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「障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の可能性──障害教員を事例としての異別処遇・同等待遇へむけた試論」

栗川 治(立命館大学大学院/日本学術振興会特別研究員(DC1)) 2020/09/19
障害学会第17回大会報告 ※オンライン開催

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last update: 20200826


質疑応答(本頁内↓)



■キーワード

障害者,労働,軽減,賃金,教員

■報告レジュメ

1. はじめに


1.1 問題の背景

 日本における障害者の雇用・労働に関しては、これまで「身体のある部分に損傷があっても,その部分をなんらかの形で補えば『健康な人』と同様に働けるという『健康な障害者』を想定し,それを典型的なモデルとして雇用政策や就労支援のあり方が設計されてきた」(栗川 2020a)。この「健康な障害者」モデルに当てはまる人だけが雇用の対象となり,当てはまらない人(病弱な障害者)は一般就労の対象とはならず,働くこと自体を断念するか,低賃金の福祉的就労を選ばざるを得なかった。手塚直樹は「内部障害者、精神障害者は医療との連携によって職業生活が成り立つことが多く、また障害も固定されたものではなく流動的なとらえ方が当たり前になってきたのですが、実際に企業においての障害者雇用をとらえていくときに、現実としては『健康な障害者を雇用していく』という企業側の意識の戸惑いをもたせる側面をもっています」(手塚 2000)と「健康な障害者」に該当しない「病弱な障害者」の雇用の困難さを指摘している。
 しかし、心臓などの内部障害や精神障害、知的障害のある人が就労を求めていくようになるにつれて、勤務軽減や仕事内容の調整・変更がおこなわれれば、一般の企業で働くことができるし、その軽減等の処遇変更が合理的配慮としてなされるのであれば、その軽減等の変更を理由として賃金を削減するのは差別的取り扱いに当たらないのか、「軽減労働同一賃金」を保証すべきではないかという主張が、障害者から提起されるようになってきた(栗川 2020a)。
 そして、実際に、障害に応じた勤務の軽減を獲得しつつ、賃金等の待遇面では不利益な扱いを受けないで就労し続けた事例が、とくに障害のある教員(以下、障害教員)のなかでみられるようになってきた。なぜこのような「軽減労働同一賃金」の主張が受容され、実現した事例が、障害教員のなかにみられたのだろうか。そこには、どのような条件があったのだろうか。
 ここには、障害者の雇用・就労を考えるうえで、障害に応じた働き方、そのための労働条件・処遇の変更、その状況での賃金等の待遇について再検討すべき論点がふくまれている。本報告は、労働の量・能力・成果が低く評価され、就労が不可能、あるいは就労するとしても低賃金が当然とされてきた従来の「障害者と労働」のあり方、とらえ方を問い直し、「障害をもって平等に働き、賃金を得る」ことを展望する試論である。

1.2 目的と方法

本報告の目的は、障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張が、どのような状況・条件において、理論的・実践的に可能となるかを、障害教員の事例をとおして考察し、その可能性の条件を明らかにすることである。
 研究方法は、文献調査であり、障害教員団体の機関誌(『障教連だより』等)や個人の記録等を用いた。

