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「自閉スペクトラム症がある女性の妊娠・出産・育児の経験」

小林 孝子(滋賀県立大学 人間看護学部) 2020/09/19
障害学会第17回大会報告 ※オンライン開催

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last update: 20200916


質疑応答(本頁内↓)



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■報告レジュメ

1 はじめに

 わが国で発達障害が注目され支援制度が整備されてきたのは1990年代半ばであり (木村2015) 、現在までに約20数年を経過している。幼児期・学齢期のみならず成人期に診断された女性も含め、妊娠・出産・育児を経験する発達障害の特性をもつ女性は増加していると推察される。発達障害の特性をもつ女性は、妊娠中のメンタルヘルス・ハイリスク妊婦の1割以上にみられ (笠原 2009) 、虐待事例の難治例に至る可能性が高い (浅井ほか 2005) など、心理社会的問題への対応は急務となっている。
 このような現状の中、各ライフステージを通じた切れ目のない支援の充実が求められ、神尾 (2010) は自閉スペクトラム症 (Autism Spectrum Disorder: 以下ASDと表記する) がある女性の出産と育児についてガイドラインを著している。妊娠中の身体感覚の変化や不快症状、出産時の不安、児の要求がわからない乳児期、臨機応変な総合的判断を求められる子育てのストレス等より、母親には育児コーチが必要であることを示した。自身がASDの特性をもつ女性のエッセイでは、「子育てをする上で一番ほしかったものは支えてくれる存在であった」と記されている (栗山2012) 。
 ASDのある女性の妊娠・出産・育児についての研究は散見される。14名を対象としたグラウンデッド・セオリー・アプローチにより、自身の特性の悩みや子どもを含めた周囲との関係の悩みなど、多岐にわたる悩みや困難を明らかにした研究がある (岩田2015) 。また、6名の女性を対象に修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた研究では、診断後に支えを得ること、ASDである自身との折り合いをつけることで生き方を転換させるというプロセスを明らかにしている (加藤2019) 。両者とも、生育歴や学校生活に始まり、就職、結婚、妊娠、出産、学童期までの育児という長い年月に渡る経験を記述したものである。さらに、8名を対象に質問紙調査の自由記述の内容をコーディングした研究もある。産後は暗闇の中で歩くこと、自分の言葉で母親になること、授乳などの新たな感覚のコントロールというカテゴリーを明らかにした。この研究では、新生児の様子やニーズを理解することの困難さ、母親であることを愛していないこと、自分のやり方で育児を行いたいこと、授乳中の感覚過敏や指導時に感じる不安などが記述されている。この研究は既存の質問紙調査の自由記載の分析であり、深いテーマの追求がなされていないことが限界であること。これらの調査は出発点であり、ケアモデルの開発ためにより多くの研究の蓄積が必要であると言及している (Gardner 2016) 。
 ASD女性の手記のなかで、出産後の生活を描いた部分をみると、多様である。綾屋 (2012: 77-9 ) は、出産直後の早期母子接触や授乳、泣きへの対応から、児と「つながる」経験をし、「自分はたしかにここに存在している」という経験をしている。他方で、夕泣きと夜泣きについては泣き声や睡眠不足に耐えられず、イライラし泣いたこと。育児日記は7年間に及び、大事な時間が記録あると書いている。笹森 (2009: 19) は、「育児は育児書 のとおりになんていかないということは頭ではわかっていたので、多少のブレは覚悟していましたが、とてもブレなんていうレベルではありませんでした。」と書いている。満石 (2009: 28-9) も同様に、「妊娠中、育児書を読みあさり、子どもの育児雑誌を読んで、道具も、書いてるものすべてそろえました。それなりの想定をしていたはずなのですが、その想定通りいかない子育てはとても困りました。情報は知っていましたが、具体的にどうするのかがわからない状態でした。」と記している。星空 (2007: 5) は、「育児も人様より二重に辛かった」としている。
 自分の存在を確認できる経験である反面、肯定感や達成感のない育児、想定通りいかない産後の生活とはどのようなものであるのか。手記に語りつくせないほどの経験や7年間書き続けることのできる育児、人より二重に辛い育児とは、ASD女性にとってどのような経験であるのだろうか。その経験のなかで何が生じているのか。
 本研究では、ASD女性の妊娠・出産・育児においての困難な状況を記述し、それにどのように対処し、その困難がどのように変化していったのかを明らかにする。そして、提供されるべき支援について検討する。

