?

立岩:はい、お願いします。

大藪:初めて野瀬くんのところを訪問したのが2017年の12月。で、それからずっと毎月毎月訪問して、野瀬くんが地域で自立した生活ができるようにと思って支援をしてきました。で、その中でやっぱりなかなか上手くいかないことっていうのがたくさんあったんですね。病院の中から出るということだけでもやっぱ難しいということがあって、野瀬くんの場合は、主治医の先生からドクターストップというものがかかってた。車いすに移乗したりすることもだめ、病院の外へ外出することもだめ、途中から食事を摂ることもだめというようなかたちで、たくさんの制限がかかっていた状況でしたね。で、その中で、でもなんとか退院したいという思いを、われわれもそれを実現したいと思って、野瀬くんと相談しながら一緒に話を進めてきたんですけれども。
 その大きな転機になったというのがさっきも話されたクリスマスシンポジウムというところもあったんですね。シンポジウムのときには野瀬時貞くんもスカイプを通して登壇してくださって、そこで自分の思いなんかを話してくれました。で、そこから、それまであまり平行線で、主治医の先生とかと退院に向けた調整がつかなかったんですけども、シンポジウムを機に主治医の先生のほうから「退院することは止めない」と、「責任は取れないけれども止めはしない」というようなことを言われて。そこから具体的な動きに入っていって、で、2019年の7月1日に退院をしたというような流れになっております。なんか野瀬くんのほうから

立岩:野瀬さんにお話を伺いしたいと思うんですけど、その前にちょっと確認ですけど、大藪さんは暮らしそのものは在宅というか、病院に入院してたっていうタイプの人じゃないわけじゃないですか。僕のにわかづくりの年表だと「2017年の11月にJCILを初訪問」って出てるんですけど、大藪さんはどういうふうにしてJCILに関わりを持とうと思ったっていうか、そういうあたりはどうだったんですか?

大藪:そうですね。僕自身はもともとずっと在宅で暮らしていまして。で、宇多野病院の隣に併設されていた鳴滝総合支援学校という学校に小・中・と自宅から通っていたというかたちでした。まあ野瀬くんとはその頃からの友だちで。でもそのあと大学に進学したあとにですね、アメリカのほうに、ダスキン愛の輪基金◇の研修生として自立生活運動を学びに留学を4か月ほどしたんですね。そこで運動というものに触発されて、日本に帰ってきたあとに、京都でも、京都にJCILというところがあるということを教えてもらって、それまで全然知らなかったんですけども。そこから、じゃあ1回訪問してみようかなということで、JCILを初めて訪問した。というところが僕の最初のJCILと繋がったきっかけにはなりますね。

立岩:そういうことだったんですか。わかりました。またそういう話も聞きたいですけど。
 その11月が、大藪さんが、ダスキンに行って、JCILのこと聞いて、JCILを訪ねたっていう月なんですね。で、古込さん、さっき名前が出た人は、その前の月、10月の11日に医王病院を退院してるっていう。まあその2つに何か必然的なっていうか因果的な関係があるかっていうとそれはないんでしょうけど、そういうことがその頃起こった。で、今の大藪さんの話で言えば、そうやって病院とやり取りするんだけど、なかなからちがあかないっていう中で「どうしようか?」っていう話にもなり、「だったら」、ちょうどその頃宇多野病院の院長が交代したっていうような出来事もあったりして、詳細は省いたほうがいいかなと思いますけれどもそういう流れの中で、じゃあ院長さんにしゃべってもらって、したらなんかいいことが、みたいな思惑もあって、2018年の12月、大藪さんが関わりだしてから1年後に、ということだったんだろうと思います。
 補足説明はそんなとこなんですが、意外と僕が思ってたよりはするする時が過ぎ、ですね。まだ1時間しか経ってないので、けっこうまあまあゆっくりちゃんと話聞けるかなという気にだんだんなってきましたので。野瀬さん、今マイクを差し出してるのがさっき名前出た高橋慎一さんですけれども、今京都で暮らされていて。そうですね、病院にいた頃から、それから今に至るってあたりをお話しいただければと思います。

野瀬:はい。僕は小学校1年の頃にもともと通学目的で宇多野病院のほうに入院して、もともと高校卒業したら退院する予定には当初してたんですけど。いろいろ肺炎やらなんやらがあって、なかなか病院から出ることが難しくなって。そのときに、僕と大藪くんの知り合いの家に何人かで遊びに行ったときに、「やっぱり一人暮らしっていいな」と思って、そっから自立生活をしたいと思うようになりました。で、そっから医師とも何回か掛け合ったんですけど、お尻のほうに褥瘡ができたりしてて、「外に出るのは危険だ」みたいな話になったり。あと退院直前の過去1年に肺炎になったりして、「こんな状態で食事は危ない」とか言われて、普通食から急にジェルになったりして。まあそこでちょうど大藪くんがJCに入ってくれて、かつクリスマスシンポがあったおかげで話が大きく進んで、去年の7月に退院することができました。以上です。

立岩:ありがとうございます。今、野瀬さんはどんな感じで暮らしてらっしゃるか、っていうのはどんな感じです?

野瀬:そうですね。今、先ほどおっしゃったように鞍馬口のほうで一人暮らしをしてて、週1回JCILのほうに通って、自立生活の支援であったりをさせていただいてます。

立岩:野瀬さんは脳性麻痺でいいんでしたっけ?

野瀬:そうですね。脳性麻痺と脊髄損傷です。

立岩:あ、両方なん…、両方っていうか、そうなんですね。

野瀬:はい。

立岩:宇多野にはどれだけいたことになるんでしたっけ?

野瀬:宇多野には17年ちょっとですね。

立岩:最初はそんなに長くなるとは思ってなかった?

野瀬:そうですね。

立岩:でも17年っていう時間が経ってっていうことですか。

野瀬:はい。

立岩:「出たい」って言ったときに、これこれしかじかでっていう話はさっき少しお伺いしましたけれども、病院に17年いたあいだの生活っていうことについて、なんか覚えてるっていうことっていうか、言いたいことっていうか、そういうのあったらいかがでしょう?

野瀬:そうですね。この17年間、別に僕も悪いとは思ってはいないんですけど、最後のほう、なんか病院の縛りが強くなったというか、食事がだめとか、外出がだめとか。で、シンポジウムで大藪くんが院長に発言をしてくれたんですけど、ただそこでも、シンポジウムで言ってることと病院で言ってることが違ったりして、「やっぱりこれは出るしかない」と思って、大藪くんに協力してもらいながら退院しました。

立岩:はい。ありがとうございます。施設と入所者のあいだの関係はどこでも厄介ですけど、病院だと、なんかもう1枚難しいところが加わるというか。さっきの古込さんのときも話しましたけど、何かしら、僕は間違ってると思いますけど、病院の側は「物事を決める権限を持ってる」って思っているとこがあって、そこをどうやって、たんに反論したりしてもだめなときが実際にはあって、そこのところをどういうふうにやり取りしながら、なだめたりすかしたりも含めてですけれども、やっていくかっていうのがけっこう悩ましいところなんだけれども。
 そういうかたちで、野瀬さんの場合は今暮らされてるっていうことですが、大藪さんでも、それからJCILの他のスタッフのかたでもですね、野瀬さんを含めたこの間(かん)の京都界隈での、別に筋ジスに限んなくてもいいんですけど、特に病院を出すっていうか、出ることの支援ってあたりの出来事というか、について、少し足していただけるとありがたいんですが。いかがでしょうか?

大藪:先ほど僕、初めて2017年の12月に宇多野病院を訪問したと言ったんですけど、そのときに野瀬くんともう一人お会いしにいったかたがおられて、そのかたが藤田さんっていうかたでした。今も退院支援をしているんですけども。ちょっと今、岡山〔祐美〕さん◇にここはお話をしていただけたらいいかなと思いますが、いかがでしょうか?

立岩:はい。岡山さん、いかがでしょう? ありがとうございます。

岡山:はい。JCILの岡山といいます。よろしくお願いします。今大藪さん言われたもう一人というのは藤田〔紘康〕さん◇というかたなんですけど、藤田さんも筋ジスで長年、もう今で13年間入院されてるかたです。で、このかたは、JCILが昔から、2017年よりもっと前からアテンダントといってJCILの有料介助者を利用されてたかたで、細々と繋がりはあったかたです。で、そのかたが「最近外出を禁止されて、まったく外出できてない」っていうことを言われていて、そのことがあったので、2017年の12月に大藪さんが「野瀬さんに会いに行きたい」っていうことになったときに、「じゃあ藤田さんも訪問しよう」ということになって、そこから定期的に藤田さんと野瀬さん、まず定期的に訪問することになって、たぶん月1回以上は宇多野に行くということになりました。
 で、藤田さんに関しては、はじめは「外出をとりあえずできるようになったらいい」っていう感じだったんですけど、でも前からやっぱりお一人暮らしっていうか、退院したいっていう思いもどこかに持っておられて。で、外出もしながら、でも地域移行もちょっと考えていきたいという感じで、一緒にじゃあ動いていきましょう、という感じで。2018年は、だから、がんばって外出を叶えようとして支援していた感じなんですけど、主治医がかなり慎重なかたで、なんとか車いす移乗とかは2018年ちょっとずつできるように、許してもらえるようになったんですけど、外出は2018年叶いませんでした、結局のところ。で2018年の12月にクリスマスシンポがあって、そのときにも藤田さんも出演をしてもらって、一人暮らし、地域移行への思いとかお話をしていただきました。でまたそこで一層、やっぱりがんばっていきたい、という思いも強められて。でまた2019年も主治医に、外出と一人暮らし、地域移行へ向けて動いていきたいということを手紙を書いたりとか、かなりいろんな方法で何度も伝えられました。で、主治医は同意、「わかりました」って言われるんですけど、なかなかこれもそう簡単には動かず、外出、結局2019年も叶いませんでした。
 なんですけど、地域移行を進めるために3号研修とかも2019年はできるようにっていうことを、がんばってみんなで動いていこうということで、3号研修も病院の中でできるっていうことがわかったんですね。これ、もっと前から全然できることだったんですけど、なんか「できない」っていう説が流れていて。宇多野病院とかも「病院の中で3号研修はできません」って言われてたんですけど、いろんなかたから「できる」って教えてもらって。で、厚労省とかにも確認したり、京都府ともいろいろ交渉して、「できる」っていうことを宇多野病院にも伝えて、としていたんですが、「今すぐは体制整わないのでできません」と言われ。で、そういう地域移行に向けて、介助者が病院内で3号研修をできるようにっていうのも、結局2019年叶わなかったです。
 で、2020年になって、もうそれでも地域移行をなんとか進めていこうっていうことで、外出もできればって言ってるうちにコロナが来てしまったんですね。で、コロナが来てしまって、いったんこう、もう4月とかには、3月からもうちょっと入りにくくなってて、支援者は。もう4月から完全に面会停止になって、宇多野病院は今に至るという感じで、今家族も入れてないと思います。で、そうなると、もう病院の中で3号研修とかいう話ではなくなってしまって、もうベッド・トゥ・ベッドというか、「病院からもういきなり地域移行してしまうしかない」ということで。
 で、もう来月10月末、一応藤田さん退院ということでもうだいぶ動いているんですけど、介助者の研修とかは他の野瀬さんとか、あと植田さんとか、先に出た呼吸器使ってる人のところで研修をさせてもらって、で、「もうそれで出てしまおう」という感じになりました。で、結局だから外出も一度もできず、あ、藤田さんはだから2016年の後半ぐらいから全然一度も外出を、病院の外に行かれてないんですけど、まったくせずにそのまま来月末退院されるという感じになると思います。で、コロナの中でも一応退院の目途は立ったんですが、いろいろと結局、交渉しながらなかなかうまくいかないこと、でも、すごいいろいろみんなでがんばって交渉して、いろんなとこ掛け合ったりして、それで少しずつ通ったこともあるんですが、ほんとになかなか難しかったなと思います。
 やっぱりなんか病院…、なんで外出がだめだって言われてるかというと、気切していて、気切のカニューレが入ってる穴の部分がちょっと大きくてカニューレ外れやすいからって藤田さんは言われてたんですけど、結局なんか、まあそれもでも一応合うカニューレをちゃんとつけられて、とかできたんですけど、それでもやっぱり医師のほうがすごい慎重で、なかなか許してもらえなかったっていう。病院は「外出を本人がしてる間も全部病院の責任です」って言われるんですね。藤田さんがたとえ一筆書いて「病院の責任じゃない」っていうことに、「ちゃんと書くので」って言っても、やっぱりそれでも「病院の責任です」って言われるので、そういうこともあって、ほんとに安全管理の強化ということで通らないっていうことがほんとに大きかったなと思います。だから責任の所在というか責任のバランスがすごく悪いというか、そこを今後たぶん、でもこれは筋ジス病棟だけの話ではなく、医療と患者、けっこういろんなところで言える話だと思うんですけど、これからもっとみんな考えていかないといけないことじゃないかなと思っています。