1.3 先行研究の検討

 「軽減労働同一賃金」を考察するうえで、労働と賃金との関係を、どのようにとらえたらよいかは、理論的に重要な論点である。一般には「労働の対価としての賃金」や「労働と賃金の等価交換」の原則が、経済における自明の原理とされてきたが、これを問い直す研究が、とくに障害学、障害者の労働の研究においておこなわれてきた。青木千帆子は、労働が人を社会的な価値ある存在として位置づけるものであるべきとする価値観や規範(労働の理念的側面・自己実現)と、労働が生産的で集団に貢献するものであるべきとする価値観や規範(労働の経済的側面・生産性)という2つの側面に注目した。障害者の労働に関して、「働けない身体」の社会での存在をどのように認めるのかという課題と、「働ける障害者」の経験する格差や差別をどう是正するのかという課題とを止揚することを目標として設定し、個人と集団の無条件の両立と生産の計測可能性という二つの擬制を内包する「労働と賃金の等価交換の原則」の矛盾を指摘した(青木 2012)。すなわち、「労働と賃金の等価交換の原則」は、個人と集団との両立や、生産の計測可能性を暗黙のうちに前提してしまっており、その前提を外していけば、「労働と賃金の等価交換の原則」を突破し得ると主張していると解釈できる。
 また、遠山真世は、障害者雇用における差別禁止アプローチの能力主義モデルと、割り当て雇用をふくむ雇用保障アプローチの反能力主義モデルとを比較検討し、「機会平等と結果平等をともに実現しようとすることには、理論的にみて無理がある」とし、個人の努力量の差のみを個人の責任とし、それ以外の能力に関する要素(労働能力の習得機会、評価における障壁、習得力)は社会的に解決すべき課題とする「責任モデル」を提唱した(遠山 2005)。ここでは労働能力をいくつかの要素に分け、そのある部分(努力量)にもとづく差(採用や待遇等)は容認しつつ、他の個人の責任でない部分に関しては平等な扱いをすべきであると主張し、労働と賃金の連結を部分的に外すことが理論的に可能であることを示したと考えられる。
 また、理論的に労働と賃金の関係を考察した研究として、労働と賃金や生産物の所有に関して、ジョン・ロック以来の労働価値説、すなわち自らの身体を所有している自己が、その労働によって生産した価値を所有することを自明のこととする考え方に対して、その自明性を問い直し、労働と所有(賃金)との分離の可能性を理論的に示した立岩真也の政治哲学の研究がある(立岩 [1997]2013)。この研究によって、労働と賃金とは等価交換のような形で連動させる必要はなく、それぞれを分離して考え得ることが原理的に示された。しかし、この理論からすぐに「軽減労働同一賃金」の理論的可能性を演繹することはできない。原理的には分離し得る労働と賃金とを、現実的な労働の場面において、さまざまな差異を顧慮しつつ再結合していく必要があるからである。
 障害の概念を、その身体性のさまざまな差異を顧慮し、あるいは顧慮しないで構築し、そこから障害者への処遇や、排除的な社会の修正を構想する障害学・社会学の一連の研究(Oliver 1990; 石川 2002; 星加 2007)のなかで、榊原賢二郎は、身体を顧慮したうえでの「包摂的異別処遇」の理論的可能性を検討した。榊原は、「障害者への『差別』をなくし『平等』を目指すという時、基本的には健常者と障害者を同じように扱うこと(同一処遇)が重視される」が、「障害者を健常者とは異なる仕方で扱うこと(異別処遇)が部分的に認められ」る場合でも、「配慮によって発生する負担や障害者の能力などの点で、ほぼ同一処遇と見なせる異別処遇だけが、合理的配慮として制度化されているに過ぎない」と述べている。そこで「障害問題を差別/平等という枠組みから解き放つことで、『別扱い』つまり異別処遇をより積極的に認められるようにし」、その処遇が「社会参加や統合といった観点で『包摂的』であるか『排除的』であるか」の座標軸を設定して、障害者への処遇を「包摂的同一処遇・包摂的異別処遇・排除的同一処遇・排除的異別処遇」に分けた(榊原 2016)。これにより包摂的か排除的かを判断基準として、包摂的異別処遇の有用性を示し、「平等・合理的配慮・間接差別・直接差別とこれまで呼ばれてきたものが抱える欠陥や限界を乗り越えることができる」と主張した。
 この榊原の設定した理論的枠組みによれば、障害者の就労における勤務軽減等の「異別処遇」は、多様な身体のあり方に対応したものとして、その有用性を主張できることになる。だが、その勤務時間等の「異別処遇」を主張するときに、賃金は「同一処遇」にすることを求める「軽減労働同一賃金」を主張することは、論理的に矛盾することになってしまう。榊原の理論では、従来の平等/差別の枠組みでは解決できなかった身体の特性に応じた「別扱い(異別処遇)」を、包摂/排除の枠組みを設定することによって正当化することができたが、異別処遇に連動する低賃金の問題を乗り越えることはできない。
 障害者雇用における異別処遇、支援のあり方については、中村雅也が視覚障害教員への調査をおこない研究を進めている。視覚障害教員においても「他の教員と同等の授業時数を担当することが過剰な負担となることがある。授業時数軽減は適切な職務配慮だといえるが、軽減分の補填をどのように行うかが問題となる。」(中村 2020)と述べており,「健康な障害者」に分類されやすい視覚障害者においても仕事分担の軽減の必要性が指摘されている。ここでも「軽減労働」の必要性は述べられているものの、労働を軽減した場合の賃金等の待遇をどうすべきかについては言及されていない。
 以上のように、「労働と賃金の等価交換」の原則を問い直し、労働と賃金との連結を一旦切断しつつ、労働の軽減、異別処遇を正当化することは理論的に可能であることは、これまでの研究で明らかになりつつある。いっぽう、その「軽減された労働」をどのように評価し/評価しないで、賃金等の待遇と再連結するかについては、十分に検討されてきたとは言えない。本報告は、障害教員を事例に、その検討を試みるものである。

2. 「軽減労働同一賃金」が実現した/しなかった障害教員の事例


2.1 事例の概要

 以下の5人は、いずれも公立学校の正規採用の教員(教諭)であり、採用時には障害はないか、軽度であり、障害者として雇用されたわけではない。いわゆる中途障害によって勤務軽減を求めていくことになった。

(1)Aさん(高校、視覚障害)(障教連 1994; 栗川 2020b)
 授業の担当持ち時間の軽減を要求して、逆に「指導力不足教員」制度に一旦適用され、授業0とされたが、教育委員会(以下、教委)との交渉等の結果、軽減を実現。軽減の必要性については、眼精疲労による通勤負担、授業準備が長時間必要、授業中の集中力が人一倍必要、光に対する抵抗力が無い、休暇の増加、勤務内における授業準備の確保(資料の朗読・点訳、教具の作成)、ワークアシスタント(ボランティア)との対応時間等を挙げている。Aさんの授業時間軽減が他の同僚の負担増にならないために、教委は軽減分の授業を担当する講師を加配し、「今回の講師配当に対して賃金的・身分的不利益はない。理由としては、勤務時間をこなしているのだから勤務軽減には当たらない」と説明している。Aさんは、かつて講師配当がされた時に、特別昇給が認められなかった事がある事を追及すると、勤務評定との絡みで学校長が「成績評価」をどうするかによって、賃金的不利益を生じたのかも知れないと教委は回答。Aさんは「成績評価」に関しては、障害教員が働く立場からの講師配当であれば、悪い評価を与える事は「差別」につながるのではないかと主張し、教委側もその意味を理解した。