2 研究方法

2−1 研究協力者

 研究協力者は、ASDの特性をもつ成人女性で、妊娠・出産・育児を経験している女性2名である。発達障害当事者会の主催者、市町村の発達障害者支援部署の職員に研究協力の依頼を行い、紹介を受けた。紹介された女性の中で、特に産後が大変だったと語った女性2名を分析対象とした。研究力者のAさんは、40歳代の専業主婦であり、夫と学童期の子ども1人と暮らしている。Bさんは、40歳代で自営業、夫と学童期の子ども1人と暮らしている。2事例ともに、ASDの診断を子育て中に受けており、女性の子どもも発達障害の特性をもち、療育等の経験がある。

2−2 データ収集方法

 紹介を受けた後、メールを用いて依頼を再度行い、協力が得られることを確認の上、日程やインタビュー場所の調整を行った。居住地の近くの貸会議室または自宅など、協力者の希望する場所において、半構成的質問紙を用いてインタビューを実施した。インタビュー内容は、妊娠中や出産、育児で経験していることや経験したこと、感じていることや感じていたこと等である。インタビューは、同意を得てICレコーダーを用いて録音した。インタビューは、2019年11月に1人につき1回実施した。インタビュー時間は、69分、74分であった。

2−3 データ分析方法

 インタビュー内容はすべて逐語記録とし、繰り返し読んだ。妊娠・出産・育児中に経験した困難やうまくいかなかったこと、それに関する対処について語られた内容を、意味のあるまとまりとして抽出した。困難なことがどのように変化あるいは解決していったのか、それに影響したものは何であったのかに着目し、抽出した内容に名称をつけた。付与した名称の類似性を検討し、集約したまとまりにテーマ名を付けた。

2−4 倫理的配慮

 研究協力者に対して、研究の意義と目的、研究方法、個人情報の保護、研究参加は任意であること、途中辞退も保障されることを文書とともに口頭で説明した。また、紹介者には研究協力の有無については知らされないことを保障した。これらのことについて、文書による同意を得てインタビューを実施した。本研究は、筆者の所属する機関の研究倫理審査委員会の承認を得て実施した。

3 結果

 妊娠・出産・育児における困難と対処について分析し、3つのテーマが生成された。産後の困難、支援と方略、変化と帰着である。これらのテーマに沿って、事例ごとに女性の語りを要約し、「 」内に記述する。意味のあるまとまりとして抽出し名称を付した内容は【 】で表した。また、個人の特定につながる情報については、意味内容を損なわない範囲で修正を加え、補足内容は( )で示した。

3−1 Aさんの産後の困難と対処

 Aさんは、産後うつによる入院を経験している。妊娠中よりイレギュラーなことが多く、切迫流早産により長期にわたる安静が必要となった。出産後は「日常生活がままならないのに子どもの世話、自分も動けというのがたぶんちょっと私の中でパニックになってしまった感じ」と語った。

3−1−1 産後の困難
【産後子どもをかわいいと思った時期はなく、つらいしかなかった】
 Aさんは、子どものことを「かわいくない、怖いんですよね。退院してかわいいとか思った時期が本当になくて、もうつらいしかなかったですね。」「あまりにも世の中で言われている育児と全然違っていた。横抱きができず、とにかく泣き、寝ない子で、全然かわいいという状態ではなかった。」と語った。
 後に子どもは発達障害の診断を受けており、感覚過敏などの子どもの特性による育てにくさがあったと思うと話していた。

3−1−2 支援と方略
【専門職からは母親像を求められ追いつめられる】
 「この子は自分ではみれません」という状況に対応できる公的支援はなかった。乳児院は空きがなく、訪問していた保健師には実家に帰ることを勧められた。出産した病院では完全母乳を勧められ、「とにかく授乳、おっぱいで育てることがもう善みたいな、それ以外は悪という状態で。それも追い詰められてしまって。」と推進される支援により追い詰められたことも語った。
 産後の保健師と助産師の支援については、目指すべき母親像が支援者の前提として存在することが語られた。