■調査

立岩:ありがとうございました。岡山さんは舞鶴の人で京都市に来られて、とかいう話も実は聞きたいんですけど、それはちょっとあとにして。
 そうなんですよね。病院によっても違うし、それから医師によっても違うとか、そういうある意味不思議なことが実際には起こっていて、そこをどう扱うかっていうのはみんな悩んでるところです。古込さんのときは、特に家族との関係の調整っていうか、まあ打破っていうことですけど、法律家が入ったりとか、そういう手段も使えるときもあるけど、そうじゃないときもあるとか、そういうところをどうしていくかっていう実践的な課題もあり。その手前で、同じ法律で同じ制度のもとで、ざっくり言えば同じお金がかけられている病院、施設で、けっこうはなはだしい差があるっていうようなことを「どうなってんだ」と。それからそこのところをどういうふうに変えていくのかっていう下準備というかそういうことも含めて、実はこの企画、プロジェクトの中にいくつか今、枝というかプロジェクトがあって。女性のプロジェクトもあって、それはまた岡山さん再登場してもらって、あとでお話を伺いたいと思うんですけれども。
 そういう、病院を相手にどうしていくか、のためも含めて、今全国どうなってるのかっていう調査をやろうっていう話になってきていて、それがいろいろ難しいところを抱えながら進んでいるっていうところがあって。今、これ障害学会の大会ってところですから、研究者っていうのがいるはずで、研究の対象というか主題でもあるはずでもあるんですけど。そこのところの現状報告と、それからこれからっていうところは、学界的にもっていうか学問的にもっていうか、大切だと思います。実際さっき名前を出しましたけど、メインストリームで昔バイトやってた前田拓也さん、それから今学会のほうの事務局長やってくださってますけれども、深田〔耕一郎〕さん◇、それから石島健太郎☆さん、社会学者たちですね、それから、そういう人たちも今関わってくださっていて、ぼつぼつと進んではいるんですね。それから今回学会の報告のほうもしていただきましたけど、京大の学生さんやってる油田〔優衣〕さん◇も入ってもらったり、まあぽつりぽつりと研究者も入っているんですが。そういった調査っていうのがどういうふうに始まって、今どこまでどうなってんのかっていう。で、僕はそっちにはまったく関われてなくてよく知らないんですけれども、で、ごめんなさいなんですが、調査のほうのいきさつ、進行具合、そうしたあたりを紹介していただきたいのですが。それも結局大藪さんからになるのかな? 大藪さん、誰か他の人に回していいから、ちょっと藤原さん、まあなんでもいいや、お任せします。

大藪:わかりました。大藪です。そうですね、今ここに、油田優衣さんとかはかなりこの調査のことをかなり中心にやってくださってたんですけども、簡単に僕のほうから説明させていただきます。
 先ほどの話から繋がるのは繋がるんですけども、2018年の12月に京都でシンポジウムをやりました。で、そのときに京都はJCILと、あとは西宮のメインストリーム協会が共催でそのシンポジウムをやって、筋ジス病棟をめぐる問題について考えるようなことをしたんですけども、そのあと、まあそのシンポジウムは無事に成功で終わって「よかったね」という感じだったんですが、先ほど立岩先生おっしゃったように、これは京都とか西宮とかだけの問題ではなくて、やっぱり全国的に筋ジス病棟っていうものが存在していて、それぞれの病棟ではどんなふうな状況になってるのかっていうのがまったく見えない状況だったんですね。それをシンポジウムが終わった翌年、2019年の2月3日に京都のJCILの事務所で、メインストリーム協会のかたとか、あとさくら会の川口さんとか、推進協の大野さんとか、立命館大学の関係のかたも来てくださったと思うんですけども、みんなで話し合いをしまして。そして「ここだけの問題で終わらせてはいけない」ということで、全国的なネットワークをつくって全国規模で筋ジス病棟からの地域移行という問題を考えていこう、という動きになりました。
 そこで最初に出たのが、「まずは実態を調査しなきゃいけないね」ということで、アンケートみたいなものを、入所者、入院者のかたに直接答えていただくアンケートをつくるということになったんですね。そこでアンケートの内容としては、病棟の中でどんなふうな待遇を受けているかというところをメインに聞いてまして。たとえば「ナースコールを押したら何分ぐらい待ちますか?」とか、「お風呂は週何回ぐらい入ってますか?」とか、おトイレとかもどれぐらい待つことがあるかとかですね、そういったことを聞くようなものをつくってて。特に重点を置いたところは、地域移行をしたいかどうかというところの聞き取りと、あとは重度訪問介護といって、地域で暮らす障害のある人たちが24時間介助を受けれる制度があるんですけども、それを病棟の中でも、入院していても使えるというふうなことがですね、まあ実際は使えるんですけども、そういったことを知ってますか? とか、そんなものを調査として聞き取りを行いました。で、実際に病院に行って、対面で入所者のかたから聞き取りを行うという調査の方法と、もう一つはインターネットとかを使ってパソコンやスマホで入所者のかたが自分で回答できるようなフォームと、二つ作って集めたところ、トータルで今のところ58件ぐらいですね回答は、全国から寄せられているような状況です。コロナのこともあって途中から調査がうまくいかなくなってしまったりということもあったんですが、現段階において何か確実なことが言えるかというと、ちょっとまだちゃんとした集計ができてない状況にはなってまして、これはおいおいですね、今年の年内ぐらいを目途にまとめたいなというふうに思ってはいるところです。簡単にアンケートの概略、調査の概略はこんな感じなんですけれども。

立岩:ありがとうございます。どうも、大変は大変そうですね、いろいろあって。コロナもあるでしょうけど、その前から。僕はさっきも言いましたけど、ほぼっていうか全然関わってないのですが、調査に関わってられるかたで補足というか、まだ集計っていうかまとめてはいないけれども、このへんは見えてるよとか、そういうことも含めてですけど、何か補足があればお伺いしますが、いかがですか?
 はい。どうせまた出てくるかなということで。僕はそういうアンケートとか全然やってなくて、なんですけど、この間(かん)、全国、JILとかDPIとかも含めてですけど、集会あったりするときに、ついでにって言うとなんですが、来た人に聞いて回るっていうことはやっていて。こないだ、それはJILですね、全国自立生活センター協議会の全国…、なんだろ、総会? そういうものに行ったときは、沖縄、鹿児島、岡山、秋田、北海道、5か所ぐらいの人にお話を聞けました★。するとやっぱりすごく違う。外出したり面会したりすることに関する制限っていうのが非常にきついところと、そうでないところとあるっていうぐらいのことは見えてくるんですよね。
★金城 太亮 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台
川崎 良太 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台
小林 勝 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台
岡本 直樹 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台
佐藤 祐・菅野 亜紀子 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台
 さっきも言いましたけど、不思議っちゃ不思議な出来事なんですけど。ただ、ただというか、でも現実にそういうはなはだしい差異はあって、不利益ももたらしている。そうすると、調査っていうものの一つの効果というか、としては、同じ制度で同じお金で、ここはここまでできているのに、ここはできていないっていうのは変だろうっていうのは理屈としては成り立つわけですよね。で、それは相対的にうまくやれてるところをほめたたえながら、そうでないところに、横並びっていうのに官僚だけでなく人間弱いというか、あると思いますが、けれど横並びでよいところを真似することは僕はいいことだと思います。そういう意味で「ここはここまでやれてるよ」ということを共有したり伝えたりするっていう、そういう素朴な調査っていうものの意義はあると思っていて。その中でも出せるところと出せないところといろいろあるんですけれども、そうしたところで調査であったり研究であったりってものの単純な意義というか、そういうものがあったりするんだろうっていうふうにも思います。引き続きこのなかなかに困難な調査は続くでしょうから、またいろんな媒体で中間報告であったり、まとめであったり、そうしたものはいただけるだろうと思います。
 それでですね、さて話が…、とかなんとか言って半分ぐらいか。はい。半分ぐらい来ました。ちょっとずつほぐれてきたかな? 私がですけど。

■九州・…
 全国、最初、話の取っかかりとしてね、ここ数年なんやかんやで動いてきたのが、京都、兵庫であってきたので、そういうところをめぐる話をいろいろ伺ってきたんですが。先ほども出ましたように、地域によっていろいろだっていう中で、この取り組みは全国に広がっているんです。それはたとえばJILであるとかDPIであるとかっていうのが、これは全国的な課題であるっていう認識を、もちろんたとえばDPIには、DPIに藤原さんでいいのかな? 役員として入っておられますし、そんな経路も使いつつ。それからさっきから何度か名前が出ている大野直之さんが、広域協会って略称している組織の研修みたいなところで「全国、これやります」みたいなかたちで流してくれたら、わりとさっさと話が、少なくともまずは伝わったっていう経緯があるっていう話をさっき聞きましたけど、そんな中で全国にいろんな動きが出ています。で、学会の大会のシンポジウムだから言うけど、そうやって全国をいろいろ比べて回るっていう仕事があって、それとともに一つ一つの地域で今何が起こっていてっていうのを記録するっていう仕事もあって、両方必要だと思うんですよ。そういうことがどんどんなされていけばいいのになって思っているんですが。
 今日はですね、今日参加していただいてる方々から、これはオンラインだからやりやすいってところがあるんですが、いくつかの地域の様子というか、お話しいただければと思います。で、九州いきます。大分から、押切〔真人〕さん◇が参加してくださってます。九州、大分の様子について、押切さんお願いできますか?

押切:みなさん、改めましてこんにちは。大分県の別府市にあります「自立生活センターおおいた」の押切と申します。自分のほうから九州というか、大分の取り組みの内容をお話しさせていただければなと思います。大分として、今年の4月ですね、コロナが九州のほうにも来て広まりを見せて、病院内でも面会とかそういったものが規制されだした頃の話なんですけど、そんな中、大分県別府市にある西別府病院っていう筋ジス病棟がありまして、そこに入院されている患者さんとお話をしている中で、人との、外部との連絡がまったくとれないという中で、オンラインを活用して、そういった情報共有の場をつくりたいという意見をいただいて。4月にその患者さん2名と僕、もう一人障害当事者のかたの合計4人で最初はFacebookのMessenger(メッセンジャー)を使って情報共有を行いだしました。で、そこで交流していく中で、やっぱり僕ら4人だけじゃなくて、もっといろんな人の話とか情報を知りたいっていうのをその患者さんから言われまして。僕自身もそこまでネットワークが広い人間ではなかったんですけど、知っている人、全国で重度の障害はあっても自立しているかたたちにお声がけさせていただいて、一応Facebook内のグループを作りました。最初はやっぱり10人以下ぐらいやったんですけど、今はちょっとずつ増えてきて、だいたい60から70人のグループまで上り詰めたというか、大きくなっていきつつあります。
 で最初、情報共有だけやったんですけど、せっかくオンラインで繋がっているんで、講演会してみたいなっていうのがあったんですよね。たとえば病院からの地域移行とか、そういった自立生活、で、大変なことであったり、楽しいことっていうのを、実際に自立しているかたから、そういった自立を目指している人に伝えるという講演会をやろうということで、今年の5月から第1回を迎えて毎月開催して、来月が6回目です。でやっぱ、その講演会をやったことですごいよかったことが一つあって、本人の名前も今日は出していいと本人から言われているんで出させてもらうんですけど、このグループを一緒に作ってくれた、西別府病院の入院患者の芦刈〔昌信〕さん◇というかたがいらっしゃって、その人がやっぱり「実際に僕も自立してみたい」っていう意見をそこでいただいて、「じゃあ自立を達成するために一緒にがんばっていこうか」っていう話になったんですけど。自分自身の障害が筋ジスじゃなくて頸髄損傷で、同じ障害でもやっぱり筋ジスのかたの気持ちであったり状態だとかってのがあまり、ちょっと僕自身知識もなくて、で、「一人で支援していくのはやっぱり厳しいなあ」っていうのがありまして。全国の、実際に筋ジスであったり、そういった重度の障害のかたにちょっと声かけさせてもらって、今結局5人ぐらいでその芦刈くんをオンラインで自立生活プログラムを開催している状況です。
 で、本人も最初はいろいろ不安とかもあったみたいなんですけど、ILP、今月の1日から行わせてもらって、回数を重ねるごとにやっぱ少しずつ自信が出てきて、「やっていてすごい楽しい」っていうのが、連絡をいただくことが多くなってきて。で、「実際に自立するには何が必要か」とか、「お金がどれぐらい必要か」とかっていうのも積極的に、以前に比べて、連絡をくれるようになりました。
 いろいろ今、活動であったり出来事をお話しさせてもらったんですけど、やっぱり僕がこうやって芦刈くんを支援していけたのもまあ僕だけの力じゃなくて、やっぱりそうやって全国で活躍であったり生活をされているかたのおかげやなあというのはすごい強く思っていて、これからもそういったオンラインのグループとか講演会を通して、そういった自立を目指しているかたの支えであったり希望になれたらいいなと思っています。以上です。

