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「欧州の精神障害者の組織による東欧における活動」

伊東 香純 2020/09/19
障害学会第17回大会報告 ※オンライン開催

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last update: 20200824


質疑応答(本頁内↓)



■キーワード



■報告レジュメ

1 はじめに

本研究の目的は、精神障害者の欧州規模の組織において、西欧や北欧地域の精神障害者が、何を連帯の基盤として東欧地域の精神障害者とともに活動しようとしたのかを明らかにすることである。
 冷戦の時代、東欧の多くの国はワルシャワ条約機構に加盟していた。ロシア革命頃からのソヴィエト精神医学について、英国の精神科医のブロック(Sidney Bloch)と政治学者のレダウェイ(Peter Reddaway)は、政治的な目的で利用されていた背景や事例の検討、及び1960年代後半から徐々にその実態が国際的に知られるようになり、西洋諸国から批判された経緯を描いた(Bloch and Reddaway 1977=1983)。1970年、ソ連の生物学者で歴史学者であったメドヴェージェフ(Жорес Александрович Медведев) は、著書『ルイセンコ学説の興亡』の内容に問題があるとして精神病院に拘禁された。その後、双子の弟を中心に学術界の知人などが国境を越えて協力し、約3カ月後に解放されたという経緯を記した兄弟の著書では、医学的理由と政治的理由とを区別することの重要性が繰り返されている(Medvedev and Medvedev 1971=1977)。アメリカ精神医学会は、国連人権委員会においてこの問題を議論することを求め、その結果として1991年の国連総会で「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」が採択された。(Van Voren 2010: 200-201)。その原則では精神疾患を理由とした非自発的介入の基準が示されている。
 精神障害者の社会運動についての研究は、主に1960年代以降の米国と英国の運動を対象としてきた。それら研究は、精神医療の専門職との関係や、非自発的介入、精神医学的診断といった実践に対する主張に主に注目してきた。英米以外の地域については、重要な出来事に関する研究はあるものの、通史が描かれるには至っていない。東欧における精神障害者の運動についての数少ない研究は、国内の運動に主に焦点を当てており、欧州規模の運動に東欧の精神障害者が参加する過程についてはあまり書かれておらず、ネットワーク内部における東欧の参加に関する議論には触れられていない(Rose and Lucas 2007)。
 精神障害者の欧州規模の組織は、1991年に発足した。当時、東欧の多くの地域は、東欧革命の直後であり、発足当初の組織のメンバーは、西欧や北欧の活動家が中心であった。しかし、組織の発足当初より東欧地域の精神障害者と共に運動していくことは重要な課題として取り上げられてきた。政治体制の差異や精神医療の運用の仕方の差異を考慮すると、一見すると西欧や北欧の精神障害者にとって、自分たちのおかれている状況を変革するために、東欧の精神障害者と同じ組織で活動することにはあまり利益が見出せないように思われる。それでも、東欧地域と共に活動しようとしたという事実に本研究は注目する。


