本報告で取り上げる対象は、英国の障害者団体Alliance for Inclusive Education(以下、ALLFIEとする)のインクルーシブ教育運動である。
ALLFIEは、英国内で1990年に設立された全国組織であり、これまで特別学校への隔離の撤廃をはじめとして分離教育を徹底して批判する運動を展開してきた。また、ALLFIEは、その理事のすべてが障害者であることからも障害者主導の運営を行っており、また障害の社会モデルを運動の理論的支柱に据えた活動に取り組んできた。
本報告の目的は、こうした障害の社会モデルと障害者主導という2つの性格をもつALLFIEのインクルーシブ教育運動から、英国のインクルーシブ教育政策がいかにして障害の社会モデルの観点から批判にされてきたのか、また英国の学校現場の教育実践が、障害者自身の視点からいかにして批判的に捉え返され評価の対象になってきたのかを明らかにすることである。
具体的には、英国のインクルーシブ教育運動において、英国のインクルーシブ教育の政策や法制度の何が問題になってきたのか。また、特別な教育的ニーズ(Special Educational Needs: SEN)と障害の社会モデルの関係性はいかなるものであり、なぜALLFIEのインクルーシブ教育運動において障害の社会モデルが強調されてきたのか。そして、英国における学校現場の教育実践が、具体的にいかにして障害者自身によって批判的に捉え返され評価されてきたのかといった点などが論点になる。
報告者はこれまで日本の就学運動の歴史を明らかにする作業をしてきたが(堀 2014, 2016, 2018, 2019a, 2019b)、本報告では、英国のALLFIEのインクルーシブ教育運動を取り上げることで、そこでの中心的な論点や運動のスタンス、またその背後にある運動の思想的な視座等を明らかにし、そこから日本の就学運動の性格や課題を浮き彫りにする視点を得たい。
ALLFIEは、障害者団体の連合であるROFA(Reclaiming Our Futures Alliance)にも加盟し障害者権利条約の遵守などを求めてきた障害者団体であるが、とりわけ、運動のイシューをインクルーシブ教育に焦点化した点で特徴的である。また、団体の運営にあたっては、その理事すべてと有給スタッフの80%を障害者が占め、親や教育関係者、政策決定者等は運営のサポート役であることが明確にされるなど、障害者主導の立場が強く支持されている点が注目に値する(Alliance for Inclusive Education 2019a: 7)。
またALLFIEは、障害の社会モデルを運動の理論的支柱に据えていることからも見て取れるように、1970年代以降の英国の障害者運動の流れを汲んでいる。具体的には、障害の社会モデルの観点から、1.すべての人にとっての権利としてインクルーシブ教育を保障するための法律や政策を変更する運動。2.より発言力をもつためのインクルーシブ教育運動の能力を高める取り組み。3. すべての人にとってのインクルーシブ教育の利点のより幅広い理解や既存のインクルーシブ教育実践の改善を促進する取り組みなどが挙げられる(Alliance for Inclusive Education 2019a: 2)。
本研究では、ALLFIEが発行する文献資料として、2000年から出版が続けられている機関紙Inclusion Nowや政府への意見書・年間報告・戦略計画等の資料、また不定期で発行されるプロジェクトの成果としての報告書や小冊子等を用いている。なかでも機関紙Inclusion Nowは、よい実践を紹介する建設的な記事の収集や今日の教育論議に関する見解の掲載、特定の運動イシューへの行動要請を目的としている(Alliance for Inclusive Education 2019a: 10)。そのほか、英国のインクルーシブ教育に関する統計資料や政策文書、法令、ガイドライン、また障害者権利条約の障害者権利委員会の発行する報告など、様々な資料を活用している。
ここでは、ALLFIEのインクルーシブ教育運動を取り上げる前に、英国における特別な教育的ニーズのある児童・生徒の在籍状況の推移と1997年グリーンペーパーに触れておきたい。ここで1997年グリーンペーパーに言及するのは、そこにすでにALLFIEのインクルーシブ教育運動の批判の前提であり対象となる英国のインクルーシブ教育政策の基本的枠組みが含まれているからである。
まず、英国ではこの10年、統計を見れば、障害のある児童・生徒の在籍の実態の推移は、明らかに分離教育の方向に向かっている。
教育省(department for education : DfE)の発表する統計によれば、2019年1月の時点で、イングランドにおける特別な教育的ニーズのある児童・生徒は131.83万人であり、これはすべての児童・生徒の14.9%を占める。そのうち、EHCPのある児童・生徒は27.12万人(3.1%)であり、一方でEHCPはないがSENサポートのある児童・生徒は104.72万人(11.9%)ある(Department for Education 2019a: 1)。
次に、EHCPあるいはSENステイトメントのある児童・生徒の公費運営学校(State-Funded School)のプライマリースクールおよびセカンダリースクールの在籍率は、EHCPあるいはSENステイトメントのある児童・生徒の数全体を分母とすると、2010年の時点で54.6%であるのに対して、2019年の時点では47.8%である。このうち、セカンダリースクールの在籍率の減少が顕著であり、2010年の時点で28.8%であるのに対して、2019年の時点では20.4%である。この点は、EHCPあるいはステイトメントのないSENのある児童・生徒についても同様であり、公費運営学校のセカンダリースクールの在籍率は、2010年の時点で43.6%であるのに対して、2019年の時点では34.2%である。一方で、EHCPあるいはSENステイトメントのある児童・生徒の公費運営学校の特別学校の在籍率は、同じくEHCPあるいはSENステイトメントのある児童・生徒の数全体を分母とすると、2010年の時点で38.2%であるのに対して、2019年の時点では43.8%である(Department for Education 2019b)。