立岩:はい、押切さんありがとうございます。今のお話の後半に出てきた、自立生活プログラムを全部オンラインでやるみたいな感じでやってるってことですか? 最近は。

押切:そうですね。もう完璧に今面会ができないんで、はい。すべてオンラインですね。

立岩:それはやってみてどう? まあまあ、実はできるもんだっていう感じですか?

押切:そうですね、やっぱり実際のヘルパーさん、介助者の体験とか外出であったり介助、身体介助とかそういったのはできないんですけど、関わる、介助者を利用して生活するための心構えとか、そういうのとかやっぱり一番たぶん本人が気にしてるのは親への交渉とか、金銭面であったり、実際に病院から地域に移行していく際の不安とかですね、そういったのがすごいあって。でもやっぱりそういったのを実際に体験したかたの話を、実際にオンラインでも顔を見て、Zoomを使ってできるんで、本人も本人でそれはそれですごい、いいなとは言われてたんですけど。

立岩:へえ。芦刈さんがプログラム受けるじゃないですか、そのときに講師っていうか、何人でやってるんですか? それ、回によって違うんだろうけど。

押切:自分を抜いて5名のかたにお願いして、担当を割り振らせてもらって。たとえばAさんは介助者との関係をお願いします、じゃあBさんは親との交渉、Cさんは実際に病院からの地域移行の際の不安とか困ったこととか、そういったふうに担当を分けさせてもらっているのと、芦刈さん本人が一対一とかじゃなくて、プログラムに関わっている講師、誰でも自由に見学とかしていいって本人が言われて、なので一対一じゃなくて、最近はもう芦刈さん入れて3、4人とかでグループでやってる感じですね。

立岩:そっか。時と場合によったら一対一とかよりも、多対一っていうかそういうほうがいいってあるのかもしれませんね。

押切:ですね。うん、やっぱオンラインだからそれができることであって、実際に対面になったら本人のとこに行かなくちゃいけないんで、県外から講師を呼んでとかっていったら旅費交通費とかいろいろ介助者不足とかの問題もありますんで、オンラインはオンラインで、すごいいいところもあるなっていうのはあるんですけど。

立岩:オンラインでプログラムやるっていうか、やり取りするときに病院側は大丈夫ですか?

押切:やってる最中にちょっと看護師が画面に出てきたりとかはするんですけど、そこらへんはもう。たとえば本人も、何て言ったらいいんですかね、自分で看護師の動きとかっていうのも把握してて、たとえばこの時間帯は病室に看護師が来ない時間帯とか、この時間帯は看護師が多く出入りするとかっていうのを本人がやっぱ知っているんで、なるべく看護師が来ない時間帯に合わせて自分たちが行っている感じですね。

立岩:だめだとは言われない?

押切:病院側としてですか?

立岩:うんうん。

押切:あ、それは、一応プログラムが始まってちょっと経ってからなんですけど、本人のほうから担当ドクターのほうに、「こういった感じで自立を目指してプログラムを受けている」っていうのも本人からドクターのほうに伝えて、一応ドクターのほうも協力はしてくれるっていう意見はいただいてます。

立岩:ああ、じゃあ一応、病院的にはオッケーっていう状態ではあるってことですね。

押切:そうですね。

立岩:よくわかりました。ちょっと僕のこと言うと、先々月だっけな、京都の某Uって病院に、コロナで、病院の見立てだと、とある人は「末期に近い状態だから」っていうんで面会断られて。「だったらオンラインだったら、スマートフォンとかそういうのでできるんじゃないですか?」って言ったんだよ、そしたら最初はね、「他の患者さんが映るからだめだ」って言われたのかな。だけどその人個室なのね、まずね。「個室、誰もいねえだろ」って思ったんだけど、そう言われて。とか、けっこう難癖っていうかそういうのも含めて、オンラインでもやり取りできないみたいな状況があるところもあって。ややこしいっていうか、そう思ったりしますけどね。
 その西別府で、ほか、そのかた以外にどうこう「ちょっと違う生活考えてんだ」みたいな、病棟の中でのこう、たとえば今日の話の始めで言えば、同じ病棟の中に古込さんがいて、古込さんがILPやってたら隣りで斉藤さんがちょっとうらやましくなってみたいな、そういうことが金沢ではあったんだけれども、西別府の全体的っていうか、筋ジス病棟なら筋ジス病棟的な感じって、なんか感じることはあります?

押切:そうですね、やっぱ、ほんとはそうやって、たとえば芦刈さんがオンラインでILPを受けて実際に自立したっていうのが、やっぱりそこまで、今まで西別府から地域移行っていう例があまりなかったんで、やっぱりそういったのは無理だって思ってる患者さんが多いんですよね、西別府でも。なので芦刈さんをすごい、いいロールモデルというかですね、芦刈さんが実際にオンラインILPを受けて実際に自立したっていうのを、自立したことを知ってもらうことで、入院されている患者さんも「あ、芦刈さんができるんや」って、で「じゃあ僕にもできるかもしれない」っていうのがどんどん繋がっていってくれれば、そういったふうに地域移行するかたが増えるとは思うんですけど。やっぱり知られてないっていうのが現状ですね、病院内でも。

立岩:なるほど。知られてないっていうのは、知らせようと思えば知らせられるのかしら? なかなか難しいもんなのかしら?

押切:うーん。そうですね。やっぱり、うーん。たぶんネットとかでそういったのは見れるとは思うんですよね、実際に。重度の障害で自立してるかたの生活とか、ブログとかですね、Facebookも通してですね、見れるとは思うんですけど、それをたぶん目の前で見たことがないんで、やっぱり想像もつかないし、聞きたいことも聞けんとは思うんですよ。っていうのをやっぱり僕は芦刈さんが自立して、それがもう第一歩、西別府のかたがたの自立の第一歩に繋がってくれればいいなとは思ってるんですけど。

立岩:なるほど、わかりました。またあとで質疑応答の時間なんかも取りたいと思いますので、みなさん「これ聞きたい」っていうのあったら覚えていてください。ちょっと今やると大変になりそうなんで、先に進みますけど。
 実はそれこそ2018年のときにシンポジウムでやったように、「病棟にいる人にも伺う」っていうのはあったんですけど、ちょっと微妙なこともあって、今はまだやめておいたほうがいいかなってこともあって。実は東北地方のある病院にいるかたにっていう話もあったんですが、それは今回はスルーというかそんな感じです。だけど、だけどっていうかだからっていうか、この間(かん)、年変わって、実はまた後で少し、あ、今のうち聞いとこうかな、今年の春に徳島のほうでシンポジウムを一つやろうっていうのがあって、私の名前は挙がってもらったんですけど、ちょうどコロナがやって来た頃で、それがパスっていう感じになって、じゃあ何もしないのかっていったらそうじゃなくて、「オンラインでやれるとこまでやろう」っていうのがまあ今ですよね。そのオンラインセミナーっていうの、実はもう1回やっちゃってっていうか、その話をそれに関わったかたに聞きたいんですけど。その前にちょっと、そうやってやるはずだったんだけど、まあ1回飛んだっていうか、ところで、徳島の内田〔由佳〕さん◇、さっきは九州の話を聞いたんですけど、ちょっと今、徳島状態というか、四国のことを手短でもかまいませんのでお話しいただけますでしょうか?

■四国・オンラインセミナー〜交流会

内田:はい。自立生活センター徳島の内田と申します。徳島では今年の3月にセミナーを行う予定になっていたんですが、コロナの影響で中止という流れになってしまって、そのまま開催することはいまだにできていない状況です。で、オンラインセミナーなども行われているということで、徳島県では四国で唯一の筋ジス病棟のある病院があるんですけど、そこの入院されているかたに参加を呼びかけたりしながら、今後の流れに繋げていきたいと思って活動を続けているところです。で、四国全体でもちょっと動きを募ってやっていこうという話を今始めたところというところです。以上になります。

立岩:はい。ありがとうございます。僕はその前の前ぐらいかな、仕事で徳島に行った折、内田さんに話を聞かせて…、徳島駅の2階の喫茶店みたいなところで話を伺って、インタビューをして、その記録もホームページのほうに全部載ってますので、内田さんがどういう人かについてはそれもご覧になっていただけるといいかなと思います★。はい、ありがとうございました、内田さん。
★内田 由佳 i2019 インタビュー 2019/11/09 聞き手:立岩真也 於:徳島
 それでさっきの話に戻ると、そうやって今年になってそんな具合だと。だけどっていうか、だからっていうことでオンラインセミナーっていうのを企画して。これはまあ論理的というか、全国の病院に今いるとしても、さっきみたいに某京都の病院のようにわけわかんないこと言われて、それ自体「だめだ」ってことになんなければできるわけですよね。っていうことで、今年オンラインセミナーやったわけです。やったわけですっていうか、やったそうです。ということで、どういうふうにそれをつくっていって、何をセミナーしたのかっていう話を、西宮の中西〔竜也〕さん◇からお話をいただければと思います。