2 対象と方法

本研究は、「欧州精神医療(元)ユーザー・サバイバーネットワーク(European Network of (Ex-)Users and Survivors of Psychiatry: ENUSP)」 [註1] を検討の対象とする。ENUSPは、欧州規模の精神医療のユーザー、サバイバーの組織及び個人の組織である。(元)ユーザー、サバイバーとは、「精神医療サービスをかつて受けていた、あるいは現在受けている人たち」のことを指すが、「この用語は個々人の定義に基づいて使用、理解される」(ENUSP 2014: 2)。精神障害者の欧州規模の組織は他にも存在するが、メンバーをユーザー、サバイバーに限定し、本人の声を代表することを目的としている組織は、ENUSPしかない。
 東欧の範囲について、国境も地域の境も時代や分割の目的によって変化するものである。本研究では、ENUSPにおいて東欧がどのような地域として扱われてきたのかをより明確にするために、ENUSPにおいて東欧として扱われてきた範囲を東欧とする。また、本研究は、ENUSPの発足から1999年の第4回総会までを対象とする。理由は、この時期、東欧での活動が重要な課題の1つとして認識されていたこと、第3回総会のあとENUSPは資金難となり東欧への支援が比較的不活発になったことである。
 本研究では、ENUSP及び関連組織の文書史料の収集のほか、4名の活動家にインタビューを実施し、ENUSPの活動を記述した。4名は、レーマン(Peter Lehmann)、ルソ(Jasna Russo)、ジェンセン(Karl Bach Jensen)、ジェスパーソン(Maths Jesperson)である。4名以外にもENUSPの活動家にインタビューした上で、特に東欧地域における活動を牽引してきた4名を本研究の対象とした。レーマンは、主に西ベルリンで活動し、1997年の第3回総会でENUSP議長に選出された。ルソは、ユーゴスラビア連邦のベオグラードの2つの精神医療施設で、20歳から27歳までに強制的な入院と治療を受けた。1991年、父親の同意によって2度目の入院を経験したときルソは、望まない入院を防ぐため、また、ボスニアとの戦争による政治状況の悪化等の事情も勘案して1992年にドイツに移った。ジェスパーソンは、主にスウェーデン南部で活動し、ENUSP発足以前からポーランドの精神障害者と交流していた。また、1990年代のENUSPのニュースレター発行を担当していた。ジェンセンは、主にデンマークのコリングで活動し、1994年の第2回総会でENUSP共同議長に選出された。4名のインタビューは、2018年8月から2019年9月までのあいだにインタビュイーの自宅あるいはインターネット通話にて実施した。インタビューは、半構造化の形式をとり、実施時間は70分から200分であった。インタビュイーには文字起こしの確認を依頼した。


3 ENUSP発足当初

ENUSPの第1回総会は、1991年にオランダのザンドフォールトで開催された。第1回総会における東欧の出席者は、ポーランドの人だけであった(伊東 2019: 208)。しかし、それ以前から東欧の精神障害者は、家族や友人を通じて他の欧州の運動家と交流を持っていた。
 ルソは、1987年、友人に会うためにドイツを訪れたとき、ドイツに精神障害者の組織、「狂人の攻撃(Irren Offäsive)」があることを知った。その組織を訪問してみようという話になって電話をかけると、担当者は精神医療の経験があるか尋ね、2人があると答えると訪問が許可された。このような経験はルソにとって初めてのことだったという。このときの訪問は簡易なものだったが、この体験はルソにとってとても重要なものであった。その数年後、ドイツの人たちは、7人くらいで訪ねてきてユーゴスラビアの3つの地域を回った。その中にはレーマンもいた。ルソは、ENUSPの第1回総会に出席予定だったが、入院していたため叶わなかったという(Russo interview on 10 September 2019)。
 レーマンは、主に東ベルリンを通じて東欧との関係を持っていた。レーマンの家族は、当時のドイツ民主共和国にもおり、家族や幼いころの友人を訪ねて、ライプツィヒに行ったとき、違法なことをしている集団に会ったり、雑誌をあげたりしていた。施設収容されていた人々は、ドイツ民主共和国では仕事を得られないため、「若年年金者」として東ベルリンから西ベルリンへの境界を通ることができた [註2]
 レーマンは、ドイツ民主共和国の人を第1回総会に誘ったと話している [註3](Lehmann interview on 31 August 2019)。
 ENUSPの第2回総会は、1994 年5 月26日から29日にデンマークのエルシノアで開催された。第2回総会では、組織の運営機関として理事会が設置され、理事たちは各理事の活動地域を回りながら会議を開催するようになった。1994年8月13日から16日に開催された、第1回目の理事の会議では、東欧との協力が議題の1つになった。協力は、連絡先を交換し、東欧の状況を把握するところから始まった。ENUSPは、世界保健機関の精神保健分野の地域アドバイザーを通して、東欧の国の連絡先を聞いた。また、デンマークの精神医療専門職と精神障害者などの合同の組織であるSINDが、同年11月25日から27日に全国規模の精神保健連盟についてのセミナーを開催予定だと報告した。セミナーは、精神医療専門職や精神障害者などの合同の組織である世界精神保健連盟の欧州地域評議会との共催であり、東欧の10か国から、それぞれユーザー、家族、専門職1名ずつに出席してもらうことになっていた。そのセミナーの場で、ジェンセンがユーザーの出席者にENUSPの連絡先を教えることが合意された(European Desk 1994a)。