  「母乳をやめちゃいなよとか言う人はいないんですよね。やっぱり母乳あげ続けないとね、止まっちゃうよと向こうに見えるんです。根本的には、あなたはお母さんなんだからちゃんとしなくちゃ駄目でしょうという前提で来られるから。」

【できないこととして身内に助けてもらう】
 Aさんは、「最初はすごく頑張らなくちゃいけない。お母さんでしょう、これもやらないといけない、子どもの服はきれいにしないといけない、ミルクはちゃんとあげないととか、すごいあった。」と話した。産後入院し、退院後は家族の理解ができ、「私に対するハードルがガッと下がった」ことにより、変化がみられた。

【離乳食はこれだけ食べていれば大丈夫というものを見つける】
 その後「保育園にも入れてもらえた」と語るAさんは、乳児期の離乳食について、これだけあげていれば大丈夫という、方法を見出し活用していた。「頑張れば頑張るほど子どもは食べない。食べるものが納豆と御飯だけだったんですよ。栄養あるし、安いし、これだけ食べてたら死なないという、私の中で死なせないことだけテーマにして。保育園できっといいものを食べているから、家では納豆御飯でいいというので、納豆御飯だけをひたすらという。」と語った。

【子どもの療育で自分も支援される】
 その後、子どもが療育施設での支援を受けることにより、Aさん自身も支援されることになる。療育を受けたことについて、「私の場合はすごくすごく大きかったし、結果として自分も発達障害というのに気づいて、私も何か支援されたという感じがします。子どもと私と同時に療育してもらったみたい。」と話し、指導者との出会いがその後の育児に大きな影響を与えてたことを語った。

  「お母さんがにこにこしていることだけが一番だから、療育は母さんが笑っていれば95%成功だからという先生で。無理して料理とかやめてね。そんなことより、外食行ってにこにこして帰ったほうが100倍いいからとか。その先生との出会いがたぶんなかったら、たぶんちょっと違ったかな。」

【自分ファーストでよしとする】
 子どもの療育の先生の支援を受けながら、Aさんは「自分が笑っていられる状況」を目指し、Aさんなりの方略を見い出していた。

  「ひたすら誰かを頼りましょうというのとか、極論、手を抜こうとか、そんな感じです。自分が笑っていられる状況にすることが何よりの目標。子どもは二の次で自分が1番、自分ファーストで行くことが、たぶん結果としてみんなうまくいくのかなと。たぶん鬼のような顔をしておいしい料理を作って出すより、外食したほうが、栄養素的にはどうかと思うけど、うちもマクドナルドが週3日とかって。」

3−1−3 変化と帰着
【2歳を過ぎてかわいいと思うようになり、3歳を過ぎて楽になる】
 Aさんは、子どもの療育に通いながら、自身も支援を受けていると感じながら日々の生活を重ねていった。子どもがかわいいと思えたのは、2歳を過ぎてからであった。そして、3歳を過ぎ、子どもとの意思の疎通ができるようになり、変化がみられたことによって、親子関係に気づくことになる。それまでは義務であったと語った。

  「幼稚園入ったくらいですかね。やっとそのころに、うちの子どもがお母さんというものに目覚めたんですよ。たぶん周りを見たんでしょうね。幼稚園とか入って。いきなり3歳ぐらいになってから、ママーとか言って抱きつかれてすごいびっくりして、え?みたいな。これが親子関係かみたいな、よしよし、みたいな。それぐらいですかね。2歳とかでちょっと寝ているときに、ああ、何てかわいい寝顔と思ったときには自分がちょっと回復したんだなとか、ああ、すごい、こんな感情がという。でも、そこまでは全然。ただ義務というか、全然でしたね。」

【お母さんを目指さない】
 Aさんは子育てを振り返り、母親ということについての自身のスタンスと子どもへの思いを語った。「子どもを産んだ瞬間に、お母さんという大まかな分類にボンと入れられてしまう」と話し、お母さん像の呪縛から解き放たれることを語った。