(2)Bさん(高校、視覚障害)(障教連 1993; 栗川 2012)
 教材の点字化、文字情報の把握などのためにかかる負担を軽減するために、授業の持ち時間が他の教員のおおよそ半分になっている。1時間の授業の準備や事後処理をするために、他の障碍のない人より倍以上の時間と労力がかかるわけなので、これで実質的に労働量は均等となり、これが適正な分担と言えるわけであると、Bさんはとらえている。授業準備や校務分掌でBさんが単独では困難な仕事についてアシスタント講師から支援協力してもらうとともに、Bさんが軽減された授業をその講師が担当する。また、週1日午後、長期休業中のほとんどについて、自宅での研修が「承認研修」として認められてもいる。賃金等の削減はない。但し、ボーナス(勤勉手当)に勤勉率の加算が導入された初年度に、冬と夏とのどちらかですべての教員が上位区分による加算があるはずなのに、2回連続で上位区分から外されたときがあった。校長が勤務を評価してのことであるが、交渉で問い質しても、障害が理由であるとは言わなかった。教職員組合を通じて教委に抗議し、翌年からは他の教員と同様に冬夏のどちらかで上位区分に該当するようになった。

(3)Cさん(中学校、心臓障害)(障教連 1996; 栗川 2020a)
 過労となると不整脈を起こし、生命の危険もあるので、授業持ち時間の軽減を要求した。教委は軽減のための講師配置の制度がないということで、他の同僚に肩代わりしてもらう形での授業軽減ができそうな学校へ転勤をさせた。軽減が実現した年もあったが、その場合の賃金削減はなかった。しかし、転勤先で軽減が実現しないまま通常の授業をこなしているうちに過労となり、講師配置をしない教委の責任であるとして、Cさんは病気休暇申請を拒否して職場を離脱。それが欠勤・職場放棄とみなされ、給与停止ののちに、分限免職となった。

(4)Dさん(小学校、視覚・腎臓障害)(障教連 1994; 栗川 2020b)
 全盲であり、人工透析に週3回通院が必要な状態でもある。勤務時間内の通院保障と、視覚障害をサポートする人的加配を要求。教委は制度にないと拒否し、「指導力不足教員」制度に当てはめ、現場から外し、研修をさせた。上記Aさんとともに教委と交渉し、有給特別休暇による勤務時間内通院、職場内介助者の人的加配を実現して職場復帰を果たした。賃金等の削減はない。

(5)Eさん(小学校、下肢・内臓障害)(栗川 2017)
 脊髄拘束、腰から下が動かず、感覚はない。尻や足にじょくそうができやすい。痛みやしびれはある。自力で導尿、便と入浴は介助で。移動は車いすと自動車。突然発症し3年間病気休職して復職。1日8時間のフルタイム勤務は体力的に負担が重く、半日勤務を希望。校長らからは半日勤務は不可能で、非常勤となるか、退職しかないと言われる。障害教員団体、組合、議員などの支援を得ながら教委と交渉し、勤務時間は1日4時間程度で、午後4時間については病気休暇扱いで、主治医の診断書によって、年間を通して保障することとなった。年間180日の有給特別休暇を半日単位で取得することを教委が認めた柔軟な措置であった。賃金削減はない。職場には教員が加配された。しかし雇用主である市教委が政令市であり、県教委からの人事権移管に伴う制度改定がおこなわれた結果、年間の病気休暇が90日になり、Eさんの半日勤務は不可能となった。不足分を年休で対応しようとしたがまかなえず、体力の低下もあって退職した。翌年は、非常勤講師として働いたが、賃金は大幅に減った。

2.2 事例の分析

 この5人の事例を、「軽減労働同一賃金」が可能となった条件が何であったかの観点から分析する。

(1)公立学校の正規職員
 5人に共通する点として、公立学校の正規職員、つまり正規採用の地方公務員であることが挙げられる。一般に公務員は身分が安定し、労働条件もよく、賃金等の待遇も年齢や昇任昇格による昇給はあっても、能力や成果による差が少ないとみられている。賃金も月給制であり、時給換算の非常勤職員とは待遇が異なる。このことが、軽減された労働と、それに伴う賃金削減がおこなわれずに同一賃金が実現した要因の1つであると考えられる。

(2)中途障害
 5人の共通点として、中途障害者であることも挙げられる。採用時には非障害者であり、障害がある状態になって軽減労働を求めたが、それまでの実績はあり、能力がある(あった)ことも認められている。

(3)教員
 そもそも5人は教員であり、教員免許を保有し、教員採用試験に合格した。中途で障害のある状態になったが、その職務を遂行する中核的な能力を保有することは認められており、障害者雇用の差別禁止アプローチ(能力がある障害者を障害ゆえに差別してはならない)の有資格者であることが公認されている。このことが差別禁止アプローチによる同一賃金の主張をしやすくしている。また、教員の職務能力の評価については、5人の事例からは共通のものは見いだせないが、別項で検討する。

(4)有給特別休暇による勤務時間の軽減
 DさんとEさんは、勤務時間そのものの軽減短縮を求め、制度として既にあった病気休暇(有給)の弾力的な運用によって軽減労働を実現した。有給休暇であるので賃金削減は生じず同一賃金が実現した。Eさんの場合には、特別休暇の日数削減という制度改定の余波を受けて軽減労働が不可能となり退職することになった。

(5)業務分担(授業持ち時間等)の削減、人的加配
 Aさん、Bさん、Cさんは、勤務時間の軽減は求めていないが、授業の担当持ち時間の軽減と、軽減分の業務の同僚への負担転嫁がおきないための人的加配を要求した。Aさん、Bさんは実現し、賃金削減もなく仕事を続けることができた。Cさんは、人的加配が実現しないなか、同僚への負担上乗せで持ち時間軽減を一時的に実現したことはあったが長続きせず、職場を休まざるを得なくなり、その責任の争いのなかで免職となった。Dさん、Eさんも勤務時間の軽減にともない業務量も軽減され、人的加配によって職場内での同僚や児童などの抵抗感はほぼなかった。