 

4 ハムレットトラストとの協力

ハムレットトラストは、「精神保健の問題をもつ人々のための代替的なサービスの発展を助けるために1988年に発足した」。本部は英国にあり、活動の焦点は、「共産主義の崩壊後の社会的、経済的な激動の只中にある地域社会と共に活動すること」にある。中欧、東欧、中央アジアでのサービス利用者自身による組織の結成、支援、発展のために活動している(Hamlet Trust 2020)。ジェンセンによると、体制に反抗した人に統合失調症のレッテルを貼り、政治的な脅威として監獄の代わりに精神病院に拘禁するというシステムに対する批判は、西欧社会においては大衆の支持が得やすかった。東欧の一部では人間を動物のように檻に入れる等「今では夢にも思わないこと」がおこなわれていた。これに対して多くの国際的なNGOが東欧に行って実態を明らかにし、変革を求める人々の支援をしようとした。その1つがハムレットトラストであった(Jensen interview on 03 September 2019)。英国のユーザー、サバイバーの運動で活動してきたローズ(Diana Rose)とハムレットトラストで相談役や取締役(director)を担ってきたルカス(Jo Lucas)によると、ハムレットトラストのネットワークの多くの組織は、精神医療の専門職によって設立された。その専門職たちは、多くの場合若く自分たちの組織を作りたいと考えていた。変化を起こすには精神医療体制から抜け出す必要があると考え、少ない資源や権力を分け合おうとしていた。しかし、ユーザーによる活動の実効性には懐疑的であった(Rose and Lucas 2007: 348)。ルソによると、ハムレットトラストは、東欧の精神医療を人道的にすることに活動の焦点があり、ENUSPの支援ではなかったものの、ENUSPに非常に友好的であった(Russo interview on 10 September 2019)。
 1994年10月1日と2日にハムレットトラストは、ポーランドのワルシャワで地域ワークショップを開催した。その事前の準備としてENUSPに東欧のユーザーの連絡先を訪ね、ワークショップにジェンセンを招待した。ただし、ENUSPにとって、自分たちとハムレットトラストは競合関係にあるように思われ、また、機会をあまり与えられなかったために、ワークショップの場でENUSPのことを宣伝するのは難しかったという。ハムレットトラストは、英国のユーザーの運動と緊密な関係にあるかのような印象を与えていたが、実際にはそうでもなかったように思われた。ハムレットトラストはポーランドに事務所をもっていたものの、その当時ユーザーの団体に資金提供はされていなかった(European Desk 1994b: 6-7)。
 ルソは、ENUSPの理事として何度かハムレットトラストのセミナー等に講師等として関わったのちに、相談役(consultant)として雇われた。ハムレットトラストは、ルソに東欧でのトレーニングの担当を依頼し、ルソはルーマニア、ハンガリーに2回、ポーランド、エストニアに1回ずつほど訪問した。トレーナーは、ルソの他にも英国の運動のメンバーやハンガリーのゴンボ(Gábor Gombos)[註4] などのサバイバーの活動家のほか、人権分野で仕事をする人やハムレットトラストの相談役になっている人が担当していた。トレーニングは、テーマを設定した2時間ほどのものだった(Russo interview on 10 September 2019)。
 1997年1月3日から6日までENUSPの第3回総会が、学生がいない時期の英国のレディング大学の施設を使用して開催された。ハムレットトラストは、東欧からの参加者の渡航費用を支援した。支援を受けたのは、アルバニア、エストニア、ハンガリー、チェコ共和国、ブルガリアのメンバーであった [註5] 。東欧地域では、ビザ取得は大きな負担である場合が少なくなった。ジェスパーソンによると、1997年にフィンランドのラフティで開催された「世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク」の総会に参加を希望していたブルガリアの女性は、ビザの申請料が1カ月分の給与と同額であったため、渡航を諦めた(Jesperson interview on 02 August 2018)。