中西:メインストリーム協会の利用者で、今回の「筋ジス病棟と未来を変えるプロジェクト」に関わらせてもらってます中西竜也と申します。今日はよろしくお願いします。セミナーのことでということで、少しお時間いただいてお話しさせていただきますが、今、内田さんからちょっとお話がありましたように、もともと3月徳島でセミナーをやろうということで進めていましたが、ご存知の通りコロナの影響で延期、一応かたちとしては延期というかたちに現在なっていまして。で、そのまま緊急事態宣言が発令されまして、自分たちとしても、このままその流れにのって、そこで何ができるかっていうことが分からない状態が続いている中で、何か、でもやっていこうということで、オンラインの話がすごく世の中でも出てくるようになりまして。だからオンラインで何かやろうっていうことになりまして、セミナーをオンラインでやろうということになったんですけど。まずその前に「交流会をやってみてはどうか」と。セミナーといったらやっぱりハードルが高いので、「プチ交流会」というふうに全国の筋ジス病棟の患者さんに案内を送らせてもらって、今年の6月17日にプチ交流会を開催しました。主な目的としては、僕たち地域で暮らす障害当事者と、筋ジス病棟で生活されている患者さんのみなさんとの当事者間の情報共有であったり、主な交流、楽しくざっくばらんに、何でもいいので、生活のことであったりいろんな話っていうのをできたらいいなってことで、1時間半ぐらい時間をとらせてもらってやらせてもらいました。30人から40人ぐらい集まっていただけまして、すごい反響もよくて、まだ1回だけしか交流会に関してはできていないんですけど、今後もやっていけたらいいかなという感じで当日終わった感じです。
 その交流会すごいよかったんで、その流れで、オンラインセミナー実際やってみようかということになりまして、7月の29日にオンラインセミナーをやることになりました。オンラインセミナーを始める前に、病院側の協力もやっぱり必要ですし、地域で暮らす僕たちだけじゃなくて筋ジス病棟の人たちにもぜひ見てもらいたいということで、厚生労働省のほうに要望書を出しまして、全国の病院に協力してもらえるようお願い、要望書を書きまして。あと各病院、全国の病院様宛のほうに「協力願」というかたちでお手紙とセミナーの案内を送らせていただいて開催することができました★。病院側の対応も、患者様の手伝いというか、まあ当日のセッティングであったりとかいろいろ、現場に僕たちも行けないんで、メールでのやり取りが主だったんですけど協力していただけて、無事に開催することができました。
★筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト→国立病院機構病院長 202007 「オンラインセミナー開催のお知らせ等の送付について」 [MS Word]
 内容としましては、当事者、今お話に出た内田さんの自立生活の様子と、長崎の当事者のかた☆に講演していただいて、自立生活とはどういったことなのか、介助者を使いながら地域で暮らすっていうことはどういうことなのかということを、生の声を聞いていただく時間を20分ぐらいとって、そのあとは質疑応答と、あとまあざっくばらんに話するっていうかたちをとらせてもらいました。そんな感じで、そのときも30人か40人ぐらいですね、まあ地域も両方合わせて。これ主に障害当事者を中心に集まったセミナーとなりました。
 で今後の予定としましては、10月以降も交流会をやっていこうって今のところ予定をしていて、これからまた具体的なことを決めていこうかなっていうかたちです。なかなかコロナの影響で病院に自分たちが直接出向いて、対面で話できることが一番いいんですけれども、そういったことがなかなかできない状況なので、メールやお手紙であったり、ことを上手に使いながら交流していけたらな、という今の状況です。
 あと、今の面会状況が、今ちょっと押切さんのほうからもお話ありましたけれども、出向けない状況で、一応全国の各病院でやり取りさせてもらっている中で、禁止のとこもあれば、窓越しに面会が制限10分とか、まあ時間制限はあるんですけど面会できたりとか、タブレットでオンラインで面会とか、入口で荷物だけ受け取ってっていうかたちとか、いろいろかたちは病院によってさまざまみたいです。なんとかこの状況を変えていけるように、今後も地域のみなさんと協力しながら進めていきたいなと思っております。以上です。何か補足とかありましたらお願いします。

立岩:ありがとうございました。他にも関わったかた、ここにいっぱいいらっしゃるので、あとで補足していただきますけど。チャットに今、さっき事務局安田さんが内田さんへのインタビューのURLを出してくださいました。それから高橋さんからのお知らせで、さっき中西さんおっしゃってた厚生労働大臣と、国立別病院機構って今そういう名前になってるんですけど、その病院長宛の要望書を出すっていう動き、運動に中西さん自身が関わってるっていう情報提供をいただいてます。この要望書自体もわれわれのサイトから全文読めるようになっておりますので、どうぞ。それから、実は中西さんにもそんなに長い時間とれなかったんですけど、去年だったかな、インタビューさせてもらって。中西さん個人に関心がある人はそれも読んでいただけるといいかなと思います。
 それでね、中西さん、3、40人って多いと思うんですよ。かなりの人数だと思うんですけど、それってけっこう全国ですか?

中西:全国です。

立岩:北はどこどこ、南はどこどことか。

中西:北は秋田ですね。北は秋田から、南は鹿児島まで。五つぐらいの病院の患者さん参加いただいた感じですね。

立岩:それの呼びかけっていうか、そういうのはどういうメディアっていうか媒体、方法で、募集っていうかお知らせしたんですか?

中西:お知らせ自体、セミナーに関しては、先ほども申し上げましたけど、院長宛に案内を、協力のお願いとあと案内を送らせていただいたり。あとまあ僕ももともと兵庫中央病院の出身なんですけど、個人的に繋がりがある人たちから直接まあ案内を送らせて…、まあ主にメールですね、メールを送らせてもらうっていうかたち、こうとって、横の繋がりから広がっていった感じで案内させてもらったっていうこと。オンラインの交流会に関してはまあ、そんなに大々的にはやらずに、ある程度こじんまりと、どんな感じで参加者が集まるかもちょっとこちらもわからなかったので、そういった部分を確認も含めて開催したというかたちになります。

立岩:病院長に手紙出したわけじゃないですか。で、ほっとくとこはほっとくと思うんですよ、そういうのってときどき来るから。それがちゃんとそこの入所者っていうか入院者というかに伝わったこともあったってことですかね?

中西:そうですね、もちろん。全部が全部に繋がったかどうかってちょっと把握できてないんだけど、誰かわかる人、藤原くんとか、わかる人いるかな。

立岩:じゃあそのチラシというかそういうの見て参加する気になって、申し込んで参加したっていう人もいたってこと?

中西:それは、はい。病院側からの患者さんに向けて案内がしっかり届いた病院も、それはあったって聞いてますね。

立岩:それもあったってことですね。なるほど。プラス、口コミっていうか、そんな感じか。

中西:はい、そうです。両方から繋がったかたちにはなります。

立岩:はい。そのセミナー、僕は見てませんけど、けっこう盛り上がったって話は間接的には聞いていて。ここの中に参加した人何人かいらっしゃると思いますけど、当日の様子であるとかそういうのを含めて、補足というか追加、誰かしてもらえるといいですね。どなたかいかがでしょう?

大藪:メインストリーム協会の坂本〔昌文〕さんとかどうでしょうか?

立岩:メインストリーム協会の坂本さん、ご指名でございますが。

坂本:メインストリーム協会の坂本です。よろしくお願いします。
 僕もセミナーとか交流会とかに、考えたり参加させてもらってきたんですけれども、実際いろんな病院から参加してくれる人がたくさんいて、自立を知りたい人であったりとか、実際ちょっと自立に動き出してる人であったりとか、そういう人から質問がたくさん出てよかったなと思うので、今後はセミナーだけじゃなくて、交流会もどんどんやっていって、月1回とかでやっていこうかなということに今なっています。

立岩:坂本さん、ありがとうございます。その質問っていうのはさ、どういう? 何を聞かれることが多い? あるいは印象に残ってますか?

坂本:はい。実際、医療行為であったりとか、自立にあたっての実際のお金の話であったりとか、リアルな部分とかは聞かれたイメージがあります。

立岩:たとえばそういう人たちは、地元の組織、CILとかそういうものとの関わりはある人もいるし、ない人もいるみたいな、そんな感じですか?

坂本:そうですね。はい、そんな感じでした。

立岩:はい。ありがとうございます。そっか。あと、マウスをいじるとZoomがダウンするっていう先入観があって、おそるおそるオンにしたりオフにしたりしてるので、ちょっと反応が遅いですけど、ごめんなさい。大丈夫ですね。
 はい。中西さんへのインタビューのURLも事務局のほうからチャットでお知らせが出るようです。セミナーの話、もうひと方ふた方、もし追加あるんであれば伺いたいなと思うんですけど、ありますか、ないですか? オンラインってここが難しいですよね。この「間合いを耐えるか、次にいくか」みたいな、あるいは「俺が出ていくか、どうしようか」みたいなとこ、ちょっと迷いが出ますよね。どなたかいらっしゃいますか? じゃあまたあとで何か思い出したりとかあったら知らせてください。
 そんな感じでけっこう、そうか、2時間10分経ちました。だからあと50分ぐらいです。で、今日はちょっと前説で、ほんとに60年前の話とかをして、そのあいだ空白の時期もありつつ、でもちゃんと見ていくと、やっぱり90年代とかになってくると兵庫でこういうことが始まっていたり、そういうことが実は「しばらくなかったかな?」っていう動きのまあ前哨というかそういうものにもなってこう繋がってきた様子っていうのを、最初はけっこう速足でたどってきました。で、半ば偶然のことではあったのだが、金沢の病院での出来事があり、そこが繋がって。
 それで、全国でやってこうっていう話になり、大きな集会もいくつか経験しつつ、今は物理的にそれはできないっていうこともしかたない状況としてありつつ、でもある意味ポジティブに。だけど、実際オンラインのほうが集まりやすいっていう人もいるわけですよね、そういう状況もあるわけですよね。そこの中でやってること、繋がりながらやってることと、各地でやってることの、いくつかの例を出していただきました。
 で、これからの時間ですけど、一つはそうやってローカルに、一個一個、一人一人、こう繋げていくっていうことが現に行われてるし、必要だし、それでできていることっていうのもあるんだけれども。同時にというか、結局それこそ、出るときにいろいろ言われるっていうところをどう変えていくか、っていうところもあるし。出られたとして、そのあとの生活っていうのをどういうふうに可能に、また容易にしていくのかということもあるっていうことの中で、やっぱり金を動かすところ、政策を決めるというかそういうところにも突っ込んでいかなきゃいけないっていう、ローカルかつ、もっと大きなところも含めて動いていかないといけないっていう流れも、この間(かん)、18年19年、特に19年ですね、DPI政策集会であるとか、それからその前のJILのところであるとかで、課題として認識されてきているわけです。
 という流れで、去年の11月だったと思いますけれども、戸山サンライズでDPIの政策討論集会★のときに司会をしてくださって、そんなこともきっかけにというか、えどがわの曽田〔夏記〕さん◇が動き、いろんなことに関わってくださり始めているということで、この間(かん)のそういう全国、そういう政策的なことに関わる関わりみたいなことも含めて、曽田さんのほうに少しお話をいただければと思うんですが、いかがでしょうか?
★2019/11/24 「目指せCRPD完全履行!『筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト始動』,第8回DPI障害者政策討論集会 於:戸山サンライズ

曽田:はい。みなさん、こんにちは。「STEPえどがわ」の曽田といいます。DPIでも常任委員をしてます。私が直接筋ジスプロジェクトと関わるようになったのが、今、立岩先生がおっしゃった11月の政策論でコーディネーターをさせていただいたことかなと思います。それまでも、みなさんが地域でやっている動きっていうのはいろんなところで知っていて、「ああ、うちのセンターでもこういうことをやりたいな」とか、「やるべきだよな」っていうのは思いつつ、少し距離のあるかたちで、なかなか積極的に入るっていうことはできてなかったなと思います。なのでコーディネーターを、ひょんなことから「しませんか?」っていうお話が来たときに、すごく嬉しく思って「やりたいです」っていうふうに返事したのを覚えています。そのときにプロジェクトのみなさんが調査の結果の発表とかもされてたんですけれども、それとあわせて、やっぱり障害者団体全体で施設をなくしていったりだとか、もっと地域移行できる動きをつくっていこうよっていう話をDPIで出すっていうことをしたのが大きかったかなと思ってます。
 で、私個人も大藪さんであったりだとか藤原さんとかが、その場ですごく力強く、もっと地域に出たいと思ってる仲間たちを、もっともっと会いに行って出していきましょうっていうお話をしたのがすごく純粋に心に響いて、やりたいなと思ったのをすごく覚えています。で、前メーリングリストとかで立岩先生がこう、「みんなでこういうのは芸を持ちよればいいんだよ」みたいな話をされてたなと思うんですけれども、私も脱施設の運動とかで、この政策論終わってから自分が何が貢献できるかなというのを考えてたときに一つ、政策論が11月だったんですけれども、12月にちょうどアメリカから脱施設の運動家を呼ぶっていうことを私中心で担当でやっていたので、終わったときに会場で大藪さんとかに、「今度そういうかたが来るんですけど、12月にあるJILの全国セミナーにも私連れてきます。で、みなさん来るんだったら一緒にごはんとか食べて交流しませんか?」みたいな話をしてました。で、DPIのほうでも、まあそれが去年の11月だったんですけど、9月に国連の障害者権利条約のプレ審査みたいなものがありまして、そこに行ったときに委員の人たちから「日本の問題って何ですか?」って聞かれたときに、たくさん問題点は言えるんだけれども、「じゃあ具体的にどういう制度があったらいいんですか?」みたいな話になると、ちょっと全体的に「うっ」となってしまうっていうようなところもあったので、もっと他の国でどういう制度、政策があるかを調べてみようという話がありました。で、私もアメリカに日英通訳っていう役割で毎年2015年ぐらいから行っていたり、アメリカから運動家の人が来るときに鞄持ちみたいなのをする中で、あちらの制度のこととか、仲良くなる機会があったので、それでこうやっぱり「筋ジスプロジェクトのみんなと繋がって何かできたらな」っていう思いがあったので、そこで交流会をしたのが、去年の12月の福岡が最初だったかなと思います。でそのあとに、筋ジスプロジェクトのほう、そういう「制度政策面考えていきたいので、チームに入らない?」っていうお誘い受けたので、今に至ってるという感じです。
 で、このコロナ期間にやっていたこととしては、もうちょっと話を聞きたいということで、3回ですね、韓国とアメリカと、あとスウェーデンの3か国のかたがたから、オンラインなのですぐ聞けるということで、具体的にどういう制度があるのかっていうのを聞きました。それは筋ジスプロジェクトのかただけじゃなくて、DPIからも脱施設のプロジェクトチームを立ち上げて、そこのメンバーの人たちが入るという感じで合同で勉強会をするようになったのがつい最近かなというところです。だいたいこんな流れです。