以上から見て取れるのは、イングランドにおける特別な教育的ニーズのある児童・生徒は、この10年で特別学校に在籍する割合が増えており、とりわけセカンダリースクールの段階で普通学校から脱落する割合が増加していることである。それ以外にも、貧困の指標となる無償給食(Free School Meal)を受ける特別な教育的ニーズのある児童・生徒の割合が著しく高い――特別な教育的ニーズのない児童・生徒で13.2%であるのに対して、特別な教育的ニーズのある児童・生徒では28.3%である(Department for Education 2019b)――ことや、退学者のうち特別な教育的ニーズのある児童・生徒の割合が著しく高い――特別な教育的ニーズのある児童・生徒が退学者全体の45%を占める(Department for Education 2019c: 6)――ことなどは無視できない。
このように英国においてこの10年、分離教育の方向に向かっていることは、一見すると日本のこの10年の特別支援学校・特別支援学級の在籍者の急増とも重なるところがあるように見える。だが、インクルージョンに関する教育政策や法制度の水準でいえば話はまったく別である。日本では、2013年9月の学校教育法施行令の改正に至るまで原則分離別学の体制が敷かれてきたのに対して、英国では、以下で見るように曲がりなりにもインクルージョンを教育政策や法制度に取り込んできた経緯があるからである。
いうまでもなく、英国の教育政策においてインクルージョンの用語が公式的に採用されるのは、労働党ブレア政権下においてであり、具体的には1997年のグリーンペーパー『すべての子どもに優れた教育を――特別な教育的ニーズへの対応(Excellence for all children: Meeting Special Educational Needs)』においてである。この1997年グリーンペーパーの第4章「高まるインクルージョン(Increasing inclusion)」の冒頭では、政府にインクルーシブ教育の採用を求める1994年のユネスコのサラマンカ世界声明の支持が表明されている(Department for Education and Employment 1997: 44)。
1997年グリーンペーパーによれば、サラマンカ世界声明のインクルーシブ教育には幅広いニーズのある子どもに対応するための普通学校の力量の漸進的な向上の意味合いがあるとし、また英国においても特別な教育的ニーズのある子どもはできる限り普通学校で教育を受けるのみならず、学校のカリキュラムと生活にクラスメートと一緒に十分に参加すべきであるとしている(Department for Education and Employment 1997: 44)。ここで1997年グリーンペーパーのいうインクルージョンとは、固定された状態というよりはプロセスであり、特別な教育的ニーズのある子どもに対して何らかの環境面での調整を行うことによって、隔離されたユニットではなく、できる限り普通学級の授業に参加すべきであるというものである(Department for Education and Employment 1997: 44)。
だがその一方で、1997年グリーンペーパーは、特別学校には積極的な役割があることも否定していない。すなわち、普通学校ではニーズを満たすことができないきわめて小さい割合の児童・生徒に対して特別学校が継続的に必要であるとしている(Department for Education and Employment 1997: 49)。また、インクルージョンが進めば、普通学校で複雑な特別な教育的ニーズのある子どもが特別な支援を受けることは不可欠である。こうした状況を反映して、原則として特別学校の教員は複雑なニーズを満たすため、普通学校の同僚の教員を手助けするために独自に配置されるとしている。こうして1997年グリーンペーパーでは、特別学校と普通学校の密接な協働が訴えられている(Department for Education and Employment 1997: 49)。
このように1997年グリーンペーパーのインクルージョンでは、必ずしも分離的な対応は否定されていない。もっとも普通学校が原則であることから、すべての児童・生徒は普通学校の就学簿に登録されることが提案されている(Department for Education and Employment 1997: 47)。そのうえで親が子どものニーズを満たすのに特別学校がふさわしいと考える場合には、親の選択権を尊重する観点から、親には継続的に特別学校を選択する権利が与えられるとしている(Department for Education and Employment 1997: 45)。
ALLFIEは1990年に結成され、そこでは特別な教育的ニーズのラベルのあるなしに関わらず、すべての障害のある学習者が、適切かつ十分なサポートのもとで地域の普通学校に行くことが目指されてきた(Alliance for Inclusive Education 2019a: 8)。そしてALLFIEは、これまで障害のある子どもとその親の選択に反して、強制的に子どもが特別学校に隔離されることを終わらせる運動を展開してきた(Mason 1997: 1)。
だが、そもそもなぜ英国の教育政策や法制度がインクルージョンを採用しているにも関わらず、また親の選択権が尊重されることになっているにも関わらず、その親の選択に反して特別学校に行かされることがありうるのだろうか。ALLFIEのインクルーシブ教育運動ではまず、こうした親の選択に反して子どもの隔離を可能にする「特別な教育的ニーズと障害(Special Educational Needs and Disabilities: SEND)」の法的枠組みの不十分さや差別性が問題にされてきた。
2014年子どもと家族法(Children and Families Act 2014)は、障害のある児童・生徒の教育、健康、社会的ケアのアセスメント、そしてインクルーシブ教育の提供の権利を規定した特別な教育的ニーズと障害(SEND)の枠組みを含むものである。この2014年子どもと家族法では、子どもや若者がどこで教育を受けるかに関して、普通学校で教育されるべきであるという強い想定(presumption)が法的に保障されている。とりわけ、この想定は、EHCPはないが特別な教育的ニーズのある子どもや若者に対しては、その第34条でほとんど無条件に認められている(Broach 2018)。
これに対して、EHCPのある子どもや若者については第33条で規定されており、次の(a)と(b)に相いれないのではない限り、地方当局は、子どもや若者が普通学校で教育を受けることを保障しなければならない。