5 東欧はどのような地域として説明されていたか

ルーマニアのマリン(Mihai Marin)は、ENUSPの第2回総会に出席した際に、地元のジャーナリストからインタビューを受け、それは、総会についての記事の一部として『南スウェーデン日刊新聞(Sydsvenska Dagbladet)』に掲載された。記事では、当時27歳のマリンが、10回の入院を経験し、大量の向精神薬と20回の電気ショック療法を処方されたことや、頭に拳銃を突き付けられて、共産主義体制に反対すると言った理由を説明させられ、秘密警察によって精神病院に拘禁された経験が書かれた(European Network of Users and Ex-Users in Mental Health 1995a: 7)。また、ルーマニアについてENUSPのニュースレターでは、民主的反対派が、ブシュテニ市の議員を政治的な理由で「精神錯乱」になったと中傷した例や、10代の少女が共産主義順応主義に賛同していないために両親によって精神病院に入院させられ、服薬をやめられなくなった例も伝えられた(European Network of Users and Ex-Users in Mental Health 1995b: 4)。
 ニュースレターでは「元ソ連の新しい国家における精神医療の患者の状況は、社会の混沌とした変化と計り知れない貧困のために、想像が難しい」と説明されている。ジョージアの精神医療の予算は、1つの精神病院の電気代分しかなく精神病院はほとんど空っぽで、多くの元患者たちが路上で暮らしている。他方、ウクライナでは、多くの患者が、それが政府からの食糧配給を得る唯一の手段であるため、病院に入っていた。また、ウズベキスタンにおける、元ソ連の法律をすべて無効にし強制治療に関する新たな法律がまだ成立していない状況は、「すべての患者を病院から解放しなくてはいけないことを意味する」と紹介されている。さらに「資金がないため、患者に薬を投与できない」状況について「世界で唯一、100パーセント強制治療からも向精神薬からも解放された国なのです!」と評価されている(European Network of Users and Ex-Users in Mental Health 1996: 10)。


6 東欧地域の活動の活発化

第3回総会で理事が交代してから初めての、オランダで開催された第8回目の理事の会議でENUSPの事務機能を担ってきた欧州デスクは、1997年分の欧州デスクの資金が未だに確保されていないと報告した。オランダ政府からの資金提供は、1996年の分よりは少なく、欧州デスク担当者の賃金の分だけだった。そのため、いままでは東欧の理事の費用を欧州デスクの予算から支払ったりしてきたが、今後は難しくなると説明された [註6] 。その約1年後に再びオランダで開催された第13回目の理事の会議の頃にはオランダ政府は、民間機関の患者基金に資金提供機能を委ねるようになり、その患者基金がもうENUSPにも欧州デスクにも資金提供しないと言いだしていた。ENUSPの運営は、欧州デスクの機能に依存してきたため、これは大きな危機であった(ENUSP 1999: 10-11)。
 1998年12月15日付けで第4総会の出席予定者に欧州デスクから案内状が送付された。案内では、まだ経済状況について理事に知らせていない参加者は、払い戻しのために知らせるよう求めていた。もう一つ、地元の組織の中でENUSPのメンバーになるかどうか話し合ってくることが総会参加者に求められていた。これは、1999年以降の助成金を得られる可能性に関係するので、特に重要とされた(European Desk 1998)。
 その頃、東欧地域では精神障害者による活動が徐々に活発になってきていた。1997年、ブルガリアのソフィア精神保健協会からの依頼で、ENUSPの代表としてジェンセンとゴンボが講演を予定していた。また、ゴンボは、ポーランド、チェコ共和国、ハンガリーで法的な権利擁護のトレーニングをおこなったり、ハムレットトラストが企画したルーマニアでの大会でワークショップを担当したりしていた(European Desk 1997)。1998年1月9日から11日にハンガリーのブダペストで開催された第12回目の理事の会議では、オランダの患者組合の支援によってベルギーで新しいユーザーの団体が活動を始めたこと、チェコ共和国で新しいユーザー主導の団体が結成されたことが報告された(ENUSP 1999: 10)。

 