(6)人事評価にもとづく昇給や手当、処分
 Aさん、Bさんは、同一賃金を崩すものとして、人事評価にもとづく特別昇給や勤勉手当の対象から外され、賃金の削減を受けた体験があった。ほぼすべての職員が平等に恩恵を受けられるように、ローテーションで(対象者が20%であれば5回に1回)当たるしくみになっているなかで、その順番のときに該当しなかったのである。2人とも、これを障害を理由とする差別的待遇として抗議し、以後は外されることはなく、同一賃金の枠内に留まった。Cさんの分限免職や、Aさん、Dさんが「指導力不足教員」とされたときにも人事評価が機能・影響していたことが推測される。

(7)合理的配慮
 以上の各項に共通することとして、勤務軽減等を合理的配慮として要求し、それが実現した際に、軽減(合理的配慮)を理由とする賃金等の待遇の低減がなされるのは差別に当たると障害教員が主張し、教委に受け入れられたときに、「軽減労働同一賃金」が実現している。合理的配慮の概念は、1990年にADA(アメリカ障害者法)で法定され、2006念の障害者権利条約で国際的にも承認され、2016年の改正障害者雇用促進法、障害者差別解消法の施行によって日本国内でも実働するようになった。5人の事例は1990年代から2010年代までと時期は異なるが、合理的配慮の考え方を基盤として「軽減労働同一賃金」を主張し、実現してきたことがわかる。とくにEさんの事例は2016年の法施行がなければ実現しなかったであろうと考えられる。

3. 考察

 前項の障害教員5人の事例をふまえて、「軽減労働同一賃金」が可能となる理論的・実践的な状況、条件について考察する。

3.1 「同一労働同一賃金」と「軽減労働同一賃金」

 「軽減労働同一賃金」の主張が想定している対立概念は「同一労働同一賃金」であるように見える。一般雇用において、2020年4月から「働き方改革関連法」により「正社員とパートタイム・有期雇用・派遣労働者との間の不合理な待遇差が禁止され」、「同一企業・団体におけるいわゆる正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者) と非正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)の間の不合理な待遇差の解消を目指すもの」として同一労働同一賃金が導入された(厚生労働省 2020)。ここでは、同一企業内で同一の労働をしている正規労働者と非正規労働者との間の同一賃金という、限定された状況での「同一労働同一賃金」が述べられている。本報告で取り上げる健常者(非障害者)と障害者との間の同一賃金については言及されていないが、「不合理な待遇差」を解消するという観点からすれば、障害があろうとなかろうと同一労働で同一賃金(待遇)を主張することは、合理的なこととして理解され得るだろう。この障害者と非障害者との同一労働同一賃金は、障害者雇用における「健康な障害者」モデルにおいて主張されるものでもある。現状において、この「同一労働」でさえ実現が困難であるなかで、「軽減労働」での同一賃金(待遇)を主張することは無謀のように思える。
 しかし、これまで障害者は、健常者社会への同化を求められ、それができなければ差別・排除も甘受すべきとされてきた。「障害があっても健常者と同じようにできる」と主張して「参加と平等」をめざす活動をしてきた。そして、この「同化」戦略でやっていける一部の障害者と、やっていけない多数の障害者との間に分断と差別が生じてもきた。そこで、健常者とは異なる、障害に応じた処遇や働き方を主張し、そのうえで不当な待遇差をさせない「異化」戦略の模索が始まってきた。「病弱な障害者」モデルの「軽減労働同一賃金(待遇)」の主張は、その「異化」の立場を取りつつ、「包摂と平等」を求めるものであり、障害者の実態に即した現実的な主張となり得るものだろう。

3.2 「軽減・労働・同一・賃金」の各概念の考察

 つぎに、障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の概念を構成する各語を分析する。意味のかたまり(文節)でみると、「軽減」「労働」「同一」「賃金」の4つの語に分解できる。この4つの語の示す概念が、障害者雇用においてもつ意味内容を吟味する。

(1)軽減
 いわゆる「一人前」(健常者一人分)の仕事量に対して、障害者が働くうえでは、さまざまな「軽減」(処遇の変更)が必要となる。これには大別して3種の「軽減」が考えられる。
 1つは勤務時間の軽減、すなわち短時間勤務である。時給換算の賃金体系では、この軽減は即、賃金の削減につながる。しかし、日給や月給、さらには年俸などの成果・能力給の賃金体系においては、勤務時間と賃金とは連結しない可能性はある。
 2つめは、業務量の軽減である。教員においては授業の持ち時間の軽減や、学級担任業務の免除、校務分掌の分担の軽減などが考えられる。これも時給換算のような非常勤講師の場合には、授業コマ数の増減が賃金の増減に直結するが、正規採用の常勤教員の場合には、他の重要な任務を担っている場合などに、ある種の業務軽減がなされることは、管理職や主任等の例をふくめて、よくあることである。また、他の業務がなくとも、その担当業務の重要度が高いと認められれば、いわゆる「単価」が高くなり、業務量がすくなくても、軽減とみなされない場合もあり、これも業務量軽減にふくめることができるだろう。
 3つめは、同一業務を複数の人の共同でおこなう場合である。障害者に割り当てられる業務量は、いわゆる一人分であっても、介助者・支援者が一緒に、あるいはサポートしながら業務を遂行する場合に、1人あたりの業務量は人数で割った少量になるわけで、これを軽減とみなされることがあるだろう。しかし、これも2つめのカテゴリーと同様に、他の業務との兼ね合いや、その業務の重要度によって軽減とみなさない可能性はあるし、軽減ととらえても賃金の削減に連動しないことは十分にあり得る。会社経営者や医師などの働き方をみても、秘書などの補助的な業務を担う人のサポートがあるからといって、その業務遂行の価値が下がるわけではない。また、雇用者側からすると、人的加配・人員増員にはコストがかかるので、それが賃金等の削減要因になり得るという主張もあるだろうが、これに関しては、物的な設備投資等のコストもふくめて、必要なコストなのか、不要で余計なコストなのかは、労働者だけでなく、顧客・利用者に対してのものもふくめ、社会的規制等との関係で変化し得る。
 