立岩:ありがとうございます。政策論とか政策提言とかそういうものに関わってるかたは他にもいらっしゃると思いますので、また補足もしていただきたいと思いますけれども。
 そうね、一つちょっと加えると、さっき「出てから」っていう話もしました。端的に言えば介護、介助の話ですけどね、それを何とかせにゃいかんっていう、昔からある話ですけど。それとともに今日最初のほうで大野さん、介護保障協議会であるとか、そういうところが何百万っていうカンパ集めて、それでようやく一人出した。そういう現実があるっていったときに、これ、いくつかのところでこの間(かん)僕書いてますけれども、たとえば端的に言ってメインストリームとかJCILは、本人たちはどう言うかわかりませんけど、比べりゃお金があるわけですよ。それで、介護派遣で何億っていう事業をやっているので、まあなんとか、しょっちゅう金沢行って帰ってきたりとか、そういうことができてきたわけだけれども、だけど、どこでもできることじゃないっていうのが、やっぱり全国でやりきれないっていうとこでもあるんですよね。そういう意味で、制度的名称としては相談支援とかそういうことをちゃんとお金を使ってできるようにするっていうのは、たぶんこれから全国的に制度改革というか改善というかそういうものを、関わっている組織もちゃんと国なら国に言っていくべきことだろうなっていう話を、実はつい最近も別の関わってるかたとしたところです★。どこでも手弁当でできるなら文句は言いませんけど、そんなことできっこないっていうかできないのでね。
 ただ、ただというか同時に、さっきに大野さんの話の続きだけど、彼のときはこういう手を使ったって言ってましたね。一つは弁護士を使って法律論、まあ筋論としておかしい、ほんとにおかしいのでっていう言いかたをしたっていう話と、それから彼が、医王病院なんかの場合だと毎月毎月の、これ他の施設でも経験あるかもしれませんけど、「今月来月はこういうサービス」っていうか「こういう目標で  をします」っていう計画書を毎月書いて本人とか代理人がはんこをおすみたいな、そういう仕組みがあるじゃないですか。それを使ってというか逆手にとってっていうか、病院の人じゃだめなので、でもそれは本人が選べるので、外部の人にそういう書類書く人っていうか計画たてる人っていうかそういうのを依頼して、その人と相談のうえ「来月は外出します」とか「これこれのトレーニングをします」とかね、そういうふうにすると施設の側はそれに違反できないと。そういうものを使って、なかなか当初動きが悪いっていうか言うこと聞かなかったところを動かしたっていう。そういうことで、やっぱり使うものを使えるっていうか、そういう技っていうか知恵っていうか、そういうものも大切だなっていうことを、つい3日前のインタビューで思いました。
 そういう今できる、使える制度を十分に使うっていうことと、相談支援っていうのが、こちらの院生とか修了生でも何人か「なんで日本の制度はそういうところに金が出てないのか」っていうことを研究した本を書いた人とかもいますけど★、そこのところを。で、それは歴史的経緯があるわけですよ、なんでそういうところに金が出なくなったのか。それで、そういうことをまたもう一つ変えてくっていう、そういうことが政策的には求められてるんだっていうのが、私が思うところです。[02:25:57]
萩原 浩史 20191210 『詳論 相談支援――その基本構造と形成過程・精神障害を中心に』,生活書院,313p. ISBN-10:4865001069  ISBN-13:978-4865001068 3800+ [amazon][kinokuniya]
cf.立岩 真也 2019/12/10 「くわしく書くことがどんなにか大切であること」萩原[2019:297-307]
 さてだいたい35分ぐらいになって、どういうふうに話持っていっても、まあいろいろあるんですけど。今日プログラムのしっぽのほうに、こういうご時世にあたってどういうふうにものを言うのかっていうことが難しいようでもあり、おもしろいようでもあるわけです。で、そういう話を少ししてもらおうかなと思いまして。日本自立生活センター・JCILは、みなさんご存知かと思いますけれども、NHKが、オランダ行って死んで来た人っていうか、死んでそのままになったわけですけれども、その番組やったときに、声明というか問い合わせというかそういうことをやったり、それにあまりに返事が来ないので…、障害学会っていう学会がどういうこう政治的っていうかな、立場をとるのかっていうのはあるかもしれないけれども、「ちゃんと話を聞かせろ」と「話を言え」っていうときに返事をしてこないっていうのは、それは言論的にだめだろうということを思って、学会の理事会のほうでも「ちゃんと答えてよ」っていうのをNHKたちに言ったりしましたけど。まあそういうことに関わったり、それから今年になって京都では嘱託殺人の事件があってそれの報道がなされ、またそれに対していわゆる当事者団体が声明を出したり意見を言ったりするっていうことがあるわけです。で、ここにも今日ちょっと顔出してもらっている京都新聞の記者の岡本さんは、「難しいな」とか思いながらそういう場面を取材してきたわけだし、そこの中で今日出てきたような人たちも京都新聞にはけっこう載るんですよ、そういう人たちの記事がね、書いてきた。それから頭のほうに出たっきり申しわけなかったですけども渡辺さんも2003年に、もうだいぶ前ですけど本書いてくれて、でも映画になったのはそんなに昔じゃなくて。そんなこともあっていろいろ、たとえば2019年の西宮での企画に、僕も話させてもらいましたけど、話してくれたり、みたいなことで、フリーライターっていうか、ものを書く立場というかな、で、「何を、どういうふうに?」って聞かれても、ばくっとしてて答えようがないような気もしますけど、そういうことにも少し触れようかなと思います。それから今、JCILならJCILがものを言ってくっていうことをどう言ってくのかっていう、まあ最終的にはというか連名で、組織として出してるわけだけど、この間(かん)介助のことであるとか、あるいは相模原の絡みであるとかそんなことも関わって、JCILの職員でもある、高橋慎一さんも書かれてますし、渡邉琢さんもものをだいぶの数書かれてきたと思います。で、なおもっと言えば、まさにというか障害学会っていう学会もものを見て、考えて、書くというか、そういうことが仕事な人たちの集まりであるはずで。このときにというか、どういうふうに見て、調べて、書いてくのかっていうことは大切なことだと思うんですね。まあ、とは言ってもそんなにややこしい深い話をしたいわけじゃなくて、さっきも言いましたけど、「なんで全国の病院でこんなに違うのか」とかね、そんなんで。で、「一人一人、今何してんのか」っていう、「とりあえずそれでいいよ」と、「それならできるでしょ」っていうこともさっきちょっと言ったわけですけど。私の話はそれはそれとして、今ものを書く、ものを伝えるっていう立場から、なんか非常に抽象的な問いかけになってしまいますけど、お話を少しでもいただけたらなと思うんですが。どなたからでも構いませんけれども、たとえば岡本〔晃明〕さん◇とか。

岡本:はい、岡本です。自己紹介含めて言いますと、今お話に出ていたような、宇多野病院に入院していたことのあるALS患者の人の京都への在宅移行に2017年ぐらいから関わってます。これは記者としてではなくて、支援として関わってきたりとかしました。で、今この筋ジスプロジェクトの関係でいきますと、少しクリスマスシンポのときにネット中継のお手伝いしたりだとか、あと国立病院機構側の持ってる筋ジス患者さんのデータだとか、制度的になんで、どういうふうになってるのかって調べたりとかしてますけども、なかなかうまく書けずにいます。
 報道として、今いくつか立岩先生からお話ありましたけども、一つ7月にありました京都のALS患者さんへの嘱託殺人事件でいきますと、24時間重度訪問を受けて独居生活を7年近くしていたかたが亡くなった事件で、まあネットとかでの報道のあれを見てても、在宅すればそれで暮らせるっていうんじゃなくて、それがやっぱり大変で、それでも悲惨で、つらいことがたくさんあって、「そんな人はやっぱり死なせてあげたらいいじゃん」っていう声が、安楽死の法制化みたいな議論になったりとかするような状況にあります。で、私としては在宅24時間の生活の中での実態だとかいうことが悲惨一色でこうとらえられたりだとか、つらいだけで受け取られていく現状がまだまだある中で、そうじゃなくて、まだ手前で格差があること、重度訪問の使いかたに格差があることだとか、使ったらこういうふうにしてまだ生きていけるってことをきちんと、安楽死の議論をする手前でちゃんと伝えていく必要があるんじゃないかなって今思っております。それが一つですね。
 あとそれと、病院側も含めて、在宅の実態もそうですけどもう1個は、病院の実態っていうのが筋ジスプロジェクトでやってる調査のように、実際に入院されたかたの思いや、実際にナースコール呼んでもなかなか来てくれないっていうような実態を調査するのはすっごく大事で、なんですけど、もう一方で、たとえば筋ジス病棟にいてる人たち、すごい制度がいろいろ変わっていて、どういう区分で扱われていて、重度訪問使えている人が何人いててっていうような制度的なことがまだ全然わからないし、なぜこの社会から見えなくされているのかっていうとこで言うと、いろんな医療法側の仕組みだとかもいろいろ、統計上の仕組みとかもいろいろあるので、そういうとこもきちんと見えるようにしていかないと、うまく両輪で回っていかないなというふうには思っています。
 ちょっと雑駁ですけど、書く側の立場としてはほんとに、「死ぬ、死なせる」の短絡した話の手前でちゃんと伝えていかなくちゃいけないことが、ハードな制度的なとこでも、あとほんと暮らしって生きていくってどういうことなんだろうっていうことも含めて丁寧に書かなくちゃいけないなとを思っています。[02:34:42]

立岩:はい。岡本さん、ありがとうございました。
 一つ思い出したというか、そうなんですよね。これは明らかにというか、もちろんジャーナリスト、記者の仕事でもあるけれども、研究者の仕事だよねっていうのは、今最後に岡本さんおっしゃった病院の制度の話なんですよ。もちろんそれは非常にわけがわかんなく、ややこしくもあるんだけれども。でもどういう理屈でどういうお金がどういうふうに流れ、どういうふうに使われ、で一方では「お金がない」って言ってる。まあ嘘じゃないんだろうけど、どこまでほんとなのかとかっていうことも含めた制度分析というか、財政的なこと大切だと思いますけれども、そのへんの解析ですね。それは障害学者がやってもよかろうし、社会政策、社会福祉、医療社会学、まあ誰、別に名前はどうだってよくて、医療経済学? とにかくそういう一個一個の病院であったり、あるいはこの国立病院機構っていう国の仕組みであればその国の仕組みとして、どういう人の使われかた、金の使われかたがなされてるかっていうことですね。
 で、この間(かん)実は岡本さん実はけっこういろんなところに連絡とって資料請求、開示請求とかそういうこともして、ある程度のことはわかってるんで、これはすごい貴重だからとにかくまとめよう、みたいなことを申し上げてるんだけれども。ほんとにそういうところはというか、研究者が、まあ何もしてない私が言うのもなんだけれども、もっとやってもいいというか、やったらおもしろいというか、やる必要がある領域だと私は思っていて。それを岡本さんだけにやらせるっていうわけにはいかないと、「もっとみんながんばれ」っていうの日頃思っています。というわけで、どうも岡本さん、ありがとうございました。
 今16時7分なんですが、意外とそんなに押し押しにはなってないなって感じはするんですけど、昨日「これは3時間じゃ終わんないだろう」っていう予感がして、手話やってくださってるミライロさんと、それと文字通訳やってくださってるゆにさんにはこれは前から言ってるんですけどね、30分ぐらいは延長料金で、となってるんで、5時までが一応大丈夫です、というぐらいの尺で、だんだんまとめに入っていきたいと。まあ質疑応答も含めてですけど。
 さて、ずっと最初っから入ってくださっている「夜バナの渡辺」って言われるのは気持ちいいかどうかは知りませんが、ちょっと渡辺〔一史〕さん◇、しゃべってください。