7 まとめ

東欧地域におけるENUSPの活動を調査した結果、1989年の東欧革命やベルリンの壁の崩壊よりも以前に西欧、北欧の精神障害者と東欧の精神障害者とは交流を持っていたことが明らかになった。交流の1つは、伊東(2019)に指摘されている北欧の精神障害者団体による政府の支援を受けた交流活動である。もう1つは、個人の家族や友人を介した交流である。具体的には、レーマンによる東西ベルリンの交流や、旧ユーゴスラヴィアのルソによるドイツ訪問などである。特にベルリンにおける交流では、東ベルリンの年金生活者は西ベルリンに移動できるという慣習が利用されていた。
 ソ連などにおける精神医療の実践は、西洋の政府や医療者の組織などによって、1970年代から90年代にかけて特に強く批判された。ハムレットトラストも精神医療の「乱用」を批判した団体の1つであった。ENUSPのニュースレターにおける東欧地域からの投稿等により、ソ連の社会主義体制が崩壊した後も、政治的な理由による精神医療の非自発的な介入が使われていたことがわかる。ENUSPは、もちろんそのような「乱用」に賛成したわけではない。ENUSPとハムレットトラストは、お互いの活動を促進しつつ、多くの局面で協力してきた。ルソのように両方の団体で精力的に活動している人もいた。
 しかし、ENUSPは、ハムレットトラストの方針に全面的に賛同していたわけではない。ハムレットトラストに対して競合関係にあるという印象を抱いたり、英国の精神障害者の運動との関係に関して疑念を持ったりしていた。ENUSPでは、反体制的な人と精神障害者を分けるべきであるという意見は見られなかった。ENUSPの主張の焦点は、精神医療の「乱用」の批判ではなかったといえる。さらに、東欧における、財政困難などによって精神病院に人を収容できなくなっていたり、精神障害を理由とした非自発的介入について規定した精神衛生法をまだ制定していなかったりした状態が、欧州の多くの地域よりも遅れているとは必ずしもみなされず、より望ましい状況であるかのように言及されていた。つまり、自分たちが苦痛を受けてきた近代的な精神医療を東欧の人まで経験しなくてもよいようにすることが連帯の目的の1つであったと考えられる。
 以上のことからENUSPは、東欧地域での活動において同地域の精神障害者との間に大きく2つの連帯の基盤を見出したと考えられる。1つは、家族や友人、各地の運動体による草の根のつながり、もう1つは西洋の精神医療のもたらす苦痛の拡大を防ぐための連帯である。


[1]  ENUSPの発足時の名称は、「European Network of Users and Ex-Users in Mental Health」であり、1997年の第3回総会で現在の名称に変更された。

[2] 「西ドイツ人が東へ行く理由としては、親戚の訪問、ビジネス、あるいは、東の団体が主催する催し物への参加などだけが認められていた。もちろん、ビザが要る。また訪問は、1年に合計で30日以内という制限があった」。他方、「東の人間が西に出ることは、ソ連軍関係者を除いては、ほぼ不可能だった。ただ、例外はもちろんあった」。「アルコール中毒者や精神病患者は、皆、西に送り出」されていたほか、「年金生活者は、希望すれば、すぐに出国が認められた。(中略)こういう場合、年金は西ドイツ政府が支払うことになった」(川口 2010: 204-206)。

[3]  第1回総会の報告書では、ドイツ連邦共和国も民主共和国も、「ドイツ」としてまとめられている(European Network of Users and Survivors in Mental Health 1991: xiii)。

[4]  ハンガリーでは、1993年に最初の精神障害者の家族の組織、翌94年に最初の精神障害者の本人の組織が結成された。その両方の立ち上げに関わったのがゴンボである。ゴンボは1961年に生まれ、3歳のとき初めて精神医療にかかわった。叔父が自殺を図り、数カ月後に母親が落ち込んで妄想を抱くようになった。唯一の支えであった母親は、何度も入院しゴンボが独立するかしないかという頃亡くなった。ゴンボは、深く落ち込み1977年から1990年までに4回精神病院に入院した。その後、2001年にアショカフェローに選ばれ、2010年には障害者権利条約の条約体の委員に選出された(KI Media 2011)。