(2)労働
 労働の意味内容には、軽減や賃金との関係でみると、いくつかの側面があることがわかる。
 まず1つに、労働量、とくに労働時間である。これに関しては前述した。
 2つめは、労働能力である。機能障害・能力障害としてのインペアメントが問題となるとき、まさに障害者の労働能力(の低さ)が問われる。遠山は、障害者の労働能力に影響し健常者との能力差をもたらす4つの要因として、@労働能力の習得機会、A労働能力の評価における障壁、B労働能力の習得力、C労働能力の習得のために費やした努力量を挙げている。そのうえで、@ABは、個人の責任でなく社会的課題に分類し、Cの努力量のみを個人の責任とする「責任モデル」を提唱した。その結果、「労働能力の習得機会の少なさ・評価における障壁・習得力の低さの3つの要因による能力差を理由とした排除が、個人にとって責任のない問題として特定され、それらの社会的解決が正当化された。これにより、従来のモデルの理論的な弱さや対立を解消し、あらゆる障害者の問題を過不足なく把握・解決しうるモデルが提示されたことになる」と主張している(遠山 2005)。これは障害者雇用、とくに採用時に障害者の能力をどのように評価するかということに関して、従来の能力主義モデルと反能力主義モデルとの対立・矛盾を止揚する理論として主張されているものであるが、軽減労働と賃金との関係を考えるうえでも、とくにA労働能力の評価における障壁を、個人にとって責任のない問題として特定して、それらの社会的解決が正当なものとして求められるとする指摘は重要である。
 3つめは、労働の成果・業績である。これは生産と言い換えてもよく、労働の結果として生産されたもの(価値)が問題となる。労働の対価としての賃金を考えるとき、この成果(生産)は重要であるが、その評価・計量・数値化には大きな困難がともなう。計測が比較的に容易と思われる営業販売(自動車を何台売ったか)やプロスポーツ選手の成績(ホームランを何本打ったか)であっても、割り当てられた営業地域や対戦相手チームの状況、スタッフの支援などによって成果は大きく増減するだろう。どこまでが個人の成果で、どのような社会的環境が影響したか、職場の協力関係はどうであったかなどを考慮しなければ公正な業績評価はできないだろう。ましてや成果(生産)そのものがわかりにくく、結果がすぐには出ない教育現場での労働においては、目先のテストの点数や難関大学合格者数などの数値化しやすい指標で業績評価をしようとしたり、自己申告型の目標設定と達成度で評価しようとしたりと、難しい問題をはらまざるを得ない。  以上、「労働」に関しては、個人の能力や業績の評価において困難があり、労働と賃金の等価交換の原則が単純に適用できないことがわかる。

(3)同一
 「同一/軽減労働同一賃金」を考えるとき、「同一」には2つの側面がある。1つは「労働と賃金の等価交換」原則における「等価」であり、労働とその対価が同等・同一であるということである。労働の量や成果を計量・数値化し、それに同等な賃金を対応させるという、いわば「垂直的同一」である。これについては他の項目で述べている。
 もう1つは、他の労働者との同一・同等の賃金(待遇)ということである。昨今の「働き方改革」においては、正規社員と非正規社員との「同一労働同一賃金」が課題とされ、本報告では障害者と非障害者との「軽減労働同一賃金」がテーマとなっている。これは、いわゆる「横並び」の、他との比較における「水平的同一」と言えるものである。
 この「水平的同一」に関しては、労働者の処遇(労働時間や職場環境、業務分担等)と、待遇(賃金、報酬、昇給等)を分別して考慮する必要がある。  榊原は、身体を顧慮した社会的包摂を構想し、「包摂的異別処遇」の正当性を理論的に明らかにした。これは本報告における「軽減労働」に相当する。障害者が働くうえで、軽減をふくめた異別処遇は必要であり、その要求に正当性があると言える。障害者権利条約等でいう「合理的配慮」も、これに当たると言えるだろう。
 いっぽう、遠山は、障害者雇用、とくに競争的な採用における「責任モデル」を提示し、個人の責任に帰せられるものを労働能力における努力量のみに限定し、他の要素は社会的に解決すべきとした。この理論からすると、個人の努力量に応じた賃金等の待遇の異別化は正当化される。これは「垂直的同一」でなく「垂直的異別」を容認することである。
 この榊原と遠山の理論を重ね合わせた先に言えることは、採用後の包摂された職場環境での、異別処遇・「水平的同一」待遇の可能性である。すなわち、採用後の勤務条件として軽減等の合理的配慮が障害労働者の処遇として提供されたとしても、それを理由として、他の労働者と比べて不利な扱いをせず、賃金等の待遇を同等に保障するのである。もし個人の努力量を公正に計測できるとすれば、それによる待遇の上下は理論的にはあり得ることになる。