  「お母さんはこうあるべきというものが、すごくお母さん像というのががっちりあって。かえって女の人のほうが敵になってしまって、お母さんは私もやってきたよみたいな。お母さん像の呪縛に。だから、結構割り切った人は、もうお母さんやめたという人が多いです。療育とかの、もう結構ハチャメチャに、お母さん目指さない、知らなーいみたいな人のほうが楽しく生きている気がします。」

【母親ではなくただの付き添い】
 Aさんは、「お母さんじゃなかったので、全然。ただの何か、ただの付き添いみたいな。いろんなところに連れて行くだけの人。」と自分のことを語った。子どもの療育の指導者の支援を受け、「その先生がとにかく、あんたがにこにこして、子どもとワーッとやれる状態を目指していると言ってくれたので、もうそれしかないと思って。でも、結果としてすごいありがたかったですね。」と語った。

【かわいくないわけではない、いい方向に向かってほしいと思う】
 そしてAさんは、子どものことを「いい方向に向ってほしい」と語った。

  「どうしても責任は逃れられないので、産んでしまったので。責任感だけでやっていたかもしれないですけど、でもかわいくないわけじゃないので、いい方向に向かってほしいと思って。」

3−2 Bさんの産後の困難と対処

 Bさんは、産後の疲労、家事、育児、自営の業務が重なり、出産後は修羅場であったと語た。そして、「今回このインタビューを受けてみようと思ったのは、本当に乳幼児期の育児で苦しんだから。それはもう、私にとってできないことだったと思うんです。何人育てても、たぶん無理だと思うんですよ。」と話し、子どもが理解できなかったことやかわいいと思えなかったこと、その後の変化について語った。

3−2−1 産後の困難
 Bさんは「産後4か月までが一番しんどかった。」と語った。出産は、分娩が遷延し約24時間を要したあとに緊急帝王切開となり、出産時の疲労に加え、妊娠中の家族の療養、里帰りから自宅に戻った後に全てのことをしなければならないという状況が生じていた。

【全部降りかかってきた産後は修羅場だった】
 Bさんは「妊娠中よりも出産後の方が修羅場でしたね。(自宅に戻り) 全部、降りかかってきてというのが、まず、しんどかったのと。陣痛と帝王切開の両方やったので、もう、ふらふらになってしまって。」と語った。そして、産後4ヵ月ころには「産後鬱っていうより、自分が元持ってた特性が全部出てきて、またお薬を飲むようになった」と語った。

【わが子にうっとりしている他の母親に共感できない】
 産院では、自分の子と他人の子が区別できず、「子どもがあまりかわいくなかった」と語った。

  「ほかのお母さんって、うっとりわが子を眺めて、かわいい−って言っているんですけど、何が?っていう感じで。どこを見て、そう言ってるのかな?っていう感じで、全くそこは共感できませんでした。」

【言葉のコミュニケーションが取れないので意味がわからない】
 Bさんは、非言語のコミュニケーションや子どもの発達目標が変化することについても、意味が分からずついていけなかった語った。

  「泣いてるじゃないですか。まず、そうしたらまず、おしめをみるって言われて、言われたからみる、おしめを。おしめが汚れてなかったら、次はおっぱいかってする。それが駄目だったら、ただ抱いてやるとか、今だったら言えるんですけど、当時はそれが全く分からなくって。もっと大きくなってからですけどママって、子どもがきて、何をしてるのかっていう感じのところがあって。いや、いや、抱っこって言ってるよ、みたいな感じで言われて、あっ抱っこねみたいな感じなので。そういう言葉のコミュニケーションじゃないコミュニケーションが、たぶん、非常に弱いと思います。だから、本当に意味が分からなかった。よく、あーはいはいって言ってる女の人がいるじゃないですか。今でも、あれを見ると凄いと思います。私にはできなかったので。」

【子どもの成長で目標がよく変わるのが理解できない】
 Bさんは、子どもの成長について、度々変化する目標が理解できなかったと語った。

  「1ヵ月ごとに、目標も変わりますよね。最初、生んだら次の1ヵ月健診までに1キロ増やしてきてって言われますよね。その目標が度々変わるじゃないですか。あれも、よく理解できない。もっと明確に、1ヵ月健診で1キロ増やさないといけないんだよって言われたのは覚えてるんですけども、その次ぐらいからはあまり覚えてなくて。首が据わらなきゃいけないとか、おっぱいを飲んでいなきゃいけないとか、歯が生えてこなきゃいけないとか、そういうのに本当に付いていけないというか、何で次から次に目標が変わるのかが分からなくて、しんどかったです。」