[5]  1997年5月12日付の、ハムレットトラストのヘイワード(Robert Hayward)からの「Dear Clemens」と題した手紙を参照した。5カ国のうちアルバニアのメンバーはビザが間に合わず、総会に出席できなかった。

[6]  1997年4月4日付けの「Financial Position of European Desk/ Network: Supplement to Item 11」を参照した。


謝辞

本研究の調査は、「日本学術振興会特別研究員奨励費(18J10684)」の支援を受けて実施した。記して感謝申し上げる。


文献

  • Bloch, Sidney, and Peter Reddaway, 1977, Russia’s Political Hospitals: The Abuse of Psychiatry in the Soviet Union, London: Victor Gollancz.(=1983,秋元波留夫・加藤一夫・正垣親一(訳)『政治と精神医学――ソヴィエトの場合』みすず書房.)
  • European Desk, 1994a, “Board Meeting London 13-16 August 1994: Additional Agenda Points.”
  • ――――, 1994b, “Minutes of the Kolding Board Meeting December 15-19 1994: First Draft.”
  • ――――, 1997, “Minutes Board Meeting 8-10 August 1997 in Helsingborg/ Sweden.”
  • ――――, 1998, “Fourth (Ex-) User/ Survivor Conference in Luxemburg: Into the Next Millenium Moving Forward to Create Our Own Future 19-21 February 1999,” 15 December 1998.
  • European Network of (Ex-)Users and Survivors of Psychiatry, 1999, “The European Newsletter of (Ex-) Users and Survivors of Psychiatry with World News,” 8.
  • ――――, 2014, “Statutes of the European Network of (Ex-)Users and Survivors of Psychiatry (ENUSP),”(2020年4月6日取得,http://enusp.org/memorandum-and-statutes-of-the-association-2004a16189jb/).
  • European Network of Users and Ex-Users in Mental Health, 1991,”First European Conference of Users and Ex-Users in Mental Health,”(2018 年9 月17 日取得,http://enusp.org/wp-content/uploads/2016/03/zandvoort.pdf).
  • ――――, 1995a, “The European Newsletter of Users and Ex-Users in Mental Health,” 1.
  • ――――, 1995b, “The European Newsletter of Users and Ex-Users in Mental Health,” 3.
  • ――――, 1996, “The European Newsletter of Users and Ex-Users in Mental Health,” 5.
  • Hamlet Trust, 2020, “About hamlet Trust,”(2020年5月29日取得,http://www.hamlettrust.plus.com/about.html).
  • 伊東香純,2019,「ヨーロッパの精神障害者の組織の発足の過程」『立命館生存学研究』2: 203-212.
  • 川口マーン惠美,2010,『ベルリン物語――都市の記憶をたどる』平凡社.
  • KI Media, 2011, "Speak Truth to Power in KI-Media Series: Gabor Gombos (Hungary) "Mental Disability Rights"," (2011年11月29日取得,http://ki-media.blogspot.com/2011/07/speak-truth-to-power-in-ki-media-series.html).
  • Medvedev, Zhores A. and Roy A. Medvedev, 1971,A Question of Madness: Repression by Psychiatry in the Soviet Union, London: Macmillan.(=1977,石堂清倫(訳)『告発する!狂人は誰か――顛狂院の内と外から』三一書房.)
  • Rose, Diana and Jo Lucas, 2007, “The User and Survivor Movement in Europe,” Martin Knapp, David McDaid, Elias Mossialos and Graham Thornicroft eds. Mental Health Policy and Prectice across Europe: The Future Derection of Mental Health Care, Berkshire: Open University Press, 336-355.
  • Van Voren, Robert, 2010, Cold War in Psychiatry: Human Factors, Secret Actors, Amsterdam and New York: Rodopi.




■質疑応答

※報告掲載次第、9月19日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はtae01303@nifty.ne.jp(立岩)までメールしてください→報告者に知らせます→報告者は応答してください。宛先は同じくtae01303@nifty.ne.jpとします。いただいたものをここに貼りつけていきます。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。→http://jsds-org.sakura.ne.jp/category/入会方法 名前は特段の事情ない限り知らせていただきます(記載します)。所属等をここに記す人はメールに記載してください。



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