とりわけ、ここでネックになるのが(b)の規定であり、そもそも何をもって「他の者の効果的な教育の提供」と相いれないといえるのかが問題になるが、実際にはこの規定がEHCPのある子どもや若者を特別学校におくことを許してしまっているという。
たとえば、2019年のALLFIEのマニフェストでは、次のような親の言葉が引用されている。
たとえば、2014年子どもと家族法の第35条は、特別な教育的ニーズのある子どもが特別な教育的ニーズのない子どもと一緒に学校の活動に関われるよう、学校が特別な教育的対応をする義務を規定している。だが実際には、普通教育の想定の規定は特別な教育的ニーズのある子どもに何らの資格を与えるものではないため、学校は結果的に障害のある児童・生徒を隔離するにあたってこの免除規定に頼ることが可能である(Alliance for Inclusive Education 2020a)。
こうした普通教育の想定の例外の規定は、たとえ同じ障害のある子どもであったとしても、学校や地方当局によってそれぞれ異なる取り扱いを許すものとなりうる――たとえば、ニューハムの地方当局が、他の行政区からその地域の普通学校で一貫して対応を拒まれてきた障害のある子ども受け入れてきたことが評価されている――。ALLFIEによれば、これこそがまさに偏見によるものであり、社会的不正義の源泉である(Alliance for Inclusive Education 2020a)。
こうしたことからALLFIEは、2014年子どもと家族法の規定が障害者権利条約第24条に抵触することを問題にし、政府に対してその完全履行を訴えてきた。とりわけ、ALLFIEは障害者団体の連合であるROFAの加盟団体として、国内のインクルーシブ教育の現状の問題点を明るみにするとともに、2017年の障害者権利委員会の総括所見(concluding observations)の勧告を実行に移すことを求めてきた。
まず、英国政府は2009年の障害者権利条約の批准にあたり、第24条第2項(a)(b)を留保(reservation)している。この留保内容は以下のとおりである。
この留保内容の一文目からは、英国政府には障害のある子どもを彼らの住んでいる地域の外部にある特別学校に行かせる権利があるとして、条約の国内の適用に制限を加えていることがわかる。これは明らかに「彼らが住んでいるコミュニティで、他の者との平等を基礎として(…on an equal basis with others in the communities in which they live)[第24条第2項(b)の末尾]」という文言の規定に制約を加えるものであり、ALLFIEはこうした制約をまったく受け入れがたいものであるとして、これを撤回する取り組みを行ってきた。
また、2010年の労働党から保守党への政権交代後は、2017年に事前質問、英国政府からの回答を経て、同年10月に障害者権利委員会の総括所見が発表されている。この総括所見の教育の項目では、以下の点が懸念事項として挙げられている。
これらは、ALLFIEのインクルーシブ教育運動においても一貫して問題にされてきた事柄である。とりわけ、(a)で指摘されている「親の選択に基づくことを含めた、特別学校に障害のある子どもを分離する二重の教育制度の持続」は、インクルージョンの用語を初めて公式的に用いた1997年のグリーンペーパーの段階でもすでに見られるものであり、この点で英国のインクルーシブ教育政策の基本的枠組みは今日に至るまでほとんど何も変わっていない。
また、上記の留保の取り下げや懸念事項以外にも、総括所見の53では、障害のある子どもや若者と緊密に協議し、「インクルーシブ教育を受ける権利に関する一般的意見第4号」や「持続可能な開発目標」のターゲット項目4.5および4.8に沿うよう、様々な取り組みを進めていくことが勧告されている。ここではたとえば、インクルーシブ教育のための包括的かつ組織的な法的・政策的枠組みを展開させていくことなどが期待されているが、ALLFIEのインクルーシブ教育運動においてもまた、2014年子どもと家族法の特別な教育的ニーズと障害(SEND)の枠組みを障害者権利条約第24条の規定に厳格に従わせることが求められてきたことからもうかがえるように、政府に対して本条約の第24条の遵守を訴えることがこの運動の基本的なスタンスになっている。
このようにALLFIEのインクルーシブ教育運動では、法的には普通教育の想定があっても、実質的には例外の規定によって、親の選択に反してその子どもが特別学校に行かされることが問題にされてきた。すなわち、英国の教育政策や法制度がインクルージョンを採用しているにも関わらず、それがきわめて不徹底であることが批判されてきたのであり、そのために障害者権利条約第24条の完全履行が訴えられてきたといえる。
この点で、ALLFIEのインクルーシブ教育運動が求めているのは、徹底したインクルーシブ教育である。すなわち、ALLFIEのインクルーシブ教育運動のスタンスは、政策や法制度のレベルにおいても、現場での教育実践のレベルにおいても、普通学校は障害のある子どもを含めたいかなる属性をもつ子どもであっても受け入れるべきであり、学習者の多様性に対応できなければならないというものである。ALLFIEのインクルーシブ教育運動において特別な教育的ニーズ(Special Educational Needs: SEN)よりも障害の社会モデルが強調されるのは、こうした徹底したインクルーシブ教育が支持されることによるものである。
こうしたことからALLFIEのインクルーシブ教育運動では、障害の社会モデルの観点からインクルーシブ教育が捉えられている。すなわち、「インクルーシブ教育は、既存の教育制度を根本的に変更することを要求する。それは治される対象として違いを理解するのではなく、学習者の多様性を祝福し、平等な参加と可能性の実現を可能にするあらゆる必要な支援を提供することへと変えていくことである」(Alliance for Inclusive Education 2019a: 5)。
また、インクルージョンとインテグレーションの違いも明確である。「インクルーシブ教育は、統合教育(integrated education)ではない。統合教育は、障害者が普通学校にいるが、十分な支援や調整を欠いている。インクルーシブ教育は、障害者が普通教育で遭遇する障壁を除去することをともなう」(Alliance for Inclusive Education 2019b: 4)。この定義は、障害者権利委員会の「インクルーシブ教育を受ける権利に関する一般的意見第4号」の11の説明にも沿うものである。したがって、ALLFIEによれば、特別学校での教育が医療モデルに立っていることはいうまでもないが、統合教育もまた、「インクルーシブな学校をつくることは、障害の医療モデル(と行動様式)のシステマティックな解体と社会モデルを採用した学校全体の再構築を要請する」(Mason 2000: 90)という指摘を踏まえると、いまだ医療モデルの段階にとどまっていることになろう。