(4)賃金
 最後に、賃金等の待遇の問題である。一般に「賃金決定の3原則」として、@労働対価の原則、A生活保障の原則、B労働力の市場価格の3つが挙げられる。本報告では労働の対価としての賃金を中心に検討してきた。
 生活保障としての賃金を考える場合、障害者の低賃金を補てんする社会保障給付(障害年金等)をもふくめて考えればよいという主張がある。たしかに、生活するうえで必要・十分な収入が総額として保障されるのであれば、その内訳が労働の対価としての賃金であろうが、社会保障としての年金であろうが問題ないであろう。しかし、それでは障害者の低賃金が是認・温存されることにもつながる。
 労働の対価、そして労働力の市場価格としての賃金には、もちろん労働者の収入として生活費をまかなう側面はある。しかし、それだけでなく、労働(の能力、成果等)に対する評価、労働者の社会的位置づけ・評価の側面も持つ。つまり、賃金が低いということは、その人の労働の能力や業績が低く評価されているということであり、それはその人の労働そのもの、その人自身の社会的評価の低さを現わすことになる。障害者の賃金の低さが社会的問題であり、社会的に解決しなければならないとすれば、賃金以外のもので補てんする前に、低賃金そのものを社会的に是正する必要があるのではないか。

3.3 障害教員の処遇・評価・待遇

 障害者雇用において最も遅れ、最も課題を抱えているのが障害教員の雇用であると言える。というのも、日本の障害者雇用政策は障害者雇用促進法によって進められてきたが、そこでの雇用促進の手法は割り当て雇用制度であり、全従業員数の一定の割合の障害者を雇用することを雇用者に義務付けるものである。厚生労働省はいくつかのカテゴリーに分類して障害者雇用の統計をとっているが、都道府県と政令市の教育委員会だけが、法制定以来、一度も法定雇用率を達成したことがないのである。2017年に初めて達成したかと思われたが、それは障害者数を水増しするなどの虚偽報告によるものであった。
 いっぽう、公共・民間をとわず一般企業では「障害者に適した業務」(多くの場合は単純な軽作業)を抽出し、それを障害者に担当させるという形で障害者雇用を進めてきた経過もあり、特定子会社制度などはその典型である。教員に関しては、そういったいわゆる「逃げ道」が雇用者側になく、教員という専門職で雇用を進める以外にないという事情もある。最近は事務職や技術職など、教員以外の職種で障害者雇用を進めようとしている教育委員会の取り組みも観られる。  障害教員の雇用は、障害者雇用の例外的な領域であるようにも思えるが、一般就労を進めるうえでは、「障害者に適した業務・職種」として特別に選別されたわけではない一般的な業務・職種である教員には、他の一般就労に共通する普遍性があると言える。
 また、教員は教員免許状を保有しているという点で、障害者雇用における差別禁止アプローチにおける有資格者であり、その労働能力の根幹部分に関しては形式的には能力があるとみなされている。さらに採用試験に合格して正規職員として採用された者の教員としての能力は雇用者側も認めるものである。教育委員会が採用する公立学校の教員は地方公務員であり、その身分保障については、一般に民間企業よりは安定していると考えられてもいる。私立学校の場合には、公立学校と異なる条件があるが、ここでは顧慮しない。
 前項でも一部検討したが、教員の労働量や成績評価については、職員集団での取り組みなど他の教職員との多様な関係があり、またそもそも個人の労働を数値化して計測することが困難でもある。
 このような状況にある教員が障害をもつ場合に、その処遇、評価、待遇がどうなるかが問題である。障害に応じた処遇が、その評価と待遇の低減につながらなければ「軽減労働同一賃金」は実現していくことになる。すなわち、均質性が高く、能力も有しているとみなされ、その業績評価の数値化が難しいという教員集団のなかで、障害および障害に対する処遇を理由として、賃金を下げるなどの待遇の低減が「不合理な待遇差」であると言えるのであれば、障害教員と他の教員との待遇の「水平的同一」は可能となるはずである。
 しかし実際には、勤務軽減や支援のための人的加配等の障害に応じた処遇そのものがなされず、またそのような処遇の根拠となる制度も未整備のままである(中村 2020)。また障害や障害に応じた処遇を理由に、現場から外したり、評価や待遇を低下させたりする事例もまだある。この「軽減労働同一賃金」は、学術的・理論的な課題であるとともに、実践的・社会運動的な課題でもあると言える。

3.4 「軽減労働」と「同一賃金」の接合

 ここまで分析してきた障害教員の事例や語句の概念をふまえて、「軽減労働」と「同一賃金」とをどのように理論的に接合していくことが可能であるかを考察する。

(1)労働の能力・成果で評価しない反能力主義アプローチ
 まず、同一労働であろうが、軽減労働であろうが、その労働の能力や成果に無関係に、すべてのメンバーに同一賃金を支給することが考えられる。メンバーシップは同一企業(組織)に属する者ということにしておく、構成員個々の能力や成果の評価はせず、待遇は同等とされる。その集団に属するということが有資格、有能力とみなされ、構成員相互の差異は不問とされる。年齢による昇給と、それに伴う賃金差はあるが、能力や成果によって差をつけない公務員集団も、この範疇に入れることができる。国会や地方議会の議員などは、年齢による差もなく、能力や業績は不問で、同一賃金が支払われている。選挙という評価の機会が任期ごとにあり、当落はメンバーシップの存否に直結するが、得票・成績の多寡は当選後の報酬には連動しない。一旦議員の身分を獲得すれば、障害があっても、ほとんど議員としての仕事をしていなくとも、同一賃金である。
 いっぽうで、福祉的就労や社会的就労において、低賃金ではあっても平等を重視し、その企業(作業所等)のメンバーに同一賃金を支払う例もある(米澤 2014)。ここでも半能力主義のアプローチはなされているが、議員の高収入と、何が違うのだろうか。集団(組織)全体の収入が税によるのか、市場から得られる事業収入によるのかで違ってくるし、税の投入額の差は、差別や権威主義もふくめた社会的評価の差によるのだろう。
 さまざまな問題をはらみつつ、また状況の限定は必要であるが、反能力主義アプローチによって「軽減労働」と「同一賃金」とを接合することは、理論的には可能である。