渡辺:はい。ノンフィクションライターをしております渡辺一史と申します。お聞きしていていろんなことほんとに勉強になったし、JCILとメインストリーム協会さんの取り組みがきっかけでこのプロジェクトが全国に広がったことで、[…]私もその支援チームの一員として加わらせていただいたんですが。[…]僕この活動をいろいろお聞きしてて、やっぱり筋ジスのかたはなるべく今いる病院とあんまりことを荒立ててけんかして出ていくっていうのは、最終手段としてそれはありかもしれないんですけど、やっぱり今受けてる医療、筋ジスのかたっていうのは医療が必要なかたという意味では、障害者運動を70年代からやってきた脳性麻痺のかたとか、あと脊損のかたなんかとは、やっぱりそこが一番大きな違いだと思うんで。「自立をして地域に出たあとも、今受けている医療を継続して受けたい」っていう気持ちがとても強いっていうことは、そこでこう何て言うのかな、たとえば先ほど立岩さん言われたように弁護士さん立てたりとかですね、[…]広域協会の大野さんとかさくら会の川口さん通じて、藤岡さんですね、弁護士の藤岡さんとか、まあいざとなればそういうかたにも入っていただいて、っていうこと考えたんですが[…]
 京都のこととか、あと相模原の事件のこととか、私ずっと取材しているんですが、ちょっとだけ最後に相模原の事件のことをお話しますと、相模原傷害者殺傷事件ですけれども、3月に植松智被告の死刑判決が出まして。それで今、あの事件がその後どうなっているかというと、今やっぱり植松智死刑囚が勤務していた津久井やまゆり園という施設、知的障害者施設の支援の実態というところにようやくスポットが今、当たってきていてですね。それで私も毎月のように『創』というちょっとマイナーな雑誌がありますが、それに記事を書いたり、それからいろんなかたと座談会をしたりして、知的障害者の支援の実態ということをいろいろその内幕、今まで隠されていたことがどんどん表に出てきました。それで裁判でもぽろぽろと、たとえば植松被告が襲撃をしたときに、施錠をですね、まあ施錠というのはある種身体拘束にあたるわけですからしてはいけないことになっていますが、施錠をしているがために皮肉なことに一命をとりとめたというか、施錠をしていると植松被告は入れないわけですから、それで助かったというかたがいるということが、裁判の証言の中でぽろぽろと出てきたりとかですね。あとやっぱり植松被告が施設の職員時代にどういう風景を見ていたのかっていうことに、植松被告の被告人質問から、やっぱり施設にいる入所者の人たちが人間扱いされていなかったというようなことを植松被告が被告人質問で答えるところがあったり。そういうことがぽろぽろと出てきたんですが、やっぱり裁判の過程でそういうものが一つの大きな問題意識として形成されて、それがあの事件を引き起こしたというふうにはならずに、やっぱり裁判の過程では植松被告の責任能力だけに焦点が絞られすぎていたんですが、それがようやく裁判が終わって、今、果たして植松被告がああいう差別的な考えかたを持つにあたって、やまゆり園の支援のありかたというのが非常にやっぱり影響を与えたんじゃないかっていうことですね、今問題が噴出しているところです。
 それでやっぱり***【見える】(02:47:37)のは、本当にこの筋ジス病棟にある問題とやっぱり同じなんですよね。それが、なのでそういうことで、ほんとにやっぱり筋ジス病棟だけに限らず日本における施設という構造自体が持ってる問題がやっぱりそこにあるということですね。そういうことで僕は問題をもっと捉えようというふうに考えています。すみません、京都のことについても話せばきりがないので、このへんで。渡邉琢さんもなんか、

立岩:琢さんには話してもらおうと思ってます。渡辺さん、どうもありがとうございました。

渡辺:ありがとうございます。

立岩:ありがとうございます。それでこれからまだ、よかった、やっぱり30分延長とっといて。これから10分だったら非常に不幸な感じがするので、40分あっていいです。
 渡邉さんにも話してもらいたいっていうの1個と、それからさっき、あとで話してもらうっつってちょっととっといてある、いろんな今プロジェクトがある中で、筋ジストロフィーってたぶん、たとえばデュシェンヌとかっていう型だと男性のものだってとこがあるので、けっこうそういう意味でも若干というか偏りがあるわけですが、だけどやっぱり女性の人ももちろんいる。そういった中で女性のプロジェクトに岡山さん関わっていて、その話はしてもらいます。で、これ二つですね。であと質疑応答っていうふうにしたいと思います。

渡辺:[…]

立岩:[…]ちょっとだけ言うと、2016年、その相模原の事件があったときのDPIの集会で、「差別事例を集めましょうみたいなことを、あなたたち、…」って、DPIですけど、「…やってるけど、いや、だけど国療って全国にまだこんなにあって、こんなに人いっぱいいるよっていうのをちゃんと見なきゃだめだよね」っていう話をしたのをちょっと思い出しました。と同時に、最初に渡辺さんがおっしゃったことですよね。脳性麻痺だったら医療を蹴っ飛ばして、って言って、ほんとに蹴っ飛ばして出てきたりできる場合もあるけれども、医療で治せるわけじゃないけど、なんやかんやで身体のメンテのために医療っていうのは必要だっていうときの医療との付き合いかたってのまた変わっているってのは、それは誠にその通りで。病と障害っていうものを併せ持つって言ったらいいのかな、そういう難病のことにも関わって。まあ微妙っちゅうほど僕は微妙だとは思ってなくて、まあまあ実は単純な問題だとも思ってるんですけど、そこをうまくやってくっていう課題はここにはあるよねっていうことを確認させていただきました。じゃあ病と障害ってのはどう関係してるのか、みたいな話が、僕のもう一つというか、かたっぽでやっている仕事でもあるんですが、まあそんなことがあります。
 っていうんで、はい。渡邉〔琢〕さん、なんかしゃべってください。

渡邉:はい。こんにちは。JCILの渡邉です。僕、このみなさんのお話聞いてて、けっこう前の話から今回スタートしていて、僕自身のことを振り返っても、思い出すと2000年くらいに介助始めたんですけれども、最初に介助に行ったのが恐らく宇多野病院の入院してる人のアテンダントだったんですね。小泉さんに車で連れて行ってもらって、それで「介助ってどうしたらいいのかな?」ってさっぱりわからないときにですね、小泉さんに連れてってもらってそのご本人のところに行って、「じゃあ、あとよろしく」ということで「え?」と思って(笑)。それで本人に聞きながらいろんなことをして、まあ最初はやっぱりどきどきしてた記憶があります。その当時、JCILもそこそこやっぱり宇多野病院とは繋がりがあって、たぶん数名のかたがJCILの中にある作業所とかにも通っていたなという記憶があります。で、まだ確かに2000年代前半って介助時間が京都では出てなかったので、たぶん2006年とかそのくらいで、けっこう重度の筋ジスのかたで「一人暮らししたい」ってかたおられて、支給時間の件も応援してたんですけれども。で、そのかたは自分でマンションも借りてときどきそっちで暮らそうとはしてたんですけども、結局どっかで体調を崩されて宇多野病院に入院してたら、なんでか知らないけど亡くなったという放送を、アナウンス聞いたこともあったりして、「なんで亡くなるんだろうな」ということをかなり疑問に思っていました。
 でまあぼちぼち京都の最近の動き以前にも動きあったんですけれども、そういう筋ジスのかたがたとの。で、たしかに空白期間っていうのがその後ちょっとできて、筋ジス病棟とかはきれいにはなるんだけど、人の心はだんだん離れていったとか、なんかそういう情報をちょっと伝え聞きはじめて。で、実際に宇多野病院だったら虐待事件も起きましたし、あるいは入院したらもう褥瘡を作って帰ってきたとか、そういう話とかもけっこうあって、そっちのほうに十分支援の手が回ってないなと思いつつ最近まで来てたんですけれど。ここに来て、大藪さんとか岡山さんとかいろんなかたが一緒に活動してくれる中で、なんかそういうところが突破してきたっていうのは、なんかすごいなと思います。最近だったら、岡山さんからもあったように、筋ジスのかた出てきて一人暮らし始め…、このコロナの中でも一人暮らし始めるんですけれども、いろんな、昔だったらJCILとか限られた事業所しか介助派遣できなかったと思うんですけれども、最近いろんな事業所が関われるようになってきたので、その意味では地域生活の基盤ていうのはある程度は以前に比べても整備されてはきてるんだろうなとは思います。[02:55:49]
 それからですね、あとこれたんなる宣伝ですけど、野瀬さんのお話もありましたけれども、絶飲食で移乗禁止とか外出禁止とか、まあそのへんのことを聞き取りしたインタビューが去年くらいかな、『現代思想』のコンプライアンス特集というところで載っています★。それからまた宣伝になりますけれども、先ほど渡辺一史さんからあったように、津久井やまゆり園の裁判、僕自身もけっこう追っていてですね、実際に入所されてたかたともちょっとだけお付き合いがあったりとかはしてるんですけれども。こないだの刑事裁判の裁判傍聴記録、ちょっと目を通す機会があったので、それについて自分なりの意見を書いていたら、『賃金と社会保障』という雑誌、8月合併号に書いてるんですけれども、今年の。まあ4万字ぐらいの原稿になったんですが、僕自身がこれまで知らなかったような事実とかがもかなり見えてきたので、よければぜひ手に取って読んでいただきたいなと思ってます★。
 で、先ほど渡辺一史さんからあった施錠の件なんですけれども、施錠をしてたから入られなかったっていう側面も一方ではあります、どうやら。ただ、施錠してたからこそ犯人が入ったんじゃないのかなというような側面もあったので。わざわざまあ職員から鍵取り出して、犯人が開けて入って殺害してるというケースもあって。で、あと施錠されてたかたのお部屋の中ってほんとに何もなかったということも報告されています。で植松、彼自身も裁判の中で報告してたんですけれども、「意思疎通取れるか取れないか、どうやって判断したんだ」と尋ねられたときに、もちろん職員にそう尋ねたってこともあるんですけれども、彼自身の中の判断基準として「部屋の中に何もない人は意思疎通取れない人だと思いました」ということも言うていて。もうそういう部屋のスタイルからして、彼自身がねらおうとしたというところも記録の中ではありました。もちろん今、検証会議がいろいろと行われているので、そのへんのこともだいぶ明らかになってはきてるんだろうなと思います。[02:58:53]
 それから知的障害のことで言えば、筋ジス病棟、旧国立療養所ですけれども、やっぱりもう一つが重心の施設になってるっていうところですよね。そちらに関しては、筋ジス病棟よりも更に圧倒的に見えてないですよね、ほぼ誰も見えてないところがあって。運動自体がそこまで視野に入れないといけないだろうなと思ってます。脱施設の運動、確かにこの筋ジス病棟解放プロジェクトから始まって、日本の中でも脱施設っていうのがかなりムーブメントになってるんだなという実感もするんですけれども、それが重心の施設とか強度行動障害のかたがた、その人たちの地域生活をどう支えていくのかというところまでしっかりと視野に入れてやっぱ動いていかないといけないんだなと思います。もちろん津久井やまゆり園も、重傷を負った尾野一矢さんの一人暮らし支援っていうのが今かなり順調に進んでいて、確か8月の上旬に2泊3日くらいの体験でマンションで過ごそうとして、でもご本人が「津久井やまゆり園帰りたくない」とか、そういう話をし始めたので、本人の意思を尊重してもうそのまま、体験のまんま一人暮らしに向かって継続していってる。で、今もうずっとその状態が続いてる。だから1か月以上続いているので、支援会議の中でも、もう尾野一矢さんの意志を尊重してこのまま続けていきましょうということが言われてたようなので、そうやって一人暮らしっていうのが成立していってるといういわゆる好事例ですけれど、そういう部分ももっともっとなんか光があてられたほうがいいなと思います。ただほんとに、ほんっとに少ないんですよね。津久井やまゆり園に関しても100人ちょっと意思決定支援会議というのをされてるんですけれども、施設出た人が3人くらいなのかな。僕詳しくは見れてない把握できてないんですけれど、グループホームの人が二人くらい。ほんとに少ない状況ですよね。その状況を、