では、ALLFIEのインクルーシブ教育運動において、特別な教育的ニーズの概念の何が問題なのであろうか。いうまでもなく、特別な教育的ニーズは1978年の『ウォーノック報告』をきっかけに広まった概念であり、その後1981年教育法で法制度的にも規定されることとなった。学習上の困難のある子ども、すなわち特別な支援が必要な子どもを障害のある子どもに限定せず、広く拡大した点で画期的であるといわれている(清水・渡辺 2008: F)。また、特別な教育的ニーズの概念は、学習上の困難を子どもの内部的病理と関係づけて把握するのではなく、子どもの学習に関わる環境要因と深く関係づけて理解する立場に立っている(清水・渡辺 2008: E)。そして今日、英国において特別な支援を必要とする教育対象を指す場合には、「障害のある子ども(Children with Disabilities / Disabled Children)」よりも、「特別な教育的ニーズのある子ども」の用語を用いるのが一般的である。
一方で、ALLFIEのインクルーシブ教育運動の立場からすると、特別学校の積極的な役割を否定しない英国政府のインクルーシブ教育政策や法制度は医療モデルに基づくものであると考えられる。また、ALLFIEのインクルーシブ教育運動において、この特別学校の積極的な役割は、その子どもが特別な教育的ニーズをもっているという認識と一体である。なぜなら、特別な教育的ニーズの概念は、学習上の困難の要因として環境の側面にも目を向けるものではあっても、依然として問題の所在を子どもの側に置いていると見なされるからである。
これに対して、障害の社会モデルの立場に立てば、問題の所在は子どもの側ではなく、子どもの多様性に対応できない普通学校の側に求められる。たとえば、ALLFIEの結成にも関わってきたMicheline Masonは、特別な教育的ニーズの概念の問題点について次のように述べている。
ここからはMasonが、特別な教育的ニーズの概念は分離教育を導くものであるという見方をもっていることがうかがえる。Masonによれば、多様なニーズを満たすために必要なのは「特別な支援」ではなく、普通学校で「通常提供される」支援を広げ、そこで当たり前に支援を必要とする子どもを受け入れていくことである。この点では、1997年グリーンペーパーで支持されていた「サポートの連続体(Continuum of Provision)」もまた医療モデルに立つものであり、ALLFIEのインクルーシブ教育の定義とは相いれない。なぜなら、「サポートの連続体」で想定されている分離されたユニットや特別学校は、普通学校が十分な支援と合理的調整を提供し、いかなる子どもであっても受け入れることができるならば、その必要性は必然的になくなると考えられるからである。
このようにインクルーシブ教育と一口でいっても、政策や法制度など政府側が想定しているものと、ALLFIEのような運動側が掲げているものとでは、その内実に大きな隔たりがある。
また、ここで想定されるインクルーシブ教育の目標が異なるということは、当然のことながら、実際に学校現場での教育実践を評価するにあたっても、その評価の尺度自体が異なるということである。すなわち、インクルーシブ教育の定義次第で、実際に行われている教育実践の成否の評価が変わりうる。
こうした政府側と運動側の隔たりについて、たとえば、ALLFIEは、「英国政府は、政策や法制度において巧みにインクルージョンの用語を採用し続けてきたかもしれないが、実際には認識された学習上の困難に基づいて介入しようとする内側の個人アプローチに凝り固まってきた」(Flood and Kikabhai 2018: 104)として、政府側のインクルーシブ教育を批判している。また、学校現場でも、普通学校で受け入れることができないことを正当化するために、いわゆる「チャレンジング行動」や「自閉症」といった問題の周辺にある個人的なインペアメントにいっそうの関心が向けられ始めたことを問題にしている(Flood and Kikabhai 2018: 104)。
このように運動側からは、学校現場の教育実践に対する評価はきわめて手厳しいものとならざるをえない。とりわけ、ALLFIEのインクルーシブ教育運動では、これまでインクルードされる側の立場がほとんど無視され、その教育実践の評価が行われてきたことから、障害者自身の視点から学校現場の教育実践を批判的に捉え返すことの重要性が強調されてきた。
たとえば、ALLFIEの代表を務めてきたTara Floodと議長のNavin Kikabhaiは、Mike Oliverの福祉政策に対する批判的な文章を、次のように教育政策に対しても当てはめている。
こうした問題意識から、ALLFIEのインクルーシブ教育運動では、学校現場での教育実践を独自に、障害者自身の視点から批判的に捉え返す試みを行ってきた。以下では、その例として、A.「学校はどうだった?(How was school?)」プロジェクトとB.「アクセシビリティ・プラン」レポートを取り上げ、簡単に紹介したい。
2011年から2013年のあいだ、ALLFIEは、イングランドにおける成人障害者を対象に、いかにして自身が学校で教育を受けてきたのかについて、その経験をオーラルヒストリーとして記録するプロジェクトを実施した。このプロジェクトは、個人的な記憶や学校の歴史をオーラルヒストリーとして記録することで、過去100年以上の教育に関する障害者自身の経験を調査することを目的としている。とりわけ、この100年のあいだ、イングランドの教育制度のアクセスのしやすさ(accessibility)やインクルージョンの状態・程度(inclusivity)がいかにして変容してきたのかについて記述することを目指している。
この調査において対象となった成人障害者は50名以上であり、インタビュアーもまた全員が障害者である。10名の障害者がボランティアのインタビュアーとして調査に加わり、また彼らは事前にインタビュアーとしての訓練を受けている。そこで得られたインタビューデータは大英図書館(British Library)に保管・公開され、またその一部は学校教材としてシティズンシップ教育の授業などで活用できるように編集され出版された(Alliance for Inclusive Education 2019a: 10, 2020b; British Library 2020)。