(2)労働の能力・成果で評価する能力主義アプローチ
 「軽減労働」と「同一賃金」とを、能力や成果の評価を伴って接続するためには、労働は軽減されていても、能力や成果(生産)は低減していないと評価できればよい。そのためには、次のような実践的手法や理念的解釈が考えられる。
 @有給の特別休暇による勤務軽減
 勤務時間の軽減・短縮が働くうえで必要な障害者がいる。人工透析等の定期通院が不可欠であり、それを勤務時間後の夜間におこなうのは負担が重く、勤務時間内(午後等)におこなう場合や、そもそも体力的、精神的に長時間の勤務が困難な場合などである。そのような「病弱な障害者」が休暇を取って職場を離れる際に、通院等のための特別休暇が有給で必要十分に権利として保障されれば、勤務は軽減しつつ、賃金の削減はおこらない。現行制度下でも、年間90日あるいは180日の傷病休暇が認められている地方公務員の例はあるが、短期的・急性の疾病の治療に対応したもので、継続的・慢性の障害に対応しておらず、前年に特別休暇をすべて取ると翌年は取れないしくみになっている例がほとんどである。この特別休暇のしくみを拡充して障害に対応したものに改革すれば、この種の軽減労働の同一賃金は、理論的にも実践的にも可能となる。
 A合理的配慮
 勤務時間の軽減のほかに、仕事の分担量の軽減や、同僚等の人的支援を受けることによって職務遂行が可能となる障害者がいる。このような軽減・支援は、障害者権利条約で言う「合理的配慮(調整)」にあたり、必要な合理的配慮が提供されないことは差別となる。他の人との平等を確保するための合理的配慮が提供され、そのために労働量が低減したからといって、それを理由として賃金等の待遇を低減したのでは、結果的に不平等で差別的な取り扱いをしたことになる。勤務評価において、障害を理由とした差別、合理的配慮を提供したことを理由とする差別を、直接にも間接にも、「不合理な待遇差」として禁止していくことは可能である。
 B評価対象・基準の拡充(多様化)
 具体的な労働の場で、「労働と賃金の等価交換の原則」が、どのような形で組み込まれているか、とくに、計測が困難な「能力」や「成果」が、どのように計測可能なものに還元され、数値化されているかについては吟味していく必要がある。とりわけ教育現場では、教員の人事評価において、計測困難な教育実践の活動が、集団から切り離された個人の営みに還元され、しかもそのある種の「能力・資質」や「業績・成果」を計測可能なものとして焦点を当て、それ以外の能力や業績等を不可視化しつつ、あたかも存在しないかのように擬制して、その労働を数値化していくことが進行してきている。障害教員などが「指導力不足教員」として現場から排除されたり、賃金(とくに特別昇給や勤勉手当等)の査定で不利益な扱いを受けた事例も観られた。
 労働の能力や成果が査定されるときに、評価の対象となっていない項目に、実は重要なものがあることは考えられる。能力が低い、成果が上がっていないと評価されがちな障害者の隠れた能力、隠れた成果に照準を当て、可視化することで、それまで計測・数値化されてこなかった能力や成果を正当に評価し、それを賃金等の待遇に反映させることはできるだろう。
 SDGs(持続可能な開発目標)が企業の経済活動の評価に影響を与え、従来の生産・利益第一主義の経済から、環境や人権に配慮した経済への転換が迫られているが、障害者雇用においても、より多様な評価対象・基準が設定されることが望ましい。「能力がなくても認めろ」という反能力主義のアプローチが可能であることは前述したが、「能力はあるのだから、それをちゃんと認めろ」という能力主義的なアプローチも、「軽減労働同一賃金」を可能にする理論として成り立ち得るだろう。それにとどまらず、多様な価値が社会(企業や教育現場など)のなかに組み込まれていくことが、持続可能な共生社会の実現につながっていくかもしれない。

4 おわりに


4.1 結論

 本報告の事例の検討と考察を通じて、障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張が、理論的・実践的に可能となる状況、条件の一部が示された。その「可能性の条件」として、以下の各項が考えられる。これらの項目は、各々の場合に可能である事例があったことを示してはいるが、ここに例示したものがすべてでもないし、ここに例示されていない場合には不可能であるという意味でもない。
 @有資格者として採用された正規職員で、能力や成果を問われずに、同一の賃金等の待遇が保障される場合。
 A勤務時間の軽減が、有給の特別休暇等で権利として保障される場合。
 B業務分担量の軽減や、人的支援等が合理的配慮として提供され、それを理由とした待遇低減が不合理(差別的)とみなされる場合。
 C能力や成果の評価において多用な評価項目、評価基準が設定され、障害に応じた労働が正当に評価される場合。