渡辺:4人ですね、今ね。

渡邉:あ、4人ですか。どなたが教えて…、あ、渡辺さんか(笑)。4人ですか。ほんっとに、やっぱりまだまだ課題がおっきいなというのを身に染みて感じます。
 あと最後に、まあこれも渡辺一史さんの関心とかぶってるところですけれども、安楽死なり嘱託殺人の件ですよね。去年のNHKの『彼女は安楽死を選んだ』っていう番組で、見たとき僕自身はかなりショックだったんですね。こうやって、まあご本人がどう思っていようがってのもあるんですけれども、そう思ったのはたしかだとは思うんですけれども、「こんな障害を抱えては生きてくのはいや」「あんな姿にはなりたくない」とかそういう言葉をけっこう普通に放送で流していて。ご本人の思いとは別に、そういう言説を普通に流していく、そういうようなスタンスが僕にはちょっと、かなりよくないなとは思って。で僕自身もJCILの内部でも議論して、NHKに抗議の意見書を送ったりとか、まあBPOのお話とかも、BPOに申し立てしたってわけじゃないんですけれど審査をしてほしいというお願いの文書を出したりとか、そういうことやっていました。で、ほとんど、正直、向うからの反応は少なかったんですけれども、でBPOに関してはなしで、なかったんですけれども。で、実際その中で「こんな放送してたらそれに続く人が現れるぞ」みたいなことはNHKの抗議文の中でも言ってるんですけれども、まあ実際今回のALSの件もやっぱり一つ引きがねになったということで、かなり罪深いだろうなと思っています。[03:04:04]
 であと、何て言うのかな、JCILこういう、僕的には普通のことを言ってると思ってるんですけれども、そんな変なことを言うてないとは思うんですけど、ああいう抗議声明とかを出すとですね、まあYahoo!(ヤフー)のコメントもひどいもんがあって、JCILに対する、「極悪非道団体だ」とかいうなんかひどい言われようをしたり、あとまあ電話もけっこうかかってきましたね。結論ありきなので、基本的に何を言ってもこっちが消耗するだけ、なんかあげ足取りで向こう言ってくるので。なので、でも、「なんでここまで、こんな人を死なせたいっていう人が多いんだろうな」というのが、僕の中ではとてもわからない部分なんですね。でもその雰囲気っていうのがどんどん増えてんじゃないの、大きくなってんじゃないのかな、広がってるんじゃないか。まあ「死にたい」という気持ちに関しては、ある意味わからんでもないんですよ。まあ、いろんな、人って状況が起こるから。

渡辺:ちょっと一つ言っていい? 琢ちゃん。ごめん、渡辺一史です。すいません。
 とにかくJCILは番組に対しても果敢に抗議声明を発表したり、京都のALSの嘱託殺人に関しても増田さんが声明発表したりして、あれに対するヤフコメ民の反応っていうのが非常に、「あなたたちの生きたいっていう、生きる権利を主張するのはよくわかる」と、「ただ、生きたいっていうことを押し付けるな。死ぬ権利は死ぬ権利でどうして認めてくれないんだ」っていう世論一辺倒ですよね。

渡邉:うんうん、そうですよね。

渡辺:でもさ、そのヤフコメ民に届くような語りをしないと僕はいけないよねって、こないだもほら、琢ちゃんとメールのやり取りをしてたでしょ。

渡邉:はい。しました(笑)。

渡辺:でさ、まず「みんな知らない」って思うのが一つあってね。それは2007年以降、その終末期医療のガイドラインっていうのができて、ほぼ日本の医療の現場ではさ、尊厳死っていうのはもう現実のものになっているっていうことをまずみんな知らないんだよね。それで、それがいいのか悪いのかっていうのはもちろん議論しなきゃいけないし、その2007年にできたガイドラインが今、一昨年改定されて、ACP、ちょっと聞きなれないと思うんですけど、アドバンス・ケア・プランニングっていうもの、考え方が盛り込まれて。で、ますます医療の現場ではもう「法制化は必要ない」っていう段階まできているはずなんですよ。ただそれをみんな知らないで、「日本では死ぬ権利がない」と、要するに生きたくもないのに生かされるような、延命治療を無理やりさせられるかのようなイメージがなぜかあるんだけれども、今の医療の現場ってそんなに延命治療、日本の医療の現場ってそんなに延命治療ってされてるのかなって、それがまず疑問なんですよね。で、救急救命の現場でとりあえず蘇生のためにというか救命のために人工呼吸器つけちゃうっていうことはあるかも知れないけど、それも今、そのガイドラインで取れますからね。で、これは取っていいのかどうかっていうことの議論は、ほんとにそこに危機感を抱いている人もいるので、それはやっぱり法制化とは別にACPなりをもっと充実させていくべきだっていうのはあるんですけど、要するに一般のヤフコメ民が思うように「日本には死ぬ権利がない」っていうのはおっきな間違いで、現にALSで亡くなった林優里さんね、京都のね、彼女も呼吸器をつけないで死を選択するっていうことはできたはずなんですよね。だから彼女は、[03:09:20]

立岩:ちょっとストップしていいかい? 私もその件に何十年とそういうことにはコミットしてまいったし、こないだそれこそ岡本さんに取材された京都新聞の記事、なんかいろいろ言いたいっていうか、

渡辺:炎上してましたよね。

立岩:へんなことを言った人もたくさんいたので、言いたいことは山ほどありますが、今日はここでストップ。
 知的障害のことに関して言うと、宮城でまた施設を再建っていうか建て直す的なことで、去年のまさに障害学会のシンポジウム★、小泉さんに出てもらったのが「知的障害の自立」っていう話でそういうことにも関係して、会員でも田中さん★が少し宮城のことを話したいみたいなことも事前にメールではいただいているので、まあそんな話も時間あるかなって感じですけど出るかもしれません。その、死の話はちょっと今は置いといて。
 岡山さんにその女性プロジェクトのほうの、なんか接続悪いですけど、ちょっとしてもらいます。岡山◇さん、いいですか?

岡山:はい、大丈夫です。

立岩:ありがとうございます。

岡山:JCILの岡山です。またお願いします。女性ネットワークのことをお話しする前にちょっとだけ、ちょっと話だいぶ戻るんですけど、このコロナの中での地域移行方法のことをちょっと補足をしたいんですけど。藤田さん、なかなかこう囁き声ぐらいの感じで、Zoom使ってもマイクに音入らないんですね、ほとんど。でまあ、その中でどうやってコミュニケーションとろうかって。いつもテキストで打ってもらってるんですけど、かなりそれも時間がかかってご本人も相当しんどい感じで、なかなかやり取りも対面じゃないと難しいことも多かったりするので。それで宇多野の地域連携室にお願いして、ちょっとZoomでこう、そばで藤田さんのお話を聞き取ってもらって、それを伝えてもらってっていうような。Zoomの設定から協力をお願いして、それでいろいろ地域移行の意思とか、お母さんとのやり取りとかもしっかりできるようにとか。あと内覧とか、物件をいろいろ一緒に見たりとかっていうこともできました。で今日まさに、藤田さんじゃなくて田中さんなんですけど、Zoom内覧をされたばっかりなので、その話をちょっとだけ、野瀬さん・高橋さんからぜひお願いします。

立岩:はい。野瀬さんにふられました。野瀬さん入れますか?

大藪:あ、もしかして野瀬くんもう抜けてますかね。もしかすると。

立岩:あとでっていうことで。

岡山:はい、あとでもう1回入られたら。
 女性ネットワークのお話をしたいと思います。さっきQ&Aのほうにも質問いただいてたと思うんですけど、ジェンダーバランスがすごくこの、まずパネリストも悪いっていうことなんですが。そもそも筋ジスプロジェクトの参加者が、まあこうやって動いている人たちが、女性がとても少ないです。ね、ほんとたくさん女性のかた入ってほしいんですけど。まあ理由の一つとしては、そもそも筋ジス病棟に女性の入院患者さんが、ちょっと正確な数字私はわかんないんですけど、2割もいないのではないかと、1割とかかなあ、みたいな感じで、少ないから全然なかなか繋がれてないです。繋がってるし全国いるんですけど、なかなかやっぱ少なくて。で、そういうこともあって、まあたぶん女性の参加者が少ないというのはあるんですけど、でもそれだけじゃなくて、たぶん日本全体、女性が社会進出してる割合とても少ないんで、それも影響していると思います。[03:13:23]
 それでまず、資料と文献、ウェブページのほう挙げていただいている私の岡山祐美の名前のところに、「女性入院患者の困難について」っていう、去年のDPI政策討論集会でお話ししたのが載ってるので、これはまたよかったら読んでいただけたらと思います。ここに書かれている問題意識があって、女性はやっぱり入院患者がまあ少なくて、さらにたぶんすごく声をあげにくい、女性の複合差別の中にいる人もきっとおられると思っていて、だからこそ女性で繋がっていきたいという思いがあって。でもなかなかいろいろ難しくて、どうしたらいいかなと思ってたところ、最近あるるの安原さんとメインストリームの井上さんがお話しされて、「女性のネットワークをつくっていったらいいんじゃないか」っていう話で盛り上がられたそうで、それでつくろうということになって。で、まだ今月の9月9日に初顔合わせというか、とりあえず身の回りの「参加したい」っていう興味あるかたに参加してもらって。今日ここのパネリストの中で言うと、JCの小泉さんとか、えどがわの曽田さんとか、あと徳島の内田さんとかも入っていただいてます。で、どんどん女性繋がっていこうということで、外で活動してる人もだし、病院に今も入院中で全然繋がれてない人とかもどんどん繋がっていけたらと思っています。これからもたくさんみなさん、特に女性のかた、繋がりたいって言われているかた、いたら教えてほしいですし、今日聞いてるかたでも、参加ぜひしたいっていうかたはよろしくお願いいします。
 で、野瀬さんは戻られてないですかね。

立岩:そうみたいですね。たぶん。

岡山:大藪さん、今日のオンラインZoom内覧は参加してますか?

大藪:僕してないんですよ、ごめんなさい。ちょっと様子がわかりません。

岡山:わかりました。たぶん私よりは把握してると思うので、ちょっとだけ紹介いただけたら。

大藪:ですね。大藪です。10月の31日にですね、宇多野病院から退院予定の田中さんっていうかたがおられて、そのかたの物件探しということで今日は、田中さん自身は今コロナのこともあって病棟の外に外出できない状況なので、支援者の、先ほどしゃべってくれた野瀬時貞くんと高橋慎一さん、段原さんもかな、で、物件見に行って、で、Zoomを通して田中さんご本人に見てもらうと、そんな取り組みを今日やっていました。ちょっとごめんなさい、詳しいことは僕も把握できてないんですけども、まあそんなふうにしてコロナの中でいろいろ工夫しながら自立生活に向けた準備っていうものを私たちも模索しながらやっているような。簡単ですけど、そんな状況です。すみません、以上です。

立岩:ありがとうございました。今、延長時間込みで残り12分という非常に微妙な時間になってます。どうしようかな。
 まず今日のシンポジウムのページに、事務局問い合わせのメールアドレスがあります。それから僕のアドレスも公開されているので、大概の質問に関しては、それを今、かなり大きい、この国療っていうか筋ジス病棟云々っていうメーリングリストがあって何十人も参加されているので、そっちに回しますので、かなりの部分情報が得られたり、問い合わせに答えがなされると思いますので、2つのアドレスを使っていただければ、転送など使ってかなりお答えしたりできると思いますので、まずそれをお知らせします。
 そのうえでなんですが、ほぼ今残り10分、正味、延長含めて10分なんですけれども、どうしようかな。「これは今しとかないと。みんな聞いてもらわないと」的な、そう言うとちょっと脅迫じみてますけど、そういう質問おありのかたは、どうやって僕は質問するのかよく知りませんけれども、よろしかったらどうぞ。事務局さん、大丈夫なんだよね。

安田:事務局の安田です。ちなみにごめんなさい、ちょっと確認なんですけれども、メールアドレスは、このオンラインシンポジウムのメールアドレスにお書きいただく?