このようにこのプロジェクトは、意識的に「障害者の声」を拾い上げることで、英国の教育の歴史を障害者自身の視点から描き出そうとする試みである。このプロジェクトのコーディネーターを務めたKevin Caulfieldは、障害者自身がプロジェクトを企画・運営する意義について次のように語っている。
ここからは、インタビュアーが障害者であることで率直に自身の経験を語れること、また「障害者の声」を拾い上げることが、その障害者に対するエンパワメントになると考えていることがうかがえる。
そして、いうまでもなくこのオーラルヒストリーのプロジェクトで中心的な主題になっているのは、障害者自身にとって学校教育がいかにして経験されたかという点であるが、とりわけ、強制的に特別学校に行かされたことなどにともなう疎外感や孤立感に焦点が当てられている。たとえば、5歳から16歳まで特別学校に通った経験のあるMichelle Daleyは、そのときの友人関係について次のように語っている。
これは小さいときから遠く離れた学校に通っていたために本当の友だちができなかったという、特別学校に通ったことのある障害者が語る典型的なストーリーである。こうした友だちができなかったという疎外感や孤立感の経験は、実際にそれを経験した障害者でないとなかなかわからないものであり、また誰かがその人に積極的に聞こうとすることがなければほとんど聞かれることのないものである。
だが、こうした学校教育に関するネガティブな経験は、必ずしも特別学校に対してのみ語られているわけではない。報告者にとって興味深いのは、普通学校に対してもまたネガティブな経験が語られている点である。たとえば、Elliot Reedは、普通学校で経験した学習支援の欠如について次のように語っている。
ここでは普通学校での授業で板書の際に何の支援も得られなかったことが語られているが、こうした経験は普通学校に通ったことのある障害者であれば多くの者がもつものである。たとえば、クラスメートからいじめにあい、それが明るみになったとしても学校側からの適切な対応がない。学習上の困難があるため遅れのある科目があるが、何ら学習上の支援が得られず、そもそも学力の向上が期待されていない。手話の使用が認められないなど、多様な学習方法が保障されていない。明らかに学校から歓迎されているようには感じられないなどである(Alliance for Inclusive Education 2013c: 1)。
一方で、こうした障害者が経験する普通学校でのネガティブな経験は、日本の就学運動の文脈では語られにくいように見える。確かに、日本の就学運動においても、1980年代以降は普通学校に入ってからの排除に焦点が当てられるようになり、学校側から様々な嫌がらせを受けるなどの方法で締め出されることが問題にされてきた。だが、日本の就学運動の文脈では、障害の社会モデルのような普通学校の制度的・構造的な不備を問題化する視点をもちにくく、少なくとも運動の言説としては、特別支援学校(特殊学校)にネガティブな経験が、普通学校にポジティブな経験が割り振られる傾向があったように思える(堀 2016, 2018, 2019a, 2019b)。
これに対して、ALLFIEのインクルーシブ教育運動で目指されているのは、たんなる普通学校での教育というよりは、障害の社会モデルに基づくインクルーシブ教育である。すなわち、普通学校での教育であっても適切な支援がなければ、それは統合教育でしかない。インクルーシブな学校づくりには、社会モデルに基づく学校全体の再構築が要請される(Mason 2000: 90)。
この点で、ALLFIEのこのプロジェクトが暗黙の裡に前提としている歴史観は、単純な特別学校から普通学校への流れというよりは、障害の医療モデル/障害の社会モデルを軸にしたものであるように見える。
すなわち、まず長く続いた収容施設・特別学校の時代がある。英国において、「障害のある子どもが障害のない子どもと普通学校で一緒に学ぶ機会をもつようになったのは、わずかこの30年のことにすぎない。20世紀前半は、障害のある子どもと若者はきまって、しばしば家族や住んでいる地域から何マイルも離れた収容施設に送られた。これらの収容施設は教育的要素を提供するものもあったが、その処遇の焦点はその障害のある子どもを『治す』ことにあった」(Alliance for Inclusive Education 2013a: 1)。つまり、障害のある子どもは強制的に医療モデルが支配する収容施設・特別学校に送られた。
その後、障害のある子どもが普通学校に通うことが法的にも認められるようになるが、このことは必ずしもALLFIEのいうインクルーシブ教育が実現したことを意味しない。「これ[=インクルーシブ教育]は、制度が障害者をインクルードするよう適応しなければならないのであって、障害者が制度に適応する必要がないようにすべきである。教育制度は、たとえば、学校の一部がアクセシブルではないなど、障害のある学習者にとって障壁を作り出していることを認めなければならない。障害のある児童・生徒は、カリキュラムにアクセスするための調整や支援を必要とするかもしれない」(Alliance for Inclusive Education 2020c)。すなわち、障害者が普通学校で学んでいたとしても、インクルージョンのために障害者の側が教育制度に適応しなければならないならば、それはインクルーシブ教育とはいえない。
この点を踏まえると、現状の多くは、障害のある子どもが普通学校で学んでいたとしても、障害のある子どもの側に学校への適応が求められている点で、いまだ統合教育の段階にとどまっていることになる。もっともこの統合教育の段階が、医療モデルから社会モデルの移行過程において一時的に必要であることは否定されていない。たとえば、Masonは、「統合(integration)は、インクルージョンへのなくてはならない先行するもの(precursor)である。なぜなら、明らかにその子どもたちは何かが起こりうる前に物理的に存在している必要があるからである」(Mason 2000: 90)と述べている。
結局のところ、このプロジェクトにおいて障害者が普通学校でのネガティブな経験を積極的に語ることができるのは、その普通学校の状態が、統合教育からインクルーシブ教育への移行の途上にあるという認識があるからではないだろうか。すなわち、普通学校でのネガティブな経験を生み出しているのは、いまだ普通学校が不完全な統合教育の段階にとどまっており、多様な子どもを完全に受け入れるインクルーシブ教育の段階に至っていないからである。