3−2−2 支援と方略
 Bさんの産後の生活で助けになったのは、夫と夫の母であった。離乳食についてもこれだけあげていれば大丈夫という方法を活用していた。

【責められず夫の母に助けてもらった】
 Bさんは夫の母親の助けについて、「私がもうできないのを見て取ったんでしょうね。何も言わずに、あなたは今日は寝なさいって。責めずに助けてくれる人がいて、すごくうれしかった。」と語った。

【玄米パウダーで離乳食は乗り切る】
 Bさんも、離乳食に関しては簡単な方策を見出し多用していた。「玄米がパウダーになっていて、それにお湯を入れて練ると好きな固さのおかゆができるんです。そればかり使ってましたね。」と語った。

3−2−3 変化と帰着
 その後、育てやすい子ではなかったと語りながらも、育児を通してBさんの子どもへの思いに変化がみられる。それは、子どもを理解しようと努力を重ねる中でみられた変化であった。

【子どものことを理解しようとする中で、少しずつかわいくなってきた】
 Bさんの子どもは聴覚過敏の特性を持っていることから、フードコートでパニックになった時の対応を例にして、工夫したことを語った。

  「育てやすい子ではなかったと思うので。その育てにくさを努力してる間っていうか。そういうことをしていく中で、すごい子どものことを理解しようとしたりとかしていく中で、少しずつかわいくなってきたのかなと思います。」

【私以上に子どものことを理解してる人はいないと思う】
 Bさんは、夫の母親に子どもの世話を任せることができ、とても助かったと語った。しかし、子どものことについて、「愛してはくれているけど、理解はしてもらっていない」とし、自分以上に子どものことを理解している人はいないと、理解者であることが語られた。

  「今はまだ死ねないなって思うんです。その理由は、やっぱり子どものことをここまで理解する人がほかにいるならよいけど、たぶん、私以上に子どものことを理解しようとして、理解してっていう人は、まだ出てきてないので。そういう意味でも、まだ死ねないと思うんですよね。」