4.2 今後の課題

 本報告は、「障害教員の社会運動史」研究のなかで見いだされた、障害者雇用の「病弱な障害者」モデルにおける「軽減労働同一賃金」の主張に関して、理論的・実践的な検討を試みたものであるが、この研究はまだ端緒についたばかりである。本報告では、一種の思考実験を試みているが、厳密な先行研究の検討(手続きにもとづいた引用等)や、具体的な事例にもとづく実証的な分析も不十分である。それらは、今後、本課題を論文化していく過程で補充、修正していくつもりである。
 また、本報告の結論についても、網羅的な検討を経て得られたものではなく、暫定的・部分的であると言わざるをえない。この報告を1つの問題提起として受けとめていただき、質疑討論を通して、よりよいものへと練り上げていく機会をいただければ幸いである。

文献




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■質疑応答

※報告掲載次第、9月19日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はtae01303@nifty.ne.jp(立岩)までメールしてください→報告者に知らせます→報告者は応答してください。宛先は同じくtae01303@nifty.ne.jpとします。いただいたものをここに貼りつけていきます。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。→http://jsds-org.sakura.ne.jp/category/入会方法 名前は特段の事情ない限り知らせていただきます(記載します)。所属等をここに記す人はメールに記載してください。


◆2020/09/10 阿地知進(金沢大学大学院)

栗川 治 さんへの質問です
 「同一労働同一賃金」は費用対効果に準拠し、「軽減労働同一賃金」は費用対効果に矛盾しています。
 費用対効果は、もとをただせば投下労働価値説で説明できますが、アダム=スミスやマルクスあたりまで話を戻せば、マッチ棒を単位時間に100本作る労働が30円に当たるとすれば、単位時間に50本しか作れない人は15円しか価値を生まない労働者になります。この時、労働者は、障害者であろうがなかろうが関係ありません。資本主義のルールからすれば、費用対効果で考えることは当たり前であり、費用対効果では考えられない福祉は、存在できないものです。もともと、資本主義と社会(共産)主義の1930年代問題(資本主義が行き詰まり、やがて社会主義の時代が来るというマルクス主義の見解とそうではないとする資本主義の対立)で、資本主義が社会主義に対抗するために、資本主義の修正として福祉を取り入れたものと考えられます。(修正資本主義など参照に)        
したがって、資本主義が福祉をいうとき、論理的には、多くの矛盾があると思います。そこで、障害者の社会参加には、費用対効果ではない労働の考え方が必要なんだと思います。(例えばベーシックインカムとか。)
 ご報告の結論は、「障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張」を、実践的に可能な場合を、普遍的ではなく、かなり特殊なもので挙げていると思います。また、「障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張」を、理論的に可能とは言えていないと思います。
 やはり、いくつもの事例を踏まえて、障害者一般を包摂するような、障害者の労働に対する、新しい価値観に向かう理論が必要ではないかと思います。つまり、資本主義の論理では、障害者の社会参加を価値換算(貨幣勘定?)できないのではないかと思うのですが。(「労働と賃金との連結を一旦切断(以下略)」で、一旦ではなく、切断したままで考える方が・・・)
以上です。
 よろしくお願いいたします。
阿地知進

◆2020/09/11 栗川治

栗川治です。
阿地知進さんの質問にお答えします。
ご質問、ご意見、ありがとうございました。

> ご報告の結論は、「障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張」を、実践的に可能な場合を、普遍的ではなく、かなり特殊なもので挙げていると思います。<

のご指摘はそのとおりで、本報告では「正規採用の公務員である教員」という限定された条件にある障害者の事例から言えることを結論としています。

> いくつもの事例を踏まえて、障害者一般を包摂するような、障害者の労働に対する、新しい価値観に向かう理論が必要ではないか<

のご意見には賛同します。本報告は、その「新しい価値観に向かう理論」としての「異別処遇・同等待遇」へ向けた試論です。

> 「障害者雇用における「軽減労働同一賃金」の主張」を、理論的に可能とは言えていないと思います。<

のご意見については、私としては「軽減労働同一賃金」の主張の理論的可能性を考究し、ある条件の下では「理論的に可能である」ことが言えたと考えています。まだまだ不完全な議論であり、いただいたご指摘などをふまえて、今後理論をより洗練されたものにしていきたいと考えています。

> 障害者の社会参加には、費用対効果ではない労働の考え方が必要なんだと思います。(例えばベーシックインカムとか。)<

のご意見のような「反能力主義アプローチ」も重要な方向性を示しているとは思いますが、私としては、「労働と賃金の等価交換」を一旦切断し、それを再結合したいと模索しているところです。なぜならば、賃金のもつ「労働の価値評価」の側面に着目した場合、「障害者の低賃金は当然」という>費用対効果<的な見方が前提としていることを疑い、吟味していくことで、障害者に対する低い評価を覆していけるのではないかと考えているからです。
 今後とも意見交換、議論させていただければ幸いです。


◆2020/09/12 阿地知進(金沢大学大学院)

栗川 治 さんへ
阿地知です。
ご回答ありがとうございます。
一つだけ、付け加えさせてください。

>賃金のもつ「労働の価値評価」の側面に着目した場合、「障害者の低賃金は当然」という費用対効果<的な見方が前提としていることを疑い、吟味していくことで、障害者に対する低い評価を覆していけるのではないかと考えているからです。

→(もう何年も前から、いろんなところで述べているのですが) 障害者雇用の観点で、政府の「(障害者は)生産能力の低い人、企業にとっては経済的負担になる人、そのために企業間の不公平さをなくすために雇用納付金制度を実施する」という、考え方が根底にあり、広く波及してしまっていると思います。障害者の賃金が低いことも、重度の障害者を1人雇用すれば2人雇用したことにする(ダブルカウント制)こと等、いろいろなおかしなことの根拠になっているように思います。

以上です。


*頁作成:岩ア 弘泰
UP: 20200826  REV: 20200911
障害学会第17回大会・2020  ◇障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
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