そしていうまでもなく、そうした見方の前提にあるのは、普通学校の制度的・構造的な不備を問題化する障害の社会モデルの視座である。それゆえに普通学校でのネガティブな経験を語ることは、インクルーシブ教育に向けた学校全体の変革を求めることにつながると考えられるのであり、そのネガティブな経験をもって分離教育が正当化されるならば、それは即座に医療モデルに基づくものとして非難の対象になるのである。
ここまでの議論のなかで、2014年子どもと家族法の特別な教育的ニーズと障害(SEND)の法的枠組みが普通学校での教育の想定を保障しながらも、実際には例外の規定によって強制的に特別学校に行かされることがあることを確認した。ここでは法的な規定がありながらも、これが果たして実効性をともなうものかどうかを検証したものとして、ALLFIEのアクセシビリティ・プランを対象とする調査プロジェクトを取り上げる。具体的には、セカンダリースクールで導入されているアクセシビリティ・プランを対象とした調査であり、アクセシビリティ・プランは、主に2010年平等法(Equality Act 2010)や2014年子どもと家族法、2015年コード・オブ・プラクティス(Special Educational Needs and Disability Code of Practice: 0 to 25 Years)において規定されるものである。
1995年障害者差別禁止法(Disability Discrimination Act 1995)――修正法として2001年SENと障害法(Special Educational Needs and Disability Act 2001)――は、英国におけるすべての学校と地方教育当局(Local Education Authority)が障害のある児童・生徒のためのアクセシビリティを向上させる法的義務を有することとした。2002年9月には、学校にはアクセシビリティ・プランの作成が義務付けられ、他方で地方教育当局には当該地域における公費維持学校(maintained school)を対象とするアクセシビリティ・ストラテジーの作成が義務付けられた(Department for Education and Skills 2002: 2)。
このアクセシビリティ・プランは、学校が長期的にいかにして特別な教育的ニーズのある子どもにとって教育環境をアクセシブルなものにするのかを明らかにする計画書である。それぞれの学校ごとに最低3年のスパンで作成され、見直しが行われる。また、このアクセシビリティ・プランは、教育水準局(Ofsted)の査察の対象にもなっている(Department for Education and Skills 2002: 3)。
このようにアクセシビリティ・プランは、学校に作成が義務付けられた長期的に教育環境をよりインクルーシブにするための計画書であるが、とりわけ、2010年平等法「附則10」3(2)によれば、以下の3つの目的のために計画が作成されることになっている。
具体的には、(a)には教授や学習、放課後クラブや余暇・文化的活動、学校訪問における参加のような幅広いカリキュラム、(b)には教育にアクセスするための学校の物理的環境や物理的補助、(c)には配布資料や時間割、教科書、学校行事の情報などの書面情報が、その児童・生徒にとって望ましい媒体で、また合理的な時間内で提供されることなどが含まれている(Department for Education and Skills 2002: 2)。それぞれの学校には、これらの3つの項目について、いかにして長期的に改善を図るのかを明らかにするアクセシビリティ・プランの作成、公表、点検、改訂、実施が求められている。
ALLFIEのプロジェクトは、アクセシビリティ・プランが、イングランドにおけるセカンダリースクールのインクルーシブ教育の推進にあたって有効に機能しているのかどうかを検証しようとするものである。このプロジェクトでは、調査方法としてフォーカスグループやインタビュー、オンラインアンケートの手法が用いられているが、とりわけ、障害のある若者や親、教育専門職が調査に参加している点で特徴的である。すなわち、このプロジェクトには、アクセシビリティ・プランの有効性を、アクセシビリティ・プランを作成する学校側の視点からだけではなく、その教育環境で実際に学習する障害のある若者や親の側の視点から検証しようとするねらいがある。
具体的には、フォーカスグループは、イングランドの5つの地域にまたがって12のグループ――1グループあたり3~14名の参加者――が設定され、さらに掘り下げてデータを収集するために半構造化面接が行われた。また、オンラインアンケートには237名の親と96名の教育専門職が回答した(Soorenian 2019: 23)。とりわけ、調査の参加者は、アクセシビリティ・プランの認知や関与の程度のほか、上記の(a)~(c)の3つの項目を中心に様々な学校経験について尋ねられた。
実際のプロジェクトの遂行にあたっては、障害のある研究者であるArmineh Soorenian博士を中心に進められ、また障害のある参加者は、データの収集や分析などの様々なプロセスに関わり、できる限り議論に参加する機会が与えられた。また、Soorenian博士をはじめとして、ALLFIEの代表や親、障害のある学識経験者、インクルーシブ教育研究者が参加するプロジェクト・アドバイザリー・グループの会議が毎月開催され、この研究の方向性についての意思決定が行われた。こうした障害者主導のプロジェクトは、A.「学校はどうだった?(How was school?)」プロジェクトと同様、障害者が安心して自身の学校経験を語ることを可能にし、「障害者の声」が十分に聞かれるプラットフォームを提供した点で、調査に参加した障害者からも感謝され、調査する側とされる側の両方に利益をもたらす解放的なアプローチであったとされる(Soorenian 2019: 24)。