4 考察

 Aさんは産後の困難を「つらい」「子どもがかわいくない」という言葉で表現した。子どもは後に発達障害の診断を受けており、Aさんも話したように、子ども自身の特性による育てにくさが生じていたと考えられた。育てにくさの要因には子どもの要因と親の要因が挙げられる (秋山ほか編 2017: 3-4) 。AさんBさんともに、自身がASDの特性をもちながら、同じ特性をもつ子どもを養育するという、重複する育てにくさの要因が存在していた。
 さらに、2事例ともに、出産時に想定外のことが生じていた。Aさんは妊娠中に長期の安静が必要となっていた。Bさんは家族の療養や自身の出産が緊急帝王切開となったことである。ASD女性は早産のリスクが高いという報告もあり (Sundelin 2018) 、妊娠出産のリスクが高いことを見越した心構えや予防的な対応が求められる。
 支援については、両者ともに身内による支援を受けていた。特にAさんは産後うつになり、乳児院などの公的支援は利用できず、実家に戻ることなった。「最初は頑張らなくちゃいけない」と思っていたAさんにとって、「こうすべき」という親の姿勢が変化し、「無理するな」という理解となったことに感謝していた。Bさんも同様に、夫の母親が何も言わずに全面的に子どもの世話を行ってくれたことをうれしかったと語っていた。どちらも、女性のことを責めず、女性に係る負荷を軽減する支援が提供されていたことが有効であったと考えられる。
 専門職の支援については、課題が示された。Aさんは目指すべき母親像が支援者の前提として存在することについて、「追いつめられた」と語った。母性イデオロギーと子どもの健康を守る責任ある望ましい母親を規定する社会規範があり、母親を追い詰める望ましくない人的環境として助産師が挙げられている (濱田2012) 。支援者の価値観に基づいた画一的な支援を修正する必要があるのではないだろうか。
 他方、Aさんは子どもが療育を受ける中での支援者との出会いが自身の子育てに良い影響を与えたことを語った。「私も支援された」と語り、「自分ファーストでいくことが結果的にはみんなうまくいく」と語った。Aさんが産後に出会った助産師や保健師とは異なる母親像が療育の指導者からは示されていた。それは、療育を必要とする子どもを育てる親の大変さを考慮したものであり、ハードルはごく低いものであり、楽になる母親像であった。第一に母親のどのような心情も肯定的にとらえる支援者の姿勢が、Aさん親子に安定をもたらしていた。
 AさんBさんが用いた方略として共通するものは、離乳食であった。Aさんは納豆であり、Bさんは玄米パウダーである。栄養価も高く、子どもの栄養面と自身の負担軽減となり、両者に効果をもたらすものであった。ASDの特性のひとつに、イマジネーションの障害が挙げられ、同一性の保持やこだわりなどがあり (金生・渡辺・土橋編 2016: 12-3) 、同じ食品の活用はAさんにとっても児にとっても安心して用いることができるものであったと考えられる。
 さらに、困難なことの経験を経て、それがどのように変化し帰着したかについて検討する。AさんBさんともに、子どもが幼児期に入ってから、愛着をもつことができていた。出産後すぐに愛着を感じてはいなかった。先行研究では、「一人になりたかった」「静かなところに行きたいと思った」という声がある (飯田 2012) ように、ASD女性の産後の心理に対応できる支援が求められる。
 また、子どもへの愛着形成に関しては、時間の経過とともに、子どもの変化と自身の安定が影響していた。Bさんは、子どものことを理解するという努力を重ねている間にかわいさを感じるように変化していた。そして、Aさんは「お母さんを目指さない」「付き添い」であると語った。Bさんは「私以上に子どものことを理解している人はいない」と理解者としてあることを語った。
 母親役割とは「子どもとの相互作用を通して、自身の成長のために葛藤し、母親としてのアイデンティティを積み上げること」 (二川2014) であり、概念分析の結果をみると、育児ストレスやソーシャルサポート、社会的役割の遂行、子どものニーズの読みとり、子どもとの関りから湧き出る意欲などのカテゴリーが含まれている。AさんBさんは目指すべき理想の「母親」というような母親像を用いることはなかったが、子どもとの相互作用の中でそれぞれのスタンスを確立していた。それは、一般的に用いられる「母親」とはやや立ち位置が異なるものであるかもしれない。しかし、AさんBさんにとっての成長であり、独自の親子関係が形成されているものと考えられる。
 提供されるべき支援としては、このような独自の関係を形成されることを念頭に置く必要がある。一律の対応方法は加害的であることがあり (立岩 2014: 239) 、支援者の価値観を前提とすることを避けなければならない。乳児には特別な愛情を感じなかったが、一通り子育てを終えたASD女性の多くが、子どもは喜びであり、友達であり、仲間意識を感じたと話していた (Simone 2011: 197) とあるように、子どもとの関係も変化する。ASD女性の負担を軽減することとともに、変化のプロセスを見守る支援が必要とされる。

5 おわりに

 ASDの特性がある女性2名の妊娠・出産・育児の経験と困難と対処を記述した。産後の困難、支援と方略、変化と帰着という3つのテーマが生成された。ASD女性の負担を軽減することとともに、支援者の価値観を前提とすることを避け、子どもとの変化のプロセスを見守る支援が必要とされる。本研究で得られた結果は、ASD女性の妊娠・出産・育児についての支援を検討する一助となることができる。

引用文献




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■質疑応答

※報告掲載次第、9月19日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はtae01303@nifty.ne.jp(立岩)までメールしてください→報告者に知らせます→報告者は応答してください。宛先は同じくtae01303@nifty.ne.jpとします。いただいたものをここに貼りつけていきます。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。→http://jsds-org.sakura.ne.jp/category/入会方法 名前は特段の事情ない限り知らせていただきます(記載します)。所属等をここに記す人はメールに記載してください。



*頁作成:岩ア 弘泰
UP: 20200916  REV:
障害学会第17回大会・2020  ◇障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
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