立岩:そうだよね。

安田:はい、わかりました。

立岩:それで僕に、僕が一番簡単です。今の事務局のアドレスだと2回転送みたいになりますから、僕にくれれば1回でいいので、私立岩のアドレスにメール質問はいただくのが一番ベストです。

安田:わかりました。

立岩:ここの今、会場にいる、ずっとでも人数見てたんですけど、だいたい190、180ぐらいで、最初から参加してずっと長い時間お付き合いいただいてると思うとほんとにありがたいと思ってるんですけれども。その参加者のかたで、「これは簡単に聞けるから、簡単に答えて」みたいな質問ありますか? [03:20:16]

安田:すみません、事務局の安田です。もし質問等ありましたら、挙手していただければ、こちらで音声解除ができますので。カメラは映らないんですけれども、音声で話すことは、やり取りすることはできますので、みなさまよろしければ挙手を使っていただければ。Q&Aでも構わないんですけれども、よろしくお願いします。

立岩:すいません。僕も今回Q&Aとかチャットとか、「触ると怖い」みたいな感じでちゃんと見てないので、申し訳なかったですけど、そういうことです。
 じゃあ、それを若干待ちつつ、エンディングというか終わらせたいと思うんですけれども。繰り返しになります。まあ繰り返しはしませんが、僕は一応、一応というか、これ学会のシンポジウムなので繰り返しときますけれども、調べなきゃいけない、書かなきゃいけないことが大変たくさんあるっていう思いを再度強くしています。こういう研究、既にもう私の周りの人も含めて何人も研究者が関わってくださってますけれども、もっといくらでも人が必要っていうか、いたらいいということでもあるし、実際やったらおもしろいと思うんですよね、いろんな。僕もこの間(かん)10人20人っていう人にインタビューさせていただいてきましたけれども、みんなとてもおもしろかったです。そういうベタなインタビューもいいだろうし、それからちゃんと制度分析、施設、そこの中での生活についての研究、いろいろできると思うので、そういうものに繋げていただければなということは切に、切にというか思っています。
 それじゃあもし挙手がすぐに今なければ、ごめんなさい、今日の参加者で「ひと言いうぞ」っていうか「あ、これ忘れてた」的な、あれば、よろしくです。
 はいはい。そっか。そんなに急がせなくても実はよかったのかなと、今あと8分を残して思っていますが。まあとにかくこれは続きますし、続けなければいけないことだと思っています。ですので、この関係のメーリングリストも続くでしょうし、いろんな情報を寄せていただければ。それから私どもの研究所のほうでも、情報を集約、たとえば全国の療養所の面会の状況ですね。かなり厳しいところもあるって、「まあ、しかたがない」って言い切れるかっていうことがあって、実際その病棟の中なりでかなり厳しい状況のときに、やっぱり人と話をする、で、別にオンラインだっていいわけですよ、オンラインだっていいのにそれも、って、その理屈がわからないってことも含めて起こってる。そういう面会の状況っていうのは全国でどうなのか、っていうこともわれわれのサイトに載せるようにしております。[03:23:28]
 それから各地で、今日は名前出さない出せないっていう人も含めて、その後、そうじゃなくなったらっていうので、一人一人のページをつくって、その人の話であったり報道であったりってこともやっておりますので、これからもそうしたものに接してもいただきたいですし、何よりもご自身で何か言いたいことを言う、それから誰かから聞いた話を伝えるっていうことをして、われわれの学会に協力というかな、参画というかな、していただければいいと思います。私もご生前に古込さんに、インタビューもぎりぎりさせていただきましたけど、プラス匿名でというか、書き溜めたものをいくつもいただいて、そして集めたものがあって、それがあってこれ、今の、っていうところもありますので。まあよく言うんですけど、今日出てくれた人はどっちかと言うと前を走ってる人たちだと僕は思っていて、「どんどん走れ」って思ってるんですけれども、学会であったり研究者っていうのは、やっぱり前を走りたければ走りゃいいんですが、と同時に後ろにいて、誰が何してきたのかっていうことを集めて並べるっていう仕事があって。今回慌てて年表なんかを作ったのもそういうことなんですが、その両方が、9:1ぐらいの割合だと思いますけど、前を行くほうが大切で、後ろで集めて並べるっていうのはプラス1ぐらいでいいと思ってますけれども、でも研究者ができる仕事でもありますから、そうしたところも含めて参画というか、協力をいただきたいし、そういうふうに思います。
 はい。そんな埋め草な話をしていたら、あと4分になりましたが、おひと言ずつというか、どなたからでもいただきたいと思いますけれど、いかがでしょう? 井上さんかな?

井上:はい。立岩さんからも宣伝していただいたんですけども、メーリングリストをプロジェクトでやってます。で、僕が管理してるので、とりあえず立岩さんに送ってもらえば僕のほうに伝わると思うので、どしどし。「連帯」っていうのがキーワードになると思ってるんですよ。で、女性がプロジェクト作って連帯する、で、そういうネットワークをドンドンネットワークしていくっていうのが、これ僕らの戦略なので。特に障害学会で、いろんな分野でいろんな人が活躍してるけども、これ、まあまあ言ってみれば縦割りなんですよ。それを取っぱらってみんなで連帯していって、ここに目標を持つ、ここのことはとりあえず置いといて、ここにみんなで一緒に行きましょう、っていうのが僕らのプロジェクトなので、お待ちしています。よろしくお願いします。

立岩:井上さん、今何人入ってるっけ?

井上:100人は、いってるくらいだと思いますね。

立岩:そんないってんだ。

井上:全然無理なんです。やっぱここを目指そうと思ったら、もう、とば口にようやくたどり着いたぐらいだとと思うん。全然無理なので、これ。本当に全然無理なので、ご支援と連帯を待ってます。

立岩:はい。

中西:すみません。

立岩:はい。中西さん、どうぞ。

中西:すみません、メーリングリスト繋がりで、当事者のメーリングリストがあるんですよ。筋ジス病棟と地域の障害者どうしで交流できる場っていう気軽なもんなんで、また横の繋がりでお知り合いのかたおられたら、JCILの大藪くんか、メインストリームやったら坂本か藤原のほうに言ってもらったら。僕でもいいんですけど、よろしくお願いします。

立岩:はい。中西さんもさっき井上さんが紹介してくれたメーリングリストに入ってるので、私経由でも、ここのいる誰かに繋げていただければ上がると思います。中西さん、ありがとうございます。

中西:すみません、以上、それだけです。

小泉:すみません。

立岩:はい、小泉ついに出ました。はい。

小泉:小泉です。オンラインでっていうのはすごい遠くの人とか集まれて、とてもいいと思います。でも、最初のほうに井上さんが言われたように、声の大きい人、はっきりものが言える人という人が十分可能性あるんやけども、でもやっぱり声が出せない人、声が届きにくい人はたくさんいます。そういう人に目がいけるようにやっていきましょう。お願いします。

立岩:はい。声がちゃんと明瞭に出せる人の話は聞かれやすいけど、そうじゃない人はもちろんいっぱいいるわけです。さっき知的、重心の人とかの話も出ましたけど、ほんとにその通りで。筋ジスってちょっとしゃべるの上手な人多いよね。そう思います。
 他、もう1分、ああ、もう時間になりました。延長料金もこれで終了です。で、とにかく僕は1回で終わらせるのっていやです。みんないやだと思う。いやっていうか、それはだめだと思ってると思います。ですので、これからもいろんなかたちで続けるべきことは続けてまいりますので、今日は一つのそのための準備っていうか、経過報告、途中報告だったということで。でも記録は記録でちゃんと学会誌に載せますが、それも踏み台にしつつ次、続きをやって、続いていくでしょうし、それに対して学会も何がしかの、まあそんなに難しいことじゃないです。簡単にできること、まあ研究者だったら当然すべきこと、いっぱいあると思いますので、そのへんのことぜひよろしくお願いいたします。途中から安楽死について語り出す人がいたからかな、ちょっと時間のカウントが難しくなったりしましたけど、それはそれということで。今後ともぜひみなさんよろしくお願いたします。これをもって障害学会の大会のオンラインのシンポジウムを終わりたいと思います。
 今日は文字通訳してくださったNPO法人ゆにさん、それから手話通訳でずっとやっていただいたミライロさんのかたがたも感謝申し上げたいと思います。普通ぱちぱちぱちって鳴るんですけど、今日はそういうのはないですが。あ、でもなんか、してる人もいますね。どうもありがとうございました。じゃあまた、来年じゃなくて、またどっかでお会いしましょう。失礼いたします。事務局いいですか?

安田:はい、事務局の安田です。はい、大丈夫です。質問などちょっと答えられてないものがあると思いますので、またそのQ&Aに関しては立岩先生宛ての質問ですので、そちらお願いします。

立岩:そうですか。今日みなさんに最初見ていただこうと言った学会のシンポジウムのホームページの、たぶん下のほうにそういうコーナーをつくって、Q&Aとか補足的な情報とかを載せますので、それは明日までにやりますので、どうぞ、どうかご覧ください。事務局プラス私からでした。
 じゃあほんとに終わりにしていいですか?

安田:はい。大丈夫です。こちらこそ本日はご参加いただき誠にありがとうございました。こちらのいろいろと技術的な不手際等、大変申し訳ございませんでした。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

小泉:ありがとうございましたー。

立岩:ありがとうございました。みなさん、ひと言しゃべって退場できれば、「わー」とか言ってください。

各参加者:ありがとうございました。

立岩:みなさん、これからインタビューにみなさんのところに、藤原さんしようと思ってそのままになってますけど、よろしくです。
 小泉さんも。小泉さんの過去を僕は知らないんだよな。福井出身だっていうの今日知ったよ。

小泉:ああ、そうなのね。またよろしくお願いしますー。ありがとうございましたー。

立岩:通訳のかた、どうもありがとうございました。

安田:ありがとうございます。もう、はい、すみません。通訳の方もありがとうございます。退出していただいて大丈夫ですので、大変申し訳ございませんでした。ありがとうございます。あと今、視聴されてるかたは適宜ご自身で退出していただけますでしょうか?
 あ、また誰か手を挙げてらっしゃるので、

立岩:手を挙げてる?

安田:トークを許可してもよろしいですか? ちょっと、視聴者で、

立岩:はい、いいですよ。[03:35:00]

安田:すみません。こちらの、もうシンポジウムが終わったので、トークを、解除を求めてみたんですけど。えっと、むらかなさま、

立岩:むらかなさん、はいはい。画面出てますね。

村松:はい。出てます。もしもし、聞こえますか?

立岩:立岩です。はいはい、聞こえます。

村松:今日はありがとうございました。途中から参加したんですけど、宇多野病院の虐待の被害者の村松加奈子です。今日はものすごくよかったです。ありがとうございました。失礼します。

立岩:はい、失礼します。
 ほんとの終わりですかね?

安田:安田です。どうされます? このまま何か打ち合わせとかされますか? 特になければ。

立岩:ああ、もうないです。

安田:わかりました。ではこのセミナーを切らせてもらいます。

立岩:どうもありがとうございました。でも特に大きなアクシデントはなかったんじゃないですか?

安田:そうですね。まあちょっとカメラとかの、最初の冒頭ですよね、始まってから、カメラが、参加者がいっぱい出てたとかそういうのはご指摘が何件かございまして。手話通訳との間の齟齬ですよね。つまり誰がしゃべってて誰がこう、誰の手話をしてるのか? みたいなのが。猫がかわいいですけど、っていうぐらいがちょっとあったので、あとはそれぐらいだったと思います。ちょっとまた今後何か反省点をこちらでも書かせてもらいますので、よろしくお願いいたします。

立岩:ウェビナーって悪くないと思いました。1万8千円かかりましたけど、人数的には大丈夫でした。これでいいんじゃないかな。はい。どうもどうも、みなさんありがとうございました。またメールでやり取りするなりなんなりしようと思いますが。まあとりあえず終わりましたね。ご苦労様でした。失礼いたします。[03:40:58]


UP:20201228 REV:20201229, 30, 31. 20210101
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇障害学会第17回大会・2020  ◇障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)