まず、障害のある若者や親の多くは、アクセシビリティ・プランの存在をほとんど知らず、また作成や見直しのプロセスにも関わったことがないことが明らかになった(Soorenian 2019: 108)。彼らのほとんどは、学校の側からアクセシビリティ・プランの情報を与えられておらず、それがウェブサイトで公表されていたとしても発見するまでに3,40分かかった。親の誰一人として、アクセシビリティ・プランが学校に対してインクルーシブな教育環境を要求するために活用できることを知らず、また親の多くは、学校にはエレベーターやスロープなどの合理的調整が法的に求められていることさえも知らなかった(Alliance for Inclusive Education 2020d)。この点で、親のほとんどは、どれほどアクセシビリティ・プランによいことが書かれていたとしても、学校がそのプランにこだわり、平等やインクルージョンの原則に則って学校文化を高めようとする意欲がなければ、それは「意味のない紙きれ」になるだろうと感じている(Soorenian 2019: 108)。
こうした事実は、学校がアクセシビリティ・プランを積極的に公表する努力を怠っている点で、2010年平等法や2015年コード・オブ・プラクティスに抵触している可能性がある。なぜなら、すべての学校にはアクセシビリティ・プランの作成、公表、点検、改訂、実施が義務付けられ、とりわけ、学校にはアクセシビリティ・プランを誰でも入手可能であるように公開する義務があるからである(Department for Education and Skills 2002: 4)。また、アクセシビリティ・プランは教育水準局の査察の対象になっているが、そこで学校による法の遵守が十分にモニターされているとはいいがたい(Soorenian 2019: 10)。
次に、上記の(a)〜(c)の項目については、障害のある若者や親の多くが、学校で差別的ともいえる経験をしていることが明らかになった。
まず、(a)学校のカリキュラムに関しては、親の多くが、子どもが限られた時間にだけ普通学校の授業に参加できることや介助者が付かないことに同意する契約書に強制的にサインさせられるという不安を語っている。また、障害のある若者や親は、とりわけ、試験のような場面で合理的調整をあからさまに拒否される経験をしている(Soorenian 2019: 90)。
また、(b)学校の物理的環境に関しては、障害のある若者は、学校の入学プロセスに関してインフォームド・チョイスが十分に保障されているとは感じていなかった。専門職が障害のある若者のために進路を決定し、本人の希望を無視して特定の学校を指定するケースが見られた。また、親たちはしばしば、子どもが選択した学校を拒否されるなど、物理的環境の障壁に限らない態度的な障壁にも直面している様子であった(Soorenian 2019: 44)。
そして、(c)の情報の配信に関しては、代替的なフォーマットを必要とする障害のある若者は、代替的なフォーマットでの情報の提供は学校での標準的な実践にはなっていないと感じている。また、オンラインアンケートに回答した親の多くは、学校から最低限の情報しか得られず、主体的にその詳細を探し求める必要があったことを指摘した(Soorenian 2019: 36)。
こうした調査結果はまず、2010年平等法に抵触している可能性がある。なぜなら、2010年平等法によれば、学校は障害のある子どもや若者に対して直接的にも間接的にも差別したり、執拗に苦しめたり、不当に扱うことをしてはならない。また、学校は障害のある子どもや若者がクラスメートと比較して実質的な不利益を被ることがないよう、補助的な援助やサービスの提供を含めた合理的調整を行わなければならないことを規定しているからである(Department for Education 2015: 16-7)。さらに、こうした調査結果が、障害のある若者が適切な支援を受けながら、普通教育のあらゆる形態に参加する権利を保障している障害者権利条約第24条に反していることはいうまでもない(Soorenian 2019: 112)。
また、2014年子どもと家族法の第19条によれば、イングランドにおける地方当局は次のような事柄に配慮しなければならないとしている。
この点を踏まえると、上述の学校の入学プロセスにおいてインフォームド・チョイスが保障されていないことは、2014年子どもと家族法の第19条の規定に明らかに反している(Soorenian 2019: 15)。また、障害者権利条約の第7条では、障害のある子どもが自身に影響を及ぼす事柄に関して意見を表明する権利やそのための支援を受ける権利が規定されており、この点でもアクセシビリティ・プランの作成や見直しのプロセスに障害のある若者や親が関わることは本来当然のことである。
こうしてこのプロジェクトでは、アクセシビリティ・プランは実際には有効に機能していないという結論に達している。そのうえでこのプロジェクトでは、教育省によるモニタリングの強制の必要性や、教育水準局による査察を強化して学校査察報告書(School Inspection Report)にアクセシビリティ・プランに関する知見をしっかりと盛り込ませることなどを提言している。また、ここでも障害者権利条約の遵守や、学校がアクセシビリティ・プランの作成や見直しにあたって、障害のある子どもや親を関与させる法的枠組みの必要性が訴えられている(Soorenian 2019: 118)。
本報告の研究目的の箇所でも述べたように、報告者はこれまで日本の就学運動の歴史を明らかにする研究をしてきた(堀 2014, 2016, 2018, 2019a, 2019b)。そこで最後に、英国におけるALLFIEのインクルーシブ教育運動と日本の就学運動を比較し、両者の特徴の相違点を大雑把ではあるが浮き彫りにしてみたい。
まず、本報告でも確認した1997年グリーンペーパーに象徴されるように、英国における教育に関する政策や法制度はインクルージョンを前提としている。具体的には、2014年子どもと家族法において、子どもや若者がどこで教育を受けるかに関して、普通学校で教育されるべきであるという強い想定が法的に保障されている。
そこでALLFIEのインクルーシブ教育運動は、こうした政策や法制度におけるインクルージョンを前提とした運動スタンスをとっている。具体的には、障害のある子どもを強制的に特別学校に行かせることを可能にしている2014年子どもと家族法の例外の規定を批判し、障害者権利条約第24条の遵守を政府に訴えてきた。また、アクセシビリティ・プランの調査プロジェクトで見たように、2010年平等法などの法令は基本的にインクルージョンを前提にしたものであることから、それが実際には有効に機能していないことを問題にした。この点で、英国におけるインクルーシブ教育政策や法制度は、ALLFIEのインクルーシブ教育運動の前提であり、また批判の対象になっている。
これに対して、日本の障害児教育の政策や法制度は、2013年9月の学校教育法施行令の改正に至るまで一貫して原則分離別学の体制が敷かれてきた。この点で、近年に至るまで、インクルーシブ教育の発想自体が日本の障害児教育の政策や法制度にはなかったと考えてよい。
また、日本の就学運動の全国組織である障害児を普通学校へ・全国連絡会において、会内部で「原則統合」の法制度への転換の必要性が訴えられ始めたのは、1990年代後半以降である。それまでは基本的に実力就学闘争と呼ぶべき運動のスタンスがとられ、それは法制度の変更を求めるものではなく、文字通り実力行使をもって子どもを普通学校に通わせるスタイルであった(堀 2019a, 2019b)。
そして、英国におけるインクルーシブ教育運動では、インクルーシブ教育の意味内容が当初から政府とのあいだで争われてきたのに対して、日本の場合には国の政策が公的に議論される場で初めて「原則統合」の考え方が提示されたのは、2009年12月に内閣府に設置された障がい者制度改革推進会議においてである。すなわち、日本の就学運動では、政策や法制度の水準でインクルージョンが議論されるようになったのは歴史的に見てきわめて最近のことであり、英国のインクルーシブ教育運動とは対照的に、こういってよければ政策や法制度を軽視する運動が長いあいだ続いてきたのである。この点で、英国に見られる政府の側と運動の側とのあいだでの「インクルージョン」という共通言語は、日本の就学運動ではまったく考えられないことであったといえる。
ALLFIEのインクルーシブ教育運動において、障害の社会モデルが思想的なベースになっていることは疑いのないことである。また、このことと関連してそこでは統合教育とインクルーシブ教育が意識的に区分されており、インクルーシブ教育こそが目指される目標として明確に掲げられている。
これに対して、1970年代以降に始まったとされる日本の障害者解放運動は、もともと障害の社会モデルの視座に立つものではない(堀 2014)。この点は、就学運動の文脈においても同様である。とりわけ、日本の就学運動では実力就学闘争のスタンスがとられてきたことから、普通学校は行くべき目指される対象としてある。この点で、どうしても普通学校はそれ自体がよいものとして語られやすく、それがそれほどまでには居心地のよいところではないことは自覚していたとしても、少なくとも障害の社会モデルのような普通学校を制度的・構造的に批判的に捉え返すという発想にはならない(堀 2019a)。
そして歴史的には、日本の就学運動は発達保障論と対立関係にあったこともあり、少なくとも運動のレベルで、普通学校で障害のある子どもが適切な支援を受けながら、発達保障を求めていく、あるいはその能力を最大限伸ばしていくという方向性には向かいにくい。むしろ歴史的には、発達を保障するあるいは能力を伸ばすことと、普通学校で周りとの関係性をつくることとが相いれないものとして対置されてきた。日本の就学運動は、明らかに後者に重きを置いており、前者の<できるようになること>に対しては懐疑的でさえあった。極論をいえば、日本の就学運動は、できなくても、あるいはできるようにならなくても、普通学校で他の子どもと一緒に学び、関係性をつくることを重視する運動であった(堀 2014, 2016, 2018)。
結果的に日本の就学運動では、統合教育とインクルーシブ教育を意識的に区分しなければならないという発想自体がなく、障害のある子どもが普通学校で学ぶことだけがインクルーシブ教育であるという理解になりやすい。そこには普通学校を制度的・構造的な側面から、たとえば、予算や学級・教員編成、カリキュラムなど、学校全体にわたって変革しなければならないという問題意識がない。そのため、日本の就学運動において、インクルージョンの具体的実践として語られるものの多くは、<共生共育>の思想を支持する教師の個人プレイになりやすく、特定の教師の努力ではどうにもならない学校の制度的・構造的な側面を批判的に問う視点は弱くなりがちであった。この点で、日本の就学運動においては障害のある子どもが普通学校で学ぶことはそれ自体がゴールになりやすく、英国のインクルーシブ教育運動のように、子どもの平等な参加と可能性の実現を保障するために障害の社会モデルの視座から普通学校を根底から問い直すといった視点はほとんど生じる余地がなかったといえる。
ALLFIEのインクルーシブ教育運動は障害者主導で運営され、成人になった障害者自身の視点から既存の教育実践を批判的に捉え返す試みが行われてきた。たとえば、「学校はどうだった」プロジェクトでは、「障害者の声」を積極的に拾い上げ、障害者のオーラルヒストリーを収集・分析することから普通学校の制度的・構造的な欠陥が浮き彫りにされていた。そこでは障害の社会モデルの視座から社会にある障壁を問題にするのと同じように、普通学校にある障壁こそが障害のある子どもの学校生活への参加や可能性の発揮を拒んでいるという捉え方がなされていた。
これに対して、日本の就学運動では、成人障害者の学校経験を積極的に拾い上げるような作業はこれまでほとんどなされてこなかったのではないだろうか。とりわけ、1980年代に入ってから結成された障害児を普通学校へ・全国連絡会などの就学運動では、障害のある子どもの親や学校の教師を中心に、またそこに専門家と呼ばれる人たち――心理学を専門に仕事をする者や大学教員、医師など――や就学問題に関心をもつ市民などが加わるなかで展開された。そのためALLFIEのインクルーシブ教育運動のように、その運動が障害者主導である必要性が意識されることはきわめて少なかったように思える。さらにいえば、就学運動に参加した親の多くは、子どもが障害をもち就学問題に直面したことがその参加のきっかけになっており、そのために就学問題はあくまでも子どもの問題という意識になりがちであった。
この点で、日本の就学運動のなかで語られる普通学校の経験は、そこで学ぶ本人であるはずの障害者自身の視点が欠落したものになりやすい。とりわけ、上述したように日本の就学運動においては、普通学校は行くべき目指される対象としてあることから、そこでの経験は肯定的かつ一面的に描かれることになりがちである。たとえば、ALLFIEの「学校はどうだった」プロジェクトでは、成人障害者の学校経験のオーラルヒストリーの収集・分析がなされていたが、日本の就学運動では、こうした障害者のホリスティックな経験を取り上げることが学校を批判的に対象化するうえで重要であることが認識されていない。そのため日本の就学運動は、普通学校の欠陥を制度的・構造的な観点から可視化することができず、依然としてインクルーシブ教育と統合教育の区別がつけられずにいる。